湯川ゆかわ秀樹ひでき

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
湯川ゆかわ 秀樹ひでき
1949ねん
生誕せいたん 1907ねん1がつ23にち
日本の旗 日本にっぽん 東京とうきょう東京とうきょう麻布あざぶ
げん東京とうきょうみなと
死没しぼつ (1981-09-08) 1981ねん9月8にち(74さいぼつ
日本の旗 日本にっぽん 京都きょうと京都きょうと左京さきょう
居住きょじゅう 日本の旗 日本にっぽん
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
国籍こくせき 日本の旗 日本にっぽん
研究けんきゅう分野ぶんや 物理ぶつりがく
研究けんきゅう機関きかん 京都きょうと帝国ていこく大学だいがく
大阪おおさか帝国ていこく大学だいがく
東京とうきょう帝国ていこく大学だいがく
プリンストン高等こうとう研究所けんきゅうじょ
コロンビア大学ころんびあだいがく
京大きょうだい基礎きそ物理ぶつりがく研究所けんきゅうじょ
出身しゅっしんこう 京都きょうと帝国ていこく大学だいがく
おも業績ぎょうせき 中間子ちゅうかんし理論りろん提唱ていしょう
おも受賞じゅしょうれき 恩賜おんししょう1940ねん
ノーベル物理ぶつりがくしょう1949ねん
ロモノーソフきんメダル1964ねん
プロジェクト:人物じんぶつでん
テンプレートを表示ひょうじ
ノーベルしょう受賞じゅしょうしゃノーベル賞
受賞じゅしょうねん1949ねん
受賞じゅしょう部門ぶもんノーベル物理ぶつりがくしょう
受賞じゅしょう理由りゆう陽子ようし中性子ちゅうせいしとのあいだ作用さようするかくりょく媒介ばいかいするものとして中間子ちゅうかんし存在そんざい予想よそう

湯川ゆかわ 秀樹ひでき(ゆかわ ひでき、1907ねん明治めいじ40ねん1がつ23にち - 1981ねん昭和しょうわ56ねん9月8にち[1])は、日本にっぽん物理ぶつり学者がくしゃ理論りろん物理ぶつりがく)。学位がくいは、理学りがく博士はかせ大阪おおさか帝国ていこく大学だいがく1938ねん)。京都大学きょうとだいがく大阪大学おおさかだいがく名誉めいよ教授きょうじゅ京都きょうと名誉めいよ市民しみん1943ねん昭和しょうわ18ねん文化ぶんか勲章くんしょう位階いかい勲等くんとうしたがえ勲一等くんいっとう旭日大綬章あさひだいじゅしょう

京都きょうと京都きょうと出身しゅっしん[2]原子核げんしかく内部ないぶにおいて、陽子ようし中性子ちゅうせいしたがいに結合けつごうさせるつよ相互そうご作用さよう媒介ばいかいとなる中間子ちゅうかんし存在そんざい1935ねん理論りろんてき予言よげんした。1947ねんイギリス物理ぶつり学者がくしゃセシル・パウエル宇宙うちゅうせんなかからパイ中間子ちゅうかんし発見はっけんしたことにより、湯川ゆかわ理論りろんただしさが証明しょうめいされ、これにより1949ねん昭和しょうわ24ねん)、日本人にっぽんじんとしてはじめてノーベルしょう受賞じゅしょうした。

生涯しょうがい[編集へんしゅう]

[編集へんしゅう]

1907ねん明治めいじ40ねん1がつ23にち東京とうきょう東京とうきょう麻布あざぶ市兵衛いちべえまちげん東京とうきょうみなと六本木ろっぽんぎ)に地質ちしつがくもの小川おがわ琢治たくじ(旧姓きゅうせい 浅井あさい)と小雪こゆき三男さんなんとしてまれる。のちに湯川ゆかわスミ入婿いりむこ湯川ゆかわ秀樹ひでき改姓かいせいする。

1908ねん明治めいじ41ねん)、1さいときちち琢治たくじ和歌山わかやまけん出身しゅっしん)の京都きょうと帝国ていこく大学だいがく教授きょうじゅ就任しゅうにんともない、一家いっか京都きょうと京都きょうと移住いじゅうする。このため、麻布まふいえには誕生たんじょう1ねん2ヶ月かげつしかんでない。

1さいから大学だいがくまでは京都きょうと大学だいがく一時いちじ大阪おおさか西宮にしのみやにいたこともあるが、人生じんせい大半たいはん京都きょうとごしたことになる(ただし、ノーベルしょう受賞じゅしょう対象たいしょうとなった中間子ちゅうかんしろん発表はっぴょうしたのは、湯川ゆかわ大阪おおさか帝国ていこく大学だいがくつとめていたときであり、当時とうじ西宮にしのみや苦楽くらくえん生活せいかつしていた)。

湯川ゆかわ自伝じでんに「わたし記憶きおく京都きょうとうつったのちからはじまる。やはり京都きょうとわたし故郷こきょうということになるのかもしれない」としるしている[2]

母方ははかた祖父そふこまたちばなもと紀州きしゅうはん藩士はんしであり、また湯川ゆかわ自体じたい先祖せんぞだい和歌山わかやまけん出身しゅっしんであるため“和歌山わかやま出身しゅっしん”と紹介しょうかいされることもあるが、本人ほんにん京都きょうと出身しゅっしんしょうしている。

和歌山わかやまけん出身しゅっしん実業じつぎょう松下まつした幸之助こうのすけ郷里きょうりに「松下まつした幸之助こうのすけくん生誕せいたん」の石碑せきひがあり、題字だいじ同郷どうきょうということで湯川ゆかわふでによってかれたが、湯川ゆかわ本人ほんにん和歌山わかやまらした経験けいけんはない。

5、6さいころ祖父そふ小川おがわ こまたちばなより漢籍かんせき素読そどくならった。こまたちばな漢学かんがく素養そよう豊富ほうふで、明治めいじ以後いご洋学ようがくまなび、晩年ばんねんまでずっと『ロンドン・タイムズ』を購読こうどくつづけた人物じんぶつであるという[3]湯川ゆかわ自伝じでんに「わたしはこのころの漢籍かんせき素読そどくけっしてむだだったとはおもわない。…意味いみもわからずにはいっていった漢籍かんせきおおきな収穫しゅうかくをもたらしている。その大人おとな書物しょもつをよみとき文字もじたいする抵抗ていこうまったくなかった。漢字かんじれていたからであろう。れるということはおそろしいことだ。ただ祖父そふこえにつれて復唱ふくしょうするだけで、らずしらず漢字かんじしたしみその読書どくしょ容易よういにしてくれたのは事実じじつである。」としるしている[4]

