P-47 (航空機こうくうき)

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P-47から転送てんそう

P-47 サンダーボルト

飛行するXP-47N-RE 42-27387号機

飛行ひこうするXP-47N-RE 42-27387号機ごうき

P-47 サンダーボルトRepublic P-47 Thunderbolt )は、アメリカリパブリックしゃ開発かいはつし、アメリカ陸軍りくぐん航空こうくうぐんなどで運用うんようされたレシプロ単発たんぱつ戦闘せんとう

愛称あいしょうの「サンダーボルト(Thunderbolt)」は、かみなり(いかづち・かみなり、とく聴覚ちょうかくてき感覚かんかくめんでのかみなり)のこと。

概要がいよう[編集へんしゅう]

だい世界せかい大戦たいせん後期こうき登場とうじょうし、欧州おうしゅう戦線せんせんノースアメリカンP-51マスタングならぶアメリカぐん主力しゅりょく戦闘せんとうとして活躍かつやくし、生産せいさんすう1まん5せんたっした。戦闘せんとうとしての能力のうりょくすぐれていたが、だい馬力ばりきエンジンによるおおきなペイロードと機銃きじゅう8ていじゅう武装ぶそうによって戦闘せんとう爆撃ばくげきとしても活躍かつやくした。アメリカ以外いがい連合れんごうこく空軍くうぐんでも使用しようされた。愛称あいしょうJug

P-43 から XP-47B まで[編集へんしゅう]

1939ねん6がつセバスキー エアクラフト カンパニーリパブリック エイヴィエーション カンパニーへと社名しゃめい変更へんこうした。それまでセバスキーは、耳目じもくにたる業績ぎょうせきげていなかったが、この状況じょうきょうはまもなくわることになる。

飛行ひこうちゅうのエンジン火災かさいによってターボチャージャー搭載とうさい技術ぎじゅつ実証じっしょうAP-4はうしなわれたが、この機体きたいったべい陸軍りくぐん航空こうくうたい (USAAC) は1939ねん5がつYP-43制式せいしき名称めいしょうで13発注はっちゅうした。しかし、USAACの要求ようきゅうたすにはおおくの改修かいしゅう必要ひつようとなり、YP-43の外見がいけんはAP-4とはずいぶんちがったものとなった。YP-43はプラット・アンド・ホイットニーR-1830 ツインワスプ搭載とうさいした。これは空冷くうれいほしがた14気筒きとう、ターボチャージャーきのピストンエンジンで、出力しゅつりょくやく1,200馬力ばりきだった。プロペラブレードは3まい武装ぶそう機首きしゅに12.7 mm 機関きかんじゅうが2ちょう + 左右さゆう主翼しゅよくに7.62 mm 機関きかんじゅうが1ちょうずつ。コクピットのレイアウトは一新いっしんされたが、これはのちに「レイザーバック」とばれるようになる。

1940ねん9がつから1941ねん4がつにかけて、13のYP-43がわたされた。このあいだリパブリックは、YP-43により強力きょうりょくなエンジン(1,400馬力ばりきP&W R-2180)をんだXP-44 ロケットと、AP-10開発かいはつんでいた。P-43の後継こうけいとなるXP-44は39ねん10がつに80発注はっちゅうされた。AP-10は軽量けいりょう戦闘せんとうとして設計せっけいされ、アリソンせい V-1710 えきひやエンジンを搭載とうさいし、2ちょうの12.7 mm機関きかんじゅう装備そうびした。陸軍りくぐんはこの計画けいかく支援しえんし、XP-47制式せいしき名称めいしょうあたえた。リパブリックにとっては幸先さいさきのいいスタートだった。

だがヨーロッパ戦争せんそうがエスカレートしはじめた1940ねんはるまでには、XP-44とXP-47ではドイツ戦闘せんとうにかなわないことがあきらかになってきた。リパブリックはXP-47をわずかに改良かいりょうしたXP-47A提示ていじしたが、USAACには物足ものたりないものだった。P-43を設計せっけいした主任しゅにん技師ぎし、アレキサンダー・カルトベリは製図せいずばんもどり、一見いっけんするとYP-43をおおきくして改悪かいあくしたようにもえる機体きたいあんをもちかえった。あらたな設計せっけいは1940ねん6がつにUSAACに提示ていじされ、9月にXP-47B名称めいしょうでプロトタイプが発注はっちゅうされた。一方いっぽうしん設計せっけいとほとんど共通きょうつうてんのないXP-47Aの開発かいはつ中止ちゅうしされた。

USAACは、XP-47Bの設計せっけいをにわかにはしんじられなかったとおもわれる。カルトベリはこうげんったらしい、「こいつは恐竜きょうりゅうになるだろう。スタイルのいい恐竜きょうりゅうにね」 XP-47Bの自重じちょうやく4,500 kgだったが、これはYP-43より65 %もおもかった。新型しんがたはP&W R-2800 ダブルワスプを動力どうりょくとした。空冷くうれいほしがた18気筒きとう(9気筒きとう×2れつ)で、出力しゅつりょくやく2,000馬力ばりきにもたっした。胴体どうたいない収納しゅうのうしたターボチャージャーへはどっしりしたダクトがびていた。両翼りょうよくないに4ちょうずつ、けい8ちょうブローニング 12.7 mm 機関きかんじゅうは、当時とうじとしては異常いじょうなほどのだい火力かりょくだった。

XP-47BこそUSAACがのぞんだ機体きたいだとえた。そこでXP-47Aと同様どうようXP-44の開発かいはつ中止ちゅうしされたが、新型しんがた生産せいさん開始かいしまではすこしあいだがあいてしまう。リパブリックの生産せいさんラインを維持いじするために、航空こうくうたいはP-43を54発注はっちゅうした。XP-47B開発かいはつ計画けいかくにはおくれがしょうじ、USAACはエンジンを若干じゃっかん改良かいりょうしたP-43Aをさらに80発注はっちゅうした。さらなるおくれによってP-43A-1が125発注はっちゅうされた。A-1は中華民国ちゅうかみんこくへのレンドリース意図いとしたもので、12.7 mm 機関きかんじゅうを4ちょう自動じどうぼう燃料ねんりょうタンクそなえていた。

1942ねん3がつ最終さいしゅうごうまでに、13のYP-43Aをふくめて全部ぜんぶで272のP-43がわたされた。 こうした機体きたい最終さいしゅうてきにどうなったかはハッキリしていない。すくなくとも51中華民国ちゅうかみんこくわたり、なんかはクレア・リー・シェンノートフライング・タイガース運用うんようされた。しかし、ターボチャージャーと自動じどうぼうタンクの信頼しんらいせいひくかったため、使用しようされたかずはそうおおくない。のこりの機体きたいはほとんどが写真しゃしん偵察ていさつ改造かいぞうされ、そのうちのごく少数しょうすうオーストラリアわたった。これらの機体きたいは、1942ねんあきにそれまでのP-43B・P-43C・P-43Dといった名称めいしょうからRP-43へと改称かいしょうされ前線ぜんせんでの航空こうくう偵察ていさつ使用しようされた(Rはreconnaissance「偵察ていさつ」の意味いみ)。

戦闘せんとうとしても偵察ていさつとしても、P-43はほとんど戦闘せんとう出会であわなかった。P-43がたしたしん重要じゅうよう役割やくわりは、よりよい機体きたいへのいしとなったことと、XP-47Bを供給きょうきゅうできるようになるまでのあいだ生産せいさんラインをうごかしつづけたことくらいのものである。

XP-47B[編集へんしゅう]

XP-47Bは1941ねん5がつ6にちにローリー・P・ブラバムの操縦そうじゅうはつ飛行ひこうおこなった。コクピットにすこしけむり発生はっせいするなど多少たしょう問題もんだいはあったものの、この機体きたい素晴すばらしいということが判明はんめいした(けむりエンジンオイルすこしたせいだった)。

XP-47Bは、巨大きょだいダブルワスプとそのターボチャージャーをかこむようにつくられていた。AP-4をエンジンのオーバーヒートでうしなったカートゥヴェリーは隙間すきまのないカウリングをあきらめ、うまくびてのような楕円だえんがたひらいた、幅広はばひろのカウリングでエンジンをおおった。このカウリングによってエンジン・左右さゆうのオイルクーラー・インタークーラーシステムの冷却れいきゃく可能かのうになった。

エンジンの排気はいきはコクピットのりょうわき下方かほうとおる2ほんのパイプによって後部こうぶみちびかれ、ターボチャージャーのタービンを駆動くどうする。ターボチャージャーはコクピットと尾翼びよくなかあいだあたりに位置いちする。フルパワーには、パイプは赤熱しゃくねつする。ウェイストゲートシャッターが排気はいき仕分しわけを担当たんとうしている。排気はいき直接ちょくせつ外気がいきがすか、高々たかだかでエンジンの酸素さんそりない状態じょうたいのときにタービンへみちびき、チャージャーを60,000 RPMでまわすかのコントロールをおこなう。ターボチャージャーのインテイク(吸気きゅうきこう)には 胴体どうたい下部かぶからダクトで吸気きゅうきされる。チャージャーで圧縮あっしゅくされた空気くうきはインタークーラーをとおって冷却れいきゃくされる。外気がいきとのねつ交換こうかん気温きおんがると同時どうじ空気くうき密度みつど増加ぞうかし、出力しゅつりょく増大ぞうだいする。インタークーラーを空気くうき胴体どうたいりょう側面そくめんとおって前方ぜんぽうのキャブレター、エンジンへとかう。

