コンプトゥス (羅 ら : computus 、ラテン語 らてんご で計算 けいさん の意 い )は、キリスト教 きりすときょう の教会 きょうかい 暦 れき における復活 ふっかつ 祭 さい の日 ひ を算出 さんしゅつ することである。正式 せいしき にはコンプトゥス・パスカーリス (羅 ら : computus paschalis 「復活 ふっかつ 祭 さい 計算 けいさん 」の意 い )という。この算出 さんしゅつ 方法 ほうほう は中世 ちゅうせい で最 もっと も重要 じゅうよう な計算 けいさん の1つであったため、中世 ちゅうせい 初期 しょき から現在 げんざい に至 いた るまで「コンプトゥス」といえば復活 ふっかつ 祭 さい の日付 ひづけ の計算 けいさん を意味 いみ した。
毎年 まいとし 12月25日 にち に祝 いわ うクリスマス などとは異 こと なり、復活 ふっかつ 祭 さい は移動 いどう 祝日 しゅくじつ という日付 ひづけ の固定 こてい しない祝日 しゅくじつ である。日本 にっぽん の春分 しゅんぶん の日 ひ のように春分 しゅんぶん 点 てん を天文 てんもん 計算 けいさん によって決定 けってい する。ちなみにキリスト教 きりすときょう の教会 きょうかい 暦 れき において春分 しゅんぶん の日 ひ は3月21日 にち に固定 こてい されており、復活 ふっかつ 祭日 さいじつ の計算 けいさん に欠 か かせない日 ひ である。
教会 きょうかい 法 ほう 、すなわち第 だい 1ニカイア公 こう 会議 かいぎ の決議 けつぎ では、「3月 がつ 21日 にち (暦 こよみ 上 じょう の春分 しゅんぶん の日 ひ )当日 とうじつ あるいはそれ以降 いこう の最初 さいしょ の暦 こよみ 上 じょう の満月 まんげつ (新月 しんげつ から数 かぞ えて14日 にち 目 め )を過 す ぎたあとの最初 さいしょ の日曜日 にちようび 」が復活 ふっかつ 祭 さい にあたる。祝祭日 しゅくさいじつ を決定 けってい するのに、ユダヤ教徒 きょうと は実際 じっさい の月 つき の観測 かんそく をもとにしたが、キリスト教 きょう は「教会 きょうかい による計算 けいさん 上 じょう の」月 がつ の満 み ち欠 か けを用 もち いることに決 き めた。
地球 ちきゅう が太陽 たいよう の周 まわ りをまわる周期 しゅうき を基本 きほん にする太陽暦 たいようれき も、朔 さく 望月 もちづき という月 つき の満 み ち欠 か けを1か月 げつ とする太陰暦 たいいんれき ・太陰 たいいん 太陽暦 たいようれき も、天文 てんもん 現象 げんしょう をもとに暦 こよみ 計算 けいさん を行 おこな う時 とき には無理 むり 数 すう や気 き の遠 とお くなるような桁 けた の有理数 ゆうりすう の壁 かべ にぶつかる。大昔 おおむかし の天文学 てんもんがく 者 しゃ や数学 すうがく 者 しゃ たちは天文 てんもん 周期 しゅうき 表 ひょう を考 かんが え出 だ し、測量 そくりょう 技術 ぎじゅつ や数学 すうがく 理論 りろん の発展 はってん に伴 ともな い、また文明 ぶんめい の発達 はったつ でより正確 せいかく な暦 こよみ が求 もと められる動 うご きに沿 そ い、補正 ほせい や改暦 かいれき を行 おこな ってきた。
1582年 ねん にグレゴリオ暦 れき を採用 さいよう したローマ教皇 きょうこう グレゴリウス13世 せい
21世紀 せいき 現在 げんざい 、世界中 せかいじゅう の多 おお くの国 くに で導入 どうにゅう されているグレゴリオ暦 れき は、そもそも16世紀 せいき にカトリック教会 きょうかい が作 つく り上 あ げたものである。当時 とうじ 使 つか われていたユリウス暦 れき は紀元前 きげんぜん に導入 どうにゅう され、年間 ねんかん 誤差 ごさ が-11分 ふん 程度 ていど であった。しかし月日 つきひ が経 た つうちに誤差 ごさ は累積 るいせき し、16世紀 せいき には教会 きょうかい のいう「春分 しゅんぶん の日 ひ 」である3月 がつ 21日 にち が実際 じっさい の春分 しゅんぶん より10日 にち も遅 おく れていた。これは復活 ふっかつ 祭 さい の日付 ひづけ の計算 けいさん の障害 しょうがい となり、またカトリック教会 きょうかい の沽券 こけん に関 かか わる問題 もんだい でもあった。そこで教会 きょうかい は当時 とうじ の科学 かがく の粋 いき を集 あつ めて、グレゴリオ暦 れき と新 あたら しいコンプトゥスを作 つく り上 あ げた。グレゴリオ暦 れき には宗教 しゅうきょう 的 てき 要素 ようそ 、特 とく に正確 せいかく な復活 ふっかつ 祭日 さいじつ 計算 けいさん という目的 もくてき があったのである。誤差 ごさ はユリウス暦 れき の128年 ねん に1日 にち から、3000年 ねん に1日 にち に縮 ちぢ まり、精度 せいど が格段 かくだん に上 あ がった。
一方 いっぽう 正教会 せいきょうかい や非 ひ カルケドン派 は などの東方 とうほう 教会 きょうかい は、この暦 こよみ の変更 へんこう が普遍 ふへん 公 こう 会議 かいぎ の決定 けってい によらず、第 だい 1ニカイア公 こう 会議 かいぎ の決定 けってい をくつがえす合法 ごうほう 的 てき な根拠 こんきょ がないとみなし、現在 げんざい も基本 きほん 的 てき にユリウス暦 れき を用 もち いつづけている(ただし、アッシリア東方 とうほう 教会 きょうかい は1964年 ねん 以降 いこう グレゴリオ暦 れき を採用 さいよう している)。
キリスト教 きりすときょう の復活 ふっかつ 祭 さい はユダヤ教 きょう の過 か 越 こし (すぎこし)の祭 まつり と密接 みっせつ な関係 かんけい にある。フランス語 ふらんすご やイタリア語 ご 、ロシア語 ご などほとんどの印欧語 いんおうご では、復活 ふっかつ 祭 さい を表 あらわ す単語 たんご は直接 ちょくせつ に過 か 越 えつ 祭 さい を意味 いみ する語 かたり に由来 ゆらい する。ユダヤ教 きょう における過 か 越 えつ の準備 じゅんび は、ニサンの月 つき (ユダヤ暦 れき の春分 しゅんぶん を含 ふく む月 つき )10日 とおか に生贄 いけにえ の子羊 こひつじ を用意 ようい することから始 はじ まった。旧約 きゅうやく 聖書 せいしょ には14日 にち の夕暮 ゆうぐ れに生贄 いけにえ の子羊 こひつじ を殺 ころ し、その血 ち を戸口 とぐち に塗 ぬ った家 いえ は神 かみ の天罰 てんばつ が「過 す ぎ越 ご し」(出 で エジプト記 き 12章 しょう 6-7、12-13節 せつ )たという。それを思 おも い出 だ し祝 いわ うのが過 か 越 えつ の祭 まつり である。イエス・キリスト はその祭 まつり の時期 じき に十字架 じゅうじか にかけられた(ルカによる福音 ふくいん 書 しょ 22章 しょう 1-7節 せつ )。キリスト教徒 きりすときょうと にとって過 か 越 えつ の祭 まつり は、イエス・キリストが生贄 いけにえ の子羊 こひつじ となり(コリント使徒 しと への手紙 てがみ 1 5章 しょう 7節 せつ )、彼 かれ の流 なが した血 ち によって人間 にんげん が神 かみ からの罰 ばち を過 す ぎ越 こ すことができるということを象徴 しょうちょう しているのである。
そのためグレゴリオ暦 れき は太陽暦 たいようれき でありながら、太陰 たいいん 太陽暦 たいようれき のニサンの月 つき (春分 しゅんぶん )にこだわり、第 だい 1ニカイア公 こう 会議 かいぎ で決定 けってい した「3月 がつ 21日 にち 以降 いこう の最初 さいしょ の満月 まんげつ 」というキーワードを守 まも るため、太陰暦 たいいんれき (月 つき の満 み ち欠 か け)とも関 かか わりあいを持 も ち続 つづ けているのである。
世界 せかい 宗教 しゅうきょう になりつつあったカトリックでは、ユニバーサルな計算 けいさん 方法 ほうほう が必要 ひつよう であった。キリスト教 きょう が実際 じっさい の天文 てんもん 観測 かんそく でなく「教会 きょうかい による計算 けいさん 上 じょう の」月 がつ の満 み ち欠 か けを用 もち いることに決 き めた理由 りゆう はここにある。地球 ちきゅう から見 み た新月 しんげつ の瞬間 しゅんかん は全 ぜん 世界 せかい どこでも同 おな じである。しかし同 おな じ夜空 よぞら を眺 なが めていてもヨーロッパは午後 ごご 9時 じ 、日本 にっぽん は翌朝 よくあさ 4時 じ である。つまり時差 じさ によって、朔 さく 望月 もちづき が1日 にち ずれるのである。「3月 がつ 21日 にち 以降 いこう の最初 さいしょ の満月 まんげつ 」がヨーロッパで土曜 どよう 、日本 にっぽん で日曜 にちよう なら、復活 ふっかつ 祭 さい の日付 ひづけ は1週間 しゅうかん ずれてしまうことになる。地域 ちいき 差 さ を越 こ えて全 ぜん 世界 せかい 共通 きょうつう の教会 きょうかい 暦 れき を作 つく り上 あ げるために、教会 きょうかい はできるだけ天文 てんもん 現象 げんしょう に忠実 ちゅうじつ であろうとしながらも、実際 じっさい とは異 こと なる「教会 きょうかい の計算 けいさん 上 じょう の」春分 しゅんぶん の日 ひ 、新月 しんげつ 、満月 まんげつ を用 もち いることにしたのである。よって本 ほん 項 こう における新月 しんげつ 、満月 まんげつ というのは、原則 げんそく として「計算 けいさん 上 じょう の」新月 しんげつ 、満月 まんげつ であるということに留意 りゅうい しなくてはならない。
