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Ju 87 (航空機) - Wikipedia

Ju 87 シュトゥーカ

Ju 87 シュトゥーカJunkers Ju 87 Stuka )は、ドイツユンカースしゃ開発かいはつし、だい世界せかい大戦たいせんなかドイツ空軍くうぐんなどで運用うんようされた急降下きゅうこうか爆撃ばくげきである。

愛称あいしょうの「シュトゥーカ」(Stuka)とは、本来ほんらいほん機種きしゅ固有こゆう愛称あいしょうではなく、“急降下きゅうこうか爆撃ばくげき”を意味いみするドイツの「Sturzkampfflugzeug」(シュトゥルツ・ンプ・フルークツォイク)のりゃくであったが、ほんがドイツぐんもちいた急降下きゅうこうか爆撃ばくげき代表だいひょうとしてあつかわれたため、このもちいられるようになった。日本語にほんごでは「スツーカ」「ストゥーカステューカ)」とも表記ひょうきされている。

概要がいよう

編集へんしゅう
 
東部とうぶ戦線せんせん、1943ねんのシュトゥーカ
 
編隊へんたい飛行ひこうちゅうのシュトゥーカ。しゅあし車輪しゃりんカバーがはずされている

開発かいはつユンカースしゃ主任しゅにん設計せっけいしゃヘルマン・ポールマン(Hermann Pohlmann)。モックアップ1934ねん完成かんせいし、1935ねん9月17にちはつ飛行ひこうしている。

1935ねんドイツ航空こうくうしょう(RLM)による競争きょうそう審査しんさ勝利しょうり正式せいしき生産せいさん命令めいれいた。対抗たいこう機種きしゅは、アラドしゃハインケルしゃブローム・ウント・フォスしゃのそれぞれ Ar 81試作しさく3のみ)・He 118生産せいさんすう不明ふめい、4号機ごうき日本にっぽん陸軍りくぐんに、5号機ごうき日本にっぽん海軍かいぐん売却ばいきゃく)・Ha 137試作しさく1開発かいはつ途中とちゅう終了しゅうりょう)Ju 87の試作しさくは3製作せいさくされ、それぞれV1-V3の番号ばんごうがあたえられていた。V1はそう尾翼びよくでダイブブレーキがついていないのが特徴とくちょうで、試験しけんちゅうキリモミ状態じょうたいになり墜落ついらくうしなわれている。

最初さいしょ量産りょうさんがたJu 87Aがた1937ねんから生産せいさん開始かいしされ、スペイン内戦ないせん実戦じっせん投入とうにゅうされおおくの戦果せんかをあげた。また、同年どうねん改良かいりょうおこなわれたBがた生産せいさんされスペイン内戦ないせんつづけて投入とうにゅうされた。

以後いごさまざまなタイプに発展はってんしながらも、(すくなくとも外見がいけんてきには)おおきな改変かいへん終戦しゅうせんまでに5,709生産せいさんされることになる。

1940ねん以降いこうおもきたアフリカ戦線せんせん地中海ちちゅうかい戦線せんせん東部とうぶ戦線せんせん配備はいびされた。東部とうぶ戦線せんせんにおいてドイツ陸軍りくぐん支援しえんし、地中海ちちゅうかいではえい空母くうぼイラストリアス」を大破たいはさせるなどたいかん攻撃こうげきにも活躍かつやくした。しかし大戦たいせん後半こうはんになると、ほん性能せいのうでは連合れんごう国軍こくぐん戦闘せんとう遊弋ゆうよくする昼間ひるま作戦さくせん行動こうどう自殺じさつ行為こういとなり、夜間やかん行動こうどうがた改修かいしゅうされて使用しようつづけられた。

なお、ほんわって地上ちじょう支援しえん任務にんむについたのは、Fw 190戦闘せんとう爆撃ばくげきかたであった。

特徴とくちょう

編集へんしゅう

ぎゃくガルつばさふく固定こていあし外見がいけんじょうおおきな特徴とくちょうで、急降下きゅうこうか爆撃ばくげきらしいガッシリとしたたけほねなフォルムをもつ。急降下きゅうこうか爆撃ばくげき機動きどうえるため機体きたい構造こうぞう頑丈がんじょうで、整備せいび容易ようい反復はんぷく攻撃こうげきをこなせる実用じつようせい機体きたいであった。ぎゃくガルしきつばさ下方かほう視界しかいさと、安定あんていした急降下きゅうこうか性能せいのうにより精密せいみつばくげき実施じっしでき、急降下きゅうこうかサイレンのようなおとてることから連合れんごうこくがわからは「悪魔あくまのサイレン」の異名いみょうおそれられた。

この通称つうしょうにヒントをて、のち機体きたいには実際じっさい小型こがた風車かざぐるまにより駆動くどうされるサイレンがけられるようになり、標的ひょうてきとなった陣地じんちなどのてきへい恐慌きょうこうへといやり、地上ちじょう部隊ぶたい進撃しんげき爆撃ばくげき心理しんりめん援護えんごすることになる。ばくだん使つかたした機体きたいでも急降下きゅうこうかしてサイレンをらすことによって、「ばくげきる」とおもわせることでてきうごきを阻害そがいすることもできた。しかし、大戦たいせん後期こうきになるとぎゃく航空こうくう優勢ゆうせい連合れんごうぐんたいしてサイレンの効果こうかうすれたためサイレンをはずし、台座だいざだけがのこっている記録きろく写真しゃしんもある。

頑丈がんじょう、すなわちおも機体きたい構造こうぞうという急降下きゅうこうか爆撃ばくげき特性とくせいゆえの弱点じゃくてんがあり、低速ていそく鈍重どんじゅう防弾ぼうだん設備せつび貧弱ひんじゃくだったため空戦くうせん能力のうりょくひくく、制空権せいくうけん確保かくほした状態じょうたいでの攻撃こうげきにしかてきさなかった。また、機体きたいおもさのしわせは燃料ねんりょう搭載とうさいりょうにもおよび、航続こうぞく距離きょりみじか行動こうどう半径はんけいせまかった。

Ju87による急降下きゅうこうかばくげき水平すいへい飛行ひこうからそのまま機首きしゅげるのではなく、ばくげき目標もくひょう上空じょうくう機体きたい回転かいてんさせ背面はいめん飛行ひこうから機首きしゅ地面じめんけて急降下きゅうこうかする。そのため操縦そうじゅうせきゆかにはばくげき目標もくひょう目視もくし確認かくにんするためのちいさなあなひらいている。

威嚇いかくよう吹鳴すいめい(サイレン)「ジェリコのラッパ」について

編集へんしゅう

Ju 87とえば急降下きゅうこうかのサイレンおん有名ゆうめいであるが、元々もともとサイレン特別とくべつけていたわけではなく、急降下きゅうこうか発生はっせいした風切かざきおんがそのようにこえただけであった[1]。その威嚇いかく効果こうかたかさがみとめられ、BがたやDがた一部いちぶしゅあし根本こんぽんに、風車かざぐるまふうけて駆動くどうさせるサイレンをとりつけた機体きたいまれた。

