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Han Shu : 傳 : 司馬遷傳 - Chinese Text Project
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司馬しば遷傳》

Books referencing 《司馬しば遷傳》 Library Resources
1 司馬しば遷傳:
むかしざい顓頊,いのちみなみただしじゅうつかさたかしせいはじむつかさからおそれさい,紹重はじむこれ使つかいふく典之のりゆきいたり于夏しょうじゅうはじむじょ天地てんち。其在しゅうほどはくきゅうはじめ其後也。とうせんおうかんしつ其守而為司馬しば司馬しばてんしゅうめぐみじょうあいだ司馬しばてきすすむすすむちゅうぐんずいかい奔魏,而司にゅうしょうはり

2 司馬しば遷傳:
司馬しばしゅうてきすすむ分散ぶんさんあるざいまもるあるざいちょうあるざいしん。其在まもるしゃそう中山なかやまざいちょうしゃ,以傳けんろんあらわ,蒯聵其後也。ざいしんしゃ錯,あずかちょうただし爭論そうろん,於是めぐみおう使錯將へいしょくとげ拔,いん而守。錯孫蘄,こと武安たけやすくんしろおこり。而少はりさらめいなつ。蘄與武安たけやすくん阬趙長平ながだいぐんかえ而與俱賜もり郵,そう於華。蘄孫あきらためしんおうてつかんとうはじめすめらぎとき,蒯聵玄孫げんそん卬為武信たけのぶくんはた而徇あさうた諸侯しょこうあいおうおう卬於いんかんすわえ,卬歸かん,以其ためかわ內郡。昌生まさお毋懌,毋懌ためかん市長しちょう。毋懌せいため大夫たいふそつみなそうだかもんせいだんだんためたいこう

3 司馬しば遷傳:
ふとしおおやけがくてんかん於唐,受易於楊なに,習道ろん於黃たいおおやけつかまつ於建もともとふうあいだ,愍學しゃたち其意而師誖,乃論ろくいえようゆび曰:

4 司馬しば遷傳:
えき大傳だいでん曰:「天下てんかいち致而ひゃくおもんばかどう而殊ぬり。」おっと陰陽いんよう、儒、すみほう道德どうとく,此務ため治者ちしゃ也,じきしょしたがえごとみちゆうしょうしょうみみ。嘗竊かん陰陽いんようじゅつだいしょう而眾忌諱きき使つかいじんかかわ而多かしこしか其序よんだいじゅん不可ふかしつ也。儒者じゅしゃはく而寡ようろう而少こう以其ごとなんつきしたがえしか其敘君臣くんしん父子ふしれいれつ夫婦ふうふ長幼ちょうようべつ不可ふかえき也。ぼくしゃ儉而なん遵,以其ごと不可ふかへん循,しか其彊本節ほんぶしよう不可ふかはい也。法家ほうかげん而少おんしか其正君臣くんしん上下じょうげこれぶん不可ふかあらため也。名家めいか使じん儉而ぜんしつしんしか其正名實めいじつ不可ふか察也。道家どうか使じん精神せいしんせんいちどうあい無形むけい,澹足萬物ばんぶつ,其為じゅつ也,いん陰陽いんようだいじゅんさい儒墨ぜんつまみめいほうようあずかとき遷徙,おうぶつ變化へんかたてぞくほどこせごとしょよろしゆびやく而易みさおことしょう而功儒者じゅしゃそくしか,以為じんおも天下でんか儀表ぎひょう也,きみ唱臣おもさきしんずい。如此,のりぬしろう而臣佚。いたり於大おだい道之みちゆきようけんとも,黜聰明そうめいしゃく此而にんじゅつ夫神おかみ大用おおゆうそく竭,かたちだいろうそく敝;しんがたのみおとろえほしあずか天地てんち長久ちょうきゅうしょ聞也。

5 司馬しば遷傳:
おっと陰陽いんようよんはちじゅうじゅうよんせつかくゆうきょうれい,曰順これしゃあきらぎゃくこれしゃほろび必然ひつぜん也,曰「使つかいじんかかわ而多かしこ」。おっと春生はるおなつちょうあきおさむふゆ臧,此天どうだいけい也,どるじゅんそく以為天下でんか紀綱きこう曰「よんだいじゅん不可ふかしつ也」。

6 司馬しば遷傳:
おっと儒者じゅしゃ,以六藝りくげいためほう六藝りくげい經傳けいでん以千まんすうるい不能ふのうどおり其學,當年とうねん不能ふのうきわむ其禮,曰「ひろし而寡ようろう而少こう」。わかおっとれつ君臣くんしん父子ふしれいじょ夫婦ふうふ長幼ちょうようべつ,雖百家弗能易也。

