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カルメルさん

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
カルメルさん
הר הכרמלجبل مار إلياس
カルメル山
カルメルさん
標高ひょうこう 525.4 m
所在地しょざいち イスラエルの旗 イスラエル ハイファ地区ちくハイファ
位置いち 北緯ほくい3244ふん00びょう 東経とうけい3503ふん00びょう / 北緯ほくい32.73333 東経とうけい35.05000 / 32.73333; 35.05000
カルメル山の位置(イスラエル北部内)
カルメル山
カルメルさん (イスラエル北部ほくぶ)
カルメル山の位置(イスラエル内)
カルメル山
カルメルさん (イスラエル)
プロジェクト やま
テンプレートを表示ひょうじ

カルメルさん(カルメルさん、ヘブライ: הר הכרמל‎, ラテン文字もじ転写てんしゃ: Har Ha-karmel[1]アラビア: جبل مار إلياس‎, ラテン文字もじ転写てんしゃ: Jabal mār ʾilyās)は、イスラエル北部ほくぶハイファ地区ちくハイファ所在しょざいするやまであり、南北なんぼく39kmにわたってひろがる丘陵きゅうりょうである。

古人こじんるいがく考古学こうこがくうえ人類じんるい進化しんかしめ遺跡いせき所在地しょざいちであり、ムスティエ文化ぶんかぞくするネアンデルタールじんるい洞窟どうくつ遺跡いせき発見はっけんされているほか、ちゅう石器せっき時代じだいナトゥーフ文化ぶんかぞくする遺跡いせきがある。また、しょ宗教しゅうきょう聖地せいちとされており、カトリック教会きょうかい修道しゅうどうかいであるカルメルかい発祥はっしょうである。カーメルさん表記ひょうきされることもある。

地理ちり

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イスラエルの北西ほくせいにあるやまで、地質ちしつがくまとにはおおくの種類しゅるい岩石がんせきがある。おも岩石がんせき石灰岩せっかいがんはいがんチョークであるが、海底かいてい火山かざん噴火ふんか痕跡こんせきられる[2]

やまにははん乾燥かんそう環境かんきょうかた樹林じゅりんがあり、アレッポマツセイチガシ英語えいごばんタルボガシ英語えいごばんなどのしゅおおい。がけうえにはニワシロユリやまには10種類しゅるい以上いじょうランえている。西側にしがわ地中海ちちゅうかいきしには岩石がんせき海岸かいがん砂浜すなはま海岸かいがんがあり、岩石がんせき海岸かいがんにはめずらしいクルカル英語えいごばんの礁石があり、砂浜すなはま海岸かいがんアカウミガメアオウミガメ営巣えいそうである。また、ムジハラファイアサラマンダー生息せいそくしているほか、ノロジカダマジカシロエリハゲワシエジプトハゲワシボネリークマタカさい導入どうにゅうおこなわれる[2]

ユネスコ生物せいぶつけん保護ほごにも指定していされている[2]

人類じんるい進化しんかしめ遺跡いせき

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旧石器時代きゅうせっきじだい人類じんるい遺跡いせき

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タブーン洞窟どうくつ英語えいごばん遺跡いせき発見はっけんされたネアンデルタール人類じんるい石斧せきふ/イギリスはロンドンだいえい博物館はくぶつかん所蔵しょぞう
エル=ワド洞窟どうくつ遺跡いせき埋葬まいそう人骨じんこつ

