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ラオス - Wikipedia
ラオス人民じんみん民主みんしゅ共和きょうわこく
ສາທາລະນະລັດ ປະຊາທິປະໄຕ ປະຊາຊົນລາວ
ラオスの国旗 ラオスの国章
国旗こっき くにあきら
くに標語ひょうごສັນຕິພາບ ເອກະລາດ ປະຊາທິປະໄຕ ເອກະພາບ ວັດທະນາຖາວອນ
(ラーオ: 平和へいわ独立どくりつ民主みんしゅ主義しゅぎ統一とういつ繁栄はんえい
国歌こっかເພງຊາດລາວ(ラーオ
ラオス国歌こっか
ラオスの位置
公用こうよう ラーオ
首都しゅと ヴィエンチャン
最大さいだい都市とし ヴィエンチャン
政府せいふ
とう書記しょきちょうトーンルン・シースリット
国家こっか主席しゅせき トーンルン・シースリット
首相しゅしょう ソーンサイ・シーパンドーン
国家こっかふく主席しゅせきパニー・ヤートートゥー
ブントング・チットマニー英語えいごばん
国民こくみん議会ぎかい議長ぎちょうセイソムフォン・ポムウィハーン英語えいごばん
面積めんせき
総計そうけい 236,800km279
水面すいめんせきりつ 2.5%
人口じんこう
総計そうけい2020ねん 7,276,000[1]ひと104
人口じんこう密度みつど 31.5[2]ひと/km2
GDP自国じこく通貨つうか表示ひょうじ
合計ごうけい2020ねん 170ちょう4726おく2900まん[3]キープ(キップ。Kip)
GDP(MER
合計ごうけい2020ねん188おく2000まん[3]ドル(113
1人ひとりあたり 2586.78[3]ドル
GDP(PPP
合計ごうけい2020ねん589おく2800まん[3]ドル(110
1人ひとりあたり 8099.419[3]ドル
独立どくりつ
 - 日付ひづけ
フランスより
1949ねん7がつ19にち
通貨つうか キープ(キップ。Kip)(LAK
時間じかんたい UTC+7 (DST:なし)
ISO 3166-1 LA / LAO
ccTLD .la
国際こくさい電話でんわ番号ばんごう 856

ラオス人民じんみん民主みんしゅ共和きょうわこく[4](ラオスじんみんみんしゅきょうわこく、ラーオ: ສາທາລະນະລັດ ປະຊາທິປະໄຕ ປະຊາຊົນລາວ英語えいご: Lao People's Democratic Republic[4])、通称つうしょうラオスは、東南とうなんアジアインドシナ半島いんどしなはんとう位置いちする共和きょうわせい国家こっかASEAN加盟かめいこくフランコフォニー国際こくさい機関きかん参加さんかこくである。通貨つうかキープ人口じんこうやく733まんにん[5]首都しゅとヴィエンチャン

ラーンサーン王国おうこく創設そうせつしゃファ・グム(1316ねん-73ねん)のぞう
ラオスの衛星えいせい写真しゃしん

ASEAN加盟かめい10カ国かこくちゅう唯一ゆいいつ内陸ないりくこく面積めんせき日本にっぽんやく63%に相当そうとうし、国土こくどやく70%は高原こうげん山岳さんがく地帯ちたいである[6]きた中国ちゅうごくひがしベトナムみなみカンボジア南西なんせいタイ西にしミャンマー国境こっきょうせっする。計画けいかく経済けいざいから社会しゃかい主義しゅぎ市場いちば経済けいざい移行いこうしたが、ラオス人民じんみん革命かくめいとうによるいちとう独裁どくさいつづいている。

概要がいよう

編集へんしゅう

1353ねんラオじん最初さいしょ統一とういつ国家こっかであるランサン王国おうこく成立せいりつ[7]18世紀せいきはじめに3王国おうこく分裂ぶんれつ[8]1770年代ねんだいすえに3王国おうこくタイ支配しはいされたが[8]1893ねんフランスがタイにラオスへの宗主そうしゅけん放棄ほうきさせて植民しょくみんし、1899ねんフランスりょうインドシナふつしるし)に編入へんにゅうされた[8][9]。このとき現在げんざい領域りょういきがほぼさだまった[7]だい世界せかい大戦たいせんなか日本にっぽんぐんによるふつしるし進駐しんちゅうだいいちインドシナ戦争せんそうなどをインドシナ半島いんどしなはんとうにおけるフランス植民しょくみん体制たいせい崩壊ほうかい過程かていはいなか1949ねんフランス連合れんごううちラオス王国おうこくとして独立どくりつ、ついで1953ねん完全かんぜん独立どくりつした[9]

そのパテト・ラオなどの左派さは王政おうせい支持しじする右派うは中立ちゅうりつかれてラオス内戦ないせん発生はっせいしたが、ベトナム戦争せんそうのち右派うは没落ぼつらくし、1975ねん王政おうせいはいされ、社会しゃかい主義しゅぎ体制たいせいのラオス人民じんみん民主みんしゅ共和きょうわこく成立せいりつした[8]

その政治せいじ体制たいせいラオス人民じんみん革命かくめいとう(パテト・ラオの政党せいとう[8])によるいちとう独裁どくさい体制たいせいである[10]。『エコノミスト傘下さんか研究所けんきゅうじょエコノミスト・インテリジェンス・ユニットによる民主みんしゅ主義しゅぎ指数しすう世界せかい155下位かいで、「独裁どくさい政治せいじ体制たいせい」に分類ぶんるいされている(2019年度ねんど[11]。また国境こっきょうなき記者きしゃだんによる世界せかい報道ほうどう自由じゆうランキングも172下位かいであり、もっと深刻しんこくくにひとつに分類ぶんるいされている(2020年度ねんど[12]

人権じんけん状況じょうきょうについてヒューマン・ライツ・ウォッチは、人民じんみん基本きほんてき自由じゆういちじるしく制約せいやくされていること、労働ろうどうけん不在ふざいであること、薬物やくぶつ使用しよううたがいがある個人こじん起訴きそしないまま人権じんけん侵害しんがい横行おうこうする薬物やくぶつ常用じょうようしゃ拘留こうりゅうセンターに拘禁こうきんしていること、活動かつどう強制きょうせい失踪しっそうさせていることなどを問題もんだいしている[13]

経済けいざいめんでは1975ねん以降いこう社会しゃかい主義しゅぎ計画けいかく経済けいざいのもとにあったが、ソビエト連邦れんぽうペレストロイカベトナムドイモイ影響えいきょうけて1986ねんから「しん思考しこう」(チンタナカーン・マイ政策せいさく国営こくえい企業きぎょう独立どくりつ採算さいさんせい民営みんえい企業きぎょう復活ふっかつなど市場いちば経済けいざいへの経済けいざい改革かいかくおこなっている[8][9]。しかし経済けいざい状態じょうたいきびしく、国連こくれんさだめる世界せかい最貧さいひんこくひとつである[14]。また、中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこく主導しゅどうする経済けいざいけん一帯いったい一路いちろ」に参加さんかしており、中国ちゅうごくラオス鉄道てつどう代表だいひょうされるインフラ建設けんせつなどがすすんでいるが[15][16]債務さいむ返済へんさいできなくなる「債務さいむのワナ」におちいることも懸念けねんされている[17][18]

外交がいこうめんでは王政おうせい時代じだい1955ねん国連こくれん加盟かめいし、1997ねん東南とうなんアジア諸国しょこく連合れんごう(ASEAN)に加盟かめい[4][9]。1975ねん社会しゃかい主義しゅぎ体制たいせいになって以降いこうベトナムとの外交がいこうじくにしてきたが[8]、2009ねん以降いこう中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこくとの外交がいこう強化きょうかしている[19]

軍事ぐんじめんでは徴兵ちょうへい制度せいどかれており、ラオス人民じんみんぐん兵力へいりょくは2.9まんにん(2020ねん)ほどであり、軍事ぐんじ日本円にほんえんにてやく30おくえん(2016ねん)ほどである[20]正規せいきぐんのほかにも、地方ちほう防衛ぼうえいよう民兵みんぺいである自衛隊じえいたいが10まんにんいるとわれる[9]

人口じんこうは、2018ねんのラオス計画けいかく投資とうししょう発表はっぴょうによれば701まんにん[21]住民じゅうみんはタイもろぞくひとつであるラオじん半数はんすう以上いじょうめ、もっとおおいが、ほかにも少数しょうすう民族みんぞく多数たすうらしており[22]ベトナムじん中国人ちゅうごくじんなどもんでいる[7]