7 司馬しば遷傳:
ぼくしゃまたうえ堯舜,げん其德ぎょう曰:「どうだかさんしゃくかいさんとうかやいばら翦,棌椽斲;めし簋,歠土けい,畴粱くえあかざ藿之あつものなつかずらころも冬日ふゆび鹿しか裘。」其送きりかんさんすん,舉音不盡ふじん其哀。きょうれい,必以此為萬民ばんみんりつ天下てんかどもわか此,のり尊卑そんぴべつ也。おっとことうつり事業じぎょう必同,曰「儉而なん遵」也。よう曰彊本節ほんぶしようのりじんきゅうあし道也みちや。此墨所長しょちょう,雖百不能ふのうはい也。

8 司馬しば遷傳:
法家ほうかべつおや疏,こと賤,いちだん於法,のりおやおやみことみことおんぜっ矣,以行いちけい,而不可ふかちょうよう也,曰「いむ而少おん」。わかみことぬし卑臣,あかりぶんしょくとくしょう踰越,雖百不能ふのうあらため也。

9 司馬しば遷傳:
名家めいか苛察繳繞,使つかいじんとくはん其意,剸決於名,しつ人情にんじょう曰「使つかいじん儉而ぜんしつしん」。わかおっとひかえめいせめまいりしつ,此不可ふか察也。

10 司馬しば遷傳:
道家どうか無為むいまた曰無不為ふため,其實えきぎょう,其辭なん。其術以虛為本ためもと,以因循為ようなりぜい無常むじょうがたのうきわむ萬物ばんぶつじょう不為ふためぶつ先後せんごのうため萬物ばんぶつぬしゆうほう無法むほういんためぎょうゆういんぶつきょうしゃ曰「聖人せいじんたくみへんもり」。きょしゃ道之みちゆきつね也,いんしゃくんつな也。群臣ぐんしんなみいたり使つかい各自かくじ明也あきや。其實ちゅう其聲しゃいいはしじつちゅう其聲しゃいい款。款言聽,かん乃不せいけん不肖ふしょう自分じぶん白黑しろくろ乃形。在所ざいしょほっようみみ何事なにごとなり!乃合大道だいどうこんこん冥冥めいめいひかり燿天ふくはん無名むめい凡人ぼんじんしょ生者しょうじゃしん也,しょたくしゃがた也。神大しんだいようそく竭,かたちだいろうそく敝,かたちしんはなれそく死者ししゃ不可ふかふくせいはなれしゃ不可ふかふくあい聖人せいじん重之しげゆきよし此觀かみしゃせいほんかたちしゃせいさきてい其神がた,而曰「わがゆう以治天下でんか」,なによし哉?

11 司馬しば遷傳:
ふとしおおやけすんでてのひらてんかん不治ふちみん有子ゆうこ曰遷。

12 司馬しば遷傳:
遷生りゅうもんこうまき河山かわやまとしじゅうさいそく古文こぶん十而南游江淮,うえかい稽,さがせ禹穴,窺九うたぐ,浮沅湘。きたわたる汶泗,こうぎょうひとし魯之かん夫子ふうし遺風いふうさとしゃ鄒嶧;阨困しげる、薛、彭城,はりすわえ以歸。於是遷仕ためろうちゅうたてまつ使つかい西にしせいともえしょく以南いなんりゃく邛、筰、こんあきらかえ報命ほうめい

13 司馬しば遷傳:
これさい天子てんしはじめたてかんふうじ,而太おおやけとめとどこおしゅうみなみあずか從事じゅうじ發憤はっぷん且卒。而子遷適はんちち於河雒之あいだたいおおやけ遷手而泣曰:「さきしゅうしつたい也。上世じょうせい嘗顯功名こうみょうおそれなつてんてんかんごと後世こうせいちゅうおとろえぜっ於予乎?なんじふくためたいのりぞくわれ矣。こん天子てんしせっせんさいすべふう泰山たいざん,而予とくしたがえくだりいのち也夫!いのち也夫!しか必為たいためたい,毋忘われしょよくろんちょ矣。且夫こうはじめ於事おやちゅう於事くんおわり立身りっしんあげめい後世こうせい,以顯父母ちちはは,此孝だい也。おっと天下でんかしょうしゅうこうげん其能ろん文武ぶんぶとくせんしゅう召之ふうたち大王だいおうおう思慮しりょ,爰及こうりゅう,以尊きさききび也。かそけ厲之王道おうどうかけ禮樂れいがくおとろえ孔子こうしおさむきゅうおこりはいろん詩書ししょさく春秋しゅんじゅうのり學者がくしゃいたりいま則之のりゆき以來いらいよんひゃく有餘ゆうよとし,而諸こうしょうけん史記しきぜっこんかんきょううみ內壹すべ明主めいしゅ賢君けんくん忠臣ちゅうしん義士ぎしためたい而不ろんはい天下でんかぶん甚懼焉,しか其念哉!」遷俯くび流涕りゅうてい曰:「しょう不敏ふびん,請悉ろん先人せんじんしょ舊聞きゅうぶん敢闕。」そつさんさい,而遷ためたいれいつむぎ史記しき石室いしむろきん鐀之しょねん而當太初たいしょ元年がんねん十一月じゅういちがつ甲子きのえねついたちだん冬至とうじてんれきはじめあらためけん於明どうしょかみ受記。

