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ハーミーズ (空母くうぼ初代しょだい)

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
ハーミーズ/ハーミス[1][2]
竣工しゅんこうのハーミーズ(HMS Hermes(95)。
基本きほん情報じょうほう
建造けんぞうしょ アームストロング・ホイットワースしゃ造船ぞうせんしょ
運用うんようしゃ  イギリス海軍かいぐん
かんしゅ 航空こうくう母艦ぼかん
きゅうめい 同型どうけいかんなし
まえきゅう イーグル (空母くうぼ初代しょだい)
つぎきゅう アーク・ロイヤル (空母くうぼ初代しょだい)
かんれき
起工きこう 1918ねん1がつ15にち
進水しんすい 1919ねん9月11にち
就役しゅうえき 1924ねん2がつ18にち
最期さいご 1942ねん4がつ9にち戦没せんぼつ
要目ようもく
基準きじゅん排水はいすいりょう 10,850 トン
満載まんさい排水はいすいりょう 13,700 トン
全長ぜんちょう 182.3 m
最大さいだいはば 21.3 m
飛行ひこう甲板かんぱん 182.3m×27.4m
吃水きっすい 5.71 m(満載まんさい
機関きかん 蒸気じょうきタービン
ボイラー ヤーローしき重油じゅうゆせんしょうみずかんかん6
おも パーソンズしきオール・ギヤードタービン2
推進すいしん 2じく
出力しゅつりょく 40,000hp
最大さいだい速力そくりょく 25.0ノット[3]
燃料ねんりょう 重油じゅうゆ:2,000トン
航続こうぞく距離きょり 2,930うみさと/18ノット
乗員じょういん 664めい航空こうくう要員よういんふくむ)
へいそう Mark XII 14cm(45口径こうけいたんそう速射そくしゃほう6
10.2cm(45口径こうけいたんそう高角こうかくほう4
3ポンド(76.2cm)たんそうほう4
装甲そうこう 舷側げんそく:51~76mm(水線すいせん
しゅ甲板かんぱん:25mm
主砲しゅほうぼうたて:76mm(さいあつ
搭載とうさい 20(1939ねん:12
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ハーミーズ (HMS Hermes, 95) は[4]イギリス海軍かいぐん航空こうくう母艦ぼかん[注釈ちゅうしゃく 1]計画けいかくから車輪しゃりんつき航空機こうくうき運用うんようする空母くうぼとして建造けんぞうされた、世界せかいではじめての軍艦ぐんかんである[6][7][注釈ちゅうしゃく 2]ハーミス[9][注釈ちゅうしゃく 3]ハームス[11][注釈ちゅうしゃく 4]ハーミズ[13]ヘルメス[14][15]とも表記ひょうきされる。 公刊こうかん戦史せんし戦史せんし叢書そうしょ』ではハーメスもちいる[16][17]かんめいは、ギリシア神話しんわ登場とうじょうするかみヘルメース英語えいご[注釈ちゅうしゃく 5]

ハーミーズは黎明れいめい空母くうぼであるが[8]技術ぎじゅつてきにはたか先見せんけんせいをもっていた[20]。しかし小型こがた空母くうぼのために搭載とうさいが20程度ていどしかなく、しかも25ノットの低速ていそくであり、飛行機ひこうき搭載とうさい母艦ぼかんとしての性能せいのうには限界げんかいがあった[21]海軍かいぐん休日きゅうじつ時代じだい中国ちゅうごく艦隊かんたいThe China Station)に所属しょぞくしていたハーミーズは[注釈ちゅうしゃく 6]、しばしば日本にっぽん来訪らいほうしている[23]

1942ねん昭和しょうわ17ねん4がつ9にち東洋とうよう艦隊かんたい所属しょぞくしてセイロンとう東岸とうがんトリンコマリー沿岸えんがん航行こうこうちゅう[24]日本にっぽん海軍かいぐん機動きどう部隊ぶたい空襲くうしゅうけて随伴ずいはん駆逐くちくかんとも沈没ちんぼつした[25]セイロンとうおき海戦かいせん[26][注釈ちゅうしゃく 7]

建造けんぞう経緯けいい[編集へんしゅう]

世界せかい航空こうくう母艦ぼかん開発かいはつをリードしていたのは、イギリスだった[28][29]だいいち世界せかい大戦たいせんユトランドおき海戦かいせんでは、イギリス海軍かいぐん水上すいじょう母艦ぼかんエンガーダイン (HMS Engadine) がグランド・フリート随伴ずいはんし、航空機こうくうきによる偵察ていさつをおこなっている[30]航空機こうくうき有効ゆうこうせいみとめられると、イギリス海軍かいぐんとアメリカ海軍かいぐん装甲そうこう巡洋艦じゅんようかん旧式きゅうしき戦艦せんかん滑走かっそうだい設置せっちして、陸上りくじょう発進はっしんさせる実験じっけんをはじめた[19]。この場合ばあいは「はつかん出来できても「ちゃくかん」することは出来できず、発進はっしんした航空機こうくうき陸上りくじょう基地きちかうか、着水ちゃくすいして搭乗とうじょういんのみ回収かいしゅうする方法ほうほうをとった[31]

航空機こうくうき軍艦ぐんかんへの「ちゃくかん」を実用じつようしたのも、イギリスだった。イギリスはちょう大型おおがた巡洋艦じゅんようかん改造かいぞうしてフューリアス (HMS Furious, 47) を[32]大型おおがた巡洋艦じゅんようかん改造かいぞうしてヴィンディクティヴ (HMS Vindictive) をおくした[33]とくにヴィンディクティヴはかん前方ぜんぽう後方こうほう飛行ひこう甲板かんぱんそなえている[34][注釈ちゅうしゃく 8]。だが2せきともかん中央ちゅうおう構造こうぞうぶつ艦橋かんきょう煙突えんとつ、マスト)がそびえ、航空機こうくうきちゃくかん不便ふべんかつ危険きけんきわまりなかった[34]。「航空こうくう母艦ぼかん」として場合ばあい完成かんせいたかいとはいえなかった[37]

実質じっしつてき世界せかい最初さいしょ空母くうぼは、イタリアけに建造けんぞうちゅうだった貨客船かきゃくせんをイギリス海軍かいぐん空母くうぼ改造かいぞうしたアーガス (HMS Argus, I49) である[38][39]。アーガスは全通ぜんつうしき飛行ひこう甲板かんぱんをもつ、いわゆるフラッシュデッキがた空母くうぼであった[40][20]。 つづいて完成かんせい戦艦せんかん空母くうぼ改造かいぞう[注釈ちゅうしゃく 9]、22,000トンきゅう空母くうぼイーグル (HMS Eagle) が誕生たんじょうした[43][注釈ちゅうしゃく 10]。 イーグルは、全通ぜんつう飛行ひこう甲板かんぱん右舷うげん煙突えんとつ一体化いったいかしたしまがた艦橋かんきょう設置せっちした世界せかい最初さいしょ空母くうぼであり、世界せかい空母くうぼ基本形きほんけいとなった[45][46]。なおイーグルとハーミーズの設計せっけい手掛てがけたのが、海軍かいぐん造船ぞうせん局長きょくちょうサー・ユースタス・テニスン・ダインコート (Eustace Tennyson d'Eyncourt) であった[47]

ハーミーズは、最初さいしょから空母くうぼとして建造けんぞうされた世界せかいはつ軍艦ぐんかんである[48][注釈ちゅうしゃく 11]。 1918ねん大正たいしょう7ねん1がつ15にちニューカッスルアームストロング・ホイットワースしゃ起工きこう。1919ねん大正たいしょう8ねん9月11にち進水しんすい[注釈ちゅうしゃく 12]だいいち世界せかい大戦たいせん終結しゅうけつによりいそいで完成かんせいさせる必要ひつようがなくなり、先行せんこうかん(アーガス、イーグル)の運用うんよう実績じっせき考慮こうりょれつつ、慎重しんちょう工事こうじおこなわれた[21]。また職工しょっこう雇用こよう問題もんだいからんだため、進水しんすいのハーミーズはデヴォンポート基地きち曳航えいこうされて移動いどうし、同地どうち海軍かいぐん工廠こうしょう艤装ぎそう工事こうじがおこなわれた[注釈ちゅうしゃく 12]

ちょうどデヴォンポート海軍かいぐん工廠こうしょうでは日本にっぽん海軍かいぐん造船ぞうせん士官しかん藤本ふじもと喜久雄きくお少佐しょうさ福田ふくだ啓二けいじ大尉たいい)が実習じっしゅうちゅうであり[51]、ハーミーズの情報じょうほう入手にゅうしゅすることが出来でき[注釈ちゅうしゃく 12]。これらの各種かくしゅ情報じょうほう収集しゅうしゅうや、センピル教育きょういくだん協力きょうりょくにより、日本にっぽん海軍かいぐんはイギリス空母くうぼ研究けんきゅうをおこなうことが出来でき[48]結局けっきょく、1919ねん大正たいしょう8ねん)12月に建造けんぞうがはじまった空母くうぼおおとりしょうほう[52]参考さんこうにしたハーミズよりはや完成かんせいしてしまった[注釈ちゅうしゃく 13]。 このためおおとりしょうを「世界せかい最初さいしょ竣工しゅんこうした、最初さいしょから航空こうくう母艦ぼかんとして設計せっけいされた純粋じゅんすい空母くうぼ」と表現ひょうげんする資料しりょうもある[56][57][注釈ちゅうしゃく 14]。ハーミーズは1924ねん大正たいしょう13ねん)2がつ18にち竣工しゅんこうした。

