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キニーネ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
(−)-キニーネ
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識別しきべつ情報じょうほう
CAS登録とうろく番号ばんごう 130-95-0
PubChem 8549
ChemSpider 84989
J-GLOBAL ID 200907026656606974
DrugBank APRD00563
KEGG D08460
ATC分類ぶんるい

M09AA01

特性とくせい
化学かがくしき C20H24N2O2
モル質量しつりょう 324.42 g mol−1
外観がいかん 白色はくしょく結晶けっしょう
融点ゆうてん

177 °C (水物みずもの)

みずへの溶解ようかい 冷水れいすいほろ
log POW 3.44
さん解離かいり定数ていすう pKa 4.2, 8.8
旋光 [αあるふぁ]D −158.7°(c = 2.1432, EtOH, 14 °C)
薬理やくりがく
生物せいぶつがくてき利用りようのう 76~88%
投与とうよ経路けいろ 経口けいこうせいちゅう
代謝たいしゃ 肝臓かんぞうおもCYP3A4およびCYP2C19
消失しょうしつ半減はんげん ~18あいだ
血漿けっしょうタンパク結合けつごう ~70%
排泄はいせつ 腎臓じんぞう (20%)
胎児たいじ危険きけん分類ぶんるい C (USA), D (Au)
特記とっきなき場合ばあい、データは常温じょうおん (25 °C)・つねあつ (100 kPa) におけるものである。

キニーネらん: kinine)またはキニンえい: quinine、クイニン)は、キナ樹皮じゅひふくまれる分子ぶんししきC20H24N2O2アルカロイドである。 IUPACは(6-Methoxyquinolin-4-yl)[(2S,4S,5R)-5-vinyl-1-aza-bicyclo[2.2.2]oct-2-yl]-(R)-methanol。1820ねんにキナの樹皮じゅひからたんはなれ命名めいめいされ、1908ねん平面へいめん構造こうぞう決定けっていし、1944ねん絶対ぜったい立体りったい配置はいち決定けっていされた。また1944ねんロバート・バーンズ・ウッドワードらがぜん合成ごうせい達成たっせいした。ただしウッドワードらのぜん合成ごうせい成否せいひについては後述こうじゅつとお議論ぎろんがある。

マラリア原虫げんちゅう特異とくいてき毒性どくせいしめマラリア特効薬とっこうやくである。キューガーデン移植いしょくがけて以来いらい帝国ていこく主義しゅぎ時代じだいからだい世界せかい大戦たいせんベトナム戦争せんそうまで、ずっとかけがえのないくすりだった。米国べいこく野戦やせん病院びょういんとうでキニーネを使つかい、1962-1964ねんごろ手持てもちがそこをついた。きゅう大量たいりょう発注はっちゅうされ、そこへ国際こくさいカルテル便乗びんじょうし、キニーネは暴騰ぼうとうした。参加さんか企業きぎょう欧州おうしゅうしょ共同きょうどうたいのキニーネ/キニジンメーカーを網羅もうらしていた[ちゅう 1]

その、キニーネの構造こうぞうもとクロロキンメフロキンなどの人工じんこうてきこうマラリアやく開発かいはつされ、ある程度ていど副作用ふくさようのあるキニーネは代替だいたいされてあまりもちいられなくなっていった。 しかし、東南とうなんアジアおよびみなみアジアアフリカみなみアメリカちゅう北部ほくぶといった赤道あかみち直下ちょっか地域ちいきにおいて熱帯ねったいねつマラリアにクロロキンやメフロキンにたいしてたいせいつものがおおくみられるようになったため、現在げんざいではその治療ちりょう利用りようされる。