復活 ふっかつ 祭 さい はキリスト教 きりすときょう で最 もっと も重要 じゅうよう な祝祭日 しゅくさいじつ である。それと同時 どうじ に、復活 ふっかつ を祝 いわ うのに適 てき した日 ひ の選択 せんたく についても多 おお くの論争 ろんそう が惹起 じゃっき された。太陽暦 たいようれき のユリウス暦 れき を使用 しよう していたキリスト教徒 きりすときょうと にとって、イエス・キリスト の受難 じゅなん と復活 ふっかつ が太陰 たいいん 太陽暦 たいようれき のユダヤ暦 れき に基 もと づいて行 おこな われる過 か 越 こし (すぎこし) の祭 まつ りの時期 じき に起 お こったことであった。このため、何 なに が正 ただ しい日付 ひづけ であるかについて、古代 こだい にはいくつかの議論 ぎろん がおこった。
現在 げんざい 記録 きろく が残 のこ る最古 さいこ の論争 ろんそう のひとつは、西暦 せいれき 154年 ねん のローマ主教 しゅきょう アニケトゥス とスミュルナ(Smyrna )主教 しゅきょう ポリュカルポス(Polycarp )の間 あいだ におこった。
この日付 ひづけ の違 ちが いは、復活 ふっかつ 祭 さい の神学 しんがく 的 てき な位置付 いちづ けの違 ちが いに起因 きいん する。アンティオケイアを中心 ちゅうしん とするアシア地区 ちく では、キリストの最後 さいご の晩餐 ばんさん を記念 きねん してニサン14日 にち に復活 ふっかつ 祭 さい が祝 いわ われていたが、ローマではニサン14日 にち のあとの最初 さいしょ の主 おも 日 び に復活 ふっかつ 祭 さい が祝 いわ われていた。エウセビオスは、2世紀 せいき における復活 ふっかつ 祭 さい の日付 ひづけ 論争 ろんそう について記 しる し、ローマ主教 しゅきょう ウィクトルが、ニサン14日 にち のあとの最初 さいしょ の主 おも 日 び を正 ただ しい日付 ひづけ としつつ、アンティオケイアの習慣 しゅうかん を尊重 そんちょう し、彼 かれ らが独自 どくじ の伝承 でんしょう を守 まも ることを承認 しょうにん している。
325年 ねん の第 だい 1ニカイア公 こう 会議 かいぎ で、キリスト教徒 きりすときょうと は教徒 きょうと 間 あいだ に共通 きょうつう で、ユダヤ教 きょう とは関連 かんれん のない手法 しゅほう を使 つか うことに同意 どうい した。そして復活 ふっかつ 祭 さい は必 かなら ずイエスが復活 ふっかつ した曜日 ようび 、ゆえにキリスト教 きりすときょう の聖 せい なる主 おも 日 び すなわち日曜日 にちようび に祝 いわ うことを決 き めた。十 じゅう 四 よん 日 にち 遵守 じゅんしゅ 派 は (Quatrodicimans )は、ユダヤ教 きょう の暦 こよみ に従 したが い、曜日 ようび に関 かか わらずイエスが磔刑 たっけい されたニサンの月 つき 14日 にち に復活 ふっかつ 祭 さい を行 おこな うことを希望 きぼう した。
フィリップ・シャフ(Philip Schaff )の『キリスト教会 きょうかい の歴史 れきし 』('History of the Christian Church' )3巻 かん 79部 ぶ 、『復活 ふっかつ 祭 さい の時期 じき 』には次 つぎ のように述 の べられている。
その時 とき 以来 いらい 、復活 ふっかつ の祝祭 しゅくさい は何処 どこ でも日曜 にちよう に行 おこな われることとなった。決 けっ してユダヤ教 きょう の過 か 越 えつ の祭日 さいじつ には行 おこな わず、ニサンの月 つき 14日 にち 目 め の後 のち 、春分 しゅんぶん のあとの最初 さいしょ の満月 まんげつ 後 ご の日曜 にちよう である。この規則 きそく の根底 こんてい には、主 あるじ を十字架 じゅうじか にかけることで過 か 越 えつ の祭 まつり を汚 よご したユダヤ教 きょう への反抗 はんこう があった。
しかし実用 じつよう 的 てき な復活 ふっかつ 祭日 さいじつ の算出 さんしゅつ ガイドラインが作 つく られておらず、キリスト教 きょう 全体 ぜんたい が同意 どうい できるような計算 けいさん 手法 しゅほう ができるまでその後 ご 数 すう 世紀 せいき を要 よう した。
エジプトの都市 とし アレクサンドリア で生 う まれた計算 けいさん 手法 しゅほう が権威 けんい ある計算 けいさん 法 ほう 「コンプトゥス」となった。太陽年 たいようねん の19年 ねん 周期 しゅうき であるメトン周期 しゅうき における計算 けいさん 上 じょう の月 つき の満 み ち欠 か け (実際 じっさい の観測 かんそく とは異 こと なる)を表 あらわ したエパクト という数値 すうち を使 つか うものである。この方法 ほうほう は西暦 せいれき 277年 ねん ラオディケア(Laodicea 現 げん シリア)の司教 しきょう アナトリオス(Anatolios)によって初 はじ めて利用 りよう された。アレクサンドリア人 じん は、当時 とうじ 市内 しない のユダヤ人 じん コミュニティー で用 もち いられていた一般 いっぱん エジプト人 じん の太陽暦 たいようれき を基本 きほん にした類似 るいじ の暦 こよみ から、アレクサンドリア方式 ほうしき を導 みちび き出 だ したのかもしれない。この方式 ほうしき は21世紀 せいき 初頭 しょとう もエチオピア式 しき コンピュタスで使用 しよう されている。アレクサンドリア方式 ほうしき の復活 ふっかつ 祭 さい 表 ひょう は、390年 ねん 頃 ごろ のアレクサンドリアの司教 しきょう テオフィロス (Theophilus )から444年 ねん 頃 ごろ の司教 しきょう キュリロス(Cyril )の間 あいだ に作成 さくせい された。コンスタンティノープル では司教 しきょう アナトリオスの後 のち 、そして 第 だい 1ニカイア公 こう 会議 かいぎ 以降 いこう 、数 かず 世紀 せいき にわたって数種類 すうしゅるい のコンプトゥスが使 つか われていたが、復活 ふっかつ 祭 さい の日 ひ は偶然 ぐうぜん にもアレクサンドリア方式 ほうしき と一致 いっち していた。東 ひがし ロ ろ ーマ帝国 まていこく の東部 とうぶ 前線 ぜんせん にあった教会 きょうかい は6世紀 せいき にアレクサンドリア方式 ほうしき から逸脱 いつだつ し、21世紀 せいき 現在 げんざい も532年 ねん ごとに4回 かい 、正教会 せいきょうかい とは異 こと なった日付 ひづけ で復活 ふっかつ 祭 さい を祝 いわ っている。
このアレクサンドリア式 しき 計算 けいさん 手法 しゅほう はディオニュシウス・エクシグウス によってローマでアレクサンドリア暦 れき からユリウス暦 れき に変換 へんかん されたが、たった95年 ねん の間 あいだ だった。ディオニュシウスが525年 ねん に新 あたら しい復活 ふっかつ 祭 さい の計算 けいさん 表 ひょう を発表 はっぴょう し、キリスト教 きりすときょう 暦 れき (キリストの生誕 せいたん から数 かぞ え始 はじ める暦 こよみ )を導入 どうにゅう したからだ。ローマの教会 きょうかい がいつディオニュシウスの計算 けいさん 表 ひょう を採用 さいよう したかはわからないが、早 はや ければ6世紀 せいき だっただろう。この計算 けいさん 表 ひょう は664年 ねん にウィットビーの教会 きょうかい 会議 かいぎ で英国 えいこく に採用 さいよう され、725年 ねん にはベーダ によって完全 かんぜん に解説 かいせつ された。その後 ご 、ベーダの従者 じゅうしゃ であったアルクィン を通 とお して早 はや ければ782年 ねん にカール大帝 たいてい によってフランク王国 おうこく の教会 きょうかい にも採用 さいよう された可能 かのう 性 せい がある。 アロイシウス・リリウス が大 だい 部分 ぶぶん を作 つく り上 あ げたグレゴリオ暦 れき に改定 かいてい されるまで、西 にし ヨーロッパではディオニュシウス・ベーダ式 しき コンプトゥスが使 つか われていた。
ディオニュシウスの計算 けいさん 表 ひょう 以前 いぜん は、ローマ教会 きょうかい が使 つか っていた古 ふる い方式 ほうしき があった。最 もっと も古 ふる いと言 い われるローマの計算 けいさん 表 ひょう は222年 ねん にヒッポリュトス (Hippolytus )が案出 あんしゅつ した8年 ねん 周期 しゅうき に基 もと づくものである。その後 ご 、3世紀 せいき の終 お わり近 ちか くに84年 ねん 周期 しゅうき 表 ひょう がアウグスタリスによってローマに紹介 しょうかい された。これらの古 ふる い計算 けいさん 表 ひょう は、イギリス諸島 しょとう では664年 ねん まで、遠隔 えんかく 地 ち の修道院 しゅうどういん では遅 おそ ければ931年 ねん まで使 つか われていた。4世紀 せいき 前半 ぜんはん に84年 ねん 周期 しゅうき の改訂 かいてい 版 ばん がローマで採用 さいよう された。457年 ねん アキテーヌ のヴィクトリウス(Victorius of Aquitaine)がアレクサンドリア方式 ほうしき を532年 ねん 周期 しゅうき 表 ひょう にしてローマ方式 ほうしき に取 と り入 い れようとしたが、重大 じゅうだい な間違 まちが いを含 ふく んでしまった。ヴィクトリウスの計算 けいさん 表 ひょう はガリア (現 げん フランス)とスペインで8世紀 せいき 末 まつ にディオニュシウス式 しき に変更 へんこう するまで使用 しよう されていた。
