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守口もりぐち宿やど

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守口もりぐち宿やど(もりぐちじゅく)は、大坂おおさか街道かいどう宿場しゅくば現在げんざい大阪おおさか守口もりぐち本町ほんまち1・2丁目ちょうめ竜田通たつたどおり1丁目ちょうめ浜町はまちょう1・2丁目ちょうめ付近ふきんにあたる。大坂おおさか最初さいしょ宿場しゅくばであり、東海道とうかいどうじゅうななとしてかぞえると最終さいしゅうの57番目ばんめ宿場しゅくばである。

概要がいよう

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ふるくから交通こうつう要地ようちであったが、元和がんわ2ねん1616ねん)に宿駅しゅくえき指定していされた。江戸えど時代じだい後期こうきの『東海道とうかいどう宿やどむら大概たいがいちょう』によれば宿場しゅくばまちながさは南北なんぼく11まち51あいだ問屋場とんやば1・本陣ほんじん1のほか旅籠はたごが27けんあった。

枚方ひらかた宿やどへ3大坂おおさかへ2というちかさであったため、当初とうしょからうまぎはなく、人足ひとあしのみのつとめであった。また淀川よどがわめんしていながら川舟かわぶねとの連絡れんらくがなかったため、淀川よどがわ舟運しゅううん発展はってんにつれて次第しだいに貨客をうばわれ、宿場しゅくば運営うんえい影響えいきょうあたえた。しかし一方いっぽうで、清滝きよたき街道かいどう現在げんざい国道こくどう163ごう)の分岐ぶんきてんだったこともあり、旅籠はたご茶屋ちゃやがたちならぶなどして繁栄はんえいした側面そくめんもあった。ちなみに守口もりぐち宿やどされた特産とくさんひんひとつに、守口もりぐちづけがある(ただし、現在げんざい製法せいほうはかなりことなる。守口もりぐちづけ参照さんしょう)。

現在げんざい一部いちぶ宿場しゅくばまち面影おもかげのこ家並いえなみがのこっている。また街道かいどう淀川よどがわ左岸さがん堤防ていぼうぶんろくつつみじょうにあった様子ようすることができる。

最寄もよえき

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となり宿やど

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枚方ひらかた宿やど - 守口もりぐち宿やど - (大坂おおさか高麗橋こうらいばし

座標ざひょう: 北緯ほくい3444ふん7びょう 東経とうけい13533ふん49びょう / 北緯ほくい34.73528 東経とうけい135.56361 / 34.73528; 135.56361