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上江うわえきょう

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
国道16号標識
国道こくどう16ごう標識ひょうしき
上江うわえきょう
川越かわごえがわ南側みなみがわ)よりのぞ上江うわえきょう(2014ねん9がつ
基本きほん情報じょうほう
くに 日本の旗 日本にっぽん
所在地しょざいち 埼玉さいたまけんさいたま川越かわごえ
交差こうさ物件ぶっけん 荒川あらかわ
建設けんせつ 1972ねん - 1977ねん、1987ねん - 1997ねん
構造こうぞうしょもと
形式けいしき けたきょう
材料ざいりょう はがね
全長ぜんちょう 1,609.9 m
はば 10.5 m
最大さいだいささえあいだちょう 83.0 m
地図ちず
上江橋の位置(埼玉県内)
上江橋
関連かんれん項目こうもく
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上江うわえきょう(かみごうはし)は、埼玉さいたまけん川越かわごえさいたま西にしかり、荒川あらかわ入間川いりまがわわた国道こくどう16ごう密接みっせつする2ほん道路どうろはし外回そとまわり(春日部かすかべ方面ほうめんき)車線しゃせんが1977ねん竣工しゅんこうはし内回うちまわり(川越かわごえ方面かたもき)車線しゃせんが1997ねん竣工しゅんこうはしである。「かみえばし」とむのはあやまりである。

上江うわえきょうは、荒川あらかわ河口かこうから45.2 kmの地点ちてん[1][2]所在しょざいし、国道こくどう16ごう川越かわごえバイパス方面ほうめんからすすむと、まず入間川いりまがわを、いで川越かわごえ大字だいじ古谷上ふるやかみとなる背割せわりつつみまたぎ、最後さいご荒川あらかわ一気いっきえる橋梁きょうりょうである。荒川あらかわ対岸たいがん川越かわごえ大字だいじ古谷ふるやじょうであるがさらにすすんでたき沼川ぬまかわまたぐと、さいたま西にし大字だいじ西遊せいゆうはいり、西にし大宮おおみやバイパス起点きてん指扇さしおうぎえき方面ほうめんへの埼玉さいたまけんどう2ごうさいたま春日部かすかべせん国道こくどう16ごう旧道きゅうどう[注釈ちゅうしゃく 1])との分岐ぶんきてんとなる宝来たからぎICにいたる。はしちょう1,609.9メートル、そう幅員ふくいん11.9メートル、有効ゆうこう幅員ふくいん10.5メートル(車道しゃどう8.0メートル、歩道ほどう2.5メートル)最大さいだいささえあいだちょう83.0メートル[3]はがね連続れんぞくばこけたきょうである。また、埼玉さいたまけんだいいち特定とくてい緊急きんきゅう輸送ゆそう道路どうろ指定していされている[4][5]西武せいぶバスだい22系統けいとう大宮おおみやえき-川越かわごえグリーンパーク)路線ろせん路線ろせんバスの走行そうこう経路けいろである。また、さいたまひゃくけい[6]川越かわごしひゃくけいにも指定していされ[7]下流かりゅうがわ歩道ほどうには荒川あらかわ景観けいかんながめられるよう、展望てんぼうデッキも随所ずいしょもうけられている。また、特定とくてい営利えいり活動かつどう法人ほうじんシビルまちづくりステーション(旧称きゅうしょうITステーション市民しみん建設けんせつ)による「関東かんとう地域ちいきはしひゃくせん」に選出せんしゅつされている[8][9]現在げんざいはし名前なまえ由来ゆらいについては所管しょかん日本道路公団にほんどうろこうだんから大宮おおみや国道こくどう事務所じむしょうつったこともあって、きゅうはしから継承けいしょうされたものなのかよくわかっていない[10]

上江うわえきょう一般いっぱん国道こくどう河川かせんかる橋梁きょうりょうとしては、日本にっぽん最長さいちょう全長ぜんちょう1,609.9メートル(1997ねんはし)である[11]。それまでは富士川ふじかわかるしん富士川ふじかわきょう全長ぜんちょう1523.2メートル[12])が日本にっぽん最長さいちょうはしであった。

