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グランツール

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グランツールえい: Grand Tourふつ: Grands Tours: Grande Giro西にし: Grandes Vueltasらん: Grote Ronde)は、ヨーロッパ開催かいさいされる自転車じてんしゃのプロロードレースのうちジロ・デ・イタリアツール・ド・フランスブエルタ・ア・エスパーニャの3つのステージレースの総称そうしょうである。さんだいツールともいう。

概要がいよう[編集へんしゅう]

ステージレースはジロ・デ・イタリアツール・ド・フランスブエルタ・ア・エスパーニャ以外いがいにも数多あまた存在そんざいするがこの3レースはいずれも実施じっし期間きかんおよ走行そうこう距離きょりがとりわけながい。2013ねん現在げんざい、UCI競技きょうぎ規則きそく原則げんそくとしてさだめられているおも概要がいよう

  • 日程にっていは15にち以上いじょう23にち以内いない
  • 競技きょうぎ区間くかんそう走行そうこう距離きょりは3500km以内いない
  • 日程にってい途中とちゅうに2かい休息きゅうそくもうけること、なお1かい休息きゅうそく大会たいかい8にち以降いこう設定せっていすること。

という過酷かこくなもので、しかも平地ひらち山岳さんがくタイムトライアルというそれぞれ要求ようきゅうされる能力のうりょくことなる種目しゅもく総合そうごうてきちから発揮はっきできなければ成績せいせきおさめられないというてんにおいて共通きょうつうしており「最大さいだい最高さいこうのステージレース」という意味合いみあいから「グランツール」のかんせられている。それゆえ過酷かこくさものレースとは桁違けたちがいであり、優勝ゆうしょうすることはもとより完走かんそうすること、ては出場しゅつじょうすることさえ困難こんなんである。しかしその一方いっぽう知名度ちめいど賞金しょうきんがくたかいため、総合そうごう優勝ゆうしょうしゃともなれば最上級さいじょうきゅう賞賛しょうさんおくられるのはもちろんのこと出場しゅつじょうするだけでも名誉めいよなレースである。

なかでもツール・ド・フランスはグランツールのなかもっと歴史れきしがありほかの2レースと比較ひかくした場合ばあい出場しゅつじょう選手せんしゅのレベルが相対そうたいてきたかい。さらに知名度ちめいどたかくロードレースに関心かんしんのないひともツールだけは特別とくべつ興味きょうみっていることがおおく、大会たいかい期間きかんちゅうにテレビ中継ちゅうけいとう観戦かんせんするひと世界せかいで10おくにんすともわれている。そのためツール・ド・フランスを「世界せかい最大さいだい自転車じてんしゃレース」とび、スポーツイベントとしてはオリンピックサッカーワールドカップ同格どうかくの「世界せかいさんだいスポーツ競技きょうぎ大会たいかい」としょうされることもある[1]

しかしながらツール・ド・フランスがグランツールのなかもっと過酷かこくなレースかというとかならずしもそうとはえず、山岳さんがくコースの設定せっていはジロ・デ・イタリアのほうがきびしいとひとおおい。そのためツール・ド・フランスが「世界せかい最大さいだい自転車じてんしゃレース」ならジロ・デ・イタリアは「世界せかい最高さいこう自転車じてんしゃレース」とひょうされることがある[だれによって?]

かくグランツールの特徴とくちょう[編集へんしゅう]

フランスの旗 ツール・ド・フランス[編集へんしゅう]

ツール・ド・フランスにおいては、「山岳さんがくコースではなるべく消耗しょうもうすくないはしりに終始しゅうしし、個人こじんタイムトライアルで一気いっき勝負しょうぶをつける」という戦略せんりゃく[2]総合そうごうあらそいの選手せんしゅ使つか場合ばあいおおく、5連覇れんぱ達成たっせいしたミゲル・インドゥラインはそうしたはしかた典型てんけいであった。また1989ねん大会たいかいだい逆転ぎゃくてん優勝ゆうしょうおさめたグレッグ・レモンもプロローグをのぞくタイムトライアルでつね勝利しょうりした。

そのほかエディ・メルクスや、のちにドーピング疑惑ぎわく優勝ゆうしょう剥奪はくだつされたランス・アームストロングフロイド・ランディス山岳さんがく積極せっきょくてき攻撃こうげき仕掛しかけたことで有名ゆうめい選手せんしゅたちもタイムトライアルでは圧倒的あっとうてきちからしめしている。ぎゃくに8表彰台ひょうしょうだい経験けいけんしながらも、ついに中央ちゅうおうつことがなかったレイモン・プリドールや6総合そうごう2経験けいけんしているヨープ・ズートメルク個人こじんタイムトライアルで総合そうごう首位しゅいしゃひろげられるケースがおおかった[3]

グランツールのなか唯一ゆいいつアルプスピレネー両方りょうほうはしるレースでもある。

イタリアの旗 ジロ・デ・イタリア[編集へんしゅう]

ジロ・デ・イタリアはツール・ド・フランスよりも山岳さんがくコースの設定せってい回数かいすうおおく、またツール・ド・フランスより山岳さんがくコースのなんたか傾向けいこうがある[4]。そのため山岳さんがく得意とくい選手せんしゅ有利ゆうり大会たいかいとされる[5][6]場合ばあいによっては短距離たんきょりではあるがやまのぼるだけのステージ[7]もあり、ツールのようにやまでのロスをふせぎTTで勝負しょうぶという展開てんかいにはみにくい。

またツール・ド・フランスにおいてはポイントしょうスプリンターかた選手せんしゅ獲得かくとくするのがつねだが、2013ねんまでのジロ・デ・イタリアは平坦へいたん山岳さんがく区別くべつしないポイント制度せいどであったため、総合そうごう成績せいせき上位じょういクライマーオールラウンダー選手せんしゅ獲得かくとくするケースもすくなくなかった(2020ねんまでのブエルタにも同様どうよう傾向けいこうがあった)。

1970年代ねんだいから1990年代ねんだいなかばの総合そうごう優勝ゆうしょうしゃについては選手せんしゅ国籍こくせき多様たようしていたが、ブエルタ・ア・エスパーニャが1995ねん従来じゅうらいはる開催かいさいから夏場なつば開催かいさいへと移行いこうしたことやツール・ド・フランス7連覇れんぱちゅう時代じだいにランス・アームストロングがジロを回避かいひしツール一本いっぽん照準しょうじゅんさだめるかたちっていたことから、それになら選手せんしゅ増加ぞうかしはじめた。ちなみに1996ねん優勝ゆうしょうしたパヴェル・トンコフロシア以降いこう2008ねんアルベルト・コンタドールスペイン)が優勝ゆうしょうするまでイタリア国籍こくせき以外いがい優勝ゆうしょうしゃていなかった。

スペインの旗 ブエルタ・ア・エスパーニャ[編集へんしゅう]

