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大井川 - Wikipedia

大井川おおいがわ

静岡しずおかけんながれる河川かせん

大井川おおいがわ(おおいがわ)は、静岡しずおかけんながれる河川かせん一級いっきゅう水系すいけい大井おおいがわ本流ほんりゅう

大井川おおいがわ
大井川 2005年4月3日撮影
よもぎ萊橋より大井川おおいがわ静岡しずおかけん島田しまだ
水系すいけい 一級いっきゅう水系すいけい 大井川おおいがわ
種別しゅべつ 一級いっきゅう河川かせん
延長えんちょう 168 km
平均へいきん流量りゅうりょう 30.9 m³/s
神座かんざ観測かんそくしょ1991ねん - 2003ねん平均へいきん平水へいすい))
流域りゅういき面積めんせき 1,280 km²
水源すいげん 間ノ岳あいのだけ静岡しずおかけん
水源すいげん標高ひょうこう 3,189 m
河口かこう合流ごうりゅうさき 駿河湾するがわん静岡しずおかけん
流域りゅういき 日本の旗 日本にっぽん 静岡しずおかけん

地図

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地理ちり 編集へんしゅう

みなみアルプス南部なんぶ静岡しずおかけん長野ながのけん山梨やまなしけん県境けんきょう付近ふきんにある間ノ岳あいのだけみなもとはっし、赤石山脈あかいしさんみゃく白根しらね山脈さんみゃくあいだ南下なんか静岡しずおかけん焼津やいづ大井川おおいがわ榛原はいばらぐん吉田よしだまち境界きょうかいから駿河湾するがわんそそぐ。

流域りゅういき自治体じちたい 編集へんしゅう

静岡しずおかけん
静岡しずおか榛原はいばらぐん川根かわね本町ほんまち島田しまだ藤枝ふじえだ焼津やいづ榛原はいばらぐん吉田よしだまち

川名かわな由来ゆらい 編集へんしゅう

ふるくは湧水わきみずのことを「」と、用水路ようすいろながれのことを「すい」とぶから、大井おおいがわは「偉大いだいみず」「おおきなみずながれ」という意味いみ瑞祥ずいしょう地名ちめいであるとかんがえられる。大井おおいがわは『日本書紀にほんしょき』にすでにあり、江戸えど時代じだいには全国ぜんこくわたっていた[1]

大井川おおいがわ開発かいはつ 編集へんしゅう

大井川おおいがわみなみアルプスけわしい山岳さんがく地帯ちたい流下りゅうかする。流域りゅういき平均へいきんねん降水こうすいりょうは3,100 mmと多雨たう地域ちいきたるため、ふるくから水量すいりょう豊富ほうふ河川かせんであった[2][3]くわえてフォッサマグナ崩落ほうらく地帯ちたい上流じょうりゅうにあるため土砂どしゃ流出りゅうしゅつりょうおおく、広大こうだい河原かわら形成けいせいしてきた[3]

とく中流ちゅうりゅうだい蛇行だこう地帯ちたいであり、「鵜山うやま七曲ななまが」とばれる蛇行だこう地帯ちたい形成けいせいされている[2]。また、大井おおいがわ国境こっきょうとしても利用りようされ、ふるくは駿河するがこく遠江とおとうみこく境界きょうかいせんとされていた。奈良なら時代じだいころまでの大井おおいがわ本流ほんりゅう現在げんざいよりきた蛇行だこうしており、現在げんざい栃山川とちやまがわりゅうながれていた。のち大井おおいがわりゅう変更へんこうしたがって、駿河するがこく領域りょういきすこひろがることになった[4]

近世きんせい近代きんだい治水ちすい 編集へんしゅう

 
駿しゅんとお大井おおいがわ』、富士ふじさんじゅうろくけい(1858)

1590ねん天正てんしょう18ねん)、駿河するが遠江とおとうみ三河みかわ甲斐かい信濃しなのヶ国かこく領有りょうゆうしていた徳川とくがわ家康いえやす小田原おだわら征伐せいばつのち北条ほうじょう旧領きゅうりょうであった関東かんとうへのうつりふう豊臣とよとみ秀吉ひでよしより命令めいれいされた。こののち駿河するがには中村なかむら一氏かずうじが17まんせき駿府すんぷ城主じょうしゅとして、遠江とおとうみには堀尾ほりお吉晴よしはる浜松はままつ12まんせき山内やまうち一豊かずとよ掛川かけがわ6まんせきとして領有りょうゆうするなど秀吉ひでよし恩顧おんこ大名だいみょうふうじられた。これは家康いえやす仮想かそうてきとした秀吉ひでよしによる東海道とうかいどうふう政策せいさく一環いっかんであった。同年どうねん中村なかむら一氏かずうじ山内やまうち一豊かずとよらにより牛尾うしのおさん東側ひがしがわ掘削くっさくし、当時とうじ牛尾うしのおさん西側にしがわながれていた大井おおいがわりゅう東側ひがしがわ変更へんこうする天正てんしょうおこなわれている。

1600ねん慶長けいちょう5ねん関ヶ原せきがはらたたかにおいて東海道とうかいどうすじ大名だいみょう秀吉ひでよし思惑おもわくはんそろってひがしぐん徳川とくがわかたいたため、戦後せんご一豊かずとよ土佐とさ加増かぞうてんふうしたのをはじめ、堀尾ほりお中村なかむらひとししょ大名だいみょう西日本にしにほんてんふうとなった。その東海道とうかいどうすじ天領てんりょう親藩しんぱん譜代ふだい大名だいみょうかためられ江戸えど防衛ぼうえいてられた。このさい大井おおいがわかんしても、江戸えど防衛ぼうえいくわ家康いえやす隠居いんきょじょうであった駿府すんぷじょう防衛ぼうえい役目やくめ[注釈ちゅうしゃく 1]たすため、架橋かきょうはおろかわたぶね厳禁げんきんとされ、大名だいみょう庶民しょみんわず、大井おおいがわ渡河とかするさいにはかわさつい、うま人足ひとあし利用りようして輿こし肩車かたぐるま渡河とかした川越かわごえ(かわごし)がおこなわれた[5]。このため、大井おおいがわ東海道とうかいどう屈指くっし難所なんしょとされ、「箱根はこねはちうまでもすが、すにされぬ大井川おおいがわ[6]うたわれた[2][注釈ちゅうしゃく 2]。もちろん、これは難所なんしょ大井おおいがわわた苦労くろう表現ひょうげんした言葉ことばである。

なお、従来じゅうらい幕府ばくふ架橋かきょう渡船とせんきんじたのは、大井おおいがわ外堀そとぼりとして江戸えどまも防衛ぼうえいじょう理由りゆうおもだとされていたが、近年きんねん研究けんきゅうでは、むかし大井おおいがわ水量すいりょうおおながれもきゅうだったため、架橋かきょうにはかなかった、川越かわごえによる川会かわいしょ宿場しゅくばまち莫大ばくだい利益りえきまもるためであった、ともわれている[8][注釈ちゅうしゃく 3]

 
東海道とうかいどう金谷かなや』、富嶽ふがくさんじゅうろくけい

1696ねん元禄げんろく9ねん)、幕府ばくふかわ両側りょうがわ川会かわいしょもうけ、渡渉としょう制度せいど管理かんりのために2めいから4めいかわ庄屋しょうやいた。川会かわいしょ島田しまだ金谷かなや設置せっちされ、それぞれ大井おおいがわ渡河とかする拠点きょてん宿場しゅくばまちとなりにぎわった。川会かわいしょ江戸えど道中どうちゅう奉行ぶぎょう直轄ちょっかつとして、毎日まいにちかわふかさを計測けいそくして江戸えど飛脚ひきゃく報告ほうこくしたほか、川越かわごえ賃銭ちんせん渡河とか順番じゅんばんりの運営うんえいにあたった。とりわけ洪水こうずいさいには川留かわどおこなわれた。水深すいしんよんしゃくすん(1.5 m)、人足ひとあしかたえると全面ぜんめんてき渡河とか禁止きんしとなった。川越かわごえ人夫にんぷ島田しまだに350にん金谷かなやに350にん常時じょうじいた。大井おおいがわ川越かわごえ人夫にんぷ雲助くもすけとはちがい、はん直参じきさん下級かきゅう官吏かんりであったため、安定あんていした職業しょくぎょうでもあった[10]

大井おおいがわ治水ちすいについては、信玄しんげんつつみ代表だいひょうされる武田たけだの「甲州こうしゅうりゅう治水ちすい工法こうほう」のひとつであるうしわくるい(「せいうし」のばれる)がられており、これ以外いがいにも、「し」・「川倉かわくら」といったみずせい各所かくしょもうけられた。ただしそれでも水害すいがいたず、大井川おおいがわ下流かりゅう流域りゅういき住民じゅうみん舟形ふながた屋敷やしき盛土もりつちして洪水こうずい対処たいしょする「舟形ふながた屋敷やしき[注釈ちゅうしゃく 4]建築けんちくした。現在げんざいでも焼津やいづ大井川おおいがわ藤枝ふじえだ島田しまだなどに舟形ふながた屋敷やしき残存ざんそんしている。

