グラム・メタル

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グラム・メタル
げん地名ちめい Glam metal
様式ようしきてき起源きげん ヘヴィメタル
ポップ
ハードロック
グラムロック
グラム・パンク英語えいごばん[1][2][3]
文化ぶんかてき起源きげん 1970年代ねんだい後期こうき - 1980年代ねんだい初期しょき
ロサンゼルス
ニューヨーク
関連かんれん項目こうもく
化粧けしょうひん
パワーメタル
パワー・ポップ
スタジアム・ロック
シーンサブカルチャー英語えいごばん
ヴィジュアルけい
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グラム・メタル英語えいご: Glam Metal)は、ヘヴィメタルのサブジャンル。1970年代ねんだいすえまれ、1980年代ねんだい世界せかいてき人気にんきはくした。外見がいけんおおきく起因きいんする音楽おんがくジャンルである。別称べっしょうとしてヘア・メタル英語えいご: Hair metal)やポップ・メタル英語えいご: Pop metalとうがある。

なお、これらのバンド/アーティストのうちしゅたる活動かつどう拠点きょてんロサンゼルスであるもの日本にっぽんでは「LAメタル」とび、ジャンルじょう細分さいぶんしている。

概要がいよう[編集へんしゅう]

ニューヨーク・ドールズはグラム・メタルに影響えいきょうあたえたバンドのひとつとられている。

かみはロング・ヘアをスプレーふくらませ[ちゅう 1]化粧けしょうほどこし、けばけばしく肉体にくたい強調きょうちょうした衣装いしょう[ちゅう 2]と、アクセサリーにつけた。そのちは1970年代ねんだいイギリスまれたグラム・ロック比較ひかくされ、レザーやびょうをまとったクラシック・メタルならぶ、ヘヴィメタルのおおきな特徴とくちょうとなった。そのかりやすい特徴とくちょうのため、ブーム終焉しゅうえんもヘヴィ・メタルの外見がいけんてきイメージにおおきな影響えいきょうあたえている。

音楽おんがくせいは「グラム・ロック」にくくられるイギリスのアーティスト、T・レックススレイドデヴィッド・ボウイなどよりも、ニューヨーク・ドールズキッスエアロスミスチープ・トリックのようなアメリカのバンドや、AC/DCなどの影響えいきょうにあるシンプルなリフ基本きほんに、ヘヴィ・メタルのリズムをアップデートしたものがおおかった。歌詞かしあいはじめとしてセックスドラッグアルコール反抗はんこうしんなどがテーマとなっていた。

このようなルックスとパフォーマンスの煌びやかさ、そして若者わかもの欲望よくぼうをストレートにうたったシンプルでポップなサウンド、どう時期じきMTVなどのメディアとともに、1980年代ねんだい初期しょきにアメリカを拠点きょてんとして人気にんきた。初期しょきのグラム・メタルで人気にんきんだのはクワイエット・ライオットモトリー・クルーラットなどである。

1980年代ねんだい中期ちゅうきにはさらにポイズンボン・ジョヴィなどあたらしいバンドが続々ぞくぞく台頭たいとうしてきた。このころにはげがすうひゃくまんまいかぞえるバンドが続出ぞくしゅつするなど世界せかいてき一大いちだいブームとなっている。新人しんじんバンドや、LA出身しゅっしんのバンドのみならず、ハートホワイトスネイクスコーピオンズといった1970年代ねんだいから活動かつどうするベテランバンドも、グラム・メタルふうれる傾向けいこうがあった。

しかし1980年代ねんだい末期まっきガンズ・アンド・ローゼズらが登場とうじょうして以降いこう、グラム・メタルとしてあつかわれていたバンドも派手はでなメイクをひかえるようになってゆく。1990年代ねんだいはいると、グランジオルタナティヴ・メタルのバンドがメインストリームとなり、グラム・メタルのブームは急激きゅうげき衰退すいたいしていった。ただし、グランジの人気にんきとは関係かんけいなく、たようなバンドばかりデビューしたことで、シーン自体じたい劣化れっかしたことが原因げんいんとの意見いけんもある[ちゅう 3]。さらにこちらも衰退すいたいかっていたスラッシュ・メタルいきおいおなじく、グランジ、オルタナティブ要素ようそ流行りゅうこうおもねった路線ろせん変更へんこうをし、個性こせいうしなうバンドが続出ぞくしゅつし、90年代ねんだい前半ぜんはん中盤ちゅうばんには「アメリカのメタル文化ぶんかんだ」とまでひょうされた。