かんがた[編集へんしゅう]

1924ねんオアフとうホノルルられたハーミーズ。

ハーミーズは前述ぜんじゅつとおり、最初さいしょから航空こうくう母艦ぼかんとして建造けんぞうされたかんであるが[21]設計せっけいさいさき竣工しゅんこうしたアーガスイーグル運用うんよう結果けっか参考さんこうにしている[59][注釈ちゅうしゃく 15]。 そのため、ハーミーズはイーグルを小型こがたしたような外観がいかんとなっている[61]基準きじゅん排水はいすいりょう1まんトンだい小型こがた船体せんたい有効ゆうこう活用かつようすべくかんくび形状けいじょうかんくび飛行ひこう甲板かんぱんあいだ隙間すきまのない「エンクローズド・バウ」(ハリケーン・バウ)を採用さいようし、かんくび先端せんたんまでを飛行ひこう甲板かんぱん使つかえた[23][46]。この工夫くふうにより超弩級ちょうどきゅう戦艦せんかん改装かいそうしたイーグルの飛行ひこう甲板かんぱんちょう198.2mとわらない飛行ひこう甲板かんぱんちょう182.3mを達成たっせいした[62]。エレベーターは飛行機ひこうき形状けいじょうにあわせたTがたのものを1そなえ、改装かいそうに1増設ぞうせつした[21]格納庫かくのうこいちだんである[23]

1938ねんられたハーミーズ。舷側げんそく主砲しゅほうの14cm速射そくしゃほうえるほか、甲板かんぱんじょうにも10.2cmたんそう高角こうかくほうがみえる。

初期しょき航空こうくう母艦ぼかんは、空母くうぼアーガス[63]ラングレー[64]代表だいひょうされるひら甲板かんぱんがた(フラッシュデッキがた)と、空母くうぼイーグル元祖がんそとする艦橋かんきょう煙突えんとつ舷側げんそくにあつめたしまがた(アイランドがた)に大別たいべつできる[65][注釈ちゅうしゃく 16]。 ハーミーズは、アイランドがたしまがた艦橋かんきょう)である[67][注釈ちゅうしゃく 17]建造けんぞう当初とうしょから、小柄こがら船体せんたい似合にあいなほどおおきなアイランドしき艦橋かんきょう特徴とくちょうで、アンバランスな印象いんしょうあたえたといわれる[68]巡洋艦じゅんようかんクラスとの戦闘せんとうかんがえてしまがた艦橋かんきょう基部きぶとして三脚さんきゃくかたのマストがち、頂上ちょうじょう射撃しゃげき指揮しきしょ左右さゆうはか距儀をそなえる頑丈がんじょうなものである。これによりいただき上部じょうぶたかさは水面すいめんじょうから35mもあり、これはどう世代せだい巡洋艦じゅんようかんホーキンスきゅうのマストたかさ28mを凌駕りょうがするものである。しかし、艦橋かんきょう大型おおがたすぎることからくるトップヘビーになりがちなハーミーズはバランスをるために搭載とうさい燃料ねんりょう使つか勝手がってわるかった。このため、左舷さげんがわバルジにつね海水かいすい充填じゅうてんしていた[68]

主砲しゅほうにはけい巡洋艦じゅんようかんクラスの「Mark XII 14cm(45口径こうけい速射そくしゃほう」を採用さいよう、これをぼうたていたたんそうほう舷側げんそくさん箇所かしょもうけられたスポンソン(し)に1ずつでかたふなばた3ずつけい6もん搭載とうさいした。アイランド後方こうほうには、艦載かんさい搭載とうさいようのクレーンが1配置はいちされているのが外観がいかんじょう特徴とくちょうである[69]。なお、かん甲板かんぱん水上すいじょう運用うんようするためにふなばたたかさは水面すいめんからをやく3mとひくおさえられており、そこから水上すいじょう海面かいめんろして運用うんようした[68]

搭載とうさい変遷へんせん[編集へんしゅう]

  • 1924ねんけい19。フェアリー・フライキャッチャー7、フェアリー III Fがた8、ブラックバーン・ダート4
  • 1935ねんけい15。ホーカー・オスプレイ6、フェアリー・シール9
  • 1939ねん9がつ以降いこうけい12フェアリー・ソードフィッシュ12

へいそう[編集へんしゅう]

ハーミーズのしゅ武装ぶそうとして「アームストロング Mark XII 14cm(45口径こうけい速射そくしゃほう」を採用さいようした。その性能せいのうは37.2kgの砲弾ほうだん仰角ぎょうかく25で14,630mまでとどかせる射程しゃていていた。このほうぼうたていたたんそうほうで6搭載とうさいした。ほう俯仰ふぎょう能力のうりょく仰角ぎょうかく27俯角ふかく7である。旋回せんかい角度かくどは300旋回せんかい角度かくどつ。発射はっしゃ速度そくどはカタログデーターはまいぶん8はつであるが実用じつよう速度そくどは6はつ程度ていどであった。

対空たいくう火器かきとして高角こうかくほうは「アームストロング Mark V 10,2cm(45口径こうけい高角こうかくほう」を採用さいようしている。14.6kgの砲弾ほうだん仰角ぎょうかく44で15,020m、最大さいだい仰角ぎょうかく80で9,450mの高度こうどまで到達とうたつさせることができた。たんそうほう左右さゆう方向ほうこうに180旋回せんかいでき、俯仰ふぎょう仰角ぎょうかく80俯角ふかく5発射はっしゃ速度そくどまいぶん10~15はつだった。これをたんそうほうで3搭載とうさいした。近接きんせつ火器かきとして「アームストロング 7.62cm(40口径こうけい速射そくしゃほう」をたんそうほうで4、12.7mm連装れんそう機銃きじゅう4搭載とうさいした。

就役しゅうえきの1927ねんに10.2cmせんちめーとるたんそう高角こうかくほう1撤去てっきょして「ヴィッカーズ 4cmせんちめーとる(39口径こうけい)ポンポンほう」をたんそうほうで2追加ついかしたが1932ねん撤去てっきょして、かわりに12.7mmよん連装れんそう機銃きじゅう2かわそうした。1941ねんに4cmポンポンほう新型しんがたほうよん連装れんそうほうで1追加ついかし、あらたに「エリコン 2cm(76口径こうけい機関きかんほう」をたんそうほうで5追加ついかした。

防御ぼうぎょ[編集へんしゅう]

防御ぼうぎょりょくたい巡洋艦じゅんようかん戦闘せんとう意識いしきして舷側げんそく防御ぼうぎょ水線すいせんで76mm、しゅ甲板かんぱんは25mmの装甲そうこうっていた。

機関きかん[編集へんしゅう]

ハーミーズの機関きかん構成こうせいは、Dきゅうけい巡洋艦じゅんようかん同等どうとうヤーローしき重油じゅうゆせんしょうほそ経水けいすいかんかん6と1だん減速げんそくパーソンズしきギヤード・タービン22じく推進すいしん最大さいだい出力しゅつりょく40,000馬力ばりき速力そくりょく25.0ノットを発揮はっきした。

ボイラーしつ前後ぜんご2しつで1ばんかんしつに4・2ばんかんしつに2搭載とうさいし、排煙はいえんはイーグルにならって直立ちょくりつがたの1ほん煙突えんとつ排出はいしゅつされた。タービンしつはボイラーしつ隔壁かくへき1つぶんけて後方こうほう配置はいちされ推進すいしんようタービンを並列へいれつで2こうがわ減速げんそくよう歯車はぐるまかいして推進すいしんじく2ほん接続せつぞくされた。[70]

かんれき[編集へんしゅう]

海軍かいぐん休日きゅうじつ時代じだい[編集へんしゅう]

1924ねん大正たいしょう13ねん)2がつ18にち、ハーミーズは竣工しゅんこうした。ワシントン会議かいぎワシントン海軍かいぐん軍縮ぐんしゅく条約じょうやくにより、イギリスは空母くうぼ6せき(アーガス、イーグル、ハーミーズ、フュリアス、グローリアスカレイジャス)をゆうする世界せかい最大さいだい空母くうぼ大国たいこくとなった[71][注釈ちゅうしゃく 18]。ただしイギリス海軍かいぐん空母くうぼたいするまよいが反映はんえいされたので、かくかん外観がいかん性能せいのうはバラバラで統一とういつせいがなかった[73]

だい世界せかい大戦たいせん[編集へんしゅう]

