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電灯でんとう」のはんあいだ差分さぶん

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{{基礎きそ情報じょうほう 戦前せんぜん企業きぎょう
{{基礎きそ情報じょうほう 戦前せんぜん企業きぎょう
|社名しゃめい = 電灯でんとう株式会社かぶしきがいしゃ
|社名しゃめい = 電灯でんとう株式会社かぶしきがいしゃ(2代目だいめ
|種類しゅるい = [[株式会社かぶしきがいしゃ (日本にっぽん)|株式会社かぶしきがいしゃ]]
|種類しゅるい = [[株式会社かぶしきがいしゃ (日本にっぽん)|株式会社かぶしきがいしゃ]]
|本社ほんしゃ所在地しょざいち = {{JPN}}<br />[[三重みえけん]][[]]大字だいじ南堀端みなみほりばた34ばん屋敷やしき<ref>「[[商業しょうぎょう登記とうき]]」『[[官報かんぽう]]』だい3000ごう附録ふろく、1922ねん8がつ1にちづけ。{{NDLJP|2955118/25}}</ref>
|本社ほんしゃ所在地しょざいち = {{Flagicon|JPN1889}} [[三重みえけん]][[]]大字だいじ南堀端みなみほりばた34ばん屋敷やしき
|設立せつりつ = [[1908ねん]](明治めいじ41ねん)[[12月8にち]]<br />(初代しょだい電灯でんとうは[[1896ねん]][[5がつ19にち]])
|設立せつりつ = [[1908ねん]](明治めいじ41ねん)[[12月8にち]]<ref name="kanpo19081226">「[{{NDLDC|2951001/31}} 商業しょうぎょう登記とうき 株式会社かぶしきがいしゃ設立せつりつ登記とうき]」『[[官報かんぽう]]』だい7652ごう、1908ねん12月26にち(「国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション」収録しゅうろく以下いか「NDL-DC」)</ref><br />(初代しょだい電灯でんとうは[[1896ねん]][[5がつ19にち]])
|解散かいさん = [[1922ねん]](大正たいしょう11ねん)[[5がつ1にち]]<br />([[合同ごうどう電気でんき|三重みえ合同ごうどう電気でんき]]を新設しんせつ
|解散かいさん = [[1922ねん]](大正たいしょう11ねん)[[5がつ1にち]]<ref name="kanpo19220801">「[{{NDLDC|2955118/25}} 商業しょうぎょう登記とうき 電灯でんとう株式会社かぶしきがいしゃ解散かいさん登記とうき]」『官報かんぽうだい3000ごう附録ふろく、1922ねん8がつ1にち (NDL-DC)</ref><br />([[合同ごうどう電気でんき|三重みえ合同ごうどう電気でんき]]を新設しんせつ解散かいさん
|業種ぎょうしゅ = [[:Category:日本にっぽん電気でんき事業じぎょうしゃ (戦前せんぜん)|電気でんき]]
|業種ぎょうしゅ = [[:Category:日本にっぽん電気でんき事業じぎょうしゃ (戦前せんぜん)|電気でんき]]
|事業じぎょう内容ないよう = [[電力でんりょく会社かいしゃ|電気でんき供給きょうきゅう事業じぎょう]]・[[一般いっぱんガス事業じぎょうしゃ|ガス供給きょうきゅう事業じぎょう]]
|事業じぎょう内容ないよう = [[電力でんりょく会社かいしゃ|電気でんき供給きょうきゅう事業じぎょう]]・[[一般いっぱんガス事業じぎょうしゃ|ガス供給きょうきゅう事業じぎょう]]
|だいひょうしゃ = [[かわ喜田きたはんどろ|かわ喜田きた久太夫きゅうだゆう]]社長しゃちょう
|れきだい社長しゃちょう = [[田中たなか善助ぜんすけ]]<br />[[かわ喜田きた四郎しろう兵衛ひょうえ]]<br />[[かわ喜田きたはんどろ|かわ喜田きた久太夫きゅうだゆう]](1919-1922ねん
|公称こうしょう資本しほんきん = 200まんえん
|公称こうしょう資本しほんきん = 200まんえん
|払込はらいこみ資本しほんきん = 150まんえん
|払込はらいこみ資本しほんきん = 100まんえん
|株式かぶしきすう = 4まんかぶ額面がくめん50えん
|そう資産しさん = 124まん2せんえん
|収入しゅうにゅう = 15まん4せんえん
|支出ししゅつ = 4まん9せんえん
|じゅん利益りえき = 10まん5せんえん
|配当はいとうりつ = 年率ねんりつ12.0%
|配当はいとうりつ = 年率ねんりつ12.0%
|株主かぶぬしすう = 369めい
|特記とっき事項じこう = 代表だいひょうしゃ以下いかは1921ねん1がつ時点じてん<ref name="kaisha29">[[#kaisha29|『日本にっぽん全国ぜんこくしょ会社かいしゃ役員やくいんろくだい29かい]]したへん111ぺーじ。{{NDLJP|936470/517}}</ref>
|主要しゅよう株主かぶぬし = かわ喜田きた久太夫きゅうだゆう (10.8%)、かわ喜田きた四郎しろう兵衛ひょうえ (6.8%)、[[百五銀行ひゃくごぎんこう]] (6.0%)、[[松本まつもとひさしこれすけ]] (4.2%)、小島こじま惣右衛門そうえもん (2.8%)
|決算けっさん = 5がつまつ・11月まつとし2かい
|特記とっき事項じこう = 資本しほんきん以下いかは1918ねん11がつ決算けっさん時点じてん<ref name="kabu1919">[[#kabu1919|『株式かぶしき年鑑ねんかん大正たいしょう8年度ねんど]]291ぺーじ</ref><ref>[[#yoroku23|『銀行ぎんこう会社かいしゃ要録ようろくだい23はん]]三重みえけん10ぺーじ</ref>
}}
}}
'''電灯でんとう株式会社かぶしきがいしゃ'''(電燈でんとう株式會社かぶしきがいしゃ、つでんとう かぶしきがいしゃ)は、[[明治めいじ]]後期こうきから[[大正たいしょう]]にかけて存在そんざいした[[日本にっぽん電力でんりょく会社かいしゃ]]。[[中部電力ちゅうぶでんりょくパワーグリッド]]管内かんないかつて存在そんざいした事業じぎょうしゃひとつで、[[三重みえけん]]最初さいしょ開業かいぎょうした電気でんき事業じぎょうしゃある。
'''電灯でんとう株式会社かぶしきがいしゃ'''({{きゅう字体じたい|電燈でんとう株式會社かぶしきがいしゃ&#xe0101;}}、つでんとうかぶしきがいしゃ)は、かつて[[三重みえけん]][[]]に存在そんざいした[[日本にっぽん電力でんりょく会社かいしゃ]]である。[[明治めいじ]]後期こうき存在そんざいした初代しょだい法人ほうじん明治めいじ末期まっきから[[大正たいしょう]]にかけて存在そんざいした2代目だいめ法人ほうじんの2つがある。


[[1897とし]](明治めいじ30とし)に三重みえけん[[]]に開業かいぎょうこのはつだい電灯でんとうは[[1910ねん]]明治めいじ43ねん)に'''三重みえ共同きょうどう電気でんき株式会社かぶしきがいしゃ'''(みえきょうどうでんき)吸収きゅうしゅうされるが、同社どうしゃもなく2代目だいめ電灯でんとうへと商号しょうごうあらためた。最終さいしゅうてき周辺しゅうへんと[[伊賀いが|伊賀いが地方ちほう]]一部いちぶ供給きょうきゅう区域くいきとするが、[[1922とし]](大正たいしょう11とし三重みえけん電気でんきごとごう統合とうごうともなって三重みえ合同ごうどうでんの[[合同ごうどうでん]])に統合とうごうされた。
初代しょだい電灯でんとう[[1896とし]](明治めいじ29とし)に設立せつりつされ、三重みえけんうち最初さいしょ電気でんき事業じぎょうしゃとして翌年よくねん[[火力かりょく発電はつでん]]により開業かいぎょうした2だい電灯でんとうは[[伊賀いが|伊賀いが地方ちほう]]での[[水力すいりょく発電はつでん]]を目的もくてきとする'''三重みえ共同きょうどう電気でんき株式会社かぶしきがいしゃ'''(みえきょうどうでんき)として[[1908ねん]]明治めいじ41ねん)に設立せつりつ[[1910とし]](明治めいじ43とし)のひらくごう直後ちょくご初代しょだいでん吸収きゅうしゅうし、翌年よくねん2代目だいめでんへと社名しゃめいあらたた。


電気でんき事業じぎょうのほかにも[[1912ねん]](大正たいしょう元年がんねん)から[[都市としガス]]供給きょうきゅう事業じぎょう兼営けんえいしていた。ガス事業じぎょうしゃとしては[[東邦とうほうガス]](きゅう[[合同ごうどうガス]])の前身ぜんしんひとつにあたる。
2代目だいめ電灯でんとう最終さいしゅうてき周辺しゅうへん伊賀いが地方ちほう一部いちぶ供給きょうきゅう区域くいきとしたが、[[1922ねん]](大正たいしょう11ねん)に三重みえけん電気でんき事業じぎょう統合とうごうともなって三重みえ合同ごうどう電気でんきの[[合同ごうどう電気でんき]])に統合とうごうされた。電気でんき事業じぎょうのほかにも[[1912ねん]](大正たいしょう元年がんねん)から[[都市としガス]]供給きょうきゅう事業じぎょう兼営けんえいしていた。電気でんき事業じぎょうしゃとしては[[中部電力ちゅうぶでんりょく]]、ガス事業じぎょうしゃとしては[[東邦とうほうガス]](きゅう[[合同ごうどうガス]])の前身ぜんしんひとつにあたる。


== 沿革えんかく ==
== 沿革えんかく ==
=== 初代しょだい電灯でんとう設立せつりつ ===
=== 初代しょだい電灯でんとう設立せつりつ ===
[[1886ねん]](明治めいじ19ねん)[[11月3にち]]、[[三重みえけん]][[]]の[[三重みえけん庁舎ちょうしゃ|けん庁舎ちょうしゃ]]において[[明治天皇めいじてんのう]]の誕生たんじょう([[天長節てんちょうせつ]])をいわ式典しきてん挙行きょこうされた<ref name="asano2005">[[#asano2005|浅野あさの伸一しんいち(2005)]] 60-63ぺーじ</ref>。このしきには[[東京とうきょう]]から[[東京とうきょう電灯でんとう]]の技師ぎしのちに[[名古屋なごや電灯でんとう]]初代しょだい技師ぎしちょうとなる[[丹羽にわ正道せいどう]](当時とうじ[[東京大学とうきょうだいがく大学院だいがくいん工学こうがくけい研究けんきゅう工学部こうがくぶ|帝国ていこく大学だいがく工科こうか大学だいがく]]せい)がまねかれ、移動いどうしき小型こがた[[発電はつでん]]によって[[放電ほうでんとう|放電ほうでんとうク灯くとう)]]1とうと[[白熱はくねつ電球でんきゅう]]2とう点灯てんとう実演じつえんおこなわれた<ref name="asano2005"/>。この点灯てんとうが[[東海とうかい地方ちほう]]で最初さいしょの[[電灯でんとう]]点灯てんとうである<ref name="asano2005"/>。その2ねんの[[1888ねん]](明治めいじ21ねん)11月、[[四日市よっかいち|四日市よっかいち]]で操業そうぎょう開始かいしした三重みえ紡績ぼうせき([[東洋紡とうようぼう]]の前身ぜんしん)の本社ほんしゃ工場こうじょうが[[自家じか発電はつでん]]により電灯でんとう点灯てんとうしたことで、東海とうかい地方ちほうでも電灯でんとう実用じつようはじまった<ref name="asano2005"/>。
[[三重みえけん]]の県庁けんちょう所在地しょざいち[[]]における電気でんき事業じぎょうしゃは「電灯でんとう」という。初代しょだい電灯でんとう株式会社かぶしきがいしゃは、[[1896ねん]](明治めいじ29ねん)[[5がつ19にち]]、[[資本しほんきん]]3まんえん設立せつりつされた<ref name="kuro02-176">[[#kurokawa02|『あかりと動力どうりょく さんじゅう電気でんき』]]176-178ぺーじ</ref>。設立せつりつ中心ちゅうしんとなったのは、初代しょだい社長しゃちょうとなった内多うちだ正雄まさお{{Refnest|group=注釈ちゅうしゃく|当時とうじ会議かいぎちょうで<ref>[[#tsu|『だい4かん]]324ぺーじ</ref>、1907ねん11月より市長しちょうだい4だい)<ref>[[#tsu|『だい4かん]]349ぺーじ</ref>。}}や2代目だいめ社長しゃちょうとなる[[かわ喜田きた四郎しろう兵衛ひょうえ]]{{Refnest|group=注釈ちゅうしゃく|当時とうじかいふく議長ぎちょう<ref>[[#tsu|『だい4かん]]327ぺーじ</ref>。豪商ごうしょうかわ喜田きた久太夫きゅうだゆう分家ぶんけすじにあたる四郎しろう兵衛ひょうえ当主とうしゅで、米穀べいこく肥料ひりょうしょう家業かぎょうとする<ref>[[#hirota|『実業じつぎょう人傑じんけつでんだい4かん]]70-72ぺーじ</ref>。三重みえけん有数ゆうすう実業じつぎょうであり[[百五銀行ひゃくごぎんこう]]頭取とうどりなどをつとめる<ref name="koshin5">[[#koshin5|『人事じんじ興信録こうしんろくだい5はん]]か67ぺーじ。{{NDLJP|1704046/484}}</ref>。}}ら地元じもと実業じつぎょうで<ref name="asano-119">[[#asano|浅野あさの伸一しんいち戦前せんぜん三重みえけん火力かりょく発電はつでん事業じぎょう」]]119-120ぺーじ</ref>、株式かぶしき募集ぼしゅう対象たいしょうしゃ市内しない現住げんじゅうしゃかぎられていた<ref name="kuro02-176"/>。社屋しゃおく南堀端みなみほりばた([[中部電力ちゅうぶでんりょく]]支店してん所在地しょざいち)に建設けんせつされた<ref name="kuro02-176"/>。


[[1889ねん]](明治めいじ22ねん)12月、[[愛知あいちけん]][[名古屋なごや]]にて名古屋なごや電灯でんとう開業かいぎょうし、日本にっぽんで5番目ばんめ東海とうかい地方ちほうではだい1ごうとなる電気でんき事業じぎょう開始かいしした<ref>[[#chubu|『中部ちゅうぶ地方ちほう電気でんき事業じぎょう上巻じょうかん]]17-18ぺーじ</ref>。三重みえ県内けんないでは翌年よくねんには四日市よっかいち電気でんき事業じぎょう起業きぎょううごきがあったとされるが、その実現じつげんまでには時間じかんようし<ref name="chubu1-28">[[#chubu|『中部ちゅうぶ地方ちほう電気でんき事業じぎょう上巻じょうかん]]28-32ぺーじ</ref>、愛知あいちけん[[豊橋とよはし]]([[豊橋とよはし電気でんき (1894-1921)|豊橋とよはし電灯でんとう]])や[[岐阜ぎふけん]][[岐阜ぎふ]]([[岐阜ぎふ電気でんき|岐阜ぎふ電灯でんとう]])などがさきんじて開業かいぎょうしていく<ref>[[#chubu|『中部ちゅうぶ地方ちほう電気でんき事業じぎょう上巻じょうかん]]22-23ぺーじ</ref>。[[1896ねん]](明治めいじ29ねん)になるとようやく三重みえ県内けんないでも起業きぎょう実現じつげんされるようになり、3月18にち電灯でんとう、4月[[伊勢いせ|宇治山田うじやまだ]]の[[宮川みやがわ電気でんき]](伊勢いせ電気でんき鉄道てつどう)、7がつよんにち四日よっか市電しでんとうの[[北勢ほくせい電気でんき]])というじゅん相次あいついで[[逓信ていしんしょう]]から電気でんき事業じぎょう経営けいえい許可きょかた<ref name="y3-20">[[#yoran3|『電気でんき事業じぎょう要覧ようらん明治めいじ42ねん]]20-21・56-57ぺーじ</ref>。
電源でんげんは[[火力かりょく発電はつでんしょ]]であり、[[石炭せきたん]]搬入はんにゅう便びん本社ほんしゃ裏手うらての[[岩田川いわたがわ]]沿いに設置せっち<ref name="asano-119"/>。当初とうしょ出力しゅつりょく30[[ワット|キロワット]]の[[交流こうりゅう発電はつでん]]を1だいのみそなえた<ref name="asano-119"/>。機械きかい据付すえつけ完了かんりょうにつき[[1897ねん]](明治めいじ30ねん)3がつより試運転しうんてんはじめ、工事こうじ竣工しゅんこうともない3がつ31にちよる無料むりょう点火てんかおこなったうえで、[[4がつ1にち]]より営業えいぎょう開始かいしした<ref name="kuro02-176"/>。三重みえけんにおける電気でんき事業じぎょう開業かいぎょう電灯でんとうはつ<ref name="asano-119"/>。ただし年内ねんない宇治山田うじやまだまちげん・[[伊勢いせ]])で[[宮川みやがわ電気でんき]](伊勢いせ電気でんき鉄道てつどう)、[[四日市よっかいち]]でよんにち市電しでんとうの[[北勢ほくせい電気でんき]])が相次あいついで開業かいぎょう主要しゅよう都市としにはそろった。出現しゅつげんした[[電灯でんとう]]はそのあかるさが評価ひょうかされ、はじやく320であった電灯でんとう需要じゅよう家数やかずは1かげつ2ばいの767へと拡大かくだいした<ref name="kuro02-176"/>。ただし当時とうじ電灯でんとう料金りょうきんたかく、[[ランプ (照明しょうめい器具きぐ)|石油せきゆランプ]]にもちいる[[灯油とうゆ]]だいやく10ばいであった<ref name="kuro02-176"/>。


この当時とうじすなわち「[[商法しょうほう#きゅう商法しょうほう|きゅう商法しょうほう]]」の時代じだい(1893 - 1899ねん)の会社かいしゃ設立せつりつ手続てつづきは、発起人ほっきにんが[[のう商務省しょうむしょう (日本にっぽん)|のう商務省しょうむしょう]]より発起ほっき認可にんかたのち株主かぶぬし募集ぼしゅうかり、株主かぶぬし確定かくていませたうえ創業そうぎょう総会そうかい開催かいさいし[[定款ていかん]]や[[役員やくいん (会社かいしゃ)|役員やくいん]]をさだめ、そして株式かぶしきはらいみをのう商務省しょうむしょうから設立せつりつ免許めんきょって設立せつりつ[[登記とうき]]をげる、という煩雑はんざつなものであった<ref>[[#hokuriku|『北陸ほくりく地方ちほう電気でんき事業じぎょうひゃくねん』]]10ぺーじ</ref>。電灯でんとう株式会社かぶしきがいしゃがこれらの手続てつづきを執行しっこうした日付ひづけ不明ふめいながら、1918ねん刊行かんこうの『三重みえけん』には1896ねん5がつ19にちの「創立そうりつ」とある<ref name="mie">[[#mie|『三重みえけん下巻げかん]]643-644ぺーじ</ref>。設立せつりつの[[資本しほんきん]]は3まんえんで、株式かぶしき募集ぼしゅう対象たいしょうしゃ市内しない現住げんじゅうしゃかぎられた<ref name="kuro02-176">[[#kurokawa02|黒川くろかわ静夫しずお(2002)]] 176-178ぺーじ</ref>。設立せつりつの[[取締役とりしまりやく]]は[[社長しゃちょう]]の[[内多うちだ正雄まさお]]と[[かわ喜田きた四郎しろう兵衛ひょうえ]](さけ問屋とんやけん肥料ひりょうしょう<ref name="mieshoko">[[#mieshoko|『三重みえけん商工しょうこう人名じんめいろく』]]24・26ぺーじ</ref>)・後藤ごとう仁兵衛じんべえ味噌みそ醤油じょうゆ醸造じょうぞうぎょう<ref name="mieshoko"/>)・小島こじま惣右衛門そうえもん酒造しゅぞうぎょう肥料ひりょうしょう<ref name="mieshoko"/>)・平松ひらまつむべむねけい5めい<ref name="mie"/>。5めいはいずれも当時とうじの[[市議会しぎかい|かい]]議員ぎいんであり、なかでも内多うちだ市会しかい議長ぎちょうかわ喜田きたふく議長ぎちょうつとめている<ref>[[#tsu4|『だいよんかん]]323-327・331-332ぺーじ</ref>。
発電はつでんしょはその順次じゅんじ拡張かくちょうされた。まず[[1900ねん]](明治めいじ33ねん)10がつに60キロワット発電はつでんが1だい追加ついかされる<ref name="asano-119"/>。いで[[1905ねん]](明治めいじ38ねん)10がつ同型どうけい1だい増設ぞうせつされた<ref name="asano-119"/>。さらに[[1907ねん]](明治めいじ40ねん)3がつ市内しないでの[[関西かんさい府県ふけん連合れんごう共進きょうしんかい]]開催かいさいともない150キロワット発電はつでん増設ぞうせつされ、発電はつでんしょ出力しゅつりょくは300キロワットとなった<ref name="asano-119"/>。それでも会期かいきちゅう発電はつでんりょく不足ふそくするため、[[名古屋なごや電灯でんとう]]から設備せつび借用しゃくようして会場かいじょうちかくに出力しゅつりょく70キロワットの臨時りんじ発電はつでんしょ設置せっちして対処たいしょしている<ref name="asano-119"/>。


電灯でんとう本社ほんしゃ南堀端みなみほりばたの[[中部電力ちゅうぶでんりょく]]支店してん所在地しょざいち)に建設けんせつされた<ref name="kuro02-176"/>。本社ほんしゃ裏手うらては[[岩田川いわたがわ]]沿いにあたり、[[石炭せきたん]]搬入はんにゅう便びんいため電源でんげんの[[火力かりょく発電はつでんしょ]]はここにかまえた<ref name="asano-119">[[#asano2002|浅野あさの伸一しんいち(2002)]] 119-120ぺーじ</ref>。発電はつでんしょにははじ出力しゅつりょく30[[ワット|キロワット]]の[[交流こうりゅう発電はつでん]]を1だいのみ設置せっち<ref name="asano-119"/>。機械きかい据付すえつけ完了かんりょうにつき[[1897ねん]](明治めいじ30ねん)3がつより試運転しうんてんはじめ、工事こうじ竣工しゅんこうともない3がつ31にちよるに[[電灯でんとう]]の無料むりょう点火てんかおこなったうえで、[[4がつ1にち]]より営業えいぎょう開始かいしした<ref name="kuro02-176"/>。三重みえけんにおける電気でんき事業じぎょう開業かいぎょう電灯でんとうだい1ごうであるが<ref name="asano-119"/>、年内ねんない宇治山田うじやまだ宮川みやがわ電気でんき四日市よっかいち四日よっか市電しでんとう開業かいぎょうし、主要しゅよう都市としには電気でんき事業じぎょうそろっている<ref name="chubu1-28"/>。電灯でんとう事業じぎょう開始かいしした電灯でんとうでは[[観音かんのん]]門前もんぜんや[[とうきょう]]・[[岩田いわたきょう]]に[[街灯がいとう]]をけて電灯でんとう宣伝せんでんした<ref name="chubu1-28"/>。電灯でんとうはそのあかるさが評価ひょうかされ、はじやく320であった需要じゅよう家数やかずは1かげつ2ばいの767へとひろがりをみせた<ref name="kuro02-176"/>。ただし当時とうじ電灯でんとう料金りょうきんたかく、[[ランプ (照明しょうめい器具きぐ)|石油せきゆランプ]]にもちいる[[灯油とうゆ]]だいやく10ばいであった<ref name="kuro02-176"/>。
1910ねん初頭しょとう時点じてんにおける電灯でんとう資本しほんきん20まんえん会社かいしゃで、社長しゃちょうかわ喜田きた四郎しろう兵衛ひょうえ以下いかすべての役員やくいん市内しない人物じんぶつであった<ref>[[#kaisha18|『日本にっぽん全国ぜんこくしょ会社かいしゃ役員やくいんろく明治めいじ43年版ねんばん]]したへん169ぺーじ。{{NDLJP|780122/539}}</ref>。


本社ほんしゃうら発電はつでんしょはその順次じゅんじ拡張かくちょうされた。まず[[1900ねん]](明治めいじ33ねん)10がつに60キロワット発電はつでんが1だい追加ついかされる<ref name="asano-119"/>。いで[[1905ねん]](明治めいじ38ねん)10がつ同型どうけい1だい増設ぞうせつされた<ref name="asano-119"/>。さらに[[1907ねん]](明治めいじ40ねん)3がつ市内しないでの[[関西かんさい府県ふけん連合れんごう共進きょうしんかい]]開催かいさいともない150キロワット発電はつでん増設ぞうせつされ、発電はつでんしょ出力しゅつりょくは300キロワットとなった<ref name="asano-119"/>。それでも会期かいきちゅう発電はつでんりょく不足ふそくするため、名古屋なごや電灯でんとうから設備せつび借用しゃくようして会場かいじょうちかくに出力しゅつりょく70キロワットの臨時りんじ発電はつでんしょ設置せっちして対処たいしょしている<ref name="asano-119"/>。このあいだ電灯でんとうすうは1900ねんに1000とうえ、1903ねんには2000とうえた<ref name="chubu1-28"/>。さらに[[1909ねん]](明治めいじ42ねん)11がつまつ時点じてんでは需要じゅよう家数やかず1851電灯でんとうすう6733とうたっしている<ref>[[#yoran3|『電気でんき事業じぎょう要覧ようらん明治めいじ42ねん]]286-287ぺーじ</ref>。ただし県内けんない全般ぜんぱん動力どうりょくよう電力でんりょく([[電動でんどう]]を使用しようするための電力でんりょく)の需用じゅようがないことから<ref name="chubu1-28"/>、1909ねん時点じてんでも電灯でんとう営業えいぎょうのみで電力でんりょく供給きょうきゅう開業かいぎょうであった<ref name="y3-20"/>。この段階だんかいでの供給きょうきゅう区域くいき市内しないと[[安濃あのうぐん (三重みえけん)|安濃あのうぐん]][[建部たけべむら (三重みえけん)|建部たけべむら]]・どうぐん[[新町しんまち (三重みえけん)|新町しんまち]]・[[河芸かわげぐん]][[一身田いしんでんまち]]・[[一志いちしぐん]][[久居ひさい|久居ひさいまち]]・どうぐん[[本村もとむら (三重みえけん)|本村もとむら]]の5町村ちょうそんからなる<ref name="y3-20"/>(いずれもげん)。
=== 三重みえ共同きょうどう電気でんきから2代目だいめ電灯でんとうへ ===