京都きょうと市立しりつ京極きょうごく小学校しょうがっこう卒業そつぎょう、1919ねん大正たいしょう8ねん)、京都きょうと府立ふりつ京都きょうとだいいち中学校ちゅうがっこう入学にゅうがくする。中学ちゅうがく時代じだい湯川ゆかわはあまり目立めだたない存在そんざいであり、あだは「権兵衛ごんべえ」だった[5]。また、物心ぶっしんついてからほとんどくちかず、面倒めんどうなことはすべて「わん」の一言ひとことませていたため「イワンちゃん」ともばれていたが、案外あんがいイワンのばか』からったのではないかと自分じぶんかんがえた時期じきもあった[6]。この無口むくちさが理由りゆうちち琢治たくじから「なにかんがえているのやらわからん」とうとんじられ[6]兄弟きょうだいくらべて能力のうりょくひくられ、大学だいがく進学しんがくあきらめさせて専門せんもん学校がっこうへでもやろうかとかんがえられていた時期じきもあった[7]京都きょうといちちゅう同期どうきには学者がくしゃ子供こどもおおく、のち学者がくしゃになったものおおかったという[8]おなじくノーベル物理ぶつりがくしょう受賞じゅしょうした朝永あさなが振一郎しんいちろういちちゅうで1ねんじょう三高さんこう京大きょうだいでは同期どうきだった[9]

ノーベルしょう受賞じゅしょうとその前後ぜんご[編集へんしゅう]

1929ねん昭和しょうわ4ねん)、京都きょうと帝国ていこく大学だいがく理学部りがくぶ物理ぶつり学科がっか卒業そつぎょうどう大学だいがく玉城たまきよしみ十郎じゅうろう研究けんきゅうしつ副手ふくしゅとなる。1932ねん昭和しょうわ7ねん)、京都きょうと帝国ていこく大学だいがく講師こうし。1933ねん昭和しょうわ8ねん)、東北とうほく帝国ていこく大学だいがく日本にっぽん数学すうがく物理ぶつり学会がっかい年会ねんかい開催かいさいされたとき八木やぎ秀次しゅうじい、当時とうじ大阪おおさか帝国ていこく大学だいがく理学部りがくぶ物理ぶつり学科がっか(は塩見しおみ理化学研究所りかがくけんきゅうしょ)の初代しょだい主任しゅにん教授きょうじゅ就任しゅうにんした八木はちぼくたのんで大阪おおさか帝国ていこく大学だいがく講師こうしけん担することになる。

おしあいだでは、こえちいさく講義こうぎはかなり難解なんかいであったとつたえられている。このころ大阪おおさか胃腸いちょう病院びょういん(1950ねん湯川ゆかわ胃腸いちょう病院びょういん改称かいしょう)の院長いんちょう湯川ゆかわげんよう次女じじょ湯川ゆかわスミ本名ほんみょう澄子すみこ)と結婚けっこんし、湯川ゆかわ婿養子むこようしとなり、小川おがわせいから湯川ゆかわせいとなる。

大阪おおさか帝国ていこく大学だいがく移籍いせきまった成果せいかない湯川ゆかわ八木はちぼくはさらに勉学べんがくつとめるよう注意ちゅういしたうえで、「本来ほんらいなら朝永あさながくん朝永あさなが振一郎しんいちろう)にもらうことにしていたのに、きみにいさんから依頼いらいされたので、やむなくきみ採用さいようしたのだから、朝永あさながくんけぬよう、しっかり勉強べんきょうしてくれなければこまる」とまで叱責しっせきした。内山うちやま龍雄たつおによれば、八木はちぼくくちわるいことで有名ゆうめいだったという[10]

1934ねん昭和しょうわ9ねん)に中間子ちゅうかんし理論りろん構想こうそうを、よく1935ねん昭和しょうわ10ねん)に「素粒子そりゅうし相互そうご作用さようについて」を発表はっぴょうし、中間子ちゅうかんし現在げんざいπぱい中間子ちゅうかんし)の存在そんざい予言よげんする[11]未知みちしん粒子りゅうし存在そんざい主張しゅちょうする学説がくせつたいし、欧米おうべい諸国しょこく科学かがくしゃおおくは否定ひていてきであり、量子りょうしろん開拓かいたくしゃであるニールス・ボーア1937ねん訪日ほうにちさい、「きみはそんなにしん粒子りゅうしがつくりたいのかね」と湯川ゆかわ批判ひはんしたという[11]にちちゅう戦争せんそう激化げきかともな欧米おうべい諸国しょこくから孤立こりつしつつあった日本にっぽん科学かがくしゃ海外かいがいからなかなか評価ひょうかされなかった。しかし、中間子ちゅうかんしによくおもさのしん粒子りゅうし(「ミュー粒子りゅうし」)が宇宙うちゅうから地球ちきゅうへとそそぐ「宇宙うちゅうせん」のなかからつかったとカール・デイヴィッド・アンダーソン発表はっぴょうしたことで、湯川ゆかわ中間子ちゅうかんしろん世界せかいてき注目ちゅうもくされるようになった[11][注釈ちゅうしゃく 1]

湯川ゆかわは1939ねんソルベー会議かいぎまねかれた。会議かいぎ自体じたいだい世界せかい大戦たいせん勃発ぼっぱつ中止ちゅうしされたものの、渡米とべいしてアインシュタインらと親交しんこうった[12]。こうした業績ぎょうせき評価ひょうかされ、1940ねん昭和しょうわ15ねん)に学士がくしいん恩賜おんししょう受賞じゅしょう、1943ねん昭和しょうわ18ねん)には最年少さいねんしょう文化ぶんか勲章くんしょう受章じゅしょうした。太平洋戦争たいへいようせんそう末期まっきの1945ねん6がつには、日本にっぽん海軍かいぐん中心ちゅうしんとする原爆げんばく開発かいはつプロジェクト(F研究けんきゅうわせに招請しょうせいされたが、開発かいはつ本格ほんかくするまえ日本にっぽん敗戦はいせんむかえた。広島ひろしまへの原子げんしばくだん投下とうかについて解説かいせつもとめる新聞しんぶんしゃ依頼いらい湯川ゆかわことわったが、戦後せんご日本にっぽん占領せんりょうしたアメリカぐんから事情じじょうかれている。こうした経緯けいいしるした日記にっきが2017ねん12月、京都きょうと大学だいがく湯川ゆかわ記念きねんかん史料しりょうしつにより公開こうかいされている[13]

1947ねん昭和しょうわ22ねん)にセシル・パウエルひとし実際じっさいπぱい中間子ちゅうかんし発見はっけんしたことで1949ねん昭和しょうわ24ねん11月3にちノーベル物理ぶつりがくしょう受賞じゅしょうした[14]。これはアジアじんとしては作家さっかタゴール物理ぶつり学者がくしゃチャンドラセカール・ラマンぐ3にん受賞じゅしょうしゃだったが、日本人にっぽんじんとしてはじめてのノーベルしょう受賞じゅしょうだった[14]。ニュースは敗戦はいせん占領せんりょう自信じしんうしなっていた日本にっぽん国民こくみんおおきなちからあたえた[14][注釈ちゅうしゃく 2]。なお、2000ねん湯川ゆかわのノーベルしょう選考せんこう関連かんれん文書ぶんしょ調査ちょうさした岡本おかもと拓司たくじは、推薦すいせんじょう大半たいはん外国がいこく推薦すいせんしゃからされていたてんなどをげ、「ノーベルしょう歴史れきしなかでもまれなほど、研究けんきゅう成果せいかとの関係かんけい明瞭めいりょうであるようにおもわれる」とべている[15]

