ラブラドール地方ちほう

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ラブラドール地方ちほうはた
ラブラドール地方ちほう地図ちず

ラブラドール地方ちほう(ラブラドールちほう、Labrador、ラブラドール海岸かいがん Coast of Labrador とも)はカナダ大西おおにしひろしきしアトランティック・カナダにある地域ちいきベルアイル海峡かいきょうへだてられたニューファンドランドとうとともに、ニューファンドランド・ラブラドールしゅう形成けいせいしている。ラブラドール地方ちほう西側にしがわ一帯いったいケベックしゅうと、最北端さいほくたんヌナブトじゅんしゅうとそれぞれせっしている。ラブラドール半島はんとう東海岸ひがしかいがんのごく一部分いちぶぶんにあたるが、その面積めんせきは269,073.3 平方へいほうkm (ニュージーランドとほぼおなひろさ)にもおよびニューファンドランド・ラブラドールしゅうの70%以上いじょうめ、手付てつかずの森林しんりんツンドラひろがっている。

ラブラドール地方ちほう人口じんこうは2001ねん国勢調査こくせいちょうさで27,864にん。うち30%はイヌイットインヌ(Innu、モンタニエ・ナスカピ)、メティスぞく(Métis)のかく先住民せんじゅうみんぞくである。行政ぎょうせい中心ちゅうしんだい世界せかい大戦たいせんなかつくられた空軍くうぐん基地きちまちハッピーバレー・グースベイ(Happy Valley-Goose Bay)、以前いぜん中心ちゅうしん漁師りょうしまちバトルハーバー(Battle Harbour)。おおくのまち大西洋たいせいようラブラドルうみ)にめんした港町みなとちょうだが、一番いちばん人口じんこうおおいのはケベックしゅうとの境界きょうかいちかくの内陸ないりくにあるてつ鉱山こうざんまちラブラドール・シティ(Labrador City、人口じんこう10,000にんちかく)である。

気象きしょう地形ちけい[編集へんしゅう]

ラブラドール地方ちほう位置いち

気候きこうはニューファンドランド以上いじょうきびしく、大西洋たいせいようがん気候きこうよりは北極圏ほっきょくけん気候きこうちかいものがある。ふゆながくてさむく、なつみじか気温きおんもあまりがらない。大陸たいりく東岸とうがんにあるラブラドールは、ぶしごとに海上かいじょう寒気さむけだん暖気のんきだんうごきに影響えいきょうされる。なつあいだだけはある程度ていど気温きおんがる内陸ないりくでは森林しんりん亜寒帯あかんたいりん)が形成けいせいされているが、農業のうぎょうにはてきしていない。

地形ちけいおも高原こうげんであり、北部ほくぶにはたかさ1500mをえるけわしいトーンガット山脈さんみゃく(トーンガト山脈さんみゃく、Torngat Mountains)が、南部なんぶにはたかさ1200mほどのミーリー山脈さんみゃく(Mealy Mountains)があり、海岸かいがんせんんでおおくのわん形成けいせいしている。

ラブラドールのけわしい気候きこうは、うみ影響えいきょうされている。ラブラドル海沿うみぞいはふゆ流氷りゅうひょうくされるほか、うみにはとしのうち8かげつ氷山ひょうざんいている。海水温かいすいおん摂氏せっしマイナス4ほどにたもたれている。寒流かんりゅうのラブラドル海流かいりゅうえて湿しめった東風こちは、ラブラドール地方ちほうすずしいなつ霧雨きりさめとをもたらす。7月のにちちゅう気温きおん海岸かいがんで10ほど、内陸ないりくではそれより3から5ほどあたたかい。西にしからのふうおだやかで、こちらがつよくなれば日照ひでり時間じかんえる。

ふゆはニューファンドランド以上いじょうさむく、1がつ気温きおん日中にっちゅうでもマイナス15までがる。大西洋たいせいようからの強風きょうふうき、きりがたちこめ、大雪おおゆきる。ただし大西洋たいせいようからのあらしは、なつ冷風れいふうとはぎゃくに、さむさをやわらげるほうに作用さようする。

