『MODERN TIME 』(モダン・タイム)は、日本 にっぽん のシンガーソングライター である吉川 よしかわ 晃司 こうじ 4枚 まい 目 め のオリジナル・アルバム 。
1986年 ねん 2月 がつ 21日 にち にSMSレコード からリリースされた。前作 ぜんさく 『INNOCENT SKY 』(1985年 ねん )よりおよそ1年 ねん 振 ふ りにリリースされた作品 さくひん であり、プロデュースは前作 ぜんさく に引 ひ き続 つづ き渡辺 わたなべ プロダクション所属 しょぞく の木崎 きざき 賢治 けんじ が担当 たんとう している他 ほか 、SMSレコード所属 しょぞく の梅 うめ 鉢 ばち 康弘 やすひろ が担当 たんとう している。
本 ほん 作 さく には作詞 さくし 家 か として安藤 あんどう 秀樹 ひでき が参加 さんか 、作曲 さっきょく 家 か として原田 はらだ 真二 しんじ および中島 なかじま 文明 ふみあき 、佐藤 さとう 健 けん 、安藤 あんどう が参加 さんか 、また10曲 きょく 中 ちゅう 3曲 きょく が吉川 よしかわ による作詞 さくし 、4曲 きょく が吉川 よしかわ による作曲 さっきょく となっている。レコーディングは日本 にっぽん 国内 こくない で行 おこな われ、BOØWY 所属 しょぞく のギタリスト である布袋 ほてい 寅泰 ともやす が参加 さんか しており、SMSレコードからリリースされた後 のち のアルバム3作 さく すべてに参加 さんか することになった。また、吉川 よしかわ は布袋 ほてい とともに後 のち にCOMPLEX を結成 けっせい している。
本 ほん 作 さく はオリコンアルバムチャート において前作 ぜんさく に引 ひ き続 つづ き初 はつ 登場 とうじょう 第 だい 1位 い を獲得 かくとく 、これにより吉川 よしかわ のアルバムは3作 さく 連続 れんぞく で初 はつ 登場 とうじょう 第 だい 1位 い を記録 きろく することとなった。本 ほん 作 さく 以前 いぜん にリリースされた5枚 まい 目 め のシングル「にくまれそうなNEWフェイス 」および6枚 まい 目 め のシングル「RAIN-DANCEがきこえる 」は収録 しゅうろく されず、本 ほん 作 さく からは先行 せんこう シングルとして「キャンドルの瞳 ひとみ 」がリリースされ、映画 えいが 『テイク・イット・イージー 』(1986年 ねん )の主題歌 しゅだいか として使用 しよう された「MODERN TIME 」の他 ほか に「NERVOUS VENUS 」が12インチシングルとしてそれぞれリカット された。
前作 ぜんさく 『INNOCENT SKY 』(1985年 ねん )リリース後 ご 、吉川 よしかわ 晃司 こうじ は「85 JAPAN TOUR」と題 だい したコンサートツアーを同年 どうねん 3月 がつ 21日 にち の渋谷 しぶや 公会堂 こうかいどう 公演 こうえん から7月 がつ 21日 にち の国営 こくえい 昭和 しょうわ 記念 きねん 公園 こうえん 公演 こうえん に至 いた るまで、58都市 とし 全 ぜん 63公演 こうえん を実施 じっし した[ 3] 。僅 わず か3か月 げつ の間 あいだ に63公演 こうえん を行 おこな うという強行 きょうこう スケジュールであり、吉川 よしかわ はデビュー後 ご 初 はじ めてコンサート漬 づ けの毎日 まいにち を送 おく ることとなった。同 どう ツアーにはサポートギタリストとしてKODOMO BAND 所属 しょぞく のうじきつよし が参加 さんか 、チケットは全国 ぜんこく すべての会場 かいじょう で売 う り切 き れとなった。結果 けっか として吉川 よしかわ は1本 ほん のキャンセルもなく同 どう ツアーを完遂 かんすい し、ツアーファイナルとなった国営 こくえい 昭和 しょうわ 記念 きねん 公園 こうえん 公演 こうえん では約 やく 4万 まん 人 にん を動員 どういん した。