ルドルフ星 ほし 表 ひょう
新 あたら しい計算 けいさん 手段 しゅだん の導入 どうにゅう 時期 じき が地域 ちいき によって異 こと なるのは地理 ちり 的 てき 要因 よういん のほかに、宗教 しゅうきょう 的 てき な理由 りゆう がある。グレゴリオ暦 れき はカトリック教会 きょうかい が作 つく り出 だ したものである。カトリックに追随 ついずい するのを嫌 きら ったプロテスタントは、独自 どくじ の方法 ほうほう で復活 ふっかつ 祭 さい の日付 ひづけ を割 わ り出 しゅっ そうした。カトリック諸国 しょこく よりずっと遅 おく れてグレゴリオ暦 れき を導入 どうにゅう した後 のち も、ヨハネス・ケプラー が作 つく り出 だ したルドルフ星 ほし 表 ひょう をもとにカトリックとは異 こと なった手段 しゅだん で復活 ふっかつ 祭日 さいじつ の計算 けいさん を行 おこな っていた。しかし、グレゴリオ暦 れき が基本 きほん のためカトリックの計算 けいさん 内容 ないよう と大 たい した違 ちが いはなかった。
21世紀 せいき に入 はい ってからも東方 とうほう 教会 きょうかい は条件 じょうけん こそ「3月 がつ 21日 にち 以後 いご の満月 まんげつ を過 す ぎた最初 さいしょ の日曜日 にちようび 」と西方 せいほう 教会 きょうかい と同 おな じだが、ユリウス暦 れき を用 もち いている。ユリウス暦 れき の3月 がつ 21日 にち であるためグレゴリオ暦 れき の復活 ふっかつ 祭日 さいじつ と異 こと なることが多 おお く、一致 いっち するのは3年 ねん に1回 かい 程度 ていど である。例 たと えば2006年 ねん の西方 せいほう 教会 きょうかい の復活 ふっかつ 祭 さい は4月 がつ 16日 にち だが、東方 とうほう 教会 きょうかい は1週間 しゅうかん おくれの23日 にち に復活 ふっかつ 祭 さい を祝 いわ う。2007年 ねん は両方 りょうほう とも4月 がつ 8日 にち に祝 いわ う。
新月 しんげつ (朔 ついたち )から満月 まんげつ (望 もち )を経 へ て新月 しんげつ (朔 ついたち )に戻 もど る周期 しゅうき を1か月 げつ とする朔 さく 望月 もちづき
太陽年 たいようねん [1] は太陽 たいよう の動 うご きを追 お った1年 ねん である。太陽 たいよう が春分 しゅんぶん 点 てん から黄道 こうどう 上 うえ を移動 いどう して再 ふたた び春分 しゅんぶん 点 てん に戻 もど ってくるまでを
1年 ねん とし、小 ちい さい剰余 じょうよ はあるが365日 にち 周期 しゅうき である。太陰 たいいん 年 ねん [2] は、月 つき の満 み ち欠 か けで暦 こよみ を数 かぞ える。新月 しんげつ から満月 まんげつ を経 へ て次 つぎ の新月 しんげつ までの朔 さく 望 のぞむ 周期 しゅうき を
月 つき (朔 さく 望月 もちづき )と考 かんが え、その12か月 げつ 分 ぶん を1年 ねん とする。平均 へいきん 朔 ついたち 望月 もちづき はこれも小 ちい さい余剰 よじょう があるが29と半日 はんにち なので、太陰 たいいん 年 ねん は354日 にち になる。太陽年 たいようねん は太陰 たいいん 年 ねん より11日 にち 長 なが いわけである。例 たと えば1月 がつ 1日 にち が朔 ついたち 望月 もちづき の始 はじ まりである新月 しんげつ ならば太陽年 たいようねん と太陰 たいいん 年 ねん は同時 どうじ に始 はじ まるわけだが、太陽年 たいようねん が終 お わる時 とき に太陰 たいいん 年 ねん はすでに次 つぎ の年 とし の11日 にち 目 め になっている。毎年 まいとし 太陰 たいいん 年 ねん が11日 にち 早 はや く始 はじ まるのだから、2年 ねん 経 た てばその差 さ は22にまで累積 るいせき する。このように太陰 たいいん 年 ねん が太陽年 たいようねん より進 すす みすぎて過剰 かじょう になった分 ぶん をエパクト (ギリシア語 ご でエパクタイ・ヘーメライ[3] 余所 よそ から付 つ け足 た された日々 ひび )という。太陰 たいいん 年 ねん における正確 せいかく な日 ひ を知 し るには、太陽年 たいようねん の日付 ひづけ にエパクトの数値 すうち を加 くわ えなければならない。エパクトの数値 すうち が30を越 こ えれば、太陰 たいいん 年 ねん にもう1か月 げつ (いわゆる閏月 じゅんげつ )を挿入 そうにゅう してエパクト数 すう から30を引 ひ く。
太陽年 たいようねん と太陰 たいいん 年 ねん が19年 ねん ごとに一致 いっち するというメトン周期 しゅうき は、太陽年 たいようねん 19年 ねん 分 ぶん が朔 さく 望 のぞむ 周期 しゅうき 235回分 かいぶん に等 ひと しいと仮定 かてい している。19年 ねん 経 た って太陽年 たいようねん の始 はじ まりと朔 さく 望月 もちづき の開始 かいし が一致 いっち するなら、エパクトは単純 たんじゅん に19年 ねん ごとに繰 く り返 かえ されるはずである。しかし一 いち 回 かい のメトン周期 しゅうき で累積 るいせき するエパクト総数 そうすう は
11
×
19
=
209
{\displaystyle 11\times 19=209}
(1年 ねん あたり11日 にち のずれが19年 ねん 分 ぶん )。
209
mod
3
0
=
29
{\displaystyle 209{\bmod {3}}0=29}
と、
30
{\displaystyle 30}
では割 わ り切 き れず
29
{\displaystyle 29}
余 あま っている。そこで周期 しゅうき の終 お わりにエパクトに1を加算 かさん し、
(
209
+
1
)
mod
3
0
=
0
{\displaystyle (209+1){\bmod {3}}0=0}
の状態 じょうたい にしてから再 ふたた び周期 しゅうき を始 はじ めなければならない。この周期 しゅうき 最後 さいご にエパクトへ
1
{\displaystyle 1}
を加算 かさん することをサルトゥス・ルーナエ [4] と呼 よ ぶ。
太陰 たいいん 年 ねん は11日 にち 短 みじか いために、太陽年 たいようねん との差 さ は
19
{\displaystyle 19}
年間 ねんかん で
209
{\displaystyle 209}
日 ひ まで増 ふ えるわけだが、これを朔 ついたち 望月 もちづき の閏月 じゅんげつ を
7
{\displaystyle 7}
つ(30日 にち /月 つき ×6ヶ月 かげつ + 29日 にち /月 つき ×1ヶ月 かげつ )作 つく って解決 かいけつ している。太陽年 たいようねん 19年 ねん と等 ひと しい朔 ついたち 望月 もちづき が
235
{\displaystyle 235}
ヶ月 かげつ 分 ぶん というのは、太陰 たいいん 年 ねん 19年 ねん 分 ぶん にこの閏月 じゅんげつ が加 くわ えられた数 かず である(12ヶ月 かげつ /年 とし ×19年 ねん +閏月 じゅんげつ 7か月 げつ =235ヶ月 かげつ )。
メトン周期 しゅうき の19年 ねん は1から19までの黄金 おうごん 数 すう という通 とお し番号 ばんごう がついており、以下 いか の公式 こうしき で求 もと めることができる。
つまり、西暦 せいれき 年 ねん を
19
{\displaystyle 19}
で割 わ ったときの余 あま りに
1
{\displaystyle 1}
を足 た したものが黄金 おうごん 数 すう である。
表 おもて 計算 けいさん 方式 ほうしき [ 編集 へんしゅう ]
1582年 ねん に発布 はっぷ されたグレゴリオ暦 れき とともに新 あたら しいコンピュタスが導入 どうにゅう された。まずその年 とし のエパクトを表 ひょう から調 しら べる。エパクトの値 ね は、30と0両方 りょうほう の数値 すうち を意味 いみ する「*」(30日 にち 目 め で再 ふたた びスタート地点 ちてん の0日 にち 目 め に戻 もど った状態 じょうたい =新月 しんげつ )から29日 にち までの範囲 はんい にある。朔 さく 望月 もちづき の最初 さいしょ の日 ひ は新月 しんげつ であり、暦 こよみ の上 うえ では14日 にち 目 め が満月 まんげつ とされている(実際 じっさい の満月 まんげつ は14日 にち 目 め とは限 かぎ らない)。
以下 いか の表 ひょう は過去 かこ の19年 ねん 周期 しゅうき にも未来 みらい の19年 ねん 周期 しゅうき にも用 もち いることができるが、使 つか える期間 きかん は1900年 ねん から2199年 ねん の間 あいだ に限定 げんてい されている。
メトン19年 ねん 周期 しゅうき のエパクト一覧 いちらん 表 ひょう (1900年 ねん から2199年 ねん に有効 ゆうこう )
年 とし
2014
2015
2016
2017
2018
2019
2020
2021
2022
2023
2024
2025
2026
2027
2028
2029
2030
2031
2032
黄金 おうごん 数 すう
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
エパクト
29
10
21
2
13
24
5
16
27
8
19
*
11
22
3
14
25
6
17
復活 ふっかつ 祭 さい の満月 まんげつ
14A
3A
23M
11A
31M
18A
8A
28M
16A
5A
25M
13A
2A
22M
10A
30M
17A
7A