またつよ苦味にがみ物質ぶっしつとしてられている。

発見はっけん

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キナぞく植物しょくぶつ南米なんべいアンデス山脈あんですさんみゃく自生じせいする植物しょくぶつであり、原住民げんじゅうみんインディオはキナの樹皮じゅひ解熱剤げねつざいとしてもちいていた。マラリアはアメリカ大陸あめりかたいりくにはもともと存在そんざいしなかったが、のちヨーロッパじん渡来とらいとともに拡散かくさんしたと推定すいていされている。その偶然ぐうぜんにキナがわにマラリアを治療ちりょうする効果こうか発見はっけんされ、1640ねんころにヨーロッパに医薬品いやくひんとして輸入ゆにゅうされるようになったとおもわれる。このてんかんしては、1640ねんペルーふくおうだったチンチョン伯爵はくしゃくルイス・ゼロニモ・メンドーサスペインばんつまがキナがわ熱病ねつびょう治療ちりょう使つかったことをけとしてイエズスかいつうじてキナがわがヨーロッパにもたらされマラリアにたいするキニーネ療法りょうほうはじまったというせつが、明治めいじ35ねんころ日本にっぽんではしんじられていた。

このキナがわから活性かっせい成分せいぶんたんはなれしようとするこころみは18世紀せいきなかごろからおこなわれた。キナがわ需要じゅよう増加ぞうかにつれて品質ひんしつわるいものやニセモノが出回でまわるようになったため、品質ひんしつ評価ひょうかのために活性かっせい成分せいぶん定量ていりょう分析ぶんせきする方法ほうほう必要ひつようになったのである。

1790ねんにはフランスのアントワーヌ・フールクロア(Antoine François Fourcroy)がキナがわをアルコールやさんアルカリなどで抽出ちゅうしゅつするこころみをおこなっている。このときかれはキナがわ抽出ちゅうしゅつしたみずそうアルカリ性あるかりせいになることにいていた。しかし、それ以上いじょう研究けんきゅうおこなわなかった。1811ねんポルトガル軍医ぐんいベルナルディーノ・アントニオ・ゴメスはキナがわをエタノールで抽出ちゅうしゅつし、そこにみず少量しょうりょう水酸化すいさんかカリウム添加てんかすると微量びりょう結晶けっしょうしょうじることにがつき、これにシンコニン命名めいめいした。

1817ねんドイツモルヒネたんはなされた。このときもちいられた方法ほうほうさんによってモルヒネのしおつくり、それをたんはなれするというものであった。この方法ほうほう興味きょうみったジョセフ・ルイ・ゲイ=リュサック同僚どうりょうピエール=ジャン・ロビケにこの方法ほうほう紹介しょうかいした。ロビケのもとはたらいていたピエール・ジョセフ・ペルティエジョセフ・ベイネミ・カヴァントゥはこの方法ほうほうもちいておおくのアルカロイドをたんはなした。1820ねんかれらはゴメスがたんはなした結晶けっしょう単一たんいつ物質ぶっしつではなく、2つの物質ぶっしつ、キニーネとシンコニンからなることを発見はっけんし、これらの分離ぶんり成功せいこうした。この2つの物質ぶっしつのうち、キニーネのみがこうマラリア活性かっせいつことがかった。なお、かれらのたんはなしたキニーネはロンドンサイエンス・ミュージアム展示てんじされている。

構造こうぞう決定けってい

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キニーネのただしい分子ぶんししき1854ねんアドルフ・ストレッカーによって提出ていしゅつされた。これを出発しゅっぱつてんとしてキニーネの構造こうぞう決定けっていがスタートした。キニーネの構造こうぞう決定けっていおも分解ぶんかい反応はんのう生成せいせいぶつ同定どうていし、それらをわせることでおこなわれた。

まずはストレッカーが分子ぶんししき提案ていあんとともに2つの窒素ちっそさんきゅう窒素ちっそであることをしめした。臭素しゅうそ付加ふかすることや酸化さんか分解ぶんかいによってギ酸ぎさん放出ほうしゅつされることからビニルもと存在そんざいすることは1870年代ねんだいのうちに確定かくていされた。キニーネの部分ぶぶん構造こうぞうキノリン存在そんざいすることは1880年代ねんだいズデンコ・ハンス・スクラウプ確認かくにんしている。スクラウプはキニーネの硝酸しょうさんまたはクロムさんによる分解ぶんかいでキニンさん(6-methoxyquinoline-4-carboxylic acid)を、融解ゆうかい水酸化すいさんかカリウムによる分解ぶんかいで6-メトキシキノリンをている。またヴィルヘルム・ケーニヒスらによってどう時期じきに1つのヒドロキシもと存在そんざいすることも確認かくにんされた。一方いっぽう、ケーニヒスは1894ねんにキニーネのさん処理しょりによってあたらしい分解ぶんかいぶつ(3-vinylpiperidin-4-yl)acetic acidをてメロキネンという名前なまえけた。