戦後せんご局所きょくしょじょう理論りろん領域りょういき理論りろんなどを提唱ていしょうしたが、理論りろんてき成果せいかにはつながらなかった。一方いっぽうマレー・ゲルマンクォーク理論りろんについては「電荷でんか1/3とか2/3とか、そんな中途半端ちゅうとはんぱなものが存在そんざいするわけがない。」と否定ひていてきであった。

またその一方いっぽうで、反核はんかく運動うんどうにも積極せっきょくてきたずさわり、ラッセル=アインシュタイン宣言せんげんマックス・ボルンらととも共同きょうどう宣言せんげんしゃとして名前なまえつらねている。上記じょうきのように、戦中せんちゅうにはあら勝文かつふみさくひきいる京大きょうだいグループにおいて、日本にっぽん原爆げんばく開発かいはつ関与かんよしたことが確認かくにんされている。

後期こうき[編集へんしゅう]

つま・スミと(1954ねん

1956ねん昭和しょうわ31ねん原子力げんしりょく委員いいんちょう正力しょうりき松太郎まつたろう要請ようせい原子力げんしりょく委員いいんになる。正力しょうりき原子げんし外国がいこくから購入こうにゅうしてでも5ねんまでには実用じつようてき原子力げんしりょく発電はつでんしょ建設けんせつするという持論じろんたいして、湯川ゆかわ基礎きそ研究けんきゅう省略しょうりゃくして原発げんぱつ建設けんせついそぐことは将来しょうらい禍根かこんのこすことになると反発はんぱつ、1にち委員いいんめようとしたが、もり一久かずひさらになだめられとどまった。その正力しょうりきとの対立たいりつふかまり、結局けっきょく体調たいちょう不良ふりょう理由りゆうよく1957ねんには在任ざいにん1ねん3かげつ辞任じにんした。

1956ねん昭和しょうわ31ねん)1がつ宮中きゅうちゅう歌会うたかいはじめ召人としてのぞみ「はるあさやぶかげのみちおほかたは すきとほりつつえのこるゆき」をんだ。1970ねん昭和しょうわ45ねん)、京都きょうと大学だいがく退官たいかん京都きょうと大学だいがく名誉めいよ教授きょうじゅとなる。晩年ばんねんには生物せいぶつがくにも関心かんしんいだき、とく生命せいめい現象げんしょうにおける情報じょうほう役割やくわり関心かんしんいた。また、江戸えど時代じだい後期こうき思想家しそうか三浦みうら梅園ばいえんへの傾倒けいとうふかめた。揮毫きごうたのまれると、しばしば『そう』の「秋水しゅうすい」の最後さいご一句いっくから「ぎょらく」(さかならくシミヲル)としょした。

1966ねんにはノーベル平和へいわしょう候補者こうほしゃ推薦すいせんされていたことが、ノーベル財団ざいだん公表こうひょうした候補者こうほしゃリストにより判明はんめいしている[16]

京都きょうと大学だいがく退官たいかんの1975ねん昭和しょうわ50ねん)に前立腺ぜんりつせんがん発症はっしょうし、手術しゅじゅつける。手術しゅじゅつによりがん進行しんこうおさえたが、その自宅じたく療養りょうようつづけながら学術がくじゅつ活動かつどうおこなっていた。べい両国りょうこく緊張きんちょう激化げきかけ、だい4かい科学かがくしゃ京都きょうと会議かいぎ発起人ほっきにん一人ひとりとなって1981ねん昭和しょうわ56ねん)6がつ、15ねんぶりに開催かいさい実現じつげんする。このときすでに健康けんこう状態じょうたい悪化あっかしており、会議かいぎには車椅子くるまいす姿すがた出席しゅっせきしてかく廃絶はいぜつうったえた。3かげつ同年どうねん9がつ急性きゅうせい肺炎はいえんから心不全しんふぜん併発へいはつし、京都きょうと左京さきょう自宅じたく死去しきょする。74さいぼつ墓所はかしょ京都きょうと東山ひがしやまおんいんにある。邸宅ていたく没後ぼつご40ねんて2021ねん9がつ京大きょうだい寄付きふされた。大学だいがく整備せいび研究けんきゅうしゃ来客らいきゃくしゃけの施設しせつ活用かつよう公表こうひょうしている。

広島ひろしま平和公園へいわこうえんにある若葉わかばぞう台座だいざには、湯川ゆかわによる短歌たんか「まがつびよ ふたたびここにくるなかれ 平和へいわをいのるひとのみぞここは」[注釈ちゅうしゃく 3]きざまれている。

学術がくじゅつてき業績ぎょうせき[編集へんしゅう]

つよちから理論りろん中間子ちゅうかんし[編集へんしゅう]

湯川ゆかわ秀樹ひでき(1951ねん

4つのちから重力じゅうりょく電磁でんじりょくつよちからよわちから)(基本きほん相互そうご作用さよう)のうちのつよちからをどのように定式ていしきすればよいか、当時とうじ問題もんだいになり、いろいろなこころみがなされたが、成功せいこうしなかった。

湯川ゆかわは、電子でんしの200ばい質量しつりょう中間子ちゅうかんしを、ちから媒介ばいかい粒子りゅうし(ボーズ粒子りゅうし)と仮定かていして、かくりょくであるつよちからみちびくことに成功せいこうした。さらに、つよちからからフェルミのよわちからみちびいた。中間子ちゅうかんしろんは、よわちからつよちから両方りょうほうふく理論りろんとして、当時とうじもっと基本きほんてき理論りろんであるとみなされた。また、ちから粒子りゅうし媒介ばいかいすることをも明瞭めいりょうしめし、粒子りゅうしというかんがえを定着ていちゃくさせた。

ただし、電子でんしつよちからつたえるというかんがえをハイゼンベルク湯川ゆかわ以前いぜん提示ていじしている。しかし、電子でんし以前いぜんから存在そんざいられ、理論りろんとしても失敗しっぱいだったので、にな粒子りゅうしというかんがえは、確立かくりつされていなかった。ハイゼンベルクやボーアは、観察かんさつされていない素粒子そりゅうし説明せつめいする湯川ゆかわ否定ひていてきであった。ボーアは湯川ゆかわに、ハイゼンベルクは朝永あさながにこのことをげている。