降水こうすいりょうはニューファンドランドよりはすくないが、とし降水こうすいりょう800mmほどのうちゆき半分はんぶんちかくをめる。陸地りくちとし半分はんぶん以上いじょうゆきおおわれ、内陸ないりくのチャーチル・フォールズ・ダム付近ふきんで481cmの積雪せきせつりょう記録きろくしたことがある。行政ぎょうせい中心ちゅうしん海沿うみぞいのグースベイでも積雪せきせつりょう445cmを、カートライトでも440cmを、北部ほくぶ海岸かいがんネーンでも424cmを記録きろくしたことがあるほどで、ラブラドールはカナダ有数ゆうすう豪雪ごうせつ地帯ちたいとなっている。

歴史れきし[編集へんしゅう]

年表ねんぴょう[編集へんしゅう]

概説がいせつ[編集へんしゅう]

「ラブラドール」のは、「ニューファンドランド」とともに、ヨーロッパゆかりのカナダの地名ちめいなか最古さいこ部類ぶるいはいる。ポルトガル探検たんけんジョアン・フェルナンデス・ラヴラドール(João Fernandes Lavrador)が、1498ねん北米ほくべい・グリーンランドへの探検たんけんちゅう沖合おきあいからこの半島はんとうたことにより、かれ半島はんとうめいとなった。もっとも、それ以前いぜんにヨーロッパじんがラブラドール半島はんとうたという見方みかたもある。10世紀せいきすえノースじんヴァイキング)のレイフ・エリクソングリーンランドから南下なんかヴィンランド(ニューファンドランドとうとされる)にたっしたが、途中とちゅう木々きぎおおわれた陸地りくちて「マルクランド(Markland、もりくに)」とづけた。これがおそらく現在げんざいのラブラドール地方ちほうおもわれる。

先住民せんじゅうみん以外いがい住民じゅうみんのラブラドール地方ちほうへの入植にゅうしょく目的もくてき漁業ぎょぎょう宣教せんきょう毛皮けがわ交易こうえきのためだった。20世紀せいきになって、鉄鉱てっこうせき採掘さいくつ水力すいりょく発電はつでん開発かいはつ軍事ぐんじ基地きち設置せっちによりさらに人口じんこう流入りゅうにゅうした。近代きんだい以前いぜん気候きこうきびしく、航海こうかい困難こんなんさと陸上りくじょう交通こうつうまずしさが入植にゅうしょく困難こんなんにしてきた。1760年代ねんだい世界せかい各地かくち宣教せんきょう活動かつどうおこなったプロテスタントけいモラビア兄弟きょうだいだんモラビア教会きょうかい、モラビアかい、モラビア宣教せんきょうだんとも)の宣教師せんきょうしはいり、各地かくち伝道でんどう施設しせつ(ミッション)をつくり、19世紀せいき後半こうはんまでラブラドール半島はんとう主要しゅよう勢力せいりょくだったハドソンわん会社かいしゃとも毛皮けがわ交易こうえき協力きょうりょくした。ラブラドール半島はんとう内陸ないりく境界きょうかいめぐってはケベックしゅうニューファンドランド自治領じちりょう当時とうじ)とのあいだ論争ろんそうになったが、1927ねんにイギリス枢密院すうみついん司法しほう委員いいんかい法的ほうてき決着けっちゃくをみた。

貧困ひんこん漁港ぎょこう時代じだい[編集へんしゅう]

