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シブがきたい

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
シブがきたい
出身しゅっしん 日本の旗 日本にっぽん
ジャンル J-POP
活動かつどう期間きかん 1981ねん - 1988ねん
レーベル CBS・ソニー
事務所じむしょ ジャニーズ事務所じむしょ
共同きょうどう作業さぎょうしゃ シブ楽器がっきたいバックバンド
きゅうメンバー

シブがきたい(シブがきたい)は、かつて存在そんざいした布川ふかわ敏和としかず本木もとぎ雅弘まさひろ薬丸やくまる裕英ひろひでの3にんからなるジャニーズ事務所じむしょ所属しょぞく男性だんせいアイドルグループ

メンバー

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プロフィール 愛称あいしょう イメージカラー[1]
布川ふかわ 敏和としかず
(ふかわ としかず)
(1965-08-04) 1965ねん8がつ4にち(58さい)、Bがた神奈川かながわけん川崎かわさき出身しゅっしん ふッくん     イエロー
本木もとぎ 雅弘まさひろ
(もとき まさひろ)
(1965-12-21) 1965ねん12月21にち(58さい)、Aがた埼玉さいたまけん桶川おけがわ出身しゅっしん もッくん     レッド
薬丸やくまる 裕英ひろひで
(やくまる ひろひで)
(1966-02-19) 1966ねん2がつ19にち(58さい)、Bがた東京とうきょう武蔵村山むさしむらやま出身しゅっしん やッくん     ブルー

歴史れきし

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1981ねん4がつから放送ほうそうTBSドラマ『2ねんBぐみせんはち先生せんせい』に生徒せいとやく出演しゅつえんちゅうの、すでにジャニーズ事務所じむしょ所属しょぞく薬丸やくまる布川ふかわ本木もときの3めいにより結成けっせいされる。結成けっせい当初とうしょは「せんはちトリオ」、「あくガキトリオ」などとばれていたが、1981ねんなつ雑誌ざっしセブンティーン』の一般いっぱん公募こうぼによって『シブがきトリオ』に決定けってい(グループめい由来ゆらいは「シブい"あくがき"」を意味いみ[2])。そのまもなくして『シブがきたい』にあらためられた。当時とうじ芸能げいのうかいではさん人組にんぐみに「~トリオ」と名付なづけることが乱立らんりつしており[3]目立めだたせるため所属しょぞく事務所じむしょ社長しゃちょうジャニー喜多川きたがわがあえて「トリオ」から「たい」へと改名かいめいほどこした。

『2ねんBぐみせんはち先生せんせい放送ほうそう終了しゅうりょう直後ちょくご1982ねん5月5にち、「NAI・NAI 16」で歌手かしゅデビュー。デビュー当時とうじのキャッチフレーズは「YMF 正面しょうめん突破とっぱ[ちゅう 1]同期どうき女性じょせいアイドルには小泉こいずみ今日子きょうこ早見はやみゆう松本まつもと伊代いよほりちえみ三田みた寛子ひろこ中森なかもり明菜あきなのち薬丸やくまるつまとなる石川いしかわ秀美ひでみら「はなの82ねんぐみ」がおり、男性だんせいアイドルながらシブがきたいも「はなの82ねんぐみ」にれられることもある。同年どうねんの『だい24かい日本にっぽんレコード大賞たいしょう』では最優秀さいゆうしゅう新人しんじんしょう受賞じゅしょう[4]翌年よくねん以降いこうもヒットきょくいくつもし、オリコンシングルチャートやテレビの歌謡かようランキング番組ばんぐみでは10圏内けんないつねはいみ、どう事務所じむしょ先輩せんぱい先行せんこうデビューしていた田原たはら俊彦としひこ近藤こんどう真彦まさひこらにつづ時代じだい代表だいひょうする男性だんせいアイドルとなっていった。

シブがきたい特徴とくちょうとしては、ジャポニズム曲調きょくちょうげられる。当時とうじのアイドルかいでは、うたおどりの実力じつりょくよりもタレント個人こじんがもつ魅力みりょくがより重視じゅうしされる傾向けいこうにあった。シブがきたいうたおどりのレベルをカバーするべく、楽曲がっきょく企画きかくせい(ノベルティソング)で話題わだいあつめる手法しゅほうをとる。ジャニー喜多川きたがわ米国べいこく由来ゆらい芸能げいのう音楽おんがく事務所じむしょ基本きほん方針ほうしんえていたため、米国べいこくから日本にっぽん、すなわちジャポニズムの楽曲がっきょく多数たすう制作せいさくされた。このながれは後輩こうはい忍者にんじゃがれている[5]

