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京王電気軌道125形電車 - Wikipedia コンテンツにスキップ

京王けいおう電気でんき軌道きどう125かたち電車でんしゃ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
京王けいおう電気でんき軌道きどう125かたち電車でんしゃ
東急とうきゅうデハ2125かたち電車でんしゃ
京王けいおうデハ2125かたち電車でんしゃ
基本きほん情報じょうほう
運用うんようしゃ 京王けいおう電気でんき軌道きどう
東京急行電鉄とうきょうきゅうこうでんてつ
京王帝都電鉄けいおうていとでんてつ
製造せいぞうしょ 日本車輌製造にっぽんしゃりょうせいぞう東京とうきょう支店してん
製造せいぞうねん 1933ねん
製造せいぞうすう 6
運用うんよう開始かいし 1933ねん
運用うんよう終了しゅうりょう 1963ねん8がつ3にち
廃車はいしゃ 1964ねん2がつ4にち
1969ねん9がつ29にち(デハ2130→クハ231)[1][2]
消滅しょうめつ 1964ねん2がつ4にち
1969ねん9がつ29にち(デハ2130→クハ231)[1][2]
投入とうにゅうさき 京王線けいおうせん
主要しゅようしょもと
軌間きかん 1,372 mm
電気でんき方式ほうしき 直流ちょくりゅう600V(架空かくう電車でんしゃせん方式ほうしき
車両しゃりょう定員ていいん 100にん
車両しゃりょう重量じゅうりょう 23.3t
全長ぜんちょう 14.080 mm
全幅ぜんぷく 2,640 mm
ぜんこう 4,106 mm(あつまりでん装置そうちあり)
車体しゃたい はんはがねせい
台車だいしゃ 雨宮あまみや製作所せいさくしょA-2
しゅ電動でんどう 東洋電機製造とうようでんきせいぞう TDK-31-SN
しゅ電動でんどう出力しゅつりょく 63.4kW×2 / りょう
駆動くどう方式ほうしき つるしかけ駆動くどう
歯車はぐるま 64:20(3.20)
制御せいぎょ方式ほうしき 抵抗ていこう制御せいぎょ
制御せいぎょ装置そうち 三菱電機みつびしでんきせいでんそら単位たんいスイッチしき手動しゅどう加速かそく制御せいぎょ
制動せいどう装置そうち AMAもと空気くうきためかんしき空気くうきブレーキ
備考びこう かくスペックは、デハ2125、2127-2130の3りょう編成へんせい対応たいおう工事こうじさんへんこう施工しこうちゅうの1950ねん時点じてんのもの[3]
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京王けいおう電気でんき軌道きどう125かたち電車でんしゃ(けいおうでんききどう125がたでんしゃ)は、現在げんざい京王けいおう電鉄でんてつ京王線けいおうせん相当そうとうする路線ろせん運営うんえいしていた京王けいおう電気でんき軌道きどうが、1933ねん投入とうにゅうした電車でんしゃである。

車輛しゃりょう概説がいせつ[編集へんしゅう]

1933ねん日本車輌製造にっぽんしゃりょうせいぞうにちしゃ東京とうきょう支店してんで125 - 130の6りょう製造せいぞうされた。京王けいおうとしてははつにちしゃせい車両しゃりょう[注釈ちゅうしゃく 1]である。150かたちよりのち製造せいぞうされたにもかかわらず「125かたち」と名乗なのっているのは、後述こうじゅつするようにほん形式けいしきしゅ電動でんどうを2装備そうびとしており、110かたちしゅ電動でんどう2装備そうび・150かたちが4装備そうびとした関係かんけいで、中間ちゅうかんの125かたちとしたものとされている[4][5]

車体しゃたい[編集へんしゅう]

1931ねん昭和しょうわ6ねん)につくられた貴賓きひんしゃ500ごう以外いがいでははつのシングルルーフの電車でんしゃである。Hポールで仕切しきられた乗務じょうむいんしつつ14メートルきゅうりょう運転うんてん台車だいしゃで、ドアが車体しゃたいはし配置はいちされた2とびらしゃであること、ヘッドライトは前面ぜんめんまど配置はいち正面しょうめんまくばんには方向ほうこうまくもうけられていることなど、それまでの1かたち・110かたち・150かたち踏襲とうしゅうしているが、木造もくぞうしゃ時代じだいからのフォーマットをきずっていた110かたちや150かたちとはことなり、まどだん上昇じょうしょうしき採用さいようして寸法すんぽうおおきくなり、まど配置はいちも2まいいちくみにするのをめ、1D(1)9(1)D1(D:きゃくようとびら、(1):戸袋とぶくろまど数字すうじまどすう)と変更へんこうされている[6]。またシングルルーフになったことで、通風つうふうガーランドベンチレーター屋根やねじょういちれつ配置はいちした[4]