14 司馬しば遷傳:
ふとしおおやけ曰:「先人せんじんゆうごと:『しゅうおおやけそつひゃくさい而有孔子こうし孔子こうしいたり於今ひゃくさい有能ゆうのう紹而あかりせいえきでんつぎ春秋しゅんじゅうほん詩書ししょ禮樂れいがくさい。』ざい斯乎!ざい斯乎!しょうなん敢攘焉!」

15 司馬しば遷傳:
うえ大夫たいふつぼとげ曰:「むかし孔子こうしためなんさく春秋しゅんじゅう哉?」ふとしおおやけ曰:「余聞よぶんただしせい:『しゅうどうはい孔子こうしため魯司寇,諸侯しょこうがい大夫たいふ壅之。孔子こうし不用ふよう道之みちゆきくだり也,是非ぜひひゃくよんじゅうねんなか,以為天下でんか儀表ぎひょう,貶諸こう,討大夫たいふ,以達王事おうじ而已矣。』曰:『我欲がよくこれ空言くうげん如見じょけん行事ぎょうじ深切しんせつちょ明也あきや。』春秋しゅんじゅうじょうあかりさんおうみちしたべん人事じんじけいべつ嫌疑けんぎあかり是非ぜひじょうなおあずかぜん善惡ぜんあくあくけんけん不肖ふしょう存亡そんぼうこくつぎ絕世ぜっせいへいおこりはいおう道之みちゆきだいしゃ也。えきちょ天地てんち陰陽いんようよんぎょうちょう於變;れい綱紀こうき人倫じんりんちょう於行;書記しょき先王せんおうことちょう於政;山川やまかわ谿谷けいこく禽獸きんじゅう草木くさき牝牡ひんぼ雌雄しゆうちょう於風;樂樂らくらく所以ゆえんりつちょう於和;春秋しゅんじゅうべん是非ぜひちょう於治じんれい以節じんらく以發しょ以道ごと達意たついえき以道春秋しゅんじゅう道義どうぎばち亂世らんせいはんこれただし,莫近於春秋しゅんじゅう春秋しゅんじゅう文成ふみなりすうまん,其指すうせん。萬物之散聚皆在春秋。春秋しゅんじゅうなか,弒君さんじゅうろく亡國ぼうこくじゅう諸侯しょこう奔走ほんそうとく社稷しゃしょくしゃ不可ふかかちすう。察其所以ゆえんみなしつ其本やめえき》曰『以豪氂,謬以千里せんり』。しん弒君,弒父,一朝一夕いっちょういっせき,其漸ひさ矣』。ゆうこくしゃ不可ふか不知ふち春秋しゅんじゅうぜんゆう讒而こうゆうぞく不知ふちため人臣じんしんしゃ不可ふか不知ふち春秋しゅんじゅうまもりけいごと不知ふち其宜,遭變事へんじ不知ふち其權。ためじん君父くんぷしゃ而不どおり春秋しゅんじゅうしゃ,必蒙くびわるこれめいためじん臣子しんし不通ふつう春秋しゅんじゅうしゃ,必陷篡弒誅死つみ。其實みな以善為之ためゆき,而不知ふち其義,これ空言くうげん敢辭。おっと不通ふつうれい義之よしゆきゆびいたり於君きみしんしんちちちち夫君ふくんきみのりはんしんしんそく誅,ちちちちそく無道むどうそく不孝ふこう。此よんぎょうしゃ天下てんか大過たいか也。以天大過たいか,受而敢辭。春秋しゅんじゅうしゃれい義之よしゆき大宗たいそう也。おっとれいきん未然みぜんまえほうほどこせ已然いぜんこうほう所為しょいようしゃえき,而禮所為しょいきんしゃなん。」

16 司馬しば遷傳:
つぼとげ曰:「孔子こうしこれうえ無明むみょうくんしたとく任用にんようさく春秋しゅんじゅうたれ空文くうぶん以斷れいよしとういちおうほうこん夫子ふうしじょうぐう明天子めいてんししもとくもりしょく萬事ばんじすんで,咸各じょ其宜,夫子ふうし所論しょろんよく以何あきら?」ふとしおおやけ曰:「唯唯ただただいないやしか余聞よぶん先人せんじん曰:『虙戲至純しじゅんあつさくえき八卦はっけ。堯舜もり尚書しょうしょこれ禮樂れいがくさく焉。武之たけゆきたかし詩人しじん春秋しゅんじゅうさいぜん貶惡,推さんだいとく,褒周しつどくとげそし而已也。』かんきょうやめらいいたり明天子めいてんしみずふうぜん改正かいせいついたちえきふくしょく受命じゅめい於穆きよしさわりゅう罔極,海外かいがいことぞく重譯じゅうやく款塞,請來しょうらいけんじしゃ不可ふかかちどう臣下しんか百官ひゃっかんりょく聖德せいとくなお不能ふのうせんつき其意。且士けんのう矣,而不ようゆうこくしゃはじ也;主上しゅじょうあきらきよしとくぬの聞,有司ゆうし也。且余てのひら其官,はいあきらせい盛德せいとくめつ功臣こうしんけん大夫たいふこれぎょうじゅつ,墮先じんしょげんつみ莫大ばくだい焉。所謂いわゆるじゅつ故事こじ整齊せいせい其世でん所謂いわゆるさく也,而君春秋しゅんじゅう,謬矣。」

