メディア・リテラシー とは、メディア の機能 きのう を理解 りかい するとともに、あらゆる形態 けいたい のメディア・メッセージを調 しら べ、批判 ひはん 的 てき に分析 ぶんせき 評価 ひょうか し、創造 そうぞう 的 てき に自己 じこ 表現 ひょうげん し、それによって市民 しみん 社会 しゃかい に参加 さんか し、異 い 文化 ぶんか を超 こ えて対話 たいわ し、行動 こうどう する能力 のうりょく である。また、用語 ようご としてのメディア・リテラシーはメディア・リテラシーの実践 じっせん や運動 うんどう を含 ふく む。
世界 せかい 的 てき に広 ひろ く使 つか われている有力 ゆうりょく な定義 ていぎ としては、NAMLE(全米 ぜんべい メディア・リテラシー教育 きょういく 学会 がっかい )やカナダのAML(メディア・リテラシー協会 きょうかい )の影響 えいきょう を受 う けて設立 せつりつ されたアメリカのCML[注 ちゅう 1] 、欧州 おうしゅう 連合 れんごう (EU)、ユネスコ による定義 ていぎ があげられる。
NAMLEの定義 ていぎ は以下 いか の通 とお りである。「メディア・リテラシーとは、あらゆるコミュニケーション形態 けいたい を用 もち いてアクセス、分析 ぶんせき 、評価 ひょうか 、創造 そうぞう し、行動 こうどう する能力 のうりょく である。もっとも単純 たんじゅん な用語 ようご としては、メディア・リテラシーは伝統 でんとう 的 てき なリテラシーを土台 どだい とし、新 あたら しい読 よ み書 か きの形態 けいたい をもたらすものである。メディア・リテラシーは、人々 ひとびと を批判 ひはん 的 てき に思考 しこう し、かつ創造 そうぞう し、効果 こうか 的 てき にコミュニケーションするアクティブな市民 しみん にする。」[1]
また、CMLの定義 ていぎ は以下 いか の通 とお りである。「メディア・リテラシーは、多様 たよう な形態 けいたい (印刷 いんさつ からビデオ、インターネットまで)のメッセージへアクセス、分析 ぶんせき 、評価 ひょうか 、創造 そうぞう 、参加 さんか するための枠組 わくぐ みをもたらす。メディア・リテラシーは、社会 しゃかい におけるメディアの役割 やくわり の理解 りかい を構築 こうちく するとともに探究 たんきゅう に必須 ひっす のスキルであり、民主 みんしゅ 主義 しゅぎ 社会 しゃかい における市民 しみん の自己 じこ 表現 ひょうげん に不可欠 ふかけつ なものである。」[2]
EUの定義 ていぎ は以下 いか の通 とお りである。「メディア・リテラシーはあらゆる技術 ぎじゅつ 的 てき 、認知 にんち 的 てき 、社会 しゃかい 的 てき 、市民 しみん 的 てき および創造 そうぞう 的 てき 諸 しょ 能力 のうりょく に関 かか わるものであり、それらは私 わたし たちがメディアへアクセスし、その批判 ひはん 的 てき 理解 りかい とメディアとの関 かか わりあいを可能 かのう にする。これらの諸 しょ 能力 のうりょく によって私 わたし たちは批判 ひはん 的 てき 思考 しこう 力 りょく を鍛 きた えるとともに、社会 しゃかい の経済 けいざい 的 てき 、社会 しゃかい 的 てき 、文化 ぶんか 的 てき 側面 そくめん に参加 さんか し、民主 みんしゅ 主義 しゅぎ 的 てき プロセスへ積極 せっきょく 的 てき な役割 やくわり を演 えん じることを可能 かのう にする。」[3]
一方 いっぽう 、ユネスコはメディア・リテラシーと図書館 としょかん 界 かい を中心 ちゅうしん に概念 がいねん が形成 けいせい された情報 じょうほう リテラシー[4] を統合 とうごう し、ニュース情報 じょうほう を批判 ひはん 的 てき に評価 ひょうか する能力 のうりょく としてのニュース・リテラシ ー[5] や情報 じょうほう ・コミュニケーション技術 ぎじゅつ を用 もち いる能力 のうりょく としてのデジタル・リテラシー[6] などの新 あら たなリテラシーを包含 ほうがん したメディア情報 じょうほう リテラシー [注 ちゅう 2] と呼 よ ばれる用語 ようご を用 もち いる。ユネスコによる情報 じょうほう リテラシーおよびメディア・リテラシーの定義 ていぎ は以下 いか の通 とお りである。[7]
情報 じょうほう リテラシー
情報 じょうほう の必要 ひつよう 性 せい を明確 めいかく 化 か ・区分 くぶん 化 か する。
情報 じょうほう の場所 ばしょ を特定 とくてい し、アクセスする。
情報 じょうほう を批判 ひはん 的 てき に評価 ひょうか する。
情報 じょうほう を組織 そしき する。
情報 じょうほう を倫理 りんり 的 てき に利用 りよう する。
情報 じょうほう を交流 こうりゅう する。
情報 じょうほう の加工 かこう のためにICTを利用 りよう する。
メディア・リテラシー
民主 みんしゅ 主義 しゅぎ 社会 しゃかい におけるメディアの役割 やくわり と機能 きのう を理解 りかい する。
メディアがその機能 きのう を十分 じゅうぶん に発揮 はっき しうる条件 じょうけん を理解 りかい する。
メディア機能 きのう の観点 かんてん からメディア・コンテンツを批判 ひはん 的 てき に評価 ひょうか する。
自己 じこ 表現 ひょうげん 、異 い 文化 ぶんか 間 あいだ 対話 たいわ 、民主 みんしゅ 主義 しゅぎ 的 てき 参加 さんか のためにメディアに取 と り組 く む。
ユーザー・コンテンツを創造 そうぞう するのに必要 ひつよう なスキル(ICTを含 ふく む)を身 み につけて用 もち いる。
なお、ユネスコの定義 ていぎ に見 み られるように、メディア・リテラシーは情報 じょうほう リテラシーやニュース・リテラシーとは異 こと なる概念 がいねん であることに注意 ちゅうい が必要 ひつよう である。とりわけメディア・リテラシーと情報 じょうほう リテラシーの類似 るいじ 性 せい や違 ちが いについてはさまざまな議論 ぎろん がある。[8]
メディア・リテラシーの基本 きほん 原理 げんり [ 編集 へんしゅう ]
メディア・リテラシーの概念 がいねん をより正確 せいかく に理解 りかい するためには、その基本 きほん 原理 げんり と発展 はってん 過程 かてい を理解 りかい する必要 ひつよう がある。メディア・リテラシーの基本 きほん 原理 げんり の多 おお くはイギリスのメディア・リテラシー研究 けんきゅう 者 しゃ のマスターマン (Len Masterman)の研究 けんきゅう に負 お っている。それに加 くわ えて、マスターマンに影響 えいきょう を与 あた えた理論 りろん や思想 しそう 、さらにはカナダのメディア研究 けんきゅう 者 しゃ マーシャル・マクルーハン の影響 えいきょう についても考慮 こうりょ する必要 ひつよう があるが、本 ほん 項 こう では主 しゅ としてメディア・リテラシーの基本 きほん 原理 げんり に焦点 しょうてん を当 あ てる。メディア・リテラシーの基本 きほん 原理 げんり にとって重要 じゅうよう な概念 がいねん は、プロダクション(生産 せいさん ・制作 せいさく )、リプリゼンテーション(テレビや演劇 えんげき など、構成 こうせい された表現 ひょうげん ・表象 ひょうしょう )、オーディエンス(視聴 しちょう 者 しゃ )であり、これらの基礎 きそ 概念 がいねん の理解 りかい が求 もと められる。また、用語 ようご としてのメディアがより具体 ぐたい 的 てき な表現 ひょうげん であるメディア・テクストやメディア・メッセージといった用語 ようご に変化 へんか していった過程 かてい や、社会 しゃかい 化 か の主体 しゅたい (エイジェント)としてのメディアという表現 ひょうげん にも注目 ちゅうもく するとよいだろう。さらに、メディア・メッセージと情報 じょうほう の違 ちが いについても考 かんが えてみるとよい。メディア・リテラシーの基本 きほん 原理 げんり は、メディア・リテラシーとは何 なに か、メディア・リテラシーにおけるメディアとは何 なに か、メディア・リテラシー教育 きょういく はどのようにされるべきかといった原理 げんり 的 てき な問 と いに答 こた えるものである。
メディア・リテラシーの原点 げんてん [ 編集 へんしゅう ]
今日 きょう のメディア・リテラシーの理論 りろん にもっとも大 おお きな影響 えいきょう をもたらしたのはマスターマンの『Teaching the Media』[9] (日本語 にほんご 訳 やく 『メディアを教 おし える』世界 せかい 思想 しそう 社 しゃ )[10] である。マスターマンの理論 りろん はイギリスのみならず、カナダのAMLやアメリカのCMLおよびNAMLEによって北米 ほくべい のメディア・リテラシー教育 きょういく 運動 うんどう に大 おお きな影響 えいきょう をもたらした。これらの組織 そしき はユネスコによるMIL(メディア情報 じょうほう リテラシー)プログラムの中心 ちゅうしん 的 てき 位置 いち を占 し めており、マスターマンの理論 りろん は今日 きょう のグローバルなメディア・リテラシー教育 きょういく 運動 うんどう の土台 どだい となっている[11] 。
彼 かれ のメディア・リテラシー思想 しそう の土台 どだい として、まず第 だい 一 いち に、F・R・リーヴィス とデニス・トムソンらの文芸 ぶんげい 批評 ひひょう 論 ろん があげられる。マスターマンは、彼 かれ らの『文化 ぶんか と環境 かんきょう 』(1933)[12] の出版 しゅっぱん がイギリスにおけるメディア教育 きょういく の始 はじ まりだったと述 の べている(マスターマン邦訳 ほうやく 前掲 ぜんけい 、p.53)。しかし、彼 かれ らの立場 たちば は新 あら たなメディアがもたらす大衆 たいしゅう 文化 ぶんか [注 ちゅう 3] から伝統 でんとう 的 てき 文化 ぶんか を守 まも ることであった。
マスターマンは、彼 かれ らの伝統 でんとう 的 てき なメディア教育 きょういく 論 ろん に対 たい して、ロラン・バルト の記号 きごう 論 ろん 、スチュアート・ホール らのカルチュラル・スタディーズ 、アントニオ・グラムシ のヘゲモニー論 ろん やパウロ・フレイレ の批判 ひはん 的 てき リテラシー論 ろん ・解放 かいほう の教育 きょういく 学 がく をもとに、新 あたら しいメディア教育 きょういく 学 がく [注 ちゅう 4] を構想 こうそう した[13] 。その理論 りろん 構成 こうせい は、ほぼ同 どう 時期 じき に構築 こうちく されたヘンリー・ジルーの批判 ひはん 的 てき 教育 きょういく 学 がく からの影響 えいきょう を見 み ることができる[14] 。実際 じっさい 、カナダ・トロント市 し にあるAML(メディア・リテラシー協会 きょうかい )は、マスターマンの理論 りろん のみならず、批判 ひはん 的 てき 教育 きょういく 学 がく (英語 えいご 版 ばん ) の理論 りろん からも影響 えいきょう を受 う けたといわれている[15] 。