 
大井おおいがわかるはし

明治めいじ時代じだいはいると架橋かきょうゆるされ各所かくしょはしけられるようになった。そのうちとく著名ちょめいなのがよもぎ萊橋である。このはし1879ねん明治めいじ12ねん)に架橋かきょうされ、木造もくぞう歩道橋ほどうきょうとしては世界一せかいいちながさをほこり、ギネス世界せかい記録きろくにも認定にんていされている。1898ねん明治めいじ31ねん)に「河川かせん施工しこう規則きそく」が施行しこうされると大井おおいがわ内務省ないむしょうによる直轄ちょっかつ工事こうじ対象たいしょう河川かせんになった。同年どうねんより高水たかみずじき治水ちすい整備せいび内務省ないむしょう直轄ちょっかつ事業じぎょうとしておこなわれ、1902ねん明治めいじ35ねん)には一応いちおう完成かんせいた。

林業りんぎょう川狩かわが 編集へんしゅう

支流しりゅう寸又川すまたがわ流域りゅういき森林しんりんは、江戸えど時代じだい駿府すんぷじょう浅間あさま神社じんじゃ江戸城えどじょう本丸ほんまる寛永寺かんえいじなどの用材ようざいとするためだい規模きぼされ、大井おおいがわつうじて材木ざいもく輸送ゆそうおこなわれた[11]大井おおいがわ川幅かわはばせまいかだめなかったためバラの木材もくざいじゅうすうにんいちくみ人足ひとあしたくみに輸送ゆそうしていた(川狩かわがりという)[12]とくせき鉄砲てっぽうせき)でかわみずをせきめておきめたみず木材もくざい一気いっき下流かりゅうなが方法ほうほう鉄砲てっぽうしという[12]

1958ねん昭和しょうわ33ねん)に井川いかわ林道りんどう開通かいつうするとだい規模きぼ川狩かわがりはおこなわれなくなった[12]鉄砲てっぽうしは1967ねん昭和しょうわ42ねん)を最後さいごおこなわれなくなった[12]

大井川おおいがわ水力すいりょく発電はつでん 編集へんしゅう

 
はたけなぎだいいちダム
世界一せかいいち中空なかぞら重力じゅうりょくしきコンクリートダム
 
井川いかわダム
日本にっぽんはつ中空なかぞら重力じゅうりょくしきコンクリートダム
 
奥泉おくいずみダム
大井川鐵道おおいがわてつどう井川線いかわせん車中しゃちゅうから撮影さつえい

大井おおいがわ河川かせん開発かいはつにおいてかすことができない歴史れきしとして、水力すいりょく発電はつでんがある。

1902ねんにちえい同盟どうめい成立せいりつし、日本にっぽんイギリス関係かんけいはより親密しんみつになった。これをにイギリス資本しほん日本にっぽん経済けいざいにも影響えいきょうおよぼしはじめた。大井おおいがわでも1906ねん明治めいじ39ねん)ににちえい両国りょうこく民間みんかん資本しほんによる水力すいりょく発電はつでん事業じぎょう計画けいかくされた。このさいにちえい水力すいりょく発電はつでん株式会社かぶしきがいしゃにちえいすいでん)」の設立せつりつけて準備じゅんびおこなわれたが、1911ねん明治めいじ45ねん)にイギリス資本しほん撤退てったいし、日本にっぽん単独たんどくでの事業じぎょうとなった。同年どうねんにちえいすいでん設立せつりつされ、大井川おおいがわ水系すいけいはつ水力すいりょく発電はつでんしょとして小山こやま発電はつでんしょ認可にんか出力しゅつりょく:1400 kW現在げんざい廃止はいしされ撤去てっきょ)の運転うんてん開始かいしされた。当時とうじ木曽川きそがわ天竜川てんりゅうがわなどで電源でんげん開発かいはつさかんであり、より充実じゅうじつした電力でんりょく事業じぎょう展開てんかいするために電力でんりょく会社かいしゃ合併がっぺいかえされた。大井川おおいがわ水系すいけい関連かんれんではにちえいすいでん1921ねん大正たいしょう10ねん)に早川はやかわ電力でんりょく吸収きゅうしゅう合併がっぺいされ、その早川はやかわ電力でんりょく1925ねん大正たいしょう14ねん)に東京電力とうきょうでんりょく東邦とうほう電力でんりょく傘下さんか現在げんざい東京電力とうきょうでんりょくとはまったことなる)に合併がっぺいし、さらに発展はってんして大井川おおいがわ電力でんりょくとなった。

昭和しょうわはいると大井川おおいがわ水系すいけいにおいてもダムしき発電はつでんしょによる水力すいりょく発電はつでんおこなわれるようになった。1927ねん昭和しょうわ2ねん)、大井おおいがわ本川ほんかわ源流げんりゅう田代たしろダム完成かんせいし、田代たしろだいいち発電はつでんしょ認可にんか出力しゅつりょく:6800 kW)・田代たしろだい発電はつでんしょ認可にんか出力しゅつりょく:21000 kW)が稼動かどうした。この田代たしろダムは富士川ふじかわ水系すいけい早川はやかわ保利ほりさわダムへ導水どうすいをしており、大井おおいがわ富士川ふじかわまたいだ水力すいりょく発電はつでんおこなわれた。つづいて大井川おおいがわ水系すいけい有力ゆうりょく支流しりゅうである寸又川すまたがわ富士ふじ電力でんりょくによって開発かいはつされ、1935ねん昭和しょうわ10ねんさい上流じょうりゅうせんとうダム完成かんせいしたのをはじよく1936ねん昭和しょうわ11ねん)には寸又川すまたがわダムが完成かんせいした。ちなみにせんとうダムは戦前せんぜんにおいて大井川おおいがわ水系すいけい最大さいだい規模きぼのダムであった。こうして大井川おおいがわ電力でんりょく大井川おおいがわ水系すいけい電源でんげん開発かいはつ強力きょうりょく推進すいしんしたが、1938ねん昭和しょうわ13ねん戦時せんじ体制たいせい進行しんこうするなか国家こっかによる電力でんりょく統制とうせい目的もくてきに「電力でんりょく管理かんりほう」が施行しこうされ、これにともな日本にっぽんはつ送電そうでんにちはつ)が発足ほっそく全国ぜんこく電力でんりょく会社かいしゃ強制きょうせいてき吸収きゅうしゅう合併がっぺいさせられた。大井川おおいがわ電力でんりょく富士ふじ電力でんりょくれいれず、にちはつ吸収きゅうしゅうされた。

敗戦はいせん深刻しんこく電力でんりょく不足ふそく解消かいしょうするために電源でんげん開発かいはつ国策こくさくとして強力きょうりょくすすめられた。にちはつ大井おおいがわだい規模きぼなダムしき発電はつでんしょ建設けんせつ逼迫ひっぱくする電力でんりょく需要じゅよう対処たいしょしようとした。当時とうじ静岡しずおかけん河川かせん総合そうごう開発かいはつ事業じぎょうとして「大井川おおいがわ総合そうごう開発かいはつ計画けいかく」を推進すいしんしており、全国ぜんこくてき河川かせん総合そうごう開発かいはつすすめられているなか大井おおいがわでも総合そうごう開発かいはつ機運きうんたかまった。1951ねん昭和しょうわ26ねん連合れんごう国軍こくぐん最高さいこう司令しれいかんそう司令しれいGHQは過度かど経済けいざいりょく集中しゅうちゅう排除はいじょほう対象たいしょうとなっていたにちはつ分割ぶんかつ民営みんえいさせる電力でんりょく事業じぎょう再編さいへんれい施行しこうし、大井川おおいがわ水系すいけいはつ施設しせつ中部電力ちゅうぶでんりょく田代たしろダム以外いがいすべてが継承けいしょうされた。そしてにちはつ計画けいかくつづ推進すいしんし、井川いかわ地点ちてん奥泉おくいずみ地点ちてんにダムしき発電はつでんしょ建設けんせつ計画けいかくした。

ちゅうでん海外かいがい技術ぎじゅつ顧問こもんだん(OCI)にダム技術ぎじゅつかんする助言じょげんたが、このなか井川いかわ地点ちてんについては日本にっぽんはつとなる中空なかぞら重力じゅうりょくしきコンクリートダムによる建設けんせつ計画けいかくされた。はつこころみであるため当時とうじ中空なかぞら重力じゅうりょくしき建設けんせつさかんであったイタリア関係かんけいしゃ派遣はけんし、ダム建設けんせつかんする技術ぎじゅつまなんだ。この経験けいけんもと建設けんせつされたのが井川いかわダムであり1957ねん昭和しょうわ32ねん)に完成かんせいした。前年ぜんねんには直下ちょっかりゅう奥泉おくいずみダム完成かんせいしていたが、当時とうじ全国ぜんこくてきだいダム建設けんせつ時代じだい符合ふごうして大井川おおいがわ水系すいけいでもダムがおお建設けんせつされした。ちゅうでん井川いかわダム上流じょうりゅうはたけなぎ地点ちてん自流じりゅう混合こんごうしき揚水ようすい発電はつでんしょ建設けんせつする計画けいかくて、1961ねん昭和しょうわ36ねん)にはたけなぎだいダム1962ねん昭和しょうわ37ねん)にははたけなぎだいいちダム完成かんせいした。はたけなぎだいいちダムは世界せかい最大さいだい中空なかぞら重力じゅうりょくしきダムであり、ダム内部ないぶもうけられたはたけなぎだいいち発電はつでんしょ認可にんか出力しゅつりょく137,000 kWと大井川おおいがわ水系すいけい最大さいだい出力しゅつりょくほこっている。