やまがちなスペインの地形ちけいじょう、しばしばきびしい勾配こうばいげきざか登場とうじょうする(2008ねんには最大さいだい23.6%、1km平均へいきんでも20%オーバーというステージもあった)。それにくわえTTがみじかい(15kmだいのTTが設定せっていされたとしもある)、山岳さんがく山頂さんちょうゴールステージそのものがおおい(2013ねんにはぜん21ステージの半数はんすう以上いじょうにあたる11ステージが山頂さんちょうゴールに設定せっていされた)、平坦へいたんステージでも150kmだいみじかいステージがおおだいげがまりにくいなどあり、ジロ・デ・イタリア以上いじょうやまのぼれるクライマーけいちかいライダーが総合そうごう上位じょういやすい。としによってはTTでライバルに先着せんちゃくゆるしたのにもかかわらず総合そうごう順位じゅんいでは上位じょういるというライダーもすくなくない[8]

かつて春期しゅんき開催かいさいだったころはジロ・デ・イタリアと開催かいさい期間きかんちかい、ないしかさなってしまうという日程にっていてき問題もんだいがあり有力ゆうりょくなオールラウンダーやクライマーはジロ・デ・イタリアやそののツール・ド・フランスにまわることもすくなくなかった。一方いっぽう有力ゆうりょくスプリンターのなかにはブエルタ・ア・エスパーニャを選択せんたくする選手せんしゅもおりスプリンタータイプの選手せんしゅ総合そうごう優勝ゆうしょうたすこともあった。

いまのように秋口あきぐち開催かいさいになってからは9がつまつおこなわれる世界せかい選手権せんしゅけんへの調整ちょうせいレースとり、最初さいしょから2しゅう途中とちゅうまではしりきり計画けいかくてきなリタイアを決行けっこうする選手せんしゅおおいため、最終さいしゅうにはプロトンが150にん程度ていどっていることめずらしくない。


グランツールにおけるおも記録きろく[編集へんしゅう]

顕著けんちょ記録きろく[編集へんしゅう]

グランツールとしての公式こうしきてき記録きろくかんする事項じこうおも完全かんぜん制覇せいはすべての大会たいかい総合そうごう優勝ゆうしょうたすこと)、どういち年度ねんどに2つ以上いじょう大会たいかい制覇せいはすること、どういち大会たいかいにおける主要しゅよう3部門ぶもん総合そうごう優勝ゆうしょう、ポイントしょう山岳さんがくしょう獲得かくとくどういち年度ねんどにおけるぜん大会たいかい区間くかん優勝ゆうしょう達成たっせいなどに集約しゅうやくされるが、達成たっせいされたこと自体じたい困難こんなんであるという意味合いみあいからどういち年度ねんどにツール・ド・フランス、ジロ・デ・イタリアの2つのグランツールレースおよび、ワンデイレースである世界せかい選手権せんしゅけんのいわゆるトリプルクラウンを達成たっせいした場合ばあいについても公式こうしきてき記録きろく事項じこうとみなす場合ばあいがある。

顕著けんちょ生涯しょうがい記録きろく[編集へんしゅう]

ぜんグランツール総合そうごう優勝ゆうしょう達成たっせいしゃ[編集へんしゅう]

すべての大会たいかい総合そうごう優勝ゆうしょうたした選手せんしゅ過去かこに7にん達成たっせいしゃがいる(達成たっせいじゅん列挙れっきょ)。

ジャック・アンクティルフランスの旗 フランス
大会たいかいめい 優勝ゆうしょう回数かいすう 優勝ゆうしょう年度ねんど
ツール・ド・フランス 5かい 1957ねん 1961ねん 1962ねん 1963ねん 1964ねん
ジロ・デ・イタリア 2かい 1960ねん 1964ねん
ブエルタ・ア・エスパーニャ 1かい 1963ねん
フェリーチェ・ジモンディイタリアの旗 イタリア
大会たいかいめい 優勝ゆうしょう回数かいすう 優勝ゆうしょう年度ねんど
ツール・ド・フランス 1かい 1965ねん
ジロ・デ・イタリア 3かい 1967ねん 1969ねん 1976ねん
ブエルタ・ア・エスパーニャ 1かい 1968ねん
エディ・メルクスベルギーの旗 ベルギー
大会たいかいめい 優勝ゆうしょう回数かいすう 優勝ゆうしょう年度ねんど
ツール・ド・フランス 5かい 1969ねん 1970ねん 1971ねん 1972ねん 1974ねん
ジロ・デ・イタリア 5かい 1968ねん 1970ねん 1972ねん 1973ねん 1974ねん
ブエルタ・ア・エスパーニャ 1かい 1973ねん
ベルナール・イノーフランスの旗 フランス
大会たいかいめい 優勝ゆうしょう回数かいすう 優勝ゆうしょう年度ねんど
ツール・ド・フランス 5かい 1978ねん 1979ねん 1981ねん 1982ねん 1985ねん
ジロ・デ・イタリア 3かい 1980ねん 1982ねん 1985ねん
ブエルタ・ア・エスパーニャ 2かい 1978ねん 1983ねん
アルベルト・コンタドールスペインの旗 スペイン
大会たいかいめい 優勝ゆうしょう回数かいすう 優勝ゆうしょう年度ねんど
ツール・ド・フランス 2かい 2007ねん 2009ねん 
ジロ・デ・イタリア 2かい 2008ねん 2015ねん 
ブエルタ・ア・エスパーニャ 3かい 2008ねん 2012ねん 2014ねん
ヴィンチェンツォ・ニバリイタリアの旗 イタリア
大会たいかいめい 優勝ゆうしょう回数かいすう 優勝ゆうしょう年度ねんど
ツール・ド・フランス 1かい 2014ねん
ジロ・デ・イタリア 2かい 2013ねん 2016ねん 
ブエルタ・ア・エスパーニャ 1かい 2010ねん
クリス・フルームイギリスの旗 イギリス
大会たいかいめい 優勝ゆうしょう回数かいすう 優勝ゆうしょう年度ねんど
ツール・ド・フランス 4かい 2013ねん 2015ねん 2016ねん 2017ねん
ジロ・デ・イタリア 1かい 2018ねん
ブエルタ・ア・エスパーニャ 2かい 2011ねん 2017ねん

連続れんぞくぜんグランツール総合そうごう優勝ゆうしょう達成たっせいしゃ[編集へんしゅう]

どういち年度ねんどにおけるぜんグランツール総合そうごう優勝ゆうしょう達成たっせいしゃは2018ねんシーズン終了しゅうりょう時点じてん1人ひとりもいないが[9]としをまたいだ場合ばあい過去かこに3にん達成たっせいしゃがいる。 (達成たっせいじゅん列挙れっきょ)。

