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代用だいよう貨幣かへい

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
ベチュアナランド国境警備隊こっきょうけいびたい代用だいよう貨幣かへい[1]

代用だいよう貨幣かへい(だいようかへい)とは、硬貨こうか代用だいようとして限定げんていてき使用しようされるものである。そのおおくが硬貨こうかあるいはメダル類似るいじ形状けいじょうゆうする。この代用だいよう貨幣かへいおもにメダルるい収集しゅうしゅう収集しゅうしゅう対象たいしょう分野ぶんやひとつであり、英語えいごではトークン(token)、フランスではジュトン(Jeton)ともばれる。またぬの穀物こくもつなどが通貨つうか役割やくわりたしたこともあり、これらを場合ばあいもある。

この代用だいよう貨幣かへいどう白鑞しろめアルミニウム真鍮しんちゅうあるいはスズといった卑金属ひきんぞくや、フェノール樹脂じゅし皮革ひかく陶磁器とうじきおよびその丈夫じょうぶ物質ぶっしつ材料ざいりょうとしてもちいられる。

硬貨こうか地方ちほうまたは中央ちゅうおう政府せいふ権力けんりょくにより発行はっこうされ、あらゆる商品しょうひん硬貨こうか交換こうかん可能かのう法定ほうてい通貨つうかであるのにたいし、代用だいよう貨幣かへい例外れいがい存在そんざいするが民間みんかん企業きぎょう団体だんたいあるいは個人こじんにより発行はっこうされ、使用しよう限定げんていされているてん根本こんぽんてきことなる。代用だいよう貨幣かへい民間みんかんにより発行はっこうされるだけでなく、国家こっかあるいはしゅう政府せいふにより通貨つうかじゅんずるものとしてみとめられる場合ばあいもある。有名ゆうめいれいではみなみアフリカにおいて1874ねん、ストラッチャンしゃにより発行はっこうされ、先住民せんじゅうみんぞく通貨つうかとしてひろ流通りゅうつうした代用だいよう貨幣かへいがある。

代用だいよう貨幣かへいには商品しょうひんけんおよび乗車じょうしゃけん役割やくわりたすものもある。

通貨つうかとしての代用だいよう貨幣かへい

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イスラエル 公衆こうしゅう電話でんわのトークン

企業きぎょうによって発行はっこうされていたしん通貨つうかとしての代用だいよう貨幣かへいは、地方自治体ちほうじちたいによって認可にんかされたたんなる取引とりひきようトークンとしての範疇はんちゅうにとどまるものではなかった。 これは、しばしば政府せいふによる硬貨こうか発行はっこう充分じゅうぶんでないためにこった硬貨こうか深刻しんこく不足ふそくたいする措置そちであった。 実質じっしつてきには代用だいよう貨幣かへい発行はっこう背後はいごには地方銀行ちほうぎんこうがあった。

通貨つうかとしての代用だいよう貨幣かへいれいとして、オレンジ自由じゆうこくグリカランドイースト英語えいごばんばれるみなみアフリカから分離ぶんりしていた地域ちいきにおいて1874ねん最初さいしょ発行はっこうされた、ストラッチャントークンがある[2]。 ストラッチャンしゃおよびそのパートナーである政府せいふ秘書ひしょのチャールズ(Charles Brisley)は、この代用だいよう貨幣かへいたい地域ちいき通貨つうかとしての公認こうにん取付とりつけた。1800年代ねんだいに、ひがしグリカランド首都しゅとコークスタート英語えいごばんにある支店してんにおいて、この地域ちいきクラウン銀貨ぎんか逼迫ひっぱくしたことから、みなみアフリカ中央ちゅうおう銀行ぎんこう英語えいごばん公式こうしき銀行ぎんこうけんは、容易たやすくこれらのトークンと交換こうかんされた。

また同様どうように、いちじるしいインフレーションときに、代用だいよう貨幣かへいはしばしば通貨つうか役割やくわりたした。 このれいとして、イタリアあるいはイスラエル電話でんわようトークンがげられる。これは料金りょうきん上昇じょうしょうしたときであっても、トークンは従前じゅうぜんの1かい電話でんわ料金りょうきんとして使用しようできた。 ニューヨーク地下鉄ちかてつのトークンは額面がくめん設定せっていされていたため、しばしば取引とりひきあるいはパーキングメーターにも使用しようすることができた。

売買ばいばいあるいは交換こうかん手段しゅだんとしての代用だいよう貨幣かへい

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ダコタ地域の黄銅製代用貨幣
ダコタ地域ちいき黄銅こうどうせい代用だいよう貨幣かへい
アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくりく空軍くうぐん代用だいよう貨幣かへい
シャム 商人が発行した陶貨
シャム 商人しょうにん発行はっこうしたとう
広島県府中市上下町 地域活性化のための共通商品券「上下小判」
広島ひろしまけん府中ふちゅう上下じょうげまち 地域ちいき活性かっせいのための共通きょうつう商品しょうひんけん上下じょうげ小判こばん
カンザスのアルミニウム製代用貨幣
カンザスのアルミニウムせい代用だいよう貨幣かへい