あめといもうけられず、わりにきゃくようとびらじょう水切みずきりを装備そうびしている[4][7][8]

当時とうじ京王けいおうでん軌は、新宿しんじゅくえき付近ふきんなどに道路どうろじょう軌道きどう敷設ふせつした併用へいよう軌道きどう区間くかんがあったため、ほん形式けいしきもそのれいにもれず、軌道きどうほう規定きていのっとり、車体しゃたい前面ぜんめんには歩行ほこうしゃ事故じこ防止ぼうしよう救助きゅうじょもうきゃくようドアはステップが1だんさら路面ろめん区間くかんようていゆかホーム対応たいおう可動かどうステップ1だん装備そうびしていた。ドアは手動しゅどうとびらであるが、ステップは別途べっとステップエンジンをっていた。

しゅ電動でんどう[編集へんしゅう]

京王線けいおうせん中型ちゅうがたしゃ共通きょうつうで、イングリッシュ・エレクトリック (E.E.) しゃ設計せっけいしたDK-31を、東洋電機製造とうようでんきせいぞうライセンス生産せいさんしたTDK-31N[注釈ちゅうしゃく 2]しき搭載とうさいする。

制御せいぎょ[編集へんしゅう]

HLでんそら単位たんいスイッチしき手動しゅどう加速かそく制御せいぎょ各車かくしゃ搭載とうさいする。150がた一部いちぶおなじく三菱電機みつびしでんきせい制御せいぎょ段数だんすう直列ちょくれつ5だん並列へいれつ4だんよわかい搭載とうさいされていない。

なお、制御せいぎょ電源でんげん架線かせんからの600V電源でんげんをドロップ抵抗ていこう降圧こうあつして使用しようする[9]。このためほん形式けいしき電動でんどう発電はつでんひとし補助ほじょ電源でんげん装置そうち搭載とうさいせず[10]ぜんあきらとう室内しつないとうもドロップ抵抗ていこう併用へいよう回路かいろ直列ちょくれつ接続せつぞくとするなどの処置しょちにより600V電源でんげん動作どうさするようになっている。

ブレーキ[編集へんしゅう]

連結れんけつ運転うんてん実施じっしするため、中型ちゅうがたしゃ共通きょうつう非常ひじょうべん直通ちょくつうブレーキ (SME)搭載とうさいする。

台車だいしゃ[編集へんしゅう]

はり式台しきだいしゃである雨宮あまみやせいA-2を使用しようしている[11]。これは新造しんぞうひんではなく、150がたの155 - 160がしゅ電動でんどうを4装備そうび強化きょうかするさい玉突たまつきで発生はっせいしたしゅ電動でんどう台車だいしゃ装着そうちゃくしたもの[4][8]である。ただし流用りゅうよう車輪しゃりんは860mmみちのものから840mmみち変更へんこうしている[12]

しゅうでん装置そうち[編集へんしゅう]

1かたち装着そうちゃくしたWHしゃせいパンタグラフのコピーひん[13]である、三菱電機みつびしでんきせいS-514菱形ひしがたパンタグラフを1新宿しんじゅくがわ搭載とうさいする[14]

沿革えんかく[編集へんしゅう]

1940ねん昭和しょうわ15ねん)にちゅうとびら増設ぞうせつされ3とびらしゃとなっている。ちゅうとびらまどまいぶんをつぶして設置せっちされたが、ほん形式けいしきはドアあいだまどが11まいのため、新宿しんじゅくがわより1D(1)3D(1)3(1)D1と中央ちゅうおうとびら車体しゃたい中央ちゅうおうからずれた位置いち設置せっちされた。また屋根やねぜんしゅうあめとい[8]たてとい車体しゃたいけられた[4]

1944ねん京王けいおう電気でんき軌道きどう東京急行電鉄とうきょうきゅうこうでんてつだい東急とうきゅう)に統合とうごうされたさい京王けいおうくるまばんを2000番台ばんだいとすることになり、もとくるまばんに2000をくわえたデハ2125かたち2125 - 2130にあらためばんされた。

