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バガボンド

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
バガボンド
ジャンル 青年せいねん漫画まんが歴史れきし剣劇けんげき時代じだいげき
漫画まんが
原作げんさく原案げんあんなど 吉川よしかわ英治えいじ原作げんさく
作画さくが 井上いのうえ雄彦たけひこ
出版しゅっぱんしゃ 講談社こうだんしゃ
その出版しゅっぱんしゃ
中華民国の旗 尖端せんたん出版しゅっぱん
香港の旗 天下てんか出版しゅっぱん
掲載けいさい 週刊しゅうかんモーニング
レーベル モーニングKC
発表はっぴょう期間きかん 1998ねん - 2015ねん以後いご休載きゅうさい
巻数かんすう 既刊きかん37かん(2014ねん7がつ現在げんざい
テンプレート - ノート
プロジェクト 漫画まんが
ポータル 漫画まんが

バガボンド』は、井上いのうえ雄彦たけひこによる日本にっぽん漫画まんが作品さくひん原作げんさく吉川よしかわ英治えいじ小説しょうせつ宮本みやもと武蔵むさし』。

モーニング』(講談社こうだんしゃ)にて1998ねんから連載れんさいされているが、2015ねん2がつ掲載けいさい最後さいご休載きゅうさいつづいている。2000ねんだい4かい文化庁ぶんかちょうメディア芸術げいじゅつさいマンガ部門ぶもん大賞たいしょうだい24かい講談社こうだんしゃ漫画まんがしょう一般いっぱん部門ぶもん受賞じゅしょう2002ねんにはだい6かい手塚てづか治虫おさむ文化ぶんかしょうマンガ大賞たいしょう受賞じゅしょう2020ねん12月時点じてん単行たんこうほん累計るいけい発行はっこう部数ぶすう8200まん記録きろくしている[1]

剣豪けんごう宮本みやもと武蔵むさし主人公しゅじんこうとし、戦国せんごく末期まっきから江戸えど時代じだい転換期てんかんきけん時代じだいわりがけを舞台ぶたいにその青春せいしゅんえがく。巨大きょだい歴史れきし転換てんかんてん出世しゅっせゆめやぶれた武蔵むさし剣士けんしとして自己じこ確立かくりつしようともがくよう、また巌流島がんりゅうじま武蔵むさし決闘けっとうしたことで有名ゆうめい佐々木ささき小次郎こじろう筆頭ひっとうとする武蔵むさしかかわる複数ふくすう武芸者ぶげいしゃえがかれている。

吉川よしかわ小説しょうせつ原作げんさくだが、武蔵むさし実姉じっしえがかれていなかったり、佐々木ささき小次郎こじろうろうしゃであったりと、キャラクターや物語ものがたりには井上いのうえ独自どくじのアレンジがおおきくくわえられている。題名だいめいの「バガボンド(vagabond)」とは、英語えいごフランス語ふらんすご放浪ほうろうしゃ”、漂泊ひょうはくしゃ”という意味いみである。

あらすじ

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だいいちしょう 宮本みやもと武蔵むさしへん

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1600ねん新免しんめん武蔵むさし(しんめんたけぞう)はおさななじみ本位田ほんいでん又八またはちさそわれ、立身出世りっしんしゅっせのぞんで故郷こきょうむらさくしゅう吉野よしのきょう宮本みやもとむら)をたが関ヶ原せきがはらせんやぶれた。おさないころよりはは愛情あいじょうらずちちにはいのちねらわれ、村人むらびとにはおにとしてきらわれてきる意味いみ見出みだせずにいた。しかし沢庵たくあん自分じぶん存在そんざいみとめてもらい、ふたたけんみちきるこころざしてて名乗なのりを「宮本みやもと武蔵むさし」にあらた天下でんか無双むそう目指めざ流浪るろうたびる。

4ねんの21さいはる天下てんか無双むそう目指めざうえけてはとおれぬみちさだめ、けん達人たつじん吉岡よしおかきよし十郎じゅうろう挑戦ちょうせんするためにきょう吉岡よしおか道場どうじょう木剣ぼっけん一本いっぽん単身たんしんむ。 道場どうじょう門弟もんていたちあつだおつか慢心まんしんするものちあらわれたせい十郎じゅうろうまどかそくけんまえいちうごけずがくられ、つづ吉岡よしおか伝七でんしちろうとの試合しあいで終始しゅうし互角ごかくたたかうも最終さいしゅうてきには致命傷ちめいしょうう。背水はいすいじんき、最後さいごいち太刀たちねらうがでん七郎しちろうに「もっとつよくなった貴様きさまたい」とろんされていちきょうはなふたた武者むしゃ修行しゅぎょうたびることになる。

きょうたのち沢庵たくあん再会さいかいし、ともにおつうのいる柳生やぎゅうくようさそわれるがこれをことわり、武蔵むさし奈良ならにあるやり聖地せいち宝蔵ほうぞういんかう。しかしそこで出会であった宝蔵ほうぞういん代目だいめたねしゅん圧倒的あっとうてき槍術そうじゅつまえにかつて恐怖きょうふあじわい、敵前てきぜん逃亡とうぼう苦悩くのうし、おのれのちっぽけさを痛感つうかんすることとなる。武蔵むさしにとっては標的ひょうてき一人ひとりでもあった宝蔵ほうぞういん先代せんだいである宝蔵ほうぞういんたねさかえ介抱かいほうされ一時いちじてき師事しじし、ふたたたねしゅん対峙たいじする。自身じしん殺気さっき恐怖きょうふうちめ、あらたな境地きょうちいた武蔵むさしは、紙一重かみひとえたねしゅん勝利しょうりきずえたたねしゅんと「つぎいのちうばうことなく」再会さいかい約束やくそくし、武蔵むさし宝蔵ほうぞういんる。

つぎ武蔵むさし柳生やぎゅうへとかう。そこでの柳生やぎゅうよん高弟こうていとの対決たいけつや、領主りょうしゅ柳生やぎゅう石舟いしふねときとの対峙たいじにより、武蔵むさし柳生やぎゅうふところふかさをる。柳生やぎゅうった武蔵むさしは、雲林院うじいむら宍戸ししど梅軒ばいけんいどむ。武蔵むさし梅軒ばいけんは、武蔵むさしを「たけぞう」とぶ。なん梅軒ばいけんは、つじふうたいらのち姿すがただったのだ。武蔵むさし激闘げきとうすえ梅軒ばいけん勝利しょうりする。

単行本たんこうぼん1 - 13かん

だいしょう 佐々木ささき小次郎こじろうへん

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とき関ヶ原せきがはらたたかいから17ねんまえへとさかのぼる。

越前えちぜん片隅かたすみきる気力きりょくくしらすかつての剣豪けんごう鐘巻かねまきとき長刀ちょうとうともひろわれたあかぼう佐々木ささき小次郎こじろうみみこえず言葉ことばたない小次郎こじろうは、けんによってのみじんとのきずなをつくり、最強さいきょうへのみちがっていく。だいいちしょう開始かいし以前いぜん武蔵むさしでん七郎しちろうらも登場とうじょう

単行本たんこうぼん14 - 20かん

だいさんしょう 地上ちじょう最強さいきょうへん

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武蔵むさし又八またはち小次郎こじろうともに22さいとなる1604ねんれから1605ねん正月しょうがつきょう舞台ぶたいうつる。さんにんはそれぞれに接触せっしょく物語ものがたりうごいていく。

武蔵むさしはかつていどんだせい十郎じゅうろうでん七郎しちろう兄弟きょうだいふたたいどみ、死闘しとうすえそれぞれをやぶる。その結果けっか吉岡よしおか一門いちもんてきまわすこととなり、敵討かたきうちにきた吉岡よしおか一門いちもん70めいった。たたかいで右足みぎあしひど負傷ふしょうした武蔵むさしは、葛藤かっとうすえころいの螺旋らせんからりることを決断けつだんし、小川おがわからの師範しはんにならないかというさそいをことわ流浪るろうじんもどることとなった。

たびなかいたむらで、武蔵むさしおやくした伊織いおりという少年しょうねん出会であい、らしていくこととなる。あらしやイナゴなどの天災てんさいにより不作ふさくとなったむらでは、武蔵むさしたがやした使つかものにならず、食料しょくりょうそこをつき、死人しにんえていった。かねた武蔵むさし食糧しょくりょう調達ちょうたつえに小川おがわさそいをけることにし、収穫しゅうかく時期じきまでいつなげたのであった。

