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矢倉沢やぐらざわ往還おうかん

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矢倉沢やぐらざわ往還おうかん(やぐらざわおうかん)は、江戸えど時代じだい整備せいびされた街道かいどうで、江戸城えどじょう赤坂あかさかもん赤坂あかさか見附みつけ)から相模さがみこく足柄峠あしがらとうげ駿河するがこく沼津ぬまづ宿やどむすび、東海道とうかいどうわき往還おうかんとしても機能きのうしていた。

江戸えどから大山おおやまへの参詣さんけいどうとして使つかわれ「大山おおやま街道かいどう」、「大山おおやまみち」、厚木あつぎ街道かいどうなどともばれた。

現在げんざいは、ほぼこのきゅう往還おうかん沿って青山あおやまどお国道こくどう246ごうかよっている。

いまも「大山おおやま街道かいどう」とばれしたしまれている旧道きゅうどうきゅう宿やど、2006ねん 5がつ25にち撮影さつえい
矢倉沢やぐらざわ往還おうかん箱根はこねせき
大山おおやまみち主要しゅよう8みち[1]

歴史れきし

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律令りつりょう時代じだいには駿河するがこく相模さがみこくむす東海道とうかいどう本道ほんどうにあたり、「足柄あしがらみち」(あしがらどう)または「足柄あしがら」(あしがらじ)とばれていた。万葉集まんようしゅう収録しゅうろくされた防人さきもりうたにも登場とうじょうすることから、8世紀せいきころには東国とうごく畿内きないむす主要しゅようどうとしてあるかれていた様子ようすがうかがえる。富士山ふじさんのべれき噴火ふんか(800-802ねん)で一時いちじ通行つうこう困難こんなんになり、復旧ふっきゅうまでは代替だいたいとして箱根はこね整備せいびしてもちいた。

その鎌倉かまくら時代ときよ湯坂ゆさかどう鎌倉かまくら古道ふるみちのひとつ。江戸えど時代じだい以降いこう東海道とうかいどう本道ほんどうになる。箱根はこねとも)がひらかれるまでかんどうとして機能きのうしていた。たてたけし2ねん12月(1336ねん1がつ)にはこの街道かいどうすじ箱根はこねたけしたたたかおこなわれ、敗走はいそうした新田にった義貞よしさだって足利尊氏あしかがたかうじ鎌倉かまくらから京都きょうとがる経路けいろとなった。

江戸えど時代じだいには、東海道とうかいどうわき往還おうかんとして機能きのうしていった矢倉沢やぐらざわ往還おうかんには箱根はこね関所せきしょどう等位とうい矢倉沢やぐらざわ関所せきしょがあった。天正てんしょう18ねん1590ねん)に関所せきしょ設置せっちされ、駿河するがこくへの通行人つうこうにん検閲けんえつした。箱根はこね関所せきしょきたには矢倉沢やぐらざわ往還おうかんとお矢倉沢やぐらざわほか、その北側きたがわ川村かわむらたにヶ村かそん[2]およ南側みなみがわ仙石原せんごくはら[3]関所せきしょかれ、ここでは女人にょにん通行つうこう小田原おだわら領内りょうない婦女子ふじょしのみが領主りょうしゅ家老がろう証文しょうもんによって通過つうか許可きょかされ、武具ぶぐよるあいだ通過つうか禁止きんしとし通行つうこうまった[4]

だい山道さんどう道標どうひょう世田谷せたがや三軒茶屋さんげんぢゃや

江戸えど時代じだい中期ちゅうき以降いこうになると大山おおやまこうさかんになり、またの雨降山あめふりやま(あふりやま)ともばれた大山おおやまへの参詣さんけいしゃ急増きゅうぞうしたとわれる。そのとき、宿駅しゅくえきなどが整備せいびされていた矢倉沢やぐらざわ往還おうかん江戸えどからの参詣さんけいどうとしてさかんに利用りようされたことから、「大山おおやま街道かいどう」(おおやまかいどう)、「大山おおやまみち青山あおやまどおだい山道さんどう)」(おおやまみち)ともばれるようになり、現在げんざい神奈川かながわ県内けんない旧道きゅうどうなどにはその定着ていちゃくしている。 (ただし、大山おおやま街道かいどう大山おおやまみち)とばれるみちは、現在げんざい国道こくどう129ごう国道こくどう16ごう東京とうきょう都道とどう59ごう八王子はちおうじ武蔵村山むさしむらやませんかいし、埼玉さいたまけん熊谷くまがや方面ほうめんにまでびているみちをはじめ、大山おおやま街道かいどうことため注意ちゅうい必要ひつようである。)

