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憲法けんぽうろん

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

憲法けんぽうろん(おしつけけんぽうろん)とは、政治せいじがくもの西川にしかわ敏之としゆき研究けんきゅう論文ろんぶんによれば、1945ねん昭和しょうわ20ねん)に日本にっぽんポツダム宣言せんげん受諾じゅだく講和こうわ条約じょうやく締結ていけつする以前いぜん占領せんりょう統治とうち連合れんごう国軍こくぐん最高さいこう司令しれいかんそう司令しれい(GHQ/SCAP)が日本にっぽんたいして日本国にっぽんこく憲法けんぽうけてきたという理論りろんである[1]憲法けんぽうがくにおける論題ろんだいひとつであり、このせつおも論客ろんかくには京都きょうと帝国ていこく大学だいがく教授きょうじゅであった佐々木ささき惣一そういちや、京都大学きょうとだいがく教授きょうじゅであった大石おおいし義雄よしおらがいる[よう出典しゅってん]

概要がいよう[編集へんしゅう]

法学ほうがくもの高柳たかやなぎ賢三けんぞう大友おおとも一郎いちろう田中たなか英夫ひでおの『日本国にっぽんこく憲法けんぽう制定せいてい過程かてい』によると、日本国にっぽんこく憲法けんぽう制憲せいけん過程かていはGHQの意向いこうつよ反映はんえいされたものであり、1946ねん2がつ13にちホイットニーGHQ民政みんせい局長きょくちょうとの面談めんだん席上せきじょうでGHQ草案そうあん採用さいようが「天皇てんのう保持ほじ」のため必要ひつようでありさもなければ「天皇てんのう身体しんたい」の保障ほしょう出来できないなる主旨しゅしの「脅迫きょうはく[2]めいた主旨しゅし発言はつげんがあったことは2がつ19にち時点じてんぬさ原内はらうちかく閣僚かくりょう、3月には昭和しょうわ天皇てんのう枢密すうみつ顧問こもんかん報告ほうこくされている。この経緯けいいは1954ねん7がつ7にち憲法けんぽう改正かいせい担当たんとう大臣だいじんであり直接ちょくせつ当事とうじしゃであった松本まつもと烝治により自由党じゆうとう憲法けんぽう調査ちょうさかいにおいてひろ紹介しょうかいされ、「これでは脅迫きょうはくならないではないか」という見方みかたひろみちびすことになった[2]。この主旨しゅしでの「憲法けんぽうろん」がひろ国民こくみんあいだひろがったのはこの松本まつもと演説えんぜつによるところがおおきい[3]

政治せいじ学者がくしゃ岩本いわもといさお研究けんきゅう論文ろんぶんによれば、憲法けんぽうろん改憲かいけんろん基底きていにあるろんひとつである[4]どう論文ろんぶんおよび法学ほうがくしゃ森下もりした敏男としお論文ろんぶんによると、日本国にっぽんこく憲法けんぽうブルジョア憲法けんぽう資本しほん主義しゅぎ憲法けんぽう)に該当がいとう[4][5]憲法けんぽうろんはこれをけられた憲法けんぽうなしている[4]改憲かいけんろん資本しほん主義しゅぎ憲法けんぽう改憲かいけん目指めざしているため福祉ふくし国家こっかろんむすびついているとする研究けんきゅうもあるが、諸説しょせつある[5]

経緯けいい[編集へんしゅう]

1946ねん2がつ13にち日本にっぽん政府せいふマッカーサー草案そうあん提示ていじされたのにたいし、どう2がつ22にち閣議かくぎで「マッカーサー草案そうあん」のれを決定けっていぬさげん首相しゅしょう天皇てんのう事情じじょう説明せつめい奏上そうじょうおこなった。どう2がつ26にち閣議かくぎで、「マッカーサー草案そうあん」にもとづく日本にっぽん政府せいふあん起草きそう決定けっていし、どう3がつ2にち草案そうあん完成かんせいどう3がつ4にちにホイットニー民政みんせい局長きょくちょう提出ていしゅつされたが意見いけんがまとまらず折衝せっしょうつづき、どう3がつ5にち成案せいあん閣議かくぎ付議ふぎされ、字句じく整理せいりて「憲法けんぽう改正かいせい草案そうあん要綱ようこう」(「3がつ6にちあん」)が発表はっぴょうされた。どう4がつ17にちに「憲法けんぽう改正かいせい草案そうあん」が公表こうひょうされ、どう8がつ24にち修正しゅうせい衆議院しゅうぎいん可決かけつどう10がつ6にち修正しゅうせい貴族きぞくいん可決かけつよく7にち貴族きぞくいんあん衆議院しゅうぎいん可決かけつ憲法けんぽう改正かいせい手続てつづき終了しゅうりょうした。とくどう2がつ26にち閣議かくぎ日本にっぽん政府せいふあん起草きそう決定けっていされてからどう3がつ6にち憲法けんぽう改正かいせい草案そうあん要綱ようこう公表こうひょうされるまでやくいち週間しゅうかんという異例いれい短期間たんきかん完成かんせいしている。