大井川おおいがわ水系すいけい水力すいりょく発電はつでん事業じぎょうとうげえ、その1990ねん平成へいせい2ねん)にはたけなぎだいいちダム上流じょうりゅう大井おおいがわ合流ごうりゅうする沢川そうごう赤石あかしダム建設けんせつされたのが大井おおいがわにおける電力でんりょく会社かいしゃ管理かんりダム最後さいごれいとなった。大井おおいがわ全体ぜんたいにおけるぜん発電はつでんしょそう認可にんか出力しゅつりょくは715,700 kWとじゅん揚水ようすい発電はつでんしょ河川かせんでは全国ぜんこく屈指くっしである。近年きんねんでははたけなぎだいダムの河川かせん維持いじ放流ほうりゅう利用りようした東河内ひがしこうち発電はつでんしょ認可にんか出力しゅつりょく:170 kW)が2001ねん平成へいせい13ねん)に運転うんてん開始かいしされている。

大井川鉄道おおいがわてつどう敷設ふせつ 編集へんしゅう

 
大井川鐵道おおいがわてつどう千頭せんずえき井川線いかわせんホームと列車れっしゃ

大井おおいがわ水力すいりょく発電はつでん事業じぎょう進展しんてんするのにわせて建設けんせつおこなわれたのが、大井川鉄道おおいがわてつどうげん 大井川鐵道おおいがわてつどう[注釈ちゅうしゃく 5])のかく路線ろせんである[13]

大井川おおいがわ電力でんりょく本格ほんかくてきにダムしき発電はつでんしょ建設けんせつおこなさいに、資材しざい運搬うんぱんするためのインフラ整備せいび必要ひつようとなった。大井おおいがわ急流きゅうりゅうであり、上流じょうりゅうせっそわかいすんまたかいのように険阻けんそ峡谷きょうこく形成けいせいされている。このため、人力じんりき馬力ばりきによる大量たいりょう輸送ゆそうおこなうことは不可能ふかのうであり、鉄道てつどうによる物資ぶっし運搬うんぱん必要ひつよう判断はんだんされた。

鉄道てつどう路線ろせんは、かつての東海道とうかいどう宿場しゅくばまちであった金谷かなや基点きてんとして建設けんせつされ、1927ねん金谷かなやえきから横岡よこおかえき廃止はいしあいだ6.5 kmが開通かいつうした[14][13]。その寸又川すまたがわ流域りゅういき電源でんげん開発かいはつ計画けいかく進行しんこうすると、合流ごうりゅうてんであるせんとうまで延伸えんしんする計画けいかくてられ、1931ねん昭和しょうわ6ねん)には金谷かなやえき - 千頭せんずえきあいだ39.5 kmが開通かいつうした[14][13]。これにより、せんとうダムや寸又川すまたがわダム建設けんせつのための物資ぶっし輸送ゆそう鉄道てつどうによりおこなわれることとなった。また、ダム建設けんせつともな流木りゅうぼく補償ほしょう鉄道てつどう利用りようされ、本来ほんらい建設けんせつ物資ぶっし輸送ゆそうくわ木材もくざい輸送ゆそうくわわった。さらに沿線えんせん住民じゅうみん貴重きちょう交通こうつうアクセスとしても利用りようされはじめた[13]

戦後せんごは、大井川鉄道おおいがわてつどうとして独立どくりつすることとなったが、ダム建設けんせつのための物資ぶっし輸送ゆそう役割やくわり継続けいぞくしていた。1951ねん井川いかわダム・奥泉おくいずみダムの建設けんせつ事業じぎょう開始かいしともなってせっそわかい安全あんぜん輸送ゆそうするための路線ろせん整備せいびはかられ、千頭せんずえきから井川いかわまでの延伸えんしん事業じぎょう開始かいしされた。1954ねん昭和しょうわ29ねん)に完成かんせいしたこの路線ろせん大井川鉄道おおいがわてつどう井川線いかわせんであり、これにより現在げんざい金谷かなや - 井川いかわあいだ全線ぜんせん開通かいつうした。

1957ねん井川いかわダム完成かんせい以後いご地域ちいき重要じゅうようあしとして利用りようされることとなった。井川線いかわせん中部電力ちゅうぶでんりょく所有しょゆう運営うんえい大井川鉄道おおいがわてつどう、となっている[13]

電源でんげん開発かいはつ事業じぎょう終了しゅうりょうは、地域ちいき重要じゅうようあしとして利用りようされていたがモータリゼーション発達はったつ容赦ようしゃなく経営けいえい圧迫あっぱくし、カル線かるせん同様どうよう赤字あかじ路線ろせん転落てんらくした。1969ねん昭和しょうわ44ねん)には大井川鉄道おおいがわてつどう株式会社かぶしきがいしゃ名古屋鉄道なごやてつどう傘下さんかとなって[13]経営けいえい再建さいけん奔走ほんそうしたが、1972ねん昭和しょうわ47ねん)には赤字あかじ路線ろせんたいする国庫こっこ補助ほじょ欠損けっそん補助ほじょきん対象たいしょう路線ろせんにまで落魄らくはくした。このころより鉄道てつどう廃止はいし検討けんとうされはじめたが、起死回生きしかいせい一手いってとして、1976ねん昭和しょうわ51ねん)、大井川鉄道おおいがわてつどう株式会社かぶしきがいしゃは、前年ぜんねん全国ぜんこくてき廃止はいしされたばかりの蒸気じょうき機関きかんしゃ (SL) を金谷かなや - せんとうあいだ導入どうにゅうした。これは、廃止はいしふちたされた鉄道てつどう路線ろせん経営けいえいにとっておおきな経済けいざいてき効果こうかげ、SL目当めあてのきゃくおお利用りようし、大井川鉄道おおいがわてつどう株式会社かぶしきがいしゃ経営けいえい次第しだい回復かいふくすることとなった。その結果けっか1978ねん昭和しょうわ53ねん)には路線ろせん存続そんぞく正式せいしき決定けっていされ、1980ねん昭和しょうわ55ねん)には欠損けっそん補助ほじょきん対象たいしょうからもはずされて経営けいえい再建さいけんたした[13]

1990ねん平成へいせい2ねん)、井川線いかわせん再度さいど廃止はいし危機ききおちいった。長島ながしまダム建設けんせつともなって、観光かんこう目玉めだまひとつであったせっそわかいとお井川線いかわせん水没すいぼつすることとなり、線路せんろえをしなければ廃止はいしとなる状況じょうきょうとなった。ただし、その線路せんろではせんとうからせっそわかい勾配こうばいきゅうになってしまい、そのままでは運転うんてんができない状態じょうたいであった。これにたいし、大井川鉄道おおいがわてつどう株式会社かぶしきがいしゃは、アプトしき鉄道てつどう導入どうにゅうした。上記じょうき問題もんだいを、アプトいちしろえき電気でんき機関きかんしゃ連結れんけつして長島ながしまダムえきまできゅう勾配こうばいさか昇降しょうこうすることで解決かいけつしたのである。このアプトしき鉄道てつどう導入どうにゅうは、信越本線しんえつほんせん横川よこがわえき - 軽井沢かるいざわえきあいだ碓氷峠うすいとうげのアプトしき鉄道てつどう1963ねん昭和しょうわ38ねん)に廃止はいしされて以来いらいの「復活ふっかつ」であることから、さらなる注目ちゅうもくあつめた。

このように、大井川鉄道おおいがわてつどうは、近代きんだい鉄道てつどうてたものをひろうことで独自どくじ存在そんざいかんしめしており、人気にんきはくしている。なお、井川線いかわせん赤字あかじであるが、中部電力ちゅうぶでんりょく補助ほじょきんによって赤字あかじ相殺そうさいしている。

大井川おおいがわ用水ようすい事業じぎょう 編集へんしゅう

 
川口かわぐち発電はつでんしょ取水しゅすいげん
ささあいだかわダム(ささあいだがわ

敗戦はいせん逼迫ひっぱくしていたのは電力でんりょく需要じゅようばかりではなく、食糧しょくりょう需要じゅよう逼迫ひっぱくしていた。むし食糧しょくりょう事情じじょうきわめて劣悪れつあく状態じょうたいであり、放置ほうちすれば治安ちあんにも重大じゅうだい支障ししょうおよぼしかねなかった。このため早期そうき農地のうち開拓かいたくなによりも重要じゅうよう施策しさくであり、農林省のうりんしょうげん農林水産省のうりんすいさんしょう)はだい規模きぼかつ広範囲こうはんい新規しんき農地のうち開墾かいこんはかるための総合そうごう開発かいはつ事業じぎょう計画けいかくした。