17世紀せいきから19世紀せいき初頭しょとうにかけて、ブリテン諸島しょとうきたアメリカ政府せいふ発行はっこう硬貨こうか不足ふそく深刻しんこくさいには、商業しょうぎょう活動かつどうつづけるために代用だいよう貨幣かへい商人しょうにんによって発行はっこうされることがおおかった。代用だいよう貨幣かへい商品しょうひん交換こうかん可能かのうなことを事実じじつじょう保証ほしょうしていたが、かならずしも換金かんきん可能かのうなことを保証ほしょうしてはいなかった。これらの代用だいよう貨幣かへい政府せいふ正式せいしき認可にんかけることはけっしてなかったが、きわめてひろれられ、流通りゅうつうした。

イギリスでは、1/4ペニー銅貨どうかが17世紀せいき前半ぜんはん国王こくおう認可にんかによって製造せいぞう発行はっこうされたが、イングランド内戦ないせんあいだ製造せいぞう中断ちゅうだんされ、その結果けっかしょうぜにいちじるしい欠乏けつぼうしょうじた。 まち都市としにおける取引とりひき急速きゅうそく増加ぞうかのため不足ふそくかん一層いっそうつよあらわれた。そのため地方ちほう公共こうきょう団体だんたい商人しょうにんともにトークンを発行はっこうするようになった。

これらの代用だいよう貨幣かへいおおくがどうあるいは真鍮しんちゅうせいであったが、白鑞しろめなまり、ときに皮革ひかくせいのトークンも見出みいだされる。 おおくは一定いってい額面がくめんきざまれず1/4ペニー銅貨どうかとしての通用つうよう前提ぜんていであったが、1/2ペニーもおおられ、1ペニートークンも多少たしょうられた。 1/2ペニーと1ペニートークンは、すべてというわけではないが通常つうじょう表面ひょうめん額面がくめんしるされている。このような代用だいよう貨幣かへいおおくは表面ひょうめん発行はっこうじんのフルネームまたはイニシャルきざまれている。イニシャルの場合ばあい苗字みょうじの1文字もじ夫婦ふうふの2文字もじけい3文字もじきざむのが一般いっぱんてき習慣しゅうかんであった。 また通常つうじょう代用だいよう貨幣かへい表面ひょうめんには名前なまえまたはにより商売しょうばいかんする事項じこうきざまれる。 代用だいよう貨幣かへいおおくは円形えんけいであるが、ときに正方形せいほうけい、ハートがたまたは八角はっかくがた形状けいじょうのものが存在そんざいする。1648ねんから1672ねんあいだにこれらの代用だいよう貨幣かへい発行はっこうしたまち商人しょうにんすうせんにものぼった。このあいだ政府せいふによる1/4ペニー銅貨どうか発行はっこう再開さいかいされ、個人こじんてきなトークンの発行はっこう禁止きんしされた。

またこのような硬貨こうか不足ふそく18世紀せいき後半こうはんにイギリスの王立おうりつ造幣局ぞうへいきょく硬貨こうか製造せいぞうをほとんど中止ちゅうししたときにもこった。 商人しょうにんはトークンの発行はっこう再開さいかいしたが、それは機械きかいせいであり、17世紀せいき発行はっこうされた1/2ペニーあるいはそれ以上いじょう額面がくめんのものよりも一般いっぱんてきおおきな額面がくめんのものであった。 おおくが取引とりひきようのものであったが、なかには広告こうこくおよび政治せいじてき目的もくてきもあり、また収集しゅうしゅうへの販売はんばいだいいち目的もくてきとして発行はっこうされたものもあった。 これらのトークンはのちに「コンダー」トークンとしてよくられている。これらは商人しょうにんによりみずからの店舗てんぽにおける同等どうとう価格かかく商品しょうひんにより償還しょうかんされるとの契約けいやくのもとで、商品しょうひん代金だいきん支払しはらいのため発行はっこうされた。 その取引とりひき代用だいよう硬貨こうか利便りべんせい役割やくわりたす一種いっしゅ物々交換ぶつぶつこうかんであり、都合つごう価格かかくおよび時刻じこくにおいて商品しょうひんることができ、代用だいよう貨幣かへいみせのコインホルダーにめておくことができる。