その1900ねんまでにキニーネがキヌクリジン骨格こっかくつことがあきらかになった。1907ねんにはパウル・ラーベがキニーネのアルコールケトン酸化さんかされキニノンをしょうじることから、ヒドロキシもときゅうであることを確認かくにんした。以上いじょう知見ちけん総合そうごうして1908ねんにラーベはただしい平面へいめん構造こうぞうしき提案ていあんした。

つづいて4つのひとし中心ちゅうしん立体りったい化学かがく決定けっていおこなわれた。キニーネとその異性いせいたいであるキニジンからはおなじメロキネンがられること、酸化さんかでキニノンとキニジノンというべつのケトンをあたえることから、ただしい平面へいめん構造こうぞうしき提案ていあんされた時点じてんでこれらが8(キヌクリジンたまきの2)の立体りったい配置はいちことなるジアステレオマーであることは判明はんめいしていた。1922ねんにアルコールとビニルもとあいだ付加ふか反応はんのうおこなわせると、キニジンではたまきこるのにたいし、キニーネではこらないことが判明はんめいした。このことからキニーネは8がexoで、3のビニルもとは8置換ちかんもとおながわにあることが判明はんめいした。 9(ヒドロキシもとのある炭素たんそ)については1932ねんエフェドリン立体りったい配置はいち塩基えんきせいつよさの相関そうかんとの比較ひかくから8との関係かんけいエリトロ配置はいちであると決定けっていされた。1944ねんウラジミール・プレローグはシンコニンの還元かんげんたいであるジヒドロシンコニンをメロキネンの誘導体ゆうどうたいである2-(3-ethyl-4-piperidin-4-yl)ethanolへと誘導ゆうどうし、さらに立体りったい配置はいちたもったまま1,2-ジエチルシクロヘキサンと3-エチル-4-メチルヘキサンへと誘導ゆうどうした。これらの生成せいせいぶつ立体りったい配置はいち決定けっていし、その結果けっかからメロキネンの3(ビニルもといた炭素たんそ)は(R)-配置はいち、4(キヌクリジンの4炭素たんそ)は(S)-配置はいちつことを決定けっていし、キニーネの絶対ぜったい立体りったい配置はいち確定かくていさせた。

合成ごうせい

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ぜん合成ごうせい研究けんきゅう歴史れきし

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キニーネの合成ごうせいをはじめてこころみたのは、ウィリアム・ヘンリー・パーキンで1856ねんのことである。かれはキニーネの分子ぶんししきから、N-アリルトルイジン(C10H13N)を酸化さんかすればキニーネがられるのではないかとかんがえた。当時とうじはまだ化学かがく構造こうぞう概念がいねん未熟みじゅくであったので、このようなかんがかたったのである。パーキンはキニーネを合成ごうせいすることはできなかったが、研究けんきゅう途中とちゅう最初さいしょ合成ごうせい染料せんりょうモーブ発見はっけんした。

1860年代ねんだい化学かがく構造こうぞうろんおこると天然てんねんぶつ合成ごうせいには構造こうぞう決定けってい必須ひっすということが判明はんめいする。構造こうぞう決定けっていのためになされた研究けんきゅう発見はっけんされたキニーネの分子ぶんし断片だんぺんであるキニンさんやメロキネン、また1853ねんルイ・パスツールによってキニーネのさんによる分解ぶんかいられたキノトキシンなどはキニーネの合成ごうせい原料げんりょう合成ごうせいちゅうあいだたいとして重要じゅうようであった。