1947ねん昭和しょうわ22ねん)、農林省のうりんしょうは「国営こくえい農業のうぎょう水利すいり事業じぎょう」を展開てんかいした。農業のうぎょうようダム河川かせん建設けんせつして水源すいげんとし、下流かりゅう建設けんせつした頭首とうしゅこうより取水しゅすいしたみず用水路ようすいろ導水どうすいして農地のうち灌漑かんがいし、農作物のうさくもつ増産ぞうさんはかろうとするものである。農林省のうりんしょう加古川かこがわ野洲川やすがわ九頭竜川くずりゅうがわそして大井おおいがわの4水系すいけい河川かせん国営こくえい農業のうぎょう水利すいり事業じぎょう対象たいしょう河川かせんとして指定していし、だい規模きぼ灌漑かんがい事業じぎょう展開てんかいした。この「国営こくえい大井おおいがわ農業のうぎょう水利すいり事業じぎょう」は大井川おおいがわりょうきし農地のうちたいして農業のうぎょう用水ようすい供給きょうきゅうすることが目的もくてきである[15]中部電力ちゅうぶでんりょく管理かんりするささあいだかわダム取水しゅすいげんとする水力すいりょく発電はつでんしょ川口かわぐち発電はつでんしょ利用りようし、発電はつでんしょ付設ふせつされた川口かわぐち取水しゅすいこう水源すいげんとしている。ここで取水しゅすいされたみず大井川おおいがわ水路すいろきょうつうじて島田しまだにある神座かんざ分水ぶんすいこう大井川おおいがわ左岸さがん幹線かんせん大井川おおいがわ右岸うがん幹線かんせんかれる。

大井川おおいがわ左岸さがん幹線かんせん赤松あかまつ幹線かんせん向谷むくや幹線かんせん志太しだはしばみ幹線かんせん榛原はいばら幹線かんせん瀬戸川せとがわ幹線かんせんの5ほん幹線かんせん用水路ようすいろ分岐ぶんきされ、さらにそれぞれの幹線かんせん水路すいろから支線しせん用水路ようすいろ細分さいぶんされる。焼津やいづ藤枝ふじえだ島田しまだ牧之原まきのはら榛原はいばらぐん吉田よしだまち供給きょうきゅう対象たいしょうである[16]一方いっぽう大井川おおいがわ右岸うがん幹線かんせんはけ神座かんざ分水ぶんすいこうから小笠おがさ幹線かんせん分岐ぶんきし、その掛川かけがわ幹線かんせん菊川きくかわ幹線かんせん菊川きくかわ右岸うがん幹線かんせん菊川きくかわ左岸さがん幹線かんせんの4ほん幹線かんせん用水路ようすいろ分岐ぶんきされ、さらにそれぞれの支線しせん用水路ようすいろ分岐ぶんきされる。右岸うがん用水ようすい菊川きくかわ水系すいけいかいした利用りようがされており、菊川きくかわ本川ほんがわ菊川きくかわ頭首とうしゅこう建設けんせつして用水ようすい補給ほきゅうおこなっている。供給きょうきゅう対象たいしょう掛川かけがわ袋井ふくろい菊川きくかわ御前崎おまえざきである[16]。この両用りょうようすいによって11,588ha農地のうち恩恵おんけいこうむることとなり、大井川おおいがわ用水ようすい1968ねん昭和しょうわ43ねん)に完成かんせいした[16]

大井川おおいがわ用水ようすい本来ほんらい目的もくてき農業のうぎょう用水ようすい供給きょうきゅうほか防火ぼうか用水ようすい環境かんきょう維持いじ用水ようすい、そして親水しんすい目的もくてきにも利用りようされているが、高度こうど経済けいざい成長せいちょう以後いご急速きゅうそく人口じんこう増加ぞうかともなって上水道じょうすいどう需要じゅよう逼迫ひっぱくするようになった。このため静岡しずおかけん大井おおいがわ広域こういき水道すいどう事業じぎょうだん大井川おおいがわ用水ようすい利用りようした上水道じょうすいどう供給きょうきゅうおこない、さらに工業こうぎょうよう水道すいどう大井川おおいがわ用水ようすいもとめるようになった。だが農業のうぎょう用水ようすい目的もくてきへの転用てんよう禁止きんしされており、2006ねん平成へいせい18ねん)を目処めどとした転用てんよう手続てつづきが現在げんざいすすめられている。また用水ようすい施設しせつ老朽ろうきゅうともな漏水ろうすいなどが目立めだつようになり、1999ねん平成へいせい11ねん)に農林水産省のうりんすいさんしょう静岡しずおかけん共同きょうどうで「国営こくえい大井おおいがわ用水ようすい農業のうぎょう水利すいり事業じぎょう」を施工しこうし、2017ねん平成へいせい29ねん)に完了かんりょうした[17]

戦後せんご治水ちすい 編集へんしゅう

 
長島ながしまダム
大井川おおいがわ水系すいけい唯一ゆいいつ多目的たもくてきダム

大井おおいがわ治水ちすい山内やまうち一豊かずとよによる「一豊かずとよつつみ以降いこうおも河川かせん改修かいしゅう堤防ていぼう建設けんせつ改修かいしゅう中心ちゅうしんとした高水たかみずじき改修かいしゅう主流しゅりゅうであった。戦後せんごもその傾向けいこうわらなかったが1954ねん9がつ洪水こうずい本格ほんかくてき改修かいしゅうもとめられ、河口かこう駿河湾するがわんから島田しまだ神座かんざ神尾かみお地点ちてんまでの24.9 km区間くかんきゅう河川かせんほうによる指定してい区間くかん指定していされ、建設省けんせつしょうげん国土こくど交通省こうつうしょう)による直轄ちょっかつ管理かんり対象たいしょうとされた。1967ねん昭和しょうわ42ねん)5がつにはしん河川かせんほう制定せいていともなって大井おおいがわ一級いっきゅう水系すいけい指定していされ、水系すいけい一貫いっかん治水ちすい計画けいかくおこなわれることとなった。

これによって1974ねん昭和しょうわ49ねん)3がつに「大井川おおいがわ水系すいけい工事こうじ実施じっし基本きほん計画けいかく」が策定さくていされた。しかし、同年どうねん7がつ7にち七夕たなばた豪雨ごううによって静岡しずおか県内けんないには甚大じんだい被害ひがいしょうじ、大井川おおいがわ水系すいけいおおきな被害ひがいけた。このため建設省けんせつしょう根本こんぽんてき河川かせん改修かいしゅうとして多目的たもくてきダムによる洪水こうずい調節ちょうせつ必要ひつようであると方針ほうしんかため、「大井川おおいがわ水系すいけい工事こうじ実施じっし基本きほん計画けいかく」が改訂かいていされた。その結果けっか大井川おおいがわ上流じょうりゅうからちゅう流域りゅういき治水ちすいについて、1971ねん昭和しょうわ46ねん)より予備よび調査ちょうさすすめられていた榛原はいばらぐん本川根ほんかわねまちげん川根かわね本町ほんまち長島ながしま地点ちてんのダム計画けいかく正式せいしき事業じぎょうとしてすすめられることとなった。これが大井川おおいがわ水系すいけい唯一ゆいいつ多目的たもくてきダム・長島ながしまダムである。しかし、当時とうじ後述こうじゅつするダムによる大井おおいがわ河水こうすい枯渇こかつ問題もんだいしており、ダム建設けんせつには水没すいぼつ地区ちく住民じゅうみんによる反対はんたいがあったほか、下流かりゅう住民じゅうみんからも懐疑かいぎてき意見いけんおおかった。建設省けんせつしょう水源すいげん地域ちいき対策たいさく特別とくべつ措置そちほう指定してい流水りゅうすい復活ふっかつのための電力でんりょく会社かいしゃ地元じもと仲介ちゅうかい積極せっきょくてきおこなひとして事業じぎょうへの理解りかいもとめ、計画けいかく発表はっぴょうから28ねん2000ねん平成へいせい12ねん)に長島ながしまダムは完成かんせいした。ダムの完成かんせいにより、大井おおいがわ治水ちすいはもとより大井川おおいがわ用水ようすい水源すいげんとして上水道じょうすいどう農業のうぎょう用水ようすい工業こうぎょう用水ようすい供給きょうきゅうおこなわれ、地域ちいきみずがめとして重要じゅうよう役割やくわりになっている。また、長島ながしまダムはあらたな観光かんこうとしておおくの観光かんこうきゃくあつめている。

