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藤ノ川 祐󠄀兒 |
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基礎情報 |
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四股名 |
藤ノ川 祐󠄀兒 |
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本名 |
服部 祐󠄀兒 |
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生年月日 |
(1960-08-20) 1960年8月20日(64歳) |
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出身 |
日本・愛知県大府市 |
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身長 |
193cm |
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体重 |
150kg |
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所属部屋 |
伊勢ノ海部屋 |
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得意技 |
左四つ、寄り、小手投げ |
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成績 |
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現在の番付 |
引退 |
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最高位 |
東前頭3枚目 |
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生涯戦歴 |
169勝166敗22休(27場所) |
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幕内戦歴 |
75勝90敗(11場所) |
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優勝 |
幕下優勝1回 |
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データ |
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初土俵 |
1983年3月場所 |
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入幕 |
1985年3月場所 |
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引退 |
1987年7月場所 |
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引退後 |
東海学園大学教授 |
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他の活動 |
日本相撲連盟評議員 |
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備考 |
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2024年9月7日現在
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藤ノ川 祐󠄀兒(ふじのかわ ゆうじ、1960年8月20日 - )は、愛知県大府市出身で伊勢ノ海部屋に所属した元大相撲力士。本名は服部 祐兒。身長193cm、体重150kg。得意手は左四つ、寄り、小手投げ。最高位は東前頭3枚目(1986年7月場所)。体育学者、アマチュア相撲指導者で、現在は東海学園大学教授[1]。日本相撲連盟の評議員も務めている[2]。
二卵性双生児の片割れとして生まれた[3]。東海高校から同志社大学へ進学。高校時代は柔道でならし、2年次にはインターハイ個人戦重量級で優勝(3年次は同3位)。同志社大学時代には学生横綱のタイトル2回、アマチュア横綱のタイトル2回など主要なタイトルを計17回獲得し、アマチュア相撲最強と言われた[1][注釈 1]。これは長岡末弘(大関・朝潮)の16回を上回る当時の最多記録である。元横綱旭富士(現・伊勢ヶ濱)とは大学の同期で、当時近畿大学を中退して先に関取になっていた旭富士より稽古場では強かった。
1983年(昭和58年)3月場所、鳴り物入りで伊勢ノ海部屋より幕下付出で初土俵を踏む。十両昇進までは同じ一門の幕内・多賀竜の付け人を務めている[4]。同年9月場所で新十両、1985年(昭和60年)3月場所で新入幕を果たす(琴ヶ梅、花乃湖、寺尾(現・錣山)と同時入幕)。本名から師匠(藤ノ川武雄)の四股名である「藤ノ川」に改名した。左四つの型にはまれば上位力士相手でも力を発揮するが、脇が甘く守りに回ると脆く、苦し紛れの小手投げが多かった。入門当初から騒がれ、精神面での弱さも影響し、また腰痛も患って三役には届かなかった。1986年(昭和61年)11月場所では前頭11枚目の地位で3勝12敗と大敗し、2年近く務めた幕内から陥落すると1987年(昭和62年)1月場所は全休し一気に幕下まで番付を落としてしまう。幕下陥落後は四股名を本名の「服部」に戻すが、陥落後の2場所も勝ち越すことができず、同7月場所を最後に26歳で廃業。腰を痛め26歳で引退した師匠にならって若年で年寄襲名をさせる話もあったが、これを固辞している。
廃業後は、日本テレビの『独占!!スポーツ情報』で相撲解説を行ったほか、筑波大学大学院でコーチ学を専攻。高校のアマ指導者を経て、現在は東海学園大学で教鞭をとっている[5][6]。東海学園大学の相撲部を創部し部長・監督を兼任[7]、短期間で大学相撲の有力校に育て上げたが、部員不足などの事情から2019年の全国学生相撲選手権大会を最後に18年の歴史の幕を閉じた[8]。
- 通算成績:169勝166敗22休 勝率.504
- 幕内成績:75勝90敗 勝率.455
- 現役在位:27場所
- 幕内在位:11場所
- 各段優勝
- 幕下優勝:1回(1983年5月場所)
藤ノ川 祐兒
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一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
1983年 (昭和58年) |
x |
東幕下付出61枚目 5–2 |
西幕下35枚目 優勝 7–0 |
東幕下2枚目 4–3 |
西十両13枚目 9–6 |
東十両7枚目 8–7 |
1984年 (昭和59年) |
西十両4枚目 8–7 |
西十両2枚目 7–8 |
東十両5枚目 10–5 |
東十両筆頭 6–9 |
東十両5枚目 10–5 |
東十両3枚目 8–7 |
1985年 (昭和60年) |
西十両筆頭 9–6 |
東前頭14枚目 8–7 |
西前頭10枚目 8–7 |
東前頭6枚目 6–9 |
西前頭10枚目 8–7 |
東前頭5枚目 5–10 |
1986年 (昭和61年) |
東前頭13枚目 10–5 |
東前頭7枚目 7–8 |
東前頭9枚目 9–6 |
東前頭3枚目 5–10 |
西前頭8枚目 6–9 |
西前頭11枚目 3–12 |
1987年 (昭和62年) |
西十両4枚目 休場 0–0–15 |
東幕下2枚目 2–5 |
西幕下17枚目 1–6 |
西幕下43枚目 引退 0–0–7 |
x |
x |
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
※カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数。
- 服部 祐󠄀兒(はっとり ゆうじ)1983年3月場所 - 1985年5月場所
- 藤ノ川 祐󠄀兒(ふじのかわ - )1985年7月場所 - 1987年1月場所
- 服部 裕󠄀兒(はっとり - )1987年3月場所 - 1987年7月場所
- ^ 事実、大学4年となっていた1982年だけでもアマチュア横綱と学生横綱を獲得しており、現行制度下ならば幕下10枚目格付出が認められる実績を残していた。
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1950年代 |
- 52 影山信雄
- 53 江熊仁
- 54 高須晃
- 55 平聖一
- 56 平聖一
- 57 田畑外登雄
- 58 福田芳郎
- 59 布目豊
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1960年代 |
- 60 平聖一
- 61 平聖一
- 62 大森茂雄
- 63 布目豊
- 64 布目豊
- 65 野見典展
- 66 野見典展
- 67 野見典展
- 68 横山啓一
- 69 田中英壽
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1970年代 | |
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