エディ・メルクスベルギーの旗 ベルギー) - 4
レースめい とし
ジロ・デ・イタリア
ツール・ド・フランス
1972ねん
ブエルタ・ア・エスパーニャ
ジロ・デ・イタリア
1973ねん
ベルナール・イノーフランスの旗 フランス) - 3
レースめい とし
ジロ・デ・イタリア
ツール・ド・フランス
1982ねん
ブエルタ・ア・エスパーニャ 1983ねん
クリス・フルームイギリスの旗 イギリス) - 3
レースめい とし
ツール・ド・フランス
ブエルタ・ア・エスパーニャ
2017ねん
ジロ・デ・イタリア 2018ねん

出場しゅつじょう機会きかい連続れんぞく総合そうごう優勝ゆうしょう記録きろく[編集へんしゅう]

エディ・メルクスベルギーの旗 ベルギー) - 10
レースめい とし
ツール・ド・フランス 1969ねん
ジロ・デ・イタリア
ツール・ド・フランス
1970ねん
ツール・ド・フランス 1971ねん
ジロ・デ・イタリア
ツール・ド・フランス
1972ねん
ブエルタ・ア・エスパーニャ
ジロ・デ・イタリア
1973ねん
ジロ・デ・イタリア
ツール・ド・フランス
1974ねん
ジャック・アンクティルフランスの旗 フランス) - 5
レースめい とし
ツール・ド・フランス 1962ねん
ブエルタ・ア・エスパーニャ
ツール・ド・フランス
1963ねん
ジロ・デ・イタリア
ツール・ド・フランス
1964ねん
ミゲル・インドゥラインスペインの旗 スペイン) - 5
レースめい とし
ツール・ド・フランス 1991ねん
ジロ・デ・イタリア
ツール・ド・フランス
1992ねん
ジロ・デ・イタリア
ツール・ド・フランス
1993ねん
ベルナール・イノーフランスの旗 フランス) - 4(2かい
レースめい とし
ブエルタ・ア・エスパーニャ
ツール・ド・フランス
1978ねん
ツール・ド・フランス 1979ねん
ジロ・デ・イタリア 1980ねん
レースめい とし
ツール・ド・フランス 1981ねん
ジロ・デ・イタリア
ツール・ド・フランス
1982ねん
ブエルタ・ア・エスパーニャ 1983ねん
アルベルト・コンタドールスペインの旗 スペイン) - 4
レースめい とし
ツール・ド・フランス 2007ねん
ジロ・デ・イタリア
ブエルタ・ア・エスパーニャ
2008ねん
ツール・ド・フランス 2009ねん
クリス・フルームイギリスの旗 イギリス) - 3
レースめい とし
ツール・ド・フランス
ブエルタ・ア・エスパーニャ
2017ねん
ジロ・デ・イタリア 2018ねん

顕著けんちょ年間ねんかん記録きろく[編集へんしゅう]

「ダブルツール」に関連かんれんする記録きろく[編集へんしゅう]

「ダブルツール達成たっせい」とは1949ねんにファウスト・コッピがはじめてどういち年度ねんどにツール・ド・フランスとジロ・デ・イタリアで総合そうごう優勝ゆうしょう達成たっせいしたことに起因きいんして、以後いごもツール・ド・フランス、ジロ・デ・イタリアの2つのレースをどういち年度ねんどせいすることにたいする俗称ぞくしょうとしてもちいられてきた。しかし現在げんざいはブエルタ・ア・エスパーニャをふくめた3つのグランツールレースのうち、どういち年度ねんどに2つのレースを制覇せいはしたことへの意味合いみあいにわりつつある。

なお、ブエルタ・ア・エスパーニャは1994ねんまでは春期しゅんき(おおむね4~5がつ)開催かいさい、1995ねん以後いご夏期かき(8~9がつ)開催かいさい

ツール・ド・フランスとジロ・デ・イタリア[編集へんしゅう]

過去かこに7にん達成たっせいしゃがいる(達成たっせいじゅん列挙れっきょ)。

ファウスト・コッピイタリアの旗 イタリア
達成たっせい回数かいすう 達成たっせい年度ねんど
2かい 1949ねん 1952ねん
ジャック・アンクティルフランスの旗 フランス
達成たっせい回数かいすう 達成たっせい年度ねんど
1かい 1964ねん
エディ・メルクスベルギーの旗 ベルギー
達成たっせい回数かいすう 達成たっせい年度ねんど
3かい 1970ねん 1972ねん 1974ねん
ベルナール・イノーフランスの旗 フランス
達成たっせい回数かいすう 達成たっせい年度ねんど
2かい 1982ねん 1985ねん
ステファン・ロッシュアイルランドの旗 アイルランド
達成たっせい回数かいすう 達成たっせい年度ねんど
1かい 1987ねん
ミゲル・インドゥラインスペインの旗 スペイン
達成たっせい回数かいすう 達成たっせい年度ねんど
2かい 1992ねん 1993ねん
マルコ・パンターニイタリアの旗 イタリア
達成たっせい回数かいすう 達成たっせい年度ねんど
1かい 1998ねん
ツール・ド・フランスとブエルタ・ア・エスパーニャ[編集へんしゅう]

過去かこに3にん達成たっせいしゃがいる(達成たっせいじゅん列挙れっきょ)。

ジャック・アンクティルフランスの旗 フランス
達成たっせい回数かいすう 達成たっせい年度ねんど
1かい 1963ねん
ベルナール・イノーフランスの旗 フランス
達成たっせい回数かいすう 達成たっせい年度ねんど
1かい 1978ねん

以下いかはブエルタが8〜9月開催かいさい移行いこうしてツールと連続れんぞくした大会たいかいになった以後いご達成たっせいしゃ

クリス・フルーム (イギリスの旗 イギリス)
達成たっせい回数かいすう 達成たっせい年度ねんど
1かい 2017ねん
ジロ・デ・イタリアとブエルタ・ア・エスパーニャ[編集へんしゅう]

過去かこに3にん達成たっせいしゃがいる(達成たっせいじゅん列挙れっきょ)。

エディ・メルクスベルギーの旗 ベルギー
達成たっせい回数かいすう 達成たっせい年度ねんど
1かい 1973ねん
ジョヴァンニ・バッタリンイタリアの旗 イタリア
達成たっせい回数かいすう 達成たっせい年度ねんど
1かい 1981ねん

以下いかはブエルタが8〜9月開催かいさい移行いこうしてツールをまたいだ大会たいかいになって以後いご達成たっせいしゃ

アルベルト・コンタドールスペインの旗 スペイン
達成たっせい回数かいすう 達成たっせい年度ねんど
1かい 2008ねん

どういちレース主要しゅよう3部門ぶもん獲得かくとく完全かんぜん優勝ゆうしょうしゃ[編集へんしゅう]

どういちレース主要しゅよう3部門ぶもん獲得かくとくとは総合そうごう成績せいせき、ポイントしょう山岳さんがくしょうの3つのしょうについてどういちレースでそのいずれにおいても1になることをす(いわゆる完全かんぜん優勝ゆうしょう)。過去かこに3にん達成たっせいしゃがいる(達成たっせいじゅん列挙れっきょ)。

