おニャンクラブ

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三上みかみ千晶ちあきから転送てんそう
おニャンクラブ
出身しゅっしん 日本の旗 日本にっぽん
ジャンル アイドル歌謡かようきょく
活動かつどう期間きかん
レーベル キャニオン・レコード→ポニーキャニオン
共同きょうどう作業さぎょうしゃ
きゅうメンバー メンバー参照さんしょう

おニャンクラブ(おニャンこクラブ)は、フジテレビテレビ番組ばんぐみゆうやけニャンニャン』から誕生たんじょうした女性じょせいアイドルグループ[1][2]1985ねん昭和しょうわ60ねん)から1987ねん昭和しょうわ62ねん)にかけて活動かつどうした[3]

概要がいよう[編集へんしゅう]

1985ねん昭和しょうわ60ねん4がつ1にち、フジテレビのバラエティ番組ばんぐみゆうやけニャンニャン開始かいしとともに番組ばんぐみないのアシスタントとして同時どうじ芸能げいのうかいデビューし、3かげつの1985ねん7がつ5にち発表はっぴょうしたデビューシングル「ふくがさないで」がヒットしてブレイクした[4][5]会員かいいん番号ばんごう制度せいど歌詞かしふくまれる独特どくとくのユーモア、本業ほんぎょう学生がくせい活動かつどう優先ゆうせんさせるクラブ活動かつどうてき感覚かんかくでの芸能げいのう活動かつどう人気にんきはくして一大いちだいブームとなる[6][7][8]以降いこう、おニャンクラブとしてのグループ名義めいぎ、メンバーのソロ名義めいぎ、グループないしょうユニット(『うしろゆびさされぐみ』『ニャンギラス』『うしろがみひかれたい』)名義めいぎで、シングル、アルバム、ビデオソフト、写真しゃしんしゅうなくリリースしつづけてヒットさせ、おニャン現象げんしょうばれる社会しゃかい現象げんしょうとなり[9]1980年代ねんだい後半こうはん[ちゅう 1]日本にっぽんのアイドルシーンを席捲せっけんした[1][7][10]。1987ねん8がつ31にちの『ゆうやけニャンニャン』の番組ばんぐみ終了しゅうりょうともない、よく9がつ解散かいさんコンサートをおこない、わずか2ねんはんでその活動かつどうじられた。2ねんはんあいだにメンバーの加入かにゅう脱退だったい頻繁ひんぱんおこなわれたので、メンバーのかおぶれはつね流動的りゅうどうてきであった。結成けっせいは11にんで、解散かいさんは19にん在籍ざいせきしていた[ちゅう 2]。おニャンクラブは日本にっぽん最初さいしょだい人数にんずうアイドルグループとされ[11]、メンバーを固定こていせず、卒業そつぎょうしんメンバーの加入かにゅうがあるという、1980年代ねんだい当時とうじにおいて画期的かっきてきなアイドルグループであった[12]。おニャンクラブの登場とうじょうは、日本にっぽん音楽おんがくシーンに、アイドルかんに、そしてテレカひとし販売はんばいめぐパブリシティけん問題もんだいおニャンクラブ事件じけん)に、おおきくさぶりをかけた[7]

歴史れきし[編集へんしゅう]

結成けっせいまでの経緯けいい[編集へんしゅう]

1983ねん昭和しょうわ58ねん)からはじまったフジテレビ土曜どよう深夜しんや生放送なまほうそう番組ばんぐみオールナイトフジ』は、"女子大じょしだいせいブーム"をこすなど社会しゃかいてき現象げんしょうともいえるほどにヒットし[13]、そのヒットの一翼いちよくになった番組ばんぐみアシスタントの女性じょせいグループ、オールナイターズもアイドルてき人気にんき活動かつどう展開てんかいがっていた[14][15]彼女かのじょらは既存きそん芸能人げいのうじんではない素人しろうと女子大じょしだいせいたちを中心ちゅうしん構成こうせいされていて、それまで崇高すうこう存在そんざいであったアイドルぞうとは相反あいはんしていたことで注目ちゅうもくびていた。素人しろうと女子大じょしだいせい集団しゅうだんのオールナイターズがレコードをしたりタレントに転身てんしんするといったながれは、おニャンクラブやおニャン以降いこうのグループアイドルの原点げんてんとされ、後世こうせい絶大ぜつだい影響えいきょうおよぼした[15]

その成功せいこうから、フジテレビはおなじスタッフによるもので、平日へいじつ夕方ゆうがた時間じかんたい中高生ちゅうこうせいをメインターゲットに放送ほうそうする、『オールナイトフジ』と同様どうよう生放送なまほうそう情報じょうほうバラエティ番組ばんぐみゆうやけニャンニャン』の開始かいしと、オールナイターズに相当そうとうする番組ばんぐみアシスタントの女性じょせいグループ、おニャンクラブの結成けっせい企画きかくする[16][17]

1985ねん昭和しょうわ60ねん[編集へんしゅう]

1985ねん4がつからの夕方ゆうがたローカル放送ほうそうわくおこなうレギュラー番組ばんぐみ先駆さきがけて、まずはパイロット番組ばんぐみとして、1985ねん初頭しょとう特番とくばん『オールナイトフジ女子高じょしこうせいスペシャル』(1985ねん2がつ23にち、3月16にち)を制作せいさくして放送ほうそう。その特番とくばん出演しゅつえんしていた女子高じょしこうせいなかから選抜せんばつした11人ひとりでおニャンクラブを結成けっせいし、4がつ1にちから『ゆうやけニャンニャン』放送ほうそう開始かいしとともに出演しゅつえんさせた[18]

おニャンクラブは当初とうしょからメンバーの増員ぞういんはかることとなった。『ゆうやけニャンニャン』番組ばんぐみ開始かいしからメンバー選定せんていのオーディション・コーナー「ザ・スカウト アイドルをさがせ!」をもうけて、それに合格ごうかくしたしんメンバーが続々ぞくぞく加入かにゅうしていく。平日へいじつ月曜げつようから金曜きんようまで夕方ゆうがた5からの一時いちじあいだ番組ばんぐみだった『ゆうやけニャンニャン』の番組ばんぐみコンセプトに“放課後ほうかご”をいていたため、現役げんえき女子高じょしこうせい中心ちゅうしんあつめられた。また、「どこにでもいそう」、「ちょっとになる可愛かわい同級生どうきゅうせい」と、オールナイターズのコンセプトが踏襲とうしゅうされて、芸能げいのうかいまっていない素人しろうと感覚かんかくのメンバーをあつめたのだが、当初とうしょから芸能げいのうかい志向しこうのあるものや、その関連かんれんオーディションの常連じょうれんしゃすで芸能げいのう事務所じむしょ所属しょぞくしていたもの、オールナイターズ出身しゅっしんしゃすで名前なまえられていたものまで参加さんかしていた。

ゆうやけニャンニャン』放送ほうそう開始かいしから3かげつの7がつ5にちにシングル「ふくがさないで」でレコードデビュー[19]。たちまちにヒットしていき、当初とうしょから評判ひょうばんがあった番組ばんぐみとおニャンクラブの人気にんきはここでブレイクした[20][21]。それをに『ゆうやけニャンニャン』は番組ばんぐみ開始かいし当初とうしょは7きょくネットだったのが年内ねんないには全国ぜんこくネット規模きぼの23きょくネットまで拡大かくだいしていく。当初とうしょ3%だった視聴しちょうりつも、年末ねんまつには18%をえるようになる[22]。また、おニャンクラブは、フジテレビのほか番組ばんぐみである『よるのヒットスタジオDELUXE』や『スターどっきり㊙報告ほうこく』、きょく人気にんき音楽おんがく番組ばんぐみザ・ベストテン』(TBSけい)、『ザ・トップテン』(日本にほんテレビけい)にも出演しゅつえんたし、さらにアイドル情報じょうほう雑誌ざっしの『明星みょうじょう』『平凡へいぼん』『DUNK』などにも登場とうじょうして全国ぜんこくてき知名度ちめいどがっていくようになる。

1985ねん9がつ、「ふくがさないで」のヒットで軌道きどうったおニャンクラブから、そのメンバーのひとりであった河合かわいそのが「なみだ茉莉花まりかLOVE」でメンバーはつのソロデビューをたす。オリコン週間しゅうかんチャートではつ登場とうじょう5翌週よくしゅうには1獲得かくとく女性じょせいアイドルとしては薬師丸やくしまるひろ以来いらいとなる、デビューさくチャート首位しゅいという快挙かいきょげる[23]よく10がつには、そのメンバーから高井たかい麻巳子まみこ岩井いわい由紀子ゆきこ(ゆうゆ)のふたりで結成けっせいされたはつのグループないユニット、うしろゆびさされぐみがフジテレビにおけるしん番組ばんぐみのアニメ『ハイスクール!めんぐみ主題歌しゅだいかうしろゆびさされぐみ」でデビューして、こちらもまたヒットして『ゆうやけニャンニャン』はつのおニャンクラブ関連かんれんきょく成功せいこうおさつづけた[23]以降いこう、おニャンクラブとしてのグループ名義めいぎ、メンバーのソロ、グループないユニットのシングルきょく続々ぞくぞくし、いずれもヒットを記録きろくしていった[24]

おニャンクラブは、テレビ番組ばんぐみでの歌唱かしょうにとどまらず、10月にはつ有料ゆうりょうコンサートを開催かいさい。フジテレビの関連かんれん会社かいしゃフジパシフィック音楽おんがく出版しゅっぱん運営うんえいする公式こうしきファンクラブの「こニャンクラブ」も発足ほっそくし、最盛さいせいで18まんにん会員かいいんすうあつまった。また、おニャンクラブが番組ばんぐみないタイアップていた、原宿はらじゅくブティックセーラーズふく番組ばんぐみ影響えいきょう爆発ばくはつてきれるという現象げんしょうこった。それを参考さんこうに「Hip's road」というフジテレビによる独自どくじブランドをげ、グッズ販売はんばいだけで番組ばんぐみのスポンサー収入しゅうにゅう匹敵ひってきする事業じぎょう収益しゅうえきをあげるなど、おニャンクラブはたんなる番組ばんぐみ企画きかくてき存在そんざいから、フジテレビにおける収益しゅうえき事業じぎょうのひとつにけて変換へんかんされていく[25]

1986ねん昭和しょうわ61ねん[編集へんしゅう]

1がつ、「ふくがさないで」のフロントボーカル4にんのうちのひとりだった新田にった恵利えりが「ふゆのオペラグラス」でソロデビュー。オリコンはつ登場とうじょう1となり、30まんまい以上いじょうげを記録きろくする。新人しんじん女性じょせい歌手かしゅのデビューきょくはつ登場とうじょう1はじめての記録きろくであった[26]同月どうげつ、フジテレビ単発たんぱつドラマわくの「月曜げつようドラマランド」において、おニャンクラブのメンバーはつ主演しゅえんドラマとなった福永ふくなが恵規さとみ主演しゅえんボクの婚約こんやくしゃ放送ほうそう以後いごどうわくではつきいちほんのペースでおニャンクラブのメンバーを主演しゅえんいたものが放送ほうそうされるようになっていく[27]

2がつ、おニャンクラブ結成けっせいからの人気にんきメンバーであった国生こくしょうさゆりが「バレンタイン・キッス」でまんもたしてデビュー[28]。3月、「ふくがさないで」のフロントボーカル4にんのうちのひとりだった中島なかじま美春みはる専門せんもん学校がっこう進学しんがくするため、河合かわいそのがソロ活動かつどう専念せんねんするためにおニャンクラブを脱退だったいする。それをけて、『ゆうやけニャンニャン』の番組ばんぐみないどう時期じき開催かいさいされたおニャンクラブのコンサートツアー最終さいしゅう公演こうえんでふたりの“卒業そつぎょうしき”がおこなわれ、華々はなばなしくおくされていく。これが慣例かんれいとなり、以後いごおニャンクラブから脱退だったいしていく主要しゅようメンバーにたいして、番組ばんぐみないとそのどう時期じきにあるコンサートツアー最終さいしゅう公演こうえんで“卒業そつぎょうしき”がおこなわれるようになっていく。現代げんだいにおいて、モーニングむすめAKB48乃木坂のぎざか46などのグループアイドルが採用さいようしている卒業そつぎょうシステムは、おニャンクラブがその先駆さきがけである[29]