地理ちりとしてはASEAN加盟かめい10かこくちゅう唯一ゆいいつ内陸ないりくこくで、面積めんせき日本にっぽんやく63%に相当そうとうし、国土こくどやく70%は高原こうげん山岳さんがく地帯ちたいである[23]。そのあいだメコンがわとその支流しりゅうながれている[7]国土こくど南北なんぼく細長ほそながく、きた中国ちゅうごくひがしベトナムみなみカンボジア南西なんせいタイ北西ほくせいミャンマー国境こっきょうせっする。

国名こくめい

編集へんしゅう

正式せいしき名称めいしょうラーオでສາທາລະນະລັດ ປະຊາທິປະໄຕ ປະຊາຊົນລາວ,(ラテン文字もじ転写てんしゃ: Sathalanalat Paxathipatai Paxaxon Lao 発音はつおん [sǎː.tʰáː.laʔ.naʔ.lat páʔ.sáː.tʰiʔ.páʔ.tàj páʔ.sáː.són.láːw] み: サーターラナラット・パサーティパタイ・パサーソン・ラーオ)。サーターラナラットが「共和きょうわこく」、パサーティパタイが「民主みんしゅ主義しゅぎ」、パサーソンが「人民じんみん」、ラーオが「ラーオぞく」を意味いみする。

公式こうしき英語えいご表記ひょうきLao People's Democratic Republic(ラウ・ピープルズ・デモクラティック・リパブリック)。ビザなどでは「Lao P.D.R」とりゃくされる。通称つうしょうLaos(ラウス、または、ラオス)。

日本語にほんご表記ひょうきラオス人民じんみん民主みんしゅ共和きょうわこく通称つうしょうラオス日本にっぽんでの漢字かんじ表記ひょうき羅宇らお[24]ろう[25]一方いっぽう中国ちゅうごく国内こくないでは「ろう簡体字かんたいじ: ろう, 拼音: Lǎowō)」と表記ひょうきし「ろう」と省略しょうりゃくするが、台湾たいわん[26]香港ほんこんマレーシアシンガポールでは「りょうこく簡体字かんたいじ: りょうこく, 拼音: Liáoguó)」としょうし、「りょう」と省略しょうりゃくする。ラオス華人かじんあいだでは「りょう」がひろ使つかわれており、ヴィエンチャン市内しないには中国ちゅうごく学校がっこう名門めいもんりょう学校がっこう」がある。また、にちりょうりょうはななどの略称りゃくしょうかんする団体だんたい企業きぎょうは、ラオス国内外こくないがいわず多数たすう存在そんざいする。

ラーンサーン王国おうこく

編集へんしゅう

ラオスの歴史れきしは、中国ちゅうごく南西なんせい現在げんざい雲南うんなんしょう中心ちゅうしん)にあったナンチャオ王国おうこくみなみみことのり)の支配しはい領域りょういき南下なんかし、この定住ていじゅうしゃあらわれた時代じだいはじまる。王国おうこく滅亡めつぼう1353ねんに、ラーオぞくによる統一とういつ王朝おうちょうランサン王国おうこくファー・グムおう英語えいごばんにより建国けんこく[27]。1551ねん即位そくいしたセタティラートおう時代じだいには、首都しゅとをヴィエンチャンにうつし、その勢力せいりょく現在げんざいのタイ北東ほくとうやカンボジア北部ほくぶにまでおよんだ[27]。ラーンサーンとは「100まんゾウ」という意味いみである。むかし、ゾウは戦争せんそうさい戦車せんしゃのようにせんぞうとして使つかわれていたので、この国名こくめいくに強大きょうだいさをしめし、近隣きんりん諸国しょこく警戒けいかいさせた[28]

17世紀せいきには西欧せいおうとの交易こうえき開始かいしし、ヴィエンチャンは東南とうなんアジアでも有数ゆうすう繁栄はんえいほこった[27]。しかし18世紀せいきにはヴィエンチャン王国おうこくルアンパバーン王国おうこくチャンパーサック王国おうこくの3こく分裂ぶんれつ[27]。それぞれタイやカンボジアの影響えいきょうかれ、両国りょうこくあらそいにまれるかたち戦乱せんらんつづいた[27]

フランス植民しょくみん支配しはい

編集へんしゅう

19世紀せいきなかばにフランスじんインドシナ半島いんどしなはんとう進出しんしゅつはじめたころには、ラオスの3こくはタイの支配しはいにあった。が、ラオスの王族おうぞくフランスちからりて隣国りんごく対抗たいこうしようとし、1893ねんふつたい戦争せんそうこる。その結果けっか、ラオスはフランスの保護ほごこくとなり、1899ねんフランスりょうインドシナ編入へんにゅうされた。ルアンパバーン王国おうこく保護ほごこく、それ以外いがい地域ちいき直轄ちょっかつ植民しょくみんとされた[9]

だい世界せかい大戦たいせんちゅう日本にっぽんふつヴィシー政権せいけんとの協定きょうていによりフランスりょうインドシナ占領せんりょうした(ふつしるし進駐しんちゅう)。大戦たいせん末期まっきの1945ねん3がつには日本にっぽんがラオスのぐんれてフランスの植民しょくみん支配しはい排除はいじょし、ラオスは1945ねん4がつ8にち日本にっぽん協力きょうりょくで、独立どくりつ宣言せんげんをした[9]

だが大戦たいせん、フランスはふつりょうインドシナ連邦れんぽう復活ふっかつさせようとしたことが原因げんいんで、1946ねんだいいちインドシナ戦争せんそう勃発ぼっぱつ1949ねん、ラオスはフランス連合れんごううちラオス王国おうこくとして名目めいもくじょう独立どくりつした。

独立どくりつ内戦ないせん

編集へんしゅう

1953ねん10月22にち、フランス・ラオス条約じょうやくにより完全かんぜん独立どくりつ達成たっせいした。独立どくりつ、ラオスでは右派うは中立ちゅうりつ左派さはパテート・ラーオ)によるラオス内戦ないせん長期ちょうきにわたりつづいた。ベトナム戦争せんそうにもまれ、きたベトナム(ベトナム民主みんしゅ共和きょうわこく)によるみなみベトナム解放かいほう民族みんぞく戦線せんせんへの補給ほきゅう(いわゆるホーチミン・ルート)に使つかわれた。1973ねんにベトナム戦争せんそう一方いっぽう当事とうじしゃであったアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくがベトナムから撤退てったい1974ねんさん連合れんごうによるラオス民族みんぞく連合れんごう政府せいふ成立せいりつしたが、1975ねんみなみベトナム(ベトナム共和きょうわこく)の首都しゅとサイゴンきたベトナムぐんにより陥落かんらくすると、同年どうねん12がつ連合れんごう政府せいふ王政おうせい廃止はいし宣言せんげん社会しゃかい主義しゅぎこくのラオス人民じんみん民主みんしゅ共和きょうわこく樹立じゅりつした[29][30]

東西とうざい冷戦れいせんちゅう対立たいりつという国際こくさい情勢じょうせいで、ラオス人民じんみん民主みんしゅ共和きょうわこく内政ないせい外交がいこう両面りょうめんでベトナムと、それを支援しえんするソ連それん影響えいきょうかれた。

ラオス人民じんみん民主みんしゅ共和きょうわこく

編集へんしゅう
  • 2006ねん4がつ30にち投票とうひょうだい6国民こくみん議会ぎかい一院制いちいんせい任期にんき5ねん選挙せんきょ結果けっか選出せんしゅつされた国会こっかい議員ぎいん115にんのうち114にんはラオス人民じんみん革命かくめいとう党員とういんで、党員とういん1人ひとり同年どうねん6がつ招集しょうしゅうされただい6国民こくみん議会ぎかいだい1かい会議かいぎにおいて、ラオス人民じんみん革命かくめいとう書記しょきちょうぐん出身しゅっしんチュンマリー・サイニャソーン国家こっか主席しゅせきに、ラオス人民じんみん革命かくめいとう政治せいじ局員きょくいんブアソーン・ブッパーヴァン首相しゅしょう選出せんしゅつされた。
  • 2007ねん6がつアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく亡命ぼうめいしたミャオぞくもと王国おうこくぐん将軍しょうぐんアメリカぐん退役たいえき少佐しょうさによるクーデター計画けいかく発覚はっかく関係かんけいしゃはアメリカ司法しほう当局とうきょくにより、局外きょくがい中立ちゅうりつ違反いはん逮捕たいほされた。
  • 2010ねん12月23にちだい6国民こくみん議会ぎかいだい10かい会議かいぎ閉会へいかいしきにおいて、ブアソーン首相しゅしょう任期にんき途中とちゅう辞任じにんし、国民こくみん議会ぎかい議長ぎちょうトーンシン・タムマヴォンしん首相しゅしょう就任しゅうにんした。