1894ねんはし

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初代しょだい上江うわえきょう(1906ねん

1894ねん明治めいじ27ねん)12月[13]木造もくぞう初代しょだい上江うわえきょうが、大宮おおみや川越かわごしむすぶ「川越かわごえ新道しんどう」が整備せいびされたさいに、地元じもと住民じゅうみん請願せいがんにより木造もくぞう冠水かんすいきょう(かんすいきょう)として架設かせつされた。架橋かきょうされた場所ばしょ現在げんざい場所ばしょとはことなり、荒川あらかわきゅうかわどうじょう架設かせつ現在げんざい川越かわごえ古谷上ふるやかみ所在しょざいする川越かわごえ市立しりつ古谷ふるや小学校しょうがっこう付近ふきん)された[14][15]はしちょう62あいだやく112.7メートル)、幅員ふくいん2あいだやく3.6メートル)[16][17]名前なまえ由来ゆらいはし所在地しょざいちである大字だいじ古谷上ふるやかみ異名いみょうである「上郷かみさと」からり「上江うわえきょう」と命名めいめいされた[16][17]。このはし洪水こうずいさい流水りゅうすい抵抗ていこう軽減けいげんすべく、はしてんばんはずしできる構造こうぞうになっており、このてんばんはずさいづちおん住民じゅうみん洪水こうずいちかいことをげる合図あいずにもなっていたという。また通行つうこうりょう徴収ちょうしゅうしている時期じきもあった[18]現在げんざいは「こう遠島えんとう上江うわえきょう」と[16][17]、コンクリートきょうとして現存げんそんしている。

上江うわえきょう由来ゆらい初代しょだい上江うわえきょうえがかれたレリーフが設置せっちされている。

1982ねん昭和しょうわ57ねん)12月、こう遠島えんとう上江うわえきょうたもと初代しょだい上江うわえきょう記念きねん上江うわえきょう由来ゆらい)が設立せつりつされた[19]

昭和しょうわ初期しょきはし

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開通かいつうあいだもないころきゅう上江うわえきょう
昭和しょうわ初期しょきえられた冠水かんすいきょうえる。

1920ねん大正たいしょう9ねん)より開始かいしされた荒川あらかわ河川かせん改修かいしゅう[20]一環いっかんで、昭和しょうわ初期しょき荒川あらかわ入間川いりまがわ現在げんざい位置いちとおるようになり、東西とうざい直線ちょくせんてきだった「川越かわごえ新道しんどう」が堤防ていぼう背割せわりつつみもうけられたことによりカーブが連続れんぞくする道路どうろとなり[21]、いつからけられていたかはさだかではないが、上述じょうじゅつとはべつ場所ばしょで、現在げんざいはし上流じょうりゅうがわとなる荒川あらかわ入間川いりまがわしんかわどうじょうにそれぞれ木製もくせい冠水かんすいきょうけられている時期じきがあった[22]。この冠水かんすいきょう荒川あらかわほうは1957ねん永久えいきゅうきょう開通かいつうしたさいに、入間川いりまがわほうも1964ねんから1969ねんにかけてのあいだ撤去てっきょされている[23]道路どうろはゴルフじょうとなった区間くかんのぞりょうきしとも河川敷かせんしきりる道路どうろとして現存げんそんしている。なお、埼玉さいたまけん運営うんえいする『いろどりくにデジタルアーカイブ』に収録しゅうろくされている映像えいぞうコンテンツの「埼玉さいたまニュースNo.57-2 県下けんかはつ有料ゆうりょうきょう大宮おおみや川越かわごえ―」の冒頭ぼうとうに、この入間川いりまがわじょう冠水かんすいきょうが、施工しこうちゅうきゅう上江うわえきょうともうつされている[注釈ちゅうしゃく 2]

1957ねんはし

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冠水かんすいきょう出水しゅっすい最長さいちょう1かげつものあいだ交通こうつう途絶とだえるなど支障ししょうたしたことから、大宮おおみや川越かわごえという主要しゅよう都市としむす最短さいたんルートとして永久えいきゅうきょうへのえが埼玉さいたまけん中心ちゅうしんとしてすすめられた。1936ねん昭和しょうわ11ねん)4がつけん工費こうひ49まん7000えん3かねん計画けいかく着工ちゃっこう[24]下部かぶこう工事こうじ三上みかみ工務こうむしょ担当たんとう[25]当年とうねんちゅう橋脚きょうきゃく111937ねん昭和しょうわ12ねん)にどう21938ねん昭和しょうわ13ねん)にどう2橋台きょうだい3完成かんせいしたがにちちゅう戦争せんそう勃発ぼっぱつにより物資ぶっし欠乏けつぼうし、太平洋戦争たいへいようせんそうにより1945ねん昭和しょうわ20ねん)3がつ工事こうじ中断ちゅうだんし、完成かんせいした橋脚きょうきゃく長期ちょうきにわたって放置ほうちされたままとなっていた[24]