このようにして構築 こうちく されたマスターマンの理論 りろん によれば、メディア・リテラシーのもっとも重要 じゅうよう な原則 げんそく は、「メディアは能動 のうどう 的 てき に読 よ み解 と かれるべき象徴 しょうちょう 的 てき (あるいは記号 きごう の)システムであり、外在 がいざい 的 てき な現実 げんじつ の確実 かくじつ で自明 じめい な反映 はんえい などではない」[16] という点 てん にある。そして、メディア・テクストを批判 ひはん 的 てき に読 よ み解 と くこととは、「単 たん に送 おく り出 だ されたメッセージの内容 ないよう だけでなく、それがどのように構成 こうせい されどのような効果 こうか を生 う み出 だ しているかに注意 ちゅうい を向 む けること」[17] であり、その教育 きょういく の目的 もくてき は「批判 ひはん 的 てき 主体 しゅたい 」[注 ちゅう 5] を育 そだ てることであった[18] 。これがメディア・リテラシーにおける批判 ひはん 的 てき 思考 しこう の原点 げんてん である。
メディア・リテラシーの基本 きほん 原理 げんり [ 編集 へんしゅう ]
最初 さいしょ のメディア・リテラシーの基本 きほん 原理 げんり は、AMLのバリー・ダンカン [注 ちゅう 6] らによるメディア・リテラシーの8 やっ つのキー・コンセプトである。ダンカンらはマスターマンの理論 りろん の影響 えいきょう を強 つよ く受 う け、メディアの内容 ないよう よりも伝達 でんたつ 形態 けいたい の重要 じゅうよう 性 せい の指摘 してき した「メディアはメッセージ」[19] の言葉 ことば で著名 ちょめい なマクルーハンのメディア論 ろん と融合 ゆうごう させながら、1987年 ねん にこれらのキー・コンセプトを作 つく り上 あ げた。この8つのキー・コンセプトはオンタリオ教育 きょういく 省 しょう 発行 はっこう の「メディア・リテラシー・リソース・ガイド」[注 ちゅう 7] に収録 しゅうろく されている[20] 。さらにオンタリオ州 しゅう のみならずカナダ全国 ぜんこく の教職員 きょうしょくいん 研修 けんしゅう に用 もち いられた。同書 どうしょ では、メディア・リテラシーを次 つぎ のように定義 ていぎ づけている。
「メディア・リテラシーはマスメディアの性質 せいしつ 、マスメディアによって用 もち いられたテクニック、およびこれらのテクニックの影響 えいきょう を十分 じゅうぶん かつ批判 ひはん 的 てき に理解 りかい できるよう生徒 せいと たちを支援 しえん することに関 かか わっている。さらに言 い えば、メディアがどのように機能 きのう し、メディアがどのように意味 いみ を作 つく り出 だ し、メディアがどのように組織 そしき され、そしてメディアがどのように現実 げんじつ を構成 こうせい するのかということを生徒 せいと がより理解 りかい し、楽 たの しむことができることを目的 もくてき にしている。メディア・リテラシーはまた、生徒 せいと に対 たい してメディア作品 さくひん を創造 そうぞう する能力 のうりょく をもたらすことも目的 もくてき としている。」
AMLによる8つのキー・コンセプトは以下 いか の通 とお りである。
8つのキー・コンセプト
メディアはすべて構成 こうせい されたものである
メディアは現実 げんじつ を作 つく り出 だ す
視聴 しちょう 者 しゃ はメディアを探 さぐ りつつ意味 いみ を解釈 かいしゃく する
メディアは商業 しょうぎょう 的 てき な意味 いみ を含 ふく む
メディアはイデオロギー的 てき 、価値 かち 的 てき メッセージを含 ふく む
メディアは社会 しゃかい 的 てき 、政治 せいじ 的 てき 意味 いみ を含 ふく む
メディアにおける形式 けいしき と内容 ないよう は密接 みっせつ に関連 かんれん する
メディアはそれぞれ独自 どくじ の美的 びてき 形式 けいしき を持 も つ
しかし、これらのコンセプトにおけるメディア概念 がいねん にはあいまいさがあるため、このコンセプトの作成 さくせい に関 かか わったジョン・プンジェンテ[注 ちゅう 8] は、メディアの概念 がいねん をより明確 めいかく にした改訂 かいてい を行 おこな った[21] [22] 。さらに現在 げんざい のAMLはメディアとメディア・テクストを概念的 がいねんてき に区別 くべつ した新 あら たな改訂 かいてい 版 ばん を公表 こうひょう した[23] 。その内容 ないよう は以下 いか の通 とお りである。
8つのキー・コンセプト(改訂 かいてい 版 ばん )
メディアは、現実 げんじつ のリプリゼンテーションを構成 こうせい する
メディアは、多様 たよう な現実 げんじつ をリプリゼンテーションする
オーディエンスは、メディア・テクストの意味 いみ を探 さぐ りつつ解釈 かいしゃく するために過去 かこ の経験 けいけん とスキルを用 もち いる
メディア・テクストは、経済 けいざい 的 てき な意味 いみ を持 も つ
メディア・テクストは、価値 かち 観 かん を持 も ったメッセージを伝 つた える
メディア・テクストは、政治 せいじ 的 てき 、社会 しゃかい 的 てき メッセージを伝 つた える
メディア・テクストの形式 けいしき と内容 ないよう は、意味 いみ を伝 つた えるために相互 そうご に結 むす びつく
メディアは、それぞれ何 なに が印象 いんしょう 的 てき で何 なに が好 この ましいかを決定 けってい する独自 どくじ の美的 びてき 形式 けいしき を持 も つ
AMLがメディア・テクストと呼 よ ばれる用語 ようご を用 もち いるのは、AMLの活動 かつどう がマスターマンの理論 りろん の影響 えいきょう を強 つよ く受 う けており、その内容 ないよう がオンタリオ州 しゅう のカリキュラムにも反映 はんえい されているからである。オンタリオ州 しゅう のカリキュラムでは、メディア・リテラシーは、「多様 たよう なフォーマットのメディア・テクストの技 わざ とメッセージ交換 こうかん に対 たい する学習 がくしゅう の結果 けっか 」とされており、メディア・テクストは、オーディエンスに意味 いみ を伝 つた える印刷 いんさつ 、口語 こうご 、映像 えいぞう などあらゆるフォーマットを含 ふく み、意味 いみ を伝 つた えるための「言語 げんご 」を持 も つ。[24]
アメリカの研究 けんきゅう 者 しゃ や活動 かつどう 家 か は1990年 ねん にトロント近郊 きんこう のゲルフで開催 かいさい されたAMLの会議 かいぎ に参加 さんか し、自分 じぶん たち自身 じしん のセッションを開 ひら いた。ここから実質 じっしつ 的 てき なアメリカのメディア・リテラシー運動 うんどう が始 はじ まった。参加 さんか 者 しゃ はマリリン・コーヘン[注 ちゅう 9] 、デビッド・コンシダイン[注 ちゅう 10] 、レネ・ホッブス[注 ちゅう 11] 、ダグラス・ケルナー[注 ちゅう 12] 、ロバート・クーベイ[注 ちゅう 13] 、キャスリン・モーディ[注 ちゅう 14] 、ジム・ポッター[注 ちゅう 15] 、レネ・チェロウオレアリー[注 ちゅう 16] 、マリエリ・ローウェ[注 ちゅう 17] 、エリザベス・トーマン[注 ちゅう 18] 、キャスリン・タイナー[注 ちゅう 19] の11名 めい であった。この参加 さんか 者 しゃ グループが中核 ちゅうかく となり、アメリカでCMLやAMLA(現在 げんざい のNAMLE)を設立 せつりつ することになる。[25]
まず、フランシス・デイビス[26] はAMLの8つのキー・コンセプトをもとにテレビを見 み るためのメディア・リテラシーの5 いつ つのアイデアを整理 せいり した[27] 。ただしこの5 いつ つのアイデアは保護 ほご 者 しゃ や子 こ どもにもわかるように、テレビにのみ焦点 しょうてん を当 あ てて作 つく られたものであった。CMLの設立 せつりつ 者 しゃ の一人 ひとり であるトーマンは、このアイデアをさらに発展 はってん させ、5 いつ つのコンセプトとしてまとめた(Thoman, 1993)[28] 。さらに、トーマンはフレイレ の理論 りろん をもとに、アウェアネス、分析 ぶんせき 、リフレクション、アクションの4 よっ つのステップを含 ふく む「エンパワーメント」の過程 かてい を描 えが き、それをアクション・ラーニング・モデルとした。(Thoman, Ibid. )
その後 ご 、2002年 ねん にトーマン、ジョルズ、ジェフ・シェア[注 ちゅう 20] らは、CMLから『21世紀 せいき へのリテラシー:メディア・リテラシー教育 きょういく の概要 がいよう とオリエンテーション・ガイド』(現在 げんざい は第 だい 二 に 版 はん )を公表 こうひょう する(Thoman, Jolls, and Share, 2008)[29] 。このガイドには、5 いつ つのコア・コンセプトに加 くわ えて5 いつ つのキー・クエスチョンが追加 ついか された。その理由 りゆう は、子 こ どもたちにコア・コンセプトを直接 ちょくせつ 理解 りかい させることが難 むずか しいため、質問 しつもん の形 かたち にする必要 ひつよう があったからである。キー・クエスチョンは読解 どっかい と制作 せいさく の二 に 種類 しゅるい があり、どちらもコア・コンセプトと関係付 かんけいづ けられている。さらに、メディア・リテラシーの5 いつ つのスキル(アクセス、分析 ぶんせき 、評価 ひょうか 、創造 そうぞう 、参加 さんか )、エンパワーメントのスパイラル(アウェアネス、分析 ぶんせき 、リフレクション、アクション)が追加 ついか された。
なお、同 どう ガイドは、メディア・リテラシーを「教育 きょういく への21世紀 せいき を志向 しこう するアプローチであり、多様 たよう なフォーマットのメッセージを使用 しよう するための、アクセス、分析 ぶんせき 、評価 ひょうか 、創造 そうぞう 、参加 さんか の枠組 わくぐ みをもたらすとともに、社会 しゃかい におけるメディアの役割 やくわり の理解 りかい と民主 みんしゅ 主義 しゅぎ 社会 しゃかい の市民 しみん に求 もと められる探究 たんきゅう と自己 じこ 表現 ひょうげん のスキルを構築 こうちく するもの」と定義 ていぎ している。コア・コンセプトとキー・クエスチョンは以下 いか の通 とお りである。
メディア・リテラシーのコア・コンセプト
メディア・メッセージはすべて「構成 こうせい された」ものである
メディア・メッセージは創造 そうぞう 的 てき 言語 げんご とそのルールを用 もち いて構成 こうせい されている
多様 たよう な人々 ひとびと が同 おな じメディア・メッセージを多様 たよう に受 う け止 と める
メディアは価値 かち 観 かん と視点 してん を含 ふく んでいる
ほとんどのメディア・メッセージは、利益 りえき を得 え るため、および/または権力 けんりょく を得 え るために作 つく られる
5キー・クエスチョン:読解 どっかい
誰 だれ がこのメッセージを作 つく ったのか?
どんな創作 そうさく テクニックが私 わたし の関心 かんしん を引 ひ くために使 つか われたのか?
このメッセージの他 ほか の人々 ひとびと の理解 りかい はどのように異 こと なっているか?
このメッセージにはどんな価値 かち 観 かん やライフスタイル、視点 してん が表現 ひょうげん されているか、あるいは排除 はいじょ されているか?
なぜこのメッセージは送 おく られたのか?
5キー・クエスチョン:制作 せいさく
私 わたし は何 なに を制作 せいさく しているのか?
私 わたし のメッセージはフォーマット、創造 そうぞう 性 せい 、テクノロジーに意見 いけん が反映 はんえい されているか?
私 わたし のメッセージはターゲット・オーディエンスの心 しん を捉 とら え、動 うご かしているか?
私 わたし はコンテンツの中 なか で、価値 かち 観 かん やライフスタイル、視点 してん を明確 めいかく かつ一貫 いっかん して構成 こうせい したか?
私 わたし は目的 もくてき を効果 こうか 的 てき に伝 つた えたか?
