(Translated by https://www.hiragana.jp/)
アントニオ・ネグリ - Wikipedia コンテンツにスキップ

アントニオ・ネグリ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
アントニオ・ネグリ
Antonio Negri
アントニオ・ネグリ
生誕せいたん (1933-08-01) 1933ねん8がつ1にち
イタリアの旗 イタリアパドヴァ
死没しぼつ (2023-12-15) 2023ねん12月15にち(90さいぼつ
フランスの旗 フランスパリ
時代じだい 20世紀せいき哲学てつがく
21世紀せいき哲学てつがく
地域ちいき 西洋せいよう哲学てつがく
学派がくは マルクス主義まるくすしゅぎ
オートノミズム
大陸たいりく哲学てつがく
研究けんきゅう分野ぶんや 政治せいじ哲学てつがく
階級かいきゅう闘争とうそう
史的してき唯物ゆいぶつろん
歴史れきし哲学てつがく
グローバリゼーション
おも概念がいねん グローバリゼーション哲学てつがく
マルチチュード
帝国ていこく哲学てつがく
テンプレートを表示ひょうじ

アントニオ・“トーニ”・ネグリ(Antonio “Toni” Negri、1933ねん8がつ1にち - 2023ねん12月15にち)は、イタリア哲学てつがくしゃ政治せいじ活動かつどうパドヴァ大学だいがくパリだい8大学だいがくなどで教鞭きょうべんっていた。

概要がいよう[編集へんしゅう]

おもスピノザマルクス研究けんきゅうられる。

マイケル・ハートとの共著きょうちょ帝国ていこく英語えいごばん[1]では、グローバリゼーション進展しんてんともな出現しゅつげんしているこれまでとはことなる主権しゅけん形態けいたいを〈帝国ていこく〉ととらえた。〈帝国ていこく〉の特徴とくちょうは、そのだつ中心ちゅうしんせいかつだつ領域りょういきせいにあり、アメリカ現代げんだい世界せかい特権とっけんてき地位ちいめていることを認識にんしきしつつも、世界せかいはアメリカによって支配しはいされているといった「アメリカ帝国ていこくろんとは一線いっせんかくする理解りかいしめしている。

わたしたちの基本きほんてき前提ぜんていはこうなる。すなわち、主権しゅけんあらたな形態けいたいをとるようになったということ、しかも、このあらたな形態けいたいは、単一たんいつ支配しはい論理ろんりのもとに統合とうごうされた一連いちれん国家こっかてき(ナショナル)かつちょう国家こっかてき(スプラナショナル)な組織そしきたいからなるということ、これである。このあたらしいグローバルな主権しゅけん形態けいたいこそ、わたしたちが〈帝国ていこく〉とぶものにほかならない。〔…〕帝国ていこく主義しゅぎとは対照たいしょうてきに、〈帝国ていこく〉は権力けんりょく領土りょうどじょう中心ちゅうしんてることもなければ、固定こていした境界きょうかい障壁しょうへきにも依拠いきょしない。〈帝国ていこく〉とは、だつ中心ちゅうしんてきだつ領土りょうどてき支配しはい装置そうちなのであり、これは、そのたえず拡大かくだいしつづけるひらかれた境界きょうかい内部ないぶに、グローバルな領域りょういき全体ぜんたい漸進ぜんしんてきんでいくのである。〔…〕じっさいいかなる国民こくみん国家こっかも、今日きょう帝国ていこく主義しゅぎてきプロジェクトの中心ちゅうしん形成けいせいすることはできないのであって、合衆国がっしゅうこくもまた中心ちゅうしんとはなりえないのだ帝国ていこく主義しゅぎ時代じだいわった。 — アントニオ・ネグリ、マイケル・ハート、『〈帝国ていこく〉』pp.4-6。[2]
マルチチュードとはなにか。グローバルともな登場とうじょうしつつある、国境こっきょうえたネットワークじょう権力けんりょく帝国ていこく>。このあたらしい権力けんりょく形成けいせい途上とじょうしょうじるわりなきグローバル戦争せんそう状態じょうたいへの抗議こうぎ運動うんどうは、それぞれの特異とくいせいたもちながらも、共通きょうつうのネットワークをつくりあげる。権力けんりょく同型どうけいの、ネットワークじょう形態けいたいたたか多種たしゅ多様たよう運動うんどうさきに、グローバル民主みんしゅ主義しゅぎ推進すいしんする主体しゅたい=マルチチュードの登場とうじょう予見よけんする。<帝国ていこくろんあらたなる展開てんかい、ついに日本語にほんごばん登場とうじょう — アントニオ・ネグリ、マイケル・ハート『マルチチュード』<帝国ていこく時代じだい戦争せんそう民主みんしゅ主義しゅぎ 表紙ひょうし見返みかえ[3]

経歴けいれき[編集へんしゅう]

ヴェネトしゅうパドヴァまれ。オートノミズム指導しどうしゃとしてられていたが、1979ねん4がつ7にちあか旅団りょだんによるアルド・モーロもと首相しゅしょう誘拐ゆうかい暗殺あんさつふくおおくのテロを主導しゅどうした嫌疑けんぎ逮捕たいほ起訴きそされた。その事件じけんへの直接ちょくせつ関与かんよ旅団りょだんとの関係かんけいかったことがあきらかになるも、1960年代ねんだいから逮捕たいほいたるまでの言論げんろん活動かつどう過激かげき政治せいじ運動うんどうへの影響えいきょうりょく責任せきにんわれるかたち有罪ゆうざいとされた。

