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戦時猛獣処分 - Wikipedia コンテンツにスキップ

戦時せんじ猛獣もうじゅう処分しょぶん

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
昭和しょうわ18ねん(1943ねん)、猛獣もうじゅう処分しょぶんとなった上野動物園うえのどうぶつえんの「ジョン」。8月29にち絶食ぜっしょくによる餓死がし

戦時せんじ猛獣もうじゅう処分しょぶん(せんじもうじゅうしょぶん)とは、戦争せんそうどきにおいて動物どうぶつえん猛獣もうじゅう逃亡とうぼうして被害ひがいおよぼすのを未然みぜん防止ぼうしする目的もくてきで、ころせ処分しょぶんすることをう。

歴史れきしじょうでは、連合れんごう国軍こくぐんによる本土ほんど空襲くうしゅうそなえてだい世界せかい大戦たいせんなか日本にっぽんおこなわれた一連いちれん事件じけんられており[1]日本にっぽんではこの事件じけんすのが慣用かんようである。また、だい世界せかい大戦たいせんイギリスドイツでも逃亡とうぼう防止ぼうしのためころせ処分しょぶんおこなわれたれいがある。

他方たほう危機ききさいしてもころせ処分しょぶんおこなわなかった動物どうぶつえんもあり、空襲くうしゅうまれての死亡しぼうれいベルリン空襲くうしゅうときなど)もられる。べつに、食料しょくりょう供給きょうきゅう目的もくてき食肉しょくにく加工かこうようころせ処分しょぶん実施じっししたれいもある(ひろしふつ戦争せんそうどきカストルとポルックスなど)。

日本にっぽんにおける戦時せんじ猛獣もうじゅう処分しょぶん

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日本にっぽんではだい世界せかい大戦たいせんちゅう1943ねん昭和しょうわ18ねん以降いこうに、日本にっぽん各地かくち動物どうぶつえん戦時せんじ猛獣もうじゅう処分しょぶんおこなわれた。この措置そちぐんではなく、都道府県とどうふけん市町村しちょうそんなどの行政ぎょうせい機関きかんによってめいじられた。飼料しりょう不足ふそくかさなって、多数たすう飼育しいく動物どうぶつ戦争せんそうちゅう死亡しぼうした。

経緯けいい

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日本にっぽんでは、にちちゅう戦争せんそうなか1939ねん昭和しょうわ14ねんごろから空襲くうしゅう猛獣もうじゅう脱走だっそう対策たいさく本格ほんかくてき検討けんとうされるようになった。1939ねん5がつひらかれたはつ全国ぜんこく動物どうぶつ園長えんちょう会議かいぎ日本動物園水族館協会にほんどうぶつえんすいぞくかんきょうかい)では、研究けんきゅう課題かだいひとつとして空襲くうしゅう猛獣もうじゅう脱走だっそう対策たいさくげられ、おり防護ぼうごころせ処分しょぶんなどが検討けんとうされた。これは、当時とうじ日本にっぽんりょうだった台湾たいわん中国ちゅうごく空軍くうぐんによる渡洋とよう爆撃ばくげきおこなわれたのをまえての研究けんきゅうであった[2]。1936ねん昭和しょうわ11ねん)の上野動物園うえのどうぶつえんクロヒョウ脱走だっそう事件じけん以降いこう上野動物園うえのどうぶつえん毎年まいとしおこなわれていた猛獣もうじゅう捕獲ほかく訓練くんれんも、1939ねんのものは「空襲くうしゅうによりおり破壊はかいされて脱走だっそうした」との想定そうてい実施じっしされた[3]東山ひがしやま動物どうぶつえんでも、防空ぼうくう演習えんしゅう一環いっかんとしてころせ処分しょぶん訓練くんれんおこなわれている。

日米にちべい関係かんけい悪化あっかして太平洋戦争たいへいようせんそうせまった1941ねん昭和しょうわ16ねん)7がつには、陸軍りくぐん東部とうぶぐん司令しれいから上野動物園うえのどうぶつえんたいし、非常時ひじょうじにおける対策たいさく要綱ようこう提出ていしゅつするように指示しじた。これにおうじ、上野うえの動物どうぶつえんでは『動物どうぶつえん非常ひじょう処置しょち要綱ようこう』を作成さくせいして提出ていしゅつした。この要綱ようこうでは、飼育しいく動物どうぶつ危険きけんべつに4分類ぶんるいし、実際じっさい空襲くうしゅうはじまって火災かさいなどがせまった場合ばあいには危険きけんたかいものからころせ処分しょぶんする計画けいかくになっていた(詳細しょうさい後述こうじゅつ)。処分しょぶん方法ほうほう薬殺やくさつ原則げんそくとして、投薬とうやくりょうリストをまとめるとともに、緊急きんきゅうには銃殺じゅうさつするものとしていた。日米にちべい開戦かいせん1942ねん昭和しょうわ17ねん)4がつドーリットル空襲くうしゅうがあると、空襲くうしゅう脅威きょういは、より現実げんじつてきなものとして意識いしきされはじめた[4]

