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バリー・ジト

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
バリー・ジト
Barry Zito
オークランド・アスレチックスでの現役げんえき時代じだい
基本きほん情報じょうほう
国籍こくせき アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
出身しゅっしん ネバダしゅうラスベガス
生年月日せいねんがっぴ (1978-05-13) 1978ねん5月13にち(46さい
身長しんちょう
体重たいじゅう
6' 2" =やく188 cm
205 lb =やく93 kg
選手せんしゅ情報じょうほう
投球とうきゅう打席だせき ひだりとうひだり
ポジション 投手とうしゅ
プロ 1999ねん MLBドラフト1じゅん
はつ出場しゅつじょう 2000ねん7がつ22にち
最終さいしゅう出場しゅつじょう 2015ねん9がつ30にち
経歴けいれき括弧かっこないはプロチーム在籍ざいせき年度ねんど

バリー・ウィリアム・ジトBarry William Zito, 1978ねん5月13にち - )は、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくネバダしゅうラスベガス出身しゅっしんもとプロ野球やきゅう選手せんしゅ投手とうしゅ)。ひだりとうひだり

オークランド・アスレチックス在籍ざいせきには、2000ねんからティム・ハドソンマーク・マルダーともにエーストリオ "ビッグ3" を形成けいせい以後いご4ねんで3にんわせて198しょう(チーム勝利しょうりすうの50.5%)をげ、チームは2003ねんまで4ねん連続れんぞくポストシーズン出場しゅつじょうたした。

経歴けいれき

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プロまえ

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サンディエゴ大学だいがく附属ふぞく高等こうとう学校がっこう英語えいごばん3年生ねんせいのときにリーグの1stチームにえらばれ、1996ねん卒業そつぎょう。このとしMLBドラフト59じゅん全体ぜんたい1586)でシアトル・マリナーズから指名しめいけるが契約けいやくせず、カリフォルニア大学だいがくサンタバーバラこう進学しんがくした。1年生ねんせいのときに85.1投球とうきゅうかいで123三振さんしんうばい、全米ぜんべい1年生ねんせい1stチームに選出せんしゅつされた。

ロサンゼルス・ピアース・カレッジ英語えいごばん転校てんこうしてむかえた2ねんにも103投球とうきゅうかいで135だつ三振さんしん防御ぼうぎょりつ2.62を記録きろくし、しゅうカンファレンスの1stチームに選出せんしゅつ同校どうこう卒業そつぎょうし、1998ねんのドラフトで2度目どめ指名しめいテキサス・レンジャーズからける(3じゅん全体ぜんたい83)が、契約けいやくきん5まんドルはたかすぎるとして契約けいやくにはいたらなかった[1]。そのサンディエゴ・パドレスでプレイしたいとおもい、入団にゅうだんテストをけたが、たまおそすぎるためメジャーでは無理むりといわれた[1]

みなみカリフォルニア大学だいがく転校てんこうしたジトは、12しょう3はい防御ぼうぎょりつ3.28・113.2投球とうきゅうかいで154だつ三振さんしんという成績せいせきのこし、パシフィック・テン・カンファレンス最優秀さいゆうしゅう投手とうしゅ選出せんしゅつされる。

プロりとアスレチックス時代じだい

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1999ねんMLBドラフト1じゅん全体ぜんたい9)でオークランド・アスレチックスから指名しめいけると、159まんドルの契約けいやくきん入団にゅうだん契約けいやくわした[2]

2000ねん開幕かいまくをAAAきゅうサクラメント・リバーキャッツむかえ、AAAきゅうサクラメントでは18試合しあい先発せんぱつし、8しょう5はい記録きろくした時点じてんでメジャーに昇格しょうかく。7月22にちにメジャーデビュー。メジャー昇格しょうかくしていなかったらシドニーオリンピック野球やきゅうアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく代表だいひょう選出せんしゅつ確実視かくじつしされていた[3]。このとし14試合しあいすべてで先発せんぱつ登板とうばんしたジトは7しょう4はい防御ぼうぎょりつ2.72を記録きろくし、防御ぼうぎょりつは30イニング以上いじょうげた新人しんじん投手とうしゅとしてメジャー1[4]新人しんじんおう投票とうひょうで6はいった。