以上いじょう理由りゆうで、湯川ゆかわの、つよちから中間子ちゅうかんしろん素粒子そりゅうしろんとびらひらいたと、当時とうじ評価ひょうかされた。湯川ゆかわは、つよちから中間子ちゅうかんしろんでノーベルしょうをもらったが、これにおどろき、自身じしんのこれ以後いご仕事しごとを、量子りょうしろんみずか見出みいだした問題もんだい解決かいけつちからそそいだ。しかし、この研究けんきゅう成功せいこうしなかった。

因果律いんがりつやぶれの提起ていき[編集へんしゅう]

ちょう時間じかんろん局所きょくしょじょう湯川ゆかわまる[編集へんしゅう]

ミンコフスキー空間くうかんじょうでの閉曲めんでのかくりつ振幅しんぷく定義ていぎすると、因果律いんがりつれると問題もんだい湯川ゆかわ提起ていきし、この問題もんだい生涯しょうがいをかけた(この問題もんだい湯川ゆかわまる○とう。湯川ゆかわがこの問題もんだい提起ていき、ディラックもおな問題もんだい提起ていきしている)[注釈ちゅうしゃく 4]

朝永あさなが寄与きよはあったが、この問題もんだいはいまだに解決かいけつされていないとちょう対称たいしょうせい世界せかい最初さいしょ提起ていきした宮沢みやざわひろしなり主張しゅちょうしている。物理ぶつりがく湯川ゆかわ基本きほん問題もんだい回避かいひして、現象げんしょうろんはしったと。

湯川ゆかわ以前いぜん一定いってい時間じかんかくりつ振幅しんぷく定義ていぎされていた[17]

師匠ししょう弟子でし同僚どうりょうおよび関係かんけいしゃ[編集へんしゅう]

京都大学きょうとだいがく基礎きそ物理ぶつりがく研究所けんきゅうじょ湯川ゆかわ記念きねんかんまえにある湯川ゆかわ胸像きょうぞう
ここでは国内こくないでの著名ちょめい人物じんぶつげる。
  • おかきよし変数へんすう複素ふくそ関数かんすうろん建設けんせつしゃで、けんろんもとになる概念がいねんしめす。湯川ゆかわ朝永あさなが授業じゅぎょうき、非常ひじょう刺激しげきてきだったとべる。難問なんもん条件じょうけんけず、一気いっきかねばけないと主張しゅちょう
素粒子そりゅうし物理ぶつりがく
  • 朝永あさなが振一郎しんいちろう同期どうきたがいに刺激しげきけ、研究けんきゅうめんでも密接みっせつ関係かんけいがあり、ライバル。業績ぎょうせきは、ちょう時間じかんろんみなど多岐たきにわたる。つよちから中間子ちゅうかんし)の現象げんしょうろんてきしき湯川ゆかわべる。
  • 小林こばやしみのる湯川ゆかわ秀樹ひでき博士はかせ中間子ちゅうかんしろん建設けんせつ協力きょうりょくする。湯川ゆかわ記念きねんかん基礎きそ物理ぶつりがく研究所けんきゅうじょ設立せつりつ英文えいぶん論文ろんぶん Progress of Theoretical Physics 創刊そうかん尽力じんりょく
  • 坂田さかた昌一しょういち:2中間子ちゅうかんしろん無限むげん発散はっさんふせぐC中間子ちゅうかんし坂田さかたモデル(クォーク原型げんけい)、2ニュートリノ。
  • 谷川たにがわ安孝やすたか:2中間子ちゅうかんしろん原案げんあん提唱ていしょう
  • 武谷たけや三男みつお:3段階だんかいろんで、方法ほうほうろん活発かっぱつろんじる。南部なんぶ陽一郎よういちろう武谷たけや方法ほうほうろん影響えいきょうされ、データからモデルをつくるという方法ほうほうるようになるなど、おおくの影響えいきょうあたえた。
  • 内山うちやま龍雄たつおゲージ理論りろん先駆せんくしゃ一人ひとり
湯川ゆかわ因果律いんがりつやぶれの重要じゅうようせい主張しゅちょうする学者がくしゃ
生物せいぶつ物理ぶつり宇宙うちゅう物理ぶつり

孫弟子まごでしには、現在げんざい活躍かつやくするすうおおくの理論りろん物理ぶつり物性ぶっせい物理ぶつり宇宙うちゅう物理ぶつり天文てんもん数理すうり生物せいぶつ学者がくしゃふくまれている。

家族かぞく親族しんぞく[編集へんしゅう]

湯川ゆかわ秀樹ひでき歌碑かひ京都きょうと上京かみぎょう梨木なしき神社じんじゃうち鳥居とりいかたわらにっている)

年譜ねんぷ[編集へんしゅう]

学術がくじゅつてき表彰ひょうしょう[編集へんしゅう]

栄誉えいよ[編集へんしゅう]

距離きょり単位たんい[編集へんしゅう]

  • 湯川ゆかわ業績ぎょうせきちなみ、かくりょく到達とうたつ距離きょり目安めやすとなる 1fm = 10−15m を、1 yukawa とあん提案ていあんされたが普及ふきゅうにはいたらなかった。フェムトメートル参照さんしょう

おも著書ちょしょ[編集へんしゅう]

たんちょ[編集へんしゅう]

