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Han Shu : 志 : 食貨志 - Chinese Text Project
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しょく貨志》

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しょく貨志じょう

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1 しょく貨志じょう:
ひろしはんはちせいいち曰食,曰貨。しょくいいのうふえよしみこくしょくもの,貨謂布帛ふはくころも,及金がたな龜貝かめがい所以ゆえんぶん財布さいふ利通としみち有無うむしゃ也。しゃなまみんほんきょうかみのう。「斲木ため耜,煣木ため耒,耒鲈以教天下でんか」,而食あし;「ちゅうため,致天下之したのみん,聚天下之したの貨,交易こうえき而退,かくとく其所」,而貨どおりしょくあし貨通,しか國實くにざねみんとみ,而教化成かせいみかど以下いかつう其變,使つかいみん倦」。堯命よん以「けい授民」,しゅんいのちきさききび以「はじむみんかつえ」,為政いせいくび。禹平洪水こうずいてい九州きゅうしゅうせい土田つちたかくいん所生しょせい遠近えんきん入貢にゅうこう棐,楙遷有無うむ萬國ばんこくさく乂。いんしゅうもり詩書ししょしょじゅつようざいやすみんとみ而教えきしょう天地てんち大德だいとく曰生,聖人せいじん大寶たいほう曰位;なん以守曰仁,なに以聚じん曰財。」ざいしゃ帝王ていおう所以ゆえん聚人もり養成ようせい群生ぐんせいたてまつじゅん天德てんとく治國ちこくやすみんほん也。曰:「患寡而患ひとし患貧而患不安ふあんぶたひとしほろびひんほろび寡,やすほろびかたぶけ。」以聖おういきみんちく城郭じょうかく以居せいいおり以均ひらき肆以どおりしつらえ庠序以教士農工商しのうこうしょうよん民有みんゆうぎょうがく以居曰士,闢土ふえこく曰農,さくたくみなり曰工,つうざい鬻貨曰商。聖王せいおうりょうのう授事,四民しみんひねりょく受職,あさほろびはいかん,邑亡敖民,ほろび曠土。

2 しょく貨志じょう:
みんみちちょ為本ためもと必建りつうねせい其經かいろくしゃくためひゃくためうねうねひゃくためおっとおっとさんためさんためかたいちためきゅうおっと八家やか共之ともゆきかく受私ひゃくうね公田くでんじゅううねためはちひゃくはちじゅううねあまりじゅううね以為いおりしゃ出入でいりしょうともまもりもちしょうすけ疾病しっぺいそくすくえみん和睦わぼく,而教ひとしどうちからやく生產せいさんとく而平也。

3 しょく貨志じょう:
みん受田,上田うえだおっとひゃくうねちゅう田夫でんぷひゃくうね下田しもだおっとさんひゃくうねとしこうしゅしゃため不易ふえき上田うえだきゅう一歲者為一易中田;きゅう二歲者為再易下田,さんさいさらこう爰其しょ農民のうみんじんおのれ受田,其家眾男ためあまりおっとまた以口受田如比。こう商家しょうか受田,くち乃當農夫のうふいちにん。此謂ひら以為ほうしゃ也。若山わかやまりんやぶ澤原さわはらりょうじゅん鹵之かく以肥磽多しょうためゆう有稅ゆうぜいぜいいい公田くでん什一及工商衡虞之入也。ども車馬しゃばかぶと兵士へいし徒之かちのやく充實じゅうじつたまものこれようぜいきゅう郊社宗廟そうびょうひゃくかみまつ天子てんしたてまつやしなえ百官祿食庶事之費。みんねんじゅう受田,ろくじゅうでんななじゅう以上いじょううえしょやしなえ也;じゅうさい以下いか上所かみところちょう也;じゅういち以上いじょう上所かみところきょう也。たねこく必雜しゅ,以備災害さいがい田中たなかとくゆうじゅようさまたげ五穀ごこくちからこうすう耘,收穫しゅうかく如寇とういたりかえいおりじゅくわさい茹有あぜふりひさごはて蓏殖於疆えき。雞豚いぬ彘毋しつ其時,じょおさむかいこのり五十可以衣帛,ななじゅう食肉しょくにく

4 しょく貨志じょう:
在野ざいや曰廬,ざい邑曰さといえため鄰,鄰為さとよんさとためぞくぞくためとうとうためしゅうしゅうためきょうさとまんせんひゃく也。鄰長下士かし此以じょうややとういちきゅういたりきょう而為きょう也。於里ゆうじょ而鄉ゆう庠。じょ以明きょう,庠則ぎょうれい而視焉。はるれいみん畢出在野ざいやふゆそく畢入於邑。其詩曰:「よんこれにち舉止,どう,饁彼みなみ。」また曰:「じゅうがつ蟋蟀こおろぎいれわが床下ゆかした,嗟我,聿為あらためとしにゅう此室しょ。」所以ゆえんじゅん陰陽いんよう,備寇ぞく,習禮文也ふみやはるあきいずるみんさと胥平だんすわ於右じゅく,鄰長すわ於右じゅく,畢出しかこうゆうまた如之。いれしゃ必持たきぎきこり輕重けいちょうしょうぶんはんしろひさげ挈。ふゆみんすんでいれ婦人ふじんどうちまたそうしたがえよる績,女工じょこういちがつよんじゅうにち。必相從者じゅうしゃ所以ゆえんしょう燎火,どう巧拙こうせつ而合習俗しゅうぞく也。男女だんじょゆうとく其所しゃいんしょうあずかうたえいかくげん其傷。

5 しょく貨志じょう:
これがつ餘子よしまたざい于序しつはち歲入さいにゅう小學しょうがくがく六甲五方書計之事,はじめしつ長幼ちょうようふしじゅうにゅう大學だいがくがくさきせい禮樂れいがく,而知朝廷ちょうてい君臣くんしんれい。其有しゅうことしゃうつりきょうがく于庠じょ;庠序ことしゃうつり國學こくがく于少がく諸侯しょこうとしみつぎしょうがくことしゃ於天がく于大がくいのち曰造くだりどうのう偶,のりべつ以射,しかこう爵命焉。

6 しょく貨志じょう:
孟春もうしゅんこれがつ群居ぐんきょしゃはた行人こうじん木鐸ぼくたく徇于,以采けんじ大師だいし音律おんりつ,以聞於天曰王しゃ窺牖而知天下でんか

7 しょく貨志じょう:
此先王制おうせいしょみんとみ而教これ大略たいりゃく也。孔子こうし曰:「みちせんじょうくにけいごと而信,節用せつよう而愛じん使つかいみん以時。」みんみなすすむこうらくぎょうさきこう而後わたし。其詩曰:「ゆう渰淒淒,きょうくも祁祁,あめわが公田くでんとげ及我わたし。」みんさんねんたがやせのりあまりいちねん畜。衣食いしょくあし而知榮辱えいじょくれんゆずるなま而爭訟息,三載考績。孔子こうし曰「苟有ようしゃがつ而已可也かなりさんねんゆうなり」,なり此功也。さんこう黜陟,あまりさんねんしょくしんぎょう曰登;さいとう曰平,あまりろくねんしょくさんとう泰平たいへいじゅうななさいのこきゅうねんしょくしかこう鲈德りゅうひろし禮樂れいがくなり焉。曰「如有王者おうじゃ,必世而後じん」,繇此道也みちや。」

8 しょく貨志じょう:
しゅうしつすんでおとろえ暴君ぼうくん污吏慢其經界けいかい,繇役よこさく政令せいれい不信ふしん上下じょうげしょういつわり公田くでん不治ふち魯宣こうはつぜいうね」,春秋しゅんじゅうそし焉。於是じょうむさぼみん怨,災害さいがいせい而禍亂作らんさく

9 しょく貨志じょう:
りょうえびすいたり於戰こくいつわりりょく而賤じんよしみさき富有ふゆう而後禮讓れいじょう悝為ぶんこうさくつき地力じりききょう,以為地方ちほうひゃくつつみふうきゅうまんごろのぞき山澤やまさわ邑居さんぶんいち為田ためだろくひゃくまんうね治田はるたつとむ謹則うねえきさんしょうつとむのりそんまた如之。地方ちほうひゃく增減ぞうげん,輒為あわひゃくはちじゅうまんせき矣。また曰糴其貴きずみん,甚賤きずのうみんきずそく離散りさんのうきずそくこくひん甚貴あずか甚賤,其傷一也かずやぜん為國ためくにしゃ使つかいみん毋傷而農えきすすむいま一夫かずおはさみくち治田はるたひゃくうねさいおさむうねいちせきはんためあわひゃくじゅうせきじょじゅういちこれぜいじゅうせきあまりひゃくさんじゅうせきしょく人月にんげついちせきはん,五人終歲為粟九十石,あまりゆうよんじゅうせきいしさんじゅうためぜにせんさんひゃくじゅうじょしゃ閭嘗しん春秋しゅんじゅうほこらようぜにさんひゃくあまりせんじゅうころもにんりつようぜにさんひゃくにんおわりとしようせんひゃく不足ふそくよんひゃくじゅう不幸ふこう疾病しっぺいこれ,及上斂,またあずか此。此農夫のうふ所以ゆえんつねこまゆうすすむこうしん,而令糴至於甚とうとしゃ也。ぜんひら糴者,必謹かんとしゆう上中かみなか孰。うえ孰其おさむよんあまりよんひゃくせきちゅう孰自さんあまりさんひゃくせき孰自ばいあまりひゃくせきしょうかつえそくおさむひゃくせきちゅうかつえななじゅうせきだいかつえさんじゅうせきだい孰則じょうさん而舍いちちゅう孰則糴二,しも孰則糴一,使つかいみんてきあし,賈平そくとめしょうかつえのりはつしょう孰之しょ斂,ちゅうかつえのりはつちゅう孰之しょ斂,だいかつえのりはつだい孰之しょ斂,而糶雖遇饑饉ききんすいひでり,糴不而民有餘ゆうよ以補不足ふそく也。くだりこくくに以富つよし