歌手かしゅ活動かつどうのほか、映画えいが、CM、テレビドラマ、バラエティ番組ばんぐみなど多岐たきにわたって活動かつどう。4ねんはんつづいたテレビ東京てれびとうきょう放送ほうそう歌謡かようバラエティ番組ばんぐみザ・ヤングベストテン後継こうけい番組ばんぐみレッツGOアイドル』では司会しかい進行しんこうになうなどしてトークじゅつとコントりょくについていく。田原たはら近藤こんどうらとともに80年代ねんだい前半ぜんはん男性だんせいアイドルシーンを圧倒的あっとうてきにリードしていったが、1984ねんになると、前年ぜんねんデビューのチェッカーズ当時とうじ低迷ていめいしていた老舗しにせ芸能げいのう事務所じむしょ渡辺わたなべプロダクション起死回生きしかいせい仕掛しかけた大型おおがた新人しんじん吉川よしかわ晃司こうじらが台頭たいとうしてくるようになる。その責任せきにんかんつよさから仲間なかまないで"リーダー"とばれていた薬丸やくまるはそれらのライバルに闘志とうしやしていて距離きょりかんっていたが、楽天的らくてんてき布川ふかわ本木もときぎゃくにチェッカーズや吉川よしかわ意気投合いきとうごうして仲良なかよくなり[6]かれらがんでいた合宿がっしゅくしょにもあそびにっていた。そのため薬丸やくまるは「ライバルと仲良なかよくしている二人ふたりしんじられない」と憤慨ふんがいし、そのことを本木もとき布川ふかわ叱責しっせきしたことで本木もとき布川ふかわ不仲ふなかになってしまい、その2たい1の「いびつなトライアングル」状態じょうたいとなってしまった[7]

1985ねんすえ、シブがきたいどう時期じき結成けっせいされたおな事務所じむしょ所属しょぞくさん人組にんぐみ男性だんせいアイドル・少年しょうねんたいまんもたして歌手かしゅデビュー。おな土俵どひょうのぼられたことにより、シブがきたいわせていなかったその歌唱かしょうりょくとキレのするどいダンスをたりにして、メンバーらは「こりゃ絶対ぜったいてないな」とおもったという。1986ねん、デビューねんから4ねん連続れんぞく出場しゅつじょうしてきた『NHK紅白こうはく歌合戦うたがっせん』に少年しょうねんたいちがいで落選らくせんしたことがしめすように[ちゅう 2]いきおいであった少年しょうねんたいたいし、シブがきたいすシングルは80年代ねんだい前半ぜんはんよりも人気にんきめんいきおいをうしなっていき、それまでのようにオリコンシングルチャートやランキング番組ばんぐみで10圏内けんないはいることがだんだんとかなわなくなっていった。また、デビュー以来いらいかならさんにん一緒いっしょであったグループ活動かつどうから、1986ねん3がつ放送ほうそう布川ふかわ単独たんどく出演しゅつえんのテレビドラマを皮切かわきりに、各々おのおのがソロ活動かつどうをするようになっていく。ただし、それはテレビドラマとバラエティ番組ばんぐみ出演しゅつえんかぎられたことで、歌手かしゅ活動かつどうにおいてはソロでおこなものはなく、かいたい解散かいさん)までさんにん一緒いっしょのシブがきたいとしてシングルをコンスタントにリリースしつづけ、歌謡かよう番組ばんぐみへの出演しゅつえんおろかにしなかった。

1988ねん8がつ7にち東京厚生年金会館とうきょうこうせいねんきんかいかんにおけるコンサートでグループの解散かいさんしめかいたい宣言せんげん発表はっぴょう同年どうねん11月2にち代々木よよぎだいいち体育館たいいくかんにおけるコンサートをもってかいたいした。通常つうじょうコンサートでは写真しゃしん撮影さつえい禁止きんしであるが、このかいたいコンサートにかぎ写真しゃしん撮影さつえい解禁かいきん観客かんきゃくせきからは無数むすうのフラッシュがひかつづけたという。当時とうじ各々おのおのソロでの活動かつどう比重ひじゅうかれるようになってグループとしての活動かつどうかすんではいたが、かいたいはそれを記念きねんしてさんにん一緒いっしょ活動かつどうもうけられ、かいたい報告ほうこくをするためにいくつもの歌謡かよう番組ばんぐみ出演しゅつえんしたほか、さんにん主演しゅえんとなったドラマもつくられ放送ほうそうされるなど、にぎやかにその最後さいご花道かどうかざった。

