イギリスの議会ぎかい

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グレートブリテンおよびきたアイルランド連合れんごう王国おうこく議会ぎかい
Parliament of the United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland
紋章もしくはロゴ
種類しゅるい
種類しゅるい
議院ぎいん貴族きぞくいん上院じょういん
庶民しょみんいん下院かいん
沿革えんかく
設立せつりつ1801ねん1がつ1にち
前身ぜんしんグレートブリテン議会ぎかい
アイルランド議会ぎかい
しん会期かいき開始かいし
2019ねん12月19にち
役職やくしょく
チャールズ3せい国王こくおう
2022ねん9がつ8にち (2022-09-08)より現職げんしょく
ジョン・マクフォール (アルクリィースのマクフォール男爵だんしゃく)無所属むしょぞく)、
2021ねん5がつ1にち (2021-05-01)より現職げんしょく
リンジー・ホイル無所属むしょぞく)、
2019ねん11月4にち (2019-11-04)より現職げんしょく
構成こうせい
定数ていすう1,435
785(貴族きぞくいん
650(庶民しょみんいん
貴族きぞくいん[1]院内いんない勢力せいりょく

聖職せいしょく貴族きぞく

  主教しゅきょう(26)

世俗せぞく貴族きぞく 国王こくおう陛下へいか政府せいふ

国王こくおう陛下へいか野党やとう

その野党やとう

中立ちゅうりつ

庶民しょみんいん[2]院内いんない勢力せいりょく
国王こくおう陛下へいか政府せいふ

国王こくおう陛下へいか野党やとう

その野党やとう

棄権きけん

議長ぎちょう

任期にんき
不定ふてい貴族きぞくいん
5ねん庶民しょみんいん
選挙せんきょ
公選こうせん
単純たんじゅんしょう選挙せんきょせい
前回ぜんかいそう選挙せんきょ
2019ねん12月12にち
次回じかいそう選挙せんきょ
2024ねん
議事堂ぎじどう
イギリスの旗 イギリスロンドン
ウェストミンスター宮殿きゅうでん
ウェブサイト
www.parliament.uk
脚注きゃくちゅう
  1. ^ Lords membership - MPs and Lords”. UK Parliament. 2020ねん4がつ8にち閲覧えつらん
  2. ^ State of the parties - MPs and Lords”. UK Parliament. 2019ねん12月28にち閲覧えつらん

グレートブリテンおよびきたアイルランド連合れんごう王国おうこく議会ぎかい(グレートブリテンおよびきたアイルランドれんごうおうこくぎかい、英語えいご: Parliament of the United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland)は、イギリス立法府りっぽうふであり、本国ほんごくおよ海外かいがい領土りょうど最高さいこう機関きかんである[1]かみした議会ぎかいにおけるおうはチャールズ国王こくおうであり、そのしょグレーター・ロンドン位置いちするシティ・オブ・ウェストミンスターウェストミンスター宮殿きゅうでんにある。王室おうしつ属領ぞくりょうについてはその権限けんげん原則げんそくとしておよばない。

概要がいよう[編集へんしゅう]

議会ぎかい両院りょういんせいで、上院じょういん貴族きぞくいん)と下院かいん庶民しょみんいん)から構成こうせいされている[2]君主くんしゅ立法府りっぽうふの3つ構成こうせい要素ようそ形成けいせいする(議会ぎかいにおける国王こくおう[3][4]貴族きぞくいんは2つのことなるタイプの議員ぎいんふくんでいる。すなわち、英国えいこく国教こっきょうかいもっと上級じょうきゅう聖職せいしょく貴族きぞく構成こうせいされる聖職せいしょく上院じょういん議員ぎいん (Lords Spiritualおよ首相しゅしょう助言じょげんもとづいて君主くんしゅにより任命にんめいされる連合れんごう王国おうこく貴族きぞくいちだい貴族きぞくとで構成こうせいされる世俗せぞく上院じょういん議員ぎいん (Lords Temporalである。[5]2009ねん10がつ連合れんごう王国おうこく最高さいこう裁判所さいばんしょ創設そうせつされる以前いぜんは、貴族きぞくいん常任じょうにん上訴じょうそ貴族きぞくとおして司法しほう機能きのう英語えいごばんそなえていた。

