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江尻えじり慎太郎しんたろう

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江尻えじり 慎太郎しんたろう
ソフトバンク時代じだい
(2013ねん9がつ15にち 福岡ふくおかヤフオク!ドームにて)
基本きほん情報じょうほう
国籍こくせき 日本の旗 日本にっぽん
出身しゅっしん 宮城みやぎけん仙台せんだい宮城野みやぎの
生年月日せいねんがっぴ (1977-04-30) 1977ねん4がつ30にち(47さい
身長しんちょう
体重たいじゅう
187 cm
79 kg
選手せんしゅ情報じょうほう
投球とうきゅう打席だせき みぎとうみぎ
ポジション 投手とうしゅ
プロ 2001ねん 自由じゆう獲得かくとくわく
はつ出場しゅつじょう 2002ねん10がつ5にち
最終さいしゅう出場しゅつじょう 2014ねん8がつ15にち
経歴けいれき括弧かっこないはプロチーム在籍ざいせき年度ねんど

江尻えじり 慎太郎しんたろう(えじり しんたろう、1977ねん4がつ30にち - )は、宮城みやぎけん仙台せんだい宮城野みやぎの出身しゅっしんもとプロ野球やきゅう選手せんしゅ投手とうしゅみぎとうみぎ)・野球やきゅう指導しどうしゃ野球やきゅう解説かいせつしゃスポーツキャスター実業じつぎょう

2023ねん4がつ1にちより、福岡ふくおかソフトバンクホークス子会社こがいしゃであるAcroBats代表だいひょう取締役とりしまりやく社長しゃちょうつとめる。

経歴けいれき

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プロまえ

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進学校しんがくこう宮城みやぎけん仙台第二高等学校せんだいだいにこうとうがっこう野球やきゅう時代じだいはエースとして活躍かつやくし、3ねんはるけん大会たいかいでは強豪きょうごう仙台育英せんだいいくえい学園がくえん高等こうとう学校がっこうやぶって大会たいかいせい注目ちゅうもく[1]東北とうほく大会たいかいではじゅん優勝ゆうしょう経験けいけんした[2]。3ねんなつけん大会たいかいベスト8でえた[3]慶應義塾大学けいおうぎじゅくだいがく当時とうじ監督かんとく後藤ごとう寿彦としひこからさそいをけるが、2年間ねんかん浪人ろうにんした[1]

3度目どめ受験じゅけん早稲田大学わせだだいがく社会しゃかい科学かがく合格ごうかく入学にゅうがく[1]二浪にろうすえ早稲田大学わせだだいがく入学にゅうがくしたという経緯けいいおなごとひくめへの制球せいきゅうりょくから「小宮山こみやまさとるせい」とばれた[2]大学だいがく1ねんあき早慶そうけいせんでリーグはつ勝利しょうり完封かんぷうかざ[2]、インタビューで「慶應義塾大学けいおうぎじゅくだいがく、ザマろってかんじです」とこたえている。その早慶そうけいせんでは無類むるいつよさを発揮はっきし、1ねんあき・4ねんはるあきけい3先発せんぱつして完封かんぷう2ふくしの3しょうげ、けい27イニングでわずか1失点しってんだった。4ねんあき早慶そうけいせんでは13安打あんだびながらも完封かんぷうし、慶応大けいおうだい完全かんぜん優勝ゆうしょう阻止そしした[2]。2ねんはるみぎひじ靭帯じんたい故障こしょうし、3ねんには登板とうばんしなかった[1]。4ねんあきは1学年がくねん和田わだあつしと「まい看板かんばん」として奮戦ふんせんし、7試合しあい43かい2/3を防御ぼうぎょりつ1.62と抜群ばつぐん安定あんていかんだった[2]。リーグせん通算つうさん28試合しあいで5しょう6はい防御ぼうぎょりつ2.49、112だつ三振さんしん成績せいせきのこした。

11月12にち日本にっぽんハムファイターズ自由じゆう獲得かくとくわくでの入団にゅうだん内定ないていした[2]当初とうしょ日本にほんハムはドラフト1寺原てらはら隼人はやと指名しめい予定よていしており一転いってんしての獲得かくとくだった[3]。11月19にち2001ねんのプロ野球やきゅうドラフト会議かいぎ日本にほんハムに自由じゆう獲得かくとくわく指名しめいされた。小宮山こみやま横浜よこはま時代じだい着用ちゃくようしていた背番号せばんごう27背負せおうことになった[4]

日本にほんハム時代じだい

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2002ねん

7がつ11にち長野ながのオリンピックスタジアムおこなわれたフレッシュオールスターゲーム選出せんしゅつされ、4かいから2番手ばんてとして登板とうばんし1かい失点しってんおさえた[5]。10月5にちはじめて一軍いちぐん出場しゅつじょう選手せんしゅ登録とうろくされると、同日どうじつ本拠地ほんきょち東京とうきょうドームおこなわれたたい大阪おおさか近鉄きんてつバファローズせんに6かい5てんビハインドから3番手ばんてとしてリリーフでプロはつ登板とうばんし、先頭せんとう打者だしゃ水口みずぐち栄二えいじにレフトにソロ本塁打ほんるいだたれ、1イニングをげ1失点しってんという結果けっかだった[6]。10月11にちたい千葉ちばロッテマリーンズせんでは8かい2てんビハインド一死いっし一塁いちるいから登板とうばんし、ほり幸一こういち併殺へいさつった[7]一軍いちぐんでは以上いじょう2試合しあい出場しゅつじょうでシーズンをえた。イースタン・リーグ公式こうしきせんでは16試合しあい、63イニングを防御ぼうぎょりつ4.00だった。

2003ねん

2がつ24にち佐々木ささきたか渡米とべいし、アリゾナしゅうツーソンおこなわれるアリゾナ・ダイヤモンドバックス春季しゅんきキャンプに参加さんかした[8]3A試合しあいではカート・シリングのちけ2番手ばんて登板とうばんし2イニングを失点しってんおさえるなどリリーフとして経験けいけんんだ[9]

開幕かいまくぐんむかえ、4がつ30にちには自身じしん誕生たんじょうノーヒットノーラン達成たっせいし、イースタン・リーグ特別とくべつ表彰ひょうしょう受賞じゅしょうした[10]。6月3にち一軍いちぐん昇格しょうかくし、同日どうじつリリーフで1かい失点しってんおさえたが登板とうばん機会きかいがなく1試合しあいのみの出場しゅつじょうで6がつ9にち抹消まっしょうされた。9月24にちさい昇格しょうかくし、同日どうじつたい福岡ふくおかダイエーホークスせんでプロはつ先発せんぱつたしたが、2かい鳥越とりこし裕介ゆうすけの2てんタイムリー、3かい松中まつなか信彦のぶひこのソロ本塁打ほんるいだペドロ・バルデスのタイムリーで4てん先行せんこうされ7イニングで降板こうばんした。なお、味方みかた打線だせん奮起ふんきによりけはかなかった[11]。9月30にちにもふたた先発せんぱつ機会きかいたが近鉄きんてつ打線だせんKOされ、10月5にちぐん降格こうかくとなりそのままシーズンをえた。ぐんでは規定きてい投球とうきゅうかい[12]、チームトップの防御ぼうぎょりつ3.20、9しょう(リーグ3)、3完投かんとう(リーグ2)を記録きろくし、リーグ優勝ゆうしょう貢献こうけんした。11月11にちファーム日本にっぽん選手権せんしゅけんで7かい2てんビハインドから登板とうばんしたが、斉藤さいとう秀光ひでみつにソロ本塁打ほんるいだたれ2かい1失点しってんわった[13]

