出典 しゅってん は列挙 れっきょ するだけでなく、脚注 きゃくちゅう などを用 もち いてどの記述 きじゅつ の情報 じょうほう 源 げん であるかを明記 めいき してください。記事 きじ の信頼 しんらい 性 せい 向上 こうじょう にご協力 きょうりょく をお願 ねが いいたします。(2018年 ねん 5月 がつ )
P-47 サンダーボルト
飛行 ひこう するXP-47N-RE 42-27387号機 ごうき
P-47 サンダーボルト (Republic P-47 Thunderbolt )は、アメリカ のリパブリック 社 しゃ が開発 かいはつ し、アメリカ陸軍 りくぐん 航空 こうくう 軍 ぐん などで運用 うんよう されたレシプロ 単発 たんぱつ 戦闘 せんとう 機 き 。
愛称 あいしょう の「サンダーボルト (Thunderbolt)」は、雷 かみなり (いかづち・かみなり、特 とく に聴覚 ちょうかく 的 てき な感覚 かんかく の面 めん でのかみなり)のこと。
第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 後期 こうき に登場 とうじょう し、欧州 おうしゅう 戦線 せんせん でノースアメリカン P-51マスタング と並 なら ぶアメリカ軍 ぐん の主力 しゅりょく 戦闘 せんとう 機 き として活躍 かつやく し、生産 せいさん 機 き 数 すう 1万 まん 5千 せん に達 たっ した。戦闘 せんとう 機 き としての能力 のうりょく も優 すぐ れていたが、大 だい 馬力 ばりき エンジンによる大 おお きなペイロードと機銃 きじゅう 8挺 てい の重 じゅう 武装 ぶそう によって戦闘 せんとう 爆撃 ばくげき 機 き としても活躍 かつやく した。アメリカ以外 いがい の連合 れんごう 国 こく の空軍 くうぐん でも使用 しよう された。愛称 あいしょう はJug 。
P-43 から XP-47B まで [ 編集 へんしゅう ]
1939年 ねん 6月 がつ 、セバスキー エアクラフト カンパニー はリパブリック エイヴィエーション カンパニー へと社名 しゃめい を変更 へんこう した。それまでセバスキーは、耳目 じもく にたる業績 ぎょうせき を上 あ げていなかったが、この状況 じょうきょう はまもなく変 か わることになる。
飛行 ひこう 中 ちゅう のエンジン火災 かさい によってターボチャージャー 搭載 とうさい の技術 ぎじゅつ 実証 じっしょう 機 き AP-4は失 うしな われたが、この機体 きたい を気 き に入 い った米 べい 陸軍 りくぐん 航空 こうくう 隊 たい (USAAC) は1939年 ねん 5月 がつ にYP-43 の制式 せいしき 名称 めいしょう で13機 き を発注 はっちゅう した。しかし、USAACの要求 ようきゅう を満 み たすには多 おお くの改修 かいしゅう が必要 ひつよう となり、YP-43の外見 がいけん はAP-4とはずいぶん違 ちが ったものとなった。YP-43はプラット・アンド・ホイットニー のR-1830 ツインワスプ を搭載 とうさい した。これは空冷 くうれい 星 ほし 形 がた 14気筒 きとう 、ターボチャージャー付 つ きのピストンエンジンで、出力 しゅつりょく は約 やく 1,200馬力 ばりき だった。プロペラブレード は3枚 まい 。武装 ぶそう は機首 きしゅ に12.7 mm 機関 きかん 銃 じゅう が2丁 ちょう + 左右 さゆう の主翼 しゅよく に7.62 mm 機関 きかん 銃 じゅう が1丁 ちょう ずつ。コクピットのレイアウトは一新 いっしん されたが、これは後 のち に「レイザーバック」と呼 よ ばれるようになる。
1940年 ねん 9月 がつ から1941年 ねん 4月 がつ にかけて、13機 き のYP-43が引 ひ き渡 わた された。この間 あいだ リパブリックは、YP-43により強力 きょうりょく なエンジン(1,400馬力 ばりき のP&W R-2180 )を積 つ んだXP-44 ロケット と、AP-10 の開発 かいはつ に取 と り組 く んでいた。P-43の後継 こうけい となるXP-44は39年 ねん 10月 がつ に80機 き が発注 はっちゅう された。AP-10は軽量 けいりょう 戦闘 せんとう 機 き として設計 せっけい され、アリソン製 せい V-1710 液 えき 冷 ひや エンジンを搭載 とうさい し、2丁 ちょう の12.7 mm機関 きかん 銃 じゅう を装備 そうび した。陸軍 りくぐん はこの計画 けいかく を支援 しえん し、XP-47 の制式 せいしき 名称 めいしょう を与 あた えた。リパブリックにとっては幸先 さいさき のいいスタートだった。
だがヨーロッパ の戦争 せんそう がエスカレートし始 はじ めた1940年 ねん の春 はる までには、XP-44とXP-47ではドイツ の戦闘 せんとう 機 き にかなわないことが明 あき らかになってきた。リパブリックはXP-47をわずかに改良 かいりょう したXP-47A を提示 ていじ したが、USAACには物足 ものた りないものだった。P-43を設計 せっけい した主任 しゅにん 技師 ぎし 、アレキサンダー・カルトベリは製図 せいず 板 ばん に戻 もど り、一見 いっけん するとYP-43を大 おお きくして改悪 かいあく したようにも見 み える機体 きたい 案 あん をもちかえった。新 あら たな設計 せっけい は1940年 ねん 6月 がつ にUSAACに提示 ていじ され、9月にXP-47B の名称 めいしょう でプロトタイプが発注 はっちゅう された。一方 いっぽう 、新 しん 設計 せっけい とほとんど共通 きょうつう 点 てん のないXP-47Aの開発 かいはつ は中止 ちゅうし された。
USAACは、XP-47Bの設計 せっけい をにわかには信 しん じられなかったと思 おも われる。カルトベリはこう言 げん ったらしい、「こいつは恐竜 きょうりゅう になるだろう。スタイルのいい恐竜 きょうりゅう にね」 XP-47Bの自重 じちょう は約 やく 4,500 kgだったが、これはYP-43より65 %も重 おも かった。新型 しんがた 機 き はP&W R-2800 ダブルワスプを動力 どうりょく とした。空冷 くうれい 星 ほし 形 がた 18気筒 きとう (9気筒 きとう ×2列 れつ )で、出力 しゅつりょく は約 やく 2,000馬力 ばりき にも達 たっ した。胴体 どうたい 内 ない に収納 しゅうのう したターボチャージャーへはどっしりしたダクトが伸 の びていた。両翼 りょうよく 内 ない に4丁 ちょう ずつ、計 けい 8丁 ちょう のブローニング 12.7 mm 機関 きかん 銃 じゅう は、当時 とうじ としては異常 いじょう なほどの大 だい 火力 かりょく だった。
XP-47BこそUSAACが待 ま ち望 のぞ んだ機体 きたい だと言 い えた。そこでXP-47Aと同様 どうよう XP-44の開発 かいはつ も中止 ちゅうし されたが、新型 しんがた 機 き の生産 せいさん 開始 かいし まではすこし間 あいだ があいてしまう。リパブリックの生産 せいさん ラインを維持 いじ するために、航空 こうくう 隊 たい はP-43を54機 き 発注 はっちゅう した。XP-47B開発 かいはつ 計画 けいかく には遅 おく れが生 しょう じ、USAACはエンジンを若干 じゃっかん 改良 かいりょう したP-43Aをさらに80機 き 発注 はっちゅう した。さらなる遅 おく れによってP-43A-1が125機 き 発注 はっちゅう された。A-1は中華民国 ちゅうかみんこく へのレンドリース を意図 いと したもので、12.7 mm 機関 きかん 銃 じゅう を4丁 ちょう と自動 じどう 防 ぼう 漏 も 燃料 ねんりょう タンク を備 そな えていた。
1942年 ねん 3月 がつ の最終 さいしゅう 号 ごう 機 き までに、13機 き のYP-43Aを含 ふく めて全部 ぜんぶ で272機 き のP-43が引 ひ き渡 わた された。
こうした機体 きたい が最終 さいしゅう 的 てき にどうなったかはハッキリしていない。少 すく なくとも51機 き が中華民国 ちゅうかみんこく に渡 わた り、何 なん 機 き かはクレア・リー・シェンノート のフライング・タイガース で運用 うんよう された。しかし、ターボチャージャーと自動 じどう 防 ぼう 漏 も タンクの信頼 しんらい 性 せい が低 ひく かったため、使用 しよう された数 かず はそう多 おお くない。残 のこ りの機体 きたい はほとんどが写真 しゃしん 偵察 ていさつ 機 き に改造 かいぞう され、そのうちのごく少数 しょうすう はオーストラリア へ渡 わた った。これらの機体 きたい は、1942年 ねん の秋 あき にそれまでのP-43B・P-43C・P-43Dといった名称 めいしょう からRP-43へと改称 かいしょう され前線 ぜんせん での航空 こうくう 偵察 ていさつ に使用 しよう された(Rはreconnaissance「偵察 ていさつ 」の意味 いみ )。