1908ねんにパウル・ラーベはキニノンのだつメトシキたいであるシンコニジノンをアルミニウム還元かんげんしてシンコニンを、さらに1911ねんにはキノトキシンのだつメトシキたいであるシンコトキシンをつぎ臭素しゅうそさんナトリウムつづいてナトリウムエトキシドで処理しょりすることでシンコニジノンをた。1918ねんにはラーベとカール・キンドラーはこの手法しゅほうをキノトキシンに適用てきようしてキニーネをることができたと主張しゅちょうした。しかしこの論文ろんぶんではキニノンの還元かんげんについての実験じっけん操作そうさ詳細しょうさいかれず、またから補完ほかんもなされなかったことがのち問題もんだいこすことになる。さらに1931ねんにはラーベらはジヒドロキニーネのぜん合成ごうせい成功せいこうした。かれらはp-アニシジンからキニンさんエチルを、3-エチル-4-メチルピリジンからN-ベンゾイルホモシンコロイポンエチル(ethyl N-benzoyl-3-(3-ethylpiperidin-4-yl)propanoate)を構築こうちくした。クライゼンちぢみあいでこれらを結合けつごうさせたのち塩酸えんさんだつ炭酸たんさんだつ保護ほごおこなってジヒドロキノトキシンに誘導ゆうどうし、さらにうえべたつぎ臭素しゅうそさんナトリウムと、接触せっしょく還元かんげんもちいてジヒドロキニーネへと誘導ゆうどうしている。なお、この方法ほうほうでは8と9立体りったい化学かがくについてはコントロールできず、生成せいせいぶつは4種類しゅるいのジアステレオマーの混合こんごうぶつとなる。

1943ねんにはウラジミール・プレローグらがシンコトキシンを分解ぶんかいしてホモメロキネン3-(3-vinylpiperidin-4-yl)propanoic acidをた。かれらはこれをラーベのジヒドロキニーネのぜん合成ごうせいおな方法ほうほうでキノトキシンへと誘導ゆうどうできることを確認かくにんした。キノトキシンは1918ねんのラーベの報告ほうこくによればキニーネに誘導ゆうどうできるから、ホモメロキニンの合成ごうせいほう確立かくりつできればキニーネの合成ごうせいほう確立かくりつすることになる。

1944ねんロバート・バーンズ・ウッドワードウィリアム・デーリングは3-ヒドロキシベンズアルデヒドからホモメロキネンを合成ごうせいする方法ほうほう報告ほうこくした。さらにウッドワードらはこれをN-ベンゾイルキノトキシンまで誘導ゆうどうした。これをもってキニーネのぜん合成ごうせい完成かんせいしたとされる。当時とうじだい世界せかい大戦たいせんちゅうであり熱帯ねったい地域ちいきでの戦闘せんとうでマラリアに感染かんせんする兵士へいし続出ぞくしゅつしキニーネの需要じゅようたかまっていたこと、キナのしゅ産地さんちであったインドネシアを日本にっぽんにおさえられていたことから、実際じっさいには工業こうぎょうてきにはとても利用りようできない成果せいかであったにもかかわらず、ニューヨーク・タイムズなどの一般いっぱん新聞紙しんぶんし雑誌ざっしでもおおきくほうじられた。

ウッドワード以降いこうぜん合成ごうせいれい

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れいぜん合成ごうせいは、キニーネの工業こうぎょうてき生産せいさん目指めざしたエフ・ホフマン・ラ・ロシュしゃのミラン・ウスココヴィッチらによって達成たっせいされた。かれらは6-メトキシレピジン(6-メトキシ-4-メチルキノリン)とN-ベンゾイルメロキネンをLDAちぢみあわさせ、DIBALだつ保護ほごとケトンの還元かんげんおこなった。さらにヒドロキシもとをアセチルして、さんフッホウ素ほうそ作用さようさせてキヌクリジンたまき構築こうちくし、デスオキシキニーネとした。最後さいごにこれをDMSOなか酸素さんそ酸化さんかすることでキニーネを合成ごうせいしている。この方法ほうほうでは酸素さんそ酸化さんか立体りったい選択せんたくてきこるため9立体りったい化学かがくはコントロール可能かのうであるが、8については混合こんごうぶつとなる。この時点じてんではメロキネンのぜん合成ごうせい確立かくりつしていなかったが、これが1971ねんかれらによりおこなわれぜん合成ごうせい達成たっせいされた。

