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闕所

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闕所(けっしょ、または「かけしょ」とく)とは、まえ近代きんだいにおいて財産ざいさん没収ぼっしゅうけい所領しょりょう没収ぼっしゅうすること)またはその刑罰けいばつにより所有しょゆうしゃがいなくなった所領しょりょうのことをいう。

概要がいよう

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闕所とは本来ほんらいは、死亡しぼう逃亡とうぼう追放ついほう財産ざいさん没収ぼっしゅうなどによって本来ほんらい所有しょゆうしゃ権利けんりしゃ状態じょうたいになった土地とち所領しょりょうところしょくした。たとえば、跡継あとつぎがいないまま病死びょうししたもの土地とちなども闕所としょうせられた。

中世ちゅうせいはいると、財産ざいさん没収ぼっしゅうおこなうことによって没収ぼっしゅうされた土地とち所領しょりょうしょしょくが闕所になることから、土地とちなどを没収ぼっしゅうする財産ざいさんけいの1つとして位置いちづけられるようになった。

江戸えど時代じだいはいると、重罪じゅうざいもの付加ふかけいとして位置いちづけられ、田畑たばた家屋かおくじき家財かざいこそぎおさむこう没収ぼっしゅうのうえ、幕府ばくふ財産ざいさんになる)するものである。

歴史れきし

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中世ちゅうせい

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前述ぜんじゅつとおり、闕所には元々もともと所有しょゆうしゃ権利けんりしゃいた土地とちなどをしており、かならずしも犯罪はんざいによる没収ぼっしゅう由来ゆらいしたものではなかった。こうした闕所にたいして利害りがい関係かんけいしゃ由緒ゆいしょたてに闕所の給付きゅうふ要求ようきゅうする場合ばあいがあった。

たとえば、闕所になったもの一族いちぞく自分じぶんたち一族いちぞくあとであることを名目めいもくとして闕所一族いちぞく流出りゅうしゅつさせないことをもとめる場合ばあい、あるいは闕所になったもの以前いぜん知行ちぎょうしていたものあるいはその子孫しそんほんあるじとしての権利けんり回復かいふくもとめる場合ばあいである。これは土地とち売買ばいばい譲渡じょうとのち以前いぜん所有しょゆうしゃこそが真実しんじつ権利けんりしゃで、なんらかの契機けいきによって権利けんり回復かいふくすることがみとめられるという、土地とちかんする特殊とくしゅ権利けんり概念がいねん由来ゆらいしている。

鎌倉かまくら時代ときよ以後いごせんによる敗者はいしゃつみおかしたもの土地とちなどを没収ぼっしゅうすることを闕所としょうする事例じれい登場とうじょうし、室町むろまち時代ときよにはもっぱらこちらの意味いみもちいられるようになった。

なお、この場合ばあい対象たいしょうしゃぜん財産ざいさん没収ぼっしゅうすることを「闕所」としょうし、一部いちぶ没収ぼっしゅうである「おさむおおやけ」との区分くぶんけられていた。前者ぜんしゃ場合ばあいたたかいの勝者しょうしゃが、後者こうしゃ場合ばあい警察けいさつけん行使こうししゃ獲得かくとくし、その自由じゆう処分しょぶんまかされた。

前者ぜんしゃ代表だいひょうてきなものとしてうけたまわ寿ことぶきひさしらん平家ひらかぼつかんりょう承久じょうきゅうらんきょうかたあと闕所元弘もとひろらん北条ほうじょうだか法師ほうし与党よとう人跡じんせき闕所などがげられる。

後者こうしゃ場合ばあい通常つうじょう犯人はんにんついけんだんし、裁判さいばん有罪ゆうざいとしたものが闕所をおこなうこととされていたが、おおくの場合ばあい裁判さいばんで闕所を決定けっていした幕府ばくふ獲得かくとくし、実際じっさいついけんだんにあたった地頭じとうそうかんなどが報償ほうしょうとしてその一部いちぶ分与ぶんよけた。

闕所となった土地とちはその仕組しくみじょう警察けいさつ司法しほう軍事ぐんじかんするしょ権限けんげんゆうしていた幕府ばくふ集中しゅうちゅうすることとなったが、幕府ばくふはその一部いちぶ自己じこ直轄ちょっかつりょう編入へんにゅうし、ついけんだんにあたったもの分与ぶんよしたものの、闕所によっておん奉公ほうこう土地とち給付きゅうふとその見返みかえりである御家人ごけにんやく負担ふたん)のかんがえにもとづく主従しゅうじゅう関係かんけい破綻はたんすることはのぞましいものではなく、あたらしい領主りょうしゅ決定けっていしなければならなかった。当然とうぜんのように前述ぜんじゅつ一族いちぞくほんぬし給付きゅうふもとめてうったえ、それ以外いがいにも希望きぼうしゃ殺到さっとうして幕府ばくふあたまなやませた。

成敗せいばい式目しきもく』には承久じょうきゅうらんの闕所きょうかたあと闕所)の処分しょぶん決定けっていしたのちほんぬしとして権利けんり主張しゅちょうすることをきんじたり(16じょう)、裁判さいばんちゅうに闕所となることを期待きたいして当事とうじしゃ誹謗ひぼうすることをきんじたり(44じょう)している。

また、鎌倉かまくら時代じだい後期こうきには北条ほうじょう一族いちぞく各地かくち御家人ごけにん所領しょりょううばった反動はんどうにより、鎌倉かまくら幕府ばくふとともに同氏どうし滅亡めつぼうすると、北条ほうじょう所領しょりょううばわれた御家人ごけにんたちがほん主権しゅけんたてに闕所(北条ほうじょうだか法師ほうし与党よとう人跡じんせき闕所)の給付きゅうふもとめて後醍醐天皇ごだいごてんのうたてたけし政権せいけん殺到さっとうした。