一方いっぽう大井川おおいがわ下流かりゅうから河口かこうについては、東海とうかい地震じしんによる津波つなみ対策たいさくおこなわれている。大井川おおいがわ流域りゅういきは「東海とうかい地震じしんかんする地震じしん防災ぼうさい対策たいさく強化きょうか地域ちいき」に指定していされているほか、東海とうかい地震じしん連動れんどうして発生はっせいするといわれているひがし南海なんかい地震じしん被害ひがい予測よそくされており「あずま南海なみ南海なんかい地震じしん防災ぼうさい対策たいさく推進すいしん地域ちいき」にも指定していされている[18]。このように地震じしんたいして対策たいさくおこなわれているのは、地震じしんによる津波つなみ被害ひがい駿河湾するがわん沿岸えんがん集中しゅうちゅうするが、大井おおいがわ遡上そじょうした津波つなみによる内陸ないりくへの被害ひがい警戒けいかいされているためである[18]とく河川かせん遡上そじょうする津波つなみ1964ねん昭和しょうわ39ねん)の新潟にいがた地震じしんによる信濃川しなのがわ2003ねん平成へいせい15ねん)の十勝とかちおき地震じしんによる十勝とかちがわ2011ねん平成へいせい23ねん)の東日本ひがしにっぽん大震災だいしんさいにおける北上川きたかみがわなどで確認かくにんされているため、こうした津波つなみ被害ひがい回避かいひするための堤防ていぼう補強ほきょうなどの対策たいさく現在げんざい実施じっしされている。

こうした総合そうごうてき治水ちすい対策たいさく推進すいしんするため、現在げんざい大井川おおいがわ水系すいけい工事こうじ実施じっし基本きほん計画けいかく」にわるあたらしい大井おおいがわ治水ちすい計画けいかく、「大井川おおいがわ水系すいけい河川かせん整備せいび計画けいかく」が現在げんざい策定さくていされている最中さいちゅうである。

大井川おおいがわ再生さいせいへの苦難くなん 編集へんしゅう

 
寸又川すまたがわ合流ごうりゅう地点ちてん手前てまえ寸又川すまたがわ
ひだりからみぎおく大井おおいがわ
大井川鐵道おおいがわてつどう井川線いかわせん車窓しゃそうより。

前述ぜんじゅつのように大井おおいがわ水力すいりょく発電はつでん灌漑かんがいによる高度こうどみず利用りよう実施じっしされ、流域りゅういきのみならず流域りゅういきがい県内けんない、さらにはけんへもおおきな貢献こうけんをしている。だが、その代償だいしょうとしておおきな問題もんだいとなったのが大井おおいがわ流水りゅうすい減少げんしょう流水りゅうすい途絶とぜつである。

無残むざん大井川おおいがわ 編集へんしゅう

 
1976ねん10がつしおきょうダムと下流かりゅう

1960年代ねんだいまでに大井川おおいがわ水系すいけい大井おおいがわ本川ほんかわ上流じょうりゅうより田代たしろはたけなぎだいいちはたけなぎだい井川いかわ奥泉おくいずみ大井川おおいがわしおきょうといったダム・しょう堰堤えんていつらなり、支流しりゅうにはせんとうだいあいだ寸又川すまたがわ寸又川すまたがわ)、ささあいだがわささあいだがわ)、境川さかいがわ境川さかいがわ)のかくダムが建設けんせつされ、これらのダムやしょう堰堤えんていより発電はつでんようみず一斉いっせい取水しゅすいされる。さらに下流かりゅうでは大井川おおいがわ用水ようすい利用りようするため川口かわぐち発電はつでんしょ放水ほうすいされたみず再度さいど取水しゅすいされて各所かくしょ供給きょうきゅうされる。こうした多数たすう箇所かしょからの取水しゅすいによってかつて豊富ほうふ水量すいりょうほこった大井おおいがわみず山中さんちゅうとお送水そうすいかんだい部分ぶぶんみずながれ、大井おおいがわ直接ちょくせつ放流ほうりゅうされるみず極端きょくたんすくなくなった。このため次第しだい弊害へいがいあらわれた。

問題もんだい表面ひょうめんしたのは1961ねんしおきょうダム完成かんせいからである[19]しおきょうダムで大井おおいがわ流水りゅうすいがことごとく取水しゅすいされることにより、ダムより下流かりゅう大井おおいがわまった流水りゅうすい途絶とぜつした。この付近ふきんは「鵜山うやま七曲ななまがり」とばれた景勝けいしょうであり、水量すいりょう豊富ほうふさい豪快ごうかい風景ふうけいたのしめたがしおきょうダム建設けんせつ以後いご下流かりゅう20 km区間くかんまったくの無水むすい区間くかんとなって、漁業ぎょぎょうはじめとする河川かせん生態せいたいけい深刻しんこくなダメージをあたえた[19]。「箱根はこねはちうまでもすが、すにされぬ大井おおいがわ」とうたわれ、往時おうじ平均へいきん水深すいしん76 cmあったといわれる大井おおいがわ面影おもかげまったくなり、あるのは延々えんえんつづく「さい河原かわら」であった。川原かわらからはふうくとすながっていえまどからみ、人々ひとびとはこれを「川原かわはら砂漠さばく」とんだ[20]。また、生態せいたいけい変化へんかによりちゃ害虫がいちゅう増加ぞうか[21]すな上流じょうりゅうからはこばれなくなったことによる海岸かいがんせん侵食しんしょくなどの被害ひがいしょうじた[22]。この惨状さんじょう流域りゅういき住民じゅうみんは「大井おおいがわ清流せいりゅうもともどせ」と声高こわだかうったえるようになった。大井おおいがわの「みずかえ運動うんどう」のはじまりである。

1975ねん昭和しょうわ50ねん大井川おおいがわ発電はつでんよう水利すいりけん期限きげん更新こうしんとなった[23]。このとき河川かせん管理かんりしゃである静岡しずおかけんしおきょうダムを管理かんりする中部電力ちゅうぶでんりょく田代たしろダムを管理かんりする東京電力とうきょうでんりょくたいし、大井おおいがわ無水むすい区間くかん解消かいしょうするために毎秒まいびょう2トンの水利すいりけん返還へんかんするようにりょう電力でんりょく会社かいしゃ要求ようきゅう交渉こうしょうおこなった[23]。だが中部電力ちゅうぶでんりょく東京電力とうきょうでんりょく両者りょうしゃ静岡しずおかけん水利すいりけん返還へんかん要求ようきゅう拒絶きょぜつした[23]電力でんりょく会社かいしゃ立場たちばからすれば、水力すいりょく発電はつでんしょにおけるみずはまさに生命せいめいせんであり、水量すいりょう減少げんしょうさせることは発電はつでん能力のうりょく減衰げんすいさせることにつながり、それは単純たんじゅん営業えいぎょう利益りえき減少げんしょう直結ちょっけつするため、当然とうぜん承諾しょうだくできる要求ようきゅうではなかったのである。

住民じゅうみん反発はんぱつちゅうでん対応たいおう 編集へんしゅう

 
河川かせん維持いじ放流ほうりゅうおこなしおきょうダム

1976ねん昭和しょうわ51ねん)にしおきょうダムより暫定ざんていてき放流ほうりゅう実施じっしされてはいたが、結局けっきょくこれ以降いこう無水むすい区間くかん解消かいしょうにはいたらず、当時とうじ計画けいかくちゅうであった長島ながしまダムの事業じぎょう進捗しんちょくにも影響えいきょうおよぼした。長島ながしまダムは多目的たもくてきダムであり、河川かせん維持いじ放流ほうりゅうおこなうことは目的もくてきひとつであるため本来ほんらい河川かせん環境かんきょう改善かいぜんにプラスにはたらくのであるが、ダムにたいする不信ふしんつのらせていた地元じもと住民じゅうみん長島ながしまダムにも反対はんたい姿勢しせいせた。そしてかたくなに水利すいりけん返還へんかん拒否きょひする電力でんりょく会社かいしゃたいする不満ふまん次第しだい表面ひょうめんしていった。

そしてしおきょうダムの次回じかい水利すいりけん更新こうしんである1986ねん昭和しょうわ61ねん)がちかづくにれ、住民じゅうみんの「みずかえ運動うんどう」は次第しだいねつびていく。本川根ほんかわねまち中川根なかかわねまち川根かわねまちの3まち当時とうじ)でつく川根かわね地域ちいき振興しんこう協議きょうぎかい静岡しずおかけんたいし「大井川おおいがわ流域りゅういき保全ほぜんかんする陳情ちんじょうしょ」を提出ていしゅつし、水利すいりけん更新こうしん大井川おおいがわ無水むすい区間くかん解消かいしょうつよ要望ようぼうした。3まち住民じゅうみん水利すいりけん返還へんかん拒絶きょぜつする中部電力ちゅうぶでんりょくたいして圧力あつりょくけるため1987ねん昭和しょうわ62ねん)1がつに「大井川おおいがわ環境かんきょう改善かいぜん決起けっき大会たいかい」を開催かいさい、800めい住民じゅうみん参加さんか悲願ひがん達成たっせいちかった。さらに3がつには350にん住民じゅうみんみずまったしおきょうダム直下ちょっかりゅう集結しゅうけつし、「みず」の人文字ひともじつくって中部電力ちゅうぶでんりょくたい強硬きょうこう意思いし表示ひょうじおこなった。

