グレートブリテンおよび北 きた アイルランド連合 れんごう 王国 おうこく 議会 ぎかい (グレートブリテンおよびきたアイルランドれんごうおうこくぎかい、英語 えいご : Parliament of the United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland )は、イギリス の立法府 りっぽうふ であり、本国 ほんごく 及 およ び海外 かいがい 領土 りょうど の最高 さいこう 機関 きかん である[1] 。神 かみ の下 した の議会 ぎかい における王 おう はチャールズ国王 こくおう であり、その座 ざ 所 しょ はグレーター・ロンドン に位置 いち するシティ・オブ・ウェストミンスター のウェストミンスター宮殿 きゅうでん にある。王室 おうしつ 属領 ぞくりょう についてはその権限 けんげん は原則 げんそく として及 およ ばない。
議会 ぎかい は両院 りょういん 制 せい で、上院 じょういん (貴族 きぞく 院 いん )と下院 かいん (庶民 しょみん 院 いん )から構成 こうせい されている[2] 。君主 くんしゅ は立法府 りっぽうふ の3つ目 め の構成 こうせい 要素 ようそ を形成 けいせい する(議会 ぎかい における国王 こくおう )[3] [4] 。貴族 きぞく 院 いん は2つの異 こと なるタイプの議員 ぎいん を含 ふく んでいる。すなわち、英国 えいこく 国教 こっきょう 会 かい で最 もっと も上級 じょうきゅう の聖職 せいしょく 貴族 きぞく で構成 こうせい される聖職 せいしょく 上院 じょういん 議員 ぎいん (Lords Spiritual ) 、及 およ び首相 しゅしょう の助言 じょげん に基 もと づいて君主 くんしゅ により任命 にんめい される連合 れんごう 王国 おうこく 貴族 きぞく と一 いち 代 だい 貴族 きぞく とで構成 こうせい される世俗 せぞく 上院 じょういん 議員 ぎいん (Lords Temporal ) である。[5] 2009年 ねん 10月 がつ に連合 れんごう 王国 おうこく 最高 さいこう 裁判所 さいばんしょ が創設 そうせつ される以前 いぜん は、貴族 きぞく 院 いん は常任 じょうにん 上訴 じょうそ 貴族 きぞく を通 とお して司法 しほう 機能 きのう (英語 えいご 版 ばん ) を備 そな えていた。
庶民 しょみん 院 いん は、少 すく なくとも5年 ねん ごとに行 おこな われる選挙 せんきょ に伴 ともな い、民主 みんしゅ 的 てき に議員 ぎいん が選出 せんしゅつ される議院 ぎいん である[6] 。両院 りょういん はそれぞれ、ロンドン のウェストミンスター宮殿 きゅうでん (議事堂 ぎじどう )内 ない にある、互 たが いに離 はな れた議院 ぎいん に置 お かれる。憲法 けんぽう 上 うえ の慣習 かんしゅう により、首相 しゅしょう を含 ふく む全 すべ ての大臣 だいじん (ministers)は、庶民 しょみん 院 いん 議員 ぎいん であるか、 – あまり一般 いっぱん 的 てき ではないが、貴族 きぞく 院 いん 議員 ぎいん であるか – であり、これらの大臣 だいじん は、それにより立法府 りっぽうふ の各 かく 部門 ぶもん に対 たい して説明 せつめい 責任 せきにん がある。
合同 ごうどう 法 ほう がイングランド議会 ぎかい (Parliament of England ) とスコットランド議会 ぎかい (Parliament of Scotland ) を通過 つうか したことにより合同 ごうどう 条約 じょうやく (Treaty of Union ) が批准 ひじゅん され、1707年 ねん にグレートブリテン議会 ぎかい (Parliament of Great Britain ) が形成 けいせい された。19世紀 せいき の初 はじ めには、グレートブリテン議会 ぎかい とアイルランド議会 ぎかい により合同 ごうどう 法 ほう が承認 しょうにん されたことで、議会 ぎかい はさらに拡大 かくだい した。