このふうおとは「ジェリコ(エリコ)のラッパ」とドイツへいたちにばれ、スペイン内乱ないらんときには空爆くうばく不慣ふなれなスペインえいふつ兵士へいしおそれられた。なお、ジェリコのラッパのジェリコ(エリコ)とは古代こだいパレスチナ都市としめいで、旧約きゅうやく聖書せいしょヨシュアでユダヤじん指導しどうしゃヨシュアいのち人々ひとびと一斉いっせいいたラッパのこと。このおとジェリコの城壁じょうへきくずちたとつたえられている。1941ねん以降いこうはあえて隠密おんみつせい破壊はかいする「ラッパ」は使用しようされなくなっているが、連合れんごうぐん兵士へいし風説ふうせつとして流布るふした。

運用うんよう

編集へんしゅう
 
1939ねんポーランドにおける電撃でんげきせん
 
離陸りりくまえのシュトゥーカ

Ju87は1939ねんにはじまるポーランド侵攻しんこう開戦かいせん当初とうしょ電撃でんげきせん(ブリッツクリーク)において非常ひじょうおおきな戦果せんかげたが、1940ねんたいイギリスせんバトル・オブ・ブリテン)では、防弾ぼうだん性能せいのうひくさと制空権せいくうけん確保かくほしていない地点ちてんへの投入とうにゅうによりスピットファイアハリケーンなどのイギリスぐん多数たすう撃墜げきついされ、おおきな損害そんがいした。また、航続こうぞく距離きょり不足ふそくから、えい本土ほんど内陸ないりく目標もくひょう攻撃こうげき出来できなかった[2]

ほんだい世界せかい大戦たいせん以前いぜん1935ねんあきはつ飛行ひこうおこなっているにもかかわらず、後継こうけいめぐまれなかったこともあって大幅おおはばなバージョンアップも終戦しゅうせんまで使用しようされつづけた機体きたいである。開戦かいせん当初とうしょこそおおきな戦果せんかげたが、ドイツ空軍くうぐん上層じょうそう能力のうりょく過信かしんし、「急降下きゅうこうかばくげきこそが至上しじょうばくげきである」とあやまった認識にんしきをもったものおおかった。とくに、ドイツ空軍くうぐん最高さいこう司令しれい長官ちょうかんヘルマン・ゲーリングの"急降下きゅうこうか爆撃ばくげきねつ"(急降下きゅうこうか爆撃ばくげきへの盲信もうしん)ははなはだしく、戦略せんりゃく爆撃ばくげきHe 177ふくめた水平すいへい爆撃ばくげき任務にんむとする機体きたいおおくに急降下きゅうこうかばくげき能力のうりょくもとめたり、戦略せんりゃく爆撃ばくげき後継こうけい開発かいはつおこたるなどドイツ空軍くうぐん全体ぜんたい開発かいはつ計画けいかく悪影響あくえいきょうあたえた。また、その認識にんしきあまさはバトル・オブ・ブリテンでのだい損害そんがい原因げんいんともなった。

1942ねんころから陸上りくじょうでは単発たんぱつばくげき活躍かつやくうしないつつあり、ドイツ空軍くうぐんでもFw 190FやGなどの対地たいち襲撃しゅうげき戦闘せんとう爆撃ばくげきかた登場とうじょうしているが、旧式きゅうしきしたJu 87もダイブブレーキをはずし、襲撃しゅうげきとして生産せいさんされつづけた。フランスせんでは陸軍りくぐん支援しえんのためフランスぐん戦車せんしゃたいして急降下きゅうこうか爆撃ばくげきおこなったが効果こうかうすく、機銃きじゅうエンジン部分ぶぶんねらったほう確実かくじつ損害そんがいあたえられた[3]。このせんくんをもとに、ばくだんではなく機関きかんほう搭載とうさいした対戦たいせんしゃ攻撃こうげきがた(Ju87G)も開発かいはつされている。

Ju87はその操縦そうじゅう容易たやすさから前線ぜんせんのパイロットたちこのまれ、かくシリーズ、とく後期こうきにはG-1がた愛用あいようしたハンス・ウルリッヒ・ルーデルは、終戦しゅうせんまでに519りょう(630りょうとのせつもある)もの戦車せんしゃ破壊はかいし、"スツーカのルーデル"の異名いみょうたという。ほかにもシュトゥーカりには単機たんきふくなのでにんいちくみ)でおおきな戦果せんかげたパイロットがおおい。