ダクトとターボチャージャーをはいしたことで、XP-47Bの胴体どうたいふとおおきなものとなった。同時どうじ主翼しゅよくもややたかめの配置はいちとなったが、これは問題もんだいだった。というのは、強力きょうりょくなR-2800エンジンのちから吸収きゅうしゅうするために直径ちょっけいおおきなプロペラ採用さいようしていたので、プロペラ先端せんたん地面じめんとのクリアランス(間隔かんかく)がりづらかったのだ。つばさ胴体どうたいしたほうにあれば、そのぶんランディングギア(あし)をみじかくできる。ギアがみじかいほうが軽量けいりょうつばさのスペースを節約せつやくできる。カートゥヴェリーは主翼しゅよく外側そとがわ機関きかんじゅうみたかったので、長大ちょうだいなギアはれがたかった。結果けっかとして、メインギア(しゅあし)は23 cmちぢみする機構きこうをそなえることになった。

プロペラ
XP-47B~P-47D P-47Dの一部いちぶ
メーカー カーチス ハミルトンスタンダード
タイプ じょうそく
ブレードすう 4まい
直径ちょっけい 3.96m ? 4.01m ?
ガバナ 電動でんどう 油圧ゆあつ

ブローニングせいの12.7 mm機関きかんじゅうかくつばさ外側そとがわに4ちょうずつ、弾倉だんそうからのきゅうだんのためにたがちがいに配置はいちしていた。かく弾倉だんそうには銃弾じゅうだんを350ポンド、425はつ搭載とうさいした。自動じどうぼうしきおも予備よび燃料ねんりょうタンクはコクピットにあり、1,155リットル (305 USG)のガソリンむことができた(つばさないタンクはまだなかった)。当時とうじとしてはかなりのりょうだったが、これでも不十分ふじゅうぶんだったことがのち判明はんめいする。

コクピットは巨大きょだいなマシンにふさわしく広々ひろびろとしており、エアコンそなえていた。操縦そうじゅうせき快適かいてきだった。あるパイロットはのちに「安楽椅子あんらくいすのようだよ」とひょうした。プロトタイプであるXP-47Bのキャノピィは上方かみがたひらくヒンジをそなえていたが、これには故障こしょう頻発ひんぱつした。尾翼びよくかじめん方向ほうこうかじ昇降しょうこうかじ)が帆布ほぬのりのほかぜん金属きんぞくせいで、主翼しゅよくのスパー(けた)は3ほん。この帆布ほぬのかじめんにも不具合ふぐあいおおかった。

P-47B / P-47C[編集へんしゅう]

XP-47Bの不具合ふぐあい[編集へんしゅう]

XP-47BはUSAAFに楽観らっかん懸念けねん両方りょうほうをもたらした(USAAC 陸軍りくぐん航空こうくうたいは1941ねん6がつにUSAAF 陸軍りくぐん航空こうくうぐんとなった。参考さんこうアメリカ空軍くうぐん)。機体きたい性能せいのう火力かりょくもうぶんなかったが、非常ひじょう革新かくしんてき設計せっけいであったため、初期しょき不良ふりょう見舞みまわれることとなった。

巨大きょだいなサイズと強力きょうりょくなパワーのせいで操縦そうじゅうらくではなかったし、離陸りりくなが滑走かっそう必要ひつようとし、結局けっきょくこの欠点けってんのタイプのP-47や、さらにカートゥヴェリーがのち設計せっけいするジェット機じぇっときにもがれた。キャノピーは開閉かいへいにひっかかることがあり、機銃きじゅう燃料ねんりょう系統けいとう・エンジン配置はいちにも問題もんだいがあった。高々たかだかでは点火てんか系統けいとうがアークしてしまった。どうつばさうごかすのに必要ひつよう操舵そうだりょく許容きょようできないほどおおきく、エルロン固着こちゃくしてしまった。帆布ほぬのりのどうつばさ高々たかだかではこわれやすかった。

リパブリックはこうした問題もんだいんだ。緊急きんきゅうには投棄とうき可能かのうなスライドしきキャノピィ、あずかあつしき点火てんか系統けいとう、そしてぜん金属きんぞくせいどうつばさなどが解決かいけつさくだった。

P-47B発注はっちゅうされる[編集へんしゅう]

1942ねん3がつ撮影さつえいされたP-47B サンダーボルト

航空こうくうぐんは171P-47B発注はっちゅうした。技術ぎじゅつ試験しけんようのP-47Bは1941ねん12月にわたされ、量産りょうさん試作しさくがた翌年よくねん3がつつづいた。はつ量産りょうさんがたは1942ねん5がつわたされた。

リパブリックは生産せいさん開始かいしする一方いっぽう設計せっけい改良かいりょうつづけた。初期しょきのP-47Bにはすでにスライドしきキャノピィがれられており、同時どうじにパイロットの視界しかい向上こうじょうした。さらに、R-2800-21エンジンように、ゼネラル・エレクトリックせい新型しんがたターボチャージャー制御せいぎょ装置そうちそなえていた。一方いっぽうで、初期しょき機体きたいではぜん金属きんぞくせいどうつばさなどいくつかの装備そうび標準ひょうじゅんでなかった。Bがただけに特徴とくちょうてきてんがひとつあった。コクピット後方こうほうにある無線むせんよう支柱しちゅうが、アンテナながさを確保かくほするためにぜんかたぶけしていたのだ。これは新型しんがたのスライドしきキャノピィ設置せっちともな改修かいしゅうだった。

この飛行機ひこうきには「サンダーボルト(Thunderbolt、雷電らいでん)」という愛称あいしょうけられた。パイロットのあいだではおなじくらい有名ゆうめいな「ジャグ (Jug)」というかたがあった。これはヒンドゥーきょうかみジャガーノートからたといわれている[1]実際じっさい、サンダーボルトは損傷そんしょうけながらもなんもパイロットを無事ぶじ帰還きかんさせた。

最初さいしょのサンダーボルトは、リパブリックとおなじロングアイランドにあるだい56戦闘せんとう航空こうくうぐん (56th Fighter Group) へわたされた。56th FG は新型しんがた戦闘せんとう運用うんよう評価ひょうか部隊ぶたいだった。XP-47B同様どうよう問題もんだいはなおもつづいた。量産りょうさん初期しょきのP-47Bが急降下きゅうこうか操縦そうじゅう不能ふのうになり、リパブリックのテストパイロットが死亡しぼうした。ほかにも、胴体どうたい崩壊ほうかいしてしまったりと、初期しょきのP-47Bはなんもが墜落ついらくした。ぜん金属きんぞくせいどうつばさやその改修かいしゅうによって問題もんだい解決かいけつしたが、1942ねん8がつ、XP-47Bは飛行ひこうちゅうほのおつつまれ、パイロットはベイルアウト(脱出だっしゅつ)を余儀よぎなくされた。

P-47C(Bがた不具合ふぐあい是正ぜせい[編集へんしゅう]

機体きたいをよくるにつれ、USAAFは総合そうごうてきには評価ひょうかあたいするとの決断けつだんをくだし、P-47Bの発注はっちゅうつづけてすぐに、改修かいしゅうがたP-47C名称めいしょうで602発注はっちゅうした。最初さいしょ機体きたいは1942ねん9がつわたされた。

初期しょきのP-47CはBタイプによくていたが、以下いかてんことなっていた:

  • 強度きょうど向上こうじょうしたぜん金属きんぞくせいどうつばさ
  • GEせい ターボチャージャー制御せいぎょのアップグレード
  • みじかく、垂直すいちょくびた無線むせん支柱しちゅう

57のP-47Cがつくられたのち生産せいさんP-47C-1移行いこうした。このタイプはコクピット前方ぜんぽう胴体どうたいを20 cm (8 in) 延長えんちょうしたもので、これによって重心じゅうしん位置いち問題もんだい解決かいけつしたうえ、エンジン整備せいびがしやすくなった。ほかにも、オイルクーラー排気はいきこう・ブレーキ・着陸ちゃくりく装置そうち電気でんき系統けいとうなどに若干じゃっかん改修かいしゅうくわえられた。

55のP-47C-1には128P-47C-2つづいた。-1との唯一ゆいいつちがいは胴体どうたい下部かぶけポイントがもうけられたことで、ここに200ガロン(757リットル)のぞうそう(ドロップタンク:投棄とうき可能かのう燃料ねんりょうタンク)が装備そうび可能かのうとなり、500ポンド (224 kg) ばくだん搭載とうさいすることもできるようになった。

P-47Cの最多さいた生産せいさんがたP-47C-5で、新型しんがたのウィップアンテナと、R-2800-59エンジンを装備そうびしていた。このエンジンはみずメタノール噴射ふんしゃ装置そうちそなえ、緊急きんきゅう最大さいだい出力しゅつりょくは2,300 HP (1,700 kW) にたっした。

Bがた派生はせいがた[編集へんしゅう]

P-47BからはCがただけでなく、生産せいさんにまでいたらない派生はせいがたがいくつかされた。偵察ていさつようRP-47Bが1つくられた。P-47Bの最終さいしゅう171号機ごうきXP-47E名称めいしょうでテストよう使つかわれた。P-47C-5ようのR-2800-59エンジン・あずかあつコクピット・そして新型しんがたのハミルトン・スタンダードせいプロペラを試験しけんした。

のちべつのP-47Bが性能せいのう向上こうじょうねらってそうりゅうつばさがた主翼しゅよくかわそうされ、XP-47F改称かいしょうされたものの、たいした成果せいかげられなかった。

P-47Dと派生はせいがた[編集へんしゅう]

低空ていくう飛行ひこうするアメリカ空軍くうぐんのP-47D

サンダーボルトの改良かいりょうつづき、決定けっていばんとなるP-47D誕生たんじょうした。Dがたは12,602生産せいさんされたが、こまかな改良かいりょうほどこされたサブタイプがおおく、初期しょき末期まっき機体きたいにはあきらかなちがいがられた。

最初さいしょのP-47Dは、実質じっしつてきにP-47Cであった。ロングアイランド ファーミンデールの工場こうじょうでは生産せいさんいつかなかったため、インディアナしゅう エヴァンズヴィルにあらたな工場こうじょうてられ110のP-47Dがつくられたが、それらはP-47C-2とまったおなじものだった。ファーミンデール工場こうじょうせい機体きたいには-RE、エヴァンズヴィル工場こうじょうせい機体きたいには-RAの記号きごうけられていたが、ほん記事きじちゅうではとく必要ひつようのないかぎりは記述きじゅつしない。