電灯でんとうでは事業じぎょう拡大かくだいにあわせて[[募集ぼしゅう株式かぶしき|増資ぞうし]]をかさねて会社かいしゃ規模きぼ拡大かくだいした<ref name="mie"/>。最初さいしょ増資ぞうし開業かいぎょう直後ちょくごの1897ねん8がつ実施じっしで、資本しほんきんは3まんえんから3まん7500えんとなる<ref name="mie"/>。いで[[1901ねん]](明治めいじ34ねん)12月3まん7500えん<ref name="kanpo19020326">「[{{NDLDC|2948917/12}} 商業しょうぎょう登記とうき]」『官報かんぽうだい5614ごう、1902ねん3がつ26にち (NDL-DC)</ref>、1907ねん6がつ2まん5000えん増資ぞうしをそれぞれ[[株主かぶぬし総会そうかい]]で決議けつぎ<ref name="kanpo19071030">「[{{NDLDC|2950648/10}} 商業しょうぎょう登記とうき]」『官報かんぽうだい7302ごう、1907ねん10がつ30にち (NDL-DC)</ref>。そして1909ねん5がつには10まんえん増資ぞうし完了かんりょうし<!--決議けつぎ記載きさいなし--><ref name="kanpo19090529">「[{{NDLDC|2951126/13}} 商業しょうぎょう登記とうき]」『官報かんぽうだい7776ごう附録ふろく、1909ねん5がつ29にち (NDL-DC)</ref>、資本しほんきんを20まんえんとした<ref name="mie"/>。経営けいえいじんにもうごきがあり、1907ねん11月内多うちだ正雄まさお取締役とりしまりやくしてだい4だい市長しちょうてんじた<ref>「[{{NDLDC|2950687/12}} 商業しょうぎょう登記とうき]」『官報かんぽうだい7340ごう、1907ねん12月14にち (NDL-DC)<br />[[#tsu4|『だいよんかん]]348-349ぺーじ</ref>。翌年よくねん初頭しょとう時点じてん役員やくいんろくにはかわ喜田きた四郎しろう兵衛ひょうえ内多うちだわり取締役とりしまりやく社長しゃちょうつとめるとある<ref>[[#kaisha16|『日本にっぽん全国ぜんこくしょ会社かいしゃ役員やくいんろくだい16かい]]したへん165ぺーじ</ref>。当時とうじ四郎しろう兵衛ひょうえ財界ざいかい中心ちゅうしん人物じんぶつであり、電灯でんとう社外しゃがいでは[[商業しょうぎょう会議かいぎしょ]]初代しょだい会頭かいとうや[[百五銀行ひゃくごぎんこう]]頭取とうどりなどをつとめている<ref name="hirota">[[#hirota|広田ひろた三郎さぶろう(1897)]] 70-72ぺーじ</ref>。

=== 三重みえ共同きょうどう電気でんき設立せつりつ ===
[[ファイル:Kawakita Yoshio.jpg|thumb|upright|[[川北かわきた栄夫ひでお]](川北かわきた電気でんき企業きぎょうしゃ社長しゃちょう)]]
[[ファイル:Kawakita Yoshio.jpg|thumb|upright|[[川北かわきた栄夫ひでお]](川北かわきた電気でんき企業きぎょうしゃ社長しゃちょう)]]


1907ねん7がつ12にち三重みえけんでは[[田中たなか善助ぜんすけ]]ほか9めい発起人ほっきにんとする「和水わすいでん株式会社かぶしきがいしゃ」という成立せいりつ会社かいしゃ電気でんき事業じぎょう経営けいえい許可きょか取得しゅとくした<ref name="y1-10">[[#yoran1|『電気でんき事業じぎょう要覧ようらん明治めいじ40ねん]]10ぺーじ</ref>。その供給きょうきゅう区域くいきには[[伊賀いが|伊賀いが地方ちほう]]の[[名賀なよしぐん]][[名張なばりまち]](げん・[[名張なばり]])のほか電灯でんとう供給きょうきゅう区域くいきである市内しない安濃あのうぐん新町しんまち一志いちしぐん久居ひさいまちどう郡本こおりもとむらふくまれる(ただし重複じゅうふく区域くいき電力でんりょく供給きょうきゅうのみ許可きょか)<ref name="y1-10"/>。
明治めいじ末期まっきになると、への供給きょうきゅうには電灯でんとうのほかさんじゅう共同きょうどう電気でんき株式会社かぶしきがいしゃ参入さんにゅうした。同社どうしゃは[[1908ねん]](明治めいじ41ねん)[[12月8にち]]設立せつりつ<ref name="kanpo19081226">「[[商業しょうぎょう登記とうき]]」『[[官報かんぽう]]』だい7652ごう、1908ねん12月26にちづけ。{{NDLJP|2951001/31}}</ref>。本社ほんしゃは[[阿山あやまぐん]][[上野うえの|上野うえのまち]](げん・[[伊賀いが]])の[[いわお倉水くらみずでん]]社内しゃないかれ<ref name="zen-192">[[#zensuke|『田中たなか善助ぜんすけ伝記でんき』]]192-198ぺーじ</ref>、[[大阪おおさか]]ないにも支店してんかまえた<ref name="kanpo19081226"/>。社長しゃちょう上野うえのの[[田中たなか善助ぜんすけ]]、常務じょうむ取締役とりしまりやく大阪おおさかの[[川北かわきた栄夫ひでお]]で、その取締役とりしまりやく監査かんさやく全員ぜんいん上野うえの大阪おおさか人物じんぶつであった<ref>[[#kaisha18|『日本にっぽん全国ぜんこくしょ会社かいしゃ役員やくいんろく明治めいじ43年版ねんばん]]したへん172ぺーじ。{{NDLJP|780122/541}}</ref>。

和水わすいでん発起人ほっきにん田中たなか善助ぜんすけ伊賀いが地方ちほうにおいて多数たすう電気でんき事業じぎょう起業きぎょうした[[阿山あやまぐん]][[上野うえの|上野うえのまち]](げん・[[伊賀いが]])の実業じつぎょうである。金物かなものしょう家業かぎょうとしたが<ref>[[#zensuke|『てつじょうおうつたえ』]]1-5ぺーじ</ref>、1896ねんごろから電気でんき事業じぎょうにもみ、[[1904ねん]](明治めいじ37ねん)には個人こじん事業じぎょうとして伊賀上野いがうえの電気でんき事業じぎょう開業かいぎょうし、翌年よくねんからはどう事業じぎょう会社かいしゃした[[いわお倉水くらみずでん]]の社長しゃちょうつとめていた<ref>[[#zensuke|『てつじょうおうつたえ』]]37-45ぺーじ</ref>。いわお倉水くらみずでん起業きぎょうもとめにおうじてけん電気でんき事業じぎょう手伝てつだいつつ、伊賀いがでは[[名張川なばりがわ]]支流しりゅう青蓮寺川しょうれんじがわにある[[こう落渓]]周辺しゅうへんでの水力すいりょく発電はつでん企画きかくし、いわお倉水くらみずでん後援こうえんしゃである服部はっとり孝太郎こうたろうだいはちじゅうさん上野うえの銀行ぎんこう頭取とうどり<ref>[[#kaisha16|『日本にっぽん全国ぜんこくしょ会社かいしゃ役員やくいんろくだい16かい]]したへん150ぺーじ</ref>)・筒井つつい喜一郎きいちろう上野うえの酒造しゅぞうぎょう<ref>[[#mieshoko|『三重みえけん商工しょうこう人名じんめいろく』]]227ぺーじ</ref>)や同社どうしゃ常務じょうむひろ貞郎さだおらと和水わすいでん発起ほっきし[[1906ねん]](明治めいじ39ねん)に[[水利すいりけん]]を出願しゅつがんした<ref name="zensuke-49">[[#zensuke|『てつじょうおうつたえ』]]49-54ぺーじ</ref>。水利すいりけんもなく許可きょかがあり、会社かいしゃ設立せつりつけた株主かぶぬし募集ぼしゅう並行へいこうして発電はつでんしょ工事こうじ着手ちゃくしゅされた<ref name="zensuke-49"/>。

工事こうじすすなか、[[川北かわきた栄夫ひでお]](当時とうじは[[ドイツ]]・[[シーメンス]]の日本にっぽん法人ほうじん「シーメンス・シュッケルト電気でんき株式会社かぶしきがいしゃ」にぞくする技師ぎし<ref name="taikan">[[#taikan|『大阪おおさか商工しょうこう大観たいかん昭和しょうわ4年版ねんばん]]182-184ぺーじ</ref>)が田中たなか善助ぜんすけたずね、シーメンスの技術ぎじゅつ資本しほん両面りょうめんでの後援こうえんもうれた<ref name="zensuke-49"/>。その結果けっか川北かわきたらシーメンス関係かんけいしゃ会社かいしゃ参画さんかくすることとなり<ref name="zensuke-49"/>、田中たなか筒井つつい服部はっとり川北かわきたやヴィクトル・ヘルマン(シーメンス・シュッケルト電気でんき大阪おおさか支店してんちょう<ref>[[#siemens|ひゃくけい禄郎ろくろうふとし(1955)]] 18ぺーじ</ref>)らけい14めい発起ほっきじんとして和水わすいでんあらため「三重みえ共同きょうどう電気でんき株式会社かぶしきがいしゃ」を起業きぎょうするはこびとなった<ref name="enkaku">[[#enkaku|『だい日本銀行にっぽんぎんこう会社かいしゃ沿革えんかく』]]369ぺーじ</ref>。しん会社かいしゃ三重みえ共同きょうどう電気でんきは[[1908ねん]](明治めいじ41ねん)[[12月8にち]]に発足ほっそく<ref name="kanpo19081226"/>。資本しほんきんは25まんえんで、本社ほんしゃ阿山あやまぐん上野うえのまち大字だいじ福居ふくいまちいわお倉水くらみずでん社内しゃない<ref name="zensuke-49"/>)にかまえるとともに[[大阪おおさか]]ないにも支店してんゆうした<ref name="kanpo19081226"/>。設立せつりつ取締役とりしまりやく田中たなか善助ぜんすけ川北かわきた栄夫ひでおひろ貞郎さだお笠井かさいじゅんつかさ大阪おおさか貿易ぼうえき会社かいしゃ笠井かさい商会しょうかい代表だいひょう<ref>[[#kaisha16|『日本にっぽん全国ぜんこくしょ会社かいしゃ役員やくいんろくだい16かい]]うえへん365ぺーじ</ref>)・河野こうのとおるたかし川北かわきたおなじくシーメンス・シュッケルト電気でんき大阪おおさか支店してん勤務きんむ<ref>[[#siemens|ひゃくけい禄郎ろくろうふとし(1955)]] 22ぺーじ</ref>)の5めいからなった<ref name="kanpo19081226"/>。このうち田中たなか社長しゃちょう川北かわきた常務じょうむつとめている<ref name="yoroku14">[[#yoroku14|『銀行ぎんこう会社かいしゃ要録ようろくだい14はん]]三重みえけん24-25ぺーじ</ref>。またぜん5000かぶのうち3200かぶをヴィクトル・ヘルマン、750かぶ田中たなか善助ぜんすけった(1909ねん11がつまつ時点じてん)<ref name="yoroku14"/>。

1909ねんはる川北かわきた栄夫ひでおはシーメンスから独立どくりつして電気でんき事業じぎょうたいする投資とうし経営けいえい工事こうじ設計せっけい施工しこうなどを目的もくてきとする「川北かわきた電気でんき企業きぎょうしゃ」を旗揚はたあげした<ref name="taikan"/>。同社どうしゃ最初さいしょ手掛てがけた業務ぎょうむ三重みえ共同きょうどう電気でんきかんする発電はつでんしょその一切いっさい工事こうじである<ref name="taikan"/>。よく[[1910ねん]](明治めいじ43ねん)8がつ11にち逓信ていしんしょうによる発電はつでんしょその竣工しゅんこう検査けんさ完了かんりょう<ref>「りょうでん合同ごうどう結果けっか」『[[しん愛知あいち]]』1910ねん8がつ13にち朝刊ちょうかん2ぺーじ</ref>。そして[[8がつ21にち|21にち]]、三重みえ共同きょうどう電気でんき営業えいぎょう開始かいしするにいたった<ref name="y4-375">[[#yoran4|『電気でんき事業じぎょう要覧ようらん明治めいじ43ねん]]375ぺーじ</ref><ref name="news19190824">「りょうでん会社かいしゃ合併がっぺい」『しん愛知あいち』1910ねん8がつ24にち朝刊ちょうかん2ぺーじ</ref>。電源でんげん青蓮寺川しょうれんじがわ完成かんせいした出力しゅつりょく700キロワットの[[#きょく発電はつでんしょ|きょく発電はつでんしょ]](名賀なよしぐん[[まがりむら]]、げん名張なばり)であり<ref name="kuro97-79">[[#kurokawa97|黒川くろかわ静夫しずお(1997)]] 79-80ぺーじ</ref>、その電力でんりょくをもって電灯でんとう市内しないとその周辺しゅうへん地域ちいき電灯でんとう供給きょうきゅうおよび動力どうりょくよう電力でんりょく供給きょうきゅうはじめた<ref name="news19190824"/>。また三重みえ共同きょうどう電気でんき自身じしん発電はつでんしょ地元じもとでの配電はいでん工事こうじにも着手ちゃくしゅし、年内ねんない名賀なよしぐん名張なばりまちでの電灯でんとう供給きょうきゅう開始かいしした<ref>[[#nabari|『名張なばり』]]741ぺーじりゃく年表ねんぴょう26ぺーじ</ref>。

=== 2代目だいめ電灯でんとうとなる ===
先発せんぱつ電灯でんとう後発こうはつ三重みえ共同きょうどう電気でんき合同ごうどうするうごきは三重みえ共同きょうどう電気でんき開業かいぎょうまえの1909ねんからあり、7がつごろには合同ごうどうかんする協定きょうてい成立せいりつしたという<ref>「[{{NDLDC|1561501/43}} 彙報いほう 三重みえけんりょう電気でんき会社かいしゃ合同ごうどう]」『工業こうぎょう雑誌ざっしだい31かんだい415ごう工業こうぎょう雑誌ざっししゃ、1909ねん7がつ、41ぺーじ (NDL-DC)</ref>。合同ごうどう形式けいしきは[[合併がっぺい (企業きぎょう)|合併がっぺい]]ではなく電灯でんとうから三重みえ共同きょうどう電気でんきへの[[事業じぎょう譲渡じょうと]]であり、三重みえ共同きょうどう電気でんき年率ねんりつ12パーセントの[[配当はいとう]]を保証ほしょうする[[優先株ゆうせんかぶしき]]20まんえんぶん電灯でんとうへと交付こうふして同社どうしゃ営業えいぎょうけんならびに財産ざいさんる、という方法ほうほうられた<ref name="mie"/>。

三重みえ共同きょうどう電気でんきでの20まんえん増資ぞうし優先株ゆうせんかぶしき発行はっこうは1910ねん6がつ株主かぶぬし総会そうかい決議けつぎされた<ref name="kanpo19101215">「[{{NDLDC|2951599/16}} 商業しょうぎょう登記とうき 三重共同電気株式会社資本増加登記]」『官報かんぽうだい8246ごう附録ふろく、1910ねん12月15にち (NDL-DC)</ref>。さらに前後ぜんごして田中たなか善助ぜんすけ川北かわきた栄夫ひでお以外いがいぜん役員やくいん辞任じにんし<ref>「[{{NDLDC|2951444/15}} 商業しょうぎょう登記とうき 三重共同電気株式会社登記変更]」『官報かんぽうだい8092ごう附録ふろく、1910ねん6がつ14にち (NDL-DC)</ref>、当時とうじ電灯でんとう役員やくいん三重みえ共同きょうどう電気でんきにもはいった<ref name="kanpo19100704">「[{{NDLDC|2951461/16}} 商業しょうぎょう登記とうき 電灯でんとう株式会社かぶしきがいしゃ登記とうき変更へんこう三重みえ共同きょうどう電気でんき株式会社かぶしきがいしゃ登記とうき変更へんこう]」『官報かんぽうだい8109ごう附録ふろく、1910ねん7がつ4にち (NDL-DC)</ref>。そのうち三重みえ共同きょうどう電気でんき電灯でんとう両社りょうしゃ取締役とりしまりやくねることとなった人物じんぶつかわ喜田きた四郎しろう兵衛ひょうえ小島こじま惣右衛門そうえもん・[[松本まつもとひさしこれすけ]]([[伊勢いせ新聞しんぶん|伊勢いせ新聞しんぶんしゃ]]代表だいひょう<ref>[[#mieshoko|『三重みえけん商工しょうこう人名じんめいろく』]]4ぺーじ</ref>)の3めいである<ref name="kanpo19100704"/>。同年どうねん8がつには大阪おおさか支店してん廃止はいしうえ本店ほんてん上野うえのまちから南堀端みなみほりばたへとうつされた<ref name="kanpo19100812">「[{{NDLDC|2951495/11}} 商業しょうぎょう登記とうき]」『官報かんぽうだい8413ごう附録ふろく、1910ねん8がつ12にち (NDL-DC)</ref>。電灯でんとうがわでは9がつ10日とおか臨時りんじ株主かぶぬし総会そうかいひら三重みえ共同きょうどう電気でんきたいする営業えいぎょうけん財産ざいさんけん譲渡じょうとならびにこれにともな会社かいしゃ[[解散かいさん]]を決議けつぎした<ref name="news19100912">「でん臨時りんじ総会そうかい」『しん愛知あいち』1910ねん9がつ12にち朝刊ちょうかん2ぺーじ</ref>。

電灯でんとうから三重みえ共同きょうどう電気でんきへの事業じぎょう譲渡じょうとは1910ねん10がつ29にちづけ逓信ていしんしょうから認可にんかされた<ref>「三重みえ電気でんき会社かいしゃ移転いてん」『しん愛知あいち』1910ねん11月1にち朝刊ちょうかん2ぺーじ</ref>。その3にちの[[11月1にち]]、事業じぎょう引継ひきつぎが完了かんりょうし<ref name="enkaku"/>、同日どうじつをもって電灯でんとう解散かいさんした<ref name="kanpo19101109">「[{{NDLDC|2951569/12}} 商業しょうぎょう登記とうき]」『官報かんぽうだい8216ごう附録ふろく、1910ねん11月9にち (NDL-DC)</ref>。統合とうごう直後ちょくご、1910ねん11がつまつ時点じてんにおける三重みえ共同きょうどう電気でんき供給きょうきゅう成績せいせき電灯でんとう需要じゅよう家数やかず4106取付とりつけとうすう1まん1582とう電力でんりょく供給きょうきゅう電動でんどう2だい・10馬力ばりき(7.46キロワット)であった<ref>[[#yoran4|『電気でんき事業じぎょう要覧ようらん明治めいじ43ねん]]330-331・348-349ぺーじ</ref>。またどう時点じてんではヘルマンや田中たなか善助ぜんすけおさかわ喜田きた四郎しろう兵衛ひょうえが9000かぶのうち4000かぶ筆頭ひっとう株主かぶぬしとなっている<ref name="yoroku15">[[#yoroku15|『銀行ぎんこう会社かいしゃ要録ようろくだい15はん]]三重みえけん26-27ぺーじ</ref>。統合とうごう社長しゃちょう田中たなか善助ぜんすけではなくかわ喜田きたつとめるが、常務じょうむつづ川北かわきた栄夫ひでおつとめる<ref name="yoroku15"/>。

電灯でんとう解散かいさん2かげつの[[1911ねん]](明治めいじ44ねん)2がつ28にちづけで[[清算せいさん]]ゆいりょう登記とうき消滅しょうめつした<ref>「[{{NDLDC|2951684/25}} 商業しょうぎょう登記とうき 電灯でんとう株式会社かぶしきがいしゃ清算せいさんゆいりょう登記とうき]」『官報かんぽうだい8328ごう附録ふろく、1911ねん3がつ30にち (NDL-DC)</ref>。その直後ちょくごの[[3がつ5にち]]、三重みえ共同きょうどう電気でんきは「電灯でんとう株式会社かぶしきがいしゃ」(2代目だいめ)へと社名しゃめい変更へんこうし、電灯でんとうという社名しゃめい復活ふっかつさせた<ref name="mie"/><ref name="kanpo19110414">「[{{NDLDC|2951696/20}} 商業しょうぎょう登記とうき 三重共同電気株式会社登記変更]」『官報かんぽうだい8340ごう附録ふろく、1911ねん4がつ14にち (NDL-DC)</ref>。

=== 事業じぎょう拡大かくだい ===
[[ファイル:Kawakita Handeishi circa 1940.jpg|thumb|upright|だい3だい社長しゃちょう[[かわ喜田きたはんどろ|かわ喜田きた久太夫きゅうだゆうごうはんどろ)]]]]

2代目だいめ電灯でんとうは1911ねん4がつ、55まんえん増資ぞうし決議けつぎし<ref name="kanpo19110714">「[{{NDLDC|2951775/20}} 商業しょうぎょう登記とうき 電灯でんとう株式会社かぶしきがいしゃ資本しほん増加ぞうか登記とうき]」『官報かんぽうだい8418ごう附録ふろく、1911ねん7がつ14にち (NDL-DC)</ref>、資本しほんきんを100まんえんとした<ref name="mie"/>。増資ぞうし目的もくてき電気でんき事業じぎょう拡張かくちょうおよび[[都市としガス]]事業じぎょう経営けいえいのための資金しきん調達ちょうたつである<ref name="mie"/>。


電気でんき事業じぎょうかんしては供給きょうきゅう区域くいき拡大かくだいがみられた。方面ほうめんでは[[1912ねん]](明治めいじ45ねん)8がつ河芸かわげぐん[[白塚しらつかまち|白塚しらつかむら]]や[[豊津とよつむら (三重みえけん)|豊津とよつむら]]・[[上野うえのむら (三重みえけん)|上野うえのむら]](の[[河芸かわげまち]])での供給きょうきゅう開始かいし<ref>[[#kawage|『河芸かわげぐん』]]521-522ぺーじ</ref>。供給きょうきゅう開始かいし時期じきしょうながら[[1916ねん]](大正たいしょう5ねん)までのあいだ方面ほうめんでは安濃あのうぐん[[安濃あのうむら]]・[[あきらごうむら]](の[[安濃あのうまち]])やどうぐん[[安西あんざいむら]](の[[芸濃げいのうまち]])、久居ひさい方面ほうめんでは一志いちしぐん矢野やのむらの[[香良洲からすまち]])、どうぐん[[川合かわいむら (三重みえけん)|川合かわいむら]]・[[高岡たかおかむら (三重みえけん)|高岡たかおかむら]](の[[一志いちしまち]])、どうぐん[[中川なかがわむら (三重みえけん一志いちしぐん)|中川なかがわむら]](の[[嬉野うれしのまち (三重みえけん)|嬉野うれしのまち]]、げん・[[松阪まつさか]])、名張なばり方面ほうめんでは名賀なよしぐん[[阿保あぼまち|阿保あぼむら]](の[[青山あおやままち]]、げん伊賀いが)といった地域ちいきでも開業かいぎょうしている<ref>[[#yoran9|『電気でんき事業じぎょう要覧ようらんだい9かい]]48-49ぺーじ</ref>。初代しょだい電灯でんとう開業かいぎょうから20ねんた[[1917ねん]](大正たいしょう6ねん)11がつまつ時点じてんでの供給きょうきゅう成績せいせき電灯でんとうすう3まん7999とう<!--きゅうとうふくむ-->、動力どうりょくよう電力でんりょく供給きょうきゅう281.0馬力ばりき(210キロワット)、その電力でんりょく供給きょうきゅう2.5キロワットであった<ref name="y11-354">[[#yoran11|『電気でんき事業じぎょう要覧ようらんだい11かい]]354-355・386-387ぺーじ</ref>。
社長しゃちょう田中たなか善助ぜんすけいわお倉水くらみずでん社長しゃちょうねる<ref name="zen-192"/>。伊賀上野いがうえの実業じつぎょうであった田中たなかは、[[1904ねん]](明治めいじ37ねん)に個人こじんいわお倉水くらみずりょく発電はつでんしょ建設けんせつし、この事業じぎょう翌年よくねん法人ほうじんしていわお倉水くらみずでん社長しゃちょうとなっていた<ref name="zen-175">[[#zensuke|『田中たなか善助ぜんすけ伝記でんき』]]175-186ぺーじ</ref>。田中たなかつづいて[[1906ねん]](明治めいじ39ねん)に[[名張川なばりがわ]]支流しりゅう青蓮寺川しょうれんじがわの[[こう落渓]]における水力すいりょく開発かいはつこころざし[[水利すいりけん]]を出願しゅつがん、「和水わすいでん」の設立せつりつ計画けいかくする<ref name="zen-192"/>。この事業じぎょうには、当時とうじ有望ゆうぼう電気でんき事業じぎょうがあれば投資とうし機械きかい供給きょうきゅうなどに協力きょうりょくするという営業えいぎょう方針ほうしんっていたシーメンス・シュッケルト電気でんき([[ドイツ]]・[[シーメンス]]の日本にっぽん法人ほうじん)もくわわり、同社どうしゃ後援こうえんによって進捗しんちょくして三重みえ共同きょうどう電気でんき設立せつりつとなった<ref name="zen-192"/>。シーメンスを代表だいひょうして同社どうしゃ大阪おおさか支店してん支配人しはいにん川北かわきた栄夫ひでお三重みえけん出身しゅっしん)が取締役とりしまりやくくわわり、同社どうしゃ日本にっぽん代表だいひょうしゃヘルマンも顧問こもんかくとなった<ref name="zen-192"/>。またシーメンスとかかりのある高桑たかくわかくいち{{refnest|group=注釈ちゅうしゃく|1903ねん[[東京大学とうきょうだいがく大学院だいがくいん工学こうがくけい研究けんきゅう工学部こうがくぶ|東京とうきょう帝国ていこく大学だいがく工科こうか大学だいがく]]そつ後身こうしん[[合同ごうどう電気でんき]]にてふく社長しゃちょうつとめる<ref>[[#koshin102|『人事じんじ興信録こうしんろくだい10はん下巻げかん]]タ99ぺーじ。{{NDLJP|1078694/54}}</ref>。}}が支配人しはいにんけん技師ぎしちょうとして入社にゅうしゃしている<ref name="asano-129">[[#asano|浅野あさの伸一しんいち戦前せんぜん三重みえけん火力かりょく発電はつでん事業じぎょう」]]129-130ぺーじ</ref>。