憲法けんぽう前文ぜんぶんで「人民じんみん民主みんしゅ主義しゅぎ」をうたい、だい3じょうでは「ラオス人民じんみん革命かくめいとう主軸しゅじくとする政治せいじ制度せいど」と規定きていされているなど[33]マルクス・レーニン主義しゅぎかかげるラオス人民じんみん革命かくめいとうによる社会しゃかい主義しゅぎこくかたいちとうせいかれている。政府せいふ政策せいさく決定けっていは、とう書記しょきちょう中心ちゅうしんとする9にん構成こうせいされるとう政治せいじきょくと、49にん構成こうせいされるとう中央ちゅうおう委員いいんかいにおいて決定けっていされる。とく重要じゅうよう政策せいさくかんしては、さらに大臣だいじん会議かいぎ審議しんぎされる。

元首げんしゅ

編集へんしゅう
 
トーンルン・シースリット国家こっか主席しゅせき

国家こっか主席しゅせき元首げんしゅとする社会しゃかい主義しゅぎ共和きょうわせい国家こっかであり、国家こっか主席しゅせき国民こくみん議会ぎかい選出せんしゅつされ、任期にんきは5ねん職務しょくむ補佐ほさ代行だいこうのために国家こっかふく主席しゅせきがいる。

行政ぎょうせい

編集へんしゅう

行政府ぎょうせいふちょう首相しゅしょうである。国家こっか主席しゅせき指名しめいされ、国民こくみん議会ぎかい承認しょうにんける。任期にんきは5ねんふく首相しゅしょうが3にん各省かくしょう大臣だいじんしょう同格どうかく機関きかんながにより構成こうせいされる。首相しゅしょうは、ふく大臣だいじんけんふく知事ちじ中央ちゅうおう直轄ちょっかつふく市長しちょうぐんちょう任免にんめんする権限けんげんつ。2006ねん7がつ首相しゅしょう政府せいふ補佐ほさし、閣議かくぎ準備じゅんびし、政府せいふ資料しりょう提供ていきょうする機関きかんとして、政府せいふ書記しょききょくもうけられた。

立法りっぽう

編集へんしゅう

立法府りっぽうふ一院制いちいんせい国民こくみん議会ぎかい。132議席ぎせきで、民選みんせん任期にんき5ねん休会きゅうかい期間きかんちゅうには国民こくみん議会ぎかい常務じょうむ委員いいんかい国政こくせいかんなどの権限けんげん代行だいこうする。議席ぎせきすうは、1992ねん選挙せんきょでは85、1997ねん選挙せんきょでは99、2002ねん選挙せんきょでは109とやされてきた。

2018ねん12月6にち日本にっぽん国際こくさい協力きょうりょく機構きこう(JICA)のほう整備せいび支援しえんけて起案きあんされた民法みんぽう成立せいりつし、2020ねん施行しこうした[34]

ラオスは宗主そうしゅこくであったフランスから民事みんじほう制度せいど継承けいしょうしている。司法しほうけん最高さいこう人民法院じんみんほういん長官ちょうかんゆだねられている。

最高さいこう人民法院じんみんほういん長官ちょうかん常務じょうむ委員いいんかい勧告かんこくもとづき、国会こっかいによって選出せんしゅつされることとなっている。

国際こくさい関係かんけい

編集へんしゅう

日本にっぽんとの関係かんけい

編集へんしゅう

中国ちゅうごくとの関係かんけい

編集へんしゅう

フランスとの関係かんけい

編集へんしゅう

国家こっか安全あんぜん保障ほしょう

編集へんしゅう

国防こくぼう中心ちゅうしんラオス人民じんみんぐんになう。ほかには民兵みんぺい組織そしきがある。2006ねん国防こくぼう予算よさんは1,330まんドル。徴兵ちょうへいせい陸軍りくぐん25,600にん空軍くうぐん3,500にんからる。車輌しゃりょう航空機こうくうきなどの装備そうびきゅうソ連それんせいのものをおお保有ほゆうしている[35]歴史れきしてきベトナム人民じんみんぐん関係かんけいふかいが、近年きんねん[いつ?]中国ちゅうごく人民じんみん解放かいほうぐんとの交流こうりゅう活発かっぱつしてきている。

 
ラオスの地図ちず
 
ラオスの詳細しょうさい拡大かくだい地図ちず
 
ラオスの地形ちけい

ラオスは、うみせっしない内陸ないりくこくである。国土こくどおおくが山岳さんがくめられており、隣国りんごくくらべて比較的ひかくてき森林しんりん資源しげんおおのこっていた地域ちいきであるが[ちゅう 1][36]急激きゅうげき森林しんりん破壊はかい問題もんだいとなっている。国土こくど面積めんせきの61%はりん(2006ねん[ちゅう 2][36]。そして、この森林地帯しんりんちたいでもおおくの人々ひとびと生活せいかつしている。原生げんせいりんは、国土こくど面積めんせきの6%である[36]

ビアさん標高ひょうこう2817メートル)が最高峰さいこうほうである。

メコンがわ

編集へんしゅう
 
ルアンプラバーンをながれるメコンがわプーシーのおかより)

メコンがわ周辺しゅうへんにはちいさく平地ひらちひろがっている。メコンがわはラオスをつらぬいてながれており、ミャンマーと、またタイとの国境こっきょうをなしている。タイとの国境こっきょうせんの3ぶんの2はメコンがわである。また、国境こっきょうとしてへだてるだけでなく、ひとぶつする河川かせん舟運しゅううんにも利用りようされている。1866ねんにフランスは、雲南うんなんサイゴンむす通商つうしょうとしてメコンがわ利用りようしようと探検たんけんたい派遣はけんした。探検たんけんたい中国ちゅうごくまで到達とうたつはしたが、カンボジアとラオスとの国境こっきょうにあるコーンパペンのたきえがたかったので、通商つうしょうとしての可能かのうせい否定ひていされた。それでも今日きょう(2000年代ねんだい)、ヴィエンチャン雲南うんなんけいひろし中国ちゅうごくとラオスの国境こっきょうにある)とのあいだ物産ぶっさん満載まんさいしたふねし、大切たいせつ交通こうつうとなっている[37]

メコンがわ乾季かんき雨季うき水位すいいは、ヴィエンチャンで10メートルをえることもある。乾季かんきわりの4がつごろには最低さいてい水位すいいになり、ちいさな支流しりゅうではみずがほとんどなくなってしまい、メコンがわ本流ほんりゅうでもおどろくほど水位すいいがってしまう。しかし、5月の雨季うきとともに水量すいりょうし、8 - 9月には自然しぜん堤防ていぼうえるほどの水量すいりょうになり、低地ていちみずおおうほどになる[38]

メコンがわ栄養えいようしおるいすくないが、雨季うき洪水こうずいとなる後背こうはい氾濫はんらんばら底土そこつちからの栄養えいよう塩類えんるいけられる。そのため藻類そうるいプランクトンなどがおお発生はっせいし、草食そうしょくせい・プランクトンしょくせい魚類ぎょるいじょうになっている。このようなことからかわにはさかなおおく、周囲しゅういひとたちの漁場ぎょじょうになっている[39]

環境かんきょう

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ラオスは森林しんりん破壊はかいによる環境かんきょう悪化あっか懸念けねんされているくにひとつにかぞげられる。

 
ラオスのケッペン気候きこう区分くぶん

ラオスは熱帯ねったい地域ちいきひとつであり、モンスーン季節風きせつふう)の影響えいきょうにより、同国どうこくには明瞭めいりょう雨季うき乾季かんきがある[40]気候きこう基本きほんとしてサバナ気候きこうである[41]