活動かつどう初期しょきからの著名ちょめいなメンバーが脱退だったいしていったものの、おニャンクラブがブレイクしたのち加入かにゅうしてきた渡辺わたなべ美奈代みなよが7がつにレコードデビューし[30]渡辺わたなべ満里奈まりなも10がつにレコードデビュー[31]ほかにも工藤くどう静香しずか生稲いくいな晃子あきこら、おニャンクラブの中期ちゅうきから後期こうき人気にんきささえ、その芸能げいのうかいのこっていくメンバーが続々ぞくぞく加入かにゅうしてくるなど、おニャンクラブの面子めんつ日々ひび充実じゅうじつしていった。セールスめんにおいても、1986ねんのオリコンシングル1獲得かくとく46きょくちゅう、おニャンクラブ関連かんれんが30きょくり、52しゅうちゅうの36しゅうでそれを記録きろくするなど(1986ねんのオリコン週間しゅうかんシングルチャート参照さんしょう)、ヒットチャートの首位しゅい獲得かくとくりつ7わりきょうという驚異きょういのブームをこし[32]、「日本にっぽん芸能げいのうかい史上しじょう最大さいだいのヒット商品しょうひん」とばれるまでにいたった[33]人気にんき歌手かしゅかかえるかくプロダクションは、発売はつばいしゅうがぶつかるとかならず1をおニャンられてしまうため、「おニャンがレコードをす」とたび発売はつばいをずらすほどであった[34]。おニャンクラブ関連かんれん連続れんぞくリリースによりレコードてんのシングルばんコーナーをおとずれるきゃくえ、しレコード普及ふきゅうなどによりすう年来ねんらい低迷ていめいしていたシングルばん市場いちばふたたがりをせたという分析ぶんせきもある[35]

一方いっぽうでこの時期じき、おニャンクラブ関連かんれん毎週まいしゅう2~3くみもランキングしていたTBSの『ザ・ベストテン』に、フジテレビと『ゆうやけニャンニャン』がわは「順位じゅんいひくい」とランキングについて異議いぎとなえる。このランキングの見解けんかいめぐったことによる双方そうほうみぞうずまらなかった。7月からフジテレビと『ゆうやけニャンニャン』がわは、おニャンクラブ、ソロ、グループないユニット、そしておニャンクラブから脱退だったいしたOGもふくめたすべての出演しゅつえんを『ザ・ベストテン』にたいしてボイコットしていく。これはよく1987ねん4がつまで半年はんとし以上いじょうにわたって長引ながびいていくことになってしまった。

9月の番組ばんぐみないおよびコンサートツアー最終さいしゅう公演こうえんで、新田にった恵利えり名越なごや美香みか福永ふくなが恵規さとみ吉沢よしざわ秋絵あきえ山本やまもとスーザン久美子くみこ結成けっせいからのメンバーをふくむ5めい卒業そつぎょうしておニャンクラブを脱退だったい[36]。それと前後ぜんごして、集英社しゅうえいしゃ刊行かんこう女性じょせいファッションSeventeen主催しゅさいのオーディション「ミス・セブンティーン」とコラボレーションした「ザ・スカウト アイドルをさがせ!」によってえらばれた貝瀬かいせ典子のりこしん世代せだいのメンバーが大量たいりょう加入かにゅう[36]番組ばんぐみ開始かいし当初とうしょ毎日まいにち出演しゅつえん、このころしゅういちでレギュラー出演しゅつえんしていたとんねるず石橋いしばし貴明たかあきは、しんメンバーのかお名前なまえ一致いっちしないとなげくようになる。

ゆうやけニャンニャン』とおニャンクラブは1986ねん前半ぜんはんから中盤ちゅうばんけては前年ぜんねん以上いじょうのブームをこしたのだが、後半こうはんである秋口あきぐちあたりからブームの退潮たいちょうられるようになっていく。8がつまつ全国ぜんこく公開こうかいされた主演しゅえん映画えいがおニャンザ・ムービー 危機ききイッパツ!』が興行こうぎょうてき失敗しっぱいわる。そして、5月からゴールデンタイムおび放送ほうそうされていた『ゆうやけニャンニャン』の姉妹しまい番組ばんぐみ夕食ゆうしょくニャンニャン』もわずか4ヶ月かげつの9月で終了しゅうりょうし、"異常いじょうブームのわり" "かげりがしたおニャン"などとささやかれ[37]本体ほんたいの『ゆうやけニャンニャン』自体じたい視聴しちょうりつもピークだった1986ねん初頭しょとうからがりつづけていった[38]。1986ねん後半こうはんから荻野目おぎのめ洋子ようこ南野みなみの陽子ようこなどのおニャンクラブけい以外いがいのアイドル・タレントも活躍かつやくしめし、アイドル・マーケットもおニャンクラブだけではなくなってきたことをしめした[39]コラムニスト竹内たけうち義和よしかずは、河合かわいその国生こくしょうさゆり、新田にった恵利えりなどピンでも人気にんきれるトップアイドルが集団しゅうだんになっていたのがおニャンクラブの魅力みりょくであったが、そうした人気にんきメンバーが次々つぎつぎ卒業そつぎょうしていったことが、グループとしての人気にんき低下ていかつながったと指摘してきした[40]

1987ねん昭和しょうわ62ねん[編集へんしゅう]

3月の番組ばんぐみないおよび4がつはるのコンサートツアー最終さいしゅう公演こうえんで、「ふくがさないで」フロントボーカル4にんのうち最後さいごのひとりであった内海うつみ和子かずこ初期しょきメンバーであった樹原きはら亜紀あき国生こくしょうさゆり、立見たつみ里歌りか高井たかい麻巳子まみこ脱退だったい[41]。5月、生稲いくいな晃子あきこ工藤くどう静香しずか斉藤さいとう満喜子まきこの3にん結成けっせいされたうしろがみひかれたいがシングル「どきかわえて」でデビューする。ヒットしたものの、これがグループないユニットの最後さいごのものとなり、よく6月15にちに『ゆうやけニャンニャン』ない番組ばんぐみ終了しゅうりょうとおニャンクラブの解散かいさん告知こくちする[42]同時どうじに、おニャンクラブの新規しんきメンバーをえら番組ばんぐみないオーディション・コーナー「ザ・スカウト アイドルをさがせ!」も終了しゅうりょうとなる。

8がつ21にち、ラストシングル『ウェディングドレス』を発売はつばい同月どうげつ31にち、『ゆうやけニャンニャン』が番組ばんぐみ終了しゅうりょう[43]翌月よくげつ9がつ20日はつか代々木よよぎだいいち体育館たいいくかんにおけるコンサートにて解散かいさんした[43]。テレビ連動れんどうがたのグループであったがゆえに、番組ばんぐみ終了しゅうりょうとも必然ひつぜんてき終止符しゅうしふたれてしまうさだめであったが、やく2ねんはんでの解散かいさんとなった[21]。ヒットチャートを独占どくせんした前年ぜんねんほどいきおいはかったものの、まだまだ余力よりょくのこしてのはやぎる解散かいさんであった[44]。おニャンクラブ活動かつどうちゅうにレコードデビューしていたもの中心ちゅうしん芸能げいのう事務所じむしょ所属しょぞくしていたメンバーは解散かいさん以降いこう芸能げいのうかいのこれたが、それ以外いがいのメンバーのマネージメントはフジテレビあずかりであったため、活動かつどう続行ぞっこう不能ふのうとなって同時どうじ引退いんたいしていった。なお派生はせいユニットの「うしろがみひかれたい」は、おニャンクラブの解散かいさん活動かつどう継続けいぞくした。

解散かいさん[編集へんしゅう]

1990年代ねんだいいくか、「あのひといま」のような番組ばんぐみ企画きかくで、芸能げいのうかいのこっていたもの芸能げいのうかいから引退いんたいしていたものふくめたもとメンバーをあつめ、ときには「ふくがさないで」を歌唱かしょうさせ“さい結成けっせい”とうたわれもしたが、あくまでもそのかぎりであった。

1993ねん、『だい35かい日本にっぽんレコード大賞たいしょう』にさく編曲へんきょく佐藤さとうじゅん編曲へんきょくしょう受賞じゅしょうしたために特別とくべつ出演しゅつえんして「ふくがさないで」を佐藤さとうじゅんしんアレンジでの披露ひろうなま歌唱かしょう出演しゅつえんした。そのときのメンバーは岩井いわい内海うつみ新田にった斉藤さいとう立見たちみ白石しらいしの6めいであった。

2002ねん初期しょきメンバーのうち賛同さんどうしゃのみの14めいによって一時いちじてきさい結成けっせいし、シングル「ショーミキゲン」をリリースした。リリースにはイベントやテレビ出演しゅつえんなどもたし、同年どうねん12がつ5にち放送ほうそうの『2002FNS歌謡かようさい』では、後期こうきメンバーをふくめて「ショーミキゲン」と「ふくがさないで」を歌唱かしょうした。また2010ねんにはテレビCMじょうで11めいのメンバーがさい結成けっせいし、「ふくがさないで」のサビを俳優はいゆう伊藤いとう淳史あつしとともにうたおどり、アラフォーになったおニャンクラブの姿すがた披露ひろうした。

2005ねんあきサンセイアールアンドディからパチンコだいCRおニャンクラブ」がリリースされた。ザ・ベストテンのランキング発表はっぴょうのような反転はんてんフラップ表示ひょうじてき演出えんしゅつ特徴とくちょうである。もっとも、視覚しかくてきには番組ばんぐみおなじなのはロゴとキャラクターのけのみで、会員かいいん実名じつめい一切いっさい使つかわれておらず、アニメのキャラのかおも、とく会員かいいんせてはいない。登場とうじょうキャラクターは全員ぜんいん学生がくせいふくているが、実際じっさい番組ばんぐみでは制服せいふくのまま出演しゅつえんすることはゆるされなかった。

2018ねん7がつ7にち正午しょうごから日本にほんテレビけい音楽おんがく特番とくばん「THE MUSIC DAY」で、内海うつみ和子かずこ国生こくしょうさゆり・立見たつみ里歌りか新田にった恵利えり山本やまもとスーザン久美子くみこ渡辺わたなべ美奈代みなよ出演しゅつえんした[45][46]

メンバー[編集へんしゅう]