エピソード

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当初とうしょ本木もときがセンターの位置いちだったが、歌手かしゅデビュー薬丸やくまるがセンターになり、途中とちゅうから本木もときがセンターにもどった。

デビューセンターにっていたことや、責任せきにんかんつよ性格せいかくから、薬丸やくまるのメンバーに「リーダー」とばれることがあった。しかし実際じっさいには、とくにリーダーはだれだということはまっていなかった。

バックバンドは「シブ楽器がっきたい」という名前なまえであった。バンドめい事務所じむしょ社長しゃちょう・ジャニー喜多川きたがわ命名めいめい

ZOKKON いのち」のイントロのフレーズにアメリカのロックバンド「ナイト・レンジャー」の代表だいひょうきょく「Don't Tell Me You Love Me」(当時とうじ邦題ほうだい/ほのお彼方かなた)のイントロのリフをそのまま使つかったこと音楽おんがく雑誌ざっしとうでネタにされることがあった。

1985ねん3がつ16にち、フジテレビのバラエティ番組ばんぐみ『これがトリックだ! III』の企画きかく“オートバイ激突げきとつトリック、恐怖きょうふのクレーン・トリックにいのちがけで挑戦ちょうせん”のロケが品川しながわにあるふね科学かがくかん駐車ちゅうしゃじょうおこなわれた。クレーンでげられたゴンドラからゴンドラへ瞬間しゅんかん移動いどうするという内容ないようで、当時とうじ、オートバイの免許めんきょゆうしていた薬丸やくまる挑戦ちょうせんすることになった。ロケ中盤ちゅうばん地上ちじょう8メートル付近ふきんられたゴンドラのぶたひらいたとき、バイクの固定こていはずれて、バランスをくずした薬丸やくまるはコンクリートの地面じめん落下らっか日本にっぽん大学だいがく病院びょういん救急きゅうきゅう搬送はんそうされた。ヘルメットを装着そうちゃくしていたため、さいわ頭部とうぶにはおおきな損傷そんしょうはなかったが、みぎ橈骨とおくらいはし骨折こっせつおよび、しゃくこつくきじょう突起とっき骨折こっせつ診断しんだんされ入院にゅういんした。よく17にちからコンサートツアーがはじまり、本木もとき布川ふかわ二人ふたりでステージをつとめた。しかし、3にんのステージをたのしみにしていたファンの失望しつぼうおおきく、MCもがりにけたという。そこで、布川ふかわあらたにがるきょくつくろうとシブ楽器がっきたいのベーシスト・かずらこう雅之まさゆきと、当時とうじまだ浸透しんとうしていなかったラップ調しらべ楽曲がっきょく制作せいさくした。これがのちにだいヒットきょくとなる「スシいねェ!」のもとになった[8]

かいたい経緯けいい・その

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かいたいは、薬丸やくまるが「今後こんご方向ほうこうせいどうする?」と本木もとき布川ふかわ相談そうだんしたさい[9]元々もともと俳優はいゆうぎょう興味きょうみのあった本木もときが「業界ぎょうかいそのものをめて、パリでもどっかでもいって、皿洗さらあらいでもなにでもいいからしたいから、二人ふたり薬丸やくまる布川ふかわ)に『めてもいいか』とった」のがきっかけとなった[10]。そのはなしをしたさいに、二人ふたりともてんになっていたそうだが[10]薬丸やくまるは「ぼくはそれぞれにソロで仕事しごとしても、当時とうじの『ザ・ドリフターズ』みたいにまた3にんもどってきて、特番とくばんやったり、グループの活動かつどうすればいいじゃないか[7][9]」とかいたいではなく活動かつどう休止きゅうしにしたらどうかとかんがえていた。しかし、布川ふかわは「本木もときがそううなら(かいたいしても)いい」と賛同さんどうしたため、意見いけんが2たい1となってしまった[10]。また、ジャニーズ事務所じむしょからは後日ごじつ少年しょうねんたい光GENJIひかるげんじがデビューしており、とく少年しょうねんたいはバックてん出来でき、ダンスにかけるおもいもすごかったが、シブがきたいはバックてん出来できなかったため、そんな少年しょうねんたいたりにし「おれわったな」とかんじ、「このままシブがきたいとして、おじいさんまでやっていけるのか? どうせなら人気にんきのあるうちに解散かいさんしよう」と、3にんはなって解散かいさんまった[11]後年こうねん本木もときは「グループをえさせてしまったのはわたし」、「わたし暴走ぼうそうしたので、こういう結果けっかになった」とかたった[10]

