(Translated by https://www.hiragana.jp/)
軍事境界線 (朝鮮半島) - Wikipedia コンテンツにスキップ

軍事ぐんじ境界きょうかいせん (朝鮮半島ちょうせんはんとう)

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
朝鮮半島ちょうせんはんとう軍事ぐんじ境界きょうかいせん
各種かくしゅ表記ひょうき
ハングル 한반도 비무장 지대(みなみ)
チョソングル 조선반도 비무장 지대(きた)
漢字かんじ かん半島はんとう武裝ぶそう地帶ちたい(みなみ)
朝鮮半島ちょうせんはんとう武裝ぶそう地帶ちたい(きた)
発音はつおん ハンバンドビムジャンチデ(みなみ)
チョソンバンドビムジャンチデ(きた)
日本語にほんごみ: かんはんとうひぶそうちたい(みなみ)
ちょうせんはんとうひぶそうちたい(きた)
英語えいご表記ひょうき Korean Demilitarized Zone (DMZ)
テンプレートを表示ひょうじ

軍事ぐんじ境界きょうかいせん(ぐんじきょうかいせん、朝鮮ちょうせん: 군사분계선軍事ぐんじ分界ぶんかいせん英語えいご: Korean Demilitarized Zone略称りゃくしょうDMZ〉)とは、朝鮮半島ちょうせんはんとう陸上りくじょうにおいて大韓民国だいかんみんこく以下いか韓国かんこく)と朝鮮民主主義人民共和国ちょうせんみんしゅしゅぎじんみんきょうわこく以下いか北朝鮮きたちょうせん)との実効じっこう支配しはい地域ちいき分割ぶんかつする地帯ちたいのことである。あくまで実効じっこう支配しはい地域ちいきの「境界きょうかいせん」であり、「国境こっきょうせん」ではない。また、韓国かんこくにおいては北緯ほくい38せん付近ふきんにあることから38せん삼팔선:サンパルソン)とばれることがおおい(厳密げんみつ北緯ほくい38せんとは一致いっちしない)。

朝鮮ちょうせん戦争せんそう休戦きゅうせんラインであり、1953ねん7がつ27にち朝鮮ちょうせん戦争せんそう休戦きゅうせん協定きょうていにより発効はっこうした。軍事ぐんじ境界きょうかいせん周囲しゅういには南北なんぼく武装ぶそう地帯ちたい設定せっていされ、くわえて韓国かんこくがわでは民間みんかんじん出入でいり統制とうせい区域くいき設定せっていされているため、一部いちぶ例外れいがいのぞ一般人いっぱんじん軍事ぐんじ境界きょうかいせん付近ふきんちかづくことはできない。この境界きょうかいせん海上かいじょうにも延伸えんしんしており北方ほっぽう限界げんかいせん(NLL)とばれるが、韓国かんこくがわ北朝鮮きたちょうせんがわ主張しゅちょうするラインがおおきくことなり、紛争ふんそう度々たびたびきている。

歴史れきし[編集へんしゅう]

だい世界せかい大戦たいせん太平洋戦争たいへいようせんそう日本にっぽんめいだい東亜とうあ戦争せんそうやぶれた大日本帝國だいにっぽんていこくげん日本にっぽんこく)は、1910ねん明治めいじ43ねん)から植民しょくみん支配しはいしていた朝鮮半島ちょうせんはんとううしなった。

これにともない、朝鮮半島ちょうせんはんとう北緯ほくい38せん沿って南北なんぼくアメリカソ連それん分割ぶんかつ占領せんりょうおこなわれた。1948ねん南北なんぼく別々べつべつ独立どくりつ国家こっかとなったのちも、当初とうしょ境界きょうかいせん分割ぶんかつ占領せんりょうせんである北緯ほくい38せんちょうどに設定せっていされていた。

1950ねん6がつはじまった朝鮮ちょうせん戦争せんそうやく3ねん膠着こうちゃく状態じょうたいとなり、1953ねん7がつ27にち国連こくれんぐん代表だいひょうでアメリカ司令しれいかんのウィリアム・ハリソンや朝鮮人民軍ちょうせんじんみんぐん代表だいひょうみなみらが朝鮮ちょうせん戦争せんそう休戦きゅうせん協定きょうてい署名しょめいし、休戦きゅうせん施行しこう現状げんじょう境界きょうかいとして画定かくていさせることになった[1]。その結果けっか西海岸にしかいがんでは北朝鮮きたちょうせんが38せんみなみみ、東海岸ひがしかいがんでは韓国かんこくきたかたちせんとなった。朝鮮ちょうせん戦争せんそう以前いぜん大半たいはん地域ちいき南側みなみがわであった開城かいじょうと、黄海こうかいどう海岸かいがんせん付近ふきん北側きたがわとなった。一方いっぽう江原えばらみち中部ちゅうぶたば草市くさいちなど)は北側きたがわから南側みなみがわぞくすることとなった。