おも派生はせいがた

編集へんしゅう
Ju 87 A
試作しさくエンジンには610馬力ばりきユンカース ユモ 210 Aを装備そうびしており、のちにエンジンはユンカースJumo 210 Daに交換こうかんされている。Aがた最初さいしょのシリーズであるA-0はぜん金属きんぞくせい機体きたいで、密閉みっぺいしきコックピットになっていた。
Ju 87 V1
1935ねん9月17にちはつ飛行ひこう、W.Nr 4921。
Ju 87 V2
1936ねん2がつ25にちはつ飛行ひこう、W.Nr 4922。登録とうろく記号きごうは D-IDQR。
Ju 87 V3
1936ねん3月27にちはつ飛行ひこう、W.Nr 4923。
Ju 87 V4
1936ねん6がつ20日はつかはつ飛行ひこう、W.Nr 4924。
Ju 87 V5
1936ねん8がつ14にちはつ飛行ひこう、W.Nr 4925。
Ju 87 A-0
大量たいりょう生産せいさんけ、生産せいさんせい向上こうじょうさせるために主翼しゅよく先端せんたん直線ちょくせんにされ補助ほじょつばさ形状けいじょう前後ぜんごがなだらかなかたち修正しゅうせいされた。飛行ひこうちゅうでもパイロット昇降しょうこうかじ方向ほうこうかじのトリム・タブを調節ちょうせつできるように設計せっけいされていた。A-0は水平すいへいちかいエンジン・カウリングを装備そうびしており、パイロットは非常ひじょうによい視野しやをえた。そのためエンジンは25cmほどげてけられることとなり、胴体どうたい機銃きじゅうしゅせきげられ機銃きじゅうしゅ良好りょうこうかいあたえた。ドイツ航空こうくうしょう当初とうしょ7のA-0がた発注はっちゅうしたがのちに11やしている。1937ねん前半ぜんはんに、A-0は様々さまざまばくだん搭載とうさいしてテストがおこなわれた結果けっか、Jumo 210 Aエンジンの出力しゅつりょく不足ふそくはフォン・リヒトホーフェンに指摘してきされすみやかにJumo 210 Dに交換こうかんされた。
Ju 87 A-1
ユンカース Jumo 210 Dの搭載とうさいりょう主翼しゅよく内部ないぶに220Lの燃料ねんりょうタンクをひとつずつ搭載とうさいしていたが、この燃料ねんりょうタンクは防弾ぼうだん装備そうびほどこされていなかった。また、A-1がた両翼りょうよくに7.92mmのMG 17 機関きかんじゅうを1ちょうずつ装備そうび可能かのうなように設計せっけいされていたが、重量じゅうりょうオーバーしてしまうことがわかり、はずされた。この2ちょう機関きかんじゅう弾薬だんやく合計ごうけい500はつ着陸ちゃくりくあしのスパッツのなか収納しゅうのうされるようになっていた。パイロットせきにはMG 17 機関きかんじゅう照準しょうじゅんようにRevi C 21C照準しょうじゅん装備そうびされていた。機銃きじゅうしゅせきには1ちょうの7.92mm MG 15 機関きかんじゅうと75はつりのドラムマガジンを14装備そうびしていて、これはA-0がたよりも150はつおお搭載とうさいりょうとなっている。A-1がたはA-0がたよりおおきい3.3mのプロペラを装備そうびしていた。後部こうぶ機銃きじゅうしゅけん通信つうしん搭乗とうじょうしていない状態じょうたいではJu 87は500kgのばくだん搭載とうさいして飛行ひこうできたが、Jumo 210 Dエンジンでさえ、250kgばくだん以上いじょう重量じゅうりょうぶつ搭載とうさいするには出力しゅつりょく不足ふそくであった。Ju 87Aがたは(スペインない戦中せんちゅう機銃きじゅうなしで運用うんようされたが)すべて搭載とうさいばくだんを250kgばくだんまでに制限せいげんされていた。
Ju 87 A-2
エンジンには2段階だんかいきゅうきのユンカース ユモ 210 Daが搭載とうさいされた。A-1がたとの最大さいだいちがいはH-PA-III可変かへんピッチプロペラの装備そうびがあげられる。1938ねんにはユンカースのデッサウ工場こうじょうで192、ブレーメンで70合計ごうけい262生産せいさんされた。
Ju 87 B
試作しさく
Ju 87 V6
1937ねん6月14にちはつ飛行ひこう、W.Nr 0870027(A-0がたからB-0がた改造かいぞう)。
Ju 87 V7
Ju 87Bの試作しさく。1,000PSのJumo 211Aエンジン搭載とうさい。1937ねん8がつ23にちはつ飛行ひこう、W.Nr 0870028(A-0がたからB-0がた改造かいぞう)。
Ju 87 V8
1937ねん11月11にちはつ飛行ひこう、W.Nr 4926。
Ju 87 V9
1937ねん2がつ16にちはつ飛行ひこう、W.Nr 4927。登録とうろく記号きごうはD-IELZ、1939ねん10月16にちにWL-IELZに変更へんこう
Ju 87 V15
1942ねん大破たいは。W.Nr 0870321。登録とうろく記号きごうはD-IGDK。
Ju 87 V16
W.Nr 0870279。登録とうろく記号きごうはGT+AX。
Ju 87 V17
生産せいさんされた記録きろくなし。
Ju 87 V18
同上どうじょう
Ju 87 B-0
Aがた機体きたい流用りゅうようして6生産せいさんされ、試験しけん飛行ひこうは1937ねんなつからはじめられた。そのなかから少数しょうすうすくなくとも3)が海軍かいぐんけのCかたまたはEがた改造かいぞうされた。
Ju 87 B-1
Jumo 211 D 1,200PS(883kW、1,184hp)エンジン搭載とうさいしており、さい設計せっけいされた胴体どうたい着陸ちゃくりくあし装備そうびしていた。この新型しんがた機体きたいスペインでテストがおこなわれ、十分じゅうぶん性能せいのう証明しょうめいいちがつに60生産せいさんされることになった。その結果けっかだい世界せかい大戦たいせん開戦かいせんにはドイツ空軍くうぐんは336のJu 87 B-1を所有しょゆうした。B-1がたには「ジェリコのラッパ」とばれる威嚇いかくよう吹鳴すいめい(サイレン)がけられていた。これは直径ちょっけい0.7mのプロペラの風切かざきおん利用りようしたもので、てき士気しき低下ていかさせ、かつ急降下きゅうこうか爆撃ばくげき威圧いあつてき影響えいきょう増強ぞうきょうするために使用しようされた。しかし、このプロペラには空気くうき抵抗ていこうやく20-25km/hほど速度そくどちてしまう問題もんだいがあった。そのため、のちにはばくだん安定あんていばん風切かざきおん発生はっせいさせるホイッスルがけられた。1937ねん7がつまでに89のB-1がたがユンカースしゃのデッサウの工場こうじょうで、ほかの40がブレーメンにあるWeserflugの工場こうじょう製造せいぞうされた。1938ねん4がつ以降いこうはWeserflugの工場こうじょう生産せいさんおこなわれた。しかし、352のJu 87 B-1が1940ねん3がつまでユンカースの工場こうじょう生産せいさんされている。1938ねん8がつから1940ねん3がつまでのあいだ、Weserflugの工場こうじょうでは740のJu 87が生産せいさんされている。
Ju 87 B-2