庶民しょみんいんは、すくなくとも5ねんごとにおこなわれる選挙せんきょともない、民主みんしゅてき議員ぎいん選出せんしゅつされる議院ぎいんである[6]両院りょういんはそれぞれ、ロンドンのウェストミンスター宮殿きゅうでん議事堂ぎじどうないにある、たがいにはなれた議院ぎいんかれる。憲法けんぽううえ慣習かんしゅうにより、首相しゅしょうふくすべての大臣だいじん(ministers)は、庶民しょみんいん議員ぎいんであるか、 – あまり一般いっぱんてきではないが、貴族きぞくいん議員ぎいんであるか – であり、これらの大臣だいじんは、それにより立法府りっぽうふかく部門ぶもんたいして説明せつめい責任せきにんがある。

合同ごうどうほうイングランド議会ぎかい (Parliament of Englandスコットランド議会ぎかい (Parliament of Scotland通過つうかしたことにより合同ごうどう条約じょうやく (Treaty of Union批准ひじゅんされ、1707ねんにグレートブリテン議会ぎかい (Parliament of Great Britain形成けいせいされた。19世紀せいきはじめには、グレートブリテン議会ぎかいアイルランド議会ぎかいにより合同ごうどうほう承認しょうにんされたことで、議会ぎかいはさらに拡大かくだいした。これにより、後者こうしゃ廃止はいしされ、前者ぜんしゃに100めいのアイルランド議会ぎかい議員ぎいんと32めい貴族きぞく議員ぎいんくわわり、グレートブリテンおよびアイルランド連合れんごう王国おうこく議会ぎかい創設そうせつされた。アイルランド自由じゆうこく分離ぶんり独立どくりつした5ねんに、Royal and Parliamentary Titles Act 1927により、正式せいしき議会ぎかい名称めいしょうが“グレートブリテンおよびきたアイルランド連合れんごう王国おうこく議会ぎかい”に修正しゅうせいされた[7]

英国えいこく議会ぎかいとそのしょ機関きかんは、世界中せかいじゅうおおくの民主みんしゅ主義しゅぎ諸国しょこく模範もはんとなっており、「議会ぎかいはは」または「しょ議会ぎかいはは」(the mother of parliaments)とばれるまでにいたっている[8]。しかしながら、ジョン・ブライトは – かれこそがこの形容けいよう語句ごくつくったのだが – 議会ぎかいよりもむしろこく(イングランド)にかんして、その語句ごく使用しようした[9]

理論りろんじょう、イギリスの最高さいこう立法りっぽう権限けんげん議会ぎかいにおける国王こくおう付与ふよされている。しかし、国王こくおう首相しゅしょう助言じょげんもとづいて行動こうどうするじょう貴族きぞくいん権限けんげん縮小しゅくしょうされているので、事実じじつじょう権限けんげん庶民しょみんいん付与ふよされる[10]

ロンドンテムズがわのほとりにウェストミンスター宮殿きゅうでん時計とけいとう通称つうしょうビッグ・ベン」が代名詞だいめいしとして使用しようされる)が議事堂ぎじどうである。

歴史れきしこう言及げんきゅうされるとおり、現在げんざいのイギリス議会ぎかいはイングランド議会ぎかい実質じっしつてきとしているが、歴史れきしじょうイギリスのイングランド以外いがい地域ちいきのち独立どくりつしたアイルランドもふくむ)には、個別こべつ議会ぎかい存在そんざいしていた(これらの議会ぎかいは、その地方ちほう議会ぎかい」として復活ふっかつしているので、「存在そんざいしている」ということもできる)。このため、区別くべつしてとくウェストミンスター存在そんざいする議会ぎかい言及げんきゅうする場合ばあい、この議会ぎかいウェストミンスター議会ぎかいぶことがある[11]

歴史れきし[編集へんしゅう]

連合れんごう王国おうこく議会ぎかい創設そうせつまで[編集へんしゅう]