27M
※満月 まんげつ の日付 ひづけ のMは3月 がつ 、Aは4月 がつ 。エパクトの*は30または0を示 しめ す。
次 つぎ の表 ひょう は、1年間 ねんかん の日付 ひづけ に大 だい の月 つき (1か月 げつ が30日 にち )と小 しょう の月 つき (1か月 げつ が29日 にち )を交互 こうご にしてエパクトを記入 きにゅう したカレンダリウム (羅 ら : calendarium 、ラテン語 らてんご で帳簿 ちょうぼ の意 い )の一部 いちぶ である。このエパクト表 ひょう を使 つか って新月 しんげつ がどの日 ひ になるか知 し ることができる。いわば「新月 しんげつ 早見 はやみ 表 ひょう 」である。まず年間 ねんかん 365日 にち (閏 うるう 日 び はのぞく)の日付 ひづけ を表 ひょう に書 か く。次 つぎ に、1月 がつ 1日 にち から順番 じゅんばん に全部 ぜんぶ の日付 ひづ けにエパクトを示 しめ すローマ数字 すうじ を書 か いていく。*(30=0)からxxix、xxviii…と減数 げんすう していきiになったら、また*(30=0)から始 はじ める。これを12月31日 にち まで繰 く り返 かえ す。ただし、大 だい の月 つき と小 しょう の月 つき が交互 こうご に来 く るように、1巡 じゅん 目 め は普通 ふつう に書 か き込 こ み(30日 にち 分 ぶん )二 に 巡 じゅん 目 め はxxvとxxivの両方 りょうほう を同 おな じ日 び に書 か き(29日 にち 分 ぶん )、それを二 に 月 がつ ごとに繰 く り返 かえ す。最後 さいご に残 のこ った12月末 まつ の11日 にち も13巡 じゅん 目 め として同 おな じように扱 あつか い12月 がつ 26日 にち 、27日 にち にそれぞれxxv、xxivと書 か き込 こ む。できあがったら、大 だい の月 つき にはxxv(25)の所 ところ に「25」と書 か き、xxivとxxvが同 おな じ日 び に書 か かれている小 しょう の月 つき の方 ほう にはxxvi(26)の所 ところ に「25」を書 か く。このような月 つき の長 なが さでエパクトを区切 くぎ れば、どの月 つき も最初 さいしょ と最後 さいご の日 ひ のエパクト数値 すうち が一致 いっち するのである。ただし、2月 がつ のエパクト数値 すうち と、7,8月 がつ の「25」の部分 ぶぶん は一致 いっち しない。例 たと えば、その年 とし のエパクト数値 すうち が27であるなら、カレンダリウムにxxviiと書 か かれた日 ひ はすべて、教会 きょうかい の計算 けいさん 上 じょう の新月 しんげつ (実際 じっさい の観測 かんそく とは異 こと なる)であることがわかる。
次 つぎ に、カレンダリウムの日付 ひづけ に1月 がつ 1日 にち から大晦日 おおみそか までAからGの記号 きごう をふりわける。これで「新月 しんげつ および曜日 ようび 早見 はやみ 表 ひょう 」となる。例 たと えばその年 とし の最初 さいしょ の日曜 にちよう が1月 がつ 5日 にち でEの記号 きごう がついているなら、その年 とし はEの記号 きごう のつく日 ひ がすべて日曜日 にちようび なのである。Eはその年 とし の日曜 にちよう 記号 きごう (ドミニカル・レター、羅 ら : dominical letter 、ラテン語 らてんご で主 おも の曜日 ようび の記号 きごう の意 い )となる。日曜 にちよう 記号 きごう は毎年 まいとし 1つ繰 く り上 あ がる。ただし、閏年 うるうどし では閏 うるう 日 び 以降 いこう の日曜 にちよう 記号 きごう は1つ繰 く り上 あ がるため、閏年 うるうどし に限 かぎ っては閏 うるう 日 び の前 ぜん と後 ご の二 ふた つの日曜 にちよう 記号 きごう がある。
復活 ふっかつ 祭 さい の日付 ひづけ を算出 さんしゅつ する際 さい には、年間 ねんかん 365日 にち 全部 ぜんぶ を書 か き出 だ す必要 ひつよう はない。カレンダリウムを見 み れば、3月は1月 がつ と同 おな じようにエパクトが巡 めぐ っていることがわかる。1月 がつ か2月 がつ どちらかを書 か き出 だ すだけでよい。また1、2月 がつ の日曜 にちよう 記号 きごう の計算 けいさん を飛 と ばして、3月1日 にち にDから書 か き込 こ みを始 はじ めればよい。3月8日 にち から4月 がつ 5日 にち の間 あいだ のエパクトがわかりさえすれば計算 けいさん ができるので、以下 いか の表 ひょう を使 つか うと便利 べんり である。
カレンダリウム(3月 がつ 、4月 がつ 分 ぶん )
3月 がつ
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
エパクト値 ち
*
xxix
xxviii
xxvii
xxvi
xxv 25
xxiv
xxiii
xxii
xxi
xx
xix
xviii
xvii
xvi
xv
xiv
xiii
xii
xi
x
ix
viii
vii
vi
v
iv
iii
ii
i
*
日曜 にちよう 記号 きごう
D
E
F
G
A
B
C
D
E
F
G
A
B
C
D
E
F
G
A
B
C
D
E
F
G
A
B
C
D
E
F
4月 がつ
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
エパクト値 ち
xxix
xxviii
xxvii
xxvi 25
xxv xxiv
xxiii
xxii
xxi
xx
xix
xviii
xvii
xvi
xv
xiv
xiii
xii
xi
x
ix
viii
vii
vi
v
iv
iii
ii
i
*
xxix
日曜 にちよう 記号 きごう
G
A
B
C
D
E
F
G
A
B
C
D
E
F
G
A
B
C
D
E
F
G
A
B
C
D
E
F
G
A
表 ひょう の見方 みかた :エパクトが27(ローマ数字 すうじ xxvii)で日曜 にちよう 記号 きごう がEの年 とし であったら、xxviiの日 ひ は教会 きょうかい の計算 けいさん 上 じょう の新月 しんげつ となり、その13日 にち 後 ご に満月 まんげつ となる(暦 こよみ の上 うえ であり、実際 じっさい とは多少 たしょう 異 こと なる)。つまり3月 がつ 4日 にち と4月 がつ 3日 にち が新月 しんげつ で、満月 まんげつ が3月17日 にち と4月 がつ 16日 にち になる。復活 ふっかつ 祭 さい の日曜日 にちようび は、春分 しゅんぶん の(3月 がつ 21日 にち )以降 いこう の最初 さいしょ の満月 まんげつ を過 す ぎた最初 さいしょ の日曜日 にちようび である。この例 れい では、4月 がつ 16日 にち の方 ほう が復活 ふっかつ 祭 さい の満月 まんげつ に相当 そうとう し、Eのつく4月 がつ 20日 はつか が復活 ふっかつ 祭 さい を祝 いわ う日曜日 にちようび ということになる。
この表 ひょう の25という数字 すうじ (xxvとは別 べつ )は、次 つぎ のように用 もち いる。メトン周期 しゅうき では、11年 ねん 離 はな れた2つの年 とし を比 くら べると、エパクトの差 さ が1日 にち ある。小 しょう の月 つき はxxivとxxvが同 おな じ日 び であるから、もし同一 どういつ のメトン周期 しゅうき 内 ない でエパクト数値 すうち の24と25が両方 りょうほう が重 かさ なることがあれば、この2つの年 とし は同 おな じ日 び に新月 しんげつ (と満月 まんげつ )になるはずである。しかし、実際 じっさい の月 つき の満 み ち欠 か けではありえない。同 おな じ日付 ひづけ を繰 く り返 かえ すのは、19年 ねん 周期 しゅうき だからである。この問題 もんだい を避 さ けるため、11より大 おお きい黄金 おうごん 数 すう の年 とし は、「xxv」でなく「25」と書 か かれた方 ほう の日 ひ を計算 けいさん 上 じょう の新月 しんげつ としている。(例 れい 2011年 ねん の新月 しんげつ は4月 がつ 5日 にち ではなく4日 にち になり、そのため満月 まんげつ は17日 にち となる。)大 だい の月 つき ではxxvも25も同 おな じことだが、小 しょう の月 つき では「xxvi」と書 か かれた日 ひ になるのである。25とxxviの組 く み合 あ わせで問題 もんだい が起 お こることはない。なぜなら22年 ねん 目 め に問題 もんだい が起 お こるが、周期 しゅうき 自体 じたい が19年 ねん で終 お わるからである。そして周期 しゅうき と周期 しゅうき の間 あいだ にサルタス・ルナが算入 さんにゅう され、新月 しんげつ は別 べつ の日 ひ に移 うつ るのである。