2024ねん北朝鮮きたちょうせんがわ韓国かんこくとの対決たいけつ姿勢しせいつよ[2]同年どうねん4がつからあらたな地雷じらい埋設まいせつ戦術せんじゅつ道路どうろ補強ほきょう対戦たいせんしゃ防壁ぼうへきとみられる構造こうぞうぶつ設置せっちなどをおこなった。地雷じらい埋設まいせつは、場所ばしょによっては100にん以上いじょう作業さぎょう従事じゅうじ。しばしば爆発ばくはつ事故じこ発生はっせいし、多数たすう負傷ふしょうしゃ後送こうそうされていく様子ようす韓国かんこくぐんにより確認かくにんされている。また、作業さぎょういん韓国かんこくがわ越境えっきょうして、警告けいこく射撃しゃげきけている[3]

境界きょうかいせん付近ふきん状況じょうきょう[編集へんしゅう]

武装ぶそう地帯ちたい(DMZ)[編集へんしゅう]

軍事ぐんじ境界きょうかいせん
面積めんせき 903平方へいほうキロメートル(そう面積めんせき)
北朝鮮きたちょうせんがわが478平方へいほうキロメートル
韓国かんこくがわが425平方へいほうキロメートル km2
最大さいだい都市とし 自由じゆうむら
所属しょぞく大陸たいりくしま 朝鮮半島ちょうせんはんとう
所属しょぞくこく地域ちいき 大韓民国の旗 大韓民国だいかんみんこく
朝鮮民主主義人民共和国の旗 朝鮮民主主義人民共和国ちょうせんみんしゅしゅぎじんみんきょうわこく
テンプレートを表示ひょうじ

休戦きゅうせん協定きょうていにより南北なんぼく双方そうほう勢力せいりょく軍事ぐんじ境界きょうかいせんから2キロメートル後退こうたいすることになり、けい4キロメートルの武装ぶそう地帯ちたい(DMZ)が設定せっていされ、地域ちいきないには軍隊ぐんたい駐屯ちゅうとん武器ぶき配置はいち軍事ぐんじ施設しせつ設置せっちをしないことになった[1][4]武装ぶそう地帯ちたいそう面積めんせきは903平方へいほうキロメートルであり、内訳うちわけ北朝鮮きたちょうせんがわが478平方へいほうキロメートル、韓国かんこくがわが425平方へいほうキロメートルである[5]武装ぶそう地帯ちたいには毎年まいとしやく650まんにん観光かんこうきゃくおとずれている[6]

武装ぶそう中立ちゅうりつ地帯ちたい民間みんかんじん出入でいり統制とうせい区域くいき韓国かんこくがわのみ)をへだてている「南方なんぽう限界げんかいせん」および「北方ほっぽう限界げんかいせん」(海上かいじょう北方ほっぽう限界げんかいせんとはべつ)は、南北なんぼく双方そうほう休戦きゅうせん協定きょうてい違反いはん理由りゆう軍事ぐんじ境界きょうかいせんがわしたため、現在げんざいではDMZのはばが300メートルまでせばまっている箇所かしょもあり、はばが4キロメートルのままのところめずらしい状況じょうきょうにある。

武装ぶそう地帯ちたいないごくわずかの地域ちいきのぞいて、いちめん地雷じらい敷設ふせつされているため通行つうこう実質じっしつ不可能ふかのうである。DMZに敷設ふせつされている地雷じらいは、北朝鮮きたちょうせんがわやく80まん韓国かんこくがわやく127まん合計ごうけい207まん程度ていど推測すいそくされている[7]。そのためはん世紀せいき以上いじょうにわたってひとかない場所ばしょとなったことから、自然しぜん豊富ほうふであり絶滅ぜつめつ危惧きぐしゅなどが生息せいそくする生物せいぶつ楽園らくえんとなっている[6]

