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箱根はこねせき

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箱根はこね関所せきしょから転送てんそう
箱根はこね関所せきしょ。2007ねん3がつ復元ふくげんされた。
箱根関の位置(日本内)
箱根関
箱根はこね関所せきしょ位置いち

箱根はこねせき(はこねのせき)は、かつて箱根はこねにあった関所せきしょである。一般いっぱんには、江戸えど幕府ばくふによって元和がんわ5ねん1619ねん)から明治めいじ2ねん1869ねん)まで、相模さがみこく足柄下あしがらしもぐん箱根はこね芦ノ湖あしのこ湖畔こはん設置せっちされていた東海道とうかいどう箱根はこね関所せきしょ(はこねせきしょ)をす。

箱根山はこねやまには箱根はこね関所せきしょ中心ちゅうしんとして根府川ねぶかわ小田原おだわら)・仙石原せんごくはら箱根はこねまち)・矢倉沢やぐらざわ南足柄みなみあしがら)・川村かわむらケ(とも山北さんぽくまち)の6かしょ関所せきしょ設置せっちされていた[1]

沿革えんかく[編集へんしゅう]

古代こだい[編集へんしゅう]

箱根はこね関所せきしょ設置せっちされた始期しきについてはさだかではないが、奈良なら平安へいあん時代じだい律令りつりょうにはすで箱根峠はこねとうげ経由けいゆする箱根はこね開設かいせつされるとともにその路上ろじょう関所せきしょ設置せっちされていた。足柄峠あしがらとうげ足柄あしがらとともに関東かんとう防衛ぼうえい役割やくわりになった。平将門たいらのまさかどらんさいには、平将門たいらのまさかど箱根はこねへい派遣はけんして、これを封鎖ふうさすることをかんがえた[2]

中世ちゅうせい[編集へんしゅう]

鎌倉かまくら時代ときよには、承久じょうきゅうらんさい北条ほうじょうよしとき御家人ごけにんからされた箱根はこね足柄あしがらかれたせきかためて同地どうち官軍かんぐんめるさくしりぞけてへい上洛じょうらくさせたとつたえられている[2]箱根はこね関所せきしょ防備ぼうび問題もんだいとなっており、『うけたまわひさ』は『吾妻あづまきょう』とほぼ同様どうよう記事きじがあり、鎌倉かまくら時代じだいには箱根はこね関所せきしょがあったといえるが、箱根はこね関所せきしょ設置せっち位置いちあきらかではない[3]

うけたまわひさし3ねん(1221ねん)、「うけたまわひさへん鎌倉かまくら幕府ばくふ出征しゅっせい評議ひょうぎをこらし」「所詮しょせん足柄あしがら箱根はこね両方りょうほう道路どうろかたかんしてあいつべき(『吾妻あづまきょう』)」のべ、「せきまもってにちにわたるのじょう、かへって敗北はいぼくいんたるべきか(『吾妻あづまきょう』)」とし、箱根はこね関所せきしょ防備ぼうび問題もんだいとなったという[4]

室町むろまち幕府ばくふ鎌倉かまくら箱根はこね関所せきしょ設置せっちしてせきぜに徴収ちょうしゅうおこなったことられている[よう出典しゅってん]かんれき2ねん1380ねん)の『円覚寺えんかくじ文書ぶんしょ』には、箱根山はこねやまあしかわ宿やどあたりに関所せきしょ[5]3年間ねんかん限定げんてい設置せっちして[よう出典しゅってん]円覚寺えんかくじ造営ぞうえいりょうてたとしるされた[5][† 1]

そのおうひさし13ねん1406ねん)に箱根山はこねやまちゅうみずいんとうげみずいんせきかれたという。戦国せんごく時代じだいになると、こう北条ほうじょう箱根山はこねやま西側にしがわ伊豆いずこく)に山中さんちゅうじょう設置せっちしたさい関所せきしょ機能きのう吸収きゅうしゅうしたという[よう出典しゅってん]

えいとおる時代じだい(1429ねんから1441ねん)ごろ、箱根湯本はこねゆもと湯本ゆもとせきかれ、せきぜに鎌倉かまくら大蔵おおくら稲荷いなり神社じんじゃ修繕しゅうぜんにあてられた[5]箱根はこねはところどころに関所せきしょかれたが、整備せいびされたのは近世きんせいという[5]