8と9両方りょうほう立体りったい化学かがく制御せいぎょしたぜん合成ごうせいは2001ねんギルバート・ストークによってはじめて達成たっせいされた。ストークは学生がくせい時代じだいからキニーネのぜん合成ごうせい興味きょうみっており、1944ねんにウッドワードにてた合成ごうせい詳細しょうさいわせる手紙てがみのこっている。ストークは(S)-3-ビニルブチロラクトンを原料げんりょうにキヌクリジン部分ぶぶんもとになる保護ほごされたヒドロキシもと、アミノもと前駆ぜんくたいとなるアジドもとくさりじょうアルデヒドを合成ごうせいした。つづいて6-メトキシレピジンをアルデヒドに付加ふかさせ、生成せいせいしたアルコールをケトンへと酸化さんかした。アジドもと還元かんげんするとケトンとのあいだでイミンの形成けいせいこり、これを水素すいそホウ素ほうそナトリウム還元かんげんするとピペリジンたまきとなる。8立体りったい化学かがくはこの還元かんげん段階だんかい決定けっていされ、キニーネとおな立体りったい配置はいち化合かごうぶつだけがられる。その保護ほごされたヒドロキシもとをメタンスルホンさんエステルへと誘導ゆうどうして、たまきさせキヌクリジンたまき構築こうちくしてデスオキシキニーネへと誘導ゆうどうした。デスオキシキニーネからキニーネの合成ごうせいはウスココヴィッチとおな方法ほうほうもちいており、9についてもキニーネとおな立体りったい配置はいち化合かごうぶつだけがられる。

ウッドワードのぜん合成ごうせい成否せいひ

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ギルバート・ストークは2001ねんぜん合成ごうせい報告ほうこくする論文ろんぶんで、パウル・ラーベの報告ほうこく不備ふびについて指摘してきした。すなわち、ラーベの論文ろんぶんではキノトキシンからキニーネの合成ごうせいについて他人たにん追試ついしできるだけの情報じょうほう記載きさいがないこと、一方いっぽうウッドワードらのぜん合成ごうせい論文ろんぶんではたんにラーベの方法ほうほう確立かくりつされているという記載きさいしかないことを指摘してきした。これをけてラーベの報告ほうこく妥当だとうせいについて調査ちょうさおこなわれた。

ウスココヴィッチらは調査ちょうさたいして、キノトキシンをキニーネにアルミニウムで還元かんげんするラーベの実験じっけん追試ついしおこなったとべている。そして、生成せいせいぶつにキニーネはふくまれるものの合成ごうせい成功せいこうしたといえるほどのおさむりつではなかったとべている。ラーベの論文ろんぶんでは、この還元かんげん反応はんのうおさむりつは12%と記載きさいされている。またウィリアム・デーリングは、2005ねん自分じぶん実験じっけんノートでラーベの実験じっけん追試ついしおこなわなかったことを確認かくにんし、ウッドワードもプレローグもラーベの実験じっけん信頼しんらいせい疑問ぎもんっていなかったとべた。ストークもラーベの実験じっけん追試ついしおこなっていない。かれはラーベの論文ろんぶんでは実験じっけん詳細しょうさい不明ふめいであるので追試ついし実験じっけん必要ひつようなコストがおおきすぎる、かり追試ついし成功せいこうしたとしてもそれはラーベの成果せいかにしかならないし、失敗しっぱいしたとしたらラーベやキンドラーよりもうでわるいということにしかならないので利益りえきがないとべている。

一方いっぽう、ラーベは論文ろんぶんなかられたキニーネの融点ゆうてんや旋光度こうど報告ほうこくしており、また1931ねんおな方法ほうほうろんもとづいたジヒドロキニーネのぜん合成ごうせい報告ほうこくしている。ラーベの報告ほうこく実験じっけん詳細しょうさいがなくとも信頼しんらいできるものとかんがえてもとく無理むりはない。