軍事ぐんじ境界きょうかいせん国連こくれんぐん北朝鮮きたちょうせん中国ちゅうごくあいだでの国際こくさい合意ごういである朝鮮半島ちょうせんはんとう軍事ぐんじ停戦ていせん合意ごういもとづくが、軍事ぐんじ境界きょうかいせん双方そうほう通常つうじょう全般ぜんぱん前哨ぜんしょう(GOP:General Out Post)のあいだには韓国かんこくぐん朝鮮人民軍ちょうせんじんみんぐん監視かんししょ(GP:Guard Posts)が設置せっちされており事実じじつじょう当事とうじしゃとして実際じっさいてき役割やくわりたしている[1]軍事ぐんじ境界きょうかいせんから南側みなみがわに2キロメートルがったせん南方なんぽう限界げんかいせんばれ、鉄柵てっさくられており、ここを韓国かんこくぐん兵士へいし巡回じゅんかいする様子ようすがメディアなどでげられる[4]りょうぐんあいだ銃撃じゅうげきせん発生はっせいすることも数多かずおおく、1960年代ねんだいから1980年代ねんだいにかけては、ほぼ毎年まいとし死傷ししょうしゃしてきた。休戦きゅうせん協定きょうていだい1じょうだい10こう規定きていによって「民政みんせい救済きゅうさいのための警備けいび要員よういん」を南北なんぼく双方そうほうが1,000めいずつまで、武装ぶそう中立ちゅうりつ地帯ちたいないれることになっている。このためりょうぐんともかん哨所をてたり、潜伏せんぷく斥候せっこうれたりしている[8]

武装ぶそう地帯ちたいそのものは武装ぶそう緩衝かんしょう地帯ちたい警備けいびへい拳銃けんじゅう自動じどう小銃しょうじゅうのみ携行けいこうできるにすぎないが、武装ぶそう地帯ちたいはさんで対峙たいじする地域ちいきには非常ひじょうだい規模きぼ軍事ぐんじりょく配備はいびされており、ひゃくまんにん以上いじょう兵士へいしやく2まんだい装甲車そうこうしゃ戦略せんりゃく拠点きょてんなどが散在さんざいしている[1][4]

2020ねん6がつ16にち韓国かんこくにいる脱北者だっぽくしゃによる北朝鮮きたちょうせん政権せいけん批判ひはんビラばしたことにたいする報復ほうふく行動こうどうとして、朝鮮人民軍ちょうせんじんみんぐんそう参謀さんぼうはDMZへの軍隊ぐんたいさい進出しんしゅつけた手続てつづきをすすめると警告けいこくした[9]

共同きょうどう警備けいび区域くいき(JSA)[編集へんしゅう]

共同きょうどう警備けいび区域くいきない軍事ぐんじ境界きょうかいせん (MDL)
北朝鮮きたちょうせんがわから写真しゃしんかいってっている2人ふたり兵士へいしあいだにあるコンクリートのおび軍事ぐんじ境界きょうかいせんおく建物たてもの韓国かんこくがわの「自由じゆういえ
板門店はんもんてんはさんで北朝鮮きたちょうせんがわにある宣伝せんでんむらほら」(「平和へいわむら」)にあるたかさ160メートル国旗こっき掲揚けいようとう韓国かんこくがわ宣伝せんでんむらたいじょうほら」(「自由じゆうむら」)とのあいだで、かつて国旗こっき掲揚けいようとうたかさの競争きょうそうこった。

南北なんぼく実務じつむ協議きょうぎおこな場所ばしょは、軍事ぐんじ境界きょうかいせんじょうにある共同きょうどう警備けいび区域くいき (JSA: Joint Security Area) ない板門店はんもんてんにある軍事ぐんじ停戦ていせん委員いいんかいほん会議かいぎじょうである(詳細しょうさい当該とうがい項目こうもく参照さんしょう)。共同きょうどう警備けいび区域くいきは、軍事ぐんじ境界きょうかいせんはさんだ武装ぶそう中立ちゅうりつ地帯ちたい例外れいがいてき南北なんぼく共同きょうどう警備けいびする区域くいきとして制定せいていされている。そのため軍事ぐんじ境界きょうかいせん真上まうえに、建物たてものてられている唯一ゆいいつ場所ばしょである。

