落語 家
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1.の
身分 制度
江戸 ・東京 落語 の身分 制度
その
見習 い
前座
へたり・戻 り前座
かつての
また
二 つ目
紋付 を着 ること。番組 に名前 を出 す。自分 の手拭 を昇進 の挨拶 に配 ること。飲酒 ・喫煙 (一門 による)自分 で落語 会 を開催 すること。自分 でテレビ・ラジオ出演 や営業 などへの売 り込 みをすること。また実際 に出演 すること[注釈 4]。
真打
2022
1980
問題 点
戦後 の騒動
落語 協会 分裂 騒動 - 1978
年 (昭和 53年 )、六 代目 三 遊 亭 圓 生 が落語 協会 理事 会 において、当時 の常任 理事 であった三 代目 三 遊 亭 圓 歌 ・四 代目 三 遊 亭 金 馬 ・五 代目 春風 亭 柳 朝 の更迭 、大量 真打 昇進 の反対 の動議 を提出 したが棄却 されたことに起因 しており、このことが後 の真打 昇進 試験 制度 設立 につながる。結果 的 に圓 生 と五 代目 三遊亭圓楽 を中心 とする直弟子 の一門 が離脱 し「落語 三 遊 協会 」を創設 した[注釈 11]が、業界 内 の支持 を得 られず、東都 の定席 寄席 4か所 からいずれも締 め出 しとなった。結果 的 に圓 生 の急死 により落語 三 遊 協会 は瓦解 し、圓楽 一門 (その後 「大 日本 落語 すみれ会 」、後 の円楽 一門 会 を設立 )以外 は落語 協会 に復帰 した。 落語 立川 流 の創設 上記 の落語 協会 分裂 騒動 では圓 生 らに呼応 する形 で離脱 の可能 性 もあったが、結局 落語 協会 に残留 した七 代目 立川談志 であったが、1983年 (昭和 58年 )に一門 ごと脱会 し、立川 流 を創設 。昇進 試験 をめぐり落語 協会 主流 派 と談 志 一門 が対立 したことが理由 とされる。この事件 は試験 制度 による改革 も決 して業界 全体 を満足 させるものではないことを証明 した(これに伴 い昇進 試験 制度 は1987年 を最後 に廃止 され、現在 は年功序列 を基本 しつつ、一部 の優 れた者 については抜擢 での真打 昇進 が運用 されている。真打 #抜擢 真打 を参照 )。なお、談 志 の死没 (2011年 )後 は家元 制度 が廃止 されて、談 志 の惣領 弟子 である十 代目 土橋 亭 里 う馬 を代表 とする任意 団体 となっていたが、2024年 6月 に談 志 の弟子 である立川 志 の輔 を代表 とする一般 社団 法人 として組織 化 された[7]。
この2
上方 ・大阪 落語 の身分 制度
2012
また、
アマチュアの落語 家
女性 の落語 家
その
2024
落語 家 の所属 団体
関東 の落語 家
落語 協会 (1923年 (大正 12年 )設立 、1977年 (昭和 52年 )法人 化 、現 会長 :柳家 さん喬 (稲葉 稔 )、一般 社団 法人 )落語 芸術 協会 (1930年 (昭和 5年 )設立 、1977年 (昭和 52年 )法人 化 、現 会長 :春風 亭 昇 太 (田 ノ下 雄二 )、公益社 団 法人 )五 代目 円楽 一門 会 (1978年 (昭和 53年 )設立 、現 会長 :六 代目 三 遊 亭 圓 橘 、任意 団体 )落語 立川 流 (1983年 (昭和 58年 )設立 、2024年 (令 和 6年 )法人 化 、現 代表 :立川 志 の輔 (竹内 照雄 )、一般 社団 法人 )
このうち、
関西 の落語 家
関東 の団体 間 の移籍
林家 九蔵 →三 遊 亭 好 楽 (落語 協会 →大 日本 落語 すみれ会 ・のちの円楽 一門 会 、1983年 )二 代目 桂 文 朝 、桂 南 喬 、桂 文生 [注釈 22](落語 芸術 協会 →落語 協会 、1984年 )立川 談 生 →鈴 々舎 馬 桜 (落語 立川 流 →落語 協会 、1985年 )立川 小 談 志 →四代目喜久亭寿楽(落語 立川 流 →落語 協会 、1992年 )柳家 三 太 楼 →三 遊 亭 遊 雀 (落語 芸術 協会 、2006年 [注釈 23])立川 談 幸 [注釈 24](落語 立川 流 →落語 芸術 協会 、2015年 [注釈 25])
このほか、
諸派 ・無所属 の落語 家
上方 落語 協会 を離脱 している落語 家
- ◎
三 代目 桂 南光 - ◎
二 代目 桂 南天 - ◎
桂 天 吾
- ◎
- ◎
- ◎
桂 雀 々 -活動 拠点 を東京 に移 しており、お江戸 上野 広小路 亭 の「しのばず寄席 」などにも出演 している。- ◎
桂 優 々
- ◎
- ◎
四 代目 桂 文 我 - ◎
桂 まん我 - ◎
桂 笑 我
- ◎
- ◎
桂 紅雀
その
名古屋 の落語 家
雷門 小 福 (2012年 死去 )(登 龍 亭 、なごや雷門 )一門 [21](もとは東京 落語 ・雷門 福助 の系譜 )、以下 は小 福 門下 である。なお、獅篭・幸福 は最初 に入門 したのは東京 の立川談志 門下 である。小 福 の没後 、2020年 4月 に亭 号 を「雷門 」から「登 龍 亭 」に改名 した。小 福 の孫弟子 にあたる獅鉄、幸吉 、篭 登 、ゆり篭 (「登 龍 亭 」改名 後 初 の女性 )の入門 で名古屋 の落語 家 は昭和 初期 以降 で最多 の人数 となった[22]。- ◯
立川 わんだ:落語 立川 流 所属 の真打 だが、2022年 10月 から拠点 を実家 のある名古屋 に移 して活動 している。大須 演芸 場 には不定期 で出演 している。
仙台 の落語 家
六 華 亭 遊 花 ※「東北 弁 落語 」として落語 芸術 協会 に所属 。東西 寄席 演芸 家 年鑑 2には「客員 」として名前 のみ掲載 有 。
団体 から独立 してプロ活動 を続 ける者
東京
- ◎
二 代目 春風 亭 華 柳 (1991年 に落語 芸術 協会 を退会 してフリーランスで活動 していたが、2023年 3月 、落語 家 引退 を表明 ) - ◯
二 代目 快楽 亭 ブラック(落語 協会 を師 ・談 志 とともに離脱 、その後 落語 立川 流 からも除名 (自主 退会 )[注釈 27]。除名 後 、孤立 した活動 となってから弟子 を新 たに複数 採用 しているが、いずれも廃業 している。 - らぶ
平 (2005年 落語 協会 を退会 してフリーランス)、らむ音 ・らぶ丸 (弟子 ) - ◯
古今 亭 駿 菊 (2015年 落語 協会 を退会 してフリーランス) - ◯
八 代目 三 升 家 小勝 (2016年 落語 協会 を退会 してフリーランス)、弟子 の桂 右 女 助 (4代目 )は引 き続 き落語 協会 に所属 。 - ◯
三 遊 亭 はらしょう(2011年 2月 に落語 協会 を退会 していったん廃業 、同年 7月 に色物 弟子 として三 遊 亭 圓 丈 門下 に復帰 後 、東京 演芸 協会 に「ドキュメンタリー落語 家 」として所属 [23]) 林家 きなこ(2017年 5月 、林家 しん平 に入門 。落語 協会 未 入会 であるが一門 として活動 。2020年 5月 「しん平 門下 二 ツ目 」昇進 )[24][25]。立川 幸 弥 (2017年 立川 談 幸 に入門 「立川 幸 七 」、2020年 落語 芸術 協会 退会 。2022年 談 幸 門下 のフリーランス「立川 幸 弥 」として活動 再開 。2023年 10月 二 つ目 昇進 [26]) 。金原 亭 志 ん喜 (2021年 2月 、金原 亭 世 之 介 に入門 。落語 協会 未 入会 であるが一門 として活動 [27]。)
上方
名古屋
鳥取
- ◎
六 代目 桂 文吾 (鳥取 県 米子 市 。元 ・6代目 桂 小 文吾 。上方 落語 から身 を引 いてヘルスセンターに就職 。社員 として勤務 していたが、舞台 に自 ら上 がるなど、何 かしら芸 はしていた。定年 退職 後 、フルタイムのプロ落語 家 に復帰 [21]。2022年 、6代目 桂 文吾 襲名 。- ◎
七 代目 桂 小 文吾 (元 ・立川 幸平 、立川 談 幸 門下 から移籍 )