グレゴリオ暦 れき では平均 へいきん 太陽年 たいようねん を365.2425日 にち とした。(21世紀 せいき 初頭 しょとう の計算 けいさん では、平均 へいきん 回帰 かいき 年 ねん 365.24219日 にち 、春分 しゅんぶん 回帰 かいき 年 ねん ならば365.2424日 にち とリリウスの計算 けいさん に非常 ひじょう に近 ちか い値 ね が出 で ている。)設定 せってい した365.2425日 にち の0.2425日 にち という端 はし 数 すう を解消 かいしょう するために、0.2425=97÷400、つまり97日 にち の閏 うるう 日 び を400年 ねん の間 あいだ に導入 どうにゅう することとなった。単純 たんじゅん な4年 ねん ごとのルールでは閏年 うるうどし が400年間 ねんかん で100回 かい 挿入 そうにゅう することになってしまうので、「西暦 せいれき が4で割 わ り切 き れるが、100で割 わ り切 き れる年 とし は閏年 うるうどし としない(例 れい 1900年 ねん )。ただし、100と400両方 りょうほう で割 わ り切 き れる年 とし は閏年 うるうどし (例 れい 2000年 ねん )とする」という規則 きそく にし、できるだけ太陽年 たいようねん に合 あ わせている。97日 にち の閏 うるう 日 び は太陽年 たいようねん の長 なが さに対 たい する修正 しゅうせい であり、メトン周期 しゅうき の年 とし や朔 ついたち 望月 もちづき には影響 えいきょう を及 およ ぼさない。400年間 ねんかん で閏 うるう 日 び の入 はい らない3つの百 ひゃく の年 とし には、エパクトも数値 すうち を1つ減 へ らして調整 ちょうせい する。これを太陽 たいよう 方程式 ほうていしき [5] という。
一方 いっぽう 、無 む 調整 ちょうせい のままのユリウス暦 れき では、太陽年 たいようねん 19年 ねん 分 ぶん は235朔 ついたち 望月 もちづき よりも多少 たしょう 長 なが くなってしまった。約 やく 310年 ねん につき1日 にち の割合 わりあい で差 さ が出 で る。そのため、グレゴリオ暦 れき は2500年 ねん 周期 しゅうき で8回 かい 、エパクトの数値 すうち を1つ増 ふ やしている。これを太陰 たいいん 方程式 ほうていしき [6] という。第 だい 一 いち 回 かい は1800年 ねん に行 おこな われ、400年 ねん ごとに算入 さんにゅう される予定 よてい である。ただし、3900年 ねん と新 しん 周期 しゅうき の始 はじ まりである4300年 ねん の間 あいだ は400年 ねん の間隔 かんかく をおくことになっている。その影響 えいきょう でグレゴリオ暦 れき の太陰暦 たいいんれき 部分 ぶぶん は100から300年 ねん 周期 しゅうき のエパクト表 ひょう を用 もち いている。上記 じょうき のエパクト表 ひょう は1900年 ねん から2199年 ねん の間 あいだ のみ有効 ゆうこう である。
この計算 けいさん 方式 ほうしき にはいくつか微妙 びみょう な点 てん がある。
朔 さく 望月 もちづき は大 だい の月 つき (30日 にち )と小 しょう の月 つき (29日 にち )を繰 く り返 かえ す。そのため小 しょう の月 つき は、30あるエパクトのうち2つが同 おな じ日 び に配分 はいぶん される。黄金 おうごん 数 すう が11以上 いじょう になれば、エパクト25の年 とし はxxvでなく「25」を基本 きほん にする。他 た の数値 すうち でなく、xxv/25を動 うご かすのには理由 りゆう がある。
ディオニュシウス (彼 かれ のペトロニウスに宛 あ てた手紙 てがみ の説明 せつめい )によれば、ニカイア会議 かいぎ ではエウセビオス の権威 けんい のもと次 じ のように決定 けってい されたらしい。教会 きょうかい の計算 けいさん における太陰 たいいん 年 ねん の第 だい 一 いち 月 がつ は過 か 越 えつ 月 がつ (Paschal month 春分 しゅんぶん と過 か 越 えつ の祭 まつり がある月 つき )であり、3月8日 にち から4月 がつ 5日 にち の間 あいだ に始 はじ まり(新月 しんげつ )、14日 にち 目 め (満月 まんげつ )が3月21日 にち から4月 がつ 18日 にち の間 あいだ に来 こ なければならない。つまり新 あたら しい太陰 たいいん 年 ねん が始 はじ められる期間 きかん はわずか29日間 にちかん である。
たとえば、エパクト数値 すうち 26の年 とし はxxivと記 しる された3月 がつ 7日 にち が新月 しんげつ 。14日 にち 目 め (満月 まんげつ )は3月 がつ 20日 はつか で春分 しゅんぶん と定 さだ めた日 ひ (3月 がつ 21日 にち )より早 はや くなってしまう。エパクト数値 すうち 24の年 とし は過 か 越 えつ 月 つき の最初 さいしょ の新月 しんげつ が4月 がつ 6日 にち で遅 おそ すぎる。なぜなら満月 まんげつ が4月 がつ 19日 にち 、復活 ふっかつ 祭 さい が4月 がつ 26日 にち にまでずれこむからである。ユリウス暦 れき では最 もっと も遅 おそ い復活 ふっかつ 祭日 さいじつ は4月 がつ 25日 にち であった。グレゴリウス改革 かいかく の後 のち も4月 がつ 25日 にち までという期限 きげん を守 まも っている。つまり、遡 さかのぼ って計算 けいさん すれば満月 まんげつ は遅 おそ くとも4月 がつ 18日 にち まで、新月 しんげつ は遅 おそ くともエパクトxxivとxxvが記 しる された4月 がつ 5日 にち までということになる。4月5日 にち は小 しょう の月 つき に当 あ たり2つのエパクトが記 しる されている日 ひ である。前章 ぜんしょう で説明 せつめい したように、エパクトxxvは特殊 とくしゅ な扱 あつか いをしなければならない。
グレゴリオ暦 れき 570万 まん 年間 ねんかん の復活 ふっかつ 祭 さい の日付 ひづけ 分布 ぶんぷ
このような修正 しゅうせい の結果 けっか 、グレゴリオ暦 れき では年間 ねんかん 平均 へいきん が約 やく 3.87%と4月 がつ 19日 にち が最 もっと も復活 ふっかつ 祭日 さいじつ になりやすい日 ひ となっている。3月22日 にち は0.48%で最 もっと も復活 ふっかつ 祭日 さいじつ になりにくい日 ひ である。
太陽年 たいようねん の閏 うるう 日 び は、太陰暦 たいいんれき と太陽暦 たいようれき の日付 ひづけ の関係 かんけい に影響 えいきょう を及 およ ぼさない。基本 きほん 的 てき にグレゴリオ暦 れき はユリウス暦 れき と同 おな じく4年 ねん に1度 ど 閏 うるう 日 び を挿入 そうにゅう しており、メトン周期 しゅうき 19年 ねん 分 ぶん は閏 うるう 日 び が5日 にち なら計 けい 6940日 にち 、4日 にち なら計 けい 6939日 にち である。一方 いっぽう 、太陰 たいいん 年 ねん は354日 にち ×19年 ねん +エパクト11日 にち ×19年 ねん =6935日 にち である。閏 うるう 日 び を飛 と ばしてエパクトを数 かぞ え、閏 うるう 日 び がなかったかのように次 つぎ のサイクルを始 はじ めれば、閏 うるう 日 び のある朔 ついたち 望月 もちづき は1日 にち 長 なが くなってしまうが、朔 さく 望月 もちづき が235か月 げつ のままで太陽年 たいようねん 19年 ねん との等 ひと しさは変 か わらない。つまり暦 れき と月 つき の一致 いっち (ほどほどの期間 きかん の正確 せいかく さ)は、太陽暦 たいようれき の働 はたら きに任 まか せることができ、太陽暦 たいようれき を修正 しゅうせい する方法 ほうほう が用 もち いられている。すべては19太陽年 たいようねん =235朔 ついたち 望月 もちづき (長期 ちょうき 展望 てんぼう における正確 せいかく さ)という仮定 かてい の上 うえ に立 た っている。その結果 けっか 、計算 けいさん 上 じょう の月 つき の動 うご きは実際 じっさい より1日 にち ずれ、閏 うるう 日 び を含 ふく む朔 ついたち 望月 もちづき が実際 じっさい にはありえない31日 にち となることがある(短期 たんき 展望 てんぼう における不正確 ふせいかく さ)。これは太陽暦 たいようれき に規則 きそく 性 せい を組 く み込 こ むときに起 お こってしまう欠点 けってん である。
しかし、太陰暦 たいいんれき は太陽暦 たいようれき の誤差 ごさ からある程度 ていど 守 まも られている。というのは、閏 うるう 日 び は太陽年 たいようねん と暦 こよみ が最 もっと もシンクロしやすい時 とき に挿入 そうにゅう されているのではないからだ。閏 うるう 日 び の挿入 そうにゅう は百 ひゃく のつく年 とし (例 れい 1900年 ねん )には行 おこな わないが、100と400両方 りょうほう で割 わ り切 き れる年 とし (例 れい 2000年 ねん )は閏 うるう 日 び を入 い れるという追加 ついか ルールがある。しかし周期 しゅうき ごとに誤差 ごさ が累積 るいせき し、ずれが2日 にち 以上 いじょう になってしまう。そのためグレゴリオ暦 れき では、実際 じっさい の春分 しゅんぶん が起 お こるのは、3月20日 にち を中心 ちゅうしん とした53時 じ 間 あいだ の間 あいだ に広 ひろ がっている。1年 ねん の暦 こよみ から見 み ればどうと言 い うことはないかもしれないが、月 つき の暦 こよみ においては幅 はば が大 おお きすぎる。「太陽 たいよう 」方程式 ほうていしき を「太陰 たいいん 」方程式 ほうていしき と分 わ けたことで、太陰暦 たいいんれき には誤差 ごさ が及 およ ばずに済 す むのである。
太陽暦 たいようれき の誤差 ごさ のほかに、グレゴリオ暦 れき の太陰暦 たいいんれき 部分 ぶぶん にもいくつかの欠点 けってん がある。ただし、過 か 越 えつ 月 がつ や復活 ふっかつ 祭日 さいじつ の決定 けってい に影響 えいきょう を及 およ ぼすものではない。
朔 さく 望月 もちづき が31(時 じ には28)日 にち になってしまうことがある。