農業のうぎょうとおして精神せいしんてき成長せいちょうげた武蔵むさしは、伊織いおりれて小倉おぐらへとかうこととなった。

単行本たんこうぼん21かん -

登場とうじょう人物じんぶつ

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主要しゅよう人物じんぶつ

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宮本みやもと武蔵むさし(みやもと むさし)
新免しんめんとき息子むすこであるさくしゅう宮本みやもとむら浪人ろうにんだいいちしょうさんしょうにおける主人公しゅじんこう
はつ新免しんめん 武蔵むさし(しんめん たけぞう)。
ちちした武芸者ぶげいしゃとしてひとぬくもりをらずにそだつ。大柄おおがら体躯たいく人並ひとなはずれた腕力わんりょく殺気さっきぬしで、破天荒はてんこう行動こうどうから周囲しゅういとの齟齬そごえず、孤独こどくになりがちだった。しかし、おつうやまたはちなどの気心きごころれるものたちには幼少ようしょうからしんひらいている。「さんである」とうほどやまはぐくまれてきた。手先てさき器用きようで、山篭やまごもりのさい自分じぶん木刀ぼくとう木彫きぼりの仏像ぶつぞうつくったり、沢庵たくあんあたま悪戯いたずらをしたりする。
関ヶ原せきがはらから宝蔵ほうぞういんまでは粗末そまつ着物きもの木刀ぼくとうにつけていたが、宝蔵ほうぞういんたねさかえからふくかたな脇差わきざしった。
13さいときむらしん当流とうりゅう有馬ありま喜兵衛きへえ挑戦ちょうせんしゃつのってあらわれたさいに、不意打ふいうちでころし“悪鬼あっき”と周囲しゅういからきらわれ一層いっそう孤独こどくふかめた。17さいとき関ヶ原せきがはら合戦かっせん西にしぐんかたとして出陣しゅつじんするも敗戦はいせん合戦かっせんじょうから宮本みやもとむらもどさい関所せきしょやぶへい村人むらびと多数たすうしゅにかけた。その沢庵たくあん捕縛ほばくされるもいのちすくわれ、ここから宮本みやもと武蔵むさしあらため、けんみちにおいて天下てんか無双むそう目指めざはじめる。一流いちりゅう人物じんぶつたちとの出会であい、数多すうたたたかいをつうじ、成長せいちょうしてく。
佐々木ささき小次郎こじろう(ささき こじろう)
鐘巻かねまきとき弟子でしにして木佐きさやすし息子むすこである巌流がんりゅう開祖かいそだいしょうにおける主人公しゅじんこう
あかぼうのころ、やすし手紙てがみたずさえたすうにん従者じゅうしゃとともに落城らくじょうしたしろから小舟こぶねび、漂着ひょうちゃくして鐘巻かねまきときそだてられる。生来せいらいろうしゃで、大柄おおがらでん七郎しちろうなみ長身ちょうしん)かつ童顔どうがんながつ。女好おんなずきでもある。やまそだった武蔵むさしとは対照たいしょうてきうみまれそだち、およぎも得意とくい相手あいて所作しょさ太刀たち見極みきわめ、地面じめん些細ささい振動しんどうからも位置いち正確せいかく探知たんちするなど視覚しかく触覚しょっかく非常ひじょう発達はったつしている。
幼少ようしょう時代じだいには一緒いっしょふねまれていた形見かたみ長剣ちょうけん肌身はだみはなさずっていた。ときおよび伊藤いとう一刀斎いっとうさい師事しじときは「けんおしえぬ」といつつ実質じっしつてき一流いちりゅう剣士けんしとしてそだてた)。強者きょうしゃせ、実践じっせんとおして小次郎こじろうきたえるため、“きょうそうにえる”との理由りゆう一刀斎いっとうさいによって巌流がんりゅうかかげることになった。そして夢想むそうけんすけ関ヶ原せきがはら武蔵むさし出会であい、また挑戦ちょうせんしゃ東方とうほうぐんとのたたかいをつうじて成長せいちょうしていく。その一刀斎いっとうさいは「ワシになれ」との理由りゆう小次郎こじろう一人ひとり武者むしゃ横行おうこうしている関ヶ原せきがはら周辺しゅうへんほうす。不眠ふみん不休ふきゅう復讐ふくしゅうえる農民のうみんたち西方せいほう手練しゅれんたち何人なんにん相手あいてにした小次郎こじろうは、けていた「臆病おくびょうさ」をやまけ、いちばん一刀斎いっとうさいが「特大とくだいひととら」とうほどの成長せいちょうげる。けんうでこそおにのようにつよかったが、天衣無縫てんいむほう性格せいかく出世しゅっせには興味きょうみえんかった小次郎こじろうほん阿弥あみてい世話せわになっていたが、かたなぎに岩間いわますみ兵衛ひょうえのおとも小倉おぐら細川ほそかわ剣術けんじゅつ指南しなんやく小川おがわひたとふとした理由りゆうたたかいこれに圧勝あっしょうする。このことで小川おがわじか小倉おぐら細川ほそかわ剣術けんじゅつ指南しなんやくとして推挙すいきょされた小次郎こじろうはこれを了承りょうしょうし、きょうから豊前ぶぜんわたる。
本位田ほんいでん又八またはち(ほんいでん またはち)
武蔵むさし幼馴染おさななじみで、さくしゅう宮本みやもとむら浪人ろうにん武蔵むさし小次郎こじろうかげとなり、物語ものがたりおおきくかかわってくるほんさくだいさん主人公しゅじんこう
すぎ実子じっしではなくわらわ宮本みやもとむら時代じだいには武蔵むさしこのんでつるんでいた。せんげようと武蔵むさしさそい、むらけをつくったのもまたはちである。
初期しょき合戦かっせんでは、いち戦闘せんとうすうにんほどいち太刀たちけずにころしていたが、よんねんあいだかぶと情夫じょうふつづけ、そのかたなるうことが次第しだいよわくなってきている。結果けっか急速きゅうそく頭角とうかくあらわしていく武蔵むさしみずをあけられるかたちになっており、ときおり嫉妬しっとしんをあらわにする。
偶然ぐうぜん本来ほんらい小次郎こじろう手渡てわたされるはずだった印可いんか目録もくろくれ、それを悪用あくようして佐々木ささき小次郎こじろうかたるようになった。口八丁くちはっちょう要領ようりょう部分ぶぶんもあるが、おおむね場当ばあたりなため定着ていちゃくせいがない。狡猾こうかつめんがありみずからをつよく、おおきくせようとすると同時どうじに、英雄えいゆう豪傑ごうけつへのあこがれもつよい。おかぶとまじわってからそのあじめたのか、女好おんなずきであり、小次郎こじろう利用りようしてもらったかねでしばしばおんなっている。当初とうしょ貧乏びんぼう浪人ろうにんらしいきたななりだったが、てんおにきんれてからは前髪まえがみらした髪型かみがたえ、はなやかな当世風とうせいふう着物きものるようになった。
吉岡よしおか伝七でんしちろうとのたたかいののち瀕死ひんし武蔵むさし茶屋ちゃやはこんでたすけたり、武蔵むさし宍戸ししど梅軒ばいけんたたかいに乱入らんにゅうしたり、吉岡よしおか一門いちもんとのたたかいでたおれた武蔵むさしてらはこんだりと、武蔵むさしとしばしばかかわっているが、武蔵むさしまたはちであるとづいていないことがおおい。
さけおんなおぼえ、詐欺さぎはたらいてきた日々ひびかえなかで、自身じしん欺瞞ぎまん虚栄きょえいがためられた人間にんげんであるとつよじており、だれよりも自分じぶんよわさを自覚じかくしている。武芸者ぶげいしゃらとくらべ、臆病おくびょうでより人間にんげんらしい性格せいかくだが、むらにいたころには武蔵むさしただいち相手あいて出来できほどけんうでっていた。
吉岡よしおか一門いちもんとのたたかいをえた武蔵むさし再会さいかいしたのち改心かいしんし、おすぎ小次郎こじろうくすようになる。
すぎ看取みとったのちすうじゅうねん初老しょろう又八またはち路傍ろぼう武蔵むさし小次郎こじろうはなし講談こうだんのようなかたちかたものになっている。
おつう
武蔵むさし又八またはち幼馴染おさななじみで、かれらのおもじんである美女びじょだったのをてらそだてられ、またはち許婚きょこんとしておすぎおばばにをかけてもらっていた。
天真爛漫てんしんらんまんえがいたような性格せいかく無邪気むじゃき。みなしゆえしつけけるものがおらず、礼法れいほうわかっていない。その屈託くったくさゆえに、だれからもきらわれていた武蔵むさし孤独こどく理解りかいし、本人ほんにんづかないままおもいをせるようになった。美貌びぼう快活かいかつ性格せいかくからだれからもかれるが、またはち破談はだんになったことでおすぎからはつよ逆恨さかうらみされている。
武蔵むさし天下てんか無双むそうこころざしてふたた宮本みやもとむら決意けついをしたさいには同行どうこうしようとしたが、修行しゅぎょう邪魔じゃまになると拒否きょひされた。しかしまたはちとの許婚きょこん関係かんけい解消かいしょうしたきがかりからおすぎおばばにうらまれむらまることもできず、沢庵たくあんすすめで柳生やぎゅう世話せわになる。石舟いしふねとき世話せわがかりとして、かれしんささえとなり、柳生やぎゅう人々ひとびとからもしたわれるようになる。その柳生やぎゅう武蔵むさし再会さいかいをしたことで、柳生やぎゅうもとはなれ、じょう太郎たろうともふたた武蔵むさしうようになった。柳生やぎゅうのもとで石舟いしふねとき直々じきじき護身ごしんのための武術ぶじゅつおそわり、柳生やぎゅうかさもんはいった短刀たんとうさずかっている。現在げんざいでは武蔵むさしつけてもこえすらかけず、武蔵むさし見守みまもっている。沢庵たくあんは「武蔵むさし将来しょうらいよめ」とべている。
沢庵たくあん宗彭そうほう(たくあん そうほう)
姫路城ひめじじょう城主じょうしゅ池田いけだ輝政てるまさ柳生やぎゅう石舟いしふねときなど様々さまざま有力ゆうりょく人物じんぶつ人脈じんみゃくそう
くにからくにへとを放浪ほうろうしている。僧籍そうせきいているのでみずか武器ぶきつことはないが兵法ひょうほうにもけており、胆力たんりょくつじふうたいら圧倒あっとうするほど。武蔵むさしのことをにかけ、しばしばかれみちいてやる。
石舟いしふねときとはさんげんいん宗矩むねのりをきっかけにった。またわかいころ、幼少ようしょう小次郎こじろうい、けんおそろしさを小次郎こじろううでけん傷付きずつけることでつたえている。
坊主ぼうずながらさけこのみ、くちわるい。本人ほんにんいわ過去かこそうとしてあやまちをおかしてしまった経験けいけんがあるとのこと。
じょう太郎たろう(じょうたろう)
武蔵むさし弟子でし」と名乗なの少年しょうねん奉公ほうこうさき主人しゅじんに「武蔵むさし弟子でしになれ」となかされた。
当初とうしょ武蔵むさしには「弟子でしはとらん」と拒否きょひされたが、身寄みよりがないことをった武蔵むさしともつよくなろうと弟子でしになることをゆるされた。たねしゅんとのたたかいのさなかした武蔵むさし姿すがたをみて、かたおそわりたくはないと一度いちど弟子でしをやめてったが、柳生やぎゅうたびをはじめるさい武蔵むさしほうからこえをかけられふたたたびともにした。しかし柳生やぎゅうではぐれ、おつうととも武蔵むさしたびつづける。
幼少ようしょう時代じだい武蔵むさし言動げんどうている。武蔵むさし手紙てがみ柳生やぎゅうとどけるさいには、「手紙てがみらないならおいらをれ」とうほど、武蔵むさしたいしてのあこがれ、忠誠ちゅうせいつよい。また、それだけの胆力たんりょくぬしでもある。おつうからは「たろちん」とばれている。
風呂ふろにつかるのはきらいでいつもがらす行水ぎょうずいである。
すぎおばば(おすぎおばば)
またはち母親ははおやまたはちたいする愛情あいじょう盲愛もうあいえるほどにふかい。むら名士めいしである本位田ほんいでんへの強烈きょうれつ自負じふしんともあいまって、いちじるしく偏狭へんきょうなものの見方みかたをし、また非常ひじょう図々ずうずうしい。
きたならしかった武蔵むさしのことを元々もともとおもっておらず、武蔵むさし(たけぞう)を「あくぞう(あくぞう)」とぶ。それにくわえ、またはちへの愛情あいじょうから逆恨さかうらみにより、武蔵むさしとおつうは彼女かのじょにとって憎悪ぞうお対象たいしょうとなっている。またはち再会さいかいし、武蔵むさしたちに復讐ふくしゅうするためにけん叔父おじとともにたびる。武蔵むさし話題わだいたび誰彼だれかれかまわず武蔵むさし悪口わるぐちいまわっている。
"またはち"の名付なづおやでもあり、周囲しゅういから鬱陶うっとうしい偏屈へんくつしゃなされることがおおなか女手おんなでひとつでまたはちそだげた気丈きじょう母親ははおやであり、またはち最大さいだい理解りかいしゃでもある。
後半こうはんではせきがひどくなり、たびたびいていた。きょうのあるてらたいどうという和尚おしょうに、またはちとともにかくまわれていた。そうさきながくはないことをさとったまたはちにおぶられながらくなった。