いくつかのバリエーションがあり、着陸ちゃくりく装置そうちにスキーを装備そうびしたタイプ(B-1がたでも同様どうよう改造かいぞうがなされている)やJu 87 B-2 tropとばれる熱帯ねったいよう装備そうびやエンジンにサンドフィルターを装備そうびした機体きたいがあった。イタリア空軍くうぐんおおくのB-2がた受領じゅりょうしており、Picchiatelloとづけて運用うんようしていた。一部いちぶ機体きたいはんとべ爆撃ばくげきおこない、地中海ちちゅうかいたいかん攻撃こうげき活躍かつやくした[4]には、ハンガリーブルガリアおよびルーマニアふく枢軸すうじくこく運用うんようされていた。B-2がたはカウリング・フラップをじるための油圧ゆあつ装置そうちっており、この装置そうち改良かいりょうがたにもがれた。1937ねん以降いこうはJumo 211DエンジンがJu 87Bの量産りょうさんがた搭載とうさいされるようになった。
生産せいさんされた700のJu 87 B-1と230のB-2のうち550がユンカースの工場こうじょう製造せいぞうされ、のこりの機体きたいはWeserflugのブレーメン工場こうじょう製造せいぞうされた。
Ju 87 R-1
Ju 87 Bの長距離ちょうきょりがたとしてJu 87 Rが設計せっけいされた。これらはおもたいかん攻撃こうげき使用しようされ、通常つうじょう燃料ねんりょうくわえ、主翼しゅよくないに240Lの追加ついか燃料ねんりょうタンクを装備そうびし、300Lのぞうそうを2搭載とうさいしていた。このため搭載とうさい燃料ねんりょうは1,080Lにもなった。しかし燃料ねんりょう満載まんさいした状態じょうたいでは250kgばくだんをひとつしか装備そうびできなかった。
Ju 87 R-2
Ju 87 B-1とくらべて重量じゅうりょうやく700kgほど増加ぞうかしており、そのため最高さいこう速度そくどは32km/hおそく、実用じつよう上昇じょうしょう限度げんど低下ていかしている。そのわりJu 87R-2は航続こうぞく距離きょりが360km増加ぞうかしている。ブレーメンのWeserflugの工場こうじょうでJu 87R-2が471生産せいさんされている。
Ju 87 R-3
グライダー牽引けんいんできるようにした機体きたいで、牽引けんいんロープを使用しようして乗組のりくみいんとグライダーの乗員じょういんとが通信つうしんできるように、特殊とくしゅ無線むせん装備そうびされていた。
Ju 87 R-4
R-2がたとはことなるJumo 211Jエンジンを搭載とうさいしていた。ブレーメンのWeserflugの工場こうじょうでJu 87R-2が471、ブレーメンのWeserflugの工場こうじょうでJu 87R-4が145生産せいさんされており、Ju 87R-4は145ちゅう143納入のうにゅうされのこりの2試験しけん飛行ひこう破損はそんしている。
Ju 87 C
試作しさく8がつ18にちにRLMはJu 87 Tr(C)を導入どうにゅうすることを決定けっていした。Ju 87 Cは、ドイツ海軍かいぐんのための急降下きゅうこうか爆撃ばくげきかね雷撃らいげきとして使用しようされる計画けいかくであった。Ju 87Cは、試作しさく生産せいさんめいじられ、1938ねん1がつにはテスト可能かのう状態じょうたいにあった。テスト期間きかんは2ヶ月かげつあたえられ、1938ねん2がつから4がつまでおこなわれた。V10は固定こていつばさ試作しさくで、V11は主翼しゅよくりたたみ機構きこうそなえた試作しさくであった。これらの試作しさくJumo 211 Aエンジンを搭載とうさいしたJu 87B-0が原型げんけいになっている。V10の製作せいさくおくれ1938ねん3がつまでずれんだ。3月17にちはつ飛行ひこうおこない、Ju 87 C-1と呼称こしょうされた。5月12にちにV11もはつ飛行ひこうおこなった。
1939ねん12月15にちまでに915かい陸上りくじょうでのちゃくかん試験しけんおこなわれた。その結果けっかちゃくかん装置そうち(アレスティングギア)の強度きょうど不足ふそくしており、交換こうかんする必要ひつようがあること、静止せいしまでにようする着陸ちゃくりく距離きょり平均へいきん20-35mであることがわかった。1938ねん10月8にち、Ju 87 V11はJu 87 C-0と呼称こしょうされるようになり、これはJu 87 Cがた標準ひょうじゅんてき装備そうび主翼しゅよくりたたみ機構きこうそなえていた。
艦載かんさいがたスツーカ(carrier Stuka)は、1940ねん4がつ-7がつあいだにWeserflugのブレーメンの工場こうじょうでの生産せいさん予定よていされ、1940ねん7がつから1941ねん8がつあいだ、120のJu 87 C-1が生産せいさんされる予定よていだった。Cがた装備そうびひんなかで、のJu 87とくらべて特殊とくしゅなものとしては、信号しんごうだんそなえた2人ふたりりのゴムボートがあげられる。緊急きんきゅう燃料ねんりょう投棄とうきシステムと左右さゆうつばさに750Lの容量ようりょう展開てんかいしきぶくろ、さらに胴体どうたいに500Lのぶくろを2つ装備そうびしており、これによってJu 87 Cは3日間にちかん海上かいじょうことができるようになっていた。
1939ねん10月6にちにすでに発注はっちゅうされていた120のJu 87 Tr(C)のオーダーはキャンセルされたものの、機体きたい発注はっちゅうされてもカタパルトを使用しようしたテストはつづけられた。Ju 87 Cは離陸りりく重量じゅうりょう5,300kgのとき離陸りりくするには133km/hの速度そくど必要ひつようとされ、Ju 87 Cは胴体どうたいしたにSC 500kgばくだんつばさしたに4のSC50kgばくだん装備そうび可能かのうであった。C-1は主翼しゅよくに7.92mm MG 17 機関きかんじゅうを2装備そうびし、防御ぼうぎょようじゅうしゅ操作そうさするために7.92mm MG 15 機関きかんじゅう装備そうびしていた。
1940ねん5月18にちに、C-1の生産せいさんはR-1にえられた。Ju 87Cは戦争せんそうですべてうしなわれており、現存げんそん存在そんざいしない。
Ju 87 V10
登録とうろく記号きごうはD-IHFH(のちにTK+HD)W.Nr 4928. 1938ねん3がつ17にちはつ飛行ひこう
Ju 87 V11
登録とうろく記号きごうはTV+OV。W.Nr 4929. 1938ねん5がつ12にちはつ飛行ひこう
Ju 87 D
試作しさくバトル・オブ・ブリテンてき戦闘せんとう攻撃こうげきからJu 87はおおきな被害ひがいした。それにもかかわらず、ドイツ空軍くうぐんはスツーカ以外いがい有効ゆうこう航空機こうくうきっておらず、スツーカの開発かいはつ継続けいぞくする以外いがい選択肢せんたくしなかった。その結果けっか開発かいはつされたのがDシリーズである。1941ねん6がつに、RLMは5のプロトタイプ、Ju 87 V21-25を発注はっちゅうした。Ju 87 D-1はダイムラー・ベンツDB 603エンジン搭載とうさい計画けいかくされていたが、このエンジンはユンカースJumo 211よりも出力しゅつりょくおと貧弱ひんじゃくなエンジンで、装備そうびがテストちゅう墜落ついらくすることもあった。Ju 87 Dシリーズはオイルクーラーラジエーター配置はいち見直みなおし、より視界しかいるためにコックピットまわりを改良かいりょうし、洗練せんれんされたかたちになっている。さらに防弾ぼうだん装備そうび増強ぞうきょうし、後方こうほう防御ぼうぎょ機銃きじゅうとして7.92mm MG 81Z 連装れんそう機関きかんじゅう装備そうびした。エンジン出力しゅつりょく増強ぞうきょうされ、1,420PS(1,044kW, 1,401hp)のJumo 211J-1やJumo 211Pが搭載とうさいされるようになった。1943ねん、Ju 87 Dの燃料ねんりょう搭載とうさいりょうは1,370Lに増加ぞうかされた。これにより2あいだ15ぶん滞空たいくう可能かのうとなった。300Lのぞうそうを2つ追加ついか搭載とうさいすることで滞空たいくう時間じかんは4あいだにもたっした。