エディ・メルクスベルギーの旗 ベルギー
大会たいかいめい 達成たっせい年度ねんど
ジロ・デ・イタリア 1968ねん
ツール・ド・フランス 1969ねん
トニー・ロミンゲルスイスの旗 スイス
大会たいかいめい 達成たっせい年度ねんど
ブエルタ・ア・エスパーニャ 1993ねん
ローラン・ジャラベールフランスの旗 フランス
大会たいかいめい 達成たっせい年度ねんど
ブエルタ・ア・エスパーニャ 1995ねん

どういち年度ねんどぜんグランツール区間くかん優勝ゆうしょう達成たっせいしゃ[編集へんしゅう]

過去かこに3にん達成たっせいしゃがいる(達成たっせいじゅん列挙れっきょ)。

ミゲル・ポブレットスペインの旗 スペイン
達成たっせい回数かいすう 達成たっせい年度ねんど
1かい 1956ねん
ピエリーノ・バフィイタリアの旗 イタリア
達成たっせい回数かいすう 達成たっせい年度ねんど
1かい 1958ねん
アレサンドロ・ペタッキイタリアの旗 イタリア
達成たっせい回数かいすう 達成たっせい年度ねんど
1かい 2003ねん

その、2006ねんカルロス・サストレがチームタイムトライアルをふくんだどういち年度ねんどぜん大会たいかいステージ優勝ゆうしょう達成たっせいしている。

なお、グランツールの山岳さんがくしょう関連かんれんする項目こうもく山岳さんがくしょう、ポイントしょう関連かんれんする項目こうもくポイントしょう参照さんしょうのこと。

「トリプルクラウン」に関連かんれんする記録きろく[編集へんしゅう]

ツール・ド・フランスとジロ・デ・イタリアりょうレースの総合そうごう優勝ゆうしょうくわえ、世界せかい選手権せんしゅけんロードレース個人こじんロードレース種目しゅもくあわせてどういち年度ねんど制覇せいはすることをぞくに「トリプルクラウン」とぶことがある。過去かこ2人ふたり達成たっせいしゃがいる(達成たっせいじゅん列挙れっきょ)。

エディ・メルクスベルギーの旗 ベルギー
達成たっせい回数かいすう 達成たっせい年度ねんど
1かい 1974ねん
ステファン・ロッシュアイルランドの旗 アイルランド
達成たっせい回数かいすう 達成たっせい年度ねんど
1かい 1987ねん

そのどういちねんでの制覇せいはでない生涯しょうがいさんかん制覇せいは選手せんしゅとして、ファウスト・コッピイタリア)、フェリーチェ・ジモンディ(イタリア)、ベルナール・イノーフランス)の3めい、かつ世界せかい選手権せんしゅけんロードレースの個人こじんロードレースでなく個人こじんタイムトライアルで優勝ゆうしょうした選手せんしゅとして、ミゲル・インドゥラインスペイン)がいる。また、どういちねん制覇せいはながら世界せかい選手権せんしゅけんをトラック(個人こじんき)で優勝ゆうしょうした選手せんしゅにファウスト・コッピ(イタリア)がいる。

総合そうごう優勝ゆうしょう回数かいすうランキング[編集へんしゅう]

順位じゅんい 選手せんしゅめい 通算つうさん ツール・ド・フランス ジロ・デ・イタリア ブエルタ・ア・エスパーニャ
1 ベルギーの旗 エディ・メルクス 11 5 (1969, 1970, 1971, 1972, 1974) 5 (1968, 1970, 1972, 1973, 1974) 1 (1973)
2 フランスの旗 ベルナール・イノー 10 5 (1978, 1979, 1981, 1982, 1985) 3 (1980, 1982, 1985) 2 (1978, 1983)
3 フランスの旗 ジャック・アンクティル 8 5 (1957, 1961, 1962, 1963, 1964) 2 (1960, 1964) 1 (1963)
4 イタリアの旗 ファウスト・コッピ 7 2 (1949, 1952) 5 (1940, 1947, 1949, 1952, 1953)
スペインの旗 ミゲル・インドゥライン 7 5 (1991, 1992, 1993, 1994, 1995) 2 (1992, 1993)
スペインの旗 アルベルト・コンタドール 7 2 (2007, 2009) 2 (2008, 2015) 3 (2008, 2012, 2014)
イギリスの旗 クリス・フルーム 7 4 (2013, 2015, 2016, 2017) 1 (2018) 2 (2011, 2017)
8 イタリアの旗 ジーノ・バルタリ 5 2 (1938, 1948) 3 (1936, 1937, 1946)
イタリアの旗 アルフレッド・ビンダ 5 5 (1923, 1925, 1927, 1928, 1929)
イタリアの旗 フェリーチェ・ジモンディ 5 1 (1965) 3 (1967, 1969, 1976) 1 (1968)
11 スイスの旗 トニー・ロミンゲル 4 1 (1995) 3 (1992, 1993, 1994)
スペインの旗 ロベルト・エラス 4 4 (2000, 2003, 2004, 2005[10])
イタリアの旗 ヴィンチェンツォ・ニバリ 4 1 (2014) 2 (2013, 2016) 1 (2010)
スロベニアの旗 プリモシュ・ログリッチ 4 1 (2023) 3 (2019, 2020, 2021)
15 フランスの旗 ルイゾン・ボベ 3 3 (1953, 1954, 1955)
イタリアの旗 ジョヴァンニ・ブルネーロ 3 3 (1921, 1922, 1926)
スペインの旗 ペドロ・デルガド 3 1 (1988) 2 (1985, 1989)
フランスの旗 ローラン・フィニョン 3 2 (1983, 1984) 1 (1989)
イタリアの旗 カルロ・ガレッティ 3 3 (1910, 1911, 1912)
ルクセンブルクの旗 シャルリー・ゴール 3 1 (1958) 2 (1956, 1959)
アメリカ合衆国の旗 グレッグ・レモン 3 3 (1986, 1989, 1990)
イタリアの旗 フィオレンツォ・マーニ 3 3 (1948, 1951, 1955)
ベルギーの旗 フィリップ・ティス 3 3 (1913, 1914, 1920)
スロベニアの旗 タデイ・ポガチャル 3 2 (2020, 2021) 1 (2024)
25 ロシアの旗 デニス・メンショフ 2 1 (2009) 1 (2007)[10]
イタリアの旗 フランコ・バルマミオン 2 2 (1962, 1963)
イタリアの旗 イヴァン・バッソ 2 2 (2006, 2010)
イタリアの旗 ジョヴァンニ・バッタリン 2 1 (1981) 1 (1981)
スペインの旗 フリアン・ベレンデロ 2 2 (1941, 1942)
イタリアの旗 オッタヴィオ・ボテッキア 2 2 (1924, 1925)
ベルギーの旗 フスターフ・デロール 2 2 (1935, 1936)
ルクセンブルクの旗 ニコラ・フランツ 2 2 (1927, 1928)
スペインの旗 ホセ・マヌエル・フエンテ 2 2 (1972, 1974)
イタリアの旗 イヴァン・ゴッティ 2 2 (1997, 1999)
オランダの旗 ヤン・ヤンセン 2 1 (1968) 1 (1967)
スイスの旗 ユーゴ・コブレ 2 1 (1951) 1 (1950)
ベルギーの旗 フィルマン・ランボー 2 2 (1919, 1922)
フランスの旗 アンドレ・ルデュック 2 2 (1930, 1932)
ベルギーの旗 シルヴェール・マース 2 2 (1936, 1939)
フランスの旗 アントナン・マーニュ 2 2 (1931, 1934)
スペインの旗 ルイス・オカーニャ 2 1 (1973) 1 (1970)
イタリアの旗 マルコ・パンターニ 2 1 (1998) 1 (1998)
フランスの旗 ルシアン・プティブルトン 2 2 (1907, 1908)
フランスの旗 ロジェ・パンジョン 2 1 (1967) 1 (1969)
アイルランドの旗 ステファン・ロッシュ 2 1 (1987) 1 (1987)
イタリアの旗 パオロ・サヴォルデッリ 2 2 (2002, 2005)
イタリアの旗 ジュゼッペ・サロンニ 2 2 (1979, 1983)
イタリアの旗 ジルベルト・シモーニ 2 2 (2001, 2003)
フランスの旗 ベルナール・テヴネ 2 2 (1975, 1977)
ドイツの旗 ヤン・ウルリッヒ 2 1 (1997) 1 (1999)
イタリアの旗 ジョヴァンニ・ヴァレッティ 2 2 (1938, 1939)
オランダの旗 ヨープ・ズートメルク 2 1 (1980) 1 (1979)
スイスの旗 アレックス・ツェーレ 2 2 (1996, 1997)
コロンビアの旗 ナイロ・キンタナ 2 1 (2014) 1 (2016)
コロンビアの旗 エガン・ベルナル 2 1 (2019) 1 (2021)
デンマークの旗 ヨナス・ヴィンゲゴー 2 2 (2022, 2023)