ガス事業じぎょうについては増資ぞうし決議けつぎした1911ねん4がつ株主かぶぬし総会そうかいにおいて、都市としガス供給きょうきゅう事業じぎょう兼営けんえい事業じぎょうけんゆずけも決議けつぎ<ref>「電灯でんとう会社かいしゃ総会そうかい」『しん愛知あいち』1911ねん4がつ8にち朝刊ちょうかん2ぺーじ<br />「電灯でんとう臨時りんじ総会そうかい」『しん愛知あいち』1911ねん4がつ17にち朝刊ちょうかん2ぺーじ</ref>。[[のう商務省しょうむしょう (日本にっぽん)|のう商務省しょうむしょう]]の資料しりょうによると同年どうねん5がつ事業じぎょう許可きょかて[[1913ねん]](大正たいしょう2ねん)2がつ開業かいぎょうした<ref name="gas1913">[[#gas1913|『瓦斯がす事業じぎょう要覧ようらん大正たいしょう2年度ねんど]]4-5ぺーじ</ref>。宇治山田うじやまだ神都しんと瓦斯がす(1911ねん開業かいぎょう)と四日よっか四日よっか市電しでんとうガス(1912ねん3がつ開業かいぎょう)につづ三重みえけん3番目ばんめのガス事業じぎょうである<ref name="godo-34">[[#godogas|『合同ごうどう瓦斯がすよんじゅうねん』]]34-36ぺーじ・342ぺーじ巻末かんまつ年表ねんぴょう)</ref>。電灯でんとうの[[ガス工場こうじょう]]は南中なんちゅう新町しんまちげん・[[南丸之内みなみまるのうち]])にあり、日産にっさん5まん[[立方りっぽうフィート]](やく1416[[立方りっぽうメートル]])の[[石炭せきたんガス]]生産せいさんりょくゆうする<ref name="gas1913"/>。供給きょうきゅう区域くいき市内しない安濃あのうぐん新町しんまちで、1913ねん11がつまつ時点じてんでの供給きょうきゅう成績せいせき需要じゅよう家数やかず478灯火ともしび([[ガス灯がすとう]])あな口数くちかず1175ねつようあな口数くちかず262であった<ref name="gas1913"/>。
[[逓信ていしんしょう]]の資料しりょうによると、三重みえ共同きょうどう電気でんきは[[1910ねん]](明治めいじ43ねん)[[8がつ21にち]]づけ開業かいぎょうした<ref name="y4">[[#yoran4|『電気でんき事業じぎょう要覧ようらん明治めいじ43年版ねんばん]]375ぺーじ。{{NDLJP|805423/213}}</ref>。電源でんげん青蓮寺川しょうれんじがわ完成かんせいした出力しゅつりょく700キロワットの[[#きょく発電はつでんしょ|きょく発電はつでんしょ]]([[名賀なよしぐん]][[まがりむら]]、げん・[[名張なばり]])で<ref name="kuro97-79">[[#kurokawa97|『三重みえ水力すいりょく発電はつでん』]]79-80ぺーじ</ref>、その発生はっせい電力でんりょく電灯でんとうへと送電そうでんされたほか<ref name="asano-129"/>、地元じもと名張なばりまちげん名張なばり)の配電はいでんにもてられた<ref>[[#nabari|『名張なばり』]]741ぺーじ</ref>。なお、発電はつでんしょ建設けんせつさい川北かわきた栄夫ひでおが1909ねんにシーメンスを退職たいしょく起業きぎょうした「川北かわきた電気でんき企業きぎょうしゃ」が発電はつでんしょその工事こうじをすべてけた<ref name="taikan">[[#taikan|『大阪おおさか商工しょうこう大観たいかん昭和しょうわ4年版ねんばん]]182-184ぺーじ。{{NDLJP|1109244/101}}</ref>。三重みえ共同きょうどう電気でんきでの工事こうじ同社どうしゃにとっての最初さいしょ事業じぎょうで、以来いらい川北かわきた電気でんき企業きぎょうしゃ昭和しょうわ初期しょきにかけて電気でんき事業じぎょうかんする工事こうじ設計せっけい施工しこう監督かんとく各地かくちけ、複数ふくすう電気でんき事業じぎょうしゃ関与かんよすることとなる<ref name="taikan"/>。


明治めいじ末期まっき以降いこう電灯でんとう供給きょうきゅう部門ぶもんでは発光はっこう部分ぶぶん(「フィラメント」という)に金属きんぞくせんもちいる金属きんぞくせん電球でんきゅう普及ふきゅうがみられた。金属きんぞくせん電球でんきゅう発光はっこう部分ぶぶんに[[炭素たんそ|炭素たんそせん]]をもちいる旧来きゅうらい炭素たんそせん電球でんきゅうくらべていちじるしくこう効率こうりつ長寿ちょうじゅいのちの[[白熱はくねつ電球でんきゅう]]であり、[[タングステン]]せんもちいる場合ばあいには炭素たんそせん電球でんきゅうしてやく3ぶんの1の消費しょうひ電力でんりょくむという特徴とくちょうつ<ref>[[#chubu|『中部ちゅうぶ地方ちほう電気でんき事業じぎょう上巻じょうかん]]56-58ぺーじ</ref>。逓信ていしんしょう資料しりょうによると、電灯でんとう場合ばあい1913ねん11がつまつ時点じてんではなおも全体ぜんたい過半かはん炭素たんそせん電球でんきゅうめていたが<ref>[[#yoran7|『電気でんき事業じぎょう要覧ようらんだい7かい]]352-353ぺーじ</ref>、1917ねん11がつまつ時点じてんでは炭素たんそせん電球でんきゅう姿すがたしている<ref name="y11-354"/>。こうした金属きんぞくせん電球でんきゅう普及ふきゅう電灯でんとうたいする競争きょうそうりょくうしなったのがガス灯がすとうであった<ref name="chemnews">[{{NDLDC|1576130/10}} 「本邦ほんぽう瓦斯がす事業じぎょう現状げんじょうと輓回さく(其四)」]『日本化学工業にほんかがくこうぎょう新聞しんぶんだい2ねんだい23ごう日本化学工業にほんかがくこうぎょう新聞しんぶんしゃ、1918ねん12月、18-19ぺーじ (NDL-DC)</ref>。[[だいいち世界せかい大戦たいせん]]勃発ぼっぱつによる原料げんりょう石炭せきたん価格かかく暴騰ぼうとうあいまって全国ぜんこくてき地方ちほうしょう都市とし瓦斯がす事業じぎょう経営けいえい不振ふしんおちいり、神都しんと瓦斯がす(1917ねん廃業はいぎょう<ref name="godo-34"/>)のように廃業はいぎょう相次あいついだ<ref name="chemnews"/>。電灯でんとうにおいても需要じゅよう家数やかずあな口数くちかず維持いじしているがガス事業じぎょう収支しゅうし赤字あかじ転落てんらくしている(1918ねん時点じてん)<ref>[[#tokei1918|『三重みえけん統計とうけいしょ大正たいしょう7ねん勧業かんぎょう]]232ぺーじ</ref>。
1910ねん6がつ三重みえ共同きょうどう電気でんきは20まんえん増資ぞうし決議けつぎした<ref name="kanpo19101215">「商業しょうぎょう登記とうき」『官報かんぽうだい8246ごう附録ふろく、1910ねん12月15にちづけ。{{NDLJP|2951599/16}}</ref>。さらに役員やくいんかわ喜田きた四郎しろう兵衛ひょうえ小島こじま惣右衛門そうえもん肥料ひりょう酒類しゅるいしょう<ref>[[#nakao|『商工しょうこう名鑑めいかん』]]17ぺーじ。{{NDLJP|910453/269}}</ref>)・[[松本まつもとひさしこれすけ]]([[伊勢いせ新聞しんぶん]]社長しゃちょう)ら電灯でんとう役員やくいんくわえ<ref>「商業しょうぎょう登記とうき」『官報かんぽうだい8109ごう附録ふろく、1910ねん7がつ4にちづけ。{{NDLJP|2951461/16}}</ref>、8がつには支店してん廃止はいしうえ本店ほんてん南堀端みなみほりばたへと移転いてんした<ref>「商業しょうぎょう登記とうき」『官報かんぽうだい8413ごう附録ふろく、1910ねん8がつ12にちづけ。{{NDLJP|2951495/11}}</ref>。そのうえ同年どうねん10がつ三重みえ共同きょうどう電気でんき電灯でんとう事業じぎょうゆずけた<ref name="y5">[[#yoran5|『電気でんき事業じぎょう要覧ようらん明治めいじ44年版ねんばん]]30-31ぺーじ。{{NDLJP|974998/44}}</ref>。電灯でんとうよく[[11月1にち]]づけ解散かいさんしている<ref name="kanpo19101109">「商業しょうぎょう登記とうき」『官報かんぽうだい8216ごう附録ふろく、1910ねん11月9にちづけ。{{NDLJP|2951569/12}}</ref>。この事業じぎょう統合とうごう松本まつもとひさしこれすけ仲介ちゅうかいによるもの<ref name="zen-192"/>。統合とうごういち電灯でんとう」という社名しゃめい消滅しょうめつするが、よく[[1911ねん]](明治めいじ44ねん)[[3がつ5にち]]づけ三重みえ共同きょうどう電気でんきが(2代目だいめ電灯でんとう改称かいしょうしたことにより復活ふっかつした<ref name="asano-129"/><ref name="kanpo19110414">「商業しょうぎょう登記とうき」『官報かんぽうだい8340ごう附録ふろく、1911ねん4がつ14にちづけ。{{NDLJP|2951696/20}}</ref>。この時点じてんでのおも経営けいえいじん社長しゃちょうかわ喜田きた四郎しろう兵衛ひょうえ専務せんむ川北かわきた栄夫ひでお取締役とりしまりやく田中たなか善助ぜんすけ小島こじま惣右衛門そうえもん松本まつもとひさしこれすけである<ref name="kaisha19">[[#kaisha19|『日本にっぽん全国ぜんこくしょ会社かいしゃ役員やくいんろく明治めいじ44年版ねんばん]]したへん172ぺーじ。{{NDLJP|780123/571}}</ref>。


1917ねん6がつ松之下まつのした建設けんせつしていた出力しゅつりょく240キロワットの予備よび発電はつでんしょ使用しよう認可にんかた<ref name="em609">逓信ていしんしょう電気でんききょく「[{{NDLDC|1561697/52}} 大正たいしょう6ねん6がつ現在げんざい電気でんき事業じぎょう月報げっぽう]」『工業こうぎょう雑誌ざっしだい47かんだい609ごう工業こうぎょう雑誌ざっししゃ、1917ねん8がつ、44ぺーじ (NDL-DC)</ref>。同所どうしょ吸入きゅうにゅうガス機関きかん(サクション[[ガスエンジン]])を原動機げんどうきとする[[内燃ないねんりょく発電はつでん|ガスりょく内燃ないねんりょく発電はつでんしょ]]であり、ガス工場こうじょう構内こうない設置せっち<ref name="asano-129">[[#asano2002|浅野あさの伸一しんいち(2002)]] 129-130ぺーじ</ref>。のちに320キロワットのガスりょく発電はつでん設備せつび増設ぞうせつされ、三重みえ県内けんない最大さいだいのガスりょく発電はつでんしょになっている<ref name="asano-129"/>。
=== 事業じぎょう拡大かくだい電気でんき事業じぎょう統合とうごう ===
2代目だいめ電灯でんとう成立せいりつ、まず1911ねん4がつ、55まんえん増資ぞうし決議けつぎした<ref name="kanpo19110714">「商業しょうぎょう登記とうき」『官報かんぽうだい8418ごう附録ふろく、1911ねん7がつ14にちづけ。{{NDLJP|2951775/20}}</ref>。つぎ増資ぞうしは7ねんの[[1918ねん]](大正たいしょう7ねん)11月のことで、100まんえん増資ぞうし決議けつぎし<ref name="kanpo19190527">「商業しょうぎょう登記とうき」『官報かんぽうだい2042ごう附録ふろく、1919ねん5がつ27にちづけ。{{NDLJP|2954156/19}}</ref>、資本しほんきんを200まんえんとしている<ref name="kaisha29"/>。またかわ喜田きた四郎しろう兵衛ひょうえ取締役とりしまりやく在任ざいにんのまま[[1919ねん]](大正たいしょう8ねん)7がつ死去しきょしており<ref>「商業しょうぎょう登記とうき」『官報かんぽうだい2147ごう、1919ねん9がつ30にちづけ。{{NDLJP|2954620/19}}</ref>、1921ねん初頭しょとう段階だんかいではしゅたる経営けいえいじん社長しゃちょう[[かわ喜田きたはんどろ|かわ喜田きた久太夫きゅうだゆう]]、専務せんむかずらはなわ豊次郎とよじろうもと支配人しはいにん<ref name="kaisha19"/>)、取締役とりしまりやく川北かわきた栄夫ひでお小島こじま惣右衛門そうえもん松本まつもとひさしじょかわ喜田きた四郎しろう兵衛ひょうえ先代せんだい長男ちょうなん・1919ねん襲名しゅうめい<ref>[[#koshin102|『人事じんじ興信録こうしんろくだい10はん下巻げかん]]カ143ぺーじ。{{NDLJP|1078620/610}}</ref>)であった<ref name="kaisha29"/>。社長しゃちょうかわ喜田きた久太夫きゅうだゆうぜん社長しゃちょうよんろう兵衛ひょうえ女婿じょせいにあたる人物じんぶつで、東京とうきょう[[日本橋大伝馬にほんばしおおでんままち]]にも出店しゅってんする[[江戸えど時代じだい]]よりつづく[[木綿もめん]]しょうがわ喜田きた当主とうしゅである<ref>[[#sangyo|『三重みえけん産業さんぎょう産業さんぎょうじん』]]134-147ぺーじ</ref>。


[[1918ねん]](大正たいしょう7ねん)11月、100まんえん増資ぞうし決議けつぎし<ref name="kanpo19190527">「[{{NDLDC|2954156/19}} 商業しょうぎょう登記とうき 電灯でんとう株式会社かぶしきがいしゃ資本しほん増加ぞうか登記とうき]」『官報かんぽうだい2042ごう附録ふろく、1919ねん5がつ27にち (NDL-DC)</ref>、資本しほんきんを200まんえんとした<ref name="kabu1919"/>。この増資ぞうし単純たんじゅん倍額ばいがく増資ぞうしではなく普通ふつう株式かぶしき株主かぶぬしたいしては持株もちかぶ10かぶにつき新株しんかぶ7かぶ優先株ゆうせんかぶしき株主かぶぬしたいしては持株もちかぶ10かぶにつき新株しんかぶ15かぶて(はしすうとなる新株しんかぶ2800かぶぶん公募こうぼまたは会社かいしゃ功労こうろうしゃあてて)、同時どうじ優先ゆうせんけん抹消まっしょうするというものである<ref name="kabu1919"/>。経営けいえいめんではつづいて[[1919ねん]](大正たいしょう8ねん)7がつ社長しゃちょうかわ喜田きた四郎しろう兵衛ひょうえ死去しきょした<ref>「[{{NDLDC|1514121/26}} 会員かいいん異動いどう 訃音ふいん]」『中央ちゅうおう電気でんき協会きょうかい会報かいほうだい12ごう中央ちゅうおう電気でんき協会きょうかい、1919ねん12月、49ぺーじ (NDL-DC)</ref>。同年どうねん12がつ時点じてんでは四郎しろう兵衛ひょうえわり[[かわ喜田きたはんどろ|かわ喜田きた久太夫きゅうだゆう]]が社長しゃちょうつとめている<ref>「[{{NDLDC|1514121/40}} 中央ちゅうおう電気でんき協会きょうかい役員やくいん]」『中央ちゅうおう電気でんき協会きょうかい会報かいほうだい12ごう中央ちゅうおう電気でんき協会きょうかい、1919ねん12月 (NDL-DC)</ref>。しん社長しゃちょう久太夫きゅうだゆう東京とうきょう[[日本橋大伝馬にほんばしおおでんままち]]にみせかまえる[[木綿もめん]]しょうがわ喜田きた本家ほんけ)の16代目だいめ当主とうしゅで、社外しゃがいでは百五銀行ひゃくごぎんこうでもよんろう兵衛ひょうえあとおそ頭取とうどりとなった<ref name="kirii">[[#kirii|桐井きりいけんどう(1930)]] 134-144・301ぺーじ</ref>。
事業じぎょうについてはの変化へんかでは、まず[[都市としガス]]の供給きょうきゅう開始かいしげられる。[[1912ねん]](大正たいしょう元年がんねん)[[10がつ15にち]]、電灯でんとうはガス設置せっち市内しないにてガス供給きょうきゅう開始かいしし、電気でんき・ガス兼営けんえいとなったのである<ref name="godogas-34">[[#godogas|『合同ごうどう瓦斯がすよんじゅうねん』]]34ぺーじ</ref>。当初とうしょ需要じゅよう家数やかずは478で、灯火ともしび([[ガス灯がすとう]])としての利用りようが8わり熱源ねつげんとしての利用りようが2わりであった<ref name="godogas-34"/>。[[ガス工場こうじょう]]は松之下まつのした所在しょざい<ref name="asano-129"/>。工場こうじょうにはきょく発電はつでんしょ補助ほじょするための[[内燃ないねんりょく発電はつでん|内燃ないねんりょく(ガスりょく発電はつでんしょ]]も併設へいせつされた<ref name="asano-129"/>(だい発電はつでんしょ出力しゅつりょく240キロワット、1916ねん運転うんてん開始かいし<ref name="chubu2-333">[[#chubu|『中部ちゅうぶ地方ちほう電気でんき事業じぎょう下巻げかん]]333-334・347-348ぺーじ</ref>)。


=== 三重みえ合同ごうどう電気でんき設立せつりつ ===
[[ファイル:Electricity supply area in Mie (1921).svg|thumb|upright|三重みえけん主要しゅよう電気でんき事業じぎょうしゃ供給きょうきゅう区域くいき(1921ねん)。緑色みどりいろ部分ぶぶん電灯でんとう供給きょうきゅう区域くいき]]
[[ファイル:Electricity supply area in Mie (1921).svg|thumb|upright|三重みえけん主要しゅよう電気でんき事業じぎょうしゃ供給きょうきゅう区域くいき(1921ねん)。緑色みどりいろ部分ぶぶん電灯でんとう供給きょうきゅう区域くいき]]


[[1921ねん]](大正たいしょう10ねん既存きそん区域くいきからはなれた[[南勢なんせい|南勢なんせい地方ちほう]]の[[志摩しまぐん (三重みえけん)|志摩しまぐん]]波切なきりむらげん・[[志摩しま]]大王だいおうまち波切なきり)にも進出しんしゅつした<ref name="daio">[[#daio|『大王だいおうまち』]]285ぺーじ</ref>。元々もともと波切なきりむらでは県議会けんぎかい議員ぎいん松井まついせんみぎ衛門えもんにより電気でんき事業じぎょう計画けいかくすすめられ、[[1919ねん]](大正たいしょう8ねん認可にんかけていたが、このはなしいた電灯でんとうかわ喜田きた久太夫きゅうだゆう自社じしゃけようともうてたのが南勢なんせい進出しんしゅつ端緒たんしょ<ref name="daio"/>。1920ねん9がつ1にち資本しほんきん5まんえんにて南堀端みなみほりばた波切なきり電気でんき株式会社かぶしきがいしゃ設立せつりつされるが<ref>「商業しょうぎょう登記とうき」『官報かんぽうだい2590ごうおく、1921ねん3がつ24にちづけ。{{NDLJP|2954705/26}}</ref>、電灯でんとうでは1921ねん4がつ<ref name="yoran13"/>、開業かいぎょうたず同社どうしゃ事業じぎょう継承けいしょうした<ref name="daio"/>。その電灯でんとうでは年内ねんないにガスりょく発電はつでんしょ完成かんせいさせて波切なきりむらへの供給きょうきゅう開始かいししている<ref name="daio"/>。
[[1921ねん]](大正たいしょう10ねん電灯でんとう既存きそん区域くいきからはなれた[[南勢なんせい|南勢なんせい地方ちほう]]の[[志摩しまぐん (三重みえけん)|志摩しまぐん]][[波切なきりまち|波切なきりむら]]げん・[[志摩しま]])にも進出しんしゅつした<ref name="daio">[[#daio|『大王だいおうまち』]]285ぺーじ</ref>。元々もともと波切なきりむらでは県議会けんぎかい議員ぎいん松井まついせんみぎ衛門えもんにより電気でんき事業じぎょう計画けいかくすすめられ1919ねん認可にんかけていたが、このはなしいた電灯でんとうかわ喜田きた久太夫きゅうだゆう自社じしゃけようともうてたのが南勢なんせい進出しんしゅつ端緒たんしょになる<ref name="daio"/>。1920ねん9がつ1にち資本しほんきん5まんえんにて南堀端みなみほりばた波切なきり電気でんき株式会社かぶしきがいしゃ設立せつりつされるが<ref>「[{{NDLDC|2954705/26}} 商業しょうぎょう登記とうき 株式会社かぶしきがいしゃ設立せつりつ登記とうき]」『官報かんぽうだい2590ごう附録ふろく、1921ねん3がつ24にち (NDL-DC)</ref>、電灯でんとうでは1921ねん4がつ<ref name="y13-70">[[#yoran13|『電気でんき事業じぎょう要覧ようらんだい13かい]]70-71ぺーじ</ref>、開業かいぎょうたず同社どうしゃ事業じぎょう継承けいしょうした<ref name="daio"/>。その電灯でんとうでは年内ねんないにガスりょく発電はつでんしょ完成かんせいさせて波切なきりむらへの供給きょうきゅう開始かいししている<ref name="daio"/>。


1921ねん11月、名賀なよしぐん[[種生たなおむら]](げん伊賀いが)をながれる[[木津川きづがわ (京都きょうと)|木津川きづがわ]]支流しりゅう川上かわかみがわにて[[#川上かわかみ発電はつでんしょ|川上かわかみ発電はつでんしょ]]が竣工しゅんこうした<ref name="kuro97-83">[[#kurokawa97|『三重みえ水力すいりょく発電はつでん』]]83-84ぺーじ</ref>。出力しゅつりょくは400キロワットで、この完成かんせいにより電灯でんとう水力すいりょく発電はつでんしょきょく発電はつでんしょとあわせ2かしょとなった<ref name="kuro97-83"/>。その直後ちょくご同年どうねん11がつまつ時点じてんでの供給きょうきゅう成績せいせき電気でんき事業じぎょう電灯でんとうすう7まん6412とう動力どうりょくよう電力でんりょく供給きょうきゅう751.5馬力ばりき(561キロワット)・その電力でんりょく供給きょうきゅう4.3キロワット<ref>[[#yoran14|『電気でんき事業じぎょう要覧ようらんだい14かい]]334-335・362-363ぺーじ</ref>、ガス事業じぎょう需要じゅよう家数やかず663灯火ともしびあな口数くちかず1568ねつようあな口数くちかず766・ガスエンジン11だいであった<ref name="gas1921">[[#gas1921|『瓦斯がす事業じぎょう要覧ようらん大正たいしょう10年度ねんど]]4-5ぺーじ</ref>。この時期じき電灯でんとう管内かんないには大口おおぐち電力でんりょく使用しようしゃとして市内しない東洋紡績とうようぼうせき工場こうじょうがあったが、どう工場こうじょうは1605キロワットにおよ自家じか火力かりょく発電はつでん設備せつびようしており電気でんき事業じぎょうしゃからは受電じゅでんしていない<ref>[[#yoran13|『電気でんき事業じぎょう要覧ようらんだい13かい]]221ぺーじ</ref>。
波切なきりむらへと進出しんしゅつした1921ねんは、三重みえけん主要しゅよう事業じぎょうしゃ統合とうごう進展しんてんしたとしでもあった。当時とうじ三重みえ県知事けんちじ[[山脇やまわき春樹はるき]]の主唱しゅしょうによる統合とうごう計画けいかく電灯でんとう・[[松阪まつさか電気でんき]]・伊勢いせ電気でんき鉄道てつどう3しゃ合併がっぺいというかたちはなしがまとまり、1921ねん11月27にち株主かぶぬし総会そうかいでの合併がっぺい議決ぎけつよく[[1922ねん]](大正たいしょう11ねん)2がつ2にち逓信ていしんしょう合併がっぺい認可にんか手続てつづきが進行しんこう<ref name="toho-239">[[#toho|『東邦とうほう電力でんりょく』]]239-241ぺーじ</ref>。同年どうねん[[5がつ1にち]]、3しゃ新設しんせつ合併がっぺいによるしん会社かいしゃ三重みえ合同ごうどう電気でんき株式会社かぶしきがいしゃの[[合同ごうどう電気でんき]])が発足ほっそくし<ref name="toho-239"/>、同日どうじつづけ電灯でんとうふくきゅう会社かいしゃ3しゃ解散かいさんした<ref name="kanpo19220801">「商業しょうぎょう登記とうき」『官報かんぽうだい3000ごう附録ふろく、1922ねん8がつ1にちづけ。{{NDLJP|2955118/25}}</ref>。なお電灯でんとうでは合併がっぺい議決ぎけつ同日どうじつに147まん5000えん増資ぞうし決議けつぎし、合併がっぺいまでに増資ぞうし登記とうきえている<ref name="kanpo19220621">「商業しょうぎょう登記とうき」『官報かんぽうだい2965ごう、1922ねん6がつ21にちづけ。{{NDLJP|2955082/12}}</ref>。