1942ねんられたハーミーズ。飛行ひこう甲板かんぱんじょうにはフェアリー・ソードフィッシュ雷撃らいげきえる。みぎ前方ぜんぽうじゅう巡洋艦じゅんようかんドーセットシャー

1939ねん昭和しょうわ14ねんはじめハーミーズは短期間たんきかん修理しゅうりけ、8がつ23にちにはF. E. P. Hutton大佐たいさ艦長かんちょうになった。その翌日よくじつハーミーズはさい就役しゅうえきし、9月1にちだい814飛行ひこうたいのソードフィッシュ12搭載とうさいした。だい世界せかい大戦たいせんはじまった直後ちょくごの9がつ中旬ちゅうじゅんは、ブリテン諸島しょとう近海きんかいウエスタンアプローチたいせん哨戒しょうかい従事じゅうじした[注釈ちゅうしゃく 19][注釈ちゅうしゃく 20]18にち、ハーミーズは潜水艦せんすいかん発見はっけんしたが、護衛ごえい駆逐くちくかんアイシス (HMS Isis) とイモージェン (HMS Imogen, D44) による攻撃こうげき効果こうかがなかった。イギリス海軍かいぐんは、たいせん哨戒しょうかい任務にんむ空母くうぼ投入とうにゅうするのをめる[76]。ハーミーズはデヴォンポートへの帰還きかんめいじられ、そこで短期間たんきかん修理しゅうりけるさい消磁しょうじ装置そうちそなけられた。

9がつ下旬げじゅんよりドイッチュラントきゅう装甲そうこうかん[77]通称つうしょうポケット戦艦せんかん[78]アドミラル・グラーフ・シュペー (Die Admiral Graf Spee) がみなみ大西洋たいせいよう本格ほんかくてき活動かつどう開始かいしした[79][80]。10月上旬じょうじゅん、イギリス海軍かいぐんはドイツ通商つうしょう破壊はかいかんみなみ大西洋たいせいようにいることに気付きづき、敵艦てきかんが「ポケット戦艦せんかん」であると認定にんていした[81]。ポケット戦艦せんかん捜索そうさくして掃討そうとうするために複数ふくすう任務にんむ部隊ぶたい編成へんせいされる[82]ほんかんとフランス海軍かいぐん戦艦せんかんストラスブール (Strasbourg) は「N部隊ぶたい」となった[83]出撃しゅつげきしたハーミーズは10月7にちにストラスブールと会合かいごうし、同月どうげつ16にちフランスりょう西にしアフリカダカール到着とうちゃくする。つづいてイギリス海軍かいぐん本部ほんぶ任務にんむ部隊ぶたい区分くぶん変更へんこうし、えいかん空母くうぼハーミーズ、けいじゅんネプチューン)とフランスかん(ストラスブール、デュプレクスフォッシュアルジェリー)でX部隊ぶたいとY部隊ぶたい編成へんせいした[84]。X部隊ぶたいとY部隊ぶたい大西洋たいせいよう北上ほくじょうするであろうシュペーをかまえた[85]。 12月2にちと3にち、シュペーは南西なんせいアフリカ沖合おきあい商船しょうせん2せきトリックスタータイロア)を相次あいついで撃沈げきちんしたが、商船しょうせん沈没ちんぼつまえ襲撃しゅうげき地点ちてんてきポケット戦艦せんかん存在そんざい打電だでんしていた[86]みなみ大西洋たいせいよう艦隊かんたい司令しれいかんリヨン提督ていとくは、指揮しき掃討そうとう部隊ぶたいさい配置はいちする[86]。X部隊ぶたい空母くうぼハーミーズ、じゅうじゅんデュプレクス、フォッシュ、駆逐くちくかんミランカサール英語えいごばんフランス語ふらんすごばん)と増援ぞうえん部隊ぶたいけいじゅんネプチューン、駆逐くちくかんハーディホスタイルヒーロー)にたいし、12月10にちから13にちにかけてフリータウン~ペルナンブコあいだ哨戒しょうかいするようめいじた[87]。12月13にちラプラタおき海戦かいせん損傷そんしょうしたシュペーがウルグアイモンテビデオんだとき、X部隊ぶたいとY部隊ぶたいはる北方ほっぽう位置いちしていた[88]。17にちにシュペーが自沈じちんして[89]みなみ大西洋たいせいよう追跡ついせきげきはひとまずわった。ハーミーズは船団せんだん護衛ごえいしてイギリスにもどり1940ねん昭和しょうわ15ねん)1がつ9にちから2がつ10日とおかまで修理しゅうりけた。それからふたたびダカールにもどり、ドイツ通商つうしょう破壊はかいかん封鎖ふうさ突破とっぱせん捜索そうさく再開さいかいした。[90]

5月25にち艦長かんちょうRichard F. J. Onslow大佐たいさわり、ハーミーズは成果せいかのない哨戒しょうかいつづけた。6月22にちドイツのフランス侵攻しんこうによりどくふつ休戦きゅうせん協定きょうていむすばれ、ヨーロッパの戦局せんきょく激変げきへんする。6月29にち帰投きとうしたハーミーズは到着とうちゃく9あいだ出港しゅっこうし、ダカールの封鎖ふうさ開始かいしするようめいじられた。それはセネガルの総督そうとくヴィシーフランスがわについたためである。ダカールにはフランス海軍かいぐん新鋭しんえい戦艦せんかんリシュリュー (Richelieu) が入港にゅうこうしており、イギリスぐん対処たいしょせまられていた[15]7がつ3にち、イギリス海軍かいぐんH部隊ぶたいアルジェリアメルス・エル・ケビール軍港ぐんこう強襲きょうしゅうして、フランス海軍かいぐんダンケルクきゅう戦艦せんかん排除はいじょしようとした(メルセルケビール海戦かいせん[91]つぎにハーミーズとじゅうじゅん2せきオーストラリア、ドーセットシャー)がダカールのリシュリューを無力むりょくしようとする[91]。 7月7にち8にちよるだい814飛行ひこうたいのソードフィッシュによる雷撃らいげきにあわせて、ハーミーズから発進はっしんしたボートがのかん尾下おくだり爆雷ばくらい4はつ投下とうかこころみた。ボートはリシュリューのもとにたどりくことには成功せいこうしたが、爆雷ばくらい爆発ばくはつしなかった。雷撃らいげきでは成果せいかがあり、リシュリューのプロペラひとつを損傷そんしょうさせた[91]。フランス軍機ぐんきなんかイギリスぐん部隊ぶたい攻撃こうげきしたが、成果せいかはなかった。攻撃こうげきからの帰路きろ、7がつ10にちよる暴風雨ぼうふううなか仮装かそう巡洋艦じゅんようかん補助ほじょ巡洋艦じゅんようかんコルフ (HMS Corfu) と衝突しょうとつした。衝撃しょうげきによりハーミーズの乗員じょういん3めい負傷ふしょうし、一人ひとりはそのきずがもとで死亡しぼうした。一方いっぽう、コルフがわには負傷ふしょうしゃはいなかった。リシュリューの始末しまつジョン・カニンガム提督ていとくのイギリス艦隊かんたいまかされた[91]ダカールおき海戦かいせん)。 ハーミーズは12ノットでフリータウンかい、8がつ5にちみなみアフリカ船団せんだんくわわって8がつ17にちからサイモンズタウン修理しゅうり開始かいしした。修理しゅうりは11月2にち完了かんりょうし、ハーミーズは11月29にちにフリータウンにもどった[92]

みなみ大西洋たいせいようでのドイツ通商つうしょう破壊はかいかん捜索そうさくのため12がつ2にちダナイーきゅうけい巡洋艦じゅんようかんドラゴン英語えいごばん (HMS Dragon,D46) と合流ごうりゅうする。同月どうげつちゅうおもにセントヘレナから行動こうどうし、のちにポケット戦艦せんかんアドミラル・シェーア (Admiral Scheer) 捜索そうさくのため武装ぶそう商船しょうせんプレトリア・キャッスル (HMS Pretoria Castle, F61) がくわえられたが、成果せいかかった。この部隊ぶたいは12月31にちにサイモンズタウンへ出発しゅっぱつし、ハーミーズはみなみアフリカ沿岸えんがんでのヴィシーフランス封鎖ふうさ突破とっぱせん捜索そうさく派遣はけんされた。1941ねん昭和しょうわ16ねん)1がつ26にちに1せき発見はっけんされたが、そのふねはマダガスカルにもどった。2月4にち巡洋艦じゅんようかんシュロプシャー (HMS Shropshire, 73) およびホーキンス英語えいごばん (HMS Hawkins,D86) と合流ごうりゅうするため北上ほくじょうする。それはキスマヨ封鎖ふうさおこなうためであった。2月12にち、ハーミーズが1せき、ホーキンスが3せきのイタリア商船しょうせん拿捕だほした[93]

