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Han Shu : 傳 : 蕭望之傳 - Chinese Text Project
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しょうもちつて

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1 しょうもちつて:
しょうもちちょう倩,東海とうかいらんりょうじん也,徙杜りょういえ以田ためぎょういたりもち好學こうがくひとしことどうけんきさきくらじゅうねん。以令まいふとつね受業じゅぎょうふくごと同學どうがく博士はかせしろまたしたがえなつこうかちとい論語ろんご禮服れいふく京師けいししょ儒稱じゅつ焉。

2 しょうもちつて:
大將軍だいしょうぐん霍光秉政,ちょうへいきちこも儒生じゅせいおうなかおきなあずかもちとうすうにんみな召見。さきひだり將軍しょうぐん上官じょうかん桀與ぶたぬし謀殺ぼうさつこうひかりすんで誅桀とう出入でいり備。吏民とうしゃさくかたなへいりょう吏挾もちどく肯聽,引出ごう曰:「ねがい。」吏牽匈匈。ひかり聞之,つげ吏勿もちすんでいたりまえせつこう曰:「將軍しょうぐん功德くどく輔幼ぬしはた以流だい,致於あまねたいら以天下之したののべ頸企かかとそうねがい劾,以輔高明こうめいいましゃみなさきさくはさみこわしゅうおおやけしょうなりおう躬吐握れい,致白。」於是こうどくじょようもち,而仲おうひとしみな大將軍だいしょうぐんさんさいあいだなかおういたるこう祿ろく大夫たいふきゅうごとちゅうもち以射さくかぶとためろうしょしょうえん東門ひがしもんこうなかおう出入でいりしたがえくらあたまいおり下車げしゃ趨門,つてよび甚寵,顧謂もち曰:「

3 しょうもちつて:
肯錄ろくはんだきせきため。」もち曰:「かくしたがえ其志。」

4 しょうもちつて:
こうすうねんすわおとうとはんほうとく宿衛しゅくえいめんためぐん吏。及御大夫たいふしょうじょもちためぞく,察廉ためだいぎょうれいすすむ

5 しょうもちつて:
どき大將軍だいしょうぐんこう薨,禹復ためだい司馬しば兄子せこ山領やまりょう尚書しょうしょおやぞくみな宿衛しゅくえい內侍。ぶしさんねんなつ京師けいし雹,もちいんじょう疏,ねがいたまものきよし閒之あいのえんくちひねわざわいことせんみかど自在じざい民間みんかん聞望,曰:「此東海とうかいしょうせいよこしましたしょうそう畸問じょうゆうしょいみな。」もちたい,以為「春秋しゅんじゅうあきらおおやけさんねん大雨おおあめ雹,時季じき專權せんけんそつ逐昭こうさと使魯君察於天變てんぺんむべほろび此害。こん陛下へいか以聖德居とくいおもえせいもとめけん,堯舜用心ようじん也。しか而善さち臻,陰陽いんよう不和ふわ大臣だいじんにんせい,一姓擅勢之所致也。つけえだだいしゃぞく本心ほんしん私家しか盛者じょうしゃおおやけしつ危。ただ明主めいしゅまんせん同姓どうせい,舉賢ざい,以為腹心ふくしんあずか參政さんせいはかりごとれい公卿くぎょう大臣だいじん朝見ちょうけんそうごとあきらひね其職,以考こうのう如是にょぜのり事理じり公道こうどうりつかんよこしまふさが私權しけんはい矣。」たいそう天子てんしはいもちため謁者。どきじょうはつ即位そくいおもえすすむ賢良けんりょう上書うわがきごと便宜べんぎ,輒下もちとえじょうこうしゃ請丞しょうしゃちゅうせんせきためしごと滿まんとし以狀聞,したしゃほう聞,あるやめでんさとしょしろしょそうみなるい遷諫大夫たいふ丞相じょうしょう司直しちょくさいちゅうさん遷,かんいたりせんせき。其後霍氏竟謀はん誅,もち寖益任用にんよう