裁判さいばんちゅう1983ねん、イタリア議会ぎかい選挙せんきょ獄中ごくちゅう立候補りっこうほ当選とうせん議員ぎいん逮捕たいほ特権とっけんにより釈放しゃくほうされるもすうげつ特権とっけん剥奪はくだつされ、直後ちょくごフランス逃亡とうぼう亡命ぼうめいした。フランスで活発かっぱつ研究けんきゅう執筆しっぴつ活動かつどうつづけていたが、1997ねん7がつ1にち刑期けいき消化しょうかするために自主じしゅてき帰国きこくし、収監しゅうかんされた。そのすうねんをかけて処遇しょぐう緩和かんわされ、6ねん2003ねん4がつ25にち釈放しゃくほうとなった。

2023ねん12月15にちよるパリ死去しきょ。90さいぼつ[4][5]

2008ねん訪日ほうにちさいして[編集へんしゅう]

日本にっぽん財団ざいだん法人ほうじん国際こくさい文化ぶんか会館かいかんまねきで2008ねん3がつ20日はつか来日らいにちし、2週間しゅうかん滞在たいざいちゅう東大とうだい京大きょうだい東京芸大とうきょうげいだいの3大学だいがくで、グローバル時代じだい労働ろうどう問題もんだいなどをテーマに講演こうえんする予定よていだった。しかし、3月17にち日本にっぽんこく外務省がいむしょうから7がつ洞爺湖とうやこサミットひかえて入国にゅうこく管理かんりきびしくなっており、ビザ申請しんせいするよう説明せつめいけた。入管にゅうかんほうでは、国内外こくないがい法律ほうりつ違反いはんし1ねん以上いじょう懲役ちょうえき禁錮きんこけいけた外国がいこくじん入国にゅうこくきんじている。政治せいじはんかんしてはこのかぎりでないとしているほか、事情じじょうにより法相ほうしょう特別とくべつ許可きょかけることができる。しかしこの場合ばあい現地げんち日本にっぽん大使館たいしかんにビザ申請しんせいし、過去かこ資料しりょうをもとに本人ほんにんからはなしくなどの審査しんさる。数日すうじつあいだ可能かのうせいはきわめてひくいため、今回こんかい来日らいにち日程にっていにあわせるのはむずかしくなり、断念だんねんせざるをない状況じょうきょうまれた。これにたいし、3月24にちネグリの講演こうえんかいパネリストとして参加さんかする予定よていだった東大とうだいきょう尚中しょうちゅう教授きょうじゅ神戸大こうべだい市田いちだ良彦よしひこ教授きょうじゅのほか、東京芸大とうきょうげいだい京大きょうだい阪大はんだいちゃ水女子大みずじょしだいなどけい8大学だいがく研究けんきゅうしゃ19にんが「来日らいにち直前ちょくぜんにビザ申請しんせいなどを要求ようきゅうしたのは事実じじつじょう入国にゅうこく拒否きょひであり、思想しそう良心りょうしん自由じゆう侵害しんがいだ」として抗議こうぎ声明せいめいした。

その、2013ねん4がつ来日らいにち。5にち首相しゅしょう官邸かんていぜん抗議こうぎ行動こうどう様子ようすおとずれた[6]

著作ちょさく邦訳ほうやく[編集へんしゅう]

たんちょ[編集へんしゅう]

編著へんちょ[編集へんしゅう]

  • 世界せかい日本にっぽんのことをかんがえている3・11文明ぶんめいう 17賢人けんじんのメッセージ』共同通信社きょうどうつうしんしゃ 2012ねん。  
  • 現代げんだい思想しそう 特集とくしゅう=ネグリ+ハート 帝国ていこく〉・マルチチュード・コモンウェルス』2013ねん7がつごう青土おうづちしゃ
  • 『ネグリ、日本にっぽんう』三浦みうら信孝のぶたかわけNHK出版しゅっぱん新書しんしょ、2014ねん3がつ来日らいにち討論とうろん

共著きょうちょ[編集へんしゅう]

西谷にしたにおさむ酒井さかい直樹なおき遠藤えんどういぬい市田いちだ良彦よしひこ酒井さかい隆史たかし宇野うの邦一くにかず尾崎おざき一郎いちろう・マイケル・ハート

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ マイケル・ハート、『〈帝国ていこく〉――グローバル世界せかい秩序ちつじょとマルチチュードの可能かのうせい』、以文しゃ、2003ねん
  2. ^ なお、下線かせんしめした箇所かしょ邦訳ほうやくしょにおいては傍点ぼうてんしめされている。
  3. ^ マイケル・ハート、『マルチチュード――〈帝国ていこく時代じだい戦争せんそう民主みんしゅ主義しゅぎうえした)』、日本にっぽん放送ほうそう出版しゅっぱん協会きょうかい[NHKブックス]、2005ねん
  4. ^ Toni Negri è morto, il leader di Autonomia Operaia è deceduto nella notte a Parigi. Il ministro Sangiuliano: “Fu cattivo maestro”” (イタリア). la Repubblica (2023ねん12月16にち). 2023ねん12月16にち閲覧えつらん
  5. ^ 政治せいじ哲学てつがくしゃアントニオ・ネグリ死去しきょ 欧州おうしゅう代表だいひょうする左派さは知識ちしきじん”. 朝日新聞あさひしんぶんデジタル (2023ねん12月16にち). 2023ねん12月17にち閲覧えつらん
  6. ^ 『ネグリ、日本にっぽんう』 NHK出版しゅっぱん 2014/03

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]

  • "Empire" はらちょ(英語えいご,PDF,部分ぶぶん表示ひょうじ)