物理ぶつり
  • β線べーたせん放射能ほうしゃのう理論りろん岩波書店いわなみしょてん科学かがく文献ぶんけんしょう だい7〉、1936ねん 
  • 量子力学りょうしりきがく序説じょせつ弘文こうぶんどう書房しょぼう、1947ねん 
  • 素粒子そりゅうしろん序説じょせつ上巻じょうかん岩波書店いわなみしょてん、1948ねん 
  • 物理ぶつり講義こうぎはらおさむへん講談社こうだんしゃ、1975ねん 
    • 物理ぶつり講義こうぎ講談社こうだんしゃ学術がくじゅつ文庫ぶんこ、1977ねん10がつISBN 978-4-06-158195-1https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000149813 
  • 江沢えざわひろし へん理論りろん物理ぶつりがくかたる』日本にっぽん評論ひょうろんしゃ、1997ねん9がつISBN 4-535-78252-0 
  • 湯川ゆかわ秀樹ひでき 物理ぶつり講義こうぎ」を小沼おぬまどおり監修かんしゅう講談社こうだんしゃ、2007ねん1がつISBN 978-4-06-154293-8https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000148572 
  • 局所きょくしょじょう理論りろん井上いのうえけんわけ解説かいせつ毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ、1952ねん 
物理ぶつり思想しそう
  • 最近さいきん物質ぶっしつかん弘文こうぶんどう教養きょうよう文庫ぶんこ だい18〉、1939ねん 
    • 最近さいきん物質ぶっしつかん講談社こうだんしゃ学術がくじゅつ文庫ぶんこ、1977ねん2がつ 
  • 存在そんざい理法りほう岩波書店いわなみしょてん、1943ねん 
  • えないもの』きのえぶんしゃ、1946ねん 
  • 理論りろん物理ぶつりがく講話こうわ朝日新聞あさひしんぶん大阪おおさか本社ほんしゃ、1946ねん 
  • 自然しぜん理性りせい秋田あきたしん学芸がくげい叢書そうしょ だい2〉、1947ねん 
  • 思考しこう観測かんそく』アカデメイア・プレス、1948ねん 
  • 思考しこう観測かんそく』リスナーしゃ、1949ねん 
  • 物質ぶっしつかん世界せかいかん弘文こうぶんどう、1948ねん 
  • 極微きょくび世界せかい岩波書店いわなみしょてん、1950ねん 
創造そうぞうろん
  • 創造そうぞうてき人間にんげん筑摩書房ちくましょぼう筑摩ちくま叢書そうしょ〉、1966ねん 
    • 創造そうぞうてき人間にんげんKADOKAWA角川かどかわソフィア文庫ぶんこ〉、2017ねん2がつISBN 4-04-400144-8 
  • 創造そうぞうへの飛躍ひやく講談社こうだんしゃ思想しそうとの対話たいわ 9〉、1968ねん 
  • わたし創造そうぞうろん 同定どうてい結合けつごう小学しょうがくかん小学館しょうがくかん創造そうぞう選書せんしょ 41〉、1981ねん12月。 
自伝じでん
  • 物理ぶつりがくこころざして』ようとくしゃ、1944ねん 
  • 旅人たびびと ある物理ぶつり学者がくしゃ回想かいそう朝日新聞社あさひしんぶんしゃ、1958ねん 
    • 旅人たびびと ある物理ぶつり学者がくしゃ回想かいそう角川書店かどかわしょてん角川かどかわ文庫ぶんこ〉、1960ねん 
    • 旅人たびびと ある物理ぶつり学者がくしゃ回想かいそう角川かどかわ学芸がくげい出版しゅっぱん角川かどかわソフィア文庫ぶんこ〉、2011ねん1がつISBN 978-4-04-123801-1 
    • 旅人たびびと ある物理ぶつり学者がくしゃ回想かいそう講談社こうだんしゃ、1966ねん 
    • 旅人たびびと ある物理ぶつり学者がくしゃ回想かいそうじょうした埼玉さいたま福祉ふくしかいだい活字かつじほんシリーズ〉、1989ねん4がつ 
    • 湯川ゆかわ秀樹ひでき 旅人たびびと ある物理ぶつり学者がくしゃ回想かいそう日本にっぽん図書としょセンター〈人間にんげん記録きろく 33〉、1997ねん6がつISBN 4-8205-4274-5 
  • 小沼おぬまどおり へん湯川ゆかわ秀樹ひでき日記にっき 昭和しょうわきゅうねん中間子ちゅうかんしろんへのみち朝日新聞社あさひしんぶんしゃ朝日あさひ選書せんしょ 836〉、2007ねん12月。ISBN 978-4-02-259936-0 
  • 小沼おぬまどおり へん湯川ゆかわ秀樹ひでき日記にっき1945 京都きょうとしるした戦中せんちゅう戦後せんご京都きょうと新聞しんぶん出版しゅっぱんセンター、2020ねん9がつISBN 978-4-7638-0734-2 
内的ないてき世界せかい
  • 自己じこ発見はっけん毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ現代げんだい日本にっぽんのエッセイ〉、1972ねん 
    • 自己じこ発見はっけん講談社こうだんしゃ講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ〉、1979ねん8がつ 
  • 湯川ゆかわ秀樹ひできじゅつ)『天才てんさい世界せかい市川いちかわひさし久弥ひさや・ききやく小学しょうがくかん〈100まんにん創造そうぞう選書せんしょ 6〉、1973ねん 
    • 天才てんさい世界せかい小学館しょうがくかん、1982ねん10がつ 
    • 天才てんさい世界せかい三笠みかさ書房しょぼう知的ちてききかた文庫ぶんこ〉、1985ねん9がつISBN 4-8379-0067-4 
    • 湯川ゆかわ秀樹ひできじゅつ)『天才てんさい世界せかい市川いちかわひさし久彌ひさや・ききやく光文社こうぶんしゃ光文社こうぶんしゃ知恵ちえもり文庫ぶんこ〉、2008ねん12月。ISBN 978-4-334-78520-8 
  • 湯川ゆかわ秀樹ひできじゅつ)『天才てんさい世界せかい つづけ市川いちかわひさし久弥ひさやきやく小学しょうがくかん〈100まんにん創造そうぞう選書せんしょ 13〉、1975ねん 
    • 天才てんさい世界せかい つづけ三笠みかさ書房しょぼう知的ちてききかた文庫ぶんこ〉、1985ねん12月。ISBN 4-8379-0081-X 
  • 湯川ゆかわ秀樹ひできじゅつ)『天才てんさい世界せかい 続々ぞくぞく市川いちかわひさし久弥ひさやきやく小学しょうがくかん小学館しょうがくかん創造そうぞう選書せんしょ 28〉、1979ねん8がつ 
    • 天才てんさい世界せかい 続々ぞくぞく三笠みかさ書房しょぼう知的ちてききかた文庫ぶんこ〉、1986ねん6がつISBN 4-8379-0111-5 
  • 科学かがくしゃのこころ』朝日新聞社あさひしんぶんしゃ朝日あさひ選書せんしょ 89〉、1977ねん6がつ 
    • 科学かがくしゃのこころ』(オンデマンドばん朝日新聞社あさひしんぶんしゃ朝日あさひ選書せんしょ 89〉、2003ねん6がつISBN 4-925219-52-9 
  • 外的がいてき世界せかい内的ないてき世界せかい岩波書店いわなみしょてん、1976ねん12月。ISBN 4-00-000284-8https://www.iwanami.co.jp/book/b264377.html 
エッセイ
  • 原子げんし人間にんげんきのえぶんしゃ、1948ねん 
  • 科学かがく人間にんげんせい国立こくりつ書院しょいん、1948ねん 
  • 『しばしのこう読売新聞社よみうりしんぶんしゃ読売よみうり新書しんしょ〉、1954ねん 
  • 現代げんだい科学かがく人間にんげん岩波書店いわなみしょてん、1961ねん 
  • ほんなか世界せかい岩波書店いわなみしょてん岩波いわなみ新書しんしょ〉、1963ねんISBN 4-00-415090-6https://www.iwanami.co.jp/book/b267408.html 
  • こころゆたかに 随想ずいそうしゅう筑摩書房ちくましょぼう、1969ねん 
    • こころゆたかに』筑摩書房ちくましょぼう筑摩ちくま叢書そうしょ〉、1976ねん 
  • 学問がくもん人生じんせい富山とやまけん教育きょういく委員いいんかい精神せいしん開発かいはつ叢書そうしょ 13〉、1971ねん 
  • 宇宙うちゅう人間にんげん ななつのなぞ』前田まえだつねさく筑摩書房ちくましょぼう〈ちくま少年しょうねん図書館としょかん 23 科学かがくほん〉、1974ねん 
    • 宇宙うちゅう人間にんげんななつのなぞ』河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ河出かわで文庫ぶんこ〉、2014ねん 
  • 『この地球ちきゅううまれあわせて』講談社こうだんしゃ講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ〉、1975ねん 
  • 科学かがくきる 湯川ゆかわ秀樹ひできエッセイしゅう池内いけうちりょうへん河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ河出かわで文庫ぶんこ〉、2015ねん 
  • 湯川ゆかわ秀樹ひでき文集ぶんしゅう講談社こうだんしゃ文芸ぶんげい文庫ぶんこ細川ほそかわ光洋みつひろえらべ文芸ぶんげい随筆ずいひつ+歌集かしゅう深山ふかやま」を収録しゅうろく)、2016ねん10がつhttps://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000211286 
  • 湯川ゆかわ秀樹ひでき 科学かがく平凡社へいぼんしゃ〈STANDARD BOOKS〉、2017ねん2がつISBN 4-582-53159-8 
  • 科学かがくしゃ創造そうぞうせい雑誌ざっし自然しぜん』より』中公ちゅうこう文庫ぶんこ(オリジナルばん随筆ずいひつ講演こうえんしゅう)、2021ねん10がつ 