2001ねん先発せんぱつローテーション開幕かいまくから定着ていちゃくし、7がつ24にちまでの成績せいせきが6しょう7はい防御ぼうぎょりつ5.01であったが、以後いご成績せいせきは11しょう1はいで8がつと9がつ連続れんぞく月間げっかん最優秀さいゆうしゅう投手とうしゅ受賞じゅしょうした[5]。シーズンをとおしての成績せいせきは、17しょう(リーグ6)・防御ぼうぎょりつ3.49(どう8)・205だつ三振さんしんどう4)という成績せいせきのこし、ジトはティム・ハドソンマーク・マルダーとともに、先発せんぱつ3ほんばしら "ビッグ3" とばれるようになった。

2002ねんに23しょう5はいという成績せいせき最多さいたかち獲得かくとくし、1986ねんロジャー・クレメンス受賞じゅしょうして以降いこうでは最年少さいねんしょう球団きゅうだん史上しじょう5にんかつ1992ねんデニス・エカーズリー以来いらいとなるサイ・ヤングしょう受賞じゅしょうした[6]勝率しょうりつ.818は1990ねんにシーズン27しょう記録きろくしたボブ・ウェルチ上回うわまわ球団きゅうだん史上しじょう歴代れきだい4[6]

2004ねん12月にFAちかづいたハドソンとマルダーをアスレチックスがトレード放出ほうしゅつした。これによりビッグ3は解体かいたいされ、ジトはチームのリーダーとなったが、トレードされるのではとわれるなか2005ねん開幕かいまくむかえた[7]。4月は0しょう4はい不振ふしんおちいった。チームをることができずにいたジトはかつてのチームリーダのジェイソン・ジアンビにアドバイスをもとめたり[8]スライダーツーシームげるようになった[7]。7月には6せん6しょう月間げっかん最優秀さいゆうしゅう投手とうしゅ選出せんしゅつされ、9月に肋骨あばらぼねがずれても登板とうばんつづけた[8]

当時とうじのアスレチックス監督かんとくであるケン・モッカは「バリーの成長せいちょう見事みごとだった。過去かこのバリーは、ハドソン、マルダーにだい3のおとこ満足まんぞくしていた。だが、みずからリーダーとしてがるようになった。かれつぎ段階だんかいすすんだんだ」[9]とジトの精神せいしんめんでの成長せいちょうみとめた。しかしその一方いっぽうで、うん要素ようそ排除はいじょする "DIPS" という指標しひょうもとにして算出さんしゅつされたジトの成績せいせき年々ねんねん下降かこうつづけていた[10]

2006ねん7がつ代理人だいりにんアーン・テレムからわりスコット・ボラス契約けいやく[11]。シーズン終了しゅうりょうの11月1にちにFAとなった。

ジャイアンツ時代じだい

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ジャイアンツ時代じだい

FAとなったジトの獲得かくとくにはマリナーズやニューヨーク・メッツ、レンジャーズなどがした[12]。そして12月29にちサンフランシスコ・ジャイアンツ契約けいやくした[13]契約けいやく総額そうがく当時とうじ投手とうしゅ史上しじょう最高さいこうがくとなる7ねん1おく2600まんドル(8ねんの2014ねんは1800まんドルの球団きゅうだんオプションで違約いやくきんは700まんドル)である[14]

投球とうきゅう練習れんしゅうをするジト(2007ねん

2007ねん不調ふちょう前半ぜんはんせんは6しょう9はい。スロースターターなので後半こうはんせんかえせるかとおもわれたが、後半こうはんも5しょうしかげられなかった[15]打線だせん援護えんごも9イニングたり3.87てんとリーグワースト3[16]、11しょう13はい自身じしんはつしとなったうえ、防御ぼうぎょりつ前年ぜんねんより0.70悪化あっかした。7ねんぶりに投球とうきゅう回数かいすうが200イニングを下回したまわり、8がつ5にちサンディエゴ・パドレスせんではメジャーではじめてリリーフで登板とうばんした[16]