これにより、後者 こうしゃ は廃止 はいし され、前者 ぜんしゃ に100名 めい のアイルランド議会 ぎかい 議員 ぎいん と32名 めい の貴族 きぞく 議員 ぎいん が加 くわ わり、グレートブリテンおよびアイルランド連合 れんごう 王国 おうこく 議会 ぎかい が創設 そうせつ された。アイルランド自由 じゆう 国 こく が分離 ぶんり 独立 どくりつ した5年 ねん 後 ご に、Royal and Parliamentary Titles Act 1927 により、正式 せいしき に議会 ぎかい の名称 めいしょう が“グレートブリテンおよび北 きた アイルランド連合 れんごう 王国 おうこく 議会 ぎかい ”に修正 しゅうせい された[7] 。
英国 えいこく 議会 ぎかい とその諸 しょ 機関 きかん は、世界中 せかいじゅう の多 おお くの民主 みんしゅ 主義 しゅぎ 諸国 しょこく の模範 もはん となっており、「議会 ぎかい の母 はは 」または「諸 しょ 議会 ぎかい の母 はは 」(the mother of parliaments)と呼 よ ばれるまでに至 いた っている[8] 。しかしながら、ジョン・ブライト は – 彼 かれ こそがこの形容 けいよう 語句 ごく を作 つく ったのだが – 議会 ぎかい よりもむしろ国 こく (イングランド)に関 かん して、その語句 ごく を使用 しよう した[9] 。
理論 りろん 上 じょう 、イギリスの最高 さいこう の立法 りっぽう 権限 けんげん は議会 ぎかい における国王 こくおう に付与 ふよ されている。しかし、国王 こくおう は首相 しゅしょう の助言 じょげん に基 もと づいて行動 こうどう する上 じょう 、貴族 きぞく 院 いん の権限 けんげん は縮小 しゅくしょう されているので、事実 じじつ 上 じょう の権限 けんげん は庶民 しょみん 院 いん に付与 ふよ される[10] 。
ロンドン のテムズ川 がわ のほとりに建 た つウェストミンスター宮殿 きゅうでん (時計 とけい 塔 とう の通称 つうしょう 「ビッグ・ベン 」が代名詞 だいめいし として使用 しよう される)が議事堂 ぎじどう である。
歴史 れきし の項 こう で言及 げんきゅう されるとおり、現在 げんざい のイギリス議会 ぎかい はイングランド議会 ぎかい を実質 じっしつ 的 てき な祖 そ としているが、歴史 れきし 上 じょう イギリスのイングランド以外 いがい の地域 ちいき (後 のち に独立 どくりつ したアイルランドも含 ふく む)には、個別 こべつ の議会 ぎかい が存在 そんざい していた(これらの議会 ぎかい は、その後 ご 「地方 ちほう 議会 ぎかい 」として復活 ふっかつ しているので、「存在 そんざい している」ということもできる)。このため、他 た と区別 くべつ して特 とく にウェストミンスター に存在 そんざい する議会 ぎかい に言及 げんきゅう する場合 ばあい 、この議会 ぎかい をウェストミンスター議会 ぎかい と呼 よ ぶことがある[11] 。
連合 れんごう 王国 おうこく 議会 ぎかい の創設 そうせつ まで[ 編集 へんしゅう ]
中世 ちゅうせい イギリス諸島 しょとう の3王国 おうこく 、イングランド王国 おうこく 、スコットランド王国 おうこく 、アイルランド王国 おうこく は、それぞれの議会 ぎかい (イングランド議会 ぎかい (Parliament of England ) 、スコットランド議会 ぎかい (Parliament of Scotland ) 、アイルランド議会 ぎかい )を持 も っていた。1707年 ねん 、合同 ごうどう 法 ほう により、イングランドとスコットランドが合同 ごうどう し、グレートブリテン議会 ぎかい (The Parliament of Great Britain)が成立 せいりつ する。次 つ いで、1800年 ねん の合同 ごうどう 法 ほう により、アイルランドを含 ふく む連合 れんごう 王国 おうこく 議会 ぎかい (The Parliament of the United Kingdom)が成立 せいりつ する。
