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コンプトゥス

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コンプトゥス(: computusラテン語らてんご計算けいさん)は、キリスト教きりすときょう教会きょうかいれきにおける復活ふっかつさい算出さんしゅつすることである。正式せいしきにはコンプトゥス・パスカーリス: computus paschalis復活ふっかつさい計算けいさん」の)という。この算出さんしゅつ方法ほうほう中世ちゅうせいもっと重要じゅうよう計算けいさんの1つであったため、中世ちゅうせい初期しょきから現在げんざいいたるまで「コンプトゥス」といえば復活ふっかつさい日付ひづけ計算けいさん意味いみした。

概要がいよう[編集へんしゅう]

毎年まいとし12月25にちいわクリスマスなどとはことなり、復活ふっかつさい移動いどう祝日しゅくじつという日付ひづけ固定こていしない祝日しゅくじつである。日本にっぽん春分しゅんぶんのように春分しゅんぶんてん天文てんもん計算けいさんによって決定けっていする。ちなみにキリスト教きりすときょう教会きょうかいれきにおいて春分しゅんぶん3月21にち固定こていされており、復活ふっかつ祭日さいじつ計算けいさんかせないである。

教会きょうかいほう、すなわちだい1ニカイアこう会議かいぎ決議けつぎでは、「3がつ21にちこよみじょう春分しゅんぶん当日とうじつあるいはそれ以降いこう最初さいしょこよみじょう満月まんげつ新月しんげつからかぞえて14にち)をぎたあとの最初さいしょ日曜日にちようび」が復活ふっかつさいにあたる。祝祭日しゅくさいじつ決定けっていするのに、ユダヤ教徒きょうと実際じっさいつき観測かんそくをもとにしたが、キリストきょうは「教会きょうかいによる計算けいさんじょうの」がつけをもちいることにめた。

背景はいけい[編集へんしゅう]

地球ちきゅう太陽たいようまわりをまわる周期しゅうき基本きほんにする太陽暦たいようれきも、さく望月もちづきというつきけを1かげつとする太陰暦たいいんれき太陰たいいん太陽暦たいようれきも、天文てんもん現象げんしょうをもとにこよみ計算けいさんおこなときには無理むりすうとおくなるようなけた有理数ゆうりすうかべにぶつかる。大昔おおむかし天文学てんもんがくしゃ数学すうがくしゃたちは天文てんもん周期しゅうきひょうかんがし、測量そくりょう技術ぎじゅつ数学すうがく理論りろん発展はってんともない、また文明ぶんめい発達はったつでより正確せいかくこよみもとめられるうごきに沿い、補正ほせい改暦かいれきおこなってきた。

1582ねんにグレゴリオれき採用さいようしたローマ教皇きょうこうグレゴリウス13せい

21世紀せいき現在げんざい世界中せかいじゅうおおくのくに導入どうにゅうされているグレゴリオれきは、そもそも16世紀せいきカトリック教会きょうかいつくげたものである。当時とうじ使つかわれていたユリウスれき紀元前きげんぜん導入どうにゅうされ、年間ねんかん誤差ごさが-11ふん程度ていどであった。しかし月日つきひつうちに誤差ごさ累積るいせきし、16世紀せいきには教会きょうかいのいう「春分しゅんぶん」である3がつ21にち実際じっさい春分しゅんぶんより10にちおくれていた。これは復活ふっかつさい日付ひづけ計算けいさん障害しょうがいとなり、またカトリック教会きょうかい沽券こけんかかわる問題もんだいでもあった。そこで教会きょうかい当時とうじ科学かがくいきあつめて、グレゴリオれきあたらしいコンプトゥスをつくげた。グレゴリオれきには宗教しゅうきょうてき要素ようそとく正確せいかく復活ふっかつ祭日さいじつ計算けいさんという目的もくてきがあったのである。誤差ごさはユリウスれきの128ねんに1にちから、3000ねんに1にちちぢまり、精度せいど格段かくだんがった。

一方いっぽう正教会せいきょうかいカルケドンなどの東方とうほう教会きょうかいは、このこよみ変更へんこう普遍ふへんこう会議かいぎ決定けっていによらず、だい1ニカイアこう会議かいぎ決定けっていをくつがえす合法ごうほうてき根拠こんきょがないとみなし、現在げんざい基本きほんてきにユリウスれきもちいつづけている(ただし、アッシリア東方とうほう教会きょうかいは1964ねん以降いこうグレゴリオれき採用さいようしている)。

キリスト教きりすときょう復活ふっかつさいユダヤきょうこし(すぎこし)のまつり密接みっせつ関係かんけいにある。フランス語ふらんすごイタリアロシアなどほとんどの印欧語いんおうごでは、復活ふっかつさいあらわ単語たんご直接ちょくせつえつさい意味いみするかたり由来ゆらいする。ユダヤきょうにおけるえつ準備じゅんびは、ニサンのつきユダヤれき春分しゅんぶんふくつき10日とおか生贄いけにえ子羊こひつじ用意よういすることからはじまった。旧約きゅうやく聖書せいしょには14にち夕暮ゆうぐれに生贄いけにえ子羊こひつじころし、その戸口とぐちったいえかみ天罰てんばつが「し」(エジプト 12しょう6-7、12-13せつ)たという。それをおもいわうのがえつまつりである。イエス・キリストはそのまつり時期じき十字架じゅうじかにかけられた(ルカによる福音ふくいんしょ 22しょう1-7せつ)。キリスト教徒きりすときょうとにとってえつまつりは、イエス・キリストが生贄いけにえ子羊こひつじとなり(コリント使徒しとへの手紙てがみ1 5しょう7せつ)、かれながしたによって人間にんげんかみからのばちすことができるということを象徴しょうちょうしているのである。

そのためグレゴリオれき太陽暦たいようれきでありながら、太陰たいいん太陽暦たいようれきのニサンのつき春分しゅんぶん)にこだわり、だい1ニカイアこう会議かいぎ決定けっていした「3がつ21にち以降いこう最初さいしょ満月まんげつ」というキーワードをまもるため、太陰暦たいいんれきつきけ)ともかかわりあいをつづけているのである。