Ju 87 V 21
登録とうろく記号きごうはD-INRF。W.Nr 0870536。B-1がたからD-1がたへの改造かいぞうはつ飛行ひこう1941ねん3月1にち
Ju 87 V 22
登録とうろく記号きごうはSF+TY。W.Nr 0870540。B-1がたからD-1がたへの改造かいぞうはつ飛行ひこうは1941ねん3がつ1にち
Ju 87 V 23
登録とうろく記号きごうはPB+UB。W.Nr 0870542。B-1がたからD-1がたへの改造かいぞうはつ飛行ひこうは1941ねん3がつ1にち
Ju 87 V 24
登録とうろく記号きごうはBK+EE。W.Nr 0870544。B-1がたからD-1/D-4がたへの改造かいぞうはつ飛行ひこうは1941ねん3がつ1にち
Ju 87 V 25
登録とうろく記号きごうはBK+EF。W.Nr 0870530。B-1がたからD-4 tropがたへの改造かいぞうはつ飛行ひこうは1941ねん3がつ1にち
Ju 87 V 30
Ju 87 D-5がた試作しさく。W.Nr 2296。はつ飛行ひこうは1943ねん6がつ20日はつか
Ju 87 V 26-28,31,42-47
どのような機体きたいであったか詳細しょうさい不明ふめい
Ju 87 D-1
1941ねんに495発注はっちゅうされ、この機体きたいは1941ねん5がつから1942ねん3がつまで生産せいさんされた。1942ねんはるから1944ねん生産せいさん終了しゅうりょうまでに3,300のJu 87が生産せいさんされそのうちのほとんどがD-1がた、D-2がたそしてD-5がただった。Dがたおも東部とうぶ戦線せんせん中東ちゅうとう広範囲こうはんい使用しようされた。ばくだん搭載とうさい能力のうりょくはBがたの500kgから最大さいだいで1,800kgに増加ぞうかしている。航続こうぞく距離きょりみじかくなるためか、基本きほんてきには500-1,200kgのばくだん搭載とうさいして運用うんようされていた。
Ju 87 D-2
ふるくなったDがたのフレームを流用りゅうようして製作せいさくされた、グライダー牽引けんいんがたである。これはD-1の熱帯ねったいがたとして設計せっけいされていた。この機体きたい地上ちじょうからの対空たいくう砲火ほうかから乗員じょういんまもるためのおも装甲そうこうほどこされていた。しかし、この装甲そうこうにより性能せいのう低下ていかし、Oberkommando der Luftwaffe(空軍くうぐん最高さいこう司令しれい)からは「D-2がた不要ふよう」とまでいわれた。
Ju 87 D-3
D-1がた対地たいち攻撃こうげきよう増加ぞうか装甲そうこう装備そうびしたかたである。エンジンはJumo 211 Jを搭載とうさいしており、Ju 87 DがたおおくはD-3NまたはD-3/tropsとばれ、よるあいだよう熱帯ねったいよう装備そうび追加ついかされていた。
Ju 87 D-4
PVC 1006 Bラックと装備そうびし750-905kgの魚雷ぎょらい搭載とうさいした雷撃らいげきがた試作しさくとして設計せっけいされた。D-4がたはD-3がた改装かいそうして製作せいさくされ、空母くうぼグラーフ・ツェッペリン」で運用うんようされる予定よていだった。
D-4がた初期しょきのDがた相違そういてんとして消炎しょうえん排気はいきかんと2の20mm MG 151/20 機関きかんほうがあげられる。
Ju 87 D-5
D-3がた設計せっけいもとづいて製作せいさくされた。特徴とくちょうとしてほかのJu 87より主翼しゅよくが0.6m延長えんちょうされている。エンジンは1943ねん8がつ以降いこうはJumo 211 J-1からインタークーラーきのきゅう(スーパーチャージャー)をそなえたJumo 211 Pにアップグレードされている。このエンジンは機体きたい上昇じょうしょう速度そくどを15m/s増加ぞうかさせた。 しかしJumo 213搭載とうさいとそれにより増加ぞうかした上昇じょうしょう速度そくどによりつばさ延長えんちょう無意味むいみなものになってしまった。コックピットゆかのガラスまど補強ほきょうされ、3つあったエルロンは4つに変更へんこうされた。急降下きゅうこうか速度そくどはよりはやくなり、高度こうど2,000mで650km/hにたっした。航続こうぞく距離きょりでは地表ちひょう付近ふきんで715km、高度こうど5,000mで835kmを記録きろくしている。燃料ねんりょう搭載とうさいりょう胴体どうたいのメインタンクで480L、左右さゆう主翼しゅよくないのタンクに150Lずつ搭載とうさいでき、300Lの容量ようりょうぞうそうを2つけることができた。D-5も主翼しゅよくに20mm MG 151/20 機関きかんほうが2もんけられ、装弾そうだんすうわせて1000はつであった。防御ぼうぎょ機銃きじゅうとして7.92mm MG 81Z 連装れんそう機関きかんじゅう搭載とうさいされ、無線むせん通信つうしんけん機銃きじゅうしゅ操作そうさし1,400-2,000はつ弾薬だんやく搭載とうさいしていた。
Ju 87 D-7
地上ちじょう攻撃こうげきがたのD-5がたをベースにつくられ、増加ぞうか装甲そうこう主翼しゅよくの20mm MG 151/20 機関きかんほう延長えんちょうした主翼しゅよく標準ひょうじゅん装備そうびしていた。
Ju 87 D-8
D-8がたはD-7がたていたがD-3がたをベースとして製作せいさくされていた。D-7がたとD-8がた夜間やかん専用せんようおな機体きたいとよく勘違かんちがいされるが、これらはベースとなった機体きたいことなっており、明確めいかく設計せっけいことなった機体きたいであって、夜間やかん専用せんようだけでなく用途ようと機体きたいである。しかし双方そうほうともに消炎しょうえんダンパーがけられ夜間やかんでの作戦さくせん使用しようされた。
1943ねん1がつに、Ju 87 DのなんかはJu 87 Gの製作せいさくのためのテストベッドになった。1943ねん初頭しょとうTarnewitzのドイツ空軍くうぐんテスト・センターは、静止せいし状態じょうたいでのこの機関きかんほうのテストをおこなった。G. Wolfgang Vorwald大佐たいさはこの実験じっけん成功せいこうではないとしるしており、また、この機関きかんほうをMe 410に搭載とうさいすることを提案ていあんしている。しかしながらテストは続行ぞっこうされた。1943ねん1がつ31にちには、Ju 87 D-1 W.Nr 255が、ブリヤンスクの訓練くんれんしょちかくでハンス=カール・シュテップ大尉たいいによってテストされた。この結果けっか空気くうき抵抗ていこうおおきくなっており、速度そくど低下ていかおおきく、飛行ひこう速度そくどが259km/hも低下ていかしていたとしるしている。さらにシュテップは、既存きそんのDがたくらべて機敏きびんさが低下ていかしていることを指摘してきしている。1943ねんに37mmBK 37機関きかんほうそなえたD-1およびD-3が戦闘せんとう投入とうにゅうされている。