中世ちゅうせいイギリス諸島しょとうの3王国おうこくイングランド王国おうこくスコットランド王国おうこくアイルランド王国おうこくは、それぞれの議会ぎかいイングランド議会ぎかい (Parliament of Englandスコットランド議会ぎかい (Parliament of Scotlandアイルランド議会ぎかい)をっていた。1707ねん合同ごうどうほうにより、イングランドとスコットランドが合同ごうどうし、グレートブリテン議会ぎかい(The Parliament of Great Britain)が成立せいりつする。いで、1800ねん合同ごうどうほうにより、アイルランドをふく連合れんごう王国おうこく議会ぎかい(The Parliament of the United Kingdom)が成立せいりつする。

グレートブリテンおよびアイルランド連合れんごう王国おうこく議会ぎかい[編集へんしゅう]

1833ねん庶民しょみんいんえがいた

グレートブリテンおよびアイルランド連合れんごう王国おうこくは、合同ごうどうほうしたグレートブリテン王国おうこくアイルランド王国おうこく併合へいごうにより、1801ねん建国けんこくされた。

下院かいんたいして大臣だいじん責任せきにんうという原則げんそくは、19世紀せいきになるまでは発達はったつすることはなかった—当時とうじ貴族きぞくいん理論りろんじょうも、実際じっさいにおいても庶民しょみんいん優越ゆうえつしていた。庶民しょみんいん議員ぎいんは、おおいにことなるおおきさの選挙せんきょした時代遅じだいおくれの選挙せんきょ方法ほうほう選出せんしゅつされていた。それゆえ、有権者ゆうけんしゃが7めいであったオールド・セーレムの選挙せんきょは、2めい議員ぎいん選出せんしゅつすることが可能かのうであった。同様どうようにダンウィッチの選挙せんきょでも議員ぎいん選出せんしゅつ可能かのうであったが、同地どうち土地とち浸食しんしょくのために、ほぼ完全かんぜんうみなかえてしまっていた。

おおくの場合ばあいにおいて、上院じょういん議員ぎいんはまた、懐中かいちゅう選挙せんきょ(pocket boroughs)または腐敗ふはい選挙せんきょとしてられる、とてもちいさい選挙せんきょ支配しはいし、自身じしん身内みうち支持しじしゃ選挙せんきょえらばれることを確実かくじつにすることができた。庶民しょみんいん議席ぎせきおおくは、貴族きぞくいん議員ぎいんにより“所有しょゆう”されていた。1832ねん改革かいかくほうはじまる19世紀せいきおこなわれた改革かいかくのち下院かいん議員ぎいん選挙せんきょ方法ほうほうは(以前いぜんよりも)はるかに規則正きそくただしくなった。もはや下院かいん議席ぎせき上院じょういん左右さゆうされることはなくなり、庶民しょみんいん議員ぎいん発言はつげんりょくはじめた。

イギリスの庶民しょみんいん優越ゆうえつは20世紀せいき初頭しょとう確立かくりつした。1909ねん庶民しょみんいんはいわゆる人民じんみん予算よさん英語えいごばん可決かけつし、ってみれば富裕ふゆう地主じぬしらにとって不利益ふりえきとなるような、課税かぜいシステムにたいする変更へんこう数多かずおおくわえた。権力けんりょくのある地主じぬしらが大勢おおぜいめていた貴族きぞくいんはこの予算よさんあん否決ひけつした。予算よさんあんへの支持しじとそれにつづ貴族きぞくいん議員ぎいんへの支持しじもとづき、自由党じゆうとうは1910ねんおこなわれた選挙せんきょ僅差きんさ勝利しょうりした。