電灯でんとう拡大かくだい一方いっぽう三重みえけん全体ぜんたい見渡みわたすと四日市よっかいち北勢ほくせい電気でんき筆頭ひっとうに[[松阪まつさか|松阪まつさか]]の[[松阪まつさか電気でんき]]、宇治山田うじやまだ伊勢いせ電気でんき鉄道てつどう伊賀上野いがうえのいわお倉水くらみずでんの4しゃ勢力せいりょくばしていたが<ref>[[#chubu|『中部ちゅうぶ地方ちほう電気でんき事業じぎょう』]]147-149ぺーじ</ref>、各社かくしゃそれぞれ独自どくじ経営けいえいわれており総合そうごうてき電力でんりょく供給きょうきゅう見込みこめない状態じょうたいつづいていた<ref name="toho-239">[[#toho|『東邦とうほう電力でんりょく』]]239-241ぺーじ</ref>。そうした状況じょうきょう打開だかいすべく、全国ぜんこくてき電気でんき事業じぎょうしゃ合同ごうどう機運きうんじょうじて三重みえ県知事けんちじ[[山脇やまわき春樹はるき]]の主唱しゅしょうによる県内けんない電気でんき事業じぎょう統一とういつすなわち上記じょうき5しゃ合同ごうどうこころみがあらわれる<ref name="toho-239"/>。山脇やまわき主張しゅちょうは、資本しほん単一たんいつ事業じぎょうしゃ集約しゅうやくすることで供給きょうきゅうりょく充実じゅうじつ供給きょうきゅう料金りょうきん低下ていかはかり、最終さいしゅうてきには県内けんないにおける電源でんげん開発かいはつだけでの県内けんない需要じゅよう充足じゅうそく目指めざす、というものであった<ref>「中部ちゅうぶ日本にっぽん電力でんりょく合同ごうどう趨勢すうせい」『しん愛知あいち』1921ねん3がつ21にち朝刊ちょうかん4ぺーじ</ref>。山脇やまわき勧告かんこくおうじた各社かくしゃ代表だいひょうによる協議きょうぎすえ電灯でんとう松阪まつさか電気でんき伊勢いせ電気でんき鉄道てつどうの3しゃのみで合併がっぺいというかたち合意ごういがなり、新設しんせつ合併がっぺいによってしん会社かいしゃ設立せつりつするむね合併がっぺい契約けいやく締結ていけついたる<ref name="toho-239"/>。1921ねん11月27にち、3しゃがそれぞれひらいた臨時りんじ株主かぶぬし総会そうかいにてこの合併がっぺい契約けいやく可決かけつされた<ref name="toho-239"/>。なお電灯でんとうでは合併がっぺい決議けつぎにあわせて147まん5000えん増資ぞうし決議けつぎした<ref name="kanpo19220621">「[{{NDLDC|2955082/12}} 商業しょうぎょう登記とうき]」『官報かんぽうだい2965ごう、1922ねん6がつ21にち (NDL-DC)</ref>。この増資ぞうしよく[[1922ねん]](大正たいしょう11ねん)3がつ定時ていじ株主かぶぬし総会そうかいをもって完了かんりょうしている<ref name="report1">「三重みえ合同ごうどう電気でんき株式会社かぶしきがいしゃだい1かい事業じぎょう報告ほうこくしょ」([[丸善まるぜん雄松おまつどう]]「J-DAC 企業きぎょう史料しりょう統合とうごうデータベース」収録しゅうろく以下いか企業きぎょう史料しりょうDB」)</ref>。
三重みえ合同ごうどう電気でんき設立せつりつ決定けっていの1922ねん1がつ電灯でんとう名賀なよしぐん[[種生たなおむら]](げん伊賀いが)をながれる川上川かわかみがわ([[木津川きづがわ (京都きょうと)|木津川きづがわ]]支流しりゅう)にて建設けんせつしていた[[#川上かわかみ発電はつでんしょ|川上かわかみ発電はつでんしょ]]が運転うんてん開始かいしした<ref name="kuro97-83">[[#kurokawa97|『三重みえ水力すいりょく発電はつでん』]]83-84ぺーじ</ref>。これにより、電灯でんとう水力すいりょく発電はつでんしょきょく発電はつでんしょとあわせて2かしょとなっていた<ref name="kuro97-83"/>。


3しゃ合併がっぺいは1922ねん2がつ2にちづけ逓信ていしんしょうから認可にんかがあり、同年どうねん[[5がつ1にち]]、新設しんせつ合併がっぺいによるしん会社かいしゃ三重みえ合同ごうどう電気でんき株式会社かぶしきがいしゃの[[合同ごうどう電気でんき]])が発足ほっそくをみた<ref name="toho-239"/>。合併がっぺいともな同日どうじつづけ電灯でんとう解散かいさんしている<ref name="kanpo19220801"/>。その9がつになって三重みえ合同ごうどう電気でんきいわお倉水くらみずでん吸収きゅうしゅうし、三重みえ県内けんない主要しゅよう事業じぎょうしゃ5しゃのうち4しゃ統合とうごうえた<ref>[[#toho|『東邦とうほう電力でんりょく』]]242-243ぺーじ</ref>。
=== 年表ねんぴょう ===

三重みえ合同ごうどう電気でんき設立せつりつ一方いっぽう北勢ほくせい電気でんき名古屋なごや電灯でんとう後身こうしん[[東邦とうほう電力でんりょく]]へ吸収きゅうしゅうされたため、三重みえけん電気でんき事業じぎょう東邦とうほう電力でんりょく三重みえ合同ごうどう電気でんきの2しゃ南北なんぼく分割ぶんかつされるかたちとなった<ref>[[#toho|『東邦とうほう電力でんりょく』]]91-92ぺーじ</ref>。その東邦とうほう電力でんりょく北勢ほくせい電気でんき合併がっぺい以外いがいにも[[1926ねん]](大正たいしょう15ねん)に四日市よっかいちから宇治山田うじやまだまで自社じしゃ送電そうでんせんばし<ref>[[#toho|『東邦とうほう電力でんりょく』]]214ぺーじ</ref>、東洋紡績とうようぼうせき工場こうじょうなどへ大口おおぐち電力でんりょく供給きょうきゅうはじめた<ref>「東邦とうほう電力でんりょく株式会社かぶしきがいしゃ大正たいしょう15ねん下半期しもはんき営業えいぎょう報告ほうこくしょ」(企業きぎょう史料しりょうDB)</ref>。しかし[[1930ねん]](昭和しょうわ5ねん)になると一転いってん三重みえ合同ごうどう電気でんき傘下さんかおさめるのとえに三重みえ県内けんない四日市よっかいち支店してん管内かんない)の事業じぎょう三重みえ合同ごうどう電気でんきあらた合同ごうどう電気でんきへとわたした<ref>[[#toho|『東邦とうほう電力でんりょく』]]230-233ぺーじ</ref>。また県内けんないガス事業じぎょうについても[[東邦とうほうガス|東邦とうほう瓦斯がす]](東邦とうほう電力でんりょく傘下さんかきゅう北勢ほくせい電気でんきガス継承けいしょう<ref name="godo-34"/>)と三重みえ合同ごうどう電気でんきの2しゃかれていたものが[[合同ごうどうガス|合同ごうどう瓦斯がす]]への集約しゅうやくがなった<ref>[[#godogas|『合同ごうどう瓦斯がすよんじゅうねん』]]40-43ぺーじ</ref>。

== 年表ねんぴょう ==
=== 初代しょだい電灯でんとう ===
* [[1896ねん]](明治めいじ29ねん
* [[1896ねん]](明治めいじ29ねん
** [[5つき19]] - 電灯でんとう株式会社かぶしきがいしゃ初代しょだい設立せつりつ<ref name="kuro02-176"/>。
** [[3つき18]] - 電灯でんとう株式会社かぶしきがいしゃたいし[[逓信ていしんしょう]]より電気でんき事業じぎょう経営けいえい許可きょか<ref name="y3-20"/>。
** [[5がつ19にち]] - '''電灯でんとう株式会社かぶしきがいしゃ'''(初代しょだい設立せつりつ資本しほんきん3まんえん<ref name="mie"/>。
* [[1897ねん]](明治めいじ30ねん
* [[1897ねん]](明治めいじ30ねん
** [[4がつ1にち]] - 電灯でんとうひらくごう<ref name="kuro02-176"/>。
** [[4がつ1にち]] - ことごう開始かいし<ref name="kuro02-176"/>。
** 8がつ - 最初さいしょ増資ぞうし資本しほんきん3まん7500えんとなる<ref name="mie"/>。
* [[1908ねん]](明治めいじ41ねん
* [[1901ねん]](明治めいじ34ねん
** [[12月8にち]] - '''三重みえ共同きょうどう電気でんき株式会社かぶしきがいしゃ'''、資本しほんきん25まんえん設立せつりつ<ref name="kanpo19081226"/>。
** [[12月22にち]] - 3まん7500えん増資ぞうし決議けつぎ<ref name="kanpo19020326"/>。
* [[1907ねん]](明治めいじ40ねん
** [[6がつ22にち]] - 2まん5000えん増資ぞうし決議けつぎ<ref name="kanpo19071030"/>。
* [[1909ねん]](明治めいじ42ねん
** [[5がつ24にち]] - 10まんえん増資ぞうし登記とうき<!--決議けつぎ記載きさいなし--><ref name="kanpo19090529"/>。資本しほんきん20まんえんとなる<ref name="mie"/>。
* [[1910ねん]](明治めいじ43ねん
* [[1910ねん]](明治めいじ43ねん
** [[6つき15]] - 三重みえ共同きょうどう電気でんき、20まんえん増資ぞうし決議けつぎ<ref name="kanpo19101215"/>。
** [[9つき10]] - 三重みえ共同きょうどう電気でんき事業じぎょう譲渡じょうと会社かいしゃ[[解散かいさん]]を決議けつぎ<ref name="news19100912"/>。
** [[8つき21]] - 三重みえ共同きょうどう電気でんきひらくごう<ref name="y4"/>きょくはつでんところ出力しゅつりょく700キロワット運転うんてん開始かいし<ref name="chubu2-333"/>。
** [[11つき1]] - 三重みえ共同きょうどう電気でんきへのことごう引継ひきつぎを完了かんりょう<ref name="enkaku"/>でん初代しょだい'''解散かいさん'''<ref name="kanpo19101109"/>。

** 10がつ - 電灯でんとう三重みえ共同きょうどう電気でんき事業じぎょう譲渡じょうと<ref name="y5"/>。
=== 2代目だいめ電灯でんとう ===
** [[11月1にち]] - 電灯でんとう[[解散かいさん]]<ref name="kanpo19101109"/>。
* 1907ねん明治めいじ40ねん
** [[7がつ12にち]] - [[田中たなか善助ぜんすけ]]ら「和水わすいでん株式会社かぶしきがいしゃ発起人ほっきにんたい電気でんき事業じぎょう経営けいえい許可きょか<ref name="y1-10"/>。
* [[1908ねん]](明治めいじ41ねん
** [[12月8にち]] - '''三重みえ共同きょうどう電気でんき株式会社かぶしきがいしゃ'''設立せつりつ資本しほんきん25まんえん本店ほんてん所在地しょざいち三重みえけん[[阿山あやまぐん]][[上野うえの|上野うえのまち]]大字だいじ福居ふくいまち56ばん屋敷やしき<ref name="kanpo19081226"/>。
* 1910ねん明治めいじ43ねん
** [[6がつ15にち]] - 20まんえん増資ぞうし決議けつぎ<ref name="kanpo19101215"/>。
** [[8がつ6にち]] - 三重みえけん[[]]大字だいじ南堀端みなみほりばた34ばん屋敷やしきへの本店ほんてん移転いてん登記とうき<ref name="kanpo19100812"/>。
** [[8がつ21にち]] - 三重みえ共同きょうどう電気でんき開業かいぎょう<ref name="y4-375"/>。きょく発電はつでんしょ出力しゅつりょく700キロワット)運転うんてん開始かいし<ref name="chubu2-333"/>。
** 11がつ1にち - 初代しょだい電灯でんとうからの事業じぎょう引継ひきつぎを完了かんりょう<ref name="enkaku"/>。
* [[1911ねん]](明治めいじ44ねん
* [[1911ねん]](明治めいじ44ねん
** [[3がつ5にち]] - 三重みえ共同きょうどう電気でんき'''電灯でんとう株式会社かぶしきがいしゃ'''(2代目だいめ)へ社名しゃめい変更へんこう<ref name="kanpo19110414"/>。
** [[3がつ5にち]] - '''電灯でんとう株式会社かぶしきがいしゃ'''(2代目だいめ)へ社名しゃめい変更へんこう<ref name="kanpo19110414"/>。
** [[4がつ16にち]] - 55まんえん増資ぞうし決議けつぎ<ref name="kanpo19110714"/>。
** [[4がつ16にち]] - 55まんえん増資ぞうし決議けつぎ<ref name="kanpo19110714"/>、資本しほんきん100まんえんとなる<ref name="kabu1919"/>。
* [[1912とし]](大正たいしょうもととし
* [[1913とし]](大正たいしょう2とし
** [[10つき15にち]] - 市内しないにて[[都市としガス]]供給きょうきゅう開始かいし<ref name="godogas-34"/>。
** 2つき - 市内しないにて[[都市としガス]]供給きょうきゅう開始かいし<ref name="gas1913"/>。
* [[1918ねん]](大正たいしょう7ねん
* [[1918ねん]](大正たいしょう7ねん
** [[11月16にち]] - 100まんえん増資ぞうし決議けつぎ<ref name="kanpo19190527"/>。
** [[11月16にち]] - 100まんえん増資ぞうし決議けつぎ<ref name="kanpo19190527"/>、資本しほんきん200まんえんとなる<ref name="kabu1919"/>。
* [[1921ねん]](大正たいしょう10ねん
* [[1921ねん]](大正たいしょう10ねん
** 4がつ - 波切なきり電気でんき開業かいぎょう)より事業じぎょうゆずける<ref name="yoran13"/>。
** 4がつ - 波切なきり電気でんき開業かいぎょう)より事業じぎょうゆずける<ref name="y13-70"/>。波切なきり電気でんきは18にち解散かいさん登記とうき<ref>「[{{NDLDC|2954801/22}} 波切なきり電気でんき株式会社かぶしきがいしゃ登記とうき追加ついか]」『官報かんぽうだい2686ごう附録ふろく、1921ねん7がつ14にち (NDL-DC)</ref>。
** [[11月26にち]] - 川上かわかみ発電はつでんしょ出力しゅつりょく400キロワット)竣工しゅんこう<ref name="kuro97-83"/>。
** [[11月27にち]] - 電灯でんとう・[[松阪まつさか電気でんき]]・[[宮川みやがわ電気でんき|伊勢いせ電気でんき鉄道てつどう]]3しゃでの合併がっぺい決議けつぎ<ref name="toho-239"/>。くわえて147まん5000えん増資ぞうし決議けつぎ<ref name="kanpo19220621"/>。
** [[11月27にち]] - 電灯でんとう・[[松阪まつさか電気でんき]]・[[宮川みやがわ電気でんき|伊勢いせ電気でんき鉄道てつどう]]3しゃでの合併がっぺい決議けつぎ<ref name="toho-239"/>。くわえて147まん5000えん増資ぞうし決議けつぎ<ref name="kanpo19220621"/>。
* [[1922ねん]](大正たいしょう11ねん
* [[1922ねん]](大正たいしょう11ねん
** [[1つき26]] - 川上かわかみ発電はつでんしょ出力しゅつりょく400キロワット)運転うんてん開始かいし<ref name="kuro97-83"/>
** [[2つき2]] - 逓信ていしんしょうより3しゃ合併がっぺいにつき認可にんか<ref name="toho-239"/>
** [[5がつ1にち]] - 上記じょうき3しゃ合併がっぺいによる'''[[合同ごうどう電気でんき|三重みえ合同ごうどう電気でんき株式会社かぶしきがいしゃ]]'''設立せつりつ<ref name="toho-239"/>、電灯でんとうは'''解散かいさん'''<ref name="kanpo19220801"/>。
** [[5がつ1にち]] - 上記じょうき3しゃ合併がっぺいによる'''[[合同ごうどう電気でんき|三重みえ合同ごうどう電気でんき株式会社かぶしきがいしゃ]]'''設立せつりつ<ref name="toho-239"/>、電灯でんとうは'''解散かいさん'''<ref name="kanpo19220801"/>。


== 供給きょうきゅう区域くいき ==
== 供給きょうきゅう区域くいき ==
=== 電気でんき ===
=== 電気でんき:1914ねん時点じてん ===
1921とし6つき時点じてんでの電灯でんとう電灯でんとう電力でんりょく供給きょうきゅう区域くいき以下いかとおり<ref name="yoran13">[[#yoran13|『電気でんき事業じぎょう要覧ようらんだい13かい]]70-71ぺーじ。{{NDLJP|975006/65}}</ref>。
1914とし5つき時点じてんにおける電灯でんとう電力でんりょく供給きょうきゅう区域くいき以下いかとおり<ref>[[#yoran7|『電気でんき事業じぎょう要覧ようらんだい7かい]]44-45ぺーじ</ref>。これには開業かいぎょう区域くいきふくまれる

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|[[新町しんまち (三重みえけん)|新町しんまち]]・[[ふじ水村みずむら]]・[[神戸こうべむら (三重みえけん安濃あのうぐん)|神戸こうべむら]]・[[安濃あのうむら]]・[[安東あんどうむら (三重みえけん)|安東あんどうむら]]・[[あきらごうむら]]・[[やす西にしむら]]・[[村主むらぬしむら]]・[[草生くさわむら]]・[[櫛形くしがたむら (三重みえけん)|櫛形くしがたむら]]・[[片田かたたむら]]・[[高宮たかみやむら (三重みえけん)|高宮たかみやむら]]・[[長野ながのむら (三重みえけん)|長野ながのむら]]・[[たつすいむら]](げん
|[[新町しんまち (三重みえけん)|新町しんまち]]・[[ふじ水村みずむら]]・[[神戸こうべむら (三重みえけん安濃あのうぐん)|神戸こうべむら]]・[[安東あんどうむら (三重みえけん)|安東あんどうむら]]・[[やすむら]]・[[あかりあいむら]]・[[安西あんざいむら]](げん
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=== 電気でんき:1921ねん時点じてん ===
1921ねん6がつ時点じてんにおける電灯でんとう電力でんりょく供給きょうきゅう区域くいき以下いかとおり<ref name="y13-70"/>。おなじく開業かいぎょう区域くいきふくまれる。
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!一志いちしぐん<br />(1まち19むら
|高茶屋たかぢゃやむら雲出くもいでむら矢野やのむら久居ひさいまち本村もとむら桃園ももぞのむら戸木へきむら・[[なな栗村くりむら]]・[[稲葉いなばまち ()|稲葉いなばむら]]・[[榊原さかきばらむら]]・川合かわいむら高岡たかおかむら・[[大井おおいむら (三重みえけん)|大井おおいむら]]・[[だいさんむら]]・[[やまとむら (三重みえけん)|やまとむら]]・[[はち山村さんそん]]・[[美杉みすぎまち太郎生たろお|太郎生たろおむら]](げん)、<br />中川なかがわむら・[[豊地ほうちむら]]・[[中郷ちゅうごうむら (三重みえけん)|中郷ちゅうごうむら]](げん松阪まつさか
|-
!名賀なよしぐん<br />(2まち14むら
|名張なばりまちまがりむら滝川たきがわむらにしきせいむら・[[蔵持くらもちむら]]・[[こも原村はらむら]]・[[美濃みの波多はたむら]]・[[比奈ひなむら]]・[[国津くにつむら]](げん名張なばり)、<br />[[阿保あぼまち]]・[[上津かみづむら (三重みえけん)|上津かみづむら]]・[[種生たなおむら]]・[[矢持やもちむら]]・[[神戸こうべむら (三重みえけん名賀なよしぐん)|神戸こうべむら]]・[[古山ふるさんむら]]・[[花垣はながきむら]](げん伊賀いが
|-
|-
!style="white-space:nowrap;"|[[志摩しまぐん (三重みえけん)|志摩しまぐん]]<br />(1むら
![[志摩しまぐん (三重みえけん)|志摩しまぐん]]<br />(1むら
|[[波切なきりまち|波切なきりむら]](げん・[[志摩しま]])
|[[波切なきりまち|波切なきりむら]](げん・[[志摩しま]])
|}
|}


'''備考びこう'''
上記じょうき地域ちいき供給きょうきゅう区域くいきとして、1921年度ねんどまつ時点じてんでは、電灯でんとうについては需要じゅよう3まん6,025たいけい6まん7,379とう供給きょうきゅう電力でんりょくについてはけい564.9キロワット(うち[[電動でんどう]]よう電力でんりょくは560.6キロワット)を供給きょうきゅうしていた<ref>[[#yoran14|『電気でんき事業じぎょう要覧ようらんだい14かい]]334-335・362-363ぺーじ。{{NDLJP|975007/194}}</ref>。なお、これらの地域ちいきは[[1951ねん]](昭和しょうわ26ねん)に発足ほっそくした[[中部電力ちゅうぶでんりょく]]の供給きょうきゅう区域くいきにすべてふくまれている<ref>三重みえけんは[[南牟婁みなみむろぐん]]の一部いちぶ以外いがい中部電力ちゅうぶでんりょく供給きょうきゅう区域くいきである。[[#chubu|『中部ちゅうぶ地方ちほう電気でんき事業じぎょう下巻げかん]]4-5ぺーじ</ref>。
* 上記じょうき区域くいきのうち、一志いちしぐん太郎生たろおむら三重みえ合同ごうどう電気でんき発足ほっそく、1922ねん5がつ供給きょうきゅう開始かいしである<ref name="report1"/>。
* 上記じょうき区域くいきはすべて[[1951ねん]](昭和しょうわ26ねん)の[[中部電力ちゅうぶでんりょく]]区域くいきふくまれている(三重みえけんは[[南牟婁みなみむろぐん]]の一部いちぶ以外いがい中部電力ちゅうぶでんりょく供給きょうきゅう区域くいき<ref>[[#chubu|『中部ちゅうぶ地方ちほう電気でんき事業じぎょう下巻げかん]]4-5ぺーじ</ref>)。


=== ガス ===
=== ガス ===
1921ねん3がつ時点じてんで、ガス供給きょうきゅう区域くいき安濃あのうぐん新町しんまちであった<ref name="gas1921">[[#gasyoran|『瓦斯がす事業じぎょう要覧ようらん大正たいしょう10年度ねんど]]4-5ぺーじ。{{NDLJP|946302/6}}</ref>当時とうじ需要じゅようは663で、灯火ともしびねつ動力どうりょくとして利用りようされた<ref name="gas1921"/>。
電灯でんとうのガス供給きょうきゅう区域くいき'''''''''安濃あのうぐん新町しんまち'''であった<ref name="gas1913"/><ref name="gas1921"/>。


地区ちくのガス事業じぎょうは、三重みえ合同ごうどう電気でんき[[1930とし]](昭和しょうわ5とし)に[[合同ごうどうガス]]へうつされた<ref>[[#godogas|『合同ごうどう瓦斯がすよんじゅうねん』]]37-43ぺーじ</ref>。さらに[[2003ねん]](平成へいせい15ねん)になって合同ごうどうガスは[[東邦とうほうガス]]に吸収きゅうしゅうされ、この地域ちいきへのガス供給きょうきゅう東邦とうほうガスにがれている<ref>[[#toho2012|『東邦とうほうガス最近さいきん10ねんのあゆみ』]]58-61ぺーじ</ref>。
地区ちくのガス供給きょうきゅう区域くいき拡大かくだいおそ地域ちいき供給きょうきゅう区域くいき追加ついかされたのは[[合同ごうどうガス|合同ごうどう瓦斯がす合同ごうどうガス)]]への移行いこう[[1936とし]](昭和しょうわ11とし)11月のことである。このときには新町しんまち地区ちくきゅう安濃あのうぐん新町しんまち供給きょうきゅう地域ちいき藤方ふじかた地区ちくきゅう安濃あのうぐん藤方ふじかたむら)を、翌年よくねん11がつ河芸かわげぐんくりしんむら一部いちぶ供給きょうきゅう区域くいきとしている<ref>[[#godogas|『合同ごうどう瓦斯がすよんじゅうねん』]]71ぺーじ</ref>。なお合同ごうどうガスは[[2003ねん]](平成へいせい15ねん)になって[[東邦とうほうガス]]に吸収きゅうしゅうされ、この地域ちいきへのガス供給きょうきゅう東邦とうほうガスにがれている<ref>[[#toho2012|『東邦とうほうガス最近さいきん10ねんのあゆみ』]]58-61ぺーじ</ref>。