P-47Dには2工場こうじょう片方かたがただけで、あるいは両方りょうほうつくられたおおくのサブタイプがあった。ちいさな改修かいしゅうてんおおいが、ここでは重要じゅうよう部分ぶぶんのみをげる。ちゅう最後さいごのサブタイプはP-47D-40だが、途中とちゅう番号ばんごうんでおり、40種類しゅるいのサブタイプがあったわけではない。

P-47D-1 ~ D-11[編集へんしゅう]

P-47D-1 ~ D-6・D-10・D-11は以下いかのような改修かいしゅうけたかたである:

  • カウルフラップの増加ぞうか前線ぜんせん多発たはつしていたオーバーヒートの解消かいしょうおおきく寄与きよ
  • エンジンかわそうとエンジンサブシステムの改良かいりょう
  • 燃料ねんりょう・オイル・油圧ゆあつシステムの改良かいりょう
  • コクピットに装甲そうこうばん追加ついか

P-47D-15[編集へんしゅう]

航続こうぞく距離きょり増大ぞうだい要求ようきゅうする現場げんばこえこたえたもので、以下いかてん変更へんこうされた:

  • 胴体どうたいない燃料ねんりょう容量ようりょうが、1,421 リットル (375 USG) へ増大ぞうだい(XP-47Bは1,155リットル (305 USG))
  • りょう翼下よくかにもドロップタンク(投棄とうき可能かのう燃料ねんりょうタンク)を搭載とうさいできるようになった(胴体どうたいにはすでに搭載とうさいしていた)
ドロップタンク
タイプ 容量ようりょう (L) 容量ようりょう (USG)
金属きんぞくせい
コンフォーマルタンク
初期しょきがた・フェリーよう
758 200
扁平へんぺい菱形ひしがた(?)・胴体どうたい 758 200
なみだしずくがた翼下よくか 284 75
なみだしずくがた翼下よくか 568 150
樹脂じゅし含浸がんしんせい英国えいこく設計せっけい
胴体どうたい 409 108
胴体どうたい 758 200

燃料ねんりょう容量ようりょう増大ぞうだいにより、P-47はてきしんくへの侵攻しんこうミッションをこなせるようになった。P-47D-15は、機体きたい外部がいぶ全部ぜんぶで1,130 kg (2,500 lb)のペイロードがあった。

P-47D-16 ~ D-23[編集へんしゅう]

P-47D-16・D-20・D-22・D-23はD-15によくていたが、以下いかのような改良かいりょうがなされた:

  • 燃料ねんりょう系統けいとう、エンジンサブシステムの改良かいりょう
  • 投棄とうき可能かのうなキャノピィ(上方かみがたまど
  • 防弾ぼうだんがた風防ふうぼう前方ぜんぽうまど

一方いっぽう直径ちょっけい3.71 mのカーチスせいプロペラは、以下いかのよりおおきなプロペラへとかわそうされた:

  • ロングアイランド工場こうじょう直径ちょっけい4.01 mのハミルトンスタンダードせいプロペラに
  • エヴァンズヴィル工場こうじょう直径ちょっけい3.96 mのカーチスせいプロペラに

XP-47Bのときから、プロペラ先端せんたん地面じめんとのクリアランス(間隔かんかく)は問題もんだいとなっていた。よりおおきなプロペラになったことで、パイロットは離陸りりく、プロペラが地面じめんたないように、充分じゅうぶん速度そくどたっするまではげておくようにけなくてはならなくなった。

P-47G[編集へんしゅう]

リパブリックの2工場こうじょう生産せいさんつづけていたが、陸軍りくぐん航空こうくうぐんはサンダーボルトの供給きょうきゅう不足ふそくしてるとかんじ、カーチスがニューヨークしゅうバッファローの工場こうじょうでライセンス生産せいさんおこなうことになった。ほとんどのカーチスせいサンダーボルトは高等こうとう練習れんしゅうとして運用うんようするためにつくられた。

カーチスせいすべP-47G制式せいしき名称めいしょうがつけられ、さらにCurtissをあらわす「-CU」が末尾まつびけられた。最初さいしょのP-47G-1はP-47C-1とまったおなじだった。そののP-47G-5、G-10、G-15はP-47D-1、D-5、D-10とおなじだった。カーチスは354のP-47Gを生産せいさんした。

2のP-47G-15がコクピットを主翼しゅよくぜんえん付近ふきんまで延長えんちょうしてタンデムふく改造かいぞうされ、TP-47G命名めいめいされた。しゅ燃料ねんりょうタンクを縮小しゅくしょうして2人ふたり座席ざせきもうけられた。このダブルボルト生産せいさんにはいたらなかったが、前線ぜんせん同様どうよう改修かいしゅうけたものがタクシー(高官こうかん送迎そうげいするときなどにもちいる、高速こうそく連絡れんらく)として使つかわれた。

P-47D-25 ~ D-30[編集へんしゅう]

P-47D-25-REのスペック
  SI ヤードポンド
全幅ぜんぷく 12.42m 40ft 9in
全長ぜんちょう 11m 36ft 1in
ぜんこう 4.32m 14ft 2in
空虚くうきょ重量じゅうりょう 6,622kg 14,600lbs
運用うんよう重量じゅうりょう 8,800kg 19,400lbs
最大さいだい速度そくど 689km/h
高度こうど9,144m
428mph / 372kn
高度こうど30,000ft
実用じつよう上昇じょうしょう限度げんど 12,192m 40,000ft
航続こうぞく距離きょり (ぞうそう×3) 3,058km 1,900mile

この時点じてんまでにつくられたP-47は、すべてが胴体どうたい後部こうぶつらなった「レイザーバック」タイプのキャノピーだった。これは真後まうしろがよくえないという、空中くうちゅうせんでは致命ちめいてきともなりうる欠点けってんがあり、パイロットの批判ひはんまととなっていた。英国えいこく自国じこく戦闘せんとう同様どうよう問題もんだいかかえており、スピットファイアには上方かみがたふくらんだ「マルコムフード」とばれるタイプのキャノピーを考案こうあん採用さいようしていた。おおくのP-51前線ぜんせんでこのキャノピーにかわそうしており、ごくわずかのP-47Dにも適用てきようされていた。

しかし英軍えいぐんはよりよい解決かいけつさくおもいついていた。360わたって良好りょうこう視界しかい確保かくほできる、「バブル(水滴すいてきがた)」キャノピーをタイフーン生産せいさん途中とちゅうから採用さいようしたのだ。USAAFはこれをり、P-51とP-47をふく米国べいこくせい戦闘せんとうにも迅速じんそく適用てきようした。1943ねんなつに、はつのバブルキャノピーきサンダーボルトができあがった。P-47D-5の最終さいしゅうごう改造かいぞうしたこのは、XP-47K名付なづけられた。

一方いっぽうべつ旧式きゅうしきなP-47Dが胴体どうたいない燃料ねんりょうを1,402 リットル (370 USG)へ増大ぞうだいする改修かいしゅうけ、XP-47L命名めいめいされた。

燃料ねんりょう容量ようりょう増大ぞうだいさせ、バブルキャノピーをそなえたタイプが生産せいさんはいり、これらはP-47D-25とされた。こののちP-47D-26・D-27・D-28・D-30のバブルキャノピーつづく。改良かいりょうてん以下いかとおり:

  • エンジンの改修かいしゅう
  • 燃料ねんりょう容量ようりょうさらなる増加ぞうか
  • エアブレーキの追加ついか
  • その細々こまごまとした改修かいしゅう
P-47のキャノピー。写真しゃしんひだり通称つうしょう「レイザーバック」。たいする右側みぎがわ通称つうしょう「バブルトップ」。バブルトップタイプのキャノピーになってから、後方こうほう視界しかい飛躍ひやくてき向上こうじょうした。

P-47D-40[編集へんしゅう]

P-47D-40はP-47Dの最終さいしゅうがたであり、重要じゅうよう改修かいしゅうほどこされた。

ドーサルフィン
バブルキャノピィにするために胴体どうたい上部じょうぶけずられ、これによってヨーじくよこくびうごきのき)が不安定ふあんていになっていた。そのため初期しょきのバブルキャノピィには前線ぜんせんでドーサルフィン(ビレ)が追加ついかされていた。P-47D-40は当初とうしょからドーサルフィンをそなえたかたち生産せいさんされた。これは垂直すいちょく尾翼びよく下部かぶから前方ぜんぽうのアンテナ支柱しちゅうまでびる、細長ほそなが三角形さんかっけい安定あんていばんである。
ロケットランチャー
「ゼロ・レングス」とばれる、従来じゅうらい空気くうき抵抗ていこうおおきい長大ちょうだいなタイプにわる、HVAR(High Velocity Air Rocket、127 mm ロケットだんようのコンパクトな新型しんがた発射はっしゃりょう翼下よくかに10けられた。
K-14 照準しょうじゅん装置そうち
英国えいこく フェランティせい GGS Mark IID 演算えんざん・ジャイロしきガンサイトをライセンス生産せいさんしたもの。パイロットがあらかじめ想定そうていつばさはばからの距離きょりをダイヤルで設定せっていしておくと、射撃しゃげきのタイミングがわかるようになっていた。旋回せんかい上昇じょうしょう下降かこうしながらの、弾道だんどうがってえる射撃しゃげき見越みこ射撃しゃげきにはおおきなたすけとなった。


Dがた以降いこう派生はせいがた[編集へんしゅう]

機首きしゅ延長えんちょうされたP-47H

P-47Dはもっとおお生産せいさん運用うんようされたタイプであり、サンダーボルトの生涯しょうがいでの頂点ちょうてんといえたが、さらなる改良かいりょうこころみも存在そんざいした。

