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プエブロごう事件じけん

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
朝鮮人民軍ちょうせんじんみんぐん拿捕だほされたプエブロごう航空こうくう写真しゃしんCIAA-12撮影さつえい

プエブロごう事件じけん(プエブロごうじけん)は、1968ねん1がつアメリカ海軍かいぐん情報じょうほう収集しゅうしゅうかんプエブロ朝鮮民主主義人民共和国ちょうせんみんしゅしゅぎじんみんきょうわこく北朝鮮きたちょうせん)に拿捕だほされた事件じけん

概要がいよう

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アメリカ海軍かいぐん報告ほうこくによるプエブロごう位置いち

朝鮮人民軍ちょうせんじんみんぐんゲリラ部隊ぶたい大韓民国だいかんみんこくぼく正煕せいき大統領だいとうりょう殺害さつがいくわだてた青瓦台チョンワデ襲撃しゅうげき未遂みすい事件じけんから2にち1968ねん1がつ23にち北朝鮮きたちょうせん東岸とうがん元山もとやまおき洋上ようじょうアメリカ国家こっか安全あんぜん保障ほしょうきょく通信つうしん傍受ぼうじゅ作戦さくせんいていたプエブロごうが、領海りょうかい侵犯しんぱん理由りゆう北朝鮮きたちょうせん駆潜艇くせんていなどから攻撃こうげきけ、乗員じょういん1めい死亡しぼうのこ乗員じょういん82めい身柄みがら拘束こうそくされ、北朝鮮きたちょうせん当局とうきょく調しらべをけた[1]北朝鮮きたちょうせん取調とりしらべ乗組のりくみいんらは領海りょうかい侵犯しんぱんみとめた。ただし、実際じっさい領海りょうかい侵犯しんぱんおこなわれたかどうかについては、現在げんざいもアメリカと北朝鮮きたちょうせん主張しゅちょうちがっている。

このプエブロごう拿捕だほ事件じけんけて、当時とうじベトナム戦争せんそうきたばく任務にんむまえ休養きゅうようのため日本にっぽんはじめての原子力げんしりょく空母くうぼとして寄港きこうしていたエンタープライズきたばく任務にんむ中断ちゅうだんして佐世保させぼこうから緊急きんきゅう出港しゅっこう当時とうじ佐世保させぼエンタープライズ寄港きこう阻止そし闘争とうそう只中ただなかである。)し、日本海にほんかいへとかった。ぼく正煕せいき暗殺あんさつ未遂みすいつづいてこった出来事できごとに、朝鮮半島ちょうせんはんとう情勢じょうせい緊張きんちょうだい2朝鮮ちょうせん戦争せんそう危機ききかんじさせる事件じけんであった。

乗組のりくみいんらの自供じきょうもあって国際こくさいてき見方みかたはアメリカに批判ひはんてきであった[2]。アメリカは外交がいこうてき解決かいけつとして、板門店はんもんてんでの会談かいだん北朝鮮きたちょうせん用意よういしたスパイ活動かつどうみとめる謝罪しゃざい文書ぶんしょ調印ちょういんすることとなった。乗員じょういんは11かげつ拘束こうそくのち同年どうねん12がつ解放かいほうされた。プエブロごう船体せんたい返還へんかんされず、現在げんざい北朝鮮きたちょうせん管理かんりかれて首都しゅと平壌ぴょんやんうち大同だいどう一般いっぱんけに観光かんこう公開こうかいされており、同国どうこく反米はんべい宣伝せんでん利用りようされている。

この事件じけんは、アメリカ軍人ぐんじん人質ひとじちることで、ぼく正煕せいき政権せいけん北進ほくしん断念だんねんさせるねらいがあった。一方いっぽう戦争せんそう危険きけんかえりみずにアメリカに挑戦ちょうせんし、ぎりぎりの外交がいこう戦術せんじゅつ相手あいて譲歩じょうほ瀬戸際せとぎわ外交がいこうはじまりであったとるものもいる[3]

事件じけん詳細しょうさい

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拿捕だほ

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プエブロ(1967ねん10がつ

プエブロごうアメリカ国家こっか安全あんぜん保障ほしょうきょく諜報ちょうほう活動かつどう一環いっかんで、在日ざいにちアメリカ海軍かいぐん日常にちじょうてき通信つうしん傍受ぼうじゅ作戦さくせん参加さんかしていた[1]。プエブロごう長波ちょうはちょうてい出力しゅつりょく交信こうしん傍受ぼうじゅするため、日本海にほんかいソ連それん周辺しゅうへんまで接近せっきんして南下なんかする計画けいかく実行じっこうすることになった[1]

