鞍 月
1889
地理 ・概要
[鞍 月 は、犀川 と浅野川 に挟 まれた平野 部 の地域 で、南北 に石川 県道 60号 金沢 田鶴浜 線 (通称 50m道路 )が縦貫 している。また、環状 鞍 月 交差点 で金沢 外 環状 道路 とも交差 している。一般 的 に鞍 月 地域 は石川 県 道 60号 金沢 田鶴浜 線 の西念 交差点 (国道 8号 ・金沢 バイパス)と金沢 港 交差点 (石川 県道 8号 松任 宇ノ気 線 )間 の沿線 および周辺 地域 を指 すことが多 い。- 2003
年 (平成 15年 )に、石川 県 庁舎 が旧 鞍 月村 地域 に移転 する前年 の2002年 10月26日 に金沢 市 の町名 として鞍 月 が採用 された。
歴史
[鞍 月 の由来 は諸説 あるとされているが、鎌倉 時代 以降 に存在 した鞍 月 荘 (荘園 、倉 月 荘 が次第 に変化 )から命名 したとする説 が有力 とされている。古 くから鞍 月 は湿地 帯 であり、鞍 月 用水 や大野 庄 用水 が貫流 して水田 耕作 が盛 んであった。- 1889
年 (明治 22年 )に南新保 ・直江 ・大友 ・近岡 ・戸水 ・大友 御供田 の6村 が合併 して鞍 月村 が発足 した。その後 、1935年 (昭和 10年 )に金沢 市 に編入 合併 してからは南新保 ・直江 ・大友 ・近岡 ・戸水 の各 大字 は金沢 市 の町名 としてそのまま継承 され、大字 大友 御供田 は御供田 町 に改称 された。 - 1960
年代 以降 は宅地 化 が進 み、企業 の進出 が続 いた。1970年 (昭和 45年 )の金沢 港 開港 、1976年 (昭和 51年 )に石川 県立 中央 病院 の移転 開院 などが続 き、1987年 (昭和 62年 )から土地 区画 整理 事業 が進 められてきた。
沿革
[- 2002
年 (平成 14年 )10月26日 -金沢 市 金沢 西部 地区 土地 区画 整理 事業 及 び金沢 市 鞍 月 土地 区画 整理 事業 の事業 完了 に伴 い、南新保 町 ・大友 町 ・戸水 町 ・御供田 町 ・北町 ・無量寺 町 ・畝田東 4丁目 ・藤江北 4丁目 の各 一部 をもって成立 [1]。
町名
[※ここでは
鞍 月 (くらつき)一 丁目 ~五 丁目 鞍 月 東 (くらつきひがし)一 丁目 ~二 丁目 戸水 町 (とみずまち)、戸水 (とみず)一 丁目 ~二 丁目 大友 町 (おおともまち)、大友 (おおとも)一 丁目 ~三 丁目 直江 町 (なおえまち)、直江北 (なおえきた)一 丁目 直 江東 (なおえひがし)一 丁目 ~二 丁目 、直江 西 (なおえにし)一 丁目 直江 南 (なおえみなみ)一 丁目 ~二 丁目 御供田 町 (ごくでんまち)近岡 町 (ちかおかまち)南新保 町 (みなみしんぼまち)湊 (みなと)三 丁目 ~四 丁目 (10番地 ~34番地 、40番地 ~80番地 に限 る。)
周辺 施設
[行政
教育
商業 施設
事業 所
鞍 月 地域 に本社 を置 く企業
交通
[道路
[バス
[北 鉄 バス(北陸鉄道 ・北 鉄 金沢 バス)県庁 前 、工業 試験場 口 、工業 試験場 、市立 工業 高校 東口 、金沢 西 高校 、鞍 月 広場 、鞍 月 五 丁目 バス停 北 鉄 能登 バス高浜 急行 線 県庁 前 バス停 北 鉄 奥 能登 バス輪島 特急 線 、珠洲 特急 線 、珠洲 宇出津 特急 線 県庁 前 バス停
脚注
[- ^ 『
石川 県 公報 』第 11514号 、平成 14年 10月 25日 「石川 県 告示 第 558号 」「石川 県 告示 第 560号 」
関連 項目
[参考 文献
[角川 日本 地名 大 辞典 17石川 県 -角川書店 - 「
書 府 太郎 」石川 県 大 百科 事典 改訂 版 -北國 新聞 社 金沢 ・町 物語 町名 の由来 と人 と事件 の四 百 年 -能登 印刷 出版 部