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AGS・JH25

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
AGS・JH25 / JH25B
カテゴリー F1
コンストラクター AGS
デザイナー フランスの旗 ミッシェル・コスタ
先代せんだい AGS・JH24
後継こうけい AGS・JH27
主要しゅようしょもと
シャシー カーボンファイバー/ケブラー モノコック
サスペンション(まえ ダブルウィッシュボーン, コイルスプリング, プッシュロッド
サスペンション( ダブルウィッシュボーン, コイルスプリング, プッシュロッド
エンジン フォード-コスワース DFR, 3.5リッター, 600ps, V8 (90°), NA, ミッドエンジン, たて
トランスミッション ヒューランド / Messier, 6そく, MT
重量じゅうりょう 505 kg (1,113 lb)
燃料ねんりょう エルフ
タイヤ グッドイヤー
主要しゅよう成績せいせき
チーム Automobiles Gonfaronnaises Sportives
ドライバー イタリアの旗 ガブリエル・タルキーニ
フランスの旗 ヤニック・ダルマス
イタリアの旗 ファブリツィオ・バルバッツァ
スウェーデンの旗 ステファン・ヨハンソン
初戦しょせん サンマリノの旗 1990ねんサンマリノグランプリ
出走しゅっそう優勝ゆうしょうポールFラップ
26 (10 start)000
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AGS・JH25は、AGSチームが1990ねんのF1世界せかい選手権せんしゅけんよう製作せいさくしたフォーミュラ1カー。デザイナーはミッシェル・コスタ[1]1991ねん改良かいりょうがたJH25B使用しようされた。JH25はJH24にわって実戦じっせん投入とうにゅうされ、AGSにとってレースをフィニッシュした最後さいごくるまとなった。

背景はいけい

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AGS・JH25は変化へんか時代じだい製作せいさくされ、不安定ふあんてい信頼しんらいせいけたくるまであった。AGSは1989ねんシーズンまえにオーナーが交代こうたいした。フランス企業きぎょうシリル・ド・ルーブル英語えいごばんフランス語ふらんすごばんがチームを買収ばいしゅうしたが、そのとし問題もんだいおおかった。チームはあらゆる分野ぶんやしんスタッフを加入かにゅうさせ、かれらは当初とうしょ協力きょうりょくして業務ぎょうむたることができなかった。シーズンの重要じゅうようてんは、ぜんオーナーのアンリ・ジュリアンクリスチャン・バンダープレインドイツばん主導しゅどうして開発かいはつしてきた時代遅じだいおくれのJH23B開発かいはつりやめたことだった。その結果けっか、1989ねんなつにチームは予備よび予選よせんくみ降格こうかくする。なつわりに投入とうにゅうされたJH24設計せっけい不具合ふぐあい状況じょうきょう悪化あっか証明しょうめいした。1990ねん1がつにチームはゴンファロンのガレージ・デ・ラヴニールからちかくのル・リュックにあるかり拠点きょてん移転いてんした。新車しんしゃ開発かいはつおくれたのはこの移転いてんだけが理由りゆうではなかった。1990ねん1がつあらたなワークショップが設立せつりつされたのち、ミッシェル・コスタは新車しんしゃ開発かいはつはじめた。最初さいしょ車両しゃりょう完成かんせいしたのは1990ねん4がつのことであった[2][3]

開発かいはつ

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ミッシェル・コスタによって設計せっけいされたJH25は、JH24よりもスリムなあたらしいモノコックを[4]ほそとがったニードルノーズと、ドライバーの頭上ずじょうよこ方向ほうこうひろがりTがたとなる意匠いしょうらされた小型こがたのエアインテイク(インダクションポッド)などそらりょく特性とくせい完全かんぜん改訂かいていされていた。フロントサスペンションには前年ぜんねんティレル・018でF1かい登場とうじょうし、それをたコスタが1989ねんふゆから90ねんにかけて独自どくじ設計せっけい、1990ねん初戦しょせんで2だいのJH24に搭載とうさいされた1ほんショック構造こうぞうのサスユニットを導入どうにゅう。このフロントサスをコスタは「フル・フローティング・システム」と命名めいめいしている[1]。それは改善かいぜんとして認識にんしきされた。サイドポンツーンは非常ひじょうひくく、冷却れいきゃくシステム改善かいぜんされた[5]。コスタは前作ぜんさくから多数たすうのパーツを流用りゅうようした。そのなかには1989ねんのJH23Bではじめて採用さいようされたたてき6そくトランスミッションふくまれた。コスタは「当初とうしょたてきを搭載とうさいしているが、よこきトランスミッションをいま開発かいはつしているのでシーズンちゅう変更へんこうする予定よていがある。」と発表はっぴょうにイモラでべた[1]。エンジンは前年ぜんねん採用さいようされたハイニ・マーダーチューンのコスワースDFRが搭載とうさいされた。