メディア・リテラシー教育 きょういく の基本 きほん 原理 げんり [ 編集 へんしゅう ]
メディア・リテラシーの基本 きほん 原理 げんり を教育 きょういく の場 ば で実現 じつげん するための教育 きょういく 原理 げんり がメディア・リテラシー教育 きょういく の原理 げんり である。前者 ぜんしゃ がメディア・リテラシーの原理 げんり そのものに焦点 しょうてん を当 あ てるのに対 たい して、後者 こうしゃ は教育 きょういく 実践 じっせん の原理 げんり と方法 ほうほう に焦点 しょうてん を当 あ てたものだと言 い える。その初 はつ 源 みなもと は、マスターマンの「メディア・アウエアネス教育 きょういく 18の基本 きほん 原則 げんそく 」である。これは、AMLのニュースレターに掲載 けいさい された1995年版 ねんばん (翻訳 ほんやく :鈴木 すずき みどり編著 へんちょ 『メディア・リテラシーの現在 げんざい と未来 みらい 』世界 せかい 思想 しそう 社 しゃ 、2001:296-297)とCMLのサイトに掲載 けいさい された1989年版 ねんばん があり[30] 、項目 こうもく の内容 ないよう や表現 ひょうげん に多少 たしょう の違 ちが いがある。メディア教育 きょういく と表記 ひょうき されているが、メディア・リテラシー教育 きょういく と同 おな じ意味 いみ である。
メディア・アウエアネス教育 きょういく 18の基本 きほん 原則 げんそく (1989年版 ねんばん )
メディア教育 きょういく は重大 じゅうだい かつ意義 いぎ ある試 こころ みである。問 と われているのは個々人 ここじん とりわけマイノリティ のエンパワーメント と社会 しゃかい の民主 みんしゅ 的 てき 構造 こうぞう の強化 きょうか である。
メディア教育 きょういく を統合 とうごう する中心 ちゅうしん 的 てき コンセプトはリプリゼンテーションである。メディアは媒介 ばいかい する。メディアは世界 せかい を反映 はんえい するのではなくリプリゼンテーションする。
メディア教育 きょういく は生涯 しょうがい にわたるプロセスである。それゆえに、学習 がくしゅう 者 しゃ の高 たか いモチベーションが主要 しゅよう な目的 もくてき にならなければならない。
メディア教育 きょういく は単 たん に批判 ひはん 的 てき 知性 ちせい を育 そだ てるのではなく、批判 ひはん 的 てき 主体 しゅたい を育 そだ てる。
メディア教育 きょういく は探究 たんきゅう である。メディア教育 きょういく は特定 とくてい の文化 ぶんか や政治 せいじ 的 てき 価値 かち を押 お し付 つ けない。
メディア教育 きょういく は状況 じょうきょう と機会 きかい を重視 じゅうし する。メディア教育 きょういく は学習 がくしゅう 者 しゃ の生活 せいかつ 状 じょう 況 きょう に光 ひかり をあてる。そして、メディア教育 きょういく は「今 いま 、この場 ば 」を、広 ひろ く歴史 れきし 的 てき かつイデオロギー的 てき な問題 もんだい の文脈 ぶんみゃく に置 お くであろう。
メディア教育 きょういく で用 もち いるコンテンツは目的 もくてき のための手段 しゅだん である。その目的 もくてき は別 べつ のコンテンツではなく、他 た の場面 ばめん に応用 おうよう できる分析 ぶんせき 的 てき なツールを開発 かいはつ することにある。
メディア教育 きょういく の有効 ゆうこう 性 せい は次 つぎ の二 ふた つの基準 きじゅん によって評価 ひょうか される。
(a)新 あたら しい状況 じょうきょう に生徒 せいと 自 みずか らの批判 ひはん 的 てき 思考 しこう を用 もち いる能力 のうりょく
(b)生徒 せいと が示 しめ す関与 かんよ と動機 どうき の深 ふか さ
理想 りそう としては、メディア教育 きょういく における評価 ひょうか は、形成 けいせい 的 てき かつ総括 そうかつ 的 てき な学習 がくしゅう 者 しゃ の自己 じこ 評価 ひょうか の手段 しゅだん である。
実際 じっさい 、メディア教育 きょういく は内省 ないせい と対話 たいわ 双方 そうほう のための対象 たいしょう を提供 ていきょう することによって、教 おし えるものと教 おそ わるものの関係 かんけい を変革 へんかく する試 こころ みである。
メディア教育 きょういく は単 たん なる討論 とうろん ではなく、対話 たいわ を通 とお して探究 たんきゅう する。
メディア教育 きょういく は基本 きほん 的 てき に活動 かつどう 的 てき かつ参加 さんか 型 がた であり、より開 ひら かれた民主 みんしゅ 的 てき な教育 きょういく 実践 じっせん の展開 てんかい を促進 そくしん する。メディア教育 きょういく は学習 がくしゅう 者 しゃ に自 みずか らの学習 がくしゅう に対 たい してより責任 せきにん を持 も ち、学習 がくしゅう を自己 じこ 管理 かんり し、授業 じゅぎょう の計画 けいかく に参加 さんか し、そして自 みずか らの学習 がくしゅう に長期 ちょうき にわたる視野 しや を持 も つように力 ちから づける。
メディア教育 きょういく は新 あたら しい教科 きょうか 領域 りょういき の導入 どうにゅう に関 かか わるよりも、より教室 きょうしつ での新 あたら しい活動 かつどう の方法 ほうほう に関 かか わっている。
メディア教育 きょういく は協 きょう 働 はたらけ 学習 がくしゅう を含 ふく む。協 きょう 働 はたらけ 学習 がくしゅう はグループに焦点 しょうてん を当 あ てる。個々人 ここじん の学習 がくしゅう は競争 きょうそう ではなく洞察 どうさつ とグループ全体 ぜんたい のリソースに関 かか わることによって強化 きょうか される。
メディア教育 きょういく は実践 じっせん 的 てき 批判 ひはん と批判 ひはん 的 てき 実践 じっせん の双方 そうほう から成 な り立 た っている。それは文化 ぶんか 的 てき 再 さい 生産 せいさん に対 たい する文化 ぶんか 的 てき 批判 ひはん の優位 ゆうい 性 せい を確認 かくにん するものである。
メディア教育 きょういく はホーリステックなプロセスである。理念 りねん 的 てき には保護 ほご 者 しゃ やメディア専門 せんもん 家 か 、教職員 きょうしょくいん 同士 どうし の関係 かんけい を形作 かたちづく るものである。
メディア教育 きょういく は絶 た えざる変革 へんかく の原理 げんり に関 かか わっている。それは絶 た えず変化 へんか していく現実 げんじつ とともに発展 はってん しなければならない。
メディア教育 きょういく の土台 どだい にあるのは差異 さい の哲学 てつがく 的 てき 認識 にんしき 論 ろん (エピステモロジー)である。すなわち、既存 きそん の知識 ちしき は単 たん に教師 きょうし によって伝 つた えられたり、学習 がくしゅう 者 しゃ によって「発見 はっけん される」のではない。それは目的 もくてき ではなく始 はじ まりである。それは批判 ひはん 的 てき 探究 たんきゅう と対話 たいわ の対象 たいしょう であり、そこから新 あたら しい知識 ちしき は学習 がくしゅう 者 しゃ と教師 きょうし たちによって能動 のうどう 的 てき に創造 そうぞう されるのである。
NAMLEは、2007年 ねん にマスターマンの18の基本 きほん 原則 げんそく を受 う け継 つ ぎつつ、メディア・リテラシー教育 きょういく に関 かん する6つの中核 ちゅうかく 原理 げんり を公表 こうひょう した[31] 。この中核 ちゅうかく 原理 げんり はCMLのコア・コンセプトを含 ふく んでおり、それを教育 きょういく の場 ば でどのように実践 じっせん するかという問題 もんだい に焦点 しょうてん をおいて作 つく られた。この中核 ちゅうかく 原理 げんり の公表 こうひょう と同時 どうじ にNAMLEはその前身 ぜんしん のAMLA(Aliance for Media Literaited America)から名称 めいしょう を変更 へんこう している。それはメディア・リテラシーからメディア・リテラシー教育 きょういく への大 おお きな運動 うんどう の転換 てんかん を意味 いみ するものであった。この中核 ちゅうかく 原理 げんり は6つの原理 げんり とその原理 げんり からもたらされるより具体 ぐたい 的 てき な下位 かい 項目 こうもく から構成 こうせい されている。ここでは基本 きほん 項目 こうもく のみを掲載 けいさい する。
メディア・リテラシー教育 きょういく の中核 ちゅうかく 原理 げんり
メディア・リテラシー教育 きょういく は、私 わたし たちが受信 じゅしん し、創造 そうぞう するメッセージについての積極 せっきょく 的 てき な探究 たんきゅう と批判 ひはん 的 てき 思考 しこう を要求 ようきゅう する。
メディア・リテラシー教育 きょういく は、リテラシーの概念 がいねん (すなわち読 よ み書 か き)をあらゆるメディアの形態 けいたい に拡張 かくちょう する。
メディア・リテラシー教育 きょういく は、あらゆる年齢 ねんれい 層 そう の学習 がくしゅう 者 しゃ に対 たい して行 おこな われ、スキルの向上 こうじょう を図 はか る。識字 しきじ 能力 のうりょく のように、それらのスキルは統合 とうごう され、インタラクティブに繰 く り返 かえ し、練習 れんしゅう される必要 ひつよう がある。
メディア・リテラシー教育 きょういく は、民主 みんしゅ 主義 しゅぎ 社会 しゃかい に不可欠 ふかけつ な、情報 じょうほう に通 つう じ、深 ふか く考 かんが え、積極 せっきょく 的 てき に関 かか わっていく社会 しゃかい への参加 さんか 者 しゃ を育 そだ てる。
メディア・リテラシー教育 きょういく は、メディアが文化 ぶんか の一部 いちぶ であり、社会 しゃかい 化 か の主体 しゅたい (エイジェント)として機能 きのう することを認識 にんしき する。
メディア・リテラシー教育 きょういく は、人々 ひとびと がメディア・メッセージから自分 じぶん 自身 じしん の意味 いみ を作 つく り出 だ すために、自分 じぶん たちのスキルや心情 しんじょう 、経験 けいけん を利用 りよう すると確信 かくしん する。
※なお、上 うえ 記事 きじ 中 ちゅう に用 もち いた翻訳 ほんやく は許可 きょか を得 え てAMILEC(アジア太平洋 たいへいよう メディア情報 じょうほう リテラシー教育 きょういく センター )のサイトから転載 てんさい したものである。メディア・リテラシー教育 きょういく の中核 ちゅうかく 原理 げんり の 全文 ぜんぶん 訳 やく も同 どう サイトに掲載 けいさい されている。
イギリスでのメディア・リテラシーの萌芽 ほうが として、1933年 ねん に、F・R・リーヴィス とデニス・トンプソン(トムソン)がマスメディアを批判 ひはん 的 てき に読 よ み解 と くことについて言及 げんきゅう している。ただし、リーヴィスらは、現在 げんざい のメディア・リテラシーの意味 いみ とは違 ちが い、大衆 たいしゅう 文化 ぶんか の影響 えいきょう を避 さ け、正統 せいとう なものを見分 みわ けることを求 もと めていた。他方 たほう 、アドルフ・ヒトラー の情報 じょうほう 操作 そうさ が他国 たこく でも問題 もんだい になっており、BBCでプロパガンダを見分 みわ ける放送 ほうそう が行 おこな われたり、1936年 ねん にローマ教皇 きょうこう によりメディア教育 きょういく を授業 じゅぎょう に組 く み入 い れるよう呼 よ びかけが行 おこな われた。その後 ご 、1960年代 ねんだい には、メディアの中 なか からより高級 こうきゅう なものに興味 きょうみ を持 も てるようにする教育 きょういく がよく取 と り入 い れられた。