逃亡とうぼう予防よぼう目的もくてきとした戦時せんじ猛獣もうじゅう処分しょぶん実際じっさいはじまったのは、1943ねん昭和しょうわ18ねん)の上野うえの動物どうぶつえん皮切かわきりである。8月11にちゾウ1とうころせ処分しょぶんまったのを最初さいしょに、8がつ16にちには新任しんにん大達おおだち茂雄しげお東京とうきょう長官ちょうかんからぜん猛獣もうじゅうころせ処分しょぶん命令めいれいくだった。この命令めいれいしたがって、上野うえの動物どうぶつえんではゾウやライオンなど14しゅ27とう薬殺やくさつ餓死がしによりころせ処分しょぶんされた[注釈ちゅうしゃく 1]大達おおだちは、長官ちょうかん着任ちゃくにんまえには日本にっぽんぐん占領せんりょうシンガポール昭南しょうなんとう)で軍政ぐんせい担当たんとうしていたため、戦況せんきょう悪化あっか熟知じゅくちしており、疎開そかいなどの本土ほんど空襲くうしゅう対策たいさく熱心ねっしんであった[5]猛獣もうじゅう処分しょぶんめいじた大達おおだち真意しんいについて、上野うえの動物どうぶつ園長えんちょうだった古賀こがただしどうは、被害ひがい予防よぼうというよりも国民こくみん危機きき意識いしきたかめることにあったのではないかと推測すいそくしているが[6]明確めいかく史料しりょう真相しんそう不明ふめいである[7]東京とうきょうでは、上野うえの以外いがいにもかしら自然しぜん文化ぶんかえんでも、同様どうようクマ2とうころせ処分しょぶんとなった[8]

前述ぜんじゅつ上野うえの動物どうぶつえん非常ひじょう措置そちけて、日本にっぽん全国ぜんこく巡業じゅんぎょうしていたサーカスだんなどが飼育しいくしていた猛獣もうじゅう処遇しょぐう社会しゃかいてき問題もんだいとなった。1948ねん時点じてん日本にっぽん国内こくないのサーカスだんにはライオン51とう、ゾウ11とう、クマ8とう、ヒョウ6とう、トラ2とうなどが飼育しいくされていたほか、サーカスだん所属しょぞくしない「猛獣もうじゅう使づかい」も複数ふくすう動物どうぶつ飼育しいくしていた。同年どうねん9がつ内務省ないむしょう警視庁けいしちょうだい日本にっぽん興業こうぎょう協会きょうかい仮設かせつ興行こうぎょう猛獣もうじゅう飼養しよう都市としがい限定げんていすること、警戒けいかい警報けいほう発令はつれい興行こうぎょう中止ちゅうしすることをもとめるとともに、射殺しゃさつ準備じゅんびやあらかじめ「懇篤こんとく処置しょち」をほどこすことももとめた[9]。 これらの動物どうぶつについては、1943ねん10がつ警視庁けいしちょうから処分しょぶん命令めいれいされ、ライオン52とうなどが処分しょぶん対象たいしょうとなった[8]が、動物どうぶつ行方ゆくえ不明ふめいである。

その1944ねん昭和しょうわ19ねん前半ぜんはんから、日本にっぽん各地かくちほか動物どうぶつえんでも本格ほんかくてき戦時せんじ猛獣もうじゅう処分しょぶんおこなわれた。1944ねん3がつ宝塚たからづか動植物どうしょくぶつえん大阪おおさか市立しりつ動物どうぶつえん(10しゅ25とう処分しょぶん)、京都きょうと動物どうぶつえん(13とう処分しょぶん)が実施じっししたほか、仙台せんだい市立しりつ動物どうぶつえん福岡ふくおか記念きねん動物どうぶつえん(6がつ6にち)もつづいた[10]愛知あいちけん東山ひがしやま動物どうぶつえんでは、1943ねん10がつ-11月にライオン2とう(うち1とう試射ししゃよう)とクマ1とうだけはぐん要請ようせいけた市長しちょう指示しじによってころせ処分しょぶんされたが、のこりのおおくは立地りっち条件じょうけんさやきたおう英一ひでかず園長えんちょうなど当時とうじえん関係かんけいしゃ努力どりょく懇願こんがんによって猛獣もうじゅう飼育しいくつづけられた。しかし、警備けいび協力きょうりょくするりょうともかいからははげしく非難ひなんされていた。その東山ひがしやま動物どうぶつえんでも、1944ねん12月13にち名古屋なごや空襲くうしゅういたり、「内務省ないむしょうからも射殺しゃさつ命令めいれいた」とするりょうともかいからの強硬きょうこう要請ようせいけて、ついにライオン2とうヒョウ2とうトラ1とう・クマ2とう銃殺じゅうさつした。数日すうじつにも、のこるクマ8とう処分しょぶんされた[11]

日本にっぽんでの戦時せんじ猛獣もうじゅう処分しょぶんは、直接的ちょくせつてきおおくが都道府県とどうふけんなどの行政ぎょうせい機関きかん命令めいれいや、警防団けいぼうだんなどからの要請ようせいまえた動物どうぶつえん自身じしん判断はんだんによって実施じっしされた。このてんすべての猛獣もうじゅう処分しょぶん軍隊ぐんたい命令めいれいによると説明せつめいされることがあり、『かわいそうなぞう』などのノンフィクション作品さくひんでも軍命ぐんめいれい原因げんいんえがかれていることがおおい。ぐん命令めいれいせつひろまった背景はいけいには、なにもかも軍部ぐんぶせいにして自身じしん責任せきにんのがれようとした戦後せんご風潮ふうちょうがあるとの見方みかたもある[12]。ただし直接的ちょくせつてきぐん命令めいれいによる猛獣もうじゅう処分しょぶんかったわけではなく、京都きょうと動物どうぶつえんではだい16師団しだんより猛獣もうじゅう処分しょぶん命令めいれいはっせられている[13]

ころせ処分しょぶんせずに、安全あんぜん地域ちいき動物どうぶつえん避難ひなんさせることも一部いちぶではおこなわれた。たとえば、東山ひがしやま動物どうぶつえんでは、1943ねん昭和しょうわ18ねん)12月にライオン2とうこうむ自治じちくに政府せいふしたちょうこう動物どうぶつえんへと寄贈きぞうしている[10][注釈ちゅうしゃく 2]。しかし、後述こうじゅつする上野動物園うえのどうぶつえん事例じれいのように、検討けんとうはされながらも実現じつげんしなかったものもある。