- ◎
岡山
沖縄
北海道
故人
柳家 金 語 楼 (日本 藝術 協会 →吉本興業 から脱退 (昭和 20年代 ))三 代目 三 遊 亭 金 馬 (落語 協会 →東宝 )二 代目 笑 福 亭 松之助 (上方 落語 協会 を脱退 、ただし実子 の明石家 のんきは2012年 上方 落語 協会 に所属 )二 代目 桂枝雀 (1994年 上方 落語 協会 を脱退 、1999年 死去 )※弟子 は上記 参照 。桂 小米 (11代目 )(上方 落語 協会 を脱退 、2021年 死去 ) ※米 朝 本人 や、上記 の枝 雀 一門 の一部 を除 く他 の弟子 は協会 所属 。桂 宗 助 (2021年 、二 代目 桂 八十八 [注釈 29]襲名 )・桂 千 朝 はのちに上方 落語 協会 に復帰 。- おきらく
亭 はち好 (真打 昇進 後 に落語 芸術 協会 を脱退 後 、沖縄 に移住 ・活動 。2021年 死去 ) 東家 夢 助 (落語 協会 →北海道 で活動 、2018年 死去 )
事実 上 のレッスン・プロ
- パーポ
明石 (京都 ほか。落語 家 からバレエダンサーに転向 するが、所属 劇団 にて落語 講師 も行 う。)
首都 圏 ・中京 ・関西 圏 以外 に拠点 を移 した落語 家
桂 七 福 (徳島 県 )桂 米蔵 (山梨 県 )二 代目 桂 枝光 (北海道 。著書 『お笑 い屯田 兵 ただ今 奮闘 中 』。前 名 桂 小 つぶ)三 遊 亭 大 楽 (青森 県 )桂 三 段 (北海道 札幌 市 、2015年 ~)林家 とんでん平 (北海道 札幌 市 。元 札幌 市議会 議員 )桂 米 裕 (落語 修業 中 に住職 になった。岡山 県 矢掛 町 の住職 )六 代目 柳 亭 左 楽 (広島 県 竹原 市 、2019年 ~)柳家 東 三 楼 (2019年 にO-1 visa取得 後 渡米 、ニューヨーク州 を拠点 に全米 で活動 中 )桂 三 輝 (外国 人 、アメリカ・ニューヨーク州 )月亭 太 遊 (大分 県 )橘 家 文太 (福岡 県 北九州 市 八幡西 区 、2020年 7月 ~)[29]立川 こしら(長崎 県 対馬 市 、2021年 9月 ~)笑 福 亭 笑子 (オーストラリア・メルボルン在住 (2012年 、2014年 ~現在 )。シンガポールでアナウンサーをしていたところ笑 福 亭 鶴 笑 の高座 を見 て感動 し弟子 入 り、鶴 笑 がロンドンに拠点 を移 した時 は夫 ・子供 を連 れてロンドンへ移住 。2013年 は東京 在住 )
落語 家 の叙位 ・叙勲 ・人間 国宝
文化 勲章 は、2009年 に上方 落語 の三 代目 桂米朝 が受章 しており、落語 家 では唯一 の受章 例 となっている。旭日 章 は、長年 活動 し著名 な実績 を残 した落語 家 (概 ね70歳 以上 で協会 役職 経験 者 が目安 )が、春 または秋 の叙勲 時 に旭日 小 綬章 (2003年 4月 以前 は勲 四 等 旭日 小 綬章 )を受章 するケースが殆 どである。後述 の紫綬褒章 の後 に受章 したケースのほか、旭日 小 綬章 のみ受章 したケースもみられる[注釈 30]。また、勲 四 等 瑞宝章 の受章 者 もみられる[注釈 31]。紫綬褒章 は、1961年 に八 代目 桂 文楽 が落語 家 として初 めて受章 して以降 、江戸 ・上方 から2022年 までの時点 で21人 が受章 している。前述 の三 代目 桂米朝 は文化 勲章 よりも先 となる1987年 の受章 である。比較的 若年 となる60歳 代 での受賞 者 も多 い[注釈 32]。
政治 家 になった落語 家
2021
このほか、
また、いなせ
かつてプロ落語 家 だった著名 人
親子 落語 家
(
坊 ちゃん5初代 橘屋 圓 太郎 -三遊亭圓朝 三 遊 亭 金 勝 -柳家 金 語 楼 ・先代 昔 々亭 桃太郎 - 3
代目 林家 染 語 楼 - 4代目 林家 染 語 楼 -林家 市 楼 初代 三 遊 亭 圓 右 - 2代目 三 遊 亭 圓 右 初代 三 遊 亭 圓 左 - 2代目 三 遊 亭 圓 左 - 2
代目 三 遊 亭 金 朝 - 3代目 三 遊 亭 金 朝 初代 桂 文治 - 2代目 桂 文治 - 3
代目 桂 文治 -江戸 4代目 桂 文治 - 6代目 桂 文治 ・4代目 桂 文 之 助 - 5代目 桂 文 之 助 - 4
代目 三 遊 亭 圓 生 -橘 家 小 圓 喬 - 2
代目 桂 才 賀 - 5代目 桂 文楽 ・春風 亭 傳 枝 - 2
代目 三 遊 亭 萬 橘 -初代 柳家 小 せん - 3
代目 麗 々亭 柳橋 - 4代目 麗 々亭 柳橋 ・5代目 麗 々亭 柳橋 笑 福 亭 松 右 衛門 -桂 文 屋 - 5
代目 笑 福 亭 松 鶴 - 6代目 笑 福 亭 松 鶴 - 5代目 笑 福 亭 枝 鶴 - 5
代目 古今 亭 志 ん生 - 10代目 金原 亭 馬 生 ・3代目 古今 亭 志 ん朝 - 2
代目 桂 春 團 治 - 3代目 桂 春 團 治 三 遊 亭 圓 麗 - 2代目 三 遊 亭 小 圓朝 - 3代目 三 遊 亭 小 圓朝 - 3
代目 三 遊 亭 圓 之 助 - 4代目 三 遊 亭 小 圓朝 初代 三 遊 亭 圓 之 助 -朝寝坊 志 らく- 2
代目 蜃気楼 龍 玉 - 3代目 三 遊 亭 小 圓 遊 - 3
代目 桂 三木助 - 4代目 桂 三木助 - 3
代目 桂米朝 - 5代目 桂 米 團 治 - 2
代目 桂枝雀 -桂 りょうば 初代 柳家 蝠丸 - 10代目 桂 文治 - 6
代目 雷門 助六 - 8代目 雷門 助六 - 2
代目 古今 亭 圓 菊 - 3代目 古今 亭 圓 菊 - 5
代目 柳家 小 さん - 6代目 柳家 小 さん - 6
代目 柳家 つば女 - 11代目 柳家 小 きん - 2
代目 三 遊 亭 金 翁 - 5代目 三 遊 亭 金 馬 - 6
代目 三 遊 亭 圓 窓 -三 遊 亭 窓 輝 林家 時蔵 -林家 あんこ- 4
代目 桂 福 團 治 -桂 福 若 - 2
代目 桂 猫 丸 -初代 桂 枝 太郎 桂 枝 雁 -桂 燕 太郎 - 3
代目 桂 文吾 -初代 桂 小 文吾 - (
亭 号 不明 )左 楽 -気取 家 延若 桂 團 輔 - 5代目 桂 文吾 桂 團 丸 -初代 桂 小春 團 治 - 2
代目 露 の五郎 兵衛 -露 のききょう(綾川 文代 ) 月亭 都 勇 - 3代目 三 遊 亭 圓 馬 月 の家 満月 - 4代目 三 遊 亭 圓 馬 初代 林家 菊丸 - 2代目 林家 菊丸 ・林家 花 丸 林家 うさぎ -笑 福 亭 花 丸 (林家 花 丸 )初代 五明 楼 玉 輔 - 4代目 入船亭扇橋 初代 金原 亭 馬 きん - 3代目 五明 楼 玉 輔浅草 亭 馬道 - 5代目 金原 亭 馬 生 - 3
代目 桂 文三 - 4代目 桂 文三 - 3
代目 桂 文 都 - 4代目 桂 文 都 - 2
代目 三 笑 亭 吾妻 - 2代目 三 笑 亭 芝 楽 - 2
代目 桂 文 之 助 - 3代目 笑 福 亭 福松 - 2
代目 笑 福 亭 松之助 -明石家 のんき - 5
代目 柳 亭 痴 楽 - 3代目 柳 亭 小 痴 楽 - 6
代目 三遊亭円楽 -三 遊 亭 一太郎 - 3
代目 桂 文 福 -桂 鹿 えもん - 4
代目 桂 梅 團 治 -桂 小梅 - 5
代目 林家 小 染 - 3代目 林家 染 八 柳家 三好 - 4代目 橘 家 圓 好 - 8
代目 入船亭扇橋 - 3代目 柳 亭 燕 枝 初代 春風 亭 柳 條 -初代 立花 家 花 橘 -春風 亭 柳 橘 初代 三 升 屋 勝次郎 - 2代目 三 升 屋 勝次郎 - 2
代目 鼠 遊 亭 鉄扇 または春風 亭 柳 賀 - 3代目 柳 亭 左 楽 ・2代目 富士 松 ぎん蝶 桂 鯛 助 - 5代目 三 遊 亭 新 朝 林家 たい平 -林家 さく平 三 遊 亭 愛 楽 -三 遊 亭 愛 二郎
祖父 と孫 の落語 家
義父 と義子 の落語 家
養父 と養子 の落語 家
日本語 以外 での落語 を演 じる落語 家
日本語 以外 の言語 で高座 を務 めたプロの落語 家 (正式 に入門 している者 )