かいたい本木もとき布川ふかわはジャニーズ事務所じむしょをすぐはなれた。薬丸やくまるのこったが、その1ねんにジャニーズ事務所じむしょはなれた。

かいたい以来いらい、3にんおおやけそろってることはなかった。しかし、本木もとき布川ふかわもそれぞれ薬丸やくまる司会しかいの『はなまるマーケット』「はなまるカフェ」にゲスト出演しゅつえんしている。その本木もとぎ主演しゅえん映画えいがおくりびと』がだい81かいアカデミーしょう外国がいこく映画えいがしょう受賞じゅしょうしたさい授賞じゅしょうしき翌朝よくあさどう番組ばんぐみでロサンゼルスよりなま中継ちゅうけいにて薬丸やくまる本木もときにインタビュー。久々ひさびさにん共演きょうえん実現じつげんした[12]。また、薬丸やくまるのレギュラー番組ばんぐみオジサンズ11』に布川ふかわがゲスト出演しゅつえん共演きょうえんした。

2010ねんなつ布川ふかわが"ふっくん布川ふかわ"として「スシいねェ!」をもじった「そばいねぇ!」でソロ・デビュー。かいたいから22ねんりの歌手かしゅ活動かつどう

2012ねん1がつ13にち、TBS『ぴったんこカン・カン』で、スタジオに薬丸やくまる・VTRで本木もとぎ(ドラマ「運命うんめいひとばんせん沖縄おきなわ)と布川ふかわ妻子さいしとともに石垣島いしがきじまと"シブがきしま")が出演しゅつえんどういち番組ばんぐみないかいたいはじめてそろって出演しゅつえんとなった(共演きょうえんではない)。

おも出演しゅつえん作品さくひん(ソロはのぞく)

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バラエティ番組ばんぐみ

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NHK紅白こうはく歌合戦うたがっせん出場しゅつじょうれき

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年度ねんど/放送ほうそうかい かい 曲目きょくもく
1982ねん昭和しょうわ57ねん)/だい33かい はつ 100%…SOかもね!
1983ねん昭和しょうわ58ねん)/だい34かい 2 挑発ちょうはつ
1984ねん昭和しょうわ59ねん)/だい35かい 3 アッパレ! フジヤマ
1985ねん昭和しょうわ60ねん)/だい36かい 4 スシいねェ!
1986ねん昭和しょうわ61ねん)/だい37かい 5 トラ! トラ! トラ!
注意ちゅういてん
  • 出演しゅつえんじゅんは「出演しゅつえんじゅん/出場しゅつじょうしゃすう」であらわす。

テレビドラマ

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映画えいが

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CM(ソロはのぞく)