もし黄金 おうごん 数 すう 19の年 とし にエパクトも19であったなら、教会 きょうかい の計算 けいさん 上 じょう の最終 さいしゅう 新月 しんげつ は12月2日 にち で、次 つぎ の新月 しんげつ は翌年 よくねん の1月 がつ 1日 にち である。しかし、新 あたら しい年 とし の始 はじ まりにはサルトゥス・ルーナエといってエパクトを1つ増 ふ やすため、新月 しんげつ は前日 ぜんじつ (12月31日 にち )になってしまう。ということは、新月 しんげつ が新年 しんねん の記録 きろく から消 き えてしまう。ローマ・ミサ典礼 てんれい 書 しょ (英語 えいご 版 ばん ) のカレンダリウムは、これを考慮 こうりょ に入 い れており、このような年 とし には12月31日 にち のエパクトを20の代 か わりに19と記 しる すことにしている。修正 しゅうせい が入 はい る前 まえ のグレゴリオ暦 れき エパクト表 ひょう を使用 しよう していた頃 ころ は19年 ねん ごとに起 お こっていたが、1690年 ねん を最後 さいご に次回 じかい 8511年 ねん まで同 おな じ事態 じたい は起 お こらなくなった。
エパクト20の年 とし は、12月31日 にち に計算 けいさん 上 じょう の新月 しんげつ となる。もしそれが百 ひゃく の前 まえ の年 とし (下 した 二 に 桁 けた が99の年 とし )であったなら、たいてい百 ひゃく の年 とし に合 あ わせる「太陽 たいよう 方程式 ほうていしき 」によってエパクトを1つ減 へ らすことになる。その結果 けっか 、エパクトが「*」と記 しる され、1月 がつ 1日 にち も新月 しんげつ となる。新月 しんげつ が連続 れんぞく し、朔 さく 望 のぞむ 周期 しゅうき がたった1日 にち で終 お わったようになる。これは4200年 ねん の始 はじ まりごろに起 お こるであろう。
その後 ご も(ずっと後 のち だが)年 ねん の境 さかい に起 お こる問題 もんだい が出 で てくる。もしグレゴリオ暦 れき のルールが厳 きび しく守 まも られ、何 なに も手 て を加 くわ えなかった場合 ばあい 、計算 けいさん 上 じょう では新月 しんげつ と新月 しんげつ の間 あいだ が1、28、59(めったにないが58)日 にち も離 はな れてしまうことがある。
注意深 ちゅういぶか く分析 ぶんせき してみれば、グレゴリオ暦 れき の利用 りよう や修正 しゅうせい に用 もち いられる手段 しゅだん において、エパクトは朔 さく 望 のぞむ 日 び (朔 さく 望月 もちづき 30分 ぶん の1。インドに於 お けるティティ と同 おな じ)であり、実際 じっさい の1日 にち とは等 ひと しくないことがわかる。(詳 くわ しくはエパクト を参照 さんしょう のこと)
太陽 たいよう 方程式 ほうていしき と太陰 たいいん 方程式 ほうていしき は、400年 ねん (太陽 たいよう 方程式 ほうていしき )×2500年 ねん (太陰 たいいん 方程式 ほうていしき )=100世紀 せいき ごとに繰 く り返 かえ す。その期間 きかん 中 ちゅう に補正 ほせい されたエパクトは、
−
1
×
3
4
×
100
+
1
×
8
25
×
100
=
−
43
=
17
mod
3
0
{\displaystyle -1\times {\frac {3}{4}}\times 100+1\times {\frac {8}{25}}\times 100=-43=17{\bmod {3}}0}
-1修正 しゅうせい を4世紀 せいき ごとに3回 かい 繰 く り返 かえ すのを100世紀 せいき 間 あいだ 、+1修正 しゅうせい を25世紀 せいき ごとに8回 かい 繰 く り返 かえ すのを100世紀 せいき 間 あいだ で、合計 ごうけい 数値 すうち -43となる。30で割 わ り切 き るには17足 た りない。
17は30通 とお りの可能 かのう 性 せい があるエパクトに対 たい して素数 そすう である。そのためエパクトが繰 く り返 かえ すには100世紀 せいき ×30通 とお り=3000世紀 せいき かかり、同 おな じ黄金 おうごん 数 すう でエパクトを繰 く り返 かえ すとなると、3000世紀 せいき ×黄金 おうごん 数 すう 19通 とお り=57000世紀 せいき の月日 つきひ が要 い ることになる。その間 あいだ には、
(5,700,000年 ねん /19年 ねん ) × 235朔 ついたち 望月 もちづき + (−43/30エパクト) × (57,000世紀 せいき /100世紀 せいき )=70, 499,183 回 かい の朔 さく 望 のぞむ 周期 しゅうき がある。つまり、グレゴリオ暦 れき において全 まった く同 おな じ周期 しゅうき で復活 ふっかつ 祭日 さいじつ が繰 く り返 かえ されるのは、570万 まん 年 ねん =7049万 まん 9183回 かい の朔 ついたち 望月 もちづき =20億 おく 8188万 まん 2250日 にち ごとである。
しかし実際 じっさい には、何 なん 千 せん 年 ねん か経 へ た後 のち には春分 しゅんぶん 回帰 かいき 年 ねん 、朔 さく 望月 もちづき 、1日 にち の長 なが さが変化 へんか し、暦 こよみ の修正 しゅうせい が必要 ひつよう になるであろう。
グレゴリオ暦 れき へ改暦 かいれき する以前 いぜん にラテン(カトリック)教会 きょうかい が使用 しよう していた標準 ひょうじゅん 的 てき な「計算 けいさん 上 じょう の」満月 まんげつ の算出 さんしゅつ 手段 しゅだん は、ユリウス暦 れき と並行 へいこう した未 み 修正 しゅうせい のメトン19年 ねん 周期 しゅうき であった。上記 じょうき で述 の べられたエパクトで、*(数値 すうち 0)から開始 かいし してまったく修正 しゅうせい されない単純 たんじゅん なエパクト表 ひょう を有効 ゆうこう 的 てき に利用 りよう していた。エパクトは教会 きょうかい が認 みと める最 もっと も早 はや い復活 ふっかつ 祭日 さいじつ 、3月22日 にち のものを計算 けいさん していた。単純 たんじゅん に19年 ねん 繰 く り返 かえ すだけなので、3月21日 にち 以降 いこう の満月 まんげつ の日 ひ は19通 とお りしかなかった。
19年 ねん 周期 しゅうき の年 とし には黄金 おうごん 数 すう という通 とお し番号 ばんごう がついている。黄金 おうごん 数 すう という言葉 ことば は、1200年 ねん アレキサンダー・ヴィラ・デイ[7] による復活 ふっかつ 祭 さい 計算 けいさん の詩 し 『マッサ・コンポティ』[8] で最初 さいしょ に使 つか われた。後 ご の著述 ちょじゅつ 家 か が988年 ねん にフリュリのアッボ (英語 えいご 版 ばん ) が作成 さくせい した表 ひょう に黄金 おうごん 数 すう という言葉 ことば を付 つ け加 くわ えたのが下 した のメトン19年 ねん 周期 しゅうき 表 ひょう である。
ユリウス暦 れき でのメトン19年 ねん 周期 しゅうき
黄金 おうごん 数 すう
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
復活 ふっかつ 祭 さい の満月 まんげつ
5A
25M
13A
2A
22M
10A
30M
18A
7A
27M
15A
4A
24M
12A
1A
21M
9A
29M
17A
満月 まんげつ の日付 ひづけ のMは3月 がつ 、Aは4月 がつ 。
それぞれの年 とし の満月 まんげつ の日 ひ の次 つぎ にくる日曜 にちよう が復活 ふっかつ 祭日 さいじつ とされた。
1つの満月 まんげつ につき1週間 しゅうかん の曜日 ようび 、つまり7通 とお りの復活 ふっかつ 祭日 さいじつ があったわけだ。しかし日曜 にちよう 記号 きごう は7年 ねん ごとに繰 く り返 かえ さない。4年 ねん に1度 ど の閏年 うるうどし があるため、曜日 ようび がまったく同 おな じ順番 じゅんばん で繰 く り返 かえ すのは、閏年 うるうどし を含 ふく む4年 ねん ×7曜日 ようび =28年 ねん 、いわゆる太陽暦 たいようれき 周期 しゅうき [9] である。
復活 ふっかつ 祭日 さいじつ も、4年 ねん ×7曜日 ようび ×メトン周期 しゅうき 19年 ねん =532年 ねん ごとに繰 く り返 かえ すものだった。これは復活 ふっかつ 祭 さい 周期 しゅうき [10] 、あるいはこの表 ひょう を西暦 せいれき 457年 ねん にローマに持 も ち込 こ んだアキテーヌのビクトリウス にちなんでビクトリウス周期 しゅうき [11] と呼 よ ばれた。5世紀 せいき 初頭 しょとう にアレクサンドリアのアニアヌス (英語 えいご 版 ばん ) が利用 りよう したのが最初 さいしょ だと言 い われている。誤 あやま って西暦 せいれき 532年 ねん に復活 ふっかつ 祭日 さいじつ 表 ひょう を発表 はっぴょう したディオニュシウス・エクシグウス にちなんでディオニュシウス周期 しゅうき と呼 よ ばれることがある。しかしディオニュシウスは95年 ねん 周期 しゅうき 表 ひょう の不正確 ふせいかく さを知 し っていたが、自分 じぶん の編 あ み出 だ したアレクサンドリア計算 けいさん 法式 ほうしき が532年 ねん 周期 しゅうき だとは気 き づいていなかった。
初 はじ めて太陽暦 たいようれき 周期 しゅうき に気 き づき、メトン周期 しゅうき と太陽暦 たいようれき 周期 しゅうき の観点 かんてん から復活 ふっかつ 祭 さい 周期 しゅうき を導 みちび きだしたのは、7世紀 せいき の尊者 そんじゃ ベーダ だといわれている。
復活 ふっかつ 祭 さい の日付 ひづけ チェック[ 編集 へんしゅう ]