プエブロごう横須賀よこすかこう出港しゅっこう佐世保させぼこう機器きき追加ついか搭載とうさいし、1968ねん1がつ10日とおか作戦さくせんのために出動しゅつどうした[1]。プエブロごうはアンテナがならび、一見いっけんして電波でんぱ傍受ぼうじゅ目的もくてきふねであることはあきらかだった[4]米国べいこく議会ぎかい調査ちょうさ報告ほうこくしょによれば、北朝鮮きたちょうせん近辺きんぺん露骨ろこつ活動かつどうする情報じょうほう収集しゅうしゅうかん北朝鮮きたちょうせんソ連それんがそれぞれどう反応はんのうするのかを確認かくにんするという任務にんむふくまれていたとされる[5]。それ以前いぜんにも同様どうよう活動かつどうをしたべい艦船かんせんがあり、北朝鮮きたちょうせんはこれにつよ警告けいこくをしていたという[4]

1がつ21にち北朝鮮きたちょうせん小型こがた快速かいそくかんがプエブロごうはた通過つうか、1がつ22にち北朝鮮きたちょうせん漁船ぎょせん2せきあらわれ、1せきがプエブロごうを1しゅうし、しばらくただよってからとう圧力あつりょくをかけはじめた[4]。この時点じてんでは北朝鮮きたちょうせんがわにとってもあきらかに公海こうかいじょうであったとおもわれる。

1がつ23にち正午しょうごごろ北朝鮮きたちょうせんかんがプエブロごう臨検りんけんする様相ようそうせたので、プエブロごう移動いどうはじめたものの北朝鮮きたちょうせん海軍かいぐん追跡ついせきけ、上瀬谷かみせや通信つうしんたい電報でんぽう発信はっしんしたが、在日ざいにちアメリカ海軍かいぐんいやがらせをけているだけと判断はんだんとく対応たいおうをとらなかった[1]。しかし北朝鮮きたちょうせんがわからMiG-21戦闘せんとう2駆潜艇くせんてい1せき魚雷ぎょらいてい3せき応援おうえん急行きゅうこう[1]北朝鮮きたちょうせん駆潜艇くせんてい国際こくさい信号しんごうはた“SN”をもちいて停船ていせん要求ようきゅうした。

プエブロごう追跡ついせき回避かいひしようとしたが包囲ほういされ、午後ごご1時半じはんころから発砲はっぽう警告けいこく、さらに銃砲じゅうほうげきけて停船ていせんした[1]。プエブロごうべい国務省こくむしょうにワシントン時間じかん午後ごご1145ふんにSOSをはっした[1]。プエブロごうがわ機関きかんじゅうのカバーをかけたままで反撃はんげきしなかったが、攻撃こうげきにより8めい負傷ふしょう、うち3めい重傷じゅうしょう重傷じゅうしょうしゃのうち1にん死亡しぼうした[1](2かい砲撃ほうげき負傷ふしょうした見習みなら機関きかんへいデューン・ホッジスが死亡しぼうした)。一説いっせつには、プエブロごう北朝鮮きたちょうせんかん指示しじしたがって元山もとやまこうかったものの無線むせん機器きき破壊はかい機密きみつ書類しょるい処分しょぶんのために時間じかんかせぎのために極力きょくりょく低速ていそく移動いどう、さらに停止ていししたか、文書ぶんしょるいうみ廃棄はいきしようとしたため、北朝鮮きたちょうせんがわ攻撃こうげきうつったともされる[4]

駆潜艇くせんていから北朝鮮きたちょうせん兵士へいしうつって白兵戦はくへいせん発展はってん。アメリカへいしばげたのち目隠めかくしをし、銃床じゅうしょうなぐったりしてらえた。

プエブロごう北朝鮮きたちょうせん海軍かいぐん拿捕だほされ元山もとやまこう入港にゅうこうした[1]

収容しゅうよう

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北朝鮮きたちょうせん朝鮮民主主義人民共和国ちょうせんみんしゅしゅぎじんみんきょうわこく首都しゅと平壌ぴょんやん係留けいりゅうされているプエブロ(2009ねん)。現在げんざい反米はんべいプロパガンダのための観光かんこう資源しげんとなっている。

拿捕だほプエブロは元山もとやまこう入港にゅうこうさせられ、乗組のりくみいんは2かいわたって捕虜ほりょ収容しゅうようしょ移動いどうさせられた。乗組のりくみいん解放かいほう主張しゅちょうによれば、このあいだ乗組のりくみいん拷問ごうもんけ、プロパガンダよう写真しゃしん撮影さつえいしようとした北朝鮮きたちょうせんへいかって乗組のりくみいんファックサインをしたさいもっとはげしい拷問ごうもんがなされたという。