2008ねんにはさらに不振ふしん深刻しんこくした[17]。4がつまつまでに開幕かいまく6連敗れんぱい防御ぼうぎょりつ7.53という成績せいせききっする。これは1956ねん以降いこうでは1984ねんデーブ・スチュワート、2003ねんマイク・マロースつづく3にん記録きろくとなってしまった[18]。この不振ふしん結果けっか、4がつ7にちのホーム開幕かいまくせんのセレモニーの選手せんしゅ紹介しょうかいではファンから唯一ゆいいつブーイングがきた[19]。4月28にちにチームはジトを中継なかつぎに降格こうかくさせることを発表はっぴょうしたが[20]中継なかつぎでの登板とうばんはなく、5月17にちまでに先発せんぱつ投手とうしゅでは球団きゅうだんワーストタイ記録たいきろくとなる開幕かいまく8連敗れんぱい記録きろくした[19]。ジトは「このだい不振ふしんからなおってみせる」とちか[17]後半こうはんせんは6しょう5はいした。シーズン通算つうさんで17はいはリーグワースト、あずか四球しきゅうは100の大台おおだい上回うわまわった。

2009ねんは10しょう13はいすも、防御ぼうぎょりつはジャイアンツ入団にゅうだん最高さいこうと、改善かいぜんきざしがえた。

2010ねん開幕かいまくから6試合しあいで5しょうげる好調こうちょうで、6月12にちには古巣ふるすのアスレチックスから白星しろぼしげ、在籍ざいせき2球団きゅうだんにしてメジャーぜん30球団きゅうだんからの白星しろぼし達成たっせい。しかし後半こうはんせんは2しょう10はいけがみ、ポストシーズンのロースターからもはずれた。

2011ねん右足みぎあし怪我けが故障こしょうしゃリストりしたがその復帰ふっき。しかし8がつ13にち試合しあいみぎ足首あしくび負傷ふしょうし、傘下さんかのAAAきゅうフレズノ・グリズリーズ降格こうかく。その登板とうばんはなかった。

2012ねん怪我けがから復帰ふっきし、4がつ9にちコロラド・ロッキーズせん先発せんぱつ。アスレチックスに所属しょぞくしていた2003ねん以来いらい完封かんぷう勝利しょうりげた。6月3にちシカゴ・カブスせんでは通算つうさん150しょう達成たっせい防御ぼうぎょりつこそ例年れいねんみだったが、15しょう8はい移籍いせきはじめてぼし先行せんこうさせた。セントルイス・カージナルスとのナショナルリーグチャンピオンシップシリーズでは5試合しあい登板とうばんし、7.2かい失点しってんおさ勝利しょうり投手とうしゅとなった。自身じしんはじめての出場しゅつじょうとなったワールドシリーズではこのとし不振ふしんだったティム・リンスカムわって先発せんぱつローテーションり。1試合しあい登板とうばんジャスティン・バーランダーとのいとなったが、5.2かいを1失点しってんおさ勝利しょうり投手とうしゅとなり、2ねんぶりの世界一せかいいち貢献こうけんした。

2013ねん11月2にちに1800まんドルの球団きゅうだんオプションを破棄はきされ[21]、FAとなった。

アスレチックス復帰ふっき

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2014ねん休養きゅうようし、2015ねん2がつ17にち古巣ふるすアスレチックスとマイナー契約けいやくむすぶ。傘下さんかのAAAきゅうナッシュビル・サウンズでプレーし、リーグ3防御ぼうぎょりつ3.46を記録きろく。9月16にちにメジャー契約けいやくとなり40にんわくはいり。はつ先発せんぱつとなった9月26にちのジャイアンツとのベイブリッジシリーズ英語えいごばんでは、かつてともにビッグ3を形成けいせいしたハドソンとのいが実現じつげんした。このとし復帰ふっき登板とうばんふくめ、3試合しあい (うち2試合しあい先発せんぱつ) にげ、防御ぼうぎょりつ10.29を記録きろくした。シーズン終了しゅうりょうの10がつ19にち現役げんえき引退いんたい表明ひょうめいした[22]

選手せんしゅとしての特徴とくちょう

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オーバースローから種類しゅるい速球そっきゅうフォーシーム、ツーシーム)とカーブチェンジアップスライダーけ、球速きゅうそく自体じたいおそく、キャリアの前期ぜんきにも時折ときおり92mph[23]やく148km/h)にたっする程度ていどであり、その選手せんしゅ生活せいかつつうじてがりつづけ、2006ねん速球そっきゅう平均へいきん球速きゅうそくは85.8mph(やく138.1km/h)と、アメリカンリーグでも屈指くっしおそさであるが[24]たま出所しゅっしょづらい投球とうきゅうフォームとずばけたうでりのはやさによりがるような軌道きどうのフォーシームをげる[25]とく大学だいがく時代じだい速球そっきゅう見分みわけのつかないフォームでげられるようになった[1]時計とけいの12から6軌道きどうえがくとわれるカーブは変化へんかおおきく、イチローは「まるで2かいからちてくるような、落差らくさおおきいカーブ」とひょうした[26]。これほど落差らくさおおきいカーブをげることのできる理由りゆうにはうでりのはやさとうえからげる角度かくどさのあり、大抵たいてい投手とうしゅ中指なかゆび回転かいてんをかけるのとちがって、人差指ひとさしゆびにひっかけてボールをげる[25]。しかし制球せいきゅうかんしてはそのがりのおおきい変化球へんかきゅうわざわいしてかあまりくなく、2006ねんの99あずか四球しきゅうはリーグワースト2だった。