戦後せんごになって1951ねん昭和しょうわ26ねん)9がつ22にち川越かわごえ市長しちょう会長かいちょう大宮おおみや市長しちょうふく会長かいちょうとして周辺しゅうへん自治体じちたいによる「上江うわえきょう建設けんせつ促進そくしん期成きせい同盟どうめい」を結成けっせいしてけんとも日本国にっぽんこく政府せいふ陳情ちんじょうおこなったところ、くに公共こうきょう事業じぎょうから1おく5000まんえん3ヶ年かねん計画けいかくをもって架橋かきょうされることとなった[26]よく1952ねん昭和しょうわ27ねん)にはけん特定とくてい道路どうろ整備せいび事業じぎょう特別とくべつ会計かいけい制定せいていされ、当初とうしょ工費こうひ49まん7000えん戦争せんそう工事こうじ中断ちゅうだんしていたあいだインフレーション建設けんせつ高騰こうとうし、工費こうひ2おく2200まんえんをもって工事こうじ再開さいかいした[24][27]工事こうじはがねトラスけた松尾橋梁まつおきょうりょう、コンクリートけたおよび道路どうろ鉄道てつどう工業こうぎょう下部かぶこうつづ三上みかみ工務こうむしょ担当たんとうした[28]戦前せんぜん建設けんせつされた橋脚きょうきゃく上部じょうぶ延伸えんしんして使用しようすることとなった。

1956ねん昭和しょうわ31ねん)4がつ16にち日本道路公団にほんどうろこうだん設立せつりつされるとともに、同年どうねん9がつ1にちけんから工事こうじぎ、工費こうひ3000まんえん追加ついかし、最終さいしゅうてきには2おく5200まんえんをもって道路どうろ舗装ほそう作業さぎょうがまだのこっていたが、1957ねん昭和しょうわ32ねん)3がつ5にちはし完成かんせい[29][28]春雪しゅんせつりしきるなか開通かいつうしき挙行きょこうされた[30]

トラスきょうきゅう上江うわえきょう(1957ねん
上江うわえきょうがわみちきょう架設かせつ工事こうじ(1967ねん[31]

1957ねん供用きょうよう開始かいしされたきゅう上江うわえきょう日本道路公団にほんどうろこうだん[32]埼玉さいたまけんはじめて供用きょうようした有料ゆうりょうきょう有料ゆうりょう道路どうろ)であり、はしちょう865.6メートル(背割せわりつつみ14メートルをふくむ)[24]ぜん幅員ふくいん6.5メートル[33]有効ゆうこう幅員ふくいん6.0メートル[24]橋台きょうだい橋脚きょうきゃく38[34]かわどうりゅうしん位置いちにおいて垂直すいちょくざいきのはがね単純たんじゅんしききょくつるワーレントラス構造こうぞうつRC(鉄筋てっきんコンクリート)ゲルバーきょうだった[24]橋脚きょうきゃく基礎きそこう井筒いづつ基礎きそ[33]である。おやばしらにはたかはしとう設置せっちされていた[注釈ちゅうしゃく 2]

またはし両側りょうがわ築堤ちくてい接続せつぞくされ、道路どうろがそのてんはしとおっていた。道路どうろ川越かわごえがわ右岸うがん)の延長えんちょうが1423メートル、大宮おおみやがわ左岸さがん)の延長えんちょうが1106メートルあり、幅員ふくいんは8.2メートルであった[24]料金りょうきんしょきゅう大宮おおみやがわ橋詰はしづめ西遊馬にしあすま地区ちく)に存在そんざいした。通行つうこうりょうは8にちより徴収ちょうしゅう開始かいしされ、バイクは10えん軽自動車けいじどうしゃは20えん小型こがた自動車じどうしゃは60えん普通ふつう乗用車じょうようしゃは100えん普通ふつう貨物かもつ自動車じどうしゃは120えん定期ていきバスは170えん(そののバスは200えん)、特殊とくしゅ自動車じどうしゃは200えんであった[24]