17 司馬しば遷傳:
於是ろん其文。十年而遭李陵之禍,かそけ於纍きずな。乃喟しか而歎曰:「あまりつみおっと虧不よう矣。」退すさ而深おもんみ曰:「

18 司馬しば遷傳:
おっと詩書ししょかくれやくしゃよくとげ其志おもえ也。」そつじゅつすえとう以來いらいいたり於麟どめみかどはじめみかど本紀ほんぎだいいちなつ本紀ほんぎだいいん本紀ほんぎだいさんしゅう本紀ほんぎだいよんはた本紀ほんぎだいはじめすめらぎ本紀ほんぎだいろくこう本紀ほんぎだいなな高祖こうそ本紀ほんぎだいはちりょきさき本紀ほんぎだいきゅう孝文たかふみ本紀ほんぎだいじゅうこうけい本紀ほんぎだいじゅういち今上きんじょう本紀ほんぎだいじゅうさんだいひょうだいいちじゅう諸侯しょこう年表ねんぴょうだいろくこく年表ねんぴょうだいさんはたすわえさい月表げっぴょうだいよんかん諸侯しょこう年表ねんぴょうだい高祖こうそ功臣こうしん年表ねんぴょうだいろくめぐみけいあいだ功臣こうしん年表ねんぴょうだいななけんもと以來いらいこうしゃ年表ねんぴょうだいはち王子おうじこうしゃ年表ねんぴょうだいきゅうかんきょう以來いらいはた相名あいなしん年表ねんぴょうだいじゅうれいしょだいいちらくしょだいりつしょだいさんこよみしょだいよんてんかんしょだいふうぜんしょだいろくかわみぞしょだいなな平準へいじゅんしょだいはちふとしはくだいいちひとしふとおおやけだい,魯周こうだいさんつばめ召公だいよんかん蔡世だいひね杞世だいろくまもるかん叔世だいななそうほろだいはちすすむだいきゅうすわえだいじゅうえつだいじゅういちていだいじゅうちょうだいじゅうさんだいじゅうよんかんだいじゅうかんだいじゅうろく孔子こうしだいじゅうななちんわたるだいじゅうはち外戚がいせきだいじゅうきゅうすわえもとおうだいじゅう,荊燕おうだいじゅういちひとし悼惠おうだいじゅうしょう相國しょうこくだいじゅうさん,曹相國世くによだいじゅうよんとめこうだいじゅうひね丞相じょうしょうだいじゅうろく,絳侯だいじゅうななりょうたかしおうだいじゅうはちむねだいじゅうきゅうさんおうだいさんじゅうはくえびす列傳れつでんだいいちかん晏列でんだい老子ろうしかん列傳れつでんだいさん司馬しばみのる苴列でんだいよん孫子まごこくれおこり列傳れつでんだい胥列でんだいろくなか弟子でし列傳れつでんだいななしょうくん列傳れつでんだいはちはた列傳れつでんだいきゅうちょうただし列傳れつでんだいじゅうぶなさとあましげる列傳れつでんだいじゅういちみのるこう列傳れつでんだいじゅうしろおこりおう翦列でんだいじゅうさん孟子もうこ荀卿列傳れつでんだいじゅうよん平原へいげんおそれきょう列傳れつでんだいじゅうはじめ嘗君列傳れつでんだいじゅうろく公子こうし列傳れつでんだいじゅうななはるさるくん列傳れつでんだいじゅうはち,范睢蔡澤列傳れつでんだいじゅうきゅうらくあつし列傳れつでんだいじゅうかど頗藺しょう如列でんだいじゅういちたん列傳れつでんだいじゅう,魯仲れん列傳れつでんだいじゅうさんこごめげん賈生列傳れつでんだいじゅうよんりょ韋列でんだいじゅう刺客しかく列傳れつでんだいじゅうろく斯列でんだいじゅうななこうむ恬列でんだいじゅうはちちょうみみひねあまり列傳れつでんだいじゅうきゅうひょう彭越列傳れつでんだいさんじゅう,黥布列傳れつでんだいさんじゅういち,淮陰こうかんしん列傳れつでんだいさんじゅうかんおうしんたがね列傳れつでんだいさんじゅうさん儋列でんだいさんじゅうよん,樊酈滕灌列傳れつでんだいさんじゅうちょうすすむ相倉あいのくら列傳れつでんだいさんじゅうろく,酈生りく賈列でんだいさんじゅうななでん靳糨なりこう列傳れつでんだいさんじゅうはちりゅうたかし叔孫どおり列傳れつでんだいさんじゅうきゅうぬの欒布列傳れつでんだいよんじゅう,爰盎あさ錯列でんだいよんじゅういちちょうしゃく馮唐列傳れつでんだいよんじゅう,萬石張叔列傳第四十三,叔列でんだいよんじゅうよんひらたかささぎくらこう列傳れつでんだいよんじゅうおう濞列でんだいよんじゅうろく其武やす列傳れつでんだいよんじゅうななかんちょう孺列でんだいよんじゅうはち將軍しょうぐん列傳れつでんだいよんじゅうきゅうまもる將軍しょうぐん驃騎列傳れつでんだいじゅう平津ひらつぬしちち列傳れつでんだいじゅういち匈奴きょうど列傳れつでんだいじゅう南越なんごし列傳れつでんだいじゅうさん,閩越列傳れつでんだいじゅうよん朝鮮ちょうせん列傳れつでんだいじゅう西南せいなんえびす列傳れつでんだいじゅうろく司馬しばしょう如列でんだいじゅうなな淮南ワイナン衡山列傳れつでんだいじゅうはち,循吏列傳れつでんだいじゅうきゅう,汲鄭列傳れつでんだいろくじゅう,儒林列傳れつでんだいろくじゅういち酷吏こくり列傳れつでんだいろくじゅうだいあて列傳れつでんだいろくじゅうさんゆう俠列でんだいろくじゅうよん,佞幸列傳れつでんだいろくじゅう滑稽こっけい列傳れつでんだいろくじゅうろくにちしゃ列傳れつでんだいろくじゅうななかめさく列傳れつでんだいろくじゅうはち貨殖かしょく列傳れつでんだいろくじゅうきゅう