自由党じゆうとうアスキス首相しゅしょうは、(みずからのとうへの)信任しんにんとしてその結果けっか利用りようし、議会ぎかい法案ほうあん提出ていしゅつして貴族きぞくいん権限けんげん制限せいげんしようとした(首相しゅしょう人民じんみん予算よさん地租ちそ条項じょうこうさい提出ていしゅつすることはしなかった)。貴族きぞくいんがこの法案ほうあん可決かけつ拒否きょひすると、アスキス首相しゅしょうは1910ねん度目どめそう選挙せんきょまえ国王こくおうとの内密ないみつ約束やくそくをもって対抗たいこうし、貴族きぞくいんだい多数たすうめていた保守党ほしゅとう議員ぎいんらすために、自由党じゆうとう所属しょぞくすうひゃくにん貴族きぞく創設そうせつすることを要求ようきゅうした。そのような脅威きょうい直面ちょくめんして、貴族きぞくいんからくも法案ほうあん可決かけつした。

1911ねん議会ぎかいほう英語えいごばん成立せいりつすると、貴族きぞくいん金銭きんせん法案ほうあん英語えいごばん租税そぜい歳出さいしゅつ公債こうさいについてあつか法案ほうあん)を阻止そししようとするのをふせぎ、貴族きぞくいんのあらゆる法案ほうあん最大さいだいで3会期かいきまで(1949ねん議会ぎかいほうでは2会期かいきまでに短縮たんしゅくされた)おくらせること(上院じょういん遅延ちえんけん)をゆるした。その金銭きんせん法案ほうあん貴族きぞくいん反対はんたいって成立せいりつした。しかし、1911ねんと1949ねん議会ぎかいほうにかかわらず、貴族きぞくいん制限せいげんのない権限けんげんつね保持ほじしており、あらゆる法案ほうあんについて断固だんことして成立せいりつ阻止そしすることが可能かのうであり、通例つうれいこのようなこころみは議会ぎかい延長えんちょうするためになされる。[12]

グレートブリテンおよびきたアイルランド連合れんごう王国おうこく議会ぎかい[編集へんしゅう]

1920ねんアイルランド政府せいふほうによりきたアイルランドおよびみなみアイルランド議会ぎかい創設そうせつされ、ウェストミンスターでのりょう地域ちいき代表だいひょう議席ぎせき減少げんしょうした(ただし、きたアイルランドの議席ぎせきすうは、1973ねん中央ちゅうおう政府せいふによる直接ちょくせつ統治とうち導入どうにゅうされたのちふたた増加ぞうかした)。アイルランド自由じゆうこくが1922ねん独立どくりつして、1927ねん議会ぎかいはグレートブリテンおよびきたアイルランド連合れんごう王国おうこく議会ぎかい改称かいしょうした。

貴族きぞくいんたいしては、さらなる改革かいかくが20世紀せいきちゅう実行じっこうされた。1958ねんいちだい貴族きぞくほうによりいちだい貴族きぞく爵位しゃくい定期ていきてき創設そうせつされるようになった。1960年代ねんだいまでには、世襲せしゅう貴族きぞく爵位しゃくい定期ていきてき創設そうせつされることはなくなり、それ以降いこうは、ほとんどすべてのあたらしい貴族きぞくたちはいちだい貴族きぞくのみとなった。

より最近さいきんでは、1999ねん貴族きぞくいんほうにより(どうほうは、暫定ざんていてきに92めい世襲せしゅう貴族きぞく例外れいがいとして、それらの世襲せしゅう貴族きぞく終身しゅうしん貴族きぞくいん議員ぎいんとすることとし、その死去しきょともな補欠ほけつ選挙せんきょをもって、のこりの世襲せしゅう貴族きぞくより貴族きぞくいん議員ぎいん選出せんしゅつすることとされたが、)世襲せしゅう貴族きぞく自動的じどうてき貴族きぞくいん議席ぎせき権利けんり消失しょうしつした。現在げんざいでは、貴族きぞくいん庶民しょみんいんよりも下位かいかれる議院ぎいんである。くわえて、2005ねん憲法けんぽう改革かいかくほうにより、2009ねん10がつ連合れんごう王国おうこく最高さいこう裁判所さいばんしょ新設しんせつをもって、貴族きぞくいん司法しほう機能きのう英語えいごばん廃止はいしされることとなった。

構成こうせい組織そしき[編集へんしゅう]

貴族きぞくいん
庶民しょみんいん

両院りょういんせい[編集へんしゅう]