南隣みなみどなりのニューファンドランドとう同様どうよう、ラブラドールへの人類じんるい移住いじゅううみでの漁業ぎょぎょうふかむすびついていた。インヌやイヌイットといった民族みんぞくがラブラドール半島はんとう一帯いったい展開てんかいしたが、とくにインヌは広大こうだい内陸ないりくへも進出しんしゅつしていった。16世紀せいき以降いこうのヨーロッパじん入植にゅうしょくはほぼ海岸かいがん沿いの入植にゅうしょく集中しゅうちゅうした。とくハミルトンわんみなみ集中しゅうちゅうしたこれらの入植にゅうしょくは、カナダ本土ほんどのヨーロッパ入植にゅうしょくでも最古さいこ部類ぶるいのものである。レッド・ベイには16世紀せいきからバスクじん漁民ぎょみん捕鯨ほげいのためにイベリア半島はんとうから往来おうらいして定住ていじゅうするようになり、そのはタラりょうなどの重要じゅうよう拠点きょてんになった。その活動かつどう遺跡いせきはレッド・ベイ周辺しゅうへんのこっており、「レッド・ベイ国定こくてい史跡しせき」として世界せかい遺産いさんにも認定にんていされている。

しかし、海岸かいがん沿いに点在てんざいする「ファースト・ネーション」(先住民せんじゅうみんのこと)のむらやヨーロッパじんたちの入植にゅうしょくきわめてまずしく、1800年代ねんだい医師いしのサー・ウィルフレッド・グレンフェル(Sir Wilfred Grenfell)が組織そしきした宗教しゅうきょうてき医学いがくてき援護えんご団体だんたいグレンフェル伝道でんどうだん(Grenfell Mission)が運営うんえいしていた貨物かもつせん医療いりょうせん援助えんじょけていた。

20世紀せいきとおして、沿岸えんがん集落しゅうらくむす貨物かもつせんフェリーあみは、カナダ中央ちゅうおう道路どうろむすばれていないラブラドール地方ちほう海岸かいがんにとって、死活しかつてき重要じゅうようなライフラインとなった。当初とうしょこれらのフェリーもうはニューファンドランド鉄道てつどう整備せいび運営うんえいし、のちにはカナディアン・ナショナル鉄道てつどう、CNマリン(カナディアン・ナショナル鉄道てつどう子会社こがいしゃ)をてマリン・アトランティックしゃ経営けいえいしている。

軍事ぐんじ戦略せんりゃく拠点きょてん[編集へんしゅう]

ラブラドール地方ちほうのネーンのまちのイヌイットの男性だんせい (Photo: André Perron)

ラブラドールはだい世界せかい大戦たいせん当時とうじ、および冷戦れいせん時代じだい戦略せんりゃくてき重要じゅうよう役割やくわりたした。1940年代ねんだい前半ぜんはんドイツ海軍かいぐんUボート乗組のりくみいんひそかに無人むじん測候所そっこうじょクルト測候所そっこうじょ英語えいごばん」をラブラドール先端せんたんのチドリーみさき付近ふきん設置せっちした。この測候所そっこうじょはわずかすう日間にちかんだけドイツ海軍かいぐん気象きしょう観測かんそく結果けっか送信そうしんしただけだったが、1980年代ねんだいになってカナダ沿岸えんがん警備けいびたいはたら歴史れきし発見はっけんしその正体しょうたいめた。

カナダ政府せいふだい大戦たいせん、ハミルトンわんからつづメルビル最奥さいおうにあるグースベイの砂州さすだい規模きぼ航空こうくう基地きち建設けんせつした。この場所ばしょうみへのアクセス、まもりやすい位置いちきりすくなさから滑走かっそう場所ばしょえらばれ、大西洋たいせいよう防衛ぼうえいようとなった。冷戦れいせん時期じきアメリカ空軍くうぐんイギリス空軍くうぐんのちにはドイツ・オランダ・イタリアなど西側にしがわ諸国しょこくぐん利用りようしている。今日きょうでもこの基地きちカナダぐん基地きちグースベイ、CFB Goose Bay)はハッピーバレー・グースベイ地区ちく最大さいだい雇用こようさきである。