6 しょうもちつて:
これせん博士はかせ大夫たいふどおり政事せいじしゃぐん國守くにもりしょう,以望為平ためひらげん太守たいしゅもちみやびざい本朝ほんちょうとおためぐんもり,內不自得じとく,乃上疏曰:「陛下へいかあい百姓ひゃくしょうおそれ德化とっかきわむ,悉出諫官以補ぐん吏,所謂いわゆる其末而忘其本しゃ也。あさそうしんそく不知ふちこくたちそく聞善。ねがい陛下へいかせんあきらけいじゅつ溫故知新おんこちしんつう於幾おきほろはかりごとおもんばかこれ以為內臣,あずか參政さんせいごと諸侯しょこう聞之,のり國家こっかおさめ諫憂せいほろびゆう闕遺。わか此不だる成康なりやすこれどう庶幾しょき乎!そでぐん不治ふちあにあしゆう哉?」しょ聞,ちょうにゅうもりしょうせんみかど察望けいあかりじゅう論議ろんぎ有餘ゆうよざいにん宰相さいしょうよくしょうためし政事せいじふく以為ひだり馮翊。もちしたがえしょうため左遷させんこわゆう合意ごういそくうつりびょう上聞じょうぶん使つかいさむらいちゅう成都せいとほう金安かなやす上諭じょうゆ曰:「所用しょようみなさらみん以考こうきみぜんため平原へいげん太守たいしゅ日淺ひあさふくためしさん輔,ゆうしょ聞也。」もちそくごと

7 しょうもちつて:
これさい西にし羌反,かんのち將軍しょうぐんせいきょう兆尹張敞上書言:「くにへい在外ざいがいぐん以夏はつ,隴西以北いほく安定あんてい以西いせい,吏民なみきゅううたて輸,ごと頗廢,もとせき,雖羌とりこ以破,來春らいしゅんみんしょく必乏。きゅう辟之しょかいほろび所得しょとくけんかんこく不足ふそく以振ねがいれいしょ有罪ゆうざいぬすめ受財殺人さつじん及犯ほうとく赦者,みなとく差入さしいれこくはちぐん贖罪しょくざいつとむえき致穀以豫備よび百姓ひゃくしょうきゅう。」こと有司ゆうしもちあずかしょうつよし,以為「みんはこ陰陽いんようゆう仁義じんぎよく利之としゆきこころざい教化きょうかこれしょすけ。堯在じょう不能ふのうみんよく利之としゆきこころ,而能れい其欲かち其好義也よしや;雖桀ざいうえ不能ふのうみんこう義之よしゆきこころ,而能れい其好よしかち其欲利也としや堯、桀之ぶんざい於義而已,道民どうみん不可ふか慎也しんやこんよくれいみんりょうあわ贖罪しょくざい,如此そく富者ふしゃとくせい貧者ひんじゃどく貧富ひんぷけい而法いち也。人情にんじょう貧窮ひんきゅう父兄ふけいしゅう聞出きけいでざいとく生活せいかつためじん子弟していしゃはた死亡しぼう患,はいみだれこれぎょう,以赴ざいもとめすくい親戚しんせき一人ひとりとくせいじゅうにん以喪,如此,はく夷之えびすのゆき壞,おおやけ綽之めいめつ政教せいきょういちかたぶけ,雖有しゅう召之こわ不能ふのうふくいにしえしゃ臧於みん不足ふそくそく有餘ゆうよそく。《》曰『爰及矜人,あい此鰥寡』,うえ惠下えげ也。また曰『あめわが公田くでんとげ及我わたし』,したきゅううえ也。こんゆう西にしこれやくみんしつ作業さぎょう,雖戶こう斂以贍其困とぼしいにしえ通義みちよし百姓ひゃくしょう莫以ため。以死すくいせいこわ可也かなり陛下へいかぬのとくほどこせきょう教化きょうか既成きせい,堯舜ほろび以加也。こんひらき以傷既成きせいこれしん竊痛。」

