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Han Shu : 志 : 禮樂志 - Chinese Text Project
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禮樂れいがくこころざし

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1 禮樂れいがくこころざし:
六經りくけいみちどう,而禮らくもちいためきゅうしゃ斯須忘禮,のり暴嫚いれ矣;為國ためくにしゃ一朝いっちょう失禮しつれいのりあららん及之矣。ひとはこ天地てんち陰陽いんようゆう喜怒哀樂きどあいらくじょう天稟てんぴん其性而不能ふのう節也せつや聖人せいじんのう為之ためゆきぶし不能ふのうぜっ也,ぞう天地てんち而制禮樂れいがく所以ゆえんどおり神明しんめいたて人倫じんりんせいじょうせいせつ萬事ばんじしゃ也。

2 禮樂れいがくこころざし:
人性じんせいゆう男女だんじょじょう,妒忌べつためせい婚姻こんいんれいゆう交接こうせつ長幼ちょうようじょためせいきょういんれいゆうあいおもえとおこれじょうためせいさいれいゆうみこと尊敬そんけいじょうしんためせいあさ覲之れいあいゆう哭踊ふしらくゆう歌舞かぶようせい人足ひとあし以副其誠,よこしま人足ひとあし以防其失。婚姻こんいんれいはいのり夫婦ふうふみち,而淫辟之ざいきょういんれいはいのり長幼ちょうようじょみだれ,而爭鬥之ごくしげるさいれいはいのり骨肉こつにくおんうす,而背忘先しゃ眾;あさ聘之れいはいのり君臣くんしんくらいしつ,而侵りょうややおこり孔子こうし曰:「安上あんじょうみん,莫殒於禮;うつりふうえきぞく,莫殒於樂。」禮節れいせつ民心みんしんらく和民かずたみごえせい以行けい以防禮樂れいがくせいけい四達而不誖,のり王道おうどう備矣。

3 禮樂れいがくこころざし:
らく以治內而ためどうれい以修がい而為どうのり和親わしんのり畏敬いけい和親わしんそく怨,畏敬いけいそくそう。揖讓而天治者ちしゃ禮樂れいがくいい也。しゃ並行へいこうごうため一體いったい畏敬いけいなんのりちょ於享獻辭けんじ受,登降とうこう跪拜きはい和親わしんせつなんがたのりはつ於詩えいげんかねせき筦弦。ぶたよしみ敬意けいい而不及其ざいまかなえよし其歡こころ而不りゅう其聲おん孔子こうし曰:「

4 禮樂れいがくこころざし:
れいうんれいうんたま帛云乎哉?らくうんらくうん鐘鼓しょうこうん乎哉?」此禮らくほん也。曰:「禮樂れいがくじょうしゃのうさく,識禮らく文者もんじゃのうじゅつ作者さくしゃいいきよしじゅつしゃいいあかりあかり聖者せいじゃ述作じゅっさくいい也。」

5 禮樂れいがくこころざし:
王者おうじゃ必因ぜんおうれいじゅんほどこせよろしゆうしょ損益そんえきそくみんしんやややや制作せいさくいたり太平たいへい而大備。しゅうかんだい禮文れぶんゆうこと為之ためゆきせいきょく為之ためゆきぼうしょうれいけいさんひゃく威儀いぎさんせん。於是教化きょうか浹洽,みんよう和睦わぼく災害さいがいせいわざわいらん不作ふさく囹圄れいご空虛くうきょよんじゅうねん孔子こうし美之みゆき曰:「郁郁いくいく乎文哉!われしたがえしゅう。」及其おとろえ也,諸侯しょこう踰越法度はっとあくれいせいがいおのれ其篇せき。遭秦めつがくとげ以亂ほろび

6 禮樂れいがくこころざし:
かんきょうばちらんはんせいにちひまきゅうなおいのち叔孫どおりせい禮儀れいぎ,以正君臣くんしんくらい高祖こうそせつ而歎曰:「われ乃今ため天子てんし也!」以通ためたてまつつねとげていほうつき備而どおりおわり

7 禮樂れいがくこころざし:
至文しぶんみかど,賈誼以為「かんうけたまわはたこれはいぞくはいれいよし,捐廉はじこん其甚しゃころせ父兄ふけいとうしゃびょう,而大臣だいじんとく以簿しょほうかいためいたり於風俗流ぞくりゅう溢,恬而かい,以為てきしかみみおっとうつりふうえきぞく使つかい天下でんか回心かいしん而鄉どうるい俗吏ぞくりこれしょのうため也。おっとりつ君臣くんしんとう上下じょうげ使つかい綱紀こうきゆうじょろくおや和睦わぼく,此非てん所為しょいにんこれしょしつらえ也。ひとこれしょしつらえ不為ふためだておさむのり壞。かんきょういたりいまじゅうねんむべてい制度せいどきょう禮樂れいがくしかこう諸侯しょこう軌道きどう百姓ひゃくしょう素樸そぼくごく訟衰いき」。乃草其儀,天子てんしせつ焉。而大臣だいじん絳、灌之ぞくがい其議とげ