韓国かんこく政府せいふ施策しさくである安保あんぽ観光かんこう板門店はんもんてんでは1960年代ねんだいからおこなわれていたが、1964ねんには韓国かんこくじん観光かんこうきゃく北朝鮮きたちょうせん亡命ぼうめいする事件じけん発生はっせいしている[4]板門店はんもんてん観光かんこうは、外国がいこくじん場合ばあい旅行りょこうしゃとうつうじて申請しんせいすればそののうちに観光かんこうすることも可能かのうであるが、国民こくみん観光かんこう場合ばあい長期ちょうきにわたる申請しんせいや30にん以上いじょうでの団体だんたいによる申請しんせいなどきびしい条件じょうけんけられている[4]

警備けいびめんでは1976ねんにこの区域くいき軍事ぐんじ衝突しょうとつ事件じけんポプラ事件じけん)が発生はっせいしたため、以降いこう共同きょうどう警備けいび区域くいきないにおいても軍事ぐんじ境界きょうかいせん厳格げんかくおこなわれた。しかし、1996ねんから1997ねんにかけて物品ぶっぴんりをふくたいきた接触せっしょくがあったことが韓国かんこく問題もんだいとなり24めい摘発てきはつされている[4]

民間みんかんじん出入でいり統制とうせい区域くいき[編集へんしゅう]

軍事ぐんじ境界きょうかいせん付近ふきんへの一般いっぱん民間みんかんじんりは、ぐん活動かつどう支障ししょうをきたすおそれがあるため、通常つうじょう全般ぜんぱん前哨ぜんしょう(GOP:General Out Post)よりもさらに後退こうたいさせる必要ひつようがある[1]朝鮮ちょうせん休戦きゅうせん協定きょうてい調印ちょういんの1954ねん2がつにアメリカ陸軍りくぐんだい8軍団ぐんだん司令しれいかんにより民間みんかんじん統制とうせいせん設定せっていされた[4]みんすべせん(みんとうせん、민통선)とりゃくしてぶこともある。この武装ぶそう地帯ちたい南方なんぽう限界げんかいせん)より南側みなみがわに5 - 20キロメートルがったせんまでの区域くいき民間みんかんじん出入でいり統制とうせい区域くいき民間みんかんじん統制とうせい区域くいき)という[4]。この区域くいき軍事ぐんじ境界きょうかいせんちかしまでも設定せっていされており、すみとう朝鮮ちょうせんばんのようにしま全域ぜんいき設定せっていされているれいもある。

韓国かんこくがわにのみ設定せっていされており、このみんすべせん一般人いっぱんじんれる北限ほくげんとなる。みんすべせんえて区域くいきないはい場合ばあいぐんによる検問けんもんしょでの手続てつづきが必要ひつようである[10]

1958ねん以降いこう韓国かんこくぐん警備けいび担当たんとうしており、軍事ぐんじじょう保安ほあんじょう支障ししょうのない範囲はんいで「出入でいり農業のうぎょう」と「入居にゅうきょ農業のうぎょう」が許可きょかされている[4]。そのため朝鮮ちょうせん戦争せんそう休戦きゅうせんまえから土地とちがあるなどの理由りゆうで、特別とくべつ居住きょじゅうしている住民じゅうみん存在そんざいする。また1980年代ねんだいからおも退役たいえき軍人ぐんじんらが開墾かいこんはじめて入植にゅうしょくした屯田とんでんへいのような場所ばしょもある[8]

分断ぶんだん状況じょうきょう[編集へんしゅう]

鉄道てつどう[編集へんしゅう]

臨津こうえて北側きたがわつづきょうよしせんみんすべせんしめ鉄条てつじょうもう設置せっちされている。右側みぎがわ橋脚きょうきゃく朝鮮ちょうせん戦争せんそう破壊はかいされたきゅうのぼせん橋梁きょうりょうソウル釜山ぷさん方面ほうめん)の痕跡こんせきで、かつてここが複線ふくせん大動脈だいどうみゃくであったことをしめす。
いの - 金剛山こんごうさんむす国道こくどう7号線ごうせん東海とうかい北部ほくぶせん線路せんろ