10 しょく貨志じょう:
及秦こう公用こうようしょうくん,壞井ひらき仟伯,きゅうこうせんしょう,雖非古道ふるみちなお以務ほんかたぶけ鄰國而雄諸侯しょこうしか王制おうせいとげほろび,僭差ほろび。庶人富者ふしゃるい鉅萬,而貧しゃしょく糟糠そうこうゆうこくつよししゃけんしゅういき,而弱しゃ社稷しゃしょくいたり於始すめらぎとげ并天,內興こうさくそと攘夷じょうい狄,おさむたいはんはつ閭左戍。男子だんしりょくこう不足ふそくかて饟,女子じょし紡績ぼうせき不足ふそく衣服いふく。竭天下之したの資財しざい以奉其政,なおあし以澹其欲也。うみ內愁怨,とげようつぶせほとり

11 しょく貨志じょう:
かんきょうせっはた敝,諸侯しょこうなみおこりみんしつ作業さぎょう,而大饑饉ききん。凡米せきせん人相にんそうしょく死者ししゃ過半かはん高祖こうそ乃令みんとく賣子うりこ,就食しょくかん天下てんか既定きていみんほろびぶた臧,天子てんし不能ふのうあつし,而將しょうある牛車うしぐるまうえ於是やくほうしょうきんけい田租でんそ,什五而稅いちりょう吏祿,かんよう,以賦於民。而山川園かわそのいけ租稅そぜいいれ天子てんし以至ふうくん沐邑,みなかくためわたしたてまつやしなえりょう於天經費けいひこげてん關東かんとうあわ以給ちゅうかんさいすうじゅうまんせき孝惠たかえこうきさきあいだ衣食いしょくしげるふえぶんみかど即位そくい,躬修儉節,おもえやす百姓ひゃくしょうどきみんきん戰國せんごくみなほん趨末,賈誼せつじょう曰:

12 しょく貨志じょう:
筦子曰「くら廩實而知禮節れいせつ」。みん不足ふそく而可治者ちしゃ及今,これ嘗聞。これにん曰:「一夫かずおたがやせある受之かつえ一女いちじょある受之かん。」せいゆう,而用ほろびのりぶつりょく必屈。いにしえ天下でんかいたり孅至悉也,其畜せきあし恃。こんほん而趨まつしょくしゃ甚眾,天下でんかだいざん也;いん侈之ぞくにちにち以長,天下でんか大賊たいぞく也。ざんぞくこうぎょう,莫之あるとめ大命たいめいはた泛,莫之すくいなまこれしゃ甚少而靡これしゃ甚多,天下てんか財產ざいさんなんとくかんためかんいくよんじゅうねん矣,公私こうしせきなおあいつうしつあめみん且狼顧;としあく不入ふにゅう,請賣爵、すんで聞耳ききみみ矣,やす有為ゆうい天下でんか阽危しゃわか而上おどろきしゃ

13 しょく貨志じょう:
ゆうかつえみのるてんこれぎょう也,禹、これ矣。そく不幸ふこうゆうかたさん千里せんりひでりくにえびす以相恤?卒然そつぜん邊境へんきょうゆうきゅうすうじゅうひゃくまんこれ眾,くにえびす以餽へいひでり相乘そうじょう天下てんかだいこごめゆういさむつとむしゃ聚徒而衡げきやめおっと羸老えき而沦其骨。政治せいじ畢通也,遠方えんぽうのううたぐしゃなみ舉而そうおこり矣,乃駭而圖あにはたゆう及乎?

14 しょく貨志じょう:
おっとせき貯者,天下てんか大命たいめい也。苟粟而財有餘ゆうよなにため而不なり?以攻そく,以守則しゅそくかた,以戰そくしょうふところてきとおなに招而いたりいまなぐみん而歸のうみなちょ於本,使つかい天下でんかかくしょく其力,末技まつぎゆうしょくみんてん而緣南畝のうねんのり畜積あし而人らく其所矣。以為富安とみやす天下でんか,而直ため此廩廩也,竊為陛下へいか惜之!

15 しょく貨志じょう:
於是うえかんよしみごとはじめひらきせき,躬耕以勸百姓ひゃくしょうあきら錯復せつじょう曰:

16 しょく貨志じょう:
聖王せいおうざいうえ而民こおかつえしゃのうこう而食而衣也,ためひらき其資ざい道也みちや堯、禹有きゅうねんみずゆうななねんひでり,而國ほろび捐瘠しゃ,以畜せき而備さき也。こんうみ內為いち土地とち人民じんみん眾不避湯、禹,以亡天災てんさいすうねんみずひでり,而畜せき及者,なに也?ゆうのこ民有みんゆう餘力よりょくなまこくつき墾,山澤やまさわつき也,ゆうしょくみんつき歸農きのう也。みんひんのりかんよこしませい貧生ひんせい不足ふそく不足ふそくせい於不のうのうそくちょちょそく離鄉りきょうけいみん如鳥じゅう,雖有高城たかぎ深池ふかいけいむほう重刑じゅうけいなお不能ふのうきん也。

17 しょく貨志じょう:
おっとかん於衣,まちけい煖;かつえ於食,まちあまむね飢寒きかんいたり顧廉はじ人情にんじょう,一日不再食則飢,おわりとしせいころもそくかんおっとはらかつえとくしょくはださむとくころも,雖慈はは不能ふのう其子,くんやすのう以有其民哉!あきら主知しゅち其然也,つとむみん於農くわうす斂,こう畜積,以實くら廩,備水ひでりみんとく而有也。

18 しょく貨志じょう:
みんしゃざいうえ所以ゆえん牧之ぼくし,趨利如水じょすいはししも,四方亡擇也。おっと珠玉しゅぎょく金銀きんぎんかつえ不可ふかしょくかん不可ふかころもしか而眾貴之たかゆきしゃ以上いじょうよう也。其為ぶつ輕微けいびえき臧,ざい把握はあく以周うみ內而ほろび飢寒きかん患。此令しんけい其主,而民えき其鄉,盜賊とうぞくゆうしょすすむほろび逃者とくけい也。あわまい布帛ふはくせい於地,ちょう於時,聚於りょくいちにちなり也;すうせきおもちゅうじんどるしょう不為ふためかんよこしましょ,一日弗得而飢寒至。明君めいくん五穀ごこく而賤金玉きんぎょく

19 しょく貨志じょう:
こん農夫のうふくちいえ,其服役者やくしゃしたにん,其能こうしゃひゃくうね,百畝之收不過百石。春耕しゅんこうなつ耘,あきふゆ臧,たきぎきこりかんきゅう繇役;はるとく避風ちりなつとく避暑ひしょねつあきとく避陰ふゆとく避寒ひかんこおよんあいだほろび休息きゅうそくまたわたしおく往迎らいちょうといやましやしなえ長幼ちょうようざい其中。つとむ如此,なおふくみずひでりわざわいきゅうせい暴虐ぼうぎゃく斂不ちょうれい而暮あらためとう具有ぐゆうしゃはん賈而うり亡者もうじゃばいしょういき,於是ゆううりたく子孫しそん以償せめしゃ矣。而商賈大しゃせき貯倍いき小者こものすわれつ販賣はんばいみさお其奇贏,にちゆう都市としじょうじょうきゅうしょうり必倍。其男耕耘こううんおんなかいこころも必文さいしょく必梁にくほろび農夫のうふゆう仟伯よし其富あつ交通こうつう王侯おうこうちから吏勢,以利しょうかたぶけ千里せんりゆう敖,かんぶたしょうもちじょうけんさくこえくついと曳縞。此商じん所以ゆえんけん并農じん農人のうにん所以ゆえん流亡りゅうぼうしゃ也。

20 しょく貨志じょう:
こん法律ほうりつ賤商じん商人しょうにんやめ富貴ふうき矣;みこと農夫のうふ農夫のうふやめひん賤矣。ぞくところたかしゅこれしょ賤也;吏之しょ卑,ほうところたかし也。上下じょうげ相反あいはん好惡こうお乖迕,而欲國富こくふ法立ほうりゅう不可ふかとく也。方今ほうこんつとむ,莫若使みんつとむのう而已矣。よくみんつとむのうざい於貴あわあわみちざい於使みん以粟ため賞罰しょうばついまつの天下てんかいれあわけんかんとく以拜爵,とく以除ざい。如此,とみじんゆう爵,農民のうみんゆうぜにあわゆうしょ渫。おっとのうにゅうあわ以受爵,みな有餘ゆうよしゃ也;於有あまり,以供うえようのり貧民ひんみんそん所謂いわゆるそん有餘ゆうよ不足ふそくれい而民利者きけもの也。じゅん於民しんしょしゃさんいち曰主用足ようたし曰民しょうさん曰勸のうこうこんれい民有みんゆうしゃ騎馬きばいちひきしゃふくそつさんにんくるましゃ天下てんか武備ぶび也,ためふくそつかみみのりきょう曰:「ゆう石城せきじょうじゅう仞,ひゃくおびかぶとひゃくまん,而亡あわどるのう守也もりや。」以是かんあわしゃ王者おうじゃ大用おおゆう政之まさゆき本務ほんむれいみんにゅうあわ受爵いたり大夫たいふ以上いじょう,乃復いちにんみみ,此其與騎馬きばこう相去あいさりどお矣。爵者,上之うえのしょ擅,於口而亡きゅうあわしゃみんところたねなま於地而不とぼしおっととくだか爵與免罪めんざいにんこれしょ甚欲也。使つかい天下でんかにゅうあわ於邊,以受爵免ざいさんさいふさが下之したのあわ必多矣。