8 禮樂れいがくこころざし:
いたりたけみかど即位そくいしんようえい雋,りつあかりどうせい禮服れいふく,以興太平たいへいかい竇太きさきこうろうげんせつ儒術,其事またはいこうただしなか對策たいさくごと:「王者おうじゃよくゆう所為しょいむべもとめ其端於天。天道てんとうだいしゃざい於陰ためとくかげためけい天使てんしつねきょだいなつ而以生育せいいくちょうやしなえ為事しごとかげつねきょだいふゆ而積於空むなし不用ふようしょ,以此てんにんとくにんけい也。布施ふせ於上而主としこうかげにゅうふくくら於下おした而時とくかげじょまた不能ふのうどくなりとしこう王者おうじゃうけたまわ天意てんい從事じゅうじつとむとくきょう而省刑罰けいばつ刑罰けいばつ不可ふかにん治世ちせいなおかげ不可ふかにん以成とし也。こんはい先王せんおうとくきょうどくようほう吏治みん,而欲德化とっか四海しかいなんなり也。いにしえ王者おうじゃ莫不以教ためだいつとむ立大りつだいがく以教於國,しつらえ庠序以化於邑。教化きょうかやめあきら習俗しゅうぞくやめなり天下てんか嘗無いちにんごく矣。いたりしゅう末世まっせだいため無道むどう,以失天下でんかはたつぎ其後,またえき甚之。いにしえ以來いらい嘗以らんずみみだれ大敗たいはい天下でんか如秦しゃ也。習俗しゅうぞくうすあくみんじん抵冒。こんかんつぎしんこれ,雖欲治之はるゆき柰何。ほう而姦せいれいした而詐おこり,一歲之獄以萬千數,如以とめにえにえ俞甚而無えき。辟之琴瑟きんしつ不調ふちょう,甚者必解而更はり,乃可也。為政いせい而不ぎょう,甚者必變而更,乃可也。かんとく天下でんか以來いらいつねよく善治よしはる,而至いま不能ふのうしょうのこころせしゃしつとうさら不能ふのうさら也。古人こじんゆうごと:『臨淵ともぎょ不如歸ふじょき而結もう。』こん臨政而願ななじゅうさい矣,如退而更さらのり善治よしはる,而災害さいがいぶく祿ろくらい矣。」上方かみがた征討せいとうよんえびすするどこころざし武功ぶこうひま留意りゅうい禮文れぶんこと

9 禮樂れいがくこころざし:
いたりせんみかど,琅邪おうきちため大夫たいふまたうえ疏言:「よく治之はるゆきしゅ不世出ふせいしゅつ公卿くぎょうこうとく遭遇そうぐう其時,ゆうけんまんせいこれちょうさく,舉明ぬし於三代之隆者也。其務ざい於簿しょ斷獄だんごく聽訟而已,此非太平たいへいもと也。こん俗吏ぞくり所以ゆえん牧民ぼくみんしゃ有禮ありのりゆび世世よよ通行つうこうしゃ也,以意穿鑿せんさくかく一切いっさい以詐にせもえせい刑罰けいばつきょく質樸しつぼくきえ恩愛おんあい寖薄。孔子こうし曰『安上あんじょうみん,莫善於禮』,空言くうげん也。ねがいあずか大臣だいじんのべ及儒せいじゅつきゅうれい明王みょうおうせいいちせいみんすみじん壽之としゆきいきのりぞくなん以不わか成康なりやすことぶきなん以不わかこうはじめ?」じょう不納ふのう其言,よし以病

10 禮樂れいがくこころざし:
いたりなりみかど,犍為ぐん於水はまとくかおるじゅうろくまいしゃ以為殒祥。りゅうこういんせつじょう:「宜興いいしん辟雍,しつらえ庠序,ちん禮樂れいがくりゅうみやび頌之ごえもり揖攘よう,以風化ふうか天下でんか。如此而不治者ちしゃこれゆう也。ある曰,不能ふのうれいれい以養じん為本ためもと,如有而養じん也。刑罰けいばつあるいたり死傷ししょういまけい皋陶ほう也,而有請定ほうそぎそくそぎぴつのりひつすくい時務じむ也。いたり禮樂れいがくのり曰不敢,敢於殺人さつじん敢於やしなえじん也。ため其俎まめ筦弦あいだしょう不備ふびいんぜっ不為ふためしょう不備ふび而就だい不備ふびだい不備ふびある莫甚焉。おっと教化きょうか於刑ほう刑法けいほうけいしゃしょじゅう而急しょけい也。且教しょ恃以ため也,刑法けいほう所以ゆえん助治すけじ也。こんはいしょ恃而獨立どくりつ其所すけ所以ゆえん致太ひら也。京師けいしゆう誖逆不順ふじゅん子孫しそんいたり於陷だい受刑じゅけい戮者ぜっ,繇不習五常ごじょう道也みちやおっとうけたまわせんさいおとろえしゅうつぎ暴秦敝,みんややづけあくぞくむさぼ饕險詖,義理ぎりしめせ以大,而獨敺以刑罰けいばつおわりやめあらため曰:『

11 禮樂れいがくこころざし:
しるべ禮樂れいがく,而民和睦わぼく。』はつ,叔孫どおりはた制定せいてい禮儀れいぎ於齊おさい魯之しかそつためかん儒宗,ぎょうたれ後嗣こうし,斯成ほう也。」なりみかど以向言下ごんか公卿くぎょうかいむこうびょうそつ丞相じょうしょうだいつかさそら奏請そうせいりつ辟雍。あん行長ゆきなが安城あきみなみ,營表さく,遭成みかどくずれ群臣ぐんしん引以ていおくりな

12 禮樂れいがくこころざし:
及王莽為おさむ衡,よく燿眾庶,とげきょう辟廱,いん以篡うみ內畔受命じゅめい中興ちゅうこうばちらんはんせい改定かいてい京師けいし于土ちゅう即位そくいさんじゅうねんよんえびすまろうどふく百姓ひゃくしょうきゅう政教せいきょう清明せいめい,乃營りつあかりどう、辟廱。顯宗けんそう即位そくい躬行きゅうこう其禮,むねまつ光武みつたけ皇帝こうてい于明どうやしなえ三老五更於辟廱,威儀いぎすんでもりよし矣。しか德化とっかひつじりゅうひろししゃ禮樂れいがくぐんしょ誦說,而庠じょなお未設みせつ也。孔子こうし曰:「辟如為山いざん未成みせいいち匱,とめわれとめ也。」こん叔孫通所つうしょせん禮儀れいぎあずか律令りつりょうどうろく,臧於かん法家ほうかまたふくつてかんてん而不ちょみんしん莫有げんしゃまたつうぼつこれかわあいだけんじおうさい禮樂れいがく古事ふるごとややややぞう輯,いたりひゃくへんこん學者がくしゃ不能ふのうあきらただし推士れい以及天子てんしせつよしまた頗謬こと君臣くんしん長幼ちょうよう交接こうせつみち娅以しょう