グレートブリテンおよびアイルランド連合 れんごう 王国 おうこく 議会 ぎかい [ 編集 へんしゅう ]
1833年 ねん の庶民 しょみん 院 いん を描 えが いた絵 え
グレートブリテンおよびアイルランド連合 れんごう 王国 おうこく は、合同 ごうどう 法 ほう の下 した 、グレートブリテン王国 おうこく とアイルランド王国 おうこく の併合 へいごう により、1801年 ねん に建国 けんこく された。
下院 かいん に対 たい して大臣 だいじん が責任 せきにん を負 お うという原則 げんそく は、19世紀 せいき になるまでは発達 はったつ することはなかった—当時 とうじ の貴族 きぞく 院 いん は理論 りろん 上 じょう も、実際 じっさい においても庶民 しょみん 院 いん に優越 ゆうえつ していた。庶民 しょみん 院 いん 議員 ぎいん は、大 おお いに異 こと なる大 おお きさの選挙 せんきょ 区 く の下 した 、時代遅 じだいおく れの選挙 せんきょ 方法 ほうほう で選出 せんしゅつ されていた。それゆえ、有権者 ゆうけんしゃ が7名 めい であったオールド・セーレムの選挙 せんきょ 区 く は、2名 めい の議員 ぎいん を選出 せんしゅつ することが可能 かのう であった。同様 どうよう にダンウィッチの選挙 せんきょ 区 く でも議員 ぎいん の選出 せんしゅつ が可能 かのう であったが、同地 どうち は土地 とち の浸食 しんしょく のために、ほぼ完全 かんぜん に海 うみ の中 なか に消 き えてしまっていた。
多 おお くの場合 ばあい において、上院 じょういん 議員 ぎいん はまた、懐中 かいちゅう 選挙 せんきょ 区 く (pocket boroughs)または腐敗 ふはい 選挙 せんきょ 区 く として知 し られる、とても小 ちい さい選挙 せんきょ 区 く を支配 しはい し、自身 じしん の身内 みうち や支持 しじ 者 しゃ が選挙 せんきょ で選 えら ばれることを確実 かくじつ にすることができた。庶民 しょみん 院 いん の議席 ぎせき の多 おお くは、貴族 きぞく 院 いん 議員 ぎいん により“所有 しょゆう ”されていた。1832年 ねん 改革 かいかく 法 ほう に始 はじ まる19世紀 せいき に行 おこな われた改革 かいかく の後 のち 、下院 かいん 議員 ぎいん の選挙 せんきょ 方法 ほうほう は(以前 いぜん よりも)はるかに規則正 きそくただ しくなった。もはや下院 かいん の議席 ぎせき は上院 じょういん に左右 さゆう されることはなくなり、庶民 しょみん 院 いん 議員 ぎいん の発言 はつげん 力 りょく は増 ま し始 はじ めた。
イギリスの庶民 しょみん 院 いん の優越 ゆうえつ は20世紀 せいき 初頭 しょとう に確立 かくりつ した。1909年 ねん 、庶民 しょみん 院 いん はいわゆる人民 じんみん 予算 よさん (英語 えいご 版 ばん ) を可決 かけつ し、言 い ってみれば富裕 ふゆう な地主 じぬし らにとって不利益 ふりえき となるような、課税 かぜい システムに対 たい する変更 へんこう を数多 かずおお く加 くわ えた。権力 けんりょく のある地主 じぬし らが大勢 おおぜい を占 し めていた貴族 きぞく 院 いん はこの予算 よさん 案 あん を否決 ひけつ した。予算 よさん 案 あん への支持 しじ とそれに続 つづ く貴族 きぞく 院 いん 議員 ぎいん への不 ふ 支持 しじ に基 もと づき、自由党 じゆうとう は1910年 ねん に行 おこな われた二 に 度 ど の選挙 せんきょ に僅差 きんさ で勝利 しょうり した。