21 しょく貨志じょう:
於是ぶんみかどしたがえ錯之ごとれいみんにゅうあわあたりろくひゃくせき爵上づくりややぞういたりよんせんせきため大夫たいふまんせんせきためだい庶長,かく以多しょう級數きゅうすうため。錯復そうごと:「陛下へいかこう使天下でんかにゅうあわふさがしも以拜爵,甚大じんだいめぐみ也。竊恐ふさがそつしょく不足ふそくようだい渫天あわあたりしょくあし以支さいれいいれあわぐんけん矣;あしささえいちさい以上いじょう赦,勿收農民のうみん租。如此,德澤とくさわ萬民ばんみんみん俞勤のうときゆう軍役ぐんえきわか遭水ひでりみんこまとぼし天下てんか安寧あんねいとし孰且のりみん大富おおとみらく矣。」じょうふくしたがえ其言,乃下みことのりたまものみんじゅうねん租稅そぜいはん明年みょうねんとげじょ民田みんだ租稅そぜい

22 しょく貨志じょう:
こうじゅうさんさいこうけいねんれいみんはん田租でんそさんじゅう而稅一也かずや。其後,上郡かみごおり以西いせいひでりふくおさむうり爵令,而裁其賈以招みん;及徒ふくさくとく輸粟於縣かん以除ざいはじめづくりえん以廣よう宮室きゅうしつれつかん車馬しゃばえきぞうおさむ矣。しか婁敕有司ゆうし以農ためつとむみんとげらくぎょういたりたけみかどはつななじゅう年間ねんかん國家こっかほろびごとぐうすいひでりのりみんじんきゅうあし都鄙とひ廩庾つき滿みつる,而府餘財よざい京師けいしぜにるいひゃくまんかんくち不可ふかこうふとしくらあわひねひねしょういん充溢じゅういつせき於外,腐敗ふはい不可ふかしょく。眾庶がいちまた有馬ありま,仟伯あいだなりぐんじょう牸牝しゃ擯而とくかい聚。まもり閭閻しゃしょく粱肉;ため吏者ちょう子孫しそんきょかんしゃ以為せいごう人人ひとびと自愛じあい而重はんほう先行せんこうよしみ而黜媿辱焉。於是罔疏而民とみやくざいおご溢,あるいたりけんごうとう武斷ぶだん於鄉きょく宗室そうしつゆう公卿くぎょう大夫たいふ以下いかそう奢侈しゃししついおりしゃふく僭上せんじょうほろびげんものもり而衰,かた其變也。

23 しょく貨志じょう:
外事がいじよんえびす,內興功利こうりやくなみきょう,而民ほんただしなか舒說じょう曰:「春秋しゅんじゅう它穀しょいたり於麥禾不なりそくしょ,以此聖人せいじん於五穀最重麥與禾也。今關いまぜきちゅうぞくこうたねむぎこれさいしつ春秋しゅんじゅうところしげる,而損せいみん也。ねがい陛下へいかこうみことのりだいつかさみのり使つかいせきちゅうみんえきしゅ宿やどむぎれい毋後。」またげん:「いにしえしゃぜいみん什一,其求えきども使みんさんにち,其力えきあしみんざい內足以養ろうつきこうそとあし以事じょうきょうぜい下足げそく以畜妻子さいしきょくあいみんせつしたがえじょういたりしんそくしかようしょう鞅之ほうあらため帝王ていおうこれせいじょ井田いだみんとく賣買ばいばい富者ふしゃれん仟伯,貧者ひんじゃほろび立錐りっすいまた顓川澤之さわのかん山林さんりんにょう荒淫こういんえつせい,踰侈以相だか;邑有じんくんみことさとゆうこうこうとみしょうみんやすこままたがつためさらそつやめふくためただしいちさいたむろ戍,いちさいりょくやくさんじゅうばい於古;田租でんそこうしおてつじゅうばい於古。あるこうごうみんぜい什五。貧民ひんみんつねころも牛馬ぎゅうばころも,而食けん彘之しょくじゅう以貪暴之吏,けい戮妄みん愁亡聊,ほろび逃山りんてんため盜賊とうぞく,赭衣半道はんみち斷獄だんごくとし以千まんすうかんきょう,循而あらため井田いだほう雖難そつぎょうむべしょう近古きんこげんみん名田なた,以澹不足ふそくふさが并兼みちしおてつみな於民。奴婢ぬひじょせんころせうす斂,しょう繇役,以寬民力みんりょくしか善治よしはる也。」なか舒死こういよいよ甚,天下てんかきょ耗,にんふくしょうしょく

24 しょく貨志じょう:
たけみかどまつねん,悔征伐せいばつこと,乃封丞相じょうしょうため富民とみんこうしたみことのり曰:「

25 しょく貨志じょう:
方今ほうこんつとむざい於力のう。」以趙ためさがせあわじょうのうため代田だいだいちうねさん甽。としだいしょ曰代ほう也。きさききびはじめ甽田,以耜為耦,こうせきふかしじゃく曰甽,ちょうおわりうねいちうねさん甽,いちおっとさんひゃく甽,而播種はしゅ於甽ちゅうなえ生葉いくは以上いじょうやや耨隴そういん隤其以附なえ其詩曰:「あるげいある芓,きびきび儗儗。」げい除草じょそう也。刭,也。げんなえややたけしまい耨輒盛暑せいしょ,隴盡而根深ねぶかのうふうあずかひでり儗儗而盛也。其耕耘こううん種田たねたみなゆう便びんたくみりつじゅう二夫為田一井一屋,ごろよう耦犁,うしさんにん,一歲之收常過縵田具一斛以上,ぜんしゃばい使つかいきょうふとつねさん輔,大農だいのうおけこうたくみやつあずか從事じゅうじため作田さくた千石遣令長、さんろうちから及里父老ふろう善田よしだしゃ受田がくこうしゅやしなえなえじょうみんあるにがしょううしほろび以趨さわたいられいこうきょう以人輓犁。そうこう以為すすむきょうみんしょうあずかいさお輓犁。りつひとしゃさんじゅううねしょうしゃじゅうさんうね,以故墾闢。ためし離宮りきゅう卒田そつだ其宮壖地,とくこくみな其旁うねいち斛以じょうれいいのち家田いえたさん輔公またきょうぐん及居のべじょうあたりじょう河東かわとうひろのうさん輔、ふとし常民じょうみんみな便びん代田だいだようりょくしょう而得こく

26 しょく貨志じょう:
いたりあきらみかど流民りゅうみんややかえ田野でんやえき闢,頗有畜積。せんみかど即位そくいよう吏多せん賢良けんりょう百姓ひゃくしょう安土あづちさいすう豐穰ほうじょうこくいたりせきせん農人のうにんしょうときだいつかさみのりなかすすむ耿壽あきら以善ためさんのうしょう功利こうりとくこう於上,鳳中おおとりなかそうごと:「

27 しょく貨志じょう:
故事こじさいこげ關東かんとうこくよんひゃくまん斛以きゅう京師けいしようそつろくまんにんむべさん輔、ひろのう河東かわとううえとうふとしはらぐんこくあしきょう京師けいし以省關東かんとうこげそつ過半かはん。」またしろぞううみさんばい天子てんしみなしたがえ其計。大夫たいふしょうもちそうごと:「ぞくじょ宮家みやけざいひがし萊,げん往年おうねんうみ租,さかな不出ふしゅつ長老ちょうろうみなごとたけみかどけんかん嘗自りょううみぎょ不出ふしゅつふくみんさかな乃出。おっと陰陽いんようかんじものるい相應そうおう萬事ばんじつきしかこんことぶきあきらよくきん糴漕せき內之こくちく倉治くらじせんちょくまんまんあまりゆうどう眾之こうこわなまひでりみん其災。ことぶきあきら習於しょうこうぶん銖之ごと,其深けい遠慮えんりょまことあしにんむべ且如ゆえ。」じょう聽。こげごとはて便びんことぶきあきらとげしろれいあたりぐんみなちくくら,以穀賤時ぞう其賈而糴,以利のうこくとうとときげん賈而せりめい曰常ひらくらみん便びん上乃うえのみことのりたまものことぶきあきら爵關內侯。而蔡みずのと以好のう使すすむぐんこく至大しだいかん

28 しょく貨志じょう:
もとみかど即位そくい天下てんか大水おおみず關東かんとうぐんじゅういちゆう甚。ねんひとしかつえこくせきさんひゃくあまりみん餓死がし,琅邪ぐん人相にんそうしょく在位ざいいしょ多言たげんしおてつかん及北かりかんつねひらくらやめ,毋與みんそううえしたがえ其議,みなやめこれまたやめたてあきらあま泉宮いずみみやまもるすみ抵,ひとしさんふくかんしょう禁苑きんえん以予貧民ひんみんげん諸侯しょこうおうびょうまもるそつはんまたげんせき中卒ちゅうそつひゃくにんうたてこくかし窮乏きゅうぼう。其後用度ようど不足ふそくどくふくしおてつかん

29 しょく貨志じょう:
なりみかど天下てんかほろび兵革へいかくことごうため安樂あんらくしかぞく奢侈しゃし以畜聚為えいはじめねんはりこく平原ひらばらぐんねんきずすいわざわい人相にんそうしょく刺史ししもりしょうすわめん