ツアー中 ちゅう の4月 がつ 23日 にち には5枚 まい 目 め のシングル「にくまれそうなNEWフェイス 」をリリース。同 どう 曲 きょく はオリコンシングルチャート において最高 さいこう 位 い 第 だい 1位 い の登場 とうじょう 週 しゅう 数 すう 11回 かい で売 う り上 あ げ枚数 まいすう は26.0万 まん 枚 まい となった。同 どう 曲 きょく はTBS系 けい 音楽 おんがく 番組 ばんぐみ 『ザ・ベストテン 』(1978年 ねん - 1989年 ねん )の5月 がつ 9日 にち 放送 ほうそう 分 ぶん において第 だい 5位 い で初 はつ 登場 とうじょう となり、5月30日 にち 放送 ほうそう 分 ぶん において最高 さいこう 位 い となる第 だい 1位 い を記録 きろく 、6月27日 にち 放送 ほうそう 分 ぶん に至 いた るまで8週 しゅう 連続 れんぞく ランクインとなった。フジテレビ系 けい 音楽 おんがく 番組 ばんぐみ 『夜 よる のヒットスタジオDELUXE 』(1985年 ねん - 1989年 ねん )においては4月 がつ 17日 にち 放送 ほうそう 分 ぶん において同 どう 曲 きょく を披露 ひろう した。7月31日 にち から8月 がつ 11日 にち にかけては「'85 K・KIKKAWA SUMMER ROCK FESTIVAL VS」と題 だい したイベントライブを実施 じっし 、HOUND DOG やBARBEE BOYS 、山下 やました 久美子 くみこ 、爆風 ばくふう スランプ 、本田 ほんだ 恭 きょう 章 あきら などと共演 きょうえん した。9月25日 にち には6枚 まい 目 め のシングル「RAIN-DANCEがきこえる 」をリリース。同 どう 曲 きょく はオリコンシングルチャートにおいて最高 さいこう 位 い 第 だい 2位 い の登場 とうじょう 週 しゅう 数 すう 11回 かい で売 う り上 あ げ枚数 まいすう は17.7万 まん 枚 まい となった。同 どう 曲 きょく は『ザ・ベストテン』の10月 がつ 10日 とおか 放送 ほうそう 分 ぶん において第 だい 5位 い で初 はつ 登場 とうじょう となり、10月24日 にち および10月 がつ 31日 にち 放送 ほうそう 分 ぶん において最高 さいこう 位 い となる第 だい 4位 い を記録 きろく 、11月28日 にち 放送 ほうそう 分 ぶん に至 いた るまで8週 しゅう 連続 れんぞく ランクインとなった。『夜 よる のヒットスタジオDELUXE』では10月2日 にち 放送 ほうそう 分 ぶん および10月 がつ 30日 にち 、11月27日 にち 、12月11日 にち 放送 ほうそう 分 ぶん において同 どう 曲 きょく を披露 ひろう した。11月3日 にち には12インチシングル「Can't you hear the RAIN-DANCE」をリリース。同 どう 曲 きょく はオリコンシングルチャートにて最高 さいこう 位 い 第 だい 5位 い の登場 とうじょう 週 しゅう 数 すう 11回 かい で売 う り上 あ げ枚数 まいすう は9.6万 まん 枚 まい となった。
12月31日 にち にはNHK総合 そうごう 音楽 おんがく 番組 ばんぐみ 『第 だい 36回 かい NHK紅白 こうはく 歌合戦 うたがっせん 』に出演 しゅつえん 。白 しろ 組 ぐみ であるにも拘 かか わらず赤 あか い衣装 いしょう で登場 とうじょう し、ステージ上 じょう にシャンパン を撒 ま き散 ち らす行為 こうい や演奏 えんそう 終了 しゅうりょう 後 ご にギターに火 ひ をつける行為 こうい などを行 おこな った[ 11] 。この行為 こうい により次 つぎ の出番 でばん であった河合 かわい 奈保子 なほこ の登場 とうじょう を妨 さまた げ、さらにその後 ご ステージに立 た ったシブがき隊 たい の布川 ふかわ 敏和 としかず は吉川 よしかわ が使用 しよう したオイルで滑 すべ り転倒 てんとう するアクシデントが発生 はっせい した[ 12] 。当初 とうしょ 吉川 よしかわ は同 どう 番組 ばんぐみ への出演 しゅつえん を拒否 きょひ していたが、「お前 まえ は渡辺 わたなべ プロだから出 で なきゃダメなんだ」と説得 せっとく され、渋々 しぶしぶ 出演 しゅつえん を承諾 しょうだく したものの音楽 おんがく 番組 ばんぐみ への嫌悪 けんお 感 かん から自 みずか らを浮 う いた存在 そんざい にするための行為 こうい を模索 もさく 、考 かんが えがまとまらないまま本番 ほんばん を迎 むか えてしまったことから前述 ぜんじゅつ の行為 こうい に及 およ んだと述懐 じゅっかい している。極度 きょくど の興奮 こうふん 状態 じょうたい であったため自身 じしん の出番 でばん が延 の びてしまっている感覚 かんかく もなく、またギターへの引火 いんか もジミ・ヘンドリックス を真似 まね て軽 かる く火 ひ を付 つ けるつもりが照明 しょうめい の影響 えいきょう で火 ひ は見 み えず、自身 じしん も火傷 かしょう するなどの結果 けっか に終 お わったことを吉川 よしかわ は後 のち に「全部 ぜんぶ が見事 みごと なほど裏目 うらめ に出 で た」と述 の べている。