XP-47H[編集へんしゅう]

初期しょきのDの機体きたいにレイザーバックタイプのP-47Dにクライスラーせい XIV-2220-1 倒立とうりつVかたえきひや16気筒きとうエンジン (2,500 HP) とC-5 ターボチャージャーをせたXP-47Hが1943ねんつくられた。P-47けい唯一ゆいいつえきひや装備そうびがた最高さいこう速度そくど790km/hを目指めざしたが、巨大きょだい直列ちょくれつエンジンはいい結果けっかせず(666 km/h @高度こうど 9,100 m)、XP-47H計画けいかく終了しゅうりょうした。

XP-47J[編集へんしゅう]

1942ねん11月、リパブリックに「ホット・ロッド(改造かいぞうしゃ)」バージョンの要求ようきゅうされ、XP-47J開発かいはつはじまった。変更へんこうてんは:

  • 強制きょうせい空冷くうれいファンきの、キツめのカウル
  • P&Wせい R-2800-57(C)エンジン
  • GEせい CH-5 ターボチャージャー
    • みずメタノール噴射ふんしゃによる緊急きんきゅう最大さいだい出力しゅつりょく:2,800 HP / 2,090 kW
  • 機関きかんじゅうを8ちょうから6ちょうへとらした
  • あらたに設計せっけいされ、かるくなった主翼しゅよく

そのおおくの改良かいりょうくわえられた。

機体きたいは1だけつくられ1943ねん11月26にちはつ飛行ひこうしたが、この時点じてんですでにリパブリックはXP-72の開発かいはつへと移行いこうしており、XP-47Jはおもにテストよう使つかわれた。1944ねん8がつ5にちには水平すいへい直線ちょくせん飛行ひこうで813 km/hを記録きろくする(高度こうど10,500 m)など世界せかい屈指くっし高速こうそくピストンエンジンえたが、すで設計せっけいはじまっていたジェット機じぇっときほう高速こうそくなのはあきらかで、XP-47Jの開発かいはつ終了しゅうりょうした。

P-47M[編集へんしゅう]

P-47Mはやや保守ほしゅてき設計せっけい高速こうそくねらったものだった。3のP-47D-30が、R-2800-57(C)とCH-5を搭載とうさいし、ばくだん懸架けんかようのハードポイントをくす改造かいぞうけ、プロトタイプのYP-47Mとなった。

YP-47Mの最大さいだい速度そくどは761 km/hにたっし、ドイツのV1飛行ひこうばくだん巡航じゅんこうミサイル)とジェット戦闘せんとう対抗たいこうするためにただちに生産せいさん開始かいしされた。P-47Mは130製造せいぞうされ、最初さいしょ機体きたいは1945ねん1がつにヨーロッパの56th FGのもと到着とうちゃくしたが、前線ぜんせんおおくの問題もんだい発生はっせいした。問題もんだい解決かいけつされた4がつには欧州おうしゅう戦線せんせん終結しゅうけつしかかっていたが、Me 262撃墜げきついする戦果せんかげている。

P-47N[編集へんしゅう]

編隊へんたいむP-47N

P-47N太平洋たいへいよう戦線せんせんでの使用しよう想定そうていしたもので、サンダーボルトの最後さいご生産せいさんがたとなった。ボーイングせい戦略せんりゃく爆撃ばくげきB-29 スーパーフォートレスによる日本にっぽん本土ほんど爆撃ばくげき同行どうこう護衛ごえいする戦闘せんとう必要ひつようだったが、なが航続こうぞく距離きょり必要ひつようだった。サンダーボルトは進化しんかわせて胴体どうたいないタンクとドロップタンクの燃料ねんりょう容量ようりょう増大ぞうだいさせ、航続こうぞく距離きょりびてきていたが、さらに燃料ねんりょうむには主翼しゅよくないにタンクをやすしかなかった。それまでとは完全かんぜんことなるタイプの主翼しゅよくつくられ、かたつばさに190リットル (50 USG) の燃料ねんりょうタンクがおさめられた。

YP-47Mの2号機ごうきがこの新型しんがた主翼しゅよくかわそうされ、1944ねん9がつはつ飛行ひこうした。あらため設計せっけい成功せいこうで、航続こうぞく距離きょりは3,200 kmにびた。さらに、主翼しゅよくのスパン(つばさはば)を500 mm延長えんちょうしたにもかかわらず、つばさはし楕円だえんがたから四角形しかっけいえたことでロールレート(横転おうてんりつ)が向上こうじょうした。

出力しゅつりょく増大ぞうだいさせたR-2800-77(C)エンジンを搭載とうさいして、P-47Nの大量たいりょう生産せいさん開始かいしされた。最初さいしょのタイプはP-47N-1で、N-5・N-15・N-20・N-25とつづいた。このあいだ、ドーサルフィン面積めんせき増大ぞうだいやアンテナの増設ぞうせつなどの小規模しょうきぼ改修かいしゅうがなされた。P-47Nは合計ごうけい1,816生産せいさんされた。最後さいごのサンダーボルトとなるP-47N-25は、1945ねん10がつ生産せいさんラインをはなれた。さらにすうせん発注はっちゅうがあったのだが、8がつ終戦しゅうせん時点じてん基本きほんてき生産せいさん終了しゅうりょうした。生産せいさん終了しゅうりょう時点じてんでの機体きたい単価たんかは83,000 あめりかドルだった。

太平洋たいへいよう戦線せんせんけに設計せっけいされたP-47Nだったが、初期しょき生産せいさんされた機体きたい英国えいこくおくられた。しかし十分じゅうぶんはたらきをしめまえ欧州おうしゅう戦線せんせん終結しゅうけつした。1945ねんはる沖縄おきなわ伊江島いえじま硫黄いおうとう到着とうちゃくしたP-47Nは予定よていどおり護衛ごえい任務にんむ開始かいししたが、戦闘せんとうばくげき任務にんむ使用しようされることのほうおおかった。

XP-72[編集へんしゅう]

XP-72

生産せいさんいたらなかった派生はせいがたのなかでも興味深きょうみぶかいものにXP-72がある。スーパーサンダーボルトとして設計せっけいされたこの機体きたいは、ピストンエンジン戦闘せんとう限界げんかいひろげようとするものだった。XP-72の動力どうりょくは、28気筒きとう(7×4れつ)のP&Wせい空冷くうれいほしがたエンジン R-4360-13 ワスプ・メジャーで、高々たかだか出力しゅつりょくが3,450 HP (2,570 kW)という強力きょうりょくなものだった。きゅう空気くうき取入とりいこうはらそなえ2試作しさくされ(1号機ごうきが4翅。2号機ごうきは6翅コントラ・プロペラ)、最大さいだい速度そくどは790 km/hにたっした。ドイツのV-1ミサイルに対抗たいこうさせる目的もくてきで100発注はっちゅうたが、ジェット機じぇっとき出現しゅつげんにより開発かいはつ中止ちゅうしとなり、終戦しゅうせん退役たいえき処分しょぶんとなった。

実戦じっせん配備はいび[編集へんしゅう]

B-17 フライングフォートレスと飛行ひこうするP-47

P-47C の開発かいはつにより1942ねんまつまでにはおおかたの不具合ふぐあい解決かいけつされた。前線ぜんせん配備はいびはじまり、P-47Cがイギリスおくられた。だい56戦闘せんとう航空こうくうぐん (56th Fighter Group) がだい8航空こうくうぐん合流ごうりゅうするために大西おおにしひろしわたり、だい8航空こうくうぐんだい4・だい78戦闘せんとう航空こうくうぐん(4th, 78th FG) もサンダーボルトを装備そうびしていた。

米国べいこく参戦さんせんまえからイギリス空軍くうぐんのイーグルスコードロン(だい71わし飛行ひこう中隊ちゅうたいだい121わし飛行ひこう中隊ちゅうたいだい133わし飛行ひこう中隊ちゅうたい)の名称めいしょうたたかっていたアメリカじん義勇ぎゆうへい熟練じゅくれんパイロットは、米国べいこく参戦さんせんとともにだい8航空こうくうぐんだい4戦闘せんとう航空こうくうぐん移管いかんされることになったが、ほんくらべて小柄こがら機動きどうせいにもすぐれるスーパーマリン スピットファイア搭乗とうじょうしていたため、巨大きょだいであまり機動きどうせいすぐれないほんえることにあまりでなかった。事実じじつ英国えいこく同僚どうりょうたちはこの巨大きょだい戦闘せんとうにして仰天ぎょうてんした。「離陸りりくすらできなさそうなのに、こいつで空中くうちゅうせんをやるだって?」 英国えいこくじんたちは「サンダーボルトのパイロットは(離陸りりくできず地上ちじょうかれたままの巨大きょだいな)機体きたいってそのなかかくれれば、(ドイツ空軍くうぐん戦闘せんとうからの攻撃こうげきからまもことができる。」などとジョークをった。

ほんたいしてどっちつかずな評価ひょうかくだ米国べいこくじんパイロットはほとんどおらず、きらうか、あいするかのどちらかだった。わるてんとしては、離陸りりく滑走かっそう距離きょりながく、機動きどうせいくないことがげられた。 機動きどうせいわるさについてあるパイロットは「まるでバスタブをばしているようだった」とひょうした。 ただし高速こうそくいきにおいてはそのかぎりでなく、比較的ひかくてき良好りょうこう運動うんどうせいしめした。 またほんはその重量じゅうりょうゆえ失速しっそくしないためにそれなりの速度そくど必要ひつようであり、速度そくど回復かいふくはかれないエンジン停止ていし状態じょうたいでの不時着ふじちゃくはかなり神経しんけい使つか行為こういであった。 一方いっぽうすぐれているてんとして、機体きたい非常ひじょう頑丈がんじょう被弾ひだんつよかったことがげられる。 戦闘せんとう攻撃こうげき(ヤーボ)としてもちいる場合ばあい必然ひつぜんてき高度こうどげざるをないために対空たいくう砲火ほうかにさらされることがおおくなるが、機体きたい頑丈がんじょうであることはこれに非常ひじょう有効ゆうこうであった。 くわえて火力かりょく非常ひじょう強力きょうりょくであり、8ちょうのM2ブローニング12.7 mm機関きかんじゅうからされる大量たいりょう弾丸だんがんは、照準しょうじゅんとらえたターゲットを容赦ようしゃなくことごと撃墜げきついした。