1861ねんアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくにおいて勃発ぼっぱつした南北戦争なんぼくせんそうにより、原料げんりょう不足ふそくから政府せいふ硬貨こうか発行はっこうすうげんじ、くわえて経済けいざい混乱こんらんにより硬貨こうか払底ふっていした。このとき釣銭つりせん支払しはらいに困惑こんわくした会社かいしゃおよび商店しょうてんル紙るがみ額面がくめん印刷いんさつしたもの、私製しせい銅貨どうかさらに郵便ゆうびん切手きって円形えんけい金属きんぞくケースに封入ふうにゅうした切手きって代用だいよう貨幣かへい発行はっこうした。このケース切手きって代用だいよう貨幣かへい発明はつめいかんしてジョン・ゴールドは1862ねん8がつ12にち特許とっきょをとった[3]

アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく財務省ざいむしょう金属きんぞく硬貨こうか重量じゅうりょうがあり輸送ゆそう能力のうりょくめん問題もんだいおおいことから、在外ざいがい軍隊ぐんたいたい硬貨こうか出荷しゅっかしなかったため、アメリカぐんりく空軍くうぐん生活せいかつひん販売はんばい業務ぎょうむ英語えいごばんは、かみせいの5セント、10セント、および25セントの額面がくめん代用だいよう貨幣かへいポグ英語えいごばん」(めんこ意味いみする)を発行はっこうすることにした。この代用だいよう貨幣かへい直径ちょっけいやく38mmであり、デザインが軍事ぐんじしょくつよいものとなっているという特徴とくちょうがある[4]きゅう日本にっぽんぐんにおいても軍事ぐんじ基地きちのみで通用つうようする「酒保しゅほぜに」とばれる代用だいよう貨幣かへいもちいられた。

売買ばいばいよう代用だいよう貨幣かへい収集しゅうしゅうは、メダル収集しゅうしゅう分野ぶんやひとつであり、にトランジットトークン、ケースりのセント硬貨こうか、およびおおくのほか分野ぶんやふくまれる。 狭義きょうぎ取引とりひきよう代用だいよう貨幣かへい商人しょうにんによって発行はっこうされた、「い」代用だいよう貨幣かへいである。 一般いっぱん代用だいよう貨幣かへい表面ひょうめんには、しばしば「5セント」などの額面がくめん商人しょうにんめい、イニシャル、まちしゅうきざまれている。代用だいよう貨幣かへい発行はっこうした商人しょうにん雑貨ざっか食料しょくりょうひんしょう百貨店ひゃっかてん酪農らくのう精肉せいにく市場いちばドラッグストア酒場さかばバー居酒屋いざかや床屋とこや炭坑たんこう製材せいざいしょ、およびおおくの業者ぎょうしゃがいた。1870ねんから1920ねん期間きかんアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくにおいて取引とりひきよう代用だいよう貨幣かへいもっとおお使用しようされた時期じきであり、農村のうそん地域ちいきにおける零細れいさい店舗てんぽ増加ぞうかがこれに拍車はくしゃをかけた。なにせんもの零細れいさい雑貨ざっかおよび商店しょうてん合衆国がっしゅうこく全体ぜんたいわたって存在そんざいし、かれらのおおくが取引とりひき促進そくしんし、顧客こきゃく信用しんようひろめるために取引とりひきよう代用だいよう貨幣かへい使用しようした。 アルミニウムせい代用だいよう貨幣かへいは、アルミニウムがやす生産せいさんされるようになった1890ねん以降いこうとしめいのものがほとんどである。

スロットマシンのトークン

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カジノにおけるスロットマシン専用せんよう金属きんぞくせいのトークンが現金げんきんわりにもちいられる。カジノでは賭博とばくだいまたはスロットマシンで現金げんきんがトークンまたはチップに交換こうかんされる。トークンはカジノにおいて換金かんきん可能かのうであるが、一般いっぱんてきにカジノのそとでは価値かちたない。

アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくでは1964ねんころぎん価格かかく高騰こうとうともな銀貨ぎんか発行はっこう停止ていしされたのにともない、急遽きゅうきょラスベガスのカジノはスロットマシン専用せんようのコインとしてのだい用品ようひんさがもとめた。ネバダしゅうゲーミング管理かんりきょく英語えいごばん合衆国がっしゅうこく財務省ざいむしょう協議きょうぎおこない、カジノがスロットマシン専用せんようのトークンを使用しようすることがすぐに許可きょかされた。このときカジノのトークンの製造せいぞうったのはおも民間みんかん造幣ぞうへいしょフランクリン・ミント英語えいごばんであった。