2004ねん

4がつ21にち一軍いちぐん昇格しょうかくし、同日どうじつたい埼玉さいたま西武せいぶライオンズせんで6かい2/3をげ3失点しってん好投こうとうしプロはつ勝利しょうりげた[14]。4月28にち北海道ほっかいどう移転いてん本拠地ほんきょち札幌さっぽろドームはつ出場しゅつじょうはつ先発せんぱつしたが、3かいに6連打れんだび4失点しってんし、打者だしゃ15にん、2かい0/3でプロ最短さいたんKOとなった[15]。そのふたたびKOされ5がつ6にちぐん降格こうかくした。7がつ20日はつかさい昇格しょうかくすると、同日どうじつ西武せいぶせん先発せんぱつし、4失点しってんしながらも本拠地ほんきょちはつ勝利しょうりげた[16]。8月4にち先発せんぱつで3試合しあい3連勝れんしょう記録きろくした[17]。8月11にちに7失点しってんし、8がつ14にちふたた降格こうかくした。9月4にち昇格しょうかく先発せんぱつ勝利しょうりしたが一旦いったん抹消まっしょうされ、9月23にちさい昇格しょうかくし1試合しあい先発せんぱつしてレギュラーシーズンをえた。先発せんぱつ9試合しあいで5しょう1はいし、チームのプレーオフ進出しんしゅつ貢献こうけんした。

プレーオフではレギュラーシーズンで西武せいぶに3しょう0はいという相性あいしょうわれて10がつ3にちだい3せん先発せんぱつし、ポストシーズンはつ出場しゅつじょうはつ先発せんぱつたした[18]初回しょかいに3てん援護えんごたが、3かいアレックス・カブレラ満塁まんるい本塁打ほんるいだ逆転ぎゃくてんされ、3イニング4失点しってん降板こうばんとなった。なお打線だせんが9かい同点どうてんいつき自身じしんけはえた[19][20][21]

2005ねん

オープンせんから好調こうちょう[22]、3月30にち一軍いちぐん昇格しょうかくし、同日どうじつ西武せいぶとの開幕かいまくだい5せんから先発せんぱつローテーションりをたした。4月6にちいわきグリーンスタジアムでの東北とうほく楽天らくてんゴールデンイーグルスせんでの先発せんぱつでは、7かい1失点しってん好投こうとうでシーズンはつ勝利しょうりげた[23]。4月25にちたい福岡ふくおかソフトバンクホークスせん自己じこ最多さいたの3本塁打ほんるいだ被弾ひだんし3かい途中とちゅうでKOされた[24]。5月14にち本拠地ほんきょち札幌さっぽろドームでおこなわれたたい横浜よこはまベイスターズせん打者だしゃ29にん失点しってんおさえ、交流こうりゅうせんはつ勝利しょうりをプロはつ完封かんぷう勝利しょうりげた[25]。この試合しあいさかい調子ちょうしくずし、5月21にち東京とうきょうドームでおこなわれたたい読売よみうりジャイアンツせん先発せんぱつしたが制球せいきゅうさだまらず、とく小久保こくぼ裕紀ゆうきには初回しょかい二塁打にるいだ、3かいにも二塁打にるいだ、4かいには左中間さちゅうかん看板かんばん直撃ちょくげきする145メートルの2ラン本塁打ほんるいだたれ、4かい途中とちゅう7失点しってんでKOされた[26]った瞬間しゅんかん本塁打ほんるいだわかり、いかりのあまり打球だきゅう行方ゆくえることなくそのグラブたたきつけ話題わだいとなった[27][28]。このころ中継なかつぎへの転向てんこうトレイ・ヒルマンうったえたこともあった[1]。6月1にちたい巨人きょじんせんでは6かい1てんリードというプロはつホールド機会きかい登板とうばんし、6かい失点しってんおさえたが、7かい連続れんぞく安打あんだから斉藤さいとうむべこれ犠打ぎだ自身じしんがエラーして無死むし満塁まんるいとし、仁志にし敏久としひさ併殺へいさつ同点どうてんいつかれて救援きゅうえん失敗しっぱいした[29]。そのふたた先発せんぱつもどり6試合しあい先発せんぱつし2しょう1はいしたが1試合しあいも6かいまでつことがなく、7がつ15にち試合しあいで5かい途中とちゅう7失点しってんKOにより防御ぼうぎょりつも5.79と悪化あっかしたため7がつ16にちぐん降格こうかくし、そのままシーズンをえた。

2006ねん

3月2にち楽天らくてんとの開幕かいまくだい2せんから先発せんぱつローテーションにはいった。4月9にちたい西武せいぶせんではアレックス・カブレラと胸元むなもとへの投球とうきゅうをめぐっていいになる乱闘らんとうさわぎとなった[30]。4月23にち時点じてんではチームトップの3しょうげるなど好調こうちょう[31]、5月13にちたい横浜よこはませんで7かい1失点しってん好投こうとうで4しょうげ、チームを3連勝れんしょうみちびいた。しかし調子ちょうしつづかず5がつ27にちたい東京とうきょうヤクルトスワローズせんで2かい0/3、自己じこワーストの打者だしゃ12にんでプロ最短さいたんKOを更新こうしんし、2連敗れんぱいによりぐん降格こうかくし、イースタン・リーグ公式こうしきせんでも防御ぼうぎょりつ5.40と調子ちょうしもどらずそのままレギュラーシーズンをえた[32]

プレーオフ日本にっぽんシリーズはベンチりもできなかったが、アジアシリーズでは予選よせんリーグだい3せんたいチャイナスターズせんで8かい6てんリードから4番手ばんてとして登板とうばんして1イニングをげ、クリーンナップを3しゃ連続れんぞく三振さんしんおさえた[33]