素早すばや急降下きゅうこうかできることも、空中くうちゅうせんでは有利ゆうりてんだった。P-47は急降下きゅうこうからくに885 km/hに到達とうたつできた。おとかべ突破とっぱしたと主張しゅちょうするパイロットまでいたが、これについては証言しょうげんしゃ名前なまえとその日時にちじ不明ふめいであるため、確証かくしょうはない。サンダーボルトのようなおも航空機こうくうき急降下きゅうこうか素早すばやいことは想像そうぞうしやすいが、ドイツ軍機ぐんき上昇じょうしょうしてものがれることはできなかった。P-47はおも巨大きょだいではあったが、そのR-2800エンジンとプロペラもまた巨大きょだいで、上昇じょうしょうりつ素晴すばらしかったのである。ロールレート(横転おうてんりつ)もかった。

P-47はつ戦闘せんとう任務にんむは1943ねん3がつ10日とおかで、4th FGがフランス上空じょうくう戦闘せんとうりにかけたが、無線むせん装置そうち故障こしょうにより空振からぶりにわった。ぜん機体きたい無線むせん英国えいこくせい交換こうかんし、4がつ8にち任務にんむ再開さいかいされた。4月15にちルフトヴァッフェとのはつ交戦こうせん発生はっせいし、4th FGのDon Blakeslee少佐しょうさがサンダーボルトによるはつ撃墜げきつい記録きろくした。8月17にちにははつ護衛ごえい任務にんむおこない、ドイツ シュヴァインフルトを空爆くうばくするB-17 フライングフォートレスの、最初さいしょ行程こうてい随伴ずいはんした。

1943ねんなつまでにはイタリアだい12航空こうくうぐんもP-47を使用しようしていた。

1943ねん9がつ27にち、ニューギニアにおけるだい348戦闘せんとう航空こうくうぐんのP-47D

太平洋たいへいよう戦線せんせんではだい348戦闘せんとう航空こうくうぐん(348th FG)がP-47Dを装備そうびオーストラリア ブリスベンからの護衛ごえいミッションをおこなった。とくにP-47の主戦しゅせんじょうとなったのが日本にっぽん陸軍りくぐん航空こうくう部隊ぶたい相手あいてとするニューギニア戦線せんせんであり、現地げんちでは一式いっしきせんはやぶささんしきせん飛燕ひえんおも交戦こうせん。P-47のはつ戦闘せんとう任務にんむは1943ねん8がつ16にちにファブアにておこなわれた日本にっぽん陸軍りくぐん飛行ひこうだい24戦隊せんたい飛行ひこうだい59戦隊せんたい一式いっしきせん33とP-47 32およびP-38 12との空戦くうせんであり、結果けっか一式いっしきせん3撃墜げきつい損害そんがいはP-47D レイトン少尉しょうい撃墜げきついされP-38 ブライテ少尉しょうい被弾ひだん緊急きんきゅう着陸ちゃくりくであった[2]

以後いごP-47Dはたいにちせんでも活躍かつやくおおくの日本にっぽんぐん戦闘せんとうばくげき撃墜げきついしたが、1944ねん3がつ5にち16当時とうじ21撃墜げきついほこり、リチャード・ボング大尉たいい(P-38操縦そうじゅう当時とうじ24撃墜げきつい)とアメリカぐんトップ・エースのあらそっていただい348戦闘せんとう航空こうくうぐん司令しれいニール・カービィ大佐たいさ搭乗とうじょうが、日本にっぽん陸軍りくぐん飛行ひこうだい77戦隊せんたい一式いっしきせん2奇襲きしゅう攻撃こうげき撃墜げきつい戦死せんしした事件じけんきている[3]。また、ニューギニア航空こうくうせん末期まっきである1944ねん4がつ11にちには、日本にっぽんぐんのこった一式いっしきせん・三式戦稼動全機20迎撃げいげきで、日本にっぽん陸軍りくぐん戦闘せんとう損害そんがい一方いっぽうてきにP-47D 4撃墜げきついされている(だい311戦闘せんとう飛行ひこうたいロスマン少尉しょうい・グラハム少尉しょうい・バリントンおよびロウランド中尉ちゅうい[4]

主翼しゅよく搭載とうさいしたロケットだん発射はっしゃするP-47D

P-47の決定けっていばんともいうべきP-47Dの登場とうじょうにより増産ぞうさん体制たいせいかれ、1944ねんまでには、アラスカ以外いがいUSAAFぜん戦線せんせんにサンダーボルトが配備はいびされていた。

ヨーロッパ戦線せんせん[編集へんしゅう]

改良かいりょうすすむにつれ燃料ねんりょう搭載とうさいりょう増大ぞうだいしたため、ボマー・エスコート(ばくげき護衛ごえい任務にんむ)での飛行ひこう距離きょり増大ぞうだいしていき、ついにはドイツまでずっと同行どうこうできるようになった(それまで、ばくげき護衛ごえい複数ふくすう戦闘せんとうたいによるリレー形式けいしきおこなわれていた)。

ばくげきぎょうからのかえり、パイロットたちは(地上ちじょうの)格好かっこう標的ひょうてきけてちまくった。こうして、ジャグは強力きょうりょく戦闘せんとう爆撃ばくげきであることが判明はんめいした。複雑ふくざつなターボチャージャーシステムをそなえていたわりには損傷そんしょうつよく、8ちょう機関きかんじゅうてきおおきなダメージをあたえることができた。

P-47は徐々じょじょにUSAAFで最良さいりょう戦闘せんとう爆撃ばくげきになっていった。搭載とうさい兵器へいきは500lbばくだん → 3連装れんそう M-8 115 mmロケットランチャ → そしてついにはHVARへとかわそうされて強力きょうりょくになっていった。この任務にんむで、ジャグはなんせんという戦車せんしゃ機関きかんしゃちゅうちゅう航空機こうくうき、そしてなんまんものトラックその車両しゃりょう破壊はかいした。

最終さいしゅうてき護衛ごえい任務にんむP-51 マスタングにってわられたものの、空中くうちゅうせんでも優秀ゆうしゅう成績せいせきのこした。たとえば、

といった具合ぐあいである。サンダーボルトをじょうとしたエースのうち、上位じょうい10にん全員ぜんいん大戦たいせんいたという事実じじつが、耐久たいきゅうせいたかさを物語ものがたっている。

なお、ヨーロッパ戦線せんせんでのP-47は、しばしば地上ちじょう友軍ゆうぐんから、 フォッケウルフ Fw190間違まちがわれてあやまされるという被害ひがいけている。胴体どうたいふといP-47と、胴体どうたいしぼったFw190は、一見いっけんするとてもつかない機体きたいえるが、P-47の胴体どうたい上下じょうげ方向ほうこうたいしてふといのであって、左右さゆう方向ほうこうにはさしてはばがあるわけではなく、真下ましたからのP-47のかげはFw190に似通にかよっていたためこのよう事態じたいきたものとられる。

ほん頑丈がんじょうさを物語ものがたるエピソードとして、上記じょうきのロバート・S・ジョンソンのれいげる。だい56戦闘せんとう航空こうくうぐん所属しょぞくするかれは、1943ねん6がつ26にち英国えいこく帰還きかんする味方みかた爆撃ばくげき出迎でむかえにった。しかし途中とちゅうでドイツ空軍くうぐんのFw190の編隊へんたいおそわれ、被弾ひだんして制御せいぎょ不能ふのうのきりもみ状態じょうたいおちいってしまう。ジョンソンはなんとか機体きたい安定あんていさせたものの、ダメージがひどくまっすぐぶのがやっとの状態じょうたいであった。そこをドイツ空軍くうぐん撃墜げきついおうエゴン・マイヤーるFw190に捕捉ほそくされる。ジョンソンが手負ておいのP-47はなすじゅつ直進ちょくしんするしかなかったが、P-47はFw190が機関きかんじゅうちつくすまでり、その頑丈がんじょうさに感心かんしんしたマイヤーはジョンソンに敬礼けいれいしてそのった。ジョンソンは基地きち帰還きかんするとけられた風穴かざあなかぞえたが、200をえたところでめたという。 この出来事できごとは、ヒストリーチャンネル番組ばんぐみドッグファイト 〜華麗かれいなる空中くうちゅうせんだい13かいである「サンダーボルト」でも紹介しょうかいされた。

欧州おうしゅう戦線せんせん以外いがいでの活躍かつやく[編集へんしゅう]

イギリス空軍くうぐんのサンダーボルト Mk. I (P-47D)

だい世界せかい大戦たいせんちゅう、P-47は米国べいこく以外いがい連合れんごうこく航空こうくう部隊ぶたいでも使用しようされた。

RAF(ロイヤルエアフォース、えい空軍くうぐん)は1944ねんなかばからP-47を受領じゅりょうはじめた:

  • サンダーボルト Mk. I:レイザーバックタイプのP-47D。240
  • サンダーボルト Mk. II:バブルキャノピィのP-47D。590

評価ひょうか試験しけん使つかわれたすうをのぞいたすべての機体きたいはRAFにより運用うんようされ、インドからってビルマ日本にっぽんぐん攻撃こうげきした。この作戦さくせんは「キャブ・ランク(cab rank、タクシー)」としてられている。サンダーボルトは500lb爆弾ばくだんあるいは英国えいこくせい「60パウンダー」ロケットだん武装ぶそうしていた。戦後せんごはわずかな期間きかんしか運用うんようされず、最後さいご機体きたいは1946ねん10がつ退役たいえきした。