イギリス議会ぎかいは、下院かいん相当そうとうする庶民しょみんいん (House of Commons上院じょういん相当そうとうする貴族きぞくいん (House of Lordsによって構成こうせいされる両院りょういんせいで、そこで可決かけつされた法案ほうあん儀礼ぎれいてき承認しょうにんするイギリス国王こくおう (The Crownわせた3機関きかんから構成こうせいされる。

イギリスの法律ほうりつでは、イギリスの主権しゅけん (sovereign)は、両院りょういん王位おういによって構成こうせいされる“議会ぎかい”にあるとされる。議会ぎかいちょうは、儀礼ぎれいじょう、イギリス王位おういである。しかし、王位おうい存在そんざいについては、イギリスの憲法けんぽう構成こうせいする慣習かんしゅうほうひとつに「国王こくおう君臨くんりんすれども統治とうちせず」 (the sovereign reigns but does not rule.)とあり、儀礼ぎれいてきなものにまる。むかし王政おうせい時代じだいから、議会ぎかいせい民主みんしゅ主義しゅぎ歴史れきしてき発達はったつさせたくにならではの政治せいじシステムが完成かんせいしている。

議会ぎかい可決かけつされた法案ほうあん庶民しょみんいん優越ゆうえつにより、貴族きぞくいん否決ひけつ修正しゅうせいしても庶民しょみんいん可決かけつしていれば庶民しょみんいんあんとおる)が王位おうい承認しょうにんされることにより、法令ほうれい認可にんかされる。王位おういは、それにもの意志いし関係かんけいなく、儀礼ぎれいてき可決かけつされた法案ほうあん承認しょうにんすることとなっていて、首相しゅしょう助言じょげんによって行動こうどうするのみである。議院ぎいんないかくせいにより、議会ぎかいたいして責任せきにんうのは、かれ大臣だいじんである。ただし、王位おうい首相しゅしょう助言じょげん拒否きょひする権利けんりは、ひさしく執行しっこうされたことがないものの、存在そんざいする。この場合ばあい自動的じどうてき内閣ないかくそう辞職じしょく庶民しょみんいん解散かいさんそう選挙せんきょとなる。また、最高さいこう裁判所さいばんしょ機能きのう伝統でんとうてき貴族きぞくいん常任じょうにん上訴じょうそ貴族きぞくとおして行使こうししていたが、これは2009ねん10がつ1にちをもって連合れんごう王国おうこく最高さいこう裁判所さいばんしょ改組かいそされた。裁判官さいばんかんとなる法曹ほうそう貴族きぞくつづ上院じょういん構成こうせいいんである。

庶民しょみんいん優越ゆうえつ[編集へんしゅう]

1911ねん制定せいていされた議会ぎかいほうによって、慣習かんしゅうとなっていた庶民しょみんいん優越ゆうえつ法律ほうりつ明記めいきされた。

連続れんぞく2会期かいき(つまりあしかけ2ねん庶民しょみんいん可決かけつした法案ほうあんは、貴族きぞくいん否決ひけつ修正しゅうせいしても、庶民しょみんいんあんのまま法律ほうりつとなる。貴族きぞくいん成立せいりつを13かげつばせるだけということになる。金銭きんせん法案ほうあんであると庶民しょみんいん議長ぎちょう認定にんていした法案ほうあんは、貴族きぞくいんで1かげつしか成立せいりつおくらせることができない。貴族きぞくいん議員ぎいん首相しゅしょう就任しゅうにんしない慣行かんこう憲法けんぽうじょうのものとされている。

役員やくいん[編集へんしゅう]

両院りょういんとも、議長ぎちょう議事ぎじ統括とうかつする。かつて貴族きぞくいん議長ぎちょうだい法官ほうかんつとめ、首相しゅしょう指名しめいにより国王こくおう任命にんめいしていた。2006ねん7がつ4にちより、互選ごせんによる独立どくりつ貴族きぞくいん議長ぎちょうとなった。庶民しょみんいん議長ぎちょう選挙せんきょえらばれるが、慣例かんれいとして全会ぜんかい一致いっちまる。