世界せかい宗教しゅうきょうになりつつあったカトリックでは、ユニバーサルな計算けいさん方法ほうほう必要ひつようであった。キリストきょう実際じっさい天文てんもん観測かんそくでなく「教会きょうかいによる計算けいさんじょうの」がつけをもちいることにめた理由りゆうはここにある。地球ちきゅうから新月しんげつ瞬間しゅんかんぜん世界せかいどこでもおなじである。しかしおな夜空よぞらながめていてもヨーロッパは午後ごご9日本にっぽん翌朝よくあさ4である。つまり時差じさによって、さく望月もちづきが1にちずれるのである。「3がつ21にち以降いこう最初さいしょ満月まんげつ」がヨーロッパで土曜どよう日本にっぽん日曜にちようなら、復活ふっかつさい日付ひづけは1週間しゅうかんずれてしまうことになる。地域ちいきえてぜん世界せかい共通きょうつう教会きょうかいれきつくげるために、教会きょうかいはできるだけ天文てんもん現象げんしょう忠実ちゅうじつであろうとしながらも、実際じっさいとはことなる「教会きょうかい計算けいさんじょうの」春分しゅんぶん新月しんげつ満月まんげつもちいることにしたのである。よってほんこうにおける新月しんげつ満月まんげつというのは、原則げんそくとして「計算けいさんじょうの」新月しんげつ満月まんげつであるということに留意りゅういしなくてはならない。

歴史れきし[編集へんしゅう]

復活ふっかつさいキリスト教きりすときょうもっと重要じゅうよう祝祭日しゅくさいじつである。それと同時どうじに、復活ふっかついわうのにてきした選択せんたくについてもおおくの論争ろんそう惹起じゃっきされた。太陽暦たいようれきユリウスれき使用しようしていたキリスト教徒きりすときょうとにとって、イエス・キリスト受難じゅなん復活ふっかつ太陰たいいん太陽暦たいようれきユダヤれきもとづいておこなわれるこし(すぎこし)まつりの時期じきこったことであった。このため、なにただしい日付ひづけであるかについて、古代こだいにはいくつかの議論ぎろんがおこった。

現在げんざい記録きろくのこ最古さいこ論争ろんそうのひとつは、西暦せいれき154ねんのローマ主教しゅきょうアニケトゥスとスミュルナ(Smyrna主教しゅきょうポリュカルポス(Polycarp)のあいだにおこった。

この日付ひづけちがいは、復活ふっかつさい神学しんがくてき位置付いちづけのちがいに起因きいんする。アンティオケイアを中心ちゅうしんとするアシア地区ちくでは、キリストの最後さいご晩餐ばんさん記念きねんしてニサン14にち復活ふっかつさいいわわれていたが、ローマではニサン14にちのあとの最初さいしょおも復活ふっかつさいいわわれていた。エウセビオスは、2世紀せいきにおける復活ふっかつさい日付ひづけ論争ろんそうについてしるし、ローマ主教しゅきょうウィクトルが、ニサン14にちのあとの最初さいしょおもただしい日付ひづけとしつつ、アンティオケイアの習慣しゅうかん尊重そんちょうし、かれらが独自どくじ伝承でんしょうまもることを承認しょうにんしている。

325ねんだい1ニカイアこう会議かいぎで、キリスト教徒きりすときょうと教徒きょうとあいだ共通きょうつうで、ユダヤきょうとは関連かんれんのない手法しゅほう使つかうことに同意どういした。そして復活ふっかつさいかならずイエスが復活ふっかつした曜日ようび、ゆえにキリスト教きりすときょうせいなるおもすなわち日曜日にちようびいわうことをめた。じゅうよんにち遵守じゅんしゅQuatrodicimans)は、ユダヤきょうこよみしたがい、曜日ようびかかわらずイエスが磔刑たっけいされたニサンのつき14にち復活ふっかつさいおこなうことを希望きぼうした。

フィリップ・シャフ(Philip Schaff)の『キリスト教会きょうかい歴史れきし』('History of the Christian Church' )3かん79、『復活ふっかつさい時期じき』にはつぎのようにべられている。

そのとき以来いらい復活ふっかつ祝祭しゅくさい何処どこでも日曜にちようおこなわれることとなった。けっしてユダヤきょうえつ祭日さいじつにはおこなわず、ニサンのつき14にちのち春分しゅんぶんのあとの最初さいしょ満月まんげつ日曜にちようである。この規則きそく根底こんていには、あるじ十字架じゅうじかにかけることでえつまつりよごしたユダヤきょうへの反抗はんこうがあった。

しかし実用じつようてき復活ふっかつ祭日さいじつ算出さんしゅつガイドラインがつくられておらず、キリストきょう全体ぜんたい同意どういできるような計算けいさん手法しゅほうができるまでそのすう世紀せいきようした。

エジプトの都市としアレクサンドリアまれた計算けいさん手法しゅほう権威けんいある計算けいさんほう「コンプトゥス」となった。太陽年たいようねんの19ねん周期しゅうきであるメトン周期しゅうきにおける計算けいさんじょうつき(実際じっさい観測かんそくとはことなる)をあらわしたエパクトという数値すうち使つかうものである。この方法ほうほう西暦せいれき277ねんラオディケア(Laodicea げんシリア)の司教しきょうアナトリオス(Anatolios)によってはじめて利用りようされた。アレクサンドリアじんは、当時とうじ市内しないユダヤじんコミュニティーもちいられていた一般いっぱんエジプトじん太陽暦たいようれき基本きほんにした類似るいじこよみから、アレクサンドリア方式ほうしきみちびしたのかもしれない。この方式ほうしきは21世紀せいき初頭しょとうエチオピアしきコンピュタスで使用しようされている。アレクサンドリア方式ほうしき復活ふっかつさいひょうは、390ねんごろのアレクサンドリアの司教しきょうテオフィロス (Theophilus)から444ねんごろ司教しきょうキュリロス(Cyril)のあいだ作成さくせいされた。コンスタンティノープルでは司教しきょうアナトリオスののち、そして だい1ニカイアこう会議かいぎ以降いこうかず世紀せいきにわたって数種類すうしゅるいのコンプトゥスが使つかわれていたが、復活ふっかつさい偶然ぐうぜんにもアレクサンドリア方式ほうしき一致いっちしていた。ひがしマ帝国まていこく東部とうぶ前線ぜんせんにあった教会きょうかいは6世紀せいきにアレクサンドリア方式ほうしきから逸脱いつだつし、21世紀せいき現在げんざいも532ねんごとに4かい正教会せいきょうかいとはことなった日付ひづけ復活ふっかつさいいわっている。