武芸者ぶげいしゃ

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新免しんめんとき(しんめん むにさい)
武蔵むさしちちでありである。御前ごぜん試合しあいにて吉岡よしおか拳法けんぽうくだし、とき将軍しょうぐん足利あしかが義輝よしてるから「日下くさか無双むそうへいじゅつしゃ」の称号しょうごう武芸者ぶげいしゃ。しかし天下てんか無双むそうというにとらわれ、その地位ちいおびやかすもの出現しゅつげんおそれるようになる。そのため「周囲しゅういみなてきである」という疑心暗鬼ぎしんあんきおちいり、息子むすこ武蔵むさしにもそれがけられた。消息しょうそく不明ふめい
攻防こうぼう一体いったいじゅうじゅつ得意とくいとし、それは二刀流にとうりゅうとして息子むすこ武蔵むさしにもがれた。
つじふうひらめ(つじかぜ こうへい)
通称つうしょう死神しにがみ」。おさないころ、ははてられたきへととされたが、自身じしんてられた過去かこあにてんすくわれて一命いちめいめ、あに頭領とうりょうである犯罪はんざい集団しゅうだんつじかぜぐみ」の一員いちいんとなった。けん天分てんぶんもあり、すぐさま悪事あくじめたが、その過去かこからあにであるてんをはじめ、だれにもしんゆるそうとはしなかった。12さいのあるおんな強姦ごうかんしようとしたところを、たいらうつくしさにねてより執着しゅうちゃくしていたてん目撃もくげきされていかりをい、おんなころされたうえひら自身じしん陵辱りょうじょくされた。このとき、12さいながらに“ひといのち価値かち”だとさとり、以来いらいそのうらみからてん殺害さつがいくわだてるようになる。殺害さつがい失敗しっぱいし、幽閉ゆうへいされたのち、関ヶ原せきがはら戦乱せんらんのなか自由じゆうになるも、もとつじふう組員くみいんから「てんはたけぞうにころされた」とげられ、目的もくてきうしなったたいらは、わりに武蔵むさし殺害さつがいしようとはじめた。
たび旅籠はたごったおんな娼が小次郎こじろう仲良なかよくなっていることに嫉妬しっとし、そのおんな娼の右目みぎめり、小次郎こじろうにもりかかるがかえちにい、顔面がんめんふかきずのこす。
みずからの存在そんざい価値かちいだせずに放浪ほうろうしていたが、おや愛情あいじょうらず、おなじくたたかいにまれ、きる意味いみらない宍戸ししど梅軒ばいけん遺児いじ龍胆りんどう」に自分じぶんかさね、ともらしはじめる。すきあらば龍胆りんどう鎖鎌くさりがまいのちねらわれるという生活せいかつつづけるうち、独自どくじ鎖鎌くさりがま修得しゅうとくし、奇妙きみょう友情ゆうじょう芽生めばえる。そのなかで、いつしかいままでとはことなるきる意味いみいだしていく。
4ねん宍戸ししど梅軒ばいけんもとめてたずねてきた武蔵むさし偶然ぐうぜん再会さいかいし、あらたに修得しゅうとくした鎖鎌くさりがま武蔵むさし死闘しとうひろげたもののやぶれ、ゆびとされ武芸者ぶげいしゃとして再起さいき不能ふのうからだとなるが、龍胆りんどうともらしていくために、武蔵むさし命乞いのちごいをし手当てあてをけた。
武蔵むさし回想かいそう想像そうぞうじょうにおいて、武蔵むさしの「我執がしゅう」が実体じったいがあるようになか手当てあふたた宍戸ししど梅軒ばいけんたくもどったかれ死亡しぼうしたたいら目撃もくげきしている。
宍戸ししど梅軒ばいけん(ししど ばいけん)
鎖鎌くさりがまあやつ盗賊とうぞくであったが、つじふうたいらにより殺害さつがいされる。そのたいら宍戸ししど梅軒ばいけん名乗なのるようになった。
不動ふどうかそけがつとき(ふどう ゆうげつさい)
とき小次郎こじろう地域ちいきむら不動明王ふどうみょうおう使つかいを自称じしょうするなぞ剣士けんし
かつて海賊かいぞくから一人ひとりむらまもり、「まもがみ」としてあがおそれられたが、そのむらむすめが14さいになるとさらう、貢物みつぎものうばうなどしたためうとまれるようになった。かたなきずだらけの上半身じょうはんしんはだか格好かっこうをしており、いがんだもくがおち、つねにききとりにくいほどの小声こごえひとごとらしている。ながおも太刀たち片手かたて自在じざいるいときおどろかせ、剣士けんしとしてのうでときみとめられるほどであったが、ときられ絶命ぜつめい小次郎こじろうはじめてった相手あいてでもある。ときはそのけんうでから、「もっとられたちががあったのではないか」と推測すいそくした。

吉岡よしおかりゅう

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ふるくからきょうさかえている、みずからのすべてを「いち(ひとつ)の太刀たち」にめることを極意ごくいとするけん名門めいもん吉岡よしおか拳法けんぽうあといだ吉岡よしおかきよし十郎じゅうろう当主とうしゅ流派りゅうはめいについてはでん七郎しちろう柳生やぎゅうおとずれたさいきょうはちりゅう」を名乗なのった。かさはばかせていることや、当主とうしゅせい十郎じゅうろう放蕩ほうとうにより、住民じゅうみんからは陰口かげぐちたたかれている。 武蔵むさしとこの吉岡よしおかとは、せい十郎じゅうろうへの挑戦ちょうせんでん七郎しちろうとの約束やくそく、そして門弟もんていからの憎悪ぞうおによってなが死闘しとうひろげることとなる。