事故じこ復旧ふっきゅうしゃ[編集へんしゅう]

戦災せんさいまぬかれたほん形式けいしきだったが、戦後せんご火災かさい事故じこ衝突しょうとつ事故じこにあって復旧ふっきゅうされた車両しゃりょうが1りょうずつ存在そんざいする。

デハ2126[編集へんしゅう]

1947ねん2がつ27にち高幡不動たかはたふどうでの火災かさい被災ひさいし、1948ねん京王けいおう独立どくりつ桜上水さくらじょうすい工場こうじょうにて、けたはがねたいはたなおしての復旧ふっきゅう工事こうじおこなわれた[15]。デハ2150がた応急おうきゅう復旧ふっきゅうしゃ同様どうよう片隅かたすみしき運転うんてんだい乗務じょうむいんしつとびらもうけ、かつりょう運転うんてんだいとしたため、りょうはしのドアが車体しゃたい中心ちゅうしんまど1つぶん移動いどうし、まど配置はいち新宿しんじゅくがわよりdD3D4Ddとなった[5]復旧ふっきゅうさい屋根やね鋼板こうはんりとしたものの雨漏あまもりがひど[5]後年こうねん日本にっぽん車輛しゃりょう出張しゅっちょう工事こうじ車両しゃりょう同様どうようのルーフィングりにあらためられた[15]ため、乗務じょうむいんとびらのぞけばほん形式けいしきしゃ形状けいじょうすくないものとなった。だがその被災ひさいはがねたいゆがみにより客室きゃくしつまどかたむいている状態じょうたいで、定期ていき検査けんさとう分解ぶんかいするさいにはまどわくばんけ、ゆがみにわせて調整ちょうせいせねばまど円滑えんかつ開閉かいへいしない状態じょうたいであったという[5]

デハ2130[編集へんしゅう]

1952ねん10月に衝突しょうとつ事故じここし、翌月よくげつ日本にっぽん車輌しゃりょう東京とうきょう支店してんでの工事こうじ新宿しんじゅくかた運転うんてん台車だいしゃとして復旧ふっきゅうされた。ぜんしつ運転うんてんだい運転うんてんだい中央ちゅうおうから左側ひだりがわへの移設いせつ乗務じょうむいんしつとびら新設しんせつ車体しゃたい側面そくめんあめとい車体しゃたい内臓ないぞう、モーター増設ぞうせつ(2モーターを4モーターに)がおこなわれ、ステップあとすそしも撤去てっきょされた。またりょうはしのドアを車体しゃたい中心ちゅうしんまど1つぶん移動いどうし、まど配置はいち新宿しんじゅくがわよりdD3D4D1となった[15][16]

ちょう編成へんせい工事こうじ終焉しゅうえん[編集へんしゅう]

戦後せんごはヘッドライトの屋根やねじょうへの移動いどうや、方向ほうこうまく廃止はいし救助きゅうじょもうはいさわうつわ交換こうかん、ドアステップの撤去てっきょ、パンタグラフのPS13への変更へんこう順次じゅんじすすめられ、とく1950ねん昭和しょうわ25ねん)から1951ねん昭和しょうわ26ねん)にかけては、ブレーキシステムSME直通ちょくつうブレーキからAMM自動じどう空気くうきブレーキ変更へんこう制御せいぎょ連動れんどうしきドアエンジン設置せっちするなどの3りょう編成へんせい対応たいおう工事こうじさんへんこう)が施工しこうされた。なお、前後ぜんごとびらのステップは撤去てっきょされたが、その痕跡こんせきであるすそしは、先述せんじゅつ事故じこ復旧ふっきゅうしゃ2130をのぞ廃車はいしゃまで残存ざんそんした。またほん形式けいしき戦中せんちゅう戦後せんご時期じきりょう運転うんてんだいのままのこった車両しゃりょうおお[4]中型ちゅうがたしゃを3りょう編成へんせい単位たんい運行うんこうすることになった1955ねん時点じてんでも、先述せんじゅつのデハ2130以外いがいぜん車両しゃりょう運転うんてんだい[17]、1962ねん9がつ時点じてんでも八王子はちおうじ先頭せんとうしゃ[注釈ちゅうしゃく 3]となったデハ2129のみがかた運転うんてんだいだった[21][注釈ちゅうしゃく 4]