13 禮樂れいがくこころざし:
らくしゃ聖人せいじんこれしょらく也,而可以善民心みんしん。其感じんふか,其移ふうやすぞくえき先王せんおうちょ其教焉。

14 禮樂れいがくこころざし:
おっと民有みんゆう血氣けっきこころ知之ともゆきせい,而無哀樂あいらく喜怒きどつねおうかん而動,しかこう心術しんじゅつがた焉。以纖ほろ虍瘁いちさくおとろえおとさく,而民おもえ;闡諧嫚易おとさく,而民やすしらく;麤厲もう奮之おんさく,而民剛毅ごうき廉直れんちょくせい誠之せいしおとさく,而民肅敬;ひろし裕和ひろかずじゅんおとさく,而民慈愛じあいりゅう辟邪これおとさく,而民淫亂いんらん先王せんおうはじ其亂也,せいみやび頌之ごえほんじょうせい,稽之度數どすうせい禮儀れいぎごう生氣せいきしるべ五常ごじょうこれぎょう使つかい而不かげ而不しゅうつよしいかやわら懾,よんとおる交於ちゅう,而發さく於外,みなやす其位而不しょうだつ也,そく感動かんどうじん善心ぜんしん而,使つかい邪氣じゃきとくせっ焉,さき王立おうりつたのしこれかた也。

15 禮樂れいがくこころざし:
王者おうじゃ作樂さくらこれいん先王せんおうらく以教百姓ひゃくしょうせつらく其俗,しかこう改作かいさく,以章功德くどく。《えき》曰:「先王せんおう以作らくたかしとくいんこも上帝じょうてい,以配こう。」むかしみかどさく咸池,顓頊さくろくくきみかど嚳作えい,堯作だいあきらしゅんさく招,禹作なつさく濩,たけおうさくたけしゅうこうさくしゃくしゃくげんのうしゃく先祖せんぞ道也みちやたけげん以功てい天下てんか也。濩,げん救民きゅうみん也。なつだいうけたまわみかど也。招,つぎ堯也。だいしょうしょう也。えいえいはな茂也しげやろくくき,及根くき也。咸池,備矣。なつ以往いおう,其流不可ふか聞已,いん頌猶ゆうそんしゃしゅうすんで備,而其器用きようちょうひねしゅうかん焉。てんしゃきょう大夫たいふ瞽以みなせんゆう道德どうとくこれにん朝夕ちょうせき習業,以教國子くにこ國子くにこしゃきょう大夫たいふ子弟してい也。みながくきゅうとく,誦ろく,習六まいこえはちおとみかどしゅんいのち夔曰:「おんなてんらくきょうかぶとちょく而溫,ひろし而栗,つよし而無しいたげ,簡而敖。げんこころざしうたえいげんこええいりつ和聲わせいはちおとかつ諧。」此之いい也。また以外いがいしょうしょほう德盛とくもり而教尊者そんじゃ。其威儀いぎあし以充音聲おんせいあし以動みみ詩語しごあし感心かんしん聞其おん而德しょう其詩而志ただしろん其數而法りつ以薦郊廟そく鬼神きじんきょうさく朝廷ちょうていそく群臣ぐんしんだてまなべかんそく萬民ばんみんきょう聽者ちょうしゃきょおのれ竦神,せつ而承りゅう以海內遍上德かみとく被服ひふく其風,ひかり煇日しんじょう遷善,而不知ふち所以ゆえんしかいたり於萬ぶつ夭,天地あまちじゅん而嘉おうくだ》曰:「鐘鼓しょうこ鍠鍠,かおるかん鏘鏘,くだぶくみのるみのる。」《しょうん:「げきせき拊石,百獸ひゃくじゅうりつまい鳥獸ちょうじゅう且猶感應かんおう,而況於人乎?きょう於鬼しん乎?らくしゃ聖人せいじん所以ゆえんかん天地てんちつう神明しんめいやす萬民ばんみんなりせいるいしゃ也。しかみやび頌之きょう,而所うけたまわおとろえらんおとなおざいいいいんきょう嫚之ごえためしつらえきん焉。おとろえみん小人こどもじょう君子くんし心耳しんじ淺薄せんばくのりよこしま勝正かつまさしょじょいん紂斷棄先祖せんぞらく,乃作いんごえよう變亂へんらんせいこえ,以說婦人ふじん。」らくかん瞽抱其器而奔散,あるてき諸侯しょこうあるにゅうかわうみおっとたのしほんじょうせい,浹肌はだ而臧骨髓こつづい,雖經乎千載せんざい,其遺ふうあまりれつなおなおぜっいたり春秋しゅんじゅうちん公子きみこかん奔齊。ひねしゅんこれ,招樂そん焉。孔子こうしてきひとし聞招,さんがつ不知ふちにくあじ,曰「ためらくいたり於斯!」美之みゆき甚也。