このほか、飼料しりょう不足ふそくによる餓死がし頭数とうすう整理せいりのためのころせ処分しょぶん相次あいつぎ、空襲くうしゅうにより死亡しぼうする動物どうぶつた。

終戦しゅうせんときのこっていた動物どうぶつは、ゾウが東山ひがしやま動物どうぶつえんに2とう京都きょうと動物どうぶつえんに1とうもなく餓死がし)、キリン上野うえの動物どうぶつえんに3とう京都きょうと動物どうぶつえんに1とうもなく餓死がし)、チンパンジー東山ひがしやま動物どうぶつえんに1とうなどわずかなかずであった[14]。このゾウが唯一ゆいいつのこっていた東山ひがしやま動物どうぶつえんへはぞう列車れっしゃ各地かくちから運行うんこうされている。

上野うえの動物どうぶつえんにおける戦時せんじ猛獣もうじゅう処分しょぶん

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東京とうきょうでは大達おおだち茂雄しげお東京とうきょう長官ちょうかんが、1943ねん8がつ16にち上野動物園うえのどうぶつえんなどにたいして猛獣もうじゅうころせ処分しょぶん発令はつれいした[1]。これにしたがって上野動物園うえのどうぶつえんでは、ゾウライオントラクマヒョウ毒蛇どくへびなどといった14しゅ27とうころせ処分しょぶんされた[注釈ちゅうしゃく 1]。そのほとんどがえさどくぜての薬殺やくさつで、ほかにワイヤーロープを使つかった絞殺こうさつ餓死がし刃物はものによる処分しょぶんれいもある[15]

前述ぜんじゅつのように、この処分しょぶん命令めいれいはまったく唐突とうとつ発令はつれいされたものではなかった。やく2ねんまえ1941ねん昭和しょうわ16ねん)8がつ11にちには、陸軍りくぐん指示しじこたえて、上野うえの動物どうぶつえんが「動物どうぶつえん非常ひじょう処置しょち要綱ようこう」を作成さくせいし、空襲くうしゅう危機ききせまった場合ばあいころせ処分しょぶん方針ほうしんめていた。どう要綱ようこうでは飼育しいく動物どうぶつ危険きけんにより、「だい一種いっしゅ」であるクマ・ライオン・ゾウ・トラとうから、一番いちばん危険きけんひくい「だいよんしゅカナリアカメなどまでに分類ぶんるいしていた[注釈ちゅうしゃく 3]処置しょち時期じきについては、「だいいち防空ぼうくうれいだい空襲くうしゅうとき処置しょち準備じゅんび完了かんりょうさせ、だいさん空襲くうしゅうによるばくげき火災かさい危険きけん近接きんせつしたるとき近接きんせつ程度ていどおうじてだいいちだいしゅ動物どうぶつ順次じゅんじ処置しょちし、さら危険きけんのおよぶときだい三種さんしゅ動物どうぶつ順次じゅんじ処置しょちす」とさだめられていた。飼育しいく動物どうぶつ収集しゅうしゅうには多大ただいなコストがかかっており、さい取得しゅとく困難こんなんであることから、軽率けいそつころせ処分しょぶんすべきではないとの方針ほうしんであった。処分しょぶん方法ほうほうとしては、薬殺やくさつ第一義だいいちぎとして投薬とうやくりょうさだめ、予備よびてき銃殺じゅうさつとした[16]

処分しょぶん慎重しんちょう方針ほうしん転換てんかんされ、猛獣もうじゅうかんしては予防よぼうてきころせ処分しょぶんおこなうことになったのは、1943ねん昭和しょうわ18ねん)7がつ大達おおだち茂雄しげお東京とうきょう長官ちょうかん就任しゅうにんである。1かげつ以内いない猛獣もうじゅうぜんあたま薬殺やくさつせよとの大達おおだち命令めいれいは、同年どうねん8がつ16にち園長えんちょう代理だいり福田ふくだ三郎さぶろう下達かたつされた。対象たいしょうとなったのは「だい一種いっしゅ」の危険きけん動物どうぶつとされたなかでも半数はんすうきょうにあたる27とうで、うちヒョウ幼体ようたい生後せいごやく半年はんとし)・アメリカバイソン2とうニシキヘビガラガラヘビは8がつ20にち以降いこう追加ついかされた。銃声じゅうせいによる市民しみん不安ふあんけるために、銃殺じゅうさつではなく硝酸しょうさんストリキニーネもちいての薬殺やくさつおも手段しゅだんとすることにした。秘密ひみつ厳守げんしゅするため飼育しいくいん家族かぞくにも処分しょぶん実施じっし口外こうがい禁止きんしとされた。なお、とく気性きしょうあら危険きけんられたゾウの「ジョン」にかんしては、この処分しょぶん命令めいれいよりもまえの8がつ11にちに、公園こうえん課長かちょう福田ふくだ園長えんちょう代理だいりらによってころせ処分しょぶんすることがめられ、すでに13にちから絶食ぜっしょく状態じょうたいとされていた[7]

