君主くんしゅ崇拝すうはい

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

君主くんしゅ崇拝すうはい(くんしゅすうはい)とは、君主くんしゅせい国家こっか元首げんしゅたいする信仰しんこうである。

概要がいよう[編集へんしゅう]

君主くんしゅせい国家こっかにおいて皇帝こうてい国王こくおうその君主くんしゅかみかみ化身けしんまたは、かみ使つかい、救世主きゅうせいしゅなどとして崇拝すうはいもしくは、神聖しんせいすること。君主くんしゅ称号しょうごうによっては、皇帝こうてい崇拝すうはい(こうていすうはい)などとばれる。これらは、国家こっか宗教しゅうきょう中核ちゅうかくとなったものもある。古代こだい国家こっかでは、世界中せかいじゅうひろられた。一神教いっしんきょう世界せかいでは、君主くんしゅかみそのものと做す思想しそう一般いっぱんないが、ヨーロッパキリスト教きりすときょう君主くんしゅせい国家こっかでは、国王こくおうかみから王権おうけんさずかったとする王権おうけん神授しんじゅせつまれた。

現代げんだいじん感覚かんかくではたりまえかんじられるが、古代こだい世界せかいにおいて「君主くんしゅたいしてかみおなじように礼拝れいはいすること」が強要きょうようされたために発生はっせいした。つまりそれまでは、君主くんしゅまえ特別とくべつ態度たいどあらわ必要ひつようせいがなかったとえる。これによって君主くんしゅは、たんなる為政者いせいしゃから人間にんげんことなる神聖しんせい存在そんざいへと変化へんかした。やがて時代じだいくだごとに、この傾向けいこうはげしくなり君主くんしゅ頂点ちょうてんにしたヒエラルキー形成けいせいされ、上位じょうい階層かいそうぞくする人々ひとびとへの神聖しんせいつながった。

君主くんしゅ崇拝すうはいは、宗教しゅうきょうむすびついておりことなる宗教しゅうきょうあいだでは、価値かち共有きょうゆうはかられず対立たいりつんだ。また君主くんしゅたいしてかみおなじように礼拝れいはいすることは、一神教いっしんきょう信者しんじゃにとってれること出来できないてんであり古代こだいエジプトやマ帝国まていこく日本にっぽんにおいても信者しんじゃ反乱はんらんこす原因げんいんとなった。さらに近代きんだいすすむと民主みんしゅ主義しゅぎひろがり、君主くんしゅ個人こじん神聖しんせいする風潮ふうちょう拒否きょひされるようになり、君主くんしゅ崇拝すうはいすたれていった。

君主くんしゅ生死せいしによる影響えいきょう[編集へんしゅう]

君主くんしゅ崇拝すうはいは、崇拝すうはい対象たいしょうとなる君主くんしゅ生死せいしたいするかんがえのちがいにより性質せいしつわる場合ばあいがある。たとえば天皇てんのう崇拝すうはいは、天皇てんのう生前せいぜんからはじまっている。たいして古代こだいローマにおける皇帝こうてい神格しんかくは、一部いちぶのぞいて死後しごはじまっている。前者ぜんしゃは「現人神あらひとがみ」、後者こうしゃは「人物じんぶつしん」とばれることがある。また中世ちゅうせい近世きんせいヨーロッパにおけるカトリック教権きょうけん国家こっか王権おうけん神授しんじゅせつもとづく君主くんしゅ崇拝すうはいは、君主くんしゅとも神聖しんせい途絶とだえた。すなわちかみからあたえられた権威けんい王位おうい相続そうぞくともうつるとかんがえられた。ぎゃくインカ帝国ていこくなどのように、君主くんしゅ死後しご権威けんいつづけた場合ばあいもある。

れい[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]