このアレクサンドリアしき計算けいさん手法しゅほうディオニュシウス・エクシグウスによってローマでアレクサンドリアれきからユリウスれき変換へんかんされたが、たった95ねんあいだだった。ディオニュシウスが525ねんあたらしい復活ふっかつさい計算けいさんひょう発表はっぴょうし、キリスト教きりすときょうれき(キリストの生誕せいたんからかぞはじめるこよみ)を導入どうにゅうしたからだ。ローマの教会きょうかいがいつディオニュシウスの計算けいさんひょう採用さいようしたかはわからないが、はやければ6世紀せいきだっただろう。この計算けいさんひょうは664ねんにウィットビーの教会きょうかい会議かいぎ英国えいこく採用さいようされ、725ねんにはベーダによって完全かんぜん解説かいせつされた。その、ベーダの従者じゅうしゃであったアルクィンとおしてはやければ782ねんカール大帝たいていによってフランク王国おうこく教会きょうかいにも採用さいようされた可能かのうせいがある。 アロイシウス・リリウスだい部分ぶぶんつくげたグレゴリオれき改定かいていされるまで、西にしヨーロッパではディオニュシウス・ベーダしきコンプトゥスが使つかわれていた。

ディオニュシウスの計算けいさんひょう以前いぜんは、ローマ教会きょうかい使つかっていたふる方式ほうしきがあった。もっとふるいとわれるローマの計算けいさんひょうは222ねんにヒッポリュトス (Hippolytus)が案出あんしゅつした8ねん周期しゅうきもとづくものである。その、3世紀せいきわりちかくに84ねん周期しゅうきひょうがアウグスタリスによってローマに紹介しょうかいされた。これらのふる計算けいさんひょうは、イギリス諸島しょとうでは664ねんまで、遠隔えんかく修道院しゅうどういんではおそければ931ねんまで使つかわれていた。4世紀せいき前半ぜんはんに84ねん周期しゅうき改訂かいていばんがローマで採用さいようされた。457ねんアキテーヌのヴィクトリウス(Victorius of Aquitaine)がアレクサンドリア方式ほうしきを532ねん周期しゅうきひょうにしてローマ方式ほうしきれようとしたが、重大じゅうだい間違まちがいをふくんでしまった。ヴィクトリウスの計算けいさんひょうガリアげんフランス)とスペインで8世紀せいきまつにディオニュシウスしき変更へんこうするまで使用しようされていた。

ルドルフほしひょう

あたらしい計算けいさん手段しゅだん導入どうにゅう時期じき地域ちいきによってことなるのは地理ちりてき要因よういんのほかに、宗教しゅうきょうてき理由りゆうがある。グレゴリオれきカトリック教会きょうかいつくしたものである。カトリックに追随ついずいするのをきらったプロテスタントは、独自どくじ方法ほうほう復活ふっかつさい日付ひづけしゅっそうした。カトリック諸国しょこくよりずっとおくれてグレゴリオれき導入どうにゅうしたのちも、ヨハネス・ケプラーつくしたルドルフほしひょうをもとにカトリックとはことなった手段しゅだん復活ふっかつ祭日さいじつ計算けいさんおこなっていた。しかし、グレゴリオれき基本きほんのためカトリックの計算けいさん内容ないようたいしたちがいはなかった。

21世紀せいきはいってからも東方とうほう教会きょうかい条件じょうけんこそ「3がつ21にち以後いご満月まんげつぎた最初さいしょ日曜日にちようび」と西方せいほう教会きょうかいおなじだが、ユリウスれきもちいている。ユリウスれきの3がつ21にちであるためグレゴリオれき復活ふっかつ祭日さいじつことなることがおおく、一致いっちするのは3ねんに1かい程度ていどである。たとえば2006ねん西方せいほう教会きょうかい復活ふっかつさいは4がつ16にちだが、東方とうほう教会きょうかいは1週間しゅうかんおくれの23にち復活ふっかつさいいわう。2007ねん両方りょうほうとも4がつ8にちいわう。

理論りろん[編集へんしゅう]

新月しんげつ(ついたち)から満月まんげつ(もち)を新月しんげつ(ついたち)にもど周期しゅうきを1かげつとするさく望月もちづき

太陽年たいようねん[1]太陽たいよううごきをった1ねんである。太陽たいよう春分しゅんぶんてんから黄道こうどううえ移動いどうしてふたた春分しゅんぶんてんもどってくるまでを 1ねんとし、ちいさい剰余じょうよはあるが365にち周期しゅうきである。太陰たいいんねん[2]は、つきけでこよみかぞえる。新月しんげつから満月まんげつつぎ新月しんげつまでのさくのぞむ周期しゅうきつきさく望月もちづき)とかんがえ、その12かげつぶんを1ねんとする。平均へいきんついたち望月もちづきはこれもちいさい余剰よじょうがあるが29と半日はんにちなので、太陰たいいんねんは354にちになる。太陽年たいようねん太陰たいいんねんより11にちながいわけである。たとえば1がつ1にちついたち望月もちづきはじまりである新月しんげつならば太陽年たいようねん太陰たいいんねん同時どうじはじまるわけだが、太陽年たいようねんわるとき太陰たいいんねんはすでにつぎとしの11にちになっている。毎年まいとし太陰たいいんねんが11にちはやはじまるのだから、2ねんてばそのは22にまで累積るいせきする。このように太陰たいいんねん太陽年たいようねんよりすすみすぎて過剰かじょうになったぶんエパクトギリシアでエパクタイ・ヘーメライ[3]余所よそからされた日々ひび)という。太陰たいいんねんにおける正確せいかくるには、太陽年たいようねん日付ひづけにエパクトの数値すうちくわえなければならない。エパクトの数値すうちが30をえれば、太陰たいいんねんにもう1かげつ(いわゆる閏月じゅんげつ)を挿入そうにゅうしてエパクトすうから30をく。