ころせ処分しょぶん作業さぎょうは、命令めいれい当日とうじつ閉園へいえんから着手ちゃくしゅされた。8月17にちのホクマンヒグマとツキノワグマかく1とう薬殺やくさつはじめに、9月1にちまでのあいだにゾウ1とうふくむ24とうころせ処分しょぶんんだ。ヒョウのハチも、このときころせ処分しょぶんされたうちの1とうである。作業さぎょうはほぼ連日れんじつであったが、解剖かいぼう作業さぎょう後述こうじゅつ疎開そかい検討けんとう関係かんけいやすんだもある。おおくは計画けいかくどおりの薬殺やくさつであったが、どくえさべようとしなかったクロヒョウなどはワイヤー絞殺こうさつ、チョウセンクロクマは投薬とうやくのうえやり刺殺しさつ生餌いきえしかべないために薬殺やくさつ不能ふのうだったニシキヘビは刃物はもの頭部とうぶ切断せつだんといった例外れいがいもある。その、9月11にちにゾウ1とうとヒョウ幼体ようたい1とう、9月23にちにゾウ1とう死亡しぼうしてけい14しゅ・27とうころせ処分しょぶんわった[注釈ちゅうしゃく 1][17]

一連いちれんころせ処分しょぶんなかで、3とうのインドゾウの処分しょぶんとく著名ちょめいである。うち気性きしょうあらい「ジョン」については、命令めいれいくだ以前いぜんの8がつ13にち餓死がしによるころせ処分しょぶん着手ちゃくしゅされ、17にちの8がつ29にち餓死がしした。処分しょぶん命令めいれいにより、のこる2とう餓死がし方法ほうほうころせ処分しょぶんされることになった。飼育しいくがかり菅谷すがやよし一郎いちろうは、気性きしょうあらいジョンは処分しょぶん仕方しかたないとおもっていたが、気性きしょうおだやかで性格せいかくやさしかった「トンキー」と「ワンリー」(別名べつめい花子はなこ」)はなにとかすくってやりたいと、福田ふくだ園長えんちょう代理だいり懇願こんがんしたという。後述こうじゅつのように福田ふくだも、トンキーたちすくため動物どうぶつえんへの譲渡じょうと検討けんとうしたが、大達おおだち反対はんたいついえることとなった。ワンリーは9月11にち最後さいごまでのこったトンキーも9がつ23にち午前ごぜん242ふん餓死がしし、上野うえの動物どうぶつえんのゾウは全滅ぜんめつした。トンキーの場合ばあいじつ絶食ぜっしょく開始かいしから30にちというなが苦痛くつう苦悶くもんちた日々ひびであった。いたぞうしゃ資材しざいとなったが、のちに1945ねん昭和しょうわ20ねん)4がつ13にち東京とうきょう空襲くうしゅう焼夷弾しょういだん多数たすう直撃ちょくげきけて破壊はかいされた[18]

なお、ゾウの処分しょぶん餓死がし方法ほうほうもちいられた経緯けいいについて、当初とうしょ薬殺やくさつこころみられたと福田ふくだ回想かいそうしている。福田ふくだによると、最初さいしょのジョンの場合ばあい食欲しょくよくすために絶食ぜっしょくさせたうえで、硝酸しょうさんストリキニーネをれたどくジャガイモあたえたが、繊細せんさいなゾウにはかってしまいした[19]。そのほかのゾウもおなじようにどくえさけなかったという。毒薬どくやく注射ちゅうしゃこころみられたがあつ皮膚ひふはりさらず失敗しっぱいし、やむなく餓死がしという苦渋くじゅう選択せんたくられたとする。これにたいし、フレデリック・S・リッテン(Frederick S. Litten)は、薬殺やくさつ試行しこうく、最初さいしょから餓死がしさせる方針ほうしんだったのではないかと主張しゅちょうしている。福田ふくだ戦時せんじちゅう日誌にっしには、陸軍りくぐん関係かんけいしゃみずどくぜてトンキーにませようとしたことはかれているが、どくえさについてはれていない。また、毒薬どくやく注射ちゅうしゃかんしては、ぐん関係かんけいしゃがトンキーから採血さいけつおこなったことが記録きろくされており、採血さいけつよう注射ちゅうしゃはりとおるのだから毒薬どくやく注射ちゅうしゃ物理ぶつりてき可能かのうだったはずだと推測すいそくしている[15]

ころせ処分しょぶん命令めいれいくだったのち処分しょぶん回避かいひのための努力どりょくおこなわれていた。16にち命令めいれい伝達でんたつさいに、公園こうえん課長かちょう福田ふくだ園長えんちょう代理だいりらが疎開そかい可能かのうせいはなったものとみられる。名古屋なごや東山ひがしやま動物どうぶつえん仙台せんだい仙台せんだい動物どうぶつえんへ、前者ぜんしゃにはヒョウ2とう・クロヒョウ2とう後者こうしゃにはゾウ1とう要請ようせい手紙てがみが、園長えんちょう代理だいりめいはっせられた。りょう動物どうぶつえんからは好意こういてき回答かいとうせられ、鉄道てつどう手配てはいすすんだが、8がつ23にち大達おおだちみやこ長官ちょうかんから疎開そかい中止ちゅうしせよとの指示しじがあり、疎開そかい計画けいかく破談はだんとなった[20]。そのほか、高松たかまつ栗林公園りつりんこうえん動物どうぶつえんへのヒョウ幼体ようたい譲渡じょうと計画けいかくや、大阪おおさか天王寺てんのうじ動物どうぶつえんへのゾウ・マレーグマ照会しょうかいまんしゅうこくしんきょう動物どうぶつえんからの爬虫類はちゅうるい提案ていあんなどがあったが、すべて実現じつげんしなかった[21]