8 しょうもちつて:
於是天子てんしふく其議りょう丞相じょうしょう以難もんちょうたかしたかし曰:「しょうひだり馮翊しょげん常人じょうじんところまもるみみむかし先帝せんていせいよんえびすへいぎょうさんじゅうねん百姓ひゃくしょうなお,而軍ようきゅうこん羌虜一隅いちぐうしょうえびす跳梁ちょうりょう於山谷間たにまかんただしれい罪人ざいにんざいげんざい以誅,其名けん於煩擾良民りょうみんよこきょう斂也。またしょぬすめ及殺じんはん道者どうしゃ,百姓所疾苦也,みなとく贖;くび匿、見知みしたてところ不當ふとうためぞくしゃある頗言其法蠲除,こんいん此令贖,其便あかり甚,なにところらんはじめけいばっしょう赦,すすきざい贖,有金ありかねせんしなしょ從來じゅうらいひさ矣,なにぞく所生しょせいたかし備皁ころもじゅうねん,嘗聞罪人ざいにん贖矣,未聞みもん盜賊とうぞくおこり也。竊憐りょうしゅう寇,ぽうあきにょうみんひさしゆうかつえとぼし病死びょうし於道きょういたり來春らいしゅんはただいこま乎!はやおもんばかところ以振すくいさく,而引つねけい以難,おそれため重責じゅうせき常人じょうじんあずかもりけいあずかけん也。たかしこうとく備列きょう,以輔りょうためしょく不盡ふじん。」

9 しょうもちつて:
もちつよしふくたい曰:「先帝せんてい聖德せいとく賢良けんりょう在位ざいいさくけんたれほうため無窮むきゅうぶんまわしひさしおもんみ竟之贍,かね布令ふれいかぶと曰『あたりぐんすうへいはなれ飢寒きかん,夭絕てんねん父子ふししょうしつれい天下てんかどもきゅう其費』,かたため軍旅ぐんりょそつ暴之ごと也。聞天かんよんねんつね使つかい罪人ざいにんいれじゅうまんぜにげん死罪しざい一等いっとうごうつよし吏民請奪かり貣,いたりため盜賊とうぞく贖罪しょくざい。其後かんよこしま橫暴おうぼう群盜ぐんとうなみおこりいたりおさむじょう邑,ころせぐんもり充滿じゅうまん山谷さんや,吏不能ふのうきんあきらみことのり繡衣使者ししゃ以興へいげき,誅者過半かはんしかおとろえどめ以為此使死罪しざい贖之はい也,曰不便びん。」丞相じょうしょうしょう大夫たいふへいきちまた以為羌虜且破,てん輸略あししょうきゅうとげほどこせたかしもちためひだり馮翊さんねん京師けいししょう,遷大おおとり臚。

10 しょうもちつて:
さきがらすまごこんわたるおう靡因ちょうほうつねめぐみじょういちしょねがい以漢外孫そとまごもと靡為嗣,とくふくなおしょうあるじ結婚けっこん內附,ほとり匈奴きょうどみことのり公卿くぎょうもち以為がらすまご絕域ぜついきしん其美ごと萬里ばんり結婚けっこんちょうさく也。天子てんし聽。かみねんちょうほうめぐみ使送しそう公主こうしゅはいもと靡。ふさがおう靡死,其兄子せこきょうおうやく自立じりつめぐみしたがえふさがしも上書うわがきねがいとめしょうあるじ敦煌とんこうぐんめぐみいたりがらすまごせめ以負やくいんりつもと靡,かえむかいしょうあるじみことのり公卿くぎょうもちふく以為「不可ふかがらすまごりょうはしほろびかたやく,其效ぜんしょうおもざいがらすまごよんじゅうねん恩愛おんあい親密しんみつ邊境へんきょう以安,此已ごとけん也。こんしょうしゅ以元靡不とくりつ而還,しんじまけ於四えびす,此中こく大福だいふく也。しょうおもとめ,繇役はたきょう其原そのはらおこり此。」天子てんししたがえ其議,ちょうしょうおもかえこうがらすまご雖分こく兩立りょうりつ,以元靡為だいこんわたるかんとげふくあずか結婚けっこん