最大さいだい長所ちょうしょ健康けんこうめんでの不安ふあんとは無縁むえんであることである[27]。2000ねんのメジャーはつ昇格しょうかく以来いらい2006ねんまでの7年間ねんかん先発せんぱつローテーションに定着ていちゃくしてからそれをはずれたことが1もなく、6ねん連続れんぞくで200投球とうきゅうかいえ、そのあいだ先発せんぱつ登板とうばんすうで4リーグ1となった。しかし不振ふしんおちいった2007ねんには投球とうきゅうかいが200を下回したまわり、自身じしんはつ救援きゅうえん登板とうばん経験けいけんした。

登板とうばん以外いがいはレフトせんじょうのあたりにいる相手あいてにセンター方向ほうこうとおざかりながらボールをげ、センターの守備しゅび位置いち程度ていどたっしたら80mphほどのスピードのボールをげながらゆっくりとちかづいていくキャッチボールを30ふんかけてまってっている[25]

人物じんぶつ

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音楽おんがく一家いっかまれ、ギターうではプロきゅうで、ヘヴィメタルバンドんでいたこともある[28]。また、ヨガテディベアをこよなくあいするなど[29]わりものとして認知にんちされており、「ほしじん」と表現ひょうげんされることもある[28]

ちちジョーは作曲さっきょく編曲へんきょくとして、ははロベルタはコーラス歌手かしゅとして、ともに1960年代ねんだいナット・キング・コール活動かつどうたずさわっていた。おじはべい人気にんきドラマ『ダラス』でボビー・ユーイングやく好演こうえんしたパトリック・ダフィーである。
ジト自身じしんもドラマ出演しゅつえん経験けいけんがあり、『犯罪はんざい捜査そうさかんネイビーファイルだい9シーズン「疑惑ぎわくいちげき」に、海軍かいぐん野球やきゅうチームの投手とうしゅで、故意こい相手あいて打者だしゃ死球しきゅうあたえたと疑惑ぎわくをかけられるクロフォード兵曹へいそうやくえんじている。また引退いんたい俳優はいゆうへの転身てんしん希望きぼうがあることもくちにしたことがある。