16 禮樂れいがくこころざし:
しゅうどうはじめかけ,怨刺おこりおうさわすんで竭,而詩不能ふのうさくおうかん失業しつぎょうまさ頌相錯,孔子こうしろん而定曰:「われ自衛じえいはん魯,しか後樂こうらくせいまさ頌各とく其所。」しゅうしつだい壞,諸侯しょこうほしいままぎょうしつらえりょうかんじょう大路おおじ陪臣ばいしんかんなかぞくさん雍徹,はち佾舞廷。制度せいどとげ壞,りょうえびす而不はん桑間くわま、濮上,ていまもるそうちょうこえなみ,內則致疾そんことぶきそとそくらんせいきずみんたくみにせいん而飾,以營らん富貴ふうき耳目じもく。庶人以求列國れっこく以相あいだはたきよしのこえびす而由あまりひとしじん餽魯而孔ぎょういたり於六こくぶんこうさいため好古こうこ,而謂なつ曰:「寡人聽古樂こがくそくよく寐,及聞ていまもる不知ふち倦焉。」なつ而辨おわりおさめ禮樂れいがく矣。

17 禮樂れいがくこころざし:
かんきょうらくゆうせい,以雅らくごえりつ世世せぜざいだいらくかんただしのう其鏗鎗鼓まい,而不能ふのうげん其義。高祖こうそ,叔孫どおりよししん樂人がくじんせい宗廟そうびょうらく大祝だいしゅくむかえしん于廟もんそうよしみいたりなおふるくだかみらく也。皇帝こうていにゅうびょうもんそうえいいたる,以為ぎょうふしなおさいなずな、肆夏也。いぬいまめじょうそうとうどく上歌かみうた以筦つるらん人聲ひとごえよく在位ざいいしゃへん聞之,なおきよしびょううた也。とうさいおわりしもそうきゅう成之しげゆきらく美神びしんあかりすんできょう也。皇帝こうてい就酒ひがしひさしすわていそう永安えいあんらく美禮みれいやめなり也。またゆうぼうちゅうほこららく高祖こうそ唐山からやま夫人ふじん所作しょさ也。しゅうゆうぼう中樂ちゅうらくいたりしんめい曰壽じん。凡樂,らく其所せいれい忘本。高祖こうそらくすわえごえぼう中樂ちゅうらくすわえごえ也。孝惠たかえねん使つかいらくれいなつほうひろし備其しょうかんさらめい曰安世樂せらく

18 禮樂れいがくこころざし:
こう祖廟そびょうそう武德ぶとくぶんはじめぎょうまい孝文たかふみびょうそう昭德あきのりぶんはじめよんぎょうまいこうたけびょうそう盛德せいとくぶんはじめよんぎょうまい武德ぶとくまいしゃ高祖こうそよんねんさく,以象天下でんからくおのれぎょうたけ以除らん也。ぶんはじめまいしゃ,曰本しゅん招舞也,高祖こうそ六年更名曰文始,以示あいかさね也。ぎょうまいしゃほんしゅうまい也,はたはじめすめらぎじゅう六年更名曰五行也。よんまいしゃ孝文たかふみ所作しょさ,以明示めいじ天下でんかあん和也かずやぶたたのしおのれしょ自作じさくあかりゆうせい也;らく先王せんおうらくあかりゆうほう也。こうけいさい武德ぶとくまい以為昭德あきのり,以尊だい宗廟そうびょう至孝しこうせんさい昭德あきのりまいため盛德せいとく,以尊宗廟そうびょうしょ帝廟ていびょうみなつねそうぶんはじめよんぎょうまいうん高祖こうそ六年又作昭容樂、れいようらくあきらようしゃなおいにしえあきらなつ也,おも武德ぶとくまいれいようしゃおもぶんはじめぎょうまいまいじんらくしゃはたいたり至尊しそんぜん敢以らく也;ようらくしゃげんまいしつぶしのう以樂おわり也。だい氐皆いんはたきゅうこと焉。

19 禮樂れいがくこころざし:
はつ高祖こうそ既定きてい天下でんか沛,あずか故人こじん父老ふろう相樂さがらよいしゅ歡哀,さくふうおこりれい沛中僮兒ひゃくじゅうにん習而至孝しこうめぐみ,以沛みやためげんびょうみなれいうた習吹以相つねひゃくじゅう人為じんいいんぶんけいあいだれいかん肄業而已。いたりたけみかどてい郊祀れいほこら太一たいち於甘いずみ,就乾也;さいきさき於汾かげ澤中さわなかかたおか也。乃立らくさいよる誦,ゆうちょうだいはたすわえ謳。以李のべねんためきょうりつじょう舉司しょう如等すうじゅうにんづくりため詩賦しふりゃくろんりつりょ,以合はちおと調しらべさくじゅうきゅうしょううた。以正がつじょうからし用事ようじあまいずみ圜丘,使つかいわらわ男女だんじょななじゅうにん俱歌,昏祠いたりあかりよるつねゆうしんこう流星りゅうせいとめしゅう于祠だん天子てんしたけみや而望はい,百官侍祠者數百人皆肅然動心焉。

20 禮樂れいがくこころざし:
安世やすよぼう中歌なかうたじゅうななしょう,其詩曰:

21 禮樂れいがくこころざし:
だいこう備矣,きゅうとくあきらきよし高張たかはりよんけんらくたかしみやにわ。芬樹羽林はばやしくもけい杳冥,かねささえ秀華ひでか,庶旄みどり旌。

22 禮樂れいがくこころざし:
ななはじめはなはじめ,肅倡和聲わせい神來かみくえん娭,庶幾しょき聽。かゆかゆおんおくほそひとし人情にんじょうゆるがせじょうあおげん,熙事備成。きよしおもえ眑眑,經緯けいい冥冥めいめい

23 禮樂れいがくこころざし:
わがてい曆數れきすうにんつげ其心。敕身ひとし戒,ほどこせきょうさるさる。乃立祖廟そびょう敬明もりあきみことおやだい矣孝熙,四極よんきょく爰轃。