後年 こうねん 、この行為 こうい について吉川 よしかわ は抗議 こうぎ 行動 こうどう の意図 いと があったと弁解 べんかい した上 うえ で、「あまりにも稚拙 ちせつ だった」と反省 はんせい の弁 べん を述 の べている。また吉川 よしかわ は「決 けっ して番組 ばんぐみ をぶっ壊 こわ すつもりはなかったのに、スタッフ、出演 しゅつえん 者 しゃ の皆 みな さんにご迷惑 めいわく をお掛 か けしてしまった。そのとばっちりで次 つぎ の出演 しゅつえん 者 しゃ の河合 かわい 奈保子 なほこ さんに迷惑 めいわく を掛 か けたことも大変 たいへん 申 もう し訳 わけ なかった」と自著 じちょ 『愚 ぐ 日本一 にっぽんいち 心 しん 』の中 なか で謝罪 しゃざい している。この行為 こうい は家族 かぞく や親族 しんぞく からの怒 いか りを買 か い、マネージャーは減俸 げんぽう 処分 しょぶん となり頭 あたま を丸 まる める事態 じたい となった。それ以外 いがい にもNHK 内 うち にて吉川 よしかわ の行為 こうい は問題 もんだい 視 し され、同局 どうきょく には数 すう 年間 ねんかん 出入 でい り禁止 きんし 処分 しょぶん となりラジオ番組 ばんぐみ においても吉川 よしかわ の楽曲 がっきょく は放送 ほうそう されなくなったという。さらに、事前 じぜん に決定 けってい していた翌年 よくねん NHKで放送 ほうそう された成人 せいじん 式 しき イベントの番組 ばんぐみ に出演 しゅつえん した際 さい は、30分 ふん から40分 ぶん の予定 よてい で5曲 きょく 演奏 えんそう するところを1曲 きょく に減 へ らされ、危険 きけん 人物 じんぶつ と見 み 做されたことから楽屋 がくや には私服 しふく の刑事 けいじ が立 た っていたという。
デビュー・アルバムがその当時 とうじ で三 さん 十 じゅう 万 まん 枚 まい くらいだったの。半分 はんぶん でいいから、もうちょっと自分 じぶん の行動 こうどう 力 りょく を増 ふ やしたいなと思 おも ってたんだ。量 りょう が多 おお いと一 いち 回転 かいてん するだけでも重 おも いでしょ? みんながやいのやいの言 い うし。で、売 う れなくなれば事務所 じむしょ をやめられるなと思 おも ったの。だから、どんどんそういうハズレた行為 こうい ばっかりしてた。
吉川 よしかわ 晃司 こうじ , 月刊 げっかん カドカワ 1993年 ねん 3月 がつ 号 ごう
本 ほん 作 さく のレコーディングは1985年 ねん 秋 あき に開始 かいし された。吉川 よしかわ はバイク でレコーディングスタジオと自宅 じたく を往復 おうふく する毎日 まいにち を送 おく り、時 とき にはスタジオに宿泊 しゅくはく することもあったという。本 ほん 作 さく はプロデューサーである木崎 きざき 賢治 けんじ に対 たい し吉川 よしかわ 自身 じしん が「これはちょっとアーバンをテーマにしたいんだ」と告 つ げ、吉川 よしかわ のディレクションの下 した で制作 せいさく が行 おこな われた。吉川 よしかわ は本 ほん 作 さく について「やっと魂 たましい が摩天楼 まてんろう に漂着 ひょうちゃく した」と表現 ひょうげん し、それまでは希求 ききゅう した方向 ほうこう 性 せい とは外 はず れた作品 さくひん が多 おお かったものの、本 ほん 作 さく では吉川 よしかわ 自身 じしん が望 のぞ んだ作品 さくひん が制作 せいさく できたとの感想 かんそう を述 の べている。当時 とうじ の吉川 よしかわ はユーリズミックス から聴 き き始 はじ め徐々 じょじょ にカルトな音楽 おんがく を聴 き くようになったことが影響 えいきょう し、本 ほん 作 さく 収録 しゅうろく 曲 きょく である「サイケデリックHIP」はエレクトロニック・ボディ・ミュージック の走 はし りであると吉川 よしかわ は述 の べている。前作 ぜんさく から参加 さんか しているベーシスト の後藤 ごとう 次 じ 利 り はトリッキーな音楽 おんがく を好 この んでいたため、吉川 よしかわ の指向 しこう 性 せい には好意 こうい 的 てき な反応 はんのう を示 しめ しており、音 おと にならない部分 ぶぶん で活躍 かつやく していたと吉川 よしかわ は述 の べている。