1955ねん昭和しょうわ30ねん)にデハ2110かたち電装でんそう解除かいじょされたさい発生はっせいしたしゅ電動でんどう追加ついかして全車ぜんしゃが4モーター装備そうびとなった。

1960年代ねんだいはい京王けいおうせん1500V昇圧しょうあつへの準備じゅんびすすめられるなかほん形式けいしきふく中型ちゅうがたしゃ昇圧しょうあつ工事こうじ対象たいしょうがいとなった。中型ちゅうがたしゃ形式けいしきすくなくないかず2000けい・2010けい付随ふずいしゃ「スモールマルティー(t)」[注釈ちゅうしゃく 5]へと改造かいぞうされるなかほん形式けいしきはその改造かいぞう対象たいしょうにならず、デハ2150がた一部いちぶデハ2400かたちとも電動でんどうしゃとして活躍かつやくつづけた。とくにデハ2130は連結れんけつめんがわ広幅ひろはば貫通かんつう設置せっちされ、サハ2120、デハ2410との3りょう貫通かんつう編成へんせいとなった[21]

1962ねん昭和しょうわ37ねん)には中型ちゅうがたしゃの5りょう編成へんせい恒常こうじょうした関係かんけいで、デハ2126、2130が運転うんてんだい撤去てっきょして中間ちゅうかん電動でんどうしゃ[16][21]された。しかし応急おうきゅう復旧ふっきゅうしゃ淘汰とうたすすめられていた時期じきでもあり、デハ2126はまもなく「ラージマルティー(T)」[注釈ちゅうしゃく 6]サハ2523が更新こうしん名義めいぎ新造しんぞうされ、同年どうねん8がつには廃車はいしゃとなっている[1]昇圧しょうあつ間近まぢかひかえた1963ねん昭和しょうわ38ねん)5がつ中旬ちゅうじゅんには、デハ2130が支線しせんよう中型ちゅうがたしゃ一部いちぶ昇圧しょうあつ使つかうことになり、改造かいぞうのため運用うんよう離脱りだつ[22]のこり4りょう同年どうねん8がつ4にち京王線けいおうせん架線かせん電圧でんあつ1500V昇圧しょうあつ前日ぜんじつまで使用しようされた。

昇圧しょうあつデハ2125は後述こうじゅつするように越後えちご交通こうつう譲渡じょうと、2127 - 2129は1964ねん2がつづけ廃車はいしゃ解体かいたいされた[1]。デハ2130は支線しせんよう220けいとして、電装でんそう解除かいじょふたた運転うんてんだい機器きき設置せっちするなどの改造かいぞうけ、頭線かしらせん車両しゃりょう電装でんそうひん流用りゅうようして昇圧しょうあつ改造かいぞうされたデハ221(デハ2401を改造かいぞう)とユニットをクハ231となり、昇圧しょうあつの1963ねん8がつ4にちより支線しせん運用うんようをメインとして運用うんようされた[22]

譲渡じょうと保存ほぞん[編集へんしゅう]

デハ2125はしばらくさくら上水じょうすい留置りゅうちされていたが、1964ねん昭和しょうわ39ねん)6がつ東横ひがしよこ車輛しゃりょう電設でんせつ輸送ゆそうされ、がわとびら2とびら・ステップ設置せっち[注釈ちゅうしゃく 7]運転うんてんだい中央ちゅうおうから左側ひだりがわ移設いせつ狭軌きょうき・ロングシートをビニールするなどの改造かいぞうけ、越後えちご交通こうつう譲渡ゆずりわたされ、同年どうねんあきより同社どうしゃ長岡ながおかせんモハ3005として運用うんよう開始かいしした[23][24]

外観がいかんじょうは2とびらステップきという、製造せいぞう当初とうしょ形態けいたい近似きんじするものとなったが、1969ねん昭和しょうわ44ねん)9がつ1にち長岡ながおかせん昇圧しょうあつともな廃車はいしゃされた。そのしばらく西長岡にしながおかえき構内こうない留置りゅうちされていたが、1972ねん解体かいたいされた[25]

京王けいおうクハ231も1969ねん昭和しょうわ44ねん)9がつ29にち運用うんよう最後さいご廃車はいしゃとなった[26]のち解体かいたいされたため、ほん形式けいしき現存げんそんするものはない。

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

書籍しょせき[編集へんしゅう]