11 しょうもちつて:
さんねんだいへいきちため大夫たいふ鳳中おおとりなか匈奴きょうど大亂たいらんしゃ曰匈やつためがいひさいん壞亂かいらん舉兵めつみことのりちゅうちょうだい司馬しばしゃ將軍しょうぐんかんぞうしょ富平とみひらこうちょう延壽えんじゅひかり祿ろくくん楊惲、ふとぼく戴長らくといもちけいさくもちたい曰:「春秋しゅんじゅうすすむ饨帥おかせひとし,聞齊こうそつ,引師而還,君子くんしだい其不,以為おんあし以服孝子こうしよしみあし以動諸侯しょこうぜんたん于慕ごうよししょうおとうと使つかい請求せいきゅう和親わしんうみ欣然きんぜん夷狄いてき莫不聞。おわりたてまつやく不幸ふこうため賊臣ぞくしんしょころせこん而伐これじょうらん而幸わざわい也,かれ奔走ほんそうとお遁。以義どうへいおそれろう而無こうむべ使者ししゃ弔問ちょうもん,輔其微弱びじゃくすくい其災患,よんえびす聞之,咸貴中國ちゅうごく仁義じんぎ。如遂こうむおんとくふく其位,必稱臣服しんぷくしたがえ,此德もり也。」じょうしたがえ其議,竟遣へいまもる輔呼かんよこしまたん于定其國。

12 しょうもちつて:
だいつかさみのりなかすすむ耿壽あきらそうしつらえつねひらくらうえ善之よしゆきもちことぶきあきら丞相じょうしょうへい吉年よどしろうじょうじゅう焉,もちまたそうごと:「百姓ひゃくしょうあるとぼしこま盜賊とうぞくとめ千石多材下不任職。三公みつきみ其人,のり三光さんこう為之ためゆき不明ふめいこん首歲しゅさい日月じつげつしょうひかりとがめざいしんとう。」じょう以望けい丞相じょうしょう,乃下さむらいちゅうたてあきらまもるじょうきん安上あんじょうひかり祿ろくくん楊惲、ちゅうすすむおうただし,并詰問きつもんもちもちまぬかれかんむりおけたい天子てんし繇是せつ

13 しょうもちつて:
こう丞相じょうしょう司直しちょく茇延ことぶきそう:「さむらいちゅう謁者りょう使すすむせいみことのりもちもち再拜さいはいやめりょうあずかもちげんもちおこりいん下手へた,而謂曰『りょうれい不備ふび』。故事こじ丞相じょうしょうびょう明日あした大夫たいふ輒問びょうあさそうごとかいにわちゅうきょ丞相じょうしょう丞相じょうしょうしゃ大夫たいふしょうすすむ,揖。こん丞相じょうしょうすうびょうもち不問ふもんびょうかいにわちゅうあずか丞相じょうしょうひとしれいとき議事ぎじ合意ごういもち曰:『ほうみのるやすしのうちちわがよこしま!』ゆうれいとく擅使,もち使つかいもり自給じきゅう車馬しゃばこれもりりょうまもる家事かじしょうかんむりほうかんむりためつまさき引,また使つかい賣買ばいばいわたししょえきじゅうまんさんせんあんもち大臣だいじんつうけいじゅつきょきゅうきょうみぎ本朝ほんちょうしょおおせいたりたてまつほう自修じしゅううずくま不遜ふそん攘,受所かんひゃくじゅう以上いじょう,請逮捕たいほ繫治。」じょう於是さくもち曰:「有司ゆうしそうくんせめ使者ししゃれいぐう丞相じょうしょうほろびれいれんごえ聞,敖慢不遜ふそんほろび以扶せいそちさきひゃく僚。きみふかおもえおちい于茲けがれちんにん致君于理,使つかいこう祿ろくくん惲策みことのり左遷させんくんため太子たいしふとしでん,授印。其上しるし使者ししゃ便びん道之みちゆきかんくん其秉道明どうみょうこう正直しょうじきあずかそちほろび伥,靡有げん。」