戦闘 せんとう 機 き としても偵察 ていさつ 機 き としても、P-43はほとんど戦闘 せんとう に出会 であ わなかった。P-43が果 は たした真 しん に重要 じゅうよう な役割 やくわり は、よりよい機体 きたい への踏 ふ み石 いし となったことと、XP-47Bを供給 きょうきゅう できるようになるまでの間 あいだ 、生産 せいさん ラインを動 うご かし続 つづ けたことくらいのものである。
XP-47Bは1941年 ねん 5月 がつ 6日 にち にローリー・P・ブラバムの操縦 そうじゅう で初 はつ 飛行 ひこう を行 おこな った。コクピットにすこし煙 けむり が発生 はっせい するなど多少 たしょう の問題 もんだい はあったものの、この機体 きたい は素晴 すば らしいということが判明 はんめい した(煙 けむり はエンジンオイル が少 すこ し漏 も れ出 だ したせいだった)。
XP-47Bは、巨大 きょだい なダブルワスプ とそのターボチャージャーを取 と り囲 かこ むように作 つく られていた。AP-4をエンジンのオーバーヒートで失 うしな ったカートゥヴェリーは隙間 すきま のないカウリングをあきらめ、馬 うま の首 くび 当 あ てのような楕円 だえん 形 がた に開 ひら いた、幅広 はばひろ のカウリングでエンジンを覆 おお った。このカウリングによってエンジン・左右 さゆう のオイルクーラー・インタークーラーシステムの冷却 れいきゃく が可能 かのう になった。
エンジンの排気 はいき はコクピットの両 りょう 脇 わき 下方 かほう を通 とお る2本 ほん のパイプによって後部 こうぶ へ導 みちび かれ、ターボチャージャーのタービンを駆動 くどう する。ターボチャージャーはコクピットと尾翼 びよく の中 なか 間 あいだ あたりに位置 いち する。フルパワー時 じ には、パイプは赤熱 しゃくねつ する。ウェイストゲートシャッターが排気 はいき の仕分 しわ けを担当 たんとう している。排気 はいき を直接 ちょくせつ 外気 がいき へ逃 に がすか、高々 たかだか 度 ど でエンジンの酸素 さんそ が足 た りない状態 じょうたい のときにタービンへ導 みちび き、チャージャーを60,000 RPMで回 まわ すかのコントロールを行 おこな う。ターボチャージャーのインテイク(吸気 きゅうき 口 こう )には
胴体 どうたい 下部 かぶ からダクトで吸気 きゅうき される。チャージャーで圧縮 あっしゅく された空気 くうき はインタークーラーを通 とお って冷却 れいきゃく される。外気 がいき との熱 ねつ 交換 こうかん で気温 きおん が下 さ がると同時 どうじ に空気 くうき 密度 みつど が増加 ぞうか し、出力 しゅつりょく が増大 ぞうだい する。インタークーラーを出 で た空気 くうき は胴体 どうたい 両 りょう 側面 そくめん を通 とお って前方 ぜんぽう のキャブレター、エンジンへと向 む かう。
ダクトとターボチャージャーを配 はい したことで、XP-47Bの胴体 どうたい は太 ふと く大 おお きなものとなった。同時 どうじ に主翼 しゅよく もやや高 たか めの配置 はいち となったが、これは問題 もんだい だった。というのは、強力 きょうりょく なR-2800エンジンの力 ちから を吸収 きゅうしゅう するために直径 ちょっけい の大 おお きなプロペラ を採用 さいよう していたので、プロペラ先端 せんたん と地面 じめん とのクリアランス(間隔 かんかく )が取 と りづらかったのだ。翼 つばさ が胴体 どうたい の下 した の方 ほう にあれば、その分 ぶん ランディングギア(脚 あし )を短 みじか くできる。ギアが短 みじか いほうが軽量 けいりょう で翼 つばさ のスペースを節約 せつやく できる。カートゥヴェリーは主翼 しゅよく 外側 そとがわ に機関 きかん 銃 じゅう を埋 う め込 こ みたかったので、長大 ちょうだい なギアは受 う け入 い れがたかった。結果 けっか として、メインギア(主 しゅ 脚 あし )は23 cm伸 の び縮 ちぢ みする機構 きこう をそなえることになった。
プロペラ
XP-47B~P-47D
P-47Dの一部 いちぶ
メーカー
カーチス
ハミルトンスタンダード
タイプ
定 じょう 速 そく
ブレード数 すう
4枚 まい
直径 ちょっけい
3.96m ?
4.01m ?
ガバナ
電動 でんどう
油圧 ゆあつ
ブローニング製 せい の12.7 mm機関 きかん 銃 じゅう を各 かく 翼 つばさ 外側 そとがわ に4丁 ちょう ずつ、弾倉 だんそう からの給 きゅう 弾 だん のために互 たが い違 ちが いに配置 はいち していた。各 かく 弾倉 だんそう には銃弾 じゅうだん を350ポンド、425発 はつ 搭載 とうさい した。自動 じどう 防 ぼう 漏 も 式 しき の主 おも ・予備 よび 燃料 ねんりょう タンクはコクピット下 か にあり、1,155リットル (305 USG)のガソリン を積 つ むことができた(翼 つばさ 内 ない タンクはまだなかった)。当時 とうじ としてはかなりの量 りょう だったが、これでも不十分 ふじゅうぶん だったことが後 のち に判明 はんめい する。
コクピットは巨大 きょだい なマシンにふさわしく広々 ひろびろ としており、エアコン も備 そな えていた。操縦 そうじゅう 席 せき も快適 かいてき だった。あるパイロットは後 のち に「安楽椅子 あんらくいす のようだよ」と評 ひょう した。プロトタイプであるXP-47Bのキャノピィは上方 かみがた に開 ひら くヒンジを備 そな えていたが、これには故障 こしょう が頻発 ひんぱつ した。尾翼 びよく の舵 かじ 面 めん (方向 ほうこう 舵 かじ 、昇降 しょうこう 舵 かじ )が帆布 ほぬの 張 ば りの他 ほか は全 ぜん 金属 きんぞく 製 せい で、主翼 しゅよく のスパー(桁 けた )は3本 ほん 。この帆布 ほぬの 張 は り舵 かじ 面 めん にも不具合 ふぐあい が多 おお かった。
P-47B / P-47C [ 編集 へんしゅう ]
XP-47Bの不具合 ふぐあい [ 編集 へんしゅう ]
XP-47BはUSAAFに楽観 らっかん と懸念 けねん の両方 りょうほう をもたらした(USAAC 陸軍 りくぐん 航空 こうくう 隊 たい は1941年 ねん 6月 がつ にUSAAF 陸軍 りくぐん 航空 こうくう 軍 ぐん となった。参考 さんこう :アメリカ空軍 くうぐん )。機体 きたい 性能 せいのう も火力 かりょく も申 もう し分 ぶん なかったが、非常 ひじょう に革新 かくしん 的 てき な設計 せっけい であったため、初期 しょき 不良 ふりょう に見舞 みま われることとなった。
巨大 きょだい なサイズと強力 きょうりょく なパワーのせいで操縦 そうじゅう は楽 らく ではなかったし、離陸 りりく に長 なが い滑走 かっそう 路 ろ を必要 ひつよう とし、結局 けっきょく この欠点 けってん は他 た のタイプのP-47や、さらにカートゥヴェリーが後 のち に設計 せっけい するジェット機 じぇっとき にも引 ひ き継 つ がれた。キャノピーは開閉 かいへい 時 じ にひっかかることがあり、機銃 きじゅう ・燃料 ねんりょう 系統 けいとう ・エンジン配置 はいち にも問題 もんだい があった。高々 たかだか 度 ど では点火 てんか 系統 けいとう がアークしてしまった。動 どう 翼 つばさ を動 うご かすのに必要 ひつよう な操舵 そうだ 力 りょく は許容 きょよう できないほど大 おお きく、エルロン は固着 こちゃく してしまった。帆布 ほぬの 張 ば りの動 どう 翼 つばさ は高々 たかだか 度 ど では壊 こわ れやすかった。
リパブリックはこうした問題 もんだい に取 と り組 く んだ。緊急 きんきゅう 時 じ には投棄 とうき 可能 かのう なスライド式 しき キャノピィ、与 あずか 圧 あつ 式 しき の点火 てんか 系統 けいとう 、そして全 ぜん 金属 きんぞく 製 せい の動 どう 翼 つばさ などが解決 かいけつ 策 さく だった。
P-47B発注 はっちゅう される [ 編集 へんしゅう ]
1942年 ねん 3月 がつ に撮影 さつえい されたP-47B サンダーボルト
航空 こうくう 軍 ぐん は171機 き のP-47B を発注 はっちゅう した。技術 ぎじゅつ 試験 しけん 用 よう のP-47Bは1941年 ねん 12月に引 ひ き渡 わた され、量産 りょうさん 試作 しさく 型 がた が翌年 よくねん 3月 がつ に続 つづ いた。初 はつ の量産 りょうさん 型 がた は1942年 ねん 5月 がつ に引 ひ き渡 わた された。
リパブリックは生産 せいさん を開始 かいし する一方 いっぽう で設計 せっけい の改良 かいりょう も続 つづ けた。初期 しょき のP-47Bには既 すで にスライド式 しき キャノピィが取 と り入 い れられており、同時 どうじ にパイロットの視界 しかい も向上 こうじょう した。さらに、R-2800-21エンジン用 よう に、ゼネラル・エレクトリック 製 せい の新型 しんがた ターボチャージャー制御 せいぎょ 装置 そうち も備 そな えていた。一方 いっぽう で、初期 しょき の機体 きたい では全 ぜん 金属 きんぞく 製 せい の動 どう 翼 つばさ などいくつかの装備 そうび は標準 ひょうじゅん でなかった。B型 がた だけに特徴 とくちょう 的 てき な点 てん がひとつあった。コクピット後方 こうほう にある無線 むせん 用 よう 支柱 しちゅう が、アンテナ の長 なが さを確保 かくほ するために前 ぜん 傾 かたぶけ していたのだ。これは新型 しんがた のスライド式 しき キャノピィ設置 せっち に伴 ともな う改修 かいしゅう だった。
