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デウス

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

デウスdeus, Deus)は、ラテン語らてんご(およびポルトガルカタルーニャガリシア)でかみあらわ言葉ことば。この語形ごけい男性だんせい単数たんすう主格しゅかくであり、厳密げんみつには1はしら男神おかみあらわす。「デーウス」と発音はつおんされることもあるが、ラテン語らてんご本来ほんらい発音はつおんは「デウス」である。

概要がいよう

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古典こてんには男神おかみ一般いっぱんあらわ一般いっぱん名詞めいし deus だった。ただし、古典こてんラテン語らてんご小文字こもんじはなかったので、すべ大文字おおもじ表記ひょうきしかなかった[1]

その、ヨーロッパでキリスト教きりすときょうひろまり、ヨーロッパでは学問がくもん言葉ことばなどとしてラテン語らてんごもちいられており、ただひとつのかみヤハウェ)をすのには、大文字おおもじはじまる固有名詞こゆうめいしDeus表記ひょうきするようになった。なお、この使つかけは、英語えいごにも継承けいしょうされており、英語えいごでも一文字ひともじ小文字こもじ大文字おおもじけ、 god/God とする。日本語にほんご文字もじには大文字おおもじ小文字こもじといった区別くべついので、日本語にほんご翻訳ほんやくするときにはdeusDeus も「かみ」とやくしている。

日本にっぽんでは戦国せんごく時代じだい末期まっきキリシタン時代じだいに、キリスト教きりすときょうのDeusを日本語にほんごぶにはそれをおとうつし、「でうす」や「デウス」と表記ひょうきされた。

語源ごげんろん

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インド・ヨーロッパ祖語そご*dyēus天空てんくうかがやき」に由来ゆらいする。*dyēusディヤウス)はプロト・インド・ヨーロッパじん多神教たしんきょう最高さいこうしんであり、ギリシアゼウスラテン語らてんごのdeus、サンスクリットデーヴァノルドテュールひとし語源ごげんとなった。また「ちちなる」というめいしたかたち *dyēus ph₂ter は *Pltwih₂ Mh₂ter大地だいちははしん」とたいをなす呼称こしょうで、ラテン語らてんごユーピテルみなもととなった。

デウスは、ロマンス諸語しょご単語たんご、たとえばフランス語ふらんすごdieuイタリアdioスペインdiosポルトガルdeus などをんだ。英語えいごdeitydivine も、デウスと同根どうこんラテン語らてんご単語たんご由来ゆらいする。

デウスは男性だんせい単数たんすうがたであり、女性じょせいがた女神めがみ)はデア dea男性だんせい複数ふくすうがた男神おかみたち、あるいは男女だんじょざったかみ々)はデイー deī またはディー 女性じょせい複数ふくすうがた女神めがみたち)はデアエ古典こてんではデアイ)deae となる。また、これらはいずれも主格しゅかく語形ごけいであり、実際じっさいラテン語らてんご文章ぶんしょうにおいてはかく変化へんかによる様々さまざまかたちをとる(ラテン語らてんご文法ぶんぽう#かく変化へんか (declinatio)参照さんしょう)。

上記じょうきのようにデウスとギリシャ神話しんわのゼウスは語源ごげんおなじくしているが、多神教たしんきょうにおける主神しゅしんであり、人間にんげん姿すがたって好色こうしょく性格せいかく逸話いつわおおつゼウスは、一神教いっしんきょう偶像ぐうぞうきんじるキリスト教きりすときょうからはまった相入あいいれない異教いきょうしんである。