30 しょく貨志じょう:
あいみかど即位そくい輔政,建言けんげん:「いにしえ聖王せいおう莫不しつらえ井田いだしかこう乃可たいら孝文たかふみ皇帝こうていうけたまわほろびしゅうらんはた兵革へいかくこれ天下てんか空虛くうきょつとむすすむのうくわそち節儉せっけんみんはじめ充實じゅうじつゆう并兼がい不為ふため民田たみだ及奴婢為げんこんるいうけたまわひらめごうとみ吏民訾數鉅萬,而貧じゃく俞困。ぶた君子くんし為政いせい因循いんじゅん而重改作かいさくしか所以ゆえんゆうあらためしゃはた救急きゅうきゅう也。またしょうむべりゃくためげん。」天子てんし其議。丞相じょうしょうあなこうだいつかさそらなん奏請そうせい:「諸侯しょこうおう列侯れっこうみなとく名田なたこくちゅう列侯れっこうざい長安ながやす公主こうしゅ名田なたけんどう,及關內侯、吏民名田なたみな毋過さんじゅうごろ諸侯しょこうおう奴婢ぬひひゃくにん列侯れっこう公主こうしゅひゃくにんせき內侯、吏民さんじゅうにんつきさんねんはんしゃ沒入ぼつにゅうかん。」時田ときたたく奴婢ぬひ賈為げん賤,ちょうでん用事ようじただしけんりゅうたかみな不便ふべん也。詔書しょうしょ且須とげくだり宮室きゅうしつえん囿府臧已侈,百姓訾富雖不及文景,しか天下てんか戶口とぐち最盛さいせい矣。

31 しょく貨志じょう:
ひらみかどくずれおう莽居とげ篡位。おう莽因かんうけたまわ平之ひらのぎょう匈奴きょうどしょうはんひゃく蠻賓ふくふねしゃしょどおりつきためしんわらわ百官ひゃっかんとみ天下てんか晏然。莽一朝いっちょうゆう,其心意しんい未滿みまん,骥小かん制度せいど,以為疏闊。せんみかどはじめたまものたん印璽いんじあずか天子てんしどう,而西南夷みなみえびすかぎまちしょうおう。莽乃遣使えきたん于印,貶鉤まちおうためこう二方ふたかたはじめ怨,侵犯しんぱん邊境へんきょう。莽遂きょうはつさんじゅうまん眾,よく同時どうじじゅうみちなみいち舉滅匈奴きょうどつのはつ天下でんか囚徒しゅうとひのとおとこかぶとそつてん輸兵自負じふうみこう淮而いたり北邊ほくへん使者ししゃはせでんとくおもむきうみ內擾矣。またどうよく慕古,時宜じぎ分裂ぶんれつしゅうぐんあらためしょくさくかんしたれい曰:「かんげんけい田租でんそさんじゅう而稅いちつねゆうさらやめ癃咸,而豪みんおかせりょう分田ぶんだこうかり,厥名さんじゅうじつ什稅也。富者ふしゃおご而為よこしま貧者ひんじゃきゅう而為かん,俱陷於辜,けいよう錯。今更いまさらめい天下田てんかだ曰王奴婢ぬひ曰私ぞくみなとく賣買ばいばい。其男こう不滿ふまんはち,而田いちしゃふん餘田はぐりあずか九族きゅうぞく鄉黨きょうとう。」はんれいほういたり制度せいどまた不定ふてい,吏緣ためかん天下てんか謷謷しかおちいけいしゃ眾。

32 しょく貨志じょう:
こうさんねん,莽知みん愁,しもみことのりしょしょくおう及私ぞくみなとく賣買ばいばい,勿拘以法。しか刑罰けいばつ深刻しんこく,它政誖亂。あたりへいじゅうあまりまんにんおおせけんかん衣食いしょく用度ようど不足ふそくかずよこ歛,みん貧困ひんこんつね枯旱,ほろびゆうひらとしこく賈翔とうと

33 しょく貨志じょう:
すえねん盜賊とうぞくぐんおこりはつぐんげきはた吏放たて於外。北邊ほくへん及青じょ人相にんそうしょく,雒陽以東いとうまいせきせん。莽遣三公將軍開東方諸倉振貸窮乏,また分遣ぶんけん大夫たいふ謁者きょうみんため酪;酪不可ふかしょくじゅうためはん擾。流民りゅうみんいれせきしゃすうじゅうまんにんおけやしなえ澹官以稟,吏盜其稟,飢死うえじにしゃななはち。莽恥為政いせいしょ致,乃下みことのり曰:「遭陽きゅうこれ阨,ひゃくろくこれかい,枯旱しもいなご饑饉ききん荐臻,蠻夷ばんい猾夏,寇賊かん軌,百姓ひゃくしょう流離りゅうり甚悼がいはたきわむ矣。」としため此言,以至於亡。

しょく貨志

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1 しょく貨志:
凡貨,金錢きんせん布帛ふはくもちいなついん以前いぜん其詳靡記うんふとしおおやけためしゅうりつきゅう圜法:黃金おうごん方寸ほうすん,而重いちきんぜに圜函かた輕重けいちょう以銖;布帛ふはくこうしゃくすんためはばちょうよんたけためひき貨寶於金,於刀,りゅう於泉,ぬの於布,たば於帛。

2 しょく貨志:
ふとしおおやけ退すさまたくだり于齊。いたりかんなかしょう桓公かんこうつう輕重けいちょうこれけん,曰:「としゆうきょうみのるこくゆう賤;れいゆう緩急かんきゅうものゆう輕重けいちょう人君じんくんのり畜賈ゆう於市,じょうみんきゅうひゃくばい其本矣。萬乘之國必有萬金之賈,千乘之國必有千金之賈者,ゆうしょ并也。けいほんりょうそくあし矣。しか民有みんゆう飢餓きがしゃこくゆうしょ臧也。民有みんゆうあまりそくけい故人こじんくん斂之以輕;みん不足ふそくそく重之しげゆき故人こじんくんこれ以重。凡輕じゅう斂散以時,のりじゅんたいら使つかい萬室之邑必有萬鍾之臧,臧繈せんまん;千室之邑必有千鍾之臧,臧繈ひゃくまんはる以奉たがやせなつ以奉耘,耒耜器械きかいしゅ饟糧しょく,必取澹焉。だい賈畜とくごうだつわれみん矣。」桓公かんこうとげよう區區まちまちひとしごう諸侯しょこうあらわはくめい

3 しょく貨志:
其後ひゃくねんしゅうけいおう患錢けいはたさらだいぜにたんきよしおおやけ曰:「不可ふかいにしえしゃてんくだわざわいもど,於是乎量ぬさけん輕重けいちょう,以救民きゅうみんみん患輕,のり為之ためゆきさくじゅうぬさ以行,於是ゆう母權ぼけん而行,みんみなとく焉。わか不堪ふかんじゅうのり多作たさくけい而行またはいじゅう,於是乎有けんはは而行,しょう大利おおとしこんおうはいけい而作じゅうみんしつ其資,のう匱乎?みんわか匱,おうようはたゆうしょとぼしとぼしはたあつ於民;みんきゅうはたどおこころざしはなれみん也。且絕みん以實おうなおふさが川原かわらため潢洿也,竭亡矣。おう其圖。」どる聽,そつだいぜにぶん曰「たから貨」,にくこうみなゆうしゅうかく,以勸のう不足ふそく,百姓蒙利焉。

4 しょく貨志:
はたけん天下てんかぬさためとう黃金おうごん以溢ためめいうえぬさ銅錢どうせんしつ如周ぜにぶん曰「はんりょう」,じゅう如其ぶん。而珠だま龜貝かめがいぎんすずぞくためかざりたから臧,不為ふためぬさしかかく隨時ずいじ而輕じゅう無常むじょう

5 しょく貨志:
かんきょう,以為しんぜにじゅうなんようさられいみんさいかちぜに黃金おうごんいちきん。而不軌逐利之としゆきみん畜積あまり贏以稽市ぶつやめあがおどべいいたりせきまんせんうまいたるひきひゃくきん天下てんかやめひらめ高祖こうそ乃令賈人とくころもいと乘車じょうしゃ重稅じゅうぜい租以困はずかしめこれ孝惠たかえこうきさきため天下でんかはつじょうふくたゆ商賈しょうこりつしか市井しせい子孫しそんまたとく宦為吏。孝文たかふみねんためぜにえき而輕,乃更よん銖錢,其文ためはんりょう」。じょぬすめぜにれい使つかい民放みんぽう。賈誼諫曰:

6 しょく貨志:
ほう使天下てんかこうとく顧租どうすずためぜに,敢雜以鉛てつため它巧しゃ,其罪黥。しかぜにじょう殽雜ためたくみのり不可ふかとく贏;而殽甚微,ため甚厚。おっとごとゆう召禍而法ゆうおこりかんこんれい細民さいみんじんみさお造幣ぞうへいいきおいかくかくれへい而鑄さくいんよくきん厚利あつとしほろかん,雖黥ざい日報にっぽう,其勢とめ。乃者,みんじん抵罪,しゃいちけんひゃくすう,及吏これしょうたぐ,榜笞奔走ほんそうしゃ甚眾。おっとけんほう以誘みん使つかいいれおちい阱,孰積於此!曩禁ぜに死罪しざいせきこんおおやけぜに,黥罪せきためほうわか此,うえなんよりゆき焉?

7 しょく貨志:
またみんようぜにこおりけん不同ふどうあるようぜにけいひゃく若干じゃっかんあるもちいじゅうぜにひらしょう受。ほうぜにだて,吏急而壹虖,のりだいためはん苛,而力不能ふのうしょうたて而弗しか虖,すなわち肆異ようぜにぶん大亂たいらん。苟非其術,なにきょう而可哉!