この飛行機 ひこうき には「サンダーボルト (Thunderbolt、雷電 らいでん )」という愛称 あいしょう が付 つ けられた。パイロットの間 あいだ では同 おな じくらい有名 ゆうめい な「ジャグ (Jug)」という呼 よ び方 かた があった。これはヒンドゥー教 きょう の神 かみ のジャガーノート から来 き たといわれている[1] 。実際 じっさい 、サンダーボルトは損傷 そんしょう を受 う けながらも何 なん 度 ど もパイロットを無事 ぶじ 帰還 きかん させた。
最初 さいしょ のサンダーボルトは、リパブリックと同 おな じロングアイランドにある第 だい 56戦闘 せんとう 航空 こうくう 群 ぐん (56th Fighter Group) へ引 ひ き渡 わた された。56th FG は新型 しんがた 戦闘 せんとう 機 き の運用 うんよう 評価 ひょうか 部隊 ぶたい だった。XP-47B同様 どうよう 、問題 もんだい はなおも続 つづ いた。量産 りょうさん 初期 しょき のP-47Bが急降下 きゅうこうか 時 じ に操縦 そうじゅう 不能 ふのう になり、リパブリックのテストパイロットが死亡 しぼう した。他 ほか にも、胴体 どうたい 尾 お 部 ぶ が崩壊 ほうかい してしまったりと、初期 しょき のP-47Bは何 なん 機 き もが墜落 ついらく した。全 ぜん 金属 きんぞく 製 せい の動 どう 翼 つばさ やその他 た の改修 かいしゅう によって問題 もんだい は解決 かいけつ したが、1942年 ねん 8月 がつ 、XP-47Bは飛行 ひこう 中 ちゅう に炎 ほのお に包 つつ まれ、パイロットはベイルアウト(脱出 だっしゅつ )を余儀 よぎ なくされた。
P-47C(B型 がた の不具合 ふぐあい 是正 ぜせい ) [ 編集 へんしゅう ]
機体 きたい をよく知 し るにつれ、USAAFは総合 そうごう 的 てき には評価 ひょうか に値 あたい するとの決断 けつだん をくだし、P-47Bの発注 はっちゅう に続 つづ けてすぐに、改修 かいしゅう 型 がた をP-47C の名称 めいしょう で602機 き 発注 はっちゅう した。最初 さいしょ の機体 きたい は1942年 ねん 9月 がつ に引 ひ き渡 わた された。
初期 しょき のP-47CはBタイプによく似 に ていたが、以下 いか の点 てん が異 こと なっていた:
強度 きょうど が向上 こうじょう した全 ぜん 金属 きんぞく 製 せい の動 どう 翼 つばさ
GE製 せい ターボチャージャー制御 せいぎょ 器 き のアップグレード
短 みじか く、垂直 すいちょく に伸 の びた無線 むせん 支柱 しちゅう
57機 き のP-47Cがつくられた後 のち 、生産 せいさん はP-47C-1 へ移行 いこう した。このタイプはコクピット前方 ぜんぽう で胴体 どうたい を20 cm (8 in) 延長 えんちょう したもので、これによって重心 じゅうしん 位置 いち の問題 もんだい が解決 かいけつ した上 うえ 、エンジン整備 せいび がしやすくなった。他 ほか にも、オイルクーラー排気 はいき 口 こう ・ブレーキ・着陸 ちゃくりく 装置 そうち ・電気 でんき 系統 けいとう などに若干 じゃっかん 改修 かいしゅう が加 くわ えられた。
55機 き のP-47C-1には128機 き のP-47C-2 が続 つづ いた。-1との唯一 ゆいいつ の違 ちが いは胴体 どうたい 下部 かぶ に取 と り付 つ けポイントが設 もう けられたことで、ここに200ガロン(757リットル)の増 ぞう 槽 そう (ドロップタンク:投棄 とうき 可能 かのう 燃料 ねんりょう タンク)が装備 そうび 可能 かのう となり、500ポンド (224 kg) 爆 ばく 弾 だん を搭載 とうさい することもできるようになった。
P-47Cの最多 さいた 生産 せいさん 型 がた はP-47C-5 で、新型 しんがた のウィップアンテナと、R-2800-59エンジンを装備 そうび していた。このエンジンは水 みず メタノール噴射 ふんしゃ 装置 そうち を備 そな え、緊急 きんきゅう 最大 さいだい 出力 しゅつりょく は2,300 HP (1,700 kW) に達 たっ した。
B型 がた の派生 はせい 型 がた [ 編集 へんしゅう ]
P-47BからはC型 がた だけでなく、生産 せいさん にまで至 いた らない派生 はせい 型 がた がいくつか生 う み出 だ された。偵察 ていさつ 用 よう のRP-47B が1機 き つくられた。P-47Bの最終 さいしゅう 171号機 ごうき はXP-47E の名称 めいしょう でテスト用 よう に使 つか われた。P-47C-5用 よう のR-2800-59エンジン・与 あずか 圧 あつ コクピット・そして新型 しんがた のハミルトン・スタンダード製 せい プロペラを試験 しけん した。
後 のち に別 べつ のP-47Bが性能 せいのう 向上 こうじょう を狙 ねら って層 そう 流 りゅう 翼 つばさ 型 がた の主翼 しゅよく に換 かわ 装 そう され、XP-47F と改称 かいしょう されたものの、たいした成果 せいか は挙 あ げられなかった。
P-47Dと派生 はせい 型 がた [ 編集 へんしゅう ]
低空 ていくう を飛行 ひこう するアメリカ空軍 くうぐん のP-47D
サンダーボルトの改良 かいりょう は続 つづ き、決定 けってい 版 ばん となるP-47D が誕生 たんじょう した。D型 がた は12,602機 き も生産 せいさん されたが、細 こま かな改良 かいりょう が施 ほどこ されたサブタイプが多 おお く、初期 しょき と末期 まっき の機体 きたい には明 あき らかな違 ちが いが見 み られた。
最初 さいしょ 期 き のP-47Dは、実質 じっしつ 的 てき にP-47Cであった。ロングアイランド ファーミンデールの工場 こうじょう では生産 せいさん が追 お いつかなかったため、インディアナ州 しゅう エヴァンズヴィルに新 あら たな工場 こうじょう が建 た てられ110機 き のP-47Dが作 つく られたが、それらはP-47C-2と全 まった く同 おな じものだった。ファーミンデール工場 こうじょう 製 せい の機体 きたい には-RE、エヴァンズヴィル工場 こうじょう 製 せい の機体 きたい には-RAの記号 きごう が付 つ けられていたが、本 ほん 記事 きじ 中 ちゅう では特 とく に必要 ひつよう のない限 かぎ りは記述 きじゅつ しない。
P-47Dには2工場 こうじょう の片方 かたがた だけで、あるいは両方 りょうほう で作 つく られた多 おお くのサブタイプがあった。小 ちい さな改修 かいしゅう 点 てん が多 おお いが、ここでは重要 じゅうよう な部分 ぶぶん のみを取 と り上 あ げる。注 ちゅう :最後 さいご のサブタイプはP-47D-40だが、途中 とちゅう で番号 ばんごう が跳 と んでおり、40種類 しゅるい のサブタイプがあったわけではない。
P-47D-1 ~ D-11 [ 編集 へんしゅう ]
P-47D-1 ~ D-6・D-10・D-11は以下 いか のような改修 かいしゅう を受 う けた型 かた である:
カウルフラップの増加 ぞうか → 前線 ぜんせん で多発 たはつ していたオーバーヒートの解消 かいしょう に大 おお きく寄与 きよ
エンジン換 かわ 装 そう とエンジンサブシステムの改良 かいりょう
燃料 ねんりょう ・オイル・油圧 ゆあつ システムの改良 かいりょう
コクピットに装甲 そうこう 板 ばん を追加 ついか
航続 こうぞく 距離 きょり 増大 ぞうだい を要求 ようきゅう する現場 げんば の声 こえ に答 こた えたもので、以下 いか の点 てん が変更 へんこう された:
胴体 どうたい 内 ない 燃料 ねんりょう 容量 ようりょう が、1,421 リットル (375 USG ) へ増大 ぞうだい (XP-47Bは1,155リットル (305 USG))
両 りょう 翼下 よくか にもドロップタンク(投棄 とうき 可能 かのう な燃料 ねんりょう タンク)を搭載 とうさい できるようになった(胴体 どうたい 下 か にはすでに搭載 とうさい していた)
ドロップタンク
タイプ
容量 ようりょう (L )
容量 ようりょう (USG )
金属 きんぞく 製 せい
コンフォーマルタンク (初期 しょき 型 がた ・フェリー用 よう )
758
200
扁平 へんぺい 菱形 ひしがた (?)・胴体 どうたい 下 か
758
200
涙 なみだ 滴 しずく 形 がた ・翼下 よくか
284
75
涙 なみだ 滴 しずく 形 がた ・翼下 よくか
568
150
樹脂 じゅし 含浸 がんしん 紙 し 製 せい (英国 えいこく が設計 せっけい )
胴体 どうたい 下 か ?