AGS・JH25は5だい製作せいさくされた。4だいは1990ねん製作せいさくされ(シャシーナンバー040から043)、1だいが1991ねん製作せいさくされた(シャシーナンバー044)。040はシーズンまえのプライベートテストでヤニック・ダルマスがドライブして事故じここし、完全かんぜん破壊はかいされた[6]

レース戦績せんせき

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1990ねんシーズン

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AGSの1990ねんシーズンは2だい体制たいせいであった。ドライバーは前年ぜんねんからつづいてガブリエル・タルキーニヤニック・ダルマス起用きようされた。りょうとも予備よび予選よせん対象たいしょうであった。JH25のイメージカラーは当初とうしょブラックをベースとしてフロントからリアカウルまでりょうサイドにほんのシルバーストライプがほどこされていた。

JH25はだい3せんサンマリノGPで1だいのみまれ、タルキーニによってデビューした[1]。この時点じてんでまだJH25はレースにはてきしていなかった[4]。ダルマスはJH24をドライブして予備よび予選落よせんおちした。タルキーニはJH25をドライブしたが、同様どうよう予備よび予選落よせんおちしている。つづく5せんりょうとも1かい決勝けっしょう進出しんしゅつし、ダルマスは母国ぼこくフランスGPで17完走かんそうした。

シーズン後半こうはんはいると状況じょうきょうわずかに改善かいぜんした。オニクス・モンテヴェルディ財政難ざいせいなんのためハンガリーGPをもって撤退てったいすると、AGSは予備よび予選よせんつづけて通過つうかできるようになり、りょうドライバーとも3かい決勝けっしょう進出しんしゅつ。タルキーニはハンガリーGPで13、ダルマスはスペインGPで9完走かんそうした。この9がシーズンの最高さいこう成績せいせきで、これによって翌年よくねん予備よび予選よせんぐみから脱出だっしゅつできたため、「チームは優勝ゆうしょうしたかのようによろこんだ」という[7]

1991ねんシーズン

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1991ねんつづいて2だい体制たいせいとなり、ドライバーは17号車ごうしゃ残留ざんりゅうしたタルキーニ、18号車ごうしゃしん加入かにゅうのベテラン ステファン・ヨハンソン起用きようされた。カラーリングは若干じゃっかんブルーかったホワイトをベースに濃紺のうこん×シルバーのストライプがななめにマシンを横切よこぎまったしんらしいイメージへと変更へんこうされていたが、マシンそのものは前年ぜんねんわりがなかった。だい2せん終了しゅうりょうにオーナーが交代こうたいすると、ヨハンソンは契約けいやく解除かいじょされ、だい3せんサンマリノGPから18号車ごうしゃにはF1ルーキーのファブリツィオ・バルバッツァ起用きようされドライバーが2めいともイタリアじんとなった。ヨハンソンもバルバッツァも予選よせん通過つうかすることが出来できなかったが、タルキーニは序盤じょばん4せんで3予選よせん通過つうか開幕かいまくせんアメリカGPでは決勝けっしょうを8完走かんそうした。だい7せんフランスGPから、しんオーナーの意向いこうでブルーをベースにレインボーカラーのストライプへと配色はいしょく一新いっしんしてあらわれた。ブルーはそらいろを、あか地中海ちちゅうかい征服せいふくしゃたちを象徴しょうちょうしていると発表はっぴょうされた[8]

チームは前半ぜんはんせん予備よび予選よせん免除めんじょされていたが、時代遅じだいおくれの機材きざいもちい、混沌こんとんとした状況じょうきょうのままであった[9]成績せいせき不足ふそくのため後半こうはんせんドイツGPからは予備よび予選よせんぐみもどされ、イタリアGP以降いこう、JH25BにわってバンダープレインのによるニューマシンJH27投入とうにゅうされた。しかしながらそのニューマシンで3せん出場しゅつじょうしたのち、AGSは活動かつどう資金しきんそこをつきF1から撤退てったいした。