自由党 じゆうとう のアスキス 首相 しゅしょう は、(自 みずか らの党 とう への)信任 しんにん としてその結果 けっか を利用 りよう し、議会 ぎかい 法案 ほうあん を提出 ていしゅつ して貴族 きぞく 院 いん の権限 けんげん を制限 せいげん しようとした(首相 しゅしょう は人民 じんみん 予算 よさん の地租 ちそ 条項 じょうこう を再 さい 提出 ていしゅつ することはしなかった)。貴族 きぞく 院 いん がこの法案 ほうあん の可決 かけつ を拒否 きょひ すると、アスキス首相 しゅしょう は1910年 ねん の二 に 度目 どめ の総 そう 選挙 せんきょ の前 まえ に国王 こくおう との内密 ないみつ の約束 やくそく をもって対抗 たいこう し、貴族 きぞく 院 いん で大 だい 多数 たすう を占 し めていた保守党 ほしゅとう 議員 ぎいん を減 へ らすために、自由党 じゆうとう 所属 しょぞく の数 すう 百 ひゃく 人 にん の貴族 きぞく を創設 そうせつ することを要求 ようきゅう した。そのような脅威 きょうい に直面 ちょくめん して、貴族 きぞく 院 いん は辛 から くも法案 ほうあん を可決 かけつ した。
1911年 ねん 議会 ぎかい 法 ほう (英語 えいご 版 ばん ) が成立 せいりつ すると、貴族 きぞく 院 いん が金銭 きんせん 法案 ほうあん (英語 えいご 版 ばん ) (租税 そぜい 、歳出 さいしゅつ 、公債 こうさい について扱 あつか う法案 ほうあん )を阻止 そし しようとするのを防 ふせ ぎ、貴族 きぞく 院 いん に他 た のあらゆる法案 ほうあん を最大 さいだい で3会期 かいき まで(1949年 ねん 議会 ぎかい 法 ほう では2会期 かいき までに短縮 たんしゅく された)遅 おく らせること(上院 じょういん の遅延 ちえん 権 けん )を許 ゆる した。その後 ご 、金銭 きんせん 法案 ほうあん は貴族 きぞく 院 いん の反対 はんたい を押 お し切 き って成立 せいりつ した。しかし、1911年 ねん と1949年 ねん の議会 ぎかい 法 ほう にかかわらず、貴族 きぞく 院 いん は制限 せいげん のない権限 けんげん を常 つね に保持 ほじ しており、あらゆる法案 ほうあん について断固 だんこ として成立 せいりつ を阻止 そし することが可能 かのう であり、通例 つうれい このような試 こころ みは議会 ぎかい 期 き を延長 えんちょう するためになされる。[12]
グレートブリテンおよび北 きた アイルランド連合 れんごう 王国 おうこく 議会 ぎかい [ 編集 へんしゅう ]
1920年 ねん アイルランド政府 せいふ 法 ほう により北 きた アイルランド および南 みなみ アイルランド に議会 ぎかい が創設 そうせつ され、ウェストミンスターでの両 りょう 地域 ちいき の代表 だいひょう 議席 ぎせき は減少 げんしょう した(ただし、北 きた アイルランドの議席 ぎせき 数 すう は、1973年 ねん に中央 ちゅうおう 政府 せいふ による直接 ちょくせつ 統治 とうち が導入 どうにゅう された後 のち に再 ふたた び増加 ぞうか した)。アイルランド自由 じゆう 国 こく が1922年 ねん に独立 どくりつ して、1927年 ねん に議会 ぎかい はグレートブリテンおよび北 きた アイルランド連合 れんごう 王国 おうこく 議会 ぎかい と改称 かいしょう した。
貴族 きぞく 院 いん に対 たい しては、更 さら なる改革 かいかく が20世紀 せいき 中 ちゅう に実行 じっこう された。1958年 ねん 一 いち 代 だい 貴族 きぞく 法 ほう により一 いち 代 だい 貴族 きぞく の爵位 しゃくい が定期 ていき 的 てき に創設 そうせつ されるようになった。1960年代 ねんだい までには、世襲 せしゅう 貴族 きぞく の爵位 しゃくい が定期 ていき 的 てき に創設 そうせつ されることはなくなり、それ以降 いこう は、ほとんど全 すべ ての新 あたら しい貴族 きぞく たちは一 いち 代 だい 貴族 きぞく のみとなった。