409
108
胴体 どうたい 下 か
758
200
燃料 ねんりょう 容量 ようりょう の増大 ぞうだい により、P-47は敵 てき 地 ち 深 しん くへの侵攻 しんこう ミッションをこなせるようになった。P-47D-15は、機体 きたい 外部 がいぶ に全部 ぜんぶ で1,130 kg (2,500 lb)のペイロードがあった。
P-47D-16 ~ D-23 [ 編集 へんしゅう ]
P-47D-16・D-20・D-22・D-23はD-15によく似 に ていたが、以下 いか のような改良 かいりょう がなされた:
燃料 ねんりょう 系統 けいとう 、エンジンサブシステムの改良 かいりょう
投棄 とうき 可能 かのう なキャノピィ(上方 かみがた の窓 まど )
防弾 ぼうだん 型 がた 風防 ふうぼう (前方 ぜんぽう の窓 まど )
一方 いっぽう 、直径 ちょっけい 3.71 mのカーチス製 せい プロペラは、以下 いか のより大 おお きなプロペラへと換 かわ 装 そう された:
ロングアイランド工場 こうじょう :直径 ちょっけい 4.01 mのハミルトンスタンダード製 せい プロペラに
エヴァンズヴィル工場 こうじょう :直径 ちょっけい 3.96 mのカーチス製 せい プロペラに
XP-47Bの時 とき から、プロペラ先端 せんたん と地面 じめん とのクリアランス(間隔 かんかく )は問題 もんだい となっていた。より大 おお きなプロペラになったことで、パイロットは離陸 りりく 時 じ 、プロペラが地面 じめん を打 う たないように、充分 じゅうぶん な速度 そくど に達 たっ するまでは尾 お 部 ぶ を下 さ げておくように気 き を付 つ けなくてはならなくなった。
リパブリックの2工場 こうじょう が生産 せいさん を続 つづ けていたが、陸軍 りくぐん 航空 こうくう 軍 ぐん はサンダーボルトの供給 きょうきゅう が不足 ふそく してると感 かん じ、カーチスがニューヨーク州 しゅう バッファローの工場 こうじょう でライセンス生産 せいさん を行 おこな うことになった。ほとんどのカーチス製 せい サンダーボルトは高等 こうとう 練習 れんしゅう 機 き として運用 うんよう するために作 つく られた。
カーチス製 せい 機 き は全 すべ てP-47G の制式 せいしき 名称 めいしょう がつけられ、さらにCurtissをあらわす「-CU」が末尾 まつび に付 つ けられた。最初 さいしょ のP-47G-1はP-47C-1と全 まった く同 おな じだった。その後 ご のP-47G-5、G-10、G-15はP-47D-1、D-5、D-10と同 おな じだった。カーチスは354機 き のP-47Gを生産 せいさん した。
2機 き のP-47G-15がコクピットを主翼 しゅよく 前 ぜん 縁 えん 付近 ふきん まで延長 えんちょう してタンデム複 ふく 座 ざ に改造 かいぞう され、TP-47G と命名 めいめい された。主 しゅ 燃料 ねんりょう タンクを縮小 しゅくしょう して2人 ふたり 目 め の座席 ざせき が設 もう けられた。このダブルボルト は生産 せいさん には至 いた らなかったが、前線 ぜんせん で同様 どうよう の改修 かいしゅう を受 う けたものがタクシー(高官 こうかん を送迎 そうげい する時 とき などに用 もち いる、高速 こうそく 連絡 れんらく 機 き )として使 つか われた。
P-47D-25 ~ D-30 [ 編集 へんしゅう ]
P-47D-25-REのスペック
SI
ヤードポンド
全幅 ぜんぷく
12.42m
40ft 9in
全長 ぜんちょう
11m
36ft 1in
全 ぜん 高 こう
4.32m
14ft 2in
空虚 くうきょ 重量 じゅうりょう
6,622kg
14,600lbs
運用 うんよう 重量 じゅうりょう
8,800kg
19,400lbs
最大 さいだい 速度 そくど
689km/h 高度 こうど 9,144m
428mph / 372kn 高度 こうど 30,000ft
実用 じつよう 上昇 じょうしょう 限度 げんど
12,192m
40,000ft
航続 こうぞく 距離 きょり (増 ぞう 槽 そう ×3)
3,058km
1,900mile
この時点 じてん までに作 つく られたP-47は、全 すべ てが胴体 どうたい 後部 こうぶ に連 つら なった「レイザーバック」タイプのキャノピーだった。これは真後 まうし ろがよく見 み えないという、空中 くうちゅう 戦 せん では致命 ちめい 的 てき ともなりうる欠点 けってん があり、パイロットの批判 ひはん の的 まと となっていた。英国 えいこく も自国 じこく の戦闘 せんとう 機 き に同様 どうよう の問題 もんだい を抱 かか えており、スピットファイア には上方 かみがた へ膨 ふく らんだ「マルコムフード」と呼 よ ばれるタイプのキャノピーを考案 こうあん 、採用 さいよう していた。多 おお くのP-51 が前線 ぜんせん でこのキャノピーに換 かわ 装 そう しており、ごくわずかのP-47Dにも適用 てきよう されていた。
しかし英軍 えいぐん はよりよい解決 かいけつ 策 さく を思 おも いついていた。360度 ど に渡 わた って良好 りょうこう な視界 しかい を確保 かくほ できる、「バブル(水滴 すいてき 形 がた )」キャノピーをタイフーン の生産 せいさん 途中 とちゅう から採用 さいよう したのだ。USAAFはこれを気 き に入 い り、P-51とP-47を含 ふく む米国 べいこく 製 せい 戦闘 せんとう 機 き にも迅速 じんそく に適用 てきよう した。1943年 ねん 夏 なつ に、初 はつ のバブルキャノピー付 つ きサンダーボルトができあがった。P-47D-5の最終 さいしゅう 号 ごう 機 き を改造 かいぞう したこの機 き は、XP-47K と名付 なづ けられた。
一方 いっぽう 、別 べつ の旧式 きゅうしき なP-47Dが胴体 どうたい 内 ない 燃料 ねんりょう を1,402 リットル (370 USG)へ増大 ぞうだい する改修 かいしゅう を受 う け、XP-47L と命名 めいめい された。
燃料 ねんりょう 容量 ようりょう を増大 ぞうだい させ、バブルキャノピーを備 そな えたタイプが生産 せいさん に入 はい り、これらはP-47D-25 とされた。この後 のち P-47D-26・D-27・D-28・D-30のバブルキャノピー機 き が続 つづ く。改良 かいりょう 点 てん は以下 いか の通 とお り:
エンジンの改修 かいしゅう
燃料 ねんりょう 容量 ようりょう の更 さら なる増加 ぞうか
エアブレーキの追加 ついか
その他 た 細々 こまごま とした改修 かいしゅう
P-47のキャノピー。写真 しゃしん 左 ひだり が通称 つうしょう 「レイザーバック」。対 たい する右側 みぎがわ が通称 つうしょう 「バブルトップ」。バブルトップタイプのキャノピーになってから、後方 こうほう 視界 しかい は飛躍 ひやく 的 てき に向上 こうじょう した。
P-47D-40 はP-47Dの最終 さいしゅう 型 がた であり、重要 じゅうよう な改修 かいしゅう が施 ほどこ された。
ドーサルフィン
バブルキャノピィにするために胴体 どうたい 後 ご 上部 じょうぶ が削 けず られ、これによってヨー軸 じく (横 よこ に首 くび を振 ふ る動 うご きの向 む き)が不安定 ふあんてい になっていた。そのため初期 しょき のバブルキャノピィ機 き には前線 ぜんせん でドーサルフィン(背 せ ビレ)が追加 ついか されていた。P-47D-40は当初 とうしょ からドーサルフィンを備 そな えた形 かたち で生産 せいさん された。これは垂直 すいちょく 尾翼 びよく 下部 かぶ から前方 ぜんぽう のアンテナ支柱 しちゅう まで伸 の びる、細長 ほそなが い三角形 さんかっけい の安定 あんてい 板 ばん である。
ロケットランチャー
「ゼロ・レングス」と呼 よ ばれる、従来 じゅうらい の空気 くうき 抵抗 ていこう の大 おお きい長大 ちょうだい なタイプに代 か わる、HVAR(High Velocity Air Rocket、127 mm ロケット弾 だん )用 よう のコンパクトな新型 しんがた 発射 はっしゃ 器 き が両 りょう 翼下 よくか に10基 き 取 と り付 つ けられた。
K-14 照準 しょうじゅん 装置 そうち
英国 えいこく フェランティ 製 せい GGS Mark IID 演算 えんざん ・ジャイロ式 しき ガンサイトをライセンス生産 せいさん したもの。パイロットがあらかじめ想定 そうてい 機 き の翼 つばさ 幅 はば と自 じ 機 き からの距離 きょり をダイヤルで設定 せってい しておくと、射撃 しゃげき のタイミングがわかるようになっていた。旋回 せんかい や上昇 じょうしょう ・下降 かこう しながらの、弾道 だんどう が曲 ま がって見 み える射撃 しゃげき (見越 みこ し射撃 しゃげき )時 じ には大 おお きな助 たす けとなった。
D型 がた 以降 いこう の派生 はせい 型 がた [ 編集 へんしゅう ]
機首 きしゅ を延長 えんちょう されたP-47H
P-47Dは最 もっと も多 おお く生産 せいさん ・運用 うんよう されたタイプであり、サンダーボルトの生涯 しょうがい での頂点 ちょうてん といえたが、さらなる改良 かいりょう の試 こころ みも存在 そんざい した。
初期 しょき のDの機体 きたい にレイザーバックタイプのP-47Dにクライスラー 製 せい XIV-2220-1 倒立 とうりつ V型 かた 液 えき 冷 ひや 16気筒 きとう エンジン (2,500 HP) とC-5 ターボチャージャーを載 の せたXP-47H が1943年 ねん に作 つく られた。P-47系 けい 唯一 ゆいいつ の液 えき 冷 ひや 装備 そうび 型 がた で最高 さいこう 速度 そくど 790km/hを目指 めざ したが、巨大 きょだい な直列 ちょくれつ エンジンはいい結果 けっか を出 だ せず(666 km/h @高度 こうど 9,100 m)、XP-47H計画 けいかく は終了 しゅうりょう した。
1942年 ねん 11月、リパブリックに「ホット・ロッド(改造 かいぞう 車 しゃ )」バージョンの要求 ようきゅう が出 だ され、XP-47J の開発 かいはつ が始 はじ まった。変更 へんこう 点 てん は:
強制 きょうせい 空冷 くうれい ファン付 つ きの、キツめのカウル
P&W製 せい R-2800-57(C)エンジン
GE製 せい CH-5 ターボチャージャー
水 みず メタノール噴射 ふんしゃ による緊急 きんきゅう 最大 さいだい 出力 しゅつりょく :2,800 HP / 2,090 kW