またマッカーサー草案そうあんから日本にっぽん政府せいふ草案そうあん作成さくせい参画さんかくした白洲しらす次郎じろうは、「この憲法けんぽう占領せんりょうぐんによって強制きょうせいされたものであると明示めいじすべきであった。歴史れきしじょう事実じじつ都合つごうよくごまかしたところでなにになる。後年こうねんそのごまかしが事実じじつしんじられるようなときがくれば、それはほんとにいち大事だいじであると同時どうじ重大じゅうだい罪悪ざいあくであるとかんがえる」[6]べている。

当時とうじ民政みんせいきょく短時間たんじかん憲法けんぽう制定せいていせまったのは、占領せんりょう政策せいさく決定けっていするために11カ国かこく代表だいひょう構成こうせいされる極東きょくとう委員いいんかいだい1かい会合かいごうどう2がつ26にちワシントン D.C.でひらかれるため、どう2がつ26にち日本にっぽん政府せいふ起草きそう決定けっていさせる必要ひつようがあったためとされる。

ここから「日本国にっぽんこく憲法けんぽうは、太平洋戦争たいへいようせんそう敗北はいぼく日本にっぽん占領せんりょうした連合れんごう国軍こくぐん最高さいこう司令しれいかんそう司令しれい(GHQ)によってつくられ、日本にっぽんしつけた憲法けんぽうである。日本にっぽん政府せいふはGHQの憲法けんぽう改正かいせいあん拒否きょひすると天皇てんのう地位ちいあやうくなる(=国体こくたい護持ごじの)ため、GHQの憲法けんぽう改正かいせいあんむをれたものである」とする憲法けんぽうろんがある。

論点ろんてん[編集へんしゅう]

1907ねん明治めいじ40ねん)に署名しょめいされたハーグ陸戦りくせん条約じょうやく日本にっぽんでは明治めいじ45ねん条約じょうやくだい4ごう、「陸戦りくせん法規ほうき慣例かんれいせきスル条約じょうやく」)の条約じょうやく附属ふぞくしょ陸戦りくせん法規ほうき慣例かんれいせきスル規則きそく」のだい43じょうに、「くに権力けんりょく事実じじつじょう占領せんりょうしゃうつりたるうえは、占領せんりょうしゃは、絶対ぜったいてき支障ししょうなきかぎり占領せんりょう現行げんこう法律ほうりつ尊重そんちょうして、るべく公共こうきょう秩序ちつじょ生活せいかつ回復かいふく確保かくほするためほどこべき一切いっさい手段しゅだんつくすべし。」(原文げんぶん片仮名かたかなたい)とさだめられ、占領せんりょうぐん占領せんりょう地域ちいき法律ほうりつ尊重そんちょうすることをさだめている。だい世界せかい大戦たいせんにハーグ陸戦りくせん条約じょうやく直接ちょくせつ適用てきようされたかどうかについては議論ぎろんがあるが[7]戦時せんじ慣習かんしゅうほうでは占領せんりょうしゃ占領せんりょうしゃたいして憲法けんぽうのような根本こんぽんほう改正かいせい介入かいにゅうあるいは命令めいれいすること禁止きんしされているとかんがえられている。

