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違法いほうせい

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

違法いほうせい(いほうせい、えい: unlawfulness [注釈ちゅうしゃく 1] どく: rechtswidrigkeit )とは、形式けいしきてきには、ほう規範きはんはんしている性質せいしつをいう。ただし、違法いほうせい本質ほんしつについては後述こうじゅつのようにあらそいがあり、それにしたがって定義ていぎとくに、実質じっしつてき意味いみにおける違法いほうせい定義ていぎ)もわる。

不法ふほうせいとの区別くべつ

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違法いほうせい行為こういもしくは状態じょうたい法令ほうれい違反いはんしていることをさす(たとえば刑法けいほうなど)。一方いっぽう法令ほうれいたいする違反いはんとかかわりなく、たん道徳どうとくじょう非難ひなんされるべきにとどまるもしくは民事みんじてき事案じあん場合ばあい不法ふほう行為こうい参照さんしょう)、不当ふとう行為こういであっても、違法いほうとはいえない。『不法ふほう』も『違法いほう』もおおむね同義どうぎもちいられるが、どちらかといえば、『違法いほう』は法律ほうりつてき、『不法ふほう』は実質じっしつてき主観しゅかんてき観念かんねんおもきをいた場合ばあいもちいられることがおお[1]

ほう分野ぶんやあいだ違法いほう相対そうたいせい一元論いちげんろん多元たげんろん

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たとえば、民事みんじほうじょう違法いほう不法ふほう評価ひょうかされる行為こうい刑事けいじほうじょう違法いほう不法ふほう評価ひょうかされるべきか、それとも一方いっぽうでは違法いほうとされ、他方たほうでは適法てきほうとされることもゆるされるのかという問題もんだいについて、見解けんかい対立たいりつしている。

違法いほう一元論いちげんろんは、すべてのほうにおいて、違法いほう適法てきほう判断はんだん統一とういつてき基準きじゅんによっておこなわれるとかんがえる見解けんかいである。

違法いほう多元たげんろんは、かくほう分野ぶんやにおいて、違法いほう適法てきほう判断はんだん基準きじゅんことなってもよいとする見解けんかいである。

違法いほう多元たげんろんによれば、たとえば、刑法けいほうじょう違法いほうは、ほう秩序ちつじょ全体ぜんたいなか違法いほうとされるもののうち、刑罰けいばつをもってのぞむにふさわしいといえる程度ていど違法いほうせいばってき違法いほうせい)がみとめられる場合ばあいにのみ肯定こうていされなければならない(たとえば、民事みんじほうじょう損害そんがい賠償ばいしょう責任せきにんものが、それを理由りゆうとして、刑罰けいばつされるいわれはない)、という結論けつろんみちびくことが可能かのうとなる。

他方たほう違法いほう一元論いちげんろんによれば、こうした理解りかい論理ろんりてき不可能ふかのうであり、それは不都合ふつごうであると批判ひはんされる。しかしながら、違法いほういちげんろんによっても、ある行為こうい違法いほう評価ひょうかされた場合ばあい、その行為こうい刑法けいほうじょう違法いほうではあるが、それにどのような法的ほうてき効果こうかみとめるかについては、なお、刑法けいほうじょう問題もんだいとして留保りゅうほされている(刑法けいほうじょう違法いほうであるからといって、これをかならばっしなければならないわけではない)。違法いほう多元たげんせつによってみちびかれる妥当だとう結論けつろんは、違法いほうせい多元的たげんてき理解りかいせずとも、違法いほう対応たいおうする法的ほうてき効果こうか多元たげんせいみとめれば、同様どうようみちびくことができる、とのはん批判ひはんである。

刑法けいほうにおける違法いほうせい

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多元たげんろんによれば、法令ほうれい違反いはんする行為こういでも、それが刑法けいほうてきにも違法いほう評価ひょうかされるかは、べつ問題もんだいということになる。

形式けいしきてき違法いほうせいろん実質じっしつてき違法いほうせいろん

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違法いほうせいとは、ある行為こういほう規範きはん違反いはんすることとするのが形式けいしきてき違法いほうせいどく:formelle Rechtswidrigkeit)ろんである。これは、実定法じっていほう主義しゅぎ立脚りっきゃくするものであって、アドルフ・メルケル(Adolf Merkel)やビンディングによって提唱ていしょうされた。