本 ほん 作 さく において吉川 よしかわ はBOØWY 所属 しょぞく の布袋 ほてい 寅泰 ともやす をギタリスト として起用 きよう 。吉川 よしかわ が初 はじ めて布袋 ほてい と会 あ ったのは1985年 ねん 頃 ごろ であり、ギタリストである友人 ゆうじん の鈴木 すずき 賢司 けんじ が六本木 ろっぽんぎ のレコーディング・スタジオに連 つ れてきたのが初 はつ 顔合 かおあ わせとなった。布袋 ほてい は差 さ し入 い れとしてバーボン・ウイスキー を持参 じさん し、吉川 よしかわ は布袋 ほてい に対 たい して「気 き が利 き く人 ひと だなと思 おも ったのと、デカッ! っていうのが第 だい 一 いち 印象 いんしょう 」と述 の べた他 ほか 、自身 じしん より長身 ちょうしん の人物 じんぶつ にあまり会 あ ったことがない吉川 よしかわ は「上 うえ を向 む いてしゃべるのがちょっと気 き に喰 く わなかった」と述 の べている。その後 ご 布袋 ほてい は度々 たびたび スタジオを訪 おとず れるようになり、複 ふく 数 すう 回 かい のセッションを経 へ て「ちょっとギター、弾 ひ いてみる?」と吉川 よしかわ が提案 ていあん したことから本 ほん 作 さく への参加 さんか が決定 けってい した。しかし他 た の手 て 練 ね れのスタジオ・ミュージシャンの中 なか において布袋 ほてい は浮 う いた存在 そんざい であり、またテンション・コード を多用 たよう する後藤 ごとう の音楽 おんがく 性 せい は布袋 ほてい のギター・ワークとは全 まった く異 こと なるものであった。後藤 ごとう の演奏 えんそう するベース の音 おと には並大抵 なみたいてい のギター演奏 えんそう では対抗 たいこう できないため、布袋 ほてい はギターのコードブックまで持 も ち込 こ んでいたという。吉川 よしかわ はそれが功 こう を奏 そう したと述 の べており、布袋 ほてい のギター演奏 えんそう を「ガキガキしちゃって、ゴリゴリしちゃって」と例 たと えた上 うえ で絶賛 ぜっさん している。当時 とうじ の吉川 よしかわ はテレビ出演 しゅつえん を極力 きょくりょく 減 へ らしてコンサートツアーを主体 しゅたい にしていく土台 どだい が出来上 できあ がった頃 ころ であると述 の べた上 うえ で、トータルで自身 じしん の色 いろ を表現 ひょうげん できた初 はじ めての作品 さくひん が本 ほん 作 さく であると述 の べている。歌 うた 入 い れに関 かん して吉川 よしかわ は「アクセント状態 じょうたい からはほぼ抜 ぬ け出 で てるんじゃないかな」と述 の べ、当時 とうじ は吉川 よしかわ 自身 じしん の意思 いし により一貫 いっかん して感情 かんじょう を表 ひょう に出 だ さない歌 うた い方 かた をしていたとも述 の べている。
吉川 よしかわ は1993年 ねん の時点 じてん で本 ほん 作 さく を「今 いま まで出 だ したアルバムの中 なか で一 いち 番 ばん か二 に 番 つが ってくらい好 す きなアルバム」と述 の べており、また本 ほん 作 さく リリース以降 いこう でファン層 そう が著 いちじる しく変化 へんか したことについて「一 いち 、二枚目 にまいめ を聴 き いている人 ひと は、こんなの聴 き かないよね」とも述 の べている。当時 とうじ の吉川 よしかわ は「自分 じぶん の許容 きょよう 範囲 はんい でそろそろ自分 じぶん を動 うご かしていきたい」との思 おも いがあり、デビュー・アルバムの売 う り上 あ げ枚数 まいすう が30万 まん 枚 まい 程度 ていど であったが、その売 う り上 あ げを半分 はんぶん に落 お としても自身 じしん の行動 こうどう 力 りょく を増加 ぞうか させたいと考 かんが えていた。売 う り上 あ げ枚数 まいすう が大 おお きいほど周囲 しゅうい の人物 じんぶつ から口 くち を出 だ されることから、売 う れなくなることで所属 しょぞく 事務所 じむしょ を退 すさ 所 ところ できると考 かんが え、正攻法 せいこうほう から外 はず れた行為 こうい ばかりを行 おこな っていたと後 のち に述懐 じゅっかい している。