選集せんしゅう著作ちょさくしゅう[編集へんしゅう]

  • 湯川ゆかわ秀樹ひでき選集せんしゅう だい1かんきのえとり書林しょりん、1955ねん 
  • 湯川ゆかわ秀樹ひでき選集せんしゅう だい2かんきのえとり書林しょりん、1955ねん 
  • 湯川ゆかわ秀樹ひでき選集せんしゅう だい3かんきのえとり書林しょりん、1955ねん 
  • 湯川ゆかわ秀樹ひでき選集せんしゅう だい4かんきのえとり書林しょりん、1955ねん 
  • 湯川ゆかわ秀樹ひでき選集せんしゅう だい5かんきのえとり書林しょりん、1956ねん 
  • 湯川ゆかわ秀樹ひでき自選じせんしゅう1』朝日新聞社あさひしんぶんしゃ、1971ねん 
  • 湯川ゆかわ秀樹ひでき自選じせんしゅう2』朝日新聞社あさひしんぶんしゃ、1971ねん 
  • 湯川ゆかわ秀樹ひでき自選じせんしゅう3』朝日新聞社あさひしんぶんしゃ、1971ねん 
  • 湯川ゆかわ秀樹ひでき自選じせんしゅう4』朝日新聞社あさひしんぶんしゃ、1971ねん 
  • 湯川ゆかわ秀樹ひでき自選じせんしゅう5』朝日新聞社あさひしんぶんしゃ、1971ねん 
  • 佐藤さとう文隆ふみたか へん湯川ゆかわ秀樹ひでき著作ちょさくしゅう 1 学問がくもんについて』岩波書店いわなみしょてん、1989ねん5がつISBN 4-00-091421-9 
  • 位田いでん正邦まさくに へん湯川ゆかわ秀樹ひでき著作ちょさくしゅう 2 素粒子そりゅうし探究たんきゅう岩波書店いわなみしょてん、1989ねん6がつISBN 4-00-091422-7 
  • 田中たなかただし へん湯川ゆかわ秀樹ひでき著作ちょさくしゅう 3 物質ぶっしつ時空じくう岩波書店いわなみしょてん、1989ねん8がつISBN 4-00-091423-5 
  • まき二郎じろう へん湯川ゆかわ秀樹ひでき著作ちょさくしゅう 4 科学かがく文明ぶんめい創造そうぞうせい岩波書店いわなみしょてん、1989ねん9がつISBN 4-00-091424-3 
  • 豊田とよだ利幸としゆき へん湯川ゆかわ秀樹ひでき著作ちょさくしゅう 5 平和へいわへの希求ききゅう岩波書店いわなみしょてん、1989ねん7がつISBN 4-00-091425-1 
  • 小川おがわ環樹たまき へん湯川ゆかわ秀樹ひでき著作ちょさくしゅう 6 読書どくしょ思索しさく岩波書店いわなみしょてん、1989ねん4がつISBN 4-00-091426-X 
  • 加藤かとう周一しゅういち へん湯川ゆかわ秀樹ひでき著作ちょさくしゅう 7 回想かいそう和歌わか岩波書店いわなみしょてん、1989ねん10がつISBN 4-00-091427-8 
  • 位田いでん正邦まさくに へん湯川ゆかわ秀樹ひでき著作ちょさくしゅう 8 学術がくじゅつへんI』岩波書店いわなみしょてん、1989ねん11月。ISBN 4-00-091428-6 
  • 田中たなかただし へん湯川ゆかわ秀樹ひでき著作ちょさくしゅう 9 学術がくじゅつへんII』岩波書店いわなみしょてん、1989ねん12月。ISBN 4-00-091429-4 
  • 谷川たにがわ安孝やすたか河辺かわべ六男むつお へん湯川ゆかわ秀樹ひでき著作ちょさくしゅう 10 欧文おうぶん学術がくじゅつ論文ろんぶん岩波書店いわなみしょてん、1990ねん2がつISBN 4-00-091430-8 
  • 渡辺わたなべとし へん湯川ゆかわ秀樹ひでき著作ちょさくしゅう 別巻べっかん 対談たいだん年譜ねんぷ岩波書店いわなみしょてん、1990ねん1がつISBN 4-00-091431-6 

共著きょうちょ編著へんちょ共編きょうへんちょ[編集へんしゅう]

