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この項目では、福岡市の地名について説明しています。福岡市の道路については「渡辺通り」をご覧ください。 |
渡辺通(わたなべどおり)は、福岡市中央区の地名。現行の行政地名は渡辺通一丁目から五丁目まで[1][2]。面積は34.80ヘクタール[3]。2023年2月末現在の人口は3,929人[4]。郵便番号は810-0004[5]。
福岡市中央区東部に位置する。北で西中洲、東で春吉、南東で清川、南で高砂、南西で白金、西で薬院・今泉、北西で天神と隣接する。天神市街地の南側にあたり、南天神と一体化した市街地を持つ。地名と同名の渡辺通り(福岡県道602号)が町域の中央を南東から北西に貫いている。渡辺通りを挟んで、東北東側が南より一丁目、三丁目、五丁目、西南西側が南より二丁目、四丁目と並ぶ。広い通りが中央にあるため、大規模な施設が建ち並び、ホテルニューオータニ博多、九州電力本社(通称・電気ビル)、BiVi福岡などの施設がある。西辺には那珂川水系薬院新川が流れる。
地名は、1910年(明治43年)に博多電気軌道株式会社を設立した博多の呉服商「紙與(紙与)」の渡辺與八郎の名に由来する。1911年10月に電車道を整備したが同月末に與八郎が急死。会社は與八郎の偉業を偲んで下警固法印田(現在の博多大丸・西日本新聞社の位置)から住吉までの電車道に「渡辺通り」という通称を付けた。昭和になりこの通称が公称となる。
第二次世界大戦前、博多区大博町にあった遊廓が渡辺通1丁目の南側に移転すると店舗等が増加し始め、戦争直後は闇市が立ち並ぶ一大繁華街になった。「博多の新宿」と呼ばれる時代が続いたが、1960年代以降は店舗の老朽化が進み人足が遠のき始め、1970年代には再開発事業が行われた。ホテルニューオータニ博多やサンセルコは、この時期に建設されたものである[6]。
住居表示実施後 |
実施年月日 |
住居表示実施前(各町名・大字ともその一部)
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渡辺通一丁目から五丁目まで |
1962年(昭和37年) |
(旧)渡辺通1丁目〜5丁目・昭和通・新開町1丁目〜3丁目・今泉町1丁目〜5丁目・大字住吉・大字春吉・大字庄
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渡辺通一丁目から五丁目までを合わせた人口の推移を福岡市の住民基本台帳(公称町別)[4]に基づき示す(単位:人)。集計時点は各年9月末現在である。
- 2001年(平成13年):2,773
- 2002年(平成14年):2,788
- 2003年(平成15年):2,784
- 2004年(平成16年):2,830
- 2005年(平成17年):2,992
- 2006年(平成18年):3,123
- 2007年(平成19年):3,159
- 2008年(平成20年):3,170
- 2009年(平成21年):3,292
- 2010年(平成22年):3,337
- 2011年(平成23年):3,457
- 2012年(平成24年):3,502
- 2013年(平成25年):3,594
- 2014年(平成26年):3,695
- 2015年(平成27年):3,623
- 2016年(平成28年):3,610
- 2017年(平成29年):3,717
- 2018年(平成30年):3,639
- 2019年(令和元年):3,612
- 2020年(令和2年):3,782
- 2021年(令和3年):3,907
- 2022年(令和4年):3,921
交通に関しては、町内に西鉄天神大牟田線と福岡市地下鉄七隈線の2本の鉄道路線があり、また、ほかの交通機関への乗換も多く、福岡市の主要な交通結節点の一つを形成している。
主な幹線道路は次の通り[7]。
西鉄バスの停留所がある[8]
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- 国体道路沿い:天神一丁目
- 渡辺通り沿い:天神南、渡辺通二丁目、渡辺通一丁目・電気ビル共創館前
- 住吉通り沿い:渡辺通一丁目・サンセルコ前
- 城南線沿い:渡辺通一丁目、薬院駅前
福岡市中央区東部に位置する。北で西中洲、東で春吉、南東で清川、南で高砂、南西で白金、西で薬院・今泉、北西で天神と隣接する。
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一覧は「福岡市区の設置等に関する条例」(昭和47年条例第1号)に基づく
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