より最近 さいきん では、1999年 ねん 貴族 きぞく 院 いん 法 ほう により(同 どう 法 ほう は、暫定 ざんてい 的 てき に92名 めい の世襲 せしゅう 貴族 きぞく を例外 れいがい として、それらの世襲 せしゅう 貴族 きぞく は終身 しゅうしん 貴族 きぞく 院 いん 議員 ぎいん とすることとし、その死去 しきょ に伴 ともな う補欠 ほけつ 選挙 せんきょ をもって、残 のこ りの世襲 せしゅう 貴族 きぞく より貴族 きぞく 院 いん 議員 ぎいん を選出 せんしゅつ することとされたが、)世襲 せしゅう 貴族 きぞく の自動的 じどうてき に貴族 きぞく 院 いん に議席 ぎせき を持 も つ権利 けんり は消失 しょうしつ した。現在 げんざい では、貴族 きぞく 院 いん は庶民 しょみん 院 いん よりも下位 かい に置 お かれる議院 ぎいん である。加 くわ えて、2005年 ねん 憲法 けんぽう 改革 かいかく 法 ほう により、2009年 ねん 10月 がつ の連合 れんごう 王国 おうこく 最高 さいこう 裁判所 さいばんしょ の新設 しんせつ をもって、貴族 きぞく 院 いん の司法 しほう 機能 きのう (英語 えいご 版 ばん ) が廃止 はいし されることとなった。
貴族 きぞく 院 いん
庶民 しょみん 院 いん
イギリス議会 ぎかい は、下院 かいん に相当 そうとう する庶民 しょみん 院 いん (House of Commons ) と上院 じょういん に相当 そうとう する貴族 きぞく 院 いん (House of Lords ) によって構成 こうせい される両院 りょういん 制 せい で、そこで可決 かけつ された法案 ほうあん を儀礼 ぎれい 的 てき に承認 しょうにん するイギリス国王 こくおう (The Crown ) を合 あ わせた3機関 きかん から構成 こうせい される。
イギリスの法律 ほうりつ では、イギリスの主権 しゅけん (sovereign)は、両院 りょういん と王位 おうい によって構成 こうせい される“議会 ぎかい ”にあるとされる。議会 ぎかい の長 ちょう は、儀礼 ぎれい 上 じょう 、イギリス王位 おうい である。しかし、王位 おうい の存在 そんざい については、イギリスの憲法 けんぽう を構成 こうせい する慣習 かんしゅう 法 ほう の一 ひと つに「国王 こくおう は君臨 くんりん すれども統治 とうち せず 」 (the sovereign reigns but does not rule.)とあり、儀礼 ぎれい 的 てき なものに留 と まる。昔 むかし の王政 おうせい 時代 じだい から、議会 ぎかい 制 せい 民主 みんしゅ 主義 しゅぎ を歴史 れきし 的 てき に発達 はったつ させた国 くに ならではの政治 せいじ システムが完成 かんせい している。
議会 ぎかい で可決 かけつ された法案 ほうあん (庶民 しょみん 院 いん の優越 ゆうえつ により、貴族 きぞく 院 いん が否決 ひけつ ・修正 しゅうせい しても庶民 しょみん 院 いん が可決 かけつ していれば庶民 しょみん 院 いん 案 あん が通 とお る)が王位 おうい に承認 しょうにん されることにより、法令 ほうれい が認可 にんか される。王位 おうい は、それに在 あ る者 もの の意志 いし と関係 かんけい なく、儀礼 ぎれい 的 てき に可決 かけつ された法案 ほうあん を承認 しょうにん することとなっていて、首相 しゅしょう の助言 じょげん によって行動 こうどう するのみである。議院 ぎいん 内 ない 閣 かく 制 せい により、議会 ぎかい に対 たい して責任 せきにん を負 お うのは、彼 かれ ら大臣 だいじん である。ただし、王位 おうい が首相 しゅしょう の助言 じょげん を拒否 きょひ する権利 けんり は、久 ひさ しく執行 しっこう されたことがないものの、存在 そんざい する。この場合 ばあい 、自動的 じどうてき に内閣 ないかく 総 そう 辞職 じしょく か庶民 しょみん 院 いん の解散 かいさん 総 そう 選挙 せんきょ となる。また、最高 さいこう 裁判所 さいばんしょ の機能 きのう は伝統 でんとう 的 てき に貴族 きぞく 院 いん が常任 じょうにん 上訴 じょうそ 貴族 きぞく を通 とお して行使 こうし していたが、これは2009年 ねん 10月 がつ 1日 にち をもって連合 れんごう 王国 おうこく 最高 さいこう 裁判所 さいばんしょ に改組 かいそ された。裁判官 さいばんかん となる法曹 ほうそう 貴族 きぞく は引 ひ き続 つづ き上院 じょういん の構成 こうせい 員 いん である。