2007ねん

春季しゅんきキャンプの2がつ4にちだい1クール最終さいしゅうだい1対面たいめんするため産休さんきゅう欠席けっせきした[34]。2月27にち紅白こうはくせん先発せんぱつして3かい6失点しってん炎上えんじょうし、同日どうじつ鎌ケ谷かまがやきとなり[35]、3月15にち教育きょういくリーグ先発せんぱつ最後さいごにリリーフとなった[36]ぐんで10試合しあい防御ぼうぎょりつ0.79と好投こうとうし、4がつ24にち一軍いちぐん昇格しょうかくすると、5月5にちたいオリックス・バファローズせんで6かい3てんビハインド二死にし一塁いちるいから登板とうばんして三振さんしんけて3てん援護えんご、7かい失点しってんおさえてさらに3てん援護えんごてプロはつ救援きゅうえん勝利しょうりたした[37]。5月16にちたい楽天らくてんせんでは5かい1てんリード一死いっし満塁まんるいから登板とうばんして走者そうしゃ一掃いっそう三塁打さんるいだで3失点しってん救援きゅうえん失敗しっぱいしたが、髙橋信二しんじのスリーランホームランなど4てん援護えんごて2しょうげた[38]。5月27にち同点どうてんからの登板とうばん好投こうとうして3しょう[39]、6がつ10日とおかたい巨人きょじんせんでは9かい1てんリード一死いっしいち三塁さんるいから登板とうばんしてプロはつセーブをげた[40]。6月20にちたい広島ひろしませんで5かい2てんリード二死にし満塁まんるいのピンチをけ、8かいにソロ本塁打ほんるいだゆるしたものの4しょうげ、交流こうりゅうせん優勝ゆうしょうマジックを1とした[41][42]。6月30にちたいオリックスせんでは7かい3てんリードから1イニングを失点しってんおさえてプロはつホールド記録きろくした[43]。7月7にち千葉ちばロッテせんでは8かい同点どうてんから登板とうばんして3イニング失点しってん好投こうとう小谷野こやの栄一えいいちのサヨナラだんび5しょうげた[9]。5月から7がつまでの23試合しあいで5しょうしたが、登板とうばん半数はんすう救援きゅうえん失敗しっぱいするなど安定あんていかんいた。8月12にち西武せいぶせんでは8かい2てんビハインド一死いっしいち二塁にるいからアレックス・カブレラを併殺へいさつり、9かいに3てん援護えんご球団きゅうだん史上しじょうはつの1きゅう勝利しょうりで6しょうげた[44][45]。9月2にちのソフトバンクとの首位しゅい攻防こうぼうせんで8かい1てんビハインド一死いっしいち二塁にるいから登板とうばんして併殺へいさつけ、9かいも3しゃ凡退ぼんたいおさえると工藤くどう隆人たかひと逆転ぎゃくてんサヨナラタイムリーにより自己じこ最多さいたの7しょうげた[46][47]昇格しょうかく1抹消まっしょうなくフル稼働かどうしていたが4度目どめの3連投れんとうとなった9月16にちたいソフトバンク戦後せんごみぎひじいたみをうったえ、9月22にち出場しゅつじょう選手せんしゅ登録とうろく抹消まっしょうされ[48]、そのいたみが慢性まんせいしていたため、都内とない病院びょういんひだり手首てくび靭帯じんたいみぎひじ移植いしょくするみぎひじがわふく靭帯じんたい再建さいけん手術しゅじゅつトミー・ジョン手術しゅじゅつ)をけた[49]。11月7にち鎌ケ谷かまがやでジョギングなどをおこないリハビリをスタートした[50]同年どうねん怪我けがのためポストシーズンには出場しゅつじょうできなかったが、42試合しあい登板とうばんして自己じこ最多さいた出場しゅつじょう更新こうしんし、防御ぼうぎょりつはつの3てんだいのこしてチームのリーグ連覇れんぱ貢献こうけんした。

2008ねん

4ヶ月かげつあいだのノースロー期間きかんえて、2がつのキャンプちゅうにキャッチボール、4がつブルペンでの投球とうきゅう再開さいかいした[51]。シーズンの大半たいはんをリハビリについやし、一軍いちぐんへの出場しゅつじょうかった。7月29にちのイースタン・リーグ公式こうしきせんたい西武せいぶせんで7かいから2番手ばんてとして登板とうばんし、三浦みうらたかにソロ本塁打ほんるいだゆるしたが1イニングをげ1失点しってん実戦じっせん復帰ふっきたした[51][52]ぐんで7試合しあい登板とうばんしてシーズンをえた。

2009ねん

4がつ下旬げじゅんのファームから小林こばやししげるコーチのもとサイドスロー転向てんこうし、5月22にち一軍いちぐん昇格しょうかくし、同日どうじつ本拠地ほんきょちおこなわれたたいヤクルトせんで8かい1てんビハインド二死にし二塁にるいから武内たけうち晋一しんいち空振からぶ三振さんしんおさえてピンチをけ、8かいも3しゃ凡退ぼんたいおさえて一軍いちぐん復帰ふっき登板とうばんたした[53]。6月5にちたい巨人きょじんせんで2007ねん7がつ7にち以来いらいの3イニングをげ、満塁まんるいにする場面ばめんもありながら失点しってんおさえた[54]。6がつ10日とおかたい横浜よこはませんで7かい同点どうてんから登板とうばんし、先頭せんとう打者だしゃ三振さんしんおさえたが、つづく2しゃ連打れんだびて降板こうばん後続こうぞく宮西みやにし尚生ひさおおさえたことで術後じゅつごはつホールドを記録きろくした[55]。7月11にちたい千葉ちばロッテせんで6かい1てんリードの場面ばめん登板とうばんしたが同点どうてんび、先発せんぱつ八木やぎさとし白星しろぼししたものの、2イニングは3しゃ凡退ぼんたいおさえ、味方みかた援護えんごにより術後じゅつごはつ勝利しょうりげた[56]。8月11にちから8がつ15にち期間きかんは3試合しあい連続れんぞくホールドをげた。9月10にち一旦いったんぐん降格こうかくし、9がつ20日はつかさい昇格しょうかくした。10月6にちたい西武せいぶせんでは延長えんちょう11かい同点どうてん一死いっし走者そうしゃ場面ばめんで2しゃ連続れんぞくゴロにってけんやま義紀よしのりつなぎ、2ねんぶりのリーグ優勝ゆうしょう決定けっていとなる金子かねこまことのサヨナラ犠牲ぎせいフライをんだ[57]。レギュラーシーズンは防御ぼうぎょりつも3てんだいえて45試合しあい登板とうばんし、故障こしょうからの復活ふっかつげた。うち33試合しあいが3てん以内いない僅差きんさ登板とうばんで、おも同点どうてん僅差きんさビハインドの場面ばめん活躍かつやくし、リーグ優勝ゆうしょう貢献こうけんした。

クライマックスシリーズだい2ステージでは4試合しあいちゅう3試合しあい登板とうばんした。10月21にちだい1せんでは2てんビハインドから山崎やまざき武司たけし走者そうしゃ一掃いっそう二塁打にるいだたれ点差てんさひろげてしまったがチームは逆転ぎゃくてん勝利しょうりした[58]。10月24にちだい4せんでは1てんリードの場面ばめんで4ばん5ばんをフライにったがトッド・リンデン二塁打にるいだたれ、ひだり打者だしゃ中村なかむら真人まさとむかえたところ降板こうばんとなったが、わったはやしあきらはんったことでポストシーズンはつホールドが記録きろくされ[59][60]、チームも日本にっぽんシリーズ進出しんしゅつめた。日本にっぽんシリーズでは3試合しあい登板とうばんした。10月31にちだい1せんでは7かい1てんビハインド一死いっし三塁さんるい場面ばめんから登板とうばんしたがうけたまわ追加ついかてんゆるした[61]。11月3にちだい3せんでも8かい1てんビハインド二死にしいち三塁さんるい場面ばめん起用きようされたが阿部あべまことこれすけ追加ついかてんゆるした[62]。11月7にちだい6せんでは8かい2てんビハインド二死にしいち二塁にるいアレックス・ラミレス空振からぶ三振さんしんおさえたが味方みかた追撃ついげきおよばず、どう試合しあい日本にっぽんシリーズ敗退はいたいとなった[63]自身じしん自責じせき0でえたがなしでん昌孝まさたか監督かんとく期待きたいにはこたえられなかった。