上野うえの動物どうぶつえんでの戦時せんじ猛獣もうじゅう処分しょぶん実施じっしについては、同年どうねん9がつ2にち公表こうひょうされた。報道ほうどうなどでは「時局じきょく捨身しゃしん動物どうぶつ」としょうされた。9月4にち大達おおだち長官ちょうかん臨席りんせき慰霊いれいさいおこなわれたが、この時点じてんではゾウ2とうはいまだ絶食ぜっしょく状態じょうたい生存せいぞんしていたため、ぞうしゃには鯨幕くじらまくられて目隠めかくしされた。動物どうぶつ死体したい陸軍りくぐん獣医じゅうい学校がっこう協力きょうりょく解剖かいぼうされ、剥製はくせいさらがわとして標本ひょうほん加工かこうされた[22]標本ひょうほんは1943ねんまつまでに出来上できあがり、1944ねん1がつからライオン、ヒョウ、シロクマかく2とう、ヒグマ、トラ、野牛やぎゅう剥製はくせい展示てんじされた[23]。 ゾウ2とうさらがわは、陸軍りくぐん被服ひふくほんしょうへと研究けんきゅう資材しざいとして提供ていきょうされた[17]

以上いじょう逃亡とうぼう予防よぼうのための戦時せんじ猛獣もうじゅう処分しょぶんのほか、上野うえの動物どうぶつえんでは飼料しりょう確保かくほ困難こんなん原因げんいんで、飼育しいく動物どうぶつころせ処分しょぶんによる整理せいり実施じっしされた。上野動物園うえのどうぶつえんでは太平洋戦争たいへいようせんそう開戦かいせんまえには飼料しりょう不足ふそく顕在けんざいしており、肉類にくるい代用だいようとしての魚類ぎょるい使用しよう牧草ぼくそう代用だいようとしての街路がいろじゅ使用しようなどがすすめられていた。1941ねん昭和しょうわ16ねん)2がつには、ヒマラヤグマ3とうとツキノワグマ1とう整理せいりのために射殺しゃさつヤギなどが肉食にくしょくじゅう飼料しりょう転用てんようされた[24]戦況せんきょう悪化あっかとともに飼料しりょう事情じじょうもますます悪化あっかし、1945ねん昭和しょうわ20ねん)にカバ2とう京子きょうこ・マル)が餓死がしによりころせ処分しょぶんされたほか、鳥類ちょうるい多数たすう肉食にくしょくじゅう飼料しりょう転用てんようされてしまった。なお、飼料しりょう不足ふそく空襲くうしゅうのストレスにより、オットセイやチンパンジーが栄養失調えいようしっちょうしている。暖房だんぼうよう燃料ねんりょう不足ふそく深刻しんこくで、熱帯ねったいさん動物どうぶつでは病気びょうき多発たはつした。飼育しいく動物どうぶつ減少げんしょうによりいた施設しせつでは、人間にんげん食肉しょくにくよう家畜かちく飼育しいくがおこなわれた[18]

のち上野動物園うえのどうぶつえんでの戦時せんじ猛獣もうじゅう処分しょぶん実施じっしについては、当時とうじ園長えんちょう代理だいり福田ふくだ三郎さぶろうにより『動物どうぶつえん物語ものがたり』として発表はっぴょうされ、1957ねんには山本やまもと嘉次郎かじろう監督かんとくにより『ぞう』と改題かいだい映画えいがされた。

2010ねん8がつにはいわさだるみこが、後述こうじゅつする童話どうわなどにより有名ゆうめいになった上野うえの動物どうぶつえんにおける猛獣もうじゅう処分しょぶん顛末てんまつを、あらたに調査ちょうさして飼育しいくいん菅谷すがや視点してんえがいた児童じどうノンフィクション小説しょうせつ『ゾウのいない動物どうぶつえん 上野動物園うえのどうぶつえんジョン、トンキー、花子はなこ物語ものがたり』(講談社こうだんしゃあおとり文庫ぶんこ)が出版しゅっぱんされた。

創作そうさく作品さくひん

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戦後せんご本件ほんけん題材だいざいにした創作そうさく作品さくひんがいくつかつくられた。もっともよくられているのは、上野うえの動物どうぶつえんのゾウの悲劇ひげきもとにした土家つちや由岐ゆきゆう童話どうわかわいそうなぞう』(1951ねん)で、同書どうしょとおして戦時せんじ猛獣もうじゅう処分しょぶん以後いご世代せだいひろられることとなった[1]ほかにも、飯森いいもり広一ひろかず漫画まんがトンキー物語ものがたり』(1971ねん)で、藤子とうこ・F・不二雄ふじお漫画まんがドラえもん作中さくちゅうの「ぞうとおじさん」(1973ねんてんとうちゅうコミックス5かん/藤子とうこ・F・雄大ゆうだい全集ぜんしゅう4かん収録しゅうろく)で、それぞれ動物どうぶつえんおこなわれた戦時せんじ猛獣もうじゅう処分しょぶんについてえがいている。映画えいがでは、1957ねん山本やまもと嘉次郎かじろう監督かんとくぞう」が上野動物園うえのどうぶつえんでのゾウのころせ処分しょぶんあつかったシリアスな映画えいがであるが、1949ねん安田やすだ公義きみよし監督かんとくってぞう」はころせ処分しょぶんされないよう動物どうぶつえん飼育しいくいんがゾウをやまなかのがし、終戦しゅうせんでゾウは動物どうぶつえんもどるという内容ないよう喜劇きげき映画えいがである。なお「ってぞう」にはころせ処分しょぶんされなかった東山ひがしやま動物どうぶつえんのゾウ2とう出演しゅつえんしているが、この2とう1947ねん吉村よしむらこう三郎さぶろう監督かんとくぞうった連中れんちゅう」の冒頭ぼうとうにも出演しゅつえんしている。「ぞうった連中れんちゅう」も喜劇きげき映画えいがで、この映画えいが病死びょうししてにくべられるゾウは、戦争せんそうちゅう動物どうぶつえん飼育しいくいん木曽きそ山奥やまおくれてってまもとおしたゾウで、戦後せんごまでのこった日本にっぽん最後さいごのゾウという設定せっていである。