  • 菊池きくちただし共著きょうちょ原子核げんしかくおよ元素げんそ人工じんこう転換てんかんじょう下巻げかん岩波書店いわなみしょてん、1938-1940。 
  • 対話たいわ 人間にんげん進歩しんぽについて』小林こばやし秀雄ひでお新潮社しんちょうしゃ(のち全集ぜんしゅう収録しゅうろく)、1948ねん 
  • 科学かがく文学ぶんがく 対談たいだん潁原退蔵たいぞう白井しらい書房しょぼう人間にんげん美学びがく叢書そうしょ〉、1949ねん 
  • 小林こばやしみのるども へん原子核げんしかくろん共立きょうりつ出版しゅっぱん近代きんだい物理ぶつりがく全書ぜんしょ だい9かん / 湯川ゆかわ秀樹ひできとうへん〉、1949ねん 
  • 井上いのうえけん、など『物理ぶつりがく方向ほうこうさんいち書房しょぼう、1949ねん 
  • ぞく 理論りろん物理ぶつりがく講話こうわ鈴木すずきひろし共著きょうちょ朝日新聞社あさひしんぶんしゃ、1949ねん 
  • 素粒子そりゅうしろん小林こばやしみのる共編きょうへん共立きょうりつ出版しゅっぱん近代きんだい物理ぶつりがく全書ぜんしょ〉、1951ねん 
  • 真理しんりちて』坂田さかた昌一しょういち武谷たけや三男みつお共著きょうちょ毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ、1951ねん 
    • 素粒子そりゅうし探求たんきゅう 真理しんりちて』勁草書房しょぼう科学かがくろん技術ぎじゅつろん双書そうしょ 6〉、1965ねん 
  • 宇宙うちゅうせんおよ中間子ちゅうかんしろん小林こばやしみのる井上いのうえけん共編きょうへん共立きょうりつ出版しゅっぱん近代きんだい物理ぶつりがく全書ぜんしょ〉、1955ねん 
  • 物理ぶつりがく通論つうろん上巻じょうかん田村たむら松平まつへい共著きょうちょ大明だいめいどう、1955ねん 
  • 京都きょうと わがおさなの…』井島いしまつとむ川端かわばた弥之助やのすけ共著きょうちょ中外ちゅうがい書房しょぼう、1960ねん 
  • 素粒子そりゅうし片山かたやま泰久やすひさ福留ふくとめ秀雄ひでお共著きょうちょ岩波書店いわなみしょてん岩波いわなみ新書しんしょ〉、1961ねん 
  • 物理ぶつりがく通論つうろんちゅうまき田村たむら松平まつへい共著きょうちょ大明だいめいどう、1961ねん 
  • 物理ぶつりがく通論つうろん下巻げかん田村たむら松平まつへい共著きょうちょ大明だいめいどう、1962ねん 
  • 朝永あさなが振一郎しんいちろう坂田さかた昌一しょういちども へん平和へいわ時代じだい創造そうぞうするために 科学かがくしゃうったえる』岩波書店いわなみしょてん岩波いわなみ新書しんしょ〉、1963ねん 
  • 物理ぶつり世界せかい片山かたやま泰久やすひさ山田やまだ英二えいじ共著きょうちょ講談社こうだんしゃ講談社こうだんしゃ現代新書げんだいしんしょ〉、1964ねんISBN 978-4-06-115407-0http://shop.kodansha.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=1154079 
  • あたらしい世界せかい伝記でんき』 7かん湯川ゆかわ秀樹ひでき監修かんしゅう市川いちかわ禎男よしおなど学習研究社がくしゅうけんきゅうしゃ、1965ねん 
  • 板倉いたくらきよしせんなど へん少年しょうねん少女しょうじょ科学かがく名著めいちょ全集ぜんしゅう』 19かん国土こくどしゃ、1965ねん 
  • 梅原うめはらたけし桑原くわばら武夫たけお末川すえかわはく現代げんだい対話たいわ雄渾ゆうこんしゃ、1966ねん 
  • 人間にんげんにとって科学かがくとはなにか』梅棹うめさお忠夫ただお中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ中公新書ちゅうこうしんしょ〉、1967ねん 
    • 人間にんげんにとって科学かがくとはなにか』梅棹うめさお忠夫ただお中央公論ちゅうおうこうろんしんしゃ中公ちゅうこうクラシックス〉、2012ねん 
  • きがいの創造そうぞう 創造そうぞうへの対話たいわ市川いちかわひさし久弥ひさや雄渾ゆうこんしゃ、1967ねん 
  • 谷川たにがわ安孝やすたかなど へん『つきあい 湯川ゆかわ博士はかせ還暦かんれき記念きねん文集ぶんしゅう講談社こうだんしゃ、1968ねん 
  • 日本にっぽん文化ぶんか創造そうぞう 日本人にっぽんじんとはなにか』上田うえだただしあきら雄渾ゆうこんしゃ、1968ねん 
  • 朝永あさなが振一郎しんいちろう坂田さかた昌一しょういちども へんかく時代じだいえる 平和へいわ創造そうぞうをめざして』岩波書店いわなみしょてん岩波いわなみ新書しんしょ〉、1968ねん 
    • かく時代じだいえる 平和へいわ創造そうぞうをめざして』岩波書店いわなみしょてん岩波いわなみ新書しんしょ〉、1995ねん6がつISBN 4-00-411106-4 
  • 谷川たにがわ徹三てつぞう対談たいだん 宇宙うちゅうしん世界せかい読売新聞社よみうりしんぶんしゃ読売よみうり選書せんしょ〉、1969ねん 
  • 湯川ゆかわ秀樹ひでき へん学問がくもん世界せかい 対談たいだんしゅう岩波書店いわなみしょてん、1970ねん 
  • 毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ へん現代げんだい学問がくもんろん坂田さかた昌一しょういち武谷たけや三男みつお共著きょうちょ、勁草書房しょぼう、1970ねん 
  • 物理ぶつり世界せかい 数理すうり世界せかい北川きたがわ敏男としお対談たいだん中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ中公新書ちゅうこうしんしょ 250〉、1971ねんISBN 4-12-100250-4 
  • 湯川ゆかわ秀樹ひでき へん半日はんにち閑談かんだんしゅう講談社こうだんしゃ、1971ねん 
    • 半日はんにち閑談かんだんしゅう 湯川ゆかわ秀樹ひでき対談たいだんしゅう1』講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ、1980ねん12月。 
  • 人間にんげんさい発見はっけん市川いちかわひさし久弥ひさや梅原うめはらたけし鼎談ていだん角川書店かどかわしょてん角川かどかわ選書せんしょ〉、1971ねん 
  • 物理ぶつり学者がくしゃぐんぞう 対談たいだん朝永あさなが振一郎しんいちろう仁科にしな記念きねん財団ざいだん、1972ねん 
  • 湯川ゆかわ秀樹ひでき責任せきにん編集へんしゅう平和へいわ思想しそう末川すえかわはくそう編集へんしゅう雄渾ゆうこんしゃ戦争せんそう平和へいわシリーズ 6〉、1973ねん 
  • 湯川ゆかわ秀樹ひでき へん科学かがく人間にんげんのゆくえ ぞく半日はんにち閑談かんだんしゅう講談社こうだんしゃ、1973ねん 
    • 科学かがく人間にんげんのゆくえ 湯川ゆかわ秀樹ひでき対談たいだんしゅう2』講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ、1981ねん1がつ 
  • シュレーディンガー『シュレーディンガー選集せんしゅう1』湯川ゆかわ秀樹ひでき監修かんしゅう共立きょうりつ出版しゅっぱん、1974ねん 
  • シュレーディンガー『シュレーディンガー選集せんしゅう2』湯川ゆかわ秀樹ひでき監修かんしゅう共立きょうりつ出版しゅっぱん、1974ねん 
  • 人間にんげん発見はっけん 湯川ゆかわ秀樹ひでき対談たいだんしゅう講談社こうだんしゃ、1976ねん 
    • 人間にんげん発見はっけん 湯川ゆかわ秀樹ひでき対談たいだんしゅう3』講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ、1981ねん2がつ 
  • 朝永あさなが振一郎しんいちろう豊田とよだ利幸としゆきども へん核軍縮かくぐんしゅくへのあたらしい構想こうそう岩波書店いわなみしょてん、1977ねん8がつ 
  • 戸田とだもりかず しる久保くぼあきら へん統計とうけい物理ぶつりがく湯川ゆかわ秀樹ひでき監修かんしゅう岩波書店いわなみしょてん岩波いわなみ講座こうざ現代げんだい物理ぶつりがく基礎きそ 5〉、1978ねん4がつISBN 4-00-010085-8 
  • 寺田てらだ寅彦とらひこ中谷なかたに宇吉郎うきちろう湯川ゆかわ秀樹ひでき田園でんえん雑感ざっかん 立春りっしゅんたまご ・ある航海こうかい 向学こうがくしゃ向学こうがくしゃ現代げんだい教養きょうよう選書せんしょ 9・随筆ずいひつ Ⅱ〉、1984ねん10がつISBN 4-7952-6659-X 