二 代目 林家 三平 (中国 語 、英語 )柳家 東 三 楼 (英語 )桂 右 團 治 (英語 )三 遊 亭 とん馬 (英語 、中国 語 )桂 歌蔵 (英語 )三 遊 亭 竜 楽 (英語 ・フランス語 ・イタリア語 ・ドイツ語 ・スペイン語 ・ポルトガル語 ・中国 語 )三 遊 亭 楽 生 (中国 語 )三 遊 亭 好 青年 (英語 、スウェーデン語 )※スウェーデン出身 の外国 人 落語 家 立川 志 の春 (英語 )桂枝雀 (英語 )露 の新治 (中国 語 )桂 雀 喜 (中国 語 )三 代目 桂 歌 之 助 (中国 語 )立川 らく朝 (英語 )桂 福丸 (英語 )桂 かい枝 (英語 )桂 あさ吉 (英語 )笑 福 亭 銀 瓶 (韓国 語 )笑 福 亭 笑子 (英語 )笑 福 亭 たま(英語 )三 遊 亭 遊 かり(英語 )桂 三 輝 (英語 )※カナダ出身 の外国 人 落語 家 桂 福 龍 (落語 )※カナダ出身 の外国 人 落語 家 - らむ
音 (英語 、ポルトガル語 )
なお、
代表 的 な落語 家
落語 四天王 (らくごしてんのう)特 に優 れた落語 家 を「四天王 」として比喩 されることがある。活躍 した年代 や拠点 により様々 な用法 がある。人物 詳細 は各 リンク先 を参照 の事 。初代 三遊亭圓朝 の弟子 の初代 三 遊 亭 圓 馬 ・三 .代 目 三 遊 亭 圓 生 ・四 代目 三 遊 亭 圓 生 ・二 代目 三 遊 亭 圓 橘 の総称 (「圓朝 四天王 」)。上方 落語 で明治 に活躍 した初代 桂 文 之 助 ・桂 文左衛門 ・二 代目 月亭 文 都 ・初代 桂 文 團 治 の総称 (「明治 の上方 四天王 」)落語 睦 会 に所属 していた六 代目 春風 亭 柳橋 ・八 代目 桂 文楽 ・二 代目 桂 小 文治 ・三 代目 春風 亭 柳 好 の総称 (「睦 の四天王 」)。当時 、消 えかかっていた上方 落語 の復興 に尽力 した、三 代目 桂米朝 ・三 代目 桂 春 團 治 ・六代目笑福亭松鶴・五 代目 桂 文枝 の総称 (「上方 落語 四天王 」)。- 1960
年代 にテレビを中心 にして起 こった演芸 ブームで台頭 した、東京 の当時 の若手 落語 家 であった7代目 立川談志 ・五 代目 三遊亭圓楽 ・三 代目 古今 亭 志 ん朝 ・五 代目 春風 亭 柳 朝 の総称 (「東京 落語 四天王 」。落語 評論 家 の川戸 貞吉 は五 代目 春風 亭 柳 朝 を排 して五 代目 月 の家 圓 鏡 (後 の八 代目 橘 家 圓蔵 )を加 えていた)。
初代 三遊亭圓朝 (さんゆうていえんちょう)江戸 末期 から明治 にかけて活躍 した落語 家 。落語 筆記 や寄席 の近代 化 、新作 落語 など、落語 の近代 化 に尽 くしたため「落語 中興 の祖 」として仰 がれ、現在 も「圓朝 忌 」や「圓朝 まつり」として法要 やイベントに名 を遺 す。講談 的 な人情噺 や怪談 噺 を得意 とした。人情噺 では『塩原 多助 一代記 』『文 七 元結 (ぶんしちもっとい)』など、怪談 噺 では『牡丹 燈籠 (ぼたんどうろう)』『真 景 累 ヶ淵 (しんけいかさねがふち)』『乳房 榎 (ちぶさえのき)』などが代表 作 である。後述 の林家 彦六や後年 の桂歌丸 が圓朝 作 の怪談 噺 を得意 としていた。明治 期 の名士 であり、夏目 漱石 の小説 などにも描 かれた。墓 は谷中 にある。父 は初代 橘 家 圓 太郎 。五 代目 古今 亭 志 ん生 (ここんていしんしょう)旧 旗本 美濃部 家 の息子 だが、遊 びが過 ぎて勘当 され、芸 を志 す。当初 は落語 だけでなく講談 もやっていたが、一向 に芽 が出 ず、赤貧 生活 が続 いた。当時 の様子 は『なめくじ艦隊 』に詳 しい。講談 も含 め芸名 を15回 変 えたことでも有名 。戦争 中 、六 代目 三 遊 亭 圓 生 と共 に満州 巡業 に出 かけ、そのまま行方 不明 。戦後 、引揚 げてから人気 落語 家 になる。十八番 に『火焔 太鼓 』、『唐茄子 屋 』など。六 代目 三 遊 亭 圓 生 をして「道場 なら勝 てるが、真剣 で立会 ったら私 が斬 られる」と言 わしめた。破天荒 な芸風 でもあったが、1961年 末 に脳出血 で倒 れ、3か月 の昏睡 を経 て半身不随 になりつつも約 1年 後 に復帰 を果 たしたが、豪快 な芸風 は影 を潜 めこの時期 を境 に「病 前 」「病後 」と区切 る事 も多 い。1968年 を最後 に高座 から遠 ざかり、1973年 9月 に83歳 で死去 した。高座 で酔 って寝込 むなどエピソードも多 い。長男 は十 代目 金原 亭 馬 生 、次男 は三 代目 古今 亭 志 ん朝 で、ともに父 に弟子 入 りしている。孫 には女優 となった池波 志乃 がいる。三 代目 三 遊 亭 金 馬 (さんゆうていきんば)大正 から昭和 にかけて活躍 。禿 げ頭 が特徴 で「やかんの先生 」とも呼 ばれた。- 26
歳 の若 さで真打 に昇進 し、古典 を中心 に持 ちネタが多 く、博識 で万 人 向 けのわかりやすい落語 で人気 を集 めた。一方 で評論 家 からの受 けはよくなく、当時 影響 力 の大 きかった久保田 万太郎 やその弟子 である安藤 鶴夫 からは評価 されず、敵対 関係 となっている。代表 的 なネタは『居酒屋 』など。 東宝 名人 会 の専属 であったため、定席 寄席 に出演 する機会 はなく、実質 的 にフリーで活動 している。趣味 は釣 りで、そのことが元 で晩年 に列車 事故 に遭 い左足 を失 ったが、それでも釈 台 で足 を隠 しながら高座 を務 めている。- 1964
年 11月、肝硬変 により70歳 で死去 。弟子 には人気 者 となった三 遊 亭 小金 馬 (後 の四 代目 金 馬 、二 代目 金 翁 )がおり、また、東京 大 空襲 で戦災 孤児 となった知人 の中根 香葉子 (海老名 香葉子 、のちの初代 林家 三平 夫人 )を養女 として引 き取 っている。 八 代目 桂 文楽 (かつらぶんらく)八 代目 桂 文楽 ・五 代目 古今 亭 志 ん生 と並 んで昭和 の落語 界 を支 えた。上野 西 黒門 町 (現 東京 都 台東 区 上野 1丁目 )に住 まいがあったため、「黒門 町 」とも呼 ばれた。八 代目 桂 文楽 が会長 であった落語 協会 も旧 西 黒門 町 にある。八 代目 桂 文楽 の芸 は緻密 で、演目 は少 なかったが絶品 とされた。芸 に対 しては自分 にも他人 にも厳 しかった。本来 は桂 文楽 の「六 代目 」に当 たるが、八 は末広 がりで縁起 がいいということで、勝手 に八 代目 と名乗 った。代表 的 な演目 は『明烏 (あけがらす)』、『鰻 の幇間 (うなぎのたいこ)』など。- その
芸 は一 点 の狂 いもなく行 われるのが特徴 だったが、1971年 (昭和 46年 )国立 小 劇場 で『大仏 餅 』を口演 中 に登場 人物 の「神谷 幸右衛門 」の名前 が出 てこなくなり、「もう一度 勉強 し直 して参 ります」と客席 に詫 びて高座 を降 りた。その後 、高座 に上 ることなく同年 12月 に没 した。 三 代目 三 遊 亭 歌 笑 (さんゆうていかしょう)戦中 に前述 の三 代目 三 遊 亭 金 馬 に入門 し、戦後 は終戦 直後 の荒 んだ世相 に独特 の容貌 と新作 落語 で明 るい笑 いを提供 した。寄席 の活動 から離 れていた金 馬門 下 を離 れて二 代目 三 遊 亭 圓 歌 門下 に移籍 し、人形 町 末廣 の席亭 の知遇 を得 るなど寄席 での活動 で評判 を得 た。戦後 まもなく真打 に昇進 し、元祖 「爆笑 王 」「笑 いの水爆 」と異名 を得 て、多 くの劇場 を満員 にするなど一世 を風靡 した。演目 は七五調 の『歌 笑 純情 詩集 』など抒情 風 の新作 落語 で、その後 の初代 林家 三平 や四 代目 桂 米丸 など新作 派 の目標 ともなる存在 でもあった。人気 絶頂 期 であった1950年 3月 に銀座 松坂屋 前 の路上 で米 軍 のジープに撥 ねられて32歳 で急逝 した。真打 としての活動 は2年 半 に終 わったが、歌 笑 没後 は親友 でもあった四 代目 柳 亭 痴 楽 が『痴 楽 綴方 狂 室 』として芸風 を受 け継 ぎ、新作 派 としてブレイクした。- 五代目古今亭今輔(ここんていいますけ)