なお、歩行ほこうしゃ自転車じてんしゃ、リヤカー、うし馬車ばしゃなどのけい車両しゃりょう無料むりょうである。償還しょうかん当初とうしょ1972ねんころ予定よていしていたが[30]予定よていよりはやく1967ねんちゅう償還しょうかん完了かんりょう見込みこみとなったものの、歩道ほどうもうけられていなかったため、無料むりょうやく1ねん延期えんきし、1968ねん昭和しょうわ43ねん)3がつにすぐ下流かりゅうがわ歩行ほこうしゃ専用せんようがわどうきょう架橋かきょうし、歩行ほこうしゃ自転車じてんしゃはここを通行つうこうするようになった[35][36]がわどうきょうはしちょうは865.6メートル、幅員ふくいんは3.0メートルであった[27][35]

がわどうきょう償還しょうかん、1968ねん昭和しょうわ43ねん)6がつ1にちより無料むりょうされた。開通かいつう当時とうじ交通こうつうりょうすくなく1にち平均へいきんで200だい程度ていどで、とく日曜日にちようびなどは10ふんに1だい程度ていどしかなかったが[37]1965ねん昭和しょうわ40ねん)をぎたころから交通こうつうりょう激増げきぞうしたことから幅員ふくいん狭小きょうしょうだったきゅうはしでは限界げんかいとなり、車両しゃりょう大型おおがた増加ぞうかする交通こうつうりょう対処たいしょするため[33]あらたに橋梁きょうりょう増設ぞうせつすることになった。

1977ねん・1997ねんはし

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建設省けんせつしょう関東かんとう地方ちほう建設けんせつきょく(げん国土こくど交通省こうつうしょう関東かんとう地方ちほう整備せいびきょく)が事業じぎょう主体しゅたいとなり[38]そう工費こうひ45おくえんとうじて[39]1972ねん昭和しょうわ47ねん)10がつ1にち着工ちゃっこうだい1工事こうじ)され[39][27]きゅう上江うわえきょう完成かんせい20ねんとなる1977ねん昭和しょうわ52ねん)12月7にち[39]しん上江うわえきょうとして100メートル[33]上流じょうりゅうがわ暫定ざんてい2車線しゃせん完成かんせいした。はし施工しこう東京とうきょう鐵骨てっこつ橋梁きょうりょう、および松尾橋梁まつおきょうりょうおこなった[38]

基礎きそこうは、ていみずじきあらい考慮こうりょするためニューマチックケーソンで、高水たかみずじき鋼管こうかんくい基礎きそ使用しようしている[33]はしちょう1,604.0メートル、幅員ふくいん10.0メートル(うち歩道ほどう2.0メートル)[27]最大さいだいささえあいだちょう83メートル[38]の28みちあいだはがね連続れんぞくばこけたきょう左岸さがんがわ13みちあいだはがね連続れんぞく鈑桁きょう[33])である。上部じょうぶこう橋桁はしげた)は3みちあいだ連続れんぞくばこや3みちあいだおよび4みちあいだ連続れんぞく鈑桁をわせている[33]。このしん上江うわえきょうは、4車線しゃせんした場合ばあい外回そとまわり(春日部かすかべ方面かたもき)車線しゃせんとして架橋かきょうされ、開通かいつう春日部かすかべ方面ほうめんへの一方いっぽう通行つうこうとして使用しよう[36]新橋しんばし完成かんせいしてもきゅうはし使用しよう継続けいぞくされた。また、右岸うがんがわどう時期じき竣工しゅんこうしたながさ308.6メートルの古谷ふるや高架こうかきょう外回そとまわり)[40]接続せつぞくされた。

1982ねん昭和しょうわ57ねん)にきゅうはし調査ちょうさおこなわれたところ、床板とこいた橋桁はしげた損傷そんしょう判明はんめい。このためきゅうはし川越かわごえ方面ほうめんへの一方いっぽう通行つうこうとしたうえ重量じゅうりょう制限せいげんおこな[41]一方いっぽうで、1987ねん昭和しょうわ62ねん)よりだい2工事こうじ着工ちゃっこう[42]1997ねん平成へいせい9ねん)8がつ20日はつか[42]西にし大宮おおみやバイパス建設けんせつあわせてしん上江うわえきょう下流かりゅうがわ内回うちまわり(川越かわごえ方面かたもき)車線しゃせん架橋かきょうされ4車線しゃせん完工かんこうわせて右岸うがんがわのアプローチ区間くかんであるながさ210.0メートル[40]古谷ふるや高架こうかきょう内回うちまわり)が架橋かきょうされ、きゅう上江うわえきょうからえられた。現在げんざいはこのしん上江うわえきょう上江うわえきょうぶ。