  • 鈴木すずきひろし『【RM LIBRARY 111】京王けいおうせん14mしゃ時代じだい株式会社かぶしきがいしゃネコ・パブリッシング、2008ねん11月1にちISBN 978-4-7770-5245-5 
  • 宮下みやした洋一よういち へん鉄道てつどう車輌しゃりょうガイド Vol.30 京王けいおう帝都ていとのグリーンしゃ株式会社かぶしきがいしゃネコ・パブリッシング、2019ねん5がつ1にちISBN 978-4-7770-2350-9 
  • 宮崎みやざきしげるみき山下やました和幸かずゆき へん京王けいおう帝都ていと電車でんしゃ回顧かいこ だい2かん株式会社かぶしきがいしゃネコ・パブリッシング、2020ねん1がつ15にちISBN 978-4-7770-5447-3 

雑誌ざっし記事きじ[編集へんしゅう]

  • 他社たしゃゆずった京王けいおう車両しゃりょう」『鉄道てつどうピクトリアル』だい278ごう電気でんきしゃ研究けんきゅうかい、1973ねん5がつ、34-35ぺーじ 
  • 鈴木すずきひろし他社たしゃわたった京王けいおう車両しゃりょう」『鉄道てつどうピクトリアル』だい278ごう電気でんきしゃ研究けんきゅうかい、1973ねん5がつ、57-58ぺーじ 
  • ごう博治ひろじ車両しゃりょう形態けいたい変遷へんせん -京王けいおうせん70ねん頭線かしらせん50ねんながれをたどる-」『鉄道てつどうピクトリアル』だい422ごう電気でんきしゃ研究けんきゅうかい、1983ねん9がつ、77-81ぺーじ 
  • 向山むかいやま真司しんじ京王線けいおうせん中型ちゅうがたしゃ素顔すがお」『鉄道てつどうピクトリアル』だい422ごう電気でんきしゃ研究けんきゅうかい、1983ねん9がつ、86-92ぺーじ 
  • ごう博治ひろじ永井ながい信弘のぶひろ「イラストで京王けいおう電車でんしゃ:1950」『鉄道てつどうピクトリアル』だい578ごう電気でんきしゃ研究けんきゅうかい、1993ねん7がつ、151-157ぺーじ 
  • どうむらはく京王けいおうせん 戦後せんご復興ふっこう車両しゃりょう編成へんせい」『鉄道てつどうピクトリアル』だい578ごう電気でんきしゃ研究けんきゅうかい、1993ねん7がつ、219-221ぺーじ 
  • 出崎でさきひろし私鉄してつ電車でんしゃめぐり(149) 京王帝都電鉄けいおうていとでんてつ」『鉄道てつどうピクトリアル』だい578ごう電気でんきしゃ研究けんきゅうかい、1993ねん7がつ、223-242ぺーじ 
  • 出崎でさきひろし京王けいおう電鉄でんてつ 過去かこ車両しゃりょう」『鉄道てつどうピクトリアル』だい734ごう電気でんきしゃ研究けんきゅうかい、2003ねん7がつ、174-194ぺーじ 
  • ごう清治きよじ京王けいおう中型ちゅうがたしゃおも」『鉄道てつどうピクトリアル』だい734ごう電気でんきしゃ研究けんきゅうかい、2003ねん7がつ、195-200ぺーじ 
  • 藤田ふじた吾郎ごろう京王けいおう電鉄でんてつ 主要しゅようしゃれきひょう」『鉄道てつどうピクトリアル』だい734ごう電気でんきしゃ研究けんきゅうかい、2003ねん7がつ、241-242ぺーじ 
  • 鉄道てつどうピクトリアル アーカイブスセレクション9 京王けいおう電鉄でんてつ 1950-60』、鉄道てつどう図書としょ刊行かんこうかい、2005ねん8がつ 
    • p.6 - 12 高橋たかはし孝一こういちろう京王けいおう帝都ていと車両しゃりょう保守ほしゅ業務ぎょうむにたずさわって」
    • p.44 - 55 飯島いいじまただし私鉄してつ車両しゃりょうめぐり 京王帝都電鉄けいおうていとでんてつ」※『鉄道てつどうピクトリアル』だい45ごうだい46ごうよりさいろく
    • p.106 - 118 京王けいおう帝都ていとレールファンクラブ「私鉄してつ車両しゃりょうめぐり(72) 京王帝都電鉄けいおうていとでんてつ 補遺ほい」※『鉄道てつどうピクトリアル』だい197ごうよりさいろく
    • p.144 - 153 読者どくしゃ短信たんしん京王けいおう電鉄でんてつ記録きろく 1950-1960
  • 鈴木すずきひろし「【特集とくしゅう京王けいおう電鉄でんてつ 京王けいおうせん220がたをめぐって」『鉄道てつどうピクトリアル』だい893ごう電気でんきしゃ研究けんきゅうかい、2014ねん8がつ、167-168ぺーじ 
  • 藤田ふじた吾郎ごろう京王けいおう電鉄でんてつ 主要しゅようしゃれきひょう」『鉄道てつどうピクトリアル』だい893ごう電気でんきしゃ研究けんきゅうかい、2014ねん8がつ、262-284ぺーじ 