グランツール歴代れきだい総合そうごう優勝ゆうしょうしゃ[編集へんしゅう]

とし ジロ・デ・イタリア ツール・ド・フランス ブエルタ・ア・エスパーニャ
1903ねん   フランスの旗 モリス・ガラン  
1904ねん フランスの旗 アンリ・コルネ
1905ねん フランスの旗 ルイ・トゥルスリエ
1906ねん フランスの旗 ルネ・ポティエ
1907ねん フランスの旗 ルシアン・プティブルトン (1/2)
1908ねん フランスの旗 ルシアン・プティブルトン (2/2)
1909ねん イタリア王国の旗 ルイジ・ガンナ ルクセンブルクの旗 フランソワ・ファベール
1910ねん イタリア王国の旗 カルロ・ガレッティ (1/3) フランスの旗 オクタブ・ラピーズ
1911ねん イタリア王国の旗 カルロ・ガレッティ (2/3) フランスの旗 ギュスタヴ・ガリグー
1912ねん イタリア王国の旗 アタラ・ダンロップ英語えいごばん
(カルロ・ガレッティ (3/3)、
ジョヴァンニ・ミケレット
エベラルド・パヴェージ。)
[11]
ベルギーの旗 オディル・ドフレイエ
1913ねん イタリア王国の旗カルロ・オリアーニ ベルギーの旗 フィリップ・ティス (1/3)
1914ねん イタリア王国の旗アルフォンソ・カルツォラーリ ベルギーの旗 フィリップ・ティス (2/3)
1915ねん だいいち世界せかい大戦たいせん影響えいきょうにより中止ちゅうし
1916ねん
1917ねん
1918ねん
1919ねん イタリア王国の旗コスタンテ・ジラルデンゴ (1/2) ベルギーの旗 フィルマン・ランボー (1/2)
1920ねん イタリア王国の旗ガエターノ・ベローニ ベルギーの旗 フィリップ・ティス (3/3)
1921ねん イタリア王国の旗ジョバンニ・ブルネーロ (1/3) ベルギーの旗 レオン・シウール
1922ねん イタリア王国の旗ジョバンニ・ブルネーロ (2/3) ベルギーの旗 フィルマン・ランボー (2/2)
1923ねん イタリア王国の旗コスタンテ・ジラルデンゴ (2/2) フランスの旗 アンリ・ペリシエ
1924ねん イタリア王国の旗ジュゼッペ・エンリーチ イタリア王国の旗 オッタビオ・ボテッキア (1/2)
1925ねん イタリア王国の旗アルフレッド・ビンダ (1/5) イタリア王国の旗 オッタビオ・ボテッキア (2/2)
1926ねん イタリア王国の旗ジョバンニ・ブルネーロ (3/3) ベルギーの旗ルシアン・ビュイス
1927ねん イタリア王国の旗アルフレッド・ビンダ (2/5) ルクセンブルクの旗ニコラ・フランツ (1/2)
1928ねん イタリア王国の旗アルフレッド・ビンダ (3/5) ルクセンブルクの旗ニコラ・フランツ (2/2)
1929ねん イタリア王国の旗アルフレッド・ビンダ (4/5) ベルギーの旗モリス・ドゥワエル
1930ねん イタリア王国の旗ルイジ・マルキジオ フランスの旗アンドレ・ルデュック (1/2)
1931ねん イタリア王国の旗フランチェスコ・カムッソ フランスの旗アントナン・マーニュ (1/2)
1932ねん イタリア王国の旗アントニオ・ペゼンティ イタリアの旗アンドレ・ルデュック (2/2)
1933ねん イタリア王国の旗アルフレッド・ビンダ (5/5) フランスの旗ジョルジュ・スペシェ
1934ねん イタリア王国の旗レアルコ・グエラ フランスの旗アントナン・マーニュ (2/2)
1935ねん イタリア王国の旗ヴァスコ・ベルガマスキ ベルギーの旗ロマン・マース ベルギーの旗フスターフ・デロール (1/2)
1936ねん イタリア王国の旗ジーノ・バルタリ (1/5) ベルギーの旗シルベール・マース (1/2) ベルギーの旗フスターフ・デロール (2/2)
1937ねん イタリア王国の旗ジーノ・バルタリ (2/5) フランスの旗ロジェ・ラペビー スペイン内戦ないせん影響えいきょうにより中止ちゅうし
1938ねん イタリア王国の旗ジョヴァンニ・ヴァレッティ (1/2) イタリア王国の旗ジーノ・バルタリ (3/5)
1939ねん イタリア王国の旗ジョヴァンニ・ヴァレッティ (2/2) ベルギーの旗シルベール・マース (2/2)
1940ねん イタリア王国の旗ファウスト・コッピ (1/7) だい世界せかい大戦たいせん影響えいきょうにより中止ちゅうし
1941ねん だい世界せかい大戦たいせん影響えいきょうにより中止ちゅうし スペインの旗フリアン・ベレンデーロ (1/2)
1942ねん スペインの旗フリアン・ベレンデーロ (2/2)
1943ねん だい世界せかい大戦たいせん影響えいきょうにより中止ちゅうし
1944ねん
1945ねん デリオ・ロドリゲス
1946ねん イタリアの旗ジーノ・バルタリ (4/5) ダルマシオ・ランガリカ
1947ねん イタリアの旗ファウスト・コッピ (2/7) フランスの旗ジャン・ロビック ベルギーの旗エドワード・ファン・ダイク
1948ねん イタリアの旗フィオレンツォ・マーニ (1/3) イタリアの旗ジーノ・バルタリ (5/5) ベルナルド・ルイス
1949ねん イタリアの旗ファウスト・コッピ (3/7) イタリアの旗ファウスト・コッピ (4/7) 中止ちゅうし
1950ねん スイスの旗ユーゴ・コブレ (1/2) スイスの旗フェルディナント・キュプラー エミリオ・ロドリゲス
1951ねん イタリアの旗フィオレンツォ・マーニ (2/3) スイスの旗ユーゴ・コブレ (2/2) 中止ちゅうし
1952ねん イタリアの旗ファウスト・コッピ (5/7) イタリアの旗ファウスト・コッピ (6/7)
1953ねん イタリアの旗ファウスト・コッピ (7/7) イタリアの旗ルイゾン・ボベ (1/3)
1954ねん スイスの旗カルロ・クレリーチ フランスの旗ルイゾン・ボベ (2/3)