しかし、1970年代 ねんだい にかけて、メディアが大衆 たいしゅう に受 う け入 い れられ表現 ひょうげん も多様 たよう 化 か されていった中 なか で、イギリス ・ノッティンガム大学 だいがく のレン・マスターマン が、1985年 ねん に『メディアを教 おし える』(Teaching the Media )[32] を出版 しゅっぱん した。マスターマンは、「メディア・リテラシーは単 たん にクリティカルな知力 ちりょく を養 やしな うだけでなく、クリティカルな主体性 しゅたいせい を養 やしな うことを目的 もくてき する」と述 の べ、後 のち に、「メディア・リテラシーの18の基本 きほん 原則 げんそく 」をまとめている。
カナダでは1960年代 ねんだい 、マーシャル・マクルーハン のメディア分析 ぶんせき と時 じ を同 おな じくして、社会 しゃかい 問題 もんだい を考 かんが えるための映画 えいが 分析 ぶんせき が学校 がっこう 教育 きょういく で行 おこな われていた。1966年 ねん には、トロントで、映画 えいが 教育 きょういく 教会 きょうかい が設立 せつりつ されている。
その後 ご 、1970年代 ねんだい に教育 きょういく の保守 ほしゅ 化 か ・予算 よさん 削減 さくげん などが原因 げんいん で映画 えいが 教育 きょういく の動 うご きは下火 したび になったが、バリー・ダンカン により、メディア・リテラシー教会 きょうかい (AML)が作 つく られ、草 くさ の根 ね ベースのメディア・リテラシー活動 かつどう を行 おこな っていた。このメディア・リテラシー教会 きょうかい の政府 せいふ への働 はたら きかけなどにより、1987年 ねん 、メディア・リテラシーがカナダのオンタリオ州 しゅう のカリキュラムとして導入 どうにゅう され、1989年 ねん 、オンタリオ州 しゅう 教育 きょういく 省 しょう からメディア・リテラシーの教育 きょういく 者 しゃ 向 む けガイド[33] が発行 はっこう された。
日本 にっぽん におけるメディア・リテラシー以前 いぜん の状況 じょうきょう [ 編集 へんしゅう ]
江戸 えど 時代 じだい 、日本 にっぽん では情報 じょうほう 規制 きせい が厳 きび しく行 おこな われていた。特 とく に幕末 ばくまつ では、倒幕 とうばく 派 は や攘夷 じょうい 派 は の起 お こした事件 じけん は、瓦版 かわらばん などで大 おお きく報道 ほうどう できなかった。そのため、瓦版 かわらばん の版元 はんもと は隠語 いんご などを用 もち いて発行 はっこう し、知識 ちしき のある者 もの がそれを読 よ み取 と っていた。
昭和 しょうわ 初期 しょき には、大陸 たいりく での陸軍 りくぐん の暴走 ぼうそう (満州 まんしゅう 事変 じへん など一連 いちれん の大陸 たいりく での事件 じけん )がメディアによって支持 しじ され、世論 せろん により政府 せいふ の不拡大 ふかくだい 政策 せいさく は崩 くず れた。さらに、第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 勃発 ぼっぱつ 後 ご 、ドイツの快 かい 進撃 しんげき が報道 ほうどう されるに及 およ び、ドイツとの同盟 どうめい 論 ろん が復活 ふっかつ (ドイツがソ連 それん と独 どく ソ不可侵 ふかしん 条約 じょうやく を結 むす んだことにより、同盟 どうめい 論 ろん は沈静 ちんせい 化 か していた)し、その上 うえ 英 えい 米 べい に歩 あゆ み寄 よ る政府 せいふ の姿勢 しせい をメディアが批判 ひはん 的 てき に報道 ほうどう し、世論 せろん は対 たい 英 えい 米 べい 協調 きょうちょう に反対 はんたい を示 しめ し、それに乗 じょう じた陸軍 りくぐん の工作 こうさく により、協調 きょうちょう 路線 ろせん をとる米内 よない 光政 みつまさ 内閣 ないかく は崩壊 ほうかい した。一 ひと つの見方 みかた では、メディア・リテラシーの欠如 けつじょ が日 にち 中 ちゅう 戦争 せんそう の拡大 かくだい を促 うなが し、太平洋戦争 たいへいようせんそう を勃発 ぼっぱつ させたとも言 い える。
太平洋戦争 たいへいようせんそう 下 か では、新聞 しんぶん は法律 ほうりつ によって統制 とうせい され、放送 ほうそう 局 きょく は事実 じじつ 上 じょう の国営 こくえい 局 きょく 一 ひと つだけなど、露骨 ろこつ な情報 じょうほう 操作 そうさ が行 おこな われていた。報道 ほうどう や軍事 ぐんじ などに詳 くわ しいものであれば疑 うたが うこともある内容 ないよう ではあったが、軍部 ぐんぶ による言論 げんろん の弾圧 だんあつ もあったため、疑念 ぎねん を表 ひょう に出 だ すことがあれば非国民 ひこくみん とされ、生 い きていくこともままならなかった状況 じょうきょう でもあった。もしメディア・リテラシー教育 きょういく が行 い き届 とど いていたとしても、開戦 かいせん 自体 じたい を止 と められなければ無力 むりょく であるとも言 い え、常 つね 日頃 ひごろ のメディア・リテラシーが重要 じゅうよう であることを示唆 しさ している。
太平洋戦争 たいへいようせんそう 後 ご (1957年 ねん )、テレビによるマスコミの悪影響 あくえいきょう が一 いち 億 おく 総 そう 白痴 はくち 化 か などと言 い われたことがあった。「テレビというメディアは非常 ひじょう に低俗 ていぞく な物 もの であり、テレビばかり見 み ていると、人間 にんげん の想像 そうぞう 力 りょく や思考 しこう 力 りょく を低下 ていか させてしまう。」といったもので、現代 げんだい におけるインターネット批判 ひはん と同様 どうよう の事 こと が50年 ねん も前 まえ から起 お こっていた。しかし、メディア・リテラシー教育 きょういく は無 な かったため、そういったメディアを読 よ み、聞 き き、見 み ていく訓練 くんれん は自主 じしゅ 的 てき に行 おこな わなければならなかった。
日本 にっぽん のメディア・リテラシーの発展 はってん [ 編集 へんしゅう ]
日本 にっぽん では、メディア・リテラシーが3つの領域 りょういき から発展 はってん している。ひとつは、前述 ぜんじゅつ の諸 しょ 外国 がいこく によるメディアリテラシーの輸入 ゆにゅう 、もうひとつは、視聴覚 しちょうかく 教育 きょういく やコンピュータ・情報 じょうほう 教育 きょういく からの発展 はってん 、そして専門 せんもん 学校 がっこう ・大学 だいがく ・企業 きぎょう などで職業 しょくぎょう 訓練 くんれん の一環 いっかん として行 おこな われるものである[34] 。
メディア・リテラシー導入 どうにゅう 以降 いこう の状況 じょうきょう [ 編集 へんしゅう ]
総務 そうむ 省 しょう が行 おこな った「令 れい 和 わ 2年度 ねんど 情報 じょうほう 通信 つうしん メディアの利用 りよう 時間 じかん と情報 じょうほう 行動 こうどう に関 かん する調査 ちょうさ 」では、それぞれのメディアにどの程度 ていど 信頼 しんらい できる情報 じょうほう があると考 かんが えているかが調査 ちょうさ された[35] 。その結果 けっか によれば、全 ぜん 年代 ねんだい で見 み ると、最 もっと も信頼 しんらい 度 ど が高 たか いメディアは新聞 しんぶん であり、66.0%が信頼 しんらい できると評価 ひょうか した[35] 。前年度 ぜんねんど (令 れい 和 わ 元 もと 年度 ねんど )の調査 ちょうさ 結果 けっか と比較 ひかく すると、新聞 しんぶん 、テレビ、インターネット、雑誌 ざっし という、4つのメディアのすべての信頼 しんらい 度 ど が減少 げんしょう する結果 けっか となった[35] 。
年代 ねんだい 別 べつ では、30代 だい 、40代 だい 、50代 だい 及 およ び60代 だい では新聞 しんぶん の信頼 しんらい 度 ど が最 もっと も高 たか くなっている[35] が、各 かく 新聞 しんぶん 社 しゃ による虚偽 きょぎ 報道 ほうどう や偏向 へんこう 報道 ほうどう 、捏造 ねつぞう や誤報 ごほう は後 ご を絶 た たない。
なお、20代 だい では、新聞 しんぶん とテレビが同 どう 程度 ていど の信頼 しんらい 度 ど となっており、10代では、テレビの信頼 しんらい 度 ど が、新聞 しんぶん の信頼 しんらい 度 ど より高 たか くなっている[35] 。
しかし、テレビでも2007年 ねん 1月 がつ に起 お こった情報 じょうほう バラエティー番組 ばんぐみ 「発掘 はっくつ !あるある大 だい 事典 じてん II 」(フジテレビ)における「納豆 なっとう ダイエット」データ捏造 ねつぞう 問題 もんだい や、2011年 ねん 1月 がつ に起 お こったニュース番組 ばんぐみ 「news every.サタデー」(日本 にほん テレビ)における取材 しゅざい 対象 たいしょう の企業 きぎょう の社員 しゃいん を一般 いっぱん 客 きゃく に装 よそお ったやらせ 演出 えんしゅつ など虚偽 きょぎ 情報 じょうほう を放送 ほうそう する事件 じけん が度々 たびたび 起 お きており、メディア・リテラシー教育 きょういく の必要 ひつよう 性 せい は全 ぜん 年代 ねんだい にあると言 い える。小泉 こいずみ 政権 せいけん 時 どき の 2005年 ねん 郵政 ゆうせい 選挙 せんきょ ではメディアが好意 こうい 的 てき な記事 きじ を流 なが し続 つづ けたため問題 もんだい 点 てん があっても誰 だれ もが小泉 こいずみ 政権 せいけん を支持 しじ しているように見 み なされ、彼 かれ が勇退 ゆうたい したあとその問題 もんだい 点 てん が噴出 ふんしゅつ した例 れい もある[36] 。
日本 にっぽん は諸 しょ 先進 せんしん 国 こく の中 なか でも、特異 とくい 的 てき にマスコミへの信頼 しんらい 度 ど が高 たか いと言 い われている[37] 。世界 せかい 数 すう 十 じゅう カ国 かこく の大学 だいがく ・研究 けんきゅう 機関 きかん が参加 さんか し、共通 きょうつう の調査 ちょうさ 票 ひょう で各国 かっこく 国民 こくみん の意識 いしき を調 しら べ相互 そうご に比較 ひかく する調査 ちょうさ である「世界 せかい 価値 かち 観 かん 調査 ちょうさ 」の第 だい 7回 かい 目 め の調査 ちょうさ 結果 けっか によれば、他 た の先進 せんしん 国 こく はいずれも新聞 しんぶん ・雑誌 ざっし に対 たい してはほぼ5割 わり 以下 いか の信頼 しんらい 度 ど ほどであるのに対 たい して、日本 にっぽん では新聞 しんぶん ・雑誌 ざっし に対 たい して7割 わり 近 ちか くの信頼 しんらい 度 ど がある[37] 。
インターネット の普及 ふきゅう により誰 だれ もが意見 いけん を広 ひろ げる事 こと が出来 でき るとマスコミの報 ほう じる情報 じょうほう に疑問 ぎもん を呈 てい する傾向 けいこう がある。例 たと えば新聞 しんぶん が盛 さか んに推進 すいしん する新聞 しんぶん ・書籍 しょせき に軽減 けいげん 税率 ぜいりつ を適用 てきよう するという意見 いけん については、2014年 ねん 8月 がつ の日本 にっぽん 新聞 しんぶん 協会 きょうかい のアンケートでは肯定 こうてい 的 てき な人 ひと が76.0%であるのに対 たい し(中日新聞 ちゅうにちしんぶん 2014年 ねん 10月 がつ 11日 にち 付 づ け記事 きじ )、Yahoo! の意識 いしき 調査 ちょうさ では32.8%にとどまっており、新聞 しんぶん とインターネットの意識 いしき 調査 ちょうさ 間 あいだ に乖離 かいり が生 しょう じる結果 けっか となった[38] 。