19 司馬しば遷傳:
おもんみかんつぎみかど末流ばつりゅうせっさんだいぜっぎょうしゅうどうすんではいはたばち古文こぶん,焚滅詩書ししょあかりどう石室いしむろきん鐀玉版圖はんとせき散亂さんらんかんきょうしょうなん律令りつりょうかんしんさる軍法ぐんぽうちょうあおため章程しょうてい,叔孫どおりてい禮儀れいぎのり文學ぶんがくあきらあきらややすすむ詩書ししょ往往おうおうあいだ曹參こもぶた公言こうげんおい,而賈よしみあさ錯明さるかん公孫こうそんひろ以儒あらわひゃくねんあいだ天下てんか遺文いぶん古事ふるごと靡不畢集。たいおおやけ父子ふししょうつぎ篹其しょく,曰:「於戲!あまり維先じん嘗掌斯事,あらわ於唐おそれいたり於周,ふく典之のりゆき司馬しばぬしてんかんいたり於余乎,欽念哉!」罔羅てん下放かほうしつ舊聞きゅうぶんおうあとしょきょう原始げんし察終,盛觀せいかんおとろえ論考ろんこう行事ぎょうじりゃくさんだいろくはたかん上記じょうきのきながえしもいたり於茲,ちょじゅう本紀ほんぎすんでじょう矣。なみねん不明ふめいさくじゅうひょう禮樂れいがく損益そんえきりつれき改易かいえき兵權へいけん山川やまかわ鬼神きじん天人てんにんさいうけたまわ敝通へんさくはちしょ二十八宿にじゅうはっしゅくたまき北辰ほくしんさんじゅうどもいちこしき運行うんこう無窮むきゅう輔弼ほひつ股肱ここうしんはい焉,忠信ちゅうしん行道ぎょうどう以奉主上しゅじょうさくさんじゅうせい。扶義俶儻,れいおのれしつたて功名こうみょう於天さくななじゅう列傳れつでん凡百ぼんぴゃくさんじゅうへんじゅうまんろくせんひゃくためたいおおやけしょじょりゃく,以拾遺しゅうい蓺,なり一家言いっかげんきょうろくけいつてひとしひゃくいえざつ,臧之名山めいざんふく在京ざいきょう,以俟せい君子くんしだいななじゅう,遷之敘云なんじ。而じゅうへんかけゆうろくしょ

20 司馬しば遷傳:
遷既けいこれため中書ちゅうしょれいみことちょうにんしょく故人こじんえきしゅう刺史ししにんやす遷書,せめ以古けんしん。遷報曰:

21 司馬しば遷傳:
しょうきょう足下あしもと:曩者はずかしめたまものしょきょう以慎於接ぶつ,推賢進士しんしためつとむ意氣いきつとむつとむこんこんわかもちぼくそうよう,而流俗人ぞくじんげんぼく敢如是也これや。雖罷駑,また側聞そくぶん長者ちょうじゃ遺風いふう矣。顧自以為ざんしょけがれどう而見ゆうよくえきはんそん以抑うつ而無だれことわざ曰:「だれため為之ためゆき?孰令聽之?」ぶた鍾子はくきば終身しゅうしんふくきんなにそくため知己ちきようおんなためせつおのれようわかぼくだいしつやめ虧缺,雖材ふところずいぎょうわかよしえびすおわり不可ふか以為さかえてきあし以發わらい而自てんみみ