会員かいいん番号ばんごう 名前なまえ 生年月日せいねんがっぴ
げん年齢ねんれい
加入かにゅう 卒業そつぎょう/脱退だったい 所属しょぞく事務所じむしょ
当時とうじ
こう
No. 1 奥田おくだ 美香みか
(おくだ みか)
1968ねん02がつ28にち
(56さい
1985ねん04がつ01にち 1985ねん04がつ25にち 週刊文春しゅうかんぶんしゅん喫煙きつえん事件じけんにより脱退だったい
脱退だったいはモデルとして活動かつどう
・1988ねんに『プレイメイトジャパン』じゅんミスを獲得かくとく
No. 2 榎田えのきだ 道子みちこ
(えのきだ みちこ)
1967ねん05月04にち
(57さい
1985ねん04がつ01にち 1985ねん04がつ25にち 週刊文春しゅうかんぶんしゅん喫煙きつえん事件じけんにより脱退だったい
・1997ねんテレビ東京てれびとうきょうASAYAN』にて開催かいさいされた
 「三井みついのリハウスレディ」オーディションに参加さんか
No. 3 吉野よしの 佳代子かよこ
(よしの かよこ)
1967ねん04がつ03にち
(57さい
1985ねん04がつ01にち 1985ねん04がつ25にち 週刊文春しゅうかんぶんしゅん喫煙きつえん事件じけんにより脱退だったい
No. 4 新田にった 恵利えり
(にった えり)
1968ねん03月17にち
(56さい
1985ねん04がつ01にち 1986ねん09月26にち ボンド企画きかく だい2かい卒業生そつぎょうせい
卒業そつぎょう芸能げいのう活動かつどう継続けいぞく
・1990ねん芸能げいのうかい引退いんたい
・1993ねん芸能げいのう活動かつどう再開さいかい現在げんざい活動かつどうちゅう
No. 5 中島なかじま 美春みはる
(なかじま みはる)
1967ねん10がつ01にち
(56さい
1985ねん04がつ01にち 1986ねん03月31にち だい1かい卒業生そつぎょうせい
歯科しか衛生えいせい専門せんもん学校がっこう進学しんがくするため卒業そつぎょう
卒業そつぎょう同時どうじ芸能げいのうかい引退いんたい
No. 6 樹原きはら 亜紀あき
(きはら あき)
1969ねん03月30にち
(55さい
1985ねん04がつ01にち 1987ねん03月30にち だい5かい卒業生そつぎょうせい
ニャンギラスのメンバー。
卒業そつぎょう同時どうじ芸能げいのうかい引退いんたい
No. 7 友田ともだ麻美子まみこ
(ともだ まみこ)
1968ねん01がつ08にち
(56さい
1985ねん04がつ01にち 1985ねん04がつ25にち 週刊文春しゅうかんぶんしゅん喫煙きつえん事件じけんにより脱退だったい
脱退だったいはモデルとして活動かつどう
現在げんざい芸能げいのう活動かつどう再開さいかいし、活動かつどうちゅう
No. 8 国生こくしょう さゆり
(こくしょう さゆり)
1966ねん12月22にち
(57さい
1985ねん04がつ01にち 1987ねん03月30にち エイプリル
ミュージック
だい5かい卒業生そつぎょうせい
・『オールナイトフジ 女子高じょしこうせいスペシャル』ない
 「美少女びしょうじょコンテスト」において優勝ゆうしょう獲得かくとく
卒業そつぎょう女優じょゆう・タレントとして現在げんざい活動かつどうちゅう
No. 9 名越なごや 美香みか
(なごや みか)
1966ねん04がつ13にち
(58さい
1985ねん04がつ01にち 1986ねん09月26にち だい2かい卒業生そつぎょうせい
ニャンギラスのメンバー。
卒業そつぎょう舞台ぶたい女優じょゆうとして活動かつどう芸能げいのうかい引退いんたい
No.10 佐藤さとう 真由美まゆみ
(さとう まゆみ)
1967ねん09月25にち
(56さい
1985ねん04がつ01にち 1985ねん04がつ25にち 週刊文春しゅうかんぶんしゅん喫煙きつえん事件じけんにより脱退だったい
No.11 福永ふくなが 恵規さとみ
(ふくなが さとみ)
1967ねん01がつ26にち
(57さい
1985ねん04がつ01にち 1986ねん09月26にち ボンド企画きかく だい2かい卒業生そつぎょうせい
卒業そつぎょう芸能げいのう活動かつどう継続けいぞく
・1989ねん芸能げいのうかい引退いんたい
・1997ねんからプロダクションスタッフ勤務きんむ
No.12 河合かわい その
(かわい そのこ)
1965ねん06がつ20日はつか
(58さい
1985ねん04がつ05にち 1986ねん03月31にち 渡辺わたなべ
プロダクション
だい1かい卒業生そつぎょうせい
卒業そつぎょう芸能げいのう活動かつどう継続けいぞく
・1990ねん芸能げいのう活動かつどう休止きゅうし
・2010ねん資生堂しせいどう「IN&ON」のCMに出演しゅつえん
No.13 内海うつみ 和子かずこ
(うつみ かずこ)
1967ねん02がつ16にち
(57さい
1985ねん04がつ05にち 1987ねん03月30にち ホリプロ だい5かい卒業生そつぎょうせい
げんオールナイターズのメンバー。
卒業そつぎょう芸能げいのう活動かつどう継続けいぞく。・1993ねん芸能げいのうかい引退いんたい
・2014ねん芸能げいのう活動かつどう再開さいかい現在げんざい活動かつどうちゅう
No.14 富川とみかわ 春美はるみ
(とみかわ はるみ)
1968ねん09月26にち
(55さい
1985ねん04がつ05にち 1987ねん09がつ20日はつか 解散かいさんメンバー。
在籍ざいせきちゅうにソロデビューがしょ事情じじょうにより中止ちゅうしになる。
解散かいさんもモデルとして活動かつどう芸能げいのうかい引退いんたい
No.15 立見たつみ 里歌りか
(たつみ りか)
1965ねん11月14にち
(58さい
1985ねん04がつ19にち 1987ねん03月30にち だい5かい卒業生そつぎょうせい
ニャンギラスのメンバー。
げんオールナイターズのメンバー。
卒業そつぎょう同時どうじ芸能げいのうかい引退いんたい
・2014ねん芸能げいのう活動かつどう再開さいかい現在げんざい活動かつどうちゅう
No.16 高井たかい 麻巳子まみこ
(たかい まみこ)
1966ねん12月28にち
(57さい
1985ねん04がつ26にち 1987ねん03月30にち 田辺たなべ
エージェンシー
だい5かい卒業生そつぎょうせい
うしろゆびさされぐみのメンバー。
卒業そつぎょう歌手かしゅ女優じょゆうとして芸能げいのう活動かつどう継続けいぞく
・1988ねん芸能げいのうかい引退いんたい
No.17 城之内じょうのうち 早苗さなえ
(じょうのうち さなえ)
1968ねん05月17にち
(56さい
1985ねん05がつ10日とおか 1987ねん09がつ20日はつか プロダクション
解散かいさんメンバー。
・メンバー唯一ゆいいつ演歌えんか歌手かしゅとして現在げんざい活動かつどうちゅう
No.18 永田ながた ルリ子るりこ
(ながた るりこ)
1967ねん06月23にち
(56さい
1985ねん05月17にち 1987ねん09がつ20日はつか 解散かいさんメンバー。
解散かいさん同時どうじ芸能げいのうかい引退いんたい
No.19 岩井いわい 由紀子ゆきこ
(いわい ゆきこ)
1968ねん05月26にち
(56さい
1985ねん06月21にち 1987ねん09がつ20日はつか 渡辺わたなべ
プロダクション
解散かいさんメンバー。
うしろゆびさされぐみのメンバー。
解散かいさんバラドルとして芸能げいのう活動かつどう継続けいぞく
・1997ねん芸能げいのうかい引退いんたい
No.20 寺本てらもと 容子ようこ
(てらもと ようこ)
1969ねん12月21にち
(54さい
1985ねん07がつ19にち 1985ねん09がつ10日とおか
[ちゅう 3]
番組ばんぐみ規定きてい違反いはんし、脱退だったい[ちゅう 4]
脱退だったいはモデルとして活動かつどう
・1996ねん芸能げいのうかい引退いんたい
No.21 味岡あじおか たまき
(ごみおか たまき)
1970ねん01がつ19にち
(54さい
1985ねん07がつ26にち 1985ねん09がつ20日はつか
[ちゅう 5]
本人ほんにん意思いしによるもうにより脱退だったい[ちゅう 6]
脱退だったいはモデル・タレントとして活動かつどう
・1988ねんにソロでのレコードデビューが中止ちゅうしとなる。
・1990ねん芸能げいのうかい引退いんたい
No.22 白石しらいし 麻子あさこ
(しらいし まこ)
1969ねん06月12にち
(54さい
1985ねん07がつ26にち 1987ねん09がつ20日はつか 解散かいさんメンバー。
ニャンギラスのメンバー。
解散かいさん同時どうじ芸能げいのうかい引退いんたい
No.23 はやし 香織かおり
(はやし かおり)
1969ねん02がつ08にち
(55さい
1985ねん08がつ02にち 1986ねん03月27にち 大阪おおさか駐在ちゅうざいいん
卒業そつぎょう同時どうじ芸能げいのうかい引退いんたい
化粧けしょうひんメーカー・マックスファクターP&Gに就職しゅうしょく
No.24 三田みた 文代ふみよ
(みた ふみよ)
1967ねん01がつ06にち
(57さい
1985ねん08がつ16にち 1986ねん03月27にち 広島ひろしま駐在ちゅうざいいん
げんモモコクラブももぐみ出席しゅっせき番号ばんごう611ばん
卒業そつぎょうはモデル・女優じょゆうとして現在げんざい活動かつどうちゅう
No.25 吉沢よしざわ 秋絵あきえ
(よしざわ あきえ)
1968ねん10がつ20日はつか
(55さい
1985ねん08がつ30にち 1986ねん09月26にち 田辺たなべ
エージェンシー
だい2かい卒業生そつぎょうせい
・「スケバン刑事けいじII」とのタイアップ企画きかく合格ごうかく
卒業そつぎょう歌手かしゅ・タレントとして芸能げいのう活動かつどう継続けいぞく
・1991ねん芸能げいのうかい引退いんたい
No.26 赤坂あかさか 芳恵よしえ
(あかさか よしえ)
1968ねん07がつ20日はつか
(55さい
1985ねん09月27にち 1986ねん10がつ04にち もとモモコクラブ(ももぐみ出席しゅっせき番号ばんごう2142ばん
学校がっこうがわ無断むだん出演しゅつえんしていたことが発覚はっかく
 在籍ざいせき期間きかんいち週間しゅうかん脱退だったい[ちゅう 7]
脱退だったいはモデルとして活動かつどう
・1994ねん芸能げいのうかい引退いんたい
No.27 松本まつもと 亜紀あき
(まつもと あき)
1969ねん11月23にち
(54さい
1985ねん10がつ25にち 1985ねん10がつ25にち もとモモコクラブ(ももぐみ出席しゅっせき番号ばんごう1861ばん
学校がっこうがわ無断むだん出演しゅつえんしていたことが発覚はっかくし、
 合格ごうかくのみで活動かつどうがないまま脱退だったい[ちゅう 8]
脱退だったいはタレントとして活動かつどう芸能げいのうかい引退いんたい
No.28 横田よこた 睦美むつみ
(よこた むつみ)
1967ねん09月26にち
(56さい
1985ねん11月29にち 1987ねん09がつ20日はつか 解散かいさんメンバー。
ヤンパライメージガールコンテストとのタイアップ企画きかく
 オーディションにて合格ごうかく
解散かいさんはタレント・女優じょゆうとして活動かつどう芸能げいのうかい引退いんたい
No.29 渡辺わたなべ 美奈代みなよ
(わたなべ みなよ)
1969ねん09月28にち
(54さい
1985ねん11月29にち 1987ねん09がつ20日はつか バーニング
プロダクション
解散かいさんメンバー。
ヤンパライメージガールコンテストとのタイアップ企画きかく
 オーディションにて合格ごうかく
解散かいさん歌手かしゅ・タレントとして現在げんざい活動かつどうちゅう
No.30 三上みかみ 千晶ちあき
(みかみ ちあき)
1969ねん06月28にち
(54さい
1985ねん11月29にち 1986ねん03がつ0-にち ・2度目どめ出場しゅつじょう合格ごうかく
ヤンパライメージガールコンテストとのタイアップ企画きかく
 オーディションにて合格ごうかく
本人ほんにんからのもうにより脱退だったい[ちゅう 6]
トライアングル・ブルーのオーディションにも合格ごうかく
No.31 矢島やじま 裕子ゆうこ
(やじま ゆうこ)
1968ねん12月15にち
(55さい
1985ねん11月29にち 1986ねん02がつ0-にち 本人ほんにんからのもうにより脱退だったい[ちゅう 6]
ヤンパライメージガールコンテストとのタイアップ企画きかく
 オーディションにて合格ごうかく
No.32 山本やまもとスーザン久美子くみこ
(やまもと すーざん くみこ)
1966ねん06月26にち
(57さい
1985ねん12月13にち 1986ねん09月26にち だい2かい卒業生そつぎょうせい
卒業そつぎょう同時どうじ芸能げいのうかい引退いんたい
No.33 布川ふかわ 智子さとこ
(ふかわ ともこ)
1968ねん08がつ30にち
(55さい
1986ねん01がつ17にち 1987ねん09がつ20日はつか 解散かいさんメンバー。
シブがきたい布川ふかわ敏和としかず実妹じつまい
解散かいさん同時どうじ芸能げいのうかい引退いんたい
・2011ねん芸能げいのう活動かつどう再開さいかい現在げんざい活動かつどうちゅう
No.34 弓岡ゆみおか 真美まみ
(ゆみおか まみ)
1970ねん09月15にち
(53さい
1986ねん01がつ10日とおか 1986ねん12月25にち だい3かい卒業生そつぎょうせい
中学ちゅうがくぎょうの1986ねん3がつ14にちから活動かつどう
卒業そつぎょうはモデルとして活動かつどう芸能げいのうかい引退いんたい
No.35 岡本おかもと 貴子たかこ
(おかもと たかこ)
1971ねん03月16にち
(53さい
1986ねん01がつ10日とおか 1986ねん12月25にち だい3かい卒業生そつぎょうせい
中学ちゅうがく卒業そつぎょうの1986ねん3がつ14にちから活動かつどう
卒業そつぎょう同時どうじ芸能げいのうかい引退いんたい
No.36 渡辺わたなべ 満里奈まりな
(わたなべ まりな)
1970ねん11月18にち
(53さい
1986ねん03月27にち 1987ねん09がつ20日はつか エイプリル
ミュージック
解散かいさんメンバー。
解散かいさん歌手かしゅ・タレントとして現在げんざい活動かつどうちゅう
No.37 大貫おおぬき かおり
(おおぬき かおり)
1970ねん05月17にち
(54さい
1986ねん05月09にち 1986ねん09月0-にち もとモモコクラブ(ももぐみ出席しゅっせき番号ばんごう1809ばん
合格ごうかく活動かつどう番組ばんぐみへの出演しゅつえん1にちのみで脱退だったい[ちゅう 9]
脱退だったいはモデル・タレントとして現在げんざい活動かつどうちゅう
No.38 工藤くどう 静香しずか
(くどう しずか)
1970ねん04がつ14にち
(54さい
1986ねん05月23にち 1987ねん09がつ20日はつか プロダクション
解散かいさんメンバー。
うしろがみひかれたいのメンバー。
もとモモコクラブ(ももぐみ出席しゅっせき番号ばんごう480ばん
げんセブンティーンクラブのメンバー。
解散かいさん歌手かしゅとして現在げんざい活動かつどうちゅう
No.39 高畠たかはた 真紀まき
(たかばたけ まき)
1968ねん04がつ21にち
(56さい
1986ねん05月30にち 1986ねん12月25にち だい3かい卒業生そつぎょうせい
卒業そつぎょうはモデルとして活動かつどう芸能げいのうかい引退いんたい
No.40 生稲いくいな 晃子あきこ
(いくいな あきこ)
1968ねん04がつ28にち
(56さい
1986ねん06月13にち 1987ねん09がつ20日はつか プロダクション
解散かいさんメンバー。
うしろがみひかれたいのメンバー。
解散かいさん女優じょゆう・タレントとして活動かつどう
・2022ねん参議院さんぎいん議員ぎいん選挙せんきょ立候補りっこうほ当選とうせん
No.41 貝瀬かいせ 典子のりこ
(かいせ のりこ)
1970ねん03がつ05にち
(54さい
1986ねん08がつ10日とおか 1987ねん09がつ20日はつか 解散かいさんメンバー。
ミス・セブンティーンコンテストとのタイアップ企画きかく
 オーディションにて合格ごうかく。グランプリを受賞じゅしょう
解散かいさんはモデルとして活動かつどう芸能げいのうかい引退いんたい
No.42 斉藤さいとう 満喜子まきこ
(さいとう まきこ)
1970ねん09月19にち
(53さい
1986ねん08がつ10日とおか 1987ねん09がつ20日はつか プロダクション
解散かいさんメンバー。
・ミス・セブンティーンコンテストとのタイアップ企画きかく
 オーディションにて合格ごうかく。凖グランプリを受賞じゅしょう
うしろがみひかれたいのメンバー。
解散かいさん歌手かしゅ・タレントとして芸能げいのう活動かつどう継続けいぞく
・1998ねん芸能げいのうかい引退いんたい
No.43 守屋もりや 寿恵ひさえ
(もりや としえ)
1970ねん06月11にち
(53さい
1986ねん08がつ10日とおか 1987ねん03がつ20日はつか だい4かい卒業生そつぎょうせい
・ミス・セブンティーンコンテストとのタイアップ企画きかく
 オーディションにて合格ごうかくじゅんグランプリを受賞じゅしょう
卒業そつぎょうはモデルとして活動かつどう芸能げいのうかい引退いんたい
1988ねん、ソロでのレコードデビューが中止ちゅうしとなる。
No.44 高田たかだ 尚子しょうこ
(たかだ なおこ)
1970ねん08がつ29にち
(53さい
1986ねん08がつ10日とおか 1987ねん03がつ20日はつか だい4かい卒業生そつぎょうせい
・ミス・セブンティーンコンテストとのタイアップ企画きかく
 オーディションにて合格ごうかく特別とくべつしょう受賞じゅしょう
卒業そつぎょう同時どうじ芸能げいのうかい引退いんたい
No.45 吉田よしだ 裕美子ゆみこ
(よしだ ゆみこ)
1971ねん01がつ03にち
(53さい
1986ねん09月19にち 1987ねん03がつ20日はつか だい4かい卒業生そつぎょうせい
卒業そつぎょうはモデルとして活動かつどう芸能げいのうかい引退いんたい
・ソロデビューの予定よていがあったが中止ちゅうしとなる。
No.46 中島なかじま 早苗さなえ
(なかじま さなえ)
1970ねん10がつ27にち
(53さい
1986ねん09月25にち 1987ねん03がつ20日はつか だい4かい卒業生そつぎょうせい
もとモモコクラブ(ももぐみ出席しゅっせき番号ばんごう1319ばん
卒業そつぎょうはモデルとして活動かつどう芸能げいのうかい引退いんたい
子役こやく出身しゅっしん加入かにゅうまえから活動かつどう
No.47 山森やまもり 由里子ゆりこ
(やまもり ゆりこ)
1970ねん10がつ27にち
(53さい
1986ねん10がつ24にち 1987ねん09がつ20日はつか 解散かいさんメンバー。
・2度目どめ出場しゅつじょう合格ごうかく
解散かいさん同時どうじ芸能げいのうかい引退いんたい
No.48 我妻あづま 佳代かよ
(あがつま かよ)
1968ねん07がつ25にち
(55さい
1987ねん01がつ23にち 1987ねん09がつ20日はつか 解散かいさんメンバー。
もとモモコクラブ(ももぐみ出席しゅっせき番号ばんごう368ばん
解散かいさんの1987ねんにソロデビュー。1989ねん引退いんたい
芹沢せりざわ直美なおみ実妹じつまい
No.49
(Bぐみ1ばん)
吉見よしみ 美津子みつこ
(よしみ みつこ)
1971ねん12月25にち
(52さい
1986ねん08がつ10日とおか 1987ねん09がつ20日はつか 解散かいさんメンバー。
・ミス・セブンティーンコンテストとのタイアップ企画きかく
 オーディションにて合格ごうかく特別とくべつしょう受賞じゅしょう
・1987ねん4がつにBぐみから本体ほんたいのメンバーへ昇格しょうかく
もとモモコクラブ(ももぐみ出席しゅっせき番号ばんごう1956ばん
解散かいさんはモデル・女優じょゆうとして活動かつどう芸能げいのうかい引退いんたい
No.50
(Bぐみ2ばん)
杉浦すぎうら 美雪みゆき
(すぎうら みゆき)
1971ねん10がつ14にち
(52さい
1986ねん08がつ10日とおか 1987ねん09がつ20日はつか 解散かいさんメンバー。
・ミス・セブンティーンコンテストとのタイアップ企画きかく
 オーディションにて合格ごうかく特別とくべつしょう受賞じゅしょう
・1987ねん4がつにBぐみから本体ほんたいのメンバーへ昇格しょうかく
解散かいさんはタレント・レースクイーンとして活動かつどう
現在げんざいはモデルとして活動かつどうちゅう
No.51
(Bぐみ3ばん)
宮野みやの 久美子くみこ
(みやの くみこ)
1971ねん12月13にち
(52さい
1986ねん08がつ10日とおか 1987ねん09がつ20日はつか 解散かいさんメンバー。
・ミス・セブンティーンコンテストとのタイアップ企画きかく
 オーディションにて合格ごうかく特別とくべつしょう受賞じゅしょう
・1987ねん4がつにBぐみから本体ほんたいのメンバーへ昇格しょうかく
解散かいさん名古屋なごやタレントとして現在げんざい活動かつどうちゅう
No.52 鈴木すずき 和佳子わかこ
(すずき わかこ)
1969ねん01がつ26にち
(55さい
1987ねん04がつ17にち 1987ねん09がつ20日はつか 解散かいさんメンバー。
解散かいさんはモデルとして活動かつどう芸能げいのうかい引退いんたい
Bぐみ4ばん 冨永とみなが 浩子ひろこ
(とみなが ひろこ)
1971ねん05月31にち
(52さい
1986ねん08がつ10日とおか 1987ねん03がつ20日はつか だい4かい卒業生そつぎょうせい
・ミス・セブンティーンコンテストとのタイアップ企画きかく
 オーディションにて合格ごうかく特別とくべつしょう受賞じゅしょう
卒業そつぎょう同時どうじ芸能げいのうかい引退いんたい
Bぐみ5ばん 山崎やまざき 真由美まゆみ
(やまざき まゆみ)
1971ねん12月01にち
(52さい
1986ねん09月25にち 1987ねん03がつ20日はつか だい4かい卒業生そつぎょうせい
卒業そつぎょうの1988ねんにソロデビュー。
・グラビアモデルへ転身てんしん、1994ねん引退いんたい
研修生けんしゅうせい ヨリンダ・ヤン
(よりんだ やん)
1969ねん07がつ14にち
(54さい
1987ねん07がつ13にち 1987ねん07がつ31にち ・おニャン研修生けんしゅうせい唯一ゆいいつ外国がいこくじん香港ほんこんひと)。
現在げんざい香港ほんこん歌手かしゅ女優じょゆうとして活動かつどうちゅう