機関 きかん 銃 じゅう を8丁 ちょう から6丁 ちょう へと減 へ らした
新 あら たに設計 せっけい され、軽 かる くなった主翼 しゅよく
その他 た 多 おお くの改良 かいりょう が加 くわ えられた。
機体 きたい は1機 き だけ作 つく られ1943年 ねん 11月26日 にち に初 はつ 飛行 ひこう したが、この時点 じてん ですでにリパブリックはXP-72の開発 かいはつ へと移行 いこう しており、XP-47Jは主 おも にテスト用 よう に使 つか われた。1944年 ねん 8月 がつ 5日 にち には水平 すいへい 直線 ちょくせん 飛行 ひこう で813 km/hを記録 きろく する(高度 こうど 10,500 m)など世界 せかい 屈指 くっし の高速 こうそく ピストンエンジン機 き と言 い えたが、既 すで に設計 せっけい が始 はじ まっていたジェット機 じぇっとき の方 ほう が高速 こうそく なのは明 あき らかで、XP-47Jの開発 かいはつ は終了 しゅうりょう した。
P-47M はやや保守 ほしゅ 的 てき な設計 せっけい で高速 こうそく を狙 ねら ったものだった。3機 き のP-47D-30が、R-2800-57(C)とCH-5を搭載 とうさい し、爆 ばく 弾 だん 懸架 けんか 用 よう のハードポイントを無 な くす改造 かいぞう を受 う け、プロトタイプのYP-47M となった。
YP-47Mの最大 さいだい 速度 そくど は761 km/hに達 たっ し、ドイツのV1飛行 ひこう 爆 ばく 弾 だん (巡航 じゅんこう ミサイル )とジェット戦闘 せんとう 機 き に対抗 たいこう するために直 ただ ちに生産 せいさん が開始 かいし された。P-47Mは130機 き 製造 せいぞう され、最初 さいしょ の機体 きたい は1945年 ねん 1月 がつ にヨーロッパの56th FGの元 もと へ到着 とうちゃく したが、前線 ぜんせん で多 おお くの問題 もんだい が発生 はっせい した。問題 もんだい が解決 かいけつ された4月 がつ には欧州 おうしゅう 戦線 せんせん は終結 しゅうけつ しかかっていたが、Me 262 を撃墜 げきつい する戦果 せんか を挙 あ げている。
編隊 へんたい を組 く むP-47N
P-47N は太平洋 たいへいよう 戦線 せんせん での使用 しよう を想定 そうてい したもので、サンダーボルトの最後 さいご の生産 せいさん 型 がた となった。ボーイング 製 せい の戦略 せんりゃく 爆撃 ばくげき 機 き 、B-29 スーパーフォートレスによる日本 にっぽん 本土 ほんど 爆撃 ばくげき に同行 どうこう ・護衛 ごえい する戦闘 せんとう 機 き が必要 ひつよう だったが、長 なが い航続 こうぞく 距離 きょり が必要 ひつよう だった。サンダーボルトは進化 しんか に合 あ わせて胴体 どうたい 内 ない タンクとドロップタンクの燃料 ねんりょう 容量 ようりょう を増大 ぞうだい させ、航続 こうぞく 距離 きょり も伸 の びてきていたが、さらに燃料 ねんりょう を詰 つ め込 こ むには主翼 しゅよく 内 ない にタンクを増 ふ やすしかなかった。それまでとは完全 かんぜん に異 こと なるタイプの主翼 しゅよく が作 つく られ、片 かた 翼 つばさ に190リットル (50 USG) の燃料 ねんりょう タンクが収 おさ められた。
YP-47Mの2号機 ごうき がこの新型 しんがた 主翼 しゅよく に換 かわ 装 そう され、1944年 ねん 9月 がつ に初 はつ 飛行 ひこう した。改 あらため 設計 せっけい は成功 せいこう で、航続 こうぞく 距離 きょり は3,200 kmに伸 の びた。さらに、主翼 しゅよく のスパン(翼 つばさ 幅 はば )を500 mm延長 えんちょう したにもかかわらず、翼 つばさ 端 はし を楕円 だえん 形 がた から四角形 しかっけい に変 か えたことでロールレート(横転 おうてん 率 りつ )が向上 こうじょう した。
出力 しゅつりょく を増大 ぞうだい させたR-2800-77(C)エンジンを搭載 とうさい して、P-47Nの大量 たいりょう 生産 せいさん が開始 かいし された。最初 さいしょ のタイプはP-47N-1で、N-5・N-15・N-20・N-25と続 つづ いた。この間 あいだ 、ドーサルフィン面積 めんせき の増大 ぞうだい やアンテナの増設 ぞうせつ などの小規模 しょうきぼ な改修 かいしゅう がなされた。P-47Nは合計 ごうけい 1,816機 き 生産 せいさん された。最後 さいご のサンダーボルトとなるP-47N-25は、1945年 ねん 10月 がつ に生産 せいさん ラインを離 はな れた。さらに数 すう 千 せん 機 き の発注 はっちゅう があったのだが、8月 がつ の終戦 しゅうせん 時点 じてん で基本 きほん 的 てき に生産 せいさん は終了 しゅうりょう した。生産 せいさん 終了 しゅうりょう 時点 じてん での機体 きたい 単価 たんか は83,000 米 あめりか ドルだった。
太平洋 たいへいよう 戦線 せんせん 向 む けに設計 せっけい されたP-47Nだったが、初期 しょき に生産 せいさん された機体 きたい は英国 えいこく へ送 おく られた。しかし十分 じゅうぶん な働 はたら きを示 しめ す前 まえ に欧州 おうしゅう 戦線 せんせん は終結 しゅうけつ した。1945年 ねん の春 はる 、沖縄 おきなわ の伊江島 いえじま と硫黄 いおう 島 とう に到着 とうちゃく したP-47Nは予定 よてい どおり護衛 ごえい 任務 にんむ を開始 かいし したが、戦闘 せんとう 爆 ばく 撃 げき 任務 にんむ に使用 しよう されることの方 ほう が多 おお かった。
XP-72
生産 せいさん に至 いた らなかった派生 はせい 型 がた のなかでも興味深 きょうみぶか いものにXP-72 がある。スーパーサンダーボルト として設計 せっけい されたこの機体 きたい は、ピストンエンジン戦闘 せんとう 機 き の限界 げんかい を押 お し広 ひろ げようとするものだった。XP-72の動力 どうりょく は、28気筒 きとう (7×4列 れつ )のP&W製 せい 空冷 くうれい 星 ほし 形 がた エンジン R-4360-13 ワスプ・メジャーで、高々 たかだか 度 ど 出力 しゅつりょく が3,450 HP (2,570 kW)という強力 きょうりょく なものだった。過 か 給 きゅう 機 き の空気 くうき 取入 とりい れ口 こう を腹 はら 下 か に備 そな え2機 き が試作 しさく され(1号機 ごうき が4翅。2号機 ごうき は6翅コントラ・プロペラ)、最大 さいだい 速度 そくど は790 km/hに達 たっ した。ドイツのV-1ミサイルに対抗 たいこう させる目的 もくてき で100機 き の発注 はっちゅう を得 え たが、ジェット機 じぇっとき の出現 しゅつげん により開発 かいはつ 中止 ちゅうし となり、終戦 しゅうせん 時 じ に退役 たいえき 処分 しょぶん となった。
B-17 フライングフォートレスと飛行 ひこう するP-47
P-47C の開発 かいはつ により1942年 ねん 末 まつ までにはおおかたの不具合 ふぐあい は解決 かいけつ された。前線 ぜんせん 配備 はいび が始 はじ まり、P-47Cがイギリス へ送 おく られた。第 だい 56戦闘 せんとう 航空 こうくう 群 ぐん (56th Fighter Group ) が第 だい 8航空 こうくう 軍 ぐん に合流 ごうりゅう するために大西 おおにし 洋 ひろし を渡 わた り、第 だい 8航空 こうくう 軍 ぐん の第 だい 4・第 だい 78戦闘 せんとう 航空 こうくう 群 ぐん (4th, 78th FG) もサンダーボルトを装備 そうび していた。
米国 べいこく 参戦 さんせん 前 まえ からイギリス空軍 くうぐん のイーグルスコードロン(第 だい 71鷲 わし 飛行 ひこう 中隊 ちゅうたい 、第 だい 121鷲 わし 飛行 ひこう 中隊 ちゅうたい 、第 だい 133鷲 わし 飛行 ひこう 中隊 ちゅうたい )の名称 めいしょう で戦 たたか っていたアメリカ人 じん 義勇 ぎゆう 兵 へい の熟練 じゅくれん パイロットは、米国 べいこく 参戦 さんせん とともに第 だい 8航空 こうくう 軍 ぐん 第 だい 4戦闘 せんとう 航空 こうくう 群 ぐん に移管 いかん されることになったが、本 ほん 機 き に比 くら べて小柄 こがら で機動 きどう 性 せい にも優 すぐ れるスーパーマリン スピットファイア に搭乗 とうじょう していたため、巨大 きょだい であまり機動 きどう 性 せい に優 すぐ れない本 ほん 機 き へ乗 の り換 か えることにあまり乗 の り気 き でなかった。事実 じじつ 、英国 えいこく の同僚 どうりょう たちはこの巨大 きょだい な戦闘 せんとう 機 き を目 め にして仰天 ぎょうてん した。「離陸 りりく すらできなさそうなのに、こいつで空中 くうちゅう 戦 せん をやるだって?」 英国 えいこく 人 じん たちは「サンダーボルトのパイロットは(離陸 りりく できず地上 ちじょう に留 と め置 お かれたままの巨大 きょだい な)機体 きたい に駆 か け寄 よ ってその中 なか に隠 かく れれば、(ドイツ空軍 くうぐん )戦闘 せんとう 機 き からの攻撃 こうげき から身 み を守 まも る事 こと ができる。」などとジョークを言 い った。
本 ほん 機 き に対 たい してどっちつかずな評価 ひょうか を下 くだ す米国 べいこく 人 じん パイロットはほとんどおらず、嫌 きら うか、愛 あい するかのどちらかだった。悪 わる い点 てん としては、離陸 りりく 滑走 かっそう 距離 きょり が長 なが く、機動 きどう 性 せい も良 よ くないことが挙 あ げられた。
機動 きどう 性 せい の悪 わる さについてあるパイロットは「まるでバスタブを飛 と ばしているようだった」と評 ひょう した。
ただし高速 こうそく 域 いき においてはその限 かぎ りでなく、比較的 ひかくてき 良好 りょうこう な運動 うんどう 性 せい を示 しめ した。
また本 ほん 機 き はその重量 じゅうりょう ゆえ失速 しっそく しないためにそれなりの速度 そくど が必要 ひつよう であり、速度 そくど 回復 かいふく が図 はか れないエンジン停止 ていし 状態 じょうたい での不時着 ふじちゃく はかなり神経 しんけい を使 つか う行為 こうい であった。