現在げんざい軍事ぐんじ境界きょうかいせんとなっているせんまたいできょうよしせんきょうもとせん金剛山こんごうさん電気でんき鉄道てつどう東海とうかい北部ほくぶせんといった4ほん鉄道てつどう存在そんざいしたが、いずれもだい世界せかい大戦たいせん南北なんぼく分断ぶんだん朝鮮ちょうせん戦争せんそう戦禍せんかなか運行うんこう停止ていしされた。このうち、金剛山こんごうさん電気でんき鉄道てつどう営業えいぎょう再開さいかいされることなく事実じじつじょうはいせんとなり、東海とうかい北部ほくぶせんのち韓国かんこくがわ区間くかん書類しょるいじょうさい開業かいぎょうしたものの、営業えいぎょうされず1967ねんまでに全線ぜんせん廃止はいしきょうよしせんきょうはじめせん復旧ふっきゅうしたものの南北なんぼく線路せんろ分断ぶんだんされた状態じょうたいとなった。はいせんとなりはん世紀せいき以上いじょう放置ほうちされた路盤ろばんあとは、衛星えいせい写真しゃしんなどで確認かくにんできる[11][12]

その韓国かんこくがわでは線路せんろ分断ぶんだん地点ちてんきょうよしせんやまえききょうもとせんしんすみさとえき)に、「てつはしりたい」といった南北なんぼくむす鉄道てつどう再開さいかいどおりねが看板かんばんかれたりしていた。

きょうがませんならんで、ソウルと満州まんしゅう中国ちゅうごくむす朝鮮半島ちょうせんはんとうにおける大動脈だいどうみゃくだったきょうよしせんは、民間みんかんじん出入でいり統制とうせいせんよこたわる臨津こう手前てまえ分断ぶんだんされていたが、2000ねんきむ大中でじゅんきむ正日じょんいるりょう首脳しゅのう南北なんぼく首脳しゅのう会談かいだんによって、きょうよしせんさい連結れんけつ工事こうじ構想こうそうがり、つづ当事とうじしゃ会談かいだんによって正式せいしき連結れんけつ作業さぎょう合意ごういされた。

南側みなみがわきょうよしせんは、2001ねん津江つええきまで、2002ねんみんすべせんえて境界きょうかいせんちかくのみやこ羅山らざんえきまで延伸えんしんし、2003ねんより北側きたがわ開城かいじょうまでさい開通かいつうさせるための工事こうじおこなわれた。この工事こうじちゅう分断ぶんだん当時とうじ線路せんろタブレット閉塞へいそく発掘はっくつされ、一部いちぶ資料しりょうかんとう展示てんじされている。

2007ねんころ開城かいじょうでは開城かいじょう工業こうぎょう地区ちく造成ぞうせいすすみ、韓国かんこく企業きぎょう工場こうじょう北朝鮮きたちょうせん労働ろうどうしゃはたらくようになっているが、南北なんぼく鉄道てつどう連結れんけつ工事こうじこそほぼわっているものの、北朝鮮きたちょうせん軍部ぐんぶ反対はんたいもあり頓挫とんざした状態じょうたいであった。また、東海岸ひがしかいがんではもうひとつの南北なんぼく連絡れんらく鉄道てつどうである東海とうかいせん東海とうかい北部ほくぶせんみねひがしせん東海とうかい南部なんぶせん連結れんけつ)のさい開通かいつう工事こうじおこなわれており、北側きたがわ金剛山こんごうざん地区ちくでは韓国かんこく企業きぎょう現代げんだいによる観光かんこう開発かいはつおこなわれ、陸路りくろ海路かいろ韓国かんこくじん北側きたがわはいることができるようになるなど、2000年代ねんだいはいってからは軍事ぐんじ境界きょうかいせんすこしずつ開放かいほうされてきている傾向けいこうがある。最終さいしゅうてき2007ねん5月17にちきょうよしせんでは56ねんぶり、東海とうかいせんでは57ねんぶりに軍事ぐんじ境界きょうかいせんえる列車れっしゃ試運転しうんてんされた。

きょうはじめせんでは、2012ねん11月20にち韓国かんこくがわ路線ろせん従来じゅうらい終着駅しゅうちゃくえきであるしんすみさとえきからきたやく5キロメートル延伸えんしんされ、白馬はくば高地こうちえきあらたに開業かいぎょうした。また2015ねん8がつより、みんすべせん以北いほくつきさとえきまでさらに延伸えんしんする工事こうじ開始かいしされ、2017ねんまでの竣工しゅんこう目指めざしていたものの、2016ねん6がつ工事こうじ凍結とうけつされ、開業かいぎょう時期じき未定みていとなっている。最終さいしゅうてきには北朝鮮きたちょうせんがわ線路せんろともつながる予定よていだが、げん段階だんかいでは北朝鮮きたちょうせんがわ承認しょうにんられていない。