室町むろまち時代ときよになると、室町むろまち幕府ばくふの闕所処分しょぶん現地げんち守護しゅごなども関与かんよするようになり、守護しゅご領国りょうごくせい形成けいせいにも影響えいきょうあたえた。

また、有徳うとくじんなど所領しょりょうっていない武士ぶし以外いがい人々ひとびとたいしても家屋かおくじき動産どうさんなどを没収ぼっしゅうする闕所がおこなわれるようになった。

近世きんせい

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江戸えど時代じだいにおいて、闕所は死刑しけい追放ついほうけいしょせられたもの対象たいしょうとしておこなわれた[1]

闕所は付加ふかけいとしておこなわれ、つま婚姻こんいん持参じさんした金銭きんせん田畑たはた没収ぼっしゅうされるが、つま名義めいぎとなっている田畑たはた対象たいしょうからのぞかれる[1]。また寺社じしゃづけ品物しなもの以外いがいすべ没収ぼっしゅうされた。これは家族かぞく身着みきのままで放逐ほうちくすることで実質じっしつじょう連帯れんたい責任せきにんわせる意図いとゆうしていた。

※ただし、じゅう追放ついほう以下いか1745ねんのべとおる2ねん以後いご武士ぶし限定げんていされて適用てきようされた。

江戸えど幕府ばくふには大目おおめづけしたに闕所によって接収せっしゅうした物品ぶっぴん売却ばいきゃくするための闕所ぶつ奉行ぶぎょうという役職やくしょく設置せっちされた。闕所財産ざいさん牢屋ろうや修繕しゅうぜん与力よりき同心どうしんかごだい旅籠はたごだいなどの経費けいひにあてられた[1]

なお、家財かざいには該当がいとうしゃ債権さいけん債務さいむふくまれていたが、そのあつかいは没収ぼっしゅうする領主りょうしゅがわ一任いちにんされており、事務じむ煩雑はんざつ理由りゆう債権さいけん放棄ほうきされて債務さいむしゃ結果けっかてき救済きゅうさいされるれいぎゃく当該とうがいしゃ多額たがく債務さいむかかえていながら領主りょうしゅがわが闕所財産ざいさん清算せいさんして債権さいけんしゃ配分はいぶんする意向いこうのない場合ばあいには、債権さいけんしゃには事実じじつじょう寝入ねいりをせまられた。

実際じっさいしついれされた土地とち家屋かおくかんしてはしつひと元金がんきんぶん補償ほしょうしたうえ没収ぼっしゅうされたが、そのの闕所財産ざいさんおおくは入札にゅうさつにかけられて代金だいきんはそのまま領主りょうしゅ財政ざいせい収入しゅうにゅうまれている。

また、欠落けつらく出奔しゅっぽん)した場合ばあいにもこれにじゅんじて闕所がおこなわれて田畑たはた家屋かおくじき家財かざい没収ぼっしゅうおこなわれた。しかし、江戸えど時代じだい中期ちゅうき以後いごにはつみおかしていない農民のうみん欠落けつらくで、なおかつ当該とうがいしゃ相続そうぞくじんがいる場合ばあいには農業のうぎょう経営けいえい必要ひつよう田畑たはた家屋かおくじきなどの没収ぼっしゅう免除めんじょされ、債権さいけん債務さいむなどのみが没収ぼっしゅうされる(結果けっかてきには欠落けつらく農民のうみん相続そうぞくじん主要しゅよう財産ざいさんはそのまま継承けいしょうして借金しゃっきんだけが免除めんじょされる)という奇妙きみょう規定きてい登場とうじょうするようになる。これは農業のうぎょう経営けいえい存続そんぞく保証ほしょうすることで年貢ねんぐ負担ふたんになである農民のうみん土地とちへの復帰ふっきうながすための政策せいさく一環いっかんであり、家族かぞく存在そんざいしても闕所によって家財かざいのほとんどが没収ぼっしゅうとなった、欠落けつらくした武士ぶし商人しょうにんなどとはあつかいがことなっていたとえる[3]

闕所で有名ゆうめい事件じけんは、1595ねんぶんろく4ねん)の園城寺おんじょうじ三井寺みいでら)や1705ねん宝永ほうえい2ねん)のよどみ辰五郎たつごろうけんがあげられる。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b c d e 滝川たきかわ 1972, pp. 167–169.
  2. ^ 高柳たかやなぎ 1988, p. 109.
  3. ^ 高柳たかやなぎ 1988, pp. 185–205.

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 石井いしい良助りょうすけ「闕所」(『国史こくしだい辞典じてん 5』(吉川弘文館よしかわこうぶんかん、1985ねんISBN 978-4-642-00505-0
  • 笠松かさまつひろしいたり/加藤かとう英明ひであき「闕所」(『日本にっぽんだい事典じてん 2』(平凡社へいぼんしゃ、1993ねんISBN 978-4-582-13102-4
  • 滝川たきがわ, 政次郎まさじろう日本にっぽん行刑ぎょうけい』(3はん青蛙あおがえるぼう、1972ねん11月20にちdoi:10.11501/12013162 (よう登録とうろく)
  • 高柳たかやなぎ, さん江戸えど時代じだいつみ刑罰けいばつしょうせつ有斐閣ゆうひかく、1988ねん12月20にちISBN 4-641-04099-0 
  • 羽下はねした徳彦とくひこ「闕所」(『日本にっぽん歴史れきしだい事典じてん 1』(小学館しょうがくかん、2000ねんISBN 978-4-09-523001-6

関連かんれん項目こうもく

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