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にちちゅうせん

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にちちゅうせん
概要がいよう
現況げんきょう 廃止はいし
おこり終点しゅうてん 起点きてん喜多方きたかたえき
終点しゅうてん熱塩あつしおえき
えきすう 5えき
運営うんえい
開業かいぎょう 1938ねん8がつ18にち (1938-08-18)
廃止はいし 1984ねん4がつ1にち (1984-4-1)
所有しょゆうしゃ 鉄道てつどうしょう運輸うんゆ通信つうしんしょう運輸省うんゆしょう
日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどう
使用しよう車両しゃりょう 使用しよう車両しゃりょうふし参照さんしょう
路線ろせんしょもと
路線ろせんそう延長えんちょう 11.6 km (7.2 mi)
軌間きかん 1,067 mm (3 ft 6 in)
電化でんか 全線ぜんせん電化でんか
さいきゅう勾配こうばい 25
テンプレートを表示ひょうじ
停車場ていしゃじょう施設しせつ接続せつぞく路線ろせん廃止はいし当時とうじ
磐越西線ばんえつさいせん
BHFq eABZq+r
0.0 喜多方きたかた
exBHF
2.9 会津あいづ村松むらまつ
exhKRZWae
押切川おしきりがわ
exBHF
5.0 上三宮かみさんのみや
exBHF
8.2 会津あいづ加納かのう
exWBRÜCKE1
野辺のべ沢川さわかわ
exKBHFe
11.6 熱塩あつしお

にちちゅうせん(にっちゅうせん[1])は、福島ふくしまけん喜多方きたかた喜多方きたかたえきからどうけん耶麻やまぐん熱塩加納あつしおかのうむらげん喜多方きたかた)の熱塩あつしおえきまでをむすんでいた[1]日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどう国鉄こくてつ)の鉄道てつどう路線ろせん地方ちほう交通こうつうせん)である[2]。1980ねん昭和しょうわ55ねん)の日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどう経営けいえい再建さいけん促進そくしん特別とくべつ措置そちほう国鉄こくてつ再建さいけんほう施行しこうによりだい1特定とくてい地方ちほう交通こうつうせん指定していされ、1984ねん昭和しょうわ59ねん4がつ1にち全線ぜんせん廃止はいしとなった[2]

路線ろせんめいは、終点しゅうてんである熱塩あつしおえき北方ほっぽうにあるにちちゅう温泉おんせん由来ゆらいする[3]

路線ろせんデータ(廃止はいし[編集へんしゅう]

  • 管轄かんかつ日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどう
  • 区間くかん営業えいぎょうキロ):喜多方きたかたえき - 熱塩あつしおえきあいだ 11.6km[1]
  • 軌間きかん:1067mm
  • えきすう:5(起点きてんえきふくむ)
  • 複線ふくせん区間くかん:なし(全線ぜんせん単線たんせん
  • 電化でんか方式ほうしき:なし(全線ぜんせん電化でんか

運行うんこう形態けいたい[編集へんしゅう]

開業かいぎょう当初とうしょは1にち6往復おうふく運行うんこうしていた[4]。1950年代ねんだいには1にち5往復おうふく時代じだいもあったが、1958ねん昭和しょうわ33ねん)10がつダイヤ改正かいせいでは、あさ1往復おうふく[ちゅう 1]夕方ゆうがた1往復おうふくよる1往復おうふく[ちゅう 2]けい3往復おうふく削減さくげんされており、にちちゅう列車れっしゃ運行うんこうがなく、廃止はいしまでこの運行うんこう形態けいたいつづいた[3]。また貨物かもつあつか廃止はいし以前いぜんは、混合こんごう列車れっしゃとして運行うんこうされていた。

開業かいぎょうには熱塩あつしおえきうたて車台しゃだい使用しようして蒸気じょうき機関きかんしゃ(SL)の方向ほうこう転換てんかんをしていたが、距離きょりみじか速度そくど低速ていそくだったためにバック運転うんてんぎゃく)でも支障ししょうすくなく、にちちゅう戦争せんそう影響えいきょうもあり使用しよう中止ちゅうしされた。末期まっき蒸気じょうき機関きかんしゃ運転うんてん形態けいたいであるが、あさのぼ列車れっしゃ熱塩あつしおはつ喜多方きたかたき)がぎゃくになり、ぎゃく午後ごごくだ列車れっしゃ喜多方きたかたはつ熱塩あつしおき)がぎゃくとなる変則へんそく運転うんてんだった。

使用しよう車両しゃりょう[編集へんしゅう]

蒸気じょうき機関きかんしゃ
C11かたち
C12かたち
ディーゼル機関きかんしゃ
DE10かたち
客車きゃくしゃ
オハ61けい(オハ61・オハフ61)などの旧型きゅうがた客車きゃくしゃ

歴史れきし[編集へんしゅう]