2010ねん

開幕かいまくを1ぐんむかえたが、開幕かいまくだい2せんとなる3がつ21にちたいソフトバンクせんで7かい1てんリード二死にし走者そうしゃ場面ばめんから小久保こくぼ裕紀ゆうき同点どうてん二塁打にるいだ[64]翌日よくじつ3がつ22にちどうカードでは9かい15てんリードの場面ばめんから登板とうばんし、先頭せんとう打者だしゃのサードゴロを飯山いいやま裕志ひろしがエラーしたのをきっかけに集中しゅうちゅうび4失点しってん[65]翌日よくじつ3がつ23にちぐん降格こうかくとなった。

横浜よこはま・DeNA時代じだい

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横浜よこはま時代じだい(2011ねん

2010ねん4がつ1にちに、石井いしい裕也ゆうやとのトレードで、横浜よこはまベイスターズ移籍いせきした[66][67]移籍いせき当初とうしょ背番号せばんごう52

2010ねん

4がつ3にち神宮球場じんぐうきゅうじょう入団にゅうだん会見かいけんおこな[68]、4がつ4にち出場しゅつじょう選手せんしゅ登録とうろくされ一軍いちぐん昇格しょうかくすると、同日どうじつたいヤクルトせん8かい1てんリードの場面ばめん移籍いせきはつ登板とうばんして3しゃ凡退ぼんたいおさえて移籍いせきはつホールドも記録きろくした[69]。4月6にちはやくも「クアトロS」として横浜よこはまリリーフじん仲間入なかまいりとなった[70]移籍いせき7試合しあい連続れんぞく失点しってん好投こうとうつづけていたが、4がつ20日はつかたい巨人きょじんせんで7かい同点どうてん場面ばめん登板とうばんして3しゃ凡退ぼんたいとしたものの、つづく8かい二死にし一塁いちるいから連打れんだ満塁まんるいとしてうけたまわ四球しきゅうあたえて降板こうばんし、移籍いせきはつ黒星くろぼしきっした[71]つづく4がつ24にちからは5試合しあい連続れんぞくホールドを記録きろくした。その僅差きんさビハインドでの起用きようつづくと調子ちょうしくずし、5月26にちたいオリックスせんでは8かい2てんビハインド無死むしいち二塁にるい場面ばめんから登板とうばんして2失点しってん、9かいにも3失点しってんするなど救援きゅうえん失敗しっぱいつづき、大差たいさでの登板とうばんえた。7月15にちぐん降格こうかくとなるが8がつ8にちさい昇格しょうかくし、8がつ21にちからの6試合しあい失点しってん好投こうとうなど調子ちょうしげ、9月にはいっても維持いじした。5連投れんとうとなる9がつ9にちたい巨人きょじんせんでは4かい3てんビハインドの場面ばめんから登板とうばんして3しゃ凡退ぼんたいおさえた直後ちょくごに5てん援護えんごもらい、移籍いせきはつ勝利しょうりげた[72]。9月11にちには自身じしん最長さいちょうの7連投れんとう経験けいけんし、そのあいだ自責じせきてんは0だった。つづく9月14にちからは5試合しあい連続れんぞく救援きゅうえん失敗しっぱいし、9月23にちぐん降格こうかくとなり、そのままシーズンをえた。最終さいしゅうてき自己じこ最多さいた(チーム2タイ[73])の54試合しあい登板とうばんした[74]。オフの12月6にちに2011年度ねんど背番号せばんごう日本にほんハム時代じだいおな27変更へんこうされることが発表はっぴょうされた[75]

2011ねん

開幕かいまく一軍いちぐんむかえた。僅差きんさげるリリーフとして4がつ15にちからの13試合しあい自責じせきてん0と好調こうちょうでそのあいだに2しょうげた[76][77]。5月20にちから4試合しあい連続れんぞくホールド、6月4にちからは10試合しあい連続れんぞく失点しってん好投こうとうした。7月4にち落合おちあい博満ひろみつからの監督かんとく推薦すいせんによりオールスターゲームはつ選出せんしゅつされた[78]。なおファン投票とうひょうでは中継なかつ投手とうしゅ部門ぶもんの2だった[79]。7月18にちからふたたび4試合しあい連続れんぞくホールドをげた。オールスターゲームでは7がつ22にちだい1せんで2かいから登板とうばんしてはつ出場しゅつじょうたしたがもと同僚どうりょう糸井いとい嘉男よしおにタイムリーびた[80][81]。7月24にち故郷こきょう日本製紙にほんせいしクリネックススタジアム宮城みやぎおこなわれただい3せんでは7かいから登板とうばんし、2イニングの8かいには中村なかむらつよしT-岡田おかだ中田なかたしょうといったパ・リーグの強打者きょうだしゃ3にんを3しゃ連続れんぞく三振さんしんおさえて失点しってん好投こうとうした[82][83]。8月5にちまでにチーム最多さいたの44試合しあい登板とうばんしていたが発熱はつねつにより出場しゅつじょう選手せんしゅ登録とうろく抹消まっしょうされた[84]精密せいみつ検査けんさ結果けっか、ウイルスせいずいまくえん診断しんだんされて入院にゅういんした[85]。8月26にち一軍いちぐん復帰ふっきすると9がつはいってからは前任ぜんにん走者そうしゃかえ場面ばめんが2ありながらも、自身じしんは9月・10月の19試合しあい防御ぼうぎょりつ0.00、5ホールドでえた。最終さいしゅうてき登板とうばんすう、ホールドすう自己じこ記録きろく大幅おおはば更新こうしんし、防御ぼうぎょりつはじめて2てんだいえた[86]

2012ねん

2がつ23にち右肩みぎかたつう発症はっしょう春季しゅんきキャンプを中盤ちゅうばん離脱りだつした[87]。5月17にちJX-ENEOSとのぐん練習れんしゅう試合しあいやく3ヶ月かげつぶりに実戦じっせん復帰ふっきした[88][89]。オールスター直前ちょくぜんの7がつ13にち一軍いちぐん昇格しょうかくし、同日どうじつたい広島ひろしませんでは危険きけんだま退場たいじょうとなった2番手ばんて福山ふくやま博之ひろゆきわって6かい3てんビハインド無死むしいち二塁にるい場面ばめんから急遽きゅうきょ登板とうばんしたが長打ちょうだ3ほんび5失点しってんきっした[90][91]翌日よくじつ7がつ14にちどうカードでは8かい3てんビハインドから登板とうばんしたがむかい祐一郎ゆういちろうにソロ本塁打ほんるいだ[92]、これがDeNAでの一軍いちぐん最後さいご登板とうばんとなった。翌日よくじつ7がつ15にち抹消まっしょうされ、イースタン・リーグでも31試合しあい防御ぼうぎょりつ5.29となおせずそのままシーズンをえた[93]