  • あつは2がつ下旬げじゅんごろから5がつ。4月から5がつ平均へいきん気温きおんは30ちかくあり、最高さいこう気温きおんが40えるもある。
  • 雨季うきは6がつから10がつ年間ねんかんそう雨量うりょうのほとんどは雨季うき集中しゅうちゅうする。ただし1にちちゅうあめつづすくなく、短時間たんじかん大雨おおあめることがおおい。
  • 乾季かんきは11月から2がつ下旬げじゅん北東ほくとう季節風きせつふうき、降雨こううはほとんどない。12月から1がつごろには気温きおんがってふゆになる。

地方ちほう行政ぎょうせい区分くぶん

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ラオスの行政ぎょうせい区分くぶん

地方ちほう議会ぎかい設置せっちしないで、県知事けんちじ国家こっか主席しゅせきが、ぐんちょう首相しゅしょうが、それぞれを任命にんめいするという中央ちゅうおう集権しゅうけんてき地方ちほう行政ぎょうせい制度せいどをとっている。

首都しゅとヴィエンチャンふくむ、広域こういきヴィエンチャン行政ぎょうせいであるヴィエンチャン(ナコーンルアン・ヴィエンチャン/Prefecture)と17けんクウェーン/Province)から構成こうせいされる。以前いぜんはサイソムブーン特別とくべつ(ケートピセート・サイソムブーン)が治安ちあんじょう理由りゆうから首相しゅしょう直轄ちょっかつもうけられていたが、2006ねん廃止はいしされた。その、サイソムブーン特別とくべつけん昇格しょうかくして復活ふっかつした。

ヴィエンチャンけんしたには100前後ぜんこうむらバーン)からぐんムアン)がある。ムアンにはラーオで「ぐん」のほかに「まち」という意味いみもあり、日本にっぽん市町村しちょうそん相当そうとうするものだとかんがえられる。ヴィエンチャンのぞき、すべてのけんには県庁けんちょう所在地しょざいちとなるぐんがあり、そこがけんとされている。

けんとされるぐん名称めいしょうは「ポンサーリーぐん」や「ルアンナムターぐん」のようにけん名前なまえ合致がっちする場合ばあい、「サイぐん」や「サマッキーサイぐん」のようにけん名前なまえとはまったことなる場合ばあいがあるが、ラオスじんおおくはけんのことであればけん名称めいしょうけん(チャンパーサックけんなど一部いちぶ例外れいがいはあるものの)であり、一般人いっぱんじんけん名称めいしょうすべ正確せいかくおぼえているひとすくない。

  1. ウドムサイけん - (サイぐん
  2. サイニャブーリーけん - (サイニャブーリーぐん英語えいごばん
  3. シエンクワーンけん - (ポーンサワンぐん) - (軍事ぐんじ基地きちロンチェン
  4. フアパンけん - (サムヌアぐん
  5. ボーケーオけん - (フアイサーイぐん
  6. ポンサーリーけん - (ポンサーリーぐん英語えいごばん
  7. ルアンナムターけん - (ルアンナムターぐん
  8. ルアンパバーンけん - (ルアンパバーンぐん

中部ちゅうぶ

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  1. ヴィエンチャンけん - (ヴィエンカムぐんベトナムばん)(ヴィエンチャンけんはヴィエンカムけん改称かいしょうする決定けっていがラオス国民こくみん議会ぎかい決議けつぎされた)
  2. ヴィエンチャン - (首都しゅとヴィエンチャン
  3. カムムアンけん - (ターケークぐん
  4. サワンナケートけん - (サワンナケート, 旧称きゅうしょう:カンタブーリーぐん) ラオスだいまち
  5. サイソムブーンけんもと特別とくべつ
  6. ボーリカムサイけん - (パークサンぐん英語えいごばん
  1. アッタプーけん - (アッタプーぐん英語えいごばん)(ホーチミン・ルート
  2. サーラワンけん - (サーラワン英語えいごばん
  3. セーコーンけん - (ラマームぐん英語えいごばん
  4. チャンパーサックけん - (パークセーぐん) ラオスだいまちボーラウェン高原こうげんシーパンドン

主要しゅよう都市とし

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ラオスの首都しゅとはヴィエンチャンで、主要しゅよう都市としルアンパバーンサワンナケートパークセー(パクセー)などがある。

交通こうつう

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都市とし以外いがい地域ちいきにおいては、幹線かんせん道路どうろおおくが舗装ほそうされていない。

鉄道てつどう

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そらうん

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首都しゅとヴィエンチャンにあるワットタイ国際こくさい空港くうこうには、タイ国際こくさい航空こうくう中国ちゅうごく南方なんぽう航空こうくうなどが国外こくがいかられている。国内こくない航空こうくう会社かいしゃでは、ラオス国営こくえい航空こうくうがワットタイ国際こくさい空港くうこう拠点きょてん国際線こくさいせん国内線こくないせん運航うんこうしている。過去かこにはラオスはつ民間みんかん航空こうくう会社かいしゃとしてラオ・セントラル航空こうくう事業じぎょう参入さんにゅうしていたが、2014ねん運航うんこう停止ていしした。

経済けいざい

編集へんしゅう
 
首都しゅとビエンチャンの街並まちな
 
ニューヨーク・タイムズで“世界せかい一番いちばんきたいくにだい1えらばれたこともあり、東南とうなんアジア最後さいご秘境ひきょうともばれる。世界中せかいじゅうからおおくの観光かんこうきゃくおとずれる観光かんこう立国りっこくでもある[42]

主要しゅよう産業さんぎょうは、国内こくないそう生産せいさん(GDP)の34%をめる農業のうぎょうである[5]

2021ねんのラオスのGDPは190おくドル一人ひとりたりのGDPは2,595ドル。 国際こくさい連合れんごうによる基準きじゅんもとづき、後発こうはつ開発かいはつ途上とじょうこく位置いちづけられている[43]。2018ねん時点じてんで1にち2ドル未満みまんらす貧困ひんこんそう国民こくみんの18.3%[44]

1975ねん12月にラオス人民じんみん民主みんしゅ共和きょうわこく樹立じゅりつされ、急速きゅうそく社会しゃかい主義しゅぎおこなったものの、タイからの国境こっきょう封鎖ふうさや、1975ねん1976ねん旱魃かんばつなどにより、はげしいインフレ農産物のうさんぶつにち用品ようひん不足ふそくこし、1979ねんには社会しゃかい主義しゅぎ建設けんせつのスピードが緩和かんわされた。

1983ねんふたた社会しゃかい主義しゅぎ目指めざすが、ソ連それんペレストロイカうごきと呼応こおうして1986ねんには市場いちば原理げんり導入どうにゅう対外たいがい経済けいざい開放かいほう基本きほんとするしん経済けいざいメカニズムが導入どうにゅうされた。

このあいだソ連それんやベトナムを中心ちゅうしんとする東側ひがしがわ諸国しょこくからの多大ただい援助えんじょ依存いぞんする経済けいざい構造こうぞうであった。そのため、1989ねんから1991ねんにかけて東欧とうおう諸国しょこくこった共産きょうさん政権せいけん瓦解がかいは、ラオスにとっても危機ききであった。この時期じき価格かかく自由じゆうおこなったことによって、はげしいインフレと通貨つうかキープ大幅おおはば下落げらくするなど経済けいざい混乱こんらんした。

ラオス政府せいふはIMFのアドバイスのした経済けいざい政策せいさく実施じっしした。また、西側にしがわ先進せんしんこくとの関係かんけい改善かいぜんし、国際こくさい機関きかん西側にしがわ先進せんしんこくからの援助えんじょ増大ぞうだいした結果けっか1992ねんには経済けいざい安定あんていした。

1997ねん7がつ隣国りんごくタイではじまったアジア通貨つうか危機ききはラオスにもおおきな影響えいきょうあたえ、キープはたいドルだけでなく、たいバーツでも大幅おおはば減価げんかした。

国内こくないではタイバーツ自国じこく通貨つうかのキープとおなじように流通りゅうつうし、バーツ経済けいざいけんまれている。あめりかドル通用つうようするので、ホテルやレストランから市場いちばまち雑貨ざっかまで、この3つのどの通貨つうかでも支払しはらいができる。中国ちゅうごく国境こっきょうちかくでは、人民元じんみんげ通用つうようする。

1997ねんルアン・パバンのまちが、2001ねんにはチャンパサックけん文化ぶんかてき景観けいかんにあるワット・プーと関連かんれん古代こだい遺産いさんぐんがそれぞれ世界せかい遺産いさん公式こうしき登録とうろくされたほか、政府せいふ1999ねんから2000ねんにかけてをラオス観光かんこうねんとして観光かんこう産業さんぎょう育成いくせい努力どりょくした結果けっか観光かんこう産業さんぎょう急速きゅうそく発達はったつした。