昭和 初期 から中期 にかけての新作 落語 の担 い手 で「新作 の芸 協 」と称 される基礎 を作 った。当時 は評論 家 の久保田 万太郎 ・安藤 鶴夫 師弟 の影響 や六 代目 三 遊 亭 圓 生 (後述 )などの古典 落語 礼賛 の風潮 で新作 落語 は評価 されず不遇 期 でもあったが、「古典 落語 も、できたときは新作 落語 です」とのポリシーから、新作 落語 の創作 や普及 に務 めた。著名 な作品 として『お婆 さん三 代 記 』『青空 お婆 さん』などの『お婆 さん落語 』シリーズで売 り出 したほか、柳家 金 語 楼 (名義 :有 崎 勉 )が作 った人情噺 風 の『ラーメン屋 』や『バスガール』といった新作 を主 に演 じた。また三遊亭圓朝 作 の長編 人情噺 『塩原 多助 一代記 』なども幅広 く演 じる。- 1974
年 からは落語 芸術 協会 2代目 会長 として、現在 も続 く芸 協 内 の真打 制度 の基礎 確立 につとめた。1976年 12月に胃 がんのため78歳 で死去 した。 弟子 として四 代目 桂 米丸 、三 代目 三 遊 亭 圓 右 に加 え、同 じ芸 協 所属 の五 代目 春風亭柳昇 や四 代目 柳 亭 痴 楽 といった新作 落語 家 を通 じて芸 協 内 に受 け継 がれていった。今 輔の弟子 として入門 し、その後 は諸 事情 で兄弟子 の米丸 の門下 に移 った古今 亭 今 児 (桂歌丸 )も当初 は新作 落語 を演 ずる機会 もしばしばあり、本格 的 な古典 落語 の口演 と三遊亭圓朝 作 の埋 もれた作品 の発掘 をライフワークにするのは壮年 期 以降 となっている。初代 林家 三平 (はやしやさんぺい)- 「よしこさーん」などの
歌謡 フレーズ、ギャグや駄洒落 を取 り入 れたスタイルで、高度 成長 期 に一世 を風靡 した落語 家 。通称 は「根岸 の師匠 」。客 いじりが絶妙 で、彼 の寄席 は常 に爆笑 の渦 であった。落語 とバラエティ番組 の接点 を切 り開 いたタレントとしても知 られる。 父 (七 代目 林家 正蔵 )に落語 の手 ほどきを受 けるが、父 の死後 はかつて父 の弟子 であった四 代目 月 の家 圓 鏡 (後 の七 代目 橘 家 圓蔵 )に師事 する。若 いころは芸 が未熟 と指摘 もあったが、大衆 の人気 は絶大 であった。円熟 期 を迎 えた直後 の1979年 正月 に脳溢血 に倒 れ、療養 を経 て同年 10月 には奇跡 の復帰 を果 たすが、その約 1年 後 の1980年 9月 に肝臓 がんにより54歳 の若 さで死去 した。正蔵 襲名 は遂 にかなわず、柳家 小 三 治 や月 の家 圓 鏡 などの襲名 のすすめも辞退 し[30]、生涯 一 つ名 で通 した。代表 的 な演目 は『源平 盛衰 記 』。弟子 として惣領 弟子 の林家 こん平 (2020年 12月死去 )が三 平 死後 は一門 を牽引 し、ギター漫談 の林家 ペーなどの色物 芸人 やタレントも多 く抱 えており、三平 一門 は落語 協会 でも一大 勢力 となっている。長男 の九 代目 林家 正蔵 (前 名 :こぶ平 )は存命 中 に三 平 に(三平 死 後 はこん平 門下 に移 る)、次男 の二 代目 三平 (前 名 :いっ平 )は三平 の死後 、こん平 にそれぞれ弟子 入 りした。娘 は元 女優 海老名 美 どり(俳優 峰 竜太 夫人 )、泰葉 (春風亭小朝 元 夫人 )。孫 に林家 たま平 (正蔵 の長男 )、林家 ぽん平 (正蔵 の次男 )がおり、たま平 、ぽん平 兄弟 は何 れも二 人 の父 である九 代目 正蔵 に弟子 入 りしている。六 代目 三 遊 亭 圓 生 (さんゆうていえんしょう)昭和 の落語 界 を代表 する人物 の一人 で、通称 「柏木 の師匠 」。元 は子供 義太夫 の出身 で、継父 に五 代目 三 遊 亭 圓 生 を持 つ。五 代目 圓 生 の師匠 である四 代目 橘 家 圓蔵 門下 となり、師匠 ・継父 に優遇 されるも、同 名跡 を襲名 するまでなかなか芽 が出 なかった。戦後 、ラジオ東京 (現 :TBSラジオ)と専属 契約 を結 ぶと、人気 落語 家 の一人 となる。NHKの連続 テレビ小説 『おはなはん』出演 など俳優 としても活動 した。主 に活動 の舞台 としたのはホール落語 で、独演 会 を多 く開 くなど、古典 落語 を中心 とした本格 的 な落語 家 となる。また、メディアへの出演 も多 い一方 で、『圓 生 百 席 』などLPレコード収録 も積極 的 に行 った。- その
反面 、非常 に圭角 のある人物 でもあり、芸 に対 しての姿勢 や自身 の「古典 落語 至上 主義 」[注釈 37]などもあり、八 代目 林家 正蔵 (林家 彦六)や四 代目 鈴 々舎 馬 風 など終生 そりが合 わなかった人物 も多 く、落語 協会 会長 在籍 時 には自身 の真打 に対 するポリシーから真打 昇進 を殆 ど行 わなかった。このため、二 つ目 が大量 に滞留 する結果 となり、落語 協会 分裂 騒動 の伏線 になったとされる。 晩年 の1978年 、大量 の真打 昇進 を巡 って五 代目 柳家 小 さん執行 部 と対立 し、五 代目 三遊亭圓楽 ら一門 を引 き連 れ、落語 協会 を離脱 し「落語 三 遊 協会 」を設立 した(「落語 協会 分裂 騒動 」)。しかし「三 遊 協会 」は江戸 のすべての寄席 から締 め出 しを喰 らい、ホール落語 を中心 として活動 することとなった。翌 1979年 9月 3日 、自身 の79歳 の誕生 日 の高座 で小 噺 を口演 後 に心筋梗塞 で倒 れ、死去 。前述 の騒動 の影響 もあり、これ以降 は圓 生 の名跡 は事実 上 封印 状態 となっている。林家 彦六(はやしやひころく)(八 代目 林家 正蔵 )通称 「稲荷町 の師匠 」。また「彦六の正蔵 」とも言 われる。海老名 家 より一 代 限 りの約束 で「林家 正蔵 」の名跡 を借 りて「8代目 」として襲名 。三平 の没後 は正蔵 の名跡 を返上 し「林家 彦六」を襲名 した。古典 落語 、特 に怪談 噺 や芝居 噺 で知 られ、芝居 噺 に特 化 した独演 会 を岩波 ホールで定期 的 に開 いたり、記録 映画 を多数 残 している。曲 がったことが大嫌 いな性格 から「トンガリ」とも言 われ、前出 の六 代目 圓 生 とは終生 そりが合 わなかった。また、自身 にまつわる様々 なエピソードを残 しており、独特 の発声 法 や仕草 が他 の落語 家 から真似 をされることも多 く、弟子 である林家 木 久 扇 (初代 林家 木 久蔵 )によりエピソードを元 にした地 噺 である『彦六伝 』でネタにされている。- 1982
年 1月 、86歳 で死去 。弟子 には前出 の木 久 扇 、五 代目 春風 亭 柳 朝 や五 代目 圓楽 門下 へ移籍 前 の三 遊 亭 好 楽 (当時 は林家 九蔵 )らがおり、このほか「落語 協会 分裂 騒動 」で圓 生 から破門 された春風 亭 一 柳 (元 ・三 遊 亭 好生 )を客分 格 の弟子 として預 かっている。 五 代目 柳家 小 さん(やなぎやこさん)滑稽 噺 を得意 とし昭和中 ・後期 を中心 に活躍 。通称 「目白 の師匠 」。特 に蕎麦 をすする芸 が有名 。落語 界 初 の重要 無形 文化財 保持 者 (人間 国宝 )に認定 されたことでも知 られる。前座 時代 に「二・二六事件 」でクーデター側 の二等兵 として参加 していたことは有名 である。落語 協会 会長 として1976年 から24年間 にわたり在職 し、真打 制度 の改革 に取 り組 む一方 、前述 の「落語 協会 分裂 騒動 」や弟子 であった立川談志 一門 の離脱 (落語 立川 流 設立 )を引 き起 こしている。- メディアやテレビCM
出演 も多 く、永谷園 の即席 味噌汁 「あさげ」や須藤 石材 などのCM出演 も長 く務 めた。 - 2002