にちちゅうせん記念きねんかんきゅう熱塩あつしおえき

改正かいせい鉄道てつどう敷設ふせつほう別表べっぴょうだい26ごう規定きていする予定よていせん山形やまがたけん米澤よねざわヨリ福島ふくしまけん喜多方きたかたいたりル鐡道」の一部いちぶで、日光にっこうせんがんせん会津線あいづせんむすんで東北とうほく地方ちほう南部なんぶ縦貫じゅうかんするがんはねせん構想こうそう一翼いちよくになうはずであった[5][6]

1938ねん昭和しょうわ13ねん)に福島ふくしまけんがわ開業かいぎょうした[5]ものの、典型てんけいてき閑散かんさんカル線かるせんであり、廃止はいし時点じてん各駅かくえき停車ていしゃする1にち3往復おうふく客車きゃくしゃ列車れっしゃ朝夕あさゆうあさ1往復おうふく夕方ゆうがた2往復おうふく)に運行うんこうされるのみで[4]、「にちちゅうはしらぬにちちゅうせん[2]にちちゅうはしりません」とも揶揄やゆされた。輸送ゆそう密度みつどは260にん/にちで、おも地元じもと高校生こうこうせい通学つうがく使つかわれ[3]熱塩あつしお温泉おんせんへの宿泊しゅくはくきゃく湯治とうじきゃく利用りようすくなかった[4]いちれいとして、はら武史たけし高校こうこう2年生ねんせいだった1980ねん2がつ26にち夕方ゆうがた、クラスメイトと2人ふたりカル線かるせん旅行りょこうかけたさい乗車じょうしゃしたとき回想かいそうとして、車内しゃないわせていたのは地元じもと高校生こうこうせいたちで、熱塩あつしおえきくまでにほとんどりてしまったとしるしている[1]

また、貨物かもつ輸送ゆそうとして、熱塩加納あつしおかのうむらにあったあずか内畑うちはた鉱山こうざん石膏せっこう加納かのう鉱山こうざんぎんどう鉱石こうせき輸送ゆそうする役割やくわりになっていたが、1972ねん昭和しょうわ47ねん)に廃鉱はいこうとなると貨物かもつ収入しゅうにゅう減少げんしょうしていった。

本州ほんしゅうでは蒸気じょうき機関きかんしゃによる定期ていき旅客りょかく列車れっしゃ運転うんてん最後さいごとなった線区せんくでもあり、おおくの鉄道てつどうファンめかけていた。なお、終点しゅうてんとなる熱塩あつしおえきにはうたて車台しゃだい設置せっちされていたが、SLブームころにはすで使つかわれておらず、機関きかんしゃかえぎゃくとなっていた。

年表ねんぴょう[編集へんしゅう]

えき一覧いちらん[編集へんしゅう]

駅名えきめい えきあいだキロ 営業えいぎょうキロ 接続せつぞく路線ろせん 所在地しょざいち
喜多方きたかたえき - 0.0 日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどう磐越西線ばんえつさいせん 喜多方きたかた
会津あいづ村松むらまつえき 2.9 2.9  
上三宮かみさんみやえき 2.1 5.0  
会津あいづ加納かのうえき 3.2 8.2   耶麻やまぐん熱塩加納あつしおかのうむら
熱塩あつしおえき 3.4 11.6  

廃止はいし状況じょうきょう[編集へんしゅう]

にちちゅうせん記念きねん自転車じてんしゃ歩行ほこうしゃどう

はいせんこうは、会津あいづ乗合のりあい自動車じどうしゃ会津あいづバス)既存きそん並行へいこう路線ろせん拡充かくじゅうするかたち代替だいたいバス運行うんこう開始かいしし、「せんせきさわにちちゅうせん」として喜多方きたかた駅前えきまえ - にちちゅうせん記念きねんかんまえ - 千石せんごくさわを1にち6往復おうふく運行うんこうしていた。転換てんかん交付こうふきん利用りようして新車しんしゃ投入とうにゅう増便ぞうびん、バス待合まちあいしょ新築しんちくおこなわれた。しかし、利用りようきゃく減少げんしょうにより2008ねん平成へいせい20ねん12月1にちからは全便ぜんびん日曜にちよう祝日しゅくじつ運休うんきゅうとなり、2012ねん平成へいせい24ねん9月29にち運行うんこうをもって全線ぜんせん廃止はいしとなった[9]代替だいたいバス廃止はいし喜多方きたかた運営うんえいするデマンドタクシー運行うんこうされている。

きゅう熱塩あつしおえき駅舎えきしゃ荒廃こうはいぶりが話題わだいのぼることもあったが、廃止はいし3ねん1987ねんから整備せいびうえで「にちちゅうせん記念きねんかん」として保存ほぞんされている[4][10]。またはいせんあとは、きゅう喜多方きたかた市内しないではサイクリングロードにちちゅうせん記念きねん自転車じてんしゃ歩行ほこうしゃどう[ちゅう 6]として整備せいびされており、喜多方きたかたえきから会津あいづ村松むらまつえきあいだやく3kmは4がつ中旬ちゅうじゅんから4がつ下旬げじゅんやく1000ほんしだれさくらほこ福島ふくしま県内けんない有数ゆうすうさくら名所めいしょとなっている[4][11]