艦長かんちょうロイド・M・ブッチャー中佐ちゅうさ拷問ごうもんされ、スパイ行為こういおこなったと自白じはくさせるため「部下ぶかまえ処刑しょけいする」とおどされ、そのため、ブッチャーは自白じはく承諾しょうだくしたという。北朝鮮きたちょうせんがわかれ自身じしん言葉ことば自白じはくさせたが、このときブッチャーはささやかな抵抗ていこうとして、「わたし北朝鮮きたちょうせんと、偉大いだい指導しどうしゃきむ日成いるそん感謝かんしゃする」と発言はつげんしたさい、「感謝かんしゃする」を意味いみする「paean」を、「小便しょうべんする」という意味いみの「pee on」と発音はつおんした。しかし、英語えいごくわしいもののいなかった北朝鮮きたちょうせんがわだれひとりとして気付きづかなかった。

コンバット・フォックス作戦さくせん

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この事件じけんはアメリカ東部とうぶ時間じかん深夜しんや発生はっせいしたが、翌日よくじつ大統領だいとうりょう昼食ちゅうしょくかい対応たいおう検討けんとうされ、それから連日れんじつにわたって国家こっか安全あんぜん保障ほしょう会議かいぎ開催かいさいされた[1]国防こくぼう長官ちょうかんロバート・マクナマラ空軍くうぐん増派ぞうは政府せいふ態勢たいせい強化きょうか主張しゅちょうし、ベトナム戦争せんそう最中さいちゅうであったが、本国ほんごくとベトナムから最終さいしゅうてき戦術せんじゅつ400以上いじょう朝鮮半島ちょうせんはんとう周辺しゅうへん展開てんかいされた[1]。また、B-52戦略せんりゃく爆撃ばくげき24嘉手納かでな基地きちとグアムに前進ぜんしん配備はいびされ、給油きゅうゆ10嘉手納かでな基地きち駐屯ちゅうとんした[1]海軍かいぐんでは6空母くうぼぐん集結しゅうけつするとともに、うみ空軍くうぐん予備よびやく動員どういんおこなわれた[1]

外交がいこう交渉こうしょう

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アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく政府せいふ乗組のりくみいん解放かいほう要求ようきゅうしたが、北朝鮮きたちょうせんはこれをけ、ぎゃく領海りょうかい侵犯しんぱん謝罪しゃざいするようもとめた。28にちひらかれた国連こくれん安全あんぜん保障ほしょう理事りじかいでは米国べいこくゴールドバーグ大使たいしは、プエブロごう臨検りんけんされた位置いち公海こうかいじょうだったと主張しゅちょう国連こくれん加盟かめい北朝鮮きたちょうせんわりにソ連それんのモロゾフ大使たいし北朝鮮きたちょうせんりょう海上かいじょうだったと反論はんろんした[4]べいがわ北朝鮮きたちょうせんかん交信こうしん傍受ぼうじゅ記録きろくをもとに北朝鮮きたちょうせんかんがプエブロごう発見はっけんしたとき北朝鮮きたちょうせんかんほう公海こうかいじょうにいたはずとの根拠こんきょしかせなかった[4]

アメリカがわでは、報復ほうふく措置そちとして北朝鮮きたちょうせんたいして元山もとやまこうをはじめとする港湾こうわん機雷きらい封鎖ふうさ朝鮮半島ちょうせんはんとう沿岸えんがん船舶せんぱく航行こうこう禁止きんし船舶せんぱく拿捕だほ航空こうくう基地きち限定げんていした都市としへの空爆くうばくかんほう射撃しゃげき[1][6]機密きみつ保持ほじ措置そちとして元山もとやまこうのプエブロごう爆撃ばくげきとう検討けんとうされた[4]。しかし、北朝鮮きたちょうせん乗組のりくみいん人質ひとじちとしただけでは安心あんしんせずべつ場所ばしょ移送いそう、また、だい朝鮮ちょうせん戦争せんそうにつながればベトナム戦争せんそう並行へいこうして戦争せんそう遂行すいこうしなければならなくなることから、徐々じょじょソ連それんつうじた外交がいこう交渉こうしょうにより乗組のりくみいん船体せんたい引渡ひきわたしを要求ようきゅうする意見いけん大勢おおぜいめるようになった[1]。さらにベトナム戦争せんそうでは1968ねん1がつ30にちからテト攻勢こうせいはじまりアメリカ政府せいふ関心かんしんふたたびベトナムにうつった[1]