一方 いっぽう 優 すぐ れている点 てん として、機体 きたい が非常 ひじょう に頑丈 がんじょう で被弾 ひだん に強 つよ かったことが挙 あ げられる。
戦闘 せんとう 攻撃 こうげき 機 き (ヤーボ)として用 もち いる場合 ばあい 、必然 ひつぜん 的 てき に高度 こうど を下 さ げざるを得 え ないために対空 たいくう 砲火 ほうか にさらされることが多 おお くなるが、機体 きたい が頑丈 がんじょう であることはこれに非常 ひじょう に有効 ゆうこう であった。
加 くわ えて火力 かりょく が非常 ひじょう に強力 きょうりょく であり、8丁 ちょう のM2ブローニング12.7 mm機関 きかん 銃 じゅう から繰 く り出 だ される大量 たいりょう の弾丸 だんがん は、照準 しょうじゅん 器 き に捕 とら えたターゲットを容赦 ようしゃ なく悉 ことごと く撃墜 げきつい した。
素早 すばや く急降下 きゅうこうか できることも、空中 くうちゅう 戦 せん では有利 ゆうり な点 てん だった。P-47は急降下 きゅうこうか で楽 らく に885 km/hに到達 とうたつ できた。音 おと の壁 かべ を突破 とっぱ したと主張 しゅちょう するパイロットまでいたが、これについては証言 しょうげん 者 しゃ の名前 なまえ とその日時 にちじ が不明 ふめい であるため、確証 かくしょう はない。サンダーボルトのような重 おも い航空機 こうくうき の急降下 きゅうこうか が素早 すばや いことは想像 そうぞう しやすいが、ドイツ軍機 ぐんき は上昇 じょうしょう しても逃 のが れることはできなかった。P-47は重 おも く巨大 きょだい ではあったが、そのR-2800エンジンとプロペラもまた巨大 きょだい で、上昇 じょうしょう 率 りつ は素晴 すば らしかったのである。ロールレート(横転 おうてん 率 りつ )も良 よ かった。
P-47初 はつ の戦闘 せんとう 任務 にんむ は1943年 ねん 3月 がつ 10日 とおか で、4th FGがフランス上空 じょうくう の戦闘 せんとう 機 き 狩 か りに出 で かけたが、無線 むせん 装置 そうち の故障 こしょう により空振 からぶ りに終 お わった。全 ぜん 機体 きたい が無線 むせん を英国 えいこく 製 せい に交換 こうかん し、4月 がつ 8日 にち に任務 にんむ が再開 さいかい された。4月15日 にち 、ルフトヴァッフェ との初 はつ の交戦 こうせん が発生 はっせい し、4th FGのDon Blakeslee少佐 しょうさ がサンダーボルトによる初 はつ 撃墜 げきつい を記録 きろく した。8月17日 にち には初 はつ の護衛 ごえい 任務 にんむ を行 おこな い、ドイツ シュヴァインフルトを空爆 くうばく するB-17 フライングフォートレス の、最初 さいしょ の行程 こうてい に随伴 ずいはん した。
1943年 ねん の夏 なつ までにはイタリア の第 だい 12航空 こうくう 軍 ぐん もP-47を使用 しよう していた。
1943年 ねん 9月 がつ 27日 にち 、ニューギニアにおける第 だい 348戦闘 せんとう 航空 こうくう 群 ぐん のP-47D
太平洋 たいへいよう 戦線 せんせん では第 だい 348戦闘 せんとう 航空 こうくう 群 ぐん (348th FG)がP-47Dを装備 そうび 、オーストラリア ブリスベン からの護衛 ごえい ミッションを行 おこな った。特 とく にP-47の主戦 しゅせん 場 じょう となったのが日本 にっぽん 陸軍 りくぐん 航空 こうくう 部隊 ぶたい を相手 あいて とするニューギニア戦線 せんせん であり、現地 げんち では一式 いっしき 戦 せん 「隼 はやぶさ 」 ・三 さん 式 しき 戦 せん 「飛燕 ひえん 」 と主 おも に交戦 こうせん 。P-47の初 はつ の戦闘 せんとう 任務 にんむ は1943年 ねん 8月 がつ 16日 にち にファブアにて行 おこな われた日本 にっぽん 陸軍 りくぐん 飛行 ひこう 第 だい 24戦隊 せんたい ・飛行 ひこう 第 だい 59戦隊 せんたい の一式 いっしき 戦 せん 33機 き とP-47 32機 き およびP-38 12機 き との空戦 くうせん であり、結果 けっか は一式 いっしき 戦 せん 3機 き を撃墜 げきつい 、損害 そんがい はP-47D レイトン少尉 しょうい 機 き を撃墜 げきつい されP-38 ブライテ少尉 しょうい 機 き が被弾 ひだん 緊急 きんきゅう 着陸 ちゃくりく であった[2] 。
以後 いご P-47Dは対 たい 日 にち 戦 せん でも活躍 かつやく し多 おお くの日本 にっぽん 軍 ぐん 戦闘 せんとう 機 き や爆 ばく 撃 げき 機 き を撃墜 げきつい したが、1944年 ねん 3月 がつ 5日 にち 16時 じ 、当時 とうじ 21機 き 撃墜 げきつい を誇 ほこ り、リチャード・ボング 大尉 たいい (P-38操縦 そうじゅう 、当時 とうじ 24機 き 撃墜 げきつい )とアメリカ軍 ぐん トップ・エースの座 ざ を争 あらそ っていた第 だい 348戦闘 せんとう 航空 こうくう 群 ぐん 司令 しれい ニール・カービィ 大佐 たいさ 搭乗 とうじょう 機 き が、日本 にっぽん 陸軍 りくぐん 飛行 ひこう 第 だい 77戦隊 せんたい の一式 いっしき 戦 せん 2機 き の奇襲 きしゅう 攻撃 こうげき を受 う け被 ひ 撃墜 げきつい 、戦死 せんし した事件 じけん も起 お きている[3] 。また、ニューギニア航空 こうくう 戦 せん 末期 まっき である1944年 ねん 4月 がつ 11日 にち には、日本 にっぽん 軍 ぐん の残 のこ った一式 いっしき 戦 せん ・三式戦稼動全機20機 き の迎撃 げいげき で、日本 にっぽん 陸軍 りくぐん 戦闘 せんとう 機 き に損害 そんがい 無 な く一方 いっぽう 的 てき にP-47D 4機 き を撃墜 げきつい されている(第 だい 311戦闘 せんとう 飛行 ひこう 隊 たい ロスマン少尉 しょうい 機 き ・グラハム少尉 しょうい 機 き ・バリントン機 き およびロウランド中尉 ちゅうい 機 き )[4] 。
主翼 しゅよく 下 か に搭載 とうさい したロケット弾 だん を発射 はっしゃ するP-47D
P-47の決定 けってい 版 ばん ともいうべきP-47Dの登場 とうじょう により増産 ぞうさん 体制 たいせい が敷 し かれ、1944年 ねん までには、アラスカ 以外 いがい のUSAAF の全 ぜん 戦線 せんせん にサンダーボルトが配備 はいび されていた。
改良 かいりょう が進 すす むにつれ燃料 ねんりょう 搭載 とうさい 量 りょう が増大 ぞうだい したため、ボマー・エスコート(爆 ばく 撃 げき 機 き 護衛 ごえい 任務 にんむ )での飛行 ひこう 距離 きょり も増大 ぞうだい していき、ついにはドイツまでずっと同行 どうこう できるようになった(それまで、爆 ばく 撃 げき 機 き の護衛 ごえい は複数 ふくすう の戦闘 せんとう 機 き 隊 たい によるリレー形式 けいしき で行 おこな われていた)。
爆 ばく 撃 げき 行 ぎょう からの帰 かえ り、パイロットたちは(地上 ちじょう の)格好 かっこう の標的 ひょうてき に向 む けて撃 う ちまくった。こうして、ジャグは強力 きょうりょく な戦闘 せんとう 爆撃 ばくげき 機 き であることが判明 はんめい した。複雑 ふくざつ なターボチャージャーシステムを備 そな えていた割 わり には損傷 そんしょう に強 つよ く、8丁 ちょう の機関 きかん 銃 じゅう は敵 てき に大 おお きなダメージを与 あた えることができた。
P-47は徐々 じょじょ にUSAAFで最良 さいりょう の戦闘 せんとう 爆撃 ばくげき 機 き になっていった。搭載 とうさい 兵器 へいき は500lb爆 ばく 弾 だん → 3連装 れんそう M-8 115 mmロケットランチャ → そしてついにはHVARへと換 かわ 装 そう されて強力 きょうりょく になっていった。この任務 にんむ で、ジャグは何 なん 千 せん という戦車 せんしゃ ・機関 きかん 車 しゃ ・駐 ちゅう 機 き 中 ちゅう の航空機 こうくうき 、そして何 なん 万 まん ものトラックその他 た の車両 しゃりょう を破壊 はかい した。
最終 さいしゅう 的 てき に護衛 ごえい 任務 にんむ はP-51 マスタングに取 と って代 か わられたものの、空中 くうちゅう 戦 せん でも優秀 ゆうしゅう な成績 せいせき を残 のこ した。たとえば、
といった具合 ぐあい である。サンダーボルトを乗 じょう 機 き としたエースのうち、上位 じょうい 10人 にん 全員 ぜんいん が大戦 たいせん を生 い き抜 ぬ いたという事実 じじつ が、耐久 たいきゅう 性 せい の高 たか さを物語 ものがた っている。
なお、ヨーロッパ戦線 せんせん でのP-47は、しばしば地上 ちじょう の友軍 ゆうぐん から、 フォッケウルフ Fw190 と間違 まちが われて誤 あやま 射 さ されるという被害 ひがい を受 う けている。胴体 どうたい が太 ふと いP-47と、胴体 どうたい を絞 しぼ ったFw190は、一見 いっけん すると似 に ても似 に つかない機体 きたい に見 み えるが、P-47の胴体 どうたい は上下 じょうげ 方向 ほうこう に対 たい して太 ふと いのであって、左右 さゆう 方向 ほうこう にはさして幅 はば がある訳 わけ ではなく、真下 ました からのP-47の機 き 影 かげ はFw190に似通 にかよ っていたためこの様 よう な事態 じたい が起 お きたものと見 み られる。
本 ほん 機 き の頑丈 がんじょう さを物語 ものがた るエピソードとして、上記 じょうき のロバート・S・ジョンソンの例 れい を挙 あ げる。第 だい 56戦闘 せんとう 航空 こうくう 軍 ぐん に所属 しょぞく する彼 かれ は、1943年 ねん 6月 がつ 26日 にち に英国 えいこく へ帰還 きかん する味方 みかた 爆撃 ばくげき 機 き の出迎 でむか えに行 い った。しかし途中 とちゅう でドイツ空軍 くうぐん のFw190の編隊 へんたい に襲 おそ われ、被弾 ひだん して制御 せいぎょ 不能 ふのう のきりもみ状態 じょうたい に陥 おちい ってしまう。ジョンソンはなんとか機体 きたい を安定 あんてい させたものの、ダメージが酷 ひど くまっすぐ飛 と ぶのがやっとの状態 じょうたい であった。そこをドイツ空軍 くうぐん の撃墜 げきつい 王 おう 、エゴン・マイヤー が乗 の るFw190に捕捉 ほそく される。ジョンソンが乗 の る手負 てお いのP-47はなす術 じゅつ も無 な く直進 ちょくしん するしかなかったが、P-47はFw190が機関 きかん 銃 じゅう を撃 う ちつくすまで耐 た え切 き り、その頑丈 がんじょう さに感心 かんしん したマイヤーはジョンソンに敬礼 けいれい してその場 ば を去 さ った。ジョンソンは基地 きち に帰還 きかん すると自 じ 機 き に空 あ けられた風穴 かざあな を数 かぞ えたが、200を越 こ えたところで止 と めたという。 この出来事 できごと は、ヒストリーチャンネル の番組 ばんぐみ ドッグファイト 〜華麗 かれい なる空中 くうちゅう 戦 せん 〜 の第 だい 13回 かい 目 め である「サンダーボルト」でも紹介 しょうかい された。