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みんなのうた

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  • スシいねェ!(1985ねんNHK

ディスコグラフィ

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シングル

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  1. NAI・NAI 16(シックスティーン)1982ねん5月5にち
  2. 100%…SOかもね!(1982ねん7がつ21にち
  3. ZIG ZAG セブンティーン/Gジャンブルース(1982ねん10がつ28にち
  4. 処女しょじょてき衝撃しょうげき!(ヴァージンショック)1983ねん2がつ25にち
  5. ZOKKON いのち(LOVE)(1983ねん5がつ5にち
  6. Hey! Bep-pin(1983ねん8がつ8にち
  7. 挑発ちょうはつ(MUGENDAI)(1983ねん10がつ13にち
  8. サムライ・ニッポン1984ねん1がつ15にち
  9. かつ!(カツ)(1984ねん3がつ30にち
  10. キャッツ&ドッグ(1984ねん6がつ1にち
  11. アッパレ! フジヤマ(1984ねん7がつ7にち
  12. べらんめぇ! 伊達だてだん(ダンディ)(1984ねん10がつ3にち
  13. おとこ(イッキ)1985ねん1がつ11にち
  14. DJ in My Life(1985ねん4がつ3にち
  15. 月光げっこう淑女しゅくじょ!(ムーン・ビーナス)(1985ねん6がつ29にち
  16. KILL(1985ねん10がつ2にち
  17. トラ! トラ! トラ!1986ねん1がつ22にち
  18. スシいねェ!(1986ねん2がつ1にち
  19. OH! SUSHI(スシいねェ! 英語えいごヴァージョン)(1986ねん4がつ10日とおか
  20. んではいなつ令嬢れいじょう(1986ねん6がつ1にち
  21. せん一夜いちやキッス倶楽部くらぶ(アラビアンキッスクラブ)(1986ねん9がつ5にち
  22. 恋人こいびとたちのBlvd.(ブールバード)(1986ねん11月21にち
  23. ドリーム・ラッシュ(1987ねん3がつ21にち
  24. 反逆はんぎゃくのアジテイション1987ねん7がつ22にち
  25. 演歌えんかなんてうたえない(1987ねん11月21にち
  26. PSST PSST(プス プス)1988ねん2がつ26にち
  27. こいするような友情ゆうじょう(1988ねん7がつ15にち
  28. きみわすれない(1988ねん10がつ8にち

アルバム

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オリジナル・アルバム

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  1. SHIBUGAKITAI Summer 16 ボーイズ&ガールズ(1982ねん7がつ1にち/28AH-1446)
  2. for'83 -We come together, We'll run together-(1982ねん12月1にち/28AH-1502)
  3. なつ・Zokkon -Memories For You-(1983ねん7がつ1にち/28AH-1547)
  4. LOVE∞MUGENDAI(1983ねん11月21にち/28AH-1660)
  5. 純情じゅんじょう元年がんねんがつにち -LOVE from HONOLULU-(1984ねん5がつ5にち/28AH-1715)
  6. Honesty〜まじ〜(1984ねん12月8にち/28AH-1810)
  7. バローギャングBC -Fromくわこう-(1985ねん4がつ21にち/28AH-1848)
  8. エキゾティック(1985ねん11月21にち/28AH-1951)
  9. 情熱じょうねつてきしん世界せかい -PASSIONATE PARADISE-(1986ねん7がつ21にち/28AH-2073)
  10. HOROSCOPE(1986ねん12月21にち/28AH-2127)
  11. NEXT STAGE(1987ねん5がつ5にち/28AH-2169)

ミニ・アルバム

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  1. 5th ANNIVERSARY(1986ねん5がつ5にち
    • 3にんのソロ12inchシングル3まいと、7inchの特別とくべつメッセージ・シングル1まいがセットになった作品さくひん

ライブ・アルバム

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  1. かいたいコンサート・ライブ(1988ねん12月9にち

ベスト・アルバム

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  1. THANKS(1983ねん12月24にち
  2. シブがきたい 82-83(1985ねん4がつ21にち)CD企画きかく
  3. BEST OF SHIBUGAKI-TAI(1986ねん1がつ22にち)CD企画きかくCD選書せんしょ:1995ねん3がつ8にち
  4. Only You…(1988ねん7がつ21にち)5きょくりミニ・アルバム
  5. 2374DAYS(1988ねん8がつ19にち新曲しんきょくおもきみむねに」収録しゅうろく
  6. GOLDEN J-POP/THE BEST シブがきたい(1998ねん8がつ21にち
  7. シブがきたい 2000 BEST(2000ねん6がつ21にち
  8. DREAM PRICE 1000 シブがきたい NAI・NAI 16(2001ねん10がつ11にち
  9. GOLDEN☆BEST シブがきたい(2002ねん6がつ19にち
  1. PSST PSST(1988ねん3がつ16にち
    • シブがきたい主演しゅえんのミュージカル『PSST PSST〜シブがきたいROCK PERFORMANCE〜』のサントラ作品さくひん
  1. シブがきたい 1982-1988(CD5まいぐみ)(2008ねん6がつ10日とおか

映像えいぞう作品さくひん

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  1. 88.11.2シブがきたいかいたいコンサート(1988ねん12月9にち

発表はっぴょうきょく

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ふとし文字もじはJASRACに登録とうろくされているもの

  • ニューヨーク・イルミネーション
    • 作詞さくし嶺岸みねぎし未来みらい 作曲さっきょく菅原すがわらすすむ 作品さくひんコード:063-3607-8
  • I LOVE LONDON
    • 作詞さくし秋元あきもとやすし 作曲さっきょく後藤ごとうとぎ 作品さくひんコード:081-7903-4
  • サヨナラだっておまつりさ!
    • 1988ねんなつにレコーディングされたが発売はつばい中止ちゅうし