ウッドワードのぜん合成ごうせい成否せいひはラーベの合成ごうせい報告ほうこく信用しんようできるかどうかというてんにかかっていた。これはそれぞれの化学かがくしゃ判断はんだん基準きじゅんによって意見いけんかれるところである。

かりにラーベの合成ごうせいみとめないとすれば、ホモメロキネンを利用りようするぜん合成ごうせいはウスココヴィッチの1973ねんのキノトキシンからキニーネを合成ごうせいした報告ほうこくまで成立せいりつしないことになり、最初さいしょのキニーネのぜん合成ごうせいは1970ねんのウスココヴィッチのメロキネンぜん合成ごうせいによっておこなわれたことになる。なお、ウスココヴィッチは還元かんげんざい水素すいそジイソブチルアルミニウムもちいてキニノンからキニーネの合成ごうせい成功せいこうしている。

ラーベの合成ごうせい追試ついし

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2007ねんコロラド州立しゅうりつ大学だいがくのロバート・ウィリアムズとAaron Smithは、これまでだれをつけなかったラーベの合成ごうせい追試ついしこころみた。そのさい、ラーベが1939ねんに1918ねん合成ごうせいについてさらに詳細しょうさい論文ろんぶん作成さくせいしていたことが判明はんめい。ウィリアムズは、ウッドワードとデーリングが実験じっけんした1944ねん当時とうじ状況じょうきょう再現さいげんしたなかでラーベの追試ついしこころみ、その結果けっか、キニーネの合成ごうせい成功せいこう[1]。こうして、ラーベの合成ごうせいおよびウッドワードのぜん合成ごうせいただしさが証明しょうめいされた。

なま合成ごうせい

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キニーネをはじめとするキナアルカロイドなま合成ごうせいてきにはインドールアルカロイド一種いっしゅであることがあきらかとなっている。すなわちトリプトファン由来ゆらいするトリプタミンイリドイドであるセコロガニンちぢみあわしたストリクトシジン中間ちゅうかんからだとしてなま合成ごうせいされる。ストリクトシジンからのなま合成ごうせい詳細しょうさいあきらかになっていないが、ピペリジンのひらききれ、キヌクリジンの構成こうせい、インドールのピロールたまきひらききれ、キノリンの構成こうせい複雑ふくざつ経路けいろなま合成ごうせいされると推定すいていされている。

用途ようと

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こうマラリアやく

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キニーネ自身じしん水溶すいようせいひくいため、塩酸えんさんキニーネ硫酸りゅうさんキニーネといったしおかたち投与とうよされる。

キニーネはマラリア原虫げんちゅう特異とくいてき毒性どくせいしめす。マラリア原虫げんちゅう赤血球せっけっきゅうなかヘモグロビン栄養えいようげんとして利用りようしている。しかしヘモグロビンの代謝たいしゃさい原虫げんちゅうにとって有毒ゆうどくヘム生成せいせいする。原虫げんちゅうはこのヘムをヘムポリメラーゼによって重合じゅうごうさせて無毒むどくしている。キニーネはこのヘムポリメラーゼを阻害そがいすることによって原虫げんちゅうたいして毒性どくせい発揮はっきするというせつ有力ゆうりょくである。

キニーネはほぼ唯一ゆいいつマラリア特効薬とっこうやくとしてだい世界せかい大戦たいせんごろまではきわめて重要じゅうよう位置いちづけにあった。ヨーロッパ各国かっこく熱帯ねったい地方ちほう植民しょくみん経営けいえいするじょうでキニーネを必要ひつようとした。イギリスインドスリランカに、オランダインドネシアにキナのプランテーションつくることに成功せいこうし、これらがキニーネの重要じゅうよう供給きょうきゅうげんとなった。

日本にっぽん台湾たいわんなどをふくむ)の場合ばあい、キニーネ製造せいぞうりょう国内こくない需要じゅようたしたのはほし製薬せいやく量産りょうさん成功せいこうした大正たいしょう時代じだいはいってからのことである。大正たいしょう末期まっきには外国がいこく輸出ゆしゅつするようになり、日本にっぽんのキニーネ生産せいさんだか世界せかいだい2となった。