2024ねん1がつ北朝鮮きたちょうせんきむただしおんそう書記しょき韓国かんこくとの対決たいけつ姿勢しせい鮮明せんめい最高さいこう人民じんみん会議かいぎ演説えんぜつ韓国かんこくとの連携れんけい措置そち指示しじした。この直後ちょくごから東海とうかい北部ほくぶせんなどで線路せんろ撤去てっきょするなどのうごきがみられた[13]

道路どうろ[編集へんしゅう]

朝鮮ちょうせん戦争せんそう以降いこう軍事ぐんじ境界きょうかいせんえる道路どうろながらく存在そんざいせず、南北なんぼく往来おうらい板門店はんもんてんつうじておこなわれた。その南北なんぼく交流こうりゅう進展しんてんにより、南北なんぼくむす道路どうろ建設けんせつおこなわれ、みやこ羅山らざん - 開城かいじょう工業こうぎょう団地だんちいの - 金剛山こんごうさんむす道路どうろが、鉄道てつどう南北なんぼく出入でいり管理かんり事務所じむしょとも整備せいびされた。通行つうこうにあたっては、あらかじめ通行つうこうできる時間じかんめられており、また時間じかんごとに集団しゅうだん通行つうこうするために自由じゆう往来おうらいすることは出来できない。通行つうこうするさいには、軍事ぐんじ境界きょうかいせんさかい南北なんぼく双方そうほう軍用ぐんよう車両しゃりょう警護けいごたる。

海上かいじょう[編集へんしゅう]

軍事ぐんじ境界きょうかいせんは、朝鮮ちょうせん戦争せんそう休戦きゅうせん条約じょうやくもとづき陸上りくじょう設定せっていされているが、海上かいじょうには設定せっていされていない。北緯ほくい38せんよりきた黄海こうかいうえいくつかの島嶼とうしょ確保かくほしていた国連こくれんぐんがわは、休戦きゅうせん協定きょうてい発効はっこう1953ねん8がつ北方ほっぽう限界げんかいせん (Northen Limit Line) を宣言せんげんし、そこを事実じじつじょう境界きょうかいとしている。北朝鮮きたちょうせんがわは、これを黙認もくにんしてきたが、1999ねん9月に北方ほっぽう限界げんかいせん南方なんぽう海上かいじょう軍事ぐんじ境界きょうかいせん設定せってい宣言せんげんした。しかし、これはじつ効力こうりょくともなっておらず、韓国かんこくがわ北方ほっぽう限界げんかいせん効力こうりょくたもっているものの、侵入しんにゅうしてきた北朝鮮きたちょうせん艦船かんせん銃撃じゅうげきせん発生はっせいすることがある。

電力でんりょく[編集へんしゅう]

1948ねん5月みずゆたかダムなどおおくの発電はつでん施設しせつゆうした北側きたがわから南側みなみがわへの送電そうでん停止ていしされた[14]。このため、アメリカぐんから電源でんげんせん急遽きゅうきょ派遣はけんされるなど、南側みなみがわ地域ちいき電力でんりょく不足ふそく深刻しんこく状況じょうきょうであった。これ以降いこう南北なんぼく相互そうご電力でんりょく融通ゆうずう一切いっさいできなくなっていたが、2003ねん6がつより造成ぞうせいはじまった開城かいじょう工業こうぎょう地区ちくけに限定げんていした運用うんようであるが、南側みなみがわから10まんキロワットの送電そうでんせん新規しんき敷設ふせつ韓国かんこくから北朝鮮きたちょうせんへの送電そうでん再開さいかいされた。

通信つうしん[編集へんしゅう]