派生はせいユニット[編集へんしゅう]

ユニットめい メンバー 活動かつどう期間きかん 備考びこう
うしろゆびさされぐみ 会員かいいん番号ばんごう16ばん 高井たかい 麻巳子まみこ
会員かいいん番号ばんごう19ばん 岩井いわい 由紀子ゆきこ
1985ねん - 1987ねん 高井たかいのおニャンクラブ卒業そつぎょうともない、解散かいさん
ニャンギラス 会員かいいん番号ばんごう06ばん 樹原きはら 亜紀あき
会員かいいん番号ばんごう09ばん 名越なごや 美香みか
会員かいいん番号ばんごう15ばん 立見たつみ 里歌りか
会員かいいん番号ばんごう22ばん 白石しらいし 麻子あさこ
1986ねん 名越なごしのおニャンクラブ卒業そつぎょうともない、解散かいさん
うしろがみひかれたい 会員かいいん番号ばんごう38ばん 工藤くどう 静香しずか
会員かいいん番号ばんごう40ばん 生稲いくいな 晃子あきこ
会員かいいん番号ばんごう42ばん 斉藤さいとう 満喜子まきこ
1987ねん - 1988ねん ・おニャンクラブ解散かいさんもグループ活動かつどう継続けいぞく
・1988ねん活動かつどう休止きゅうし
おニャンクラブ Bぐみ 会員かいいん番号ばんごうBぐみ1ばん 吉見よしみ 美津子みつこ
会員かいいん番号ばんごうBぐみ2ばん 杉浦すぎうら 美雪みゆき
会員かいいん番号ばんごうBぐみ3ばん 宮野みやの 久美子くみこ
会員かいいん番号ばんごうBぐみ4ばん 冨永とみなが 浩子ひろこ
会員かいいん番号ばんごうBぐみ5ばん 山崎やまざき 真由美まゆみ
1987ねん 当初とうしょ5にんでのデビューが予定よていされていたが、冨永とみなが山崎やまざき卒業そつぎょう
 その吉見よしみ杉浦すぎうら宮野みやのの3にんによるデビューがさい計画けいかくされたが、
 おニャンクラブの解散かいさんにより中止ちゅうしになった。
発表はっぴょうきょく「いつだってイレギュラー」(1987ねん6がつ15にち発売はつばい予定よてい中止ちゅうし

特徴とくちょう[編集へんしゅう]

プロデュース戦略せんりゃく[編集へんしゅう]