== 発電はつでんしょ ==
== 発電はつでんしょ ==
1921ねん6がつまつ時点じてんで、電灯でんとう三重みえ県内けんないに4かしょ合計ごうけい出力しゅつりょく1,530[[ワット|キロワット]]の発電はつでんしょ運転うんてんちゅうで、さらに2かしょ合計ごうけい出力しゅつりょく448キロワットの完成かんせい発電はつでんしょがあった<ref name="yoran13"/>。これら6発電はつでんしょ概要がいよう以下いかとおり。
1921ねん6がつまつ時点じてんで、電灯でんとう三重みえ県内けんないに4かしょ合計ごうけい出力しゅつりょく1,530[[ワット|キロワット]]の発電はつでんしょ運転うんてんちゅうで、さらに2かしょ合計ごうけい出力しゅつりょく448キロワットの完成かんせい発電はつでんしょがあった<ref name="y13-70"/>。これら6発電はつでんしょ概要がいよう以下いかとおり。


=== きょく発電はつでんしょ ===
=== きょく発電はつでんしょ ===
[[ファイル:Shorenji Dam 1.jpg|thumb|[[青蓮寺しょうれんじダム]]とダム(2017ねん)。きょく発電はつでんしょ跡地あとちはダムみずうみしずむ。]]
電灯でんとうの6発電はつでんしょのうち出力しゅつりょくもっとおおきいものは'''きょく'''(みのわ)'''発電はつでんしょ'''である。所在地しょざいちは[[名賀なよしぐん]][[まがりむら]]大字だいじ青蓮寺しょうれんじげん・[[名張なばり]]青蓮寺しょうれんじ)<ref name="kuro97-79"/>。三重みえ共同きょうどう電気でんき時代じだいからの[[水力すいりょく発電はつでんしょ]]であり<ref name="kuro97-79"/>、[[1910ねん]](明治めいじ43ねん)8がつ運転うんてん開始かいしした<ref name="chubu2-333"/>。
: 所在地しょざいち : {{Coord|34|36|12.0|N|136|7|11.0|E|region:JP|name=きょく発電はつでんしょあと}}

電灯でんとうの6発電はつでんしょのうち出力しゅつりょくもっとおおきいものは'''きょく'''(みのわ)'''発電はつでんしょ'''である。所在地しょざいちは[[名賀なよしぐん]][[まがりむら]]大字だいじ青蓮寺しょうれんじげん・[[名張なばり]]青蓮寺しょうれんじ)<ref name="kuro97-79"/>。三重みえ共同きょうどう電気でんき時代じだいからの[[水力すいりょく発電はつでんしょ]]であり<ref name="kuro97-79"/>、[[1910ねん]](明治めいじ43ねん)8がつ運転うんてん開始かいしした<ref name="chubu2-333">[[#chubu|『中部ちゅうぶ地方ちほう電気でんき事業じぎょう下巻げかん]]333-334・347-348ぺーじ</ref>。


[[淀川よどがわ]]水系すいけい河川かせんで[[名張川なばりがわ]]支流しりゅうにあたる青蓮寺川しょうれんじがわ建設けんせつされた<ref name="kuro97-79"/>。青蓮寺川しょうれんじがわ堰堤えんていもうけて1.9[[立方りっぽうメートル毎秒まいびょう]]を取水しゅすいし、かわ左岸さがん沿ったやく4.0キロメートルの水路すいろで60メートルの有効ゆうこう落差らくさ発電はつでんする仕組しくみ<ref name="kuro97-79"/>。発電はつでん設備せつびとして[[フォイト]](ドイツ)せいの[[フランシス水車みずぐるま]]と[[シーメンス]](どうせいの[[交流こうりゅう発電はつでん]]かく2だいそなえ、700キロワットの発電はつでんしょ出力しゅつりょくった<ref name="kuro97-79"/>。発生はっせい電力でんりょくの[[商用しょうよう電源でんげん周波数しゅうはすう|周波数しゅうはすう]]は50[[ヘルツ]]であったが、三重みえ合同ごうどう電気でんき発足ほっそく翌年よくねんの[[1923ねん]](大正たいしょう12ねん)5がつ変更へんこうされて60ヘルツとなった<ref name="kuro97-83"/>。
[[淀川よどがわ]]水系すいけい河川かせんで[[名張川なばりがわ]]支流しりゅうにあたる青蓮寺川しょうれんじがわ建設けんせつされた<ref name="kuro97-79"/>。青蓮寺川しょうれんじがわ堰堤えんていもうけて1.9[[立方りっぽうメートル毎秒まいびょう]]を取水しゅすいし、かわ左岸さがん沿ったやく4.0キロメートルの水路すいろで60メートルの有効ゆうこう落差らくさ発電はつでんする仕組しくみ<ref name="kuro97-79"/>。発電はつでん設備せつびとして[[フォイト]](ドイツ)せいの[[フランシス水車みずぐるま]]と[[シーメンス]](どうせいの[[交流こうりゅう発電はつでん]]かく2だいそなえ、700キロワットの発電はつでんしょ出力しゅつりょくった<ref name="kuro97-79"/>。発生はっせい電力でんりょくの[[商用しょうよう電源でんげん周波数しゅうはすう|周波数しゅうはすう]]は50[[ヘルツ]]であったが、三重みえ合同ごうどう電気でんき発足ほっそく翌年よくねんの[[1923ねん]](大正たいしょう12ねん)5がつ変更へんこうされて60ヘルツとなった<ref name="kuro97-83"/>。
122ぎょう: 199ぎょう:


=== 川上かわかみ発電はつでんしょ ===
=== 川上かわかみ発電はつでんしょ ===
: 所在地しょざいち : {{Coord|34|39|15.0|N|136|11|14.3|E|region:JP|name=阿保あほ発電はつでんしょあと}}
電灯でんとう2番目ばんめ水力すいりょく発電はつでんしょは'''川上かわかみ発電はつでんしょ'''である。所在地しょざいち名賀なよしぐん[[種生たなおむら]]大字だいじ川上かわかみげん・[[伊賀いが]]川上かわかみ、{{ウィキ座標ざひょう|34|39|15.0|N|136|11|14.3|E|region:JP|name=阿保あほ発電はつでんしょ|地図ちず}})<ref name="kuro97-83"/>。[[1920ねん]](大正たいしょう9ねん)4がつ1にち起工きこうののち、[[1921ねん]](大正たいしょう10ねん)11月26にち竣工しゅんこう、[[1922ねん]](大正たいしょう11ねん)1がつ26にちより発電はつでん開始かいしした<ref name="kuro97-83"/>。

電灯でんとう2番目ばんめ水力すいりょく発電はつでんしょは'''川上かわかみ発電はつでんしょ'''である。所在地しょざいち名賀なよしぐん[[種生たなおむら]]大字だいじ川上かわかみげん・[[伊賀いが]]川上かわかみ)<ref name="kuro97-83"/>。[[1920ねん]](大正たいしょう9ねん)4がつ1にち起工きこうののち、[[1921ねん]](大正たいしょう10ねん)11月26にち竣工しゅんこうした<ref name="kuro97-83"/>。


淀川よどがわ水系すいけい川上川かわかみがわ堰堤えんていきずいて最大さいだい0.724立方りっぽうメートル毎秒まいびょう取水しゅすいし、かわ左岸さがん沿ったやく1.8キロメートルの水路すいろで78.3メートルの有効ゆうこう落差らくさ発電はつでんする<ref name="kuro97-83"/>。このように取水しゅすい川上川かわかみがわからであるが、発電はつでんしょ建屋たきのや川上川かわかみがわ合流ごうりゅうする前深瀬川まえふかせがわ([[木津川きづがわ (京都きょうと)|木津川きづがわ]]支流しりゅう右岸うがん立地りっちする<ref name="kuro97-83"/>。発電はつでん設備せつびは[[エッシャーウイス]](スイス)せいのフランシス水車みずぐるまおよび[[日立製作所ひたちせいさくしょ]]せい交流こうりゅう発電はつでんであり、400キロワットの発電はつでんしょ出力しゅつりょくゆうする<ref name="kuro97-83"/>。きょく発電はつでんしょおなじく発生はっせい電力でんりょく周波数しゅうはすうは50ヘルツであったが、1923ねん5がつに60ヘルツへあらためられている<ref name="kuro97-83"/>。
淀川よどがわ水系すいけい川上川かわかみがわ堰堤えんていきずいて最大さいだい0.724立方りっぽうメートル毎秒まいびょう取水しゅすいし、かわ左岸さがん沿ったやく1.8キロメートルの水路すいろで78.3メートルの有効ゆうこう落差らくさ発電はつでんする<ref name="kuro97-83"/>。このように取水しゅすい川上川かわかみがわからであるが、発電はつでんしょ建屋たきのや川上川かわかみがわ合流ごうりゅうする前深瀬川まえふかせがわ([[木津川きづがわ (京都きょうと)|木津川きづがわ]]支流しりゅう右岸うがん立地りっちする<ref name="kuro97-83"/>。発電はつでん設備せつびは[[エッシャーウイス]](スイス)せいのフランシス水車みずぐるまおよび[[日立製作所ひたちせいさくしょ]]せい交流こうりゅう発電はつでんであり、400キロワットの発電はつでんしょ出力しゅつりょくゆうする<ref name="kuro97-83"/>。きょく発電はつでんしょおなじく発生はっせい電力でんりょく周波数しゅうはすうは50ヘルツであったが、1923ねん5がつに60ヘルツへあらためられている<ref name="kuro97-83"/>。
129ぎょう: 208ぎょう:


=== 発電はつでんしょ ===
=== 発電はつでんしょ ===
初代しょだい電灯でんとう時代じだいからの[[火力かりょく発電はつでんしょ]]は'''発電はつでんしょ'''としょうする。[[]]南堀端みなみほりばた本社ほんしゃげん中部電力ちゅうぶでんりょく三重みえ支社ししゃ所在地しょざいち={{ウィキ座標ざひょう|34|42|51.3|N|136|30|23.1|E|region:JP|name=中部電力ちゅうぶでんりょく三重みえ支社ししゃ|地図ちず}}裏手うらて、[[岩田川いわたがわ]]沿いに立地りっち<ref name="asano-119"/>。[[1897ねん]](明治めいじ30ねん)4がつ1にち初代しょだい電灯でんとう開業かいぎょうとともに運転うんてん開始かいしした<ref name="asano-119"/>。
初代しょだい電灯でんとう時代じだいからの[[火力かりょく発電はつでんしょ]]は'''発電はつでんしょ'''としょうする。[[]]南堀端みなみほりばた本社ほんしゃげん中部電力ちゅうぶでんりょく三重みえ支社ししゃ所在地しょざいち裏手うらて、[[岩田川いわたがわ]]沿いに立地りっち<ref name="asano-119"/>。[[1897ねん]](明治めいじ30ねん)4がつ1にち初代しょだい電灯でんとう開業かいぎょうとともに運転うんてん開始かいしした<ref name="asano-119"/>。


上述じょうじゅつのように、まず出力しゅつりょく30キロワットの発電はつでんけられたのち、[[1900ねん]](明治めいじ33ねん)10がつ60キロワット発電はつでん、[[1905ねん]](明治めいじ38ねん)10がつ同型どうけい、[[1907ねん]](明治めいじ40ねん)3がつ150キロワット発電はつでんというじゅん増設ぞうせつかさねられた<ref name="asano-119"/>。よく1908とし段階だんかいでは[[ボイラー]]3かん、[[蒸気じょうき機関きかん]]4だい(80馬力ばりき1だい・120馬力ばりき2だい・250馬力ばりき1だい<ref>[[#yoran2|『電気でんき事業じぎょう要覧ようらん明治めいじ41年版ねんばん]]178-179ぺーじ。{{NDLJP|805421/109}}</ref>、[[たんしょう交流こうりゅう]]発電はつでん4だいという設備せつび構成こうせいである<ref name="y2-210">[[#yoran2|『電気でんき事業じぎょう要覧ようらん明治めいじ41としはん]]210ぺーじ。{{NDLJP|805421/126}}</ref>。発電はつでんは30キロワットが[[三吉みよし正一しょういち|三吉みよし商会しょうかい]]せいの3だいが[[東芝とうしば|芝浦製作所しばうらせいさくしょ]]せい<ref name="y2-210"/>。また発生はっせい電力でんりょく周波数しゅうはすうは30キロワット120ヘルツ、60キロワット100ヘルツ、150キロワット60ヘルツと統一とういつされていない<ref name="y2-210"/>。
上述じょうじゅつのように、まず出力しゅつりょく30キロワットの発電はつでんけられたのち、[[1900ねん]](明治めいじ33ねん)10がつ60キロワット発電はつでん、[[1905ねん]](明治めいじ38ねん)10がつ同型どうけい、[[1907ねん]](明治めいじ40ねん)3がつ150キロワット発電はつでんというじゅん増設ぞうせつかさねられた<ref name="asano-119"/>。1909とし段階だんかいでは[[ボイラー]]3かん、[[蒸気じょうき機関きかん]]4だい(80馬力ばりき1だい・120馬力ばりき2だい・250馬力ばりき1だい)、[[たんしょう交流こうりゅう]]発電はつでん4だいという設備せつび構成こうせいである<ref name="y3-198">[[#yoran3|『電気でんき事業じぎょう要覧ようらん明治めいじ42とし]]198-199・240ぺーじ</ref>。発電はつでんは30キロワットが[[三吉みよし正一しょういち|三吉みよし商会しょうかい]]せいの3だいが[[東芝とうしば|芝浦製作所しばうらせいさくしょ]]せい<ref name="y3-198"/>。また発生はっせい電力でんりょく周波数しゅうはすうは30キロワット120ヘルツ、60キロワット100ヘルツ、150キロワット60ヘルツという具合ぐあい統一とういつされていない<ref name="y3-198"/>。


1918ねん時点じてんでの設備せつび構成こうせいはボイラー2かん蒸気じょうき機関きかん3だいと60キロワット発電はつでん2だい・150キロワット発電はつでん1だいであり、発電はつでんしょ出力しゅつりょくは270キロワットにげんじている<ref name="y11-200">[[#yoran11|『電気でんき事業じぎょう要覧ようらんだい11かい]]200-201ぺーじ。{{NDLJP|975004/126}}</ref>。燃料ねんりょうは[[石炭せきたん]](切込きりこみずみ)<ref>[[#yoran14|『電気でんき事業じぎょう要覧ようらんだい14かい]]512ぺーじ。{{NDLJP|975007/283}}</ref>。
1918ねん時点じてんでの設備せつび構成こうせいはボイラー2かん蒸気じょうき機関きかん3だいと60キロワット発電はつでん2だい・150キロワット発電はつでん1だいであり、発電はつでんしょ出力しゅつりょくは270キロワットにげんじている<ref name="y11-200">[[#yoran11|『電気でんき事業じぎょう要覧ようらんだい11かい]]200-201ぺーじ</ref>。燃料ねんりょうは[[石炭せきたん]](切込きりこみずみもちいる<ref name="y14-514">[[#yoran14|『電気でんき事業じぎょう要覧ようらんだい14かい]]512・514-515ぺーじ</ref>。


三重みえ合同ごうどう電気でんき資料しりょうによると[[1924ねん]](大正たいしょう13ねん)6がつ発電はつでんしょ廃止はいしとどけ逓信ていしんしょう提出ていしゅつされている<!--『中部ちゅうぶ地方ちほう電気でんき事業じぎょう下巻げかん334ぺーじには1922ねん11月廃止はいしとある--><ref>「三重みえ合同ごうどう電気でんき株式会社かぶしきがいしゃだい6かい事業じぎょう報告ほうこくしょ(J-DAC「企業きぎょう史料しりょう統合とうごうデータベース」収録しゅうろく</ref>。
三重みえ合同ごうどう電気でんき資料しりょうによると[[1924ねん]](大正たいしょう13ねん)6がつ発電はつでんしょ廃止はいしとどけ逓信ていしんしょう提出ていしゅつされている<!--『中部ちゅうぶ地方ちほう電気でんき事業じぎょう下巻げかん334ぺーじには1922ねん11月廃止はいしとある--><ref>「三重みえ合同ごうどう電気でんき株式会社かぶしきがいしゃだい6かい事業じぎょう報告ほうこくしょ企業きぎょう史料しりょうDB)</ref>。


=== 瓦斯がすちから発電はつでんしょ ===
=== ガスちから発電はつでんしょ(3かしょ ===
明治めいじ末期まっきから大正たいしょう初期しょきにかけて、[[内燃ないねんりょく発電はつでん]]の一種いっしゅであるガスりょく発電はつでん全国ぜんこくてき発達はったつした<ref name="asano-137">[[#asano2002|浅野あさの伸一しんいち(2002)]] 137-139ぺーじ</ref>。これは、石炭せきたん・[[コークス]]などをねっするガス発生はっせい装置そうちと、そこでしょうずるガスを吸入きゅうにゅう燃焼ねんしょう駆動くどうする[[ガスエンジン]]の2つをわせた「吸入きゅうにゅうガス機関きかん(サクションガスエンジン)」を[[原動機げんどうき]]にもちいる発電はつでん方法ほうほうである<ref name="asano-137"/>。三重みえけん電気でんき事業じぎょうしゃがガスりょく発電はつでん多用たようした地域ちいきひとつで<ref name="asano-137"/>、電灯でんとうでも'''だいいち瓦斯がすりょく発電はつでんしょ'''・'''だい瓦斯がすりょく発電はつでんしょ'''・'''波切なきり発電はつでんしょ'''という3つのガスりょく発電はつでんしょ運転うんてんしていた<ref name="y14-514"/><ref name="y14-76">[[#yoran14|『電気でんき事業じぎょう要覧ようらんだい14かい]]76-79ぺーじ</ref>。発電はつでんしょ出力しゅつりょくじゅんに240キロワット・320キロワット・48キロワットである<ref name="y14-76"/>。
電灯でんとうの[[内燃ないねんりょく発電はつでん|ガスりょく内燃ないねんりょく発電はつでんしょ]]は出力しゅつりょく240キロワットの'''だいいち瓦斯がすりょく発電はつでんしょ'''と出力しゅつりょく320キロワットの'''だい瓦斯がすりょく発電はつでんしょ'''の2かしょ存在そんざいした<ref name="yoran13"/><ref name="y14-76">[[#yoran14|『電気でんき事業じぎょう要覧ようらんだい14かい]]76-79ぺーじ。{{NDLJP|975007/65}}</ref><ref name="y14-514">[[#yoran14|『電気でんき事業じぎょう要覧ようらんだい14かい]]514-515ぺーじ。{{NDLJP|975007/284}}</ref>。前者ぜんしゃについては「だい発電はつでんしょ」とも<ref name="y11-200"/>。松之下まつのした自社じしゃ[[ガス工場こうじょう]]に併設へいせつされていた<ref name="asano-129"/>。


だいいち瓦斯がすりょく発電はつでんしょだい発電はつでんしょは[[1916とし]](大正たいしょう5とし運転うんてん開始かいし<ref name="chubu2-333"/>。だい瓦斯がす発電はつでんしょ逓信ていしんしょう資料しりょうによると1919ねん下期しもき(6-11月)の稼働かどう確認かくにんできる<ref>[[#yoran13|『電気でんき事業じぎょう要覧ようらんだい13かい]]417ぺーじ。{{NDLJP|975006/238}}</ref>。いず吸入きゅうにゅうガス機関きかん(サクションガス機関きかん)を原動機げんどうきとする発電はつでんしょで、だいいち瓦斯がすりょく発電はつでんしょ川北かわきた電気でんき企業きぎょうしゃせい交流こうりゅう発電はつでんだい瓦斯がすりょく発電はつでんしょ日立ひたちせい交流こうりゅう発電はつでんを1だいずつそなえる<ref name="y14-76"/>。発生はっせい電力でんりょく周波数しゅうはすう双方そうほうとも50ヘルツ<ref name="y14-76"/>。燃料ねんりょうだいいち[[コークス]](ガスコークスふくむ)、だいかたまりずみである<ref name="y14-514"/>。
最初さいしょだいいち瓦斯がすりょく発電はつでんしょは[[1917とし]](大正たいしょう6とし)6がつ使用しよう認可にんかりた<ref name="em609"/>。1918ねん時点じてん資料しりょう発電はつでんしょめいを「だい発電はつでんしょ」とする<ref name="y11-200"/>。2かしょだい瓦斯がす発電はつでんしょ逓信ていしんしょう資料しりょうによると1919ねん下期しもき(6-11月)の稼働かどう確認かくにんできる<ref>[[#yoran13|『電気でんき事業じぎょう要覧ようらんだい13かい]]417ぺーじ</ref>。らは松之下まつのしたにあり、自社じしゃの[[ガス工場こうじょう]]に併設へいせつされていた<ref name="asano-129"/>。前者ぜんしゃ川北かわきた電気でんき企業きぎょうしゃせい交流こうりゅう発電はつでん後者こうしゃ日立ひたちせい交流こうりゅう発電はつでんを1だいずつそなえる<ref name="y14-76"/>。発生はっせい電力でんりょく周波数しゅうはすう双方そうほうとも50ヘルツ<ref name="y14-76"/>。燃料ねんりょうだいいちがコークス(ガスコークスふくむ)、だい石炭せきたんかたまりずみである<ref name="y14-514"/>。


3かしょ波切なきり発電はつでんしょは[[志摩しまぐん (三重みえけん)|志摩しまぐん]][[波切なきりまち|波切なきりむら]](げん・[[志摩しま]]大王だいおうまち波切なきり)への進出しんしゅつよう用意よういされた発電はつでんしょである<ref name="daio"/>。逓信ていしんしょう資料しりょうでは[[1921ねん]](大正たいしょう10ねん下期しもき稼働かどう確認かくにんできる<ref name="y14-514"/>。[[シーメンス]](ドイツ)せい交流こうりゅう発電はつでんを1だいそなえ、周波数しゅうはすうは50ヘルツの設定せってい<ref name="y14-76"/>。燃料ねんりょうはガスコークスがもちいられた<ref name="y14-514"/>。
三重みえ合同ごうどう電気でんき資料しりょうによると[[1925ねん]](大正たいしょう14ねん)4がつだい瓦斯がすりょく発電はつでんしょ廃止はいし許可きょか申請しんせい逓信ていしんしょう提出ていしゅつされている<ref>「三重みえ合同ごうどう電気でんき株式会社かぶしきがいしゃだい7かい事業じぎょう報告ほうこくしょ」(J-DAC「企業きぎょう史料しりょう統合とうごうデータベース」収録しゅうろく)</ref>。一方いっぽうだいいち瓦斯がすりょく発電はつでんしょは[[1928ねん]](昭和しょうわ3ねん)6がつ廃止はいしとなった<ref>[[#nenkan1929|『電気でんき年鑑ねんかん昭和しょうわ4年版ねんばん]]13ぺーじ。{{NDLJP|1139383/59}}</ref>。


三重みえ合同ごうどう電気でんき発足ほっそくの1923ねん3がつ鵜方うがた変電へんでんしょ([[阿児あごまち鵜方うがた|鵜方うがたむら]]所在しょざい<ref name="daio"/>)と鵜方うがた送電そうでんせん完成かんせいした<ref name="report3">「三重みえ合同ごうどう電気でんき株式会社かぶしきがいしゃだい3かい事業じぎょう報告ほうこくしょ」(企業きぎょう史料しりょうDB)</ref>。これにともな変電へんでんしょからの配電はいでんえられたためまず波切なきり発電はつでんしょ廃止はいしとなる<ref name="daio"/>(同年どうねん4がつ廃止はいし届出とどけで<ref name="report3"/>)。いで[[1925ねん]](大正たいしょう14ねん)4がつだい瓦斯がすりょく発電はつでんしょ廃止はいし許可きょか申請しんせい逓信ていしんしょう提出ていしゅつされ<ref>「三重みえ合同ごうどう電気でんき株式会社かぶしきがいしゃだい7かい事業じぎょう報告ほうこくしょ」(企業きぎょう史料しりょうDB)</ref>、のこだいいち瓦斯がすりょく発電はつでんしょは[[1928ねん]](昭和しょうわ3ねん)6がつ廃止はいしされた<ref>[[#nenkan14|『電気でんき年鑑ねんかん昭和しょうわ4ねん]]本邦ほんぽう電気でんきかい13ぺーじ</ref>。
=== 波切なきり発電はつでんしょ ===
[[1921ねん]](大正たいしょう10ねん)に電灯でんとうが[[志摩しまぐん (三重みえけん)|志摩しまぐん]]波切なきりむらげん・[[志摩しま]]大王だいおうまち波切なきり)に進出しんしゅつしたさいむらない用意よういした発電はつでんしょは'''波切なきり発電はつでんしょ'''という<ref name="daio"/>。逓信ていしんしょう資料しりょうでは1921ねん下期しもき稼働かどう確認かくにんできる<ref name="y14-514"/>。吸入きゅうにゅうガス機関きかん原動機げんどうきとするガスりょく発電はつでんしょであり、[[シーメンス]](ドイツ)せい交流こうりゅう発電はつでんを1だいそなえる<ref name="y14-76"/>。発電はつでんしょ出力しゅつりょくは48キロワットで、周波数しゅうはすうは50ヘルツ<ref name="y14-76"/>。燃料ねんりょうはガスコークスがもちいられた<ref name="y14-514"/>。