観光かんこうのほか、国土こくどやく半分はんぶんめる森林しんりんからられる木材もくざいナムグム・ダムはじめとする水力すいりょく発電はつでん隣国りんごくタイへのうれでん対外たいがい援助えんじょなどがおも外貨がいかげんとなっている。このなかでもとく水力すいりょく発電はつでんによってラオスは東南とうなんアジアのバッテリーばれている。

21世紀せいきはいり、外国がいこく企業きぎょう投資とうし促進そくしんのため、国内こくない経済けいざい特別とくべつもうけられ、2012ねんには10かしょとなった。南部なんぶパークセーぐんには日系にっけい中小ちゅうしょう企業きぎょうけの特区とっく開設かいせつされている[45][46]中国ちゅうごくやタイなどの賃金ちんぎん水準すいじゅん上昇じょうしょうするなかやす労働ろうどうりょくもとめる企業きぎょう注目ちゅうもくあつめている。海外かいがいからの援助えんじょ投資とうしにより、2008ねんには7.8%の経済けいざい成長せいちょう実現じつげんしている。

とりわけとなり大国たいこくである中国ちゅうごく進出しんしゅつ目覚めざましく、官民かんみんげて中国ちゅうごくから業者ぎょうしゃ労働ろうどうしゃがラオスに流入りゅうにゅうしている。2007ねんには、ヴィエンチャンに中国ちゅうごくけい店舗てんぽあつまるショッピングモール出来できた。また、首都しゅとには中国ちゅうごく建設けんせつした公園こうえん完成かんせいし、ダム工事こうじなどおも日本にっぽんおこなってきたインフラ整備せいびにも進出しんしゅつしている。

2012ねん世界せかい貿易ぼうえき機関きかん(WTO)加盟かめいにより関税かんぜいげのうごきがすすんでおり、また、2015ねんにはASEAN経済けいざい共同きょうどうたいのメンバーとして域内いきない貿易ぼうえき自由じゆうすることで、物流ぶつりゅうリンクの拠点きょてんとしての位置いちづけをたかめる政策せいさくがとられている。

農業のうぎょう

編集へんしゅう
 
ルアンパバーン市場いちば

すくない人口じんこう満遍まんべんなく分散ぶんさんしてらすラオスでは、だい部分ぶぶんひと稲作いなさく基盤きばんとする農業のうぎょういとなんでいる。まず、自給じきゅうまい確保かくほして余剰よじょうぶん販売はんばいし、現金げんきん収入しゅうにゅうとする。ラオスじん主食しゅしょくもちまいである。自給じきゅう農業のうぎょう基盤きばんとした分散ぶんさんがた社会しゃかいである[47]。ラオスでは、毎年まいとしやく220まん - 250まんトンのべい生産せいさんされている。雨季うきには稲作いなさくを、乾季かんきには野菜やさいなどの栽培さいばいおこなっている農家のうかおおい。2005ねん生産せいさんだかは、べい57まんトン、野菜やさいるい77.5まんトンである[48]労働ろうどう人口じんこうやく8わり農業のうぎょう従事じゅうじしており、GDPはひくいが食料しょくりょう豊富ほうふで、飢餓きがおちいったり物乞ものごいがえたりするといった状況じょうきょうにはない。「まずしいくにゆたかさ」とわれるゆえんである。

稲作いなさくは、平野ひらのおこなわれる水田すいでん水稲すいとうさく山地さんち斜面しゃめん利用りようした焼畑やきばた陸稲おかぼさくとにおおきくけられる。水田すいでんは、小規模しょうきぼ井堰いせき灌漑かんがいし、おやからへと相続そうぞくし、人々ひとびとはそこに定着ていちゃくしている。焼畑やきばた太陽たいようエネルギーとみず循環じゅんかんがもたらす森林しんりん植生しょくせい回復かいふくりょく依存いぞんした農業のうぎょうであるため、土地とちへの執着しゅうちゃくすくなく、集落しゅうらく内外ないがいでの移住いじゅう人々ひとびとはいとわない[47]近年きんねん[いつ?]現金げんきん収入しゅうにゅうやすいパラゴムノキ栽培さいばいをする地域ちいきあらわれている。

メコンがわ流域りゅういき降雨こううりょうめぐまれて土壌どじょう肥沃ひよくなため、葉菜類ようさいるい栽培さいばいおおい。パクセー郊外こうがいボーラウェン高原こうげん良質りょうしつコーヒーキャベツジャガイモ産地さんちであり、コーヒーはラオス最大さいだい輸出ゆしゅつ農作物のうさくもつとなっている。また、近年きんねんまで[いつまで?]農薬のうやく肥料ひりょう使用しようがされてこなかったことから、農薬のうやく栽培さいばい作物さくもつそだてて輸出ゆしゅつするうごきもある。

林業りんぎょう

編集へんしゅう

ラオスの山林さんりんにはマホガニーチークなどの木材もくざい豊富ほうふだが、19世紀せいきからフランスが徹底的てっていてき伐採ばっさいした。現在げんざいでは[いつ?]マツおも日本にっぽん輸出ゆしゅつされている。ラオス高地こうちのマツは樹齢じゅれいすうひゃくねんという巨大きょだい良質りょうしつなものがおおく、年間ねんかん3まん立方りっぽうメートルの山林さんりん伐採ばっさいされて日本にっぽんおくられる。2, 3きゅうのクズざいは、ラオス国内こくないとベトナムのバイヤーにられる。マツとともに常緑じょうりょく森林しんりんこそぎ伐採ばっさいされるため、保水ほすい機能きのうおおきくそこなわれておおきな問題もんだいとなっている[49]

鉱業こうぎょう・エネルギー

編集へんしゅう

ラオスの鉱業こうぎょう資源しげん開発かいはつ段階だんかいにある。たとえば、肥料ひりょう原料げんりょうなどに利用りようできるカリ岩塩がんえんだい規模きぼ鉱床こうしょう発見はっけんされており、面積めんせきは30km2およぶ。スズ鉱床こうしょう埋蔵まいぞうりょうは100おくトンにおよぶと見積みつもられている。アンチモン硫黄いおうきむタングステンてつどうなまりマグネシウムマンガン鉱床こうしょう発見はっけんされている。

しかしながら、けわしい山脈さんみゃく縦横じゅうおうひろがる国土こくど整備せいび交通こうつうインフラなどのため、2003ねん時点じてんでは、石炭せきたん(29まんトン)、スズ(300トン)、しお(5000トン)にとどまっている。ただいち開発かいはつすすんでいるのは宝石ほうせきであり、1991ねんにはサファイア生産せいさんりょうが3まん5000カラットたっした。

ラオスは落差らくさおおきい河川かせんおおわりには人口じんこうすくなく、工業こうぎょう発展はってんおくれている。このため水力すいりょく発電はつでんしょ建設けんせつ相次あいつぎ、タイなどに電力でんりょく輸出ゆしゅつしている。ただ国内こくない送電そうでんもう整備せいびおくれているため、さきのタイから電力でんりょく輸入ゆにゅうする矛盾むじゅんかかえている[50]

製造せいぞうぎょう

編集へんしゅう

内陸ないりくこくであり、外洋がいようめんしたみなとっていない。メコンがわ大型おおがたせん航行こうこうできる川幅かわはばはあるが、ラオス南部なんぶコーンパペンのたきぐんがあるため、外海がいかいから遡上そじょうできない。こうした物流ぶつりゅうめんでのハンディは、外海がいかいめんした港湾こうわん周辺しゅうへん諸国しょこくとの道路どうろ鉄道てつどう整備せいびにより克服こくふくされつつある。このため、賃金ちんぎん上昇じょうしょう人手ひとで不足ふそく直面ちょくめんしているタイにくらべて労働ろうどうりょく豊富ほうふ人件じんけんやすい「タイ+1(プラスワン)」の対象たいしょうこくとして、カンボジアミャンマーともに注目ちゅうもくされている[51]。ただ現状げんじょうでは製造せいぞうぎょう発展はってん途上とじょうで、市場いちばなら工業こうぎょう製品せいひん大半たいはんはタイせい中国ちゅうごくせいである。