しかし、形式けいしきてき違法いほうせいろんは、「ほうはんすることが違法いほうである」ということを意味いみするのみで、なん違法いほうせい実体じったいあきらかにしない。そこで、形式けいしきてきほう規範きはん違反いはんではない、より実質じっしつてき意味いみでの違法いほうせい、すなわち実質じっしつてき違法いほうせいどく:materielle Rechtswidrigkeit)が探求たんきゅうされるようになった。

実質じっしつてき違法いほうせいろん内容ないようは、論者ろんしゃによって相当そうとうことなる。たとえば、フランツ・フォン・リストによれば、社会しゃかい侵害しんがいてき挙動きょどう法益ほうえきへの侵害しんがいまた脅威きょういが、M・E・マイヤー(M.E.Mayer)によれば、国家こっか承認しょうにんした文化ぶんか規範きはん(Kulturnorm)と相容あいいれない態度たいどが、それぞれ(実質じっしつてき違法いほうせい内容ないようであるとされている。上記じょうきリストの見解けんかい法益ほうえき侵害しんがいせつ、マイヤーの見解けんかい規範きはん違反いはんせつという場合ばあいがあり、それぞれ、結果けっか価値かちろん行為こうい価値かちろん関連かんれんする。

客観きゃっかんてき違法いほうろん主観しゅかんてき違法いほうろん

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刑法けいほうじょう違法いほうせい本質ほんしつについて、かつては、客観きゃっかんてき違法いほうろん主観しゅかんてき違法いほうろんとの対立たいりつがみられた。古典こてん刑法けいほうがく旧派きゅうは)の立場たちばからは客観きゃっかんてき違法いほうろんが、近代きんだい刑法けいほうがく新派しんぱ)の立場たちばからは主観しゅかんてき違法いほうろん支持しじされ、学派がくはあらそなかさかんに論争ろんそうひろげられていたのである。

客観きゃっかんてき違法いほうろんと、主観しゅかんてき違法いほうろんとは、ほう評価ひょうか規範きはんるか、命令めいれい規範きはんるかについて、見解けんかいことにする。

客観きゃっかんてき違法いほうろん客観きゃっかん主義しゅぎ)は、客観きゃっかんてき評価ひょうか規範きはんであるほう規範きはんに、客観きゃっかんてき違反いはんすることが違法いほうであるとする立場たちばである。これによれば、責任せきにん能力のうりょくのないもの行為こういであっても、違法いほう評価ひょうかされうることになるし、極論きょくろんすると、人間にんげん以外いがい動物どうぶつ行動こうどう自然しぜん現象げんしょうについても、違法いほうとの評価ひょうかくだる。

主観しゅかんてき違法いほうろん主観しゅかん主義しゅぎ)は、行為こういしゃたいする命令めいれい規範きはんであるところのほう規範きはんについて、その命令めいれい理解りかいしながら、みずからの意思いしにより行動こうどうして違反いはんすることが違法いほうであるとする立場たちばである。これによれば、責任せきにん能力のうりょくのないもの行為こういは、違法いほう評価ひょうかすることができない(当然とうぜんひと行為こういではない自然しぜん現象げんしょう違法いほう評価ひょうかすることはない)。

元来がんらい客観きゃっかんてき違法いほうせいろんは、伝統でんとうてき学説がくせつ見解けんかいであったが、19世紀せいき後半こうはんから、アドルフ・メルケル(Adolf Merkel)が提唱ていしょうした主観しゅかんてき違法いほうせいろん立場たちばから批判ひはんけ、主観しゅかんてき違法いほうろん支持しじあつめた。しかしながら、ルドルフ・フォン・イェーリングメツガー(E.Mezger)らが客観きゃっかんてき違法いほうせいろんがわから反論はんろんこころみた結果けっか主観しゅかんてき違法いほうせいろん徐々じょじょ支持しじしゃうしない、客観きゃっかんてき違法いほうせいろん支配しはいてき見解けんかいとなった。

この客観きゃっかんてき違法いほうせいろんによれば、刑法けいほう規範きはんは、評価ひょうか規範きはん決定けってい規範きはんふたつの側面そくめんゆうし、評価ひょうか規範きはんへの違背いはい違法いほうであり、決定けってい規範きはんへの違背いはい責任せきにんであるとされる。