朝鮮半島ちょうせんはんとう南北なんぼくむす市外しがい電話でんわもう運用うんようおよび保守ほしゅは、国際電気こくさいでんき通信つうしん(株)かぶしきがいしゃおこなっていた。装荷そうかケーブルにより接続せつぞくされた市外しがい回線かいせんは、朝鮮半島ちょうせんはんとう各所かくしょ市内しない回線かいせん接続せつぞくのための中継ちゅうけいしょもうけられていた。中継ちゅうけいしょ釜山ぷさんきょうしろ平壌ぴょんやんといった大都市だいとしだけではなく、信号しんごう増幅ぞうふくのため一定いってい距離きょりごとにも中継ちゅうけいしょがあった。終戦しゅうせん直後ちょくご1945ねん8がつ26にち未明みめい開城かいじょうきたおよそ60キロメートルほどはなれた、現在げんざい黄海こうかい北道ほくどう平山ひらやまぐんにあった、同社どうしゃ管理かんり南川みなみかわ中継ちゅうけいしょ進駐しんちゅうしたソビエト連邦れんぽうぐんが、市外しがい回線かいせんケーブルと局内きょくない装置そうちあいだにある保安ほあん装置そうち撤去てっきょした。

現在げんざいでは、開城かいじょう工業こうぎょう地区ちく韓国かんこくむす電話でんわ回線かいせん敷設ふせつされており、また南北なんぼくあいだ特別とくべつ行事ぎょうじがあるさいは、平壌ぴょんやん - ソウルあいだ直通ちょくつう電話でんわ臨時りんじ設置せっちされる。

放送ほうそう[編集へんしゅう]

ラジオ放送ほうそう社団しゃだん法人ほうじん朝鮮ちょうせん放送ほうそう協会きょうかいきょうしろ現在げんざいのソウル)のきょうしろ中央ちゅうおう放送ほうそうきょく呼出よびだし符号ふごうJODK)から平壌放送ぴょんやんほうそうきょく呼出よびだし符号ふごうJBBK)などの北側きたがわ地域ちいき中継ちゅうけい放送ほうそうしていた。しかしながら1945ねん8がつ26にち進駐しんちゅうした赤軍せきぐんにより北緯ほくい38せん境目さかいめ南北なんぼく放送ほうそうよう中継ちゅうけい回線かいせん切断せつだんされ、南北なんぼく中継ちゅうけい放送ほうそうができなくなった。なお、同日どうじつ南北なんぼく市外しがい電話でんわ回線かいせん不通ふつうとなっている。以降いこう分断ぶんだん決定的けっていてきになり北側きたがわ地域ちいき放送ほうそうきょく朝鮮ちょうせん中央ちゅうおう放送ほうそう(KCBS)、南側みなみがわ地域ちいき放送ほうそうきょく韓国かんこく放送ほうそう公社こうしゃ(KBS)へと再編さいへんされていった。

ラジオやテレビなどの地上ちじょう放送ほうそうについては、スピルオーバーにより相手あいてがわ放送ほうそう一般いっぱん住民じゅうみん直接ちょくせつ視聴しちょうできないよう、双方そうほう妨害ぼうがい電波でんぱをかけられた。しかしテレビについては南北なんぼく放送ほうそう方式ほうしき差異さいがある[ちゅう 1]ため一般いっぱん市販しはんされている受像じゅぞうだけでは視聴しちょうできない。

軍事ぐんじ境界きょうかいせんはさんで1962ねんから2004ねんまでは、大型おおがただい出力しゅつりょく拡声かくせい相手あいてがわのエリアが見渡みわたせる場所ばしょ設置せっちしたうえで、プロパガンダや音楽おんがくながす「拡声かくせい放送ほうそう」が南北なんぼく相互そうごおこなわれていた。この放送ほうそう南北なんぼく合意ごういにより一旦いったん中止ちゅうしされたものの、南北なんぼく関係かんけい悪化あっかにより2016ねん1がつ、11ねんぶりに拡声かくせい放送ほうそう再開さいかいされた。その2018ねん4がつ南北なんぼく首脳しゅのう会談かいだん開催かいさいともなふたた中止ちゅうしされ、よく5がつまでに双方そうほう拡声かくせい撤去てっきょされた。

自然しぜん[編集へんしゅう]

ひとかない場所ばしょとなったことから、自然しぜん豊富ほうふであり絶滅ぜつめつ危惧きぐしゅなどが生息せいそくする生物せいぶつ楽園らくえんとなっている[6]韓国かんこくがわ調査ちょうさによると、武装ぶそう地帯ちたいないには2,700種類しゅるい以上いじょう野生やせいしゅまたはちんしゅ動物どうぶつとり植物しょくぶつ生息せいそくしている[1]

見学けんがく

軍事ぐんじ境界きょうかいせん付近ふきん見学けんがくできる。

境界きょうかいせん地理ちり情報じょうほう[編集へんしゅう]

