阮玉光こう静せい(越えつ南みなみ语:Nguyễn Ngọc Quang Tĩnh/阮玉光こう静せい;1835年ねん—1844年ねん11月26日にち),越こし南みなみ阮朝明あかり命いのち帝みかど第だい5女じょ,生母せいぼ贵人梁りょう氏し願ねがい。
嘉隆よしたか十じゅう六ろく年ねん(1835年ねん),阮玉光こう靜しずか在ざい順化じゅんか京きょう城じょう出生しゅっしょう。幼年ようねん時じ就非常ひじょう聰さと慧とし,嫻靜少しょう言げん。紹治三さん年ねん(1843年ねん),下しも嫁よめ協きょう辦大學士がくし黃金おうごん燦之子ゆきこ駙馬都と尉じょう黃き繼つぎ炎えん。婚こん後ご夫婦ふうふ和わ諧,但ただし好こう景けい不ふ長ちょう。婚こん後ご第だい二に年ねん十じゅう月がつ十じゅう七なな日にち(1844年ねん11月26日にち),公主こうしゅ去さ世よ,壽ことぶき二に十じゅう八はち歲さい。紹治帝みかど追贈ついぞう其為香こう羅ら公主こうしゅ(越えつ南みなみ语:Hương La Công Chúa/香こう羅ら公主こうしゅ),諡おくりな徽敏。
駙馬都と尉じょう黃き繼つぎ炎えん後ご陞至東ひがし閣かく大だい學士がくし,封ふう迪すすむ忠子ただこ致仕ちし。