ソフトバンク時代じだい

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2012ねん11月5にちに、神内こうないやすし多村たむら仁志ひとし吉川よしかわ輝昭てるあきとのトレードで、山本やまもと省吾しょうご吉村よしむらひろしもととともに福岡ふくおかソフトバンクホークス移籍いせきすることが発表はっぴょうされた[94]背番号せばんごう00[95]秋季しゅうきキャンプにも参加さんかした[96]

2013ねん

5月4にち一軍いちぐん昇格しょうかくしたが、登板とうばん4試合しあいちゅう3試合しあい失点しってんするなど結果けっかのこせず5がつ20日はつかぐん降格こうかくとなった。8がつ10日とおかふたた一軍いちぐん昇格しょうかくし、8がつ15にちたい西武せいぶせん西武せいぶドーム)で横浜よこはま時代じだいの2011ねん5がつ7にちたい阪神はんしんタイガースたたかえ横浜よこはまスタジアム以来いらい831にちりに移籍いせきはつ勝利しょうりげた[97][98]。シーズン終盤しゅうばん失点しってんつづぐん降格こうかくしたが、10月6にちのファーム日本にっぽん選手権せんしゅけんでは8かい途中とちゅうからおさえで登板とうばんし、1かい1/3をげ4しゃ連続れんぞく凡退ぼんたいおさ[99]優秀ゆうしゅう選手せんしゅしょう受賞じゅしょうした[100][101]

ソフトバンク時代じだい投球とうきゅうフォーム(2014ねん
2014ねん

6月15にち一軍いちぐん昇格しょうかくし、6月22にちたい巨人きょじんせんでシーズンはつ登板とうばんたしたが連続れんぞく二塁打にるいだたれて失点しってんし、1試合しあいのみで7がつ3にちぐん降格こうかくした。8月8にちさい昇格しょうかくして8がつ13にちたい楽天らくてんせんで2てんビハインド一死いっしいち二塁にるい場面ばめん登板とうばんし、4ばんアンドリュー・ジョーンズをサードゴロにったが、金子かねこけいあく送球そうきゅうエラーして点差てんさひろげるかたち降板こうばんとなった[102]。8月15にちに2オリックスとの首位しゅい攻防こうぼうせんで3てんビハインドから登板とうばんしたが、先頭せんとう打者だしゃ本塁打ほんるいだ二死にしから連続れんぞくタイムリーなど3失点しってん[103]、これがプロ最後さいご一軍いちぐん公式こうしきせん出場しゅつじょうとなった。よく8がつ16にちぐん降格こうかくした。ぐんではウエスタン・リーグ2の14セーブをげた[104]。10月31にち球団きゅうだんから戦力せんりょくがい通告つうこくけた[105]

戦力せんりょくがい通告つうこく

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戦力せんりょくがい通告つうこくさいにソフトバンク球団きゅうだん取締役とりしまりやくから「関東かんとう地区ちく担当たんとうのスカウトとしての残留ざんりゅう」、べつ取締役とりしまりやくから「グループ会社かいしゃソフトバンクコマース&サービス(のSB C&S)への入社にゅうしゃ」のいずれかをすすめられた[106]

本人ほんにん現役げんえき続行ぞっこう希望きぼうしていたことから、2014ねん11月9にちだい1かい12球団きゅうだん合同ごうどうトライアウト草薙くさなぎ球場きゅうじょう)へ参加さんかし、シートバッティング形式けいしき対戦たいせんした4にん打者だしゃ安打あんだおさえたほか、ストレートで最速さいそく145km/hを計測けいそくした。トライアウトの直後ちょくごにはソフトバンクの編成へんせいの11球団きゅうだんたいして江尻えじり獲得かくとくする意思いし有無うむ確認かくにん。どの球団きゅうだんにも獲得かくとく意思いしがないことを編成へんせい部長ぶちょう経由けいゆで11月12にちらされたため、現役げんえき引退いんたい決意けついした[106]

11月22にちにソフトバンク球団きゅうだんより引退いんたい正式せいしき発表はっぴょうされ[107]、24にち球団きゅうだんファン感謝かんしゃさい「ファンフェスティバル」(福岡ふくおかヤフオク!ドーム)で、江尻えじり引退いんたいセレモニーを開催かいさいした[108]

現役げんえき引退いんたい

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前述ぜんじゅつのようにソフトバンク球団きゅうだんから「球団きゅうだんスカウトへの就任しゅうにん」、「ソフトバンクのグループ企業きぎょう入社にゅうしゃ」の選択肢せんたくしった打診だしん[109]2015ねん2がつ1にちづけでソフトバンクコマース&サービス(SB C&S)へ入社にゅうしゃし、クラウドマーケティング推進すいしんしつ配属はいぞくされた[110]

原則げんそくとして社員しゃいん兼業けんぎょうきんじている同社どうしゃから特別とくべつ承諾しょうだくたうえで、日曜日にちようび中心ちゅうしん野球やきゅう解説かいせつしゃとしても活動かつどう。2015ねんからは東日本放送ひがしにっぽんほうそう楽天らくてんせん中継ちゅうけい[106][111]2016ねんからは北海道ほっかいどうテレビ日本にほんハムせん中継ちゅうけい随時ずいじ解説かいせつ担当たんとうしている。ソフトバンクが運営うんえいするスポナビライブでも、2016ねんのサービス開始かいしからDeNAせん中継ちゅうけい出演しゅつえん当初とうしょ解説かいせつ専念せんねんしていたが、同年どうねん8がつ13にちたい広島ひろしません横浜よこはま中継ちゅうけいでは、同級生どうきゅうせいでソフトバンク時代じだいのチームメイトでもあった斉藤さいとう和巳かずみ解説かいせつしゃむかえて実況じっきょう(MC)デビューをたした。

2017ねんだい4かいWBSC U-12ワールドカップでは、早稲田大学わせだだいがく先輩せんぱい仁志にし敏久としひさ監督かんとくつとめるU-12日本にっぽん代表だいひょう投手とうしゅコーチへ就任しゅうにん[112]。サラリーマンとしての業務ぎょうむ野球やきゅう解説かいせつしゃとしての活動かつどう並行へいこうさせながら、野球やきゅう指導しどうしゃとしての第一歩だいいっぽした。背番号せばんごう27[113]

2018ねんにソフトバンク球団きゅうだん出向しゅっこうとなり、球団きゅうだん広報こうほうつとめる[114]かたわら、3月24にちから東日本放送ひがしにっぽんほうそうのスポーツ情報じょうほう番組ばんぐみ『もえスポ』でメインパーソナリティをつとめる[106]