太陽年たいようねん太陰たいいんねんが19ねんごとに一致いっちするというメトン周期しゅうきは、太陽年たいようねん19ねんぶんさくのぞむ周期しゅうき235回分かいぶんひとしいと仮定かていしている。19ねんって太陽年たいようねんはじまりとさく望月もちづき開始かいし一致いっちするなら、エパクトは単純たんじゅんに19ねんごとにかえされるはずである。しかしいちかいのメトン周期しゅうき累積るいせきするエパクト総数そうすう(1ねんあたり11にちのずれが19ねんぶん)。 と、ではれずあまっている。そこで周期しゅうきわりにエパクトに1を加算かさんし、状態じょうたいにしてからふたた周期しゅうきはじめなければならない。この周期しゅうき最後さいごにエパクトへ加算かさんすることをサルトゥス・ルーナエ[4]ぶ。 太陰たいいんねんは11にちみじかいために、太陽年たいようねんとの年間ねんかんまでえるわけだが、これをついたち望月もちづき閏月じゅんげつつ(30にち/つき×6ヶ月かげつ + 29にち/つき×1ヶ月かげつつくって解決かいけつしている。太陽年たいようねん19ねんひとしいついたち望月もちづきヶ月かげつぶんというのは、太陰たいいんねん19ねんぶんにこの閏月じゅんげつくわえられたかずである(12ヶ月かげつ/とし×19ねん閏月じゅんげつ7かげつ=235ヶ月かげつ)。

メトン周期しゅうきの19ねんは1から19までの黄金おうごんすうというとお番号ばんごうがついており、以下いか公式こうしきもとめることができる。


: 黄金おうごんすう: 西暦せいれきねん

つまり、西暦せいれきねんったときのあまりにしたものが黄金おうごんすうである。

おもて計算けいさん方式ほうしき[編集へんしゅう]

グレゴリオれき[編集へんしゅう]

1582ねん発布はっぷされたグレゴリオれきとともにあたらしいコンピュタスが導入どうにゅうされた。まずそのとしのエパクトをひょうから調しらべる。エパクトのは、30と0両方りょうほう数値すうち意味いみする「*」(30にちふたたびスタート地点ちてんの0にちもどった状態じょうたい=新月しんげつ)から29にちまでの範囲はんいにある。さく望月もちづき最初さいしょ新月しんげつであり、こよみうえでは14にち満月まんげつとされている(実際じっさい満月まんげつは14にちとはかぎらない)。

以下いかひょう過去かこの19ねん周期しゅうきにも未来みらいの19ねん周期しゅうきにももちいることができるが、使つかえる期間きかんは1900ねんから2199ねんあいだ限定げんていされている。

メトン19ねん周期しゅうきのエパクト一覧いちらんひょう (1900ねんから2199ねん有効ゆうこう
とし 2014 2015 2016 2017 2018 2019 2020 2021 2022 2023 2024 2025 2026 2027 2028 2029 2030 2031 2032
黄金おうごんすう 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19
エパクト 29 10 21 2 13 24 5 16 27 8 19 * 11 22 3 14 25 6 17
復活ふっかつさい満月まんげつ 14A 3A 23M 11A 31M 18A 8A 28M 16A 5A 25M 13A 2A 22M 10A 30M 17A 7A 27M

満月まんげつ日付ひづけのMは3がつ、Aは4がつ。エパクトの*は30または0をしめす。

つぎひょうは、1年間ねんかん日付ひづけだいつき(1かげつが30にち)としょうつき(1かげつが29にち)を交互こうごにしてエパクトを記入きにゅうしたカレンダリウム: calendariumラテン語らてんご帳簿ちょうぼ)の一部いちぶである。このエパクトひょう使つかって新月しんげつがどのになるかることができる。いわば「新月しんげつ早見はやみひょう」である。まず年間ねんかん365にちうるうはのぞく)の日付ひづけひょうく。つぎに、1がつ1にちから順番じゅんばん全部ぜんぶ日付ひづけにエパクトをしめローマ数字すうじいていく。*(30=0)からxxix、xxviii…と減数げんすうしていきiになったら、また*(30=0)からはじめる。これを12月31にちまでかえす。ただし、だいつきしょうつき交互こうごるように、1じゅん普通ふつうみ(30にちぶん)じゅんはxxvとxxivの両方りょうほうおなき(29にちぶん)、それをがつごとにかえす。最後さいごのこった12月まつの11にちも13じゅんとしておなじようにあつかい12がつ26にち、27にちにそれぞれxxv、xxivとむ。できあがったら、だいつきにはxxv(25)のところに「25」とき、xxivとxxvがおなかれているしょうつきほうにはxxvi(26)のところに「25」をく。このようなつきながさでエパクトを区切くぎれば、どのつき最初さいしょ最後さいごのエパクト数値すうち一致いっちするのである。ただし、2がつのエパクト数値すうちと、7,8がつの「25」の部分ぶぶん一致いっちしない。たとえば、そのとしのエパクト数値すうちが27であるなら、カレンダリウムにxxviiとかれたはすべて、教会きょうかい計算けいさんじょう新月しんげつ実際じっさい観測かんそくとはことなる)であることがわかる。

つぎに、カレンダリウムの日付ひづけに1がつ1にちから大晦日おおみそかまでAからGの記号きごうをふりわける。これで「新月しんげつおよび曜日ようび早見はやみひょう」となる。たとえばそのとし最初さいしょ日曜にちようが1がつ5にちでEの記号きごうがついているなら、そのとしはEの記号きごうのつくがすべて日曜日にちようびなのである。Eはそのとし日曜にちよう記号きごう(ドミニカル・レター、: dominical letterラテン語らてんごおも曜日ようび記号きごう)となる。日曜にちよう記号きごう毎年まいとし1つがる。ただし、閏年うるうどしではうるう以降いこう日曜にちよう記号きごうは1つがるため、閏年うるうどしかぎってはうるうぜんふたつの日曜にちよう記号きごうがある。

復活ふっかつさい日付ひづけ算出さんしゅつするさいには、年間ねんかん365にち全部ぜんぶ必要ひつようはない。カレンダリウムをれば、3月は1がつおなじようにエパクトがめぐっていることがわかる。1がつか2がつどちらかをすだけでよい。また1、2がつ日曜にちよう記号きごう計算けいさんばして、3月1にちにDからみをはじめればよい。3月8にちから4がつ5にちあいだのエパクトがわかりさえすれば計算けいさんができるので、以下いかひょう使つかうと便利べんりである。