おニャンクラブのプロモーションにかんするフジテレビ(JOCX)のメディア戦略せんりゃくは『CX銀河ぎんが計画けいかく[ちゅう 10]しょうされ、テレビてきなメイキング感覚かんかくたくみに利用りようした疑似ぎじイベントにより、番組ばんぐみ視聴しちょうしゃみながら、フジテレビみずからがアイドルをつくるという戦略せんりゃくをとった[47][48][49]番組ばんぐみないのオーディションから新人しんじん発掘はっくつするというシステムであったが、かつての『スター誕生たんじょう!』との相違そういてんは、フジテレビ自体じたいがマネージメントのイニシアティブをにぎったてんで、その意味いみでおニャンクラブは、テレビがそだてた「純正じゅんせいテレビアイドル」となった[50]。コアターゲットは10代の男子だんし中高生ちゅうこうせいであったが、世代せだいえておおくの支持しじあつめた[51]歌手かしゅという制約せいやくもうけた場合ばあい、とてもレコードがせるレベルではないメンバーもなかにはたが、音楽おんがく番組ばんぐみミュージックフェア』も担当たんとうしたプロデューサーの石田いしだひろしは、アイドルと歌手かしゅべつ問題もんだいであるとし、つぎのようにかたった。

ファンはアイドルに、うたのうまい、下手へたもとめていないとおもう。それは関係かんけいないんじゃないか。ジャケットの写真しゃしんやテレビをふくめたビジュアルなめんからかんじている"あいくるしさ"と音楽おんがくおとむすびついて興味きょうみっているのではないか、とおもう。アイドルと歌手かしゅべつ問題もんだいなんですよ。アイドルは、ボクにわせるとグッズなんです — 石田いしだひろし独占どくせんインタビュー/8がつ31にちわったおニャン[52]
おニャンとしての活動かつどう
  • ゆうやけニャンニャン』の番組ばんぐみないではアシスタントやコーナー説明せつめい当番制とうばんせいおこなっていた。ときにロケにることもあった。
  • 本業ほんぎょう高校生こうこうせいであるとメンバーもスタッフもつよ認識にんしきしており、テスト期間きかんちゅうなどは番組ばんぐみやすんでもよいことになっていた(いち週間しゅうかん前後ぜんこうのことがおおかったが、大学だいがく受験じゅけんひかえたメンバーは1ヶ月かげつ以上いじょう番組ばんぐみ出演しゅつえんしないこともあった)。また、普段ふだん宿題しゅくだい楽屋がくやんでメンバー同士どうしおしえあったり、番組ばんぐみスタッフに勉強べんきょうてもらうことも頻繁ひんぱんにあった[53]
  • おニャンクラブのメンバーは原則げんそく生放送なまほうそうである『ゆうやけニャンニャン』の出演しゅつえんさいして、大半たいはん高校生こうこうせい大学生だいがくせいなどの学生がくせいであったことから各々おのおの定期ていき試験しけんちゅう番組ばんぐみ出演しゅつえんひか欠席けっせきした。また、番組ばんぐみがわ斡旋あっせんした仕事しごと(ドラマ撮影さつえいなど)での欠席けっせきもあった。そのため、『ゆうやけニャンニャン』をふくめて、おニャンクラブ名義めいぎ活動かつどうかならずしもメンバー全員ぜんいんそろっていたわけではなかった。
メンバーの選出せんしゅつ方法ほうほう
  • オーディションは、月曜日げつようびはじまる自己じこ紹介しょうかいから金曜日きんようび最終さいしゅうまでの5日間にちかん、5にんきそい、そのあいだ毎日まいにち番組ばんぐみ登場とうじょうして課題かだいをこなさなければならなかった。
  • オーディションをけたメンバーのなかには、芸能げいのう事務所じむしょやレコード会社かいしゃ在籍ざいせきしていたメンバーもいる。ソロデビューを視野しやれた売込うりこみの戦略せんりゃくのひとつで、オーディションに出場しゅつじょう合格ごうかくさせて観客かんきゃく視聴しちょうしゃに「原石げんせきつけた」と注目ちゅうもくさせる目的もくてきであった[ちゅう 11]
  • オーディション合格ごうかくも(芸能げいのう事務所じむしょ所属しょぞくしていたメンバーをのぞいて)、メンバーは、フジテレビ局てれびきょくあずかりとされ、芸能げいのう事務所じむしょ無所属むしょぞく正真正銘しょうしんしょうめい素人しろうと集団しゅうだんであった。そのためだい部分ぶぶんのメンバーが番組ばんぐみ終了しゅうりょう同時どうじ解散かいさんしたおニャンクラブとともに、一般人いっぱんじんとして各々おのおの生活せいかつもどった。しかし2014ねん現在げんざい一般いっぱん生活せいかつもどっていることが確認かくにんできるのは15めいのみであり、芸能げいのう事務所じむしょ所属しょぞくしていないのこりの25めい消息しょうそく不明ふめい状態じょうたいとなっている[54]芸能げいのう活動かつどう続行ぞっこう出来できたのは、その時点じてん芸能げいのう事務所じむしょ所属しょぞくしていた10にん前後ぜんこうものかぎられた。
会員かいいん番号ばんごう制度せいど

おニャンクラブのメンバーには会員かいいん番号ばんごうあたえられ、『ゆうやけニャンニャン』ないであろうときょく番組ばんぐみであろうと、自己じこ紹介しょうかいさいにはかなら名前なまえまえに「おニャンクラブ会員かいいん番号ばんごう××ばん」をけて名乗なのっていた[ちゅう 12]。そのため、解散かいさん芸能げいのうかいのこるなどした著名ちょめいなメンバーは名前なまえとともに会員かいいん番号ばんごうもセットにしておぼえられている。会員かいいん番号ばんごうけは、結成けっせいの11にんはくじじゅんで、それ以後いご加入かにゅうじゅん加入かにゅう同時どうじ場合ばあいはエントリーNo.じゅん)である。脱退だったいしたもの番号ばんごうについては欠番けつばんとした。解散かいさん会員かいいん番号ばんごうは52ばんまでっていた。

反復はんぷく露出ろしゅつ効用こうよう

おニャンクラブは『ゆうやけニャンニャン』により、しゅういちかいではなく月曜げつようから金曜きんようまでのおび、という反復はんぷくができるというおおきなちからちえた結果けっか従来じゅうらいラジオや有線ゆうせんきょくり、テレビで確認かくにんする、というレコード購買こうばいしゃ行動こうどうパターンを、テレビでって、テレビで確認かくにんし、レコードをいにく、というかたち変化へんかさせた。『ゆうニャン』がラジオてき機能きのうたした結果けっか、ヒットきょく次々つぎつぎされることとなった[55]。また、『ゆうやけニャンニャン』のみならず、『よるのヒットスタジオ』『月曜げつようドラマランド』『ハイスクール!めんぐみ』『なるほど!ザ・ワールド』などフジテレビの各種かくしゅ番組ばんぐみ様々さまざまかたちでおニャンのレコードの露出ろしゅつたったことも、ヒットのスケールをおおきくするのに役立やくだった[56]

品種ひんしゅ少量しょうりょう時代じだいのアイドル

おニャンクラブではビッグアイドルをつくらず、クラブのメンバーのだれかのファンになってもらえばいいというスタイルをとった。社会しゃかい学者がくしゃ小川おがわ博司ひろしは、これは成熟せいじゅくした消費しょうひ社会しゃかいにおける少量しょうりょう品種ひんしゅのマーケティングそのままであると指摘してきし、つぎのようにひょうした。

ゆうやけニャンニャン」はひとつの番組ばんぐみだけで、アイドルのカタログとなっていた。おニャンのメンバーは、おニャンクラブのなかで、メンバー相互そうご差異さいにおいて、個性こせい析出せきしゅつさせるのである。 — 小川おがわ博司ひろし、『音楽おんがくする社会しゃかい[57]

音楽おんがくせい[編集へんしゅう]

おニャンクラブは音楽おんがく方向ほうこうせいとして1960年代ねんだいモータウン・サウンドを意識いしきしていたとされる。60年代ねんだい人懐ひとなつっこいモータウンふうのメロディーに、ビートを融合ゆうごうさせるスタイルが特徴とくちょうであった[58]。『KICK OFF』『ゆめカタログ』で編曲へんきょくおおくを担当たんとうした山川やまかわ恵津子えつこと、シンセサイザー・プログラマーのもり達彦たつひこは、当時とうじイギリス流行りゅうこうしていたマリ・ウィルソンなどの洋楽ようがくアーティストのサウンドを参考さんこうにしていたとかたっている[59]もりムーンライダーズ所属しょぞく事務所じむしょ系列けいれつのプログラマー集団しゅうだん・ハンマーの代表だいひょうで、おニャンのほぼぜん作品さくひんおとづくりにかかわった。おニャン作品さくひんバッキングにはProphet-5、PPGなどの当時とうじ最新さいしんデヴァイスがもちいられ、アイドル歌謡かようといえどサウンドはロックにけをらなかった[60]秋元あきもとやすしは、朝妻あさづま一郎いちろうとの対談たいだんにおいて、おニャンクラブの音楽おんがくせいつぎのようにかたっている。

後藤ごとうとしさんとか、佐藤さとうじゅんさん、高橋たかはしけんさん、そういう本物ほんもの音楽おんがくきが冗談じょうだんでやっていたことの面白おもしろさですよね。つまり、ぼくふくめて、当時とうじ歌謡かようきょく最前線さいぜんせんひとたちがつくっていたわけじゃないんです。それまでアイドルのきょくいていた職業しょくぎょう作家さっかではなかったから、かったんじゃないですかね?もともとサディスティック・ミカ・バンドにいた後藤ごとうみたいなひとが「おれだったらこういうアイドルきょくをつくるけどね」とか「おれまえからアイドルのきょくつくりたかったんだ」とかってきょくつくった。だから、よう所要しょようしょで、あの洋楽ようがくのあそこをパクッてるなとかいうあそびがえる。それも、かくしてパクってるんじゃなくて、それがかるたのしさ。 — 秋元あきもとやすし、『対談たいだん秋元あきもとやすし×朝妻あさづま一郎いちろう[61]

きょくうた番組ばんぐみとの関係かんけい[編集へんしゅう]

おニャンクラブおよびそのメンバーは(解散かいさんまえもしくは卒業そつぎょうまえ脱退だったいまえにおいては)、フジテレビ専属せんぞくとされ、きょくがわ必要ひつよう判断はんだんしたもの以外いがいきょく番組ばんぐみ主催しゅさいイベントにることは原則げんそくとしてなかった[62]

ザ・ベストテン』(TBS)には彼女かのじょらの楽曲がっきょく卒業そつぎょうぐみふくむ)が1986ねん7がつ31にちから1987ねん4がつ2にちあいだには多数たすうチャートインし、1985ねん8がつ29にちはつ登場とうじょうから1986ねん7がつ中旬ちゅうじゅんまでは出演しゅつえんしていたものの、その減少げんしょうした。司会しかいしゃは、おニャンクラブの欠席けっせき理由りゆうかんして、1986ねん10がつ2にちまでは、「定期ていき試験しけんちゅう」「コンサートちゅう・レコーディングちゅうとう理由りゆうべていたが、1986ねん10がつ9にち以降いこうは「かく方面ほうめん調整ちょうせいがいまだれず今回こんかい欠席けっせき」という欠席けっせき理由りゆうべていた[ちゅう 13](うしろがみひかれたいかんしては、番組ばんぐみ出演しゅつえんまり、専用せんようのセットまでまれていたが、直前ちょくぜんになり出演しゅつえんめになり、苦肉くにくさくとして、リハーサルでうたったスタッフにうたわせている)。1987ねん3がつに、河合かわいその、4がつ9にちにゆうゆ with おニャンクラブがだい10にランクインを出演しゅつえん拒否きょひ解除かいじょしたが、“おニャンクラブ”としての出演しゅつえん解除かいじょいちもなかった。ソロ出演しゅつえんかうしろがみひかれたいのようなユニット出演しゅつえんのみしかなく、解除かいじょにランクインされたきょくでは、「金輪際こんりんざい出演しゅつえんすることはない」という理由りゆううた披露ひろうされることはなかったなど、とくに『ザ・ベストテン』との関係かんけいはおよそ良好りょうこうとはがたかった。