プランはあったが機体きたい製作せいさくされることはなかった。

プランはあったが機体きたい製作せいさくされることはなかった。

Dがたをベースとしたふくしき練習れんしゅう

 
3.7cm対戦たいせんしゃ機関きかんほう2もん搭載とうさいしたJu 87 G-2がた

すでに旧式きゅうしきしていたJu 87はGがた対戦たいせんしゃ攻撃こうげきとしてあたらしい役割やくわりになうこととなった。これはJu 87の実用じつようされたなかでは最終さいしゅうがたであり、東部とうぶ戦線せんせん使用しようされた。1943ねん以降いこうドイツ軍備ぐんび弱体じゃくたいくわえ、すさまじいかずソ連それん戦車せんしゃ出現しゅつげんしていた状況じょうきょうで、ユンカースしゃはこの脅威きょうい対抗たいこうしうる戦力せんりょくとして、この分野ぶんや先行せんこうしていたソ連それんシュピタルニー Sh-37英語えいごばんのような対戦たいせんしゃ航空こうくう機関きかんほう見習みならって既存きそん設計せっけいをうまく適用てきようさせた。 Hs 129B有能ゆうのう対地たいち攻撃こうげきではあったが、Hs 129Bのおおきな燃料ねんりょうタンクはてき対空たいくう砲火ほうかたいして脆弱ぜいじゃくであり、ドイツ航空こうくうしょうは「できるだけ早期そうきにHs 129Bのわりとなる兵器へいき必要ひつようである」とべた。ソ連それん戦車せんしゃおも標的ひょうてきとするJu 87 Dのさらなる発展はってんがたとして、Ju 87 Gの開発かいはつ1942ねん11月にはじまった。11月3にちに、エアハルト・ミルヒはJu 87の改良かいりょうがた採用さいようすることに異論いろんとなえ、完全かんぜん設計せっけいなお必要ひつようがあると問題もんだい提起ていきした。しかし採用さいようされた設計せっけい既存きそん設計せっけい流用りゅうようつつエンジンJumo 211 Jに交換こうかんし、30mm機関きかんほうを2もん搭載とうさいしたJu 87だった。また、この設計せっけいでは1,000kgばくだん自由じゆう落下らっかしき運用うんようする能力のうりょくたせていた。さらに、低空ていくうでの攻撃こうげきさい地上ちじょう対空たいくう砲火ほうかから乗員じょういん保護ほごするための防御ぼうぎょ装甲そうこうイリューシンIl-2シュトゥルモヴィーク防御ぼうぎょ装甲そうこう参考さんこうにして装備そうびさせた。スツーカのエースであるハンス・ウルリッヒ・ルーデルは37mmFlak 18機関きかんほうを2もん搭載とうさいすることを希望きぼうした[よう出典しゅってん]。このあんは、翼下よくか機関きかんほうガンポッド方式ほうしき搭載とうさいし、ガンポッドない砲弾ほうだんおさめるBordkanone BK 3.7として採用さいようされた。この装備そうびは20mm MG 151/20 機関きかんほう対抗たいこうする装甲そうこうそなえたソ連それん戦車せんしゃでも十分じゅうぶん破壊はかい可能かのう能力のうりょくっていた。

このガンポッドはJu 87 D-1, W.Nr 2552に搭載とうさいされ「グスタフのタンクキラー」とばれた。

1943ねん1がつ31にちはつ飛行ひこうおこない、テストパイロットはハンス=カール・シュテップ大尉たいいつとめた。おな対戦たいせんしゃ攻撃こうげきとして運用うんようされていたBK 7.5 75mmほう搭載とうさいしたJu 88 P-1おおくの問題もんだいかかえていたこともJu 87Gの量産りょうさん拍車はくしゃをかけ、1943ねん4がつ最初さいしょ量産りょうさんがたJu 87 G-1が前線ぜんせんおくとどけられた。2もんの37mm機関きかんほう主翼しゅよくのガンポッドに搭載とうさいされ、1もんで12はつ合計ごうけい24はつタングステンとおるきのえだん搭載とうさいしていた。この最初さいしょのG-1すうはオットー・ベイス中佐ちゅうさひきいる対戦たいせんしゃ攻撃こうげき実験じっけんたい配属はいぞくされ、ブリヤレスク方面ほうめん戦闘せんとう初陣ういじんかざった。この初陣ういじんにはルーデル大尉たいいくわわった。

ほんはこの特徴とくちょうてき機関きかんほうから「大砲たいほうとり」(カノーネンフォーゲル Kanonenvogel)の愛称あいしょうばれ、ルーデル筆頭ひっとうとするドイツ空軍くうぐんスツーカ・エースのによっておおきな成果せいかげたが、反面はんめん無理むり搭載とうさいした37mmほうによる重量じゅうりょう過多かた安定あんていせい欠如けつじょから、ルーデルをして「操縦そうじゅうおそろしくむずかしい機体きたい」とわしめた。

Ju 87 G-1
旧式きゅうしき主翼しゅよくちいさいDがた機体きたい(D-5がた以降いこうつばさ延長えんちょうされている)から改装かいそうされ、ダイブブレーキはずされていた。
Ju 87 G-2
G-1がたによくており、延長えんちょうされたつばさつD-5がた機体きたいから208、D-3がたからすくなくとも22生産せいさんされた。
クルスクのたたか投入とうにゅうされたGがたとして生産せいさんされた機体きたいはごくわずかだった。戦闘せんとう初日しょにちにGがたとして生産せいさんされた機体きたいっていたのはルーデルだけだった。

戦闘せんとうまえにかなりのかずのDがたに37mm機関きかんほうけられGがたとして運用うんようされた。1943ねん6がつに、RLMは20のJu 87 Gがた発注はっちゅうした。 おそ飛行ひこう速度そくどおおきな主翼しゅよくによるひく失速しっそく速度そくどは、上陸じょうりくよう舟艇しゅうていや、地上ちじょう戦車せんしゃトラックのような移動いどう速度そくどおそ目標もくひょう攻撃こうげきするのに有効ゆうこうであった。

機体きたいデータ

編集へんしゅう

A-1(武装ぶそうのぞく)

  • 全幅ぜんぷく:13.82m
  • 全長ぜんちょう:10.80m
  • 全高ぜんこう:3.84m
  • つばさ面積めんせき:31.90m2
  • ぜん装備そうび重量じゅうりょう:3,350kg
  • りょう:2,273kg
  • 最大さいだい速度そくど:310km/h
  • 実用じつよう上昇じょうしょう限度げんど:7,000m
  • 航続こうぞく距離きょり:1,000km

G-2(武装ぶそうのぞく)

  • 全幅ぜんぷく:15m
  • 全長ぜんちょう:11.5m
  • 全高ぜんこう:3.84m
  • つばさ面積めんせき:33.6m2
  • ぜん装備そうび重量じゅうりょう:6,585kg
  • 最大さいだい速度そくど:375km/h
  • 実用じつよう上昇じょうしょう限度げんど:7,500m
  • 上昇じょうしょう時間じかん:5,000mまで19.8ふん
  • 航続こうぞく距離きょり:1,530km