2019ねん9月18にちにヤフオクドームにて記者きしゃ会見かいけんひらき、ソフトバンク球団きゅうだん子会社こがいしゃとして8がつ1にち設立せつりつした、スポーツ選手せんしゅのマネジメントやもとスポーツ選手せんしゅのセカンドキャリア事業じぎょう、イベントプランニングをおこなしん会社かいしゃAcroBats」にて、事業じぎょう戦略せんりゃく企画きかく担当たんとうとして従事じゅうじすることを発表はっぴょうした[115]2023ねん4がつ1にちづけで、同社どうしゃ社長しゃちょう就任しゅうにんしている[116]

2020ねんからは、あらたにスタートする野球やきゅうリーグ・北海道ほっかいどうベースボールリーグ特別とくべつ講師こうし就任しゅうにんすることを発表はっぴょうした。AcroBatsでのセカンドキャリア事業じぎょう一環いっかんであり、日本にほんハムを退団たいだんしてからひさしぶりの北海道ほっかいどうでの活動かつどうとなる[117]。7月12にちにリーグ公式こうしきTwitterじょうで、8がつ7にちの1にちのみレラハンクス富良野ふらのBC契約けいやくむすび、現役げんえき復帰ふっきすることが発表はっぴょうされた[118]つぎ年度ねんどよりリーグに参加さんかする石狩いしかりレッドフェニックス球団きゅうだん設立せつりつ記念きねんしたプレシーズンマッチとして石狩いしかり青葉あおば球場きゅうじょうおこなわれた、8がつ7にちのリーグだい41回戦かいせん登板とうばんしている[119][120]

プレースタイル

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サイドスロー気味きみスリー・クォーターから平均へいきん球速きゅうそくやく144km/h[121]最速さいそく153km/hの速球そっきゅうよこがるスライダーカットボールフォークボールげる[2][17][25]

高校こうこう3年生ねんせい球速きゅうそくは130km/hほどで[21]入団にゅうだん直前ちょくぜん最高さいこう球速きゅうそくは147km/h[2]。2003ねんのイースタン・リーグ湘南しょうなんシーレックスせんで150km/hを2記録きろくしたが、オフに「150キロをげても年俸ねんぽうは1えんがらないと、かった」と速球そっきゅうへのこだわりをてた[122]

日本にほんハム時代じだいみぎひじ故障こしょうして1ねん以上いじょう一軍いちぐん試合しあい出場しゅつじょうかったさい当時とうじ投手とうしゅコーチをつとめていた小林こばやししげるすすめでサイドスロー転向てんこうした[123][124]

2010ねん秋季しゅうきキャンプで尾花おばな高夫たかお監督かんとくからくばられた個別こべつのチャートに空振からぶりをねらいに投球とうきゅう否定ひていされ、たせること主眼しゅがん投球とうきゅうへと意識いしきえた[125]

人物じんぶつ

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現役げんえき時代じだい花粉かふんしょうにもなやまされた[122]予備校よびこう時代じだい仲間なかま宮城みやぎ球場きゅうじょうを9,500えんってくさ野球やきゅうをしたことがある[122]端正たんせい顔立かおだちで[17][122]家族かぞくおもいで礼儀れいぎただしい[21] とされる。

2001ねん12月21にち日本にほんハムドラフト入団にゅうだん会見かいけんで、記者きしゃからの「大島おおしま康徳やすのり監督かんとく当時とうじ)にはどのような印象いんしょうっていますか?」という質問しつもんに、「小学生しょうがくせいのころは、ファミコンで、チャンスにつよいバッターとして使つかわせていただいておりました」と発言はつげんし、大島おおしま苦笑にがわらいさせた[126]

2009ねん週刊しゅうかんベースボールのインタビューでは「4以下いか指名しめいならば拒否きょひするつもりだった」「いま日本にほんハムではエースになれないため入団にゅうだんしなかった」とかたっている[1]

横浜よこはま移籍いせき決定けっていしたさいに、ユニホームに日本にほんハムの選手せんしゅ全員ぜんいんにサインをいてもらい、その移籍いせき会見かいけん感極かんきわまってなみだながした[127][128]一部いちぶ報道ほうどう予想よそうでは当時とうじ日本にほんハム監督かんとくなしでん昌孝まさたか江尻えじり横浜よこはまへの移籍いせき強硬きょうこう反対はんたいしたが、フロントは契約けいやく交渉こうしょう難航なんこうしたこと若手わかて使つかってしいこと理由りゆう一蹴いっしゅうし、以後いご監督かんとくとフロントの対立たいりつ火種ひだねになったとされている[123]

2009ねんリーグ優勝ゆうしょうのビールかけのときにナース姿すがたのコスプレを披露ひろうして話題わだいんだ[129][130]

2011ねん3がつ11にち東日本ひがしにっぽん大震災だいしんさいでは実家じっか仙台せんだい家族かぞく無事ぶじ[131]被災ひさいへ100まんえん義援金ぎえんきんおくった[132]同年どうねん6がつには10試合しあい登板とうばんごと被災ひさい自動じどう体外たいがいしきじょほそどう(AED)をおくこと発表はっぴょう[133]同年どうねん自己じこ最多さいたの65試合しあい登板とうばんして2012ねん1がつ12にちに6だい寄贈きぞうした[134]

日本にほんハムへの入団にゅうだん当初とうしょから「日本経済新聞にほんけいざいしんぶん」を愛読あいどく現役げんえき引退いんたいは、ソフトバンクC&Sの法人ほうじん営業えいぎょう担当たんとうとして、マーケティング使用しようするソフトウェアなどのプレゼンテーション従事じゅうじしている。その一環いっかんで、古巣ふるすのソフトバンク球団きゅうだん[106] や、読売よみうりジャイアンツ球団きゅうだん事務所じむしょもたびたびおとずれているという[135]

現役げんえきからの引退いんたいにソフトバンク球団きゅうだんスカウトへの就任しゅうにんではなく、ソフトバンクC&Sへの入社にゅうしゃえらんだのは、同社どうしゃ推薦すいせんした球団きゅうだん取締役とりしまりやくから「江尻えじり野球やきゅうかいはなれて活躍かつやくすれば、そのぶんだけ野球やきゅうかいにおける江尻えじり価値かちがる」とわれたことによる。もっとも、ビジネスマナーかないうちにメーカーとの会議かいぎへの同席どうせきめいじられたことから、のちネットマーケティング検定けんてい受験じゅけん営業えいぎょう活動かつどうプレゼン資料しりょう作成さくせい必要ひつようなIT関連かんれんのスキルも、短期間たんきかんけたという。江尻えじり自身じしん境遇きょうぐうについて、「挑戦ちょうせんすることがきがいだったプロ野球やきゅう選手せんしゅが、現役げんえき退しりぞいたことをに『サラリーマン』という安定あんていした立場たちばてんじても、モチベーションをさがすことはむずかしい。いま自分じぶんは『株式会社かぶしきがいしゃプロ野球やきゅう』というおおきな枠組わくぐみの『現役げんえきプロ野球やきゅう選手せんしゅ部門ぶもん』を卒業そつぎょうして『ビジネスマン部門ぶもん』にいる感覚かんかくと、(その枠組わくぐみのなかの)現役げんえき選手せんしゅとしてたたかつづけることへのモチベーションをちながらきている。『プロ野球やきゅう選手せんしゅ』だったことは生涯しょうがいえるまでいてまわるので、今後こんごも『もとプロ野球やきゅう選手せんしゅ』という肩書かたがきにプライドをつづけたい」とべている[106]