また、日本にっぽんれたポツダム宣言せんげんだい12こうにおいても「前記ぜんきしょ目的もくてき達成たっせいせられ、且日本国ほんごく国民こくみん自由じゆう表明ひょうめいせる意思いししたが平和へいわてき傾向けいこうゆうし且責任せきにんある政府せいふ樹立じゅりつせらるるにおいては、聯合れんごうこく占領せんりょうぐんは、じか日本にっぽんこくより撤収てっしゅうせらるべし。」(原文げんぶん片仮名かたかなたい)との文言もんごんがあることから、ポツダム宣言せんげんじょう憲法けんぽう改正かいせいおこなうのであれば日本にっぽん国民こくみん主体しゅたいてきおこなうべきであったにもかかわらず、連合れんごう国軍こくぐん最高さいこう司令しれいかんそう司令しれい(GHQ/SCAP)などの強力きょうりょく指導しどうしためられたとの指摘してきがある。

法理ほうりろんとしては大日本帝国だいにっぽんていこく憲法けんぽう明治めいじ憲法けんぽう)の天皇てんのう主権しゅけんから、日本国にっぽんこく憲法けんぽう国民こくみん主権しゅけん移行いこうするさいに、大日本帝国だいにっぽんていこく憲法けんぽうだい73じょうしたがった改正かいせいであったとなした場合ばあい憲法けんぽう改正かいせいせつ)、君主くんしゅ主権しゅけん憲法けんぽう国民こくみん主権しゅけん憲法けんぽうすことができるかとの視点してんから、できる(憲法けんぽう改正かいせい限界げんかいせつ)・できない(憲法けんぽう改正かいせい限界げんかいせつ無効むこうせつ)とのろんつ。主権しゅけんという究極きゅうきょく憲法けんぽう法規ほうき自立じりつてき否定ひていすることはできない(限界げんかいせつ無効むこうせつ)とのろん理論りろんてきにはばかにできないもので、はちがつ革命かくめいせつなどがこれを回避かいひするために提案ていあんされた[8]一方いっぽう憲法けんぽう改正かいせい限界げんかいせつにたてば、明治めいじ憲法けんぽう73じょう規定きていそくした改正かいせいであったかどうかが論点ろんてんとなり、ここで憲法けんぽうろん争点そうてんとなる。

制定せいてい枢密院すうみついん審査しんさ委員いいんとしてかかわった野村のむら吉三郎きちさぶろうも「マッカーサーから強要きょうよう」や「無条件むじょうけん降伏ごうぶくというような状況じょうきょうであつて、かれらのうがままになるほかないというような空気くうき」とべている[9]

アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくふく大統領だいとうりょうジョー・バイデンは2016ねんに、「わたしたちが(日本にっぽんを)かく武装ぶそうさせないための日本国にっぽんこく憲法けんぽういた」とべ、日本国にっぽんこく憲法けんぽう起草きそうしゃがアメリカであることを明言めいげんしている[10]

憲法けんぽうろん以外いがい立場たちば学者がくしゃとうからは、反論はんろん指摘してきとうがされている。詳細しょうさい以下いか参照さんしょう

指摘してき反論はんろん[編集へんしゅう]

憲法けんぽうろんたいしては、いくつかの指摘してきとその反論はんろんがある。

ハーグ陸戦りくせん条約じょうやく効力こうりょく[編集へんしゅう]

指摘してき(1):ハーグ陸戦りくせん条約じょうやく交戦こうせんちゅう規定きていであり、ポツダム宣言せんげん受諾じゅだくした時点じてん日本にっぽん戦争せんそう終結しゅうけつしており、これにたらない[11]

反論はんろん(1)サンフランシスコ締結ていけつされた日本にっぽんこくとの平和へいわ条約じょうやく(サンフランシスコ講和こうわ条約じょうやく日本にっぽんでは昭和しょうわ27ねん条約じょうやくだい5ごう)のだい1じょう戦争せんそう終了しゅうりょう主権しゅけん承認しょうにん)には、「(a)日本にっぽんこくかく連合れんごうこくとのあいだ戦争せんそう状態じょうたいは、だい23じょうさだめるところによりこの条約じょうやく日本にっぽんこく当該とうがい連合れんごうこくとのあいだ効力こうりょくしょうずる終了しゅうりょうする。(b)連合れんごうこくは、日本にっぽんこくおよびその領水りょうすいたいする日本にっぽん国民こくみん完全かんぜん主権しゅけん承認しょうにんする。」とあり(なお、だい23じょう批准ひじゅん効力こうりょく発生はっせい条件じょうけん条文じょうぶん)、日本にっぽん連合れんごうこくとの戦争せんそう状態じょうたいは、ポツダム宣言せんげん受諾じゅだくではなくこの条約じょうやく発効はっこうによって正式せいしき終了しゅうりょうしたのであり、「日本国にっぽんこく憲法けんぽう制定せいてい時点じてんにおいては国際こくさいほううえ休戦きゅうせん状態じょうたいであった。