8 しょく貨志:
こん農事のうじ棄捐而采どうしゃしげるしゃく其耒耨,冶鎔炊炭,かんぜに五穀ごこく不為ふため善人ぜんにん怵而ためかんよこしますなおみんおちい而之けい戮,けい戮將甚不しょう奈何いかん而忽!くに患此,吏議必曰きんきんとく其術,其傷必大。れいきんぜにのりぜに必重;重則しげのり其利ふかとう如雲而起,棄市つみまた不足ふそく以禁矣。かんすうかち而法きんすうつぶせどう使しか也。どうぬの於天,其為はく矣。

9 しょく貨志:
こんはくじょ,而ななぶく致也。なにいいななぶくうえおさむどう勿令ぬののりみんぜに,黥罪せきいち矣。にせぜにしげるみんあいうたぐ矣。さいどう作者さくしゃはん於耕さん矣。どう畢歸於上,うえはさみどうせき以御輕重けいちょうぜにけいのり以術斂之,重則しげのり以術これ貨物かもつ必平,よん矣。以作兵器へいき,以假しん多少たしょうゆうせいようべつ踐,矣。以臨まん貨,以調盈虛えいきょ,以收とものりかんとみじつ而末みんこまろく矣。せいわれ棄財,以與匈奴きょうど逐爭其民,其敵必懷,なな矣。ぜんため天下でんかしゃいん而為ぶくてんはい而為こういまひさし退すさ七福而行博禍,しんまこときず

10 しょく貨志:
うえ聽。以諸ほう即山そくざんぜにとみらち天子てんしそつ叛逆はんぎゃく。鄧通,大夫たいふ也,以鑄ぜにざい王者おうじゃ、鄧錢ぬの天下でんか

11 しょく貨志:
たけみかどいんぶんけい畜,忿胡、粵之がい即位そくいすうねんいむすけしゅかいしんとう招徠ひがし甌,ことりょう粵,こう淮之あいだ蕭然しょうぜんはん矣。からこうむ司馬しばしょう如始開西かいせい南夷みなみえびす,鑿山どおりどうせんあまりさと,以廣ともえしょくともえしょくみんやめ焉。彭吳穿ほじけがれ貊、朝鮮ちょうせんおけ滄海そうかいぐんのりつばめひとしあいだ靡然發動はつどう。及王恢謀邑,匈奴きょうどぜっ和親わしんおかせゆう北邊ほくへんへいれん而不かい天下てんかども其勞。干戈かんかしげる行者ぎょうじゃ齎,きょしゃおく中外ちゅうがい騷擾そうじょうしょうたてまつ,百姓抏敝以巧法,ざいまいないおとろえ耗而澹。入物いれものしゃかん貨者じょざいせん舉陵えびす廉恥れんちしょうおかせ武力ぶりょくしんようほう嚴令げんれいきょう利之としゆきしん此而はじめ

12 しょく貨志:
其後,まもるあおとし以數まん出擊しゅつげき匈奴きょうどとげ河南かなんちくついたちかた時又ときまたどおり西南せいなんえびすどう作者さくしゃすうまんにん千里せんり負擔ふたん餽饟,りつじゅうあまり鍾致いちせきぬさ於邛僰以輯之。すうさい而道不通ふつう蠻夷ばんいいん以數おさむ吏,吏發へい誅之。悉巴しょく租賦不足ふそく以更,乃募ごう民田たみだ南夷みなみえびすにゅうあわけんかん,而內受錢於都內。ひがしおけ滄海そうかいぐんにん徒之かちのうたぐ於南えびすまたきょう十餘萬築衛朔方,てんこげ甚遠,山東さんとう咸被其勞,すうじゅうひゃく鉅萬,なみむなし。乃募みんのうにゅう奴婢ぬひとく終身しゅうしんふくためろうぞう秩,及入ひつじためろうはじめ於此。

13 しょく貨志:
此後よんねんまもるあおとしじゅうあまりまん眾擊えびすくびとりこ受賜黃金おうごんじゅうあまりまんきん,而漢ぐん死者ししゃじゅうあまりまんへいかぶとうたてこげこれあずか焉。於是だいつかさみのりひね臧錢けいようぜいすんで竭,不足ふそく以奉戰士せんし有司ゆうし請令みんとくかい爵及贖禁錮きんこめん臧罪;請置しょうかんめい曰武こう爵。きゅうじゅうななまん,凡直さんじゅうあまり萬金まんきんしょかい武功ぶこう爵官くびしゃ試補しほ吏,さきじょ;千夫如五大夫;其有ざいまたげんとう;爵得いたりらくきょう,以顯軍功ぐんこう軍功ぐんこう多用たようちょうとうだいしゃふうこうきょう大夫たいふ小者こものろう吏道りどうざつ而多はしのり官職かんしょく秏廢。

14 しょく貨志:
まごひろ春秋しゅんじゅうなわしん下取したどりかんしょうちょう以峻ぶんけつため廷尉,於是知之ともゆきほうせい,而廢かく沮誹きゅう治之はるゆきごくよう矣。其明ねん淮南ワイナン、衡山、こうみやこおう謀反むほん跡見あとみ,而公卿くぎょうひろはし治之はるゆき,竟其とうあずかすわ而死しゃすうまんにん,吏益むごきゅう而法れい察。とう,招尊方正ほうせい賢良けんりょう文學ぶんがくあるいたり公卿くぎょう大夫たいふ公孫こうそんひろ以宰しょうぬのしょく重味しげみためさきしか而無えき於俗,ややつとむ功利こうり矣。

15 しょく貨志:
其明ねんひょう仍再出擊しゅつげきえびすだいかつ。渾邪おうりつすうまん眾來くだ,於是かん發車はっしゃさんまんりょうむかえこれすんでいたり受賞じゅしょうたまもの有功ゆうこう歲費さいひ凡百ぼんぴゃくあまり鉅萬。

16 しょく貨志:
さきじゅうさいかわけつ,灌梁、すわえかたやめすうこま,而緣かわぐん隄塞かわ,輒壞けつ不可ふかかちけい。其後ばんがかりよくしょうそこばしらこげ穿ほじ汾、かわみぞ以為溉田;てい當時とうじため渭漕回遠まわりどお,鑿漕ちょくみぞ長安ながやすいたりはなかげ;而朔かたまた穿ほじ溉渠。作者さくしゃかくすうまんにんれき三期而功未就,またかく以鉅まんじゅうすう

17 しょく貨志:
天子てんしためえびすもりよううま往來おうらいしょく長安ながやすしゃすうまんひきそつてのひらしゃせきちゅう不足ふそく,乃調つくりきんぐん。而胡くだしゃすうまんにんみなとくあつしょう衣食いしょくおおせきゅうけんかんけんかんきゅう天子てんし乃損ぜんかいじょう輿こし出御しゅつぎょきん臧以澹之。

18 しょく貨志:
其明ねん山東さんとうみずわざわいみんかつえとぼし,於是天子てんし使つかいきょぐんこくくら廩以振ひんなお不足ふそくまたつのごうとみ人相にんそうかりかしなお不能ふのうしょうすくえ,乃徙貧民ひんみん於關以西いせい,及充ついたちかた以南いなんしんしんちゅうななじゅうあまりまんくち衣食いしょくみなおおせきゅう於縣かんすうさい貸與たいよ產業さんぎょう使者ししゃ分部わけべまもるかんむりぶたしょうもちおくけいけんかん大空おおぞら。而富商賈しょうこある墆財やくひんうたてこしきひゃくすうはいきょきょ邑,ふうくんみな氐首おおせきゅう焉。冶鑄しおざいあるるいまんきん,而不公家くげきゅうはじむみんおもこま

19 しょく貨志:
於是天子てんしあずか公卿くぎょうさらづくりぜにぬさ以澹よう,而摧浮淫并兼禁苑きんえんゆうしろ鹿しか而少ぎんすず孝文たかふみさらづくりよん銖錢,いたりとしよんじゅうねんしたがえけんもと以來いらいもちいしょうけんかん往往おうおうそく銅山どうざん而鑄ぜにみんまたぬすめ不可ふかかちすうぜにえき而輕,ものえきしょう而貴。有司ゆうしげん曰:「

20 しょく貨志:
いにしえしゃかわぬさ諸侯しょこう以聘とおるきむゆうさんとう黃金おうごんためじょう白金はっきんためちゅう赤金あかがねためこん半兩錢はんりょうぜにほうじゅうよん銖,而姦あるぬすめぜにしつ而取鋊,ぜにえき輕薄けいはく而物とうとのり遠方えんぽうようぬさはんしょう。」乃以しろ鹿しかかわかたじゃくえん以繢,ためがわぬさちょくよんじゅうまん王侯おうこう宗室そうしつあさ覲聘とおる,必以がわぬさこも璧,しかこうとくぎょう

21 しょく貨志:
またみやつこぎんすず白金はっきん。以為てんよう莫如りゅうよう莫如にんよう莫如かめ白金はっきんさんひん:其一曰重はちりょう,圜之,其文りゅうめいしろせん」,ちょくさんせん;二曰以重差小,ぽう,其文ちょくひゃくさん曰復しょう,橢之,其文かめちょくさんひゃくれいけんかん銷半りょうぜにさらさん誅錢,じゅう如其ぶんぬすめしょ金錢きんせんざいみな,而吏みんおかせしゃ不可ふかかちすう