== 人物じんぶつ ==
三重みえ合同ごうどう電気でんき発足ほっそくの1923ねん3がつ鵜方うがた変電へんでんしょ([[阿児あごまち鵜方うがた|鵜方うがたむら]]所在しょざい<ref name="daio"/>)と鵜方うがた送電そうでんせん完成かんせいした<ref name="report3">「三重みえ合同ごうどう電気でんき株式会社かぶしきがいしゃだい3かい事業じぎょう報告ほうこくしょ」(J-DAC「企業きぎょう史料しりょう統合とうごうデータベース」収録しゅうろく)</ref>。これにともな変電へんでんしょからの配電はいでんえられたため、波切なきり発電はつでんしょ廃止はいしされた<ref name="daio"/>(同年どうねん4がつ廃止はいし届出とどけで<ref name="report3"/>)。
三重みえ合同ごうどう電気でんきとの合併がっぺい前年ぜんねん、1921ねん初頭しょとう時点じてん役員やくいん以下いかの9にんであった<ref>[[#kaisha29|『日本にっぽん全国ぜんこくしょ会社かいしゃ役員やくいんろくだい29かい]]したへん111ぺーじ</ref>。
* '''[[取締役とりしまりやく]]''' :
** [[かわ喜田きたはんどろ|かわ喜田きた久太夫きゅうだゆう]] : '''社長しゃちょう'''。[[木綿もめん]]しょう・[[百五銀行ひゃくごぎんこう]]頭取とうどり<ref name="kirii"/>、三重みえけん多額たがく納税のうぜいしゃ<ref name="ko6-ka">[[#koshin6|『人事じんじ興信録こうしんろくだい6はん]]か58-59ぺーじ</ref>。
** かずらはなわ豊次郎とよじろう : '''専務せんむ'''。もと[[支配人しはいにん]]<ref name="yoroku15"/>。
** [[川北かわきた栄夫ひでお]] : 川北かわきた電気でんき企業きぎょうしゃ大阪おおさか社長しゃちょう<ref name="taikan"/>。
** 小島こじま惣右衛門そうえもん肥料ひりょうしょう<ref>[[#kiyou|『商工しょうこう紀要きよう』]]商工しょうこう人名じんめいろく78ぺーじ</ref>。
** [[松本まつもとひさしこれすけ]] : [[伊勢いせ新聞しんぶん]]社長しゃちょうもと[[衆議院しゅうぎいん]]議員ぎいん<ref>[[#koshin6|『人事じんじ興信録こうしんろくだい6はん]]ま65ぺーじ</ref>
** がわ喜田きた四郎しろう兵衛ひょうえ米穀べいこく肥料ひりょうしょう<ref>[[#kiyou|『商工しょうこう紀要きよう』]]商工しょうこう人名じんめいろく9・78ぺーじ</ref>、[[かわ喜田きた四郎しろう兵衛ひょうえ|先代せんだいよんろう兵衛ひょうえ]]の長男ちょうなん<ref name="ko6-ka"/>。
* '''[[監査かんさやく]]''' :
** [[小林こばやし嘉平かへい]] : [[一志いちしぐん]][[雲出くもいでむら]]のだい地主じぬしもと衆議院しゅうぎいん議員ぎいん<ref>[[#kirii|桐井きりいけんどう(1930)]] 98-109ぺーじ</ref>。
** ちゅう川藤かわふじみぎ衛門えもん呉服ごふくしょう貸金かしきんぎょう<ref>[[#kiyou|『商工しょうこう紀要きよう』]]商工しょうこう人名じんめいろく53・67ぺーじ</ref>。
** 村田むらた真一しんいちかみしょう<ref>[[#kiyou|『商工しょうこう紀要きよう』]]商工しょうこう人名じんめいろく19ぺーじ</ref>。


== 脚注きゃくちゅう ==
== 脚注きゃくちゅう ==
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=== 注釈ちゅうしゃく ===
<references group="注釈ちゅうしゃく" />
=== 出典しゅってん ===
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== 参考さんこう文献ぶんけん ==
== 参考さんこう文献ぶんけん ==
* 企業きぎょう
=== 企業きぎょう ===
** {{Cite book|和書わしょ|author=合同ごうどう瓦斯がすへん |title=合同ごうどう瓦斯がすよんじゅうねん |publisher=合同ごうどう瓦斯がす |year=1970 |ref=godogas }}
* {{Cite book|和書わしょ|editor=合同ごうどう瓦斯がす |title=合同ごうどう瓦斯がすよんじゅうねん |publisher=合同ごうどう瓦斯がす |year=1970 |id={{NDLJP|11954136}} |ref=godogas }}
** {{Cite book|和書わしょ|author=中部電力ちゅうぶでんりょく電気でんき事業じぎょう編纂へんさん委員いいんかいへん|title=中部ちゅうぶ地方ちほう電気でんき事業じぎょう |volume=上巻じょうかん下巻げかん |publisher=[[中部電力ちゅうぶでんりょく]] |year=1995 |ref=chubu }}
* {{Cite book|和書わしょ|editor=中部電力ちゅうぶでんりょく電気でんき事業じぎょう編纂へんさん委員いいんかい |title=中部ちゅうぶ地方ちほう電気でんき事業じぎょう |issue=上巻じょうかん下巻げかん |publisher=[[中部電力ちゅうぶでんりょく]] |year=1995 |ref=chubu }}
** {{Cite book|和書わしょ|author=東邦とうほう電力でんりょくふみへん委員いいんかいへん|title=東邦とうほう電力でんりょく |publisher=東邦とうほう電力でんりょく刊行かんこうかい |year=1962 |ref=toho }}
* {{Cite book|和書わしょ|editor=東邦とうほうガスしゃふみへんしゅう委員いいんかい |title=東邦とうほうガス最近さいきん10ねんのあゆみ |publisher=東邦とうほうガス |year=2012 |ref=toho2012 }}
** {{Cite book|和書わしょ|author=東邦とうほうガスしゃふみへんしゅう委員いいんかいへん|title=東邦とうほうガス最近さいきん10ねんのあゆみ |publisher=東邦とうほうガス |year=2012 |ref=toho2012 }}
* {{Cite book|和書わしょ|editor=東邦とうほう電力でんりょくふみへん委員いいんかい |title=東邦とうほう電力でんりょく |publisher=東邦とうほう電力でんりょく刊行かんこうかい |year=1962 |id={{NDLJP|2500729}} |ref=toho }}
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* 官庁かんちょう資料しりょう

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=== 官庁かんちょう資料しりょう ===
** {{Cite book|和書わしょ|author= |title=電気でんき事業じぎょう要覧ようらん |volume=明治めいじ43年版ねんばん |publisher=[[逓信ていしんしょう]]電気でんききょく |year=1911 |id={{NDLJP|805423}} |ref=yoran4 }}
** {{Cite book|和書わしょ|author=逓信ていしんしょう電気でんききょくへん|title=電気でんき事業じぎょう要覧ようらん |volume=明治めいじ44としはん |publisher=逓信ていしん協会きょうかい |year=1912 |id={{NDLJP|974998}} |ref=yoran5 }}
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** {{Cite book|和書わしょ|author=逓信ていしんしょう電気でんききょくへん|title=電気でんき事業じぎょう要覧ようらん |volume=だい11かい |publisher=逓信ていしん協会きょうかい |year=1919 |id={{NDLJP|975004}} |ref=yoran11 }}
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* {{Cite book|和書わしょ|editor=逓信ていしんしょう電気でんききょく |title=電気でんき事業じぎょう要覧ようらん |issue=だい11かい |publisher=逓信ていしん協会きょうかい |year=1919 |id={{NDLJP|975004}} |ref=yoran11 }}
* 地誌ちし
** {{Cite book|和書わしょ|author=大王だいおうまちへんさん委員いいんかいへん |title=大王だいおうまち |publisher=[[大王だいおうまち]] |year=1994 |ref=daio }}
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* その文献ぶんけん

** {{Cite book|和書わしょ|author= |title=田中たなか善助ぜんすけ自伝じでん |publisher=財団ざいだん法人ほうじん前田まえだ教育きょういくかい |year=1998 |ref=zensuke }}
=== 郷土きょうど ===
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* {{Cite book|和書わしょ|author=梅原うめはらさんせん西田にしだしげる |title= |issue=だいよんかん |publisher=市役所しやくしょ |year=1965 |id={{NDLJP|9568965}} |ref=tsu4 }}
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* {{Cite book|和書わしょ|author=中林なかばやしかえですい |title=河芸かわげぐん |publisher=河芸かわげぐん編纂へんさんかい |year=1918 |id={{NDLJP|959169}} |ref=kawage }}
** 商業しょうぎょう興信所こうしんじょ
*** {{Cite book|和書わしょ|author= |title=日本にっぽん全国ぜんこくしょ会社かいしゃ役員やくいんろく |volume=明治めいじ43年版ねんばん |publisher=商業しょうぎょう興信所こうしんじょ |year=1910 |id={{NDLJP|780122}} |ref=kaisha18 }}
* {{Cite book|和書わしょ|editor=服部はっとり英雄ひでお |title=三重みえけん |issue=下巻げかん |publisher=弘道こうどうかく |year=1918 |id={{NDLJP|3438459}} |ref=mie }}

*** {{Cite book|和書わしょ|author= |title=日本にっぽん全国ぜんこくしょ会社かいしゃ役員やくいんろく |volume=明治めいじ44年版ねんばん |publisher=商業しょうぎょう興信所こうしんじょ |year=1911 |id={{NDLJP|780123}} |ref=kaisha19 }}
=== その書籍しょせき ===
*** {{Cite book|和書わしょ|author= |title=日本にっぽん全国ぜんこくしょ会社かいしゃ役員やくいんろく |volume=だい29かい |publisher=商業しょうぎょう興信所こうしんじょ |year=1921 |id={{NDLJP|936470}} |ref=kaisha29 }}
* {{Cite book|和書わしょ|author=桐井きりいけんどう |title=三重みえけん産業さんぎょう産業さんぎょうじん |publisher=[[名古屋なごや新聞しんぶんしゃ]]地方ちほう |year=1930 |id={{NDLJP|1214398}} |ref=kirii }}
** 人事じんじ興信所こうしんじょへん
*** {{Cite book|和書わしょ|author= |title=人事じんじ興信録こうしんろく |volume=だい5はん |publisher=人事じんじ興信所こうしんじょ |year=1918 |id={{NDLJP|1704046}} |ref=koshin5 }}
* {{Cite book|和書わしょ|author=黒川くろかわ静夫しずお |title=三重みえ水力すいりょく発電はつでん |publisher=三重みえけん良書りょうしょはんかい |year=1997 |ref=kurokawa97 }}
*** {{Cite book|和書わしょ|author= |title=人事じんじ興信録こうしんろく |volume=だい10はん上巻じょうかん |publisher=人事じんじ興信所こうしんじょ |year=1934 |id={{NDLJP|1078620}} |ref=koshin101 }}
* {{Cite book|和書わしょ|author=黒川くろかわ静夫しずお |title=あかりと動力どうりょく 三重みえ電気でんき |publisher=けんともかん |year=2002 |isbn=978-4773707137 |ref=kurokawa02 }}
*** {{Cite book|和書わしょ|author= |title=人事じんじ興信録こうしんろく |volume=だい10はん下巻げかん |publisher=人事じんじ興信所こうしんじょ |year=1934 |id={{NDLJP|1078694}} |ref=koshin102 }}
* {{Cite book|和書わしょ|editor=佐藤さとうしげる兵衛ひょうえ |title=大阪おおさか商工しょうこう大観たいかん |issue=昭和しょうわ4ねんはん |publisher=夕刊ゆうかん大阪おおさか新聞しんぶんしゃ |year=1929 |id={{NDLJP|1109244}} |ref=taikan }}
* 商業しょうぎょう興信所こうしんじょ日本にっぽん全国ぜんこくしょ会社かいしゃ役員やくいんろく
** {{Cite book|和書わしょ|author=電気でんきともしゃへん)|title=電気でんき年鑑ねんかん |volume=昭和しょうわ4年版ねんばん |publisher=電気でんきともしゃ |year=1929 |id={{NDLJP|1139383}} |ref=nenkan1929 }}
** {{Cite book|和書わしょ|author=中尾なかおのり |title=商工しょうこう年鑑ねんかん |volume=1913 |publisher=名古屋なごやしょうこうしゃ |year=1913 |id={{NDLJP|910453}} |ref=nakao }}
** {{Cite book|和書わしょ|author= |title=日本にっぽん全国ぜんこくしょ会社かいしゃ役員やくいんろく |issue=だい16かい |publisher=しょうごう興信所こうしんじょ |year=1908 |id={{NDLJP|780120}} |ref=kaisha16 }}
** {{Cite book|和書わしょ|author=広田ひろた三郎さぶろう |title=実業じつぎょう人傑じんけつでん |volume=だい4かん |publisher=ごう人傑じんけつでん編輯へんしゅうところ |year=1897 |ref=hirota }}
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* {{Cite book|和書わしょ|editor=人事じんじ興信所こうしんじょ |title=人事じんじ興信録こうしんろく |issue=だい6はん |publisher=人事じんじ興信所こうしんじょ |year=1921 |id={{NDLJP|1704027}} |ref=koshin6 }}
* 記事きじ
** {{Cite journal|和書わしょ|author=浅野あさの伸一しんいち |title=戦前せんぜん三重みえけん火力かりょく発電はつでん事業じぎょう |journal=シンポジウム中部ちゅうぶ電力でんりょくのあゆみ |volume=だい10かい講演こうえん報告ほうこく資料集しりょうしゅう さんじゅう電気でんき事業じぎょうとその遺産いさん |publisher=中部ちゅうぶ産業さんぎょう遺産いさん研究けんきゅうかい |year=2002 |pages=111-143 |ref=asano }}
* {{Cite book|和書わしょ|author=てつじょう会同かいどうじん |title=てつじょうおうつたえ |publisher=てつじょうかい事務所じむしょ |year=1944 |id={{NDLJP|1058134}} |ref=zensuke }}
* {{Cite book|和書わしょ|editor=電気でんきともしゃ |title=電気でんき年鑑ねんかん |issue=昭和しょうわ4ねん |publisher=電気でんきともしゃ |year=1929 |id={{NDLJP|1139383}} |ref=nenkan14 }}
* 東京とうきょう興信所こうしんじょ へん銀行ぎんこう会社かいしゃ要録ようろく
** {{Cite book|和書わしょ|author= |title=銀行ぎんこう会社かいしゃ要録ようろく |issue=だい14はん |publisher=東京とうきょう興信所こうしんじょ |year=1910 |id={{NDLJP|803650}} |ref=yoroku14 }}
** {{Cite book|和書わしょ|author= |title=銀行ぎんこう会社かいしゃ要録ようろく |issue=だい15はん |publisher=東京とうきょう興信所こうしんじょ |year=1911 |id={{NDLJP|803651}} |ref=yoroku15 }}
** {{Cite book|和書わしょ|author= |title=銀行ぎんこう会社かいしゃ要録ようろく |issue=だい23はん |publisher=東京とうきょう興信所こうしんじょ |year=1919 |id={{NDLJP|936327}} |ref=yoroku23 }}
* {{Cite book|和書わしょ|editor=長坂ながさか金雄かねお |title=だい日本銀行にっぽんぎんこう会社かいしゃ沿革えんかく |publisher=東都とうと通信つうしんしゃ |year=1919 |id={{NDLJP|980884}} |ref=enkaku }}
* {{Cite book|和書わしょ|editor=野村のむら商店しょうてん調査ちょうさ |title=株式かぶしき年鑑ねんかん |issue=大正たいしょう8年度ねんど |publisher=[[岩井いわいコスモ証券こすもしょうけん|野村のむら商店しょうてん]]調査ちょうさ |year=1919 |id={{NDLJP|975421}} |ref=kabu1919 }}
* {{Cite book|和書わしょ|author=広田ひろた三郎さぶろう |title=実業じつぎょう人傑じんけつでん |issue=だいよんかん |publisher=実業じつぎょう人傑じんけつでん編輯へんしゅうしょ |year=1897 |id={{NDLJP|778003}} |ref=hirota }}
* {{Cite book|和書わしょ|editor=ぶく喜多きたきよし太郎たろう |title=商工しょうこう紀要きよう |publisher=商業しょうぎょう会議かいぎしょ |year=1922 |id={{NDLJP|958706}} |ref=kiyou }}
* {{Cite book|和書わしょ|editor=松田まつだゆたかみき |title=三重みえけん商工しょうこう人名じんめいろく |publisher=三重みえ日報にっぽうしゃ |year=1893 |id={{NDLJP|780234}} |ref=mieshoko }}
* {{Cite book|和書わしょ|editor=三重みえけん |title=三重みえけん統計とうけいしょ |issue=大正たいしょう7ねん勧業かんぎょうこれ |publisher=[[三重みえ県庁けんちょう]] |year=1920 |id={{NDLJP|973865}} |ref=tokei1918 }}
* {{Cite book|和書わしょ|editor=ひゃくけい禄郎ろくろうふとし |editorlink=ひゃくけい禄郎ろくろうふとし |title=日本にっぽんにおけるシーメンスの事業じぎょうとその経歴けいれき |publisher=ひゃくけい禄郎ろくろうふとし |year=1955 |id={{NDLJP|3020849}} |ref=siemens }}

=== 記事きじ ===
* {{Cite journal|和書わしょ|author=浅野あさの伸一しんいち |title=戦前せんぜん三重みえけん火力かりょく発電はつでん事業じぎょう |journal=シンポジウム中部ちゅうぶ電力でんりょくのあゆみ |issue=だい10かい講演こうえん報告ほうこく資料集しりょうしゅう三重みえ電気でんき事業じぎょうとその遺産いさん)|publisher=中部ちゅうぶ産業さんぎょう遺産いさん研究けんきゅうかい |year=2002 |month=10 |pages=111-143 |ref=asano2002 }}
* {{Cite journal|和書わしょ|author=浅野あさの伸一しんいち |title=名古屋なごや電灯でんとう創設そうせつ事情じじょう |journal=シンポジウム中部ちゅうぶ電力でんりょくのあゆみ |issue=だい13かい講演こうえん報告ほうこく資料集しりょうしゅう中部ちゅうぶ電力でんりょく技術ぎじゅつとその遺産いさん) |publisher=中部ちゅうぶ産業さんぎょう遺産いさん研究けんきゅうかい |year=2005 |month=11 |pages=59-110 |ref=asano2005 }}


== 関連かんれん項目こうもく ==
== 関連かんれん項目こうもく ==

2024ねん5がつ19にち (日)にち 14:57時点じてんにおけるはん

電灯でんとう株式会社かぶしきがいしゃ(2代目だいめ
種類しゅるい 株式会社かぶしきがいしゃ
本社ほんしゃ所在地しょざいち 大日本帝国の旗 三重みえけん大字だいじ南堀端みなみほりばた34ばん屋敷やしき
設立せつりつ 1908ねん明治めいじ41ねん12月8にち[1]
初代しょだい電灯でんとう1896ねん5月19にち
解散かいさん 1922ねん大正たいしょう11ねん5月1にち[2]
三重みえ合同ごうどう電気でんき新設しんせつ解散かいさん
業種ぎょうしゅ 電気でんき
事業じぎょう内容ないよう 電気でんき供給きょうきゅう事業じぎょうガス供給きょうきゅう事業じぎょう
歴代れきだい社長しゃちょう 田中たなか善助ぜんすけ
かわ喜田きた四郎しろう兵衛ひょうえ
かわ喜田きた久太夫きゅうだゆう(1919-1922ねん
公称こうしょう資本しほんきん 200まんえん
払込はらいこみ資本しほんきん 100まんえん
株式かぶしきすう 4まんかぶ額面がくめん50えん
そう資産しさん 124まん2せんえん
収入しゅうにゅう 15まん4せんえん
支出ししゅつ 4まん9せんえん
じゅん利益りえき 10まん5せんえん
配当はいとうりつ 年率ねんりつ12.0%
株主かぶぬしすう 369めい
主要しゅよう株主かぶぬし かわ喜田きた久太夫きゅうだゆう (10.8%)、かわ喜田きた四郎しろう兵衛ひょうえ (6.8%)、百五銀行ひゃくごぎんこう (6.0%)、松本まつもとひさしこれすけ (4.2%)、小島こじま惣右衛門そうえもん (2.8%)
決算けっさん 5がつまつ・11月まつとし2かい
特記とっき事項じこう資本しほんきん以下いかは1918ねん11がつ決算けっさん時点じてん[3][4]
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電灯でんとう株式会社かぶしきがいしゃきゅう字体じたい電燈でんとう株式會社かぶしきがいしゃ󠄁、つでんとうかぶしきがいしゃ)は、かつて三重みえけん存在そんざいした日本にっぽん電力でんりょく会社かいしゃである。明治めいじ後期こうき存在そんざいした初代しょだい法人ほうじんと、明治めいじ末期まっきから大正たいしょうにかけて存在そんざいした2代目だいめ法人ほうじんの2つがある。

初代しょだい電灯でんとう1896ねん明治めいじ29ねん)に設立せつりつされ、三重みえ県内けんない最初さいしょ電気でんき事業じぎょうしゃとして翌年よくねん火力かりょく発電はつでんにより開業かいぎょうした。2代目だいめ電灯でんとう伊賀いが地方ちほうでの水力すいりょく発電はつでん目的もくてきとする三重みえ共同きょうどう電気でんき株式会社かぶしきがいしゃ(みえきょうどうでんき)として1908ねん明治めいじ41ねん)に設立せつりつ1910ねん明治めいじ43ねん)の開業かいぎょう直後ちょくご初代しょだい電灯でんとう吸収きゅうしゅうし、翌年よくねん2代目だいめ電灯でんとうへと社名しゃめいあらためた。

2代目だいめ電灯でんとう最終さいしゅうてき周辺しゅうへん伊賀いが地方ちほう一部いちぶ供給きょうきゅう区域くいきとしたが、1922ねん大正たいしょう11ねん)に三重みえけん電気でんき事業じぎょう統合とうごうともなって三重みえ合同ごうどう電気でんき合同ごうどう電気でんき)に統合とうごうされた。電気でんき事業じぎょうのほかにも1912ねん大正たいしょう元年がんねん)から都市としガス供給きょうきゅう事業じぎょう兼営けんえいしていた。電気でんき事業じぎょうしゃとしては中部電力ちゅうぶでんりょく、ガス事業じぎょうしゃとしては東邦とうほうガスきゅう合同ごうどうガス)の前身ぜんしんひとつにあたる。

沿革えんかく

初代しょだい電灯でんとう設立せつりつ

1886ねん明治めいじ19ねん11月3にち三重みえけんけん庁舎ちょうしゃにおいて明治天皇めいじてんのう誕生たんじょう天長節てんちょうせつ)をいわ式典しきてん挙行きょこうされた[5]。このしきには東京とうきょうから東京とうきょう電灯でんとう技師ぎしのち名古屋なごや電灯でんとう初代しょだい技師ぎしちょうとなる丹羽にわ正道せいどう当時とうじ帝国ていこく大学だいがく工科こうか大学だいがくせい)がまねかれ、移動いどうしき小型こがた発電はつでんによって放電ほうでんとうク灯くとう1とう白熱はくねつ電球でんきゅう2とう点灯てんとう実演じつえんおこなわれた[5]。この点灯てんとう東海とうかい地方ちほう最初さいしょ電灯でんとう点灯てんとうである[5]。その2ねん1888ねん明治めいじ21ねん)11月、四日市よっかいち操業そうぎょう開始かいしした三重みえ紡績ぼうせき東洋紡とうようぼう前身ぜんしん)の本社ほんしゃ工場こうじょう自家じか発電はつでんにより電灯でんとう点灯てんとうしたことで、東海とうかい地方ちほうでも電灯でんとう実用じつようはじまった[5]

1889ねん明治めいじ22ねん)12月、愛知あいちけん名古屋なごやにて名古屋なごや電灯でんとう開業かいぎょうし、日本にっぽんで5番目ばんめ東海とうかい地方ちほうではだい1ごうとなる電気でんき事業じぎょう開始かいしした[6]三重みえ県内けんないでは翌年よくねんには四日市よっかいち電気でんき事業じぎょう起業きぎょううごきがあったとされるが、その実現じつげんまでには時間じかんよう[7]愛知あいちけん豊橋とよはし豊橋とよはし電灯でんとう)や岐阜ぎふけん岐阜ぎふ岐阜ぎふ電灯でんとう)などがさきんじて開業かいぎょうしていく[8]1896ねん明治めいじ29ねん)になるとようやく三重みえ県内けんないでも起業きぎょう実現じつげんされるようになり、3月18にち電灯でんとう、4がつ宇治山田うじやまだ宮川みやがわ電気でんき伊勢いせ電気でんき鉄道てつどう)、7がつよんにち四日よっか市電しでんとう北勢ほくせい電気でんき)というじゅん相次あいついで逓信ていしんしょうから電気でんき事業じぎょう経営けいえい許可きょか[9]