年 5月 、87歳 で死去 。面倒 見 の良 さから直弟子 数 は30名 以上 、孫弟子 や曾孫 弟子 も含 めると落語 協会 では100名 以上 の勢力 を誇 る系譜 となっている。また、五 代目 鈴 々舎 馬 風 、十 代目 柳家 小 三治 (後述 )、四 代目 柳 亭 市 馬 、柳家 さん喬 と一門 から4人 が落語 協会 会長 となっている。実子 は六 代目 柳家 小 さん、甥 に柳家 花緑 がおり、いずれも五 代目 小 さん門下 (六 代目 小 さんは五 代目 の没後 、兄弟子 の馬 風 門下 に移籍 )である。 三 代目 三 遊 亭 圓 歌 (さんゆうていえんか)主 に新作 落語 を得意 とし、初代 林家 三平 とともに「爆笑 落語 」の分野 の第一人者 として活躍 。前 名 の「歌 奴 」としても知 られる。メディア出演 も多 かったが、圓 歌 襲名 後 は高座 への出演 比率 が高 くなる一方 で、1985年 には日蓮宗 の僧侶 として得度 している。自 ら吃音 者 であったことを逆手 に取 り、新作 落語 『授業 中 (通称 :山 のあな)』で人気 を博 した。また、浪曲 好 きが高 じて木村 若 衛 に入門 して自作 の『浪曲 社長 』などに導入 している。『宮戸 川 』などの古典 落語 も演 じる一方 で、晩年 は自叙伝 的 なネタである地 噺 の『中沢 家 の人々 』を演 じる機会 が多 かった。以前 の落語 界 の常識 を覆 し、眼鏡 姿 での高座 出演 や江戸 落語 では初 めて女性 の弟子 (三遊亭歌 る多 )を真打 に育 て上 げている。1996年 から10年間 、先述 の5代目 柳家 小 さんの後任 として落語 協会 会長 も務 めた。2017年 4月 、88歳 で死去 。弟子 には先述 の歌 る多 や角界 から異色 の転身 を果 たした三 遊 亭 歌 武蔵 、色物 で三味線 漫談 (女 道楽 )の二 代 立花 家橘 之 助 などがおり、その中 で四 代目 圓 歌 の名跡 を弟子 の三 遊 亭 歌 之 介 が2019年 3月 に襲名 した。五 代目 春風亭柳昇 (しゅんぷうていりゅうしょう)主 に新作 落語 を得意 とし、四 代目 桂 米丸 とともに、既 に新作 落語 で名 を馳 せていた今 輔に続 く形 で「新作 の芸 協 」の象徴 ともなった。桂歌丸 が柳昇 の落語 を聞 き落語 家 になるきっかけとなった。太平洋戦争 に従軍 経験 があり、手 の指 を数 本 負傷 した。このことから手 を使 った表現 が多 い古典 落語 より新作 落語 に比重 を置 いて活動 し、人気 の落語 家 となった。メディア出演 も多 く、フジテレビ『お笑 いタッグマッチ』の司会 で人気 を集 め、自身 のネタでもある『与太郎 戦記 』は書籍 や映画 化 された。ゆうきまさみの漫画 『究極 超人 あ〜る』の春風 高校 校長 ・柳昇 (やなぎのぼる)のモデルであり、同 作 のドラマCDでは本人 が声 を当 てている。落語 芸術 協会 での役職 は副 会長 に留 まったが、一方 で後述 の四 代目 三 遊 亭 金 馬 (二 代目 金 翁 )とともに「日本 演芸 家 連合 」の理事 長 として、国立 演芸 場 の設立 に携 わるなど、演芸 界 の地位 向上 や発展 のためにも尽力 している。- 2003
年 6月 、82歳 で死去 。弟子 に師匠 と同 じ新作 落語 を中心 に活動 する三 代目 昔 昔 亭 桃太郎 、対照 的 に古典 落語 を中心 に活動 する瀧川 鯉 昇 、新作 ・古典 ともに熟 しメディアでも活躍 を見 せ、芸 協 の会長 となった春風 亭 昇 太 らがいる。 桂歌丸 (かつらうたまる)立川談志 、五 代目 三遊亭圓楽 らとともに日本 テレビ『笑 点 』の放送 開始 時 からの出演 者 で、5代目 司会 も務 めた。積極 的 なメディア出演 の一方 で、円熟 期 以降 は高座 では古典 落語 を中心 に演 じ、後年 は初代 三遊亭圓朝 作 の怪談 噺 などの演目 や廃 れた噺 の発掘 も積極 的 に行 った。入門 時 は五代目古今亭今輔(前述 )門下 であったが、新作 中心 の師匠 との芸風 の乖離 や香 盤 に不満 を持 ったこともあり、一時 落語 家 を廃業 。その後 、同 じ今 輔門下 の兄弟子 である四 代目 桂 米丸 門下 として復帰 し、米丸 一門 の惣領 弟子 となった。落語 芸術 協会 会長 として2004年 から2018年 の死去 まで在職 し、出身 ・居住 地 である横浜 市 にある横浜 にぎわい座 の2代目 館長 も務 めた。誕生 から死没 まで横浜 市 の下町 的 な地域 である「真金 町 」で過 ごしており、地域 の象徴 としても愛 された存在 であった。晩年 は度重 なる病気 との戦 いで、「笑 点 」司会 者 を勇退 してからは高座 での活動 がメインとなったが、慢性 閉塞 性 肺 疾患 の影響 で酸素 吸入 が欠 かせない状態 となっていた。2018年 7月 、81歳 で死去 。弟子 に桂 歌 春 のほか4名 いる。十 代目 柳家 小 三治 (やなぎやこさんじ)- 5
代目 柳家 小 さん門下 で、落語 家 としては師匠 譲 りの滑稽 噺 を中心 とした古典 落語 に加 え、多 くのネタを持 つ落語 家 として活躍 。2004年 10月 には落語 家 では師 の5代目 小 さん、桂米朝 に続 く3人 目 の重要 無形 文化財 保持 者 (人間 国宝 )に認定 された。通称 「高田馬場 の師匠 」。 都立 青山 高校 在学 中 から素人 参加 の演芸 番組 に出演 し、高校 卒業 後 に五 代目 小 さんに入門 。1969年 に17人 抜 きで真打 に昇進 し、十 代目 小 三 治 を襲名 した。以降 は師 の死去 後 も柳 派 の止 め名 である小 さんを襲名 せず、小 三 治 のまま通 した。2010年 から4年間 落語 協会 の会長 を務 めており、在任 中 は数 名 の抜擢 真打 も行 っている。高座 ではマクラにも定評 があり「マクラの小 三治 」とも称 され、エッセイ風 の噺 や全編 マクラだけの高座 、さらには高座 にグランドピアノを入 れて自身 が歌唱 する演目 もかけたことがある。またバイクや俳句 、草 野球 、オーディオ鑑賞 など多趣味 でも知 られた。- 2021
年 10月 、81歳 で死去 。リウマチを抱 えながらも最 晩年 まで現役 として活動 し、亡 くなる5日 前 まで高座 に上 がっていた。弟子 に柳家 喜多 八 (2016年 5月 死去 )、柳家 三 三 などがいる。 三 遊 亭 圓 丈 (さんゆうていえんじょう)前出 の6代目 三 遊 亭 圓 生 の七 番 弟子 で、主 に1980年代 以降 は新作 落語 の担 い手 として、後 の落語 家 にも多 くの影響 を与 えた。- もっとも
圓 生存 命 時 は気難 しい師 の新作 嫌悪 の影響 もあり、古典 落語 を中心 に活動 していた。落語 協会 分裂 騒動 では師 に従 って一時 落語 協会 を離 れたが、師 の死去 による解散 により落語 協会 に復帰 。この頃 から本格 的 に新作 落語 に取 り組 むようになり、SF小説 のような独特 の世界 観 を持 つ「実験 落語 」を創作 。柳家 小 ゑんや夢 月亭 清 麿 などとともに渋谷 ジァン・ジァンなどで定期 的 な落語 会 を開 いて、新 たなファン層 を獲得 した。主 な創作 演目 は『悲 しみは埼玉 に向 けて』『肥 辰 一代記 』『ぺたりこん』『グリコ少年 』など多数 ある。 圓 丈 の「実験 落語 」に影響 された人物 として、直弟子 の三 遊 亭 白鳥 のほか、春風 亭 昇 太 、柳家 喬 太郎 、林家 彦いちといった当時 の若手 落語 家 や、同様 に上方 で創作 落語 を頻繁 に作 っていた桂 三枝 (六 代目 桂 文枝 )などがおり、圓 丈 作 の作品 を持 ちネタにする落語 家 も多 い。多趣味 でも知 られ、狛犬 の研究 や草創 期 からパソコンやコンピューターゲームにも精通 し、連載 を持 っていた。著書 も多 いが、その中 で『御 乱心 落語 協会 分裂 と、円 生 とその弟子 たち』や『落語 家 の通信 簿 』では暴露 本 的 な内容 や同 業者 批判 なども含 まれており、物議 を醸 している。晩年 は急性 硬 膜 下 血腫 を患 い闘病 していたが、2021年 11月、76歳 で死去 。弟子 には先述 の白鳥 や惣領 弟子 で町田 市議会 議員 としても活動 する三 遊 亭 らん丈 、新作 ・古典 の双方 を熟 し期待 されている三 遊 亭 天 どん、2024年 に抜擢 で真打 昇進 した三 遊 亭 わん丈 (圓 丈 死後 は天 どん一門 で預 かり)がいる。二 代目 三 遊 亭 金 翁 (さんゆうていきんおう)(四 代目 三 遊 亭 金 馬 )前出 の三 代目 三 遊 亭 金 馬 の弟子 で、師 の死後 に長 きに渡 り名乗 った四 代目 金 馬 、また前 名 の小金 馬 として知 られる。- テレビ