当時とうじ静岡しずおかけん知事ちじ斉藤さいとうしげるあずかはこうした住民じゅうみん直接ちょくせつ行動こうどう中部電力ちゅうぶでんりょく水利すいりけん一部いちぶ返還へんかんせまった。中部電力ちゅうぶでんりょく住民じゅうみんとの対立たいりつ企業きぎょうイメージへの深刻しんこく打撃だげきあたえることを危惧きぐし、4がつしおきょうダムより毎秒まいびょう3トン大井川おおいがわダムより毎秒まいびょう1トン寸又川すまたがわのダムぐんより毎秒まいびょう0.6 - 0.7トン河川かせん維持いじ放流ほうりゅうおこなうことを表明ひょうめい大井おおいがわに25ねんぶりの流水りゅうすい復活ふっかつした。だが住民じゅうみん納得なっとくする流水りゅうすい回復かいふくではなく、12月には協議きょうぎかい再度さいど要望ようぼうしょ知事ちじ提出ていしゅつ、「毎秒まいびょう5トン・更新こうしん期間きかん10ねん短縮たんしゅく」という要求ようきゅうおこな1989ねん平成へいせい元年がんねん)2がつには大井川おおいがわ河川敷かせんしきで1,000にんあつまり決起けっき大会たいかい開催かいさいした[19]。これを中部電力ちゅうぶでんりょくつい住民じゅうみん要求ようきゅうしたがうことになり、建設省けんせつしょうとの水利すいりけん更新こうしんにおいて「通年つうねん放流ほうりゅうりょう毎秒まいびょう3トン、農繁期のうはんき放流ほうりゅうりょう毎秒まいびょう5トン」の水利すいりけん返還へんかん表明ひょうめいした[19]。ただし水利すいりけん更新こうしんについては30ねん[19]更新こうしん建設省けんせつしょう申請しんせいすることとなり、静岡しずおかけんもこれに同意どういした。

こうしてしおきょうダムより毎秒まいびょう5トンのみず放流ほうりゅうされるようになり、完全かんぜんみずかった大井川おおいがわつい流水りゅうすい復活ふっかつした。斎藤さいとう知事ちじはこの心境しんきょうを「桜花おうか トンのながえて おおいなるかわ よみがえりたり」の短歌たんかみとめた[24]。こののち石碑せきひとなり、現在げんざいしおきょうダム直下ちょっかりゅう大井川おおいがわ親水しんすい公園こうえんない建立こんりゅうされている[25]しおきょうダムの問題もんだい解決かいけつしたが、いまさい上流じょうりゅう田代たしろダムの水利すいりけん返還へんかん東京電力とうきょうでんりょく拒否きょひにあい解決かいけつされていなかった。

根本こんぽんてき解決かいけつけて 編集へんしゅう

 
しおきょうダム直下ちょっかりゅう大井おおいがわ
圧倒的あっとうてき河原かわらひろ

2005ねん平成へいせい17ねん)、田代たしろダムの水利すいりけん更新こうしんせま流域りゅういき自治体じちたい発電はつでん用水ようすい利権りけん一部いちぶ返還へんかんもとめた[23]田代たしろダムは富士川ふじかわ水系すいけい早川はやかわ導水どうすいおこなうため、山梨やまなしけんからんだ広範囲こうはんい問題もんだいとなり、電力でんりょく会社かいしゃ自治体じちたいだけの問題もんだいではなくなった。このため国土こくど交通省こうつうしょう静岡しずおかけん山梨やまなしけん大井川おおいがわ流域りゅういき自治体じちたい静岡しずおか川根かわね本町ほんまち川根かわねまちおよ東京電力とうきょうでんりょくの5しゃによる「大井川おおいがわ水利すいり流量りゅうりょう調整ちょうせい協議きょうぎかい」が結成けっせいされ、田代たしろダムの水利すいりけん問題もんだい対処たいしょすることとなった。

しおきょうダムの水利すいりけん返還へんかん以後いご河川かせん開発かいはつめぐ周辺しゅうへん環境かんきょう激変げきへんし、河川かせん環境かんきょうたいするきびしい国民こくみん視線しせんそそがれるようになった。こうした風潮ふうちょう1997ねん平成へいせい9ねん)の河川かせんほう改正かいせい影響えいきょうおよぼし、「河川かせん環境かんきょう維持いじ」が河川かせん管理かんり重要じゅうよう目標もくひょうげられた[26]。このなかすべての電力でんりょく会社かいしゃ管理かんりダムにたいして河川かせん維持いじ放流ほうりゅう義務ぎむ明記めいきされ、全国ぜんこく電力でんりょく会社かいしゃ発電はつでんようダムに放流ほうりゅうバルブを設置せっちして維持いじ放流ほうりゅう実施じっしした。この結果けっか信濃川しなのがわ西大滝にしおおたきダム宮中きゅうちゅう取水しゅすいダムのようにサケもどりだしたれい報告ほうこくされだした。

東京電力とうきょうでんりょく河川かせん維持いじ放流ほうりゅうのための水利すいりけん一部いちぶ返還へんかん合意ごうい流量りゅうりょうについての交渉こうしょうおこなわれた。だが地元じもと自治体じちたい納得なっとくできるだけの放流ほうりゅうりょうではなく、交渉こうしょう不調ふちょうわった[23]。このため大井川おおいがわ流域りゅういき住民じゅうみんは2まんにん署名しょめいあつめて放流ほうりゅうりょう上乗うわのせを要求ようきゅう決起けっき大会たいかいひらいて譲歩じょうほせまった。これにたい東京電力とうきょうでんりょく毎秒まいびょう0.43 - 1.49トン[27]放流ほうりゅう水利すいりけんの10ねん更新こうしん再度さいど呈示ていじ流域りゅういき自治体じちたい納得なっとくして11月28にち交渉こうしょう妥結だけつした[23]。2006ねんより田代たしろダムより毎秒まいびょう0.43トンの試験しけん放流ほうりゅう実施じっしされており[23]中部電力ちゅうぶでんりょく管理かんり5ダム(はたけなぎだいいちはたけなぎだい井川いかわ奥泉おくいずみ大井おおいがわおよ長島ながしまダムと連携れんけいして0.43トンの連携れんけい上積うわづ放流ほうりゅう現在げんざい検討けんとうしている。

こうして大井おおいがわの「みずかえ運動うんどう」はしおきょうダム完成かんせいより45ねん経過けいかし、大井おおいがわ無水むすい区間くかん解消かいしょう流水りゅうすい復活ふっかつした。だが「川原かわはら砂漠さばく」が完全かんぜん解消かいしょうされたわけではなく[21]、かつての大井おおいがわ復活ふっかつにはまだみちなかばである[7]

リニア中央ちゅうおう新幹線しんかんせん工事こうじ影響えいきょう 編集へんしゅう

東海旅客鉄道とうかいりょかくてつどう(JR東海とうかい)がすすめるリニア中央ちゅうおう新幹線しんかんせんなんアルプストンネル工事こうじにより、大井川おおいがわ上流じょうりゅう流量りゅうりょう最大さいだい毎秒まいびょう2トン減少げんしょうすると予測よそくされている。JR東海とうかいはこの予測よそく前提ぜんていとして、「地下水ちかすい岩盤がんばん隙間すきまからトンネルない湧水わきみずとして排出はいしゅつされる」[注釈ちゅうしゃく 6]としたうえで、環境かんきょう保全ほぜん措置そちとしてNATM工法こうほう[注釈ちゅうしゃく 7]採用さいようげ、「くつがえこうコンクリートとやまあいだ空隙くうげき出来できないため、トンネルないへの地下水ちかすい湧出ゆうしゅつすくないとかんがえられる」「河川かせん流量りゅうりょう減少げんしょうりょうすくなくできるとかんがえている」とした[28]。さらに、延長えんちょうやく12 kmの導水どうすいトンネルを大井川おおいがわ右岸うがん建設けんせつすることで、トンネルない湧水わきみず静岡しずおか北部ほくぶさわらとうさわらじま地区ちく大井おおいがわ合流ごうりゅうさせ、水量すいりょう減少げんしょう毎秒まいびょう0.7トンにおさえる方針ほうしんしめしている[29]のこりの湧水わきみずかんしても、必要ひつようおうじて導水どうすいトンネルへのポンプアップすることで減少げんしょう回避かいひすることができるとしている[30]

おも支流しりゅう 編集へんしゅう

一級いっきゅう河川かせんのみを下流かりゅうがわからじゅん記載きさいする[31][32][33]