1955ねん イタリアの旗フィオレンツォ・マーニ (3/3) フランスの旗ルイゾン・ボベ (3/3) フランスの旗ジャン・ドット
1956ねん ルクセンブルクの旗シャルリー・ゴール (1/3) フランスの旗ロジェ・ワルコビャック イタリアの旗アンジェロ・コンテルノ
1957ねん イタリアの旗ガストネ・ネンチーニ (1/2) フランスの旗ジャック・アンクティル (1/8) ヘスス・ロローニョ
1958ねん イタリアの旗エルコーレ・バルディーニ ルクセンブルクの旗シャルリー・ゴール (2/3) フランスの旗ジャン・スタブリンスキ
1959ねん ルクセンブルクの旗シャルリー・ゴール (3/3) フェデリコ・バーモンテス アントニオ・スアレス
1960ねん フランスの旗ジャック・アンクティル (2/8) イタリアの旗ガストネ・ネンチーニ (2/2) ベルギーの旗フランス・デ・ムルダー
1961ねん イタリアの旗アルナルド・パンビアンコ フランスの旗ジャック・アンクティル (3/8) アンヘリノ・ソレル
1962ねん イタリアの旗フランコ・バルマミオン (1/2) フランスの旗ジャック・アンクティル (4/8) ドイツの旗ルディ・アルティヒ
1963ねん イタリアの旗フランコ・パルマミオン (2/2) フランスの旗ジャック・アンクティル (6/8) フランスの旗ジャック・アンクティル (5/8)
1964ねん フランスの旗ジャック・アンクティル (7/8) フランスの旗ジャック・アンクティル (8/8) フランスの旗レイモン・プリドール
1965ねん イタリアの旗ビットリオ・アドルニ イタリアの旗フェリーチェ・ジモンディ (1/5) ドイツの旗ロルフ・ウォルフショール
1966ねん イタリアの旗ジャンニ・モッタ フランスの旗ルシアン・エマール フランシスコ・ガビカ
1967ねん イタリアの旗フェリーチェ・ジモンディ (2/5) フランスの旗ロジェ・パンジョン (1/2) オランダの旗ヤン・ヤンセン (1/2)
1968ねん ベルギーの旗エディ・メルクス (1/11) オランダの旗ヤン・ヤンセン (2/2) イタリアの旗フェリーチェ・ジモンディ (3/5)
1969ねん イタリアの旗フェリーチェ・ジモンディ (4/5) ベルギーの旗エディ・メルクス (2/11) フランスの旗ロジェ・パンジョン (2/2)
1970ねん ベルギーの旗エディ・メルクス (3/11) ベルギーの旗エディ・メルクス (4/11) ルイス・オカーニャ (1/2)
1971ねん スウェーデンの旗イェスタ・ペーテルソン ベルギーの旗エディ・メルクス (5/11) ベルギーの旗フェルディナント・ブラック
1972ねん ベルギーの旗エディ・メルクス (6/11) ベルギーの旗エディ・メルクス (7/11) ホセ・マヌエル・フエンテ (1/2)
1973ねん ベルギーの旗エディ・メルクス (9/11) ルイス・オカーニャ (2/2) ベルギーの旗エディ・メルクス (8/11)
1974ねん ベルギーの旗エディ・メルクス (10/11) ベルギーの旗エディ・メルクス (11/11) ホセ・マヌエル・フエンテ (2/2)
1975ねん イタリアの旗ファウスト・ベルトリオ フランスの旗ベルナール・テブネ (1/2) アグスティン・タマメス
1976ねん イタリアの旗フェリーチェ・ジモンディ (5/5) ベルギーの旗ルシアン・バンインプ ホセ・ペサロドーナ
1977ねん ベルギーの旗ミッシェル・ポランティエール フランスの旗ベルナール・テブネ (2/2) ベルギーの旗フレディ・マルテンス
1978ねん ベルギーの旗ヨハン・デミュインク フランスの旗ベルナール・イノー (2/10) フランスの旗ベルナール・イノー (1/10)
1979ねん イタリアの旗ジュゼッペ・サローニ (1/2) フランスの旗ベルナール・イノー (3/10) オランダの旗ヨープ・ズートメルク (1/2)
1980ねん フランスの旗ベルナール・イノー (4/10) オランダの旗ヨープ・ズートメルク (2/2) スペインの旗ファウスティーノ・ルペレス
1981ねん イタリアの旗ジョバンニ・バッタリン (2/2) フランスの旗ベルナール・イノー (5/10) イタリアの旗ジョバンニ・バッタリン (1/2)
1982ねん フランスの旗ベルナール・イノー (6/10) フランスの旗ベルナール・イノー (7/10) スペインの旗マリノ・レハレタ
1983ねん イタリアの旗ジュゼッペ・サローニ (2/2) フランスの旗ローラン・フィニョン (1/3) フランスの旗ベルナール・イノー (8/10)
1984ねん イタリアの旗フランチェスコ・モゼール フランスの旗ローラン・フィニョン (2/3) フランスの旗エリック・カリトゥー
1985ねん フランスの旗ベルナール・イノー (9/10) フランスの旗ベルナール・イノー (10/10) スペインの旗ペドロ・デルガド (1/3)
1986ねん イタリアの旗ロベルト・ヴィセンティーニ アメリカ合衆国の旗グレッグ・レモン (1/3) スペインの旗アルバロ・ピノ
1987ねん アイルランドの旗ステファン・ロッシュ (1/2) アイルランドの旗ステファン・ロッシュ (2/2) コロンビアの旗ルイス・エレラ
1988ねん アメリカ合衆国の旗アンドリュー・ハンプステン スペインの旗ペドロ・デルガド (2/3) アイルランドの旗ショーン・ケリー
1989ねん フランスの旗ローラン・フィニョン (3/3) アメリカ合衆国の旗グレッグ・レモン (2/3) スペインの旗ペドロ・デルガド (3/3)
1990ねん イタリアの旗ジャンニ・ブーニョ アメリカ合衆国の旗グレッグ・レモン (3/3) イタリアの旗マルコ・ジョヴァンネッティ