吉岡よしおか 拳法けんぽう(よしおか けんぼう)
先代せんだい吉岡よしおかりゅう当主とうしゅ
せい十郎じゅうろうでん七郎しちろうちち故人こじん自分じぶん愚直ぐちょくでん七郎しちろうではなくせい十郎じゅうろう後継こうけいしゃえらび、遺言ゆいごんに「じゅうたたかってじゅうてる相手あいてとしかたたかうべからず」とのこして他界たかい。「勝負しょうぶにおいてつぎはない」ことを門弟もんていたたむ。武蔵むさしちちである新免しんめんとき敗北はいぼくきっしたことがある。
吉岡よしおかきよし十郎じゅうろう(よしおか せいじゅうろう)
吉岡よしおか拳法けんぽう長男ちょうなんであり、吉岡よしおか憲法けんぽう道場どうじょう当主とうしゅ
小柄こがら清涼せいりょう顔立かおだちの美男びなん事実じじつじょうきょう最強さいきょう剣士けんしで、けんかんしては幼少ようしょうから天才てんさいばれるほどの天稟てんぴんち、また剣士けんしとしての非情ひじょうさをそなえている。小柄こがら身体しんたいまったよわみにならず、けん常人じょうじんはおろか当初とうしょ武蔵むさしにもうつらなかった。
遺言ゆいごんしたが吉岡よしおか当主とうしゅとなるも、みずからの本能ほんのうにのみしたが奔放ほんぽう性格せいかくぬしさけいろこのあそにんで、吉岡よしおか自身じしんけがすのに一役ひとやくやくい、その武士ぶしらしからぬ風貌ふうぼういから、おとうとでん七郎しちろうほう実力じつりょくうえだと一般いっぱん認識にんしきされていた。しかしかげでは吉岡よしおかでん七郎しちろう危険きけんからまもるために、吉岡よしおかにとってがいとなす人物じんぶつ秘密裏ひみつり暗殺あんさつするなど、当主とうしゅとしていえまもろうとつね奔走ほんそうしていた。
吉岡よしおか一門いちもん命運めいうんけ、でん七郎しちろうとの対決たいけつひかえた武蔵むさし襲撃しゅうげきするが、激戦げきせんすえ一瞬いっしゅん逡巡しゅんじゅんすきとなり、武蔵むさしられて絶命ぜつめいする。
きょうった朱美あけみのことをっており、あししげかよっていた。
吉岡よしおかでん七郎しちろう(よしおか でんしちろう)
吉岡よしおか拳法けんぽう次男じなん
長身ちょうしん無骨ぶこつ外見がいけんであり性格せいかくきわめて厳格げんかく真面目まじめ妻子持さいしもち。武門ぶもんとして愚直ぐちょくなまでにけん情熱じょうねつてきだが、非情ひじょうになりれないやさしいいちめんつ。しかし、その愚直ぐちょくさはせい十郎じゅうろうにはめんで、門弟もんていしたわれる要因よういんとなっている。あそにんあにせい十郎じゅうろう吉岡よしおか当主とうしゅであることを不愉快ふゆかいおもっているが、深層しんそうではあにしたっている。かつては、拳法けんぽう息子むすこであることを唯一ゆいいつりどころとし、相手あいて威嚇いかくすべくみずからの出自しゅつじあきらかにしていたが、青年せいねん佐々木ささき小次郎こじろうとのたたかいをとおし、覚悟かくご相手あいて心構こころがまえをにつけた。
武蔵むさしはじめて吉岡よしおか道場どうじょうんださい武蔵むさし相手あいて互角ごかく以上いじょうたたかったが、火災かさいつつまれそうになり、「もっとつよくなった貴様きさまたい」と再戦さいせん機会きかいあたえて武蔵むさしのがした。
蓮華れんげおういんにて最期さいごまで武蔵むさしるために執念しゅうねんせたが、武蔵むさしとの決闘けっとう完敗かんぱいした。
植田うえだ良平りょうへい(うえだ りょうへい)
吉岡よしおかじゅうけん筆頭ひっとう
もとだが拳法けんぽうひろわれ、門弟もんてい植田うえだ養子ようしとなる。その熱心ねっしんけんみ、吉岡よしおか兄弟きょうだい幼馴染おさななじみとなり、「さん兄弟きょうだい」のような親密しんみつ関係かんけいきずいた。でん七郎しちろう行動こうどうともにすることがおおく、後見人こうけんにんつとめる。
道場どうじょう実質じっしつてきりし、「実力じつりょくりょう当主とうしゅにもけをらない」とわれるほど手練しゅれんで、「吉岡よしおかたましい」としょうされる。基本きほんてき冷静れいせいおとこで、ときとして狡猾こうかつ手腕しゅわんせる。同時どうじうちめる情熱じょうねつだれにもおとらず、吉岡よしおかのためにときには自尊心じそんしんをもげる。でん七郎しちろうからは「もう一人ひとりあに」としたわれており、直情ちょくじょうてきでん七郎しちろうさとすべく、苦言くげんていすることもある。
武蔵むさしでん七郎しちろう再戦さいせんまえに、なにとしても吉岡よしおかまもるため、小次郎こじろう代役だいやくてようと画策かくさくする。しかしそのことででん七郎しちろう意見いけん対立たいりつし、一時いちじてき吉岡よしおか破門はもんされる。
吉岡よしおか兄弟きょうだいあとでん七郎しちろうからの遺言ゆいごんにより当主とうしゅぎ、一門いちもんひきいて武蔵むさしいどむ。みなにはうしろから武蔵むさしれとたたかいにのぞんだが、開始かいし早々そうそう右側みぎがわ頭部とうぶみみごととされ、瀕死ひんし重傷じゅうしょうった。たたかいの最後さいごには、みずからのいのちをすべてんだ「いち太刀たち」を武蔵むさしびせるものの、自身じしんいのち限界げんかいむかえ、ついにたおれる。
なお、この植田うえだいち太刀たち武蔵むさし剣士けんしとしての生命せいめいおびやかすほどのだい怪我けがあたえ、武蔵むさし今後こんご人生じんせいにもおおきな影響えいきょうあたえることになる。
死後しご幽霊ゆうれいとなり、どういうわけ度々たびたびおつうのまえ姿すがたあらわしている。彼女かのじょたいしてのみ、自身じしん武蔵むさしへのおもいなど心境しんきょう告白こくはくしている。
祇園ぎおんふじ(ぎおん とうじ)
吉岡よしおかじゅうけん一人ひとりせい十郎じゅうろう心酔しんすいしている。
天才てんさいはだ自信じしんであり、自分じぶんうえてる人物じんぶつせい十郎じゅうろうしかいないと豪語ごうごする。そのため、周囲しゅういからは「天狗てんぐ」とばれ人望じんぼうもないが、そのけんわざ吉岡よしおかだれもがみとめている。
吉岡よしおか道場どうじょうやされたとき、「吉岡よしおか刺客しかく」と自称じしょうし、武蔵むさしたおすべく武蔵むさしいながら武者むしゃ修行しゅぎょうたびる。
宝蔵ほうぞういん道場破どうじょうやぶりにおとず高弟こうてい一人ひとり対峙たいじ一瞬いっしゅんりょううでとすが、たねしゅんいままでたことも武芸者ぶげいしゃとしてのうつわ目撃もくげきしてけんみちまどい、さらに石舟いしふねときかたな実力じつりょくせつけられ、のもとにもどるようさとされ、失踪しっそう。その武蔵むさしせい十郎じゅうろうったことをり、武蔵むさしりかかったが、いちごうくびられ絶命ぜつめいした。
南保なんぼあまりいち兵衛ひょうえ(なんぽう よいちべえ)
吉岡よしおかじゅうけん一人ひとり小柄こがらおとこ冷静れいせい沈着ちんちゃくかつしたたかな反面はんめん快活かいかつ人望じんぼうもある。吉岡よしおか道場どうじょうないいちじゅくひらいていて、じゅくない門弟もんていななめいいる。最後さいご自分じぶんもろとも門弟もんていらせることをこころみる苦肉くにくさく人海じんかい戦術せんじゅつ武蔵むさしめが、くびほねられ絶命ぜつめい内心ないしんけん時代じだいわっていることをかんじており、武蔵むさしえたことに感謝かんしゃしていた。
小橋こはし蔵人くろうど(こばし くらんど)
吉岡よしおかじゅうけん一人ひとり武蔵むさしとのたたかいでは負傷ふしょうした植田うえだ警護けいごつとめる重役じゅうやくまかされるなど、じゅうけんくらあたまひとけた人物じんぶつ武蔵むさしとの紙一重かみひとえ一瞬いっしゅんたたかいでる。
御池おいけ十郎左衛門じゅうろうざえもん(みいけ じゅうろうざえもん)
吉岡よしおかじゅうけん一人ひとりでん七郎しちろうにもけをとらない長身ちょうしんおとこ一見いっけん茫洋ぼうようとした風貌ふうぼうだが、吉岡よしおかりゅう陰口かげぐちたたもの武士ぶし町民ちょうみんわず強引ごういんきょうけんふるっていた。ほん来客らいきゃくとしてむかえるはずの小次郎こじろうまえ剣士けんしとしてのしんさぶられ、かなわないとりつつもかたないてしまい、小次郎こじろうまどかそく太刀たちられた。
太田黒おおたぐろ兵助へいすけ(おおたぐろ ひょうすけ)
吉岡よしおかじゅうけん一人ひとり。「吉岡よしおかいちふとうで」をつという恰幅かっぷくのよいおとこでん七郎しちろうとの稽古けいこ再起さいき不能ふのうになった右腕うわんためりさせた。武蔵むさしとのたたかいには参加さんかしていない。ゆえじゅうけんなかでは唯一ゆいいつ生存せいぞんしている。
堀川ほりかわよし兵衛ひょうえ(ほりかわ よしべえ)
吉岡よしおかじゅうけん一人ひとり直情ちょくじょうてき性格せいかくで、でん七郎しちろうしたうがあまり、武蔵むさし実力じつりょく見抜みぬけなかった。武蔵むさし神速しんそくいち太刀たちる。しばらくは自分じぶんられたことにかなかった。その幽霊ゆうれいとなった植田うえだくちから年老としおいたはは同居どうきょしていたことが判明はんめいするも、彼女かのじょどくんで自殺じさつをしてしまう。
ひがしべによんろう(あずま こうしろう)
吉岡よしおかじゅうけん一人ひとり不意ふいいて武蔵むさしひだりあごける。そののどつぶされ絶命ぜつめい
多賀たがたに彦造(たがや ひこぞう)
武蔵むさしられ絶命ぜつめいしたかにおもわれたが、ちょうしながらも武蔵むさし道連みちづれにしようと油断ゆだんしている武蔵むさしになおもりかかる。
ふじ(ふじいえ)
じゅうけんなかでも蔵人くろうど多賀たがたにともわかく「吉岡よしおかほね」とされる。武蔵むさしげた小太刀こだちくびさり絶命ぜつめい

しんかげりゅう

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上泉かみいずみ伊勢いせまもるしゅうつな創始そうししゃとなる流派りゅうは将軍家しょうぐんけ兵法ひょうほう指南しなんやくにもなっている。