左岸さがん下流かりゅうがわ
きゅうはし橋脚きょうきゃく保存ほぞんされている。

きゅうはし内回うちまわ車線しゃせん架橋かきょうされたさいこわされたが、遺構いこうとして橋脚きょうきゃく1(P7:さいたまがわより7番目ばんめ橋脚きょうきゃく)が川越かわごえの「らしの遺産いさん」として保存ほぞんされている。またきゅうはし両側りょうがわ道路どうろ築堤ちくていのこされている。

周辺しゅうへん

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はしがかかる川越かわごえ大字だいじ古谷上ふるやかみは、荒川あらかわ入間川いりまがわ合流ごうりゅうてんであり広大こうだい河川敷かせんしきで、川越かわごえグリーンクロス、大宮おおみや国際こくさいカントリークラブなどがひろがっている。はし上流じょうりゅうがわにはさいたままちひのと飛地とびち多数たすうあり、下流かりゅうがわ水田すいでんなどの農地のうち点在てんざいしている。近年きんねんまでは下流かりゅうがわ左岸さがんがわ河川かせん区域くいきないには小規模しょうきぼ集落しゅうらくもあった[43]はし右岸うがん上流じょうりゅうがわたもとに「荒川あらかわ上流じょうりゅう改修かいしゅう記念きねん」が設置せっちされている[44]

  • 上江うわえきょう埼玉さいたまけんのぐるっと埼玉さいたまサイクルネットワーク構想こうそうもとづき策定さくていされた「自転車じてんしゃみどころスポットをめぐるルート」の「自転車じてんしゃどう体験たいけんルート」や[45]、「さんだい河川かせんめぐりでぐるり埼玉さいたまづくしルート」の経路けいろ指定していされている[46]

となりはし

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上流じょうりゅう) - 西野にしのきょう - 開平かいへいきょう - 上江うわえきょう - 荒川あらかわ橋梁きょうりょう - 治水ちすいきょう - (下流かりゅう
上流じょうりゅう) - 出丸でまるきょう - 入間いるま大橋おおはし - 上江うわえきょう - 荒川あらかわ合流ごうりゅう - (下流かりゅう

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ ただし、分岐ぶんきてんである宝来ほうらいIC付近ふきん国道こくどう指定していされたままとなっており、道路どうろ地図ちずにも明記めいきされている。
  2. ^ a b 外部がいぶリンクぶしの『いろどりくにデジタルアーカイブ』を参照さんしょう

出典しゅってん

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参考さんこう文献ぶんけん

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  • みお 荒川あらかわ上流じょうりゅう改修かいしゅう80ねんあゆみ』、建設省けんせつしょう関東かんとう地方ちほう建設けんせつきょく 荒川あらかわ上流じょうりゅう河川かせん事務所じむしょ、2000ねん平成へいせい12ねん)11月。
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  • 大宮おおみや教育きょういく委員いいんかい編集へんしゅう大宮おおみやをあるく III -かわ街道かいどう-』、1990ねん3がつ30にち
  • ぞく大宮おおみや I 現代げんだい資料しりょうへん大宮おおみや市役所しやくしょ発行はっこう、1989ねん3がつ31にち
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  • 待望たいぼう上江うわえきょう開通かいつう 県下けんかはつ有料ゆうりょう道路どうろ 川越かわごえ発展はってん光明こうみょう」『川越かわごえ市政しせいだより 昭和しょうわ32ねん3がつ10日とおか』(㐧70ごう)、埼玉さいたまけん川越かわごえ市役所しやくしょ、1957ねん3がつ10日とおか2019ねん12月16にち閲覧えつらん 
  • 角川かどかわ日本にっぽん地名ちめいだい辞典じてん編纂へんさん委員いいんかい角川かどかわ日本にっぽん地名ちめいだい辞典じてん 11 埼玉さいたまけん角川書店かどかわしょてん、1980ねん7がつ8にち、258ぺーじISBN 4040011104 

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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座標ざひょう: 北緯ほくい3554ふん52びょう 東経とうけい13932ふん40びょう / 北緯ほくい35.91444 東経とうけい139.54444 / 35.91444; 139.54444