24 禮樂れいがくこころざし:
王侯おうこう秉德,其鄰翼翼よくよくあらわあかりあきらしき清明せいめい鬯矣,皇帝こうてい孝德たかのり。竟全大功たいこうなでやすよんきょく

25 禮樂れいがくこころざし:
うみ內有かん紛亂ふんらん東北とうほくみことのりなでなり武臣ぶしんうけたまわとく行樂こうらく交逆,しょうしゃくぐん慝。肅為ずみ哉,ぶたていつばめこく

26 禮樂れいがくこころざし:
大海おおうみ蕩蕩とうとうすいしょこうけん愉愉みん所懷しょかい大山おおやまちぇひゃく卉殖。みんなんたか有德うとく

27 禮樂れいがくこころざし:
やす其所,らくおわりさんらくおわりさん世繼よつぎいとぐちりゅうあきゆう上天じょうてんこうけん愉,らくみんじん

28 禮樂れいがくこころざし:
ゆたかくさ葽,じょほどこせ。殒何如,だれのうかいだい莫大ばくだいなりきょうとくちょう莫長,きょく

29 禮樂れいがくこころざし:
かみなりふるえふるえでん燿燿。明德めいとくきょうほんやくほんやくさわひろしだいちょう,咸相とくほどこせだいせい曼壽。

30 禮樂れいがくこころざし:
荔遂よし,窅窊かつらはなこうそうてんわか日月じつげつこうじょうげんよんりゅうかいはせきたぎょうはね殷盛いんせい,芬哉すすきすすき孝道たかみちずいしょ文章ぶんしょうかつらはな

31 禮樂れいがくこころざし:
馮馮翼翼よくよくうけたまわてんのりわれえき久遠くおんしょくあかりよんきょく慈惠じえしょあいよしわかきゅうとく。杳杳冥冥めいめいかつ綽永ぶく美芳みよし

32 禮樂れいがくこころざし:
磑磑そくそく象山ぞうざんそくがらすよびこう哉,あんなでえびすこく蠻夷ばんい竭歡,ぞうらい致福。けん臨是あいおわり兵革へいかく

33 禮樂れいがくこころざし:
よしみこもよし矣,つげれいきょう矣。つげれいすんできょうとくおんあな臧。おもんみ德之のりゆき臧,けんこうつねうけたまわてんきゅうれいとい忘。

34 禮樂れいがくこころざし:
すめらぎすめらぎおおとりあきらとろけこうきゅうとくよしみうけたまわ天和てんわらく厥福。ざいらくあらおもんみみんのり

35 禮樂れいがくこころざし:
浚則とくしたみん咸殖。れいといざいきゅうあなよう翼翼よくよく

36 禮樂れいがくこころざし:
あなようつねうけたまわみかどあかりしたみんらく子孫しそん保光やすみつうけたまわじゅん溫良おんりょう,受帝ひかりよしみこもれいよしことぶきこう忘。

37 禮樂れいがくこころざし:
うけたまわみかど明德めいとく象山ぞうざんそくくもほどこせしょうみんえい受厥ぶくうけたまわようつねうけたまわみかどあかりしたみん安樂あんらく,受福疆。

38 禮樂れいがくこころざし:
郊祀じゅうきゅうしょう,其詩曰:

39 禮樂れいがくこころざし:
ねり時日じじつほう有望ゆみたつみ膋蕭,のべ四方しほう九重ここのえひらくれい斿,たれめぐみおんおおとり祜休。れいくるまゆいげんくもりゅう旄紛。れいしたわかふうひだりくらりゅうみぎ白虎びゃっこれいかみ哉沛,さき以雨,般裔裔。れいいたりけい陰陰いんいんそう怫,ふるえ澹心。れいやめすわ五音ごいん飭,おそれいたりだんうけたまわれいおく。牲繭ぐりしとぎもりかおりみことかつらしゅまろうど八鄉やさとれいやすとめぎんあおへんかん此,ながめようどう。眾嫭なみ,綽奇麗ぎれいかお如荼,ちょう逐靡。はなぶん,廁霧縠,曳阿すず,佩珠だま。俠嘉よる,仂蘭よし,澹容あずかけんじよしみ觴。ねり時日じじついち

40 禮樂れいがくこころざし:
みかど臨中だん四方しほううけたまわ宇,なわなわへん,備得其所。清和せいわろくごうせいすう以五。うみ安寧あんねいきょうぶん匽武。きさきとみおうな昭明しょうめい三光さんこうきよしきよしゆうゆうよしみふくじょうみかど臨二

41 禮樂れいがくこころざし:
あおようひらきどう荄以とげあぶらじゅん并愛,跂行畢逮。霆聲はつさかえ,壧處ごろ聽,枯槁ふくさん,乃成厥命。眾庶熙熙,ほどこせ及夭胎,群生ぐんせい啿啿,おもんみ春之はるゆき祺。

42 禮樂れいがくこころざし:
あお陽三ようぞう鄒子らく

43 禮樂れいがくこころざし:
しゅあきら盛長もりなが,归與萬物ばんぶつ桐生きりゅうしげる,靡有しょ詘。じきはな就實,すんで阜既あきらのぼりしげるはじめひゃくおにすすむ嘗。廣大こうだいけんまつ,肅雍忘,かみわかなだめこれつて疆。

44 禮樂れいがくこころざし:
しゅあきらよん鄒子らく

45 禮樂れいがくこころざし:
西にし顥沆碭,秋氣しゅうき肅殺,含秀たれ穎,ぞくきゅうはいかんにせもえ,祅孽ふくいきすみ辟越とおよんむじな咸服。すんでかしこ茲威,おもんみ慕純とく而不おごせいしん翊翊。