上泉かみいずみ 伊勢いせまもる しゅうつな(かみいずみ いせのかみ ひでつな)
しんかげりゅう創設そうせつしゃ
だれもがみとめる当代とうだい随一ずいいち剣豪けんごう天下てんか無双むそうわれる。武田たけだ信玄しんげんから大名だいみょうさそいがあるもことわり、ひたすらけんみち追求ついきゅうする。宝蔵ほうぞういんにて手合てあわせをねがったわか石舟いしふねときたねさかえ圧倒的あっとうてきうつわおおきさでいとも簡単かんたんくだし、そのにんとなる。現在げんざい故人こじん
みちきわめたなら、かたなくまでもないもの」という「かたな」の思想しそうつ。
疋田ひきたゆたか五郎ごろう(ひきた ぶんごろう)
伊勢いせまもる弟子でしでありおいにこそおよばないが相当そうとうけんぬしである。わか柳生やぎゅう石舟いしふねとき伊勢いせまもるに「いまいち勝負しょうぶを」もうんだとき、伊勢いせまもるわりに石舟いしふねときちあい、圧倒あっとうする。
なが冷静れいせいしんぬしである。
鈴木すずきはく(すずき いはく)
伊勢いせまもる弟子でし
柳生やぎゅうしんかげりゅう
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柳生やぎゅう石舟いしふねとき(やぎゅう せきしゅうさい)
柳生やぎゅうしんかげりゅう開祖かいそ
本名ほんみょう柳生やぎゅう 但馬たじままもる 宗厳むねよし(やぎゅう たじまのかみ むねよし)。
通称つうしょう剣聖けんせい」。天下てんか無双むそうともとなえられるいまわざ探求たんきゅうつづけている。病気びょうきがちな自身じしん余命よめいかんがえ、そのわざ兵庫ひょうごすけのこすことにくしている。まわりからの偉人いじんてき評価ひょうかにそぐう厳格げんかく人物じんぶつだが、無邪気むじゃき部分ぶぶん茶目ちゃめがあり、まごにはついあまかおせる。むら出奔しゅっぽんしたおつうをよろこんでむかれた。けずぎらいで、たとえ勝負しょうぶでもけをさとるとだいをひっくりかえしてとぼけるなど、ときに子供こどものように振舞ふるまう。
わかいころ伊勢いせもりやそのおい疋田ひきたゆたか五郎ごろう完敗かんぱい伊勢いせもり弟子でしりし、「かたな」のごういだ。
武蔵むさししん一人ひとり。おつうのふえおときながらしずかにいきった。
柳生やぎゅう兵庫ひょうごすけ(やぎゅう ひょうごのすけ)
しんかげりゅう後継こうけいしゃ
石舟いしふねときとく溺愛できあいされているまご幼少ようしょうのころよりけん姿すがた石舟いしふねときうつしとわれる。しょ大名だいみょうから仕官しかんさそわれるもことわり、武者むしゃ修行しゅぎょうたびつづける。武蔵むさしのことを自分じぶんているとかんじ、石舟いしふねときぼけて武蔵むさし兵庫ひょうごすけ間違まちがえたことがある。石舟いしふねときいわく、「一族いちぞく最高さいこう傑作けっさく」。
武蔵むさしったのはだけながら、武蔵むさし強者きょうしゃ見抜みぬいている。
柳生やぎゅう宗矩むねのり(やぎゅう むねのり)
石舟いしふねときなん
さんげんいん沢庵たくあんしたしくなり、それが沢庵たくあん石舟いしふねときつなぐきっかけにもなった。将軍家しょうぐんけ剣術けんじゅつ指南しなんやく
柳生やぎゅうよん高弟こうてい
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庄田しょうだ左衛門さえもん(しょうだ きざえもん)
よん高弟こうていあたまかく武蔵むさしいわよんにんなか一番いちばんつよい。大柄おおがら細目さいもくひげやしている(でん七郎しちろういわく「くまのようなおとこ」)。かけによらずくちまわる。
ふちまご兵衛ひょうえ(でぶち まごべえ)
豪壮ごうそうけんぬし手裏剣しゅりけんはなつ、鍔迫つばぜ相手あいてゆび関節かんせつはずすなどのごう使つかう。その兵庫ひょうごたびきょうをしていた。徒歩とほあたま
村田むらた与三よぞう(むらた よぞう)
するど特徴とくちょうおとこよんにんなかでは一番いちばん短気たんき感情かんじょうてきになりやすい。武蔵むさしとのたたかいののちもひそかに意識いしきしている。馬廻うままわり。
木村きむら助九郎すけくろう(きむら すけくろう)
無口むくち冷静れいせい武蔵むさしとのたたかいで右目みぎめひだりみみ負傷ふしょうした。納戸なんどやく
鐘巻かねまきとき(かねまき じさい)
鐘巻かねまきりゅう開祖かいそ小次郎こじろうそだおや
中条ちゅうじょうりゅう師範しはんとして道場どうじょうひらき、全盛期ぜんせいき天下てんか無双むそうともわれた。しかしひたすらみずからのけんきわめることのみにみ、自分じぶん以外いがい人間にんげん関心かんしんであった。弟子でし伊藤いとう弥五郎やごろう敗北はいぼくして自信じしん闘争とうそうしんうしない、けんみちから退しりぞく。
むら子供こどもらにからかわれ、大人おとなたちからも変人へんじんばれ孤独こどく毎日まいにちおくっていた。かつての弟子でし佐々木ささきたすくかんから息子むすこ小次郎こじろうたのむという手紙てがみをもらうが、ついにみちえらび、なんにち海辺うみべすわんでいたところに、小舟こぶねったあかぼう小次郎こじろうあらわれ、荒波あらなみなかにものぐるいでたすけ、以来いらい、たびたび育児いくじ放棄ほうきしながらも小次郎こじろうそだげ、それが唯一ゆいいつ甲斐がいとなっていった。
けんうでながらくくすぶりつづけたが、不動ふどうかそけがつときとの死闘しとうさい小次郎こじろうたすける一心いっしん闘争とうそうしんもどし、たした。そのさい右腕うわん再起さいき不能ふのうになっている。そのけんうでもある程度ていど回復かいふくしたようで、少年しょうねん時代じだい小次郎こじろうくちでは「けんおしえぬ」といながらも毎日まいにち稽古けいこし、圧倒あっとうつづけていた。しかしいてしまった自分じぶん小次郎こじろううつわあまるとかんじたときは、ついに小次郎こじろうけんみちあゆませる決心けっしんをした。
自己じこ表現ひょうげん下手へたで、小次郎こじろう可愛かわいがるあまり、小次郎こじろうへの独占どくせんよく所有しょゆうよくつよめんもある。小次郎こじろうけんみち挫折ざせつちぶれた自身じしん投影とうえいし、かれけんみちから徹底てっていしてとおざけようとしたが、次第しだい小次郎こじろうこそ自分じぶんきる希望きぼう、そしてほこりであるとおもうようになり、小次郎こじろうのぞんだけんみちあゆませることになる。
草薙くさなぎたかしおに(くさなぎ てんき)
鐘巻かねまきとき門弟もんてい
本名ほんみょう亀吉かめきち(かめきち)。
ちいさいころから「くさきたえた、てんからのおに」と「草薙くさなぎたかしおに」を自称じしょうしていたむら餓鬼がき大将たいしょう小次郎こじろう幼馴染おさななじみであり最初さいしょ友達ともだちである。
ちち不動ふどううでられてたきりの状態じょうたいになったことから、復讐ふくしゅうのためにつよくなることを切望せつぼうしていた。小次郎こじろうとも不動ふどう夜襲やしゅう仕掛しかけるも失敗しっぱいし、「うらみを上回うわまわ恐怖きょうふを」とかおきずわされた。とき不動ふどうたおしたのちさき弟子でしとなり、その道場どうじょうではてきなしの実力じつりょくつようになるが、なんたたかっても小次郎こじろうにはてなかった。
成長せいちょうして小次郎こじろう一刀斎いっとうさいとも旅立たびだったのちときから小次郎こじろうてた免許皆伝めんきょかいでん印可いんかたくされ武者むしゃ修行しゅぎょうしゃとしてかれらののちうも、悲運ひうん最期さいごげる。直前ちょくぜん印可いんか目録もくろくをたまたま居合いあわせたまたはちに「たのむ」といいのこあづける。
一刀いっとうりゅう
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伊藤いとう一刀斎いっとうさい(いとう いっとうさい)
一刀いっとうりゅう開祖かいそ
はつ伊藤いとう 弥五郎やごろう(いとう やごろう)。
通称つうしょうけん神様かみさま」。最強さいきょう最速さいそくけんぬしであり鐘巻かねまきとき弟子でし。たった5ねん師事しじときをもたおすほどのけんわざける。小次郎こじろうけんみちみちびいた張本人ちょうほんにんで、弟弟子おとうとでしである小次郎こじろうたす。面識めんしきかったが少年しょうねん武蔵むさしあこがれの存在そんざいでもある。
性格せいかく剛胆ごうたん無比むひであり、自分じぶん実力じつりょく絶対ぜったい自信じしんつ。けんを「あそび」としょうしたり、にをけたいに無邪気むじゃきさが全面ぜんめんてきあらわれるなど、けん人生じんせい最大さいだいたのしみととらえている。そのためか、現在げんざい鉄砲てっぽうせんにはきょうざめし、士官しかん出世しゅっせにも興味きょうみしめさない。最強さいきょうであるが対等たいとうてきがいないことにつまらなさをかんじているふしもあり、自分じぶんまえ最強さいきょうてきあらわれることをたのしみにしている。
その実力じつりょくは、鋼鉄こうてつ鉄砲てっぽうすらも一刀いっとうのもとに寸断すんだんせしめ、騎馬きばへいをも圧倒あっとうする。また植田うえだ良平りょうへいすら恐怖きょうふすくみ、小次郎こじろうをもけない。
柳生やぎゅう石舟いしふねときをして、「あれこそ天下てんか無双むそうきわまっておる」と評価ひょうかする。
小次郎こじろうときからあずかると関ヶ原せきがはら武者むしゃ放置ほうちし、のこった小次郎こじろう右手みぎて半分はんぶんうしなった。柳生やぎゅうさとちかくの茶屋ちゃやにて武蔵むさしい、いち太刀たちもらうもてのひらいちげき気絶きぜつさせってった。
石舟いしふねときかたなたいして「なにたのしいのやら」とわらった。
年齢ねんれい関ヶ原せきがはら戦時せんじ52さい
夢想むそうけんすけ(むそう ごんのすけ)
兵法ひょうほう天下一てんかいち」を名乗なのる、自分じぶん流派りゅうはてることがゆめ若者わかもの
いわゆるかたぶけしゃ格好かっこうをしている。もと百姓ひゃくしょうで、子供こどものころはおおきなからだはたらかずに悪事あくじはたらいたりしていたので、こわがられうとまれていた。ゆえ孤独こどくであり、小次郎こじろうはじめての友達ともだちとなる。
たびをする最中さいちゅう一刀斎いっとうさい小次郎こじろうらにからかわれ、そのさいかれらとうも敗北はいぼく一刀斎いっとうさいたたか姿勢しせい未熟みじゅくさを指摘してきされる。それ以後いご一刀斎いっとうさいあおたびともにする。関ヶ原せきがはらではころされかかるが武蔵むさしたすけられ、かれらのたたかかたまなぶ。
年齢ねんれい関ヶ原せきがはら戦時せんじ15さい

宝蔵ほうぞういんりゅう槍術そうじゅつ

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やり達人たつじん宝蔵ほうぞういんたねさかえ創始そうししゃとなる流派りゅうはやり聖地せいちわれる奈良なら興福寺こうふくじいん宝蔵ほうぞういん寶藏ほうぞういん)に、大勢おおぜい修行しゅぎょうそうあつまっている。 現在げんざいたねさかえすで引退いんたいし、たねしゅん宝蔵ほうぞういん代目だいめ襲名しゅうめいしたが、たねしゅん反感はんかんつものもすくなくはない。