22 しょく貨志:
於是以東いとうかく咸陽、あな僅為大農だいのうすすむりょうしおてつごと,而桑ひろひつじ貴幸たかゆき。咸陽,ひとしこれだいしおあな僅,南陽なんようだい冶,みな致產るい千金せんきんてい當時とうじ進言しんげんひろひつじ洛陽らくよう賈人之子ゆきこ,以心けいねんじゅうさんさむらいちゅう三人言利事析秋豪矣。

23 しょく貨志:
ほうすんでえきげん,吏多はいめん兵革へいかくすうどうみんかいふく及五大夫たいふせんおっと徵發ちょうはつえき鮮。於是じょせんおっと大夫たいふため吏,よくしゃ出馬しゅつば吏皆てきれいとげ上林うえばやしさくこんあきら

24 しょく貨志:
其明ねん大將軍だいしょうぐんひょう大出おおいでげきえびす賞賜しょうしじゅうまんきん軍馬ぐんば死者ししゃじゅうあまりまんひきうたてこげしゃ甲之こうしあずか焉。ざい匱,戰士せんし頗不とく祿ろく矣。

25 しょく貨志:
有司ゆうしげんさん銖錢けいけいぜにえきさくかんいつわり,乃更請郡こく銖錢,しゅうかく其質,れい不可ふかとくなまり

26 しょく貨志:
大農だいのう上鹽かみしおてつすすむあな僅、咸陽ごと:「山海さんかい天地てんち臧,むべぞくしょう陛下へいかどるわたし,以屬大農だいのうねがいつのみん自給じきゅういんかんさくしおかんあずかろうぼん。浮食みんよく擅斡山海さんかい貨,以致とみともやく細民さいみん。其沮ごと不可ふかしょう聽。敢私鑄鐵ちゅうてつしおしゃ,釱左趾,沒入ぼつにゅう其器ぶつぐん不出ふしゅつてつしゃおけしょうてつかん使つかいぞく在所ざいしょけん。」使つかい僅、咸陽じょうでん舉行天下でんかしおてつさくかんじょしおてつ富者ふしゃため吏。吏益賈人矣。

27 しょく貨志:
商賈しょうこ以幣へんせき貨逐。於是公卿くぎょうごと:「ぐんこく頗被災害さいがい貧民ひんみん產業さんぎょうしゃつの徙廣にょうこれ陛下へいかそんぜんしょうようきんぜに以振元元もともとひろしかし,而民ひとし南畝のうねん商賈しょうこしげる眾。貧者ひんじゃ畜積ゆうみなおおせけんかんあやときさん軺車賈人じょうぜにみなゆう,請算如故。しょ賈人まつさくもらいかし賣買ばいばいきょ邑貯せき諸物しょぶつ,及商以取利者きけもの,雖無せきかく以其ぶつうらないりつじょうぜにせん而算いちしょさくゆう租及りつじょうぜによんせんさんいち吏比しゃさんろう北邊ほくへん騎士きし,軺車いちさん商賈しょうこじん軺車さんせんたけ以上いじょういちさん。匿不うらないうらない不悉ふしつ,戍邊いちさい沒入ぼつにゅうじょうぜに有能ゆうのうつげしゃ,以其はん畀之。賈人有市ありいちせき,及家ぞくみなとく名田なた,以便のう。敢犯れいぼつ入田にゅうた貨。」

28 しょく貨志:
ごうとみみなそう匿財,ただぼくしきすうもとめにゅうざい以助けんかん天子てんし乃超はいしきためちゅうろうたまもの爵左庶長,じゅうごろ布告ふこく天下でんか,以風百姓ひゃくしょうはつしきねがいためかんうえきょうはいやや遷至ひとししょうかたり自在じざい其傳。あな僅使天下でんかさくさんねんちゅう至大しだいつかさみのりれつ於九きょう。而桑ひろひつじためだいつかさみのりなかすすむかんしょ會計かいけいごとややややおけひとし輸以どおり貨物かもつはじめれい吏得にゅうこくかんろういたりろくひゃくせき

29 しょく貨志:
みやつこ白金はっきん銖錢さい,而赦吏民すわぬすめ鑄金ちゅうきんぜに死者ししゃすうじゅうまんにん。其不發覺はっかく相殺そうさいしゃ不可ふかかちけい。赦自しゃひゃくあまりまんにんしか不能ふのうはん天下てんかだい無慮むりょみな鑄金ちゅうきんぜに矣。はんほうしゃ眾,吏不能ふのうつき誅,於是博士はかせ褚大、じょ偃等ぶんあるきぐんこく,舉并けんもりしょうため利者きけもの。而御大夫たいふちょうかた用事ようじげんせんもりしゅうとうためちゅうすすむよしたていんひとしおうあつし舒等ようきゅうこくためきゅうきょうちょくゆびなつらんぞくはじめ。而大農だいのうがお誅矣。はつためずみみなみていちょう,以廉直れんちょくやや遷至きゅうきょううえあずかすんでづくりしろ鹿しかがわぬさもんこと曰:「こん王侯おうこう朝賀ちょうが以倉璧,ちょくすうせん,而其がわこもはんよんじゅうまんほんまつ相稱そうしょう。」天子てんしせつまたあずかゆうすき,及人ゆうつげ以它こと湯治とうじあずか客語かくご客語かくごはつれいゆう不便ふべんしゃおうほろはん脣。そうとうきゅうきょうれい不便ふべん不入ふにゅうげん而腹ろんゆうはらこれほう,而公卿くぎょう大夫たいふ諂諛取よう

30 しょく貨志:
天下てんかすんでじょうぜにれい而尊ぼくしき,百姓終莫分財佐縣官,於是つげじょうぜにたて矣。

31 しょく貨志:
ぐんこくぜにみんかんぜにけい,而公卿くぎょう請令京師けいしかんあか仄,いちとうかんようあか仄不とくぎょう白金はっきんやや賤,みんどるたからようけんかん以令きん無益むえきさいあまりおわりはいくだりこれさい而民おもえ。其後さいあか仄錢賤,みんたくみ法用ほうよう不便ふべんまたはい。於是悉禁ぐんこく毋鑄ぜにせんれい上林うえばやしさんかんぜにすんで,而令天下でんかさんかんぜにとくぎょうしょぐんこくまえしょぜにみなはい銷之,輸入ゆにゅう其銅さんかん。而民ぜにえきしょうけい其費不能ふのう相當そうとうただ工大こうだいかん乃盜為之ためゆき

32 しょく貨志:
楊可つげじょうへん天下でんか中家ちゅうか以上いじょうだい氐皆ぐうつげもりしゅう治之はるゆきごくしょうはんしゃ。乃分遣ぶんけん廷尉せいかんぶん曹往,往即ぐんこくじょうぜにとくみん財物ざいぶつおくけいやつ婢以せんまんすうだいけんすうひゃくごろしょうけんひゃくあまりごろたくまた如之。於是商賈しょうこ中家ちゅうか以上いじょうだい氐破,みん媮甘しょくこうころもこと畜臧これぎょう,而縣かん以鹽てつじょうぜにようしょうにょう矣。えきこうひらけおけ左右さゆう輔。

33 しょく貨志:
はつ大農だいのうみきしおてつかんぬのおけすい衡,よく以主しおてつ;及楊つげじょう上林うえばやし財物ざいぶつ眾,乃令すい衡主上林うえばやし上林うえばやしすんで充滿じゅうまんえきひろ粵欲あずかかん用船ようせんせん逐,乃大おさむこんあきらいけれつかんたまきろうせんこうじゅうあまりたけはた其上,甚壯。於是天子てんしかん,乃作かしわはりだいこうすうじゅうたけ宮室きゅうしつおさむ,繇此うらら

34 しょく貨志:
乃分じょうぜにしょかん,而水衡、しょうふとぼく大農だいのうかくおけのうかん往往おうおうそくぐんけんぼつ入田にゅうた。其沒入ぼつにゅう奴婢ぬひふんしょえんやしなえいぬ禽獸きんじゅう,及與しょかんかんえきざつおけやつ婢眾,而下かわこげよんひゃくまんせき,及官糴乃あし

35 しょく貨志:
ところ忠言ちゅうげん:「子弟していとみじんある鬥雞走狗そうく,弋獵はくおどけらんひとしみん。」乃徵しょはんれいそう引數ひきすうせんにんめい曰「かぶおく」。にゅうざいしゃとくろうろうせんおとろえ矣。

36 しょく貨志:
これ山東さんとうかわわざわい,及歲とうすうねんにんあるそうしょくぽうさん千里せんり天子てんし憐之,れいかつえみんとくりゅう就食こう淮間,よくとめ留處とめど使者ししゃかんむりぶたしょうぞく於道まもるしもともえしょくあわ以振焉。

37 しょく貨志:
明年みょうねん天子てんしはじめじゅんぐんこくひがしかわ河東かわとうまもる不意ふいぎょういたり不辯ふべん自殺じさつくだり西にし踰隴,そつしたがえかんとくしょく,隴西もり自殺じさつ。於是上北かみきたいずるしょうせきしたがえすうまん騎行きこうりょうしんしんちゅう,以勒へい而歸。しんしんちゅうある千里せんりちん徼,於是誅北太守たいしゅ以下いか,而令みんとく畜邊けんかんかりうまははさんさい而歸,及息什一,以除つげじょうようたかしにゅうしんしんちゅう

38 しょく貨志:
既得きとくたからかなえ立后りっこう泰一やすいちほこら公卿くぎょうしろふうぜんごと,而郡こくみなどう修繕しゅうぜんみや,及當はせ道縣どうけんけんみやもうかしつらえども,而望こう