46 禮樂れいがくこころざし:
西にし顥五鄒子らく

47 禮樂れいがくこころざし:
げんめいりょうかげ,蟄蟲ぶた臧,屮木零落れいらく,抵冬降霜こうそうえきらんじょよこしまかわただしぞく兆民ちょうみんはんほんだき素懷そかいしらき條理じょうり信義しんぎもちれいだけせき斂之,掩收よしみこく

48 禮樂れいがくこころざし:
げんめいろく鄒子らく

49 禮樂れいがくこころざし:
おもんみやすしもとみことおうなかみしげる釐,經緯けいい天地てんち作成さくせいよんせいけん日月じつげつ星辰せいしん陰陽いんようぎょうしゅう而復はじめくもふう雷電らいでんくだ甘露かんろ百姓ひゃくしょうしげるしげる,咸循厥緒。つぎすべどもつとむじゅんすめらぎとく,鸞路りゅううろこ,罔不肸飾。よしみ籩列ひね庶幾しょきえんとおるめつじょきょうわざわいれつあがはちあら鐘鼓しょうこ竽笙,くもまいしょうしょう,招搖れいはたきゅうえびすまろうどしょう

50 禮樂れいがくこころざし:
おもんみやすしもとななたてはじめ元年がんねん丞相じょうしょうただし衡奏やめ「鸞路りゅううろこ」,さらてい曰「涓選きゅうなり」。

51 禮樂れいがくこころざし:
天地てんちなみきょうおもんみゆう慕,爰熙むらさきだんおもえもとめ厥路。きょううけたまわ禋祀,縕豫ためまがえ,黼繡しゅうちょううけたまわかみ至尊しそん。千童羅舞成八溢,ごうこうこう歡虞泰一やすいち。九歌畢奏斐然殊,きん竽瑟かいのきしゅ。璆磬きんれい其有百官ひゃっかん濟濟せいせいかくけい厥事。もり牲實まないたしん聞膏,かみ奄留,臨須ゆらちょううららぜん掞光燿明,さむあつ忒況すめらぎあきらてんおうりつ鋗玉はこみや吐角げきしるしきよしはつはり揚羽あげはさる以商,みやつこ茲新おん永久えいきゅうちょうこえとおじょうおおとりとり启,かみゆう奄虞ぶたあなとおる

52 禮樂れいがくこころざし:
天地てんち八丞相匡衡奏罷「黼繡しゅうはり」,さらてい曰「肅若きゅうてん」。

53 禮樂れいがくこころざし:
にち出入でいりやすきゅう時世じせいあずかひとどうはる非我ひがはるなつ非我ひがなつあき非我ひがあきふゆ非我ひがふゆとまり四海しかいいけへんかんよこしまいいなにわれしょらく獨樂こまろくりゅうろくりゅう調しらべ使つかいわがしんわか。訾黃其何徠下!

54 禮樂れいがくこころざし:
にち出入でいりきゅう

55 禮樂れいがくこころざし:
太一たいちきょう天馬てんば,霑赤あせ,沬流赭。こころざし俶儻,せいけん,逦浮くも,晻上はせからだようあずか,迣まん今安いまやすひきりゅうためとももとかり三年馬生渥洼水中作。

56 禮樂れいがくこころざし:
天馬てんま徠,したがえ西にしごくわたるりゅうすなきゅうえびすふく天馬てんば徠,泉水せんすいとら脊兩,わかおに天馬てんば徠,れき無草むそうみち千里せんり,循東道とうどう天馬てんば徠,じょはたゆら舉,だれあずか天馬てんま徠,ひらけどおもん,竦予,逝昆侖。天馬てんば徠,りゅうなかだちゆう閶闔,かんだまだい太初たいしょ四年誅宛王獲宛馬作。

57 禮樂れいがくこころざし:
天馬てんばじゅう

58 禮樂れいがくこころざし:
てんもんひらけ,詄蕩とろけきよしなみ騁,以臨きょうひかりよるしょくとくしんちょれい娅平而鴻,長生ちょうせいだいしゅ涂廣,えびすせきためどうかざりだまこずえ以舞たい招搖わかえいのぞむほしとめ俞,ふさが隕光,あきらむらさき幄,たま熉黃。はた还集,そうつねひつじつききよしきよし以金にちはな燿以宣明のぶあきかり清風せいふうきしゆるがせげきちょういたりじゅう觴。かみ裴回わかとめ,殣冀おや以肆あきらはここうむ祉福つねわかさび漻上天知あまち厥時。泛泛滇滇したがえだか斿,いんつとむ此路臚所もとめ。佻正嘉吉よしきちひろ以昌,きゅうよしみ砰隱溢四方しほうせんせい厲意逝九閡,まがえうんろくまく大海たいかい

59 禮樂れいがくこころざし:
てんもんじゅういち

60 禮樂れいがくこころざし:
けいぼしあらわしんじほしぴょうれつぞうあきらにわにちおや以察。まいり侔開闔,爰推本紀ほんぎ,汾脽かなえすめらぎ元始げんし五音ごいんろくりつ韋饗あきらざつへんなみかいみやびごえどお姚。そらくわ琴瑟きんしつゆい信成のぶなりよんきょう遞代はちふうせい殷殷いんいんがね石羽いしぱ籥鳴。かわりゅうきょうこいあつし犧牲ぎせい。百末旨酒布蘭生。たいみこと柘漿析朝酲。ほろ感心かんしん攸通おさむめいしゅうりゅうつねひつじおもえしょ并。みのるみのるふく正直しょうじき往甯,馮蠵きり疏寫たいら上天じょうてん布施ふせきさき土成どなりみのるみのる豐年ほうねんよんさかえ