本 ほん 作 さく は1986年 ねん 2月 がつ 21日 にち にSMSレコード からLP およびCT 、CD の3形態 けいたい でリリースされた。本 ほん 作 さく からは同年 どうねん 1月 がつ 1日 にち に「キャンドルの瞳 ひとみ 」が先行 せんこう シングルとしてリリースされた他 ほか 、3月21日 にち に吉川 よしかわ 主演 しゅえん 第 だい 3作 さく となる映画 えいが 『テイク・イット・イージー 』(1986年 ねん )の主題歌 しゅだいか として使用 しよう された「MODERN TIME 」、6月21日 にち に12インチシングルとして「NERVOUS VENUS 」がリリースされた。本 ほん 作 さく ではアルバムの先着 せんちゃく 購入 こうにゅう 特典 とくてん として、B2サイズのポスターが進呈 しんてい された。また本 ほん 作 さく と前年 ぜんねん にリリースされたライブ・ビデオ『'85 JAPAN TOUR FINAL IN 東京 とうきょう 昭和 しょうわ 記念 きねん 公園 こうえん 』とシングル「キャンドルの瞳 ひとみ 」に付 つ いているKojiマークを切 き り取 と り、3枚 まい 1組 くみ で応募 おうぼ すると、抽選 ちゅうせん で2000名 めい にB0サイズ・特大 とくだい ポスターがプレゼントされた。
本 ほん 作 さく ではアートディレクターとして、吉川 よしかわ 自身 じしん がジャケット制作 せいさく に関 かか わっている。本 ほん 作 さく のジャケットに使用 しよう されている写真 しゃしん は、山内 やまうち 順 じゅん 仁 ひとし が撮影 さつえい し音楽 おんがく 誌 し 『PATi-PATi』に掲載 けいさい されたものであり、『PATi-PATi』の協力 きょうりょく を得 え てアルバムジャケットに使用 しよう している[ 注釈 ちゅうしゃく 1] 。同 どう 写真 しゃしん は、後 のち に発売 はつばい された写真 しゃしん 集 しゅう 『STAND UP KIKKAWA KOJI FILMOGRAPHY by 14 PHOTOGRAPHERS』(2021年 ねん )の表紙 ひょうし に採用 さいよう されている[ 21] 。音楽 おんがく 情報 じょうほう サイト『OKMusic 』にてライターの帆苅 ほかり 智之 としゆき は、前作 ぜんさく までのジャケットがFM情報 じょうほう 誌 し 『FM STATION 』の表紙 ひょうし を彷彿 ほうふつ させるいかにも1980年代 ねんだい のような作風 さくふう であったのに対 たい し、本 ほん 作 さく では落 お ち着 つ いた構成 こうせい になっていると指摘 してき している[ 22] 。
本 ほん 作 さく はオリコンアルバムチャート にて、LP盤 ばん およびCT、CD盤 ばん のすべてで最高 さいこう 位 い 第 だい 1位 い を獲得 かくとく 、LP盤 ばん は登場 とうじょう 週 しゅう 数 すう 22回 かい で売 う り上 あ げ枚数 まいすう は19.0万 まん 枚 まい 、CTは登場 とうじょう 週 しゅう 数 すう 19回 かい で売 う り上 あ げ本数 ほんすう は10.4万 まん 枚 まい 、CD盤 ばん は登場 とうじょう 週 しゅう 数 すう 13回 かい で売 う り上 あ げ枚数 まいすう は2.4万 まん 枚 まい となり、総合 そうごう の売 う り上 あ げ枚数 まいすう は31.8万 まん 枚 まい となった。この結果 けっか により、同 どう チャートにて3作 さく 連続 れんぞく 初 はつ 登場 とうじょう 第 だい 1位 い の記録 きろく を達成 たっせい した。2021年 ねん に実施 じっし されたねとらぼ調査 ちょうさ 隊 たい による吉川 よしかわ のアルバム人気 にんき ランキングでは第 だい 2位 い となった[ 23] 。
CD盤 ばん はその後 ご 1998年 ねん 6月 がつ 10日 とおか にポリドール・レコード から再 さい リリースされたほか、2007年 ねん 3月 がつ 14日 にち には紙 かみ ジャケット仕様 しよう にてユニバーサルミュージック から再 さい リリースされた。2014年 ねん 4月 がつ 23日 にち には24bitデジタル・リマスタリング されたSHM-CD 仕様 しよう にてワーナーミュージック・ジャパン から再 さい リリースされた[ 24] 。2014年 ねん 5月 がつ 28日 にち にはCD-BOX 『Complete Album Box 』に収録 しゅうろく される形 かたち で紙 かみ ジャケット仕様 しよう のデジタル・リマスタリング盤 ばん として再 さい リリースされた[ 25] [ 26] 。