論文ろんぶん[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 1936ねん、アンダーソンとその指導しどう学生がくせいであるセス・ネッダーマイヤーは、電子でんしの207ばい質量しつりょうち、電子でんしおなまけ電荷でんかとスピン1/2を素粒子そりゅうし(ミュー粒子りゅうし)を発見はっけんしたが、これは当初とうしょ湯川ゆかわが「つよ相互そうご作用さよう理論りろん」で提唱ていしょうした中間子ちゅうかんし検出けんしゅつされたものだとかんがえられ、「ミュー中間子ちゅうかんし」としょうされた。これは、湯川ゆかわ提唱ていしょうするしん粒子りゅうしとはことなる粒子りゅうしであった[11]
  2. ^ 物理ぶつり学者がくしゃ佐藤さとう勝彦かつひこは、ども時代じだいをふりかえり、欧米おうべい科学かがくしゃがめぐまれた環境かんきょうのなかで研究けんきゅうしているのにたいし、日本にっぽんというまずしいくににあって、かみ鉛筆えんぴつとみずからの頭脳ずのうのみでしん粒子りゅうしをいいあてた湯川ゆかわはヒーローであり、あこがれの存在そんざいだったとべている[14]
  3. ^ 「まがつび」とは「わざわい」すなわち原子げんしばくだんのことである。
  4. ^ 湯川ゆかわ因果律いんがりつ問題もんだい空間くうかんてきなものに制限せいげん因果律いんがりつ回避かいひし、湯川ゆかわかんがえをかしたのが朝永あさなが振一郎しんいちろうちょう時間じかん理論りろんである。これにより量子りょうしろんは、相対そうたいろんてききょうへんかたちえられた。湯川ゆかわは、この問題もんだい局所きょくしょじょうとしてあつかったが、成功せいこうしたとはいいがたい。
  5. ^ 湯川ゆかわ春洋はるみ回想かいそうに『湯川ゆかわきたはは』(編著へんちょ、どりむしゃ、2008ねん)がある。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ 湯川ゆかわ秀樹ひでき』 - コトバンク
  2. ^ a b 旅人たびびと ある物理ぶつり学者がくしゃ回想かいそう』、p.10
  3. ^ 旅人たびびと ある物理ぶつり学者がくしゃ回想かいそう』、p.44
  4. ^ 旅人たびびと ある物理ぶつり学者がくしゃ回想かいそう』、p.49
  5. ^ 旅人たびびと ある物理ぶつり学者がくしゃ回想かいそう』、p.92
  6. ^ a b 本田ほんだやすしはる現代げんだい家系かけいろん』p.104(文藝春秋ぶんげいしゅんじゅうしゃ、1973ねん
  7. ^ 本田ほんだやすしはる現代げんだい家系かけいろん』p.102(文藝春秋ぶんげいしゅんじゅうしゃ、1973ねん
  8. ^ 旅人たびびと ある物理ぶつり学者がくしゃ回想かいそう』、p.87
  9. ^ 旅人たびびと ある物理ぶつり学者がくしゃ回想かいそう』、p.88
  10. ^ てきじゅく」No.15(1982)『湯川ゆかわ博士はかせ大阪大学おおさかだいがく
  11. ^ a b c d 佐藤さとう(2020)pp.34-37
  12. ^ 湯川ゆかわ秀樹ひでき博士はかせについて 兵庫ひょうごけん西宮にしのみや湯川ゆかわ記念きねん事業じぎょう(2017ねん12月22にち閲覧えつらん[リンク]
  13. ^ 湯川ゆかわ秀樹ひでき原爆げんばく研究けんきゅうしるす/終戦しゅうせん前後ぜんこう日記にっき公開こうかい戦後せんご平和へいわ運動うんどう あゆ記録きろくにも日本経済新聞にほんけいざいしんぶん夕刊ゆうかん2017ねん12月22にち
  14. ^ a b c d 佐藤さとう(2020)pp.37-38
  15. ^ 岡本おかもと拓司たくじ日本人にっぽんじんとノーベル物理ぶつりがくしょう : 1901ねん-1949ねん」『日本にっぽん物理ぶつり学会がっかい』 2000ねん 55かん 7ごう p.525-530, doi:10.11316/butsuri1946.55.525
  16. ^ Nomination Database - ノーベルしょう公式こうしきサイト
  17. ^ はらおさむ、「局所きょくしょじょう理論りろん日本にっぽん物理ぶつり學會がっかい 1982ねん 37かん 4ごう p.275-277, doi:10.11316/butsuri1946.37.275
  18. ^ 世界せかい文學ぶんがく』1947ねん4がつごう、p.60
  19. ^ Hideki YUKAWA (1935). “On the Interaction of Elementary Particles. I”. Nippon Sugaku-Buturigakkwai Kizi Dai 3 Ki (日本にっぽん物理ぶつり学会がっかい日本にっぽんすう学会がっかい) 17: 48-57. doi:10.11429/ppmsj1919.17.0_48. https://doi.org/10.11429/ppmsj1919.17.0_48.  ノーベルしょう受賞じゅしょう論文ろんぶん
  20. ^ 国立こくりつ国会こっかい図書館としょかん. “博士はかせ論文ろんぶん『On the interaction of elementary particles』”. 2023ねん4がつ1にち閲覧えつらん
  21. ^ 京都きょうと名誉めいよ市民しみん 湯川ゆかわ秀樹ひでき”. 京都きょうと. 2022ねん9がつ6にち閲覧えつらん
  22. ^ "Yukawa; Hideki (1907 - 1981)". Record (英語えいご). The Royal Society. 2012ねん10がつ8にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん [編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]

先代せんだい
小谷おたに正雄まさお
日本にっぽん物理ぶつり学会がっかい会長かいちょう
だい11だい:1955ねん - 1956ねん
次代じだい
有山ありやまけんこう