カレンダリウム(3がつ、4がつぶん
3がつ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31
エパクト * xxix xxviii xxvii xxvi xxv
25
xxiv xxiii xxii xxi xx xix xviii xvii xvi xv xiv xiii xii xi x ix viii vii vi v iv iii ii i *
日曜にちよう記号きごう D E F G A B C D E F G A B C D E F G A B C D E F G A B C D E F
4がつ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30
エパクト xxix xxviii xxvii xxvi
25
xxv
xxiv
xxiii xxii xxi xx xix xviii xvii xvi xv xiv xiii xii xi x ix viii vii vi v iv iii ii i * xxix
日曜にちよう記号きごう G A B C D E F G A B C D E F G A B C D E F G A B C D E F G A

ひょう見方みかた:エパクトが27(ローマ数字すうじ xxvii)で日曜にちよう記号きごうがEのとしであったら、xxviiの教会きょうかい計算けいさんじょう新月しんげつとなり、その13にち満月まんげつとなる(こよみうえであり、実際じっさいとは多少たしょうことなる)。つまり3がつ4にちと4がつ3にち新月しんげつで、満月まんげつが3月17にちと4がつ16にちになる。復活ふっかつさい日曜日にちようびは、春分しゅんぶんの(3がつ21にち以降いこう最初さいしょ満月まんげつぎた最初さいしょ日曜日にちようびである。このれいでは、4がつ16にちほう復活ふっかつさい満月まんげつ相当そうとうし、Eのつく4がつ20日はつか復活ふっかつさいいわ日曜日にちようびということになる。

このひょうの25という数字すうじ(xxvとはべつ)は、つぎのようにもちいる。メトン周期しゅうきでは、11ねんはなれた2つのとしくらべると、エパクトのが1にちある。しょうつきはxxivとxxvがおなであるから、もし同一どういつのメトン周期しゅうきないでエパクト数値すうちの24と25が両方りょうほうかさなることがあれば、この2つのとしおな新月しんげつ(と満月まんげつ)になるはずである。しかし、実際じっさいつきけではありえない。おな日付ひづけかえすのは、19ねん周期しゅうきだからである。この問題もんだいけるため、11よりおおきい黄金おうごんすうとしは、「xxv」でなく「25」とかれたほう計算けいさんじょう新月しんげつとしている。(れい 2011ねん新月しんげつは4がつ5にちではなく4にちになり、そのため満月まんげつは17にちとなる。)だいつきではxxvも25もおなじことだが、しょうつきでは「xxvi」とかれたになるのである。25とxxviのわせで問題もんだいこることはない。なぜなら22ねん問題もんだいこるが、周期しゅうき自体じたいが19ねんわるからである。そして周期しゅうき周期しゅうきあいだにサルタス・ルナが算入さんにゅうされ、新月しんげつべつうつるのである。

グレゴリオれきでは平均へいきん太陽年たいようねんを365.2425にちとした。(21世紀せいき初頭しょとう計算けいさんでは、平均へいきん回帰かいきねん365.24219にち春分しゅんぶん回帰かいきねんならば365.2424にちとリリウスの計算けいさん非常ひじょうちかている。)設定せっていした365.2425にちの0.2425にちというはしすう解消かいしょうするために、0.2425=97÷400、つまり97にちうるうを400ねんあいだ導入どうにゅうすることとなった。単純たんじゅんな4ねんごとのルールでは閏年うるうどしが400年間ねんかんで100かい挿入そうにゅうすることになってしまうので、「西暦せいれきが4でれるが、100でれるとし閏年うるうどしとしない(れい 1900ねん)。ただし、100と400両方りょうほうれるとし閏年うるうどしれい 2000ねん)とする」という規則きそくにし、できるだけ太陽年たいようねんわせている。97にちうるう太陽年たいようねんながさにたいする修正しゅうせいであり、メトン周期しゅうきとしついたち望月もちづきには影響えいきょうおよぼさない。400年間ねんかんうるうはいらない3つのひゃくとしには、エパクトも数値すうちを1つらして調整ちょうせいする。これを太陽たいよう方程式ほうていしき[5]という。

一方いっぽう調整ちょうせいのままのユリウスれきでは、太陽年たいようねん19ねんぶんは235ついたち望月もちづきよりも多少たしょうながくなってしまった。やく310ねんにつき1にち割合わりあいる。そのため、グレゴリオれきは2500ねん周期しゅうきで8かい、エパクトの数値すうちを1つやしている。これを太陰たいいん方程式ほうていしき[6]という。だいいちかいは1800ねんおこなわれ、400ねんごとに算入さんにゅうされる予定よていである。ただし、3900ねんしん周期しゅうきはじまりである4300ねんあいだは400ねん間隔かんかくをおくことになっている。その影響えいきょうでグレゴリオれき太陰暦たいいんれき部分ぶぶんは100から300ねん周期しゅうきのエパクトひょうもちいている。上記じょうきのエパクトひょうは1900ねんから2199ねんあいだのみ有効ゆうこうである。

詳細しょうさい[編集へんしゅう]

この計算けいさん方式ほうしきにはいくつか微妙びみょうてんがある。

さく望月もちづきだいつき(30にち)としょうつき(29にち)をかえす。そのためしょうつきは、30あるエパクトのうち2つがおな配分はいぶんされる。黄金おうごんすうが11以上いじょうになれば、エパクト25のとしはxxvでなく「25」を基本きほんにする。数値すうちでなく、xxv/25をうごかすのには理由りゆうがある。 ディオニュシウスかれのペトロニウスにてた手紙てがみ説明せつめい)によれば、ニカイア会議かいぎではエウセビオス権威けんいのもとのように決定けっていされたらしい。教会きょうかい計算けいさんにおける太陰たいいんねんだいいちがつえつがつ(Paschal month 春分しゅんぶんえつまつりがあるつき)であり、3月8にちから4がつ5にちあいだはじまり(新月しんげつ)、14にち満月まんげつ)が3月21にちから4がつ18にちあいだなければならない。つまりあたらしい太陰たいいんねんはじめられる期間きかんはわずか29日間にちかんである。