本 ほん 作 さく からシングルカットされた「キャンドルの瞳 ひとみ 」は『ザ・ベストテン』の1月 がつ 16日 にち 放送 ほうそう 分 ぶん において第 だい 9位 い で初 はつ 登場 とうじょう となり、1月 がつ 30日 にち 放送 ほうそう 分 ぶん において最高 さいこう 位 い となる第 だい 3位 い を記録 きろく 、2月 がつ 13日 にち 放送 ほうそう 分 ぶん に至 いた るまで5週 しゅう 連続 れんぞく ランクインとなった。『夜 よる のヒットスタジオDELUXE』において本 ほん 作 さく 収録 しゅうろく 曲 きょく が披露 ひろう されたのは、1月 がつ 8日 にち および2月 がつ 12日 にち 放送 ほうそう 分 ぶん において「キャンドルの瞳 ひとみ 」、3月19日 にち および4月 がつ 23日 にち 放送 ほうそう 分 ぶん において「MODERN TIME」、6月11日 にち および7月 がつ 9日 にち 放送 ほうそう 分 ぶん において「NERVOUS VENUS」、8月 がつ 6日 にち 放送 ほうそう 分 ぶん において「サイケデリックHIP」となった。
本 ほん 作 さく リリース後 ご の同年 どうねん 4月 がつ 27日 にち の西武 せいぶ 球場 きゅうじょう 公演 こうえん を皮切 かわき りに、5月5日 にち の小戸 おうべ トワイライトゾーン公演 こうえん まで「K.KIKKAWA "休日 きゅうじつ のSATISFICTION=FAKE"」と題 だい したコンサートツアーを4都市 とし 全 ぜん 4公演 こうえん 実施 じっし した[ 27] 。本 ほん 作 さく を受 う けたコンサートツアーは「DRASTIC MODERN TIME TOUR」と題 だい し、1986年 ねん 5月 がつ 18日 にち の平 ひら 市民 しみん 会館 かいかん 公演 こうえん を皮切 かわき りに、8月 がつ 21日 にち の中野 なかの サンプラザ ホール公演 こうえん まで37都市 とし 全 ぜん 52公演 こうえん が実施 じっし された[ 28] 。しかしシングルヒット曲 きょく の減少 げんしょう によりテレビ番組 ばんぐみ 出演 しゅつえん も減少 げんしょう し、アルバム・アーティストとしての方向 ほうこう 性 せい を目指 めざ していたことなどが影響 えいきょう し、前年 ぜんねん のツアーよりも動員 どういん 数 すう は減少 げんしょう することとなった。
専門 せんもん 評論 ひょうろん 家 か によるレビューレビュー・スコア 出典 しゅってん 評価 ひょうか CDジャーナル 肯定 こうてい 的 てき [ 30] OKMusic 肯定 こうてい 的 てき [ 22]
批評 ひひょう 家 か たちからは本 ほん 作 さく のサウンドに関 かん して肯定 こうてい 的 てき な意見 いけん が挙 あ げられている。音楽 おんがく 情報 じょうほう サイト『CDジャーナル』では、吉川 よしかわ について「ファッションもお化粧 けしょう も目 め いっぱいキメまくり、カッコ良 よ さが売 う り物 もの 」と表現 ひょうげん した上 うえ で、全 ぜん 10曲 きょく の内 うち 4曲 きょく が吉川 よしかわ の制作 せいさく 曲 きょく であることを意欲 いよく が高 たか いと評価 ひょうか 、さらに最先端 さいせんたん のコンピュータ・サウンドが取 と り入 い れられたことに関 かん して「このアルバムからは水準 すいじゅん の高 たか さが十 じゅう 分 ふん 感 かん じとれる」と肯定 こうてい 的 てき に評価 ひょうか した[ 30] 。音楽 おんがく 情報 じょうほう サイト『OKMusic』にて帆苅 ほかり は、当時 とうじ アイドルとして認知 にんち されていた吉川 よしかわ が所属 しょぞく 事務所 じむしょ やレコード会社 かいしゃ の移籍 いせき などもなく、話題 わだい 作 づく りのためのアーティスト宣言 せんげん などもないままに自身 じしん で楽曲 がっきょく を制作 せいさく するようになったことについて「これは意外 いがい と見逃 みのが せない事実 じじつ だ」と述 の べており、若手 わかて の歌手 かしゅ が自作 じさく 自演 じえん を行 おこな えるということを内外 ないがい に示 しめ したことが小 ちい さくない出来事 できごと であると主張 しゅちょう した他 ほか 、同 どう 時期 じき にチェッカーズ がシングルとしては初 はつ の自作 じさく 曲 きょく となった「NANA 」(1986年 ねん )をリリースしていることが不思議 ふしぎ な符号 ふごう であると述 の べている[ 22] 。