かつて近代きんだいてき設備せつびそなえたおおきな工場こうじょうは、ビール清涼飲料水せいりょういんりょうすいなどを生産せいさんする国営こくえいのメーカー「ビア・ラオ」が目立めだ程度ていどであった。ラオスのさけといえばこめ原料げんりょうとする焼酎しょうちゅうラオ・ラーオがあるが、生産せいさん家内かないせい手工業しゅこうぎょうレベルにとどまる。伝統でんとうてき織物おりもの名高なだかいが、おおくは農家のうか女性じょせいたちの副業ふくぎょうとして作業さぎょうによりつくられている。

観光かんこうぎょう

編集へんしゅう

1986ねんソ連それんペレストロイカ影響えいきょうけ、ラオスでもチンタナカーン・マイしん思考しこう)とばれる市場いちば経済けいざい導入どうにゅうはかられた。これは、中国ちゅうごく改革かいかく開放かいほう、ベトナムのドイモイ刷新さっしん)と同様どうようの、社会しゃかい主義しゅぎ体制たいせいなか資本しほん主義しゅぎのシステムをれようというこころみである。共産きょうさん主義しゅぎ政権せいけん樹立じゅりつ以降いこうほぼ鎖国さこく状態じょうたいにあったラオスであったが、チンタナカーン・マイ以降いこう自由じゆう開放かいほうすすみ、上記じょうき経済けいざい項目こうもくにあるとおり、政府せいふがラオス観光かんこうねん設定せっていしプロモーションをおこなって観光かんこう産業さんぎょう育成いくせい努力どりょくした結果けっか観光かんこう産業さんぎょう急速きゅうそく発達はったつした。ルアン・パバンのまちワット・プーなどの2つの世界せかい文化ぶんか遺産いさんや、ジャール平原へいげんおおくの仏教ぶっきょう寺院じいんなどが年間ねんかん300まんにんえる外国がいこく観光かんこうきゃくび、外貨がいか獲得かくとくおおきな産業さんぎょうとなっている。プロモーションのため、日本にっぽんでは2007ねん9月23にち-24にち東京とうきょう代々木公園よよぎこうえんでラオスの魅力みりょく紹介しょうかいするだい1かいラオスフェスティバル2007が開催かいさいされた[52]

国民こくみん

編集へんしゅう
 
ラオスにおける人口じんこう統計とうけい推移すいい

2021ねん時点じてんでの人口じんこうは733まんにんであり、2000ねん以降いこうとし10まんにんペースで右肩みぎかたがりに着実ちゃくじつ増加ぞうかしている[53]人口じんこう密度みつどは、1km2あたり24にん[54]。ちなみに、ベトナムは256にん、タイは132にん中国ちゅうごく雲南うんなんしょうは114にん、カンボジアは82にん、ミャンマーは74にんであり、ラオスは人口じんこうすくないことがかる。ラオスには、おおきい人口じんこうかかえる広大こうだい地域ちいきがない。たとえばベトナムのべにかわデルタメコンデルタ、タイのチャオオプタ[よう検証けんしょう]デルタ、ミャンマーのイワラジデルタ[よう検証けんしょう]のような政治せいじ経済けいざい中心ちゅうしんになる地域ちいきがない[47]最大さいだい人口じんこうかかえる首都しゅとヴィエンチャンでも人口じんこう71まんにん[54]である。

民族みんぞく

編集へんしゅう
 
伝統でんとう衣装いしょうであるシンたラオスの女性じょせい
 
モンぞく少女しょうじょたち(1973ねん撮影さつえい

一番いちばんおおいのは人口じんこう半分はんぶん以上いじょうめるラオぞく[4]ラーオぞく)であり、それに50程度ていど少数しょうすう民族みんぞく[4]つづく。しかし、ラオス政府せいふはラオス国籍こくせきもの一様いちようラオスじんとして定義ていぎしているため、公式こうしきには少数しょうすう民族みんぞく存在そんざいしない。

1950ねん以降いこうつぎのようにおおきく3つにけられており、それぞれの人口じんこう比率ひりつは60たい25たい15である[55]。その区分くぶん有効ゆうこうせいうたがわしいが、この区分くぶん国民こくみんあいだひろまっている[47]

ラオス政府せいふ定義ていぎするラオスじん地域ちいき高度こうどにより、低地ていちラーオぞく(ラーオルム、国民こくみんやく7わり、ラオス北部ほくぶ山間さんかん盆地ぼんち)、丘陵きゅうりょうラーオぞく(ラーオトゥン、国民こくみんやく2わり山麓さんろく居住きょじゅう水田すいでん水稲すいとうさく焼畑やきばた両者りょうしゃわせ)、高地たかちラーオぞく(ラーオスーン、国民こくみんやく1わりやまふかくに居住きょじゅう陸稲おかぼトウモロコシ焼畑やきばた栽培さいばい)にけられる。

低地ていちラーオぞく
かわ流域りゅういき平野へいや平地ひらち人々ひとびと国勢調査こくせいちょうさ(2005ねん)8民族みんぞくタイぞくけい民族みんぞく。ラオスの先住民せんじゅうみんではない。メコンかわ沿いのルアンパバーン、サワンナケート、チャムパーサックの平野へいや、シェンクワンやカムムアンの高原こうげんなどに居住きょじゅうし、人口じんこうやしていった。水田すいでん水稲すいとうさく高床たかゆか住居じゅうきょ天秤棒てんびんぼう運搬うんぱん母系ぼけいせい上座かみざ仏教ぶっきょう信仰しんこう[56]
丘陵きゅうりょうラーオぞく
産地さんち中腹ちゅうふく丘陵きゅうりょう人々ひとびとモンぞく (Mon)・クメールけい民族みんぞく。ラオスの先住民せんじゅうみんぞくきたからみなみやま中腹ちゅうふく(300 - 800メートルくらい)にラオスちゅうひろ居住きょじゅうとく南部なんぶおおい。やま斜面しゃめん焼畑やきばたりにながじるもり民族みんぞく国勢調査こくせいちょうさ(2005ねん)32民族みんぞく最多さいたがクムぞくの61まんにん最少さいしょうはクリーぞくが500にん未満みまん(1995ねん統計とうけいよりさらに減少げんしょう)。存亡そんぼう危惧きぐされる民族みんぞくおおい。南部なんぶ世界せかい遺産いさんプラーサート・ワット・プーそののクメール遺跡いせきのこ[56]
高地たかちラーオぞく
やま高地こうち頂上ちょうじょうちかくに人々ひとびとモンぞく (Hmong)・ミエン(Mien, メオ・ヤオ)けい民族みんぞく、チベット・ビルマけい民族みんぞく。ラオスで一番いちばんあたらしい住民じゅうみんたちで、18世紀せいきから19世紀せいきにかけて、中国ちゅうごく雲南うんなんしょう四川しせんしょうなどから移住いじゅうしてきた人々ひとびとである。中国ちゅうごくきよしあさ時代じだい少数しょうすう民族みんぞくたいする圧政あっせいえかねてのがれてきた人々ひとびとおおい。中国ちゅうごく、ベトナム、タイ、ミャンマーなどの国境こっきょう山岳さんがく地帯ちたいにまたがって、ひろがってんでいる民族みんぞくである。これらの民族みんぞくは、焼畑やきばたうるちまいやトウモロコシをつくって生活せいかつしている。文字もじっていない[57]

実際じっさいには、フアパンけんカムぞくタイデンぞくタイダムぞくモンぞくあおモンぞくくろモンぞくヤオぞくが、ウドムサイけんにはモンぞくが、 ポンサーリーけんにはアカぞくとタイダムぞくが、ルアンナムターけんにはランテンぞくくろタイぞくタイルーぞく、タイダムぞく、アカぞくイゴーぞく、ヤオぞく、モンぞくんでいる。

このような標高ひょうこうによる分布ぶんぷができたのは、紀元前きげんぜんからモン・クメールけい人々ひとびとがこの地域ちいきらしていたが、9世紀せいきごろからタイけい人々ひとびと南下なんかしてきたことにはしはっする。そのしんだい末期まっきの19世紀せいき後半こうはんからモン・ミエンけいやチベット・ビルマけい人々ひとびと中国ちゅうごく南部なんぶから移住いじゅうしてきた。漢人かんど支配しはい干渉かんしょうきら移住いじゅうしてきたとわれている[58]