詳細しょうさい情報じょうほう

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年度ねんどべつ投手とうしゅ成績せいせき

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とし

たま

だん
とう

いた
さき

はつ
かん

とう
かん

ふう

よん
たま
かち

はい

せん





かち

りつ


もの
とう
たま
かい

やす

ほん
るい
あずか
よん
たま
けい

とお
あずか

たま
だつ
さん


とう


しつ

てん

せめ
てん
ぼう

りつ
W
H
I
P
2002 日本にほんハム 2 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 6 1.2 2 1 0 0 0 1 0 0 1 1 5.40 1.20
2003 3 2 0 0 0 0 1 0 -- .000 50 11.2 15 2 3 0 0 7 0 0 8 8 6.17 1.54
2004 9 9 0 0 0 5 1 0 -- .833 215 49.1 57 8 15 0 2 20 1 0 32 29 5.29 1.46
2005 17 16 1 1 0 6 4 0 0 .600 383 84.0 109 9 31 2 5 49 5 0 59 54 5.79 1.67
2006 10 10 2 0 0 4 4 0 0 .500 233 56.1 62 6 13 0 1 30 1 1 28 28 4.47 1.33
2007 42 0 0 0 0 7 4 1 4 .636 205 48.2 52 2 10 1 1 38 4 0 21 18 3.33 1.27
2009 45 0 0 0 0 2 1 0 12 .667 198 45.0 40 5 25 7 2 39 3 0 16 16 3.20 1.44
2010 2 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 10 1.1 6 0 0 0 0 0 0 0 5 4 27.00 4.61
横浜よこはま
DeNA
54 0 0 0 0 1 2 0 13 .333 236 53.1 57 4 16 0 6 33 1 0 32 25 4.22 1.37
'10けい 56 0 0 0 0 1 2 0 13 .333 246 54.2 63 4 16 0 6 33 1 0 37 29 4.77 1.45
2011 65 0 0 0 0 2 2 0 22 .500 226 56.2 47 6 11 1 3 38 2 0 14 13 2.06 1.02
2012 2 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 20 4.0 7 2 3 0 0 3 0 0 6 6 13.50 2.50
2013 ソフトバンク 23 0 0 0 0 1 1 0 2 .500 100 24.0 28 1 5 0 0 18 1 1 9 9 3.38 1.38
2014 3 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 25 5.2 8 1 0 0 0 2 0 0 4 4 6.35 1.41
通算つうさん:12ねん 277 37 3 1 0 28 20 1 53 .583 1907 441.2 490 47 132 11 20 278 18 2 235 215 4.48 1.41
  • 横浜よこはま横浜よこはまベイスターズ)は2012ねんシーズンよりDeNA(横浜よこはまDeNAベイスターズ)に球団きゅうだんめい変更へんこう
  • かく年度ねんど太字ふとじはリーグ最高さいこう

記録きろく

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はつ記録きろく
その記録きろく
  • はつ登板とうばん対戦たいせんしただいいち打者だしゃ本塁打ほんるいだ上記じょうきはつ記録きろく」の「はつ登板とうばん」のこう参照さんしょう、6かいひょう無死むし水口みずぐち栄二えいじひだりえつソロ ※史上しじょう50にん(パ・リーグ27にん日本にほんハム投手とうしゅとしては1980ねん9がつ3にち高橋たかはし正巳まさみ以来いらい2にん[136]
  • 1きゅう勝利しょうり:2007ねん8がつ12にちたい西武せいぶライオンズ16回戦かいせん函館はこだてオーシャンスタジアム)、8かいひょう1アレックス・カブレラ三塁さんるいゴロ併殺へいさつ史上しじょう24にん(パ・リーグ11にん日本にほんハム投手とうしゅとしてはつ
  • オールスターゲーム出場しゅつじょう:1かい (2011ねん

背番号せばんごう

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  • 27 (2002ねん - 2010ねん途中とちゅう、2011ねん - 2012ねん、2020ねん8がつ7にち
  • 52 (2010ねん途中とちゅう - 同年どうねん終了しゅうりょう
  • 00 (2013ねん - 2014ねん

