金山かなやま郡ぐん,中国ちゅうごく古代こだい的てき郡ぐん。
隋ずい朝あさ大だい业三さん年ねん(607年ねん),改あらため绵州为金山かなやま郡ぐん,治ち所しょ在ざい巴ともえ西にし县(今いま四川しせん省しょう绵阳市し),下しも辖七なな县:巴ともえ西にし县、昌隆まさたか县、涪城县、魏ぎ城じょう县、神泉しんせん县、金山かなやま县、万まん安やす县,户三さん万まん六ろく千せん九きゅう百ひゃく六ろく十じゅう三さん。唐から朝あさ武德ぶとく元年がんねん(618年ねん),恢复州しゅう制せい,改あらため金山かなやま郡ぐん为绵州しゅう,唐から玄げん宗むね天宝てんぽう元年がんねん(742年ねん),再さい改あらため绵州为巴ともえ西郡にしごおり,唐から肃宗乾いぬい元はじめ元年がんねん(758年ねん),恢复州しゅう制せい,改あらため巴ともえ西郡にしごおり为绵州しゅう。