指摘してき(2):ハーグ陸戦りくせん条約じょうやく付属ふぞくしょだいさん款(42じょう以降いこう)は交戦こうせんちゅう占領せんりょう政策せいさくかんする規定きていであり、休戦きゅうせん拘束こうそくされない[12]

ポツダム宣言せんげん効力こうりょく[編集へんしゅう]

指摘してき:ポツダム宣言せんげん受諾じゅだくによって、どう宣言せんげんは、「陸戦りくせん法規ほうき慣例かんれいせきスル条約じょうやく」(ハーグ陸戦りくせん条約じょうやく)およびその条約じょうやく附属ふぞくしょ陸戦りくせん法規ほうき慣例かんれいせきスル規則きそく」とともに一般いっぱんてき国際こくさいほう同等どうとう効力こうりょくとなった。「われとうは、日本人にっぽんじん民族みんぞくとして奴隷どれいせんとし、また国民こくみんとして滅亡めつぼうせしめんとするの意図いとゆうするものにざるも、われとう俘虜ふりょしいたげまたせるものふく一切いっさい戦争せんそう犯罪はんざいひとたいしては、厳重げんじゅうなる処罰しょばつくわえらるべし。日本国にっぽんこく政府せいふ日本国にっぽんこく国民こくみんあいだける民主みんしゅ主義しゅぎてき傾向けいこう復活ふっかつ強化きょうかたいする一切いっさい障礙しょうがい除去じょきょすべし。言論げんろん宗教しゅうきょう思想しそう自由じゆうなみ基本きほんてき人権じんけん尊重そんちょうは、確立かくりつせらるべし。」(ポツダム宣言せんげんだい10こう原文げんぶん片仮名かたかなたい)により、日本にっぽんこく民主みんしゅ主義しゅぎ障壁しょうへき除去じょきょ自由じゆう人権じんけん尊重そんちょう確立かくりつをなすべき義務ぎむ[13]、この義務ぎむ履行りこうとして日本国にっぽんこく憲法けんぽう制定せいていされた。また、特別とくべつほう一般いっぱんほう優先ゆうせんするので、ポツダム宣言せんげんほう優先ゆうせんされることはあきらかである[11]

反論はんろん戦時せんじ国際こくさいほうによれば、ポツダム宣言せんげん占領せんりょうぐん撤退てったい条件じょうけん提示ていじしたものである。明治めいじ憲法けんぽうには国際こくさい条約じょうやく憲法けんぽう優越ゆうえつするというほう解釈かいしゃく条約じょうやく優位ゆういせつ)はない。


大西洋たいせいよう憲章けんしょう[編集へんしゅう]

指摘してき大西洋たいせいよう憲章けんしょうには民族みんぞく自決じけつけんうたわれているが、降伏ごうぶく条件じょうけんとして国体こくたい護持ごじし、日本にっぽんこく最終さいしゅう政治せいじ形態けいたい日本にっぽん国民こくみん自由じゆう表明ひょうめいした意思いしめるとしたにもかかわらず、憲法けんぽう改正かいせい指示しじしたり極東きょくとう委員いいんかいによる文民ぶんみん条項じょうこうについての干渉かんしょうソビエト意向いこうから極東きょくとう委員いいんかい、GHQというラインをつうじた干渉かんしょう)をおこなっており、極東きょくとう委員いいんかいとマッカーサーそう司令しれいはポツダム宣言せんげんおよ降伏ごうぶく文書ぶんしょ違反いはんしている[14]

憲法けんぽう制定せいてい手続てつづ[編集へんしゅう]

指摘してき日本国にっぽんこく憲法けんぽう連合れんごう国軍こくぐん最高さいこう司令しれいかんそう司令しれい(GHQ/SCAP)の強力きょうりょく指導しどうした制定せいていしたものであるが、当時とうじ世論せろん調査ちょうさなどをても日本にっぽん国民こくみん歓迎かんげいしており[11]、またやく6ヶ月かげつおよ衆議院しゅうぎいん貴族きぞくいんにおける審議しんぎ[15]衆院しゅういんせんによって国民こくみん自主じしゅてき選択せんたくしたこと、およびきゅう大日本帝国だいにっぽんていこく憲法けんぽう改正かいせい手続てつづきもんでいることから、実質じっしつてき意味いみにおいて日本にっぽんこくつくったとほぼどう意義いぎであり[16]無効むこうろんつうじない。また、しん憲法けんぽう制定せいてい過程かていにおいて言論げんろん統制とうせいがなされたとはかんががた[17]各種かくしゅ憲法けんぽう草案そうあん存在そんざい[11]世論せろん是非ぜひうていたのはあきらかだ。