39 しょく貨志:
明年みょうねんみなみ粵反,西にし羌侵天子てんしため山東さんとう澹,赦天しゅういん南方なんぽうろうせんじゅうあまりまんにんげき粵,はつ三河以西騎擊羌,またすう萬人度河築令居。はつおけちょうわきさけいずみぐん,而上ぐんついたちかた西河にしかわ河西かさい開田かいだかん,斥塞そつろくじゅうまんにん戍田中國ちゅうごくつくろえどう餽糧,とおしゃさんせんこんしゃせんあまりさとみなおおせきゅう大農だいのうあたりへい不足ふそく,乃發武庫むここうかん兵器へいき以澹くるま騎馬きばとぼしけんかんぜにしょうかいなん,乃著れいれいふうくん以下いかいたりさんひゃくせき吏以じょう差出さしで

40 しょく貨志:
牡馬ぼば天下でんかていちん有畜ゆうちくさいいき

41 しょく貨志:
ひとしあいぼくしき上書うわがきねがい父子ふしみなみ粵。天子てんしみことのり褒揚,たまもの爵關內侯,黃金おうごんよんじゅうきんじゅうごろ布告ふこく天下でんか天下てんか莫應。列侯れっこう以百すうみな莫求從軍じゅうぐんいたりいん酎,しょうしょうきん,而列こうすわ酎金しつこうしゃひゃく餘人よにん。乃拜ぼくしきため大夫たいふしきすんで在位ざいいみるぐんこく不便ふべんけんかんさくしおてつうつわあく,賈貴,あるつよしれいみんかい。而船ゆうさんしょうしゃしょうぶつたか,乃因あな僅言せんさんごとうえせつ

42 しょく貨志:
かんれん出兵しゅっぺいさんさい,誅羌,ほろびりょう粵,ばん以西いせいいたりしょくみなみしゃおけはつぐんじゅうなな,且以其故ぞくぜい南陽なんようかんちゅう以往いおうかく以地きゅうはつぐん吏卒たてまつしょく幣物へいもつつて車馬しゃば。而初ぐんまた時時ときどきしょうはんころせ吏,かんはつ南方なんぽう吏卒往誅あいだとしまん餘人よにんみなおおせ大農だいのう大農だいのう以均輸調しおてつじょのう澹之。しかへいしょけんけん以為訾給毋乏而已,敢言けいほう矣。

43 しょく貨志:
其明ねんもとふう元年がんねんぼくしき貶為太子たいしふとしでん。而桑ひろひつじためあわじょうりょう大農だいのうつきだい僅斡天下でんかしおてつひろひつじ以諸かん各自かくじしょうそうもの以故あがおど,而天輸或つぐなえ其僦,乃請おけ大農だいのうすすむすうじゅうにん分部わけべぬしぐんこくかく往往おうおうおけひとし輸鹽てつかんれい遠方えんぽうかく以其ぶつ如異商賈しょうこしょてん

44 しょく貨志:
貶者ため,而相灌輸。おけ平準へいじゅん於京受天輸。召工かんしゃしょうつわみなおおせきゅう大農だいのう大農だいのうしょかんつきかご天下でんか貨物かもつ貴則たかのりうり,賤則かい。如此,富商ふしょうだい賈亡しょ大利おおとしのりはんほん,而萬物不得騰躍。そもそも天下てんかものめい曰「平準へいじゅん」。天子てんし以為しか而許。於是天子てんしきたいたりついたちかたひがしふう泰山たいざんじゅん海上かいじょうつくり北邊ほくへん以歸。ところ過賞かしょうたまものよう帛百あまりまんひきぜにきん以鉅まんけいみなあし大農だいのう

45 しょく貨志:
ひろひつじまた請令みんにゅうあわ吏,及罪以贖。れいみんにゅうあわあまいずみかくゆう,以復終身しゅうしんふくつげじょう。它郡かく輸急しょ,而諸のうかく致粟,山東さんとうこげえきとしろくひゃくまんせきいちさいなかふとしくらあまいずみくら滿みつるあたりあまりこくしょひとし輸帛ひゃくまんひきみんえき而天ようにょう。於是ひろひつじたまもの爵左庶長,黃金おうごんしゃさいひゃく焉。

46 しょく貨志:
これさいしょうひでりうえれい百官ひゃっかんもとめぼくしきげん曰:「けんかんとうしょく租衣ぜい而已,いまひろしひつじれい吏坐れつ,販物もとめとおるひろひつじてん乃雨。」久之ひさゆきたけみかど疾病しっぺいはいひろひつじため大夫たいふ

47 しょく貨志:
あきらみかど即位そくいろくねんみことのりぐんこく舉賢りょう文學ぶんがくもん以民しょやましにが教化きょうかようみなたいねがいやめしおてつしゅ鸾均輸官,毋與天下でんかそう以儉ぶししかこう教化きょうかきょうひろひつじなん,以為此國家こっか大業おおわざ所以ゆえんせいよんえびすやすあたりあしようほん不可ふかはい也。乃與丞相じょうしょう千秋共奏罷酒酤。ひろひつじ以為こくおき大利おおとし其功,ほしため子弟していとくかん,怨望大將軍だいしょうぐん霍光,とげあずか上官じょうかん桀等謀反ぼうほん誅滅ちゅうめつ

48 しょく貨志:
せんもとなりあいひらせいほろびしょ變改へんかいもとみかど嘗罷しおてつかんさんねん而復みつぎ禹言:「ぜにさいどういちさいじゅうまんにんたがやせみんすわぬすめおちいけいしゃとみじん臧錢滿室まんしつなおいやあし民心みんしん動搖どうよう,棄本逐末,こうしゃ不能ふのうはんかんよこしま不可ふかきんはらおこり於錢。やまし其末しゃぜっ其本,むべやめさい珠玉しゅぎょく金銀きんぎんぜにかん,毋復以為ぬさじょ販賣はんばい租銖りつ租稅そぜい祿ろくたまものみな布帛ふはく及穀,使つかい百姓壹意農桑。」しゃ以為交易こうえきまちぜに布帛ふはく不可ふか尺寸しゃくすん分裂ぶんれつ。禹議また

49 しょく貨志:
こうたけもとかり五年三官初鑄五銖錢,いたりひらみかど元始げんしちゅうなりぜにひゃくはちじゅうおくまんあまりうん

50 しょく貨志:
おう莽居へんかんせい,以周せん有子ゆうこははしょうけん,於是さらづくりだいぜにみちすんふんじゅうじゅう銖,ぶん曰「だいぜにじゅう」。またみやつこちぎりがたな、錯刀。ちぎりがたな,其環如大ぜに身形みなり如刀,ちょうすんぶん曰「ちぎりがたなひゃく」。錯刀,以黃きん錯其ぶん,曰「一刀いっとうちょくせん」。あずか五銖錢凡四品,並行へいこう

51 しょく貨志:
莽即しん,以為しょりゅう有金ありかねがたな,乃罷錯刀、ちぎりがたな及五銖錢,而更さくきんぎんかめかいぜにぬのしなめい曰「たから貨」。

52 しょく貨志:
しょうぜにみちろくふんじゅういち銖,ぶん曰「しょうせん直一なおかず」。つぎななふんさん銖,曰「

53 しょく貨志:
ぜにいちじゅう」。つぎはちふん銖,曰「ようぜにじゅう」。つぎきゅうふんなな銖,曰「ちゅうぜにさんじゅう」。つぎいちすんきゅう銖,曰「たけしぜによんじゅう」。よしまえだいぜにじゅう」,ためぜにろくひんちょくかく如其ぶん

54 しょく貨志:
黃金おうごんじゅういちきんちょくぜにまんしゅひさげぎんじゅうはち兩為りょうだめ一流いちりゅうちょくいちせんひゃくはちじゅう。它銀一流いちりゅうちょくせんため銀貨ぎんかひん

55 しょく貨志:
もとかめ岠冉ちょうじゃくすんちょくせんいちひゃくろくじゅうためだいかいじゅうともおおやけかめきゅうすんちょくひゃくためたけしかいじゅうともほうひさしななすん以上いじょうちょくさんひゃくため幺貝じゅうともかめすん以上いじょうちょくひゃくためしょうかいじゅうともためかめたからよんひん

56 しょく貨志:
だいかいよんすんはちふん以上いじょうまい為一ためいちともちょくひゃくいちじゅうろくたけしかいさんすんろくふん以上いじょうまい為一ためいちともちょくじゅう。幺貝すんよんふん以上いじょうまい為一ためいちともちょくさんじゅう小貝おがいすんふん以上いじょうまい為一ためいちともちょくじゅうみつるすんふんたびとくためともりつまいちょくぜにさんためかいひん

57 しょく貨志:
だいぬのぬのおとうとぬのたけしぬのちゅうぬのぬのあつぬのようぬの、幺布、小布こぎれ小布こぎれちょうすんふんじゅうじゅう銖,ぶん曰「小布こぎれいちひゃく」。小布こぎれ以上いじょう各相かくしょうちょういちふんそう重一しげかず銖,ぶんかくため其布めいちょくかくいちひゃくうえ至大みちともぬのちょうすんよんふんじゅういちりょう,而直せんぜに矣。ためぬのじゅうひん

58 しょく貨志:
凡寶貨五ぶつろくめいじゅうはちひん

59 しょく貨志:
さくぜにぬのみなようどう,殽以れんすずぶんしつしゅうくるわかん銖錢うん。其金銀きんぎんあずか它物ざつしょく不純ふじゅんこのみかめみつるすんかいみつるろくふんみなとくためたから貨。もとかめため蔡,四民しみん所得しょとくゆうしゃにゅうだいぼく受直。