かく民族みんぞくはなされているが、公用こうようさだめられているのはラオス[4]ラーオ)である。ラーオタイどういち言語げんごぞくする個別こべつ地域ちいき変種へんしゅ関係かんけいひらたくえば、ラーオとタイはそれぞれがたがいに方言ほうげん関係かんけい)にあるが[ちゅう 3]、ラオスではタイからの影響えいきょうりょく遮断しゃだんするため、ラーオ独立どくりつせい強調きょうちょうする傾向けいこうにある。

英語えいごは、ホテルや旅行りょこうしゃけのレストランなどではほぼつうじる[59]。また、フランスしき教育きょういくけたもの政府せいふ幹部かんぶ、エリートなどにはフランス語ふらんすご通用つうようする。

婚姻こんいん

編集へんしゅう

ほとんどの女性じょせいおっとせい改姓かいせいする(夫婦ふうふ同姓どうせい)が、改姓かいせいしない女性じょせいもいる(夫婦ふうふ別姓べっせい[60]。また、一夫多妻いっぷたさいせい事実じじつじょう公認こうにんされている。ラオスでは憲法けんぽう家族かぞくほうでは一夫多妻いっぷたさいせい法的ほうてき承認しょうにん禁止きんししており、一夫一婦いっぷいっぷせいがこのくに主要しゅよう結婚けっこん形態けいたいであると規定きていしている[61]。しかし、一夫多妻いっぷたさいせい自体じたい違法いほうとされているものの、一部いちぶのモンぞくあいだでは一夫多妻いっぷたさいせいいまでも慣習かんしゅうとしてのこっている[62]ことから、罰則ばっそくかるいものとなっている。

宗教しゅうきょう

編集へんしゅう
 
19世紀せいきまでつづいていたラーンサーン王朝おうちょうでは仏教ぶっきょう国教こっきょうとされていた。ルアンパバーンでは現在げんざいでも毎朝まいあさ僧侶そうりょによる托鉢たくはつられる。
 
タート・ルアンはラオスを代表だいひょうする仏塔ぶっとうひとつである。ラオスのシンボルであり、くにあきらにもタート・ルアンがえがかれている。

宗教しゅうきょう上座かみざ仏教ぶっきょうが60%、アニミズムやその宗教しゅうきょうが40%であるが、しばしば仏教ぶっきょうとアニミズムが混同こんどうされて信仰しんこうされていることがある。そのラオス南部なんぶではキリスト教きりすときょう信仰しんこうされている。

19世紀せいきまでつづいていたラーンサーン王朝おうちょうでは仏教ぶっきょう国教こっきょうとされていた。しかし、ラオス人民じんみん民主みんしゅ共和きょうわこく成立せいりつ仏教ぶっきょう特別とくべつ保護ほごけなくなった。ただし、農村のうそん地域ちいきコミュニティーと仏教ぶっきょう寺院じいん密接みっせつ関係かんけいたもつづけている。そのため、ラオス人民じんみん革命かくめいとうも「とう理念りねん思想しそう一致いっちする」と明言めいげんするなど、仏教ぶっきょうとの関係かんけい意識いしきしている[63]

教育きょういく

編集へんしゅう
 
ラオス国立こくりつ大学だいがく
この大学だいがく首都しゅとヴィエンチャンに
 
マホソット病院びょういん英語えいごばん
この病院びょういん首都しゅとヴィエンチャンに

衛生えいせい環境かんきょう

編集へんしゅう

ラオスの人口じんこうだい部分ぶぶん農村のうそんであることから、衛生えいせいへの投資とうし困難こんなんとなっている[64]

1990ねんには、改善かいぜんされた衛生えいせい設備せつび利用りようできる農村のうそん人口じんこうわずか 8% にしかたなかった[65]。2014ねん実施じっしされた世界銀行せかいぎんこう調査ちょうさのデータによると、ラオスはユニセフWHO共同きょうどう監視かんしプログラムにもとづく『みず衛生えいせいかんする「ミレニアム開発かいはつ目標もくひょう(MDG)」』の目標もくひょう数値すうち達成たっせいしているが、2018ねん時点じてんでは、同国どうこく人口じんこううち やく190まんにん改善かいぜんされた給水きゅうすい利用りようできず、240まんにん改善かいぜんされた衛生えいせい設備せつび利用りようできない状態じょうたいとなっている[66]

社会しゃかい

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黄金おうごん三角さんかく地帯ちたいいちしょであるてんから、薬物やくぶつ犯罪はんざい英語えいごばんから問題もんだい根深ねぶかめんのこしている[67]

2023ねん04がつ17にち時点じてん外務省がいむしょうは、「近年きんねん首都しゅとビエンチャンとう都市とし中心ちゅうしんに、ひったくり、強盗ごうとうき、侵入しんにゅうぬすめとう一般いっぱん犯罪はんざい多発たはつしています。また、日本人にっぽんじん被害ひがいしゃとなる昏睡こんすい強盗ごうとう夜道よみちでのひったくり事案じあん発生はっせいしています。また、2022ねん5がつに、新型しんがたコロナウイルス防止ぼうし対策たいさくによるラオスの入国にゅうこく制限せいげん大幅おおはば緩和かんわされてから、日本人にっぽんじん旅行りょこうしゃ被害ひがいしゃとなるひったくりや睡眠薬すいみんやく強盗ごうとう発生はっせいしていますので、注意ちゅうい必要ひつようです。」としている[68]。また、ラオスでは汚職おしょく問題もんだいとなっており、政府せいふ汚職おしょく抑制よくせいつとめてきている[69]ものの、2012ねんにおけるトランスペアレンシー・インターナショナル(TI)の腐敗ふはい認識にんしき指数しすうによれば、合計ごうけい 176かこくちゅう160にランクされている[70]

ほう執行しっこう機関きかん

編集へんしゅう

ラオス公安こうあんしょう英語えいごばん主体しゅたいとなっている。公安こうあんしょう管轄かんかつにあるラオス国家こっか警察けいさつは、かつての王国おうこく時代じだい設立せつりつされたラオス王立おうりつ警察けいさつ英語えいごばん前身ぜんしんとなっている。

人権じんけん

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ラオス政府せいふは、同国どうこく少数しょうすう民族みんぞくであるモンぞくたい大量たいりょう虐殺ぎゃくさつおこなったとして非難ひなんされている実情じつじょうがある[71]

NGOや人権じんけん活動かつどう報告ほうこくによると、現地げんちでは個別こべつ人権じんけん侵害しんがい事件じけん多数たすう発生はっせいしているという。

いちれいとしては、はん体制たいせいてき政治せいじてき見解けんかい表明ひょうめいしたことによる投獄とうごく国際こくさい人権じんけん団体だんたいによって大々的だいだいてき報道ほうどうされていた2人ふたりもと政府せいふ高官こうかん不当ふとうあつかいをめぐ事件じけんられる。この人物じんぶつらは3めい政府せいふ政策せいさく懸念けねん表明ひょうめいし、経済けいざい政治せいじ改革かいかく主張しゅちょうしたとして1990ねん逮捕たいほされていた[72]

なお、もと政府せいふ高官こうかん2にんは2004ねん10がつ釈放しゃくほうされている[73]が、かれらととも有罪ゆうざい判決はんけつけた3にんはん体制たいせい人物じんぶつは1998ねん獄中ごくちゅう死亡しぼうした。

また、1999ねん10がつ時点じてんでは、ラオス国内こくない平和へいわてき経済けいざい政治せいじ社会しゃかい変革へんかくもとめるポスターを掲示けいじしようとしたとして30にん若者わかもの拘束こうそくされた。そのうち5にん逮捕たいほされ、のち反逆はんぎゃくざい最長さいちょう10ねん懲役ちょうえきけいをいいわたされている。その1人ひとり看守かんしゅらの暴行ぼうこうにより死亡しぼうし、1人ひとり釈放しゃくほうされた。のこった3にんは2009ねん10がつまでに釈放しゃくほうされるはずであったが、行方ゆくえ不明ふめいままとなっている[74]