この当時とうじすなわち「きゅう商法しょうほう」の時代じだい(1893 - 1899ねん)の会社かいしゃ設立せつりつ手続てつづきは、発起人ほっきにんのう商務省しょうむしょうより発起ほっき認可にんかたのち株主かぶぬし募集ぼしゅうかり、株主かぶぬし確定かくていませたうえ創業そうぎょう総会そうかい開催かいさい定款ていかん役員やくいんさだめ、そして株式かぶしきはらいみをのう商務省しょうむしょうから設立せつりつ免許めんきょって設立せつりつ登記とうきげる、という煩雑はんざつなものであった[10]電灯でんとう株式会社かぶしきがいしゃがこれらの手続てつづきを執行しっこうした日付ひづけ不明ふめいながら、1918ねん刊行かんこうの『三重みえけん』には1896ねん5がつ19にちの「創立そうりつ」とある[11]設立せつりつ資本しほんきんは3まんえんで、株式かぶしき募集ぼしゅう対象たいしょうしゃ市内しない現住げんじゅうしゃかぎられた[12]設立せつりつ取締役とりしまりやく社長しゃちょう内多うちだ正雄まさおかわ喜田きた四郎しろう兵衛ひょうえさけ問屋とんやけん肥料ひりょうしょう[13])・後藤ごとう仁兵衛じんべえ味噌みそ醤油じょうゆ醸造じょうぞうぎょう[13])・小島こじま惣右衛門そうえもん酒造しゅぞうぎょう肥料ひりょうしょう[13])・平松ひらまつむべむねけい5めい[11]。5めいはいずれも当時とうじかい議員ぎいんであり、なかでも内多うちだ市会しかい議長ぎちょうかわ喜田きたふく議長ぎちょうつとめている[14]

電灯でんとう本社ほんしゃ南堀端みなみほりばた中部電力ちゅうぶでんりょく支店してん所在地しょざいち)に建設けんせつされた[12]本社ほんしゃ裏手うらて岩田川いわたがわ沿いにあたり、石炭せきたん搬入はんにゅう便びんいため電源でんげん火力かりょく発電はつでんしょはここにかまえた[15]発電はつでんしょにははじ出力しゅつりょく30キロワット交流こうりゅう発電はつでんを1だいのみ設置せっち[15]機械きかい据付すえつけ完了かんりょうにつき1897ねん明治めいじ30ねん)3がつより試運転しうんてんはじめ、工事こうじ竣工しゅんこうともない3がつ31にちよる電灯でんとう無料むりょう点火てんかおこなったうえで、4がつ1にちより営業えいぎょう開始かいしした[12]三重みえけんにおける電気でんき事業じぎょう開業かいぎょう電灯でんとうだい1ごうであるが[15]年内ねんない宇治山田うじやまだ宮川みやがわ電気でんき四日市よっかいち四日よっか市電しでんとう開業かいぎょうし、主要しゅよう都市としには電気でんき事業じぎょうそろっている[7]電灯でんとう事業じぎょう開始かいしした電灯でんとうでは観音かんのん門前もんぜんとうきょう岩田いわたきょう街灯がいとうけて電灯でんとう宣伝せんでんした[7]電灯でんとうはそのあかるさが評価ひょうかされ、はじやく320であった需要じゅよう家数やかずは1かげつ2ばいの767へとひろがりをみせた[12]。ただし当時とうじ電灯でんとう料金りょうきんたかく、石油せきゆランプもちいる灯油とうゆだいやく10ばいであった[12]

本社ほんしゃうら発電はつでんしょはその順次じゅんじ拡張かくちょうされた。まず1900ねん明治めいじ33ねん)10がつに60キロワット発電はつでんが1だい追加ついかされる[15]いで1905ねん明治めいじ38ねん)10がつ同型どうけい1だい増設ぞうせつされた[15]。さらに1907ねん明治めいじ40ねん)3がつ市内しないでの関西かんさい府県ふけん連合れんごう共進きょうしんかい開催かいさいともない150キロワット発電はつでん増設ぞうせつされ、発電はつでんしょ出力しゅつりょくは300キロワットとなった[15]。それでも会期かいきちゅう発電はつでんりょく不足ふそくするため、名古屋なごや電灯でんとうから設備せつび借用しゃくようして会場かいじょうちかくに出力しゅつりょく70キロワットの臨時りんじ発電はつでんしょ設置せっちして対処たいしょしている[15]。このあいだ電灯でんとうすうは1900ねんに1000とうえ、1903ねんには2000とうえた[7]。さらに1909ねん明治めいじ42ねん)11がつまつ時点じてんでは需要じゅよう家数やかず1851電灯でんとうすう6733とうたっしている[16]。ただし県内けんない全般ぜんぱん動力どうりょくよう電力でんりょく電動でんどう使用しようするための電力でんりょく)の需用じゅようがないことから[7]、1909ねん時点じてんでも電灯でんとう営業えいぎょうのみで電力でんりょく供給きょうきゅう開業かいぎょうであった[9]。この段階だんかいでの供給きょうきゅう区域くいき市内しない安濃あのうぐん建部たけべむらどうぐん新町しんまち河芸かわげぐん一身田いしんでんまち一志いちしぐん久居ひさいまちどうぐん本村もとむらの5町村ちょうそんからなる[9](いずれもげん)。

電灯でんとうでは事業じぎょう拡大かくだいにあわせて増資ぞうしかさねて会社かいしゃ規模きぼ拡大かくだいした[11]最初さいしょ増資ぞうし開業かいぎょう直後ちょくごの1897ねん8がつ実施じっしで、資本しほんきんは3まんえんから3まん7500えんとなる[11]いで1901ねん明治めいじ34ねん)12月3まん7500えん[17]、1907ねん6がつ2まん5000えん増資ぞうしをそれぞれ株主かぶぬし総会そうかい決議けつぎ[18]。そして1909ねん5がつには10まんえん増資ぞうし完了かんりょう[19]資本しほんきんを20まんえんとした[11]経営けいえいじんにもうごきがあり、1907ねん11月内多うちだ正雄まさお取締役とりしまりやくしてだい4だい市長しちょうてんじた[20]翌年よくねん初頭しょとう時点じてん役員やくいんろくにはかわ喜田きた四郎しろう兵衛ひょうえ内多うちだわり取締役とりしまりやく社長しゃちょうつとめるとある[21]当時とうじ四郎しろう兵衛ひょうえ財界ざいかい中心ちゅうしん人物じんぶつであり、電灯でんとう社外しゃがいでは商業しょうぎょう会議かいぎしょ初代しょだい会頭かいとう百五銀行ひゃくごぎんこう頭取とうどりなどをつとめている[22]

三重みえ共同きょうどう電気でんき設立せつりつ

川北かわきた栄夫ひでお川北かわきた電気でんき企業きぎょうしゃ社長しゃちょう

1907ねん7がつ12にち三重みえけんでは田中たなか善助ぜんすけほか9めい発起人ほっきにんとする「和水わすいでん株式会社かぶしきがいしゃ」という成立せいりつ会社かいしゃ電気でんき事業じぎょう経営けいえい許可きょか取得しゅとくした[23]。その供給きょうきゅう区域くいきには伊賀いが地方ちほう名賀なよしぐん名張なばりまちげん名張なばり)のほか電灯でんとう供給きょうきゅう区域くいきである市内しない安濃あのうぐん新町しんまち一志いちしぐん久居ひさいまちどう郡本こおりもとむらふくまれる(ただし重複じゅうふく区域くいき電力でんりょく供給きょうきゅうのみ許可きょか[23]

和水わすいでん発起人ほっきにん田中たなか善助ぜんすけ伊賀いが地方ちほうにおいて多数たすう電気でんき事業じぎょう起業きぎょうした阿山あやまぐん上野うえのまちげん伊賀いが)の実業じつぎょうである。金物かなものしょう家業かぎょうとしたが[24]、1896ねんごろから電気でんき事業じぎょうにもみ、1904ねん明治めいじ37ねん)には個人こじん事業じぎょうとして伊賀上野いがうえの電気でんき事業じぎょう開業かいぎょうし、翌年よくねんからはどう事業じぎょう会社かいしゃしたいわお倉水くらみずでん社長しゃちょうつとめていた[25]いわお倉水くらみずでん起業きぎょうもとめにおうじてけん電気でんき事業じぎょう手伝てつだいつつ、伊賀いがでは名張川なばりがわ支流しりゅう青蓮寺川しょうれんじがわにあるこう落渓周辺しゅうへんでの水力すいりょく発電はつでん企画きかくし、いわお倉水くらみずでん後援こうえんしゃである服部はっとり孝太郎こうたろうだいはちじゅうさん上野うえの銀行ぎんこう頭取とうどり[26])・筒井つつい喜一郎きいちろう上野うえの酒造しゅぞうぎょう[27])や同社どうしゃ常務じょうむひろ貞郎さだおらと和水わすいでん発起ほっき1906ねん明治めいじ39ねん)に水利すいりけん出願しゅつがんした[28]水利すいりけんもなく許可きょかがあり、会社かいしゃ設立せつりつけた株主かぶぬし募集ぼしゅう並行へいこうして発電はつでんしょ工事こうじ着手ちゃくしゅされた[28]

工事こうじすすなか川北かわきた栄夫ひでお当時とうじドイツシーメンス日本にっぽん法人ほうじん「シーメンス・シュッケルト電気でんき株式会社かぶしきがいしゃ」にぞくする技師ぎし[29])が田中たなか善助ぜんすけたずね、シーメンスの技術ぎじゅつ資本しほん両面りょうめんでの後援こうえんもうれた[28]。その結果けっか川北かわきたらシーメンス関係かんけいしゃ会社かいしゃ参画さんかくすることとなり[28]田中たなか筒井つつい服部はっとり川北かわきたやヴィクトル・ヘルマン(シーメンス・シュッケルト電気でんき大阪おおさか支店してんちょう[30])らけい14めい発起ほっきじんとして和水わすいでんあらため「三重みえ共同きょうどう電気でんき株式会社かぶしきがいしゃ」を起業きぎょうするはこびとなった[31]しん会社かいしゃ三重みえ共同きょうどう電気でんき1908ねん明治めいじ41ねん12月8にち発足ほっそく[1]資本しほんきんは25まんえんで、本社ほんしゃ阿山あやまぐん上野うえのまち大字だいじ福居ふくいまちいわお倉水くらみずでん社内しゃない[28])にかまえるとともに大阪おおさかうちにも支店してんゆうした[1]設立せつりつ取締役とりしまりやく田中たなか善助ぜんすけ川北かわきた栄夫ひでおひろ貞郎さだお笠井かさいじゅんつかさ大阪おおさか貿易ぼうえき会社かいしゃ笠井かさい商会しょうかい代表だいひょう[32])・河野こうのとおるたかし川北かわきたおなじくシーメンス・シュッケルト電気でんき大阪おおさか支店してん勤務きんむ[33])の5めいからなった[1]。このうち田中たなか社長しゃちょう川北かわきた常務じょうむつとめている[34]。またぜん5000かぶのうち3200かぶをヴィクトル・ヘルマン、750かぶ田中たなか善助ぜんすけった(1909ねん11がつまつ時点じてん[34]

1909ねんはる川北かわきた栄夫ひでおはシーメンスから独立どくりつして電気でんき事業じぎょうたいする投資とうし経営けいえい工事こうじ設計せっけい施工しこうなどを目的もくてきとする「川北かわきた電気でんき企業きぎょうしゃ」を旗揚はたあげした[29]同社どうしゃ最初さいしょ手掛てがけた業務ぎょうむ三重みえ共同きょうどう電気でんきかんする発電はつでんしょその一切いっさい工事こうじである[29]よく1910ねん明治めいじ43ねん)8がつ11にち逓信ていしんしょうによる発電はつでんしょその竣工しゅんこう検査けんさ完了かんりょう[35]。そして21にち三重みえ共同きょうどう電気でんき営業えいぎょう開始かいしするにいたった[36][37]電源でんげん青蓮寺川しょうれんじがわ完成かんせいした出力しゅつりょく700キロワットのきょく発電はつでんしょ名賀なよしぐんまがりむらげん名張なばり)であり[38]、その電力でんりょくをもって電灯でんとう市内しないとその周辺しゅうへん地域ちいき電灯でんとう供給きょうきゅうおよび動力どうりょくよう電力でんりょく供給きょうきゅうはじめた[37]。また三重みえ共同きょうどう電気でんき自身じしん発電はつでんしょ地元じもとでの配電はいでん工事こうじにも着手ちゃくしゅし、年内ねんない名賀なよしぐん名張なばりまちでの電灯でんとう供給きょうきゅう開始かいしした[39]

2代目だいめ電灯でんとうとなる

先発せんぱつ電灯でんとう後発こうはつ三重みえ共同きょうどう電気でんき合同ごうどうするうごきは三重みえ共同きょうどう電気でんき開業かいぎょうまえの1909ねんからあり、7がつごろには合同ごうどうかんする協定きょうてい成立せいりつしたという[40]合同ごうどう形式けいしき合併がっぺいではなく電灯でんとうから三重みえ共同きょうどう電気でんきへの事業じぎょう譲渡じょうとであり、三重みえ共同きょうどう電気でんき年率ねんりつ12パーセントの配当はいとう保証ほしょうする優先株ゆうせんかぶしき20まんえんぶん電灯でんとうへと交付こうふして同社どうしゃ営業えいぎょうけんならびに財産ざいさんる、という方法ほうほうられた[11]

三重みえ共同きょうどう電気でんきでの20まんえん増資ぞうし優先株ゆうせんかぶしき発行はっこうは1910ねん6がつ株主かぶぬし総会そうかい決議けつぎされた[41]。さらに前後ぜんごして田中たなか善助ぜんすけ川北かわきた栄夫ひでお以外いがいぜん役員やくいん辞任じにん[42]当時とうじ電灯でんとう役員やくいん三重みえ共同きょうどう電気でんきにもはいった[43]。そのうち三重みえ共同きょうどう電気でんき電灯でんとう両社りょうしゃ取締役とりしまりやくねることとなった人物じんぶつかわ喜田きた四郎しろう兵衛ひょうえ小島こじま惣右衛門そうえもん松本まつもとひさしこれすけ伊勢いせ新聞しんぶんしゃ代表だいひょう[44])の3めいである[43]同年どうねん8がつには大阪おおさか支店してん廃止はいしうえ本店ほんてん上野うえのまちから南堀端みなみほりばたへとうつされた[45]電灯でんとうがわでは9がつ10日とおか臨時りんじ株主かぶぬし総会そうかいひら三重みえ共同きょうどう電気でんきたいする営業えいぎょうけん財産ざいさんけん譲渡じょうとならびにこれにともな会社かいしゃ解散かいさん決議けつぎした[46]

電灯でんとうから三重みえ共同きょうどう電気でんきへの事業じぎょう譲渡じょうとは1910ねん10がつ29にちづけ逓信ていしんしょうから認可にんかされた[47]。その3にち11月1にち事業じぎょう引継ひきつぎが完了かんりょう[31]同日どうじつをもって電灯でんとう解散かいさんした[48]統合とうごう直後ちょくご、1910ねん11がつまつ時点じてんにおける三重みえ共同きょうどう電気でんき供給きょうきゅう成績せいせき電灯でんとう需要じゅよう家数やかず4106取付とりつけとうすう1まん1582とう電力でんりょく供給きょうきゅう電動でんどう2だい・10馬力ばりき(7.46キロワット)であった[49]。またどう時点じてんではヘルマンや田中たなか善助ぜんすけおさかわ喜田きた四郎しろう兵衛ひょうえが9000かぶのうち4000かぶ筆頭ひっとう株主かぶぬしとなっている[50]統合とうごう社長しゃちょう田中たなか善助ぜんすけではなくかわ喜田きたつとめるが、常務じょうむつづ川北かわきた栄夫ひでおつとめる[50]

電灯でんとう解散かいさん2かげつ1911ねん明治めいじ44ねん)2がつ28にちづけ清算せいさんゆいりょう登記とうき消滅しょうめつした[51]。その直後ちょくご3月5にち三重みえ共同きょうどう電気でんきは「電灯でんとう株式会社かぶしきがいしゃ」(2代目だいめ)へと社名しゃめい変更へんこうし、電灯でんとうという社名しゃめい復活ふっかつさせた[11][52]

事業じぎょう拡大かくだい

だい3だい社長しゃちょうかわ喜田きた久太夫きゅうだゆうごうはんどろ

2代目だいめ電灯でんとうは1911ねん4がつ、55まんえん増資ぞうし決議けつぎ[53]資本しほんきんを100まんえんとした[11]増資ぞうし目的もくてき電気でんき事業じぎょう拡張かくちょうおよび都市としガス事業じぎょう経営けいえいのための資金しきん調達ちょうたつである[11]

電気でんき事業じぎょうかんしては供給きょうきゅう区域くいき拡大かくだいがみられた。方面ほうめんでは1912ねん明治めいじ45ねん)8がつ河芸かわげぐん白塚しらつかむら豊津とよつむら上野うえのむら河芸かわげまち)での供給きょうきゅう開始かいし[54]供給きょうきゅう開始かいし時期じきしょうながら1916ねん大正たいしょう5ねん)までのあいだ方面ほうめんでは安濃あのうぐん安濃あのうむらあかりごうむら安濃あのうまち)やどうぐん安西あんざいむら芸濃げいのうまち)、久居ひさい方面ほうめんでは一志いちしぐん矢野やのむら香良洲からすまち)、どうぐん川合かわいむら高岡たかおかむら一志いちしまち)、どうぐん中川なかがわむら嬉野うれしのまちげん松阪まつさか)、名張なばり方面ほうめんでは名賀なよしぐん阿保あぼむら青山あおやままちげん伊賀いが)といった地域ちいきでも開業かいぎょうしている[55]初代しょだい電灯でんとう開業かいぎょうから20ねん1917ねん大正たいしょう6ねん)11がつまつ時点じてんでの供給きょうきゅう成績せいせき電灯でんとうすう3まん7999とう動力どうりょくよう電力でんりょく供給きょうきゅう281.0馬力ばりき(210キロワット)、その電力でんりょく供給きょうきゅう2.5キロワットであった[56]

ガス事業じぎょうについては増資ぞうし決議けつぎした1911ねん4がつ株主かぶぬし総会そうかいにおいて、都市としガス供給きょうきゅう事業じぎょう兼営けんえい事業じぎょうけんゆずけも決議けつぎ[57]のう商務省しょうむしょう資料しりょうによると同年どうねん5がつ事業じぎょう許可きょか1913ねん大正たいしょう2ねん)2がつ開業かいぎょうした[58]宇治山田うじやまだ神都しんと瓦斯がす(1911ねん開業かいぎょう)と四日よっか四日よっか市電しでんとうガス(1912ねん3がつ開業かいぎょう)につづ三重みえけん3番目ばんめのガス事業じぎょうである[59]電灯でんとうガス工場こうじょう南中なんちゅう新町しんまちげん南丸之内みなみまるのうち)にあり、日産にっさん5まん立方りっぽうフィートやく1416立方りっぽうメートル)の石炭せきたんガス生産せいさんりょくゆうする[58]供給きょうきゅう区域くいき市内しない安濃あのうぐん新町しんまちで、1913ねん11がつまつ時点じてんでの供給きょうきゅう成績せいせき需要じゅよう家数やかず478灯火ともしびガス灯がすとうあな口数くちかず1175ねつようあな口数くちかず262であった[58]

明治めいじ末期まっき以降いこう電灯でんとう供給きょうきゅう部門ぶもんでは発光はっこう部分ぶぶん(「フィラメント」という)に金属きんぞくせんもちいる金属きんぞくせん電球でんきゅう普及ふきゅうがみられた。金属きんぞくせん電球でんきゅう発光はっこう部分ぶぶん炭素たんそせんもちいる旧来きゅうらい炭素たんそせん電球でんきゅうくらべていちじるしくこう効率こうりつ長寿ちょうじゅいのち白熱はくねつ電球でんきゅうであり、タングステンせんもちいる場合ばあいには炭素たんそせん電球でんきゅうしてやく3ぶんの1の消費しょうひ電力でんりょくむという特徴とくちょう[60]逓信ていしんしょう資料しりょうによると、電灯でんとう場合ばあい1913ねん11がつまつ時点じてんではなおも全体ぜんたい過半かはん炭素たんそせん電球でんきゅうめていたが[61]、1917ねん11がつまつ時点じてんでは炭素たんそせん電球でんきゅう姿すがたしている[56]。こうした金属きんぞくせん電球でんきゅう普及ふきゅう電灯でんとうたいする競争きょうそうりょくうしなったのがガス灯がすとうであった[62]だいいち世界せかい大戦たいせん勃発ぼっぱつによる原料げんりょう石炭せきたん価格かかく暴騰ぼうとうあいまって全国ぜんこくてき地方ちほうしょう都市とし瓦斯がす事業じぎょう経営けいえい不振ふしんおちいり、神都しんと瓦斯がす(1917ねん廃業はいぎょう[59])のように廃業はいぎょう相次あいついだ[62]電灯でんとうにおいても需要じゅよう家数やかずあな口数くちかず維持いじしているがガス事業じぎょう収支しゅうし赤字あかじ転落てんらくしている(1918ねん時点じてん[63]

1917ねん6がつ松之下まつのした建設けんせつしていた出力しゅつりょく240キロワットの予備よび発電はつでんしょ使用しよう認可にんか[64]同所どうしょ吸入きゅうにゅうガス機関きかん(サクションガスエンジン)を原動機げんどうきとするガスりょく内燃ないねんりょく発電はつでんしょであり、ガス工場こうじょう構内こうない設置せっち[65]のちに320キロワットのガスりょく発電はつでん設備せつび増設ぞうせつされ、三重みえ県内けんない最大さいだいのガスりょく発電はつでんしょになっている[65]

1918ねん大正たいしょう7ねん)11月、100まんえん増資ぞうし決議けつぎ[66]資本しほんきんを200まんえんとした[3]。この増資ぞうし単純たんじゅん倍額ばいがく増資ぞうしではなく普通ふつう株式かぶしき株主かぶぬしたいしては持株もちかぶ10かぶにつき新株しんかぶ7かぶ優先株ゆうせんかぶしき株主かぶぬしたいしては持株もちかぶ10かぶにつき新株しんかぶ15かぶて(はしすうとなる新株しんかぶ2800かぶぶん公募こうぼまたは会社かいしゃ功労こうろうしゃあてて)、同時どうじ優先ゆうせんけん抹消まっしょうするというものである[3]経営けいえいめんではつづいて1919ねん大正たいしょう8ねん)7がつ社長しゃちょうかわ喜田きた四郎しろう兵衛ひょうえ死去しきょした[67]同年どうねん12がつ時点じてんでは四郎しろう兵衛ひょうえわりかわ喜田きた久太夫きゅうだゆう社長しゃちょうつとめている[68]しん社長しゃちょう久太夫きゅうだゆう東京とうきょう日本橋大伝馬にほんばしおおでんままちみせかまえる木綿こわたしょうがわ喜田きた本家ほんけ)の16代目だいめ当主とうしゅで、社外しゃがいでは百五銀行ひゃくごぎんこうでもよんろう兵衛ひょうえあとおそ頭取とうどりとなった[69]

三重みえ合同ごうどう電気でんき設立せつりつ

三重みえけん主要しゅよう電気でんき事業じぎょうしゃ供給きょうきゅう区域くいき(1921ねん)。緑色みどりいろ部分ぶぶん電灯でんとう供給きょうきゅう区域くいき

1921ねん大正たいしょう10ねん)、電灯でんとう既存きそん区域くいきからはなれた南勢なんせい地方ちほう志摩しまぐん波切なきりむらげん志摩しま)にも進出しんしゅつした[70]元々もともと波切なきりむらでは県議会けんぎかい議員ぎいん松井まついせんみぎ衛門えもんにより電気でんき事業じぎょう計画けいかくすすめられ1919ねん認可にんかけていたが、このはなしいた電灯でんとうかわ喜田きた久太夫きゅうだゆう自社じしゃけようともうてたのが南勢なんせい進出しんしゅつ端緒たんしょになる[70]。1920ねん9がつ1にち資本しほんきん5まんえんにて南堀端みなみほりばた波切なきり電気でんき株式会社かぶしきがいしゃ設立せつりつされるが[71]電灯でんとうでは1921ねん4がつ[72]開業かいぎょうたず同社どうしゃ事業じぎょう継承けいしょうした[70]。その電灯でんとうでは年内ねんないにガスりょく発電はつでんしょ完成かんせいさせて波切なきりむらへの供給きょうきゅう開始かいししている[70]

1921ねん11月、名賀なよしぐん種生たなおむらげん伊賀いが)をながれる木津川きづがわ支流しりゅう川上かわかみがわにて川上かわかみ発電はつでんしょ竣工しゅんこうした[73]出力しゅつりょくは400キロワットで、この完成かんせいにより電灯でんとう水力すいりょく発電はつでんしょきょく発電はつでんしょとあわせ2かしょとなった[73]。その直後ちょくご同年どうねん11がつまつ時点じてんでの供給きょうきゅう成績せいせき電気でんき事業じぎょう電灯でんとうすう7まん6412とう動力どうりょくよう電力でんりょく供給きょうきゅう751.5馬力ばりき(561キロワット)・その電力でんりょく供給きょうきゅう4.3キロワット[74]、ガス事業じぎょう需要じゅよう家数やかず663灯火ともしびあな口数くちかず1568ねつようあな口数くちかず766・ガスエンジン11だいであった[75]。この時期じき電灯でんとう管内かんないには大口おおぐち電力でんりょく使用しようしゃとして市内しない東洋紡績とうようぼうせき工場こうじょうがあったが、どう工場こうじょうは1605キロワットにおよ自家じか火力かりょく発電はつでん設備せつびようしており電気でんき事業じぎょうしゃからは受電じゅでんしていない[76]