たとえば、エパクト数値すうち26のとしはxxivとしるされた3がつ7にち新月しんげつ。14にち満月まんげつ)は3がつ20日はつか春分しゅんぶんさだめた(3がつ21にち)よりはやくなってしまう。エパクト数値すうち24のとしえつつき最初さいしょ新月しんげつが4がつ6にちおそすぎる。なぜなら満月まんげつが4がつ19にち復活ふっかつさいが4がつ26にちにまでずれこむからである。ユリウスれきではもっとおそ復活ふっかつ祭日さいじつは4がつ25にちであった。グレゴリウス改革かいかくのちも4がつ25にちまでという期限きげんまもっている。つまり、さかのぼって計算けいさんすれば満月まんげつおそくとも4がつ18にちまで、新月しんげつおそくともエパクトxxivとxxvがしるされた4がつ5にちまでということになる。4月5にちしょうつきたり2つのエパクトがしるされているである。前章ぜんしょう説明せつめいしたように、エパクトxxvは特殊とくしゅあつかいをしなければならない。

グレゴリオれき570まん年間ねんかん復活ふっかつさい日付ひづけ分布ぶんぷ

このような修正しゅうせい結果けっか、グレゴリオれきでは年間ねんかん平均へいきんやく3.87%と4がつ19にちもっと復活ふっかつ祭日さいじつになりやすいとなっている。3月22にちは0.48%でもっと復活ふっかつ祭日さいじつになりにくいである。

太陽年たいようねんうるうは、太陰暦たいいんれき太陽暦たいようれき日付ひづけ関係かんけい影響えいきょうおよぼさない。基本きほんてきにグレゴリオれきはユリウスれきおなじく4ねんに1うるう挿入そうにゅうしており、メトン周期しゅうき19ねんぶんうるうが5にちならけい6940にち、4にちならけい6939にちである。一方いっぽう太陰たいいんねんは354にち×19ねん+エパクト11にち×19ねん=6935にちである。うるうばしてエパクトをかぞえ、うるうがなかったかのようにつぎのサイクルをはじめれば、うるうのあるついたち望月もちづきは1にちながくなってしまうが、さく望月もちづきが235かげつのままで太陽年たいようねん19ねんとのひとしさはわらない。つまりれきつき一致いっち(ほどほどの期間きかん正確せいかくさ)は、太陽暦たいようれきはたらきにまかせることができ、太陽暦たいようれき修正しゅうせいする方法ほうほうもちいられている。すべては19太陽年たいようねん=235ついたち望月もちづき長期ちょうき展望てんぼうにおける正確せいかくさ)という仮定かていうえっている。その結果けっか計算けいさんじょうつきうごきは実際じっさいより1にちずれ、うるうふくついたち望月もちづき実際じっさいにはありえない31にちとなることがある(短期たんき展望てんぼうにおける不正確ふせいかくさ)。これは太陽暦たいようれき規則きそくせいむときにこってしまう欠点けってんである。

しかし、太陰暦たいいんれき太陽暦たいようれき誤差ごさからある程度ていどまもられている。というのは、うるう太陽年たいようねんこよみもっともシンクロしやすいとき挿入そうにゅうされているのではないからだ。うるう挿入そうにゅうひゃくのつくとしれい 1900ねん)にはおこなわないが、100と400両方りょうほうれるとしれい 2000ねん)はうるうれるという追加ついかルールがある。しかし周期しゅうきごとに誤差ごさ累積るいせきし、ずれが2にち以上いじょうになってしまう。そのためグレゴリオれきでは、実際じっさい春分しゅんぶんこるのは、3月20にち中心ちゅうしんとした53あいだあいだひろがっている。1ねんこよみからればどうとうことはないかもしれないが、つきこよみにおいてははばおおきすぎる。「太陽たいよう方程式ほうていしきを「太陰たいいん方程式ほうていしきけたことで、太陰暦たいいんれきには誤差ごさおよばずにむのである。

太陽暦たいようれき誤差ごさのほかに、グレゴリオれき太陰暦たいいんれき部分ぶぶんにもいくつかの欠点けってんがある。ただし、えつがつ復活ふっかつ祭日さいじつ決定けってい影響えいきょうおよぼすものではない。

  • さく望月もちづきが31(には28)にちになってしまうことがある。
  • もし黄金おうごんすう19のとしにエパクトも19であったなら、教会きょうかい計算けいさんじょう最終さいしゅう新月しんげつは12月2にちで、つぎ新月しんげつ翌年よくねんの1がつ1にちである。しかし、あたらしいとしはじまりにはサルトゥス・ルーナエといってエパクトを1つやすため、新月しんげつ前日ぜんじつ(12月31にち)になってしまう。ということは、新月しんげつ新年しんねん記録きろくからえてしまう。ローマ・ミサ典礼てんれいしょ英語えいごばんのカレンダリウムは、これを考慮こうりょれており、このようなとしには12月31にちのエパクトを20のわりに19としるすことにしている。修正しゅうせいはいまえのグレゴリオれきエパクトひょう使用しようしていたころは19ねんごとにこっていたが、1690ねん最後さいご次回じかい8511ねんまでおな事態じたいこらなくなった。
  • エパクト20のとしは、12月31にち計算けいさんじょう新月しんげつとなる。もしそれがひゃくまえとししたけたが99のとし)であったなら、たいていひゃくとしわせる「太陽たいよう方程式ほうていしき」によってエパクトを1つらすことになる。その結果けっか、エパクトが「*」としるされ、1がつ1にち新月しんげつとなる。新月しんげつ連続れんぞくし、さくのぞむ周期しゅうきがたった1にちわったようになる。これは4200ねんはじまりごろにこるであろう。
  • そのも(ずっとのちだが)ねんさかいこる問題もんだいてくる。もしグレゴリオれきのルールがきびしくまもられ、なにくわえなかった場合ばあい計算けいさんじょうでは新月しんげつ新月しんげつあいだが1、28、59(めったにないが58)にちはなれてしまうことがある。

注意深ちゅういぶか分析ぶんせきしてみれば、グレゴリオれき利用りよう修正しゅうせいもちいられる手段しゅだんにおいて、エパクトはさくのぞむ(さく望月もちづき30ぶんの1。インドにけるティティおなじ)であり、実際じっさいの1にちとはひとしくないことがわかる。(くわしくはエパクト参照さんしょうのこと) 太陽たいよう方程式ほうていしき太陰たいいん方程式ほうていしきは、400ねん太陽たいよう方程式ほうていしき)×2500ねん太陰たいいん方程式ほうていしき)=100世紀せいきごとにかえす。その期間きかんちゅう補正ほせいされたエパクトは、

-1修正しゅうせいを4世紀せいきごとに3かいかえすのを100世紀せいきあいだ、+1修正しゅうせいを25世紀せいきごとに8かいかえすのを100世紀せいきあいだで、合計ごうけい数値すうち-43となる。30でるには17りない。