放送 草創 期 のNHK『お笑 い三 人組 』に講談 師 の一 龍 齋 貞 鳳 、物真似 師 の三 代目 江戸家 猫八 とともに出演 し、テレビタレントとしても人気 を得 た。一時期 『笑 点 』の大喜 利 メンバーでもあった。 金 馬 襲名 後 は徐々 に寄席 での活動 にシフトするとともに、しゃがれ声 と分 かりやすい語 り口 で新作 ・古典 落語 の双方 を熟 し、ネタ数 も屈指 を誇 った。また主 に寄席 芸人 の団体 が集結 して地位 向上 を目指 した「日本 演芸 家 連合 」の理事 長 や会長 などを歴任 し、先述 の柳昇 とともに国会 議員 などへ国立 演芸 場 設立 へ向 けてのロビイングなどでも尽力 し、その結果 1979年 に国立 演芸 場 が開場 するなど功績 を残 した。また、分裂 状態 にあった東京 の講談 界 の再 統一 (講談 協会 の結成 )にも仲介 役 を果 たした。このほか、毎年 夏 の恒例 大喜 利 となっていた『住吉 踊 り』の座長 を古今 亭 志 ん朝 死去 後 に受 け継 ぐなど、伝統 芸能 の継承 と後進 の育成 にも努 めた。- 2020
年 秋 に「金 馬 」の名跡 を実子 である金時 が襲名 し、自身 は隠居 名 である「金 翁 」を二 代目 として襲名 。その後 も最 晩年 まで現役 として活動 した。2022年 8月 、93歳 で死去 。戦中 期 の入門 から令 和 まで活動 し、江戸 落語 家 で芸歴 最古 の落語 家 となっていた。 六 代目 三遊亭円楽 (さんゆうていえんらく)- 「
東京 落語 四天王 」の一人 であった五 代目 三遊亭圓楽 の直弟子 としては二 番 弟子 (移 門 も含 めれば香 盤 順 に4番目 )となる。青山学院大学 在学 時 から五 代目 圓楽 の鞄 持 ちのバイトを務 め、その後 正式 に入門 。大 師匠 の六 代目 三 遊 亭 圓 生 から「楽 太郎 」と名付 けられ、長 らくその名 で活動 する。 日本 テレビ『笑 点 』にはアシスタントを経 て、六 代目 三 遊 亭 圓 窓 の降板 とともにレギュラーに起用 され、以後 亡 くなるまで40年余 にわたり出演 。大喜 利 では博識 な回答 とともに「腹黒 キャラ」を売 りに、前出 の歌丸 との罵倒 合戦 で番組 を盛 り上 げた。『笑 点 』以外 にもタレントとしてメディア出演 が多 かった。落語 協会 分裂 騒動 、円楽 一門 会 の旗揚 げには終始 一貫 して師 とともに行動 する。2010年 2月 に六 代目 圓楽 (円楽 )を襲名 。本来 は名跡 の生前 贈与 となる予定 であったが、前年 10月 に師 の五 代目 が亡 くなったため、揃 い踏 みは叶 わなかった。六 代目 襲名 後 は落語 界 の東西 交流 にも尽力 し、自身 がプロデュースする「博多 ・天神 落語 まつり」は初回 の2007年 以来 、現在 も続 く東西 落語 家 が多数 集結 する一大 イベントに成長 している。一方 で寄席 に出演 できない円楽 一門 会 の存在 感 を高 めるために各 団体 との橋渡 し役 に努 め、落語 芸術 協会 への合流 も試 みたが叶 わなかったことから、自身 が落語 芸術 協会 に客員 として加入 した他 、新宿 末廣 亭 への圓楽 一門 の継続 的 な出演 へのきっかけを作 った。また、前出 の騒動 で空中 分解 した旧 圓 生 一門 の関係 改善 にも努 め続 けた。晩年 は師 と同様 に闘病 の連続 で肺 がん、さらに脳 梗塞 を患 った。一時 高座 にも復帰 したが、2022年 9月 、72歳 で死去 。封印 状態 にあった三 遊 亭 圓 生 襲名 に名乗 りを上 げた矢先 の死 となった。弟子 に惣領 弟子 の三 遊 亭 楽 生 らの他 、実子 で声優 の会 一太郎 (三 遊 亭 一太郎 )も門下 。また放送 作家 の石田 章 洋 とタレントの伊集院 光 の両 名 も元 弟子 で廃業 後 も身内 として交流 を続 けていた。二 代目 桂枝雀 (かつらしじゃく)上方 落語 の立役者 。神戸 出身 。元々 は実弟 (後 のマジカルたけし)と素人 漫才 でならしたが、大学 時 に落語 に転向 し、三 代目 桂米朝 に入門 。師匠 譲 りの古典 落語 を演 じる。しかし古典 の美学 を究 めるより、笑 いを求 めて精進 の結果 、「爆笑 王 」の異名 を取 る。その一方 で『貧乏神 』『雨乞 い源兵衛 』『茶漬 えんま』『ロボットしずかちゃん』など小 佐田 定雄 作 の新作 落語 を演 じることも多 く、英語 のレッスンを受 けて英語 落語 にも挑戦 している。また、本業 の落語 のほか、タレント・俳優 としても活躍 。自身 の持論 として「緊張 の緩和 」によって笑 いが起 こるとした。弟子 や妻子 にも恵 まれたが、晩年 は芸 に悩 んでうつ病 になった。円熟 期 を迎 える直前 の1999年 4月 に自宅 で首吊 り自殺 を図 り、59歳 の若 さで死去 。弟子 に三 代目 桂 南光 、三 代目 桂 雀 三郎 らがおり、長子 の桂 りょうばは枝 雀 の弟弟子 である二 代目 桂 ざこば(2024年 死去 )に入門 している。- 三代目笑福亭仁鶴(しょうふくていにかく)
上方 落語 を支 えた一人 で、吉本興業 所属 のテレビタレントとしても活躍 した。- アマチュア
時代 から数 多 くの素人 参加 の演芸 番組 に出演 し、その後 6代目 笑 福 亭 松 鶴 に入門 したが、一門 が松竹 芸能 所属 であったのに対 し、仁鶴 は師匠 の勧 めもあり吉本興業 に所属 し、亡 くなるまで同社 の所属 タレント(2005年 以降 は吉本興業 の特別 顧問 にも就任 )として活動 した。このことから「吉本 中興 の祖 」とも評 される。『ABCヤングリクエスト』『ヤングおー!おー!』『バラエティー生活 笑 百科 』『大阪 ほんわかテレビ』など多 くのメディア出演 を抱 え、「どんなんかな~」「四角 い仁鶴 がまぁーるくおさめまっせぇ」といったフレーズが人気 を呼 んだ。妻 は吉本 新 喜劇 でも活動 した永 隆子 (2017年 6月 に死別 )。 本業 の落語 では師匠 の教 えもあり、バリトンボイスで的確 な描写 力 を持 ってじっくりと聴 かせる正統 派 の噺家 として上方 落語 界 の重鎮 としても活躍 した。- 2017
年 以降 体調 不良 が続 き、メディア・高座 から遠 ざかっていたが、2021年 8月 、骨髄 異 形成 症候群 のため84歳 で死去 。弟子 に上方 落語 協会 会長 で新作 を中心 に活動 する笑 福 亭 仁 智 らがいる。
脚注
注釈
- ^
例 として、立川 談 幸 門下 の立川 吉幸 ・幸 之 進 は落語 立川 流 で二 つ目 に昇進 していたが、師匠 の談 幸 とともに落語 芸術 協会 へ移籍 した際 は、吉 幸 は1年間 、幸 之 進 は2年間 の前座 修業 を改 めて課 された。 - ^
辞書 に掲載 されている形 では二 つ目 だが、最近 では二 ツ目 と表記 されていることが多 い。この表記 については特 に決 まりが無 く、人 によっては二 っ目 や二 ッ目 と仮名 を小 さく書 く場合 もある。 - ^ ただし、2012