ブラジル遠征えんせいぐんは88のP-47Dを受領じゅりょうし、イタリア戦線せんせん運用うんようした。メキシコたいにちせんようにP-47Dを25受領じゅりょうし、1945ねんからメキシコ遠征えんせい空軍くうぐんだい201戦闘せんとう飛行ひこうたいルソン島るそんとう拠点きょてんにフィリピンと台湾たいわん上空じょうくう日本にっぽんぐん地上ちじょう目標もくひょう攻撃こうげき従事じゅうじしている。自由じゆうフランスぐんは1945ねんに446のP-47Dを受領じゅりょうし、のちだいいちインドシナ戦争せんそうアルジェリア戦争せんそうにも使用しようした。

203のP-47Dがソビエト連邦れんぽう供与きょうよされ、うち196到着とうちゃくした。ソ連それんぐんパイロットによる試験しけん飛行ひこう結果けっか小型こがた機敏きびんソ連それんぐん戦闘せんとうくらおもく、うごきが緩慢かんまん加速かそく上昇じょうしょうせいくないが、操縦そうじゅう容易ようい心地ごこちく、航続こうぞく距離きょりながたか高度こうど性能せいのういことが評価ひょうかされた。しかし、ソ連それん空軍くうぐんでは長距離ちょうきょり戦略せんりゃくばくげきほとんどやっておらず護衛ごえい任務にんむく、対地たいち攻撃こうげきようにはすでに多数たすうのIl-2が運用うんようされており、使つかみちつからなかった。一方いっぽう比較的ひかくてき航続こうぞく距離きょりながいこととばくだん搭載とうさいりょうおおいことから、海軍かいぐん航空こうくうたいから戦闘せんとう爆撃ばくげきとしてもとめられ、北方ほっぽう艦隊かんたい麾下きかたいかん攻撃こうげき偵察ていさつ任務にんむいた。

1945ねん昭和しょうわ20ねん2がつ27にち台湾たいわん空襲くうしゅう飛来ひらいしただい5航空こうくうぐんだい35戦闘せんとう航空こうくうぐんだい40戦闘せんとう飛行ひこうたい所属しょぞくのラルフ・R・ハートレイ中尉ちゅうい操縦そうじゅうのP-47Dが日本にっぽんぐん集成しゅうせい飛行場ひこうじょう所属しょぞくよんしきせん疾風しっぷう撃墜げきついされて豊原とよはら郊外こうがい墜落ついらくしたが、ほぼ原形げんけいちかかたち鹵獲ろかくされた。[5]

しょもと[編集へんしゅう]

機体きたいめい F-47N (P-47N)[6]
乗員じょういん 1めい
全長ぜんちょう 36.1ft (11m)
全幅ぜんぷく 42.5ft (12.95m)
ぜんこう 14.7ft (4.48m)
つばさ面積めんせき 322ft² (29.91m²)
プロペラ[7] ブレード4まい 直径ちょっけい13ft (3.96m)
エンジン Pratt & Whitney R-2800-57/-73/-77/-81 (2,100Bhp 最大さいだい:2,800Bhp) ×1
空虚くうきょ重量じゅうりょう 11,017lbs (4,997kg)
ミッション BASIC INTERCEPTOR FERRY[注釈ちゅうしゃく 1]
離陸りりく重量じゅうりょう 20,837lbs (9,452kg) 17,867lbs (8,104kg) 20,837lbs (9,452kg)
戦闘せんとう重量じゅうりょう 15,123lbs (6,860kg) 16,280lbs (7,384kg) 15,123lbs (6,860kg)
燃料ねんりょう[注釈ちゅうしゃく 2] 557gal (2,108ℓ)
外部がいぶ燃料ねんりょう 440gal (1,666ℓ) 440gal (1,666ℓ)
最高さいこう速度そくど 397kn/35,000ft (735km/h 高度こうど10,668m) 389kn/35,000ft (720km/h 高度こうど10,668m) 397kn/35,000ft (735km/h 高度こうど10,668m)
上昇じょうしょう能力のうりょく 3,680ft/m S.L. (18.69m/s 海面かいめん高度こうど) 3,270ft/m S.L. (16.61m/s 海面かいめん高度こうど) 3,680ft/m S.L. (18.69m/s 海面かいめん高度こうど)
実用じつよう上昇じょうしょう限度げんど 42,450ft (12,939m) 41,500ft (12,649m) 42,450ft (12,939m)
航続こうぞく距離きょり[注釈ちゅうしゃく 3] 1,705n.mile (3,158km) 1,915n.mile (3,547km)
戦闘せんとう行動こうどう半径はんけい 800n.mile (1,482km) 455n.mile (843km)
武装ぶそう AN/M2 12.7mm機関きかんじゅう×8 (たますうけい4,000はつ)
外部がいぶへいそう 1,000/500/250/100lbsばくだん×3から最大さいだい3,000lbs (1,361kg) + HVAR×10

戦後せんご[編集へんしゅう]

P-47は、1948ねんからF-47改称かいしょうされ、1949ねんまで空軍くうぐん[8]で、1953ねんまでしゅう空軍くうぐん (ANG = Air National Guard) で運用うんようされた。朝鮮ちょうせん戦争せんそう勃発ぼっぱつには国防総省こくぼうそうしょうのこっている機体きたいをかきあつめようとしたものの、すで充分じゅうぶんすうのこっておらず、参戦さんせんできなかった。

ニカラグアキューバドミニカ共和国どみにかきょうわこくチリコロンビアエクアドルベネズエラペルーといったおおくのラテンアメリカ諸国しょこく空軍くうぐんにも供給きょうきゅうされ、1950年代ねんだいとおして運用うんようされた。なかには1960年代ねんだいまで運用うんようしていたところもある。ほかにも中華民国ちゅうかみんこくイランイタリアポルトガルトルコユーゴスラビアにも提供ていきょうされた。

P-47のそう生産せいさんすうは15,660で、これは戦闘せんとう生産せいさんすうとしては屈指くっしのものである。2016ねん時点じてんおおくの機体きたいのこっており、飛行ひこう可能かのうなものもじゅうすうある。

年表ねんぴょう[編集へんしゅう]

1939ねん

  • 5月:AP-4がUSAAFによりYP-43制式せいしき名称めいしょうで13発注はっちゅうされる
  • 6がつ:セバスキーがリパブリックへと社名しゃめい変更へんこう
  • (9がつ1にち:ドイツがポーランドへ侵攻しんこうだい世界せかい大戦たいせん開始かいし
  • 10月:P-43の後継こうけいとなるXP-44が80発注はっちゅうされる

1940ねん

  • はる:XP-44とXP-47ではドイツの戦闘せんとうにかなわない → XP-47A提示ていじ却下きゃっか
  • 6がつ:XP-47BあんがUSAACに提示ていじされる
  • なつあきバトルオブブリテン
  • 9月:XP-47B名称めいしょうでプロトタイプが発注はっちゅうされる → XP-47A、XP-44の開発かいはつ中止ちゅうし
  • 9月から1941ねん4がつにかけて:13のYP-43がわたされる
  • XP-47B開発かいはつ計画けいかくおくれ → P-43Aが80発注はっちゅうされる
  • さらなるおくれ → P-43A-1が125発注はっちゅうされる

1941ねん

1942ねん

  • 3月:P-43の最終さいしゅうごうわたされる
  • 8がつ事故じこでXP-47Bがうしなわれる
  • 9月:P-47C初号しょごうわたされる
  • あき:P-43B・P-43C・P-43D → RP-43へと改称かいしょう
  • 11月:XP-47J開発かいはつはじまる
  • 年末ねんまつ不具合ふぐあい片付かたづき、P-47Cと56th FGがイギリスへ

1943ねん

  • 3がつ10日とおかはつ戦闘せんとうミッションに出撃しゅつげきするが、無線むせん故障こしょう失敗しっぱい
  • 4がつ8にち任務にんむ再開さいかい
  • 4がつ15にち:ルフトヴァッフェとはつ交戦こうせんはつ撃墜げきつい
  • 6がつXP-72発注はっちゅうされる
  • なつまでに、イタリアのだい12航空こうくうぐん配備はいびされる
  • なつはつのバブルキャノピィきP-47
  • 8がつ17にちはつ護衛ごえい任務にんむ(B-17のシュヴァインフルト爆撃ばくげき随伴ずいはん
  • (9がつ8にち:イタリア降伏ごうぶく
  • 11月26にち:XP-47Jがはつ飛行ひこう
  • 年末ねんまつまでに、アラスカ以外いがいのUSAAFのぜん戦線せんせん配備はいびされる

1944ねん

  • 2がつ2にち:XP-72の初号しょごうはつ飛行ひこう
  • 7がつ:XP-72の2号機ごうきはつ飛行ひこう2じゅう反転はんてんプロペラ = 3翅×2 装備そうび
  • なかばから:RAFに配備はいび開始かいし
  • 8がつ5にち:XP-47Jが水平すいへい直線ちょくせん飛行ひこうで813 km/hを記録きろくする(@高度こうど10,500 m)
  • 9月:P-47N原型げんけいはつ飛行ひこう

1945ねん

  • このとし自由じゆうフランスぐんが446受領じゅりょう
  • 1がつ欧州おうしゅうの56th FGがP-47M受領じゅりょうするが、不具合ふぐあい多発たはつ
  • 4がつ:P-47Mの不具合ふぐあい解消かいしょうされる
  • 4がつ以降いこう:P-47Nがたいにち戦線せんせん投入とうにゅうされる
  • (5がつ8にち欧州おうしゅう戦線せんせん終結しゅうけつ
  • (8がつ15にち太平洋たいへいよう戦線せんせんだい世界せかい大戦たいせん終結しゅうけつ
  • 10月:最終さいしゅうごう生産せいさんされる(タイプはP-47N-25)