14 しょうもちつて:
もちすんで左遷させん,而黃霸代ため大夫たいふすうがつあいだへいきち薨,霸為丞相じょうしょう。霸薨,于定こくふくだい焉。もちとげはいとくしょうためふとでん,以論禮服れいふく皇太子こうたいし

15 しょうもちつて:
はつ匈奴きょうどよびかんよこしまたん來朝らいちょうみことのり公卿くぎょう其儀,丞相じょうしょう霸、大夫たいふ定國さだくに曰:「聖王せいおうこれせいほどこせ德行とっこうれいさき京師けいし而後しょなつさきしょなつ而後夷狄いてき。《うん:『りつれいえつとげすんではつしょう烈烈れつれつ海外かいがいゆう截。』陛下へいか聖德せいとく充塞じゅうそく天地てんち光被こうひよんひょう匈奴きょうどたん于鄉ふう慕化,たてまつめずらし朝賀ちょうがひつじゆう也。其禮儀れいぎむべ如諸こうおうざいした。」もち以為「たん于非ただしついたちしょしょう敵國てきこくむべまち以不しんれいざい諸侯しょこうおうじょうそとえびす稽首しょうはん中國ちゅうごくゆずる而不しん,此則羈縻よしみけんとおるぶく也。しょ曰『えびす狄荒ふく』,げん其來,あらゆるがせほろびつね。如使匈奴きょうど後嗣こうしそつ有鳥あっとり竄鼠ふく,闕於あさとおる不為ふためほとりしんしんゆずるぎょう乎蠻むじなぶく祚流于亡きゅう,萬世之長策也。」天子てんしさいしもみことのり曰:「ぶた聞五帝三王教化所不施,及以せいこん匈奴きょうどたん于稱きたはんあさただしついたちちん逮,とく不能ふのうひろしくつがえ。其以きゃくれいまちれいたん于位ざい諸侯しょこうおうじょうさん謁稱しん而不めい。」

16 しょうもちつて:
及宣みかどやましせん大臣だいじんぞくしゃ,引外ぞくさむらい中樂ちゅうらくりょうこうだか太子たいしふとしでんのぞむしょうでんあまねこらえいたり禁中きんちゅうはいだかためだい司馬しばしゃ將軍しょうぐんもちためぜん將軍しょうぐんこう祿ろくくんこらえためこう祿ろく大夫たいふみな受遺みことのり輔政,りょう尚書しょうしょごとせんみかどくずれ太子たいしかさね尊號そんごうためこうもとみかどもちこらえほん師傅しふ尊重そんちょううえ即位そくいかずえんげん治亂ちらんちん王事おうじもちえらべしろ宗室そうしつあかりけいたちがく大夫たいふりゅう更生こうせいきゅうごとちゅうあずかさむらいちゅうきむたかしなみ拾遺しゅうい左右さゆうよんにん同心どうしん謀議ぼうぎすすむ道上みちがみ以古せいしょよく匡正きょうせいうえ甚鄉おさめ

17 しょうもちつて:
はつせんみかど甚從儒術,任用にんよう法律ほうりつ,而中しょ宦官かんがん用事ようじ中書ちゅうしょれい弘恭ひろゆきいしあらわ久典ひさのり樞機すうきあきら習文ほうまたあずかくるま將軍しょうぐんだかため表裏ひょうり論議ろんぎつねどく故事こじしたがえもちひとしきょうあらわまたときかたぶけ仄見詘。もち以為中書ちゅうしょせいほんむべ賢明けんめいえらべみかどゆうえんにわよう宦者,くに舊制きゅうせいまたたがえきんけいじんよししろほしさらおけ士人しじん,繇是だいあずかこうきょうあらわ忤。うえはつ即位そくい謙讓けんじょうじゅう改作かいさくひさし不定ふていりゅう更生こうせいためそうただし