電灯でんとう拡大かくだい一方いっぽう三重みえけん全体ぜんたい見渡みわたすと四日市よっかいち北勢ほくせい電気でんき筆頭ひっとう松阪まつざか松阪まつさか電気でんき宇治山田うじやまだ伊勢いせ電気でんき鉄道てつどう伊賀上野いがうえのいわお倉水くらみずでんの4しゃ勢力せいりょくばしていたが[77]各社かくしゃそれぞれ独自どくじ経営けいえいわれており総合そうごうてき電力でんりょく供給きょうきゅう見込みこめない状態じょうたいつづいていた[78]。そうした状況じょうきょう打開だかいすべく、全国ぜんこくてき電気でんき事業じぎょうしゃ合同ごうどう機運きうんじょうじて三重みえ県知事けんちじ山脇やまわき春樹はるき主唱しゅしょうによる県内けんない電気でんき事業じぎょう統一とういつすなわち上記じょうき5しゃ合同ごうどうこころみがあらわれる[78]山脇やまわき主張しゅちょうは、資本しほん単一たんいつ事業じぎょうしゃ集約しゅうやくすることで供給きょうきゅうりょく充実じゅうじつ供給きょうきゅう料金りょうきん低下ていかはかり、最終さいしゅうてきには県内けんないにおける電源でんげん開発かいはつだけでの県内けんない需要じゅよう充足じゅうそく目指めざす、というものであった[79]山脇やまわき勧告かんこくおうじた各社かくしゃ代表だいひょうによる協議きょうぎすえ電灯でんとう松阪まつさか電気でんき伊勢いせ電気でんき鉄道てつどうの3しゃのみで合併がっぺいというかたち合意ごういがなり、新設しんせつ合併がっぺいによってしん会社かいしゃ設立せつりつするむね合併がっぺい契約けいやく締結ていけついた[78]。1921ねん11月27にち、3しゃがそれぞれひらいた臨時りんじ株主かぶぬし総会そうかいにてこの合併がっぺい契約けいやく可決かけつされた[78]。なお電灯でんとうでは合併がっぺい決議けつぎにあわせて147まん5000えん増資ぞうし決議けつぎした[80]。この増資ぞうしよく1922ねん大正たいしょう11ねん)3がつ定時ていじ株主かぶぬし総会そうかいをもって完了かんりょうしている[81]

3しゃ合併がっぺいは1922ねん2がつ2にちづけ逓信ていしんしょうから認可にんかがあり、同年どうねん5月1にち新設しんせつ合併がっぺいによるしん会社かいしゃ三重みえ合同ごうどう電気でんき株式会社かぶしきがいしゃ合同ごうどう電気でんき)が発足ほっそくをみた[78]合併がっぺいともな同日どうじつづけ電灯でんとう解散かいさんしている[2]。その9がつになって三重みえ合同ごうどう電気でんきいわお倉水くらみずでん吸収きゅうしゅうし、三重みえ県内けんない主要しゅよう事業じぎょうしゃ5しゃのうち4しゃ統合とうごうえた[82]

三重みえ合同ごうどう電気でんき設立せつりつ一方いっぽう北勢ほくせい電気でんき名古屋なごや電灯でんとう後身こうしん東邦とうほう電力でんりょく吸収きゅうしゅうされたため、三重みえけん電気でんき事業じぎょう東邦とうほう電力でんりょく三重みえ合同ごうどう電気でんきの2しゃ南北なんぼく分割ぶんかつされるかたちとなった[83]。その東邦とうほう電力でんりょく北勢ほくせい電気でんき合併がっぺい以外いがいにも1926ねん大正たいしょう15ねん)に四日市よっかいちから宇治山田うじやまだまで自社じしゃ送電そうでんせんばし[84]東洋紡績とうようぼうせき工場こうじょうなどへ大口おおぐち電力でんりょく供給きょうきゅうはじめた[85]。しかし1930ねん昭和しょうわ5ねん)になると一転いってん三重みえ合同ごうどう電気でんき傘下さんかおさめるのとえに三重みえ県内けんない四日市よっかいち支店してん管内かんない)の事業じぎょう三重みえ合同ごうどう電気でんきあらた合同ごうどう電気でんきへとわたした[86]。また県内けんないガス事業じぎょうについても東邦とうほう瓦斯がす東邦とうほう電力でんりょく傘下さんかきゅう北勢ほくせい電気でんきガス継承けいしょう[59])と三重みえ合同ごうどう電気でんきの2しゃかれていたものが合同ごうどう瓦斯がすへの集約しゅうやくがなった[87]

年表ねんぴょう

初代しょだい電灯でんとう

  • 1896ねん明治めいじ29ねん
    • 3月18にち - 電灯でんとう株式会社かぶしきがいしゃたい逓信ていしんしょうより電気でんき事業じぎょう経営けいえい許可きょか[9]
    • 5月19にち - 電灯でんとう株式会社かぶしきがいしゃ初代しょだい設立せつりつ資本しほんきん3まんえん[11]
  • 1897ねん明治めいじ30ねん
    • 4がつ1にち - 事業じぎょう開始かいし[12]
    • 8がつ - 最初さいしょ増資ぞうし資本しほんきん3まん7500えんとなる[11]
  • 1901ねん明治めいじ34ねん
  • 1907ねん明治めいじ40ねん
  • 1909ねん明治めいじ42ねん
    • 5月24にち - 10まんえん増資ぞうし登記とうき[19]資本しほんきん20まんえんとなる[11]
  • 1910ねん明治めいじ43ねん
    • 9がつ10日とおか - 三重みえ共同きょうどう電気でんきへの事業じぎょう譲渡じょうと会社かいしゃ解散かいさん決議けつぎ[46]
    • 11月1にち - 三重みえ共同きょうどう電気でんきへの事業じぎょう引継ひきつぎを完了かんりょう[31]電灯でんとう初代しょだい解散かいさん[48]

2代目だいめ電灯でんとう

供給きょうきゅう区域くいき

電気でんき:1914ねん時点じてん

1914ねん5がつ時点じてんにおける電灯でんとう電力でんりょく供給きょうきゅう区域くいき以下いかとお[90]。これには開業かいぎょう区域くいきふくまれる。

市部しぶ
(1
安濃あのうぐん
(1まち6むら
新町しんまちふじ水村みずむら神戸こうべむら安東あんどうむら安濃あのうむらあかりごうむら安西あんざいむらげん
河芸かわげぐん
(1まち6むら
一身田いしんでんまちぐりしんむら白塚しらつかむら豊津とよつむら上野うえのむら黒田くろだむら大里おおさとむらげん
一志いちしぐん
(1まち9むら
高茶屋たかぢゃやむら雲出くもいでむら矢野やのむら久居ひさいまち本村もとむら桃園ももぞのむら戸木へきむら川合かわいむら高岡たかおかむらげん)、
中川なかがわむらげん松阪まつさか
名賀なよしぐん
(1まち4むら
名張なばりまちまがりむら滝川たきがわむらにしきせいむらげん名張なばり)、
阿保あぼむらげん伊賀いが

電気でんき:1921ねん時点じてん

1921ねん6がつ時点じてんにおける電灯でんとう電力でんりょく供給きょうきゅう区域くいき以下いかとお[72]おなじく開業かいぎょう区域くいきふくまれる。

市部しぶ
(1
安濃あのうぐん
(1まち13むら
新町しんまちふじ水村みずむら神戸こうべむら安東あんどうむら櫛形くしがたむら片田かたたむらたつ水村みずむら高宮たかみやむら長野ながのむら安濃あのうむら村主むらぬしむら草生くさわむらあきらごうむら安西あんざいむらげん
河芸かわげぐん
(1まち6むら
一身田いしんでんまちぐりしんむら白塚しらつかむら豊津とよつむら上野うえのむら黒田くろだむら大里おおさとむらげん
一志いちしぐん
(1まち19むら
高茶屋たかぢゃやむら雲出くもいでむら矢野やのむら久居ひさいまち本村もとむら桃園ももぞのむら戸木へきむらなな栗村くりむら稲葉いなばむら榊原さかきばらむら川合かわいむら高岡たかおかむら大井おおいむらだいさんむらやまとむらはち山村さんそん太郎生たろおむらげん)、
中川なかがわむら豊地ほうちむら中郷ちゅうごうむらげん松阪まつさか
名賀なよしぐん
(2まち14むら
名張なばりまちまがりむら滝川たきがわむらにしきせいむら蔵持くらもちむらこも原村はらむら美濃みの波多はたむら比奈ひなむら国津くにつむらげん名張なばり)、
阿保あぼまち上津かみづむら種生たなおむら矢持やもちむら神戸こうべむら古山ふるさんむら花垣はながきむらげん伊賀いが
志摩しまぐん
(1むら
波切なきりむらげん志摩しま

備考びこう

  • 上記じょうき区域くいきのうち、一志いちしぐん太郎生たろおむら三重みえ合同ごうどう電気でんき発足ほっそく、1922ねん5がつ供給きょうきゅう開始かいしである[81]
  • 上記じょうき区域くいきはすべて1951ねん昭和しょうわ26ねん)の中部電力ちゅうぶでんりょく区域くいきふくまれている(三重みえけん南牟婁みなみむろぐん一部いちぶ以外いがい中部電力ちゅうぶでんりょく供給きょうきゅう区域くいき[91])。

ガス

電灯でんとうのガス供給きょうきゅう区域くいき安濃あのうぐん新町しんまちであった[58][75]

地区ちくのガス供給きょうきゅう区域くいき拡大かくだいおそく、地域ちいき供給きょうきゅう区域くいき追加ついかされたのは合同ごうどう瓦斯がす合同ごうどうガス)への移行いこう1936ねん昭和しょうわ11ねん)11月のことである。このときには新町しんまち地区ちくきゅう安濃あのうぐん新町しんまち)の供給きょうきゅう地域ちいき藤方ふじかた地区ちくきゅう安濃あのうぐん藤方ふじかたむら)を、翌年よくねん11がつには河芸かわげぐんくりしんむら一部いちぶ供給きょうきゅう区域くいきとしている[92]。なお合同ごうどうガスは2003ねん平成へいせい15ねん)になって東邦とうほうガス吸収きゅうしゅうされ、この地域ちいきへのガス供給きょうきゅう東邦とうほうガスにがれている[93]

発電はつでんしょ

1921ねん6がつまつ時点じてんで、電灯でんとう三重みえ県内けんないに4かしょ合計ごうけい出力しゅつりょく1,530キロワット発電はつでんしょ運転うんてんちゅうで、さらに2かしょ合計ごうけい出力しゅつりょく448キロワットの完成かんせい発電はつでんしょがあった[72]。これら6発電はつでんしょ概要がいよう以下いかとおり。

きょく発電はつでんしょ

青蓮寺しょうれんじダムとダム(2017ねん)。きょく発電はつでんしょ跡地あとちはダムみずうみしずむ。
所在地しょざいち北緯ほくい3436ふん12.0びょう 東経とうけい1367ふん11.0びょう / 北緯ほくい34.603333 東経とうけい136.119722 / 34.603333; 136.119722 (きょく発電はつでんしょあと)

電灯でんとうの6発電はつでんしょのうち出力しゅつりょくもっとおおきいものはきょく(みのわ)発電はつでんしょである。所在地しょざいち名賀なよしぐんまがりむら大字だいじ青蓮寺しょうれんじげん名張なばり青蓮寺しょうれんじ[38]三重みえ共同きょうどう電気でんき時代じだいからの水力すいりょく発電はつでんしょであり[38]1910ねん明治めいじ43ねん)8がつ運転うんてん開始かいしした[88]

淀川よどがわ水系すいけい河川かせん名張川なばりがわ支流しりゅうにあたる青蓮寺川しょうれんじがわ建設けんせつされた[38]青蓮寺川しょうれんじがわ堰堤えんていもうけて1.9立方りっぽうメートル毎秒まいびょう取水しゅすいし、かわ左岸さがん沿ったやく4.0キロメートルの水路すいろで60メートルの有効ゆうこう落差らくさ発電はつでんする仕組しく[38]発電はつでん設備せつびとしてフォイト(ドイツ)せいフランシス水車みずぐるまシーメンスどうせい交流こうりゅう発電はつでんかく2だいそなえ、700キロワットの発電はつでんしょ出力しゅつりょくった[38]発生はっせい電力でんりょく周波数しゅうはすうは50ヘルツであったが、三重みえ合同ごうどう電気でんき発足ほっそく翌年よくねん1923ねん大正たいしょう12ねん)5がつ変更へんこうされて60ヘルツとなった[73]

合同ごうどう電気でんき以降いこう東邦とうほう電力でんりょく中部ちゅうぶ配電はいでんて1951ねん以降いこう中部電力ちゅうぶでんりょく帰属きぞくしたが[88]1965ねん昭和しょうわ40ねん)4がつ青蓮寺しょうれんじダム建設けんせつともな水没すいぼつするため発電はつでん停止ていしし、よく1966ねん昭和しょうわ41ねん)5がつ20日はつか廃止はいしされた[38]代替だいたいとして三重みえけん企業庁きぎょうちょうにより1970ねん昭和しょうわ45ねん)に整備せいびされたダムしき青蓮寺しょうれんじ発電はつでんしょ存在そんざいする[38]

川上かわかみ発電はつでんしょ

所在地しょざいち北緯ほくい3439ふん15.0びょう 東経とうけい13611ふん14.3びょう / 北緯ほくい34.654167 東経とうけい136.187306 / 34.654167; 136.187306 (阿保あほ発電はつでんしょあと)

電灯でんとう2番目ばんめ水力すいりょく発電はつでんしょ川上かわかみ発電はつでんしょである。所在地しょざいち名賀なよしぐん種生たなおむら大字だいじ川上かわかみげん伊賀いが川上かわかみ[73]1920ねん大正たいしょう9ねん)4がつ1にち起工きこうののち、1921ねん大正たいしょう10ねん)11月26にち竣工しゅんこうした[73]

淀川よどがわ水系すいけい川上川かわかみがわ堰堤えんていきずいて最大さいだい0.724立方りっぽうメートル毎秒まいびょう取水しゅすいし、かわ左岸さがん沿ったやく1.8キロメートルの水路すいろで78.3メートルの有効ゆうこう落差らくさ発電はつでんする[73]。このように取水しゅすい川上川かわかみがわからであるが、発電はつでんしょ建屋たきのや川上川かわかみがわ合流ごうりゅうする前深瀬川まえふかせがわ木津川きづがわ支流しりゅう右岸うがん立地りっちする[73]発電はつでん設備せつびエッシャーウイス(スイス)せいのフランシス水車みずぐるまおよび日立製作所ひたちせいさくしょせい交流こうりゅう発電はつでんであり、400キロワットの発電はつでんしょ出力しゅつりょくゆうする[73]きょく発電はつでんしょおなじく発生はっせい電力でんりょく周波数しゅうはすうは50ヘルツであったが、1923ねん5がつに60ヘルツへあらためられている[73]

1937ねん昭和しょうわ12ねん)3がつ以降いこうは「阿保あほ(あお)発電はつでんしょ」としょうする[88]合同ごうどう電気でんき東邦とうほう電力でんりょく中部ちゅうぶ配電はいでんて1951ねん以降いこう中部電力ちゅうぶでんりょく所属しょぞくとなっている[88]

発電はつでんしょ

初代しょだい電灯でんとう時代じだいからの火力かりょく発電はつでんしょ発電はつでんしょしょうする。南堀端みなみほりばた本社ほんしゃげん中部電力ちゅうぶでんりょく三重みえ支社ししゃ所在地しょざいち裏手うらて岩田川いわたがわ沿いに立地りっち[15]1897ねん明治めいじ30ねん)4がつ1にち初代しょだい電灯でんとう開業かいぎょうとともに運転うんてん開始かいしした[15]

上述じょうじゅつのように、まず出力しゅつりょく30キロワットの発電はつでんけられたのち、1900ねん明治めいじ33ねん)10がつ60キロワット発電はつでん1905ねん明治めいじ38ねん)10がつ同型どうけい1907ねん明治めいじ40ねん)3がつ150キロワット発電はつでんというじゅん増設ぞうせつかさねられた[15]。1909ねん段階だんかいではボイラー3かん蒸気じょうき機関きかん4だい(80馬力ばりき1だい・120馬力ばりき2だい・250馬力ばりき1だい)、たんしょう交流こうりゅう発電はつでん4だいという設備せつび構成こうせいである[94]発電はつでんは30キロワット三吉みよし商会しょうかいせいの3だい芝浦製作所しばうらせいさくしょせい[94]。また発生はっせい電力でんりょく周波数しゅうはすうは30キロワット120ヘルツ、60キロワット100ヘルツ、150キロワット60ヘルツという具合ぐあい統一とういつされていない[94]

1918ねん時点じてんでの設備せつび構成こうせいはボイラー2かん蒸気じょうき機関きかん3だいと60キロワット発電はつでん2だい・150キロワット発電はつでん1だいであり、発電はつでんしょ出力しゅつりょくは270キロワットにげんじている[95]燃料ねんりょう石炭せきたん切込きりこみずみ)をもちいる[96]

三重みえ合同ごうどう電気でんき資料しりょうによると1924ねん大正たいしょう13ねん)6がつ発電はつでんしょ廃止はいしとどけ逓信ていしんしょう提出ていしゅつされている[97]

ガスりょく発電はつでんしょ(3かしょ

明治めいじ末期まっきから大正たいしょう初期しょきにかけて、内燃ないねんりょく発電はつでん一種いっしゅであるガスりょく発電はつでん全国ぜんこくてき発達はったつした[98]。これは、石炭せきたんコークスなどをねっするガス発生はっせい装置そうちと、そこでしょうずるガスを吸入きゅうにゅう燃焼ねんしょう駆動くどうするガスエンジンの2つをわせた「吸入きゅうにゅうガス機関きかん(サクションガスエンジン)」を原動機げんどうきもちいる発電はつでん方法ほうほうである[98]三重みえけん電気でんき事業じぎょうしゃがガスりょく発電はつでん多用たようした地域ちいきひとつで[98]電灯でんとうでもだいいち瓦斯がすりょく発電はつでんしょだい瓦斯がすりょく発電はつでんしょ波切なきり発電はつでんしょという3つのガスりょく発電はつでんしょ運転うんてんしていた[96][99]発電はつでんしょ出力しゅつりょくじゅんに240キロワット・320キロワット・48キロワットである[99]

最初さいしょだいいち瓦斯がすりょく発電はつでんしょ1917ねん大正たいしょう6ねん)6がつ使用しよう認可にんかりた[64]。1918ねん時点じてん資料しりょう発電はつでんしょめいを「だい発電はつでんしょ」とする[95]。2かしょだい瓦斯がす発電はつでんしょ逓信ていしんしょう資料しりょうによると1919ねん下期しもき(6-11月)の稼働かどう確認かくにんできる[100]。これらは松之下まつのしたにあり、自社じしゃガス工場こうじょう併設へいせつされていた[65]前者ぜんしゃ川北かわきた電気でんき企業きぎょうしゃせい交流こうりゅう発電はつでん後者こうしゃ日立ひたちせい交流こうりゅう発電はつでんを1だいずつそなえる[99]発生はっせい電力でんりょく周波数しゅうはすう双方そうほうとも50ヘルツ[99]燃料ねんりょうだいいちがコークス(ガスコークスふくむ)、だい石炭せきたんかたまりずみ)である[96]

3かしょ波切なきり発電はつでんしょ志摩しまぐん波切なきりむらげん志摩しま大王だいおうまち波切なきり)への進出しんしゅつよう用意よういされた発電はつでんしょである[70]逓信ていしんしょう資料しりょうでは1921ねん大正たいしょう10ねん下期しもき稼働かどう確認かくにんできる[96]シーメンス(ドイツ)せい交流こうりゅう発電はつでんを1だいそなえ、周波数しゅうはすうは50ヘルツの設定せってい[99]燃料ねんりょうはガスコークスがもちいられた[96]

三重みえ合同ごうどう電気でんき発足ほっそくの1923ねん3がつ鵜方うがた変電へんでんしょ鵜方うがたむら所在しょざい[70])と鵜方うがた送電そうでんせん完成かんせいした[101]。これにともな変電へんでんしょからの配電はいでんえられたためまず波切なきり発電はつでんしょ廃止はいしとなる[70]同年どうねん4がつ廃止はいし届出とどけで[101])。いで1925ねん大正たいしょう14ねん)4がつだい瓦斯がすりょく発電はつでんしょ廃止はいし許可きょか申請しんせい逓信ていしんしょう提出ていしゅつされ[102]のこだいいち瓦斯がすりょく発電はつでんしょ1928ねん昭和しょうわ3ねん)6がつ廃止はいしされた[103]

人物じんぶつ

三重みえ合同ごうどう電気でんきとの合併がっぺい前年ぜんねん、1921ねん初頭しょとう時点じてん役員やくいん以下いかの9にんであった[104]

脚注きゃくちゅう

  1. ^ a b c d e 商業しょうぎょう登記とうき 株式会社かぶしきがいしゃ設立せつりつ登記とうき」『官報かんぽうだい7652ごう、1908ねん12月26にち(「国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション」収録しゅうろく以下いか「NDL-DC」)
  2. ^ a b c 商業しょうぎょう登記とうき 電灯でんとう株式会社かぶしきがいしゃ解散かいさん登記とうき」『官報かんぽうだい3000ごう附録ふろく、1922ねん8がつ1にち (NDL-DC)
  3. ^ a b c d e 株式かぶしき年鑑ねんかん大正たいしょう8年度ねんど291ぺーじ
  4. ^ 銀行ぎんこう会社かいしゃ要録ようろくだい23はん三重みえけん10ぺーじ
  5. ^ a b c d 浅野あさの伸一しんいち(2005) 60-63ぺーじ
  6. ^ 中部ちゅうぶ地方ちほう電気でんき事業じぎょう上巻じょうかん17-18ぺーじ
  7. ^ a b c d e 中部ちゅうぶ地方ちほう電気でんき事業じぎょう上巻じょうかん28-32ぺーじ
  8. ^ 中部ちゅうぶ地方ちほう電気でんき事業じぎょう上巻じょうかん22-23ぺーじ
  9. ^ a b c d 電気でんき事業じぎょう要覧ようらん明治めいじ42ねん20-21・56-57ぺーじ
  10. ^ 北陸ほくりく地方ちほう電気でんき事業じぎょうひゃくねん10ぺーじ
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  • なか貞夫さだお名張なばり名張なばり市役所しやくしょ、1974ねん 
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その書籍しょせき

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  • 黒川くろかわ静夫しずお三重みえ水力すいりょく発電はつでん三重みえけん良書りょうしょ出版しゅっぱんかい、1997ねん 
  • 黒川くろかわ静夫しずお『あかりと動力どうりょく さんじゅう電気でんきけんともかん、2002ねんISBN 978-4773707137 
  • 佐藤さとうしげる兵衛ひょうえ へん大阪おおさか商工しょうこう大観たいかん昭和しょうわ4年版ねんばん夕刊ゆうかん大阪おおさか新聞しんぶんしゃ、1929ねんNDLJP:1109244 
  • 商業しょうぎょう興信所こうしんじょ日本にっぽん全国ぜんこくしょ会社かいしゃ役員やくいんろく
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    • 日本にっぽん全国ぜんこくしょ会社かいしゃ役員やくいんろくだい29かい商業しょうぎょう興信所こうしんじょ、1921ねんNDLJP:936470 
  • 人事じんじ興信所こうしんじょ へん人事じんじ興信録こうしんろくだい6はん人事じんじ興信所こうしんじょ、1921ねんNDLJP:1704027 
  • てつじょう会同かいどうじんてつじょうおうつたえてつじょうかい事務所じむしょ、1944ねんNDLJP:1058134 
  • 電気でんきともしゃ へん電気でんき年鑑ねんかん昭和しょうわ4ねん電気でんきともしゃ、1929ねんNDLJP:1139383 
  • 東京とうきょう興信所こうしんじょ へん銀行ぎんこう会社かいしゃ要録ようろく
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  • 長坂ながさか金雄かねお へんだい日本銀行にっぽんぎんこう会社かいしゃ沿革えんかく東都とうと通信つうしんしゃ、1919ねんNDLJP:980884 
  • 野村のむら商店しょうてん調査ちょうさ へん株式かぶしき年鑑ねんかん大正たいしょう8年度ねんど野村のむら商店しょうてん調査ちょうさ、1919ねんNDLJP:975421 
  • 広田ひろた三郎さぶろう実業じつぎょう人傑じんけつでんだいよんかん実業じつぎょう人傑じんけつでん編輯へんしゅうしょ、1897ねんNDLJP:778003 
  • ぶく喜多きたきよし太郎たろう へん商工しょうこう紀要きよう商業しょうぎょう会議かいぎしょ、1922ねんNDLJP:958706 
  • 松田まつだゆたかみき へん三重みえけん商工しょうこう人名じんめいろく三重みえ日報にっぽうしゃ、1893ねんNDLJP:780234 
  • 三重みえけん へん三重みえけん統計とうけいしょ大正たいしょう7ねん勧業かんぎょう三重みえ県庁けんちょう、1920ねんNDLJP:973865 
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記事きじ

  • 浅野あさの伸一しんいち戦前せんぜん三重みえけん火力かりょく発電はつでん事業じぎょう」『シンポジウム中部ちゅうぶ電力でんりょくのあゆみ』だい10かい講演こうえん報告ほうこく資料集しりょうしゅう三重みえ電気でんき事業じぎょうとその遺産いさん)、中部ちゅうぶ産業さんぎょう遺産いさん研究けんきゅうかい、2002ねん10がつ、111-143ぺーじ 
  • 浅野あさの伸一しんいち名古屋なごや電灯でんとう創設そうせつ事情じじょう」『シンポジウム中部ちゅうぶ電力でんりょくのあゆみ』だい13かい講演こうえん報告ほうこく資料集しりょうしゅう中部ちゅうぶ電力でんりょく技術ぎじゅつとその遺産いさん)、中部ちゅうぶ産業さんぎょう遺産いさん研究けんきゅうかい、2005ねん11月、59-110ぺーじ 

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