このけんかんしては、ゆうやけニャンニャンディレクターの笠井かさい一三かずみが、「おニャンクラブのうたにランキングはけられない」と理由りゆうだと説明せつめいしていたが[63]一方いっぽう日本にほんテレビの『うたのトップテン』には出演しゅつえんしていたり、ゆうニャンないオリコンのコーナーをつくり、おニャン関係かんけいでランキングされるとそれをいわうという活動かつどうおこなっていた。またそれ以外いがいにも、「『ザ・ベストテン』のランキングは、レコードげ、有線ゆうせん放送ほうそうリクエスト、ラジオ放送ほうそうのリクエストチャート、番組ばんぐみせられたハガキのリクエストとう総合そうごうポイントにて順位じゅんいけがなされていたが、放送ほうそうされるしゅうによってそれらの比重ひじゅう変化へんかし(れい:レコードげがランキングにさい重視じゅうしされるしゅうもあれば、ハガキのリクエスト、もしくは有線ゆうせん・ラジオのリクエストがさい重視じゅうしされるしゅうがあるひとし)、順位じゅんいづけ公正こうせいになされていなかったため出演しゅつえん遠慮えんりょしていた」との記述きじゅつもある[63]が、真偽しんぎほどさだかでない。なお『ザ・ベストテン』におけるおニャン関連かんれんでのはつの1獲得かくとく解散かいさんからちょうど1ねん工藤くどう静香しずかの「MUGO・ん…いろっぽい」でようやく達成たっせいしている。

NHK紅白こうはく歌合戦うたがっせん』の出場しゅつじょう歌手かしゅにも選出せんしゅつされなかったが、NHKによると1985ねん出場しゅつじょうは「たん視聴しちょうしゃ対象たいしょう事前じぜん調査ちょうさ票数ひょうすうすくなかったから」と説明せつめいしている[35]。なお、おニャンクラブメンバーのうち、『NHK紅白こうはく歌合戦うたがっせん』に歌手かしゅとして出場しゅつじょう経験けいけんがあるのは(2024ねん現在げんざい工藤くどう静香しずかのみである(『ゆうやけニャンニャン』放送ほうそう終了しゅうりょう1988ねんはつ出場しゅつじょう)。

歌手かしゅとの関係かんけい[編集へんしゅう]

歌手かしゅなかには素人しろうと同然どうぜん彼女かのじょらにたいし、つめたいあつかいをしたものもいたとされる。たとえば中森なかもり明菜あきな露骨ろこつ不快ふかいかんしめしたが、所属しょぞくレコード会社かいしゃのワーナー・パイオニア(当時とうじ)の明菜あきな担当たんとうチームは「ニャンギラス」も担当たんとうしており、その事実じじつ明菜あきなられないように作曲さっきょく名前なまえ変名へんめいにしたり、クレジットを意図いとてきはずすなどしたという[64]。また、おニャンクラブの登場とうじょう活躍かつやくうばわれたり、ファンがったもとアイドルやタレントからはきついられたという[65]

類似るいじてん[編集へんしゅう]

音楽おんがく評論ひょうろん安倍あべやすしは、おニャンクラブと1934ねん公開こうかい日本にっぽん映画えいがとなり八重やえちゃん』との類似るいじてん指摘してきしている[66]

影響えいきょう[編集へんしゅう]

社会しゃかい学者がくしゃいねぞう龍夫たつおは、おニャンクラブが一大いちだいブームをこした反動はんどうで、1990年代ねんだいの「女性じょせいアイドルふゆ時代じだい」につながったと指摘してきし、つぎのようにひょうした。

アイドルは、70年代ねんだい、80年代ねんだいと、それぞれ現象げんしょう発展形はってんけいたいとしてはことなっていたが、おおくのファンをんだメディア文化ぶんか現象げんしょうとして展開てんかいし、とくに80年代ねんだい松田まつだ聖子せいこ登場とうじょうからおニャンクラブのだいブームまでは、当時とうじのわがくにの「シミュレーション文化ぶんか」の典型てんけいれいであった。ところが、おニャンクラブにられた、アイドルの誕生たんじょうメカニズムそのものをみずか暴露ばくろ相対そうたいしていくという、過激かげきなメディア戦略せんりゃく反動はんどうからか、90年代ねんだいになってからはとく女性じょせいアイドルの低迷ていめいいちじるしく(男性だんせいアイドルはジャニーズけい健在けんざいであった)、近年きんねん安室あむろ奈美恵なみえSPEED登場とうじょうまでは、ミュージックシーンのおもて舞台ぶたいからとおざかってしまったのである。 — いねぞう龍夫たつお、『SPEEDにるアイドル現象げんしょう変容へんよう[67]

作品さくひん[編集へんしゅう]

シングル[編集へんしゅう]

発売はつばい タイトル レーベル 形態けいたい 規格きかく品番ひんばん 最高さいこう 売上うりあげ枚数まいすう
1st 1985ねん07がつ05にち ふくがさないで CANYON EP 7A0502 5 24.7まんまい
2nd 1985ねん10がつ21にち およしになってねTEACHER CANYON EP 7A0530 2 18.0まんまい
3rd 1986ねん02がつ21にち じゃあね CANYON EP 7A0555 1 28.1まんまい
4th 1986ねん04がつ21にち おっとCHIKAN! CANYON EP 7A0575 1 20.6まんまい
5th 1986ねん07がつ21にち さき失礼しつれい CANYON EP 7A0607 1 16.0まんまい
CT 10P3008
6th 1986ねん11月01にち こいはくえすちょん CANYON EP 7A0646 1 12.3まんまい
CT 10P3025
7th 1987ねん01がつ21にち NO MORE 恋愛れんあいごっこ CANYON EP 7A0676 1 11.8まんまい
CT 10P3042
8th 1987ねん05月21にち かたつむりサンバ CANYON EP 7A0718 1 7.2まんまい
CT 10P3078
9th 1987ねん08がつ21にち ウェディングドレス KiRiGiRiSu
(PONY CANYON)
EP 7A0758 2 9.0まんまい
CT 10P3133
CD D15A0335
10th 2002ねん11月20にち ショーミキゲン PONY CANYON CD PCCA-70026 48 0.8まんまい

アルバム[編集へんしゅう]

オリジナルアルバム[編集へんしゅう]

発売はつばい タイトル レーベル 形態けいたい 規格きかく品番ひんばん 最高さいこう 売上うりあげ枚数まいすう
1st 1985ねん09月21にち KICK OFF CANYON LP C28A0436 2 27.8まんまい
CT 28P6468 2
CD D32A0114 30
2nd 1986ねん03がつ10日とおか ゆめカタログ CANYON LP C28A0476 1 28.4まんまい
CT 28P6513 1
CD D32A0116 2
3rd 1986ねん07がつ10日とおか PANIC THE WORLD CANYON LP C40A0499 3 19.2まんまい
CT 38P7059 4
CD D50A0119 3
4th 1987ねん02がつ21にち SIDE LINE CANYON LP C28A0548 1 13.1まんまい
CT 28P6637 3
CD D32A0267 2
5th 1987ねん08がつ5にち Circle KiRiGiRiSu
(PONY CANYON)
LP C42A0590 2 10.1まんまい
CT 42P0001 4
CD D50A0308 2

ベストアルバム[編集へんしゅう]

発売はつばい タイトル レーベル 形態けいたい 規格きかく品番ひんばん 最高さいこう 売上うりあげ枚数まいすう
BEST 1986ねん10がつ21にち スーパーベスト CANYON CD C32A6003 22 1.5まんまい
CT 36P1366
BEST 1987ねん03がつ05にち 家宝かほう CANYON CD D50P-6066 7 2.7まんまい
BEST 1987ねん12月05にち おニャンクラブ ベスト CANYON CD D32P-6180 69 0.3まんまい
BEST 1988ねん05月21にち ヘッドホンステレオ・セレクトシリーズ おニャンクラブ PONY CANYON CT 24P4052 --くらい --まんまい
BEST 1989ねん08がつ21にち フォーエバー・アイドル・ベスト・シリーズ おニャンクラブ PONY CANYON CD D27A-1047 --くらい --まんまい
BEST 1996ねん0-つき0-にち ベストセレクション PONY CANYON CD 38DC-2074 --くらい --まんまい
BEST 1997ねん03月21にち ULTRA NYANKO OMOTE SPECIAL PONY CANYON CD PCCA-01086 --くらい --まんまい
ULTRA NYANKO URA SPECIAL PCCA-01087 --くらい --まんまい
BEST 1999ねん03月17にち おニャンクラブAめんコレクション Vol.1 PONY CANYON CD PCCA-01315 97 --まんまい
おニャンクラブAめんコレクション Vol.4 PCCA-01316 --くらい --まんまい
おニャンクラブAめんコレクション Vol.5 PCCA-01317 --くらい --まんまい
BEST 1999ねん04がつ21にち おニャンクラブBめんコレクション Vol.1 PONY CANYON CD PCCA-01327 --くらい --まんまい
おニャンクラブBめんコレクション Vol.5 PCCA-01328 --くらい --まんまい
BEST 1999ねん05月21にち おニャンクラブAめんコレクション Vol.2 Sony Music Records CD SRCL-4495 --くらい --まんまい
おニャンクラブAめんコレクション Vol.3 SRCL-4496 --くらい --まんまい
BEST 1999ねん06月19にち おニャンクラブBめんコレクション Vol.2 Sony Music Records CD SRCL-4532 --くらい --まんまい
おニャンクラブBめんコレクション Vol.3 SRCL-4533 --くらい --まんまい
おニャンクラブBめんコレクション Vol.4 SRCL-4534 --くらい --まんまい
BEST 2000ねん09がつ20日はつか MYこれ!クション おニャンクラブBEST PONY CANYON CD PCCA-01613 --くらい --まんまい
BEST 2002ねん12月18にち おニャンクラブ ミニ・ベスト PONY CANYON CD PCCA-01830 --くらい --まんまい
BEST 2002ねん12月18にち おニャンクラブ ソロ&ユニット ミニ・ベスト PONY CANYON CD PCCA-01831 --くらい --まんまい
BEST 2005ねん07がつ06にち おニャンクラブだい全集ぜんしゅう上巻じょうかん PONY CANYON CD PCCA-2152 238 0.1まんまい
おニャンクラブだい全集ぜんしゅう下巻げかん PCCA-2153 248 0.2まんまい
BEST 2007ねん07がつ18にち 「おニャンクラブ」SINGLESコンプリート PONY CANYON CD PCCA-02489 --くらい --まんまい
BEST 2010ねん04がつ21にち Myこれ!Lite おニャンクラブ PONY CANYON CD PCCS-00096 --くらい --まんまい
BEST 2010ねん04がつ28にち GOLDEN☆BEST 河合かわいその国生こくしょうさゆり・城之内じょうのうち早苗さなえ渡辺わたなべ美奈代みなよ渡辺わたなべ満里奈まりな Sony Music Direct CD MHCL-1736 --くらい --まんまい
BEST 2012ねん11月21にち ザ・プレミアムベスト おニャンクラブ PONY CANYON CD PCCA-03743 --くらい --まんまい
BEST 2015ねん12月16にち シングルレコード復刻ふっこくニャンニャン [通常つうじょうばん] Vol.1 PONY CANYON CD PCCA-04316 --くらい --まんまい
シングルレコード復刻ふっこくニャンニャン [通常つうじょうばん] Vol.2 PCCA-04317 --くらい --まんまい
シングルレコード復刻ふっこくニャンニャン [通常つうじょうばん] Vol.3 PCCA-04318 --くらい --まんまい
シングルレコード復刻ふっこくニャンニャン [通常つうじょうばん] Vol.4 PCCA-04319 --くらい --まんまい
シングルレコード復刻ふっこくニャンニャン [通常つうじょうばん] Vol.5 PCCA-04320 --くらい --まんまい
シングルレコード復刻ふっこくニャンニャン [通常つうじょうばん] Vol.6 PCCA-04321 --くらい --まんまい
シングルレコード復刻ふっこくニャンニャン [通常つうじょうばん] Vol.7 PCCA-04322 --くらい --まんまい
シングルレコード復刻ふっこくニャンニャン [通常つうじょうばん] Vol.8 PCCA-04323 --くらい --まんまい
BEST 2017ねん07がつ19にち プラチナムベスト おニャンクラブ PONY CANYON CD PCCA-50276 --くらい --まんまい