61 禮樂れいがくこころざし:
けいぼしじゅう二元鼎五年得鼎汾陰作。

62 禮樂れいがくこころざし:
ひとしぼうさんくさきゅうくきれんみやわらわこうこと,披圖あん諜。げんしらげ回復かいふく此都,づるづるしげるしばしげる靈華れいか

63 禮樂れいがくこころざし:
ひとしぼうじゅう三元封二年芝生甘泉齊房作。

64 禮樂れいがくこころざし:
きさきすめらぎよしみだんたて玄黃げんこうふくものはつ冀州,ちょうこうむ祉福。沇沇よんふさが,徦狄あいしょ經營けいえいまんおく,咸遂厥宇。

65 禮樂れいがくこころざし:
きさきすめらぎじゅうよん

66 禮樂れいがくこころざし:
はな鳞鳞,かたれいかみ斿,てんもんくるませんじょうあつしこん侖。かみはい玉房たまぶさしゅうりゅうざつ,拔蘭どうかみこれぎょう,旌容ようくつくつ,般縱たてかみ徠,泛翊翊,甘露かんろくだけい雲集うんしゅうかみ揄,臨壇宇,きゅううたぐまろうど,夔龍まいかみ安坐あんざ,启吉きょう翊翊,ごう所思しょしかみよしみおそれさる觴,ぶく滂洋,邁延長えんちょう。沛施ゆう,汾之おもねあげ金光こんこうよこたいかわ,莽若くもぞうあまね臚驩,あがてん

67 禮樂れいがくこころざし:
はな鳞鳞じゅう

68 禮樂れいがくこころざし:
かみしょうつつみよん鄰,土地とちひろあげ浮雲うきぐも。扢嘉だんはじかみらんよし,璧玉しらげたれはなこうえきおくねんよしはじめきょう,交於しんわかゆううけたまわ廣宣ひろのぶのべ,咸畢觴,れい輿こし,偃蹇驤。卉汨臚,析奚どういん淥澤,鬓然

69 禮樂れいがくこころざし:
かみじゅうろく

70 禮樂れいがくこころざし:
あさ隴首,らん西にし垠,剨電抠,しろ麟。爰五どめあらわとく匈虐,熏鬻殛。闢流離りゅうりそもそも不詳ふしょうまろうどひゃく僚,山河さんがきょう。掩回ながえ,鬗長はせあが雨師あめし,洒路陂。流星りゅうせい隕,かんおもんみふう,钆歸くもなでふところしん

71 禮樂れいがくこころざし:
あさ隴首じゅう七元狩元年行幸雍獲白麟作。

72 禮樂れいがくこころざし:
ぞう瑜,しろしゅう西にししょく甘露かんろいんさかえいずみあかかりしゅうろくまがえいんことおうざつさいぶんかみ所見しょけんほどこせ祉福,とうよもぎ萊,ゆいきょく

73 禮樂れいがくこころざし:
ぞうじゅう八太始三年行幸東海獲赤鴈作。

74 禮樂れいがくこころざし:
あかみずち綏,はなぶたよるれいひる晻濭。ひゃくくんれいろくりゅうしゃくはじかみ漿,れいやめよいれいすんでとおるすず吉祥きっしょうすすきすすきごくくだよしみ觴。れい殷殷いんいんただれあげこうのべ壽命じゅみょうえい未央みお。杳冥めいふさがろくごうさわひろし濊,輯萬こくれい禗禗,ぞう輿こし轙,ひょうしか逝,はた逶蛇。禮樂れいがくなりれいしょうたくげんとくながおとろえ

75 禮樂れいがくこころざし:
あかみずちじゅうきゅう

76 禮樂れいがくこころざし:
じゅんかりぶくおうことじょ郊廟,どるろん

77 禮樂れいがくこころざし:
かわあいだけんじおうゆうみやびざいまた以為どう非禮ひれいたのしなりいんけんじしょしゅう雅樂ががく天子てんし下大しもおおらくかんつねそん肄之,さい以備すうしかつねつね及郊びょうみなみやびごえしからくほどこせ後嗣こうしなおとくゆうしょ祖述そじゅつむかしいんしゅうみやび頌,乃上本有ほんゆう娀、きょうげん,镨、きびはじめせいげんおうおおやけりゅうおおやけだいはくおうきょうおんな大任おおとうふとし姒之とく,乃及なりぶんたけ受命じゅめいたけちょうなりかんせんおう中興ちゅうこうしも輔佐ほさおもね衡、しゅう、召、ふとしおおやけさるはく、召虎、仲山なかやまはじめぞく君臣くんしん男女だんじょ有功ゆうこうとくしゃ,靡不褒揚。功德くどくすんで信美のぶよし矣,褒揚こえみつる乎天あいだ以光名著めいちょ當世とうせいのこほまれたれ於無きゅう也。こんかん郊廟詩歌しかゆう祖宗そそうことはち音調おんちょうひとしまたきょう於鐘りつ,而內ゆうわきにわざいじんそとゆう上林うえばやしらくみな以鄭ごえほどこせ朝廷ちょうてい

78 禮樂れいがくこころざし:
いたりなりみかど,謁者つね山王さんのう禹世受可あいだらくのうせつ其義,其弟子でしそうしょくとう上書うわがきごとしも大夫たいふ博士はかせひらたとうとう考試こうしとう以為「かんうけたまわしんめつ道之みちゆきよりゆき先帝せんてい聖德せいとくひろし受兼聽,おさむはいかん立大りつだいがくかわあいだけんじおう聘求かそけかくれおさむきょう雅樂ががく以助とき大儒たいじゅ公孫こうそんひろしただしなか舒等みな以為おん中正ちゅうせいみやびだてだいらく春秋しゅんじゅうきょうさく於學かんまれ闊不こう自公じこうきょう大夫たいふかん聽者ちょうしゃただし聞鑑鎗,あかつき其意,而欲以風諭ふうゆ眾庶,其道よし以行ひゃく有餘ゆうよねん德化とっかいたりこん未成みせいこんしょくとうもり習孤がく大指おおざす於興じょ教化きょうか衰微すいびまなべ興廢こうはいざいひとむべりょうぞく雅樂ががく,以繼ぜっひょうほろ孔子こうし曰:『ひとのう弘道こうどう非道ひどう弘人ひろと。』河間こうま區區くくくにはんしん,以好學修がくしゅういにしえのうゆう所存しょぞんみんいた于今しょうきょう於聖ぬしこうこれおさむおこりきゅうぶんていきんみやびじゅつ而不さくしん好古こうこ,於以ふうしめせうみ內,あげめい後世こうせいまことしょうこうしょう美也みや。」こと公卿くぎょう,以為久遠くおんなん分明ぶんめいとうふく