人身じんしん売買ばいばい

編集へんしゅう

2017ねん2がつ20日はつか裕福ゆうふく中国人ちゅうごくじんとのいつわりの結婚けっこんばなしだまされ、売春ばいしゅんをさせられる女子じょし高校生こうこうせい増加ぞうかしていると地元じもとメディアがほうじた。以前いぜんより結婚けっこん就職しゅうしょくかくみのにしてタイへ少女しょうじょ被害ひがい報告ほうこくされていたが、このタイルートにくわえ、近年きんねん[いつ?]中国ちゅうごくルートが増加ぞうかしていることが人身じんしん売買ばいばい調査ちょうさしているNGO団体だんたい職員しょくいんにより判明はんめいしている。被害ひがい少女しょうじょおおくは高校こうこう2、3年生ねんせい主体しゅたいで、結婚けっこんのために学校がっこう中退ちゅうたいする。中国人ちゅうごくじん首都しゅとヴィエンチャンをふくむラオス全土ぜんど少女しょうじょらにこえをかけており、ラオス政府せいふ事態じたい把握はあくしている。旧来きゅうらいから存在そんざいするタイルートでは役人やくにんへの賄賂わいろ常習じょうしゅうし、ひとつのビジネスとなっているが、中国ちゅうごくルートも同様どうようになっている可能かのうせいたかい。ラオス国内こくない人身じんしん売買ばいばい実態じったい公式こうしき調査ちょうさおこなわれず、正確せいかく被害ひがいすうすら把握はあくされておらず、人権じんけん団体だんたい調査ちょうさ政府せいふ機関きかん不透明ふとうめい対応たいおう妨害ぼうがいされがちであるという[75]

ラオスの新聞しんぶんは、英語えいご新聞しんぶんヴィエンチャン・タイムズ』(Vientiane Times) およびフランス語ふらんすご新聞しんぶんル・レノヴァテュール』(Le Rénovateur) をふくめてすべ政府せいふ機関きかん発行はっこうである。さらに、公認こうにん通信つうしんしゃカオサン・パテート・ラオ (Khaosan Pathet Lao, Lao News Agency) が同名どうめいえいふつばん新聞しんぶん発行はっこうしている。おもなラーオ新聞しんぶんとしては『パサション』(Pasaxon)、『ヴィエンチャン・マイ』(Vientiane Mai Newspaper) がある。

ラオスでは、ラオス国営こくえいラジオ (Lao National Radio, LNR) の放送ほうそう中波ちゅうは短波たんぱFMにておこなわれている。テレビは、ラオス国営こくえいテレビ (Lao National Television, LNTV) が2つのチャンネルで放送ほうそうされている。また、タイのテレビ放送ほうそう視聴しちょうしているひとおおい。

一方いっぽう国境こっきょうなき記者きしゃだん発表はっぴょうしている世界せかい報道ほうどう自由じゆうランキングの2009年版ねんばんでは、中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこくいでひくい169えらばれている。

インターネット

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メッセージのやりりにはWhatsAppLINEといった外国がいこくせいアプリ利用りようしゃおおいが、ラオスの通信つうしん会社かいしゃシリチャルーンサイと政府せいふ共同きょうどう開発かいはつした「LoudChat」(ラウドチャット)のサービスが2022ねん4がつはじまった[76]言論げんろんへの監視かんし統制とうせいおこなわれているが、SNSでは政府せいふ批判ひはん投稿とうこうされることもある[77]

しょく文化ぶんか

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どのまちでも屋台やたい文化ぶんかさかんである。

文学ぶんがく

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音楽おんがく

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ラオスの音楽おんがく文化ぶんかは、カンボジア音楽おんがくやベトナム音楽おんがくなど近隣きんりん諸国しょこく音楽おんがく文化ぶんかおおくの類似るいじてん存在そんざいする。とくにタイ音楽おんがくとの類似るいじてんおおいことがられる。

芸術げいじゅつ

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被服ひふく服飾ふくしょく

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シュアウト・ラオをたラオスの女性じょせいたち

一般いっぱんてき伝統でんとう衣装いしょうにはシュアウト・ラオ英語えいごばんばれるものが存在そんざいする。シュアウト・ラオはラーオで「ラオスの衣装いしょう」を意味いみする、文字通もじどおりの名称めいしょうである。ほかにはスアパット英語えいごばんというかんふく似通にかよった形状けいじょう衣装いしょうがあり、この衣装いしょう長袖ながそで仕様しようとなっている。

建築けんちく

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ワット・シェントーン
ルアンパバーンぐん位置いちする仏教ぶっきょう寺院じいん代表だいひょうかくとなっている。
 
ワット・ノン・シクムンアン
ルアンパバーンぐん仏教ぶっきょう寺院じいんひとつで、ふるくから残存ざんそんする仏教ぶっきょう建築けんちく一部いちぶとしてられる。

ラオスを代表だいひょうする歴史れきしてき建築けんちくぶつには仏教ぶっきょう寺院じいんであるワット・シェントーンられている。

世界せかい遺産いさん

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ラオス国内こくないには、ユネスコ世界せかい遺産いさんリストに登録とうろくされた文化ぶんか遺産いさんが3けん存在そんざいする。

祝祭日しゅくさいじつ

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ラオスの祝日しゅくじつ一覧いちらん
日付ひづけ 日本語にほんご表記ひょうき 現地げんち表記ひょうき 備考びこう
1がつ1にち 新年しんねん
1がつ20日はつか 国軍こくぐん記念きねん ラオス人民じんみん革命かくめいぐん設立せつりつ記念きねん
2がつ9にち マーカブーサー 仏陀ぶっだ死後しごのありかた予言よげんした
3月8にち 女性じょせい 3月8にち国際こくさい女性じょせい
4がつ14にち - 16にち ピーマイラーオ(ラオス正月しょうがつ
5月1にち 労働ろうどう メーデー
5月8にち ビサーカブーサー 釈迦しゃか誕生たんじょう
6月1にち 子供こども 国際こくさいどもの植樹しょくじゅ
7がつ7にち カオパンサー あめ安居あんきょはいり」の儀式ぎしき
8がつ15にち 憲法記念日けんぽうきねんび
8がつ20日はつか ぼん
9月4にち ブン・カオサラック 先祖せんぞ供養くよう
10月4にち オークパンサー あめ安居あんきょけ」の儀式ぎしき
10月5にち ボートまつ
10月7にち 教師きょうし 国際こくさい教師きょうしは10月5にち
10月12にち 独立どくりつ宣言せんげん記念きねん
11月2にち タート・ルアンまつ 「タート」は「とう」、「ルアン」は「おおきい」の意味いみで、
首都しゅとヴィエンチャンにある黄金おうごん仏塔ぶっとうのこと。
12月2にち 建国けんこく記念きねん ナショナルデーとして国民こくみん休日きゅうじつ
12月13にち カイソーン・ポムウィハーン誕生たんじょう ラオス人民じんみん民主みんしゅ共和きょうわこく成立せいりつ功労こうろうしゃ

ラオスには「ムエラオフランス語ふらんすごばん英語えいごばん」とばれる伝統でんとうてき格闘技かくとうぎ存在そんざいする。

ムエラオはタイのムエタイやカンボジアのクン・クメール原型げんけいとされている。

オリンピック

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ラオス国内こくないではサッカー圧倒的あっとうてきに1ばん人気にんきスポーツとなっている。1990ねんにサッカーリーグのラオス・リーグ創設そうせつされ、2013ねんにプロされた。ペプシコーラがリーグに協賛きょうさんしており、「ペプシ・ラオ・リーグ1」とばれている。ラオスサッカー連盟れんめい(LFF)によって構成こうせいされるサッカーラオス代表だいひょうは、これまでFIFAワールドカップAFCアジアカップには出場しゅつじょうである。東南とうなんアジアサッカー選手権せんしゅけんには12出場しゅつじょうしているが、ぜん大会たいかいでグループリーグ敗退はいたいとなっている。

著名ちょめい出身しゅっしんしゃ

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脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 国土こくど面積めんせきめる森林しんりん面積めんせき割合わりあい森林しんりんりつ」は69%(2005ねん時点じてん)、ブータン68%、マレーシア64%、カンボジア59%。
  2. ^ りんとは、原生げんせいりん伐採ばっさいによって荒廃こうはいし、災害さいがいによって被災ひさいしたのち自然しぜん再生さいせい人為じんいてき植林しょくりんなどされた森林しんりんをいう。
  3. ^ タイ (Tai) けい言語げんごにラーオくろタイ、タイヌア、ルー、ブータイ、セークなどがある。

出典しゅってん

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参考さんこう文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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政府せいふ 法律ほうりつ
日本にっぽん政府せいふ
その

座標ざひょう: 北緯ほくい1758ふん 東経とうけい10236ふん / 北緯ほくい17.967 東経とうけい102.600 / 17.967; 102.600 (ラオス)