詳細しょうさい情報じょうほう

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年度ねんどべつ投手とうしゅ成績せいせき

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とし

たま

だん
とう

いた
さき

はつ
かん

とう
かん

ふう

よん
たま
かち

はい

せん





かち

りつ


もの
とう
たま
かい

やす

ほん
るい
あずか
よん
たま
けい

とお
あずか

たま
だつ
さん


とう


しつ

てん

せめ
てん
ぼう

りつ
W
H
I
P
2000 OAK 14 14 1 1 1 7 4 0 0 .636 376 92.2 64 6 45 2 2 78 2 0 30 28 2.72 1.18
2001 35 35 3 2 0 17 8 0 0 .680 902 214.1 184 18 80 0 13 205 6 1 92 83 3.49 1.23
2002 35 35 1 0 0 23 5 0 0 .821 939 229.1 182 24 78 2 9 182 2 1 79 70 2.75 1.13
2003 35 35 4 1 0 14 12 0 0 .538 957 231.2 186 19 88 3 6 146 4 0 98 85 3.30 1.18
2004 34 34 0 0 0 11 11 0 0 .500 926 213.0 216 28 81 2 9 163 4 1 116 106 4.48 1.39
2005 35 35 0 0 0 14 13 0 0 .519 953 228.1 185 26 89 0 13 171 4 0 106 98 3.86 1.20
2006 34 34 0 0 0 16 10 0 0 .615 945 221.0 211 27 99 5 13 151 4 2 99 94 3.83 1.40
2007 SF 34 33 0 0 0 11 13 0 0 .458 850 196.2 182 24 83 4 4 131 5 0 105 99 4.53 1.35
2008 32 32 0 0 0 10 17 0 0 .370 818 180.0 186 16 102 10 4 120 3 0 115 103 5.15 1.60
2009 33 33 1 0 0 10 13 0 0 .435 818 192.0 179 21 81 8 8 154 2 2 89 86 4.03 1.35
2010 34 33 1 0 0 9 14 0 0 .391 848 199.1 184 20 84 7 7 150 7 0 97 92 4.15 1.34
2011 13 9 0 0 0 3 4 0 0 .429 225 53.2 51 10 24 1 0 32 1 0 35 35 5.87 1.40
2012 32 32 1 1 1 15 8 0 0 .652 799 184.1 186 20 70 6 5 114 1 0 91 85 4.15 1.39
2013 30 25 0 0 0 5 11 0 0 .313 608 133.1 173 19 54 2 4 86 5 1 94 85 5.74 1.70
2015 OAK 3 2 0 0 0 0 0 0 0 ---- 37 7.0 12 4 6 0 0 2 0 0 8 8 10.29 2.57
MLB:15ねん 433 421 12 5 2 165 143 0 0 .536 11001 2576.2 2381 282 1064 52 97 1885 50 8 1254 1157 4.04 1.34
  • 太字ふとじはリーグ1
  • 2014ねん試合しあい出場しゅつじょうなし。

タイトル

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表彰ひょうしょう

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記録きろく

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背番号せばんごう

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  • 53(2000ねん
  • 75(2001ねん - 2015ねん