庶民 しょみん 院 いん の優越 ゆうえつ [ 編集 へんしゅう ]
1911年 ねん に制定 せいてい された議会 ぎかい 法 ほう によって、慣習 かんしゅう となっていた庶民 しょみん 院 いん の優越 ゆうえつ が法律 ほうりつ に明記 めいき された。
連続 れんぞく 2会期 かいき (つまり足 あし かけ2年 ねん )庶民 しょみん 院 いん で可決 かけつ した法案 ほうあん は、貴族 きぞく 院 いん が否決 ひけつ ・修正 しゅうせい しても、庶民 しょみん 院 いん 案 あん のまま法律 ほうりつ となる。貴族 きぞく 院 いん は成立 せいりつ を13か月 げつ 引 ひ き延 の ばせるだけということになる。金銭 きんせん 法案 ほうあん であると庶民 しょみん 院 いん 議長 ぎちょう が認定 にんてい した法案 ほうあん は、貴族 きぞく 院 いん で1か月 げつ しか成立 せいりつ を遅 おく らせることができない。貴族 きぞく 院 いん 議員 ぎいん が首相 しゅしょう に就任 しゅうにん しない慣行 かんこう も憲法 けんぽう 上 じょう のものとされている。
両院 りょういん とも、議長 ぎちょう が議事 ぎじ を統括 とうかつ する。かつて貴族 きぞく 院 いん 議長 ぎちょう は大 だい 法官 ほうかん が務 つと め、首相 しゅしょう の指名 しめい により国王 こくおう が任命 にんめい していた。2006年 ねん 7月 がつ 4日 にち より、互選 ごせん による独立 どくりつ の貴族 きぞく 院 いん 議長 ぎちょう となった。庶民 しょみん 院 いん 議長 ぎちょう は選挙 せんきょ で選 えら ばれるが、慣例 かんれい として全会 ぜんかい 一致 いっち で決 き まる。
総 そう 選挙 せんきょ の後 のち 、国王 こくおう または女王 じょおう (君主 くんしゅ )により議会 ぎかい が召集 しょうしゅう される。総 そう 選挙 せんきょ から総 そう 選挙 せんきょ までを1つの議会 ぎかい (Parliament)という単位 たんい で呼 よ び、2015年 ねん の総 そう 選挙 せんきょ 後 ご の議会 ぎかい は第 だい 56議会 ぎかい である。1つの議会 ぎかい の長 なが さは最長 さいちょう 5年 ねん と定 さだ められている。しかし、近年 きんねん は4年 ねん 程度 ていど で解散 かいさん されることが多 おお い。
一方 いっぽう 、その中 なか では約 やく 1年間 ねんかん の会期 かいき がある。2012年 ねん までは11月に始 はじ まり、冬休 ふゆやす み 、イースター の休 やす み、春休 はるやす み 、夏休 なつやす み の休会 きゅうかい 期間 きかん を挟 はさ み、次 つぎ の11月で終 お わる。2012年 ねん の総 そう 選挙 せんきょ 以降 いこう は5月 がつ か6月 がつ に開会 かいかい 時期 じき が移動 いどう した。
新 あたら しい会期 かいき は、貴族 きぞく 院 いん 議場 ぎじょう に両院 りょういん の議員 ぎいん が集 あつ まった開会 かいかい 式 しき での国王 こくおう 演説 えんぜつ (施政 しせい 方針 ほうしん 演説 えんぜつ )から始 はじ まる。ただし、庶民 しょみん 院 いん 議員 ぎいん は席 せき がないので、議場 ぎじょう 内 ない で起立 きりつ したまま数 すう 分間 ふんかん 演説 えんぜつ を聞 き くことになる。建前 たてまえ として統治 とうち 権 けん を「議会 ぎかい における国王 こくおう 」が保持 ほじ しているということによるが、実際 じっさい には政府 せいふ が作成 さくせい したものを代読 だいどく する形 かたち になる。そして議員 ぎいん は両院 りょういん に分 わ かれて施政 しせい 方針 ほうしん に対 たい する討論 とうろん を開始 かいし し、審議 しんぎ がスタートする。
