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ボブ・ウェルチ (野球やきゅう)

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ボブ・ウェルチ
Bob Welch
基本きほん情報じょうほう
国籍こくせき アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
出身しゅっしん ミシガンしゅうデトロイト
生年月日せいねんがっぴ (1956-11-03) 1956ねん11月3にち
ぼつ年月日ねんがっぴ (2014-06-09) 2014ねん6月9にち(57さいぼつ
身長しんちょう
体重たいじゅう
6' 3" =やく190.5 cm
190 lb =やく86.2 kg
選手せんしゅ情報じょうほう
投球とうきゅう打席だせき みぎとうみぎ
ポジション 投手とうしゅ
プロ 1977ねん MLBドラフト1じゅん
はつ出場しゅつじょう 1978ねん6がつ20日はつか
最終さいしゅう出場しゅつじょう 1994ねん8がつ11にち
経歴けいれき括弧かっこないはプロチーム在籍ざいせき年度ねんど
選手せんしゅれき
コーチれき
国際こくさい大会たいかい
代表だいひょうチーム アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく

ロバート・リン・ウェルチRobert Lynn Welch, 1956ねん11月3にち - 2014ねん6月9にち)は、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくミシガンしゅうデトロイト出身しゅっしんもとプロ野球やきゅう選手せんしゅ投手とうしゅ)、プロ野球やきゅうコーチみぎとうみぎ

経歴けいれき[編集へんしゅう]

プロまえ[編集へんしゅう]

1974ねんMLBドラフト14じゅん全体ぜんたい319)でシカゴ・カブスから指名しめいけるが契約けいやくせず、ひがしミシガン大学だいがく進学しんがくした。1976ねんにはだい5かい日米にちべい大学だいがく野球やきゅう選手権せんしゅけん出場しゅつじょうしており、2しょうげている[1]

プロりとドジャース時代じだい[編集へんしゅう]

1977ねんMLBドラフト1じゅん全体ぜんたい20)でロサンゼルス・ドジャースから指名しめいされ、プロり。

1978ねん6がつ20日はつかヒューストン・アストロズせんでメジャーデビュー。8月から先発せんぱつ定着ていちゃくし、8がつ5にちサンフランシスコ・ジャイアンツせんで9安打あんだびながらメジャーはつ完封かんぷう記録きろくするなどデビューから5連勝れんしょう。7しょう4はい防御ぼうぎょりつ2.02・3完封かんぷう記録きろくし、チームの地区ちく連覇れんぱ貢献こうけんフィラデルフィア・フィリーズとのリーグチャンピオンシップシリーズではだい1せんで5かい途中とちゅうからリリーフして最後さいごまでげて勝利しょうり投手とうしゅとなり、チームはリーグ連覇れんぱたす。ニューヨーク・ヤンキースとのワールドシリーズではだい2せんで1てんリードの9かいひょう1いち二塁にるい場面ばめんでリリーフし、最後さいご打者だしゃレジー・ジャクソン三振さんしん仕留しとめてセーブを記録きろくだい4せんでは8かい途中とちゅうからリリーフするが延長えんちょう10かいうらルー・ピネラにサヨナラ安打あんだ敗戦はいせん投手とうしゅ王手おうてをかけられてむかえただい6せんでは6かい途中とちゅうから登板とうばんするが、7かいにジャクソンにダメ押だめおしの2てん本塁打ほんるいだび、チームは敗退はいたいした。

1979ねん開幕かいまく当初とうしょ先発せんぱつだったが5がつにリリーフに転向てんこう。6月にふたた先発せんぱつもどるが7がつ故障こしょう離脱りだつし、5しょう6はいわる。

1980ねん5月29にちアトランタ・ブレーブスせん唯一ゆいいつ安打あんだのち併殺へいさつり、四死球ししきゅう失策しっさく残塁ざんるいいずれも0の「じゅん完全かんぜん試合しあい」を記録きろくするなど、前半ぜんはんせんで9しょう3はい防御ぼうぎょりつ2.36の好成績こうせいせきオールスターゲームにはじめて選出せんしゅつされる。後半こうはんせん失速しっそくしたが14しょう9はい防御ぼうぎょりつ3.29を記録きろくした。