結果けっか価値かち行為こうい価値かち

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客観きゃっかんてき違法いほうせいろん客観きゃっかん主義しゅぎ)が主流しゅりゅうとなるなかで、今度こんどは、その内部ないぶにおいて、違法いほうせい実質じっしつをめぐる対立たいりつ顕在けんざいするようになった。すなわち、違法いほうせい実質じっしつについて、法益ほうえき侵害しんがいせつ結果けっか価値かちろん)と規範きはん違反いはんせつ行為こうい価値かちろん)の対立たいりつである(それぞれの詳細しょうさいは、結果けっか価値かち行為こうい価値かち参照さんしょう。)。

結果けっか価値かちろんとは、違法いほうせい実質じっしつを、結果けっか価値かち(Erfolgsunwert)、すなわち、行為こういによって惹起じゃっきされた結果けっかへの否定ひていてき評価ひょうかであるとする見解けんかいであり、違法いほうせい実質じっしつ法益ほうえき侵害しんがいおよ危殆きたい理解りかいする法益ほうえき侵害しんがいせつ同視どうしされる。たとえば殺人さつじんざいについてみれば、既遂きすい場合ばあいひとという結果けっか未遂みすい場合ばあいひとという既遂きすい結果けっか惹起じゃっき危険きけんという結果けっかしょうじさせることが違法いほうであるとかんがえる。

行為こうい価値かちろんとは、違法いほうせい実質じっしつを、行為こうい価値かち(Handlungsunwert)、すなわち、結果けっかとははなされた狭義きょうぎ行為こうい(Handlung)それ自体じたいへの否定ひていてき評価ひょうかであると理解りかいする見解けんかいであり、違法いほうせい実質じっしつ行為こういはん規範きはんせい理解りかいする規範きはん違反いはんせつ同視どうしされる。たとえば殺人さつじん未遂みすいざいについてみれば、ひところしかねないような行為こうい悪性あくせい殺意さついとその行為こうい態様たいよう)が違法いほうせい基礎きそづけるとかんがえる。

さらに、刑法けいほう目的もくてき法益ほうえき保護ほごもとめるというてんでは結果けっか価値かちろんれつつも、それにくわえて行為こうい価値かちをも考慮こうりょして違法いほうせい理解りかいする立場たちばがあり、これは、折衷せっちゅうてき行為こうい価値かちろん二元にげんてき行為こうい価値かちろん、またはたん二元論にげんろんともいわれる。たんに「行為こうい価値かちろん」という場合ばあい、この二元論にげんろんしていることがほとんどである。

体系たいけいてき地位ちい

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ドイツの刑法けいほう理論りろんにおいては、犯罪はんざい成立せいりつするかかは、構成こうせい要件ようけん該当がいとうせい違法いほうせいゆうせめせいという3段階だんかい判断はんだんおこなわれる(さんふんろん)。

構成こうせい要件ようけん該当がいとうする行為こういは、原則げんそくとして違法いほうであるとされるが、例外れいがいてきに、正当せいとう防衛ぼうえいや、緊急きんきゅう避難ひなん場合ばあいには、違法いほうせいないと評価ひょうかされ(違法いほうせい阻却)、その行為こうい犯罪はんざいとならない。このように、違法いほうせい存在そんざいしないことを基礎きそづける事情じじょうのことを、違法いほうせい阻却事由じゆうという。

この違法いほうせい阻却事由じゆうを、構成こうせい要件ようけん要素ようそ消極しょうきょくてき構成こうせい要件ようけん要素ようそ)に位置いちづける見解けんかいもある(ドイツの通説つうせつ井田いだりょう)。

日本にっぽんにおける違法いほうせいろん

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刑法けいほうにおける違法いほうせい

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日本にっぽんにおいては、だんふじ重光しげみつ以来いらい行為こうい価値かちろん伝統でんとうてき通説つうせつであるとされてきた。ただし、日本にっぽんにおいて「行為こうい価値かちろん」とばれている見解けんかいのほとんどすべてが、結果けっか価値かち行為こうい価値かち両方りょうほう違法いほうせい本質ほんしつとして承認しょうにんする二元論にげんろんであり、行為こうい価値かちのみを違法いほうせい実質じっしつとして理解りかいする見解けんかい(かつてドイツにおいて通説つうせつてき地位ちいめた一元いちげんてき行為こうい価値かちろん)とはことなる。