F1におけるぜん成績せいせき

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(key) (太字ふとじポールポジション

とし シャシー エンジン タイヤ No. ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 ポイント 順位じゅんい
1990ねん JH25 フォード-コスワース
DFR, V8, 3.5
G USA
アメリカ合衆国の旗
BRA
ブラジルの旗
SMR
サンマリノの旗
MON
モナコの旗
CAN
カナダの旗
MEX
メキシコの旗
FRA
フランスの旗
GBR
イギリスの旗
GER
ドイツの旗
HUN
ハンガリーの旗
BEL
ベルギーの旗
ITA
イタリアの旗
POR
ポルトガルの旗
ESP
スペインの旗
JPN
日本の旗
AUS
オーストラリアの旗
0 NC
17 イタリアの旗 ガブリエル・タルキーニ DNPQ DNPQ DNPQ DNPQ DNQ Ret DNPQ 13 DNQ DNQ DNQ Ret DNQ Ret
18 フランスの旗 ヤニック・ダルマス DNPQ DNPQ DNPQ 17 DNPQ DNQ DNQ DNQ Ret Ret 9 DNQ DNQ
1991ねん JH25
JH25B
フォード-コスワース
DFR, V8, 3.5
G USA
アメリカ合衆国の旗
BRA
ブラジルの旗
SMR
サンマリノの旗
MON
モナコの旗
CAN
カナダの旗
MEX
メキシコの旗
FRA
フランスの旗
GBR
イギリスの旗
GER
ドイツの旗
HUN
ハンガリーの旗
BEL
ベルギーの旗
ITA
イタリアの旗
POR
ポルトガルの旗
ESP
スペインの旗
JPN
日本の旗
AUS
オーストラリアの旗
0 NC
17 イタリアの旗 ガブリエル・タルキーニ 8 Ret DNQ Ret DNQ DNQ DNQ DNQ DNQ DNPQ DNPQ
18 スウェーデンの旗 ステファン・ヨハンソン DNQ DNQ
18 イタリアの旗 ファブリツィオ・バルバッツァ DNQ DNQ DNQ DNQ DNQ DNQ DNPQ DNPQ DNPQ DNPQ

参考さんこう文献ぶんけん

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  • Kevin Blick: Damon for a day. Top Gear, Heft 8/1998, S. 110 ff.(ドイツ
  • Patrice Burchkalter, Jean-Francois Galeron: Tout sur la Formule 1 1991, Surrèsnes 1991, ISBN 2-87636-067-5.(ドイツ
  • Adriano Cimarosti: Das Jahrhundert des Rennsports, Stuttgart 1997, ISBN 3-613-01848-9.(ドイツ
  • David Hodges: A–Z of Grand Prix Cars 1906–2001, 2001 (Crowood Press), ISBN 1-86126-339-2.(英語えいご
  • David Hodges: Rennwagen von A–Z nach 1945, Stuttgart 1993, ISBN 3-613-01477-7.(ドイツ
  • Pierre Ménard: La Grande Encyclopédie de la Formule 1, 2. Auflage, St. Sulpice, 2000, ISBN 2-940125-45-7.(フランス語ふらんすご

参照さんしょう

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  1. ^ a b c d コンパクトな仕上しあがりをせるAGSのニューマシンがイモーラに登場とうじょう Racing On No.076 35ぺーじ たけしゅう書房しょぼう 1990ねん7がつ1にち発行はっこう
  2. ^ Zum Ganzen: Burchkalter, Galeron: Tout sur la Formule 1 1991, S. 72 (Rückblick auf die Jahre 1989 und 1990).
  3. ^ Cimarosti: Das Jahrhundert des Rennsports, S.418.
  4. ^ a b Hodges: A-Z of Grand Prix Cars 1906-2001, S. 8.
  5. ^ Hodges: Rennwagen von A-Z nach 1945, S. 10.
  6. ^ Motorsport Aktuell, Heft 21/1990, S. 13.
  7. ^ Ménard: La Grande Encyclopédie de la Formule 1, S. 105.
  8. ^ MINI NEWS Racing On No.103 19ぺーじ 1991ねん9がつ1にち発行はっこう
  9. ^ Ménard: La Grande Encyclopédie de la Formule 1, S. 106.

外部がいぶリンク

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