登場とうじょうきょく

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関連かんれん情報じょうほう

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出演しゅつえん

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テレビ番組ばんぐみ

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映画えいが

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b c d e f 苦闘くとうてにつかんだしん境地きょうち 江尻えじり慎太郎しんたろう」 『週刊しゅうかんベースボール』2009ねん8がつ31にちごうスボすぼル・マガジン社るまがじんしゃ、2009ねん雑誌ざっし20445-8/31、35-39ぺーじ
  2. ^ a b c d e f g h 自由じゆう獲得かくとく選手せんしゅわく早大そうだい江尻えじり投手とうしゅ入団にゅうだん内定ないてい 日本にっぽんハムファイターズオフィシャルHomePage オフのニュース♪
  3. ^ a b ハム撤退てったい寺原てらはら指名しめいきょ中横なかよこ 2001ねん11月13にちスポニチ
  4. ^ 日本にほんハム江尻えじり大学だいがく先輩せんぱい小宮山こみやまの「27」 2001ねん11月28にち 日刊にっかんスポーツ
  5. ^ 2002年度ねんどフレッシュオールスター・ゲーム 試合しあい結果けっか
  6. ^ - the baseball - 10月5にち(土) にちハム vs 近鉄きんてつ試合しあい詳細しょうさい
  7. ^ - the baseball - 10月11にち(金)きん ロッテ vs にちハム(試合しあい詳細しょうさい
  8. ^ 日本にほんハム佐々木ささきがDバックスへ修業しゅうぎょう 2003ねん2がつ18にち 日刊にっかんスポーツ
  9. ^ a b 日本にほんハム江尻えじり中継なかつぎだけでいつ白星しろぼし 2007ねん7がつ8にち 日刊にっかんスポーツ北海道ほっかいどう
  10. ^ 2003年度ねんど 表彰ひょうしょう選手せんしゅ (イースタン・リーグ)
  11. ^ - the baseball - 9月24にち(水)すい にちハム vs ダイエー(試合しあい詳細しょうさい
  12. ^ 2003 イースタン・リーグ 個人こじん投手とうしゅ成績せいせき規定きてい投球とうきゅうかい以上いじょう
  13. ^ 2003年度ねんどファーム日本にっぽん選手権せんしゅけん 試合しあい結果けっか
  14. ^ - the baseball - 4がつ21にち(水)すい 西武せいぶ vs にちハム(試合しあい詳細しょうさい
  15. ^ - the baseball - 4がつ28にち(水)すい にちハム vs 近鉄きんてつ試合しあい詳細しょうさい
  16. ^ 江尻えじり、プロ2しょう/「前後ぜんご裁断さいだん帽子ぼうしきざみ、いま集中しゅうちゅう 2004ねん7がつ21にち北海道ほっかいどう日刊にっかんスポーツ
  17. ^ a b c 江尻えじり後半こうはんせん連勝れんしょう投手とうしゅじん救世主きゅうせいしゅ 2004ねん8がつ4にち北海道ほっかいどう日刊にっかんスポーツ
  18. ^ 江尻えじりきゅう入魂じっこんで/だいせん先発せんぱつ 2004ねん10がつ3にち北海道ほっかいどう日刊にっかんスポーツ
  19. ^ - the baseball - 10月3にち(日)にち 西武せいぶ vs にちハム(試合しあい詳細しょうさい
  20. ^ くな横山よこやまだまフォーク被弾ひだん 2004ねん10がつ4にち北海道ほっかいどう日刊にっかんスポーツ
  21. ^ a b c カブまんだんらったあの1きゅうかてに/PICK UP FIGHTER 2004ねん11月6にち北海道ほっかいどう日刊にっかんスポーツ
  22. ^ 江尻えじりローテ確実かくじつ/2番手ばんてで4かい失点しってん 2005ねん3がつ6にち北海道ほっかいどう日刊にっかんスポーツ
  23. ^ 江尻えじりはつ開幕かいまくローテりで今季こんきはつ勝利しょうり/チームは5わり復帰ふっき前文ぜんぶん 2005ねん4がつ7にち北海道ほっかいどう日刊にっかんスポーツ
  24. ^ 試合しあい本塁打ほんるいだでKOけ/ソフトバンクに開幕かいまく連敗れんぱい
  25. ^ a b 江尻えじり ノーヒッターねらって?プロはつ完封かんぷう 2005ねん5がつ15にちスポニチ
  26. ^ スコア速報そくほう 巨人きょじんたい日本にほんハム 2005ねん5がつ22にち 日刊にっかんスポーツスコア速報そくほう
  27. ^ 空中くうちゅうせんはつ 惜敗せきはい 新庄しんじょう岩本いわもと プロはつ森本もりもとはつむなしく 2005ねん5がつ22にち道新どうしんスポーツ
  28. ^ 小久保こくぼはつ看板かんばんだんくるまもGET 2005ねん5がつ22にちスポニチ
  29. ^ 日刊にっかんスポーツスコア速報そくほう 日本にほんハムたい巨人きょじん
  30. ^ 涌井わくい連勝れんしょうで、西武せいぶも8連勝れんしょう 2006ねん4がつ10日とおかスポニチ
  31. ^ 日本にほんハム江尻えじりがチームトップ3しょう 2006ねん4がつ24にち 日刊にっかんスポーツ北海道ほっかいどう
  32. ^ 2006年度ねんど 北海道ほっかいどう日本にっぽんハムファイターズ 個人こじん投手とうしゅ成績せいせき(イースタン・リーグ)
  33. ^ 2006年度ねんど KONAMI CUP アジアシリーズ 試合しあい結果けっか予選よせんリーグ)
  34. ^ 日本にほんハム江尻えじりおんな誕生たんじょうし「産休さんきゅう」へ 2007ねん2がつ3にち 日刊にっかんスポーツ
  35. ^ 選手せんしゅ鎌ケ谷かまがや合流ごうりゅうのおらせ ニュース&インフォメーション 北海道ほっかいどう日本にっぽんハムファイターズ公式こうしきサイト
  36. ^ 2007ねん イースタン・リーグ 春季しゅんき教育きょういくリーグ 試合しあい結果けっか
  37. ^ 日本にほんハムたいオリックススコア速報そくほう : nikkansports.com
  38. ^ 2007ねん試合しあい結果けっか | 東北とうほく楽天らくてんゴールデンイーグルス オフィシャルサイト
  39. ^ 中日ちゅうにちたい日本にほんハムスコア速報そくほう : nikkansports.com
  40. ^ エキサイトベースボール | 6がつ10日とおか(日)にち きょじん vs 日本にほんハム(試合しあい詳細しょうさい
  41. ^ 日本にほんハム】3番手ばんて江尻えじりが4しょう 2007ねん6がつ20日はつか日刊にっかんスポーツ
  42. ^ 日本にほんハムが快勝かいしょう交流こうりゅうせんはつ王手おうて 2007ねん6がつ21にち 日刊にっかんスポーツ
  43. ^ オリックスたい日本にほんハムスコア速報そくほう : nikkansports.com
  44. ^ 球団きゅうだん史上しじょうはつ日本にほんハム江尻えじりが“1きゅう勝利しょうり 2007ねん8がつ12にち 日刊にっかんスポーツ北海道ほっかいどう
  45. ^ エキサイトベースボール | 8がつ12にち(日)にち 日本にほんハム vs 西武せいぶ試合しあい詳細しょうさい
  46. ^ 守備しゅびりはバットでかえす!日本にほんハム・工藤くどうがサヨナラ 2007ねん9がつ3にちSANSPO.COM
  47. ^ エキサイトベースボール | 9月2にち(日)にち 日本にほんハム vs ソフトバンク(試合しあい詳細しょうさい
  48. ^ 日本にほんハム江尻えじりみぎひじ手術しゅじゅつ来季らいき絶望ぜつぼうてき 2007ねん10がつ5にち 日刊にっかんスポーツ北海道ほっかいどう
  49. ^ 日本にほんハム江尻えじりみぎひじ手術しゅじゅつ成功せいこう完治かんじに1ねん 2007ねん10がつ11にち 日刊にっかんスポーツ北海道ほっかいどう
  50. ^ 日本にほんハム江尻えじり復活ふっかつけリハビリ開始かいし 2007ねん11月8にち 日刊にっかんスポーツ北海道ほっかいどう
  51. ^ a b ふたたび1ぐんへ…日本にほんハム・江尻えじり完全かんぜん復活ふっかつちか 2008ねん8がつ27にちSANSPO.COM
  52. ^ ファーム試合しあい結果けっか | 北海道ほっかいどう日本にっぽんハムファイターズ
  53. ^ ゲームレポート | 北海道ほっかいどう日本にっぽんハムファイターズ
  54. ^ テキスト速報そくほう | 北海道ほっかいどう日本にっぽんハムファイターズ
  55. ^ 成績せいせき詳細しょうさい | 北海道ほっかいどう日本にっぽんハムファイターズ
  56. ^ 日本にほんハム江尻えじり、ほろにがねんぶり1ぐん勝利しょうり 2009ねん7がつ12にち 日刊にっかんスポーツ
  57. ^ テキスト速報そくほう | 北海道ほっかいどう日本にっぽんハムファイターズ
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関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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