河川かせん よみ 次数じすう 管理かんりしゃ おも経過けいか 河川かせん延長えんちょう
(km)
備考びこう
大井川おおいがわ おおいがわ 本川ほんがわ 中部ちゅうぶ地方ちほう整備せいびきょく
静岡しずおかけん
吉田よしだまち焼津やいづ藤枝ふじえだ
島田しまだ川根かわね本町ほんまち静岡しずおか
168.29
(うち直轄ちょっかつ24.82)
大津おおつ谷川たにがわ おおつやがわ 1ささえかわ 静岡しずおかけん
島田しまだ
藤枝ふじえだ島田しまだ 3.85
伊太いた谷川たにがわ いたやがわ 2ささえかわ 静岡しずおかけん
島田しまだ
島田しまだ 5.7
尾川おがわ おがわ 2ささえかわ 静岡しずおかけん
島田しまだ
島田しまだ 1.4
大代おおしろがわ おおじろがわ 1ささえかわ 静岡しずおかけん 島田しまだ 11.74
新堀しんぼりがわ しんぼりがわ 2ささえかわ 静岡しずおかけん 島田しまだ 0.91
清水しみずがわ
孫九郎まごくろうがわ
しみずがわ
まごくろうがわ
2ささえかわ 静岡しずおかけん
島田しまだ
島田しまだ 0.4
童子どうじ沢川そうごう わっぱざがわがわ 2ささえかわ 静岡しずおかけん 島田しまだ 1.39
相賀あいが谷川たにがわ おおかやがわ 1ささえかわ 静岡しずおかけん
島田しまだ
島田しまだ 5
伊久美いくみがわ いくみがわ 1ささえかわ 静岡しずおかけん 島田しまだ 13.76
大久保おおくぼがわ おおくぼがわ 2ささえかわ 静岡しずおかけん
藤枝ふじえだ
島田しまだ藤枝ふじえだ 4.5
福用ふくようがわ ふくようがわ 1ささえかわ 静岡しずおかけん 島田しまだ 1.18
白光はっこうかわ はっこうがわ 1ささえかわ 静岡しずおかけん 島田しまだ 1.38
身成みなりがわ みなりがわ 1ささえかわ 静岡しずおかけん 島田しまだ 3.7
家山いえやまがわ いえやまがわ 1ささえかわ 静岡しずおかけん 島田しまだ 5.64
切山きりやまがわ きりやまがわ 2ささえかわ 静岡しずおかけん 島田しまだ 1.65
ささあいだかわ
はた住川すみかわ
ささまがわ
はたすみがわ
1ささえかわ 静岡しずおかけん
島田しまだ
川根かわね本町ほんまち
島田しまだ川根かわね本町ほんまち 15.5
川根かわね境川さかいがわ かわねさかいがわ 1ささえかわ 静岡しずおかけん 川根かわね本町ほんまち 3
下泉しもいずみ河内川かわうちがわ しもいずみこうちがわ 1ささえかわ 静岡しずおかけん 川根かわね本町ほんまち 1.8
中津川なかつがわ なかつがわ 1ささえかわ 静岡しずおかけん 川根かわね本町ほんまち 0.7
川根かわね長尾ながおがわ かわねながおがわ 1ささえかわ 静岡しずおかけん 川根かわね本町ほんまち 2
水川みずかわがわ みずかわがわ 1ささえかわ 静岡しずおかけん 川根かわね本町ほんまち 1.1
榛原はいばらがわ はいばらがわ 1ささえかわ 静岡しずおかけん 川根かわね本町ほんまち 1
小長井こながい河内川かわうちがわ こながいこうちがわ 1ささえかわ 静岡しずおかけん 川根かわね本町ほんまち 3.2
寸又川すまたがわ すまたがわ 1ささえかわ 静岡しずおかけん 川根かわね本町ほんまち 16.57
横沢よこさわがわ よこざわがわ 2ささえかわ 静岡しずおかけん 川根かわね本町ほんまち 2.2
栗代川くりしろがわ くりしろがわ 2ささえかわ 静岡しずおかけん 川根かわね本町ほんまち 4.5
大間だいまがわ おおまがわ 2ささえかわ 静岡しずおかけん 川根かわね本町ほんまち 4.4
湯沢ゆざわ ゆざわ 3ささえかわ 静岡しずおかけん 川根かわね本町ほんまち 0.3
おく湯沢ゆざわ おくゆざわ 3ささえかわ 静岡しずおかけん 川根かわね本町ほんまち 0.3
平野川ひらのかわ ひらのがわ 2ささえかわ 静岡しずおかけん 川根かわね本町ほんまち 0.3
関ノ沢川せきのさわがわ
せき沢川さわかわ
せきのさわがわ 1ささえかわ 中部ちゅうぶ地方ちほう整備せいびきょく
静岡しずおかけん
川根かわね本町ほんまち静岡しずおか 3
(うち直轄ちょっかつ1)
井川いかわ西山にしやま沢川さわかわ いかわにしやまざわがわ 1ささえかわ 静岡しずおかけん 静岡しずおか 1.2
東河内ひがしこうちがわ ひがしこうちがわ 1ささえかわ 静岡しずおかけん 静岡しずおか 2.5
明神川みょうじんがわ みょうじんがわ 1ささえかわ 静岡しずおかけん 静岡しずおか 1.5
赤石あかし沢川さわかわ あかいしさわがわ 1ささえかわ 静岡しずおかけん 静岡しずおか 7.2
井川いかわきよし沢川さわかわ いかわせいざわがわ 2ささえかわ 静岡しずおかけん 静岡しずおか 4.2
奥西おくにし河内川かわうちがわ おくにしかわちがわ 1ささえかわ 静岡しずおかけん 静岡しずおか 4.31
西俣川にしまたがわ にしまたがわ 1ささえかわ 静岡しずおかけん 静岡しずおか 7.35
その特筆とくひつすべき関連かんれん河川かせん
  • 栃山川とちやまがわ - きゅう水系すいけい本川ほんがわ古代こだい大井おおいがわりゅう相当そうとうする。明治めいじ時代じだい改修かいしゅうによって、栃山川とちやまがわ下流かりゅう大井川おおいがわ水系すいけいいちきゅう河川かせん大津おおつ谷川たにがわ」となっている。

河川かせん施設しせつ 編集へんしゅう

大井川おおいがわ水系すいけいにおける河川かせん施設しせつは、そのほとんどが水力すいりょく発電はつでん目的もくてきとするものである。大井おおいがわ本川ほんかわだけでも6かしょ電力でんりょく会社かいしゃ管理かんりダムがあり、このほかしおきょうダムなどのしょう堰堤えんてい点在てんざいする。寸又川すまたがわささあいだがわなど主要しゅよう支流しりゅうにもダムやしょう堰堤えんてい建設けんせつされており、高度こうどみず利用りようおこなわれた反面はんめん大井おおいがわ環境かんきょうそこねた。一方いっぽう多目的たもくてきダム長島ながしまダム治水ちすいダムでは平常へいじょうにはまったみず貯水ちょすいしない「あなあきダム」の大代おおしろがわ防災ぼうさいダムがある。洪水こうずい調節ちょうせつ機能きのうゆうするダムはこの2しかない。なお、現在げんざい施工しこうちゅう河川かせん施設しせつい。

特色とくしょくとしては、日本にっぽんで13しか存在そんざいしない中空なかぞら重力じゅうりょくしきコンクリートダムが3、しかも連続れんぞくして建設けんせつされていることである。日本にっぽんはつ井川いかわダム世界せかい最大さいだいはたけなぎだいいちダムマイクロ水力すいりょく発電はつでん施設しせつそなえたはたけなぎだいダムがそれであり、日本にっぽんのダムの歴史れきしにおいてくことのできない河川かせんでもある。

河川かせん施設しせつ一覧いちらん 編集へんしゅう

いちささえ川名かわな本川ほんがわ ささえ川名かわな さんささえ川名かわな ダムめい つつみだか (m) そう貯水ちょすい容量ようりょうせんm3 型式けいしき 事業じぎょうしゃ 備考びこう
大井川おおいがわ 田代たしろダム 017.3 220 重力じゅうりょくしき 東京電力とうきょうでんりょく
大井川おおいがわ はたけなぎだいいちダム 125.0 107,400 中空なかぞら重力じゅうりょくしき 中部電力ちゅうぶでんりょく
大井川おおいがわ はたけなぎだいダム 069.0 11,400 中空なかぞら重力じゅうりょくしき 中部電力ちゅうぶでんりょく
大井川おおいがわ 井川いかわダム 103.6 150,000 中空なかぞら重力じゅうりょくしき 中部電力ちゅうぶでんりょく
大井川おおいがわ 奥泉おくいずみダム 044.5 3,150 重力じゅうりょくしき 中部電力ちゅうぶでんりょく
大井川おおいがわ 長島ながしまダム 109.0 78,000 重力じゅうりょくしき 国土こくど交通省こうつうしょう
大井川おおいがわ 大井川おおいがわダム 033.5 788 重力じゅうりょくしき 中部電力ちゅうぶでんりょく
大井川おおいがわ しおきょうダム 重力じゅうりょくしき 中部電力ちゅうぶでんりょく しょう堰堤えんてい
赤石あかし沢川さわかわ 赤石あかしダム 058.0 3,090 重力じゅうりょくしき 中部電力ちゅうぶでんりょく
寸又川すまたがわ せんとうダム 064.0 4,950 重力じゅうりょくしき 中部電力ちゅうぶでんりょく
寸又川すまたがわ だいあいだダム 046.1 1,519 重力じゅうりょくしき 中部電力ちゅうぶでんりょく
寸又川すまたがわ 寸又川すまたがわダム 034.8 987 重力じゅうりょくしき 中部電力ちゅうぶでんりょく
境川さかいがわ 境川さかいがわダム 034.2 1,173 重力じゅうりょくしき 中部電力ちゅうぶでんりょく
ささあいだかわ ささあいだかわダム 046.4 6,340 重力じゅうりょくしき 中部電力ちゅうぶでんりょく
大代おおしろがわ 大代おおしろがわダム 043.0 621 重力じゅうりょくしき 静岡しずおかけん あなあきダム