一方 いっぽう でインターネットの普及 ふきゅう は従来 じゅうらい のメディアとは比較 ひかく にならないほどの膨大 ぼうだい な情報 じょうほう を受 う け手 て にもたらすこととなり、また送 おく り手 しゅ のハードルも低 ひく くなった。その結果 けっか 2016年 ねん に大手 おおて ネットサービス企業 きぎょう DeNA のヘルスケア情報 じょうほう サイトで誤 あやま った内容 ないよう や著作 ちょさく 権 けん 侵害 しんがい があった事 こと が大 おお きな問題 もんだい となった。一部 いちぶ 新聞 しんぶん では情報 じょうほう 企業 きぎょう の無責任 むせきにん ぶりを批判 ひはん していたが[39] 、従来 じゅうらい からの大手 おおて マスコミ(テレビ・新聞 しんぶん )にも情報 じょうほう 操作 そうさ が散見 さんけん される為 ため [40] 、受 う け手 て の方 ほう も玉石混交 ぎょくせきこんこう の情報 じょうほう を鵜呑 うの みのする事 こと はせずに情報 じょうほう をしっかり見極 みきわ める事 こと が必要 ひつよう とされる。
何 いず れのメディアも、虚偽 きょぎ の内容 ないよう や誤 あやま った情報 じょうほう 、そして古 ふる い情報 じょうほう が紛 まぎ れ込 こ んでいる可能 かのう 性 せい は大 おお いにある。他 た の文献 ぶんけん などのカウンターメディア を参照 さんしょう し、より精確 せいかく な理解 りかい を深 ふか めることが必要 ひつよう である。
メディア・リテラシー教育 きょういく [ 編集 へんしゅう ]
日本 にっぽん におけるメディア・リテラシー教育 きょういく [ 編集 へんしゅう ]
2012年 ねん 現在 げんざい 、日本 にっぽん の学習 がくしゅう 指導 しどう 要領 ようりょう に「メディア・リテラシー」の文言 もんごん は、まだない。しかしながら、例 たと えば、「総合 そうごう 的 てき な学習 がくしゅう の時間 じかん 」で「情報 じょうほう 」を扱 あつか い、中学校 ちゅうがっこう の美術 びじゅつ の表現 ひょうげん 活動 かつどう として「映像 えいぞう メディアの積極 せっきょく 的 てき な活用 かつよう 」がなされ、技術 ぎじゅつ ・家庭 かてい 科 か の技術 ぎじゅつ 分野 ぶんや では「多様 たよう なメディアを複 ふく 合 ごう し、表現 ひょうげん や発信 はっしん ができること」が目標 もくひょう とされており、実質 じっしつ 的 てき なメディア・リテラシー教育 きょういく も、さまざまなところで行 おこな われている。
しかしながら、子供 こども のみならず、教師 きょうし に対 たい するメディア・リテラシー教育 きょういく も必要 ひつよう であるとの指摘 してき もある[41] 。情報 じょうほう メディア研究 けんきゅう 家 か の保 ほ 岡 おか 裕之 ひろゆき は、メディア・リテラシーの言葉 ことば ・概念 がいねん を知 し っている学生 がくせい は7割 わり 以上 いじょう いるが、具体 ぐたい 的 てき に情報 じょうほう を適切 てきせつ に評価 ひょうか ・活用 かつよう できておらず、むしろ退化 たいか している人 ひと 増 ふ えているのではとも指摘 してき している[42] 。
日本 にっぽん のメディア・リテラシー教育 きょういく の実例 じつれい としては、
などがある。
「情報 じょうほう を発信 はっしん する力 ちから 」を育成 いくせい する意義 いぎ [ 編集 へんしゅう ]
メディア・リテラシーは、市民 しみん のエンパワーメントを目的 もくてき としている。かつて、文字 もじ の読 よ み書 か きが貴族 きぞく 、それも主 おも に男性 だんせい だけに認 みと められた時代 じだい から、教育 きょういく によってすべての国民 こくみん が読 よ み書 か きする時代 じだい になった。映像 えいぞう 制作 せいさく や放送 ほうそう も、放送 ほうそう 局 きょく だけが行 おこな うことでなく、すべての国民 こくみん が自己 じこ 表現 ひょうげん 、自己 じこ 主張 しゅちょう することを目指 めざ さなければないのである。リテラシーが識字 しきじ 、つまり読 よ み書 か きなのであるから、「書 が き」の部分 ぶぶん の教育 きょういく 方法 ほうほう の開発 かいはつ や作品 さくひん を公表 こうひょう するために地域 ちいき との協力 きょうりょく 体制 たいせい 作 づく りが必要 ひつよう である。福井 ふくい 県 けん では県内 けんない の小 しょう ・中 ちゅう ・高等 こうとう 学校 がっこう がNHK福井放送局 ふくいほうそうきょく と協力 きょうりょく して、児童 じどう ・生徒 せいと が制作 せいさく した番組 ばんぐみ を「発信 はっしん マイスクール」という5分間 ふんかん のコーナーで放送 ほうそう してきた。2000年 ねん から5年間 ねんかん で135校 こう 、県内 けんない の学校 がっこう の35%が番組 ばんぐみ を制作 せいさく し、放送 ほうそう した。普段 ふだん の子供 こども の姿 すがた が映 うつ るため、保護 ほご 者 しゃ に安心 あんしん 感 かん を与 あた え、学校 がっこう のイメージアップにつながった。マスコミで流 なが される学校 がっこう のイメージは悪 わる いため、ギャップに気 き づかされることになるのである。子供 こども の作品 さくひん が大人 おとな のメディア・リテラシー教材 きょうざい となるのである。また、学校 がっこう によってはケーブルテスト(Cable Test)を行 おこな ったり、学校 がっこう 評価 ひょうか に使 つか うところもあった。メディアを使 つか う立場 たちば になれば、単 たん なる視聴 しちょう 者 しゃ からすぐに脱却 だっきゃく できることがわかる。[43] 。
教科書 きょうかしょ の変化 へんか [ 編集 へんしゅう ]
2000年 ねん から小・中学校 しょうちゅうがっこう の国語 こくご 教科書 きょうかしょ に「ニュース番組 ばんぐみ を作 つく ろう」などの内容 ないよう が入 はい った。自分 じぶん たちのニュース番組 ばんぐみ を作 つく るために構成 こうせい 表 ひょう を書 か き、調査 ちょうさ に行 い くことが示 しめ されている。ビデオカメラで撮影 さつえい する姿 すがた や、「校内 こうない 放送 ほうそう してみんなで見 み るのも楽 たの しいでしょう」と制作 せいさく 、放送 ほうそう を勧 すす めている。
大学 だいがく におけるメディア・リテラシー教育 きょういく [ 編集 へんしゅう ]
大学 だいがく では、学生 がくせい が映像 えいぞう 制作 せいさく し、地方 ちほう 局 きょく ・CATVやインターネットで放送 ほうそう するところが増 ふ えている。茨城 いばらき 県 けん では茨城大学 いばらきだいがく ・筑波大学 つくばだいがく ・東京藝術大学 とうきょうげいじゅつだいがく がNHK水戸放送局 みとほうそうきょく と協力 きょうりょく して「熱血 ねっけつ スタジアム」という15分 ふん 番組 ばんぐみ を月 つき 3回 かい 放送 ほうそう した。[44] 。
信州大学 しんしゅうだいがく は、CATVに「信州大学 しんしゅうだいがく チャンネル」を1チャンネル持 も ち、講演 こうえん 会 かい ・研究 けんきゅう 会 かい ・市民 しみん 講座 こうざ を放送 ほうそう するだけでなく、学生 がくせい が制作 せいさく した作品 さくひん も放送 ほうそう している。東京情報大学 とうきょうじょうほうだいがく では、学生 がくせい が毎週 まいしゅう 地元 じもと のCATVに番組 ばんぐみ を供給 きょうきゅう しているだけでなく、千葉 ちば 県内 けんない の高等 こうとう 学校 がっこう の放送 ほうそう 部 ぶ を支援 しえん して番組 ばんぐみ を作 つく り、千葉 ちば テレビから放送 ほうそう している。東海大学 とうかいだいがく ・中央大学 ちゅうおうだいがく ・白 しろ 鷗大学 がく ・愛知淑徳大学 あいちしゅくとくだいがく なども学生 がくせい が制作 せいさく した番組 ばんぐみ をCATVから放送 ほうそう している。このように、大学 だいがく ではメディア・リテラシーを制作 せいさく ・放送 ほうそう のレベルで行 おこな っている。
現代 げんだい の動向 どうこう [ 編集 へんしゅう ]
現代 げんだい では各種 かくしゅ メディアが大 おお きく発達 はったつ したのに合 あ わせ、以前 いぜん よりも情報 じょうほう の必要 ひつよう 性 せい ・重要 じゅうよう 性 せい が増 ま しており、同 おな じく情報 じょうほう のもたらす影響 えいきょう も以前 いぜん より遥 はる かに大 おお きくなっていると言 い える。また、情報 じょうほう をテレビのみに依存 いぞん しがちになることが増 ふ えているほか、インターネットの普及 ふきゅう により、未成年 みせいねん の段階 だんかい から大量 たいりょう の情報 じょうほう に触 ふ れる機会 きかい も多 おお くなっている。そのため、早 はや い段階 だんかい からのリテラシー教育 きょういく の必要 ひつよう 性 せい が指摘 してき されている。
メディア・リテラシーの提案 ていあん 者 しゃ [ 編集 へんしゅう ]
ニール・ポストマン (Neil Postman 1931-2003)-メディア生態 せいたい 学者 がくしゃ /作家 さっか
ルネイ・ホッブズ (Renee Hobbs)-メディア教育 きょういく における権威 けんい
学校 がっこう カリキュラムにおけるメディア教育 きょういく に関 かん する資料 しりょう については、EUソクラテス・プロジェクトを参照 さんしょう のこと。
要因 よういん 別 べつ に見 み た情報 じょうほう の偏 かたよ りの例 れい [ 編集 へんしゅう ]
以下 いか に、情報 じょうほう の偏 かたよ りが生 しょう じる要因 よういん を挙 あ げ、それぞれについて各種 かくしゅ メディアにおける具体 ぐたい 例 れい を挙 あ げる。
物理 ぶつり 的 てき な制約 せいやく [ 編集 へんしゅう ]
情報 じょうほう を伝 つた えようとする場合 ばあい 、どのような性質 せいしつ をもつメディアを使 つか うかによって伝 つた え方 かた や表現 ひょうげん の仕方 しかた 、伝 つた えられる情報 じょうほう に差 さ が生 しょう じる。各 かく メディアにはそれぞれ長所 ちょうしょ と短所 たんしょ が存在 そんざい する。またその情報 じょうほう 容量 ようりょう や時間 じかん の制限 せいげん 、編集 へんしゅう 規定 きてい 等 とう により情報 じょうほう の取材 しゅざい や編集 へんしゅう の過程 かてい にも影響 えいきょう を与 あた える。何 なに か一 ひと つの物事 ものごと (物 もの 、人物 じんぶつ 、集団 しゅうだん 、出来事 できごと 等 とう )に関 かん する情報 じょうほう を伝 つた える際 さい 、その物事 ものごと の「全 すべ て」を伝 つた えることは物理 ぶつり 的 てき に不可能 ふかのう であり、この点 てん は情報 じょうほう を伝 つた える媒体 ばいたい を問 と わない。このような物理 ぶつり 的 てき な理由 りゆう から、情報 じょうほう を伝 つた える際 さい には、その情報 じょうほう を発信 はっしん する表現 ひょうげん 者 しゃ (情報 じょうほう を伝 つた える個人 こじん あるいは組織 そしき )は情報 じょうほう の取捨選択 しゅしゃせんたく をしなければならない。つまり情報 じょうほう を伝 つた えるには、表現 ひょうげん 者 しゃ が必 かなら ず何 なに かしらの編集 へんしゅう を行 おこな わざるを得 え ず、そうして伝 つた えられる情報 じょうほう は必 かなら ず「実際 じっさい の物事 ものごと の姿 すがた 」とは異 こと なるものとならざるを得 え ない。