2がつ22にち、ハーミーズはけいじゅんグラスゴー (HMS Glasgow, C21) の搭載とうさいにより発見はっけんされたアドミラル・シェーア捜索そうさく参加さんかしたが、捕捉ほそくはできなかった[94]。ハーミーズは3がつ4にちコロンボき、以後いご枢軸すうじくこく艦船かんせん捜索そうさく続行ぞっこうした。4月にはイラクのバスラでの作戦さくせん支援しえんのためペルシャ湾ぺるしゃわん派遣はけんされ、6がつ中旬ちゅうじゅんまでそこにとどまったのちセイロンとうセイシェル諸島しょとうあいだ哨戒しょうかいもどった。哨戒しょうかい任務にんむつづけたハーミーズは11月19にち修理しゅうりのためサイモンズタウンにいた。

イギリスは緊迫きんぱくする極東きょくとう情勢じょうせい呼応こおうして東洋とうよう艦隊かんたい主力しゅりょくかん2せきプリンス・オブ・ウェールズレパルス)を増強ぞうきょうし、その直衛なおえ空母くうぼとしてイラストリアスきゅう航空こうくう母艦ぼかんインドミタブル (HMS Indomitable, 92) を編入へんにゅうした[14]。ところが基礎きそ訓練くんれんちゅう座礁ざしょうして修理しゅうり必要ひつようとなり、だいかんとしてインド洋いんどよう所在しょざいのハーミーズが編入へんにゅうされた[14]

12月8にち、ハーミーズの修理しゅうりちゅう大日本帝国だいにっぽんていこく連合れんごうこく宣戦せんせん布告ふこくし、太平洋戦争たいへいようせんそうがはじまる。日本にっぽんぐん極東きょくとうにおいて南方みなかた作戦さくせんマレー作戦さくせん比島ひじま作戦さくせん)を発動はつどうし、マレまれ半島はんとうえいりょう侵攻しんこうした[95]。イギリスぐんシンガポール防衛ぼうえい計画けいかく不充分ふじゅうぶんであり、航空機こうくうき掩護えんごけられなかった東洋とうよう艦隊かんたいマレーおき海戦かいせん主力しゅりょくかん2せきうしな[96][注釈ちゅうしゃく 21]極東きょくとうのイギリスぐん窮地きゅうちおちいなかほんかん修理しゅうりには1942ねん昭和しょうわ17ねん)1がつ31にちまでかかった。ハーミーズは東洋とうよう艦隊かんたい[注釈ちゅうしゃく 22]配属はいぞくされ、2がつ14にちにコロンボに到着とうちゃくした。

ハーミーズはだい814飛行ひこうたいのソードフィッシュをせ、駆逐くちくかんヴァンパイア合流ごうりゅうしてたいせん哨戒しょうかいにあたるため2がつ19にち出港しゅっこう。2せきトリンコマリーみなと入港にゅうこうしたのち、2がつ25にち飛行ひこうたいろされた。3がつ中旬ちゅうじゅんフリーマントル拠点きょてんいている連合れんごうこく海軍かいぐん部隊ぶたい合流ごうりゅうするため、2せきはそこへかうようめいじられた。だが、3にちにはもどされ東洋とうよう艦隊かんたいのB部隊ぶたい編入へんにゅうされた[99]

セイロンおき海戦かいせん[編集へんしゅう]

極東きょくとうにおけるイギリス最大さいだい根拠地こんきょちシンガポールは、日本にっぽんぐんかい進撃しんげきにより、1942ねん昭和しょうわ17ねん)2がつ15にち陥落かんらくした[100]。イギリス東洋とうよう艦隊かんたいセイロンとうコロンボトリンコマリー根拠地こんきょち変更へんこうした[101]。レイトン大将たいしょう後任こうにんとして東洋とうよう艦隊かんたい司令しれい長官ちょうかんとなったジェームズ・サマヴィル大将たいしょうは、トリンコマリーも安全あんぜんではないとかんがえ、モルディブアッドゥ環礁かんしょうしん母港ぼこうとすることを検討けんとうした[102]。イギリスぐんにとって幸運こううんなことに、日本にっぽんぐんはアッドゥ環礁かんしょうしん基地きちらなかった[103]どう時期じきにはらんしるし作戦さくせんによりオランダりょうひがしインド陥落かんらく[104]幾度いくどかの海戦かいせんによりABDA艦隊かんたい一掃いっそうされた[105]つづいてインド洋いんどようベンガルわん南部なんぶアンダマン・ニコバル諸島しょとう日本にっぽんぐん占領せんりょうされたので[106]アフリカ大陸たいりく東岸とうがんケニアモンバサにあるキリンディニこうのが臨時りんじ基地きちとした[107]

しかしだいいち航空こうくう艦隊かんたい司令しれい長官ちょうかん南雲なぐも忠一ただかず中将ちゅうじょうひきいる日本にっぽんぐん空母くうぼ機動きどう部隊ぶたいインド洋いんどよう進出しんしゅつ[108]、セイロンとう攻撃こうげき実施じっしするとの情報じょうほうたイギリスぐんは、空母くうぼ3せき(ハーミーズ、インドミタブルフォーミダブル[109]歴戦れきせんかんウォースパイトHMS Warspite)など戦艦せんかん5せきふく東洋とうよう艦隊かんたい集結しゅうけつさせた[110][111][注釈ちゅうしゃく 23]

ほんかんアルジャーノン・ウィリス英語えいごばん提督ていとくひきいる低速ていそくかんB部隊ぶたいRきゅう戦艦せんかんレゾリューションラミリーズロイヤル・サヴリンリヴェンジ)、空母くうぼ〈ハーミーズ〉、けい巡洋艦じゅんようかんカレドン、ドラゴン、ヤコブ・ヴァン・ヘームスケルク〉、随伴ずいはん駆逐くちくかん)に所属しょぞくしていた[101][113]

現実げんじつ問題もんだいとして、インド洋いんどよう展開てんかいしつつあった日本にっぽん海軍かいぐん南方なんぽう部隊ぶたい指揮しきかん近藤こんどうしんちく中将ちゅうじょう/だい艦隊かんたい司令しれい長官ちょうかん)は[114]正規せいき空母くうぼ5せき赤城あかぎ[注釈ちゅうしゃく 24]あおいりゅうりゅうみずづるしょうづる)と金剛こんごうがた戦艦せんかん4せき基幹きかんとする南方なんぽう部隊ぶたい機動きどう部隊ぶたい[117][118]だいいちみなみ艦隊かんたい司令しれい長官ちょうかん小沢おざわおさむ三郎さぶろう中将ちゅうじょう)のうまらい部隊ぶたい[119][注釈ちゅうしゃく 25]南方みなかた部隊ぶたい航空こうくう部隊ぶたい[121]潜水せんすい部隊ぶたい[122]ゆうしており、イギリスがわ圧倒的あっとうてき不利ふりだった[101]。イギリス東洋とうよう艦隊かんたい南雲なぐも機動きどう部隊ぶたい正面しょうめんから対決たいけつした場合ばあい、イギリスがわにとって悲惨ひさん結果けっかになることをサマヴィル提督ていとく認識にんしきしていた[112]

イギリス艦隊かんたいは「南雲なぐも機動きどう部隊ぶたいが4がつ1にちごろセイロンとう攻撃こうげきする」という情報じょうほうていたので、3月31にちから4がつ2にちまでセイロンとうみなみ行動こうどうしていたが[110]南方みなかた部隊ぶたい機動きどう部隊ぶたい通称つうしょう 南雲なぐも機動きどう部隊ぶたい )はあらわれなかった[123][注釈ちゅうしゃく 26]。そのため東洋とうよう艦隊かんたいだい部分ぶぶん燃料ねんりょう補給ほきゅうのためにアッドゥ環礁かんしょうかい[110]一部いちぶ修理しゅうり次期じき作戦さくせんのためセイロンとうもどることになった[126]じゅうじゅん2せきドーセットシャーコーンウォール)はコロンボに、空母くうぼハーミーズはマダガスカルとう攻略こうりゃく準備じゅんびのため駆逐くちくかんヴァンパイア (HMAS Vampire, I68) とともにトリンコマリーへかった[103][127]

4がつ4にち夕刻ゆうこく、イギリスぐんカタリナ飛行ひこうてい南雲なぐも機動きどう部隊ぶたい発見はっけんしたが[128]れいせん撃墜げきついされた[129][注釈ちゅうしゃく 27]。4月5にち、コロンボが南雲なぐも機動きどう部隊ぶたい艦上かんじょうによる攻撃こうげき[131][132]付近ふきん洋上ようじょう前述ぜんじゅつえいじゅうじゅん2せき撃沈げきちんされた[133][134][注釈ちゅうしゃく 28]