北朝鮮きたちょうせんは、テープにろくった乗組のりくみいんらの自供じきょう音声おんせい公開こうかい、さらにその9がつには、北朝鮮きたちょうせん政府せいふが、北朝鮮きたちょうせん建国けんこく20周年しゅうねん記念きねん慶祝けいしゅく行事ぎょうじ取材しゅざいするために平壌ぴょんやん滞在たいざいちゅうであった外国がいこくじん記者きしゃ会見かいけん許可きょかした。日本人にっぽんじん記者きしゃだん4にんなど西側にしがわ記者きしゃふく外国がいこくじん記者きしゃすうじゅうにんは3あいだはんにわたってブッチャー艦長かんちょう以下いか乗組のりくみいん20めい会見かいけん、そのでは、乗組のりくみいんらは領海りょうかい侵犯しんぱんみとめ、はや米国べいこくかえりたいことをうったえている[7]

事件じけん発生はっせい当時とうじ北朝鮮きたちょうせん領海りょうかい12海里かいり、アメリカは領海りょうかい3海里かいり主張しゅちょうしていた[1]事件じけん発生はっせいにアメリカがわは「12海里かいり以上いじょうはなれて航行こうこうしていた」と主張しゅちょうしたが、1968ねん12月にはアメリカがわが「航行こうこうしていたのは12海里かいり以内いないだった」とみとめ、謝罪しゃざいぶん北朝鮮きたちょうせん提出ていしゅつすることで乗組のりくみいん解放かいほう交渉こうしょう妥結だけつした[1]米国べいこくのギルバート・ウッドワード陸軍りくぐん少将しょうしょうは「わたしは、ひとえに乗組のりくみいん釈放しゃくほうさせるという唯一ゆいいつ目的もくてきにより、この文書ぶんしょ署名しょめいする」という声明せいめい発表はっぴょうしたうえで、謝罪しゃざいぶん署名しょめいしている[5]。のちに全員ぜんいん釈放しゃくほうされたが、プエブロごう返還へんかんされなかった。

その

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ブッチャー艦長かんちょうは、一発いっぱつ発砲はっぽうせず抵抗ていこうせずにむざむざとかん接収せっしゅうされたこと、機密きみつ書類しょるい廃棄はいき機密きみつ機器きき破壊はかい完全かんぜんおこないそれを確認かくにんしたうえ投降とうこうしなかったこと、領海りょうかい侵犯しんぱんみとめたこととう問題もんだいにされ、一般いっぱん裁判さいばん手続てつづきでいえばしんにあたる査問さもん手続てつづきにかけられた。武力ぶりょく抵抗ていこうしていれば完全かんぜん機密きみつ書類しょるい廃棄はいき機密きみつ機器きき破壊はかいおこないえたであろうとして、査問さもん会議かいぎ評決ひょうけつは、ブッチャーを軍法ぐんぽう会議かいぎにかけること、またブッチャーの上官じょうかんらについても譴責けんせき処分しょぶん相当そうとうであるというものだった。訴追そつい責任せきにんしゃは「かれらは十分じゅうぶんくるしんだ」とかたって、この判定はんていれず、軍法ぐんぽう会議かいぎとはならなかった[8]

1992ねん北朝鮮きたちょうせんでプエブロごう事件じけんえがいた映画えいが対決たいけつ』が製作せいさくされ、洋上ようじょうでプエブロごう航行こうこうさせて拿捕だほ様子ようす再現さいげんされた。この作品さくひんでは、日本人にっぽんじん拉致らち被害ひがいしゃ曽我そがひとみのおっともと米国べいこく軍人ぐんじんチャールズ・ジェンキンスべい空母くうぼエンタープライズ」の艦長かんちょうとして出演しゅつえんしている[9]

2014ねん1がつ機密きみつ指定してい解除かいじょ公開こうかいされた公文こうぶんしょにより、事件じけんけてのアメリカ太平洋軍たいへいようぐんによるたいきた有事ゆうじ行動こうどう計画けいかく「フレッシュ・ストーム」「フリーダム・ドロップ」がまとめられていたことあきらかになった。このうち後者こうしゃでは、核兵器かくへいき使用しようすら検討けんとうされていたという[10]