22 司馬しば遷傳:
しょ辭宜じぎこたえかいひがししたがえじょうまたさこ賤事,そう日淺ひあさそつそつ須臾しゅゆあいだとく竭指こんしょうきょうだき不測ふそくつみわたる旬月じゅんげつさこ季冬きとうぼくまたうすしたがえ上上じょうじょう雍,おそれ卒然そつぜん不可ふかいみなぼくおわりやめとく舒憤懣以あかつき左右さゆうのり長逝ちょうせいしゃ魂魄こんぱくわたし恨無きゅう。請略ひね固陋ころう。闕然むくいこう勿過。

23 司馬しば遷傳:
ぼく聞之,修身しゅうしんしゃ智之としゆき也,あいほどこせしゃ仁之ひとしはし也,しゃ義之よしゆき也,恥辱ちじょくしゃいさみけつ也,だてめいしゃぎょうごく也。ゆう此五しゃしか以託於世,れつ於君はやし矣。わざわい莫憯於欲,悲莫つう於傷しんぎょう莫醜於辱さき,而詬莫大ばくだい於宮けい刑餘けいよこれにんところすういちせい也,しょ從來じゅうらいとお矣。むかしまもるれいこうあずか雍渠孔子こうしてきひねしょう鞅因けいかんちょうりょう寒心かんしんどうさんじょう,爰絲變色へんしょく而恥おっとちゅうざいこれにんことせき於宦豎,莫不きずきょう忼慨乎!如今あさ雖乏じん,柰何れいがたなのここも天下でんかごう雋哉!ぼくよりゆき先人せんじんいとぐちぎょうとくまちざい輦轂じゅうねん矣。所以ゆえんおもんみ上之うえの不能ふのうおさめちゅうこうしんじゆう奇策きさくざいりょくほまれゆい明主めいしゅまた不能ふのう拾遺しゅうい闕,招賢しんのうあらわ巖穴がんけつこれがい不能ふのう備行おさむじょう戰野せんやゆうはた搴旗こう不能ふのう累日るいじつせきろうみことかんあつ祿ろく,以為宗族そうぞく交遊こうゆうこうちょうよんしゃいちとげ,苟合ようしょ短長たんちょうこう於此矣。さとしゃぼくまた嘗廁大夫たいふれつ,陪外廷末以此引維つなつき思慮しりょいまやめ虧形ため埽除隸,ざい闒茸なか,乃欲卬首しんまゆろんれつ是非ぜひまたけい朝廷ちょうてい,羞當世とうせいこれよこしま!嗟乎!嗟乎!如僕,なおなんこと哉!なおなんこと哉!

24 司馬しば遷傳:
且事本末ほんまつえき明也あきやぼくしょうまけ不羈ふきざいながさときょくほまれ主上しゅじょうこう以先じん使つかいたてまつうすわざ出入でいりしゅうまもるこれちゅうぼく以為戴盆なん以望てんぜっ賓客ひんきゃく,忘室これぎょうにちよるおもえ竭其不肖ふしょうざいりょくつとむいちこころ營職,以求おやこび於主じょう。而事乃有だい謬不しかしゃおっとぼくあずかりょう俱居門下もんかもとあいぜん也,おもむきしゃこと嘗銜さかずきしゅせっいんつとむ歡。しかぼくかん其為じん奇士きしことおやこうあずかしんじ,臨財れんよし分別ふんべつゆうゆずる恭儉きょうけん下人げにんつねおもえ奮不顧身以徇國家こっかきゅう。其素しょ畜積也,ぼく以為ゆう國士こくしふう夫人ふじんしん萬死不顧一生之計,赴公なん,斯已矣。こん舉事いち不當ふとう,而全軀保妻子さいししんずい而媒孽其たんぼくまこと私心ししんつう。且李りょうつつみ步卒ほそつ不滿ふまんせんふか踐戎あしれきおうにわたれえさ虎口ここうよこ挑彊えびす,卬おくまんこれあずかたん連戰れんせんじゅうにちしょころせ過當かとうとりこすくい扶傷きゅう,旃裘きみちょう咸震こわ,乃悉ちょう左右さゆうけんおう,舉引弓之ゆみのみん,一國共攻而圍之。てん千里せんりつきどうきゅうすくいへいいたり士卒しそつ死傷ししょう如積。しかりょういちよびろうぐんおこり,躬流涕りゅうてい,沬血いん泣,ちょうそら弮,おかせ白刃はくじんきたくびそうてきりょうぼつ使つかいゆう來報らいほうかん公卿くぎょう王侯おうこうたてまつ上壽じょうじゅこう數日すうじつりょうはいしょ聞,主上しゅじょう為之ためゆきしょく甘味あまみ,聽朝怡。大臣だいじんゆう懼,不知ふち所出しょしゅつぼく竊不りょう其卑賤,主上しゅじょうむご悽怛悼,まことよくこう其款款之。以為りょうもとあずか大夫たいふぜっあまぶんしょうのうとくじん死力しりょく,雖古名將めいしょう也。雖陷はいかれかん其意,且欲とく其當而報かんことやめ柰何,其所摧敗,いさおまたあし以暴於天ぼくふところよくひね,而未有路ありじてきかい召問,そく以此ゆび推言りょうこうよく以廣主上しゅじょうふさが睚眥のうつきあきら明主めいしゅふかあかつき,以為ぼく沮貳,而為りょうゆうせつとげ於理。拳拳けんけんちゅうおわり不能ふのうれついんため誣上,そつしたがえ吏議。いえひんざいまいない不足ふそく以自贖,交遊こうゆう莫救,左右さゆう親近しんきん不為ふためいちごと木石ぼくせきどくあずかほう吏為ふかかそけ囹圄れいごなかだれつげ愬者!此正しょうきょうしょおやぼく行事ぎょうじあにしかよこしまりょうすんでせいくだ,隤其ごえ,而僕またたけ以蠶しつじゅうため天下でんかかんわらい。悲夫!悲夫!