宝蔵ほうぞういん たねさかえ(ほうぞういん いんえい)
宝蔵ほうぞういんりゅう槍術そうじゅつ創始そうししゃ
法号ほうごうさとしぜんぼうたねさかえ」。通称つうしょうだいたねさかえ」。豪放磊落ごうほうらいらく性格せいかくで、門弟もんていから尊敬そんけいされてまない。「にゃむにゃむ…」「カカッ」が口癖くちぐせ武蔵むさししん一人ひとり
たねしゅん宝蔵ほうぞういんゆずったのち槍術そうじゅつうでおとろえはなく、武蔵むさし圧倒あっとうした。自身じしんつくる「宝蔵ほうぞういんづけ」は好評こうひょうで、にち中畑なかはた仕事しごとせいしている。柳生やぎゅう石舟いしふねときともに、上泉かみいずみ伊勢いせまもるしゅうつな弟子でしりした過去かこもある。
坊主ぼうず老体ろうたいだがさけこのむ。盟友めいゆうである石舟いしふねとき死後しごうようにその生涯しょうがいじた。
宝蔵ほうぞういん たねしゅん(ほうぞういん いんしゅん)
宝蔵ほうぞういんりゅう槍術そうじゅつ代目だいめ
本名ほんみょう満田みつた 慎之介しんのすけ(みつだ しんのすけ)。
たねさかえもと槍術そうじゅつまなぶためてら武士ぶし息子むすこであったが、両親りょうしん浪人ろうにんまえ惨殺ざんさつされ、そのままたねさかえられる。その時点じてん残酷ざんこく記憶きおくふうじられ、槍術そうじゅつ没頭ぼっとうしていた。すばらしいやり天分てんぶんにもめぐまれ(本人ほんにんいわ吉岡よしおかきよし十郎じゅうろう互角ごかく)、15のときにはすでに院内いんないてき宝蔵ほうぞういん代目だいめまでのぼめた。しかし天才てんさいゆえまわりに相応そうおうてきがおらず、たたかいにたいする姿勢しせいはどこか慢心まんしんてきであり精神せいしんてき未熟みじゅくさがのこる。自身じしんもその欠点けってんづきいのちのやり渇望かつぼうするが、相手あいていのちのやりりにしかならない。そのため、まわりからはつよさの探究たんきゅうほかなにもないのかと恐怖きょうふねんられるようになり孤立こりつしていく。であるたねさかえわざつたえることはできても、しんみがくことをつたえることが出来できなかったてん憂慮ゆうりょし、宝蔵ほうぞういん挑戦ちょうせんしてきた武蔵むさしきたえ、たねしゅんにぶつける。
武蔵むさし交戦こうせんいち圧倒的あっとうてきつよさで勝利しょうりするも、再戦さいせんではたねさかえきたえられいちまわ成長せいちょうした武蔵むさし圧倒あっとうされ、一瞬いっしゅんすききをすが、紙一重かみひとえでかわされる。同時どうじに、過去かこトラウマフラッシュバックしたさいすきかれ、あたま強烈きょうれついちげきびて昏倒こんとうする。武蔵むさし出血しゅっけつのためにたたかつづけることが出来できなくなり、立会たちあいじんであったたねさかえにより、都合つごう2かい対戦たいせん内容ないようからけとなった。決闘けっとう奇跡きせきてき生還せいかん武蔵むさしとは和解わかいし、「今度こんどいのちうばうことなく」再会さいかいすることを約束やくそくする。その宝蔵ほうぞういん代目だいめ正式せいしき襲名しゅうめい
おもねいむ(あごん)
宝蔵ほうぞういん修行しゅぎょうそう一人ひとり
無骨ぶこつ風貌ふうぼう厳格げんかく性格せいかくで、道場破どうじょうやぶりにあらわれた祇園ぎおんふじ高弟こうていりょううで一刀両断いっとうりょうだんするのをづいた弟弟子おとうとでしやりちのめした。武蔵むさしたねしゅんにはおよばないが、みの剣客けんかくならかるほふるほどの手練しゅれんであり、そのやりうでたねさかえにもみとめられている。
はじめのうちはたねしゅんあこがれてちかづこうとしたが、たねしゅん性質せいしつをいつしかおそれるようになる。しかし、それでも友達ともだちだとおもっており、たねしゅん反感はんかんものおお宝蔵ほうぞういんなかにあって、かれ親身しんみ心配しんぱいする数少かずすくない人間にんげんである。
あきらさかえ(みょうえい)
宝蔵ほうぞういん修行しゅぎょうそう一人ひとり
たねしゅん代目だいめということがにくわずに派閥はばつをつくり、たねさかえってもらおうと胡麻ごまって、自分じぶん代目だいめになろうと目論もくろむ。しかし、実力じつりょくあきらかで、たねさかえからもその魂胆こんたん見透みすかされている。

西方せいほう落武者おちむしゃたち

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関ヶ原せきがはら合戦かっせんやぶれた西にしぐん兵士へいしたち。主君しゅくんとはぐれてしまったものの、再会さいかいして大阪おおさか目指めざす。

猪谷いのたに きょくも(いがや こうん)
小次郎こじろうたたかった西方せいほう落武者おちむしゃのひとり。筋骨きんこつ隆々りゅうりゅう巨躯きょくほこり、しんろうが「けん」としょうすほどの人間にんげんばなれしたけん使つか一団いちだんなか最大さいだい手練しゅれん一見いっけんじゅうじみているが、あるけなくなった新次郎しんじろう背負せおってあるくなど、やさしいいちめんつ。
であるてい尊敬そんけいし、したっている。はじめはていられた復讐ふくしゅうしん小次郎こじろうたたかっていたが、徐々じょじょつよものたたかたのしさ、向上こうじょうよろこびをかんじるようになる。たたかいのなか先鋭せんえいされていくが小次郎こじろうとの一進一退いっしんいったい死闘しとうてにる。
てい(さだこれ)
西方せいほう落武者おちむしゃのひとり。きょくもたちであり、おや同然どうぜん男性だんせいゆえきょくもたちからの信頼しんらいあつく、武者むしゃになったさい一団いちだんのまとめやくとなった。生涯しょうがい独身どくしんのせいか、きょくもたち息子むすこのようにおもっていたが、あし重傷じゅうしょうったしんろうるようにうなど武士ぶしとして厳格げんかくめんつ。百戦錬磨ひゃくせんれんま兵法ひょうほうしゃであり、同時どうじ教育きょういくしゃゆえか「其処もと(そこもと)」など独特どくとくかつ説教せっきょうじみた言葉ことばづかいをする。
小次郎こじろう出会であったかれ素通すどおりできないなにかをかんじて、万力まんりきくさり小次郎こじろうたたかう。戦闘せんとうちゅう言葉ことばつうじなくとも、おたがいのしんつうじたようであり、剣士けんしとしての場所ばしょつけたかのように、心持こころもちる。
あいだかきしん二郎じろう (まがき しんじろう)
西方せいほう落武者おちむしゃのひとりでさんあに
おとうとさんこう対照たいしょう実直じっちょく性格せいかくおとうとおもい。
せんあし負傷ふしょう歩行ほこう不能ふのうになりきょくも背負しょわれる。それゆえに一団いちだん足手あしてまといになり、きょくもたちかんじた「たたかいのなかよろこび」を理解りかいできず、苦悩くのうした。
あいだかきさん(まがき いちぞう)
しんろうよっおとうと
たたかいに無邪気むじゃき感情かんじょういだ若武者わかむしゃ
実力じつりょくたかく、西にしぐんへいではきょくも戦果せんかげていた。
つよものたたか高揚こうようした気持きもちがおさえきれないこともあり、大坂おおさかもどるという使命しめい小次郎こじろう勝負しょうぶいどむ。小次郎こじろうまどかそくいち太刀たちる。
みぎげん(うげん)
しんろうが「けん」とあこがれるほどのけんぬし
ていにも「おまえなら出世しゅっせできたろうに」とかたられていた。
残党ざんとうりの百姓ひゃくしょうたちからしんろうをかばって死亡しぼう
むね(としむね)
せんさい左腕さわんさる。残党ざんとうりの百姓ひゃくしょうたち夜襲やしゅうをかけられころされる。

ほん阿弥あみ

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代々だいだいかたな生業せいぎょうとしている名門めいもん家柄いえがら現在げんざい光悦こうえつ引退いんたいし、ひかりしつじゅう代目だいめ惣領そうりょうとしてはたらいている。

ほん阿弥あみ光悦こうえつ(ほんあみ こうえつ)
ほん阿弥あみ本家ほんけきゅう代目だいめ惣領そうりょう
きょう屋敷やしきははみょうしゅうとともにまう芸術げいじゅつむかれたろうじんものたちともらしている。芸術げいじゅつとしてのわざは、天下てんかじん徳川とくがわ家康いえやす指名しめいかたなとぎぎを依頼いらいされるほど。
まれたころからかたなかこまれてそだち、かたな天地てんち見立みたてて、そのごうなが年月としつきとともにたかめてきた。武蔵むさし小次郎こじろうたちとはちがった意味いみけんきるものである。かたななかねむうつくしさにせられ、自分じぶんぎたいとおもえるものかたなのみをぐために一線いっせん退しりぞき、家康いえやす依頼いらいすらことわった。その光悦こうえつみがいだのは武蔵むさし小次郎こじろうかたなのみである。
ほん阿弥あみみょうしゅう(ほんあみ みょうしゅう)
光悦こうえつはは。おおらかな性格せいかく料理りょうりうで抜群ばつぐん
滞在たいざいしていた小次郎こじろうには母親ははおやのようにしたわれている。小次郎こじろうおしえている。
ほん阿弥あみこうしつ(ほんあみ こうしつ)
ほん阿弥あみ本家ほんけじゅう代目だいめ惣領そうりょう
その目利めききやぎは光悦こうえつにもみとめられるほどもうぶんない技量ぎりょうつ。光悦こうえつのあまりにはや引退いんたい疑問ぎもんいている。

小倉おぐら細川ほそかわ

[編集へんしゅう]

豊前ぶぜん小倉こくらはん統治とうちする。らす名門めいもん

細川ほそかわ忠興ただおき(ほそかわ ただおき)
小倉こくら城前しろまえ城主じょうしゅ。かつて武勇ぶゆううたわれた武将ぶしょうであった。無類むるい剣豪けんごうきで、武蔵むさし吉岡よしおかななじゅうにんりのうわさをききつけ、細川ほそかわ剣術けんじゅつ指南しなんやく武蔵むさし提案ていあんする。
細川ほそかわ忠利ただとし(ほそかわ ただとし)
げん小倉こくら城主じょうしゅ細川ほそかわ忠興ただおき長男ちょうなんじゅうきゅうさいまで人質ひとじちとして江戸城えどじょうつとめたが、ちち忠興ただこう意思いしぎ、武蔵むさし細川ほそかわ剣道けんどう指南しなんやくむかれようとする。徳川とくがわ秀忠ひでただ無二むに親友しんゆう
岩間いわますみ兵衛ひょうえ(いわま かくべえ)
小倉おぐら細川ほそかわ家老がろう
刀剣とうけん収集しゅうしゅう銘刀めいとうきくいち文字もじ」を所有しょゆうしており、再三再四さいさんさいし光悦こうえつかたないでもらうようにたのんでいる。小川おがわじき実力じつりょくみとめており、いずれかれきくいち文字もじゆずろうとかんがえていた。
小川おがわじき(おがわ いえなお)
岩間いわますみ兵衛ひょうえ配下はいか
小倉おぐら細川ほそかわ剣術けんじゅつ指南しなんやく
武士ぶしというより剣術けんじゅつといった風情ふぜいで、すみ兵衛ひょうえにはおな小倉おぐら細川ほそかわ剣術けんじゅつ指南しなんやく氏家うじいえまごよんろうしの腕前うでまえをかけられていた。あるじ御供ごくうきょうほん阿弥あみていおとずれたとき小次郎こじろう出会であ人生じんせい一大事いちだいじむかえる。真剣しんけん使つかうがえだ相手あいて小次郎こじろう完敗かんぱい天下てんか無双むそうもとめていたがそのせい以後いご小次郎こじろう手足てあしとなりみみとなりこうとなることをちかう。
氏家うじいえまごよんろう(うじいえ まごしろう)
小倉おぐら細川ほそかわ筆頭ひっとう剣術けんじゅつ指南しなんやく
小倉おぐら細川ほそかわもっとなが剣術けんじゅつ指南しなんつとめる。町民ちょうみんしたわれ影響えいきょうりょくつよい。右目みぎめかたなきずがあり、細川ほそかわ忠興ただおきあつかいにくいいびつしょうされる。規律きりつ礼儀れいぎおもんじる。
かえで(かえで)
小倉おぐら細川ほそかわ剣術けんじゅつ指南しなんやく
非常ひじょう大柄おおがら女性じょせいであり、だいおとこにん軽々かるがるげる腕力わんりょくつ。深酒ふかざけ趣味しゅみでありなりもだらしない。そのためはんない人間にんげんこころよおもわれていない。くびにロザリオをかけており、かくれキリシタンとおもわれる。
長岡ながおかたすく渡守わたしもり(ながおか さどのかみ)
細川ほそかわ家老がろう
使者ししゃつかわし、武蔵むさし細川ほそかわむかえようとするも失敗しっぱいみずか武蔵むさしさがす。けんくわえ、たがや武蔵むさし姿すがたおどろく。その武蔵むさし細川ほそかわはいることをすすめるも、ことわられる。