1981ねん50日間にちかんおよぶストライキでシーズンが中断ちゅうだん短縮たんしゅくされてぜん後期こうきスプリットシーズンせい変則へんそく日程にっていとなり、その影響えいきょうで9しょうまるが、チームは前期ぜんき優勝ゆうしょう。アストロズとのディビジョンシリーズでは1試合しあいのリリーフ登板とうばんのみだったが、モントリオール・エクスポズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは最終さいしゅうだい5せんで1てんリードの9かいうら2いち二塁にるい場面ばめんでリリーフし、最後さいご打者だしゃおさえて胴上どうあ投手とうしゅとなった。ヤンキースとのワールドシリーズではだい4せん先発せんぱつするが、打者だしゃ4にんたいして3安打あんだ1四球しきゅうで1れないまま降板こうばん。チームはワールドチャンピオンとなった。

1982ねんは16しょう11はい防御ぼうぎょりつ3.36の成績せいせき

1983ねん途中とちゅうまでけが先行せんこうしたが終盤しゅうばんに6連勝れんしょう記録きろくしてかえし、15しょう12はい防御ぼうぎょりつ2.65の成績せいせきでチームの地区ちく優勝ゆうしょう貢献こうけん。フィリーズとのリーグチャンピオンシップシリーズではだい3せん先発せんぱつするが2かい途中とちゅう降板こうばんして敗戦はいせん投手とうしゅとなり、チームも1しょう3はい敗退はいたいした。

1984ねん終盤しゅうばん故障こしょうしゃリストりするなど13しょう13はい

1985ねん故障こしょう出遅でおくれるが6がつ以降いこう8連勝れんしょうふくむ13しょうげるなど好調こうちょうで、14しょう4はい防御ぼうぎょりつ2.31を記録きろくし、チームは地区ちく優勝ゆうしょうセントルイス・カージナルスとのリーグチャンピオンシップシリーズではだい3せん先発せんぱつするも3かい途中とちゅう5安打あんだ6四球しきゅう4失点しってん乱調らんちょう敗戦はいせん投手とうしゅとなり、チームも2しょう4はい敗退はいたいした。

1986ねんはシーズンはつ登板とうばん完封かんぷうかざるが、その打線だせん援護えんごがなく勝利しょうりめぐまれず、防御ぼうぎょりつ3.28ながら7しょう13はいとどまった。

1987ねんは15しょう9はい、いずれもキャリアハイの251.2イニング・196だつ三振さんしん・4完封かんぷう(リーグトップ)を記録きろく

アスレチックス時代じだい[編集へんしゅう]

1987ねん12月11にちジェイ・ハウエルアルフレド・グリフィンらとのトレードで、マット・ヤング英語えいごばんともオークランド・アスレチックス移籍いせき

1988ねんは6がつまでに7連勝れんしょうふくむ10しょう。17しょう9はい防御ぼうぎょりつ3.64を記録きろくし、チームの地区ちく優勝ゆうしょう貢献こうけんボストン・レッドソックスとのリーグチャンピオンシップシリーズではだい3せん先発せんぱつし2かい途中とちゅう5失点しってん降板こうばんするが、チームは逆転ぎゃくてん勝利しょうり古巣ふるすドジャースとのワールドシリーズではだい3せん先発せんぱつし、5かい1失点しってん好投こうとうするが勝敗しょうはいかず。圧倒的あっとうてき有利ゆうり予想よそうされたチームは1しょう4はい敗退はいたいした。