学界がっかいにおいて、行為こうい価値かちろんは、道徳どうとく刑法けいほうてきにも保護ほごするかんがえであるとの批判ひはんくわえられた。その中心ちゅうしんてき人物じんぶつ平野ひらの龍一りゅういちであり、かれ支持しじする結果けっか価値かちろん支持しじ拡大かくだいし、きわめて強力きょうりょく主張しゅちょうされるにいたった[2]

違法いほうせいろん結論けつろんへの影響えいきょう判例はんれい

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結果けっか価値かちろん行為こうい価値かちろんとは、しばしばはげしく対立たいりつし、行為こうい価値かちろん二元論にげんろん)のほうが処罰しょばつ若干じゃっかんひろおこな傾向けいこうがあると指摘してきされることもあるが、しばしば違法いほうせいろんから演繹えんえきてき結論けつろんみちびかれるかのように説明せつめいされるそうてんについても、実際じっさいには違法いほうせいろんとはことなるところでの見解けんかい相違そうい結論けつろん差異さいしょうじているとの指摘してきがある[3]ため、一概いちがいに、行為こうい価値かちろんだから処罰しょばつ範囲はんい拡大かくだいする、とはいえない[独自どくじ研究けんきゅう?]

日本にっぽん判例はんれい実務じつむは、行為こうい価値かちろんのっとっているとされるが、判決はんけつぶんにおいてあきらかにされているわけではないし、結論けつろんにおいて一致いっちする学説がくせつが、かならずしも行為こうい価値かちろん立脚りっきゃくするとはかぎらない。

民法みんぽうにおける違法いほうせい

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不法ふほう行為こういほうにおける違法いほうせい

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日本にっぽん民法みんぽう709じょう以下いか規定きていされている不法ふほう行為こういにおいて、「違法いほうせい」が独立どくりつ成立せいりつ要件ようけんとなるとする見解けんかいもあるが、批判ひはんもある。「違法いほうせい」は独立どくりつした成立せいりつ要件ようけんになるとする見解けんかい通説つうせつとされた時期じきもあり[注釈ちゅうしゃく 2]、その影響えいきょうけた国家こっか賠償ばいしょうほうでは、1じょうにおいて、「違法いほうに」という文言もんごんもちいられている。しかし、1960年代ねんだい以降いこう、1980年代ねんだいにかけて、通説つうせつたいする批判ひはんつよまり、違法いほうせいという要件ようけん不要ふようであって、過失かしつ要件ようけん解消かいしょうすべきとするせつ平井ひらいむべゆう)や、条文じょうぶんどおり「権利けんり侵害しんがい」と「故意こい過失かしつ」の要件ようけんなかかんがえればいとするせつ星野ほしの英一ひでかず)、伝統でんとうてき通説つうせつ枠組わくぐみ維持いじしつつ、これを改良かいりょうするせつ四宮しのみや和夫かずお澤井さわいひろし)、むしろ「権利けんり侵害しんがい」「過失かしつ」のりょう要件ようけん違法いほうせい要件ようけん解消かいしょうすべきとするせつ前田まえだいたるあきら)が相次あいついで登場とうじょうした。さらに、2000年代ねんだいはいって、不法ふほう行為こういほう個人こじん基本きほんけん保護ほごのための制度せいどとしてさい構成こうせいするせつ主張しゅちょうされている(山本やまもと敬三けいぞう[4]他方たほう裁判さいばんれいにおいては、上記じょうき学説がくせつ動向どうこうにもかかわらず、「違法いほうせい」という文言もんごん使つかわれつづけている[5]

債務さいむ不履行ふりこうほうにおける違法いほうせい

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履行りこう遅滞ちたいもとづく解除かいじょ損害そんがい賠償ばいしょうろんじるさいに、履行りこうをしないことを正当せいとうする理由りゆう同時どうじ履行りこう抗弁こうべんけんなど。)がないことをもって「違法いほう」と表現ひょうげんすることがある[6](よって、履行りこうしないことを正当せいとうする理由りゆうのことを、違法いほうせい阻却事由じゆうということがある)。これは、ドイツ民法みんぽう理論りろん参照さんしょうして債務さいむ不履行ふりこう要件ようけん構成こうせいした学説がくせつにおいてみられるもので、そこでは、ドイツ刑法けいほうがくおなじく、構成こうせい要件ようけん違法いほうせいおよ責任せきにんの3段階だんかいけて考察こうさつするさんふんろん採用さいようしたものである[7]