18 しょうもちつて:
もちこらえすうこもめい儒茂ざい以備諫官。かい稽鄭ともかげよくもちうえ疏言しゃ將軍しょうぐんだかきゃくためかんとぎぐんこく,及言もと史子ふみこおとうと罪過ざいかあきらしゅうこらえこらえしろれいともまちみことのりきん馬門まかどともそうもち曰:「將軍しょうぐんたいしゅう召之とく,秉公綽之しつゆう卞莊いたり乎耳じゅんこれねんくつ折衝せっしょうくらいごういたり將軍しょうぐんまことこう致也。くつあなはじむ庶莫懽喜,咸曰將軍しょうぐん其人也。こん將軍しょうぐん橱跻うんわかかん晏而きゅう遂行すいこう仄至しゅう召乃とめ乎?わかかん晏而きゅうのりはしはたかえりのべりょう皋,おさむのう圃之疇,畜雞しゅきび,俟見ぼつ而已矣。如將ぐんあきらしかぎょうせきおもえふさがよこしま枉之けん蹊,せん中庸ちゅうようつねせいおきしゅう召之遺業いぎょう親日しんにち仄之けん聽,のりはし庶幾しょきねがい竭區そこ厲鋒つばたてまつまんふんいち。」もちおさめとも接待せったい以意。ともすうしょうじゅつもちたんしゃ將軍しょうぐんげんもとふみ過失かしつ

19 しょうもちつて:
こうともぎょうかたぶけよこしまもちぜっあずかどおりともあずかだいつかさみのりみや俱待みことのりこらえ獨白どくはくみやため黃門こうもんろうともすわえ怨恨えんこんさらもとめにゅうもとふみ,推所げんもとふみごと曰:「みなしゅうこらえりゅう更生こうせいきょうわがわが關東かんとうじんなに以知此?」於是さむらい中許なかゆるしあきら白見しろみともとも揚言ようげん曰:「我見がけんげんぜん將軍しょうぐんしょう大罪だいざいいち中書ちゅうしょれいざいつくりわがげんじょう。」もち聞之,以問弘恭ひろゆきいしあらわあらわきょうおそれもち訟,しも於它吏,そくはさみとも及待みことのりはなりゅうりゅうしゃせんみかどあずか張子はりこ蟜等まちみことのり,以行汙濊すすむよくにゅうこらえとうこらえとう不納ふのうあずかともしょうゆいきょうあらわれい二人告望之等謀欲罷車騎將軍疏退許、ふみじょうこうもち休日きゅうじつれいともりゅう上之うえのこと弘恭ひろゆきといじょうもちたい曰:「外戚がいせき在位ざいいおごいんよく匡正きょうせい國家こっかためよこしま也。」きょうあらわそうもちこらえ更生こうせい朋黨ほうとう相稱そうしょう舉,すう譖訴大臣だいじん,毀離親戚しんせきよく以專擅權ぜいためしん不忠ふちゅう,誣上みち,請謁しゃ召致しょうち廷尉。」じょうはつ即位そくいしょう「謁者召致しょうち廷尉」ため下獄げごく也,其奏。こううえ召堪、更生こうせい,曰繫ごく上大かみおおおどろき曰:「ただし廷尉といよこしま?」以責きょうあらわみな叩頭こうとうしゃうえ曰:「れいごと。」きょうあらわいん使高言こうげん:「上新かみしん即位そくい以德聞於天下でんか,而先けん師傅しふすんできゅうきょう大夫たいふごくむべいんけつめん。」於是せいみことのり丞相じょうしょう:「ぜん將軍しょうぐんもちでんちんはちねんほろび罪過ざいかこんこと久遠くおん,識忘なんあかり。其赦もちつみおさむぜん將軍しょうぐんこう祿ろくくん印綬いんじゅ,及堪、更生こうせいみなめんため庶人。」而朋ため黃門こうもんろう