1971ねんに、おおくのカジノが、マシン専用せんようアイゼンハワーダラー採用さいようした。 1979ねん1ドル硬貨こうかアンソニーダラー変更へんこうされたとき、おおくのカジノが、トークンをふたた導入どうにゅうした。これはアンソニーダラーが25セント硬貨こうかまぎらわしいことによる混乱こんらんおそれて、おおくのスロットマシンを改造かいぞうするのをけ、スロットマシンでトークンを使用しようしているカジノは、アイゼンハワーダラーサイズのものを使用しようしている。ほとんどの地域ちいきでは、カジノにおいて、より小額しょうがくのトークンを必要ひつようとするスロットマシンで硬貨こうか使用しようすることを許可きょかしていない。

おおくのカジノが紙幣しへいれて自動的じどうてき領収りょうしゅうしょ発行はっこうされるコインレスマシンを導入どうにゅうするようになり、トークンは段階だんかいてき廃止はいしされている。

スタッフトークン

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デビアスしゃ従業じゅうぎょういん専用せんよう店舗てんぽ代用だいよう貨幣かへい

スタッフトークンは従業じゅうぎょういん貨幣かへいわりとして支給しきゅうされるものである。19世紀せいき賃金ちんぎんのスタッフトークンによる支払しはらいの表向おもてむきの理由りゆう流通りゅうつう貨幣かへい不足ふそくであったが、実際じっさいにはスタッフトークンは法外ほうがい価格かかく従業じゅうぎょういん専用せんよう店舗てんぽでしか使用しようすることができないため、従業じゅうぎょういん実質じっしつてき賃金ちんぎん、および処分しょぶん所得しょとく大幅おおはばおさえるものであった。

きたアメリカでは18世紀せいき硬貨こうか不足ふそく対応たいおうして発行はっこうされた代用だいよう貨幣かへいが(#売買ばいばいあるいは交換こうかん手段しゅだんとしての代用だいよう貨幣かへい参照さんしょう)、そのスタッフトークンとして使用しようされた。

ハンセン病はんせんびょう療養りょうようしょ使用しようされた代用だいよう貨幣かへい

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ハンセン病はんせんびょう療養りょうようしょにおいて、入所にゅうしょしゃ資産しさん療養りょうようしょのみでしか通用つうようしないせんよう代用だいよう貨幣かへい強制きょうせいてき両替りょうがえさせることもおこなわれた。

その

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ウクライナ 地下鉄ちかてつ乗車じょうしゃけんのトークン

鉄道てつどう地下鉄ちかてつバスなどの公共こうきょう交通こうつう機関きかんでは都度つど乗車じょうしゃもちいる場合ばあいくわえ、割引わりびき乗車じょうしゃにもトークンを長年ながねんにわたってもちいてきた。はしトンネル有料ゆうりょう道路どうろ通行つうこう料金りょうきん収受しゅうじゅにもトークンが使用しようされている。小売こうりてん酒場さかばなどがトークンを発行はっこうすることもあり、洗車せんしゃじょうゲームセンター駐車ちゅうしゃじょう公衆こうしゅう電話でんわなどでもトークンが使用しようされる。しかし、現在げんざいではコンピューターによるみが可能かのうなチケットやICカードが、トークンにってわっていたり、併用へいようされている場合ばあいもある。なお、日本にっぽんにおいては戦前せんぜんから硬貨こうか使用しようされていたため、トークンの利用りよう一般いっぱんてきではない。

アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくではおもに1930年代ねんだいしゅとして記念きねんひんとして発行はっこうされた5セント相当そうとう木製もくせい代用だいよう貨幣かへい Wooden nickel有名ゆうめいである。

キリスト教会きょうかいでは、コミュニオン先立さきだっておこなわれる修道しゅうどうかい試験しけん合格ごうかくした信者しんじゃにトークンを授与じゅよする風習ふうしゅうがあり、またコミュニオンへの参加さんかにトークンを必要ひつようとした。 おおくのスコットランドプロテスタントおよび、いくつかの米国べいこく教会きょうかいがコミュニオントークンを使用しようした。 一般いっぱんに、これらは、白鑞しろめせいで、教会きょうかい所有しょゆうする鋳型いがたでしばしば牧師ぼくしにより鋳造ちゅうぞうされていた。 最近さいきんいくつかの教会きょうかいにおいてこれらのトークンのレプリカを販売はんばい目的もくてきによる製造せいぞう可能かのうとなった[5]

脚注きゃくちゅう参考さんこう文献ぶんけん

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  1. ^ The Bechuanaland Border Police History and Canteen Tokens
  2. ^ The currency tokens of Strachan and Co
  3. ^ 小池こいけザビエル 『月刊げっかん収集しゅうしゅう』「アメリカ南北戦争なんぼくせんそう切手きって代用だいよう貨幣かへい」 書信しょしんかん出版しゅっぱん、1999ねん
  4. ^ A reference site on AAFES pogs: tokens currently in use by US armed forces overseas.
  5. ^ "Church Tokens", New York Times, 11 April 1993

関連かんれん項目こうもく

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