復活 ふっかつ 祭 さい の満月 まんげつ (18 - (年 とし mod 19 x 11 + N) mod 30) mod 31
年 とし mod 19
00
01
02
03
04
05
06
07
08
09
10
11
12
13
14
15
16
17
18
2200 ~ 2299 (N = 3 or 4 )
15A
04A
24M
12A
01A
21M
09A
29M
17A
06A
26M
14A
03A
23M
11A
31M
18A
08A
28M
1900 ~ 2199 (N = 4 or 5 )
14A
03A
23M
11A
31M
18A
08A
28M
16A
05A
25M
13A
02A
22M
10A
30M
17A
07A
27M
1700 ~ 1899 (N = 5)
13A
02A
22M
10A
30M
18A
07A
27M
15A
04A
24M
12A
01A
21M
09A
29M
17A
06A
26M
1583 ~ 1699 (N = 6 or 7 )
12A
01A
21M
09A
29M
17A
06A
26M
14A
03A
23M
11A
31M
18A
08A
28M
16A
05A
25M
ユリウス暦 れき (N = 13)
05A
25M
13A
02A
22M
10A
30M
18A
07A
27M
15A
04A
24M
12A
01A
21M
09A
29M
17A
上記 じょうき の表 ひょう で復活 ふっかつ 祭 さい の満月 まんげつ の日付 ひづけ を調 しら べ、復活 ふっかつ 祭 さい の日付 ひづけ を以下 いか の表 ひょう で調 しら べる。調 しら べる手順 てじゅん は以下 いか の通 とお りである。
復活 ふっかつ 祭 さい の満月 まんげつ の日 ひ の日付 ひづけ を调べる。
日曜 にちよう 記号 きごう を調 しら べると、年 とし 行 ぎょう と世 せい 纪列にある文字 もじ は日曜 にちよう 記号 きごう である。
日曜日 にちようび の日付 ひづけ を調 しら べると、赤 あか 日曜 にちよう 記号 きごう と同 おな じ列 れつ の日 ひ が日曜日 にちようび 。
復活 ふっかつ 祭 さい の日 ひ を决めると、満月 まんげつ 以降 いこう の最初 さいしょ の日曜日 にちようび が復活 ふっかつ 祭 さい である。
復活 ふっかつ 祭 さい の日付 ひづけ
22M
23M
24M
25M
26M
27M
28M
年 とし mod 100 mod 28
29M
30M
31M
01A
02A
03A
04A
05A
06A
07A
08A
09A
10A
11A
12A
13A
14A
15A
16A
17A
18A
19A
20A
21A
22A
23A
24A
25A
日曜 にちよう 記号 きごう
G
A
B
C
D
E
F
01
07
12
18
F
G
A
B
C
D
E
02
13
19
24
E
F
G
A
B
C
D
03
08
14
25
D
E
F
G
A
B
C
09
15
20
26
C
D
E
F
G
A
B
04
10
21
27
B
C
D
E
F
G
A
05
11
16
22
A
B
C
D
E
F
G
06
17
23
00
百 ひゃく 年 ねん 紀 き [年 とし /100]
20 16 19 12 05
-- -- 20 13 06
21 17 21 14 07
-- -- 22 15 08
22 18 23 16 09
-- -- 24 17 10
19 15 25 18 11
グレゴリオ暦 れき 世紀 せいき mod 4 ユリウス暦 れき 世紀 せいき mod 7 --
例 れい 1: 2018年 ねん は、2018 mod 19 = 4、グレゴリオ暦 れき の満月 まんげつ の日 ひ = 31M、日曜 にちよう 記号 きごう = G、日曜日 にちようび の日付 ひづけ = 25M 1A 8A 15A 22A、復活 ふっかつ 祭 さい の日付 ひづけ が4月 がつ 1日 にち である。ユリウス暦 れき の満月 まんげつ の日 ひ = 22M、日曜 にちよう 記号 きごう = A、日曜日 にちようび の日付 ひづけ = 26M 2A 9A 16A 23A、復活 ふっかつ 祭 さい の日付 ひづけ が3月26日 にち (グレゴリオ暦 れき の4月 がつ 8日 にち ) である。
例 れい 2: 1582年 ねん は、1582 mod 19 = 5、ユリウス暦 れき の満月 まんげつ の日 ひ = 10A、82 mod 28 = 26、日曜 にちよう 記号 きごう = G、日曜日 にちようび の日付 ひづけ = 25M 1A 8A 15A 22A、復活 ふっかつ 祭 さい の日付 ひづけ が4月 がつ 15日 にち である。
アルゴリズム計算 けいさん 方式 ほうしき [ 編集 へんしゅう ]
復活 ふっかつ 祭 さい の日曜日 にちようび の日付 ひづけ を計算 けいさん するアルゴリズム を最初 さいしょ に発表 はっぴょう したのは数学 すうがく 者 しゃ ガウス である。日付 ひづけ は次 つぎ の公式 こうしき で求 もと められる。
該当 がいとう する年 とし をyとする。
mod
{\displaystyle {\bmod {}}}
は整数 せいすう で割 わ ったときの余 あま りを示 しめ す。まず以下 いか の
a
{\displaystyle a}
、
b
{\displaystyle b}
、
c
{\displaystyle c}
を計算 けいさん する。
次 つぎ にdとeを下 した の公式 こうしき で導 みちび き出 だ す。
d
=
(
19
a
+
M
)
mod
3
0
{\displaystyle d=(19a+M){\bmod {3}}0}
e
=
(
2
b
+
4
c
+
6
d
+
N
)
mod
7
{\displaystyle e=(2b+4c+6d+N){\bmod {7}}}
ユリウス暦 れき (東方 とうほう 教会 きょうかい で用 もち いられる)では
M
=
15
{\displaystyle M=15}
、
N
=
6
{\displaystyle N=6}
を挿入 そうにゅう する。グレゴリオ暦 れき (西方 せいほう 教会 きょうかい で用 もち いられる)ではMとNの値 ね は次 つぎ の表 ひょう から拾 ひろ う。
西暦 せいれき
M
{\displaystyle M}
N
{\displaystyle N}
1583 - 1699年 ねん
22
2
1700 - 1799年 ねん
23
3
1800 - 1899年 ねん
23
4
1900 - 2099年 ねん
24
5
2100 - 2199年 ねん
24
6
2200 - 2299年 ねん
25
0
d
+
e
<
10
{\displaystyle d+e<10}
(
d
{\displaystyle d}
と
e
{\displaystyle e}
の和 わ が
10
{\displaystyle 10}
より小 ちい さかったら)、復活 ふっかつ 祭 さい は3月の
(
d
+
e
+
22
)
{\displaystyle (d+e+22)}
日 にち となる。それ以外 いがい は、4月 がつ
(
d
+
e
−
9
)
{\displaystyle (d+e-9)}
日 にち となる。
ただし、次 つぎ のような例外 れいがい がある。
公式 こうしき によって算出 さんしゅつ した日 ひ にちが4月 がつ 26日 にち であれば、復活 ふっかつ 祭 さい は4月 がつ 19日 にち となる。
公式 こうしき によって算出 さんしゅつ した日 ひ にちが4月 がつ 25日 にち で、なおかつ
d
=
28
{\displaystyle d=28}
、
e
=
6
{\displaystyle e=6}
そして
a
>
10
{\displaystyle a>10}
であるならば、復活 ふっかつ 祭 さい は4月 がつ 18日 にち となる。
メーウス・ジョーンズ・ブッチャーのグレゴリオ暦 れき アルゴリズム [ 編集 へんしゅう ]
ジャン・メーウス は、著書 ちょしょ 『アストロノミカル・アルゴリズムス』[12] において復活 ふっかつ 祭 さい の日曜日 にちようび の計算 けいさん アルゴリズムを紹介 しょうかい した。これはハロルド・スペンサー=ジョーンズ の『ジェネラル・アストロノミー』[13] と、1977年 ねん の英国 えいこく 天文 てんもん 協会 きょうかい の定期 ていき 刊行 かんこう 誌 し [14] を引用 いんよう している。定期 ていき 刊行 かんこう 誌 し の方 ほう は1876年 ねん 発行 はっこう の『ブッチャー教会 きょうかい 暦 れき 』[15] からの引用 いんよう である。
この手法 しゅほう では、グレゴリオ暦 れき すべての年 とし に有効 ゆうこう で、なおかつ例外 れいがい はなく、表 おもて 作成 さくせい も不要 ふよう である。
表記 ひょうき 法 ほう は前述 ぜんじゅつ のガウス・アルゴリズムと同 おな じ。すべての数値 すうち は、
⌊
7
3
⌋
=
2
{\displaystyle \left\lfloor {\frac {7}{3}}\right\rfloor =2}
(小数 しょうすう を切 き り捨 す て)、
7
mod
3
=
1
{\displaystyle 7{\bmod {3}}=1}
(割 わ り算 ざん の余 あま り)というように整数 せいすう である。
Y
{\displaystyle Y}
(西暦 せいれき 年 ねん )
1961年 ねん
2000年 ねん
a
=
Y
mod
1
9
{\displaystyle a=Y{\bmod {1}}9}
1961
mod
1
9
=
4
{\displaystyle 1961{\bmod {1}}9=4}
2000
mod
1
9
=
5