1946ねん以降いこう

現存げんそんする機体きたい[編集へんしゅう]

  • 情報じょうほうわっている場合ばあいがある。
  • かた末尾まつびの「RE」「RA」「CU」はそれぞれ、以下いか工場こうじょうせい機体きたいである。
    • リパブリックしゃバッファロー工場こうじょう
    • リパブリックしゃファーミングデール工場こうじょう
    • カーティス・ライトしゃエヴァンスヴィル工場こうじょう
型名かためい      番号ばんごう    機体きたい写真しゃしん     国名こくめい 所有しょゆうしゃ 公開こうかいじょうきょう 状態じょうたい 備考びこう
P-47B-RE 41-5920
26
写真しゃしん アメリカ イリノイしゅう ランディ・フェリス
(Randy Ferris)
非公開ひこうかい 修復しゅうふくちゅう [1][2]
P-47D-1-RE 42-7924
72
不明ふめい 不明ふめい 不明ふめい 不明ふめい バート・オインハウゼン自動車じどうしゃ技術ぎじゅつ博物館はくぶつかん展示てんじされていたが、どう博物館はくぶつかん閉館へいかんしたため現在げんざい不明ふめい部品ぶひん状態じょうたい保存ほぞんないし修復しゅうふくされているとおもわれる。
P-47D-2-RE 42-8066
214
写真しゃしん オーストラリア ニューサウスウェールズしゅう 歴史れきしてき航空機こうくうき修復しゅうふく協会きょうかい[3] 公開こうかい 静態せいたい展示てんじ [4]
P-47D-2-RE 42-8130
278
写真しゃしん アメリカ アリゾナしゅう ピマ航空こうくう宇宙うちゅう博物館はくぶつかん[5] 非公開ひこうかい 保管ほかんちゅう [6]
P-47D-2-RE
TP-47D-RE
42-8205
FAB007
353
アメリカ ワシントンしゅう ミュージアム・オヴ・フライト[7] 公開こうかい 静態せいたい展示てんじ だい大戦たいせん米国べいこくによるラテンアメリカ諸国しょこくへの軍事ぐんじ支援しえん一環いっかんとして供与きょうよされた多数たすうのP-47のうちのいちが、使用しようぎゃく輸入ゆにゅうされたもの。[8]
P-47D-15-RA 42-23278
1029
アメリカ オハイオしゅう 国立こくりつアメリカ空軍くうぐん博物館はくぶつかん[9] 公開こうかい 静態せいたい展示てんじ ニール・アーネスト・カービィじょう塗装とそうがされている。また、かたわらにはじょう実機じっき垂直すいちょく尾翼びよく展示てんじされている。[10]
P-47D-25-RE 42-26470
HD175
2047
写真しゃしん アメリカ サウスカロライナしゅう ショウ空軍くうぐん基地きち[11] 公開こうかい 静態せいたい展示てんじ レプリカともされるが、機体きたい側面そくめんまどのようなものや降着こうちゃく装置そうち部分ぶぶんがあることから実機じっきとみられる。オリジナルのマーキングで塗装とそうされているが、おおきさやラウンデルの形状けいじょうなど、ことなるてんがある。
P-47D-25-RE 42-26757
2334
写真しゃしん ブラジル リオデジャネイロしゅう サンタクルス空軍くうぐん基地きち 公開こうかい 静態せいたい展示てんじ 本来ほんらいはA5の機体きたいだが、C5/44-19660のマーキングがされている。
P-47D-25-RE 42-26760
2337
ブラジル サンパウロしゅう ブラジル航空こうくう宇宙うちゅう記念きねんかん[12] 非公開ひこうかい 保管ほかんちゅう ブラジルのTAM博物館はくぶつかん展示てんじされていたが、どう博物館はくぶつかん閉館へいかん現在げんざい施設しせつうつされ、あたらしい展示てんじかん完成かんせいち。。当時とうじ本来ほんらいのB2ではなく、B5/42-29265のマーキングがされていた。
P-47D-25-RE 42-26762
2339
ブラジル パラナしゅう クリティーバ空軍くうぐん基地きち
(バカチェリ空港くうこう)
公開こうかい 静態せいたい展示てんじ A4/42-26756のマーキングがされている。
P-47D-27-RE
XP-47M-1-RE
YP-47M-RE
42-27385
2962
93F-12000
アメリカ カリフォルニアしゅう ヤンクス航空こうくう博物館はくぶつかん[13] 公開こうかい 静態せいたい展示てんじ [14]
P-47D-23-RA 42-27609
1271
写真しゃしん アメリカ テキサスしゅう エアコープス・エイヴィエーションしゃ[15]
(テキサス・フライング・レジェンズ博物館はくぶつかん)
公開こうかい 修復しゅうふくちゅう [16]
P-47D-28-RA 42-29150
2812
写真しゃしん アメリカ カリフォルニアしゅう アライド・ファイターズ[17] 非公開ひこうかい 飛行ひこう可能かのう [18]
P-47D-30-RE 44-20371
5779
フランス セーヌ=サン=ドニけん ル・ブルジェ航空こうくう宇宙うちゅう博物館はくぶつかん[19] 公開こうかい 静態せいたい展示てんじ 運用うんよう当時とうじのマーキングにもどされて展示てんじされている。[20]
P-47D-30-RA 44-32691
399-53652
アメリカ ヴァージニアしゅう 国立こくりつ航空こうくう宇宙うちゅう博物館はくぶつかん別館べっかん
スティーヴン・F・ウドヴァーヘイジー・センター
[21]
公開こうかい 静態せいたい展示てんじ [22]
P-47D-30-RA 44-32798
399-53759
写真しゃしん アメリカ ユタしゅう ヒル航空こうくう宇宙うちゅう博物館はくぶつかん[23] 公開こうかい 静態せいたい展示てんじ [24]
P-47D-30-RA 44-32809
399-53770
ベエズエラ アラグアしゅう マラカイ航空こうくう宇宙うちゅう博物館はくぶつかん 公開こうかい 静態せいたい展示てんじ FAV/10B-36のマーキングがされている。
P-47D-30-RA 44-32817
399-53778
写真しゃしん アメリカ テキサスしゅう ルイス・エア・レジェンズ[25]
(ティラムック航空こうくう博物館はくぶつかん[26])
公開こうかい 飛行ひこう可能かのう [27]
P-47D-30-RA 44-33712
399-53973
写真しゃしん トルコ イスタンブールけん イスタンブール航空こうくう博物館はくぶつかん 公開こうかい 静態せいたい展示てんじ
P-47D-30-RA 44-89746
399-54891
写真しゃしん イタリア ローマけん イタリア空軍くうぐん博物館はくぶつかん[28] 非公開ひこうかい 保管ほかんちゅう
P-47D-30-RA 44-90205
399-55350
メキシコ メヒコしゅう サンタルチア空軍くうぐん基地きちメキシコ空軍くうぐん博物館はくぶつかん 公開こうかい 静態せいたい展示てんじ
P-47D-40-RA 44-90368
399-55513
アメリカ テキサスしゅう ローンスター飛行ひこう博物館はくぶつかん[29] 公開こうかい 飛行ひこう可能かのう [30]
P-47D-40-RA 44-90438
399-55583
アメリカ テネシーしゅう テネシー・ミュージアム・オヴ・エイヴィエーション[31] 公開こうかい 飛行ひこう可能かのう オリジナルのマーキングで塗装とそうされている。[32]
P-47D-40-RA 44-90447
399-55592
アメリカ ニューヨークしゅう アメリカ航空こうくう戦力せんりょく博物館はくぶつかん[33] 不明ふめい 不明ふめい 2016ねんにエンジントラブルでハドソンがわ墜落ついらくした。げられたが、現在げんざい状況じょうきょう不明ふめい[34]
P-47D-40-RA 44-90460
399-55605
アメリカ テネシーしゅう テネシー・ミュージアム・オヴ・エイヴィエーション 公開こうかい 飛行ひこう可能かのう オリジナルのマーキングで塗装とそうされている。[35]
P-47D-40-RA 44-90464
13056
399-55609
セルビア ベオグラード 航空こうくう博物館はくぶつかん 公開こうかい 静態せいたい展示てんじ
P-47D-40-RA 44-90471
399-55916
アメリカ オレゴンしゅう ティラムック航空こうくう博物館はくぶつかん 公開こうかい 飛行ひこう可能かのう
P-47D-40-RA 45-49102
FAC 861
399-55641
コロンビア ボゴタ コロンビア航空こうくう宇宙うちゅう博物館はくぶつかん[36] 公開こうかい 静態せいたい展示てんじ
P-47D-40-RA 45-49130
399-55669
写真しゃしん アメリカ テネシーしゅう テネシー・ミュージアム・オヴ・エイヴィエーション 公開こうかい 静態せいたい展示てんじ
P-47D-40-RA 45-49151
399-55690
写真しゃしん ブラジル リオデジャネイロしゅう 航空こうくう宇宙うちゅう博物館はくぶつかん 公開こうかい 静態せいたい展示てんじ きゅう塗装とそう
P-47D-40-RA 45-49167
399-55706
アメリカ オハイオしゅう 国立こくりつアメリカ空軍くうぐん博物館はくぶつかん 公開こうかい 静態せいたい展示てんじ [37]よこから画像がぞう
P-47D-40-RA 45-49181
399-55720
アメリカ ミシガンしゅう エア・ズー航空こうくう宇宙うちゅう科学かがく博物館はくぶつかん[38] 公開こうかい 飛行ひこう可能かのう [39]
P-47D-40-RA 45-49192
399-55731
イギリス ケンブリッジシャーしゅう ダックスフォード帝国ていこく戦争せんそう博物館はくぶつかん[40]
(ザ・ファイター・コレクション[41])
公開こうかい 静態せいたい展示てんじ [42]
P-47D-40-RA 45-49205
399-55744
アメリカ カリフォルニアしゅう パームスプリングス航空こうくう博物館はくぶつかん[43] 公開こうかい 静態せいたい展示てんじ [44]
P-47D-40-RA 45-49219
399-55758
チリ 首都しゅとしゅう 国立こくりつ航空こうくう宇宙うちゅう博物館はくぶつかん 公開こうかい 静態せいたい展示てんじ 750とマーキングされている。
P-47D-40-RA 45-49295
KL216
399-55834
イギリス ロンドン イギリス空軍くうぐん博物館はくぶつかんロンドンかん[45] 公開こうかい 静態せいたい展示てんじ [46]
P-47D-40-RA 45-49346
399-55885
アメリカ カリフォルニアしゅう ヤンクス航空こうくう博物館はくぶつかん 公開こうかい 静態せいたい展示てんじ [47]
P-47D-40-RA 45-49385
FAPe 549
FAPe 127
399-55924
アメリカ コロラドしゅう アラン・J・ウォジィアック
(Alan J. Wojciak)
非公開ひこうかい 飛行ひこう可能かのう
P-47D-40-RA 45-49406
399-55945
アメリカ ワシントンしゅう フライング・ヘリテージ・コレクション[48] 公開こうかい 飛行ひこう可能かのう 資産しさんポール・ガードナー・アレン所有しょゆうしていたもの。[49]
P-47D-40-RA 45-49458
399-55997
アメリカ コネティカットしゅう ニューイングランド航空こうくう博物館はくぶつかん[50] 公開こうかい 静態せいたい展示てんじ [51]
F-47D-30-?? 13109 写真しゃしん クロアチア ザグレブ ニコラ・テスラ技術ぎじゅつ博物館はくぶつかん[52] 公開こうかい 静態せいたい展示てんじ 公式こうしきページより、タイプがP-47D-30であることまでは判明はんめいした。[53]
P-47G-10-CU
TP-47G-CU
42-25068
21962
イギリス ケンブリッジシャーしゅう ダックスフォード帝国ていこく戦争せんそう博物館はくぶつかん
(ザ・ファイター・コレクション)
公開こうかい 飛行ひこう可能かのう [54]
P-47G-15-CU
TP-47G-CU
42-25254
22148
アメリカ カリフォルニアしゅう プレーンズ・オブ・フェイム航空こうくう博物館はくぶつかん [55] 公開こうかい 飛行ひこう可能かのう [56]
P-47N-25-RE 44-89320
539-C1537
写真しゃしん アメリカ フロリダしゅう 空軍くうぐん武器ぶき博物館はくぶつかん[57] 公開こうかい 静態せいたい展示てんじ [58]
P-47N-25-RE 44-89348
539-C1565
アメリカ テキサスしゅう アメリカ空軍くうぐん航空こうくうへい遺産いさん博物館はくぶつかん[59]
(ラックランド空軍くうぐん基地きちうち)
公開こうかい 静態せいたい展示てんじ [60][61]
P-47N-25-RE
F-47N-25-RE
44-89425
539-C1642
アメリカ コロラドしゅう ピーターソン航空こうくう宇宙うちゅう博物館はくぶつかん[62] 公開こうかい 静態せいたい展示てんじ [63]
P-47N-25-RE 44-89436
539-C1653
アメリカ テキサスしゅう 記念きねん空軍くうぐん(CAF)[64] 公開こうかい 修復しゅうふくちゅう P-47N-20-RAの45-53436として紹介しょうかいされている場合ばあいがあるが、この番号ばんごうはキャンセルされたもので20-RAがたのものでもない。[65]
P-47N-25-RE 44-89444
539-C1661
アメリカ ニューヨークしゅう 航空こうくう発祥はっしょう博物館はくぶつかん[66] 公開こうかい 静態せいたい展示てんじ [67]
P-47N-??-?? 499-6808 写真しゃしん 中国ちゅうごく 北京ぺきん 北京ぺきん航空こうくうこうてん大学だいがく研究所けんきゅうじょ
(北京ぺきん航空こうくう博物館はくぶつかん)
公開こうかい 静態せいたい展示てんじ