江戸えど幕府ばくふ箱根はこね関所せきしょ[編集へんしゅう]

箱根はこね関所せきしょ平面へいめん

近世きんせい箱根はこね関所せきしょ起源きげん不明ふめいである。しかし、元和がんわ4ねん1618ねんごろにはすで箱根はこね宿駅しゅくえきであることから、この時期じき箱根はこね関所せきしょ設置せっちされたものとされている[5]

箱根はこね関所せきしょ設置せっち[編集へんしゅう]

こう北条ほうじょう滅亡めつぼう関東かんとうには徳川とくがわ家康いえやすはいり、のち江戸えど幕府ばくふひらいた。幕府ばくふ須雲川すくもがわ沿いに新道しんどう(「箱根はこねはち」)を設置せっちしてこれを東海道とうかいどう本道ほんどうとして整備せいびして、箱根はこね神社じんじゃがわ関所せきしょ設置せっちしたが、地元じもと元箱根もとはこね住民じゅうみんとの対立たいりつこした。そのため箱根峠はこねとうげりに人工じんこうまちである「箱根はこね宿やど」を、元箱根もとはこねがわ芦ノ湖あしのこほとり箱根はこね関所せきしょ設置せっちした。

箱根はこね関所せきしょいち時期じきのぞいては原則げんそくてきには、相模さがみこく足柄下あしがらしもぐんおよ箱根山はこねやまはさんでせっする駿河するがこく駿東すんとうぐん支配しはいする譜代ふだい大藩たいはん小田原おだわらはん実際じっさい管理かんり運営うんえいおこなっていた。 東海道とうかいどう江戸えど京都きょうと大坂おおさかさんあいだむすさい重要じゅうよう交通こうつうとされた。

関所せきしょ構造こうぞう[編集へんしゅう]

箱根はこね関所せきしょ高札こうさつじょう

箱根はこね関所せきしょ設置せっちした地点ちてんは、東北とうほく屏風山びょうぶさんがあり、西南せいなん芦ノ湖あしのこがあり、中央ちゅうおう東海道とうかいどうとおった。みち両側りょうがわにはたて64メートル、よこ13メートルのがあった[5]

りょうもんあいだやく18メートルで、関門かんもん左右さゆう石垣いしがき関所せきしょ礎石そせきのこっている[6]建造けんぞうぶつうえ番所ばんしょばん詰所つめしょ休息きゅうそくしょ風呂場ふろばからなる「めん番所ばんしょ」、ところつめはんばん休息きゅうそくしょ牢屋ろうやからなる「こう番所ばんしょ」、うまや辻番つじばん高札こうさつじょうなどが設置せっちされ、しがらみかこまれていた。また、関所せきしょうら屏風山びょうぶさんには「遠見とおみ番所ばんしょ」、芦ノ湖あしのこ南岸なんがんには「そと番所ばんしょ」が設置せっちされ、周囲しゅうい山林さんりん要害山ようがいさん御用ごようりん指定していけていた。そこを通過つうかして関所破せきしょやぶ関所せきしょ)をおこなおうとしたもの厳罰げんばつしょせられたのである。

関所せきしょ道具どうぐるい[編集へんしゅう]

箱根はこね関所せきしょには常備じょうびづけ武具ぶぐとしてゆみ5・鉄砲てっぽう10・長柄ながらやり10・大身たいしんやり5・さん道具どうぐ1くみ突棒つくぼう刺股さすまたそで搦各1)・よせぼう10が規定きていされていた。が、ほとんどが旅人たびびとおどすためのもので、火縄銃ひなわじゅう火薬かやくめておらず、ゆみがあってもかったなどのことがかっている。

箱根はこね関所せきしょばん[編集へんしゅう]

貞享ていきょう3ねん1686ねん)の小田原おだわらはん職制しょくせいによれば、箱根はこね関所せきしょ番頭ばんがしら1・ひらばん3(以上いじょうさむらい身分みぶん)・小頭こがしら1・足軽あしがる10・仲間なかまちゅうあいだ)2(以上いじょう足軽あしがる身分みぶん)・定番ていばんじん3・人見ひとみおんな2・その常用じょうよう人夫にんぷから構成こうせいされた。のち番頭ばんがしら補佐ほさするものとしてさむらい身分みぶん横目よこめ1めい追加ついかされた。さむらい足軽あしがる身分みぶんもの小田原おだわら藩士はんしであり、さむらい毎月まいつき2にち足軽あしがる毎月まいつき23にち小田原おだわらじょうから派遣はけんされて交代こうたい勤務きんむした。定番ていばんじん人見ひとみおんな箱根はこね近辺きんぺん農民のうみんから雇用こようして幕府ばくふ手当てあて肩代かたがわりをおこない、人夫にんぷしゅとして駿東すんとうぐんなどの小田原おだわら領民りょうみんがあたった。