現存げんそんする機体きたい

編集へんしゅう
  • 2完全かんぜん状態じょうたい保存ほぞんされているのみで、各地かくち残骸ざんがいのこされている[5]
  • 機体きたいによってはかた番号ばんごう諸説しょせつある場合ばあいがある。
  • 下記かきほかにも、海底かいていしずんでいることが確認かくにんされているものや、売買ばいばいされているD-3などが確認かくにんされている。
型名かためい     番号ばんごう    機体きたい写真しゃしん     国名こくめい 所有しょゆうしゃ 公開こうかいじょうきょう 状態じょうたい 備考びこう
Ju 87B-1 WkNr.1301643   ドイツ バーデン=ヴュルテンベルクしゅう ジンスハイム自動車じどうしゃ技術ぎじゅつ博物館はくぶつかん[1] 公開こうかい 静態せいたい展示てんじ フランス・サントロペ近海きんかい90mに沈没ちんぼつしていた機体きたいで、1989ねん回収かいしゅうされた。[2]
Ju 87B-1 ドイツ バーデン=ヴュルテンベルクしゅう ピーター・ユニォア航空機こうくうき展示てんじじょう[3] 公開こうかい 静態せいたい展示てんじ 部品ぶひんなどが展示てんじされている。[4]
Ju 87B-2 WkNr.870406
9801
セルビア ベオグラード 航空こうくう博物館はくぶつかん[5] 公開こうかい 静態せいたい展示てんじ 一部いちぶ胴体どうたい展示てんじされている。
Ju 87R-2 WkNr.5856   ドイツ ベルリン ドイツ技術ぎじゅつ博物館はくぶつかん[6] 公開こうかい 静態せいたい展示てんじ ムルマンスクで撃墜げきついされた機体きたい[7]
Ju 87R-2 WkNr.5954   アメリカ イリノイしゅう シカゴ科学かがく産業さんぎょう博物館はくぶつかん[8] 公開こうかい 静態せいたい展示てんじ 1941ねんきたアフリカでイギリスぐん鹵獲ろかくされた機体きたい[9]
Ju 87R-4 WkNr.6234 写真しゃしん アメリカ ワシントンしゅう 飛行ひこう遺産いさん空中くうちゅうせん兵器へいき博物館はくぶつかん[10] 公開こうかい 修復しゅうふくちゅう Ju 87R-2/857509号機ごうきふくあわして飛行ひこう可能かのうにするための修復しゅうふくおこなわれている。[11]
Ju 87D ドイツ ラインラント=プファルツしゅう コブレンツ国防こくぼう技術ぎじゅつ研究所けんきゅうじょ[12] 公開こうかい 静態せいたい展示てんじ コックピット付近ふきん展示てんじされている。
Ju 87D WkNr.16970 マルタ ヴァレッタ 国立こくりつ戦争せんそう博物館はくぶつかん[13] 非公開ひこうかい 保管ほかんちゅう [14]
Ju 87D-3 WkNr.100375   ギリシャ アッティカ地域ちいき ギリシャ空軍くうぐん博物館はくぶつかん[15] 公開こうかい 静態せいたい展示てんじ 1943ねん10月9にちにマリツァが空襲くうしゅうされたさい撃墜げきついされた9のうちの1
Ju 87D-3 WkNr.110757 ポーランド ポトカルパチェけん クロスノ博物館はくぶつかん[16] 非公開ひこうかい 保管ほかんちゅう 2015ねんにクロシエンコワイズンで発見はっけんされた機体きたい。ルーマニアぐん機体きたいで、操縦そうじゅうせきからはロアン・クロップ軍曹ぐんそう(Loan Crop)の遺体いたい発見はっけんされた。
Ju 87D-5
Ju 87G-2
WkNr.2883
WkNr.494083
8474M (RAF)
  イギリス ロンドン イギリス空軍くうぐん博物館はくぶつかんロンドンかん[17] 公開こうかい 静態せいたい展示てんじ D-5から改修かいしゅうされたさいに、再度さいど機体きたい番号ばんごうてられた。1945ねん5がつにシュレースヴィヒ=ホルシュタインしゅうでイギリスぐんによって鹵獲ろかく[18]
Ju 87   ギリシャ クレタとう地域ちいき アスキフォウ戦争せんそう博物館はくぶつかん[19] 公開こうかい 静態せいたい展示てんじ
レプリカ   ポーランド ポモージェけん だい世界せかい大戦たいせん博物館はくぶつかん[20] 公開こうかい 静態せいたい展示てんじ

運用うんようこく

編集へんしゅう
 
イギリス空軍くうぐん博物館はくぶつかん展示てんじしてあるシュトゥーカ
陸軍りくぐん1939ねん昭和しょうわ14ねん)に研究けんきゅう目的もくてきでJu 87Aを2輸入ゆにゅう[6][7][8]国産こくさん検討けんとうされたが、速度そくどなどの性能せいのう不足ふそくしていると判断はんだんされ試用しようにとどまり[7]、2のうち1終戦しゅうせんまで所沢ところざわ航空こうくう記念きねんかん現在げんざい所沢ところざわ航空こうくう発祥はっしょう記念きねんかんとはべつ)に保管ほかんされていた[6]。1940ねん昭和しょうわ15ねん)にはあやめいけゆう園地えんちおこなわれた「航空こうくう日本にっぽんだい展観てんかん」(主催しゅさいだい日本にっぽん飛行ひこう協会きょうかい朝日新聞社あさひしんぶんしゃ)に出品しゅっぴんされており、雲形くもがた迷彩めいさいつばさまるえがいた姿すがた記録きろくされている[9]。また、連合れんごうぐん日本にっぽん陸軍りくぐん運用うんようするJu 87にたいして「Irena」というコードネームをあたえていた[10]