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b c マイケル・ルイス (ちょ)、 中山なかやま なだめ (わけ)「マネー・ボール」2004ねんISBN 9784270000120 、286 - 287ぺーじ
  2. ^ Barry Zito Biography” (英語えいご). JockBio. 2009ねん1がつ1にち閲覧えつらん
  3. ^ ナガオ勝司しょうじかく球団きゅうだんマンスリー・リポート サンフランシスコ・ジャイアンツ/彗星すいせいのごとくあらわ後半こうはんだけで7しょう 新人しんじん左腕さわんジートのおそれるべきつよ心臓しんぞう」『月刊げっかんメジャー・リーグ』2000ねん12がつごうベースボールマガジンしゃ、2000ねん雑誌ざっし 08625-12、62ぺーじ
  4. ^ Barry Zito 2000 Career Highlights” (英語えいご). 2008ねん4がつ4にち閲覧えつらん
  5. ^ Barry Zito 2001 Career Highlights” (英語えいご). 2008ねん4がつ4にち閲覧えつらん
  6. ^ a b Barry Zito 2002 Career Highlights” (英語えいご). 2008ねん4がつ4にち閲覧えつらん
  7. ^ a b 友成ともなり那智なち村上むらかみ雅則まさのり『メジャーリーグ・完全かんぜんデータ選手せんしゅ名鑑めいかん2006』廣済堂こうさいどう出版しゅっぱん、2006ねん、187ぺーじぺーじISBN 978-4-331-51146-6 
  8. ^ a b 谷口たにぐち輝世子きよこ 「ラスト・ワルツ バリー・ジート [アスレチックス #75] Barry Zito」『月刊げっかんスラッガー』2006ねん11がつごう日本スポにっぽんすぽツ企画出版社つきかくしゅっぱんしゃ、2006ねん雑誌ざっし15509-11、28 - 31ぺーじ
  9. ^ 杉浦すぎうら大介だいすけ 「バリー・ジート、ジャイアンツ移籍いせき "ビッグ3" 完全かんぜん消滅しょうめつ」 『月刊げっかんスラッガー』2007ねん3がつごう日本スポにっぽんすぽツ企画出版社つきかくしゅっぱんしゃ、2007ねん雑誌ざっし15509-3、26-29ぺーじ
  10. ^ あきらたかしバリー・ジートの「アホウドリ」契約けいやく」 『NumberWeb』、2007ねん1がつ9にち。2007ねん9がつ18にち閲覧えつらん
  11. ^ Heyman, Jon (2006ねん7がつ8にち). “Changing agents Free agent-to-be Zito drops Tellem, signs with Boras” (英語えいご). SI.com. 2009ねん6がつ18にち閲覧えつらん
  12. ^ Jorge L. Ortiz, "Zito latest pitching addition in NL West," USATODAY.com, December 29, 2006. 2007ねん9がつ18にち閲覧えつらん
  13. ^ Giants sign Cy Young winner Barry Zito to seven-year deal”. MLB.com Giants Press Release (December 29, 2006). January 21, 2014閲覧えつらん
  14. ^ Zito passes physical, making $126 million deal official”. ESPN MLB (December 30, 2006). January 21, 2014閲覧えつらん
  15. ^ 友成ともなり那智なち村上むらかみ雅則まさのり『メジャーリーグ・完全かんぜんデータ選手せんしゅ名鑑めいかん2008』廣済堂こうさいどう出版しゅっぱん、2008ねん、455ぺーじぺーじISBN 978-4-331-51300-2 
  16. ^ a b Barry Zito 2007 Career Highlights” (英語えいご). 2008ねん4がつ4にち閲覧えつらん
  17. ^ a b 三尾みおけい 「MLB30球団きゅうだんレポート&ぜん選手せんしゅシーズン最終さいしゅう成績せいせき サンフランシスコ・ジャイアンツ/SF 契約けいやく2ねん大金たいきん見合みあうピッチングはできず」『月刊げっかんスラッガー』2008ねん12がつごう日本スポにっぽんすぽツ企画出版社つきかくしゅっぱんしゃ、2008ねん雑誌ざっし 15509-12、73ぺーじ
  18. ^ Zito Zapped Again”. the San Francisco Chronicle. 2008ねん4がつ29にち閲覧えつらん
  19. ^ a b 石井いしい孝尚たかなお「バリー・ジート[ジャイアンツ] 失墜しっついした黄金おうごん左腕さわん」『スラッガー』2008ねん8がつごう日本スポにっぽんすぽツ企画出版社つきかくしゅっぱんしゃ、2008ねん雑誌ざっし15509-8、45ぺーじ
  20. ^ Zito to work things out in bullpen Struggling left-hander has lost career-worst six straight starts”. The Official Site of The San Francisco Giants. 2008ねん4がつ29にち閲覧えつらん
  21. ^ Giants decline Barry Zito option ESPN MLB
  22. ^ アスレチックスのジト引退いんたい=02ねんサイ・ヤングしょう左腕さわんまいだいリーグ”. 時事じじドットコム (2015ねん10がつ20日はつか). 2015ねん10がつ25にち閲覧えつらん
  23. ^ “Crossing the Bridge: A closer look at what happened to Barry Zito”. The Hardball Times. (2008ねん5がつ13にち). http://www.hardballtimes.com/crossing-the-bridge-a-closer-look-at-what-happened-to-barry-zitos-fastball/ 
  24. ^ Jerry Crasnick, "Baseball's obsession with the fastball," ESPN.com, March 26, 2007. 2007ねん9がつ18にち閲覧えつらん
  25. ^ a b c スカウティング・レポート『月刊げっかんスラッガー』2003ねん9がつごう日本スポにっぽんすぽツ企画出版社つきかくしゅっぱんしゃ雑誌ざっし15509-9、8-11ぺーじ
  26. ^ みず美和子みわこ鉄矢てつや多美子たみこ取材しゅざい構成こうせい) 「その名手めいしゅたち/スモルツホフマンマルダー、ジート、サンタナ」 『月刊げっかんメジャー・リーグ』2006ねん7がつごうスボすぼル・マガジン社るまがじんしゃ、2006ねん雑誌ざっし08625-7、31ぺーじ
  27. ^ 出野いでの哲也てつや 「データからうらなうジートの2007ねん "史上しじょう最高さいこうがく投手とうしゅ" の真価しんか」 『月刊げっかんスラッガー』2007ねん5がつごう日本スポにっぽんすぽツ企画出版社つきかくしゅっぱんしゃ、2007ねん雑誌ざっし15509-5、32-33ぺーじ
  28. ^ a b 友成ともなり那智なち村上むらかみ雅則まさのり『メジャーリーグ・完全かんぜんデータ選手せんしゅ名鑑めいかん2007』廣済堂こうさいどう出版しゅっぱん、2007ねん、420ぺーじぺーじISBN 978-4-331-51213-5 
  29. ^ 月刊げっかんスラッガー』2002ねん4がつごう日本スポにっぽんすぽツ企画出版社つきかくしゅっぱんしゃ雑誌ざっし15509-4、41ぺーじ

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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