反論はんろん改正かいせい手続てつづきんだものではあるが、その内実ないじつ連合れんごう国軍こくぐん最高さいこう司令しれいかんそう司令しれい(GHQ/SCAP)が1945ねん9がつ10日とおかに、SCAPIN-16「言論げんろんおよ新聞しんぶん自由じゆうかんする覚書おぼえがき」 、どう9がつ21にちに、SCAPIN-33「日本にっぽんあずかうる新聞しんぶん遵則」などのプレスコードにより言論げんろん統制とうせいされており、日本国にっぽんこく憲法けんぽう表立おもてだった反対はんたいはできない状況じょうきょうであったので手続てつづきに問題もんだいがある。保革ほかく双方そうほうから各種かくしゅ憲法けんぽう草案そうあんされたのはたしかだが、GHQが憲法けんぽう草案そうあんして以降いこうは、これに反対はんたいする書籍しょせきとう発禁はっきん処分しょぶんになっており、これに違反いはんしたとして朝日新聞社あさひしんぶんしゃ日間にちかん業務ぎょうむ停止ていし命令めいれいけている。貴族きぞくいん議員ぎいんであり審議しんぎにも参加さんかした美濃部みのべ達吉たつきち教授きょうじゅ佐々木ささき惣一そういち教授きょうじゅは「しん憲法けんぽう圧倒的あっとうてき多数たすう反対はんたいひょうは8ひょうのみ)で可決かけつされたが、議員ぎいん内心ないしんとはちが行動こうどうらざるをなかった」とべており、制定せいてい過程かてい瑕疵かしがあることたしかだ。


しつけは事実じじつ誤認ごにんである[編集へんしゅう]

指摘してき現在げんざい憲法けんぽう憲法けんぽう研究けんきゅうかい発表はっぴょうした憲法けんぽう草案そうあん要綱ようこうをGHQが参考さんこうにして制定せいていされたものであるため米国べいこく一方いっぽうてきけてきたものであるとはえない。

反論はんろん当時とうじ作成さくせいされたおおくの憲法けんぽう草案そうあんなかで、憲法けんぽう研究けんきゅうかい憲法けんぽう草案そうあん要綱ようこうとく国民こくみんあいだ支持しじされていたことをしめ資料しりょうはない。1946ねん2がつ13にち日本にっぽん政府せいふ提出ていしゅつした「憲法けんぽう改正かいせい要綱ようこう」にたいする回答かいとう聴取ちょうしゅするためGHQをおとずれた松本まつもと国務大臣こくむだいじん吉田よしだしげる外務がいむ大臣だいじんは、ホイットニーから「マッカーサー草案そうあん」を手交しゅこうされ、そのさい日本にっぽん政府せいふ改正かいせいあん(「憲法けんぽう改正かいせい要綱ようこう」)はGHQにとって承認しょうにんしがたいこと、提示ていじした草案そうあん(「マッカーサー草案そうあん」)はべい本国ほんごく連合れんごうこく極東きょくとう委員いいんかいにおいて承認しょうにんされていること、現在げんざい日本にっぽん政府せいふ改正かいせいあん保持ほじしたままでは天皇てんのう地位ちい保障ほしょうすることがむずかしいこと、提示ていじした草案そうあん基本きほん原則げんそくいちにする改正かいせいあんすみやかに作成さくせいし、その提示ていじ切望せつぼうすることなどがもうわたされている。日本国にっぽんこく憲法けんぽうだい66じょう文民ぶんみん規定きていについては[18]極東きょくとう委員いいんかい要請ようせいでGHQがきさがらず、金森かなもり憲法けんぽう担当たんとう国務大臣こくむだいじんがそのむねだい1かいしょう委員いいんかいでのべざるをえなかった。結局けっきょくシビリアンを「文民ぶんみん」という日本語にほんごにして、修正しゅうせいあんはできあがった。