その

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伊織いおり(いおり)
父親ちちおや死体したいろうとしていたところ武蔵むさしめられた少年しょうねん以後いご武蔵むさし一緒いっしょ生活せいかつをする。宮本みやもと伊織いおりおもわれる。
けん叔父おじ(ごんおじ)
すぎおとうと
またはちへの偏愛へんあい現実げんじつ見失みうしないがちなおすぎとはちがい、またはち性情せいじょうただしく理解りかいしている。またはちもそのことはかっており、二人ふたりあいだには信頼しんらい関係かんけい存在そんざいしていたようである。おすぎとともに又八またはちさがたびつづけ、ついにまたはちめぐった矢先やさき又八またはちかばおうとして武士ぶし斬殺ざんさつされる。そのときのまたはち動揺どうようおおきく、本当ほんとうおやがいない又八またはちにとっては父親ちちおやわりだった。
つじふうてん(つじかぜ てんま)
野武士のぶし集団しゅうだんつじかぜぐみ」の頭領とうりょう
つじふうたいらあにたいらおなじくははてられた経歴けいれきをもつ。へいははころされかけたところをすくつじふうぐみれる。
かぶと亭主ていしゅったおとこで、おかぶとれている。関ヶ原せきがはら合戦かっせんでは西方せいほうにつくもやぶれる。武蔵むさし木刀ぼくとう撲殺ぼくさつされる。
かぶと(おこう)
関ヶ原せきがはらからびてきた武蔵むさし又八またはちかくまった未亡人みぼうじん
つじふうてん懸想けそうされており、たびたびつじかぜぐみとのいさかいをこしていた。結果けっかてきに、武蔵むさしつじふうぐみとの因縁いんねんみ、妖艶ようえん色香いろか武蔵むさしせまり、又八またはちまどわした。のちまたはちらしはじめたが、ほどなくしてきょう移住いじゅう又八またはちてた。女性じょせいきるじゅつとしてみずからの妖艶ようえんさを自覚じかくてき武器ぶきとする。
しゅよし(あけみ)
かぶとむすめ
当初とうしょ武蔵むさしのことをにしていたが、きょうはは稼業かぎょう手伝てつだうようになってからはきゃくであるせい十郎じゅうろうにかけるようになった。せい十郎じゅうろう彼女かのじょのことをっているようだが、恋仲こいなかではない(とう朱美あけみはそのことにづいている)。せい十郎じゅうろう武蔵むさしられたのちは、武蔵むさしたい吉岡よしおか一門いちもん死闘しとうていた。たたかいののちきょうからそうとしていた武蔵むさしまえあらわれ、武蔵むさし短剣たんけんしたのち自分じぶんが「吉岡よしおかきよし十郎じゅうろうおんな」であったことをげ、がけからげた。
龍胆りんどう(りんどう)
本物ほんもの宍戸ししど梅軒ばいけん遺児いじ(もしくは事実じじつじょう養女ようじょ)である少女しょうじょ
物心ぶっしんおぼえたころからこき使つかわれ、おや愛情あいじょうけずにそだつ。梅軒ばいけんたいらころされたのちともらしながらたびたびたいらいのちねらおうとしたが、簡単かんたんにあしらわれつづけてきた。
しばらくち、へい盗賊とうぞく退治たいじ武芸者ぶげいしゃかえちにし「宍戸ししど梅軒ばいけん」を名乗なのるようになってからは、服装ふくそうたいら真似まねたようなものにえ、幾度いくどとなくじゃれうようにたいら鎖鎌くさりがま対戦たいせんしている。たいらには到底とうていおよばないものの、へい武蔵むさし鎖鎌くさりがまだれわれたさい彼女かのじょ指差ゆびさしていた。わざだけなら梅軒ばいけんたずねて武芸者ぶげいしゃをもしのぐほど。
へい武蔵むさしやぶれたのち深手ふかでったたいらはだけ、はじめてひとあたたかさをった。武蔵むさし回想かいそう想像そうぞうじょうで、手当てあいきえたたいらのち自刃じじんした。
板倉いたくら勝重かつしげ(いたくら かつしげ)
京都きょうと所司代しょしだい
吉岡よしおか拳法けんぽうとは竹馬たけうまともであった。ほん阿弥あみ光悦こうえつとも知遇ちぐうつ。
徳川とくがわ秀忠ひでただ(とくがわ ひでただ)
徳川とくがわだいだい将軍しょうぐん初代しょだい将軍しょうぐん家康いえやす息子むすこ武蔵むさしのことを「ったことはないが」評価ひょうかしており、将軍家しょうぐんけでなく細川ほそかわゆずることにした。
仏師ぶっし
本名ほんみょう不明ふめい。しかしこの仏師ぶっしとその家族かぞく吉岡よしおかななじゅうにんりののちけんみちまよっていた武蔵むさしささみちびいた大切たいせつ存在そんざいである。
武蔵むさし(細川ほそかわからの使者ししゃからのがれるためにかわんでげ、そのあとりくがったもののみずれたことで体温たいおんうばわれ昏倒こんとうしていた)をたすけ、最初さいしょはかの剣豪けんごう宮本みやもと武蔵むさし」であることに気付きづいてはいなかったが武蔵むさし本質ほんしつ見抜みぬ仏像ぶつぞうとおして武蔵むさしみちく。ほとけることが本業ほんぎょうだがそれだけではべていけないため、かれつまとその息子むすこたちはたけ仕事しごとなどをしている。

書誌しょし情報じょうほう

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  • 井上いのうえ雄彦たけひこ 『バガボンド』 講談社こうだんしゃ〈モーニングKC〉、既刊きかん37かん(2014ねん7がつ23にち現在げんざい
    1. 1999ねん3がつ23にち発行はっこう(1999ねん3がつ22にち発売はつばい[2])、ISBN 4-06-328619-3
    2. 1999ねん3がつ23にち発行はっこう(1999ねん3がつ22にち発売はつばい[3])、ISBN 4-06-328620-7
    3. 1999ねん7がつ22にち発行はっこう(1999ねん7がつ21にち発売はつばい[4])、ISBN 4-06-328644-4
    4. 1999ねん10がつ22にち発行はっこう(1999ねん10がつ22にち発売はつばい[5])、ISBN 4-06-328658-4
    5. 2000ねん1がつ21にち発行はっこう(2000ねん1がつ21にち発売はつばい[6])、ISBN 4-06-328672-X
    6. 2000ねん4がつ21にち発行はっこう(2000ねん4がつ19にち発売はつばい[7])、ISBN 4-06-328685-1
    7. 2000ねん7がつ21にち発行はっこう(2000ねん7がつ20日はつか発売はつばい[8])、ISBN 4-06-328702-5
    8. 2000ねん10がつ23にち発行はっこう(2000ねん10がつ23にち発売はつばい[9])、ISBN 4-06-328720-3
    9. 2001ねん2がつ22にち発行はっこう(2001ねん2がつ23にち発売はつばい[10])、ISBN 4-06-328736-X
    10. 2001ねん5がつ23にち発行はっこう(2001ねん5がつ23にち発売はつばい[11])、ISBN 4-06-328755-6
    11. 2001ねん8がつ20日はつか発行はっこう(2001ねん8がつ23にち発売はつばい[12])、ISBN 4-06-328763-7
    12. 2001ねん11月22にち発行はっこう(2001ねん11月22にち発売はつばい[13])、ISBN 4-06-328779-3
    13. 2002ねん3がつ22にち発行はっこう(2002ねん3がつ21にち発売はつばい[14])、ISBN 4-06-328804-8
    14. 2002ねん6がつ21にち発行はっこう(2002ねん6がつ21にち発売はつばい[15])、ISBN 4-06-328823-4
    15. 2002ねん10がつ23にち発行はっこう(2002ねん10がつ23にち発売はつばい[16])、ISBN 4-06-328850-1
    16. 2003ねん2がつ21にち発行はっこう(2003ねん2がつ21にち発売はつばい[17])、ISBN 4-06-328871-4
    17. 2003ねん6がつ23にち発行はっこう(2003ねん6がつ21にち発売はつばい[18])、ISBN 4-06-328891-9
    18. 2003ねん11がつ20日はつか発行はっこう(2003ねん11月19にち発売はつばい[19])、ISBN 4-06-328916-8
    19. 2004ねん3がつ23にち発行はっこう(2004ねん3がつ20日はつか発売はつばい[20])、ISBN 4-06-328945-1
    20. 2004ねん7がつ23にち発行はっこう(2004ねん7がつ22にち発売はつばい[21])、ISBN 4-06-328970-2
    21. 2005ねん9がつ21にち発行はっこう(2005ねん9がつ18にち発売はつばい[22])、ISBN 4-06-372464-6
    22. 2006ねん2がつ23にち発行はっこう(2006ねん2がつ22にち発売はつばい[23])、ISBN 4-06-372497-2
    23. 2006ねん6がつ23にち発行はっこう(2006ねん6がつ23にち発売はつばい[24])、ISBN 4-06-372526-X
    24. 2006ねん10がつ23にち発行はっこう(2006ねん10がつ23にち発売はつばい[25])、ISBN 4-06-372553-7
    25. 2007ねん3がつ23にち発行はっこう(2007ねん3がつ23にち発売はつばい[26])、ISBN 978-4-06-372582-7
    26. 2007ねん7がつ23にち発行はっこう(2007ねん7がつ23にち発売はつばい[27])、ISBN 978-4-06-372612-1
    27. 2007ねん11月29にち発行はっこう(2007ねん11月29にち発売はつばい[28])、ISBN 978-4-06-372640-4
    28. 2008ねん5がつ23にち発行はっこう(2008ねん5がつ23にち発売はつばい[29])、ISBN 978-4-06-372685-5
    29. 2008ねん11月28にち発行はっこう(2008ねん11月28にち発売はつばい[30])、ISBN 978-4-06-372750-0
    30. 2009ねん5がつ28にち発行はっこう(2009ねん5がつ28にち発売はつばい[31])、ISBN 978-4-06-372795-1
    31. 2009ねん9がつ3にち発行はっこう(2009ねん9がつ3にち発売はつばい[32])、ISBN 978-4-06-372827-9
    32. 2010ねん1がつ15にち発行はっこう(2010ねん1がつ15にち発売はつばい[33])、ISBN 978-4-06-372866-8
    33. 2010ねん5がつ27にち発行はっこう(2010ねん5がつ27にち発売はつばい[34])、ISBN 978-4-06-372903-0
    34. 2012ねん10がつ23にち発行はっこう(2012ねん10がつ23にち発売はつばい[35])、ISBN 978-4-06-372947-4
    35. 2013ねん4がつ23にち発行はっこう(2013ねん4がつ23にち発売はつばい[36])、ISBN 978-4-06-387195-1
    36. 2013ねん10がつ23にち発行はっこう(2013ねん10がつ23にち発売はつばい[37])、ISBN 978-4-06-387261-3
    37. 2014ねん7がつ23にち発行はっこう(2014ねん7がつ23にち発売はつばい[38])、ISBN 978-4-06-388340-4