げまどうハーミーズとごう駆逐くちくかんヴァンパイア。
炎上えんじょうしずみゆくハーミーズ。
しずむハーミーズ。

4がつ8にち、イギリスぐん索敵さくてきふたた日本にっぽん艦隊かんたい南雲なぐも機動きどう部隊ぶたい)を発見はっけんし、かく方面ほうめん通報つうほうした[27]。2せき(ハーミーズ、ヴァンパイア)などはトリンコマリーから洋上ようじょう退避たいひし、みなみかった[136]4がつ9にちあさ南雲なぐも機動きどう部隊ぶたい発進はっしんした攻撃こうげきたい指揮しきかん淵田ふちた美津雄みつお少佐しょうさ)は[137]、トリンコマリーを空襲くうしゅうした[110][138]日本にっぽんぐん攻撃こうげきたい空襲くうしゅうわったので、ハーミーズ部隊ぶたいはトリンコマリーへもどるため反転はんてん北上ほくじょうした[139]。しかし、機動きどう部隊ぶたい戦艦せんかん榛名はるな」から発進はっしんした水上すいじょう偵察ていさつ発見はっけんされていた[139][注釈ちゅうしゃく 29]索敵さくてきからの報告ほうこくはイギリスがわ傍受ぼうじゅし、戦闘せんとう派遣はけんされたもののわなかった[142]赤城あかぎ機動きどう部隊ぶたい旗艦きかん)では、ハーミーズが陸上りくじょう基地きちハリケーン戦闘せんとうHawker Hurricane)の応援おうえんかえもとめる無電むでん傍受ぼうじゅしている[22][143][144]

日本にっぽん時間じかん午前ごぜん1143ふん南雲なぐも機動きどう部隊ぶたいからしょうづる飛行ひこう隊長たいちょう高橋たかはし赫一少佐しょうさ指揮しきするきゅうきゅうしき艦上かんじょう爆撃ばくげき85れいしき艦上かんじょう戦闘せんとう6発進はっしんした[145]かんばく85の内訳うちわけは、しょうづる18、みずづる14、あおいりゅう18、りゅう18、赤城あかぎ17であった[146]源田げんた航空こうくう参謀さんぼう護衛ごえいすくないことを懸念けねんしたが、母艦ぼかん直衛なおえ問題もんだいもあり、やむを護衛ごえいれいせんを6にして出撃しゅつげきさせたという[16]南雲なぐも機動きどう部隊ぶたいにとって幸運こううんなことに、ハーミーズは艦上かんじょう戦闘せんとう搭載とうさいしていなかった[22][147]

1330ふん機動きどう部隊ぶたい攻撃こうげきたいはハーミーズを発見はっけん、5ふん急降下きゅうこうかばくげき開始かいしした[145]。ハーミーズを攻撃こうげきしたのはきゅうきゅうかんばく45赤城あかぎ2、りゅう11、みずづる14、しょうづる18)で、ばくだん37はつ命中めいちゅう命中めいちゅうりつ82パーセント)を記録きろくした[146]。「ハーミーズ」は「ヴァンパイア」ともに撃沈げきちんされた[148]付近ふきん行動こうどうちゅうだったフラワーきゅうコルベットホリホック (HMS Hollyhock) と補給ほきゅうかん2せきブリティッシュ・サージェントAthelstone) 、貨物かもつせんNorviken撃沈げきちんされた[13][149]。イギリスがわ陸上りくじょう基地きちからだい273飛行ひこう戦隊せんたいだい803海軍かいぐん航空こうくうたいだい806海軍かいぐん航空こうくうたいフェアリー フルマー戦闘せんとう派遣はけんしたがハーミーズの沈没ちんぼつにはわず、フルマー2喪失そうしつえにきゅうきゅうかんばく4撃墜げきついしたと記録きろくしている[注釈ちゅうしゃく 30]日本にっぽんがわはハーミーズにたいする攻撃こうげき沈没ちんぼつ様子ようす写真しゃしん撮影さつえいしており[10]写真しゃしん週報しゅうほうなどに掲載けいさいして宣伝せんでんせん利用りようしている[12][注釈ちゅうしゃく 31]

「ハーミーズ」では艦長かんちょう以下いか307めい死亡しぼうした[151]九九くくかんばくのパイロット(みずづるかんばく)は「海上かいじょう脱出だっしゅつした生存せいぞんしゃサメ餌食えじきになるだろうとおもって銃撃じゅうげきひかえていたら、しずみかけたハーミスの右舷うげんかんでは高角こうかくほう発砲はっぽうしていた。ユニオンジャック海兵かいへいたましいせつけられたようでむねあつくなった。」と回想かいそうしている[152]。「ハーミーズ」と「ヴァンパイア」の生存せいぞんしゃうち、590めい病院びょういんせん「Vita」に救助きゅうじょされた[151]

「ハーミーズ」はだい世界せかい大戦たいせんちゅう日本にっぽん海軍かいぐん撃沈げきちんされた唯一ゆいいつのイギリス空母くうぼである[153]

残骸ざんがい発見はっけん[編集へんしゅう]

長年ながねんにわたるスリランカ内戦ないせんのため、ハーミーズの残骸ざんがい2002ねんになってようやくスリランカのダイバーによって発見はっけんされた[154]。ハーミーズは水深すいしん60mの海底かいていに、左舷さげんしたにしてよこたわっていた。発見はっけんはダイビングスポットとなっており、だい世界せかい大戦たいせん戦没せんぼつした空母くうぼなか唯一ゆいいつダイバーによる潜水せんすい可能かのう空母くうぼでもある[155]

出典しゅってん[編集へんしゅう]

ちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ にちえいべいさん海軍かいぐんこくちゅう最近さいきんにそのこうを竣へたしん航空こうくう母艦ぼかんは、日本にっぽんではおおとりしょう英國えいこくでは前陳ぜんちんごとくハーミスで、とも航空機こうくうき發達はったつれ、とくにその母艦ぼかんたるべく艤装ぎそう建造けんぞうされたものである。米國べいこく最新さいしんかんまた前述ぜんじゅつごとラングレーで、とく母艦ぼかんとして計畫けいかくされたのではなく、のちじゅつぶるごときゅうずみせんから改造かいぞうされたものである(以下いかりゃく)[5]
  2. ^ 航空こうくう母艦ぼかん“ハーミーズ Hermes[8] ぜん要目ようもく{排水はいすいりょう10,850とん 速力そくりょく25せつ 備砲びほう13.8せんちめーとるほう6もん 10せんちめーとる高角こうかくほう3もん 搭載とうさいすう20 起工きこう1918ねん1がつ 竣工しゅんこう1923ねん7がつ 建造けんぞうしょアームストロングしゃ} 此艦は英國えいこく海軍かいぐん航空こうくう母艦ぼかんとして計畫けいかくした最初さいしょのもので英國えいこく航空こうくう母艦ぼかん大體だいたい理想りそうがたとしてゆいちゃくしたものであるとかんがへてささえあるまい。全長ぜんちょう182.26めーとるはば21.33めーとる平均へいきん喫水きっすい5.50めーとる飛行ひこう甲板かんぱんはば27.43まい寫眞しゃしんではかん體内たいない格納庫かくのうこることは出來できぬが、10,850とんにして、よく20,000とん母艦ぼかんおとらぬ搭載とうさいすうゆう艦上かんじょう構築こうちくとうもほゞこれ定型ていけいとなつた。航空こうくう母艦ぼかん戰闘せんとうちゅう着發ちゃくはつかんのためにはすくなからずこう速力そくりょく要求ようきゅうされ機關きかん戰闘せんとうかんよりもおおきい。
  3. ^ えいこうははハーミスごうベンガルわんふか轟沈ごうちん[10] よんがつきゅうにち、セイロンとうツリンコマリ軍港ぐんこう急襲きゅうしゅうしわが海軍かいぐん航空こうくう部隊ぶたいは、同軍どうぐん港東みなとひがし南方なんぽう沖合おきあい南下なんかちゅうえいかんハーミスならびに驅逐くちくかんいちせき發見はっけんただちにこれを攻撃こうげきし、命中めいちゅうだんびせて撃沈げきちんした。寫眞しゃしんどう攻撃こうげき参加さんかしたうみわしによつて攻撃こうげき初期しょきからハーミスがインド洋いんどよう海底かいていふか沈没ちんぼつする終焉しゅうえんまでの模様もよう詳細しょうさい撮影さつえいしたものである。/ハーミスはぜん大戰たいせんちゅういちきゅういちはちねん戰時せんじ緊急きんきゅう造艦ぞうかん計畫けいかくもとづいて起工きこうされ、いちきゅうさんねん竣工しゅんこうした基準きじゅん排水はいすいりょういちまんはちひゃくじゅうトン。速力そくりょくじゅうノット。いちよんセンチほうろくもんいち〇.センチ高角こうかくほうさんもん搭載とうさいすう〇 撮影さつえい 海軍かいぐん航空こうくう部隊ぶたい
  4. ^ えい航空こうくう母艦ぼかんトリコマリーおきにて海底かいていほうむらる[12] 帝國ていこく海軍かいぐんよんがつきゅうにちセイロンとうトリコマリーの東南とうなん驅逐くちくかんいちせきともなえ南方なんぽうこうつて航行こうこうちゅう英國えいこく航空こうくう母艦ぼかんハームスを發見はっけんじかばくげきたい派遣はけん直撃ちょくげきだん連發れんぱつこれ撃沈げきちんした。うえ(1)は直撃ちょくげきだん母艦ぼかんだい爆發ばくはつしょうぜしめ各所かくしょだい火災かさいおこさしめてるところ。(2)以下いかぺーじごとし。(以下いかりゃく)
  5. ^ 先代せんだいハイフライヤーきゅう防護ぼうご巡洋艦じゅんようかん (Highflyer class cruiser) のハーミーズ英語えいごばんで、1913ねん滑走かっそうだいをもうけて水上すいじょうはつかん実験じっけんをおこなった[18]かん前部ぜんぶ格納庫かくのうこ増設ぞうせつしており、航空こうくう巡洋艦じゅんようかん嚆矢こうしである[19]だいいち世界せかい大戦たいせんなかの1914ねん大正たいしょう3ねん)10がつ31にち潜水せんすいかんU-27英語えいごばんドイツばん撃沈げきちんされた。
  6. ^ ハーミス撃沈げきちん[22](中略ちゅうりゃく)てきえい航空こうくう母艦ぼかんハーミスも、わが攻撃こうげきたいまえにはまことにあつない最期さいごであつた。ハーミスはえい海軍かいぐんしょう設計せっけい最初さいしょ航空こうくう母艦ぼかんであつた。いちきゅういちはちねん起工きこう排水はいすいりょういちまんはちひゃくじゅうトン、備砲びほうじゅうよんせんちめーとるろくもんじゅう.せんちめーとる高角こうかくほうさんもんよん.ななせんちめーとるほうよんもん高角こうかく機銃きじゅうじゅうよんもんで、前後ぜんごよん囘支方面ほうめん艦隊かんたい配属はいぞくされ、東洋とうようふか因縁いんねん空母くうぼであつた。/わが、攻撃こうげきたいが、ちかづくと、ハーミスは、「ハリケーン出發しゅっぱつせしや、ハリケーン出發しゅっぱつせしや」と、せいのまゝの電報でんぽう陸上りくじょう基地きちけてつてゐた。陸上りくじょう基地きちちかいため、ハーミスの攻撃こうげき戰闘せんとうたい大半たいはんは、陸上りくじょう基地きちツリンコマリ―にくだりつてゐたのである。/しかし、このあさ、ツリンコマリ―のてき空軍くうぐん基地きちは、わが攻撃こうげきたいのため潰滅かいめつせられてゐたのだ。(以下いかりゃく)
  7. ^ (4がつ10日とおか機動きどう部隊ぶたい戦闘せんとうがいほうだい9ごう)[27]いち 八日ようかいちはち〇〇「ツインコマリ」ノいちよんかいりニ於テ触接しょくせつセルてき飛行ひこうてい発見はっけん追撃ついげきセシモ「スコール」ノ為之ためゆきはぐれセリ/(ツインコマリ攻撃こうげきりゃく)/さん すず蘭島らんしま東方とうほう海面かいめん捜索そうさくちゅうみず偵ハきゅうにちいち「ツリンコマリ」ノいちよんななななかいり(すず蘭島らんしま東岸とうがんいちかいり以内いない)ヲ南下なんかちゅうてき航空こうくう母艦ぼかん「ハーメス」及駆逐くちくかん発見はっけん触接しょくせつ かんばく全力ぜんりょくかんせんきゅういちよん〇〇これ攻撃こうげき せきども撃沈げきちん 余剰よじょう兵力へいりょくヲ以テ附近ふきん行動こうどうちゅう大型おおがた商船しょうせんさん撃沈げきちんすい偵ハべつ小型こがた商船しょうせんいち撃破げきは 帰投きとうちゅうかんばくたいハ「スピットファイヤーきゅう交戦こうせん其ノなな(うち 確認かくにん)ヲ撃墜げきついセリ 被害ひがいあおいりゅうかんばくよん「スピットファイヤー」トノ空戦くうせん自爆じばくよん 九日ここのかいちいちろく触接しょくせつちゅうてき飛行ひこうていいち撃墜げきつい いちさんてきプレネムがたきゅう来襲らいしゅう 空戦くうせんリ其ノなな撃墜げきつい(上空じょうくう直衛なおえ帰投きとうちゅうノ「ハーメス」攻撃こうげきたいル)赤城あかぎ利根とねばくげきヲ受ケシモ被害ひがいナシ(以下いかりゃく)
  8. ^ 就役しゅうえき当初とうしょのフューリアスは、前部ぜんぶのみ飛行ひこう甲板かんぱんをもうけ、後部こうぶ18インチほう1もん搭載とうさいした[35]後日ごじつ後部こうぶ主砲しゅほう撤去てっきょして飛行ひこう甲板かんぱんもうけた[36]
  9. ^ チリ海軍かいぐんむけにイギリスで建造けんぞうちゅうだった戦艦せんかんアルミランテ・コクレン (Almirante Cochrane) をイギリス海軍かいぐん買収ばいしゅうし、空母くうぼ改造かいぞうしたのである[41][42]
  10. ^ 航空こうくう母艦ぼかん“イーグル Eagle[44] ぜん要目ようもく{排水はいすいりょう22,600とん 速力そくりょく24せつ 備砲びほう15せんちめーとるほう9もん 10せんちめーとる高角こうかくほう5もん 搭載とうさいすう21 計畫けいかく年度ねんどは1913ねんで1918ねん進水しんすいしそのいく改装かいそうされ、1923ねん竣工しゅんこうした} 全長ぜんちょう202.37めーとるはば32.05めーとるただ飛行ひこう甲板かんぱんは30.48めーとる平均へいきん喫水きっすい7.31まい軸馬力じくばりきは50,000馬力ばりき搭載とうさいすう21の内譯うちわけ戰闘せんとう1個いっこ中隊ちゅうたい(オスプレイ9)觀測かんそく偵察ていさつ1個いっこ中隊ちゅうたい(フエアリーⅢF12)となつてゐる。このかた所謂いわゆるアイランドがたぞくするもの艦橋かんきょう(ブリツヂ)とう飛行ひこう甲板かんぱん右舷うげん偏在へんざいしてゐる。イーグルも途中とちゅう航空こうくう母艦ぼかんにかへられたものであるが、まったいちまい飛行ひこう甲板かんぱんになつた。このやうに20,000とん以上いじょう大型おおがた航空こうくう母艦ぼかんを4せきつてゐる英國えいこく世界せかい最大さいだい航空こうくう母艦ぼかんこくであるといつてよい。