60 しょく貨志:
百姓ひゃくしょう憒亂,其貨くだりみんわたし以五銖錢かい。莽患しもみことのり:「敢非井田いだはさみ五銖錢者為惑眾,とうしょよん裔以魑魅すだま。」於是のうしょう失業しつぎょうしょく貨俱はいみん涕泣ていきゅう於市どうすわ賣買ばいばいでんたくやつ婢鑄ぜに抵罪しゃ自公じこうきょう大夫たいふいたり庶人,不可ふかしょうすう。莽知みん愁,乃但ぎょう小錢こぜに直一なおかずあずかだいぜにじゅうひん並行へいこう龜貝かめがいぬのぞく且寢。

61 しょく貨志:
莽性躁擾,不能ふのう無為むいまいゆうしょきょうづくり,必欲とく經文きょうもん國師こくしこうりゅう歆言しゅう有泉ありいずみかんおさむ讎,あずか欲得よくとくそくやす所謂いわゆる理財りざい正辭まさこときんみんためしゃ也。莽乃みことのり曰:「おっとしゅうあやゆう賒貸,らくゆうひとし傳記でんきかくゆう斡焉。こんひらき賒貸,ちょうひとししつらえしょ斡者,所以ゆえんひとし眾庶,そもそも并兼也。」とげ於長やす及五都立とりつひとしかんさらめい長安ながやす東西とうざいれい及洛邯鄲かんたん、臨甾、あて成都せいと市長しちょうみなためひとしつかさしょうひがししょうきょう西市さいちしょう畿,洛陽らくようしょうちゅう四都各用東西南北為稱,みなおけ交易こうえきすすむにんぜにすすむ一人ひとりこうしょうのうさい金銀きんぎんどうれんすずのぼりひさしかいしゃみなうらないつかさぜにじゅん而取

62 しょく貨志:
また以周かんぜいみん:凡田こうためふえさんおっとぜい城郭じょうかくちゅうたく藝者げいしゃため不毛ふもうさんおっとぬのみん浮游ふゆう無事ぶじおっとぬのいちひき。其不能ふのうぬのしゃ,缈作,けんかん衣食いしょくしょ眾物鳥獸ちょうじゅうぎょ鱉百蟲於山林水澤及畜牧者,嬪婦桑蠶くわご紝紡績補ぬえ工匠こうしょうみこぼくしゅく及它かたわざしょう販賈じんすわ肆列さと謁舍,みな各自かくじうらない所為しょい於其在所ざいしょけんかんじょ其本,けい其利,じゅういちふん,而以其一ためみつぎ。敢不うらないうらない以實しゃつき沒入ぼつにゅうしょさい,而作けんかんいちさい

63 しょく貨志:
しょつかさつねよんちゅうがつ實定じってい所掌しょしょうため物上ぶつじょうちゅう下之したの賈,各自かくじようため其市ひらめ,毋拘它所。眾民賣買ばいばい五穀布帛絲綿之物,しゅう於民よう而不讎者,ひとし官有かんゆう以考けん厥實,よう其本賈取,毋令おりぜに萬物ばんぶつ卬貴,たいらいちせんのり以平いたいら賈賣あずかみん。其賈氐賤げんたいらしゃ,聽民あい與市よいち,以防庾者。みんよく祭祀さいし而無ようしゃぜに以所にゅうこうしょうみつげただし賒之,祭祀さいし旬日じゅんじつ毋過さんがつみんあるとぼしぜっよくかし以治產業さんぎょうしゃひとし授之,じょ其費,けい所得しょとく受息,毋過とし什一。

64 しょく貨志:
羲和魯匡ごと:「名山めいざん大澤おおさわしおてつぜに布帛ふはくひとし賒貸,斡在けんかんたださけ酤獨斡。さけしゃてん美祿びろく帝王ていおう所以ゆえん頤養天下でんかとおるまついのりぶく,扶衰やしなえやましひゃくれいかいさけくだり》曰『さけ酤我』,而論曰『酤酒しょく』,しゃ相反あいはん也。おっとよりどころうけたまわ平之ひらのさけ在官ざいかんかずむね便びんじん以相也。論語ろんご孔子こうしとうしゅうおとろえみだれさけ在民ざいみんうすあくまこと以疑而弗しょくこんぜっ天下でんかさけのり以行れいしょうやしなえ而亡げんのりざいきずみん。請法いにしえれいかんさくしゅ,以せんひゃくせき為一ためいちひとしりつひらけいち以賣,讎五じゅう釀為じゅん。一釀用麤米二斛,麴一斛,とくなりしゅろくろくかく以其がつさくべいさん斛,并計其賈而參ぶん,以其一為酒一斛之平。じょまい麴本賈,けい其利而什ぶん,以其なないれかん,其三及纸酨灰炭給工器薪樵之費。」

65 しょく貨志:
羲和おけいのちとくひとしろく斡,ぐん有數ゆうすうじんみなようとみ賈。洛陽らくよう薛子なかちょうちょう叔、臨菑せいえらとうじょうでんもとむ交錯こうさく天下でんかいんあずかぐんけんどおりかんちょうそら簿不實ふじつ百姓ひゃくしょう俞病。莽知みんふくみことのり曰:「おっとしおしょくさかなはたしゅ百藥ひゃくやくこれちょうよしみかいこうてつ,曰農ほん名山めいざん大澤おおさわにょう衍之臧;ひとし賒貸,百姓ひゃくしょうしょひらめ,卬以きゅう澹;てつぬのどう冶,通行つうこう有無うむ,備民よう也。此六しゃ編戶あみどひとしみんしょ能家のうげさく,必卬於市,雖貴すうばいとく不買ふばいごうみんとみ賈,そくよう貧弱ひんじゃくさきひじりとも其然也,斡之。まい一斡為設科條防禁,はんしゃざいいたり。」かん吏猾みんなみおかせ,眾庶かく不安ふあんせい

66 しょく貨志:
こうさいてんおおとり元年がんねんふくさる金銀きんぎん龜貝かめがい貨,頗增げん其賈じき。而罷大小だいしょうぜに改作かいさく貨布,ちょうすんふんこういちすん首長しゅちょうはち分有ぶんゆうこうはちふん,其圜こうみちふんはんそくえだちょうはちふんあいだこう二分にぶん,其文みぎ曰「

67 しょく貨志:
貨」,ひだり曰「ぬの」,じゅうじゅう銖,ちょく貨泉じゅう。貨泉みちいちすんじゅう銖,ぶんみぎ曰「貨」,ひだり曰「いずみ」,まい直一なおかずあずか貨布ひん並行へいこうまた以大ぜにぎょうひさやめこれおそれみんはさみとめ,乃令みん獨行どっこうだいぜにあずかしん貨泉俱枚直一なおかず並行へいこうつきろくねん,毋得ふくはさみだいぜに矣。まいいちえきぜにみんようやぶぎょう,而大おちいけい。莽以わたしぜに,及非沮寶貨投よん裔,はんほうしゃ不可ふか勝行かつゆき,乃更けい其法:わたしさくいずみぬのしゃあずか妻子さいし沒入ぼつにゅうためかん奴婢ぬひ;吏及而不舉告,あずか同罪どうざい沮寶貨,みんばつさくいちさい,吏免官めんかんはんしゃ俞眾,及五人相にんそうすわみな沒入ぼつにゅうぐんこくおりしゃ鐵鎖てっさ傳送でんそう長安ながやす鍾官,愁苦死者ししゃろくなな

68 しょく貨志:
さく貨布ろくねん匈奴きょうど侵寇しんこう甚,莽大つの天下てんか囚徒しゅうとじんやつめい曰豬突豨いさむいちきり稅吏ぜいりみん,訾さんじゅう而取いちまたれい公卿くぎょう以下いかいたりぐんけん黃綬おうじゅ吏,みな保養ほよう軍馬ぐんば,吏盡ふく以與みんみんゆらしゅさわきんとくこうくわ,繇役はんげき,而枯ひでり蝗蟲ばったしょういんまたもちい制作せいさく未定みていうえ自公じこうこうしもいたり小吏しょうりみなたてまつ祿ろく,而私斂,貨賂上流じょうりゅうごく訟不けつ。吏用苛暴りつつくりえん莽禁,おかせこくしょうみん富者ふしゃとくたもて貧者ひんじゃ自存じそんおこりため盜賊とうぞく阻山さわ,吏不能ふのう禽而覆蔽之,ひたいんこう,於是あおじょ、荊楚これ往往おうおうまんすうせん死亡しぼう緣邊えんぺんよんえびすしょがかりとりこおちいつみかつえ疫,人相にんそうしょく,及莽誅,而天戶口とぐちげんはん矣。

69 しょく貨志:
自發じはつ豬突豨勇よんねん,而漢へい誅莽。こうねんせい受命じゅめい,盪滌はん苛,ふく銖錢,あずか天下てんか更始こうし

70 しょく貨志:
さん曰:《えきしょう裒多えき寡,しょうぶつたいらほどこせ」,《しょうん「楙遷有無うむ」,しゅう有泉ありいずみかん,而孟またいぬ彘食じんしょく不知ふち斂,ゆうかつえ驿而どるはつ」。かん輕重けいちょう悝之ひら糴,ひろひつじひとし輸,ことぶき昌常まさつねひらめまたゆうしたがえ徠。顧古為之ためゆき有數ゆうすう,吏良而令ぎょうみんよりゆき其利,萬國ばんこくさく乂。及孝くにようにょうきゅう,而民えき,其次也。いたり于王莽,制度せいどしつちゅうかん軌弄けん官民かんみん俱竭,ほろび矣。

URN: ctp:han-shu/shi-huo-zhi