帆苅 ほかり はヒットした「キャンドルの瞳 ひとみ 」よりも「MODERN TIME」の方 ほう が普遍 ふへん 性 せい が高 たか いと主張 しゅちょう し、「キャンドルの瞳 ひとみ 」のシンセサウンドがチープであるのと対照 たいしょう 的 てき に「MODERN TIME」は経年 けいねん 劣化 れっか を感 かん じないと述 の べている[ 22] 。また「サイケデリックHIP」に関 かん してはポップな曲 きょく ではなく売 う れ線 せん でもないと主張 しゅちょう した上 うえ で、当時 とうじ のポップス と一線 いっせん を画 かく す楽曲 がっきょく をこの当時 とうじ にリリースしていたことを称賛 しょうさん 、アイドル視 し されていた吉川 よしかわ が自作 じさく 自演 じえん のみならず先鋭 せんえい 的 てき なサウンドを意欲 いよく 的 てき に導入 どうにゅう していたことについて「インパクトが大 おお きかったばかりか、以降 いこう 、邦楽 ほうがく シーン全体 ぜんたい の視界 しかい は広 ひろ げることにも寄与 きよ したのではと想像 そうぞう できる」と称賛 しょうさん した[ 22] 。その他 た に後 のち に吉川 よしかわ とともにCOMPLEXを結成 けっせい することになる布袋 ほてい が本 ほん 作 さく から参加 さんか していることを指摘 してき 、後 のち に音楽 おんがく シーン全体 ぜんたい に多大 ただい な影響 えいきょう を与 あた えたことに触 ふ れた上 うえ で、「最 もっと も注目 ちゅうもく しなければならないのは吉川 よしかわ 晃司 こうじ が自 みずか ら切 き り開 ひら いてきたアーティストとしての軌跡 きせき がそのまま映 うつ し出 だ されていることだと思 おも う。過渡 かと 期 き の作品 さくひん であるが、そうであったからこそ、瑞々 みずみず しいまでの才能 さいのう とアグレッシブな姿勢 しせい が色濃 いろこ く出 で た名 めい 盤 ばん と言 い えるだろう」と絶賛 ぜっさん した[ 22] 。
CDブックレットに記載 きさい されたクレジットを参照 さんしょう 。
SIDE 2 全 ぜん 編曲 へんきょく : 後藤 ごとう 次 じ 利 り 。# タイトル 作詞 さくし 作曲 さっきょく 時間 じかん 6. 「選 えら ばれた夜 よる 」 安藤 あんどう 秀樹 ひでき 原田 はらだ 真二 しんじ 4:24 7. 「BODY WINK 」 安藤 あんどう 秀樹 ひでき 吉川 よしかわ 晃司 こうじ 5:00 8. 「ナーバス ビーナス 」 吉川 よしかわ 晃司 こうじ 吉川 よしかわ 晃司 こうじ 4:22 9. 「サイケデリックHIP 」 吉川 よしかわ 晃司 こうじ 吉川 よしかわ 晃司 こうじ 3:08 10. 「ロスト チャイルド 」 安藤 あんどう 秀樹 ひでき 安藤 あんどう 秀樹 ひでき 5:01 合計 ごうけい 時間 じかん :
21:55
CDバックカバーに記載 きさい されたクレジットを参照 さんしょう 。
木崎 きざき 賢治 けんじ - プロデューサー
梅 うめ 鉢 はち 康弘 やすひろ (SMSレコード) - プロデューサー
川面 かわづら 博 ひろし (渡辺 わたなべ ミュージック ) - ディレクター
内沼 うちぬま 映 うつ 二 に - エンジニア
平瀬 ひらせ 公一 こういち - セカンド・エンジニア
伊藤 いとう 隆司 たかし - セカンド・エンジニア
後藤 ごとう 昌司 しょうじ - セカンド・エンジニア
三浦 みうら 瑞 みずほ 生 せい - セカンド・エンジニア
河村 かわむら 厳 いわお 生 せい - アーティスト・マネージメント
かんざきまさお - アーティスト・マネージメント
吉川 よしかわ 晃司 こうじ - アートディレクター
かわぐちあきよし - デザイナー
山内 やまうち 順 じゅん 仁 ひとし - 写真 しゃしん 撮影 さつえい
PATi PATi - スペシャル・サンクス
^ アルバム裏 うら ジャケットのクレジット欄 らん に「SPECIAL THANKS to PATi-PATi」と記載 きさい されている。
シングル
CD リミックス コラボレート 配信 はいしん
1.NOW
2.光 ひかり と影 かげ 〜SEMPO LIVE ver.〜
3.あの夏 なつ を忘 わす れない
4.SAMURAI ROCK 〜義 ぎ 風 ふう 堂々 どうどう !! ver.