プエブロごう乗組のりくみいんらは11カ月かげつあいだ北朝鮮きたちょうせん収容しゅうようしょ拘束こうそくちゅう暴力ぼうりょく拷問ごうもん栄養失調えいようしっちょう身体しんたいてき精神せいしんてき苦痛くつうけ、おおくがPTSDや記憶きおく障害しょうがい、フラッシュバックなどにくるしめられ、家庭かてい生活せいかつ仕事しごとがうまくいかず、高齢こうれいになったいまも、健康けんこうじょう問題もんだい医療いりょう負担ふたんくるしんでいると主張しゅちょう北朝鮮きたちょうせん賠償ばいしょうもとめて米国べいこく裁判さいばん提訴ていそするうごきがある。北朝鮮きたちょうせん賠償ばいしょうおうじる見込みこみはないが、原告げんこく勝訴しょうそすれば、べい政府せいふがテロ被害ひがいしゃけに設立せつりつした基金ききんから救済きゅうさいきんることができる。2008ねんもと乗組のりくみいん遺族いぞくけいにん訴訟そしょうこし、裁判所さいばんしょ北朝鮮きたちょうせん総額そうがく6せんまんドルあまりの賠償金ばいしょうきん支払しはらいをめいじ、北朝鮮きたちょうせんおうじなかったが、原告げんこくらには2017ねんけい9ひゃくまんドルの救済きゅうさいきん給付きゅうふされた[11]。2008ねんまい政府せいふ北朝鮮きたちょうせんの「テロ支援しえん国家こっか指定してい解除かいじょしたが、トランプ大統領だいとうりょうが2017ねん11月にさい指定していしたことをけ、べつもと乗組のりくみいん家族かぞくらが2018ねん2がつ提訴ていそ、2021ねん2がつまい地裁ちさい北朝鮮きたちょうせんに23おくドル(やく2440おくえん)の支払しはらいをめいじる判決はんけつをいいわたした[12]

出典しゅってん

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 島川しまかわ雅史まさし集団しゅうだんてき自衛じえいけん」とろくはちねんまい諜報ちょうほうかんプエブロ拿捕だほ事件じけん」『立教女学院短期大学りつきょうじょがくいんたんきだいがく紀要きようだい47ごう立教女学院短期大学りつきょうじょがくいんたんきだいがく、2015ねん、1-13ぺーじdoi:10.20707/stmlib.47.0_1ISSN 0285-080XNAID 1100100416302021ねん6がつ1にち閲覧えつらん 
  2. ^ 世界せかいだい百科ひゃっか事典じてん だいはん』(2はん平凡社へいぼんしゃ 
  3. ^ NHKスペシャルドキュメント北朝鮮きたちょうせん だい1しゅう 個人こじん崇拝すうはいへのみち
  4. ^ a b c d e f g 米国べいこくかく攻撃こうげき検討けんとうした55ねんまえだい事件じけん北朝鮮きたちょうせん拿捕だほされた「プエブロごう」のいくつものなぞ伊藤いとう 孝司たかし”. 講談社こうだんしゃ. pp. 1-10. 2023ねん6がつ6にち閲覧えつらん
  5. ^ a b プエブロごう事件じけんちょうべい関係かんけいの「奇妙きみょう公式こうしき」の起源きげん : 社説しゃせつ・コラム”. ハンギョレ. 2023ねん6がつ4にち閲覧えつらん
  6. ^ 土田つちたひろし『アメリカ1968』中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ、2012ねん10がつ10日とおか、27ぺーじ 
  7. ^ 北朝鮮きたちょうせん拿捕だほされたべいかんプエブロごう乗組のりくみいん記者きしゃ会見かいけん4”. NPO法人ほうじん 科学かがく映像えいぞうかん. 2023ねん6がつ6にち閲覧えつらん
  8. ^ トレバー・アンブリスター『情報じょうほう収集しゅうしゅうかんプエブロごう 日本海にほんかいのミステリー』 しただい日本にっぽん絵画かいが、1992ねん3がつ1にち 
  9. ^ チャールズ・ジェンキンス:ちょ伊藤いとうしんやく告白こくはく角川書店かどかわしょてん 2005ねん 巻頭かんとう写真しゃしんのち文庫ぶんこ角川かどかわ文庫ぶんこシ25-1 2006ねん
  10. ^ 北朝鮮きたちょうせんかく攻撃こうげきも=プエブロ事件じけん有事ゆうじ計画けいかくまい公文書こうぶんしょ 時事通信じじつうしん2014ねん1がつ24にち
  11. ^ 北朝鮮きたちょうせん拿捕だほされたべい海軍かいぐんせんもと乗組のりくみいん賠償ばいしょうもと提訴ていそ - CNN.co.jp”. CNN. 2023ねん6がつ6にち閲覧えつらん
  12. ^ べい地裁ちさい北朝鮮きたちょうせん賠償ばいしょう命令めいれい プエブロごう事件じけんめぐり2400おくえん”. 日本経済新聞にほんけいざいしんぶん. 2023ねん6がつ6にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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