指摘してき原案げんあん作成さくせいの「密室みっしつの7日間にちかん」に焦点しょうてんしぼればけになるかもしれないが、時間じかんじくじょうじくはずして立法りっぽうしゃろん採用さいようすればけとはならない。憲法けんぽう骨格こっかくについて外国がいこくじん賢者けんじゃがやってきて議論ぎろんする、骨格こっかくをつくるというのはひとつのあるべき姿すがたである。そもそも女性じょせい選挙せんきょけんたず、土地とち改革かいかくがなされず、農民のうみん小作こさくで、労働ろうどうしゃ人権じんけんみとめられない、教育きょういく自由じゆう宗教しゅうきょう自由じゆうもない社会しゃかい我々われわれのぞまない。これは当時とうじ権力けんりょく機構きこう政治せいじ経済けいざい体制たいせい基盤きばんいた政治せいじたちからは絶対ぜったいてこない発想はっそうであって、芦田あしだひとしぬさばら安倍あべ能成よしなりなど保守ほしゅリベラル国際こくさいてき視野しやにたって原案げんあん作成さくせいんだ事実じじつ確認かくにんすべきである[12]明治めいじ憲法けんぽう原案げんあんもおやと外国がいこくじんだったヘルマン・ロエスレル起案きあんしたものである。

反論はんろんぬさ原内はらうちかく憲法けんぽう問題もんだい調査ちょうさ委員いいんかい松本まつもと委員いいんかい)が作成さくせいしたあん松本まつもと試案しあん)は帝国ていこく憲法けんぽう基礎きそとして大正たいしょうデモクラシー復活ふっかつ目標もくひょう作成さくせいされぬさ原内はらうちかく公式こうしきあんとしてGHQに提示ていじされたものであるが、日本国にっぽんこく憲法けんぽうとはてもつかない。日本国にっぽんこく憲法けんぽうけられたものでなくぬさばららが自主じしゅてき作成さくせいした原案げんあんとしてとらえるなら、松本まつもと試案しあん日本国にっぽんこく憲法けんぽうについて合理ごうりてき説明せつめいする必要ひつようがある。

なお、女性じょせい参政さんせいけん労働ろうどう組合くみあいほう憲法けんぽう改正かいせいたずして導入どうにゅうされており、女性じょせい参政さんせいけん労働ろうどうしゃ権利けんり帝国ていこく憲法けんぽう両立りょうりつしないというのは事実じじつ誤認ごにんである。農地のうち改革かいかく戦前せんぜんから農林省のうりんしょう検討けんとうされており、実施じっしされなかったのは帝国ていこく憲法けんぽう制約せいやくではなく地主じぬしそう抵抗ていこうによる。また、日本国にっぽんこく憲法けんぽう帝国ていこく憲法けんぽうより財産ざいさんけん保障ほしょう強化きょうかしており、農地のうち改革かいかくはむしろ帝国ていこく憲法けんぽう時代じだいより困難こんなんになっている。

瑕疵かし治癒ちゆされた[編集へんしゅう]

指摘してき現在げんざい憲法けんぽうけであることをみとめつつ、すでにすうじゅう年間ねんかん運用うんようされてきた事実じじつをもって、憲法けんぽう主権しゅけんしゃである国民こくみん追認ついにんされたとする意見いけんがある。 民主みんしゅてき手続てつづきが徹底てっていされていれば、不都合ふつごうがあれば主権しゅけんしゃたる国民こくみんによって変更へんこうしうるものであり、法定ほうてい追認ついにんかたち一種いっしゅ定着ていちゃくをした、とする[19]


脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 西川にしかわ敏之としゆき日本国にっぽんこく憲法けんぽう」(比較ひかくほう文化ぶんか:駿河台大学するがだいだいがく比較ひかくほう研究所けんきゅうじょ紀要きよう 2009ねん[1] P.208、PDF-P.2
  2. ^ a b 高柳たかやなぎ大友おおとも田中たなか編著へんちょ日本国にっぽんこく憲法けんぽう制定せいてい過程かてい』II(有斐閣ゆうひかく)1972ねん、58ぺーじ
  3. ^ 高柳たかやなぎ大友おおとも田中たなか編著へんちょ日本国にっぽんこく憲法けんぽう制定せいてい過程かてい』I、「じょにかえて」ⅹぺーじ
  4. ^ a b c (岩本いわもといさお 2007, pp. 86–87, p. 92)
  5. ^ a b (森下もりした敏男としお 2015, pp. 249–250)
  6. ^ 白洲しらす次郎じろう「プリンシプルのない日本にっぽん」より(引用いんよう箇所かしょは『プリンシプルのない日本にっぽん新潮しんちょう文庫ぶんこ p.225)
  7. ^ 平成へいせい19ねん(ワ)だい5951ごう損害そんがい賠償ばいしょうとう請求せいきゅう事件じけんとうくわしくはハーグ陸戦りくせん条約じょうやく#注記ちゅうき
  8. ^ このほか横浜よこはま事件じけんにおける失効しっこうせつなどがある。大石おおいししん京大きょうだい教授きょうじゅせつ
  9. ^ 昭和しょうわ29ねん4がつ13にち内閣ないかく委員いいんかい公聴こうちょうかいにおける公述こうじゅつじんとしての野村のむら発言はつげん。「この憲法けんぽうがマッカーサーから強要きょうようされたときには枢密院すうみついんにおりまして、審査しんさ委員いいん一員いちいんでありました。この憲法けんぽういたるところに無理むりがあるとはおもいましたが、なかんずくだいきゅうじょう後来こうらい非常ひじょうにやつかいな問題もんだいになるんじやないかということを痛感つうかんしたのであります。審査しんさ奮会でもしばく意見いけんべ、政府せいふ意見いけんきました。しかし当時とうじ無条件むじょうけん降服こうふくというような状況じょうきょうであつて、かれらのうがままになるほかないというような空気くうきでありまして、かたちうえにおいては枢密院すうみついんもこれでつうつたのであります」
  10. ^ バイデンふく大統領だいとうりょう日本国にっぽんこく憲法けんぽうべいいた」毎日新聞まいにちしんぶん 2016ねん8がつ17にち
  11. ^ a b c d 芦部あしべ、28ぺーじ
  12. ^ a b だい147かい国会こっかい 衆議院しゅうぎいん憲法けんぽう調査ちょうさかい だい6ごう (平成へいせい12ねん4がつ6にち)参考さんこうじん筑波大学つくばだいがく社会しゃかい科学かがくけい教授きょうじゅ進藤しんどう榮一えいいち”. 国会こっかい会議かいぎろく検索けんさくシステム. 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかん (2000ねん4がつ6にち). 2020ねん2がつ4にち閲覧えつらん
  13. ^ 芦部あしべ、27ぺーじ同旨どうし
  14. ^ だい147かい国会こっかい 衆議院しゅうぎいん憲法けんぽう調査ちょうさかい だい3ごう (平成へいせい12ねん2がつ24にち)参考さんこうじん日本にっぽん大学だいがく法学部ほうがくぶ教授きょうじゅ青山あおやま武憲たけのり”. 国会こっかい会議かいぎろく検索けんさくシステム. 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかん (2000ねん2がつ24にち). 2020ねん2がつ4にち閲覧えつらん
  15. ^ 芦部あしべ、26ぺーじ
  16. ^ 芦部あしべ、28ぺーじ同旨どうし芦部あしべは「日本国にっぽんこく憲法けんぽう制定せいていは、不十分ふじゅうぶんながらも自律じりつせい原則げんそくはんしない」とする
  17. ^ 芦部あしべ、29ぺーじ同旨どうし
  18. ^ だい147かい国会こっかい 衆議院しゅうぎいん憲法けんぽう調査ちょうさかい だい5ごう (平成へいせい12ねん3がつ23にち)日本国にっぽんこく憲法けんぽうかんするけん日本国にっぽんこく憲法けんぽう制定せいてい経緯けいい平田ひらた米男よねお”. 国会こっかい会議かいぎろく検索けんさくシステム. 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかん (2000ねん3がつ23にち). 2020ねん2がつ4にち閲覧えつらん
  19. ^ だい147かい国会こっかい 衆議院しゅうぎいん 憲法けんぽう調査ちょうさかい だい5ごう 平成へいせい12ねん3がつ23にち No013 石破いしばしげる”. kokkai.ndl.go.jp. 国立こくりつ国会こっかい図書館としょかん. 2022ねん9がつ6にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

国会こっかい議事ぎじろく詳細しょうさいについては国会こっかい議事ぎじろく検索けんさくシステム[2]利用りようすれば議事ぎじろく原文げんぶん閲覧えつらん可能かのう

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]