運営うんえい[編集へんしゅう]

会期かいきせい[編集へんしゅう]

そう選挙せんきょのち国王こくおうまたは女王じょおう君主くんしゅ)により議会ぎかい召集しょうしゅうされる。そう選挙せんきょからそう選挙せんきょまでを1つの議会ぎかい (Parliament)という単位たんいび、2015ねんそう選挙せんきょ議会ぎかいだい56議会ぎかいである。1つの議会ぎかいながさは最長さいちょう5ねんさだめられている。しかし、近年きんねんは4ねん程度ていど解散かいさんされることがおおい。

一方いっぽう、そのなかではやく1年間ねんかん会期かいきがある。2012ねんまでは11月にはじまり、冬休ふゆやすイースターやすみ、春休はるやす夏休なつやす休会きゅうかい期間きかんはさみ、つぎの11月でわる。2012ねんそう選挙せんきょ以降いこうは5がつか6がつ開会かいかい時期じき移動いどうした。

あたらしい会期かいきは、貴族きぞくいん議場ぎじょう両院りょういん議員ぎいんあつまった開会かいかいしきでの国王こくおう演説えんぜつ施政しせい方針ほうしん演説えんぜつ)からはじまる。ただし、庶民しょみんいん議員ぎいんせきがないので、議場ぎじょうない起立きりつしたまますう分間ふんかん演説えんぜつくことになる。建前たてまえとして統治とうちけんを「議会ぎかいにおける国王こくおう」が保持ほじしているということによるが、実際じっさいには政府せいふ作成さくせいしたものを代読だいどくするかたちになる。そして議員ぎいん両院りょういんかれて施政しせい方針ほうしんたいする討論とうろん開始かいしし、審議しんぎがスタートする。

議事ぎじ手続てつづき[編集へんしゅう]

採決さいけつ[編集へんしゅう]

両院りょういんとも、はじめは発声はっせい表決ひょうけつ(Voice Voting)という方法ほうほうっている。これは、議長ぎちょうの「賛成さんせいのみなさんは?」というびかけにたいし、かく議員ぎいんが「賛成さんせい」(庶民しょみんいん:"Aye"/貴族きぞくいん:"Content")とこたえ、つづいて「反対はんたいのみなさんは?」というびかけに「反対はんたい」(庶民しょみんいん:"No"/貴族きぞくいん:"Not-Content")とこたえるものである。[13]議長ぎちょうは、声量せいりょう大小だいしょうから判断はんだんして、可決かけつまたは否決ひけつめる。

全会ぜんかい一致いっち議案ぎあん当然とうぜんどちらかのこえしかこえないので、発声はっせい表決ひょうけつまるが、ある程度ていど賛否さんぴかれている場合ばあいは、分列ぶんれつ表決ひょうけつ (Division)となる。りょう議院ぎいんともに議場ぎじょう外側そとがわ左右さゆうには廊下ろうかがあり、分列ぶんれつ表決ひょうけつのためのロビーとしても使用しようされる。議長ぎちょうせきからて、右側みぎがわ賛成さんせい投票とうひょう控室ひかえしつ庶民しょみんいん: Aye Lobby/貴族きぞくいん: Content Lobby)、左側ひだりがわ反対はんたい投票とうひょう控室ひかえしつ庶民しょみんいん: No Lobby/貴族きぞくいん: Not Content Lobby)である。[14][15]分列ぶんれつ表決ひょうけつとなったとき、議員ぎいんせきはなれて、それぞれ賛成さんせい反対はんたいかれてべつのドアから議場ぎじょうて、議場ぎじょう左右さゆうにある2つのロビーに賛成さんせい反対はんたい各々おのおのかれてならび、別々べつべつのロビーの出口いでぐち(すなわち議場ぎじょう入口いりくち)からふたた議場ぎじょう入場にゅうじょうするときに、議長ぎちょうから指名しめいされた2めい計算けいさんがかり (tellers)がかずかぞえ、賛成さんせいがわ反対はんたいがわに2めいずつの書記官しょきかん各々おのおの氏名しめい確認かくにんする方式ほうしきられる[14][13]