企画きかくアルバム[編集へんしゅう]

発売はつばい タイトル レーベル 形態けいたい 規格きかく品番ひんばん 最高さいこう 売上うりあげ枚数まいすう
企画きかく 1986ねん12月05にち MERRY X'MAS FOR YOU CBS SONY LP 25AH2095 3 8.4まんまい
企画きかく 1986ねん12月21にち NON-STOP おニャン CANYON CT 28P6616 21 1.7まんまい
1993ねん11月19にち PONY CANYON CD PCCA-00507
企画きかく 1987ねん03月21にち 会員かいいん番号ばんごううた/しん会員かいいん番号ばんごううた FOR LIFE CT 10C-5 --くらい --まんまい
LIVE 1987ねん06がつ03にち おニャンSailingゆめ工場こうじょう'87LIVE CANYON LP C42A0590 3 6.4まんまい
EPIC SONY CT 28•6H-237 5
CBS SONY CD 32DH681 7
企画きかく 1987ねん12月09にち 年玉としだま CBS SONY CD 25AH-2279 20 2.1まんまい
企画きかく 1987ねん12月16にち トライアングル PONY CANYON CD D32P-6191 --くらい --まんまい
CT 28P6761
REMIX 2000ねん09がつ20日はつか EURO おニャン PONY CANYON CD PCCA-01469 69 0.4まんまい
企画きかく 2005ねん07がつ27にち 30-35 VOL.3 「おニャンクラブ」特集とくしゅう Sony Music Direct CD MHCL-523 144 0.2まんまい
企画きかく 2006ねん09がつ20日はつか デビューアルバムにはりとして… おニャンクラブへん PONY CANYON CD PCCA-02332 --くらい --まんまい
企画きかく 2012ねん06がつ04にち 青春せいしゅん爆発ばくはつかえってきたおニャンたち PONY CANYON CD BHST-118 --くらい --まんまい

CD-BOX[編集へんしゅう]

発売はつばい タイトル レーベル 規格きかく品番ひんばん 最高さいこう 売上うりあげ枚数まいすう
CD
BOX
2008ねん9がつ17にち おニャンクラブだい全集ぜんしゅう for HiQualityCD じょう下巻げかん 限定げんていCD-BOX PONY CANYON PCCA-50002 --くらい --まんまい
CD
BOX
2015ねん3がつ18にち 結成けっせい30周年しゅうねん記念きねんCD-BOX シングルレコード復刻ふっこくニャンニャン PONY CANYON PCCA-50002 189 0.04まんまい

映像えいぞう作品さくひん[編集へんしゅう]

ビデオ[編集へんしゅう]

タイトル 発売はつばい レーベル 形態けいたい 規格きかく品番ひんばん
1st 課外かがい授業じゅぎょう 1985ねん11月16にち PONY VIDEO VHS V78M-1286
βべーた X78M-1286
LD G68M-0075
1999ねん03月17にち PONY CANYON VHS
(再発さいはつ)
PCVP-52583
2nd 臨海りんかい学校がっこう 1986ねん02がつ21にち PONY VIDEO VHS V78M-1320
βべーた X78M-1320
LD G68M-0090
1999ねん03月17にち PONY CANYON VHS
(再発さいはつ)
PCVP-52584
3rd 全国ぜんこく縦断じゅうだんコンサート あぶな〜い課外かがい授業じゅぎょう 1986ねん05月21にち PONY VIDEO VHS V88M-1362
βべーた X88M-1362
LD G78M-0109
1999ねん03月17にち PONY CANYON VHS
(再発さいはつ)
PCVP-52585
4th 海外かいがい出張しゅっちょう 1986ねん09月21にち PONY VIDEO VHS V88M-1414
βべーた X88M-1414
LD G88M-0135
1999ねん03月17にち PONY CANYON VHS
(再発さいはつ)
PCVP-52586
5th おニャンザ・ムービー 危機ききイッパツ! 1986ねん11月15にち PONY VIDEO VHS V128F-1434
βべーた X128F-1434
LD G98F-0151
1999ねん03月17にち PONY CANYON VHS
(再発さいはつ)
PCVP-10088
2002ねん03がつ20日はつか PONY CANYON DVD PCBC-70193
6th 卒業そつぎょう記念きねんSPRINGコンサート Sailing ゆめ工場こうじょう 1987ねん05月15にち PONY VIDEO VHS V98M-1487
βべーた X98M-1487
LD G88M-0195
7th おニャンクラブ CDV GOLD 1987ねん10がつ21にち PONY CANYON CDV
[ちゅう 14]
E24A-1007
8th おニャンクラブ解散かいさん記念きねん 全国ぜんこく縦断じゅうだんファイナルコンサート 1987ねん10がつ31にち PONY VIDEO VHS V128M-1570
CBS SONY βべーた 00QH145~6
LD OOLH145~6
1999ねん03月17にち PONY CANYON VHS
(再発さいはつ)
PCVP-52587
9th まごだいまでおニャンクラブ 1988ねん01がつ21にち PONY VIDEO VHS V48M-1590
CBS SONY LD 48LH158
10th おニャンPANIC卒業そつぎょう記念きねんコンサート 2003ねん10がつ16にち PONY CANYON DVD PCBC-50449
11th ゆうやけニャンニャン おニャン白書はくしょ 1985ねん4〜6がつ 2004ねん06月16にち PONY CANYON DVD PCBC-50539
12th ゆうやけニャンニャン おニャン白書はくしょ 1985ねん7〜8がつ 2004ねん10がつ20日はつか PONY CANYON DVD PCBC-50599
13th ゆうやけニャンニャン おニャン白書はくしょ 1985ねん9〜11月 2005ねん04がつ27にち PONY CANYON DVD PCBC-50706
14th ゆうやけニャンニャン おニャン白書はくしょ 棚卸たなおろ総決算そうけっさん'85/12月 2005ねん12月07にち PONY CANYON DVD PCBC-50893

DVD-BOX/VHS-BOX[編集へんしゅう]

タイトル 発売はつばい レーベル 形態けいたい 規格きかく品番ひんばん
1st おニャンクラブ メモリーズ
 《VHS:1》『全国ぜんこく縦断じゅうだんファイナルコンサート (前半ぜんはん)』
 《VHS:2》『全国ぜんこく縦断じゅうだんファイナルコンサート (後半こうはん)』
 《VHS:3》『まごだいまでおニャンクラブ』
1996ねん12がつ10日とおか PONY CANYON VHS
BOX
95DV-4064
2nd おニャンクラブ「最終さいしゅうばん」〜the final episode〜
 《DISC:1》『課外かがい授業じゅぎょう』/『臨海りんかい学校がっこう
 《DISC:2》『全国ぜんこく縦断じゅうだんコンサート あぶな~い課外かがい授業じゅぎょう』/『海外かいがい出張しゅっちょう
 《DISC:3》『卒業そつぎょう記念きねんSPRINGコンサート Sailing ゆめ工場こうじょう
 《DISC:4》『全国ぜんこく縦断じゅうだんファイナルコンサート』
 《DISC:5》『特典とくてん映像えいぞう 蔵出くらだし「ゆうやけニャンニャン」』
2002ねん04がつ17にち PONY CANYON DVD
BOX
PCBC-50206
3rd おニャンクラブ 公開こうかい映像えいぞう ザ・バックステージ
 《DISC:1》『公開こうかい映像えいぞう ザ・バックステージ リハーサルへん
 《DISC:2》『公開こうかい映像えいぞう ザ・バックステージ ツアー&バックステージへん
 《DISC:3》『公開こうかい映像えいぞう ザ・バックステージ 武道館ぶどうかんコンサートへん
 《DISC:4》『さい結成けっせいシングル参加さんかメンバーからメッセージ』(DVDBOXのみ)
2002ねん12月04にち PONY CANYON DVD
BOX
PCBC-50334
VHS
BOX
PCVC-11273
PCVC-11274
PCVC-11275
4th おニャンクラブ in 月曜げつようドラマランド BOX 1
 《DISC:1》『ボクの婚約こんやくしゃ(フィアンセ)』
 《DISC:2》『もしかして婚約こんやくしゃ!?』
 《DISC:3》『いきなり婚約こんやくしゃ
 《DISC:4》『秋元あきもとやすしとおニャンクラブ()爆笑ばくしょう対談たいだん!!』
2005ねん10がつ19にち PONY CANYON DVD
BOX
PCBC-60775
5th おニャンクラブ in 月曜げつようドラマランド BOX 2
 《DISC:1》『さん代目だいめはおニャン嬢様じょうさま!?花吹雪はなふぶき893くみ
 《DISC:2》『おニャン学園がくえん危機ききイッパツ とんだ放課後ほうかご
 《DISC:3》『おニャン捕物とりものちょう なぞ村雨むらさめじょう
 《DISC:4》『秋山あきやまやすしとおニャンクラブメンバーのいまだからかたれる爆笑ばくしょう対談たいだん
2005ねん11月16にち PONY CANYON DVD
BOX
PCBC-60883

タイアップきょく[編集へんしゅう]

楽曲がっきょく タイアップ
ふくがさないで フジテレビけいゆうやけニャンニャン』テーマソング
およしになってねTEACHER
じゃあね
おっとCHIKAN!
さき失礼しつれい 東宝とうほう映画えいがおニャンザ・ムービー 危機ききイッパツ!主題歌しゅだいか
こいはくえすちょん フジテレビけいアニメ『あんみつひめ』オープニングテーマ
あんみつだい作戦さくせん フジテレビけいアニメ『あんみつひめ』エンディングテーマ
NO MORE 恋愛れんあいごっこ フジテレビけいゆうやけニャンニャン』テーマソング
ウェディングドレス

出演しゅつえん[編集へんしゅう]

映画えいが[編集へんしゅう]

バラエティ[編集へんしゅう]

テレビドラマ[編集へんしゅう]

音楽おんがく番組ばんぐみ[編集へんしゅう]

ラジオ[編集へんしゅう]

CM[編集へんしゅう]

コンサート[編集へんしゅう]

開催かいさいねん タイトル 詳細しょうさい
1985ねん ファーストコンサート
KICK OFF
1986ねん 全国ぜんこく縦断じゅうだんコンサート
あぶな〜い課外かがい授業じゅぎょう
1986ねん 全国ぜんこく縦断じゅうだんコンサート
おニャンPANIC
1987ねん 卒業そつぎょう記念きねん1987おニャンクラブSPRINGコンサート
おニャンSailing・ゆめ工場こうじょう
1987ねん おニャンクラブ解散かいさん記念きねん
全国ぜんこく縦断じゅうだんファイナルコンサート

解散かいさんコンサート[編集へんしゅう]

1987ねん9がつ20日はつか日曜日にちようび)、国立こくりつ代々木よよぎ競技きょうぎじょうだいいち体育館たいいくかんではおニャンクラブ解散かいさんコンサートがおこなわれ、全国ぜんこくから3まんにんちかいファンがあつまった。また会場かいじょうまえ広場ひろばには チケットをれられなかったすうひゃくにんのファンがせ、そのかず原宿はらじゅくえきわた歩道橋ほどうきょうまでくすほどであった。そうしたファンはみな一丸いちがんとなって会場かいじょうからかすかにこえてくる歌声うたごえきながら声援せいえんおくっていた。

しかし、最終さいしゅう公演こうえんのアンコールにかったとき一部いちぶのファンが暴走ぼうそう。「めー!!」の合図あいずとも親衛隊しんえいたい中心ちゅうしんとしたすうじゅうにんくちのガラスをりたたみ椅子いするなどして乱入らんにゅう、これにつられてのファンすうひゃくにんも「おれたちだってなかはい権利けんりがあるんだ!」とさけびながら警備けいびいん制止せいしって一気いっきになだれんだ(このいちけん翌日よくじつのニュースやスポーツ新聞しんぶんおおきくとりげられている)。

これ以後いご毎年まいとし9がつ20日はつかにファン有志ゆうし代々木よよぎ競技きょうぎじょうちかくの代々木公園よよぎこうえんあつまって集会しゅうかい解散かいさんコンサートのビデオ上映じょうえいかい)がおこなわれている。[69]