箱根はこね関所せきしょと5つのわき関所せきしょ[編集へんしゅう]

箱根はこねせき東海道とうかいどうわき往還おうかん

根府川ねぶかわ矢倉沢やぐらざわ川村かわむら仙石原せんごくはらたにヶ村かそん関所せきしょは、箱根はこね関所せきしょおなじく、小田原おだわら城主じょうしゅ管理かんりしていた[7]熱海あたみ入湯にゅうとうどう熱海あたみ街道かいどうあるいはねつ海道かいどう)に根府川ねぶかわ関所せきしょ足柄あしがらながれを矢倉沢やぐらざわ往還おうかんには矢倉沢やぐらざわ関所せきしょ箱根はこね裏街道うらかいどうには仙石原せんごくはらせきなど5ヶ所かしょわき往還おうかんにも関所せきしょ設置せっちされ、江戸えど幕府ばくふ公式こうしき箱根はこね関所せきしょと5つのわき関所せきしょから江戸えど時代じだい箱根はこねせき構成こうせいされた。

根府川ねぶかわ関所せきしょ[編集へんしゅう]

根府川ねぶかわ関所せきしょあと案内あんないばん(右側みぎがわ)と東海道新幹線とうかいどうしんかんせん白糸しらいとがわ橋梁きょうりょう

箱根はこね関所せきしょうら番所ばんしょとして、熱海あたみ街道かいどう設置せっちされた根府川ねぶかわ関所せきしょ箱根はこね関所せきしょじゅんじていたが、『関所せきしょ規定きてい心得こころえかた書記しょき』によると通行人つうこうにん規定きていが、一般いっぱん関所せきしょではそれほど問題もんだいとならない町民ちょうみん農民のうみんまで手形てがたもとめていた[7]東海道新幹線とうかいどうしんかんせん白糸しらいとがわ橋梁きょうりょう建設けんせつともな河川かせん改修かいしゅう川底かわぞこしずんでしまった。

矢倉沢やぐらざわ関所せきしょ[編集へんしゅう]

天正てんしょう18ねん(1590ねん)には江戸えど入国にゅうこくした徳川とくがわ家康いえやすが、西方せいほう防衛ぼうえいとして、東海道とうかいどう足柄あしがらえつ矢倉沢やぐらざわ関所せきしょ設置せっちし、全国ぜんこく統一とういつ存続そんぞくさせていた。

箱根はこね関所せきしょ江戸えど時代じだい)の検閲けんえつ[編集へんしゅう]

箱根はこね関所せきしょ検問けんもん[編集へんしゅう]

箱根はこね関所せきしょ通過つうかさい検問けんもんするに事柄ことがらは、『諸国しょこく関所せきしょ覚書おぼえがき[8]しめされ、時間じかんけ6つかられ6つまでと規定きていされて、夜間やかん通行つうこう原則げんそく禁止きんしされた。

関西かんさい方面ほうめんから江戸えどかうものとく検閲けんえつがなかった[9]ぎゃくに、江戸えどから上方かみがたかう婦女子ふじょし乱心らんしんしゃ手負ておいしゃ囚人しゅうじんくび死骸しがいとう反乱はんらん原因げんいんになりうるものは、留守居るすい証文しょうもん夜間やかん通行つうこうには老中ろうじゅう証文しょうもん宿場しゅくば問屋とんやだんしょ必要ひつようであった[9]道中どうちゅう奉行ぶぎょう支配しはい街道かいどうにあった新居しんきょ関所せきしょ気賀きが関所せきしょ碓氷うすい関所せきしょ福島ふくしま関所せきしょなどの関所せきしょ通過つうかには、箱根はこね関所せきしょ同様どうよう一定いってい証文しょうもん必要ひつようであった[9]

にゅう鉄炮てっぽうおんな[編集へんしゅう]