新聞 しんぶん ・雑誌 ざっし の例 れい [ 編集 へんしゅう ]
新聞 しんぶん や雑誌 ざっし などでは紙面 しめん が足 た りない場合 ばあい 見出 みだ しや記述 きじゅつ を小 ちい さくしたり取 と り上 あ げないこともある。継続 けいぞく 中 ちゅう の企画 きかく や連載 れんさい に紙面 しめん を割 さ く一方 いっぽう で突発 とっぱつ 的 てき な出来事 できごと や重大 じゅうだい 事故 じこ 、重要 じゅうよう な行事 ぎょうじ のために紙面 しめん を変 か える事 こと も多 おお い。また、印刷 いんさつ や配達 はいたつ の時間 じかん を取 と らなければならないため予 あらかじ め数 すう パターンの記事 きじ を書 か いておく。原稿 げんこう 落 お ちや広告 こうこく の都合 つごう で紙面 しめん に穴 あな が開 ひら いたり余白 よはく がでる場合 ばあい は埋 う め草 くさ としての記事 きじ を書 か くといったこともある。
インターネット 上 うえ の情報 じょうほう についても掲載 けいさい 者 しゃ に時間 じかん 的 てき 余裕 よゆう がなくなったりプロバイダに掲載 けいさい 料金 りょうきん を払 はら えなくなったりした場合 ばあい 更新 こうしん が停止 ていし されたり規模 きぼ が縮小 しゅくしょう されることもあり、最終 さいしゅう 的 てき にはページやサイト自体 じたい が消 き えたりする。それ以外 いがい のリスクとしてはクラッキング による改変 かいへん 、記憶 きおく 装置 そうち の劣化 れっか により情報 じょうほう が消 き える、プロバイダーによる削除 さくじょ やプロバイダーの閉鎖 へいさ もあり得 え る。またアクセス制御 せいぎょ をする方法 ほうほう としては、ロボット型 がた 検索 けんさく エンジン の検索 けんさく ロボットに回収 かいしゅう されたくないファイルがある場合 ばあい それを指定 してい する手段 しゅだん として、HTMLファイル内 ない に検索 けんさく を拒否 きょひ することを明記 めいき したメタタグを記入 きにゅう したり、ウェブサーバの公開 こうかい ディレクトリ最 さい 上層 じょうそう にロボットの挙動 きょどう を指定 してい するファイルを配置 はいち して行動 こうどう を制御 せいぎょ するという方法 ほうほう がある。しかし、検索 けんさく ロボットによってはこのような指定 してい を無視 むし するものもある。荒 あ らし行為 こうい に対 たい してはアクセス解析 かいせき を元 もと にした特定 とくてい サイトからの移動 いどう 履歴 りれき (リファラ )のある利用 りよう 者 しゃ 、NGワード使用 しよう 者 しゃ 、に対 たい するアクセス禁止 きんし 、ページの削除 さくじょ やサイト閉鎖 へいさ がある。それ以外 いがい の要因 よういん では、法律 ほうりつ の改正 かいせい による違法 いほう 化 か やネットブラウザの管理 かんり 者 しゃ によるフィルタリング 、行政 ぎょうせい によるネット検閲 けんえつ 等 とう 情報 じょうほう への規制 きせい によって接触 せっしょく できる情報 じょうほう の構成 こうせい が変 か わってくることもある。
表現 ひょうげん 者 しゃ の立場 たちば による情報 じょうほう の偏 かたよ り[ 編集 へんしゅう ]
一般 いっぱん に、同 おな じ事物 じぶつ に関 かん する情報 じょうほう であっても、その事物 じぶつ に関 かん する見方 みかた は情報 じょうほう ごとに(程度 ていど の差 さ こそあれども)偏 かたよ りが生 しょう じている。これは、その事物 じぶつ に関 かん する捉 とら え方 かた あるいは評価 ひょうか が表現 ひょうげん 者 しゃ (情報 じょうほう を発信 はっしん する個人 こじん あるいは組織 そしき )ごとによって異 こと なり、このことが表現 ひょうげん 者 しゃ が発信 はっしん する情報 じょうほう にも影響 えいきょう を与 あた えるためである。捉 とら え方 かた の違 ちが いを生 う む要因 よういん として重要 じゅうよう なものの一 ひと つとして、表現 ひょうげん 者 しゃ ごとに種々 しゅじゅ の立場 たちば が違 ちが っている点 てん が挙 あ げられる。この違 ちが いがもたらす情報 じょうほう への偏 かたよ りの影響 えいきょう は程度 ていど の差 さ はあるが、一般 いっぱん に大 おお きなものとなりがちである。なお、この偏 かたよ りは、あくまでも情報 じょうほう を発信 はっしん する側 がわ の要因 よういん によって発生 はっせい するものであるため、情報 じょうほう を発信 はっしん するメディア(テレビ ・ラジオ ・新聞 しんぶん ・雑誌 ざっし ・書籍 しょせき ・インターネット ・口頭 こうとう ・音楽 おんがく ・映画 えいが 等 ひとし )を問 と わず発生 はっせい する。
球団 きゅうだん と新聞 しんぶん 社 しゃ の関係 かんけい の例 れい [ 編集 へんしゅう ]
プロ野球 やきゅう リーグにおいて、A球団 きゅうだん とそのライバルであるB球団 きゅうだん が存在 そんざい したとする。この場合 ばあい 、A球団 きゅうだん のオーナーである企業 きぎょう 系列 けいれつ の新聞 しんぶん であるC紙 し では、自社 じしゃ と関係 かんけい の深 ふか いA球団 きゅうだん を日頃 ひごろ から応援 おうえん ・激励 げきれい する傾向 けいこう となるが、B球団 きゅうだん のオーナーである企業 きぎょう 系列 けいれつ の新聞 しんぶん であるD紙 し は、自社 じしゃ と関係 かんけい のあるB球団 きゅうだん に敵対 てきたい するA球団 きゅうだん をけなしたりこき下 お ろしたりする傾向 けいこう となる。更 さら に、「今日 きょう のゲームは7対 たい 5でA球団 きゅうだん が勝利 しょうり 」という一 ひと つの情報 じょうほう を報道 ほうどう するにしても、C紙 し ではA球団 きゅうだん の勝利 しょうり を評価 ひょうか する内容 ないよう の報道 ほうどう を行 おこな い、D紙 し ではA球団 きゅうだん の勝利 しょうり を悔 くや しがる内容 ないよう の報道 ほうどう を行 おこな う傾向 けいこう にある。
各種 かくしゅ 著作 ちょさく 物 ぶつ の例 れい [ 編集 へんしゅう ]
雑誌 ざっし や書籍 しょせき 等 ひとし の印刷物 いんさつぶつ 、インターネット のサイト ・電子 でんし 掲示板 けいじばん (BBS)・ブログ 等 ひとし においても、特定 とくてい の人物 じんぶつ や企業 きぎょう 、国家 こっか やその政策 せいさく 方針 ほうしん 等 とう の事物 じぶつ に関 かん する執筆 しっぴつ をする際 さい 、著者 ちょしゃ の事物 じぶつ に対 たい する感情 かんじょう 、著者 ちょしゃ と事物 じぶつ との間 あいだ にある関係 かんけい 、更 さら には著者 ちょしゃ の主義 しゅぎ ・思想 しそう 等 ひとし により、文章 ぶんしょう ・内容 ないよう が事物 じぶつ に対 たい して肯定 こうてい 的 てき あるいは否定 ひてい 的 てき と分 わ かれることが多 おお い。例 たと えば、掲示板 けいじばん に、ある人物 じんぶつ を批判 ひはん する書 か き込 こ みがあったとしても、普段 ふだん からその人物 じんぶつ をよく思 おも っていない人 ひと の意見 いけん や、その人 ひと のせいで不利益 ふりえき を受 う けている人 ひと の意見 いけん は、批判 ひはん 側 がわ に傾 かたむ きがちであり、逆 ぎゃく に、その人物 じんぶつ に好 こう 印象 いんしょう を抱 だ いていたり、その存在 そんざい が自分 じぶん にとって利益 りえき になる場合 ばあい には擁護 ようご する意見 いけん となるのが普通 ふつう である。また、書籍 しょせき やブログを執筆 しっぴつ する際 さい 、著者 ちょしゃ は、自身 じしん と似 に た価値 かち 観 かん ・主義 しゅぎ ・思想 しそう の人物 じんぶつ や政策 せいさく 、あるいは利害 りがい 関係 かんけい の一致 いっち する人物 じんぶつ や自身 じしん にメリットのある政策 せいさく 等 とう に対 たい して支持 しじ 、肯定 こうてい 的 てき な著述 ちょじゅつ を行 おこな い、反対 はんたい に自身 じしん と異 こと なる価値 かち 観 かん ・主義 しゅぎ ・思想 しそう の人物 じんぶつ や政策 せいさく 、または自身 じしん にとって不都合 ふつごう な人物 じんぶつ や政策 せいさく 等 とう に対 たい して反対 はんたい 、否定 ひてい 的 てき な著述 ちょじゅつ を行 おこな いがちである。
広告 こうこく 等 とう の故意 こい による例 れい [ 編集 へんしゅう ]
著述 ちょじゅつ の偏 かたよ りは、表現 ひょうげん 者 しゃ の捉 とら え方 かた の違 ちが いから発生 はっせい するものであるため、仮 かり に表現 ひょうげん 者 しゃ が情報 じょうほう の中立 ちゅうりつ 性 せい を極力 きょくりょく 保 たも とうと意識 いしき していたとしても、無意識 むいしき の内 うち に発信 はっしん する情報 じょうほう に影響 えいきょう が現 あらわ れることが少 すく なくない。しかしその一方 いっぽう で、表現 ひょうげん 者 しゃ が自身 じしん の立場 たちば に起因 きいん する特定 とくてい の目的 もくてき (一 いち 例 れい として商品 しょうひん の販売 はんばい 促進 そくしん 、特定 とくてい の主義 しゅぎ ・思想 しそう の敷衍 ふえん 等 とう )を実現 じつげん するために、故意 こい に偏 かたよ った見方 みかた の情報 じょうほう を発信 はっしん するケースも多 おお い(身近 みぢか なものとしては広告 こうこく 等 ひとし 、ケースによってはプロパガンダ 等 ひとし が挙 あ げられる)。既存 きそん メディアに加 くわ え、口 くち コミ やインターネットといった個人 こじん 発信 はっしん 型 がた メディアも発達 はったつ している現代 げんだい では、そのようなケースも日常 にちじょう 的 てき に見 み られるようになっている。
無意識 むいしき の内 うち に偏 かたよ った情報 じょうほう にしても、故意 こい に偏 かたよ らせた情報 じょうほう にしても、その情報 じょうほう は受 う け手 て に偏 かたよ った影響 えいきょう を与 あた えやすい。それを少 すこ しでも防 ふせ ぐ為 ため には、メディアから発信 はっしん される情報 じょうほう が、表現 ひょうげん 者 しゃ の立場 たちば によって違 ちが う見方 みかた となることをあらかじめ理解 りかい し、情報 じょうほう を受 う け取 と る際 さい には、表現 ひょうげん 者 しゃ である人物 じんぶつ や組織 そしき の立場 たちば (例 たと えば価値 かち 観 かん ・主義 しゅぎ ・思想 しそう ・信仰 しんこう ・主張 しゅちょう ・役職 やくしょく ・利害 りがい 関係 かんけい 等 とう )を念頭 ねんとう に置 お いた上 うえ で情報 じょうほう を受 う け取 と る必要 ひつよう がある。