1989ねんは21しょうデーブ・スチュワートともに19しょうマイク・ムーアストーム・デービス英語えいごばん強力きょうりょく先発せんぱつカルテット形成けいせい前年ぜんねんつづいて17しょう記録きろくし、チームは地区ちく連覇れんぱたす。トロント・ブルージェイズとのリーグチャンピオンシップシリーズではだい4せん先発せんぱつし、6かい途中とちゅう2失点しってん勝利しょうり投手とうしゅとなり、チームはリーグ連覇れんぱ。「ベイエリア・シリーズ」となったジャイアンツとのワールドシリーズでは本拠地ほんきょち連勝れんしょうだい3せん先発せんぱつ予定よていだったが、試合しあい開始かいしまえにベイエリア一帯いったいおそったマグニチュード7.1のロマ・プリータ地震じしん発生はっせいしたため中止ちゅうしとなる。10日とおかあいだ中断ちゅうだん再開さいかいされただい3せんでは、だい1せん完封かんぷう勝利しょうりのステュワートが先発せんぱつ勝利しょうりだい4せんだい2せん先発せんぱつのムーアが先発せんぱつして勝利しょうりし、4連勝れんしょうでワールドチャンピオンとなったため登板とうばん機会きかいはなかった。

1990ねん5月11にちから10連勝れんしょう前半ぜんはんせんで13しょうげて10ねんぶりにオールスター選出せんしゅつされ、先発せんぱつ投手とうしゅつとめた。後半こうはんせんでも14しょうげ、27しょう6はい防御ぼうぎょりつ2.95という驚異きょういてき成績せいせき最多さいた勝利しょうりのタイトルを獲得かくとくし、地区ちく3連覇れんぱ原動力げんどうりょくとなる。25しょう以上いじょうは1980ねんスティーブ・ストーンが25しょう記録きろくして以来いらい10ねんぶりで、27しょうとなると1972ねんスティーブ・カールトンまでさかのぼる。これ以後いご2015ねん終了しゅうりょう時点じてんで25しょう以上いじょう記録きろくした投手とうしゅはいない。レッドソックスとのリーグチャンピオンシップシリーズではだい2せん先発せんぱつして8かい途中とちゅう1失点しってん勝利しょうり投手とうしゅとなり、チームはリーグ3連覇れんぱたす。シンシナティ・レッズとのワールドシリーズではだい2せん先発せんぱつするが、8かいにピンチをまね途中とちゅう降板こうばん後続こうぞくたれて同点どうてんかれ、チームはサヨナラけ。結局けっきょく4連敗れんぱい敗退はいたいした。オフに自身じしんはつサイ・ヤングしょう受賞じゅしょう

1991ねんは4がつ好調こうちょうだったものの、5月5にちクリーブランド・インディアンスせん自身じしんワーストの11失点しってん。そのも29失点しってんきっするなど不振ふしんおちいり、12しょう13はい防御ぼうぎょりつ4.58と前年ぜんねんからおおきく成績せいせきとした。同年どうねん一時いちじアルコール使用しよう障害しょうがいわずらい、その模様もようしるした「ファイブ・オクロック・カムズ・アーリー」というほんニューヨーク・タイムズのスポーツ・コラムニストであるGeorge Vecsey英語えいごばんとの共著きょうちょ出版しゅっぱんした。

1992ねん開幕かいまくわず、復帰ふっき故障こしょうがちで20試合しあい登板とうばんまるが11しょうげ、チームの地区ちく優勝ゆうしょう貢献こうけん。ブルージェイズとのリーグチャンピオンシップシリーズではだい4せん先発せんぱつし8かい途中とちゅう2失点しってん好投こうとうするが、クローザーデニス・エカーズリーたれて同点どうてんかれ、延長えんちょうすえやぶれる。チームは2しょう4はい敗退はいたいした。

1993ねん自身じしんはつ開幕かいまく投手とうしゅつとめるが不調ふちょうで、9しょう11はい防御ぼうぎょりつ5.29にまる。

1994ねん開幕かいまくから5連敗れんぱいきっして5がつ途中とちゅうにリリーフ降格こうかく1994ねんから1995ねんのMLBストライキでシーズンがられて3しょうわり、同年どうねんかぎりで現役げんえき引退いんたい

引退いんたい[編集へんしゅう]

2001ねんアリゾナ・ダイヤモンドバックス投手とうしゅコーチに就任しゅうにんし、チームはワールドチャンピオンにかがやいた。

2006ねんおこなわれただい1かいWBCではオランダ代表だいひょう投手とうしゅコーチをつとめた。

2013ねんからアスレチックスのマイナー総合そうごうコーチに就任しゅうにん

2014ねん6月9にちよる心臓しんぞう発作ほっさのためカリフォルニアしゅうシールビーチ英語えいごばんにて死去しきょ[2]