司法しほうとの関係かんけい[編集へんしゅう]

イギリスの最高さいこう裁判所さいばんしょ機能きのうは、貴族きぞくいんぞくしていたが、憲法けんぽう改革かいかくほうにより2009ねん10がつ1にちけで新設しんせつ連合れんごう王国おうこく最高さいこう裁判所さいばんしょ権限けんげん移行いこう、600ねん伝統でんとうまくろした。もっとも1876ねん常任じょうにん上訴じょうそ貴族きぞく創設そうせつされたのちは、法律ほうりつである常任じょうにん上訴じょうそ貴族きぞくのみが裁判さいばん関与かんよしてきたが、最初さいしょ最高さいこう裁判所さいばんしょ裁判官さいばんかん12にん常任じょうにん上訴じょうそ貴族きぞくよこすべらしており、実態じったいとしてはおおきな変化へんかはない。

機能きのう[編集へんしゅう]

アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくのような大統領だいとうりょうせいくにくらべれば、イギリスのような議院ぎいんないかくせいくにでは、行政ぎょうせいけんゆうする内閣ないかく立法りっぽうけんゆうする議会ぎかい信任しんにん必要ひつようとし、連帯れんたい責任せきにんうという仕組しくじょう三権分立さんけんぶんりつゆるやかなものとなる[よう出典しゅってん]日本にっぽんドイツイタリアなども議院ぎいんないかくせいである。

18世紀せいき法学ほうがくしゃジャン=ルイ・ド・ロルム英語えいごばんは、『イギリス憲法けんぽうろん』(1771ねんちょ)のなかで「イギリス議会ぎかいおとこおんなにし、おんなおとこにすること以外いがいのすべてをなしうる」とべて、イギリス議会ぎかい立法りっぽうけんつよさを表現ひょうげんしたこともある[16]

世界せかいはじめて二院にいんせいり、議院ぎいんないかくせい完成かんせいさせたイギリスは、ふるくから議会ぎかい主義しゅぎくにである。そのため、国家こっか主権しゅけん議会ぎかいゆうする。ここでいう議会ぎかい庶民しょみんいんおよ貴族きぞくいん国王こくおうさんしゃであるが、政治せいじじょう分野ぶんやにおいてイギリス国王こくおうは、日本にっぽん天皇てんのうのように儀礼ぎれいてき形式けいしきてき行為こういしかおこなえない。