25 司馬しば遷傳:
ことえき一二為俗人言也。ぼく先人せんじんゆう剖符しょこうぶんほしれききん乎卜しゅくあいだかた主上しゅじょうしょおどけろう,倡優畜之,流俗りゅうぞくこれしょけい也。假令たといぼくふくほう受誅,わかきゅううしほろびいちもうあずか螻螘なんこと?而世また與能よのうふししゃとく以為さとしきゅうざいごく不能ふのうめんそつ就死みみなに也?もとしょ樹立じゅりつ使しかひと固有こゆう一死いっしゆうじゅう泰山たいざんあるけい鴻毛こうもうようこれしょ趨異也。ふとしじょうはずかしめさき,其次はずかしめ,其次はずかしめしょく,其次はずかしめ辭令じれい,其次詘體受辱,其次えきふく受辱,其次せきさく箠楚受辱,其次鬄毛かみ嬰金てつ受辱,其次毀肌はだだんささえたい受辱,最下さいかくさけいごく矣。つて曰「けいうえ大夫たいふ」,此言ふし不可ふか厲也。猛虎もうこしょ深山みやま百獸ひゃくじゅうふるえおそれ,及其ざい阱檻なかゆら而求しょくせきやくこれやや也。ゆうためろうぜい不入ふにゅうそぎため吏議たいていけい於鮮也。こん手足てあし,受木さく,暴肌はだ,受榜箠,かそけ於圜牆之ちゅうとう此之獄吏ごくりそくあたまやり隸則こころ惕息。何者なにものせきやくこれいきおい也。及已いたり此,げんはずかしめしゃ所謂いわゆるつよしがおみみ,曷足乎!且西はくはく也,かかわ牖里;斯,そう也,けい;淮陰,おう也,受械於陳;彭越、ちょう敖南きょうしょう,繫獄ざい;絳侯誅諸りょけんかたぶけはくしゅう於請しつ其,大將たいしょう也,ころも赭關三木みきぬのためしゅ鉗奴;灌夫受辱居室きょしつ。此人みないたり王侯おうこうしょうしょう聲聞しょうもん鄰國,及罪いたり罔加,不能ふのう引決いんけつざいざい塵埃じんあいなか古今ここんいちたい安在あんざい其不はずかしめ也!よし此言いさむおびえいきおい也;つよしじゃくかたち也。しん矣,曷足かい乎!且人不能ふのうのみざいなわすみそとやめややりょうえびすいたり於鞭箠之あいだ,乃欲引節,斯不またどお乎!古人こじん所以ゆえんじゅうほどこせけい於大おだいおっとしゃ,殆為此也。おっと人情にんじょう莫不むさぼなまあくねん親戚しんせき,顧妻子さいしいたりげき義理ぎりしゃしか,乃有とくやめ也。いまぼく不幸ふこうのみしつおや兄弟きょうだいおや獨身どくしん孤立こりつしょうきょうぼく妻子さいしなん如哉?且勇しゃ必死ひっしぶしおびえおっと慕義,何處どこつとむ焉!ぼく雖怯耎欲苟活,また頗識去就きょしゅうぶん矣,なにいたりたたえおぼれるいきずなはずかしめ哉!且夫臧獲婢妾なおのう引決いんけつきょうわかぼくとくやめ乎!所以ゆえん隱忍いんにん苟活,はこ糞土ふんどちゅう而不しゃ,恨私しんゆうしょ不盡ふじんひなぼつ而文さいひょう於後也。