20 しょうもちつて:
こうすうがつせいみことのり:「國之くにゆきはたきょう尊師そんし而重でんぜん將軍しょうぐんもちでんちんはちねんみち以經じゅつ,厥功しげ焉。其賜もち爵關內侯,しょくろくひゃくきゅうごとちゅうあささくのぞむすわ將軍しょうぐん。」天子てんしかた倚欲以為丞相じょうしょうかいもち之子ゆきこちゅうろう上書うわがき訟望ぜんことこと有司ゆうしふくそうもちまえしょすわ明白めいはく譖訴しゃ,而教上書うわがきしょう引亡辜之しつ大臣だいじんたい不敬ふけい,請逮捕たいほ。」弘恭ひろゆきいしあらわとうもち高節こうせつ詘辱,建白けんぱくもちぜんため將軍しょうぐん輔政,よくはい退すさもとふみ專權せんけん擅朝。こうとくすわふくたまもの爵邑,あずか政事せいじ悔過服罪ふくざいふかふところ怨望,教子きょうこ上書うわがき於上,以託師傅しふふところおわりすわ頗詘もち牢獄ろうごくふさが怏怏おうおうしんのりせいあさほろび以施おんあつ。」じょう曰:「しょうふとでんもとつよしやす肯就吏?」あらわとう曰:「人命じんめいいたりじゅうもちこれしょすわげんうすざい,必亡しょゆう。」上乃うえの其奏。

21 しょうもちつて:
あらわとうふう以付謁者,敕令召望手付てつきいんれいふとしつねきゅうはつ金吾きんごしゃはせかこえ其第。使者ししゃいたり,召望もちよく自殺じさつ,其夫人ふじんどめ,以為天子てんしもち以問門下生もんかせいしゅくもくもしゃこうふしすすむもちたっ。於是もち卬天歎曰:「われ嘗備しょうしょうねんろくじゅう矣,ろう入牢にゅうろうごく,苟求生活せいかつまたひな乎!」いいくも曰:「ゆうおもむきやくらい久留くる!」竟飲鴆自殺じさつ天子てんし聞之おどろき,拊手曰:「曩固うたぐ其不就牢獄ろうごく果然かぜんころせわれけんでん!」ふとしかん方上かたがみ晝食ちゅうしょく上乃うえの卻食,為之ためゆき涕泣ていきゅうあい左右さゆう。於是召顯とうせめとい以議しょうみなめんかんむりしゃ良久よしひさしかやめ

22 しょうもちつて:
もち有罪ゆうざい有司ゆうし請絕其爵邑。ゆうみことのりおん長子ちょうし伋嗣ためせき內侯。天子てんしついねんもち忘,每歲まいさい使者ししゃ祠祭しさいもち冢,おわりもとみかどもちはち至大しだいかんしゃそだて、咸、よし

23 しょうもちつて:
そだてくんしょう以父にんため太子たいし庶子しょしもとみかど即位そくいためろうやまいまぬかれこうため大將軍だいしょうぐんおうおおとり以育めい父子ふしちょざいのうじょためこう曹,遷謁しゃ使つかい匈奴きょうどふくこうじょうこうためしげりょうれいかいそだてだいろく。而漆れいかくしゅん殿どのせめとえいく為之ためゆき請,扶風いか曰:「きみだいろくたっだっなにひまほしため左右さゆうごと?」及罷つて召茂りょうれいまいのち曹,とう以職ごとたいいくみち曹,しょずい牽育,そだてあん佩刀はかせ曰:「しょうそだてもりりょう男子だんしなにまい曹也!」とげ趨出,ほしかんあきらだんみことのり召入,はいため隸校じょうそだて扶風もんかんぞくじょうすうひゃくにん拜謁はいえつしゃすわしつ大將軍だいしょうぐんゆび免官めんかんふくためちゅうろうしょう使匈奴きょうどれき冀州、あおしゅうりょうぐん刺史ししちょうみずこうじょう泰山たいざん太守たいしゅにゅうもりだいおおとり臚。以鄠めいぞくはりせい阻山ためがいひさしふく辜,いくためみぎ扶風すうがつつき誅子せいとうすわあずかていりょうほうあつし于長あつぜん免官めんかん