くわえて、アメリカ空軍くうぐん王立おうりつカナダ空軍くうぐんは、北米ほくべい大陸たいりく東西とうざいつらぬじゅうさんじゅう防空ぼうくうレーダーあみ(パイントゥリー・ライン、ミッド・カナダ・ライン、DEWライン)の一環いっかんとして多数たすうのレーダー基地きちをラブラドール沿岸えんがん建設けんせつ運営うんえいした。現在げんざいではのこったレーダー基地きち無人むじんされ北部ほくぶ警戒けいかいシステムの一部いちぶとして稼動かどうしている。冷戦れいせん初期しょき、レーダー基地きちかこむように軍人ぐんじん居住きょじゅうができたが、これらはいまもなおインヌやイヌイットの集落しゅうらくとして利用りようされている。

鉱山こうざん電力でんりょく開発かいはつ[編集へんしゅう]

20世紀せいき前半ぜんはんとおし、世界せかい有数ゆうすう鉄鉱てっこうせき鉱床こうしょうがラブラドール地方ちほう西部せいぶのケベックとの境界きょうかい付近ふきん発見はっけんされた。モント・ライト(Mont Wright)、シェファーヴィル(Schefferville)、ラブラドール・シティ(Labrador City)、ワーブッシュ(Wabush)などの鉱床こうしょう付近ふきんでは、戦後せんご鉱業こうぎょう開発かいはつ居住きょじゅう建設けんせつ加速度かそくどてきすすめられた。現在げんざいのラブラドール・ウェストの自治体じちたいは、ほぼすべて鉄鉱てっこうせき採掘さいくつ結果けっかできたものといえる。カナダ鉄鉱てっこうせき会社かいしゃ(The Iron Ore Company of Canada)は、500マイルみなみはなれたケベックしゅうみなとセットアイル(Sept Iles)へ鉱石こうせきはこぶために「ケベック北岸ほくがん・ラブラドール鉄道てつどう」(Quebec, North Shore, and Labrador Railway)を運営うんえいし、鉄鉱てっこうせきはこのみなとからアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくはじめ世界せかい輸出ゆしゅつされている。

1960年代ねんだいとおしての工事こうじで、大西洋たいせいようながれるチャーチルかわ(Churchill River、きゅうハミルトンかわ戦後せんご改名かいめいしたもの)はチャーチルたき付近ふきんながれをえられ、スモールウッド貯水池ちょすいちばれる巨大きょだい人工じんこうみずうみ形成けいせいした。これは戦後せんごまもなく立案りつあんされた、ラブラドール高原こうげん水力すいりょく発電はつでんようダム建設けんせつする計画けいかく実現じつげんしたもので、みずうみみずはチャーチル・フォールズ発電はつでんしょおくられ、長大ちょうだい送電そうでんせんとおしてケベックしゅうなどに電力でんりょく供給きょうきゅうしている。この発電はつでんしょ水力すいりょく発電はつでんしょとしては北米ほくべい大陸たいりくでもだい発電はつでん規模きぼほこっている。

1970年代ねんだいから2000年代ねんだいにかけ、ケベックしゅうのモント・ライトからはっしてラブラドール地方ちほう内陸ないりく集落しゅうらくむすぶトランス・ラブラドール・ハイウェイの建設けんせつはじまった。モント・ライトからさきはケベックしゅうの、ひいては北米ほくべい大陸たいりく高速こうそく道路どうろもうへとつながっている。2000年代ねんだい前半ぜんはん開通かいつうしたハイウェイの南部なんぶ延伸えんしんは、ベルアイル海峡かいきょう沿岸えんがんやラブラドール地方ちほう南部なんぶ沿岸えんがんりく孤島ことう状態じょうたい集落しゅうらくむすんだことで、それまでのフェリーもうおおきな変化へんかをもたらした。ただし、これらのみち名前なまえこそ「ハイウェイ」で地元じもとたいする重要じゅうようせいたかいが、実際じっさいには舗装ほそう区間くかん相当そうとうあるれた道路どうろである。このハイウェイにつづき、ベルアイル海峡かいきょう海底かいていトンネル鉄道てつどうとおし、くるま・トラック・バスをんだ列車れっしゃフェリーでニューファンドランドとうへつなぐ交通こうつうもう研究けんきゅうされている。ただし経済けいざいてき効果こうか疑問ぎもんされている。

漁業ぎょぎょう危機きき[編集へんしゅう]