戦後せんご動物どうぶつたち

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だい世界せかい大戦たいせん1949ねん昭和しょうわ24ねん)、上野うえの動物どうぶつえんがある台東たいとう子供こどもたち(台東たいとう子供こども議会ぎかい)からの「きたゾウがたい」という要望ようぼうたいしてインドの首相しゅしょうジャワハルラール・ネルーこたえ、同年どうねん9がつにインド政府せいふから上野動物園うえのどうぶつえんにメスのアジアゾウ1とうおくられた。このゾウは「インディラ」と命名めいめいされたが、ネルー首相しゅしょうむすめでありのち首相しゅしょうとなるインディラ・ガンディーめいであるとされる。

また、おなじ9がつタイからもメスのアジアゾウ1とうおくられており、このゾウは、同国どうこくから戦前せんぜんおくられ戦中せんちゅうころせ処分しょぶんされてしまった「花子はなこ」(ワンリー)にわる代目だいめとして「はな」と命名めいめいされた。なお、はな1954ねん昭和しょうわ29ねん)、誘致ゆうち運動うんどうによって上野うえの動物どうぶつえんからかしら自然しぜん文化ぶんかえんうつされた。2016ねん5がつ26にち 永眠えいみん。 (別項べっこう実在じつざいしたぞう一覧いちらん」も参照さんしょうのこと)。

また、1952ねん上野動物園うえのどうぶつえん飼育しいく企画きかくちょうはやし寿郎としおにより、カバキリンチーターブチハイエナなど48とう動物どうぶつがケニアの動物どうぶつしょうから購入こうにゅうされ(そのなかカラカル2とう喧嘩けんか死亡しぼうしたが、その寄港きこうしたマニラにてヒムネバト2くわわリ、動物どうぶつふたたび48とうになった)、名古屋なごやこう神戸こうべこう横浜よこはまこう陸揚りくあげされた。カバの「重吉しげよし」(東山ひがしやま動物どうぶつえん2001ねんぼつ)、キリンの「タカオ」(上野動物園うえのどうぶつえん1980ねんぼつ)などが有名ゆうめい日本にっぽんのカバのやく半数はんすうは「重吉しげよし」の子孫しそんである)。

だい世界せかい大戦たいせんも、1950ねん朝鮮ちょうせん戦争せんそう勃発ぼっぱつしたさいには日本にっぽんへの戦闘せんとう拡大かくだい危惧きぐされ、動物どうぶつえんでの対策たいさく検討けんとうされている。上野動物園うえのどうぶつえんでは、1950ねんまつから1951ねん1がつにかけて『上野動物園うえのどうぶつえん非常ひじょう事態じたい計画けいかく』『非常ひじょう事態じたい打開だかい計画けいかく資料しりょう』というマニュアルをまとめた。どうえんでは、戦時せんじ猛獣もうじゅう処分しょぶん再現さいげん空襲くうしゅう被害ひがいによる動物どうぶつ死亡しぼうけるため、伊豆いず大島おおしまへの疎開そかいおこな方針ほうしんであった。なお、1951ねん5がつから6がつにかけてゾウの「はな」とライオン1とう伊豆いず大島おおしまへと派遣はけんされているが、これは戦争せんそうとは無関係むかんけいで、平時へいじ移動いどう動物どうぶつえん巡業じゅんぎょう一環いっかんである[25]

ドイツにおける戦時せんじ猛獣もうじゅう処分しょぶん

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ドイツにおいては、動物どうぶつえんによって事前じぜん処分しょぶんおこなわれた施設しせつと、おこなわれなかった施設しせつかれている。開戦かいせん早々そうそうにドイツ西部せいぶ動物どうぶつえんたいして猛獣もうじゅう処分しょぶんせよとの軍命ぐんめいれいされたとのせつがあるが、実際じっさいには一律いちりつ処分しょぶん実行じっこうされたわけではなかった[15]

ベルリン動物どうぶつえんでは事前じぜんころせ処分しょぶんおこなわれなかった。ベルリンでも近隣きんりん住民じゅうみんからはライオンやトラの脱走だっそうおそれるこえがり、職員しょくいんあいだでもゾウやクマの暴走ぼうそう危惧きぐするものはあった。しかし、最後さいごまで事前じぜん処分しょぶん実行じっこうされなかった[15]。そのかわり、戦火せんかによって多数たすう飼育しいく動物どうぶつ死亡しぼうしている。1941ねん9月7にち空襲くうしゅうアンテロープ1とう死亡しぼうしたのを皮切かわきりに、空襲くうしゅう激化げきかした1943ねんにはゾウ7とうやライオン3とうなどが死亡しぼうした。ベルリン市街しがいせんでは壊滅かいめつてき打撃だげきけたが、1944ねんまつ総数そうすうやく900とうのうちライオンやハイエナ、ゾウをふくむ91とう終戦しゅうせんまでのこった[26]

ミュンヘン動物どうぶつえんen)やフランクフルト動物どうぶつえんでは、戦争せんそう後期こうきになって空襲くうしゅうはじまったのちに、ライオンのころせ処分しょぶんおこなわれた[15]

はや時期じき事前じぜん処分しょぶんおこなわれたれいとしては、ヴッパータールのウッパータール動物どうぶつえんen)がげられる。ヴッパータールでは、まやかし戦争せんそう状態じょうたい1940ねん3月15にちに、ヒグマ3とうとホッキョクグマ2とう、ライオン5とう当局とうきょく命令めいれい射殺しゃさつした[15]。その、ヴッパータール動物どうぶつえん空襲くうしゅう被害ひがいこそほとんどけなかったものの、のこりの飼育しいく動物どうぶつ大半たいはんは、戦争せんそう末期まっき混乱こんらんなか職員しょくいん処分しょぶんされたり、略奪りゃくだつにあったりしてうしなわれた。それでも終戦しゅうせんから数日すうじつには営業えいぎょう再開さいかいしたのだった[27]