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 150かたちまでを製造せいぞうした雨宮あまみや製作所せいさくしょ1931ねん昭和しょうわ6ねん)に倒産とうさん
  2. ^ 端子たんし電圧でんあつ600V 1あいだていかく出力しゅつりょく63.4kW
  3. ^ 宮下みやした(2019)による[18]鈴木すずき(2008)は7ページの編成へんせいひょう[19]では新宿しんじゅく先頭せんとうしゃとしているが、パンタグラフがわ(=八王子はちおうじがわ)を先頭せんとうにしている写真しゃしんが19ページ[20]掲載けいさいされている。
  4. ^ 宮下みやした(2019)によれば、りょう運転うんてん台車だいしゃのうちデハ2127は方向ほうこう転換てんかんされてパンタグラフが八王子はちおうじきになっている[18]
  5. ^ 1500V昇圧しょうあつ困難こんなんな14mきゅう中形ちゅうがたしゃ電装でんそう解除かいじょし、2000けいグループなかあいだしゃとした車両しゃりょうについての、京王けいおう社内しゃないでの呼称こしょう
  6. ^ 新造しんぞうしゃもしくは2700けいから改造かいぞうされた、2000けいグループとどうサイズの車体しゃたいなかあいだしゃたいしての、京王けいおう社内しゃないでの呼称こしょう
  7. ^ 軌道きどう時代じだいのステップあと利用りようさい設置せっちした。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c d 宮下みやした洋一よういちへん鉄道てつどう車輌しゃりょうガイド Vol.30 京王けいおう帝都ていとのグリーンしゃ』(2019) p.120-121
  2. ^ a b 鉄道てつどうピクトリアル』2014ねん8がつ臨時りんじ増刊ぞうかんごう通巻つうかん893ごう藤田ふじた吾郎ごろう京王けいおうせん主要しゅようしゃれきひょう」 p.263
  3. ^ 鉄道てつどうピクトリアル』1993ねん7がつ臨時りんじ増刊ぞうかんごう通巻つうかん578ごうごう博治ひろじ永井ながい信弘のぶひろ「イラストで京王けいおう電車でんしゃ:1950」 p.152
  4. ^ a b c d e f 鉄道てつどうピクトリアル アーカイブスセレクション9 京王けいおう電鉄でんてつ 1950-60』飯島いいじまただし私鉄してつ車両しゃりょうめぐり 京王帝都電鉄けいおうていとでんてつ」(※『鉄道てつどうピクトリアル』1955ねん4がつごう通巻つうかんだい45ごう)、5がつごう通巻つうかんだい46ごう)よりさいろく)] p.50
  5. ^ a b c d 鉄道てつどうピクトリアル』2003ねん7がつ臨時りんじ増刊ぞうかんごう通巻つうかん734ごうごう清治きよじ京王けいおう中型ちゅうがたしゃおも」 p.198
  6. ^ 鉄道てつどうピクトリアル アーカイブスセレクション9 京王けいおう電鉄でんてつ1950-60』 京王けいおう帝都ていとレールファンクラブ「私鉄してつ電車でんしゃめぐり(65) 京王帝都電鉄けいおうていとでんてつ だい2 車両しゃりょう総論そうろん」 p.86-87
  7. ^ 鉄道てつどうピクトリアル』422ごう(1983ねん9がつごうごう博治ひろじ車両しゃりょう形態けいたい変遷へんせん -京王けいおうせん70ねん頭線かしらせん50ねんながれをたどる-」 p.79
  8. ^ a b c 鉄道てつどうピクトリアル』1993ねん7がつ臨時りんじ増刊ぞうかんごう通巻つうかん578ごう出崎でさきひろし私鉄してつ電車でんしゃめぐり(149) 京王帝都電鉄けいおうていとでんてつ」 p.227