  11. ^ 航空こうくう母艦ぼかん“ハーミーズ Hermes[49] ぜん要目ようもく{排水はいすいりょう10,850とん 速力そくりょく25せつ 備砲びほう13.8せんちめーとるほう6もん 10せんちめーとる高角こうかくほう3もん 搭載とうさいすう20 起工きこう1918ねん1がつ 竣工しゅんこう1923ねん5がつ 建造けんぞうしょしょう} 此艦は英國えいこく海軍かいぐん航空こうくう母艦ぼかんとして計畫けいかくした最初さいしょのものである。全長ぜんちょう182.26めーとるはば21.33めーとる平均へいきん喫水きっすい5.50めーとる飛行ひこう甲板かんぱんはば27.43まい上記じょうきへいそうそとしょうほうけい26もんゆうす。
    航空こうくう母艦ぼかん“カレツヂアス Courageous ぜん要目ようもく{排水はいすいりょう22,500とん 速力そくりょく30.5せつ 備砲びほう13.8せんちめーとるほう10もん 10せんちめーとる高角こうかくほう6もん じゅんよう戰艦せんかんより改造かいぞうせるもの 搭載とうさいすう36 起工きこう1915ねん5がつ 竣工しゅんこう1917ねん1がつ 建造けんぞうしょアームストロング會社かいしゃ} なお英國えいこくには以上いじょうそとに“アルガス Argus”14,450とん、20.2せつおよび“グロリアス Glorious”22,500とん、30.5せつの2せき航空こうくう母艦ぼかんがありこのかんしゅおいては列強れっきょうちゅうとく整備せいび充實じゅうじつされてゐる。
  12. ^ a b c 大正たいしょうきゅうねんじゅうがつはちにち 英國えいこく駐在ちゅうざい海軍かいぐん造船ぞうせん少佐しょうさ藤本ふじもと喜久雄きくお 仝海軍かいぐん造船ぞうせん大尉たいい福田ふくだ啓二けいじ 英國えいこく飛行機ひこうき母艦ぼかんハルメス ハーミーズ」ニ就テ[50] ほんかん大正たいしょうななねん正月しょうがつ「ニューカッスル」「アームストロング」会社かいしゃニ於テ起工きこうサレ大正たいしょうはちねんきゅうがつじゅういちにち進水しんすい艤装ぎそうちゅうしょ かく海軍かいぐん工廠こうしょうニ於ケル職工しょっこう解雇かいこノ如クナラズとめムヲとく民間みんかん造船ぞうせんしょニテ工事こうじちゅう艦艇かんてい出来できげん工廠こうしょううつりごとトナリ大正たいしょうきゅうねん春本しゅんぽんかんハ「デボンポート」工廠こうしょう曳船えいせんサレどう工廠こうしょうニテ工事こうじ引キツギ艤装ぎそうシツヽアリ。/ 本年ほんねんきゅうがつ下旬げじゅんニ於ケル工事こうじ現状げんじょうせんから工事こうじ飛行ひこう甲板かんぱん殆ンド完成かんせい汽関ハ搭載とうさいズミナレド内部ないぶ上部じょうぶ艤装ぎそう完成かんせいニシテ竣工しゅんこうまでニハしょうナクトモなおいちヶ年かねんようスベシト見受みうけケラル。/ほんかん大体だいたい「イーグル」ト同型どうけいニシテ(噸数とんすうしょうナリシモ)「アルガス」「アーガス」トナリ煙突えんとつ艦橋かんきょうとう固定こていトシテ右舷うげんがわ片寄かたよせ中央ちゅうおう及左ふなばたニワタリこう飛行ひこう甲板かんぱん形成けいせいセルモノナリ。しょう官等かんとう今夏こんかどう海軍かいぐん工廠こうしょうニテ實習じっしゅうちゅう其ノ艤装ぎそうヲルヲとくタレバ其ノ大体だいたい報告ほうこくス。
  13. ^ ハーミーズは、1918ねん大正たいしょう7ねん)1がつ15にち起工きこう、1919ねん大正たいしょう8ねん)9がつ11にち進水しんすい、1924ねん大正たいしょう13ねん)2がつ18にち竣工しゅんこうおおとりしょうは1919ねん大正たいしょう8ねん)12月16にち起工きこう、1921ねん大正たいしょう10ねん)11月13にち進水しんすい、1922ねん大正たいしょう11ねん)12月27にち就役しゅうえき[53]はつちゃくかんは1923ねん大正たいしょう12ねん)2がつ22にちであった[54][55]
  14. ^ ハ、うみ突撃とつげき兵團へいだん航空こうくう母艦ぼかん[58](中略ちゅうりゃく)かくしてだいいちおうしゅう大戰たいせん以後いご航空こうくう母艦ぼかん研究けんきゅうされしたわけであるが、世界せかい最初さいしょにこの母艦ぼかん設計せっけいしたのは、イギリスでも、アメリカでも、ドイツでもなく、じつにわが日本にっぽんであつた。大正たいしょうじゅういちねん竣工しゅんこうした『おおとりしょう』がそれである。おおとりしょう竣工しゅんこうする一寸いっすんまえに、イギリスでは巡洋艦じゅんようかん商船しょうせん改造かいぞうして『フューリアス』と『アーガス』せき航空こうくう母艦ぼかんみやつこつたが、航空こうくう母艦ぼかんとしてはじめから設計せっけいされ、建造けんぞうされたものは世界中せかいじゅうで『おおとりしょう』が嚆矢こうしである。
  15. ^ 英國えいこく航空こうくう母艦ぼかんハーミス[60] 英國えいこく航空こうくう母艦ぼかんハーミスはその前代ぜんだい航空こうくう母艦ぼかんアーガスにおいこころみたるよこ煙突えんとつ失敗しっぱいかんがみ ― そのゆえ煙突えんとつよこきにして煤煙ばいえん後方こうほう噴出ふんしゅつせしむるときは、高速こうそくりょくもっこうはしするとき發煙はつえんおびただしく、ため氣流きりゅうがいすることがはなはだしくて、飛行機ひこうきいたる困難こんなんなるうえに、煙突えんとつよこにしたため豫定よてい速力そくりょくすことができなかつたからである ― 、その煙突えんとつこれ直立ちょくりつとしたが、而かもこれいちふなばたへんせしめて、艦橋かんきょう直後ちょくごいたのである。此のかんまえにもじゅつぶるごととく航空こうくう母艦ぼかんとして建造けんぞうされたものゝ嚆矢こうしで、その外觀がいかん附図ふずしめすがごとくであるが、昨年さくねん竣工しゅんこううえプリマス港外こうがいおい諸種しょしゅおおやけためしくだりひ、すべこれ完了かんりょうしたといふことである。いまその要目ようもくげると、 全長ぜんちょう きゅうよんろくいんち/最大さいだいはば なな〇呎〇いんち/吃水きっすい いちはち呎九いんち/排水はいすいりょういち〇,きゅうとん/軸馬力じくばりきよん〇,〇〇〇/速力そくりょくせつ/へいそう じゅうせんちめーとるほうななもん じゅうせんちめーとる高角こうかくほうよんもん/進水しんすい 大正たいしょうきゅうねん 
  16. ^ 航空こうくう母艦ぼかんおおとりしょう ほうしやう”[66] ぜん要目ようもく{排水はいすいりょう7,470とん 速力そくりょく25.0せつ 備砲びほう14せんちめーとるほう4もん 8せんちめーとる高角こうかくほう2もん 起工きこう大正たいしょう8ねん12月 竣工しゅんこう大正たいしょう11ねん12月 建造けんぞうしょ淺野あさの造船ぞうせんしょ} おおとりしょう大正たいしょう11ねん12月に竣工しゅんこうしたわが海軍かいぐん最初さいしょ航空こうくう母艦ぼかんであり而も最初さいしょよりこうははとして計畫けいかくされたものである。航空こうくう母艦ぼかん由來ゆらいその型式けいしきおいしゅわかつことが出來できる。すなわ海軍かいぐん赤城あかぎ加賀かがおおとりしょうりゅうごと飛行ひこう甲板かんぱんじょう何一なにひと邪魔じゃまぶつのないフラッシュデッキがたと、米國べいこくの“サラトガ”“レキシントン英國えいこくの“ハームス”とうごとくマストや大砲たいほう煙突えんとつとういずれかいち舷側げんそくあつめたアイランドがたである。各々おのおの長短ちょうたんがあるのであるが飛行機ひこうき發着はっちゃくにはフラッシデッキがたほう便利べんりとされてゐる。さらにこれを海軍かいぐんの4せきいてると赤城あかぎ加賀かがの2かんさん段式だんしきりゅう驤は段式だんしきになつてゐるのにひとおおとりしょう前後ぜんこういちまい飛行ひこう甲板かんぱんを以つてくつがえはれてゐるが、かん操縦そうじゅうの3せきほう便利べんりであるとうんはれてゐる。
  17. ^ どう世代せだいけい空母くうぼおおとりしょう建造けんぞう当初とうしょしまがた艦橋かんきょうそなえていたが[57]改装かいそう撤去てっきょしてフラッシュデッキがたになった[66]
  18. ^ だいさんせつ 航空こうくう母艦ぼかん/(いち)總説そうせつ[72] 航空こうくう母艦ぼかん主力しゅりょくかんとも海軍かいぐん條約じょうやくにより制限せいげんもうけられたものゝいちぞくする。すなわえいべいかく總計そうけい制限せいげん噸數とんすういちさん,〇〇〇とん日本にっぽん八一やいち,〇〇〇とんふつかくろく〇,〇〇〇とんで、かくかんなな,〇〇〇とん超過ちょうかするをず、ただせきかぎさんさん,〇〇〇とんかん建造けんぞうするをまたじゅうせんちめーとるほう以上いじょう装備そうびするをず、ほうすうじゅうせんちめーとるほう以下いかなればじゅうもんじゅうせんちめーとる以下いかじゅうせんちめーとるよりだいなるほうろくもんもっ最大さいだい限度げんどとする。