なお、戦時せんじちゅう連合れんごうこくがわにおいては、「ドイツの動物どうぶつえん猛獣もうじゅうすべ事前じぜんころせ処分しょぶんされた」との事実じじつはんする報道ほうどうがされていた[28]。1943ねんには「空襲くうしゅうのベルリン動物どうぶつえんから動物どうぶつ大量たいりょう脱走だっそうして機関きかんじゅう射殺しゃさつされた」とのあやまった報道ほうどうもあった[15]

また、ドイツでハリー・ピール(en:Harry Piel監督かんとくにより制作せいさくされた映画えいが『パニック』(原題げんだい“Panik”, 1943ねん公開こうかい。1953ねんさい編集へんしゅうばんが“Gesprengte Gitter”として公開こうかい)では、爆撃ばくげきにより動物どうぶつえんから猛獣もうじゅう脱走だっそうするという筋立すじだてになっていた。この映画えいが筋立すじだてについては、1940ねん10がつ13にちフェルキッシャー・ベオバハターによってはやくから紹介しょうかいされており、日本にっぽんにもつたわっていた可能かのうせいがある[15]

イギリスにおける戦時せんじ猛獣もうじゅう処分しょぶん

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イギリスでの実施じっしじょうきょう

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だい世界せかい大戦たいせんドイツぐん本土ほんど空襲くうしゅうバトル・オブ・ブリテン)にさらされたイギリスでも、戦時せんじ猛獣もうじゅう処分しょぶんおこなわれた。

ロンドン動物どうぶつえんでは、開戦かいせんからまもなく、どくヘビとサソリなどの脊椎動物せきついどうぶつ逃亡とうぼう予防よぼうのためにころせ処分しょぶんした。25年間ねんかん爬虫類はちゅうるい担当たんとうしてきた飼育しいくいんは、人目ひとめをはばからずいていた[29]。しかし、そのほかの動物どうぶつ事前じぜんころせ処分しょぶんされたれいく、おおくは被弾ひだんけるために片隅かたすみあつめられ、ゾウなど一部いちぶ希少きしょうせいたか動物どうぶつホィップスネイド野生やせい動物どうぶつえん疎開そかいさせた。また、飼料しりょう不足ふそくから、アシカ2とうはアメリカへと疎開そかいしている。ロンドン動物どうぶつえんけた空襲くうしゅう被害ひがい限定げんていてきで、直撃ちょくげきだんけたシマウマ飼育しいくしゃから1とう逃亡とうぼうしたほか、猿山さるやましがらみ破壊はかいされてアカゲザル逃亡とうぼうした程度ていどだった。脱走だっそうした動物どうぶつは、数日すうじつ以内いないさい捕獲ほかくされた[30]

きたアイルランドベルファスト動物どうぶつえんen)では、1941ねんベルファストがドイツぐんばくげき圏内けんないはいったため、公安こうあんきょく(Ministry of Public Security)の命令めいれいで33とう飼育しいく動物どうぶつころせ処分しょぶんされた。処分しょぶん対象たいしょうにはライオンやオオカミ、ハイエナ、ホッキョクグマなどがふくまれた。処分しょぶん対象たいしょうとなったたねは、戦後せんご1947ねんころさい取得しゅとくされるまでベルファスト動物どうぶつえんではられなかった。一方いっぽう、ゾウは処分しょぶんまぬかれて戦争せんそうびたものがあった[31]なかでも、シェイラ(Sheila)と名付なづけられた子供こどものゾウは、ころせ処分しょぶんけるため、ある飼育しいくいんいえ裏庭うらにわ一時期いちじき夜間やかんかくまわれていた。ベルファスト動物どうぶつえんによるとシェイラを保護ほごしていた人物じんぶつながらく詳細しょうさい不明ふめいで、「ゾウの守護しゅご天使てんし」としょうされてどうえん史上しじょうなぞとされてきたが[32]、2009ねんに、女性じょせい飼育しいくいん一人ひとり母親ははおや一緒いっしょにシェイラをかくまったことが判明はんめいしたという。この女性じょせい飼育しいくいんは、男性だんせい飼育しいくいんたちが出征しゅっせいしたために代用だいよう職員しょくいんとなっていた人物じんぶつで、職員しょくいん帰宅きたくひそかにシェイラをおりからして近所きんじょ自宅じたくかえり、またあさには動物どうぶつえんもどしていた。住民じゅうみん通報つうほう事件じけん発覚はっかくし、女性じょせい飼育しいくいん解雇かいこされたが、以後いご空襲くうしゅうよるには動物どうぶつえんおとずれてシェイラがおびえないようなだめていたという[33]

イギリスの戦時せんじ猛獣もうじゅう処分しょぶんかんする創作そうさく作品さくひん

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創作そうさく作品さくひんでイギリスでの戦時せんじ猛獣もうじゅう処分しょぶんかかわるものとして、ジョン・ディクスン・カー推理すいり小説しょうせつ爬虫類はちゅうるいかん殺人さつじん』(原題げんだいHe Wouldn't Kill Patience”, 1944ねん発表はっぴょう)がげられる。作中さくちゅうでは、1941ねんロンドン舞台ぶたいに、ある動物どうぶつえんたいどくヘビのころせ処分しょぶん政府せいふからもとめられているという設定せっていになっている。