元来がんらいほん路線ろせん予定よてい区間くかんである米沢よねざわえき喜多方きたかたえきむす区間くかん国道こくどう121ごう大峠おおとうげ道路どうろとして整備せいびされたが、路線ろせんバス運行うんこうるわなかった。2010年代ねんだいには広田ひろたタクシーはるからあき週末しゅうまつ休日きゅうじつ限定げんてい予約よやくせいの「マスコットくん」を米沢よねざわえきから会津若松あいづわかまつえきまで運行うんこうしていたが、2014ねんかぎりで運行うんこう廃止はいしした。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ くだ列車れっしゃ会津若松あいづわかまつえきからの直通ちょくつう列車れっしゃである。のぼ列車れっしゃ喜多方きたかたえき4番線ばんせん客車きゃくしゃ2りょう留置りゅうちしたまま、機関きかんしゃのみ喜多方きたかたえき始発しはつ会津若松あいづわかまつえききの客車きゃくしゃ列車れっしゃ牽引けんいんとなっていた。
  2. ^ のぼ列車れっしゃはそのまま会津若松あいづわかまつえきへの客車きゃくしゃ回送かいそう列車れっしゃとなっていた。
  3. ^ 11月3にち・4にちに「さよならみんほうごう」がC11 63+オハフ61(6りょう)+C11 80編成へんせい双頭そうとう列車れっしゃ運転うんてん。1にち2往復おうふく
  4. ^ 11月5にち - 9にちに「さよならみんともごう」がC11 63+オハフ61(2りょう編成へんせい運転うんてん。1にち1往復おうふく。ただし9にちはC11 80が牽引けんいんした。
  5. ^ 11月10にちに「にちちゅうせんさよならSLごう」がC11 63+オハフ61(5りょう)+C11 80編成へんせい双頭そうとう列車れっしゃ運転うんてん。1にち1往復おうふく
  6. ^ きゅう会津あいづ村松むらまつえきりにC11 63が静態せいたい保存ほぞんされているが、廃車はいしゃ直後ちょくご喜多方きたかた市立しりつだい小学校しょうがっこう校庭こうてい静態せいたい保存ほぞんされていた。にちちゅうせん廃止はいし本道ほんどう整備せいびともな当地とうち移設いせつされた。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c d はら武史たけし歴史れきしのダイヤグラム】2人ふたりなやみと熱塩あつしおへのたび朝日新聞あさひしんぶん土曜どよう朝刊ちょうかんべつり「be」2020ねん8がつ22にち(4めん)2020ねん9がつ11にち閲覧えつらん
  2. ^ a b c 歴史れきしでめぐる鉄道てつどうぜん路線ろせん 国鉄こくてつ・JR 6ごう、26ぺーじ
  3. ^ a b c 杉山すぎやま淳一じゅんいち (2020ねん5がつ31にち). “にちちゅうはしらぬ国鉄こくてつにちちゅうせん 廃止はいし直前ちょくぜん記録きろく 4ほん南北なんぼく縦貫じゅうかんせんにはなれず…線路せんろあとはいま”. りものニュース. メディア・ヴァーグ. 2022ねん5がつ14にち閲覧えつらん
  4. ^ a b c d e f 杉山すぎやま淳一じゅんいち (2020ねん5がつ31にち). “にちちゅうはしらぬ国鉄こくてつにちちゅうせん 廃止はいし直前ちょくぜん記録きろく 4ほん南北なんぼく縦貫じゅうかんせんにはなれず…線路せんろあとはいま(4/4ページ)”. りものニュース. メディア・ヴァーグ. 2022ねん5がつ14にち閲覧えつらん
  5. ^ a b 杉山すぎやま淳一じゅんいち (2020ねん5がつ31にち). “にちちゅうはしらぬ国鉄こくてつにちちゅうせん 廃止はいし直前ちょくぜん記録きろく 4ほん南北なんぼく縦貫じゅうかんせんにはなれず…線路せんろあとはいま(3/4ページ)”. りものニュース. メディア・ヴァーグ. 2022ねん5がつ14にち閲覧えつらん
  6. ^ a b 歴史れきしでめぐる鉄道てつどうぜん路線ろせん 国鉄こくてつ・JR 6ごう、15ぺーじ
  7. ^ 歴史れきしでめぐる鉄道てつどうぜん路線ろせん 国鉄こくてつ・JR 6ごう、16ぺーじ
  8. ^ 歴史れきしでめぐる鉄道てつどうぜん路線ろせん 国鉄こくてつ・JR 6ごう、17ぺーじ
  9. ^ 会津あいづ乗合のりあい自動車じどうしゃ 路線ろせんバス『せんせきさわにちちゅうせん』と『ゆめもりせん』の廃止はいしについて[リンク]
  10. ^ きゅう国鉄こくてつにちちゅうせん 熱塩あつしおえきにちちゅうせん記念きねんかん喜多方きたかた観光かんこう物産ぶっさん協会きょうかい(2021ねん6がつ19にち閲覧えつらん
  11. ^ にちちゅうせんしだれさくら並木なみきさくら”. walkerplus.com. カドカワ. 2021ねん3がつ16にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]