両院 りょういん とも、はじめは発声 はっせい 表決 ひょうけつ (Voice Voting)という方法 ほうほう を採 と っている。これは、議長 ぎちょう の「賛成 さんせい のみなさんは?」という呼 よ びかけに対 たい し、各 かく 議員 ぎいん が「賛成 さんせい 」(庶民 しょみん 院 いん :"Aye"/貴族 きぞく 院 いん :"Content")と答 こた え、続 つづ いて「反対 はんたい のみなさんは?」という呼 よ びかけに「反対 はんたい 」(庶民 しょみん 院 いん :"No"/貴族 きぞく 院 いん :"Not-Content")と答 こた えるものである。[13] 議長 ぎちょう は、声量 せいりょう の大小 だいしょう から判断 はんだん して、可決 かけつ または否決 ひけつ を決 き める。
全会 ぜんかい 一致 いっち の議案 ぎあん は当然 とうぜん どちらかの声 こえ しか聞 き こえないので、発声 はっせい 表決 ひょうけつ で決 き まるが、ある程度 ていど 賛否 さんぴ が分 わ かれている場合 ばあい は、分列 ぶんれつ 表決 ひょうけつ (Division)となる。両 りょう 議院 ぎいん ともに議場 ぎじょう の外側 そとがわ の左右 さゆう には廊下 ろうか があり、分列 ぶんれつ 表決 ひょうけつ のためのロビーとしても使用 しよう される。議長 ぎちょう 席 せき から見 み て、右側 みぎがわ が賛成 さんせい 投票 とうひょう 控室 ひかえしつ (庶民 しょみん 院 いん : Aye Lobby/貴族 きぞく 院 いん : Content Lobby)、左側 ひだりがわ が反対 はんたい 投票 とうひょう 控室 ひかえしつ (庶民 しょみん 院 いん : No Lobby/貴族 きぞく 院 いん : Not Content Lobby)である。[14] [15] 分列 ぶんれつ 表決 ひょうけつ となったとき、議員 ぎいん は席 せき を離 はな れて、それぞれ賛成 さんせい と反対 はんたい に分 わ かれて別 べつ のドアから議場 ぎじょう を出 で て、議場 ぎじょう の左右 さゆう にある2つのロビーに賛成 さんせい と反対 はんたい に各々 おのおの 分 わ かれて並 なら び、別々 べつべつ のロビーの出口 いでぐち (すなわち議場 ぎじょう の入口 いりくち )から再 ふたた び議場 ぎじょう に入場 にゅうじょう するときに、議長 ぎちょう から指名 しめい された2名 めい の計算 けいさん 係 がかり (tellers)が数 かず を数 かぞ え、賛成 さんせい 側 がわ と反対 はんたい 側 がわ に2名 めい ずつの書記官 しょきかん が各々 おのおの 氏名 しめい を確認 かくにん する方式 ほうしき が採 と られる[14] [13] 。
司法 しほう との関係 かんけい [ 編集 へんしゅう ]
イギリスの最高 さいこう 裁判所 さいばんしょ の機能 きのう は、貴族 きぞく 院 いん に属 ぞく していたが、憲法 けんぽう 改革 かいかく 法 ほう により2009年 ねん 10月 がつ 1日 にち 付 づ けで新設 しんせつ の連合 れんごう 王国 おうこく 最高 さいこう 裁判所 さいばんしょ へ権限 けんげん を移行 いこう 、600年 ねん の伝統 でんとう に幕 まく を下 お ろした。もっとも1876年 ねん に常任 じょうにん 上訴 じょうそ 貴族 きぞく が創設 そうせつ された後 のち は、法律 ほうりつ 家 か である常任 じょうにん 上訴 じょうそ 貴族 きぞく のみが裁判 さいばん に関与 かんよ してきたが、最初 さいしょ の最高 さいこう 裁判所 さいばんしょ 裁判官 さいばんかん 12人 にん は常任 じょうにん 上訴 じょうそ 貴族 きぞく が横 よこ 滑 すべら しており、実態 じったい としては大 おお きな変化 へんか はない。
アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく のような大統領 だいとうりょう 制 せい の国 くに に比 くら べれば、イギリスのような議院 ぎいん 内 ない 閣 かく 制 せい の国 くに では、行政 ぎょうせい 権 けん を有 ゆう する内閣 ないかく が立法 りっぽう 権 けん を有 ゆう する議会 ぎかい の信任 しんにん を必要 ひつよう とし、連帯 れんたい 責任 せきにん を負 お うという仕組 しく み上 じょう 、三権分立 さんけんぶんりつ は緩 ゆる やかなものとなる[要 よう 出典 しゅってん ] 。日本 にっぽん やドイツ やイタリア なども議院 ぎいん 内 ない 閣 かく 制 せい である。
18世紀 せいき の法学 ほうがく 者 しゃ ジャン=ルイ・ド・ロルム (英語 えいご 版 ばん ) は、『イギリス憲法 けんぽう 論 ろん 』(1771年 ねん 著 ちょ )の中 なか で「イギリス議会 ぎかい は男 おとこ を女 おんな にし、女 おんな を男 おとこ にすること以外 いがい のすべてをなしうる」と述 の べて、イギリス議会 ぎかい の立法 りっぽう 権 けん の強 つよ さを表現 ひょうげん したこともある[16] 。
世界 せかい で初 はじ めて二院 にいん 制 せい を採 と り、議院 ぎいん 内 ない 閣 かく 制 せい を完成 かんせい させたイギリスは、古 ふる くから議会 ぎかい 主義 しゅぎ の国 くに である。そのため、国家 こっか の主権 しゅけん も議会 ぎかい が有 ゆう する。ここでいう議会 ぎかい は庶民 しょみん 院 いん 及 およ び貴族 きぞく 院 いん と国王 こくおう の三 さん 者 しゃ であるが、政治 せいじ 上 じょう の分野 ぶんや においてイギリス国王 こくおう は、日本 にっぽん の天皇 てんのう のように儀礼 ぎれい 的 てき で形式 けいしき 的 てき な行為 こうい しか行 おこな えない。
議会 ぎかい 法 ほう (イギリスの憲法 けんぽう の一 ひと つ)に、庶民 しょみん 院 いん の優越 ゆうえつ がある。予算 よさん をはじめとする重要 じゅうよう 法案 ほうあん は庶民 しょみん 院 いん 議決 ぎけつ が最 さい 優先 ゆうせん される。また、その他 た の法案 ほうあん に関 かん しても、庶民 しょみん 院 いん が可決 かけつ した法案 ほうあん は、貴族 きぞく 院 いん が否決 ひけつ するかあるいは審議 しんぎ を先 さき 延 の ばしにしても、庶民 しょみん 院 いん が再 さい 可決 かけつ すれば成立 せいりつ する。庶民 しょみん 院 いん が否決 ひけつ した法案 ほうあん は、貴族 きぞく 院 いん では審議 しんぎ されない。なお、首相 しゅしょう は選挙 せんきょ の際 さい に庶民 しょみん 院 いん で多数 たすう 派 は を取 と った政党 せいとう の党首 とうしゅ が就 つ くが、庶民 しょみん 院 いん 議員 ぎいん である必要 ひつよう がある。ただしこれはイギリスの不文 ふぶん 憲法 けんぽう の一部 いちぶ である慣行 かんこう であり、アレック・ダグラス=ヒューム が、1963年 ねん 10月 がつ 18日 にち に前任 ぜんにん のハロルド・マクミラン の辞職 じしょく 後 ご に首相 しゅしょう に任命 にんめい された段階 だんかい では、ヒューム伯爵 はくしゃく として貴族 きぞく 院 いん 議員 ぎいん であった。貴族 きぞく 院 いん 議員 ぎいん は首相 しゅしょう に就任 しゅうにん しない慣行 かんこう により、ヒュームは同年 どうねん 7月 がつ に制定 せいてい された貴族 きぞく 法 ほう により爵位 しゃくい を返上 へんじょう し、直後 ちょくご のキンロス・アンド・西 にし パースシャー選挙 せんきょ 区 く の補欠 ほけつ 選挙 せんきょ に出馬 しゅつば して当選 とうせん し、庶民 しょみん 院 いん 議員 ぎいん となっている。
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