矢倉沢やぐらざわ」(やぐらざわ)の地名ちめい現在げんざい神奈川かながわけん南足柄みなみあしがら足柄峠あしがらとうげ付近ふきんのこっており、このあたりではかつての街道かいどうすじを「足柄あしがら古道ふるみち」(あしがらこどう)として整備せいびされているが、神奈川かながわ県内けんない区間くかん大正たいしょう時代じだいになると県道けんどう1号線ごうせん指定していされ、のち国道こくどう246ごうとなり、幹線かんせん道路どうろとして拡幅かくふくバイパス設置せっちとう整備せいびすすんだことから、一部いちぶ地域ちいきのぞ往時おうじ面影おもかげ辿たどるのは困難こんなんになっている。また、1969ねんまでには東名高速道路とうめいこうそくどうろ首都高しゅとこうそく3ごう渋谷しぶやせんがこの街道かいどうおおむ沿って開通かいつう[5]日本にっぽん東西とうざい交通こうつう重要じゅうよう役割やくわりつルートとして利用りようされつづけている。

地理ちり

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平安へいあん時代じだいのルート

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足柄峠あしがらとうげ - 関本せきもと - 松田まつだ - 波多野はたの秦野はだの) - 糟屋かすや伊勢原いせはら) - 小野おの厚木あつぎ) - 金田かねだわたし(相模さがみがわ) - 入谷いりや海老名えびな) - 新開しんかい - 鶴間つるま大和やまと) - 貫目かんめ横浜よこはま瀬谷せや) - 店屋みせや町田まちだ) - 豊島としま谷中たになか墓地ぼち周辺しゅうへんか)

おも宿場しゅくば

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人馬じんば立場たちば江戸えど時代じだい

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とうげ

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 伊勢原いせはら広報こうほういせはら 946(平成へいせい21ねん7がつ1にち)』「江戸えど時代じだいだい山道さんどう主要しゅよう8みち)」を参考さんこう
  2. ^ いずれも現在げんざい山北さんぽくまち所在しょざいする。
  3. ^ 現在げんざい箱根はこねまち仙石原せんごくはら地区ちくきゅう仙石原せんごくはらむら)。箱根はこね裏街道うらかいどう現在げんざい国道こくどう138ごう)にかれた。
  4. ^ 渡辺わたなべ(1971)、23ぺーじ
  5. ^ 松田まつだまち大井おおい松田まつだIC)から沼津ぬまづ沼津ぬまづIC)にかけての区間くかんどう街道かいどうではなく、足柄峠あしがらとうげ北側きたがわ御殿場ごてんばとおるルートで整備せいびされた。
  6. ^ a b 中平なかひらりゅう二郎じろうちょ「ホントにある大山おおやま街道かいどう」には宿場しゅくばとして紹介しょうかいされているがその宿場しゅくば紹介しょうかいされているものはない。
  7. ^ バス停ばすていなど地元じもとではだい谷戸たにと表記ひょうきされているが「ホントにある大山おおやま街道かいどう」にはこう表記ひょうきされている。

参考さんこう資料しりょう

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  • 川崎かわさき歴史れきしガイド「大山おおやま街道かいどう川崎かわさき文化ぶんか財団ざいだん、1982ねん昭和しょうわ57ねん)。
  • 近世きんせい神奈川かながわ主要しゅようどう矢倉沢やぐらざわ往還おうかん大山おおやま街道かいどう)」、大山おおやま街道かいどうふるさとかん
  • 大山おおやまおもねおっと神社じんじゃ相模さがみ大山おおやま街道かいどう大山おおやまおもねおっと神社じんじゃ1987ねん
  • 「ホントにある大山おおやま街道かいどう」、中平なかひらりゅう二郎じろうちょ2007ねん
  • 伊勢原いせはら広報こうほう いせはら946(平成へいせい21ねん7がつ1にち)』、伊勢原いせはら、2009ねん
  • 渡辺わたなべ和敏かずとし近世きんせい関所せきしょしょ形態けいたい」『法政ほうせい史学しがくだい23かん法政大学ほうせいだいがく学会がっかい、1971ねん、17-26ぺーじ 

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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