ニューファンドランドとう同様どうよう、ラブラドール地方ちほうでも目下もっか問題もんだいは、かつていくらでもれたタラの激減げきげん漁業ぎょぎょうはげしい衰退すいたいである。戦後せんご伝統でんとうてきはえなわりょうからだい規模きぼトロとろル船るせんによる底引そこびあみりょうへの転換てんかんすすんだことにより、すうじゅうねんにわたり乱獲らんかく海底かいていさかな産卵さんらん破壊はかいすすみ、結果けっか1980年代ねんだいすえより極端きょくたん不漁ふりょう見舞みまわれている。

1990年代ねんだい以降いこう政府せいふ漁獲ぎょかくりょう制限せいげん漁期ぎょき制限せいげんおこなうほどの事態じたいになっているほか、なん漁場ぎょじょう閉鎖へいさ宣言せんげんされている。一部いちぶ海域かいいきでは漁獲ぎょかくりょう漁法ぎょほう制限せいげんでタラの回復かいふくられるものの全体ぜんたいとしては最盛さいせいには程遠ほどとおい。生活せいかつ維持いじできなくなった漁民ぎょみんたちはむらったり、大都市だいとし海底かいてい油田ゆでん出稼でかせぎにくなど貧困ひんこん生活せいかつおちいっている。

ラブラドールの自治じち独立どくりつうご[編集へんしゅう]

ヌナツィアブトのはた。イヌイットが道標どうひょうなどのためにんだ石積いしつみ、イヌクシュク(Inukshuk、「人間にんげん化身けしん」)をラブラドール地方ちほうはたいろめている

ラブラドール地方ちほうには、ニューファンドランドとの分離ぶんりもとめる住民じゅうみんからの一定いってい圧力あつりょくがあり、ラブラドールとうなどの政治せいじ活動かつどうによって独立どくりつしたしゅうじゅんしゅうになろうという運動うんどうがある。

先住民せんじゅうみんぞくインヌの人々ひとびと形成けいせいする共同きょうどうたいには、ヌナブトじゅんしゅうがイヌイットの自治じち政府せいふとなったように、ラブラドールをインヌ民族みんぞくのホームランドにしようといううごきもある。1999ねんカナダ先住民せんじゅうみんぞく集会しゅうかい(Assembly of First Nations)ではラブラドールをインヌのホームランドと主張しゅちょうし、この地域ちいきかんする憲法けんぽうじょう交渉こうしょうすすめてこの主張しゅちょうみとめさせることを議決ぎけつしている。

一方いっぽう、ラブラドールの海岸かいがん一帯いったいむイヌイットの居住きょじゅう地区ちくには、しゅう連邦れんぽうとの交渉こうしょうにより自治じち政府せいふヌナツィアブト(Nunatsiavut、「ふるうつくしいくに」)がつくられることが合意ごういされた。2005ねん12月にラブラドール・イヌイット協会きょうかい解消かいしょうし、保険ほけん教育きょういく文化ぶんか活動かつどう責任せきにんつヌナツィアブト自治じち政府せいふあたらしく誕生たんじょうした。この自治じち政府せいふ管轄かんかつ範囲はんいはラブラドールの北部ほくぶ海岸かいがん地帯ちたいひろがり、ラブラドール地方ちほう面積めんせきの2%ほどをめる。

まち人口じんこう[編集へんしゅう]

人口じんこうじゅんるラブラドール地方ちほうの10だい自治体じちたい
まち 2001ねん 1996ねん
ハッピーバレー・グースベイ 7,969 8,655
ラブラドール・シティ 7,744 8,455
ワーブッシュ(Wabush) 1,894 2,018
ネイン(Nain) 1,159 996
ランス・オ・ロー(L'Anse-au-Loup) 635 621
カートライト(Cartwright) 629 628
ホープデイル(Hopedale) 559 591
ノース・ウェスト・リバー(North West River) 551 567
ポート・ホープ・シンプソン(Port Hope Simpson) 509 577
フォートー(Forteau) 477 505

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]