26 司馬しば遷傳:
いにしえしゃ富貴ふうき而名摩滅まめつ不可ふかかちただ俶儻非常ひじょう人稱にんしょう焉。ぶた西伯さいはくかかわ而演しゅうえきなかあまやく而作春秋しゅんじゅうこごめげん放逐ほうちく,乃賦はなれ騷;ひだりおか失明しつめい,厥有國語こくご孫子まごこ髕腳,兵法ひょうほうおさむれつ韋遷しょくせいでんりょらんかんしゅうしんせつなんいきどおさんひゃくへんだい氐賢せい發憤はっぷん所為しょいさく也。此人みなゆうしょ鬱結うっけつとくどおり其道,じゅつ往事おうじおもえ來者らいしゃ。及如ひだりおかあきら孫子まごこだんあしおわり不可ふかよう退すさろんしょさく以舒其憤,おもえたれ空文くうぶん以自ぼく不遜ふそんきんたく無能むのうやめ網羅もうらてん下放かほうしつ舊聞きゅうぶんこう行事ぎょうじ,稽其成敗せいばいきょう壞之凡百ぼんぴゃくさんじゅうへんまたよく以究天人てんにんさいつう古今ここんへんなり一家いっかげん草創そうそう就,てきかい此禍,惜其なり以就極刑きょっけい而無慍色。ぼくまことやめちょ此書,ぞう名山めいざんつて其人どおり邑大のりぼくつぐなえぜんはずかしめせめ,雖萬戮,あにゆう悔哉!しか此可ため智者ちしゃどうなんため俗人ぞくじんげん也。

27 司馬しば遷傳:
且負易居やすい下流かりゅうそしぼく以口ぐう遭此じゅうため鄉黨きょうとう戮笑,汙辱先人せんじんまたなに面目めんぼくふくじょう父母ちちははおか乎?雖累ひゃくせいあかわたる甚耳!以腸いちにちきゅうかいきょそくゆるがせゆるがせわかゆうしょほろびそく不知ふちしょ如往。まいねん斯恥,あせ嘗不はつ霑衣也。ちょくためねやごうしんやすしとく引深臧於いわおあなよこしま且從ぞく浮湛,あずかとき俯仰ふぎょう,以通其狂惑。こんしょうきょう乃教以推けん進士しんし乃與ぼくわたしゆび謬乎。こん雖欲瑑,曼辭以自かい無益むえき,於俗不信ふしん,祗取はずかしめみみようしかこう是非ぜひ乃定。しょ不能ふのうつきりゃくひね固陋ころう

28 司馬しば遷傳:
遷既死後しご,其書ややだしせんみかど,遷外まご平通ひらどおりこう楊惲祖述そじゅつ其書,とげ宣布せんぷ焉。いたりおう莽時,もとめふう遷後,ため通子みちこ

29 司馬しば遷傳:
さん曰:古書こしょちぎりさく而有史官しかん,其載せきはく矣。いたりあな篹之,うえまましから堯,しも訖秦繆。からおそれ以前いぜん雖有遺文いぶん,其語けいげんみかど、顓頊こと明也あきや。及孔いん魯史而作春秋しゅんじゅう,而左おかあきらろん輯其ほんこと以為つてまた篹異どう為國ためくにまたゆうほんろくみかど以來いらいいたり春秋しゅんじゅうみかど王公おうこうこうきょう大夫たいふ所出しょしゅつ春秋しゅんじゅうこれななこくなみそうはたけん諸侯しょこうゆう戰國せんごくさくかんきょうはたじょう天下でんかゆうすわえかん春秋しゅんじゅう司馬しば遷據ひだり國語こくごさいほん戰國せんごくさくじゅつすわえかん春秋しゅんじゅうせっ後事こうじ,訖于

30 司馬しば遷傳:
だいかん。其言しんかんしょう矣。いたり於采けい摭傳,分散ぶんさんすうこと,甚多疏略,あるゆう抵梧。また涉獵しょうりょうしゃ廣博こうはくつらぬけ穿ほじ經傳けいでんはせ古今ここん上下じょうげすう千載せんざいあいだ,斯以つとむ矣。また是非ぜひ頗繆於聖じんろん大道だいどうそくさきろう而後ろくけいじょゆう俠則退すさ處士しょし而進姦雄かんゆうじゅつ貨殖かしょくそくたかしぜい而羞賤貧,此其しょ蔽也。しかりゅうむかいあげゆうはくきょくぐんしょみなしょう有良ありらざいふく其善じょ事理じりべん而不はなしつ而不俚,其文じき,其事かくきょかくれあくいい實錄じつろくがらすよび!以遷博物はくぶつあまね聞,而不能ふのう以知ぜんすんでおちい極刑きょっけいかそけ發憤はっぷんしょまたしんじ矣。あと其所以自きず悼,しょうみやびちまたはくりんおっとただ大雅たいがすんであかり且哲,のう其身」,なん矣哉!

URN: ctp:han-shu/si-ma-qian-zhuan