1991ねん イタリアの旗フランコ・キオッチョーリ スペインの旗ミゲル・インドゥライン (1/7) スペインの旗メルチョル・マウリ
1992ねん スペインの旗ミゲル・インドゥライン (2/7) スペインの旗ミゲル・インドゥライン (3/7) スイスの旗トニー・ロミンゲル (1/4)
1993ねん スペインの旗ミゲル・インドゥライン (4/7) スペインの旗ミゲル・インドゥライン (5/7) スイスの旗トニー・ロミンゲル (2/4)
1994ねん ロシアの旗エフゲニー・ベルツィン スペインの旗ミゲル・インドゥライン (6/7) スイスの旗トニー・ロミンゲル (3/4)
1995ねん スイスの旗トニー・ロミンゲル (4/4) スペインの旗ミゲル・インドゥライン (7/7) フランスの旗ローラン・ジャラベール
1996ねん ロシアの旗パヴェル・トンコフ デンマークの旗ビャルヌ・リース[12] スイスの旗アレックス・ツーレ (1/2)
1997ねん イタリアの旗イヴァン・ゴッティ (1/2) ドイツの旗ヤン・ウルリッヒ (1/2) スイスの旗アレックス・ツーレ (2/2)
1998ねん イタリアの旗マルコ・パンターニ (1/2) イタリアの旗マルコ・パンターニ (2/2) スペインの旗アブラハム・オラーノ
1999ねん イタリアの旗イヴァン・ゴッティ (2/2) アメリカ合衆国の旗ランス・アームストロング (1/7)[13] ドイツの旗ヤン・ウルリッヒ (2/2)
2000ねん イタリアの旗ステファノ・ガルゼッリ アメリカ合衆国の旗ランス・アームストロング (2/7)[13] スペインの旗ロベルト・エラス (1/4)
2001ねん イタリアの旗ジルベルト・シモーニ (1/2) アメリカ合衆国の旗ランス・アームストロング (3/7)[13] スペインの旗アンヘル・カセーロ
2002ねん イタリアの旗パオロ・サヴォルデッリ (1/2) アメリカ合衆国の旗ランス・アームストロング (4/7)[13] スペインの旗アイトール・ゴンサレス
2003ねん イタリアの旗ジルベルト・シモーニ (2/2) アメリカ合衆国の旗ランス・アームストロング (5/7)[13] スペインの旗ロベルト・エラス (2/4)
2004ねん イタリアの旗ダミアーノ・クネゴ アメリカ合衆国の旗ランス・アームストロング (6/7)[13] スペインの旗ロベルト・エラス (3/4)
2005ねん イタリアの旗パオロ・サヴォルデッリ (2/2) アメリカ合衆国の旗ランス・アームストロング (7/7)[13] スペインの旗ロベルト・エラス (4/4)[10]
2006ねん イタリアの旗イヴァン・バッソ (1/2) スペインの旗オスカル・ペレイロ[14] カザフスタンの旗アレクサンドル・ヴィノクロフ
2007ねん イタリアの旗ダニーロ・ディルーカ スペインの旗アルベルト・コンタドール (1/7) ロシアの旗デニス・メンショフ (1/2)
2008ねん スペインの旗アルベルト・コンタドール (2/7) スペインの旗カルロス・サストレ スペインの旗アルベルト・コンタドール (3/7)
2009ねん ロシアの旗デニス・メンショフ (2/2) スペインの旗アルベルト・コンタドール (4/7) スペインの旗アレハンドロ・バルベルデ
2010ねん イタリアの旗イヴァン・バッソ (2/2) ルクセンブルクの旗アンディ・シュレク イタリアの旗ヴィンチェンツォ・ニバリ (1/4)
2011ねん イタリアの旗ミケーレ・スカルポーニ オーストラリアの旗カデル・エヴァンス イギリスの旗クリス・フルーム (1/7)[15]
2012ねん カナダの旗ライダー・ヘシェダル イギリスの旗ブラッドリー・ウィギンス スペインの旗アルベルト・コンタドール (5/7)
2013ねん イタリアの旗ヴィンチェンツォ・ニバリ (2/4) イギリスの旗クリス・フルーム (2/7) アメリカ合衆国の旗クリストファー・ホーナー
2014ねん コロンビアの旗ナイロ・キンタナ (1/2) イタリアの旗ヴィンチェンツォ・ニバリ (3/4) スペインの旗アルベルト・コンタドール (6/7)
2015ねん スペインの旗アルベルト・コンタドール (7/7) イギリスの旗クリス・フルーム (3/7) イタリアの旗ファビオ・アル
2016ねん イタリアの旗ヴィンチェンツォ・ニバリ (4/4) イギリスの旗クリス・フルーム (4/7) コロンビアの旗ナイロ・キンタナ (2/2)
2017ねん オランダの旗トム・デュムラン イギリスの旗クリス・フルーム (5/7) イギリスの旗クリス・フルーム (6/7)
2018ねん イギリスの旗クリス・フルーム (7/7) イギリスの旗ゲラント・トーマス イギリスの旗サイモン・イェーツ
2019ねん エクアドルの旗リチャル・カラパス コロンビアの旗エガン・ベルナル (1/2) スロベニアの旗プリモシュ・ログリッチ (1/4)
2020ねん イギリスの旗テイオ・ゲイガンハート スロベニアの旗タデイ・ポガチャル (1/3) スロベニアの旗プリモシュ・ログリッチ (2/4)
2021ねん コロンビアの旗エガン・ベルナル (2/2) スロベニアの旗タデイ・ポガチャル (2/3) スロベニアの旗プリモシュ・ログリッチ (3/4)
2022ねん オーストラリアの旗ジャイ・ヒンドレー デンマークの旗ヨナス・ヴィンゲゴー (1/2) ベルギーの旗レムコ・エヴェネプール
2023ねん スロベニアの旗プリモシュ・ログリッチ (4/4) デンマークの旗ヨナス・ヴィンゲゴー (2/2) アメリカ合衆国の旗セップ・クス
2024ねん スロベニアの旗タデイ・ポガチャル (3/3)
とし ジロ・デ・イタリア ツール・ド・フランス ブエルタ・ア・エスパーニャ
年間ねんかんトリプルクラウン達成たっせい
年間ねんかんダブルツール達成たっせい