欧州 おうしゅう 戦線 せんせん 以外 いがい での活躍 かつやく [ 編集 へんしゅう ]
イギリス空軍 くうぐん のサンダーボルト Mk. I (P-47D)
第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 中 ちゅう 、P-47は米国 べいこく 以外 いがい の連合 れんごう 国 こく の航空 こうくう 部隊 ぶたい でも使用 しよう された。
RAF(ロイヤルエアフォース、英 えい 空軍 くうぐん )は1944年 ねん 半 なか ばからP-47を受領 じゅりょう し始 はじ めた:
サンダーボルト Mk. I :レイザーバックタイプのP-47D。240機 き
サンダーボルト Mk. II :バブルキャノピィのP-47D。590機 き
評価 ひょうか 試験 しけん に使 つか われた数 すう 機 き をのぞいた全 すべ ての機体 きたい はRAFにより運用 うんよう され、インド から飛 と び立 た ってビルマ の日本 にっぽん 軍 ぐん を攻撃 こうげき した。この作戦 さくせん は「キャブ・ランク(cab rank、タクシー乗 の り場 ば )」として知 し られている。サンダーボルトは500lb爆弾 ばくだん あるいは英国 えいこく 製 せい 「60パウンダー」ロケット弾 だん で武装 ぶそう していた。戦後 せんご はわずかな期間 きかん しか運用 うんよう されず、最後 さいご の機体 きたい は1946年 ねん 10月 がつ に退役 たいえき した。
ブラジル 遠征 えんせい 軍 ぐん は88機 き のP-47Dを受領 じゅりょう し、イタリア戦線 せんせん で運用 うんよう した。メキシコ は対 たい 日 にち 戦 せん 用 よう にP-47Dを25機 き 受領 じゅりょう し、1945年 ねん からメキシコ遠征 えんせい 空軍 くうぐん 第 だい 201戦闘 せんとう 飛行 ひこう 隊 たい がルソン島 るそんとう を拠点 きょてん にフィリピンと台湾 たいわん 上空 じょうくう で日本 にっぽん 軍 ぐん の地上 ちじょう 目標 もくひょう 攻撃 こうげき に従事 じゅうじ している。自由 じゆう フランス軍 ぐん は1945年 ねん に446機 き のP-47Dを受領 じゅりょう し、後 のち に第 だい 一 いち 次 じ インドシナ戦争 せんそう やアルジェリア戦争 せんそう にも使用 しよう した。
203機 き のP-47Dがソビエト連邦 れんぽう に供与 きょうよ され、うち196機 き が到着 とうちゃく した。ソ連 それん 軍 ぐん パイロットによる試験 しけん 飛行 ひこう の結果 けっか 、小型 こがた で機敏 きびん なソ連 それん 軍 ぐん 戦闘 せんとう 機 き に比 くら べ重 おも く、動 うご きが緩慢 かんまん で加速 かそく や上昇 じょうしょう 性 せい も良 よ くないが、操縦 そうじゅう は容易 ようい で乗 の り心地 ごこち が良 よ く、航続 こうぞく 距離 きょり が長 なが く高 たか 高度 こうど 性能 せいのう の良 よ いことが評価 ひょうか された。しかし、ソ連 それん 空軍 くうぐん では長距離 ちょうきょり 戦略 せんりゃく 爆 ばく 撃 げき を殆 ほとん どやっておらず護衛 ごえい 任務 にんむ も無 な く、対地 たいち 攻撃 こうげき 用 よう にはすでに多数 たすう のIl-2が運用 うんよう されており、使 つか い道 みち が見 み つからなかった。一方 いっぽう 、比較的 ひかくてき 航続 こうぞく 距離 きょり が長 なが いことと爆 ばく 弾 だん 搭載 とうさい 量 りょう が多 おお いことから、海軍 かいぐん 航空 こうくう 隊 たい から戦闘 せんとう 爆撃 ばくげき 機 き として求 もと められ、北方 ほっぽう 艦隊 かんたい 麾下 きか で対 たい 艦 かん 攻撃 こうげき と偵察 ていさつ 任務 にんむ に就 つ いた。
1945年 ねん (昭和 しょうわ 20年 ねん )2月 がつ 27日 にち に台湾 たいわん 空襲 くうしゅう に飛来 ひらい した第 だい 5航空 こうくう 軍 ぐん 第 だい 35戦闘 せんとう 航空 こうくう 群 ぐん 第 だい 40戦闘 せんとう 飛行 ひこう 隊 たい 所属 しょぞく のラルフ・R・ハートレイ中尉 ちゅうい 操縦 そうじゅう のP-47Dが日本 にっぽん 軍 ぐん の集成 しゅうせい 飛行場 ひこうじょう 所属 しょぞく の四 よん 式 しき 戦 せん 「疾風 しっぷう 」 に撃墜 げきつい されて豊原 とよはら 郊外 こうがい に墜落 ついらく したが、ほぼ原形 げんけい に近 ちか い形 かたち で鹵獲 ろかく された。[5]
機体 きたい 名 めい
F-47N (P-47N)[6]
乗員 じょういん
1名 めい
全長 ぜんちょう
36.1ft (11m)
全幅 ぜんぷく
42.5ft (12.95m)
全 ぜん 高 こう
14.7ft (4.48m)
翼 つばさ 面積 めんせき
322ft² (29.91m²)
プロペラ[7]
ブレード4枚 まい 直径 ちょっけい 13ft (3.96m)
エンジン
Pratt & Whitney R-2800-57/-73/-77/-81 (2,100Bhp 最大 さいだい :2,800Bhp) ×1
空虚 くうきょ 重量 じゅうりょう
11,017lbs (4,997kg)
ミッション
BASIC
INTERCEPTOR
FERRY [注釈 ちゅうしゃく 1]
離陸 りりく 重量 じゅうりょう
20,837lbs (9,452kg)
17,867lbs (8,104kg)
20,837lbs (9,452kg)
戦闘 せんとう 重量 じゅうりょう
15,123lbs (6,860kg)
16,280lbs (7,384kg)
15,123lbs (6,860kg)
燃料 ねんりょう [注釈 ちゅうしゃく 2]
557gal (2,108ℓ)
外部 がいぶ 燃料 ねんりょう
440gal (1,666ℓ)
―
440gal (1,666ℓ)
最高 さいこう 速度 そくど
397kn/35,000ft (735km/h 高度 こうど 10,668m)
389kn/35,000ft (720km/h 高度 こうど 10,668m)
397kn/35,000ft (735km/h 高度 こうど 10,668m)
上昇 じょうしょう 能力 のうりょく
3,680ft/m S.L. (18.69m/s 海面 かいめん 高度 こうど )
3,270ft/m S.L. (16.61m/s 海面 かいめん 高度 こうど )
3,680ft/m S.L. (18.69m/s 海面 かいめん 高度 こうど )
実用 じつよう 上昇 じょうしょう 限度 げんど
42,450ft (12,939m)
41,500ft (12,649m)
42,450ft (12,939m)
航続 こうぞく 距離 きょり [注釈 ちゅうしゃく 3]
1,705n.mile (3,158km)
―
1,915n.mile (3,547km)
戦闘 せんとう 行動 こうどう 半径 はんけい
800n.mile (1,482km)
455n.mile (843km)
―
武装 ぶそう
AN/M2 12.7mm機関 きかん 銃 じゅう ×8 (弾 たま 数 すう 計 けい 4,000発 はつ )
外部 がいぶ 兵 へい 装 そう
1,000/500/250/100lbs爆 ばく 弾 だん ×3から最大 さいだい 3,000lbs (1,361kg) + HVAR ×10
P-47は、1948年 ねん からF-47 に改称 かいしょう され、1949年 ねん まで空軍 くうぐん [8] で、1953年 ねん まで州 しゅう 空軍 くうぐん (ANG = Air National Guard) で運用 うんよう された。朝鮮 ちょうせん 戦争 せんそう 勃発 ぼっぱつ 時 じ には国防総省 こくぼうそうしょう が残 のこ っている機体 きたい をかき集 あつ めようとしたものの、既 すで に充分 じゅうぶん な機 き 数 すう が残 のこ っておらず、参戦 さんせん できなかった。
ニカラグア 、キューバ 、ドミニカ共和国 どみにかきょうわこく 、チリ 、コロンビア 、エクアドル 、ベネズエラ 、ペルー といった多 おお くのラテンアメリカ 諸国 しょこく の空軍 くうぐん にも供給 きょうきゅう され、1950年代 ねんだい を通 とお して運用 うんよう された。中 なか には1960年代 ねんだい まで運用 うんよう していたところもある。他 ほか にも中華民国 ちゅうかみんこく 、イラン 、イタリア 、ポルトガル 、トルコ 、ユーゴスラビア にも提供 ていきょう された。
P-47の総 そう 生産 せいさん 数 すう は15,660機 き で、これは戦闘 せんとう 機 き の生産 せいさん 数 すう としては屈指 くっし のものである。2016年 ねん 時点 じてん も多 おお くの機体 きたい が残 のこ っており、飛行 ひこう 可能 かのう なものも十 じゅう 数 すう 機 き ある。
1939年 ねん
5月:AP-4 がUSAAFによりYP-43 の制式 せいしき 名称 めいしょう で13機 き 発注 はっちゅう される
6月 がつ :セバスキーがリパブリックへと社名 しゃめい を変更 へんこう
(9月 がつ 1日 にち :ドイツがポーランドへ侵攻 しんこう 、第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 開始 かいし )
10月:P-43の後継 こうけい となるXP-44が80機 き 発注 はっちゅう される
1940年 ねん
春 はる :XP-44とXP-47ではドイツの戦闘 せんとう 機 き にかなわない → XP-47A を提示 ていじ 、却下 きゃっか
6月 がつ :XP-47B案 あん がUSAACに提示 ていじ される
(夏 なつ ~秋 あき :バトルオブブリテン )
9月:XP-47B の名称 めいしょう でプロトタイプが発注 はっちゅう される → XP-47A、XP-44の開発 かいはつ は中止 ちゅうし