さい結成けっせい企画きかく[編集へんしゅう]

とし 項目こうもく 参加さんかメンバー
1993ねん TBSテレビ
日本にっぽんレコード大賞たいしょう
1994ねん フジテレビけい
花王かおうファミリースペシャル

『ザ・同窓会どうそうかい
1994ねん 毎日放送まいにちほうそう
テレビのツボ
ふかしニャンニャンファイナル!】
1996ねん フジテレビの
復活ふっかつゆうやけニャンニャン』
1997ねん フジテレビけい
ザッツお台場だいばエンターテイメント!
1997ねん フジテレビけい
とんねるずのハンマープライス
学園がくえんさいゆうニャンをする権利けんり
2002ねん さい結成けっせい記念きねんシングル
ショーミキゲン
2005ねん 『おニャンクラブ in 月曜げつようドラマランド BOX2』
発売はつばい記念きねんイベント
2010ねん サントリーBOSS 贅沢ぜいたくほろとう」テレビCM
『おニャンさい結成けっせい!?』
2010ねん フジテレビけい
ボクらの時代じだい
2010ねん 日本にほんテレビけい
ちょう豪華ごうか‼︎スタア同窓会どうそうかい ゲゲゲッ!の再会さいかいSP』
2010ねん TBSテレビけい
『スパモク‼︎ 最強さいきょう女子じょしりょく決定けっていせん‼︎ アイドルねんバトル』
2010ねん ニッポン放送にっぽんほうそう
『おニャンクラブのオールナイトニッポンGOLD
2011ねん 日本にほんテレビけい
歴代れきだいトップアーティストだい集合しゅうごう! 1をとったアノコンサート』
2011ねん テレビ東京てれびとうきょう
くだまき八兵衛はちべえX
2011ねん 日本にほんテレビけい
くりぃむしちゅーの最強さいきょうアイドルだい百科ひゃっか
2011ねん 日本にほんテレビけい
なるほど!ハイスクール
2012ねん フジテレビけい
HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP
2012ねん 『KiBERA』
しん商品しょうひん発表はっぴょうかい
2014ねん おニャンクラブ結成けっせい30周年しゅうねん記念きねんCD-BOX
シングルレコード復刻ふっこくニャンニャン
商品しょうひん内容ないよう紹介しょうかい動画どうが[70]
2018ねん 日本にほんテレビけい
THE MUSIC DAY
2022ねん 日本にほんテレビけい
しゃべくり007

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 元号げんごうでは昭和しょうわ60年代ねんだい男女だんじょ雇用こよう機会きかい均等きんとうほう成立せいりつしてバブル世代せだい女性じょせい社会しゃかい進出しんしゅつした時期じきである。
  2. ^ 活動かつどう中期ちゅうきの1986ねん8がつと9がつに、中学生ちゅうがくせい加入かにゅうしてきたメンバーたち5にんくくられた「おニャンクラブBぐみ」もつくられた。高校生こうこうせい以上いじょう構成こうせいされる本体ほんたいのおニャンクラブとは区分くぶんされていたが、1987ねん4がつにBぐみのメンバーが全員ぜんいん高校生こうこうせいになって本体ほんたい昇格しょうかくしたことで、発展はってんてき解消かいしょうした。
  3. ^ 正式せいしき発表はっぴょうがあったわけではなく、『ゆうやけニャンニャン』の台本だいほん会員かいいん名簿めいぼ画像がぞう確認かくにんすると、9がつ10日とおかには名前なまえ記載きさいされているが、よく9がつ11にちには記載きさいされていない。よって1985ねん9がつ10日とおか最終さいしゅう出演しゅつえん推察すいさつされる。
  4. ^ 学校がっこう退学たいがくしたため、番組ばんぐみ規定きてい学校がっこうからの許可きょか学校がっこうとの両立りょうりつ活動かつどう絶対ぜったい条件じょうけん)にはんするとして脱退だったい
  5. ^ 正式せいしき発表はっぴょうがあったわけではなく、『ゆうやけニャンニャン』へ最後さいご出演しゅつえんとなった日付ひづけ
  6. ^ a b c 当時とうじはまだ番組ばんぐみないでの「卒業そつぎょうしき」をおこなったことがなかったため、脱退だったい公式こうしき発表はっぴょうせず、ある突如とつじょ番組ばんぐみから姿すがたかたちとなった。
  7. ^ 学校がっこうからも除籍じょせき処分しょぶん自主じしゅ退学たいがくみとめられない退学たいがく処分しょぶん)になった。
  8. ^ 学校がっこう許可きょかずに合格ごうかくしたため、学校がっこうからも除籍じょせき処分しょぶん自主じしゅ退学たいがくみとめられない退学たいがく処分しょぶん)になった。
  9. ^ 合格ごうかく熱狂ねっきょうてきなファンが自宅じたく周辺しゅうへんまでかまえ、けるひとし、プライバシーのない生活せいかつになってしまい、本人ほんにんから脱退だったいもうた。
  10. ^ 銀河ぎんが計画けいかく』は豊田商事とよたしょうじ事件じけん問題もんだいとなった詐欺さぎ会社かいしゃ名称めいしょうであり、つまりは、当時とうじのフジテレビの「公然こうぜんやらせ」路線ろせんのメディア戦略せんりゃくが、アイドルの世界せかいにおける詐欺さぎ商法しょうほうであるというアイロニカルな呼称こしょうであった[47]
  11. ^ 河合かわいその渡辺わたなべ美奈代みなよ工藤くどう静香しずか高井たかい麻巳子まみこ岩井いわい由紀子ゆきこ我妻あづま佳代かよらなどは、おニャンクラブ所属しょぞくまえからレコード会社かいしゃ芸能げいのう事務所じむしょ所属しょぞくしていた。
  12. ^ おニャンクラブBぐみのまま脱退だったいした2人ふたりと『ゆうやけニャンニャン』番組ばんぐみ末期まっき短期間たんきかんだけ在籍ざいせきした外国がいこくじん研修生けんしゅうせい1にんにはあたえられなかった。
  13. ^ かく方面ほうめん」とおことわりしたのちつぎのランキングの歌手かしゅがフジテレビからの中継ちゅうけいとなり、っかけマンの松宮まつみや一彦かずひこ中継ちゅうけい冒頭ぼうとうで「こちらかく方面ほうめんです」と揶揄やゆすることがあった。こうした現象げんしょうきたのは、バラエティ部門ぶもんにおける当時とうじのおニャンクラブのプロデューサーだった石田いしだひろし確執かくしつのあった横澤よこざわぴょうおよび、石田いしだ距離きょりいていたおうひがしじゅん制作せいさくはんや、ドラマ部門ぶもん制作せいさくはんが『ザ・ベストテン』との関係かんけいわるくなかったことから中継ちゅうけい部隊ぶたい許可きょかしたためだった。
  14. ^ CDVは、CDプレーヤー音声おんせい部分ぶぶん(オーディオパート)がやく20ふんLDプレーヤー映像えいぞう部分ぶぶん(ビデオパート)がやく5ふん再生さいせい可能かのうなメディアで、オーディオパート4きょくとビデオパート1きょく構成こうせいされている。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

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  2. ^ 世相せそう風俗ふうぞく観察かんさつかい 2001, p. 370,387,393-394.
  3. ^ おニャンクラブと永遠えいえんのグループアイドル 2003, pp. 22–25.
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  5. ^ 世相せそう風俗ふうぞく観察かんさつかい 2001, p. 370.
  6. ^ 「'80年代ねんだいいろどったアイドルたち」『ORICON WEEKLY』1989ねん12月25にちごうオリジナルコンフィデンス、32ぺーじ 
  7. ^ a b c 世相せそう風俗ふうぞく観察かんさつかい 2001, p. 387.
  8. ^ 神田かんだ文人もんと小林こばやし英夫ひでお へん増補ぞうほ完全かんぜんばん 昭和しょうわ平成へいせい 現代げんだい年表ねんぴょう小学館しょうがくかん、2019ねん7がつ6にち、129ぺーじISBN 978-4-09-626329-7。C0021。 
  9. ^ 昭和しょうわぜん記録きろく毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ、1989ねん3がつ5にち、1186ぺーじISBN 4-620-80210-7。C0521。 
  10. ^ いねぞう 1993, p. 179.
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  31. ^ オリコン年鑑ねんかん'87 1987, p. 255.
  32. ^ オリコン年鑑ねんかん'87 1987, p. 38.
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  35. ^ a b 「おニャン旋風せんぷう きょうレコードかいの“救世主きゅうせいしゅ”」『朝日新聞あさひしんぶん』1986ねん7がつ17にちづけ東京とうきょう夕刊ゆうかん、15ぺーじ
  36. ^ a b おニャン白書はくしょ 1987, p. 132.
  37. ^ 「おニャン速報そくほう!6めい予備よびぐん入学にゅうがくうたにドラマに登場とうじょう」『ザテレビジョン』1986ねん8がつ29にちごう角川書店かどかわしょてん、38ぺーじ 
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  39. ^ オリコン年鑑ねんかん'87 1987, p. 39.
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  64. ^ 「『紅白こうはく出場しゅつじょうせず」中森なかもり明菜あきなの「おニャンクラブ」きら伝説でんせつ スタッフに「自分じぶんたちがずかしくないの?」
  65. ^ いねぞう 1993, p. 209.
  66. ^ 安倍あべやすし「'86なつポップスこう おニャン現象げんしょう」『朝日新聞あさひしんぶん』1986ねん8がつ9にちづけ東京とうきょう夕刊ゆうかん、3めん
  67. ^ 北川きたがわ 1999, p. 156.
  68. ^ おニャンクラブがCMで限定げんてい復活ふっかつ! 11めいさい結集けっしゅうし「ふくがさないで」をうたおど”. オリコン顧客こきゃく満足まんぞくランキング(運営うんえいoricon ME) (2010ねん1がつ21にち). 2019ねん8がつ13にち閲覧えつらん
  69. ^ 2010ねん10がつ5にち放送ほうそう日本テレビ放送網にほんてれびほうそうもうちょう豪華ごうか!!スタア同窓会どうそうかい ゲゲゲッ!の再会さいかいSP」より
  70. ^ メンバーによる紹介しょうかい動画どうが公開こうかい!「おニャン結成けっせい30周年しゅうねん記念きねんCD-BOX」最新さいしん情報じょうほう”. 2022ねん8がつ26にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

著書ちょしょ
へんしょ
  • こニャンコクラブ へん『おニャン白書はくしょ』フジテレビ出版しゅっぱん、1987ねん8がつ24にちISBN 4-594-00169-6。C0076。 
  • 小池こいけさとしぎょう へん『オリコン年鑑ねんかん'86 ―歌謡かよう音楽おんがくのすべて』オリジナルコンフィデンス、1986ねん5がつ1にちISBN 4-87131-017-5。C0002。 
  • 小池こいけさとしぎょう へん『オリコン年鑑ねんかん'87 ―歌謡かよう音楽おんがくのすべて』オリジナルコンフィデンス、1987ねん5がつ1にちISBN 4-87131-018-3。C0002。 
  • 世相せそう風俗ふうぞく観察かんさつかい へん現代げんだい風俗ふうぞく年表ねんぴょう 昭和しょうわ20ねん(1945)~平成へいせい12ねん(2000)』河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ、2001ねん2がつ28にちISBN 4-309-24241-3。C0039。 
  • フジテレビ調査ちょうさ へんたのしくなければテレビじゃない 80年代ねんだいフジテレビの冒険ぼうけん』フジテレビ出版しゅっぱん、1986ねん11月13にちISBN 4-89353-115-8。C0070。 
  • 北川きたがわ純子じゅんこ へんひびせい 日本にっぽんのポピュラー音楽おんがくとジェンダー』勁草書房しょぼう、1999ねん9がつ20日はつかISBN 4-326-85163-5。C3073。 
  • こニャンクラブ へん『まいどおニャン』フジテレビ出版しゅっぱん、1987ねん5がつ30にちISBN 4-89353-142-5。C0076。 
ムック

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

  1. ^ 「ニュージャパニーズの襲来しゅうらい 現代げんだいタレントぞう ねずみっクラブ」『月刊げっかんアドバタイジング』1993ねん1がつごう、74-76ぺーじNDLJP:2262128/39

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]