24 しょうもちつて:
あいみかどみなみぐん江中えなか盜賊とうぞくはいそだてためみなみぐん太守たいしゅうえ以育耆舊めいしん,乃以三公使車載育入殿中受策,曰:「みなみぐん盜賊とうぞくぐんやからためがいちん甚憂。以太守たいしゅ威信いしんもとちょゆえみなみぐん太守たいしゅこれかん,其於ためみんじょがい安元やすもともと而已,ほろびかかわ於小ぶん。」たまもの黃金おうごんじゅうきんいくいたりみなみぐん盜賊とうぞくせいやめかんおこりふくためこう祿ろく大夫たいふ金吾きんご,以壽おわり於官。

25 しょうもちつて:
そだてためじんいむたけしなおきょかんすうめんまれ遷。しょうあずかひね咸、しゅひろしためとも著聞ちょぶん當世とうせい往者おうしゃゆうおうみつぎこう長安ながやす曰「しょうしゅゆい綬,おうみつぎだんかんむり」,げん其相こも達也たつやはじめそだてあずかひね咸俱以公卿くぎょうあらわめい,咸最先進せんしんねんじゅうはちためひだり曹,十餘御史中丞。ときしゅひろしなおためもりりょうちんちょうため咸、そだてしょよじ援,いれおうとげなみれき刺史ししぐんもりしょう,及為きゅうきょう,而博さきいたり將軍しょうぐんじょうきょうれき於咸、そだてとげいたり丞相じょうしょうそだてあずかはくゆうすき不能ふのうおわり以交ためなん

26 しょうもちつて:
咸字なかため丞相じょうしょう,舉茂ざいこう畤令,遷淮泗水しすい內史,ちょうわきひろのう河東かわとう太守たいしゅところゆうあとかずぞう秩賜きんこう免官めんかんふくためえつこうじょうまもるぐんじょうちゅうろうはた使つかい匈奴きょうど至大しだいつかさみのりおわりかん

27 しょうもちつて:
よしおごため丞相じょうしょう西にし曹衛將軍しょうぐんじょう,遷謁しゃ使つかい匈奴きょうどふくこうじょうこう舉賢りょうためていすえれい,遷太はらじょう安定あんてい太守たいしゅぐんゆうごえしょうこもしゃはつあいみかどためていすえおうゆかりためていすえれいしつおうゆびごろせいしょめんよしため庶人。あいみかどくずれためふくこうじょうきょう輔左輔都じょう,遷江なつ太守たいしゅ平江ひらえぞくなりじゅうとう有功ゆうこうぞう秩為ひねとめ太守たいしゅ元始げんしちゅうさくあかりどう辟雍,大朝おおあさ諸侯しょこうしるしよしためだいおおとり臚,かいびょう及賓さんかえかんやまいめんふくためちゅう散大さんだいおっとおわりかんいえいたりせんせきしゃろくななにん

28 しょうもちつて:
さん曰:しょうもちしょうしょうせき師傅しふおんいい親昵しんじつほろびあいだ。及至はかりごと泄隙ひらけ,讒邪搆之,そつため便びん嬖宦豎所あい哉!,もち堂堂どうどうおり而不橈,ため儒宗,ゆう輔佐ほさのう近古きんこ社稷しゃしょくしん也。

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