2000年代ねんだい以降いこうは、ザ・ダークネスネガティヴウィグ・ワムBlessed by a Broken Heartなどグラム・メタルに影響えいきょうけたバンドがアメリカ国外こくがいからあらわれた。また、80年代ねんだい活動かつどうしていたバンドも、「Rocklahoma」などのフェスティバル、あるいはツアーで活動かつどうつづけている。

批判ひはん反応はんのう[編集へんしゅう]

このムーブメントかんしては、ミュージシャンからも批判ひはんており、ハノイ・ロックスのメンバーで、80年代ねんだい後半こうはんにソロ活動かつどうをしていたマイケル・モンロー自身じしん派手はでなメイクがトレードマークだった)は、「いま連中れんちゅう流行はやっているからメイクをしているだけで、あまりに不自然ふしぜん」とかたっていた。また、ニュー・オーダーは、1987ねん発表はっぴょうした"Touched By The Hand Of God"のビデオ・クリップで、同様どうようスラッシュ・メタルバンドのM.O.D.1989ねんの"True Colors"のビデオ・クリップでグラム・メタルのパロディえんじていた。

一方いっぽう、グラム・メタルとしてあつかわれていたバンドのがわにも批判ひはんてき意見いけんとどいていた。イナフ・ズナフのメンバーであったドニー・ヴィーは「音楽おんがくあらわすやりかたとしてああいうにしていただけなのに、そういうふうに(批判ひはんてきに)あつかわれるなんておもっていなかったからショックだった」とかた[ちゅう 4]、ポイズンのCC・デヴィルは「デヴィッド・ボウイがメイクすると『天才てんさい』とわれるのに、おれたちがメイクすると『女装じょそうしたバカ』とわれる。メイクをやめたことで音楽おんがくをまじめにとらえてくれるひとえたことはたしかで、それは音楽おんがく生業せいぎょうとしている人間にんげんにとってはもっと重要じゅうようなこと」とかたっていた[ちゅう 5]

おもなグラム・メタルアーティスト[編集へんしゅう]

1980年代ねんだい以降いこう[編集へんしゅう]

2000年代ねんだい以降いこう[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 「ヘア・メタル」の別名べつめいばれる所以ゆえん
  2. ^ おおくはスパンデックスタイツや、Tてぃーシャツをタンクトップふうとした「カットTてぃーシャツ」など。
  3. ^ ホワイト・ライオンもとギタリスト、ヴィト・ブラッタのインタビュー[4]より
  4. ^ ミュージック・ライフ」1991ねん7がつごう 本誌ほんし記者きしゃ現地げんち独占どくせん取材しゅざい イナフ・ズナフ ホームタウン、シカゴでインタビュー(後編こうへん)より抜粋ばっすいイナフ・ズナフのアルバム「ストレングス」国内こくないばん (AMCY-240) ライナーノーツによると、かれらはエアロスミスのジョー・ペリーから「音楽おんがくっていたけど、あのメイクとファッションをかれらへのねつめてしまった」とわれていたという。
  5. ^ BURRN!1989ねん9がつごう、CC・デヴィル 来日らいにちインタビューより抜粋ばっすい

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ Bukszpan, Daniel (2003). The Encyclopedia of Heavy Metal. New York City, NY: Barnes and Noble. p. 85. ISBN 0-7607-4218-9 
  2. ^ Lee, Tommy; Neil, Vince; Sixx, Nikki; Mars, Mick (2019). The Dirt: Confessions of the World's Most Notorious Rock Band. Strauss, Neil. Blackstone Pub. ISBN 1-0940-1749-3 
  3. ^ Davis, Stephen (2008). Watch You Bleed: The Saga of Guns N' Roses. New York, NY: Gotham Books. p. 30. ISBN 978-1-59240-377-6 
  4. ^ Vito Bratta: A Rock N Roll Technician That Got Lost In All The Noise | destroyerofharmony”. 2014ねん12月1にち閲覧えつらん