    各國かっこくみぎ總計そうけい制限せいげん噸數とんすうない適宜てきぎその航空こうくう母艦ぼかん建造けんぞうするのであるが、元來がんらい航空こうくう母艦ぼかんとははたして如何いかなるものかといふに、條約じょうやく規定きてい定義ていぎには とくもっぱ航空機こうくうき搭載とうさいするの目的もくてきもっ設計せっけいしたもので、基準きじゅん排水はいすいりょういちまんとんえ、艦上かんじょうおい航空機こうくうきはつばしべき構造こうぞうゆうするもの とあつて、飛行機ひこうきでも航空こうくうせんでも、とくにその甲板かんぱんより自由じゆう發着はっちゃく構造こうぞうゆうするものをしてうんふのである されどこれにはひだり除外じょがいれいがある。(1)假令たといそのせんもん構造こうぞうゆうするも、いちまんとん以内いないかん制限せいげん範囲はんいない隻數せきすうはいらざること。(2)大正たいしょうじゅうねんじゅういちがつじゅうにちおい現存げんそんまた建造けんぞうちゅうなる各國かっこく航空こうくう母艦ぼかんは、假令たといいちまんとん以上いじょうにしてせんもん構造こうぞうゆうするものも、一時いちじ試験しけんてきのものと看做みなし、制限せいげん噸數とんすう範圍はんいないおいて、かんよわいかかわらずだいかん建造けんぞうゆるすこと。英國えいこく既成きせいかんフユーリヤス(いちきゅう,いち〇〇とん)、アーガス(いちよん,よんとん)、イーグル(,ななきゅうとん)と新成しんせいかんハーミス(いち〇,きゅうとん)のよんせき全部ぜんぶまた試驗しけんてきのものとしてだいかん建造けんぞうゆるすから、これの儘としてくもなおろくなな,なないちとん餘裕よゆうがある。ふつこく建造けんぞう中止ちゅうしちゅう弩級艦どきゅうかんベァルンを改造かいぞうして、差當さしあた航空こうくう母艦ぼかんつることにしてゐる。こくに就ては不明ふめいである。
  19. ^ 同様どうようたいせん哨戒しょうかい任務にんむについていた空母くうぼアーク・ロイヤル (HMS Ark Royal, 91) は9月14にちU-39英語えいごばんドイツばん襲撃しゅうげきされ、てきUボートかえちにしたものの、あやうく魚雷ぎょらい命中めいちゅうするところだった[74]
  20. ^ 同様どうようたいせん哨戒しょうかい任務にんむいていた空母くうぼカレイジャス (HMS Courageous, 50) は、9月17にちドイツ海軍かいぐん潜水せんすいかんU-29英語えいごばんドイツばん魚雷ぎょらい攻撃こうげき沈没ちんぼつした[75]
  21. ^ 東洋とうよう艦隊かんたい司令しれい長官ちょうかんトーマス・フィリップス提督ていとく戦死せんしした[97]
  22. ^ フィリップス提督ていとく戦死せんししたので、前任ぜんにんジェフリー・レイトン英語えいごばん大将たいしょう司令しれい長官ちょうかんかえいた[98]
  23. ^ サマヴィル提督ていとくは3がつ27にちにセイロンとうトリンコマリーこうでウォースパイトにはたはたかかげた[112]
  24. ^ だいいち航空こうくう戦隊せんたい空母くうぼ加賀かがは2がつパラオコロールとう座礁ざしょうして損傷そんしょうしており[115]修理しゅうりのため内地ないち帰投きとう、インド作戦さくせん不参加ふさんか[116]
  25. ^ じゅうじゅん鳥海とりうみ小沢おざわ中将ちゅうじょう旗艦きかん)、けい空母くうぼりゅうけいじゅん由良ゆらだいなな戦隊せんたい最上さいじょうがたじゅう巡洋艦じゅんようかん4せきだいさん水雷すいらい戦隊せんたい[120]
  26. ^ 南雲なぐも機動きどう部隊ぶたいは3がつ26にちスラウェシとうスターリングわん出撃しゅつげきし、インド洋いんどようにむかっていた[124][125]
  27. ^ バーチャル機長きちょうなど生存せいぞんしゃ6めいが、駆逐くちくかんいそふう救助きゅうじょされた[130]
  28. ^ いちななインド洋いんどよう戰果せんか よんがつにちよりきゅうにちにわたりインド洋いんどようコロンボでえいかぶとじゅん撃沈げきちん、ツリンコマリおきえい空母くうぼハーミス、おつじゅん駆逐くちくかんいち哨戒しょうかいていいち撃沈げきちんおつじゅんいち大破たいは[135]
  29. ^ (榛名はるな索敵さくてき報告ほうこく)〔 てき空母くうぼ「ハーメス」 駆逐くちくかんさんせきわが出発しゅっぱつてんヨリノ方位ほういいちかいり いち 〕〔 てき巡洋艦じゅんようかんいち駆逐くちくかん出発しゅっぱつてんヨリノ方位ほういなないちかいり 針路しんろいちはち速力そくりょくいちせつ[140][141]
  30. ^ 日本にっぽんがわ記録きろくではスピットファイア9交戦こうせんして7撃墜げきつい(2確実かくじつ)、空戦くうせんれいせん1とあおいりゅうたいきゅうきゅうかんばく4をうしなった[145]
  31. ^ えい空母くうぼハーミス撃沈げきちん瞬間しゅんかん[150] よんがつにちから雄渾ゆうこん作戰さくせん印度いんどようにひろげた海軍かいぐん機動きどう部隊ぶたいは、九日ここのかあさあさにたたかえばく鵬翼ほうよくをつらねてイギリスが印度いんど防衛ぼうえい最大さいだい據点きょてんと恃むセイロンとうツリンコマリ軍港ぐんこう急襲きゅうしゅうした。(中略ちゅうりゃく)つゞいて午後ごごさんすぎ、わが偵察ていさつは、おりがらのスコールにまぎれてさまよひえい空母くうぼハーミス(いち〇,はち〇トン)が驅逐くちくかんいちせき随伴ずいはんしてゆくのを沖合おきあいじゅうマイルに發見はっけんした。わがだいいちかいばくげきで『もうおしまい』とかんたがえひしたのであらう。みずからの墓穴ぼけつりにげんはれてたのである。/うみわしうつさずさきまわり、ひくれこめた雨雲あまぐもいて、かみわざごと早業はやわざでハーミスすれ〱にくえひかゝれば、てき自慢じまんポムポムほう彈幕だんまくるいとまもない。いちだんだん必中ひっちゅうきょだんはハーミスの飛行ひこう甲板かんぱんをぶちき、艦内かんないだい爆發ばくはつをおこしてかんくびからしずみはじめた。猛攻もうこうじゅうふん、やがて巨體きょたい左舷さげん轉覆てんぷく最後さいごだい爆發ばくはつとともに印度いんど洋上ようじょうえた。いつもながらにあざやかすぎるうみわしかみわざであつた。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 本邦ほんぽう駐箚ちゅうさつだい公使館こうしかん武官ぶかん英国えいこく往復おうふく文書ぶんしょ 昭和しょうわ4ねん(防衛ぼうえいしょう防衛ぼうえい研究所けんきゅうじょ)昭和しょうわ4ねん10がつ8にち「ハーミス」見学けんがくけん」 アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.C11080481800 
  2. ^ #写真しゃしん週報しゅうほう219ごう p.4(沈没ちんぼつしつつあるハーミス写真しゃしん)〔 えい航空こうくう母艦ぼかんハーミスはわがうみわし命中めいちゅうだんけてだい火災かさいおこしベンガルわんふかまさに、沈没ちんぼつせんとしてゐる 〕
  3. ^ 中島なかじま航空こうくう母艦ぼかん 1930, pp. 27–28原本げんぽん44-46ぺーじ(にちべいえいふつ空母くうぼ要目ようもくひょう)
  4. ^ 福井ふくい世界せかい空母くうぼ物語ものがたり 2008, p. 65a◇ハーミーズ(Hermes)
  5. ^ 海軍かいぐん参考さんこう年鑑ねんかん大正たいしょう13年版ねんばん 1924, pp. 30–31原本げんぽん26-27ぺーじ(列國れっこく代表だいひょうてき航空こうくう母艦ぼかん)
  6. ^ 福井ふくい世界せかい空母くうぼ物語ものがたり 2008, p. 4(ハーミーズ写真しゃしんおよび解説かいせつ)
  7. ^ 勇躍ゆうやくインド洋いんどよう作戦さくせん 1994, pp. 112a-113精密せいみつカラー・メカニック 艦艇かんてい航空機こうくうきだい図鑑ずかん(ぶん長谷川はせがわひとし/イラスト・大沢おおさわいくはじめ/作図さくず石橋いしばし孝夫たかお)〔 えい空母くうぼ「ハーミズ」〕
  8. ^ a b ポケット海軍かいぐん年鑑ねんかん 1937, p. 79原本げんぽん140-141ぺーじ(航空こうくう母艦ぼかん ハーミーズ)
  9. ^ 中島なかじま航空こうくう母艦ぼかん 1930, pp. 7–8原本げんぽん5ぺーじ(だい 英國えいこく航空こうくう母艦ぼかんイーグル)、原本げんぽん6ぺーじ(だいさん 英國えいこく航空こうくう母艦ぼかんハーミス)
  10. ^ a b #写真しゃしん週報しゅうほう219ごう p.5(ハーミスへの攻撃こうげき沈没ちんぼつ連続れんぞく写真しゃしん)
  11. ^ 軍艦ぐんかん写真しゃしん海軍かいぐん協会きょうかい 1927, pp. 69–70〔英國えいこく航空こうくう母艦ぼかんハームス
  12. ^ a b だい東亜とうあ戦争せんそう録画ろくがほう(まえ) 1943, p. 80原本げんぽん152-153ぺーじ(ハームス沈没ちんぼつ写真しゃしん)
  13. ^ a b 勇躍ゆうやくインド洋いんどよう作戦さくせん 1994, pp. 10–11(昭和しょうわ17ねん4がつ9にち)えい空母くうぼハーミズの最期さいご
  14. ^ a b c グレンフェル 2008, p. 81.
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  33. ^ 福井ふくい世界せかい空母くうぼ物語ものがたり 2008, p. 60a◇ヴィンディクティヴ(Vindictive)
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参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

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関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]