タイアップ

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シブがきたい
曲名きょくめい タイアップ
100%…SOかもね! CM:ハウス食品はうすしょくひん「リトルボール」
スシいねェ! フジテレビけいドラマ『シブがきたいスシいねェ!』主題歌しゅだいか
NHKみんなのうた1985ねん12月-1がつ
キャッツ&ドッグ NHK教育きょういく人形にんぎょうげきひげよさらば』オープニングテーマ
恋人こいびとたちのBlvd. CM:日興證券にっこうしょうけんげんSMBC日興証券にっこうしょうけん

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ YMFとはヤッくん・モッくん・フッくんのりゃく薬丸やくまる本木もとぎ布川ふかわ
  2. ^ その出演しゅつえんしゃうち北島きたじま三郎さぶろう山本やまもと譲二じょうじがスキャンダルで出場しゅつじょう辞退じたいとなり、代役だいやくえらばれた鳥羽とば一郎いちろう辞退じたいしたため、前日ぜんじつの30にち代役だいやく代役だいやくとして急遽きゅうきょ出演しゅつえん決定けってい休暇きゅうかちゅうのハワイから急遽きゅうきょ帰国きこく出演しゅつえんし、少年しょうねんたい共演きょうえんした。

出典しゅってん

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  1. ^ 薬丸やくまる国分こくぶはらで「100%…SO かもね!」なま披露ひろう! 薬丸やくまる「ジャニーズシニアがんばります(笑)。」”. music.jpニュース (2016ねん6がつ25にち). 2017ねん5がつ21にち閲覧えつらん
  2. ^ フジテレビトリビア普及ふきゅう委員いいんかい『トリビアのいずみ〜へぇのほん〜 3』講談社こうだんしゃ、2003ねん 
  3. ^ 1981ねん結成けっせいイモ欽トリオ・よせなべトリオなど欽ちゃんファミリーにトリオが存在そんざいした。
  4. ^ 矢野やの, pp. 130–131.
  5. ^ 矢野やの, pp. 131–133.
  6. ^ 本木もとぎ雅弘まさひろ 薬丸やくまる裕英ひろひではチェッカーズと敵対てきたい シブがきたい微妙びみょうなかわるかった”. デイリースポーツオンライン (2016ねん10がつ23にち). 2017ねん5がつ21にち閲覧えつらん
  7. ^ a b 薬丸やくまる裕英ひろひで シブがきたい解散かいさん真相しんそう告白こくはく「いびつなトライアングル」”. ひがしスポweb (2018ねん4がつ20日はつか). 2020ねん12月27にち閲覧えつらん
  8. ^ 「ふっくん」がかす 「スシいねェ!」誕生たんじょう秘話ひわ”. J-CASTニュース (2009ねん2がつ26にち). 2021ねん11月9にち閲覧えつらん
  9. ^ a b 薬丸やくまる裕英ひろひで、シブがきたい解散かいさん真相しんそうについて「ダウンタウンも影響えいきょうしてるんですよ」”. 日本ジャにほんじゃナル出版なるしゅっぱん (2018ねん12月15にち). 2020ねん12月27にち閲覧えつらん
  10. ^ a b c d 本木もとぎ雅弘まさひろがいまになって「シブがきたい解散かいさん原因げんいんはなした理由りゆう”. ザテレビジョン (2016ねん10がつ14にち). 2020ねん12月27にち閲覧えつらん
  11. ^ 布川ふかわ敏和としかず うわさ否定ひてい。シブがきたい解散かいさんを「最初さいしょにいいだしたのはおれ”. livedoor ニュース (2015ねん11月29にち). 2020ねん12月27にち閲覧えつらん
  12. ^ “モックンがヤックンに生放送なまほうそうよろこ報告ほうこく. nikkansports.com. (2009ねん2がつ24にち). https://www.nikkansports.com/entertainment/cinema/news/f-et-tp1-20090224-464275.html 2017ねん5がつ21にち閲覧えつらん 

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 矢野やのとしひろし『ジャニーズと日本にっぽん講談社こうだんしゃ現代新書げんだいしんしょ、2016ねん12月20にちISBN 978-4-06-288402-0 

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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