詳細しょうさい情報じょうほう[編集へんしゅう]

年度ねんどべつ投手とうしゅ成績せいせき[編集へんしゅう]

とし

たま

だん
とう

いた
さき

はつ
かん

とう
かん

ふう

よん
たま
かち

はい

せん





かち

りつ


もの
とう
たま
かい

やす

ほん
るい
あずか
よん
たま
けい

とお
あずか

たま
だつ
さん


とう


しつ

てん

せめ
てん
ぼう

りつ
W
H
I
P
1978 LAD 23 13 4 3 1 7 4 3 - .636 439 111.1 92 6 26 2 1 66 2 2 28 25 2.02 1.06
1979 25 12 1 0 0 5 6 5 - .455 349 81.1 82 7 32 4 3 64 0 0 42 36 3.98 1.40
1980 32 32 3 2 1 14 9 0 - .609 889 213.2 190 15 79 6 3 141 7 5 85 78 3.29 1.26
1981 23 23 2 1 1 9 5 0 - .643 601 141.1 141 11 41 0 3 88 2 0 56 54 3.44 1.29
1982 36 36 9 3 0 16 11 0 - .593 965 235.2 199 19 81 5 5 176 5 1 94 88 3.36 1.19
1983 31 31 4 3 0 15 12 0 - .556 828 204.0 164 13 72 4 3 156 4 6 73 60 2.65 1.16
1984 31 29 3 1 1 13 13 0 - .500 771 178.2 191 11 58 7 2 126 4 2 86 75 3.78 1.39
1985 23 23 8 3 1 14 4 0 - .778 675 167.1 141 16 35 2 6 96 7 4 49 43 2.31 1.05
1986 33 33 7 3 1 7 13 0 - .350 981 235.2 227 14 55 6 7 183 2 1 95 86 3.28 1.20
1987 35 35 6 4 0 15 9 0 - .625 1027 251.2 204 21 86 6 4 196 4 4 94 90 3.22 1.15
1988 OAK 36 36 4 2 0 17 9 0 - .654 1034 244.2 237 22 81 1 10 158 3 13 107 99 3.64 1.30
1989 33 33 1 0 0 17 8 0 - .680 884 209.2 191 13 78 3 6 137 5 0 82 70 3.00 1.28
1990 35 35 2 2 1 27 6 0 - .818 979 238.0 214 26 77 4 5 127 2 2 90 78 2.95 1.22
1991 35 35 7 1 0 12 13 0 - .480 950 220.0 220 25 91 3 11 101 3 2 124 112 4.58 1.41
1992 20 20 0 0 0 11 7 0 - .611 513 123.2 114 13 43 0 2 47 1 0 47 45 3.27 1.27
1993 30 28 0 0 0 9 11 0 - .450 746 166.2 208 25 56 5 7 63 1 0 102 98 5.29 1.58
1994 25 8 0 0 0 3 6 0 - .333 325 68.2 79 10 43 2 1 44 3 3 56 54 7.08 1.78
MLB:17ねん 506 462 61 28 7 211 146 8 - .591 12956 3092.0 2894 267 1034 60 79 1969 55 45 1310 1191 3.47 1.27
  • 「-」は記録きろくなし。
  • 太字ふとじはリーグ1

獲得かくとくタイトル[編集へんしゅう]

表彰ひょうしょう[編集へんしゅう]

記録きろく[編集へんしゅう]

以下いか歴代れきだい順位じゅんいは2016年度ねんどシーズン終了しゅうりょう順位じゅんいである。

  • 通算つうさんボーク45歴代れきだい2

背番号せばんごう[編集へんしゅう]

  • 35(1978ねん - 1994ねん

代表だいひょうれき[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ だい5かい 日米にちべい大学だいがく野球やきゅう選手権せんしゅけん(2018ねん9がつ27にち閲覧えつらん
  2. ^ Former A's, Dodgers pitcher Welch dies at 57” (英語えいご). 2014ねん6がつ11にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]