登場とうじょう作品さくひん

編集へんしゅう
急降下きゅうこうか爆撃ばくげきたい
ナチスドイツのプロパガンダ映画えいが戦時せんじちゅう作品さくひん実機じっきおお登場とうじょうし、主役しゅやくきゅうあつかいで描写びょうしゃされている。テーマきょくとして「スツーカのうた[11]作曲さっきょくされた。
空軍くうぐんだい戦略せんりゃく
この映画えいがにはスピットファイアBf109などの実機じっき登場とうじょうするが、Ju 87は実機じっきではない。
戦火せんかのナージャ
どくせん舞台ぶたいとしており、ほんによるばくげきのシーンがおおい。ロシア映画えいがであるが、ドイツじん俳優はいゆう起用きようして搭乗とうじょういんについても詳細しょうさいえがいている。
ダンケルク
ドイツ空軍くうぐんとして登場とうじょうナチス・ドイツのフランス侵攻しんこう結果けっかダンケルク包囲ほういされた40まんにんえいふつ連合れんごうぐん将兵しょうへいグレートブリテンとう脱出だっしゅつさせる「ダイナモ作戦さくせん」を阻止そしすべく、将兵しょうへいがひしめく桟橋さんばし軍艦ぐんかん急降下きゅうこうか爆撃ばくげきする。
ソニックウイングス3
プレイヤーとして登場とうじょう。コウフル&ホワイトきょう搭乗とうじょう移動いどう速度そくどぜん機体きたいちゅうもっとおそ部類ぶるいだが、ショットの攻撃こうげきりょくはメイン・サブショットども直進ちょくしん軌道きどう威力いりょくたかめ、さらきゅう降下こうか爆撃ばくげきらしく特殊とくしゅ武器ぶきの『1トンばくだん』の威力いりょくがすさまじい。
R.U.S.E.
ドイツ戦闘せんとう爆撃ばくげきとして登場とうじょう
War Thunder
ドイツ空軍くうぐんのランク1~ランク2ばくげき(Gがた攻撃こうげき)として登場とうじょうする。
World of Warplanes
ドイツTierVにD-5とG-2が登場とうじょうする。
艦隊かんたいこれくしょん -かんこれ-
艦上かんじょう爆撃ばくげきがたの「Ju87Cあらため」とたいせん哨戒しょうかいがたの「Ju87Cあらため(KMX搭載とうさい)」が登場とうじょう技術ぎじゅつ提供ていきょうにより輸入ゆにゅうされた艦上かんじょう爆撃ばくげきとして登場とうじょうするため、日本にっぽん海軍かいぐんのカラーリングとマーキングがほどこされている。
コール オブ デューティシリーズ
CoD
ドイツぐん急降下きゅうこうか爆撃ばくげきとして登場とうじょうする。
CoD:UO
ドイツぐん急降下きゅうこうか爆撃ばくげきとして登場とうじょうする。
CoD:FH
ドイツぐん急降下きゅうこうか爆撃ばくげきとして登場とうじょうする。
CoD2
ドイツぐん急降下きゅうこうか爆撃ばくげきとして登場とうじょうする。
CoD2:BRO
CoD3
ドイツぐん急降下きゅうこうか爆撃ばくげきとして登場とうじょうする。
鋼鉄こうてつにじ パンツァーメルヒェンRPG』および『ネットゲーム95 鋼鉄こうてつにじ 〜Die Eisenglorie〜』
グリューネラントぐん急降下きゅうこうか爆撃ばくげきとして、Bがた登場とうじょう
バトルフィールド1942
ドイツぐん攻撃こうげきとして登場とうじょうする。
バトルフィールド5
 枢軸すうじくぐん攻撃こうげきとして登場とうじょうする。急降下きゅうこうかするとサイレンがるがカスタムではずすこともできる。1tばくだんだい口径こうけい機関きかんほうなどの運用うんよう可能かのう

米国べいこくのアバロンヒルしゃのシミュレーションボードウォーゲーム「AIRFORCE」に「Ju-87B」と「Ju-87D」が採用さいようされていてあそぶことができる。 参考さんこうとしてすでにアバロンヒルしゃ倒産とうさんして生産せいさんされておらずしかも40ねんほどまえのゲームなので入手にゅうしゅ困難こんなんおもにシミュレーションゲーム愛好あいこうなどが保有ほゆうしているのが現状げんじょう

アニメ・漫画まんが

編集へんしゅう
空軍くうぐんりょく勝利しょうり
げきちゅうノルウェーのたたかおよびバトル・オブ・ブリテンにて登場とうじょう
ココロ図書館としょかん
アニメばん戦争せんそうシーンに、放棄ほうきされたVIごう戦車せんしゃうえう。
終末しゅうまつのイゼッタ
作中さくちゅう名称めいしょうかされない(エイルシュタットへいが「スツーカ」とぶシーンはある)が、B2がた敵国てきこくゲルマニア帝国ていこく主力しゅりょくばくげきとして登場とうじょう。エイルシュタット公国こうこくぐん急降下きゅうこうか爆撃ばくげきおこなう。
よるのスツーカ』
松本まつもとれい戦場せんじょうまんがシリーズ』のいちへん制空権せいくうけん喪失そうしつ低速ていそくから昼間ひるまではすで作戦さくせん行動こうどう出来できず、戦争せんそう末期まっき夜間やかん爆撃ばくげきおこなうスツーカ部隊ぶたいえがいている。

ミュージックビデオ

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論理ろんり空軍くうぐん(P-MODEL)』
アルバム『音楽おんがく産業さんぎょう廃棄はいきぶつ〜P-MODEL OR DIE』に収録しゅうろく。Ju-87 G-2をもと改造かいぞうされたばくげき登場とうじょうする。けられたモニターにP-MODELのメンバーのかおうつされている。おもへいそう機関きかんほうとミサイル。

ライトノベル

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『リリアとトレイズII そしてにん旅行りょこうった<した>』
ロクシェぐん攻撃こうげきとしてGがた登場とうじょう見開みひらき      カラーイラストにもえがかれている。
 『サイレントウィッチーズ スオムスいらん中隊ちゅうたいReBOOT!』
2·3かんにて、ルーデルとアーデルハイドの使用しようするストライカーユニットとして登場とうじょう作中さくちゅう記述きじゅつから、Bがたであることと、緑色みどりいろ塗装とそうでカールスラント国内こくない仕様しようのままであることがかる。
上記じょうき作品さくひんはヤマグチノボルによる作品さくひんのリメイクにたるが、同氏どうしもと作品さくひんでも登場とうじょうする。

脚注きゃくちゅう出典しゅってん

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  1. ^ #ばくげきおう列伝れつでん206ぺーじ
  2. ^ #ばくげきおう列伝れつでん216ぺーじ
  3. ^ #ばくげきおう列伝れつでん212ぺーじ
  4. ^ #ばくげきおう列伝れつでん97ぺーじ
  5. ^ だい2大戦たいせんのドイツせい爆撃ばくげき、クロアチアおき発見はっけん AFP(2014ねん10がつ2にち)2017ねん2がつ12にち閲覧えつらん
  6. ^ a b 野沢のざわただし日本航空にほんこうくうそうしゅう 輸入ゆにゅうへん出版しゅっぱん協同きょうどうしゃ、1972ねん、165ぺーじ全国ぜんこく書誌しょし番号ばんごう:69021786
  7. ^ a b 秋本あきもとみのる日本にっぽん陸軍りくぐん試作しさく大鑑たいかんたけなわとうしゃ、2008ねん、162,163ぺーじISBN 978-4-87357-233-8 
  8. ^ 戦時せんじちゅうどくせい急降下きゅうこうか爆撃ばくげき 八日市ようかいち飛行場ひこうじょう配備はいびか 写真しゃしん確認かくにん 産経新聞さんけいしんぶん記事きじ 2013ねん8がつ15にち配信はいしん・2013ねん11がつ20日はつか閲覧えつらん
  9. ^ 陸軍りくぐん航空こうくう技術ぎじゅつ研究所けんきゅうじょ参考さんこうとして出品しゅっぴん 航空こうくう日本にっぽんだい展観てんかん朝日新聞社あさひしんぶんしゃ、1940ねん12月15にち、13,16-17ぺーじNDLJP:1685129/25 
  10. ^ 秋本あきもとみのる日本にっぽん陸軍りくぐん試作しさく大鑑たいかんたけなわとうしゃ、2008ねん、231ぺーじISBN 978-4-87357-233-8 
  11. ^ Stuka-Lied

参考さんこう文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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