{\displaystyle 2000{\bmod {1}}9=5}
b
=
Y
/
100
{\displaystyle b=Y/100}
⌊
1961
100
⌋
=
19
{\displaystyle \left\lfloor {\frac {1961}{100}}\right\rfloor =19}
⌊
2000
100
⌋
=
20
{\displaystyle \left\lfloor {\frac {2000}{100}}\right\rfloor =20}
c
=
Y
mod
1
00
{\displaystyle c=Y{\bmod {1}}00}
1961
mod
1
00
=
61
{\displaystyle 1961{\bmod {1}}00=61}
2000
mod
1
00
=
0
{\displaystyle 2000{\bmod {1}}00=0}
d
=
b
/
4
{\displaystyle d=b/4}
⌊
19
4
⌋
=
4
{\displaystyle \left\lfloor {\frac {19}{4}}\right\rfloor =4}
⌊
20
4
⌋
=
5
{\displaystyle \left\lfloor {\frac {20}{4}}\right\rfloor =5}
e
=
b
mod
4
{\displaystyle e=b{\bmod {4}}}
19
mod
4
=
3
{\displaystyle 19{\bmod {4}}=3}
20
mod
4
=
0
{\displaystyle 20{\bmod {4}}=0}
f
=
⌊
b
+
8
25
⌋
{\displaystyle f=\left\lfloor {\frac {b+8}{25}}\right\rfloor }
⌊
19
+
8
25
⌋
=
1
{\displaystyle \left\lfloor {\frac {19+8}{25}}\right\rfloor =1}
⌊
20
+
8
25
⌋
=
1
{\displaystyle \left\lfloor {\frac {20+8}{25}}\right\rfloor =1}
g
=
⌊
b
−
f
+
1
3
⌋
{\displaystyle g=\left\lfloor {\frac {b-f+1}{3}}\right\rfloor }
⌊
19
−
1
+
1
3
⌋
=
6
{\displaystyle \left\lfloor {\frac {19-1+1}{3}}\right\rfloor =6}
⌊
20
−
1
+
1
3
⌋
=
6
{\displaystyle \left\lfloor {\frac {20-1+1}{3}}\right\rfloor =6}
h
=
(
19
×
a
+
b
−
d
−
g
+
15
)
mod
3
0
{\displaystyle h=(19\times a+b-d-g+15){\bmod {3}}0}
(
19
×
4
+
19
−
4
−
6
+
15
)
mod
3
0
=
10
{\displaystyle (19\times 4+19-4-6+15){\bmod {3}}0=10}
(
19
×
5
+
20
−
5
−
6
+
15
)
mod
3
0
=
29
{\displaystyle (19\times 5+20-5-6+15){\bmod {3}}0=29}
i
=
⌊
c
4
⌋
{\displaystyle i=\left\lfloor {\frac {c}{4}}\right\rfloor }
⌊
61
4
⌋
=
15
{\displaystyle \left\lfloor {\frac {61}{4}}\right\rfloor =15}
⌊
0
4
⌋
=
0
{\displaystyle \left\lfloor {\frac {0}{4}}\right\rfloor =0}
k
=
c
mod
4
{\displaystyle k=c{\bmod {4}}}
61
mod
4
=
1
{\displaystyle 61{\bmod {4}}=1}
0
mod
4
=
0
{\displaystyle 0{\bmod {4}}=0}
L
=
(
32
+
2
×
e
+
2
×
i
−
h
−
k
)
mod
7
{\displaystyle L=(32+2\times e+2\times i-h-k){\bmod {7}}}
(
32
+
2
×
3
+
2
×
15
−
10
−
1
)
mod
7
=
1
{\displaystyle (32+2\times 3+2\times 15-10-1){\bmod {7}}=1}
(
32
+
2
×
0
+
2
×
0
−
29
−
0
)
mod
7
=
3
{\displaystyle (32+2\times 0+2\times 0-29-0){\bmod {7}}=3}
m
=
⌊
a
+
11
×
h
+
22
×
L
451
⌋
{\displaystyle m=\left\lfloor {\frac {a+11\times h+22\times L}{451}}\right\rfloor }
⌊
4
+
11
×
10
+
22
×
1
451
⌋
=
0
{\displaystyle \left\lfloor {\frac {4+11\times 10+22\times 1}{451}}\right\rfloor =0}
⌊
5
+
11
×
29
+
22
×
3
451
⌋
=
0
{\displaystyle \left\lfloor {\frac {5+11\times 29+22\times 3}{451}}\right\rfloor =0}
M
=
⌊
h
+
L
−
7
×
m
+
114
31
⌋
{\displaystyle M=\left\lfloor {\frac {h+L-7\times m+114}{31}}\right\rfloor }
⌊
10
+
1
−
7
×
0
+
114
31
⌋
=
4
{\displaystyle \left\lfloor {\frac {10+1-7\times 0+114}{31}}\right\rfloor =4}
⌊
29
+
3
−
7
×
0
+
114
31
⌋
=
4
{\displaystyle \left\lfloor {\frac {29+3-7\times 0+114}{31}}\right\rfloor =4}
D
=
(
(
h
+
L
−
7
×
m
+
114
)
mod
3
1
)
+
1
{\displaystyle D=((h+L-7\times m+114){\bmod {3}}1)+1}
(
10
+
1
−
7
×
0
+
114
)
mod
3
1
+
1
=
2
{\displaystyle (10+1-7\times 0+114){\bmod {3}}1+1=2}
(
29
+
3
−
7
×
0
+
114
)
mod
3
1
+
1
=
23
{\displaystyle (29+3-7\times 0+114){\bmod {3}}1+1=23}
Y
{\displaystyle Y}
年 とし
M
{\displaystyle M}
月 つき
D
{\displaystyle D}
日 ひ
1961年 ねん 4月 がつ 2日 にち
2000年 ねん 4月 がつ 23日 にち
メーウスのユリウス暦 れき アルゴリズム [ 編集 へんしゅう ]
スウェーデンの計算 けいさん 表 ひょう (1140年 ねん -1671年 ねん )。かつてはすべての教会 きょうかい でユリウス暦 れき をもとにした表 ひょう で日付 ひづけ を求 もと めていた。
ジャン・メーウス はまた、著書 ちょしょ 『アストロノミカル・アルゴリズムス』[16] において、ユリウス暦 れき における復活 ふっかつ 祭 さい の日曜日 にちようび を求 もと める公式 こうしき も発表 はっぴょう した。
この手法 しゅほう はすべてのユリウス暦 れき に有効 ゆうこう で、なおかつ例外 れいがい はなく、表 おもて 作成 さくせい も不要 ふよう である。
表記 ひょうき 法 ほう は前述 ぜんじゅつ のガウスのアルゴリズムに準 じゅん ずる。すべての数値 すうち は、
⌊
7
3
⌋
=
2
{\displaystyle \left\lfloor {\frac {7}{3}}\right\rfloor =2}
(商 しょう の小数 しょうすう 切 き り捨 す て)、
7
mod
3
=
1
{\displaystyle 7{\bmod {3}}=1}
(|割 わ り算 ざん の余 あま り)というように整数 せいすう である。
^ 英 えい : Solar year
^ 英 えい : Lunar year
^ ギリシア語 ご : επακταί‘ημέραι
^ 羅 ら : Saltus lunae 、ラテン語 らてんご で月 つき の跳躍 ちょうやく の意 い
^ 英 えい : Solar equation
^ 英 えい : Lunar equation
^ 羅 ら : Alexander de Villa-Dei
^ 羅 ら : Massa Compoti
^ 英 えい : Solar cycle
^ 英 えい : Paschal cycle
^ 英 えい : Vicrorian cycle
^ 『Astronomical Algorithms 』1991年 ねん 発行 はっこう ISBN 0943396611
^ 『General Astronomy 』1922年 ねん 発行 はっこう
^ 『Journal of the British Astronomical Association 』
^ Butcher's Ecclesiastical Calendar
^ Astronomical Algorithms 、1991年 ねん 発行 はっこう ISBN 0943396611