行政ぎょうせいほうにおける違法いほうせい

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瑕疵かしのある行政ぎょうせい行為こういは、たとえ違法いほうであっても取消とりけされなければその公定こうていりょくによって適法てきほうとみなされる。

違法いほう判断はんだん基準きじゅん

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 日本にっぽんにおけるおおかたの判例はんれいは、取消とりけし訴訟そしょうにおける違法いほう判断はんだん基準きじゅんとして、もとの処分しょぶんどき支持しじしてきた。

参考さんこう文献ぶんけん

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刑法けいほうじょう違法いほうせいにつき、

  • 大塚おおつかひとし河上かわかみ和雄かずお佐藤さとうぶん哉・古田ふるたたすくへんだいコンメンタール刑法けいほうだいはん)』だい2かん166ぺーじ以下いか大塚おおつかひとし
  • 大塚おおつかひとし刑法けいほうにおけるしんきゅう両派りょうは理論りろん』(1957ねん

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ illegalityという言葉ことばもあるがこれはむしろ不法ふほうせい意味いみちかいだろう。
  2. ^ 違法いほうせい要件ようけんとする見解けんかいは、末川すえかわはく権利けんり侵害しんがいろん』(弘文こうぶんどう書房しょぼう、1930ねん)にはじまり、我妻あづまさかえ事務じむ管理かんり不当ふとう利得りとく不法ふほう行為こうい』(日本にっぽん評論ひょうろんしゃ、1937ねん)において判断はんだん手法しゅほうととのえられて、確立かくりつした。

出典しゅってん

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  1. ^ [『有斐閣ゆうひかく法律ほうりつ用語ようご辞典じてん項目こうもく違法いほう」・「不法ふほう」]
  2. ^ 内藤ないとうけん戦後せんご刑法けいほうがくにおける行為こうい価値かちろん結果けっか価値かちろん展開てんかい(1)」『刑法けいほう雑誌ざっしだい21かんだい4ごう日本にっぽん刑法けいほう学会がっかい、1977ねん6がつ、1ぺーじCRID 1390294595556774784doi:10.34328/jcl.21.4_381ISSN 0022-0191 
    内藤ないとうけん戦後せんご刑法けいほうがくにおける行為こうい価値かちろん結果けっか価値かちろん展開てんかい(2)」『刑法けいほう雑誌ざっしだい22かんだい1ごう日本にっぽん刑法けいほう学会がっかい、1978ねん2がつ、58ぺーじCRID 1390013120580086656doi:10.34328/jcl.22.1_58ISSN 0022-0191 
  3. ^ 佐伯さえき仁志ひとし違法いほうせい判断はんだん法学ほうがく教室きょうしつ290ごう57ぺーじ以下いか
  4. ^ 以上いじょうにつき、澤井さわいひろし不法ふほう行為こうい法学ほうがく混迷こんめい展望てんぼう──違法いほうせい過失かしつ法学ほうがくセミナ−296ごう72ぺーじ潮見しおみ佳男よしお不法ふほう行為こうい』(しんやましゃ、1999ねんとくに33ぺーじ以下いか参照さんしょう
  5. ^ たとえば、最高裁さいこうさい平成へいせい17ねん7がつ19にち判決はんけつみんしゅう59かん6ごう1783ぺーじ、いわゆる過払かばらいきん返還へんかん請求せいきゅう事件じけんにおいて取引とりひき履歴りれき開示かいじしなかったことによる慰謝いしゃりょう請求せいきゅう事件じけん)を参照さんしょう
  6. ^ 我妻あづまさかえしんてい債權さいけん総論そうろん民法みんぽう講義こうぎIV)』111ぺーじなど。
  7. ^ 潮見しおみ佳男よしお債権さいけん総論そうろんI(だい2はん)』(しんやましゃ、2003ねん)259ぺーじ以下いか参照さんしょう

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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