なお、表現 ひょうげん 者 しゃ の立場 たちば による偏 かたよ りについて、情報 じょうほう を受 う ける側 がわ は十分 じゅうぶん に注意 ちゅうい を払 はら わなければならないが、先 さき に記 しる した通 とお り、各々 おのおの の表現 ひょうげん 者 しゃ が自身 じしん の立場 たちば ・捉 とら え方 かた に基 もと づいた、自由 じゆう な情報 じょうほう 発信 はっしん ・意見 いけん 交換 こうかん が行 おこな えること自体 じたい は望 のぞ ましいことであり、社会 しゃかい の健全 けんぜん さを表 あらわ す一 ひと つの指標 しひょう となる。
安保 あんぽ 法案 ほうあん を巡 めぐ る報道 ほうどう [ 編集 へんしゅう ]
2015年 ねん の国会 こっかい は安保 あんぽ 法案 ほうあん をめぐって与野党 よやとう が激 はげ しく対立 たいりつ した。また、新聞 しんぶん も安保 あんぽ 法案 ほうあん に賛成 さんせい するものと反対 はんたい するものとで大 おお きく分 わ かれた。
安保 あんぽ 法案 ほうあん を支持 しじ する新聞 しんぶん (仮 かり に新聞 しんぶん Aとする)では社説 しゃせつ で北朝鮮 きたちょうせん の核 かく の問題 もんだい や中国 ちゅうごく の軍事 ぐんじ 的 てき 脅威 きょうい を背景 はいけい に安保 あんぽ 法案 ほうあん は必要 ひつよう とする論調 ろんちょう を繰 く り返 かえ したが、反対 はんたい する新聞 しんぶん (仮 かり に新聞 しんぶん Bとする)では、平和 へいわ 維持 いじ の為 ため 、または日本 にっぽん が戦争 せんそう に巻 ま き込 こ まれるという危惧 きぐ よりで安保 あんぽ 法案 ほうあん は反対 はんたい と主張 しゅちょう していた。社説 しゃせつ だけではなく一般 いっぱん 紙面 しめん の構成 こうせい も大 おお きく異 こと なっており、新聞 しんぶん Aでは法案 ほうあん 成立 せいりつ を喜 よろこ ぶ国会 こっかい 議員 ぎいん や安保 あんぽ 反対 はんたい デモ を監視 かんし する警察 けいさつ の写真 しゃしん を大 おお きく取 と り上 あ げたのに対 たい して、新聞 しんぶん Bでは安保 あんぽ 反対 はんたい のデモに参加 さんか する人々 ひとびと の写真 しゃしん を大 おお きく取 と り上 あ げたり。法案 ほうあん に反対 はんたい する識者 しきしゃ の意見 いけん を多 おお く載 の せたりしていた。
このように1つの出来事 できごと に対 たい して新聞 しんぶん で大 おお きく意見 いけん が異 こと なることからNIE (教育 きょういく に新聞 しんぶん を)では複数 ふくすう の新聞 しんぶん を読 よ むことを推奨 すいしょう している[45] 。
表現 ひょうげん 者 しゃ の編集 へんしゅう 次第 しだい では、情報 じょうほう を意図 いと 的 てき に改変 かいへん ・誇張 こちょう して発信 はっしん する(情報 じょうほう 操作 そうさ )ことにより受信 じゅしん 者 しゃ (き手 きて 、読者 どくしゃ 、視聴 しちょう 者 しゃ 、世論 せろん 等 とう )の考 かんが えを一定 いってい の方向 ほうこう に誘導 ゆうどう することができる。
表現 ひょうげん 手法 しゅほう による情報 じょうほう ・印象 いんしょう 操作 そうさ の可能 かのう 性 せい [ 編集 へんしゅう ]
例 たと えばテレビ ・ニュース の一 いち コマにおいて、その構成 こうせい や編集 へんしゅう によって、事実 じじつ から大 おお きくかけ離 はな れた印象 いんしょう を受 う ける可能 かのう 性 せい がある。
まず、「何 なに を撮 と るか」に取捨選択 しゅしゃせんたく が働 はたら いている
その場面 ばめん を肯定 こうてい 的 てき に伝 つた えるか、否定 ひてい 的 てき に伝 つた えるかは、編集 へんしゅう 次第 しだい である。
明 あか るいBGMを流 なが し、キャスター 、ナレーター 、コメンテーター が肯定 こうてい 的 てき なコメントをすれば支持 しじ ・宣伝 せんでん に、逆 ぎゃく に不安 ふあん を掻 か き立 た てるようなBGMを流 なが し、批判 ひはん 的 てき なコメントをつければ告発 こくはつ [要 よう 曖昧 あいまい さ回避 かいひ ] に
印象 いんしょう 操作 そうさ の為 ため の表現 ひょうげん 方法 ほうほう は非常 ひじょう に多種 たしゅ 多様 たよう であるが、テレビ・ニュースを視聴 しちょう する際 さい は、キャスターやナレーターの言葉 ことば はもちろんの事 こと 、同時 どうじ に流 なが される映像 えいぞう や効果 こうか 音 おん 等 とう に対 たい しても注意 ちゅうい して視聴 しちょう するのが望 のぞ ましい。なお、新聞 しんぶん や雑誌 ざっし でも同 おな じく情報 じょうほう ・印象 いんしょう 操作 そうさ がある(新聞 しんぶん であれば、記事 きじ の見出 みだ しや内容 ないよう 、社説 しゃせつ やコラム [要 よう 曖昧 あいまい さ回避 かいひ ] 中 なか のコメントを工夫 くふう する。また、同 おな じ出来事 できごと の報道 ほうどう でも、A紙 し では一 いち 面 めん に大 おお きな見出 みだ しを立 た てて報 ほう じているにもかかわらず、B紙 し では三面 さんめん の隅 すみ のほうに小 ちい さなスペースで報 ほう じている場合 ばあい も少 すく なくない)。
ステルスマーケティング
「語 かた られない情報 じょうほう 」の存在 そんざい [ 編集 へんしゅう ]
テレビや新聞 しんぶん のニュースで触 ふ れられない情報 じょうほう の存在 そんざい も常 つね に念頭 ねんとう においておく必要 ひつよう がある。特 とく に、広告 こうこく 主 ぬし (スポンサー)から広告 こうこく 収入 しゅうにゅう を得 え ているマスメディア では、自身 じしん の広告 こうこく 主 ぬし を批判 ひはん することは、極 きわ めて難 むずか しい。これは、仮 かり に広告 こうこく 主 ぬし に対 たい して批判 ひはん 的 てき な報道 ほうどう を行 おこな えば、その広告 こうこく 主 ぬし が降板 こうばん してしまい広告 こうこく 収入 しゅうにゅう が減 へ ってしまう、あるいは広告 こうこく 主 ぬし から何 なに かしらの圧力 あつりょく を受 う けるといった事態 じたい を招 まね く事 こと は必至 ひっし だからであり、基本 きほん 的 てき に営利 えいり 追求 ついきゅう を目的 もくてき とするマスメディア企業 きぎょう としては、そのような事態 じたい を招 まね きたくないためである。そのため、自身 じしん の広告 こうこく 主 ぬし への批判 ひはん を自主 じしゅ 規制 きせい してしまうことが多 おお い。
米国 べいこく でも意図 いと 的 てき に政権 せいけん 批判 ひはん を避 さ けることがある。2006年 ねん 4月 がつ 29日 にち にホワイトハウス 記者 きしゃ クラブ にてブッシュ大統領 だいとうりょう をねぎらう晩餐 ばんさん 会 かい (これを行 おこな ったと言 い う事実 じじつ は日本 にっぽん で報道 ほうどう されている [要 よう 出典 しゅってん ] )において、スティーヴン・コルベア というコメディアンがブッシュ大統領 だいとうりょう の目前 もくぜん で徹底的 てっていてき にほめ殺 ころ し、正面 しょうめん 切 き って政策 せいさく 、そして当時 とうじ 政府 せいふ の広報 こうほう 機関 きかん と化 か していた各 かく マスメディアの批判 ひはん をした事 こと はほとんどのメディアが報 ほう じなかった。報 ほう じたのはCNN (一部 いちぶ のみ)とC-SPAN だけである。その後 ご 事実 じじつ 隠蔽 いんぺい に対 たい してインターネット で騒 さわ ぎになり、ワシントンポスト 紙 かみ が釈明 しゃくめい するという事態 じたい になった。接 せっ するメディアの数 かず によって知 し る事実 じじつ が変 か わってくる一 ひと つの例 れい である。
またマスメディアが自分 じぶん たちの企業 きぎょう 自身 じしん の不祥事 ふしょうじ ・問題 もんだい について報道 ほうどう することはゼロに等 ひと しい。逆 ぎゃく に、自社 じしゃ のライバルとなる企業 きぎょう の不祥事 ふしょうじ に対 たい しては鬼 おに の首 くび を取 と ったような執拗 しつよう な報道 ほうどう をするメディア企業 きぎょう もある [要 よう 出典 しゅってん ] 。
このあたりの背景 はいけい は、マスメディアが報道 ほうどう 自体 じたい を控 ひか えてしまうため、そのマスメディアしか利用 りよう していない人 ひと の場合 ばあい 、気付 きづ く事 こと が難 むずか しいという面 めん がある。しかし、それでも、複数 ふくすう のメディアを利用 りよう する(例 たと えば一 いち 局 きょく だけでなく他 ほか の局 きょく のテレビ・ニュースも見 み る、他 た の新聞 しんぶん 社 しゃ の新聞 しんぶん も読 よ む、書籍 しょせき やインターネット上 じょう の情報 じょうほう も参照 さんしょう する、等 ひとし )事 こと によりある程度 ていど 理解 りかい する事 こと は可能 かのう であるが、その捏造 ねつぞう や意図 いと 的 てき な隠蔽 いんぺい などを指摘 してき する他 た メディアを無条件 むじょうけん で信用 しんよう してしまうこともまた、大 だい 規模 きぼ なマスメディアを疑 うたが わないのと同 どう 程度 ていど に危険 きけん であることを意識 いしき しておく必要 ひつよう がある。また逆 ぎゃく に言 い えば、マスメディアの情報 じょうほう を全 すべ て疑 うたが ってかかり、嘘 うそ であると信 しん じ込 こ むのも、同 おな じく危険 きけん と言 い える。起 お こった事実 じじつ は一 ひと つしかないし変化 へんか のさせようがないが、どういう形 かたち でどのくらい伝 つた えるか、誰 だれ が知 し り、誰 だれ が伝 つた え、誰 だれ に伝 つた わるかによって、知 し る事実 じじつ の全体 ぜんたい や真実 しんじつ は変 か わってくる、ということである。
肝要 かんよう なのはある事象 じしょう についてなるべく多 おお くのメディアから情報 じょうほう を入手 にゅうしゅ し、メディアを保有 ほゆう する媒体 ばいたい 社 しゃ も営利 えいり を目的 もくてき とする企業 きぎょう であり(これはNHKなどの公共 こうきょう 媒体 ばいたい 団体 だんたい も大 おお きな変化 へんか はなく、団体 だんたい が解散 かいさん すれば失業 しつぎょう 者 しゃ が出 で る)利害 りがい が存在 そんざい し、なおかつ媒体 ばいたい 、行政 ぎょうせい 機関 きかん 、またはメディアに関 かか わってくる各種 かくしゅ 団体 だんたい などの組織 そしき に関 かか わる人々 ひとびと には個々 ここ に思想 しそう があり、個々人 ここじん ごとの社会 しゃかい や人間 にんげん との様々 さまざま なつながりがある事 こと を前提 ぜんてい にし、自分 じぶん 自身 じしん で時 とき に自己 じこ 批判 ひはん をし、時 とき に受諾 じゅだく しながらその都度 つど 考 かんが えていくことである。リテラシーの根本 こんぽん は、情報 じょうほう を与 あた えられるその度 たび に自 みずか ら考 かんが えることである。