日本にっぽんのカトリックにおけるデウス

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フランシスコ・ザビエル来日らいにちまえ日本人にっぽんじんヤジロウとの問答もんどうとおしてキリストきょうの「Deus」を日本語にほんごやく場合ばあい大日如来だいにちにょらい由来ゆらいする「大日だいにち」(だいにち)をもちいるのがふさわしいとかんがえた。しかし、これはヤジロウの仏教ぶっきょう理解りかい未熟みじゅくさによるもので、のちに「大日だいにち」というかたりもちいる弊害へいがいのほうがおおきいことにづかされることになる。1549ねん来日らいにちしたザビエルたちが、「大日だいにちおがみなさい」とびかけると僧侶そうりょたちは仏教ぶっきょう一派いっぱだとおもい、歓迎かんげいしたといわれている。

やがてザビエルはキリスト教きりすときょうの「Deus」をあらわすのに「大日だいにち」という言葉ことば使つかうのはふさわしくないことにづき、ラテン語らてんごDeusをそのままもちい、「でうす」や「デウス」とすることにした。「大日だいにちおがんではなりません。デウスをおがみなさい」とザビエルたちがきゅうにいいだしたため、僧侶そうりょたちもおどろいたという。[2]

その宣教師せんきょうしたちや日本人にっぽんじんキリスト教徒きりすときょうとたちの研究けんきゅうによって「デウス」の訳語やくごとしていくつかのものがかんがえられた。それらは「天帝てんてい」「天主てんしゅ」「天道てんとう」などであり(語源ごげんてきには「てん」である)、「デウス」と併用へいようしてもちいられた。かれらは「かみ」という言葉ことば日本にっぽん多神教たしんきょうてきかみあらわすもので、自然しぜん動物どうぶつ人間にんげんにすらてはめられる言葉ことばなのでDeusの訳語やくごにふさわしくないとかんがえていた。もっとも、もともとラテン語らてんごの「deus」は、古代こだいローマ時代じだいにおいて、古代こだいローマ古代こだいギリシアケルトゲルマン古代こだいエジプトなどにおける多神教たしんきょうかみ々をあらわ言葉ことばであり、一部いちぶのローマ皇帝こうてい、つまり人間にんげんが「deus」にれっせられることもあった。ヨーロッパにおいて、ラテン語らてんごの「deus」が、多神教たしんきょうかみ々を意味いみする「deus」から、キリストきょう唯一ゆいいつかみ意味いみする「Deus」へと意味いみわったこと、そして、世界せかい各地かくち言語げんごにおいて、「Deus」が現地げんちで「かみ」を意味いみする単語たんごやくされてきたことをまえれば、戦国せんごく時代じだいにおいて、日本語にほんごの「かみ」を、キリストきょうの「Deus」のわけとして使つかうことも可能かのうだったはずである。だが、16世紀せいきのヨーロッパでは、ラテン語らてんごの「Deus」といえば、キリストきょう唯一ゆいいつかみのことを、もっぱ意味いみしており、古代こだいローマ時代じだいにおける、多神教たしんきょうかみ々、という本来ほんらい意味いみ軽視けいしされていた。そのような状況じょうきょうまえれば、結局けっきょく当時とうじのキリシタンたちは、唯一ゆいいつかみぶにあたって、「デウス」か「でうす」、「天帝てんてい」「天主てんしゅ」「天道てんとう」という使つかわざるをなかったのである。

明治めいじ以降いこう漢文かんぶんやく聖書せいしょ影響えいきょうけた日本語にほんごやく聖書せいしょキリスト教きりすときょうのDeusを「かみ」と翻訳ほんやくし、日本にっぽん正教会せいきょうかいカトリック教会きょうかいプロテスタントのいずれにおいても、これがいまいたるまで定着ていちゃくしている。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ この意味いみは「デウス・エキス・マキナ」のような成句せいくられる。
  2. ^ キリシタンの時代じだい、「デウス」は「ダイウス」ともいわれていたため、キリストきょう反対はんたいしゃたちは「かれらがおがんでいるのはおおきなうすだいうす)である」「ダイウソ(だいうそ)である」といって誹謗ひぼうしたというはなしのこっている[よう出典しゅってん]

参考さんこう文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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