アメリカにおける戦時せんじ猛獣もうじゅう処分しょぶん計画けいかく

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アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくでも、だい世界せかい大戦たいせんには日本にっぽんぐんによる空襲くうしゅうによる猛獣もうじゅう脱走だっそう危険きけん問題もんだいとなり、1942ねん以降いこう対策たいさく検討けんとうされた。たとえばフィラデルフィア動物どうぶつえんen)では、まち空襲くうしゅうけており破損はそんなど動物どうぶつ脱走だっそう危険きけんしょうじた場合ばあい警備けいびいんころせ処分しょぶんすべき危険きけん動物どうぶつ30とう決定けっていしていた。アメリカバイソンやライオン、アフリカゾウ、ヤマネコ、クマなどは脱走だっそうしそうになったらその銃殺じゅうさつする予定よていで、さるるい脱走だっそうした場合ばあいには射殺しゃさつするものとされた。他方たほうタテガミオオカミとハイエナはころさずにさい捕獲ほかくする計画けいかくだった[28]

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ a b c 上野うえの動物どうぶつえん戦時せんじ猛獣もうじゅう処分しょぶんされた動物どうぶつ詳細しょうさいつぎとおり。ホクマンヒグマ2とうホッキョクグマ2とうマレーグマ1とうツキノワグマ2とう朝鮮ちょうせんクロクマ2とう・トラ1とうヒョウ4とうくろヒョウ2とうチーター1とう・ライオン3とうアメリカバイソン2とうインドゾウ3とうガラガラヘビ1とうニシキヘビ1とう以上いじょう14しゅ27とう。ほかかしら自然しぜん文化ぶんかえんにてホッキョクグマ・ツキノワグマかく1とう
  2. ^ ライオン2とうのその消息しょうそく不明ふめい
  3. ^ もっと危険きけんな「だい一種いっしゅ」としてリストアップされた猛獣もうじゅう詳細しょうさいつぎのとおりである。ホクマンヒグマ1とうホッキョクグマ2とうマレーグマ1とう・アカグマ1とうツキノワグマ3とうヒグマ1とう朝鮮ちょうせんクロクマ1とう・トラ1とうヒョウ2とうくろヒョウ2とうコヨーテ1とうシマハイエナ1とうチーター1とう・ライオン4とう満州まんしゅうおおかみ5とう・カバ3とうアメリカバイソン2とう・クロザル1とう・ブタオザル1とうマントヒヒ6とう・インドゾウ3とうガラガラヘビ1とうマムシ2とうニシキヘビ2とう以上いじょう49てん。ほか、かしら自然しぜん文化ぶんかえんにホッキョクグマ2とう・ツキノワグマ1とうけい3てん

出典しゅってん

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  1. ^ a b c 中川なかがわ 2000.
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  3. ^ 東京とうきょう 1982a, p. 152.
  4. ^ 東京とうきょう 1982a, pp. 165–166.
  5. ^ 東京とうきょうひゃくねん編集へんしゅう委員いいんかい へん東京とうきょうひゃくねんだいかん東京とうきょう、1972ねん、1268-1269ぺーじ 
  6. ^ テレビ東京てれびとうきょう 1989, pp. 177–178.
  7. ^ a b 東京とうきょう 1982a, pp. 170–171.
  8. ^ a b 東京とうきょう 1982a, p. 181.
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  14. ^ 東京とうきょう 1982a, p. 201.
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  17. ^ a b 東京とうきょう 1982b, pp. 739–740.
  18. ^ a b 東京とうきょう 1982a, pp. 194–195.
  19. ^ テレビ東京てれびとうきょう 1989, p. 174.
  20. ^ 東京とうきょう 1982a, pp. 171–172.
  21. ^ 東京とうきょう 1982a, p. 180.
  22. ^ 東京とうきょう 1982a, pp. 176–177.
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  24. ^ 東京とうきょう 1982a, p. 154.
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  32. ^ Search for the ‘elephant angel’” ベルファスト動物どうぶつえん 2009ねん3がつ20日はつか(2010ねん8がつ11にち閲覧えつらん[リンク]
  33. ^ ‘Elephant angel’ found”ベルファスト動物どうぶつえん 2009ねん3がつ26にち(2010ねん8がつ11にち閲覧えつらん[リンク]

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 小森こもりあつし『もうひとつの上野動物園うえのどうぶつえん丸善まるぜん丸善まるぜんライブラリー〉、1997ねんISBN 4621052365 
  • テレビ東京てれびとうきょう へん戦争せんそうころされた動物どうぶつたち」『証言しょうげんわたし昭和しょうわ 4―太平洋戦争たいへいようせんそう後期こうき三国みくに一朗いちろう きき文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう文春ぶんしゅん文庫ぶんこ〉、1989ねんISBN 4167499045 
  • 東京とうきょう ちょ恩賜おんし上野動物園うえのどうぶつえん へん上野動物園うえのどうぶつえんひゃくねん本編ほんぺんだいいち法規ほうき、1982ねん 
  • 東京とうきょう ちょ恩賜おんし上野動物園うえのどうぶつえん へん上野動物園うえのどうぶつえんひゃくねん資料しりょうへんだいいち法規ほうき、1982ねん 
  • 中川なかがわ志郎しろう戦時せんじ猛獣もうじゅう処分しょぶん」『日本にっぽん歴史れきしだい事典じてん』 2かん小学館しょうがくかん、2000ねんISBN 978-4-0952-3002-3 
  • Frederick S. Litten (2009-09). “Starving the Elephants: The Slaughter of Animals in Wartime Tokyo’s Ueno Zoo”. The Asia-Pacific Journal 7 (38-3). https://apjjf.org/-Frederick-S.-Litten/3225/article.html. 
  • いわさだるみこ『ゾウのいない動物どうぶつえん 上野動物園うえのどうぶつえんジョン、トンキー、花子はなこ物語ものがたり講談社こうだんしゃあおとり文庫ぶんこ 265-7〉、2010ねん8がつ11にちISBN 978-4-06-285163-3NCID BB10246074 

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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