脚注きゃくちゅう 編集へんしゅう

注釈ちゅうしゃく  編集へんしゅう

  1. ^ 文献ぶんけんにより、「江戸城えどじょう外堀そとぼり」「駿府すんぷじょう外堀そとぼり」といった表現ひょうげん散見さんけんされるが、現実げんじつ外堀そとぼりべつ存在そんざいするわけで、これらは象徴しょうちょうてき表現ひょうげんかんがえてよい。
  2. ^ 当時とうじ大井おおいがわ平均へいきん水深すいしんが76 cmあり急流きゅうりゅうであった[7]
  3. ^ 架橋かきょう禁止きんしについては江戸えど防衛ぼうえい観点かんてんによるものであるかどうかについて疑問ぎもんももたれている。実際じっさい、1600ねん慶長けいちょう5ねん)には東海道とうかいどう多摩川たまがわ下流かりゅう六郷ろくごうがわ)に最初さいしょ六郷ろくごうきょうけられたが、その多摩川たまがわ度重たびかさなる氾濫はんらんにより幾度いくどはしながされしてしまった。この六郷ろくごうきょうは、1688ねん貞享ていきょう5ねん)のはし流出りゅうしゅつ最後さいごに、1873ねん明治めいじ6ねん)になるまで再建さいけんされなかった。もし大井おおいがわへの架橋かきょう禁止きんし目的もくてき江戸えど防衛ぼうえいであったとするならば、江戸えど直近ちょっきん多摩川たまがわ架橋かきょうゆるされたことは不合理ふごうりといえる。この多摩川たまがわれいでわかるように、江戸えど当時とうじ技術ぎじゅつではかわ氾濫はんらんえられる恒久こうきゅうてきはし東海道とうかいどう大井おおいがわ天竜てんりゅうがわ富士川ふじかわ建設けんせつすることはできず、また、かわ氾濫はんらんながされたはしをそのたび再建さいけんすることも経済けいざいてきには無理むりなことであった。むしろ江戸えど防衛ぼうえいという観点かんてんからより効果こうかてき江戸えど防衛ぼうえいさくとして、これらのかわ沿岸えんがんむら々にはふね所有しょゆう禁止きんしされていた。[9]
  4. ^ 入船いりふね屋敷やしき入船いりふねしき屋敷やしき'ともばれる。盛土もりつち形状けいじょう三角さんかく場合ばあいさん角屋敷かどやしきばれる。
  5. ^ 2000ねん漢字かんじ変更へんこう地元じもと静岡しずおか新聞しんぶんが、用字ようじ制限せいげん基準きじゅんわりいむしめであるために「大井川鉄道おおいがわてつどう表記ひょうきのままであることから、地元じもとではこの変更へんこうらないものおおい。[独自どくじ研究けんきゅう?]
  6. ^ 本来ほんらい介在かいざいするトンネルのくつがえこうコンクリートについては言及げんきゅうなし。
  7. ^ 掘削くっさく部分ぶぶん直接ちょくせつコンクリートをけ、ボルトをかた岩盤がんばんまでむことでやまとトンネルを一体化いったいかさせる工法こうほう

出典しゅってん  編集へんしゅう

  1. ^ 大井川おおいがわについて”. www.cbr.mlit.go.jp. 2019ねん9がつ6にち閲覧えつらん
  2. ^ a b c いのちのみず, p. 2.
  3. ^ a b 大井川おおいがわ水系すいけい河川かせん維持いじ管理かんり計画けいかく 2018, p. 2.
  4. ^ 静岡しずおかけん通史つうしへん1(はらはじめ古代こだいへん)481-484ぺーじ
  5. ^ 川越かわごえ制度せいど - 島田しまだ公式こうしきホームページ”. www.city.shimada.shizuoka.jp. 2019ねん9がつ6にち閲覧えつらん
  6. ^ 箱根はこね馬子まごうた”. NHK. 2013ねん3がつ14にち閲覧えつらん
  7. ^ a b おおいなるかわ、よみがえれ”. ダムの書誌しょしあれこれ(15) ~大井川おおいがわ水系すいけいのダム(井川いかわはたけなぎ長島ながしま)~. 一般いっぱん社団しゃだん法人ほうじん日本にっぽんダム協会きょうかい. 2020ねん3がつ14にち閲覧えつらん
  8. ^ 2016ねん3がつ-5月の貴重きちょうしょ展示てんじ 大井おおいがわ”. 静岡しずおか県立けんりつ中央ちゅうおう図書館としょかん. 2017ねん6がつ23にち閲覧えつらん
  9. ^ 青木あおき栄一えいいち 2006, p. 139.
  10. ^ 「わが街道かいどう宮本みやもと常一つねいち監修かんしゅう 建築資料研究社けんちくしりょうけんきゅうしゃ
  11. ^ みなみアルプスがく 2010, p. 58.
  12. ^ a b c d みなみアルプスがく 2010, p. 59.
  13. ^ a b c d e f g 名古屋大学なごやだいがく鉄道てつどう研究けんきゅうかい 1998, 大井川鉄道おおいがわてつどう歴史れきし.
  14. ^ a b 住田すみたいたるろう. “大井川鐵道おおいがわてつどう大井川本線おおいがわほんせん その1”. 私鉄してつろう. 鉄道てつどうチャンネル. 2020ねん3がつ15にち閲覧えつらん
  15. ^ いのちのみず, p. 5.
  16. ^ a b c いのちのみず, p. 6.
  17. ^ 大井川おおいがわ用水ようすい農業のうぎょう水利すいり事業じぎょうしょ”. 関東かんとう農政のうせいきょく. 2020ねん3がつ15にち閲覧えつらん
  18. ^ a b 大井川おおいがわ水系すいけい河川かせん維持いじ管理かんり計画けいかく 2018, p. 10.
  19. ^ a b c d e 西田にしだただしあきら (2019ねん1がつ4にち). “「放水ほうすいりぬ」地元じもと切実せつじつ 大井おおいがわ みずかえ運動うんどう30ねん. 中日新聞ちゅうにちしんぶん. https://www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/tokai-news/CK2019010402000087.html 2020ねん3がつ11にち閲覧えつらん 
  20. ^ 田淵たぶち直樹なおき 2002, pp. 1–2.
  21. ^ a b 田淵たぶち直樹なおき 2002, p. 2.
  22. ^ ぞう光一郎こういちろう & 溝口みぞぐちはやぶさひらめ 2007, p. 303.
  23. ^ a b c d e f g ぞう光一郎こういちろう & 溝口みぞぐちはやぶさひらめ 2007, p. 306.
  24. ^ 田淵たぶち直樹なおき 2002, pp. 4, 6.
  25. ^ 田淵たぶち直樹なおき 2002, p. 4.
  26. ^ 住田すみたいたるろう. “大井川鐵道おおいがわてつどう大井川本線おおいがわほんせん その5”. 私鉄してつろう. 鉄道てつどうチャンネル. 2020ねん3がつ15にち閲覧えつらん
  27. ^ 大井おおいがわとリニア みずきる(なか)「みずかえせ」のおもいまも”. 静岡しずおか新聞しんぶん. (2019ねん8がつ30にち). https://www.at-s.com/news/article/special/linear/005/720930.html 2020ねん3がつ15にち閲覧えつらん 
  28. ^ 中央ちゅうおう新幹線しんかんせん東京とうきょう名古屋なごやあいだ環境かんきょう影響えいきょう評価ひょうかしょ平成へいせい26ねん8がつ静岡しずおかけん だい8しょう 環境かんきょう影響えいきょう評価ひょうか調査ちょうさ結果けっか概要がいようならびに予測よそくおよ評価ひょうか結果けっか”. 東海旅客鉄道とうかいりょかくてつどう (2014ねん8がつ26にち). 2020ねん6がつ28にち閲覧えつらん
  29. ^ 安藤あんどうつよし (2017ねん8がつ17にち). “リニアみなみアルプストンネル、みず資源しげん維持いじのこ不安ふあん. 日経にっけいコンストラクションwebはん. https://www.nikkei.com/article/DGXMZO20075460X10C17A8000000/ 2017ねん8がつ24にち閲覧えつらん 
  30. ^ だい4かい大井川おおいがわみず資源しげん検討けんとう委員いいんかい 説明せつめい資料しりょう”. 東海旅客鉄道とうかいりょかくてつどう (2015ねん11月27にち). 2020ねん6がつ28にち閲覧えつらん
  31. ^ 国土こくど交通省こうつうしょう中部ちゅうぶ地方ちほう整備せいびきょく. “河川かせんコード台帳だいちょう河川かせんコード表編おもてあみ” (PDF). 2023ねん6がつ16にち閲覧えつらん
  32. ^ 国土こくど交通省こうつうしょう中部ちゅうぶ地方ちほう整備せいびきょく. “河川かせんコード台帳だいちょう河川かせんしきへん” (PDF). 2023ねん6がつ16にち閲覧えつらん
  33. ^ しずおか河川かせんナビゲーション. “大井川おおいがわ水系すいけい かわ紹介しょうかい”. 2023ねん7がつ13にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん 編集へんしゅう

関連かんれん項目こうもく 編集へんしゅう

外部がいぶリンク 編集へんしゅう