にゅう鉄炮てっぽうおんな」に象徴しょうちょうされる厳重げんじゅう監視かんし体制たいせいられた[7]のちに、寛永かんえい年間ねんかんおな東海道とうかいどうこんきり関所せきしょとの役割やくわり分担ぶんたんさだめられ、こんきり江戸えどはい鉄砲てっぽういれ鉄炮てっぽう)を監視かんしし、箱根はこね江戸えどから女性じょせいおんな)を監視かんしする任務にんむおもとするようになった。

箱根はこね関所せきしょ特徴とくちょうは、武具ぶぐ検問けんもんをしないで通行つうこう許可きょかしており、鉄炮てっぽう手形てがた場合ばあいでも通行つうこう差支さしつかえないが、手形てがた持参じさん場合ばあい形式けいしきじょう検問けんもんして通行つうこう許可きょかしていたという[9]。『関所せきしょ規定きてい心得こころえかた書記しょき[10]によると、「鉄砲てっぽう手形てがた場合ばあいでも通行つうこうつかえないが、手形てがた持参じさん場合ばあいには、一応いちおう形式けいしきじょうでだけ検閲けんえつして通行つうこう許可きょか」するものであった。そのため、箱根はこね関所せきしょには、された鉄砲てっぽう手形てがたのこされている[11]

関所せきしょ廃止はいし史跡しせき指定してい[編集へんしゅう]

関所せきしょ廃止はいし[編集へんしゅう]

幕末ばくまつ慶応けいおう改革かいかく段階だんかい簡単かんたん検問けんもん機能きのうのみに縮小しゅくしょうされていた。

明治めいじ2ねん(1869ねん)には明治めいじ政府せいふ諸国しょこく関所せきしょ全廃ぜんぱいしたとき箱根はこねせき廃止はいしされた。

復元ふくげん史跡しせき指定してい[編集へんしゅう]

箱根はこね町立ちょうりつ箱根はこね関所せきしょ資料しりょうかん

箱根はこねせきあと大正たいしょう11ねん1922ねん)、くに史跡しせきとされた[12]昭和しょうわ40ねん1965ねん)、箱根はこね町立ちょうりつ箱根はこね関所せきしょ資料しりょうかん開設かいせつされた。昭和しょうわ58ねん1983ねん)、静岡しずおかけん韮山にらやままちげん伊豆いずくに)の江川えがわ文庫ぶんこから『相州あいしゅう関所せきしょ修復しゅうふく出来できがたちょう』(慶応けいおう元年がんねん1865ねん))が発見はっけんされたことにより[13]箱根はこね関所せきしょ構造こうぞうあきらかとなり、のちおこなわれる復元ふくげんのきっかけとなった[13]

平成へいせい11ねんから平成へいせい13ねんにかけて発掘はっくつ調査ちょうさおこなわれ、箱根はこね関所せきしょ遺構いこう確認かくにんされた[14]

平成へいせい16ねん2004ねん)4がつ、『相州あいしゅう関所せきしょ修復しゅうふく出来できがたちょう』の内容ないようおよ発掘はっくつ調査ちょうさ成果せいかをふまえ、箱根はこね関所せきしょ大番おおばんしょ上番じょうばん休息きゅうそくしょなどが復元ふくげんされ、一般いっぱん公開こうかいされるようになった[14]

平成へいせい19ねん2007ねん)、石垣いしがきとうだい規模きぼ復元ふくげん工事こうじおこなわれ、周辺しゅうへん電線でんせん地中ちちゅう埋設まいせつするなどしたうえで、復元ふくげんされた箱根はこね関所せきしょ全面ぜんめん公開こうかいされた[13][14]

平成へいせい25ねん(2013ねん)、資料しりょうかんが13のテーマべつ展示てんじにリニューアルされた[15]。「じょあらため」の人形にんぎょうによる再現さいげんなどのほか、「関所破せきしょやぶり」のコーナーでは、当時とうじ手配てはいしょ人相書にんそうがきから神奈川かながわけん警察けいさつ作成さくせいしたモンタージュ写真しゃしんることができる[16]

ギャラリー[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 大島おおしまによると、あしかわ宿やどとは元箱根もとはこねだという。(大島おおしま〈1995〉78ぺーじ