関連かんれん作品さくひん

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  • 『WATER』2006ねん10月24にち発売はつばい[39]ISBN 4-06-364672-6
    • 『バガボンド』カラー原画げんがしゅう
  • すみ』2006ねん10がつ24にち発売はつばい[40]ISBN 4-06-364673-4
    • 『バガボンド』モノクロ原画げんがしゅう
  • 『DRAW』
    • 『バガボンド』の原稿げんこうえがいていくさま収録しゅうろくしたDVD作品さくひん。2まいぐみ先着せんちゃく1000めいにはバガボンド特製とくせいダイス(サイコロ)き。

井上いのうえ雄彦たけひこ 最後さいごのマンガてん

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2008ねん5月の東京とうきょう皮切かわきりに全国ぜんこく4都市とし開催かいさいされた井上いのうえ雄彦たけひこ個展こてん

武蔵むさし最期さいごをストーリーをもってえがいたもので、『バガボンド』のエピローグてき作品さくひんぐんとなっている。雑誌ざっし・コミック掲載けいさいよう原稿げんこう展示てんじではなく、ぜん作品さくひん本展ほんてんのためのろし。

展覧てんらんかいめい 展覧てんらん会場かいじょう  開催かいさい期間きかん
井上いのうえ雄彦たけひこ 最後さいごのマンガてん 上野うえのもり美術館びじゅつかん 2008ねん5がつ24にち同年どうねん7がつ7にち[ちゅう 1]
井上いのうえ雄彦たけひこ 最後さいごのマンガてん 重版じゅうはん熊本くまもとばん 熊本くまもと現代げんだい美術館びじゅつかん[ちゅう 2] 2009ねん4がつ11にち同年どうねん6がつ14にち
井上いのうえ雄彦たけひこ 最後さいごのマンガてん 重版じゅうはん大阪おおさかばん サントリーミュージアム天保山てんぽうざん 2010ねん1がつ2にち同年どうねん3がつ14にち
井上いのうえ雄彦たけひこ 最後さいごのマンガてん 最終さいしゅう重版じゅうはん仙台せんだいばん せんだいメディアテーク 2010ねん5がつ3にち同年どうねん6がつ13にち

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 当初とうしょは2008ねん7がつ6にちまでの予定よていだったが最終さいしゅう入場にゅうじょうできない観客かんきゃくがあふれたため1にちだけ延長えんちょうした。
  2. ^ 武蔵むさし終焉しゅうえんということで熊本くまもとえらばれた。

出典しゅってん

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  1. ^ “『おにめつ』は8漫画まんが歴代れきだい発行はっこう部数ぶすうランキング、『ワンピース』にぐ2ってかる?”. ねとらぼ調査ちょうさたい. (2020ねん12月22にち). https://nlab.itmedia.co.jp/research/articles/88233/3 2022ねん3がつ19にち閲覧えつらん 
  2. ^ バガボンド(1)”. 講談社こうだんしゃコミックプラス. 講談社こうだんしゃ. 2022ねん8がつ21にち閲覧えつらん
  3. ^ バガボンド(2)”. 講談社こうだんしゃコミックプラス. 講談社こうだんしゃ. 2022ねん8がつ21にち閲覧えつらん
  4. ^ バガボンド(3)”. 講談社こうだんしゃコミックプラス. 講談社こうだんしゃ. 2022ねん8がつ21にち閲覧えつらん
  5. ^ バガボンド(4)”. 講談社こうだんしゃコミックプラス. 講談社こうだんしゃ. 2022ねん8がつ21にち閲覧えつらん
  6. ^ バガボンド(5)”. 講談社こうだんしゃコミックプラス. 講談社こうだんしゃ. 2022ねん8がつ21にち閲覧えつらん
  7. ^ バガボンド(6)”. 講談社こうだんしゃコミックプラス. 講談社こうだんしゃ. 2022ねん8がつ21にち閲覧えつらん
  8. ^ バガボンド(7)”. 講談社こうだんしゃコミックプラス. 講談社こうだんしゃ. 2022ねん8がつ21にち閲覧えつらん
  9. ^ バガボンド(8)”. 講談社こうだんしゃコミックプラス. 講談社こうだんしゃ. 2022ねん8がつ21にち閲覧えつらん
  10. ^ バガボンド(9)”. 講談社こうだんしゃコミックプラス. 講談社こうだんしゃ. 2022ねん8がつ21にち閲覧えつらん
  11. ^ バガボンド(10)”. 講談社こうだんしゃコミックプラス. 講談社こうだんしゃ. 2022ねん8がつ21にち閲覧えつらん
  12. ^ バガボンド(11)”. 講談社こうだんしゃコミックプラス. 講談社こうだんしゃ. 2022ねん8がつ21にち閲覧えつらん
  13. ^ バガボンド(12)”. 講談社こうだんしゃコミックプラス. 講談社こうだんしゃ. 2022ねん8がつ21にち閲覧えつらん
  14. ^ バガボンド(13)”. 講談社こうだんしゃコミックプラス. 講談社こうだんしゃ. 2022ねん8がつ21にち閲覧えつらん
  15. ^ バガボンド(14)”. 講談社こうだんしゃコミックプラス. 講談社こうだんしゃ. 2022ねん8がつ21にち閲覧えつらん
  16. ^ バガボンド(15)”. 講談社こうだんしゃコミックプラス. 講談社こうだんしゃ. 2022ねん8がつ21にち閲覧えつらん
  17. ^ バガボンド(16)”. 講談社こうだんしゃコミックプラス. 講談社こうだんしゃ. 2022ねん8がつ21にち閲覧えつらん
  18. ^ バガボンド(17)”. 講談社こうだんしゃコミックプラス. 講談社こうだんしゃ. 2022ねん8がつ21にち閲覧えつらん
  19. ^ バガボンド(18)”. 講談社こうだんしゃコミックプラス. 講談社こうだんしゃ. 2022ねん8がつ21にち閲覧えつらん
  20. ^ バガボンド(19)”. 講談社こうだんしゃコミックプラス. 講談社こうだんしゃ. 2022ねん8がつ21にち閲覧えつらん
  21. ^ バガボンド(20)”. 講談社こうだんしゃコミックプラス. 講談社こうだんしゃ. 2022ねん8がつ21にち閲覧えつらん
  22. ^ バガボンド(21)”. 講談社こうだんしゃコミックプラス. 講談社こうだんしゃ. 2022ねん8がつ21にち閲覧えつらん
  23. ^ バガボンド(22)”. 講談社こうだんしゃコミックプラス. 講談社こうだんしゃ. 2022ねん8がつ21にち閲覧えつらん
  24. ^ バガボンド(23)”. 講談社こうだんしゃコミックプラス. 講談社こうだんしゃ. 2022ねん8がつ21にち閲覧えつらん
  25. ^ バガボンド(24)”. 講談社こうだんしゃコミックプラス. 講談社こうだんしゃ. 2022ねん8がつ21にち閲覧えつらん
  26. ^ バガボンド(25)”. 講談社こうだんしゃコミックプラス. 講談社こうだんしゃ. 2022ねん8がつ21にち閲覧えつらん
  27. ^ バガボンド(26)”. 講談社こうだんしゃコミックプラス. 講談社こうだんしゃ. 2022ねん8がつ21にち閲覧えつらん
  28. ^ バガボンド(27)”. 講談社こうだんしゃコミックプラス. 講談社こうだんしゃ. 2022ねん8がつ21にち閲覧えつらん
  29. ^ バガボンド(28)”. 講談社こうだんしゃコミックプラス. 講談社こうだんしゃ. 2022ねん8がつ21にち閲覧えつらん
  30. ^ バガボンド(29)”. 講談社こうだんしゃコミックプラス. 講談社こうだんしゃ. 2022ねん8がつ21にち閲覧えつらん
  31. ^ バガボンド(30)”. 講談社こうだんしゃコミックプラス. 講談社こうだんしゃ. 2022ねん8がつ21にち閲覧えつらん
  32. ^ バガボンド(31)”. 講談社こうだんしゃコミックプラス. 講談社こうだんしゃ. 2022ねん8がつ21にち閲覧えつらん
  33. ^ バガボンド(32)”. 講談社こうだんしゃコミックプラス. 講談社こうだんしゃ. 2022ねん8がつ21にち閲覧えつらん
  34. ^ バガボンド(33)”. 講談社こうだんしゃコミックプラス. 講談社こうだんしゃ. 2022ねん8がつ21にち閲覧えつらん
  35. ^ バガボンド(34)”. 講談社こうだんしゃコミックプラス. 講談社こうだんしゃ. 2022ねん8がつ21にち閲覧えつらん
  36. ^ バガボンド(35)”. 講談社こうだんしゃコミックプラス. 講談社こうだんしゃ. 2022ねん8がつ21にち閲覧えつらん
  37. ^ バガボンド(36)”. 講談社こうだんしゃコミックプラス. 講談社こうだんしゃ. 2022ねん8がつ21にち閲覧えつらん
  38. ^ バガボンド(37)”. 講談社こうだんしゃコミックプラス. 講談社こうだんしゃ. 2022ねん8がつ21にち閲覧えつらん
  39. ^ WATER”. 講談社こうだんしゃBOOK倶楽部くらぶ. 講談社こうだんしゃ. 2021ねん6がつ5にち閲覧えつらん
  40. ^ すみ”. 講談社こうだんしゃBOOK倶楽部くらぶ. 講談社こうだんしゃ. 2021ねん6がつ5にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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