17は30とおりの可能かのうせいがあるエパクトにたいして素数そすうである。そのためエパクトがかえすには100世紀せいき×30とおり=3000世紀せいきかかり、おな黄金おうごんすうでエパクトをかえすとなると、3000世紀せいき×黄金おうごんすう19とおり=57000世紀せいき月日つきひることになる。そのあいだには、
(5,700,000ねん/19ねん) × 235ついたち望月もちづき + (−43/30エパクト) × (57,000世紀せいき/100世紀せいき)=70, 499,183 かいさくのぞむ周期しゅうきがある。つまり、グレゴリオれきにおいてまったおな周期しゅうき復活ふっかつ祭日さいじつかえされるのは、570まんねん=7049まん9183かいついたち望月もちづき=20おく8188まん2250にちごとである。 しかし実際じっさいには、なんせんねんのちには春分しゅんぶん回帰かいきねんさく望月もちづき、1にちながさが変化へんかし、こよみ修正しゅうせい必要ひつようになるであろう。

ユリウスれき[編集へんしゅう]

グレゴリオれき改暦かいれきする以前いぜんにラテン(カトリック)教会きょうかい使用しようしていた標準ひょうじゅんてきな「計算けいさんじょうの」満月まんげつ算出さんしゅつ手段しゅだんは、ユリウスれき並行へいこうした修正しゅうせいのメトン19ねん周期しゅうきであった。上記じょうきべられたエパクトで、*(数値すうち0)から開始かいししてまったく修正しゅうせいされない単純たんじゅんなエパクトひょう有効ゆうこうてき利用りようしていた。エパクトは教会きょうかいみとめるもっとはや復活ふっかつ祭日さいじつ、3月22にちのものを計算けいさんしていた。単純たんじゅんに19ねんかえすだけなので、3月21にち以降いこう満月まんげつは19とおりしかなかった。

19ねん周期しゅうきとしには黄金おうごんすうというとお番号ばんごうがついている。黄金おうごんすうという言葉ことばは、1200ねんアレキサンダー・ヴィラ・デイ[7]による復活ふっかつさい計算けいさん『マッサ・コンポティ』[8]最初さいしょ使つかわれた。著述ちょじゅつが988ねんフリュリのアッボ英語えいごばん作成さくせいしたひょう黄金おうごんすうという言葉ことばくわえたのがしたのメトン19ねん周期しゅうきひょうである。


ユリウスれきでのメトン19ねん周期しゅうき
黄金おうごんすう 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19
復活ふっかつさい満月まんげつ 5A 25M 13A 2A 22M 10A 30M 18A 7A 27M 15A 4A 24M 12A 1A 21M 9A 29M 17A

満月まんげつ日付ひづけのMは3がつ、Aは4がつ

それぞれのとし満月まんげつつぎにくる日曜にちよう復活ふっかつ祭日さいじつとされた。

1つの満月まんげつにつき1週間しゅうかん曜日ようび、つまり7とおりの復活ふっかつ祭日さいじつがあったわけだ。しかし日曜にちよう記号きごうは7ねんごとにかえさない。4ねんに1閏年うるうどしがあるため、曜日ようびがまったくおな順番じゅんばんかえすのは、閏年うるうどしふくむ4ねん×7曜日ようび=28ねん、いわゆる太陽暦たいようれき周期しゅうき[9]である。 復活ふっかつ祭日さいじつも、4ねん×7曜日ようび×メトン周期しゅうき19ねん=532ねんごとにかえすものだった。これは復活ふっかつさい周期しゅうき[10]、あるいはこのひょう西暦せいれき457ねんにローマにんだアキテーヌのビクトリウス にちなんでビクトリウス周期しゅうき[11]ばれた。5世紀せいき初頭しょとうアレクサンドリアのアニアヌス英語えいごばん利用りようしたのが最初さいしょだとわれている。あやまって西暦せいれき532ねん復活ふっかつ祭日さいじつひょう発表はっぴょうしたディオニュシウス・エクシグウスにちなんでディオニュシウス周期しゅうきばれることがある。しかしディオニュシウスは95ねん周期しゅうきひょう不正確ふせいかくさをっていたが、自分じぶんしたアレクサンドリア計算けいさん法式ほうしきが532ねん周期しゅうきだとはづいていなかった。 はじめて太陽暦たいようれき周期しゅうきづき、メトン周期しゅうき太陽暦たいようれき周期しゅうき観点かんてんから復活ふっかつさい周期しゅうきみちびきだしたのは、7世紀せいき尊者そんじゃベーダだといわれている。

復活ふっかつさい日付ひづけチェック[編集へんしゅう]

復活ふっかつさい満月まんげつ (18 - (とし mod 19 x 11 + N) mod 30) mod 31
とし mod 19 00 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18
2200 ~ 2299 (N = 3 or 4) 15A 04A 24M 12A 01A 21M 09A 29M 17A 06A 26M 14A 03A 23M 11A 31M 18A 08A 28M
1900 ~ 2199 (N = 4 or 5) 14A 03A 23M 11A 31M 18A 08A 28M 16A 05A 25M 13A 02A 22M 10A 30M 17A 07A 27M
1700 ~ 1899 (N = 5) 13A 02A 22M 10A 30M 18A 07A 27M 15A 04A 24M 12A 01A 21M 09A 29M 17A 06A 26M
1583 ~ 1699 (N = 6 or 7) 12A 01A 21M 09A 29M 17A 06A 26M 14A 03A 23M 11A 31M 18A 08A 28M 16A 05A 25M
ユリウスれき (N = 13) 05A 25M 13A 02A 22M 10A 30M 18A 07A 27M 15A 04A 24M 12A 01A 21M 09A 29M 17A

上記じょうきひょう復活ふっかつさい満月まんげつ日付ひづけ調しらべ、復活ふっかつさい日付ひづけ以下いかひょう調しらべる。調しらべる手順てじゅん以下いかとおりである。