年 2月 26日 放送 のフジテレビ「大 日本 アカン警察 」で、六 代目 三遊亭円楽 がゲスト出演 した際 に円楽 一門 による地方 公演 の密着 取材 VTRがあったが、円楽 の弟子 三 遊 亭 楽 大 が当時 二 つ目 でありながら鞄 持 ちなど付 き人 の仕事 をしており、ケースバイケースになっている。 - ^ ただし、
落語 家 時代 の伊集院 光 (当時 は三 遊 亭 楽 大 )、現役 の落語 家 では橘 家 蔵之助 、三 遊 亭 とむ、春風 亭 昇 太 、桂 竹 丸 、古今 亭 菊丸 、三 遊 亭 好 青年 などが前座 の身分 でありながらテレビ・ラジオに出演 している。また、ミスiD2016ファイナリストに選出 された林家 つる子 は、2015年 夏 の応募 時 は前座 であった。 - ^
例外 として、落語 三 遊 協会 所属 であった六 代目 三 遊 亭 圓 生 が死去 した際 の二 ツ目 であった三 遊 亭 旭 生 (後 の三 遊 亭 圓 龍 )、三 遊 亭 梅 生 (後 の七 代目 三 遊 亭 圓 好 )などの例 が挙 げられる。圓 生直 門 の前座 ・二 ツ目 の弟子 は圓 生 の死去 を受 けて落語 協会 に復帰 する事 となったが、同 時期 に落語 協会 に復帰 した圓 生 門下 の真打 (彼 らの兄弟子 となる圓 彌 ・生 之 助 ・圓 窓 ・圓 丈 )の門下 に直 る事 は許 されず、師匠 がいない落語 協会 預 かりの身分 として置 かれる異例 の状態 となった。「圓 生 一門 の事実 上 解体 」とも言 え「落語 協会 分裂 騒動 」を引 き起 こした圓 生 一門 への制裁 との見方 がある(詳細 )。 - ^
基本 的 に自身 の師匠 以外 では、入門 時点 で真打 だった兄弟子 は〇〇師匠 、入門 時点 で二 ツ目 以下 だった兄弟子 の場合 はその兄弟子 が真打 昇進 後 も〇〇兄 さんもしくは〇〇さんと呼 ばれる場合 が多 い。また、同 じ師匠 を持 つ兄弟 弟子 でも上 の方 の兄弟子 と下 の方 の弟弟子 が大幅 に年齢 や経験 年数 が離 れていると、弟弟子 はその兄弟子 に〇〇師匠 と呼 ぶのが通例 である。女流 の場合 は入門 時点 で二 ツ目 以下 だった姉 弟子 の場合 は〇〇お姉 さんや〇〇姉 さんと呼 ばれる場合 が多 い。 - ^
例外 として、初代 林家 三平 が当時 二 つ目 の身分 であったにもかかわらず、林家 珍 平 (三平 の真打 昇進 と同 時期 に廃業 し、俳優 へ転向 している)や林家 こん平 などを弟子 にしている(林家 こん平 #来歴 ・人物 も参照 )。初代 三 平 夫人 の海老名 香葉子 によれば、こん平 は既 に「五 番 弟子 」であったという[5]。 - ^
地上波 の笑 点 で真打 昇進 披露 口上 が収録 ・放送 されていないのは、落語 協会 は2020年 3月 から2023年 3月 昇進 者 までの計 21人 、落語 芸術 協会 は2020年 2月 から2022年 5月 昇進 者 までの計 11人 (柳 亭 小 痴 楽 を除 く成金 (落語 家 ユニット) メンバー全員 +春風 亭 昇 吉 )、円楽 一門 会 は2020年 4月 と2022年 6月 昇進 者 の計 3人 (三 遊 亭 一太郎 除 )、落語 立川 流 は2020年 4月 と2021年 9月 昇進 の2名 。なお、2019年 9月 に真打 に昇進 した柳 亭 小 痴 楽 (3代目 )は、披露 口上 収録 当日 に仕事 のため欠席 で録画 コメントのみ、落語 協会 の真打 のみの口上 となっている。 - ^ なお、
一太郎 と同時 に昇進 した三 遊 亭 好 一郎 (三 遊 亭 好 楽 門下 )は、パーティー・披露 興行 などは通常 と同 じように開催 されたが、笑 点 での紹介 ・口上 は行 われていない。 - ^
例外 として不祥事 などのペナルティにより、香 盤 を下 げられた実例 がある。落語 協会 分裂 騒動 で旗揚 げした落語 三 遊 協会 でトップであった三 遊 亭 圓 生 が死去 したことで事実 上 崩壊 し、円楽 一門 を除 いて落語 協会 に帰参 する事 となったが、このうち圓 生 、圓楽 と共 に三 遊 協会 の中核 を担 っていたとされる六 代目 三 遊 亭 圓 窓 だけが香 盤 を1枚 下 げられた例 がある。 - ^
当初 は七 代目 橘 家 圓蔵 ・五 代目 月 の家 圓 鏡 (後 の八 代目 橘 家 圓蔵 )一門 、古今 亭 志 ん朝 一門 も追従 して離脱 したが、関係 者 などの説得 を受 けて、三 遊 協会 の旗揚 げ前 に脱退 して落語 協会 に復帰 した。 - ^
例 として、笑 福 亭 鶴光 (初 めての弟子 は笑 福 亭 學 光 )は入門 8年 、笑福亭鶴瓶 (初 めての弟子 は笑 福 亭 笑瓶 )は入門 9年 、三代目笑福亭仁鶴(初 めての弟子 は笑 福 亭 仁 智 )・二 代目 桂 春 蝶 (初 めての弟子 は桂 昇 蝶 )・二 代目 桂枝雀 (初 めての弟子 は桂 音 也および三 代目 桂 南光 )はそれぞれ入門 10年 で、初 めての弟子 を採 っている。 - ^
例 として、1994年 に当時 の協会 執行 部 (露 の五郎 ら)と対立 した二 代目 桂枝雀 一門 が協会 を脱退 したが、その収拾 策 を話 し合 っていた席上 で一人 の理事 の発言 がきっかけとなり、兄弟子 の枝 雀 を慕 っていた二 代目 桂 ざこばが激怒 して枝 雀 に追従 する形 で協会 を脱退 する事態 も起 きている(本人 記事 参照 。10年 後 の2004年 に協会 に復帰 )。 - ^ ただし、
雷門 獅篭(現 :登 龍 亭 獅篭)門下 に2018年 に入門 した雷門 獅鉄(現 :登 龍 亭 獅鉄)、2021年 に入門 した登 龍 亭 篭 二 、2023年 に入門 した登 龍 亭 篭 登 (休業 中 )、獅篭の弟弟子 である登 龍 亭 幸福 に2022年 に入門 した登 龍 亭 幸吉 はそれぞれ「前座 」となっているので、落語 家 の身分 制度 の完全 な否定 ではない。なお、獅鉄については3年 の修業 の後 に2021年 11月に「年季 明 け」となってその披露 興行 も行 われており、江戸 落語 と上方 落語 の双方 の身分 制度 をミックスさせていると言 える。 - ^ ただし、
都 の入門 以前 に春風 亭 笑 橋 (六 代目 春風 亭 柳橋 門下 、元 東京 あんみつ娘 の初代 柳 ほくろ、「女子高 生 落語 家 」の肩書 で活動 し二 代目 春風 亭 梅橋 との結婚 のため廃業 )や林家 パー子 (初代 林家 三平 門下 、林家 ペーの妻 )も「落語 家 」の肩書 で活動 していた時期 があり、厳密 にいえば「女性 初 」ではなかったものの、本格 的 な女性 プロ落語 家 という観点 では都 が初 と言 える。 - ^
歌 る多 、菊 千 代 のほか、林家 きく姫 、川柳 つくし、林家 ぼたん、柳 亭 こみち、古今 亭 駒子 、弁財 亭 和泉 、三 遊 亭 律 歌 、蝶 花 楼 桃 花 、林家 つる子 (香 盤 順 )。 - ^
桂 右 團 治 、橘 ノ杏奈 、春風 亭 鹿 の子 (2023年 廃業 )、三 遊 亭 藍 馬 、雲龍 亭 雨 花 (香 盤 順 )。落語 芸術 協会 客員 となった東方 落語 (東北 弁 落語 )真打 の六 華 亭 遊 花 (落語 芸術 協会 仙台 事務所 所属 、芸 協 としては三 代目 三 遊 亭 遊 三 門下 )も含 めると6名 になるが、落語 芸術 協会 としては遊 花 は「客員 」扱 いとなっている。 - ^
落語 協会 との関係 が深 い講談 協会 所属 女性 講談 師 の一 龍 斎 貞 寿 、五 代目 宝井 琴 鶴 、一 龍 斎 貞 鏡 が交互 で出演 した。 - ^
出演 日 順 に桃 花 、律 歌 、きく姫 、駒子 、ぼたん、こみち、菊 千 代 、和泉 、つくし、歌 る多 。真打 昇進 披露 興行 期間 中 のつる子 を除 いて女性 真打 が交代 で主任 を務 めた。 - ^
桂 二葉 、月亭 八 織 、露 の紫 、桂 鞠 輔、桂 おとめ、桂 ぽんぽ娘 、月亭 天使 (出演 日 順 )。 - ^