出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ 関所せきしょ設置せっち」、『箱根はこね関所せきしょ公式こうしきサイト』、箱根はこね関所せきしょ箱根はこね関所せきしょ資料しりょうかん
  2. ^ a b 吾妻あづまきょううけたまわひさし3ねん5月19にちじょう、『うけたまわひさ』など。
  3. ^ 大島おおしま(1995)、76-77ぺーじ
  4. ^ 大島おおしま延次郎のぶじろう箱根はこね関所せきしょ」『関所せきしょ』、新人物往来社しんじんぶつおうらいしゃ、1995ねん、76-77ぺーじ
  5. ^ a b c d e f 大島おおしま(1995)、78ぺーじ
  6. ^ 大島おおしま(1995)、78-79ぺーじ
  7. ^ a b c 渡辺わたなべ(1971)、21ぺーじ
  8. ^ 続々ぞくぞくぐんしょ類従るいじゅうだい7 法政ほうせい 739 - 754ぺーじ所収しょしゅう
  9. ^ a b c d 渡辺わたなべ(1971)、21ぺーじ
  10. ^ 小田原おだわら図書館としょかんぞう片岡かたおか文書ぶんしょじゅうる。
  11. ^ 渡辺わたなべ(1971)、21・22ぺーじ
  12. ^ 箱根はこねせきあと | くに指定してい文化財ぶんかざいとうデータベース”. 文化庁ぶんかちょう. 2018ねん5がつ5にち閲覧えつらん
  13. ^ a b c 相州あいしゅう箱根はこね関所せきしょ修復しゅうふく出来できがたちょう」(「箱根はこね関所せきしょ完全かんぜん復元ふくげんへのみちのり」、『箱根はこね関所せきしょ公式こうしきサイト)
  14. ^ a b c 箱根はこねせきあと保存ほぞん整備せいび事業じぎょう」(「箱根はこね関所せきしょ完全かんぜん復元ふくげんへのみちのり」、『箱根はこね関所せきしょ公式こうしきサイト)
  15. ^ 箱根はこね関所せきしょ資料しりょうかん 展示てんじリニューアル(2013/4/12 [Fri] 10:53)2019ねん2がつ16にち閲覧えつらん
  16. ^ 【わがまち おたからかん箱根はこね関所せきしょ資料しりょうかん神奈川かながわ箱根はこねまち)「じょあらため」禿かぶろげも詳細しょうさいに『朝日新聞あさひしんぶん朝刊ちょうかん2019ねん2がつ13にちだい2東京とうきょうめん)。

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

古文書こもんじょ[編集へんしゅう]

  • 吾妻あづまきょう
  • うけたまわひさ
  • 小田原おだわら図書館としょかんぞう関所せきしょ規定きてい心得こころえかた書記しょき」『片岡かたおか文書ぶんしょじゅう 
  • 諸国しょこく関所せきしょ覚書おぼえがき」『続々ぞくぞくぐんしょ類従るいじゅうだい7 法政ほうせい、739 - 754ぺーじ所収しょしゅう 

和書わしょ[編集へんしゅう]

  • 大島おおしま延次郎のぶじろう改訂かいていばん 関所せきしょ』、株式会社かぶしきがいしゃ新人物往来社しんじんぶつおうらいしゃ、1995ねん
  • 雄山閣ゆうざんかく編輯へんしゅうきょく新編しんぺん相模さがみこく風土記ふどき稿こうまき廿にじゅういち 村里むらざと 足柄上あしがらかみぐんまきじゅう 矢倉澤やぐらざわむら 關所せきしょ」『だい日本にっぽん地誌ちし大系たいけい 新編しんぺん相模さがみこく風土記ふどき稿こういち雄山閣ゆうざんかく 1932ねん 269-270ぺーじ
  • 渡辺わたなべ和敏かずとし近世きんせい関所せきしょしょ形態けいたい」『法政ほうせい史学しがくだい23かん法政大学ほうせいだいがく学会がっかい、1971ねん、17-26ぺーじ 
  • 国史こくしだい辞典じてん 11』(吉川弘文館よしかわこうぶんかん、1990ねんISBN 4-642-005110
  • 日本にっぽんだい事典じてん 5』(平凡社へいぼんしゃ、1993ねんISBN 4-582-131050
  • 角川かどかわ日本にっぽん地名ちめいだい辞典じてん 14』(角川書店かどかわしょてん、1984ねんISBN 4-04-0011406

ウェブサイト[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

座標ざひょう: 北緯ほくい3511ふん32.5びょう 東経とうけい1391ふん34.1びょう / 北緯ほくい35.192361 東経とうけい139.026139 / 35.192361; 139.026139