5.The Sliders
6.せつなさを殺 ころ せない2014
7.Over The Rainbow
8.The Last Letter
9.Lucky man
10.Brave Arrow / 焚 た き火 び
11.BLOODY BLACK
アルバム
オリジナル ミニ ベスト セルフカバー ライブ BOX サウンドトラック 参加 さんか 作品 さくひん
映像 えいぞう 作品 さくひん
1.KIKKAWA KOJI '84 FLYING PARACHUTE TOUR
2.'85吉川 よしかわ 晃司 こうじ LIVE for Rockfeeling Kids in BUDOKAN
3.'85 JAPAN TOUR FINAL IN 東京 とうきょう 昭和 しょうわ 記念 きねん 公園 こうえん
4.DRASTIC MODERN TIME Tour Tokyo 8Days live
5.ZERO -KIKKAWA KOJI HI-VISION LIVE WORLD '88
6.VOICE OF MOON
7.Lunatic LUNACY
8.ACTIVE OVERDRIVE
9.SHYNESS OVERDRIVE 1992
10.Cloudy Heart's
11.CONCERT TOUR 1994 My Dear Cloudy Heart
12.LIVE GOLDEN YEARS EXPANDED 0015 GIGANTIC 2DAYS LIVE Vol.1
13.LIVE GOLDEN YEARS EXPANDED 0015 GIGANTIC 2DAYS LIVE Vol.2
14.HOT ROD MAN LIVE
15.HOT ROD MAN DOCUMENT
16.SOLID SOUL 2001
17.SMASH THE PANDORA FINAL! TOKYO CIRCUS
18.The Gundogs Perfect DVD Plus!
19.LIVE JELLYFISH
20.LIVE GOLDEN YEARS 20th Anniversary PRELUDE at BUDOKAN
21.LIVE GOLDEN YEARS Thanks0201 at BUDOKAN
22.THE FIRST SESSION KIKKAWA KOJI LIVE 2005 “エンジェルチャイムが鳴 な る夜 よる に”
23.KIKKAWA KOJI LIVE 2006 ROLL OVER the DISCOTHEQUE! From Club Jungle
24.THE STORY OF TARZAN 〜2007 TOUR FINAL & DOUBLE TV DOCUMENTS〜
25.THE SECOND SESSION KIKKAWA KOJI LIVE 2007 CLUB JUNGLE EXTRA TARZAN RETURN
26.LIVE archives 25
27.KIKKAWA KOJI 25th ANNIVERSARY LIVE FILM COLLECTION 『LIVE=LIFE』
28.25th ANNIVERSARYLIVE GOLDEN YEARS TOUR FINAL at 日本武道館 にほんぶどうかん
29.KIKKAWA KOJI LIVE 2011 KEEP ON KICKIN' & SINGIN'!!!!! 〜日本 にっぽん 一心 いっしん 〜
30.KIKKAWA KOJI 2013 SAMURAI ROCK -BEGINNING- at 日本武道館 にほんぶどうかん
31.KIKKAWA KOJI 30th Anniversary Live "SINGLES+" & Birthday Night "B-SIDE+" 【3DAYS武道館 ぶどうかん 】
32.KIKKAWA KOJI 30th Anniversary Live "SINGLES+ RETURNS"
33.KIKKAWA KOJI Live 2016 "WILD LIPS" TOUR at 東京 とうきょう 体育館 たいいくかん
34.KIKKAWA KOJI LIVE 2018 "Live is Life"
35.KIKKAWA KOJI 35th Anniversary Live TOUR
36.LIVE archives 35
37.KIKKAWA KOJI LIVE TOUR 2021 BELLING CAT
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