故人 となった惣領 弟子 の露 の雅 (2017年 1月 死去 )以外 、2023年 現在 で門下 の現役 の女性 噺家 は露 の眞 、露 の紫 、露 の瑞 (元 桂 雀 々門下 )、露 の棗 、露 の陽 照 、露 の庚 (一門 プロフィールには未 掲載 )がいる[18]。 - ^ このほか、
文生 の弟子 の桂 きん治 (当時 :二 ツ目 、現 :桂 扇 生 )が師 に従 い移籍 した。 - ^
芸 協 入会 時点 で当時 の香 盤 は真打 の最下位 に列 された。 - ^ このほか、
談 幸 の弟子 の立川 吉幸 ・立川 幸 之 進 (どちらも当時 :二 ツ目 )が師 に従 い移籍 したが、吉 幸 ・幸 之 進 は一定 期間 の前座 修業 を課 されている。 - ^
入会 から2年間 は準 会員 、その後 2017年 1月 に正会員 となるも香 盤 は別枠 とされたが、2019年 6月 より通常 の香 盤 に組 み入 れられた。 - ^
風間 杜夫 、森末 慎二 (金 メダル亭 慎二 )、山田 隆夫 (鈴 々舎 鈴 丸 )、にしゃんた、友 近 、テリー伊藤 (林家 テリ平 )、生島 勇 輝 、田代 沙織 (父 は桂 歌 春 )、荻野 アンナ、ダイアン吉日 などのほか、かつて立川 流 Bコースとして名 を連 ねていた高田 文夫 (立川 藤 志 楼 )、ビートたけし(立川 錦之助 /立川 梅 春 )、ミッキー・カーチス(ミッキー亭 カーチス)など。また、医師 でもあった立川 らく朝 (2021年 死去 )は、当初 は志 らくの客分 の弟子 であったが正式 に入門 、前座 から修業 し真打 になっている。 - ^
本人 の著書 「借金 2000万 円 返済 記 」(ISBN 9784893086396)と「快楽 亭 ブラックの放送 禁止 落語 大全 」(ISBN 9784862480217)に除名 された経緯 が詳細 に記 されている。 - ^
瀧口 雅仁 (オフィスぼんが)著 『噺家 根問 』ISBN 978-4779112973参照 。なぜ岡山 かも記述 してある。 - ^ 「
八 十 八 」は米 朝 の俳号 であり、系譜 上 で初代 は米 朝 となり、宗 助 は二 代目 の扱 いとなる。 - ^
十 代目 桂 文治 、三 代目 三 遊 亭 圓 歌 、五 代目 三遊亭圓楽 、桂歌丸 など。 - ^
八 代目 桂 文楽 、五 代目 古今 亭 志 ん生 、八 代目 林家 正蔵 (後 の林家 彦六)、六 代目 三 遊 亭 圓 生 、春風亭柳昇 など。 - ^
桂 三枝 (現 :六 代目 桂 文枝 )、桂 文珍 、立川 志 の輔 、春風亭小朝 など。 - ^
父 は宝塚 市長 、衆議院 議員 などを務 めた阪上 善 秀 。 - ^ 五代目笑福亭松鶴の
実 孫 。 - ^
廃業 後 も師匠 であった六 代目 三遊亭円楽 の身内 として、落語 会 などに出演 することがある。 - ^ タレント
転向 後 、改 めて「落語 立川 流 Bコース」(談 志 が認 めた著名 人 などが加入 する)に入門 している。 - ^ もっとも、
圓 生 は新作 落語 は完全 には否定 はしておらず、自身 に書 き下 ろされた宇野 信夫 などの作品 をホールで口演 もしている。
出典
- ^
関山 和夫 『落語 名 人伝 』[要 追加 記述 ] - ^ a b
立川談志 『談 志 楽屋 噺 』(文春 文庫 、1990年 )pp.43-45, pp.185-186 - ^
立川談志 『談 志 楽屋 噺 』(文春 文庫 、1990年 )pp.189-190 - ^ “
落語 家 の階級 ”.落語 芸術 協会 . 2018年 6月 18日 閲覧 。 - ^
海老名 香葉子 さん、こん平 さんの思 い出 を手紙 に「天国 で師匠 !と言 って甘 えていることと思 います」 - サンスポ 2020年 12月22日 - ^ この
時 出演 した新 真打 は、(落語 芸術 協会 )桂 翔 丸 ・柳 亭 明 楽 ・春風 亭 吉 好 、(五 代目 円楽 一門 会 )三 遊 亭 とむ改 め錦 笑 亭 満堂 、(落語 立川 流 )立川 こはる改 め立川 小春 志 。 - ^ “「
落語 立川 流 」が一般 社団 法人 に代表 に志 の輔 ”.中日新聞 (2024年 6月 18日 ). 2024年 6月 19日 閲覧 。 - ^
次期 上方 落語 協会 会長 に笑 福 亭 仁 智 さん…桂 文枝 さんの後任 「大事 に継承 したい」 -産経 ニュース 20218年 4月 26日 - ^ 「
上方 落語 ・噺家 成人 式 」公演 、入門 から15年 となる落語 家 を対象 真打 制度 導入 は継続 審議 -日刊 スポーツ 2024年 3月 25日 - ^ らくだの
寝床 :東海 らくご事情 「なごや雷門 」淘汰 か進化 か(愛知 ) - まいまいクラブ・2012年 5月 10日 - ^ a b
日本 初 の女性 落語 家 客 に「女 が落語 やるなんて気持 ち悪 い」 -週刊 女性 PRIME 2016年 3月 20日 - ^ “
談 志 一門 初 の女性 「立川 こはる」が乗 り越 えた男尊女卑 の壁 ”. smart FLASH.光文社 (2019年 10月 8日 ). 2019年 10月 8日 閲覧 。 - ^
落語 協会 の5人 の新 真打 ちが抱負 150人 が門出 祝 う - スポーツ報知 2018年 8月 29日 - ^
令 和 6年 春 真打 昇進 決定 -一般 社団 法人 落語 協会 2023年 4月 1日 - ^
落語 協会 、12年 ぶり抜 てき真打 ち次世代 ホープの林家 つる子 、三 遊 亭 わん丈 が来年 3月 昇進 - スポーツ報知 2023年 4月 1日 - ^
結成 2年 半 、女性 落語 家 グループ「落語 ガールズ」の団結 のパワー -鶴田 智 -論 座 2020年 6月 7日 - ^ 【PRESS RELEASE】
浅草 演芸 ホールで「桃 組 」公演 開催 主任 は寄席 のプリンセス・蝶 花 楼 桃 花 東洋 興業 株式会社 のプレスリリース - PR TIMES 2023年 1月 26日 - ^
露 の都 一門 -露 の都 公式 サイト - ^ 『NHK
新人 落語 大賞 』桂 二葉 、女性 初 の栄冠 歴史 を塗 り替 え「ものすごくうれしい」 - ORICON NEWS 2021年 11月23日 - ^
寄席 演芸 家 年鑑 は、2023年版 は「東都 」のため上方 芸人 の記載 は無 い。 - ^ a b
瀧口 雅仁 (2007).噺家 根問 雷門 小 福 と桂 小 文吾 .彩 流 社 . pp. 11-100. ISBN 9784779112973 - ^
登 龍 亭 一門 に新 しい風 名古屋 落語 史上 、最多 に -読売新聞 オンライン 2021年 9月 23日 - ^
東都 寄席 演芸 家 年鑑 「三 遊 亭 はらしょう」の項 .東京 かわら版 . (平成 31年 1月 1日 ). p. 236. "「フリーの演芸 家 落語 」の項目 に掲載 されている。" - ^
渡辺 美紀 . “林家 きなこ 「入門 の経緯 」”. 10倍 伝 わる話 し方 渡辺 美紀 . 2020年 9月 18日 閲覧 。 - ^
映画 「二 つ目 物語 」(林家 しん平 監督 )に、落語 協会 事務 員 役 として出演 している。 - ^
佐藤 友美 編 『東京 かわら版 2023年 7月 号 一 行 情報 』東京 かわら版 、2023年 6月 28日 、114頁 。ISBN 9784910085357。 - ^ 2022
年 落語 協会 「謝 楽 祭 」動画 に出演 している。 - ^ “
春 の新 メンバー発表 !”.神田 連雀 亭 . ameba blog (2019年 3月 1日 ). 2019年 5月 5日 閲覧 。 “<フリー>三 遊 亭 はらしょう(ドキュメンタリー落語 )” - ^
宮原 勝彦 (2020年 7月 29日 ). “「二 つ目 」落語 家 、北九州 に拠点 「古里 でファン増 やせ」師匠 後押 し”.西日本 新聞 - ^ 5
代目 柳家 小 さん 『咄も剣 も自然体 』[要 追加 記述 ]