79 禮樂れいがくこころざし:
ていこえゆう甚。黃門こうもんめい倡丙つよしけい武之たけゆきぞくとみあらわ於世,戚五こうじょうりょう富平とみひら外戚がいせきいえいん侈過いたりあずかひとぬしそうおんならくあいみかどためていすえおうやましこれまたせいこうおと,及即位そくいしもみことのり曰:「おもんみ世俗せぞくおご泰文やすふみたくみ,而鄭まもるこれごえきょうおっとおご泰則やすのりまご而國ひんぶんたくみのり趨末ほんしゃ眾,ていまもるこれごえきょうそくいん辟之ながれ,而欲はじむ庶敦ほおきゅうなおにご其源而求其清りゅうあになん哉!孔子こうしうん乎?『ていごえていこえいん。』其罷らくかん。郊祭らく及古兵法ひょうほうたけらくざいけいていまもるらくしゃじょうかなでべつぞくかん。」丞相じょうしょうあなこうだいつかさそらなんそう:「郊祭樂人がくじんいんろくじゅうにんきゅうほこらみなみ北郊ほっこうだいらくいんろくにんよしみいたりいんじゅうにん邯鄲かんたんいんにん吹鼓いんさんにん江南こうなんいんにん淮南ワイナンいんよんにんともえ俞鼓いんさんじゅうろくにんうたいんじゅうよんにんすわえげんいんいちにんりょうすめらぎいんよんにん,臨淮いんさんじゅうにん,茲邡いんさんにん,凡鼓じゅういんひゃくじゅうはちにん朝賀ちょうがおけしゅひね殿下でんかおう古兵ふるつわものほうそと郊祭いんじゅうさんにんしょぞく樂人がくじんけんくも招給ほこら南郊なんこうようろくじゅうななにんけんきゅうごと雅樂ががくようよんにんよる誦員にんつよしべつ柎員にんきゅう盛德せいとく主調しゅちょう篪員にん,聽工以律ふゆ夏至げしいちにんかねこうかおるこうしょう工員こういんかくいちにんぼくしゃにんぬしりょうしょ樂人がくじんみな不可ふかやめ。竽工いんさんにん一人ひとりやめきん工員こういんにんさんにんやめはしら工員こういんにん一人ひとりやめなわつる工員こういんろくにんよんにんやめていよん會員かいいんろくじゅうにん一人ひとりきゅうごと雅樂ががくろくじゅういちにんやめちょう瑟員はちにんななにんやめやす世樂せらくいんじゅうにんじゅうきゅうにんやめ。沛吹いんじゅうにんぞくいんじゅうななにんちん吹鼓いんじゅうさんにんしょうらくいんじゅうよんにん東海とうかいいんじゅうろくにん長樂ながらいんじゅうさんにん,縵樂いんじゅうさんにん,凡鼓はちいんひゃくじゅうはちにん朝賀ちょうがおけしゅちんぜん殿しんがりぼうちゅうおうけいほう竽員にんすわえいんろくにんつねしたがえさんじゅうにんつねしたがえぞうじんよんにんみことのりしたがえつねしたがえじゅうろくにんはた倡員じゅうきゅうにんはた倡象人員じんいんさんにんみことのりずいしんいちにんまさ大人おとないんきゅうにん朝賀ちょうがおけしゅためらくすわえよん會員かいいんじゅうななにんともえよん會員かいいんじゅうにん,銚四會員かいいんじゅうにんひとしよん會員かいいんじゅうきゅうにん,蔡謳いんさんにんひとし謳員ろくにん,竽瑟しょうかおるいんにんみなていごえやめがくひゃくよんじゅうにん,其ななじゅうにんきゅう大官たいかん挏馬しゅ,其ななじゅうにんやめ大凡おおよそはちひゃくじゅうきゅうにん,其さんひゃくはちじゅうはちにん不可ふかやめりょうぞくだいらく,其四ひゃくよんじゅう一人ひとりおうけいほうあるていまもるこれごえみなやめ。」そうしか百姓ひゃくしょうややづけひさまたせい雅樂ががくゆう以相へんごうとみ吏民たたえ自若じじゃくりょうえびす壞于おう莽。

80 禮樂れいがくこころざし:
こんうみ更始こうしみんじんほん戶口とぐちとしいきひら其刑辟,まき以賢りょういたり於家きゅうすんで庶且とみのり須庠じょ禮樂れいがく教化きょうか矣。こんさいわいゆうぜんせい遺制いせい威儀いぎまことほうぞう而補備之,けい因緣いんねん而存ちょ也。

81 禮樂れいがくこころざし:
孔子こうし曰:「いんいん於夏れいしょ損益そんえき知也ともやしゅういん於殷れいしょ損益そんえき知也ともや;其或つぎしゅうしゃひゃくせい知也ともや。」こんだいかんつぎしゅうひさ大儀たいぎゆう立禮りつれいなりらく,此賈よろしなか舒、おうよしりゅうむかい所為しょい發憤はっぷん而增嘆也。

URN: ctp:han-shu/li-yue-zhi