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 2019ツール・ド・フランスさいたまクリテリウムを開催かいさいします』(プレスリリース)さいたま、2019ねん4がつ15にちhttps://www.city.saitama.jp/006/014/008/003/008/001/p064756_d/fil/2019kaisaikettei.pdf2019ねん10がつ9にち閲覧えつらん 8ページ参照さんしょう
  2. ^ ジャック・アンクティル確立かくりつしたとされる
  3. ^ 詳細しょうさい1961ねんから1982ねんころまでのツール・ド・フランスかく年度ねんど項目こうもく参照さんしょう
  4. ^ たとえばツールでしばしば山岳さんがくステージで登場とうじょうするラルプ・デュエズ登坂とさか距離きょり15.5kmで平均へいきん勾配こうばい7.9%、最大さいだい勾配こうばい11.5%山岳さんがくチェック】だい16ステージ、ラルプ・デュエズモン・ヴァントゥ登坂とさか距離きょり21.1km、平均へいきん勾配こうばい7.6%、最大さいだい勾配こうばい10.6%コースプロフィール。これにたいし、2007ねんのジロで登場とうじょうしたゾンコランとうげ登坂とさか距離きょり10.1km、平均へいきん勾配こうばい11.9%、最大さいだい勾配こうばい22%コースプロフィール、2008ねんだい16ステージ山岳さんがく個人こじんTTで登場とうじょうしたプラン・デ・コロネス登坂とさか距離きょり12.85km、平均へいきん勾配こうばい8.4%、最大さいだい勾配こうばい24%、さらに後半こうはん5kmは舗装ほそうになっているコースプロフィールなど、登坂とさか距離きょりみじかいものの勾配こうばいきびしい山岳さんがくおお登場とうじょうする。
  5. ^ 2001ねん、2003ねんジルベルト・シモーニ、2004ねんダミアーノ・クネゴなど近年きんねんもピュアクライマーとされる選手せんしゅ総合そうごう優勝ゆうしょうしたれいがある。シモーニをクライマーとしている記事きじれい クネゴをクライマーとしている記事きじれい
  6. ^ ちなみにジロ・デ・イタリアで山岳さんがくしょうもうけられたのは1933ねんツール・ド・フランス同年どうねん最初さいしょ山岳さんがくしょうもうけられたが、開催かいさい時期じきてんでグランツールにおける最初さいしょ山岳さんがくしょう制定せいていジロ・デ・イタリアということになる。初代しょだい山岳さんがくしょう受賞じゅしょうしゃアルフレッド・ビンダであるが、同時どうじに5度目どめ総合そうごう優勝ゆうしょう達成たっせい過去かこ4かい総合そうごう優勝ゆうしょう達成たっせいしたさいにも山岳さんがくコースでは圧倒的あっとうてきつよさをしめしている。
  7. ^ 2008ねんだい16ステージに設定せっていされたながさ12.9km、最大さいだい傾斜けいしゃ24%の個人こじんTT。2009ねんだい17ステージ、途中とちゅうに1つおおきなくだりがあるがほぼスタート~ゴールあいだ83kmがのぼりのみという登場とうじょう
  8. ^ 2009ねん総合そうごう優勝ゆうしょうしゃアレハンドロ・バルベルデだい1ステージの個人こじんTTでは1びょう先着せんちゃくしているが、2つの個人こじんTTで2サムエル・サンチェス、3カデル・エヴァンスにかなりのをつけられている。
  9. ^ どういち年度ねんどにおけるぜんグランツール完走かんそう達成たっせいする選手せんしゅ自体じたいが、としに1めいか2めいいるかどうかである。2011ねんのブエルタから2018ねんのジロまでグランツール20大会たいかい連続れんぞく完走かんそうたしているアダム・ハンセンは「鉄人てつじん」の愛称あいしょうしたしまれている。
  10. ^ a b c 2005ねんのブエルタの総合そうごう首位しゅい当初とうしょロベルト・エラスだったが、レースおこなわれたドーピング検査けんさ結果けっか失格しっかくとなり、どう2デニス・メンショフ優勝ゆうしょうとなった。ただし、2012ねん12月21にち、スペイン最高裁判所さいこうさいばんしょは、ドーピング検査けんさ手続てつづきに不適切ふてきせつがあった、というエラスのうったえをみとめ、2005ねんのブエルタ優勝ゆうしょう剥奪はくだつ処分しょぶんし、ふたたびエラスを優勝ゆうしょうとする判決はんけつくだしている。(検査けんさ手順てじゅん不備ふびによりエラスの処分しょぶん撤回てっかい  2005ねんブエルタ総合そうごう優勝ゆうしょうのタイトルがもど - シクロワイアード2012ねん12月22にちづけ。)これにもとづけばエラスの総合そうごう優勝ゆうしょう回数かいすうは4かい、メンショフは2かいとなる。
  11. ^ このとしはチーム単位たんい優勝ゆうしょうあらそ方式ほうしき開催かいさいされ、アタラ・ダンロップ英語えいごばんがチームとして優勝ゆうしょう個人こじん優勝ゆうしょう表彰ひょうしょうとしてはカルロ・ガレッティジョヴァンニ・ミケレットエベラルド・パヴェージの3にん対象たいしょう。したがってカルロ・ガレッティがジロ・デ・イタリア史上しじょうはつ総合そうごう3連覇れんぱ達成たっせいしたかたちとなる。
  12. ^ 後日ごじつ自身じしんくちから当時とうじ禁止きんし薬物やくぶつ使用しようしていたという告白こくはくがなされ、それにもとづき国際こくさい自転車じてんしゃ競技きょうぎ連合れんごう(UCI)がマイヨジョーヌの返還へんかんもとめている。当該とうがい記事きじ
  13. ^ a b c d e f g ドーピング違反いはんより抹消まっしょう
  14. ^ 当初とうしょ総合そうごう1だったフロイド・ランディスから多数たすう禁止きんし薬物やくぶつ検出けんしゅつされたことからランディスの総合そうごう優勝ゆうしょう保留ほりゅうとされ、その公聴こうちょうかいなどの調査ちょうさつづけられた。1ねん以上いじょうわた調査ちょうさ結果けっか2007ねん9がつ20日はつかに「アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくはんドーピング機関きかん」(USADA)が後日ごじつランディスの総合そうごう1記録きろくし、21にちには、UCI正式せいしきにランディスの失格しっかくオスカル・ペレイロ優勝ゆうしょう認定にんてい優勝ゆうしょう決定けってい同年どうねん10月15にち総合そうごうディレクターのクリスティアン・プリュドムより優勝ゆうしょうジャージ(マイヨ・ジョーヌ)が授与じゅよされた。当該とうがい記事きじ
  15. ^ フアン・ホセ・コーボ総合そうごう優勝ゆうしょうはドーピング確定かくていによりされ、総合そうごう2だったフルームの優勝ゆうしょうとなった。コボのアンチ・ドーピング違反いはん処分しょぶん確定かくていし、ブエルタ・ア・エスパーニャ2011はフルームが総合そうごう優勝ゆうしょう - cyclesports.jp 2019.07.18

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]