9月から1941年 ねん 4月 がつ にかけて:13機 き のYP-43が引 ひ き渡 わた される
XP-47B開発 かいはつ 計画 けいかく の遅 おく れ → P-43Aが80機 き 発注 はっちゅう される
さらなる遅 おく れ → P-43A-1が125機 き 発注 はっちゅう される
1941年 ねん
1942年 ねん
3月:P-43の最終 さいしゅう 号 ごう 機 き が引 ひ き渡 わた される
8月 がつ :事故 じこ でXP-47Bが失 うしな われる
9月:P-47C 初号 しょごう 機 き が引 ひ き渡 わた される
秋 あき :P-43B・P-43C・P-43D → RP-43へと改称 かいしょう
11月:XP-47J の開発 かいはつ が始 はじ まる
年末 ねんまつ :不具合 ふぐあい が片付 かたづ き、P-47Cと56th FGがイギリスへ
1943年 ねん
3月 がつ 10日 とおか :初 はつ の戦闘 せんとう ミッションに出撃 しゅつげき するが、無線 むせん の故障 こしょう で失敗 しっぱい
4月 がつ 8日 にち :任務 にんむ 再開 さいかい
4月 がつ 15日 にち :ルフトヴァッフェと初 はつ 交戦 こうせん 、初 はつ 撃墜 げきつい
6月 がつ :XP-72 が発注 はっちゅう される
夏 なつ までに、イタリアの第 だい 12航空 こうくう 軍 ぐん に配備 はいび される
夏 なつ :初 はつ のバブルキャノピィ付 つ きP-47
8月 がつ 17日 にち :初 はつ の護衛 ごえい 任務 にんむ (B-17のシュヴァインフルト爆撃 ばくげき に随伴 ずいはん )
(9月 がつ 8日 にち :イタリア降伏 ごうぶく )
11月26日 にち :XP-47Jが初 はつ 飛行 ひこう
年末 ねんまつ までに、アラスカ以外 いがい のUSAAFの全 ぜん 戦線 せんせん に配備 はいび される
1944年 ねん
2月 がつ 2日 にち :XP-72の初号 しょごう 機 き が初 はつ 飛行 ひこう
7月 がつ :XP-72の2号機 ごうき が初 はつ 飛行 ひこう (2重 じゅう 反転 はんてん プロペラ = 3翅×2 装備 そうび )
半 なか ばから:RAFに配備 はいび 開始 かいし
8月 がつ 5日 にち :XP-47Jが水平 すいへい 直線 ちょくせん 飛行 ひこう で813 km/hを記録 きろく する(@高度 こうど 10,500 m)
9月:P-47N の原型 げんけい が初 はつ 飛行 ひこう
1945年 ねん
この年 とし 、自由 じゆう フランス軍 ぐん が446機 き を受領 じゅりょう
1月 がつ :欧州 おうしゅう の56th FGがP-47M を受領 じゅりょう するが、不具合 ふぐあい が多発 たはつ
4月 がつ :P-47Mの不具合 ふぐあい が解消 かいしょう される
4月 がつ 以降 いこう :P-47Nが対 たい 日 にち 戦線 せんせん に投入 とうにゅう される
(5月 がつ 8日 にち :欧州 おうしゅう 戦線 せんせん 終結 しゅうけつ )
(8月 がつ 15日 にち :太平洋 たいへいよう 戦線 せんせん ・第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 終結 しゅうけつ )
10月:最終 さいしゅう 号 ごう 機 き が生産 せいさん される(タイプはP-47N-25)
1946年 ねん 以降 いこう
1946年 ねん 10月 がつ :RAFから退役 たいえき
1948年 ねん :F-47 と改称 かいしょう される
1949年 ねん :USAFから退役 たいえき
1953年 ねん :ANGから退役 たいえき
1950年代 ねんだい :南米 なんべい 諸国 しょこく が運用 うんよう 。フランス空軍 くうぐん がアルジェリア独立 どくりつ 戦争 せんそう にて使用 しよう
1960年代 ねんだい :一部 いちぶ の国 くに が運用 うんよう
2016年 ねん :クレイドル・オヴ航空 こうくう 博物館 はくぶつかん が所蔵 しょぞう する1機 き がハドソン川 がわ に墜落 ついらく 。機体 きたい は引 ひ き揚 あ げられたが、操縦 そうじゅう 士 し が死亡 しぼう [9]
現存 げんそん する機体 きたい [ 編集 へんしゅう ]
情報 じょうほう が変 か わっている場合 ばあい がある。
型 かた 末尾 まつび の「RE」「RA」「CU」はそれぞれ、以下 いか の工場 こうじょう 製 せい の機体 きたい である。
リパブリック社 しゃ バッファロー工場 こうじょう
リパブリック社 しゃ ファーミングデール工場 こうじょう
カーティス・ライト社 しゃ エヴァンスヴィル工場 こうじょう
登場 とうじょう 作品 さくひん [ 編集 へんしゅう ]
『衝撃 しょうげき 降下 こうか 90度 ど 』
主人公 しゅじんこう を狙 ねら う敵 てき 機 き として登場 とうじょう 。
『豹 ひょう と狼 おおかみ -ドイツ5号 ごう 戦車 せんしゃ 1944』
ヤーボとして登場 とうじょう 。ドイツ軍 ぐん の原爆 げんばく 研究所 けんきゅうじょ を襲撃 しゅうげき し、機銃 きじゅう とロケット弾 だん で原爆 げんばく 搭載 とうさい 機 き もろとも施設 しせつ を破壊 はかい する。
『Air Wars2』
ゲームの初期 しょき 畑 はたけ 設定 せってい の戦 せん 畑 はたけ 闘 たたかえ 機 き として扱 あつか われている。
『P-47 THE FREEDOM FIGHTER 』
自 じ 機 き として登場 とうじょう 。
『P-47 ACES 』
4種類 しゅるい の自 じ 機 き のうちの1機種 きしゅ として登場 とうじょう 。
『R.U.S.E. 』
アメリカ の戦闘 せんとう 爆撃 ばくげき 機 き として登場 とうじょう 。
『War Thunder 』
アメリカ通常 つうじょう ツリーにD-22RE型 がた ・D-25型 がた ・D-28型 がた ・N-15型 がた 、アメリカ課金 かきん 枠 わく にM-1-RE型 がた 、ドイツ 課金 かきん 枠 わく にD型 がた 、ソ連 それん 課金 かきん 枠 わく にD-27型 がた 、イギリス課金 かきん 枠 わく にD-22型 がた 、ポーランド空軍 くうぐん 仕様 しよう のLanovski's M-1-REがプレイヤーの操縦 そうじゅう できる機体 きたい として登場 とうじょう 。
『World of Warplanes 』
TierVIにP-47BとP-47D-22が登場 とうじょう し、TierVIIにP-47D-30とP-47N-5が登場 とうじょう する。
『コール オブ デューティシリーズ 』
『CoD:UO 』
アメリカ軍 ぐん の戦闘 せんとう 爆撃 ばくげき 機 き としてD型 がた が登場 とうじょう し、キャンペーンで度々 たびたび 、ドイツ陸軍 りくぐん に対 たい して爆 ばく 撃 げき を行 おこな う。
『CoD2:BRO 』
『CoD3 』
米 べい 軍 ぐん の戦闘 せんとう 爆撃 ばくげき 機 き としてD型 がた が登場 とうじょう する。
『CoD:WWII 』
B-17 を護衛 ごえい 中 ちゅう に主人公 しゅじんこう の航空 こうくう 支援 しえん 要請 ようせい を受 う け支援 しえん に向 む かい、途中 とちゅう で敵 てき のBf109 と交戦 こうせん する。また、このミッションでは、プレイヤーが本 ほん 機 き を操縦 そうじゅう することになる。(時代 じだい 設定 せってい はバルジの戦 たたか いのある1944年 ねん だがなぜかキャノピーがバブルキャノピーではなくレイザーバックキャノピーの初期 しょき 生産 せいさん 型 がた になっている。)
^ 固定 こてい 武装 ぶそう あり
^ 搭載 とうさい 可能 かのう 燃料 ねんりょう は機体 きたい 内 ない 燃料 ねんりょう タンクに557gal (2,108ℓ)、落下 らっか 増 ぞう 槽 そう タンクを110gal (416ℓ) ×1 + 165gal (625ℓ) ×2の合計 ごうけい 997gal (3,774ℓ)
^ 航続 こうぞく 距離 きょり は燃料 ねんりょう 消費 しょうひ 量 りょう +5%の補正 ほせい 後 ご に算出 さんしゅつ されている
P-47 Thunderbolt in Action , by Larry Davis, Squadron/Signal Publications (#67), 1984. Typical nice, detailed, somewhat untidy Squadron/Signal book, very good value for the price, and was the primary source for this document.
American Warplanes of the Second World War , edited by David Donald, Airtime Publications, 1995.
Fighters of World War II , by Charles W. Cain and Mike Gerram, Profile Publications, 1979.
The Concise Guide to American Aircraft of World War II , by David Mondey, Chartwell Books, Inc., 1994.
Roger A. Freeman 『P47サンダーボルト戦闘 せんとう 機 き 隊 たい :名 めい 戦闘 せんとう 機長 きちょう ゼムケ大佐 たいさ 、語 かた る』早川書房 はやかわしょぼう 、第 だい 56戦闘 せんとう 航空 こうくう 群 ぐん の戦績 せんせき を語 かた る、1994年 ねん 、ISBN 4-15-207831-6
Osprey Aircraft of the Aces No.24, P-47 Thunderbolt Aces of the Eighth Air Force , by Jerry Scutts, Osprey Publishing , 1998, ISBN 978-1-85532-729-0
このページはGreg Goebelによる"The Republic P-47 Thunderbolt", version 1.1を基 もと にしています。パブリックドメイン のオリジナル版 ばん (v1.2.0 / 01 jun 03) は[68] にあります。
追撃 ついげき 機 き (P)戦闘 せんとう 機 き (F)複 ふく 座 ざ 追撃 ついげき 機 き (PB)多 た 座 ざ 戦闘 せんとう 機 き (FM)
三軍 さんぐん 統一 とういつ 命名 めいめい 法 ほう 施行 しこう 前 まえ の戦闘 せんとう 機 き