  1. 復活ふっかつさい満月まんげつ日付ひづけを调べる。
  2. 日曜にちよう記号きごう調しらべると、としぎょうせい纪列にある文字もじ日曜にちよう記号きごうである。
  3. 日曜日にちようび日付ひづけ調しらべると、あか日曜にちよう記号きごうおなれつ日曜日にちようび
  4. 復活ふっかつさいを决めると、満月まんげつ以降いこう最初さいしょ日曜日にちようび復活ふっかつさいである。
復活ふっかつさい日付ひづけ 22M 23M 24M 25M 26M 27M 28M とし mod 100 mod 28
29M 30M 31M 01A 02A 03A 04A
05A 06A 07A 08A 09A 10A 11A
12A 13A 14A 15A 16A 17A 18A
19A 20A 21A 22A 23A 24A 25A
日曜にちよう記号きごう G A B C D E F 01 07 12 18
F G A B C D E 02 13 19 24
E F G A B C D 03 08 14 25
D E F G A B C 09 15 20 26
C D E F G A B 04 10 21 27
B C D E F G A 05 11 16 22
A B C D E F G 06 17 23 00
ひゃくねん
[とし/100]
20
16
19
12
05
--
--
20
13
06
21
17
21
14
07
--
--
22
15
08
22
18
23
16
09
--
--
24
17
10
19
15
25
18
11
グレゴリオれき
世紀せいき mod 4
ユリウスれき
世紀せいき mod 7
--
  • れい1: 2018ねんは、2018 mod 19 = 4、グレゴリオれき満月まんげつ = 31M、日曜にちよう記号きごう = G、日曜日にちようび日付ひづけ = 25M 1A 8A 15A 22A、復活ふっかつさい日付ひづけが4がつ1にちである。ユリウスれき満月まんげつ = 22M、日曜にちよう記号きごう = A、日曜日にちようび日付ひづけ = 26M 2A 9A 16A 23A、復活ふっかつさい日付ひづけが3月26にち (グレゴリオれきの4がつ8にち) である。
  • れい2: 1582ねんは、1582 mod 19 = 5、ユリウスれき満月まんげつ = 10A、82 mod 28 = 26、日曜にちよう記号きごう = G、日曜日にちようび日付ひづけ = 25M 1A 8A 15A 22A、復活ふっかつさい日付ひづけが4がつ15にちである。

アルゴリズム計算けいさん方式ほうしき[編集へんしゅう]

ガウスのアルゴリズム[編集へんしゅう]

復活ふっかつさい日曜日にちようび日付ひづけ計算けいさんするアルゴリズム最初さいしょ発表はっぴょうしたのは数学すうがくしゃガウスである。日付ひづけつぎ公式こうしきもとめられる。

該当がいとうするとしをyとする。整数せいすうったときのあまりをしめす。まず以下いか計算けいさんする。



つぎにdとeをした公式こうしきみちびす。


ユリウスれき東方とうほう教会きょうかいもちいられる)では 挿入そうにゅうする。グレゴリオれき西方せいほう教会きょうかいもちいられる)ではMとNのつぎひょうからひろう。


西暦せいれき
1583 - 1699ねん 22 2
1700 - 1799ねん 23 3
1800 - 1899ねん 23 4
1900 - 2099ねん 24 5
2100 - 2199ねん 24 6
2200 - 2299ねん 25 0

よりちいさかったら)、復活ふっかつさいは3月のにちとなる。それ以外いがいは、4がつにちとなる。

ただし、つぎのような例外れいがいがある。

  • 公式こうしきによって算出さんしゅつしたにちが4がつ26にちであれば、復活ふっかつさいは4がつ19にちとなる。
  • 公式こうしきによって算出さんしゅつしたにちが4がつ25にちで、なおかつ そして であるならば、復活ふっかつさいは4がつ18にちとなる。

メーウス・ジョーンズ・ブッチャーのグレゴリオれきアルゴリズム[編集へんしゅう]

ジャン・メーウスは、著書ちょしょ『アストロノミカル・アルゴリズムス』[12]において復活ふっかつさい日曜日にちようび計算けいさんアルゴリズムを紹介しょうかいした。これはハロルド・スペンサー=ジョーンズの『ジェネラル・アストロノミー』[13]と、1977ねん英国えいこく天文てんもん協会きょうかい定期ていき刊行かんこう[14]引用いんようしている。定期ていき刊行かんこうほうは1876ねん発行はっこうの『ブッチャー教会きょうかいれき[15]からの引用いんようである。

この手法しゅほうでは、グレゴリオれきすべてのとし有効ゆうこうで、なおかつ例外れいがいはなく、おもて作成さくせい不要ふようである。

表記ひょうきほう前述ぜんじゅつのガウス・アルゴリズムとおなじ。すべての数値すうちは、小数しょうすうて)、ざんあまり)というように整数せいすうである。

西暦せいれきねん 1961ねん 2000ねん
としつき 1961ねん4がつ2にち 2000ねん4がつ23にち

メーウスのユリウスれきアルゴリズム[編集へんしゅう]

スウェーデンの計算けいさんひょう(1140ねん-1671ねん)。かつてはすべての教会きょうかいユリウスれきをもとにしたひょう日付ひづけもとめていた。

ジャン・メーウスはまた、著書ちょしょ『アストロノミカル・アルゴリズムス』[16]において、ユリウスれきにおける復活ふっかつさい日曜日にちようびもとめる公式こうしき発表はっぴょうした。

この手法しゅほうはすべてのユリウスれき有効ゆうこうで、なおかつ例外れいがいはなく、おもて作成さくせい不要ふようである。

表記ひょうきほう前述ぜんじゅつのガウスのアルゴリズムにじゅんずる。すべての数値すうちは、しょう小数しょうすうて)、(|ざんあまり)というように整数せいすうである。







脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ えい: Solar year
  2. ^ えい: Lunar year
  3. ^ ギリシア: επακταί‘ημέραι
  4. ^ : Saltus lunaeラテン語らてんごつき跳躍ちょうやく
  5. ^ えい: Solar equation
  6. ^ えい: Lunar equation
  7. ^ : Alexander de Villa-Dei
  8. ^ : Massa Compoti
  9. ^ えい: Solar cycle
  10. ^ えい: Paschal cycle
  11. ^ えい: Vicrorian cycle
  12. ^ Astronomical Algorithms』1991ねん発行はっこう ISBN 0943396611
  13. ^ General Astronomy』1922ねん発行はっこう
  14. ^ Journal of the British Astronomical Association
  15. ^ Butcher's Ecclesiastical Calendar
  16. ^ Astronomical Algorithms、1991ねん発行はっこう ISBN 0943396611

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]