登場とうじょう作品さくひん[編集へんしゅう]

漫画まんが・アニメ[編集へんしゅう]

衝撃しょうげき降下こうか90
主人公しゅじんこうねらてきとして登場とうじょう
ひょうおおかみ-ドイツ5ごう戦車せんしゃ1944』
ヤーボとして登場とうじょう。ドイツぐん原爆げんばく研究所けんきゅうじょ襲撃しゅうげきし、機銃きじゅうロケットだん原爆げんばく搭載とうさいもろとも施設しせつ破壊はかいする。

ゲーム[編集へんしゅう]

『Air Wars2』
ゲームの初期しょきはたけ設定せっていせんはたけたたかえとしてあつかわれている。
P-47 THE FREEDOM FIGHTER
として登場とうじょう
P-47 ACES
4種類しゅるいのうちの1機種きしゅとして登場とうじょう
R.U.S.E.
アメリカ戦闘せんとう爆撃ばくげきとして登場とうじょう
War Thunder
アメリカ通常つうじょうツリーにD-22REがた・D-25がた・D-28がた・N-15がた、アメリカ課金かきんわくにM-1-REがたドイツ課金かきんわくにDがたソ連それん課金かきんわくにD-27がた、イギリス課金かきんわくにD-22がた、ポーランド空軍くうぐん仕様しようのLanovski's M-1-REがプレイヤーの操縦そうじゅうできる機体きたいとして登場とうじょう
World of Warplanes
TierVIにP-47BとP-47D-22が登場とうじょうし、TierVIIにP-47D-30とP-47N-5が登場とうじょうする。
コール オブ デューティシリーズ
CoD:UO
アメリカぐん戦闘せんとう爆撃ばくげきとしてDがた登場とうじょうし、キャンペーンで度々たびたびドイツ陸軍りくぐんたいしてばくげきおこなう。
CoD2:BRO
CoD3
べいぐん戦闘せんとう爆撃ばくげきとしてDがた登場とうじょうする。
CoD:WWII
B-17護衛ごえいちゅう主人公しゅじんこう航空こうくう支援しえん要請ようせい支援しえんかい、途中とちゅうてきBf109交戦こうせんする。また、このミッションでは、プレイヤーがほん操縦そうじゅうすることになる。(時代じだい設定せっていはバルジのたたかいのある1944ねんだがなぜかキャノピーがバブルキャノピーではなくレイザーバックキャノピーの初期しょき生産せいさんがたになっている。)

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 固定こてい武装ぶそうあり
  2. ^ 搭載とうさい可能かのう燃料ねんりょう機体きたいない燃料ねんりょうタンクに557gal (2,108ℓ)、落下らっかぞうそうタンクを110gal (416ℓ) ×1 + 165gal (625ℓ) ×2の合計ごうけい997gal (3,774ℓ)
  3. ^ 航続こうぞく距離きょり燃料ねんりょう消費しょうひりょう+5%の補正ほせい算出さんしゅつされている

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ Jerry Scuttsちょ『P-47 Thunderbolt Aces of the Eighth Air Force (Osprey Aircraft of the Aces No 24, 英国えいこくOsprey Publishingかん 1998ねん10がつ)』では、「P-47の胴体どうたい形状けいじょう牛乳ぎゅうにゅう輸送ゆそうかん(Milk jug)にそっくりであるから」とかれており、理由りゆうとして「力強ちからづよ姿すがたがJuggernautを連想れんそうさせたから」とある。
  2. ^ 梅本うめもとひろしだい大戦たいせんはやぶさのエース』 だい日本にっぽん絵画かいが、2010ねん8がつ、P.86
  3. ^ だい大戦たいせんはやぶさのエース』 pp.94-95
  4. ^ だい大戦たいせんはやぶさのエース』 p.97
  5. ^ 押尾おしび一彦かずひこ野原のはらしげる日本にっぽんぐん鹵獲ろかく秘録ひろく光人みつひとしゃ、2002ねん、142ぺーじISBN 978-4769810476 
  6. ^ F-47N Thunderbolt Specifications STANDARD AIRCRAFT CHARACTERISTICS
  7. ^ Propeller:CURTISS ELECTRIC C.S.、Blade:No.836-14C2-18-R1 (×4)、Diameter:13ft (3.96m)、Area:12.33m²
  8. ^ 陸軍りくぐん航空こうくうぐん (USAAF = United States Army Air Force) は1947ねん空軍くうぐん (USAF = United States Air Force) となった。
  9. ^ NYにゅーよーくハドソンがわにサンダーボルト墜落ついらく 大戦たいせんちゅうべい戦闘せんとう. 産経新聞さんけいしんぶん. (2016ねん5がつ30にち). https://www.sankei.com/photo/story/news/160529/sty1605290006-n1.html 

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • P-47 Thunderbolt in Action, by Larry Davis, Squadron/Signal Publications (#67), 1984. Typical nice, detailed, somewhat untidy Squadron/Signal book, very good value for the price, and was the primary source for this document.
  • American Warplanes of the Second World War, edited by David Donald, Airtime Publications, 1995.
  • Fighters of World War II, by Charles W. Cain and Mike Gerram, Profile Publications, 1979.
  • The Concise Guide to American Aircraft of World War II, by David Mondey, Chartwell Books, Inc., 1994.
  • Roger A. Freeman 『P47サンダーボルト戦闘せんとうたいめい戦闘せんとう機長きちょうゼムケ大佐たいさかたる』早川書房はやかわしょぼうだい56戦闘せんとう航空こうくうぐん戦績せんせきかたる、1994ねんISBN 4-15-207831-6
  • Osprey Aircraft of the Aces No.24, P-47 Thunderbolt Aces of the Eighth Air Force, by Jerry Scutts, Osprey Publishing, 1998, ISBN 978-1-85532-729-0

このページはGreg Goebelによる"The Republic P-47 Thunderbolt", version 1.1をもとにしています。パブリックドメインのオリジナルばん (v1.2.0 / 01 jun 03) は[68]にあります。

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]