米国べいこくではキニーネの値段ねだんが1880ねんには1オンス4.5ドルであったのが、1913ねんには25セントとやすくなった。そしてキニーネが一般いっぱん庶民しょみん急速きゅうそく普及ふきゅうし、米国べいこくにおけるマラリア減少げんしょう一因いちいんとなった。もっとも、1912ねん1915ねん時点じてんでは南部なんぶもろしゅう平均へいきんマラリア罹患りかんりつはおよそ4%で、ミシシッピ・デルタには40.9%の原虫げんちゅう保有ほゆうりつしめ地域ちいきさえあった。

だい世界せかい大戦たいせん前後ぜんこうに、キニーネの構造こうぞうもとクロロキンメフロキンなどのキノリンたまきこうマラリアやく合成ごうせいされた。キニーネは胃腸いちょう障害しょうがい視神経ししんけい障害しょうがい血液けつえき障害しょうがいじん障害しょうがいこころ毒性どくせいといった副作用ふくさよう存在そんざいするため代替だいたいされ、あまりもちいられなくなった。しかし、熱帯ねったいねつマラリアにクロロキンやメフロキンにたいしてたいせいつものがおおくみられるようになったことから、ドキシサイクリンクリンダマイシンとの併用へいよう利用りようされる場合ばあいがある。また、熱帯ねったいねつマラリアのじゅう症例しょうれいたいしては経口けいこう投与とうよではなく静脈じょうみゃく注射ちゅうしゃ利用りようされる。

苦味にがみざい

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つよ苦味にがみ物質ぶっしつとしてられている。キニーネの認知にんち閾値やく5µmol/L程度ていど報告ほうこくされている。味覚みかく研究けんきゅう分野ぶんやでは苦味にがみ標準ひょうじゅん物質ぶっしつとしてもちいられている。

キナ抽出ちゅうしゅつぶつ食品しょくひん添加てんかぶつとして認可にんかされている[1]

また、薬事やくじほう施行しこう規則きそく別表べっぴょうだいさんには指定していされておらず、劇薬げきやくにはあたらない[2]

しばしば、劇薬げきやく指定していされているストリキニーネ (strychnine) と混同こんどうされることがあるが、ほんこうべるキニーネ (quinine)とは別物べつものである。

有機ゆうき合成ごうせい

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有機ゆうき化学かがく分野ぶんやでは光学こうがく分割ぶんかつざいとしてもちいられる。ラセミたいさんをキニーネしおにしてジアステレオマーとし、分離ぶんりする方法ほうほうもちいられる。

また誘導体ゆうどうたいひとし触媒しょくばいとしてもちいられる。シャープレスひとしジヒドロキシもちいられるはい、ビス(ジヒドロキニニル)フタラジン ((DHQ)2PHAL) が代表だいひょうてきである。キニーネをよんきゅう塩化えんかした有機ゆうき分子ぶんし触媒しょくばいによるひとしはんおうられている。

関連かんれん項目こうもく

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脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ オランダのネドチェムしゃ西にしドイツのベーリンガー・マンハイムしゃとブックラーしゃ、フランスのソシエテ・シミク・ボワンテ・ジラールしゃとソシエテ・ノジャンテーズ・ド・プロデュイ・シミクしゃとファマシー・サントラル・ド・フランスしゃ

出典しゅってん

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参考さんこう文献ぶんけん

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  • 都築つづき甚之助じんのすけあさとげさと新説しんせつ都築つづき甚之助じんのすけ東京とうきょう、1902ねん全国ぜんこく書誌しょし番号ばんごう:40057739https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/835423 
  • 医学いがく動向どうこう : だい22しゅう 地方ちほうびょう研究けんきゅう動向どうこう金原出版かねはらしゅっぱん東京とうきょう、1958ねん11月20にち全国ぜんこく書誌しょし番号ばんごう:52001479 

外部がいぶサイト

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ウィキメディア・コモンズには、キニーネかんするカテゴリがあります。