  9. ^ 鉄道てつどうピクトリアル アーカイブスセレクション9 京王けいおう電鉄でんてつ 1950-60』高橋たかはし孝一こういちろう京王けいおう帝都ていと車両しゃりょう保守ほしゅ業務ぎょうむにたずさわって」p.9
  10. ^ 鉄道てつどうピクトリアル』422ごう(1983ねん9がつごう向山むかいやま真司しんじ京王線けいおうせん中型ちゅうがたしゃ素顔すがお」 p.92
  11. ^ 鉄道てつどうピクトリアル アーカイブスセレクション9 京王けいおう電鉄でんてつ1950-60』 京王けいおう帝都ていとレールファンクラブ「私鉄してつ車両しゃりょうめぐり(72) 京王帝都電鉄けいおうていとでんてつ 補遺ほい p.118
  12. ^ 鉄道てつどうピクトリアル』2003ねん7がつ臨時りんじ増刊ぞうかんごう通巻つうかん734ごうごう清治きよじ京王けいおう中型ちゅうがたしゃおも」 p.197
  13. ^ 鉄道てつどうピクトリアル』422ごう(1983ねん9がつごう向山むかいやま真司しんじ京王線けいおうせん中型ちゅうがたしゃ素顔すがお」 p.89
  14. ^ 鉄道てつどうピクトリアル』422ごう(1983ねん9がつごう向山むかいやま真司しんじ京王線けいおうせん中型ちゅうがたしゃ素顔すがお」 p.87
  15. ^ a b c 鉄道てつどうピクトリアル アーカイブスセレクション9 京王けいおう電鉄でんてつ 1950-60』飯島いいじまただし私鉄してつ車両しゃりょうめぐり 京王帝都電鉄けいおうていとでんてつ」(※『鉄道てつどうピクトリアル』1955ねん4がつごう通巻つうかんだい45ごう)、5がつごう通巻つうかんだい46ごう)よりさいろく)] p.51-52
  16. ^ a b 宮下みやした洋一よういちへん鉄道てつどう車輌しゃりょうガイド Vol.30 京王けいおう帝都ていとのグリーンしゃ』(2019) p.30-31
  17. ^ 鉄道てつどうピクトリアル』1993ねん7がつ臨時りんじ増刊ぞうかんごう通巻つうかん578ごうどうむらはく京王けいおうせん 戦後せんご復興ふっこう車両しゃりょう編成へんせい」 p.220
  18. ^ a b 宮下みやした洋一よういちへん鉄道てつどう車輌しゃりょうガイド Vol.30 京王けいおう帝都ていとのグリーンしゃ』(2019) p.126
  19. ^ 鈴木すずきひろし『【RM LIBRARY 111】京王けいおうせん14mしゃ時代じだい』p.7
  20. ^ 鈴木すずきひろし『【RM LIBRARY 111】京王けいおうせん14mしゃ時代じだい』p.19
  21. ^ a b c 鉄道てつどうピクトリアル アーカイブスセレクション9 京王けいおう電鉄でんてつ1950-60』 「読者どくしゃ短信たんしん京王けいおう電鉄でんてつ記録きろく」 p.146-147
  22. ^ a b 鉄道てつどうピクトリアル』2014ねん8がつ臨時りんじ増刊ぞうかんごう通巻つうかん893ごう)「京王けいおうせん220がたをめぐって」 p.167
  23. ^ 宮下みやした洋一よういちへん鉄道てつどう車輌しゃりょうガイド Vol.30 京王けいおう帝都ていとのグリーンしゃ』(2019) p.113
  24. ^ 鉄道てつどうピクトリアル』1973ねん5がつ増大ぞうだいごう通巻つうかん278ごう)「他社たしゃゆずった京王けいおう車両しゃりょう」p.34-35
  25. ^ 鉄道てつどうピクトリアル』1973ねん5がつ増大ぞうだいごう通巻つうかん278ごう鈴木すずきひろし他社たしゃわたった京王けいおう車両しゃりょう」p.58
  26. ^ 鉄道てつどうピクトリアル』2014ねん8がつ臨時りんじ増刊ぞうかんごう通巻つうかん893ごう)「京王けいおうせん220がたをめぐって」 p.168