ただし、先 さき にも言 い ったように「事実 じじつ は一 ひと つしかないが、真実 しんじつ は人 ひと の数 かず だけある」ということを知 し っておくべきである。いかに客観 きゃっかん 的 てき であろうとしても、自分 じぶん の中 なか で作 つく り上 あ げられた事実 じじつ のイメージ(または真実 しんじつ と解釈 かいしゃく しているもの)はその時点 じてん で既 すで に偏 かたよ っているのである。客観 きゃっかん とは「どの程度 ていど 主観 しゅかん から距離 きょり を置 お けるか」という問題 もんだい であり、生 せい を全 まっと うするために判断 はんだん 行動 こうどう するという生物 せいぶつ の根源 こんげん 的 てき な動 うご きがある限 かぎ り、本当 ほんとう の意味 いみ で客観 きゃっかん 的 てき な立場 たちば をとることは永遠 えいえん に不可能 ふかのう なのである。
また、広告 こうこく 主 ぬし を始 はじ め、自分 じぶん が利用 りよう しているマスメディアと何 なに かしらの繋 つな がりがある存在 そんざい (人物 じんぶつ 、企業 きぎょう 、団体 だんたい 、政党 せいとう 、国家 こっか 等 とう )をあらかじめ知 し っておく、といった事 こと も役 やく に立 た つ。
多少 たしょう 特殊 とくしゅ な事例 じれい として、太平洋戦争 たいへいようせんそう 中 ちゅう の日本 にっぽん では天気 てんき 予報 よほう が規制 きせい されたことがあった。これはスパイなどに予報 よほう を入手 にゅうしゅ され空襲 くうしゅう 等 とう に利用 りよう できる情報 じょうほう として応用 おうよう されるなどの懸念 けねん からである。上記 じょうき の例 れい に合 あ わせれば、これは日本 にっぽん という国家 こっか が当時 とうじ 敵対 てきたい していたソ連 それん 、イギリス、アメリカなどの諜報 ちょうほう 員 いん を警戒 けいかい した規制 きせい であるといえる。
企業 きぎょう や個人 こじん の不祥事 ふしょうじ を巡 めぐ る報道 ほうどう [ 編集 へんしゅう ]
2013年 ねん 〜2014年 ねん はホテルや百貨店 ひゃっかてん での食品 しょくひん 偽装 ぎそう 問題 もんだい や食品 しょくひん への異物 いぶつ 混入 こんにゅう 、JR北海道 ほっかいどう で続発 ぞくはつ したトラブル等 とう 企業 きぎょう の不祥事 ふしょうじ が相次 あいつ いだ。食品 しょくひん や鉄道 てつどう は生活 せいかつ に身近 みぢか な存在 そんざい であるためか、このような受 う け手 て の関心 かんしん を誘 さそ う問題 もんだい をセンセーショナルに取 と り上 あ げると更 さら にその問題 もんだい をエスカレートする形 かたち で取 と り上 あ げる傾向 けいこう にある。このような報道 ほうどう は受 う け手 て の関心 かんしん が高 たか まる為 ため メディア企業 きぎょう の収益 しゅうえき も上 あ がるが、このように度 ど を過 す ぎた報道 ほうどう は興味 きょうみ 本位 ほんい になる傾向 けいこう にあり、結果 けっか として池 いけ に落 お ちた犬 いぬ を叩 たた くような報道 ほうどう となる。このようないじめ まがいの報道 ほうどう に疑問 ぎもん を呈 てい する人 ひと もいるが、メディアは公平 こうへい さよりも面白 おもしろ ければよいと言 い う考 かんが え方 かた で、その体質 たいしつ を変 か えるのは困難 こんなん とされる[46] 。
また2016年 ねん 6月 がつ には舛添 ますぞえ 要一 よういち 東京 とうきょう 都知事 とちじ が政治 せいじ 資金 しきん 不正 ふせい 疑惑 ぎわく で辞任 じにん したが、辞任 じにん に至 いた るまでの報道 ほうどう は異常 いじょう であった。政治 せいじ 問題 もんだい を殆 ほとん ど取 と り上 あ げないワイドショー までが一様 いちよう に取 と り上 あ げ、その報道 ほうどう 姿勢 しせい に対 たい して「スッキリ!! 」に出演 しゅつえん していた評論 ひょうろん 家 か が「いじめ」と批判 ひはん したほどである[47] 。
その対策 たいさく として受 う け手 て がメディアのヒステリックな報道 ほうどう に振 ふ り回 まわ される事 こと なくいろいろな角度 かくど から物事 ものごと を見 み て冷静 れいせい に物事 ものごと を考 かんが える事 こと が望 のぞ まれる。例 たと えばJR北海道 ほっかいどう の不祥事 ふしょうじ については大手 おおて 新聞 しんぶん ・テレビがJR北海道 ほっかいどう の企業 きぎょう 体質 たいしつ を問題 もんだい にしたり精神 せいしん 論 ろん を振 ふ りかざして一方 いっぽう 的 てき なバッシングを行 おこな っていたのに対 たい し、鉄道 てつどう 雑誌 ざっし の「鉄道 てつどう ジャーナル 」ではJR北海道 ほっかいどう の厳 きび しい経営 けいえい 環境 かんきょう に触 ふ れ、そこに生 しょう じる矛盾 むじゅん 点 てん を述 の べ精神 せいしん 論 ろん だけではトラブルは減 へ らないなどと別 べつ の見方 みかた からトラブル論 ろん じていた[48] 。
また、企業 きぎょう や個人 こじん がマスメディア企業 きぎょう に与 あた える影響 えいきょう の大小 だいしょう によって[49] 、あるいは大衆 たいしゅう の感情 かんじょう (主 おも に怒 いか り)によっても不祥事 ふしょうじ や事件 じけん の取 と り上 あ げ方 かた に大小 だいしょう の差 さ ができることも留意 りゅうい すべきである。
報道 ほうどう の背景 はいけい を読 よ み取 と る[ 編集 へんしゅう ]
2016年 ねん のアメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく 大統領 だいとうりょう 選挙 せんきょ の際 さい 、ロ ろ ーマ法王 まほうおう がドナルド・トランプ 候補 こうほ を支持 しじ したというフェイクニュースが流 なが れ、それが大統領 だいとうりょう 選挙 せんきょ の結果 けっか を左右 さゆう する事 こと になった[50] 。しかし、選挙 せんきょ 前 まえ にトランプはメキシコ国境 こっきょう に壁 かべ を造 つく ると発言 はつげん したのに対 たい して、ロ ろ ーマ法王 まほうおう はその発言 はつげん を批判 ひはん していたように両者 りょうしゃ は対立 たいりつ していた[51] 。様々 さまざま なニュースに接 せっ していればこのような嘘 うそ は見破 みやぶ られるが、その背景 はいけい を知 し らなければそれが嘘 うそ だとしても鵜呑 うの みにする結果 けっか となる[52] 。
また2017年 ねん 4~5月 がつ にかけて朝鮮民主主義人民共和国 ちょうせんみんしゅしゅぎじんみんきょうわこく (北朝鮮 きたちょうせん )がミサイルを立 た て続 つづ けに発射 はっしゃ した。4月29日 にち の発射 はっしゃ の際 さい は日本 にっぽん のマスコミは号外 ごうがい を出 だ したり[53] 、東京 とうきょう メトロ の路線 ろせん が一時 いちじ ストップしたことを取 と り上 あ げたり、テレビ番組 ばんぐみ に至 いた っては翌々日 よくよくじつ のワイドショー で大々的 だいだいてき に取 と り上 あ げ北朝鮮 きたちょうせん の脅威 きょうい を煽 あお ったりしたが[54] 、その時 とき の首相 しゅしょう である安倍晋三 あべしんぞう は外遊 がいゆう 中 ちゅう で特 とく に緊急 きんきゅう 帰国 きこく する事 こと もなかった。もし本当 ほんとう の緊急 きんきゅう 事態 じたい なら首相 しゅしょう は緊急 きんきゅう 帰国 きこく するはずである[注 ちゅう 21] 。このような背景 はいけい を知 し れば例 たと え一部 いちぶ のマスコミが危機 きき を煽 あお っても、緊急 きんきゅう 事態 じたい か否 ひ かを冷静 れいせい に判断 はんだん する事 こと ができるので、マスコミの情報 じょうほう を鵜呑 うの みにしないことが望 のぞ まれる[55] 。
その他 た の要因 よういん によるもの [ 編集 へんしゅう ]
一 ひと つ一 ひと つの情報 じょうほう は正 ただ しくても、それらが集合 しゅうごう することによって異 こと なった意味 いみ を持 も つことがある。
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『メディア・リテラシー』菅谷 すがや 明子 あきこ 、岩波 いわなみ 新書 しんしょ 、2000年 ねん
『新版 しんぱん Study Guideメディア・リテラシー【入門 にゅうもん 編 へん 】』鈴木 すずき みどり編 へん 、リベルタ出版 しゅっぱん 、2004年 ねん [1]
『子 こ どもの発達 はったつ とテレビ』村野 むらの 井 い 均 ひとし 、ひとなる書房 しょぼう 、2002年 ねん
『多 おお くの声 こえ 、一 ひと つの世界 せかい 』マクブライド委員 いいん 会 かい (永井 ながい 道雄 みちお 監訳 かんやく )日本 にっぽん 放送 ほうそう 出版 しゅっぱん 、1980年 ねん
『メディア・リテラシーを学 まな ぶ人 ひと のために』鈴木 すずき みどり編 へん 、世界 せかい 思想 しそう 社 しゃ 、1997年 ねん [2]
『メディア・リテラシーの現在 げんざい と未来 みらい 』鈴木 すずき みどり編 へん 、世界 せかい 思想 しそう 社 しゃ 、2001年 ねん [3]
『メディア・リテラシーの方法 ほうほう 』A・シルバーブラット他 た (安田 やすだ 尚 しょう 監訳 かんやく )リベルタ出版 しゅっぱん 、2001年 ねん [4]
『子 こ どもの発達 はったつ とテレビ』村野 むらの 井 い 均 ひとし 、かもがわ出版 しゅっぱん 、2002年 ねん [5]
『子 こ どもはテレビをどう見 み るか テレビ理解 りかい の心理 しんり 学 がく 』村野 むらの 井 い 均 ひとし 、勁草書房 しょぼう 、2016年 ねん [6]
『Study Guideメディア・リテラシー【ジェンダー編 へん 】』鈴木 すずき みどり編 へん 、リベルタ出版 しゅっぱん 、2003年 ねん [7]
『ポピュラー文化 ぶんか 論 ろん を学 まな ぶ人 ひと のために』D・ストリナチ(渡辺 わたなべ 潤 じゅん +伊藤 いとう 明 あきら 己 おのれ 訳 やく )世界 せかい 思想 しそう 社 しゃ 、2003年 ねん [8]
『なぜメディア研究 けんきゅう か−経験 けいけん ・テクスト・他者 たしゃ 』R・シルバーストーン(吉見 よしみ 俊哉 としや +伊藤 いとう 守 まもる +土橋 どばし 臣 しん 吾 われ 訳 やく )せりか書房 しょぼう 、2003年 ねん [9]
『メディアとのつきあい方 かた 学習 がくしゅう 』堀田 ほった 龍也 たつや 著 しる 、ジャストシステム、2004年 ねん [10]
『情報 じょうほう books plus! メディアリテラシー 情報 じょうほう を読 よ み解 と き、発信 はっしん する』実教出版 じつきょうしゅっぱん 、2004年 ねん ISBN 978-4-407-30625-5
『新版 しんぱん メディア・コミュニケーション論 ろん 』竹内 たけうち 郁郎 いくお 他 た 編 へん 、北 きた 樹 じゅ 出版 しゅっぱん 、2005年 ねん
『世界 せかい を信 しん じるためのメソッド ぼくらの時代 じだい のメディア・リテラシー』 森 もり 達也 たつや 著 ちょ 理論 りろん 社 しゃ 、2006年 ねん
『オトナのメディア・リテラシー』渡辺 わたなべ 真由子 まゆこ 著 しる 、リベルタ出版 しゅっぱん 、2007年 ねん (ISBN 9784903724072 )
『メディア・リテラシーは子 こ どもを伸 の ばす』清水 しみず 克彦 かつひこ 、岸 きし 尾 お 祐二 ゆうじ 著 ちょ 、東洋館 とうようかん 出版 しゅっぱん 社 しゃ 、2008年 ねん
『メディア・リテラシー』芸術 げいじゅつ メディア研究 けんきゅう 会 かい 編 へん 、静岡 しずおか 学術 がくじゅつ 出版 しゅっぱん 、2008年 ねん [11]