2度目どめだしアフリカ(人類じんるい揺籃ようらんであるアフリカ大陸たいりくからユーラシア大陸たいりくへの進出しんしゅつcf. アフリカ単一たんいつ起源きげんせつ)をたしたいくつかの亜種あしゅからなる化石かせき人類じんるいホモ・エレクトゥスホモ・ハイデルベルゲンシスホモ・サピエンスなど)にとっては、重要じゅうよう通過つうか地点ちてんひとつであったとかんがえられる。アフリカ大陸たいりくそと発見はっけんされたもっとふるいホモ・サピエンスである可能かのうせい主張しゅちょうされている化石かせき人類じんるい化石かせきむねうえいのしし顎骨がっこつかれて埋葬まいそうされた成人せいじん男性だんせい頭蓋骨ずがいこつ化石かせき)もカルメル山南さんなんふもとにあるスフール洞窟どうくつ英語えいごばん遺跡いせきやく10まんねんまえ)からもたらされている[3]。また、ぎゃくに、ヨーロッパ大陸たいりく発祥はっしょうであるネアンデルタール人類じんるいネアンデルタールじん系統けいとう人類じんるい、Neanderthal-type)の一種いっしゅられるタブーンじん (Tabun man) の化石かせき生活せいかつこんムスティエ文化ぶんかぞくする)も、タブーン洞窟どうくつ英語えいごばん遺跡いせきやく12まんねんまえ)から発見はっけんされていて、アフリカちかくにまで南下なんかしてきた北方ほっぽうけい古人こじんるい到達とうたつしていたことがかっている[4]。このタブーンじんは、べいえい合同ごうどう調査ちょうさチームが1929ねんから1934ねんにかけての発掘はっくつ調査ちょうさ発見はっけんしたもので、成人せいじん女性じょせい全身ぜんしん骨格こっかく1たい成人せいじん男性だんせいしも顎骨がっこつ1個いっこである[4]。なお、さきのホモ・サピエンスかもれない古人こじんるい遺跡いせきとタブーン洞窟どうくつはわずか50m程度ていどしかはなれていない[3]

ちゅう石器せっき時代じだい遺跡いせき

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ナトゥーフ文化ぶんかは、最終さいしゅうごおり終了しゅうりょうとも西にしアジア旧石器時代きゅうせっきじだい終末しゅうまつあらわれたちゅう石器せっき文化ぶんかであり、西にしアジアにあるワディ・アン・ナトゥーフ遺跡いせきしるべしきとした、紀元前きげんぜん10500ねんから紀元前きげんぜん8300ねんまでさかえたものであるが、カルメル山麓さんろくにあるエル=ワド洞窟どうくつ英語えいごばん遺跡いせきもそのひとつである。この遺跡いせきからは、ほそ石器せっき中心ちゅうしんとしたせい石器せっきほねせい装身具そうしんぐはじめ、定住ていじゅう生活せいかつ傾向けいこう農耕のうこうきざしが見出みだせる。

しょ宗教しゅうきょう聖地せいち

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エリヤが、バアル預言よげんしゃたち対決たいけつして、やぶった場所ばしょとされる。

キリスト教きりすときょう聖地せいちひとつである。このため19世紀せいきにはキリストの再臨さいりんしんじるドイツじん入植にゅうしょく (cf. en:German Colony, Haifa) を建設けんせつし、そのさい建設けんせつされた発電はつでんしょ工場こうじょうがハイファの近代きんだい先駆さきがけとなった。

バハイ信教しんきょう聖地せいちであるバブのびょう庭園ていえん

19世紀せいき後半こうはんにはバハイ信教しんきょう本拠ほんきょ (Baháʼí World Centreがカルメルさん周辺しゅうへんかれた。20世紀せいき初頭しょとうには、バハイ信教しんきょう創始そうししゃバハオラ先駆せんくしゃにあたるバーブバーブきょう創始そうししゃ)の亡骸なきがらがカルメルやまうつされ、びょう (Shrine of the Báb造営ぞうえいされた。宗教しゅうきょう本部ほんぶにあたる「万国ばんこく正義せいぎいん」もかれている。これらの施設しせつ聖地せいちとされ、巡礼じゅんれい (Baháʼí pilgrimageとなっている。カルメルさんにあるものをふくめたバハイ信教しんきょう聖地せいちぐんは2009ねん世界せかい遺産いさんハイファと西にしガリラヤのバハイきょう聖地せいちぐん」に登録とうろくされた。

やま火事かじ

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カルメルさんやま火事かじ英語えいご: Mount Carmel forest fire (2010)

ギャラリー

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ The Editors of Encyclopaedia Britannica. “Communist Party of the Soviet Union History, Beliefs, Leaders, & Facts” (英語えいご). Britannica.com. ブリタニカ百科ひゃっか事典じてん. Encyclopædia Britannica, Inc.. 2019ねん9がつ29にち閲覧えつらん
  2. ^ a b c Mount Carmel Biosphere Reserve, Israel” (英語えいご). UNESCO (2019ねん3がつ22にち). 2023ねん3がつ5にち閲覧えつらん
  3. ^ a b Timeline in the Understanding of Neanderthals”. Athena Publications.com. Athena Publications, Inc. 2012ねん1がつ30にち閲覧えつらん
  4. ^ a b Excavations and Surveys” (英語えいご). The Zinman Institute of Archaeology. University of Haifa. 2012ねん1がつ30にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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