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戸塚とつか宿やど

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戸塚とつか宿やど歌川うたがわ広重ひろしげ東海道とうかいどうじゅうさん』より)

戸塚とつか宿やど(とつかしゅく、とつかじゅく)は、東海道とうかいどうじゅうさんの5番目ばんめ宿場しゅくばである。東海道とうかいどうでは相模さがみこくさいひがしはし宿場しゅくばまちである。

概要がいよう[編集へんしゅう]

相模さがみこく鎌倉かまくらぐんいま神奈川かながわけん横浜よこはま戸塚とつか)にあった。日本橋にほんばしから旅程りょていがちょうど一泊いっぱくにあたり、旅籠はたごかずじゅうさんちゅう小田原おだわら宿やど規模きぼであった。当初とうしょ保土ヶ谷ほどがや宿やどつぎ藤沢ふじさわ宿やどであったが、上記じょうき理由りゆうから戸塚とつかにも宿屋やどやえ、きゃくうばわれることをおそれた藤沢ふじさわ宿やどもう反対はんたいり、幕府ばくふ公認こうにんとなった。

吉田よしだまち戸塚とつかまち矢部やべまちさんまちからなる。見附みつけは、現在げんざい吉田よしだまちイオンまえ戸塚とつかまち大坂おおさか(バス停ばすていまえ)にあり、品濃しなのまち原宿はらじゅくまち一里塚いちりづかのこる。大山おおやまみち鎌倉かまくら街道かいどう厚木あつぎ街道かいどうなどと交差こうさする要衝ようしょうであった。幕末ばくまつ黒船くろふね来航らいこうさいには、避難ひなんみんげてきたといわれている。

本陣ほんじん[編集へんしゅう]

澤辺さわべ内田うちだけん本陣ほんじんがあった。さわ邉本じんあとには屋敷やしきしんであった羽黒はぐろ神社じんじゃ現存げんそんしている。内田うちだ本陣ほんじんあと戸塚とつか郵便ゆうびんきょくになっている。

備考びこう[編集へんしゅう]

戸塚とつか宿やどにちなむ川柳せんりゅう佐野さのうま 戸塚とつかさかころび」ははち物語ものがたりパロディで、「いざ鎌倉かまくら」とさんじたろううま鎌倉かまくら目前もくぜん戸塚とつかころんだ、という意味いみ。「戸塚とつかさか」は戸塚とつか宿やど上方かみがたりにある大坂おおさか、あるいは保土ヶ谷ほどがや宿やどとのあいだにある権太坂ごんたざか品濃しなのざかひがし戸塚とつかえきちかく)のことともいう。

もと遊廓ゆうかく名残なごりとして、料亭りょうていの「丁字ていじ」が近年きんねんまで営業えいぎょうしていた。

最寄もよえき[編集へんしゅう]

JR東海道本線とうかいどうほんせん横須賀よこすかせん湘南しょうなん新宿しんじゅくライン横浜よこはま市営しえい地下鉄ちかてつブルーライン 戸塚とつかえき

となり宿場しゅくば[編集へんしゅう]

保土ヶ谷ほどがや宿やど - 戸塚とつか宿やど - 藤沢ふじさわ宿やど途中とちゅう原宿はらじゅく鉄砲てっぽう宿やどの2つのあいだ宿やどがある。)

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]

座標ざひょう: 北緯ほくい3523ふん42びょう 東経とうけい13931ふん47びょう / 北緯ほくい35.395028 東経とうけい139.529861 / 35.395028; 139.529861