  • 境界きょうかいせん画定かくてい
1953ねん7がつ27にち
  • 東西とうざい距離きょり
やく248キロメートル
  • 始点してん終点しゅうてん
西にし漢江かんこう河口かこう右岸うがん・(ひがし金剛山こんごうざん付近ふきん海岸かいがんうみ金剛こんごう[8]
  • 武装ぶそう中立ちゅうりつ地帯ちたい(DMZ)
軍事ぐんじ境界きょうかいせん中心ちゅうしん南北なんぼく双方そうほう2キロメートルはば合計ごうけい4キロメートルはば
  • DMZ面積めんせき
やく6,400平方へいほうメートル

軍事ぐんじ境界きょうかいせん舞台ぶたいにした作品さくひん[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 韓国かんこくNTSC北朝鮮きたちょうせんPAL採用さいよう。なお、韓国かんこくではデジタル放送ほうそう完全かんぜん移行いこうされている。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c d e f 珏. “武装ぶそう地帯ちたい分断ぶんだんされた南北朝鮮なんぼくちょうせん運命うんめい”. 公益こうえき財団ざいだん法人ほうじんアジア成長せいちょう研究所けんきゅうじょ. 2022ねん1がつ22にち閲覧えつらん
  2. ^ 北朝鮮きたちょうせん韓国かんこく同族どうぞくにあらず」たいみなみ政策せいさく転換てんかん真意しんいとは”. NHK (2024ねん2がつ26にち). 2024ねん6がつ19にち閲覧えつらん
  3. ^ 武装ぶそう地帯ちたい地雷じらい埋設まいせつする北朝鮮きたちょうせんぐん相次あいつばくはつすうじゅうにん死傷ししょう死地しちたされるきた軍人ぐんじんたち”. 朝鮮日報ちょうせんにっぽう (2024ねん6がつ19にち). 2024ねん6がつ19にち閲覧えつらん
  4. ^ a b c d e f g h i 韓国かんこくにおける民族みんぞく分断ぶんだん観光かんこう”. 島根しまね県立けんりつ大学だいがく. 2022ねん1がつ22にち閲覧えつらん
  5. ^ 비무장지대(DMZ) 에코타임스 2019ねん9がつ27にち配信はいしん 2022ねん4がつ28にち閲覧えつらん
  6. ^ a b c 南北なんぼく軍事ぐんじ境界きょうかいは「絶滅ぜつめつ危惧きぐしゅ」の楽園らくえん 自然しぜん手付てつかずのまま」『BBCニュース』。2023ねん8がつ30にち閲覧えつらん
  7. ^ 朝鮮半島ちょうせんはんとう武装ぶそう地帯ちたい周辺しゅうへんルポ/南北なんぼくあいだかべ 地雷じらい207まん毎日新聞まいにちしんぶん朝刊ちょうかん2019ねん9がつ11にち特集とくしゅうワイドめん)2019ねん9がつ12にち閲覧えつらん
  8. ^ a b c 軍事ぐんじ研究けんきゅう』2007ねん3がつごう韓国かんこく戦時せんじ即応そくおう体制たいせい
  9. ^ 武装ぶそう地帯ちたいへのぐん進出しんしゅつ警告けいこく 北朝鮮きたちょうせん前線ぜんせん要塞ようさい”. 日本経済新聞にほんけいざいしんぶん 電子でんしばん (2020ねん6がつ16にち). 2020ねん6がつ16にち閲覧えつらん
  10. ^ なが分断ぶんだんつくした「異質いしつかん朝鮮半島ちょうせんはんとう武装ぶそう地帯ちたいあるいた:朝日新聞あさひしんぶんGLOBE+”. 朝日新聞あさひしんぶんGLOBE+ (2018ねん5がつ26にち). 2023ねん8がつ30にち閲覧えつらん
  11. ^ きょうはじめせん路盤ろばんあと(Google Mapより)
  12. ^ 金剛山こんごうさん電気でんき鉄道てつどう路盤ろばんあと(Google Mapより)
  13. ^ 北朝鮮きたちょうせん 南北なんぼくつなぐ東海とうかいせん鉄道てつどう線路せんろ撤去てっきょ”. 聯合れんごうニュース (2024ねん6がつ5にち). 2024ねん6がつ15にち閲覧えつらん
  14. ^ 韓国かんこく電力でんりょく公社こうしゃ 会社かいしゃ紹介しょうかい 沿革えんかくより

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]