議会ぎかいほうイギリスの憲法けんぽうひとつ)に、庶民しょみんいん優越ゆうえつがある。予算よさんをはじめとする重要じゅうよう法案ほうあん庶民しょみんいん議決ぎけつさい優先ゆうせんされる。また、その法案ほうあんかんしても、庶民しょみんいん可決かけつした法案ほうあんは、貴族きぞくいん否決ひけつするかあるいは審議しんぎさきばしにしても、庶民しょみんいんさい可決かけつすれば成立せいりつする。庶民しょみんいん否決ひけつした法案ほうあんは、貴族きぞくいんでは審議しんぎされない。なお、首相しゅしょう選挙せんきょさい庶民しょみんいん多数たすうった政党せいとう党首とうしゅくが、庶民しょみんいん議員ぎいんである必要ひつようがある。ただしこれはイギリスの不文ふぶん憲法けんぽう一部いちぶである慣行かんこうであり、アレック・ダグラス=ヒュームが、1963ねん10がつ18にち前任ぜんにんハロルド・マクミラン辞職じしょく首相しゅしょう任命にんめいされた段階だんかいでは、ヒューム伯爵はくしゃくとして貴族きぞくいん議員ぎいんであった。貴族きぞくいん議員ぎいん首相しゅしょう就任しゅうにんしない慣行かんこうにより、ヒュームは同年どうねん7がつ制定せいていされた貴族きぞくほうにより爵位しゃくい返上へんじょうし、直後ちょくごのキンロス・アンド・西にしパースシャー選挙せんきょ補欠ほけつ選挙せんきょ出馬しゅつばして当選とうせんし、庶民しょみんいん議員ぎいんとなっている。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ Section 2 of the Royal and Parliamentary Titles Act 1927 (17 Geo. V c. 4)
  2. ^ Legislative Chambers: Unicameral or Bicameral?”. Democratic Governance. United Nations Development Programme. 2008ねん2がつ10日とおか閲覧えつらん
  3. ^ Parliament and Crown”. How Parliament works. Parliament of the United Kingdom. 2008ねん1がつ17にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2008ねん2がつ10日とおか閲覧えつらん
  4. ^ Direct.gov.uk
  5. ^ Different types of Lords”. How Parliament works. Parliament of the United Kingdom. 2008ねん1がつ14にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2008ねん2がつ10日とおか閲覧えつらん
  6. ^ How MPs are elected”. How Parliament works. Parliament of the United Kingdom. 2008ねん2がつ6にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2008ねん2がつ10日とおか閲覧えつらん
  7. ^ Royal and Parliamentary Titles Act 1927
  8. ^ Jenkin, Clive. “Debate: 30 June 2004: Column 318”. House of Commons debates. Hansard. 2008ねん2がつ10日とおか閲覧えつらん
  9. ^ “Messers. Bright And Scholefield At Birmingham”. The Times: p. 9. (1865ねん1がつ19にち) 
  10. ^ Queen in Parliament”. The Monarchy Today: Queen and State. The British Monarchy. 2008ねん1がつ18にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2008ねん2がつ19にち閲覧えつらん
  11. ^ 小林こばやし恭子きょうこ週刊しゅうかん東洋とうよう経済けいざい2015ねん3がつ7にちごう』、東洋経済新報社とうようけいざいしんぽうしゃ、2015ねん3がつ、67ぺーじ 
  12. ^ The Parliament Acts”. Parliament of the United Kingdom. 2013ねん5がつ17にち閲覧えつらん
  13. ^ a b 那須なす(2010) pp. 17-18
  14. ^ a b 前田まえだ(1983) pp. 85-87
  15. ^ Content and Not Content Lobbies (Aye and No Lobbies)”. www.parliament.uk. 2016ねん5がつ12にち閲覧えつらん
  16. ^ 前田まえだ(1983) p. 51

参考さんこう資料しりょう[編集へんしゅう]

  • 元山もとやまけん議会ぎかい主権しゅけんろん検討けんとう : その意味いみ限界げんかい」『早稲田わせだほう学会がっかいだい25かん早稲田大学わせだだいがくほう学会がっかい、1975ねん2がつ20日はつか、309-343ぺーじISSN 0511-1951NAID 1200007921522020ねん3がつ13にち閲覧えつらん 
  • 前田まえだ英昭ひであき世界せかい議会ぎかい 1 イギリス』ぎょうせい、1983ねん 
  • 坂東ばんどうこうイギリス議会ぎかい主権しゅけん―その法的ほうてき思考しこうけいぶんどう、2000ねんISBN 4-7670-0080-7http://www.keibundo.com/0711_02-001.htm 
  • 那須なすしゅんたか (2010ねん3がつ). “主要しゅようこく議会ぎかい制度せいど” (PDF). 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかん調査ちょうさおよ立法りっぽう考査こうさきょく. pp. 13-22. 2016ねん5がつ7にち閲覧えつらん
  • 松園まつぞのしん憲法けんぽう近代きんだいイギリス議会ぎかい政治せいじ(1) -おもに18世紀せいきスコットランドの視点してんから-」『早稲田大学わせだだいがく大学院だいがくいん文学ぶんがく研究けんきゅう紀要きよう. だい4分冊ぶんさつ, 日本にっぽん史学しがく 東洋とうよう史学しがく 西洋せいよう史学しがく 考古学こうこがく 文化ぶんか人類じんるいがく 日本語にほんご日本にっぽん文化ぶんか アジア地域ちいき文化ぶんかがくだい60かん早稲田大学わせだだいがく大学院だいがくいん文学ぶんがく研究けんきゅう、2015ねん2がつ26にち、21-30ぺーじISSN 1341-7541NAID 1200056016822020ねん3がつ13にち閲覧えつらん 

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]